全5件 (5件中 1-5件目)
1

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回の中心は、歴史的には余談程度の話だけど、源頼朝が出るドラマではよくネタになる「亀の前事件」です。とはいえ、重要な出来事ではなく、余談のレベルでしょう。でもそれを、単なる政子(小池栄子さん)の嫉妬、政子の恐妻ぶりという形ではなく、いろいろな人物を次から次へと絡めて、この回の約半分を占めるドラマにできるのですね。事件の前半は、りく(宮沢りえさん)がちょっと意地悪な気持ちから政子に告げ口して、りくは兄の牧宗親(山崎 一さん)と大ごとになるのを陰で面白がり、一方で北条義時(小栗 旬さん)は大ごとにならないよう奔走していました。でも火消で源 義経(菅田将暉さん)を絡めたことでそれがかえって大ごとになり、誰もが互いに胸に秘めていた誰かへの「いい気味だ」という問題ではなくなってきました。そして後半は、りくが政子をかばい、頼朝(大泉 洋さん)は弟・義経をかばいます。また舅であってもふだんは御家人の一人としか考えていない北条時政(坂東彌十郎さん)が自分に怒ったときに、頼朝は急に舅・婿の関係であることを思い出したのか狼狽します。それぞれの人が持つ立場の強弱や気持ちの問題が、次々と誰かを絡めて「渦」ができていき、でもそれがあるときから「渦」が反転して戻っていくようなものを感じました。そして意外な描写でしたがドラマのラストで、老齢の上総広常(佐藤浩市さん)が密かに手習いをしているシーン。若い頃にちゃんとやってなかったけど、今少しでもできるようにしようと、老いた身で学ぼうとする姿勢に感動した視聴者は多かったと想像しています。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 寿永元年(1182)、源 頼朝(大泉 洋さん)の異母弟・阿野全成(新納慎也さん)と政子(小池栄子さん)の妹・実衣(宮澤エマさん)が夫婦となり、北条の皆が集っての報告会を兼ねたささやかな食事会をしていました。また北条義時(小栗 旬さん)は江間の領主となり八重を迎えることとなったのですが、ならば北条の家は誰が継ぐのかという話題になりました。父・北条時政(坂東彌十郎さん)は義時しか考えていないのですが、時政の妻のりく(宮沢りえさん)は自分が男子を産んだらその子が北条家をという野心がありました。結局は頼朝が、北条家は鎌倉の要石で伊豆の小物ではない、家督は一大事だから軽々に話さないようにと釘をさして場を収めました。三善康信の推挙で大江広元(栗原英雄さん)、中原親能(川島潤哉さん)、藤原行政(野仲イサオさん)の3名が文官として都より下ってきました。頼朝から間もなく生まれる我が子のための産養の義の、三夜・五夜・七夜・九夜で担当する御家人の発表があり、そして実の親に勝るとも劣らないという大きな権限を持つ乳母は比企家が受け持つこととなったと発表がありました。これは坂東で一大勢力を誇る上総広常にとっては面白くないことでした。さらに安産祈願のために鶴岡八幡宮に神馬一匹が奉納されることになり、馬曳きの役目を頼朝の弟の源 義経(菅田将暉さん)と畠山重忠(中川大志さん)にと言われ、重忠は名誉な役目と喜んで引き受けました。しかし義経には気の進まない役目で、その態度は頼朝には不服と取られていました。平家討伐のために兄・頼朝の元に馳せ参じた義経なので、儀式よりも早く戦に出たい気持ちがはやっている故の言動だったのですが、頼朝を怒らせただけでした。千葉常胤(岡本信人さん)が馬曳きの役目を自分がと名乗り出ましたが、苛立つ頼朝から「見栄えが大事だ!」と強く拒否され古参の坂東武者としての誇りに傷が、結局この役目は義時に命じられ、頼朝は苛立ったまま退出していきました。自分の思い通りに動かない弟や御家人たちに強い腹立ちを覚える頼朝は大江広元に、この鎌倉に足りぬものはなにかを見極めるよう観察を命じました。一方、義経は思うように戦が始まらないし兄には怒られるしで気分が沈んだままで、唯一甘えられる義姉の政子のところにいって愚痴をこぼしていました。以前、頼朝から「いずれ跡を継がせてもよい」と言われた義経は、政子のおなかの子の性別や政子の跡継ぎへの考えが気になるので尋ねました。すると政子はあっさりと「丈夫なら男女どちらでもいい」と。義経は気持ちが和らぎ、政子のおなかの子に「いい子が生まれますように」と願をかけ、その姿に政子も義時も安堵していました。寿永元年(1182)8月12日、政子は男子を出産し、万寿と名付けられました。ただ頼朝が権力を持った今は、万寿を手元に置いて自分で世話することができなくて、すぐ乳母の道(堀内敬子さん)に万寿を連れていかれてしまうので、政子にとっては寂しい子育てとなりました。大姫のときは頼朝に力がなくて不安定だったけど姫を自分で育てることができました。今の政子は御台所としての地位を持ったけど、跡継ぎとなる我が子に自分の乳をやり手元で育てることができません。女人としての地位と母としての幸福と、両方は手に入らないのですね。夫の全成から頼朝の愛妾のことを聞いた実衣はいよいよ黙っていられなくなりました。そこで範頼(頼朝の異母弟)に相談、なんとかすると言った範頼は頼朝の舅にあたる時政に相談、時政は妻のりくには政子には言わないよう念を押しましたが、ちょっと意地悪な気持ちが芽生えたりくは愛妾の亀のことを政子に伝えてしまいました。当然ながら政子は怒り心頭、姉の政子に詰め寄られて頼朝の別宅(亀の家)を教えてしまった義時は。政子の性格からしてこの後何か起こりそうだと心配になりました。そこで義時は理由を伏せて義経に、ある場所を一晩見張って欲しいと頼みました。政子はりくから聞いた「後妻打ち」を決意し、父の時政は巻き込みたくないので、りくの兄の牧宗親(山崎 一さん)に実行を頼みました。宗親が従者を連れて亀の家に来たとき、義経は兄・頼朝に愛妾がいてここがその家であることを知り、驚愕しつつも最初は黙って見ていました。しかし宗親から手伝ってくれと言われたときに、政子を裏切る頼朝が許せないと思ったのか、弁慶(佳久 創さん)に「派手に行け。」と命じました。大好きな御曹司・義経の命とあらばと、弁慶は宗親の従者から木槌を奪って門を壊し、「威勢よくやれ!」という義経の掛け声で仲間の郎党たちも家の破壊に加わりました。(弁慶役の佳久創さんのお父さんは元・中日ドラゴンズの郭源治さん。この木槌の振り方は野球のバットのスイングのようですね。)脅しで家をちょっと壊すだけのはずが、義経の一行に全壊のうえ火までつけられてしまい、梶原景時(中村獅童さん)の調べで全てが露見しました。宗親は詮議の場で義経とその仲間たちが好き放題に暴れたと弁明し、他の御家人たちへの示しもあるので頼朝は義経に謹慎を命じました。そして頼朝は宗親に「お前のせいで可愛い弟を罰することになった。断じて許さん!」と言い、景時に宗親の髻を切るよう命じました。髻を切られた宗親の恥辱は激しいもので、兄のあまりの結末にりくは御所に行って頼朝に抗議をし、さらに「懸命に御台所だろうと励んでいる政子が哀れでならない」と兄のことだけでなく政子のこともかばいました。そこに政子も入ってきて、りくと政子の二人で頼朝の不誠実さを責めました。それでも開き直った頼朝、自分を愚弄するとたとえお前たちであっても容赦はしない!、下がれ!と強い態度にでたのですが、その時・・・!今まで黙って様子を見ていた時政が怒って立ち上がりました。「源頼朝が何だってんだ!わしの大事な身内(妻と娘)にようもそんな口をたたいてくれたな。たとえ鎌倉殿でも許さない!」ふだんは自分に怒った顔を向けることのない舅・時政の激しい怒りに頼朝は驚きます。政子や義時は父の怒りをなだめ、安達盛長は時政が酔っているのだとかばいましたが、時政は御所で頼朝に仕えるのはここまでだと思い、後のことは義時に任せたと言って伊豆に帰る決意をしました。頼朝の愛妾問題がこじれにこじれて父の隠居というわけのわからない事態になってしまった義時は、その夜遅くに上総広常(佐藤浩市さん)を訪ねました。部屋に散らばる手習いの字を見て義時が「お孫さんのですか?」と訊ねると、広常はそれは自分の字だと言います。「若い頃から戦ばかりでまともな文筆は学ばなかった。京へ行って公家どもに馬鹿にされたくないだろ。だから今のうちに稽古しているんだ。」とのことでした。単に一大勢力を誇るだけでなく、たとえ老齢であっても自分に足りないものを補おうと努力する広常の姿に、義時は深い感銘を受けました。ところで亀はどこに逃げたのかというと、ここで広常に預かってもらっていました。広常は自分にまで色目を使ってくる亀が苦手で、早く出ていって欲しいのでした。
March 29, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回では、鎌倉に御所が完成して源 頼朝(大泉 洋さん)が「鎌倉殿」となり、政子(小池栄子さん)は衣装も振る舞いもまさに御台所となり、そして頼朝と共に戦ってきた坂東の豪族たちは「御家人」となってその地位を固めました。とはいえ、人がたくさん集まって何かの役割を持てば、「自分がこの地位を受けてもいいのか」と感激する者もいれば、義経(菅田将暉さん)のように思うように展開していかないことに苛立ち、さらに「デキる兄・義円が目障りだ」と考え画策する者もいます。そんな不安定な緊張感の集まりの中で、厳しくフラれても変わらず八重(新垣結衣さん)を想う主人公の北条義時(小栗 旬さん)が、ある種の癒しです。八重がたとえ自分が表に出なくても頼朝を支えたい、頼朝の大願成就を見届けたいと考えるように、同様に義時も身内としての思いもあるだろうけど、戦で住むところを失った伊東家の八重と祐親と祐清を、自分の所領の江間に迎えて自分が守ってやりたいと考えます。結局それは叶わない願いとなりましたが。それにしても善児(梶原 善さん)の存在感がスゴイ。オープニングのクレジットに「善児」の名前がでると、今度はいったい誰がヤラレルのだろうかなんて、ふと考えてしまいます。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 治承4年(1180)11月、金砂城の戦いの後に鎌倉の仮御所に戻った源 頼朝(大泉 洋さん)は、妻・政子(小池栄子さん)の弟の北条義時(小栗 旬さん)に自分の前妻であった八重との結婚を勧めます。義時がは昔から八重のことが好きだったし、周囲もそれを知っていたのでこの話は上手く進むかと思われたのですが、八重からきっぱりと「お断りいたします」と。(それまで流れていた優しいBGMから一気に激しく悲しそうなBGMに。爆笑!SNSでは「失恋ファンファーレ」という言い方も。笑)哀しみに沈む義時は大泣きして安達盛長に慰めてもらい、三浦義村には「男女の仲は振られてからが勝負だ」と励ましてもらいました。治承4年(1180)12月12日、鎌倉に頼朝の御所が完成しました。堂々たる御台所となった娘の政子の姿を見て北条時政(坂東彌十郎さん)は心から嬉しそうですが、りく(宮沢りえさん)は夫の時政が頼朝の舅であっても思い描いたような権限もなく、自分が政子と並び立つ存在でないことに不満そうでした。御所に入ったこの日、頼朝は家人一同を集め、所領を与えて主従の契りを交わし、これは関東に独自政権が誕生した瞬間でした。これより頼朝は「鎌倉殿」と、そして一同は「御家人」呼ばれることになりました。そして新たに設けた侍所の別当には和田義盛が就き、石橋山の戦の折に平家方であったものの追われていた頼朝を見逃してくれた梶原景時も新たに御家人としました。一方、西の方では平清盛が以仁王をかくまった園城寺(現在の滋賀県大津市)を焼き討ちにし、さらに清盛の五男・重衡が平家に楯ついた奈良の興福寺や東大寺などを攻め、南都の地は炎に包まれました。頼朝が夫の時政を重用しないことにりくはたいそう不満で、時政にあれやこれやと愚痴を言っていました。でも当の時政は権力欲がないのか今の地位にさほど不満もなくて、そんなことよりも生まれたばかりの姫が可愛くて仕方がなくてあやして幸せにひたっていました。時政にしたら小豪族だった自分の娘の政子が御台所となり、息子の義時は頼朝に重用されているからそれで十分なのですが、「夫の地位=自分の地位」と考えるりくには今の時政の地位は全く物足りないものでした。さて、頼朝の元につい先日やってきた異母弟の義円(成河さん)ですが、武芸に優れ、学もあって人柄も良く、政子にも覚えがめでたく皆の評判が良い人物でした。頼朝が弟たちに「平家との大戦の前に我らは何を成すべきか」と問います。義経は「武具を磨く」と答えるだけでしたが、義円は「孫子の教えに、敵と味方の力の差を見極めることが肝要とある」と答えます。さらに義円が話を続けようとすると、話なんかよりも早く平家討伐に出たい末弟の義経はしびれを切らし、なぜすぐに動かないのかと兄たちに怒りをぶつけました。義時が事情を説明すると、義経が、他の御家人に対しても同様なのですが、義時にぞんざいな口のきき方をするので、頼朝は義経を叱りました。治承5年(1181)閏2月4日、病に倒れ高熱に苦しんでいた平 清盛(松平 健さん)が平 宗盛(小泉孝太郎さん)に「頼朝を殺せ」と遺言を残して病没しました。清盛が没したと知らせを聞いて頼朝は安堵と悔しさが交錯したのか笑いがこみ上げ、そして弟たちと側近の御家人たちに「自分が平家のとどめを刺す。我らの力で必ずや平家を滅ぼしてみせようぞ!」と宣言して皆を鼓舞し、皆もそれに応えました。父・平清盛の死後、宗盛は後白河法皇に政権を返上、幽閉を解かれた法皇は大好きな今様を謡って白拍子に舞わせ、開放感にひたっていました。宗盛は「頼朝を殺せ」という父の遺言を実行すべく、頼朝追討の院宣を得るために法皇の元を訪れていましたが、それは平家の運命が狂っていく始まりでした。一方、鎌倉の御所には頼朝の叔父の源行家(杉本哲太さん)が来ていて、頼朝に早く平家打倒をせよと催促し、自分は頼朝の下に付くのは嫌なので、自分が美濃と尾張で平家を討つから兵を1万ほど貸してほしいと要求してきました。しかし関東は飢饉の影響で出兵は無理であり、それを義時が伝えると行家は怒って退出、後で甥たち(頼朝の弟たち)を集め自分に付いてくるよう言いますが、兄・頼朝の許しがないことはできないと誰も応じませんでした。しかし義円だけは叔父の行家に京で世話になっていて、行家の話を断ったことに負い目を感じていて、そのことを弟の義経(菅田将暉さん)に相談していました。その義経は、実は兄・義円のことを激しく疎んじていて、義円をこの御所から出ていくようにするために、義円の気持ちが不安になることばかり言います。そして思惑通りに義円が明日の朝すぐにここを出るように仕向け、翌早朝、義円は頼朝に思いをしたためた文を書き、文を義経に託しました。(義経と義円は同母の兄弟なのですが、幼い頃から一緒に暮らしていないため情がわかないのでしょうか。幼い頃から交流のある従兄弟同士の義時と三浦義村は心の通う友であり、何かあれば互いに相談し合い協力し合える間柄なのですが。)義円から受け取った文を、義経はすぐに破り捨てました。頼朝に呼ばれた義経は義円がいないことを問われますが、白を切り通します。しかし義経の行動は実は全て梶原景時に見られていて、あのとき破り捨てた文は回収されて頼朝の元に届けられていました。義経は「我ら兄弟が力を合わせねばならぬ時に。愚か者!」と頼朝から厳しく叱られ謹慎して頭を冷やすよう命じられました。そして頼朝は義経に「お前を息子のように思っている。いずれ跡を継がせてもよいとさえ考えている。心を磨いてくれ。」と諭しました。叔父の行家と共に出陣した義円は、その後の墨俣川の戦で命を落としました。そんな頃、政子が2度めの懐妊をし、頼朝は是が非でも男子を産んで欲しいと願い、政子自身も頼朝の跡を継ぐ男子を産む気まんまんです。全成(新納慎也さん)が「親が徳を積めば望みの子が生まれる」と言うので頼朝は恩赦を決め、さらに全成は胎内の子を男子にする「変成男子」の祈祷もしました。そんな身内たちの動きを、つい先日、頼朝から自分を跡継ぎにしてもいいと言われていた義経だけは、冷めた気持ちで見ていました。政子の懐妊による恩赦で、義時の祖父・伊東祐親(浅野和之さん)と叔父の伊東祐清(竹財輝之助さん)は、預かりの身から自由となることが決まりました。今まで頼朝のことを嫌っていた祐親でしたが清盛の死後は頼朝への反発もなくなり、今はただ息子の祐清と娘の八重(新垣結衣さん)の親子3人で暮らせる日々を待ち遠しく思うだけでした。父と兄の整容を手伝っていた八重に祐親は「思うように生きよ。」と告げ、そして八重が去ろうとするとふと気が付いたのか八重を呼び止め、「お前、後姿が母親に似てきたぞ。」と本当に久方ぶりに優しい父の顔を向けてくれました。正妻の政子が男子を産むことを強く願う頼朝は、全成から(頼朝の亡き男子である)千鶴丸が成仏できていない、千鶴丸の命を奪った者ををこのまま生かしておいてはいけないと言われ、恩赦した伊東祐親の殺害を梶原景時に命じました。景時は祐親の元下人だった善児(梶原 善さん)に祐親の殺害を命じ、善児は祐親・祐清親子を殺害、二人は自害したということで片付けられました。我が子・千鶴丸の命を奪った父・祐親を許せないという八重に義時が送った言葉ーー「許さなくてもいい。それでも一緒にいるべき。共に暮らせばいずれ溝も埋まる。」それは実現されることなく終わってしまいました。
March 22, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。富士川の戦の後になる今回は、本来は歴史の筋を追っていくべきでしょうが、八重(新垣結衣さん)に関わる、そもそもは親戚にあたる北条義時(小栗 旬さん)と政子(小池栄子さん)と三浦義村(山本耕史さん)、そして頼朝の妾の亀(江口のりこさん)が次々と絡む様々な人間模様につい目がいってしまいました。頼朝の寵愛をかさに態度がでかい亀。それまでの人生で低い位置にいた人が何かのきっかけで権力者に寵愛されて力ができて、急に威張りだすというのは、まあよくあることかもしれません。でも亀の存在をまだ政子は知らないし、そして八重は頼朝には会わないという条件付きだけど、親戚というつながりも含め、八重は「政子が認めた女」です。「女たちの戦」というと、戦場に出る男たちを女たちが陰で支えたり、男たちが動きやすいように陰で活躍することをイメージしますよね。でもこの鎌倉では、頼朝への激しい愛憎がエネルギーになる女たちの極めて個人的な戦が、三谷流の解釈でなにか動きだしそうです。(楽しみ♪)こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました ⇒ ⇒ こちら 鎌倉市の大河ドラマ館が鶴岡八幡宮の境内に、3月1日にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 治承4年(1180)10月20日、富士川の戦に勝利した源 頼朝(大泉 洋さん)は奥州の平泉より馳せ参じた異母弟の源 義経(菅田将暉さん)と対面を果たしました。鎌倉の仮御所に戻った頼朝は義経に妻の政子(小池栄子さん)を紹介し身内として親睦を図ろうとしますが、義経が「平泉はこことは比べものにならないくらい美しい」とか無神経なまでに思うままを語り、兄弟とはいえ頼朝に対する物言いに北条義時(小栗 旬さん)は内心ハラハラしていました。そして義経は平泉の藤原秀衡に3千の兵を送るよう文で頼んでいましたが、秀衡の元には平清盛からも頼朝追討の挙兵をするよう文がきていました。秀衡は「両方に」承知したと返事をし、態度をあいまいにしていました。福原で幽閉されている後白河法皇は、富士川の戦の結果は密かに情報を得ていて、陰で平家を笑っていました。そこに平 清盛(松平 健さん)が来て、これよりは自分が直々に采配を振るうと宣言、それを聞いた後白河法皇は平家が勝つよう祈祷すると清盛に伝え、裏腹な思いを両者は互いに笑い合っていました。(この貫禄とカッコ良さ。松平健さん、さすがですね。)坂東武者たちをほぼ味方につけた頼朝は富士川の戦に出たときに平家方の相模の豪族の大庭景親(國村 隼さん)と山内首藤経俊を捕らえました。頼朝の乳母子であった首藤経俊はお情けで放免でしたが、景親は処刑でした。自分に刀を向ける上総広常に、まさに最期の言葉として言います。「あのとき頼朝を殺しておけばと、お前もそう思うときがくるかもしれんの。」処刑され晒された景親の首を見て、北条時政と三浦義澄は「一歩まちがえば自分があの運命。」と言い、同じく平家方で捕らえられている伊東祐親(時政と義澄の舅)の身を案じていました。さて、下女でいいからと御所務めを申し出た八重(新垣結衣さん)は厨で働き、そんな八重のことが気になって仕方がない義時はこっそりと心遣いをします。でも御台所の弟で北条の若様がやることだから、周囲にはバレバレ。夜になって三浦義村(義時の従兄弟で親友)が八重を訪ねたとき、八重は義時からもらった草餅を義村に返しますが、このとき義村は八重を口説きにかかります。結局、義村も八重にフラれ、ヤケになったのか返品された草餅をかじっていました。一方、御台所となった北条政子(小池栄子さん)は、誰かと対面するにしてもそのたびに御所内の差配をする足立遠元(大野泰弘さん)が取り次ぐという、形式ばった生活が始まりました。さらに御台所としての振る舞いと教養を身に着けるため、宮中で仕えていたりく(父・時政の後妻)やその兄の牧宗親から厳しい作法の稽古を受けていました。でもそんな中、義経だけは平泉で藤原秀衡に寵愛されて育った自由奔放のままで、遠元の取次なんか気にもせず廊下を通らず裸足で庭を突っ切って「義姉上~!」と駆け寄ってくるありさまでした。頼朝が平家打倒に挙兵したことを聞きつけ、阿野全成(新納慎也さん)、源 範頼(迫田孝也さん)、義経と、頼朝の異母弟たちが次々と鎌倉の兄・頼朝の元に集まってきました。まったくかみ合わない昔話に苦笑しつつも、血を分けた兄弟で集えることを頼朝は喜び、源氏再興の願いを共にします。血気盛んな義経は一日も早く清盛を!と考えます。でもまずは坂東の平定を考える頼朝は、常陸の佐竹征伐をすると伝えました。上質な着物や立ち居振る舞いから八重がただの下女ではないと感じた頼朝の妾の亀(江口のりこさん)は実衣(御台所の妹)から八重のことを聞きだしたようでした。そこで亀は自分と頼朝との関係を八重に教えてやろうと、頼朝と自分が一緒にいる所に八重に酒と肴を持ってこさせて見せつけ、また八重が御所内にいることを知った頼朝もただ驚くばかりでした。ただね、八重は頼朝が流人のころから頼朝を思って尽くし、頼朝との間に子を成し、頼朝が挙兵をする決断ができた「あの矢」を放ってくれた恩人でもある、本当に特別な女性なんですよね。亀が八重に意地悪をして快感を得た分、頼朝の心に八重が蘇ってしまいました。政子と実衣(宮澤エマさん)には、義母のりくとその兄・牧宗親による宮中作法の厳しい稽古が続きました。りくには二人が御台所とその妹として、というよりは自分が嫁いだ北条家の威信のためにという思いがあり、とにかく文句を言わず頼朝のために稽古を受ける政子とは違って、実衣は不満だらけで阿野全成に愚痴を言ってました。でも気楽に思うところを話す実衣と実衣の話を受けとめてあげる全成、実衣には赤がよく似合うと優しい視線を投げかける全成。思わず互いに照れ隠しで目をそらしたけど、いい雰囲気になっていました。10月27日、頼朝は佐竹征伐で大軍を率いて常陸に出陣し、まずは話し合いをと佐竹義政と長年関わりを持ってきた上総広常(佐藤浩市さん)に交渉を命じました。好戦的な義経はすぐにでも攻めこめばいい、自分に500の兵をくれたら3日で敵の大将を討ち取ると主張しますが、広常から「戦は一人でやるものじゃない。身勝手な振る舞いが全軍を総崩れに追いやることもある。」と叱られ、兄・頼朝からもここは控えておれとたしなめられ、しぶしぶ兄の言葉に従うことにしました。佐竹氏の居城である金砂城の門の前で広常は交渉に臨みますが、佐竹義政の物言いが気に入らなかった広常はその場で義政を斬り殺してしまい(←さっき義経に身勝手なことをするなと叱った広常です)、それが元で両軍は開戦になりました。佐竹軍は天然の要害である金砂城に立てこもり、戦は膠着状態になり、どう攻めたらいいものか誰も良い考えが浮かびませんでした。そしてこういうときに秘策を考え出す三浦義村は、先日、義時が八重にあげて戻ってきた実は傷んでいた餅を食べて腹をこわしたため、戦に来れなかったのでした。誰もが良い戦法を思いつかず、それどころか和田義盛が小鳥を捕まえてきて皆で楽しんでいる姿を見て、義経は「戦の最中ではないのか!」と苛立ちをぶつけました。もしや義経は何か良い策があるのではと義時が声をかけ、頼朝が義経に発言を許すと、「敵の目は常に下を向いている。自分と郎党たちが背後の岩場に登って急襲するから下から総攻めをかけて敵の目を引き付けろ。敵の矢はここまでしか飛んでこない。」と、兵を無駄に失うことのない策を出し、頼朝も皆も思わず感心しました。ただこの策を実行する前に戦に決着がついてしまい、義経の出番はありませんでした。鎌倉に戻ってから義時は、このところ御所に来てなかった八重を見舞いました。そして八重が近くにいることを知った頼朝はこっそりと八重の様子を見にいきつつも、どうやら義時が八重を思っているようだとわかると八重と一緒になれと言い出します。二人がそんな話をしていると突然、頼朝の弟と名乗る義円(成河さん)が現れました。
March 15, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回は源 頼朝(大泉 洋さん)率いる源氏軍が、平維盛率いる平家の追討軍といよいよ全面的に戦うことになった富士川の戦いを通して、坂東武者たちとは根本的な部分で思いが違う両者と、頼朝の孤独が描かれていました。所領と一族を守ることが第一の坂東武者たち。特に北条家は親子きょうだい及び親族の結束が固く、幼き頃に親兄弟と離れ離れになって家族に対してそこまでの思いが持てず、自分でも孤独だと思う頼朝には理解し難い感情かと感じました。坂東武者たちは自分を棟梁と仰ぐけれど、思いは一つではなくどこかへだたりがある。そんなところに弟の源 義経(菅田将暉さん)がはるばる平泉の地から馳せ参じ、会えて涙して喜び、自分のために命を捧げるとまで言う。頼朝がやっと思いを一つにできる存在に出会い、もう孤独じゃないと心から嬉しく思った瞬間でしょう。それにしても、あの「富士川の戦い」が・・・。あの時どうして水鳥が一斉に飛び立ったのかを考えたとき、よりによって幼馴染の年寄2人がちょっと喧嘩して、そのはずみで水に落ちて、ビックリした馬がいなないて・・・、なんて物語が作れるのですね。脚本の三谷さん、スゴイなあ。。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました ⇒ ⇒ こちら 鎌倉市の大河ドラマ館が鶴岡八幡宮の境内に、3月1日にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 治承4年(1180)10月、源 頼朝は鎌倉入りを果たした後、和田義盛と畠山重忠に伊東祐親(浅野和之さん)を召しとってくるよう命じました。しかし祐親は北条義時(小栗 旬さん)にとっては母方の祖父なので、義時は八重(新垣結衣さん)と祐親をなんとか助けたいと思い、同じく祐親の孫である三浦義村と共に先回りして伊東の館に入りました。義時が館に着くと八重の夫の江間次郎は八重を守って善児に殺されていて、危うく八重も命を奪われかけましたが義村に助けられました。頼朝に下るよう祖父の祐親を説得する義時ですが、八重が父・祐親の元に来たとき、和田と畠山がすぐ近くまで来ていました。祐親は考えを変えないので、このままでは和田たちとの戦いになります。そこで三浦義村(山本耕史さん)は部屋の外に出て和田・畠山と対峙し、扉を閉めて「あんなじいさんでも俺の身内なんでね。」と手荒なことはしないよう二人に頼みました。(こういうキメ台詞を言うときの山本耕史さん、ポーズも視線もホントに決めてくれます。カッコイイ。)義時と八重の説得で祐親は頼朝軍に投降しましたが、頼朝は祐親を生かしておくわけにはいかないと言います。義時と姉で頼朝の妻の政子(小池栄子さん)は二人で頼朝に祖父・祐親への慈悲を懇願、頼朝はしぶしぶ二人の願いを受け入れました。祐親は三浦が預かることになり、八重も父に同行するかと思ったのですが、八重は自分をこの御所に侍女として置いて欲しいと義時に頼みました。頼朝の前妻の八重がここに残りたいという話を義時から聞いた政子は最初は激怒、しかし結局、政子は八重を頼朝に会うことはできない場所でという条件で受け入れ、これからは共に頼朝を支えていこうと「八重のことは」認めました。(今や御台所となり、敷物や言葉遣いなど政子は八重と社会的地位も立場も完全に逆転しました。政子が頼朝と一緒になった当初では考えられなかったことでしょう)頼朝が挙兵した後、平清盛は追討軍を関東に送るよう命じ、平維盛を総大将とする追討軍は東海道を進んで10月13日に駿河に入りました。ほぼ同じころ、頼朝の命で甲斐の武田に参陣するよう説得に行っていた北条時政が鎌倉に戻り頼朝に武田の出陣を報告、しかし武田は鎌倉には来ずに駿河に直行したため頼朝は激怒し時政を厳しく叱責しました。ようやく北条館に帰宅できた北条時政(坂東彌十郎さん)は、妻のりく(宮沢りえさん)や政子と実衣(宮澤エマさん)の娘二人の顔を見て、やっと安堵できました。そして亡き嫡男・宗時を思い出す観音像に皆で手を合わせ、女たちはこれでゆっくりできるかと思ったのですが、男たちは明日またすぐに出陣でした。その夜、義時は父・時政に頼朝が自分の言い過ぎを気にしていたことを伝え、時政も気にしていないとは言いましたが、頼朝の身を案じる娘(政子)のことや戦で手柄をたてて北条の名を高めることを期待する妻・りくのこと、そしてやはり頼朝の最近の言動など、時政の胸には様々なことがめぐっていました。10月16日、頼朝は黄瀬川の武田の軍勢と合流するために鎌倉を出立しました。10月20日、平維盛率いる追討軍は富士川の西岸に到着、一方そこから少し東の黄瀬川に源頼朝と甲斐の武田信義が対面し、両者は互いに自分の立場の優位を誇示し合っていました。平家との合戦は明後日と決まり、この日は武田が用意した酒席での宴となりました。義時は戦のことが気になるので上総広常(佐藤浩市さん)の陣へ。しかし広常が今度は自分が先陣をやると言い出したり、頼朝が自分たちを軽んじていると感じる坂東武者たちがいて、皆と頼朝との間を取り持つ義時と時政は何かと気苦労が絶えませんでした。坂東武者たちの思いを背負って酒席に頼朝をたしなめに行った時政でしたが、武田に勧められるがまま酒を呑んで居座ってしまい、皆を怒らせてしまいました。そして出陣は明後日だったはずが武田は頼朝軍を出し抜いてその日の深夜に出撃、頼朝もすぐに出陣しようと思いましたが朝まで待つことにしました。一方、対岸の平家の追討軍の灯りを見ながら自分のふがいなさに落胆する時政を、幼馴染の三浦義澄(佐藤B作さん)は叱り飛ばします。そこで時政は義澄に自分を殴ってくれと頼み、義澄も言われた通りにしたのですが、時政が怒って義澄を川へ突き飛ばしたので大きな水音が響いてしまいました。深夜の静寂に突然響き渡る水音に馬たちが驚いていななき、辺りの水辺で休んでいた無数の水鳥たちが異変を察知して一斉に闇夜に羽ばたきました。夜空に響き渡る数万羽の羽音は平家軍の兵士たちには源氏の大軍の襲来に聞こえ、平家の皆は慌てふためいて戦線を離脱し、あっという間に総崩れとなりました。夜が明けて、頼朝は平家軍が逃げていった状況を確認、武田が逃げる平家に追い打ちをかける態勢に入ったと聞き、今度こそ先を越されまいとすぐに出撃するよう、義時と安達盛長に命じました。しかし肝心の家人たちは、京まで攻め上る予定をしていなくてこの先の兵糧がもうなかったり、戦で自分が所領を留守にしたら隣国の豪族に所領を狙われていたり、石橋山からの戦続きで正直もう疲れていたりして、早く帰りたい者ばかりでした。勝ち戦の勢いに乗って進軍すべきと考える義時でしたが現実は思うようにいかず、三浦義村に愚痴を聞いてもらっていました。「自分たちは所領を守るために立ち上がった。平家を倒すのは二の次。」ーーこれが坂東武者たちの思いでした。義時がこれ以上の戦を続けるのは無理であることを源 頼朝(大泉 洋さん)に伝えると、一日も早く平清盛を討ち取りたい頼朝は苛立ち、大声で怒鳴ります。そのときこれまでずっと頼朝の一方的な言葉に堪えていた時政が頼朝に向かって「坂東武者にとって何より大事なのは所領と一族。それを守るためなら死に物狂いで戦う。清盛のことは二の次。それを考えてやって欲しい」と言いました。それでも頼朝が何か言おうとしたので時政は「戦で命を張るのはわしらなんだ!」と面と向かって坂東武者たちの思いをぶつけました。頼朝は自分の地位が上がるほど自分に対して誰も本音を言わなくなっていたことに気が付き、時政の進言をどこか嬉しく思っていました。一方、平家打倒のために立ち上がった兄・頼朝に参陣すべく奥州・藤原氏の元から出てきていた源 義経(菅田将暉さん)とその一行は、鎌倉の御所で家臣の仁田忠常から頼朝が黄瀬川に向かったと聞き、黄瀬川に駆けつけました。兄・頼朝に会いたくてずっとこの日を待ち焦がれ、やっと兄に会えた喜びで泣き叫ぶ義経ですが、すぐには自分が弟だと信じてもらえません。そこで義経が御館(みたち;藤原秀衡)が持たせてくれた文を頼朝に見せると、頼朝はようやくこの若者が弟・義経であると認めました。「父上を殺し、母上を奪った清盛への恨みを忘れたことは片時もない。兄上と共に必ずや父上の仇を討ちたい。兄上のためにこの命、捧げます!」どんなに親しく思う坂東武者でも分かち合えなかったこの思いを、何の迷いもなく言葉にして自分に言ってくれるのは、やはり血を分けた弟でした。「よう来てくれた!」ーー頼朝は万感の思いをこめて義経を抱擁し、義経が自分の元に来てくれたことを心から喜びました。
March 8, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回はなんといっても菅田将暉さんが演じる源 義経が、視聴者の話題をさらっていきました。前回のラストで世話になった奥州の藤原秀衡と感動的な美しい別れがあり、その余韻にひたりながら颯爽と現れる義経が出てくるかと思っていました。ところが出てきたのでは、たかがウサギ1匹のことでも許せないと思ったら相手をだまし討ちで射殺すわ、一刻も早く鎌倉を目指すかと思ったら、富士山だ、海だと興味がわくことがあると平気で寄り道をしちゃうわ、といった実にヤンチャ坊主な義経でした。でもこの、思ったことを成し遂げるためになんでもやってしまう義経は、平家との戦でいろいろやりそうですね。そして今回も、源 頼朝(大泉 洋さん)の天性とも思える人心掌握術が随所で出ました。こうすれば人は喜ぶ、というのがわかるのですね。ただその反面、こうしたら人は怒る、というのを忘れているのか、あるいは両者を天秤にかけて、大事なほうを喜ばすために扱いの軽いほうのことはどうでもいいのか、それはなんともわからないところですが。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました ⇒ ⇒ こちら 鎌倉市の大河ドラマ館が鶴岡八幡宮の境内に、3月1日にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 治承4年(1180)9月半ば、上総広常と千葉常胤らを味方につけた源頼朝は、かつて父・源義朝が暮らした鎌倉を目指して、大軍勢と共に進軍を開始しましたが、福原の都にいる平 清盛(松平 健さん)には軍勢の規模までは伝わっていませんでした。そして平 宗盛(小泉孝太郎さん)は吉日を選んで追討軍をまだ出立させておらず、その数も足りないことに清盛は立腹し、数を増やしてすぐに京を出るよう宗盛に命じました。さて兄・頼朝の挙兵を聞いて自分も参陣しようと平泉を出た源 義経(菅田将暉さん)とその配下たちは、一路鎌倉を目指していましたが、道中いろいろありました。途中で出会った野武士(慈五郎さん)と仕留めたウサギのことで弓比べをして、結局は野武士を射殺してしまいました。(でも野武士のほうが先に義経に弓を向けていた)また鎌倉に急ぐかと思ったら富士山を見て急に行ってみたくなって走り出し、「御曹司=義経」に仕える弁慶(佳久 創さん)たちは気ままな主人のお守りが大変そうでした。頼朝たちの軍勢は鎌倉が近づくにつれて様々な問題が出てきました。石橋山の戦では敵対した畠山重忠が降伏してきて、北条義時(小栗 旬さん)は重忠を迎え入れたいけど他の者たちは反対で、どうするべきかと意見が対立しました。しかし上総広常(佐藤浩市さん)が「自分たちは烏合の衆だけど、頼朝を信じてここにいる。この件は頼朝が決めて自分たちはそれに従おう。」と言い、皆も納得しました。結果、頼朝は重忠を快く迎え入れ、さらに軍勢の先陣を重忠に命じました。ただ先陣は上総広常の役割であったため、ここで広常は超不機嫌に。また他にも岡崎義実から、頼朝の御所は亀谷にしたらどうかと提案があったりして、頼朝と豪族たちの間を取り持つ義時は気苦労が絶えませんでした。義時は頼朝から甲斐に行って武田信義を説き伏せるよう命じられ、先に行っている父・北条時政(坂東彌十郎さん)と合流しました。信義はネチネチ嫌味を言いながらも結局は頼朝に味方することを快諾し、義時と時政は時流と人の動きを見抜く頼朝に感心していました。そして休む間もなく仕事をしている息子を見て、時政は自分も一緒にやりたくて手伝うと言いましたが、けっこう面倒そうなのでやっぱり先に寝てしまいました。(頼りにしていた嫡男・宗時が亡くなり、時政は無意識に義時を頼り、義時との時間を大事にしたいと思っているかもしれませんね)鎌倉を目指して進軍を続ける源 頼朝(大泉 洋さん)の大軍勢でしたが、どうも頼朝と家人たちとの間で何かと考え方が違っていてまとまっていないようでした。義時がそれを従兄弟で盟友の三浦義村に相談すると、頼朝が家人たちと一緒に酒を飲む姿を見たことがないと義村が言い、義時が頼朝を皆のところに連れてきました。義村は特に反発の大きい上総広常に「武衛=親しい人」とウソの呼称を教え、気を良くした広常は頼朝に武衛を連呼、でも武衛とは実はさらに敬意を表す呼称なので呼ばれた頼朝も最初は気分が良さそうでした。だけどそのうち広常が「みんな武衛だ」と言いだし、頼朝は複雑な気分に。ま、でもみんなと少し仲良くなれたから、それで良しとしましょうかね。10月6日、総勢3万となった頼朝の軍勢は威風堂々と鎌倉入りを果たしました。石橋山の戦で大敗して後わずかひと月半のことで、義時は三浦義村(山本耕史さん)に「この様子を兄上に見せたかった」と、頼朝の価値を誰よりも早く見抜き、坂東を自分たちの世にしようと志した亡き兄・宗時を偲び、感慨深げに語りました。そしてこの情報は平家側の相模の豪族の大庭景親にも知らされ、山内首藤経俊はすぐにでもここを出て追討軍に合流したほうがいいと進言しましたがここで景親は戦うと拒否、そして景親に付いていた梶原景時は袂を分かち景親の元を去っていきました。鎌倉に入った家人たちは町の造営に励んでいて、頼朝が住む御所も大倉で建設が進み、今は仮御所で過ごしていました。とりあえず落ち着いたし、義時の姉で頼朝の妻である政子たちも近くまで来ているので義時は迎えに行こうとするのですが、頼朝はかたくなに明日は駄目だと言います。天文道と易占いができる頼朝の弟・阿野全成(新納慎也さん)は、易では明後日は日が良くないので明日にと進言しますが、頼朝は暦なぞに振り回されたくないと言い、結局政子たちの仮御所入りは明後日になりました。頼朝の様子がおかしいと感じた義時はそっと後をつけ、妾の亀の存在を知ったのでした。(「親子の縁が薄く、主は不慮の死を遂げる」ーー気になる言葉です)義時は姉・政子たちがいる寺に行き、仮御所入りが1日延びたことを伝え、そして長兄の宗時のこともそれとなく伝えました。一方、ときどき寄り道はしたけど鎌倉を目指していた義経たちの一行もようやく鎌倉の西の腰越までたどり着き、お腹が空いてたまらなかったので地元の農民の藤平太(大津尋葵さん)に食べ物をわけてもらっていました。義経は藤平太に、恩返しに荷車にいっぱい芋を積んで必ず戻ってくると約束し、これでいよいよ兄・頼朝の元へはせ参じる・・と思ったら、潮の香りに誘われて「海が見たくなった。行くぞ~!」と今度は海に寄り道をしてしまいました。頼朝が伊豆で挙兵して以来ずっと身を隠していた政子(小池栄子さん)とりく(義時の父・時政の妻;宮沢りえさん)と実衣(義時の妹;宮澤エマさん)たちがいよいよ出立する朝を迎えました。義時が3人に「さあ!」と促すと、政子が急に待ってと言いだし、頼朝に再会する前に湯あみして身なりを整えたい、この恰好では頼朝の威信に関わるからなんとかしてくれと弟・義時に要望、一人が言いだせば他の二人も同様で出立が遅れることになりました。この近くで女人の上等な着物を借りてこられるのは梶原景時(中村獅童さん)のところしかなく、敵方ではあるけれどなんとかなるかと義時は景時を訪ねました。景時は敵方を訪ねる義時の甘さを諫めつつも、実は自分は大庭とは袂を分かったと。それを聞いた義時は「是非我が軍にご加勢を!」と頼み、景時はこれまで自分は敵方だったのでためらいましたが、義時が頼朝との間に入ると約束。景時は義時を信じ、女人の装束3着を義時に持たせました。身なりを整えた3人は頼朝の身内として、政子とりくは輿に乗って、実衣は徒歩で、頼朝が待つ鎌倉に入りました。3万の坂東武者たちを従える夫・頼朝は大人物となり、自分は「御台所」と呼ばれる。綺麗にしたいと思った政子の女心が功を奏した結果となり、追われるように伊豆を出た頃には想像もできなかった光景が政子の目の前にありました。頼朝は政子と共に鎌倉の地を一望できる小高い丘の上に立ち、鶴岡八幡宮をここに移すことや、八幡神の威光で坂東の地をまとめあげ、平家を滅ぼすことを語りました。そして何より政子には、自分の跡を継ぐ立派な男子を早く産んで欲しいと言い、政子もそれに「はい!」と力強く応えました。(そのやりとりをまぶしく見る領民たちですが、その中に一人だけ・・!)そして頼朝はすぐさま平家方の豪族たちとの戦を和田と畠山に命じていて、その敵方の中には義時の祖父にあたる伊東祐親たちがいました。
March 1, 2022
全5件 (5件中 1-5件目)
1


