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2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回の主な内容は、前半は源頼朝を信じ、どこまでも潔く正々堂々とした武士であったがゆえに、結局は悲しい運命となった木曽義仲(青木崇高さん)の最期でした。 そして後半は、いよいよ本格的に始まった源平合戦で、水を得た魚のような、今まで我慢していたのが爆発したかのような源 義経(菅田将暉さん)の活躍でした。でももう一つ、全体の中でさりげなく流れていたテーマが、諸将たちの婚姻による結びつきでした。ドラマ冒頭で政子(小池栄子さん)が「これからは自分が御家人たちの思いを」と語り始めたとき、それを聞いたりく(宮沢りえさん)は、それよりももっと大事なことがあるとあっさり否定しました。まありくの中には、北条のことは自分が主体となるようにしたいという思いがあるのが根底でしょうが、それでも綺麗事ヌキに考えて、りくの主張は正解だと思います。男の戦いが弓と刀なら、女の戦いは、何かあってもお家が大丈夫なよう男子を複数人、名家に嫁がせることができるよう女子を複数人、とにかく子をたくさん産むことである、そんな主張に思えました。あとドラマ半ばで畠山重忠(中川大志さん)が北条義時(小栗 旬さん)の妹に関心を示し、終盤では三浦義村(山本耕史さん)が自分の娘を北条家の八重(新垣結衣さん)に世話をさせるシーン。気になって調べたら、ゆくゆくはやっぱり、でした。でも家格が同じで気心が知れた友の妹や若君を迎えて親戚になれたら、双方にとって安心でしょうね。ただ当の本人たちの気持ちはどうかわからないですが。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 寿永2年(1183)12月、上総広常が源頼朝によって誅殺された後に北条義時(小栗 旬さん)には嫡男が生まれ、同時に伊豆に隠居していた義時の父・北条時政(坂東彌十郎さん)も鎌倉に戻りました。頼朝は舅でもある時政が鎌倉に戻ったことを喜びましたが、時政には広常の一件で、いつ誰に謀反の疑いがかけられるかわからないという心配もあったからでした。そして時政は「北条が生き抜いていく手立てはただ一つ。源氏に取り入り付き従う、それしかない。」と息子の義時に言い含めました。頼朝の異母弟の源 義経(菅田将暉さん)が近江に着いて後続の軍を待っていた頃、京の後白河法皇は頼朝を追討する院宣を出し、その報を聞いた頼朝は法皇の背後にいる木曽義仲を成敗することを決めました。寿永3年になり、頼朝の異母弟の源 範頼(迫田孝也さん)が総大将となって鎌倉を出発した源氏軍は先発隊の義経と墨俣(現在の岐阜県大垣市)で合流しました。勝手に戦を始めないよう釘を刺されていた義経ですが、実は木曽義仲の兵とすでに小競り合いをしてしまっていて、そんな義経を兄・範頼は「自分が命じたことにしておけばよい」とかばいました。梶原景時は怪訝そうな顔でしたが、理解のある兄に義経は嬉しくなりました。源義経と木曽義仲(青木崇高さん)の戦が始まりました。義仲は義経が自分たちと手を組むつもりはないのかと今一度問うために義経に使者を送りましたが、義経にはそのつもりは全くなく、使者は首となって戻ってきました。範頼の本軍は京の東の瀬田から、義経は南の宇治から京の義仲を攻め、さらに義経はニセの情報を流布し、義経の計略に負けを悟った義仲は京を出ることにしました。そして京を出る前にと義仲は後白河法皇に挨拶に行ったのですが、法皇は義仲に会いたくないので姿を現しませんでした。それでも院御所のどこかにいるであろう法皇に聞こえるよう、義仲は恨み言一つない我が義をつらぬく思いを堂々と述べ、院御所を去っていきました。鎌倉軍は宇治川を渡って大和大路より京に入り、今度は義経が後白河法皇の元に挨拶に行きました。法皇は義経をねぎらってしばらく休めと言いますが、義経はこれからすぐに義仲を追討に出て、そのまま西に向かって平家を滅ぼすと答えます。そんな義経を法皇は大いに気に入りました。一方、北陸に戻るために近江に向かった義仲でしたが、そこには範頼の軍勢が待ち構えていて、後ろからは義経が猛追していました。自分の運命を悟った義仲は巴御前(秋元才加さん)に、お前はここで落ち延びて鎌倉に連行され、文を息子の義高に届けよと命じて、巴に別れを告げました。巴は途中、和田義盛の手勢と出会って戦になったものの、その戦いっぷりを義盛に大いに気に入られ、でも別行動となった義仲は鎌倉軍に討ち取られてしまいました。鎌倉の源 頼朝(大泉 洋さん)の元には戦況の報告が京より続々と届いてました。祐筆の中原親能がまとめて文を書いてくるかと思ったら、諸将たちは自分の思いを自分の言葉で書きたいので、各自の個性あふれる文が届きました。字が苦手な土肥実平、絵入りの和田義盛、字は綺麗だけど話が細かすぎる北条義時、美しい字で内容もわかりやすい梶原景時でしたが、頼朝が一番喜んだのは弟の義経が木曽義仲を討ち取ったという「頼朝が望む結論のみ」を大きな字で書いた文でした。義仲討伐は頼朝には喜ばしいことでした。しかしが御台所の政子にとっては、娘の大姫が事実上の人質として鎌倉にいる義仲の嫡男・義高を慕っていることを思うと、気の重いことでした。京の源範頼の陣では、福原に集まっている平家の軍勢をどう攻めようか軍議が開かれ、軍奉行の梶原景時が範頼は生田口に布陣し、義経が北側の山から急襲してはどうかと提案しますが、義経はそれを「駄目だな」と一蹴しました。義経は、まず福原の北にいる平家方を攻め、あえて手の内を見せて敵を分散させる、そのうえで敵の意表をつく攻撃をするがそれは現地の状況を見て決める、そして明日三草に夜襲をかけるからすぐに移動をと、かなり無茶なことを言いました。しかしその義経の案を意外にも梶原景時は支持し、総大将の範頼もそれを認めました。戦のためなら自分が思いつかないような策を考えだす義経の才能を景時は素直に認め、義経を「軍神 八幡大菩薩の化身」とまで評しました。そして義経はさらに策を思いつき、平家に対して源氏と和議を結ぶよう命ずるニセの文を後白河法皇に書いてもらうよう、義時に使いを命じました。その策にためらいを感じる義時に義経は「だまし討ちの何が悪い」と。法皇はその策に乗り、法皇の文は福原に陣を構える平 宗盛(小泉孝太郎さん)の元に2月6日に届けられました。その文を平 知盛(岩男海史さん)は怪しみ、それは頼朝を討てと遺言を残した父・平清盛の遺志に背くと兄・宗盛を諫めました。しかし宗盛は平家一門の安泰のためにも和議に応じるべきかと考えていました。平家が陣を敷く背後の山に到着した義経たちは、どこから山を下ろうかと考えて、険しい山中を下見していました。唯一、馬に乗って下りられる鵯越がいいと景時は考えますが、義経は敵の意表を突くためにも恐ろしく急こう配の鉢伏山がいいと言います。義経が考えるのは人が馬から降りての下山でしたが、景時はそれは坂東武者にとって無様であると主張。しかし義経は、戦で見栄えのために大事な兵を失いたくないと景時に反論、さらにならば自分の兵だけで行くと言って即座に行動を開始しました。とはいえ義経の手勢は少ないので、義時は畠山重忠(中川大志さん)に義経と行動を共にするよう頼み、重忠も危険を覚悟の上で引き受けてくれました。さてそのころ鎌倉では、三浦義村(山本耕史さん)が八重(新垣結衣さん)のところに赤子を抱いて突然やってきました。聞けば三浦勢は戦の後詰なのでまもなく出陣なのですが、赤子の母親は訳ありの上に産後すぐに亡くなってしまったので自分が戦から戻るまで預かってほしい、とのこと。八重がそれは無理だ、困ると言っても、そのまま赤子を置いて去ってしまいました。(義村は三浦の嫡男です。だから訳ありの子でも乳母ぐらい雇えるだろうに、あえてそれをしないのは、八重と義時の子は男児で自分の子は女児だから、将来めあわせることを狙い、八重に世話をさせて情が移るのを期待しているのかなと思いました。と言っても、赤子の世話を一方的に押し付けられるのは、八重が下女を雇える身分だからということもあるでしょうけど。)寿永3年(1184)2月7日早朝、義経は70騎の武者と共に鉢伏山の断崖の上にいて、平家軍の陣を眼下に見下ろしていました。義経は崖のそこら中に落ちていたという鹿の糞を重忠に見せ、鹿がここを下りられるなら馬も行けると考え、それに納得した重忠は下馬するよう家人に命じました。そのころ福原の東の生田口では範頼軍と知盛軍がぶつかりいよいよ開戦に。和田義盛(横田栄司さん)らは平氏軍が放つ矢が降り注ぐ中ひるまず馬を駆って突進していき、戦は源氏軍が優勢になりました。そして断崖の上にいた義経たちはなんとか山を下りてきました。誰も襲ってこないと思っていた背後から突然、弁慶(佳久 創さん)が現れて露払いのごとく平氏の家人をなぎ倒し、その後も続々と源氏軍は現れました。義経の「かかれ~!」の号令で山を下りてきた武者たちが戦闘を開始し、予想だにしなかった展開に平氏軍は大混乱となりました。鉢伏山から別の道で下ってきた義時たちが戦場で目にしたものは、崖を下りてきた義経が馬を駆って矢を放ち、刀を振り上げて平氏軍に突撃していく、戦場での義経のあまりにも生き生きとした姿でした。それを見た景時は「八幡大菩薩の化身じゃ。」と言葉にせざるを得ませんでした。
April 26, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。この回は上総広常を演じる佐藤浩市さんが最初から随所で視聴者を引き付け、特にラストの文字を書くシーンでは「この回を全部持っていった」と言っても過言ではないと思うほど、視聴者の感動を呼びました。ドラマに登場した頃の広常は、上総での一大勢力を誇ってふてぶてしい感じだったのですが、回を追うごとに、実は頼られるとつい面倒を見てしまう優しさとか、第12回で字を知らないと恥ずかしいから密かに手習いの稽古をしているとかで、その人間像を視聴者に焼き付けていきました。そして「身内しか信用できない」と身近な者の前で平気で言う源 頼朝(大泉 洋さん)だけど、そんな頼朝を「武衛」と呼んで心から慕い、絶命する間際まで頼朝の本心に気が付かなかったという、広常の悲しい最期でした。ラストの広常が文字を書くシーン。書き慣れない文字を書いて手を汚して、間違えないように文字の形を手本で確認して、子供の字かと間違われるようなつたない字だけど、頼朝への忠誠を一生懸命に書いていたその姿は、本当に多くの視聴者の感動を呼び、TV画面の前で涙し、感想ツイートではこのシーンが文字で、画像で、絵で、たくさん表現されていました。さらには #上総介を偲ぶ会 というのもありました。 ⇒ ⇒ こちら 上総広常に関する歴史的な逸話を、こんなにも感動を呼ぶ話にする脚本の三谷幸喜さん、人間味あふれる上総広常を演じた佐藤浩市さん、本当にお見事です。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 寿永2年(1183)11月、木曽義仲を討つために源頼朝の命により鎌倉を出陣した弟の源義経の軍勢は近江まで進軍、その知らせを聞いた義仲は後白河法皇を拘束し、自軍を守ろうとしました。しかしそのころ鎌倉では、頼朝のやり方に不満を持つ御家人たちが集まって頼朝を鎌倉から追放する計画を進めていました。千葉常胤(岡本信人さん)は頼朝の命をとるべきと主張しましたが、皆をまとめる上総広常(佐藤浩市さん)はそれを退け、三浦義澄(佐藤B作さん)の案で頼朝の嫡男の万寿を捕らえ、万寿と引き換えに頼朝を追い出すことになりました。そしてこのことを頼朝に報告しようとした梶原景時(中村獅童さん)は捕らえられましたが、「そいつも坂東武者だから」と広常の情けで馬屋に監禁となりました。しかし大江広元(栗原英雄さん)でさえ聞いたことがない「五百日の儀式」で万寿が御所から外に出る日に、御家人たちの間で大掛かりな鹿狩りが行われると聞いた北条義時(小栗 旬さん)は、鹿狩りであれば武具を持って外にいても不思議はないことを怪しみ、御家人たちの間で何か不穏な動きがあるのではと直感しました。そこで義時は姉で御台所の政子と万寿がいる鶴岡八幡宮に行くことにし、比企能員(佐藤二朗さん)は三浦館の様子を見に行くことにしました。能員が三浦館に着き、大掛かりな装備でどちらに鹿狩りに行くのかと訊いたとき皆は返答ができず、能員に反乱が知られることとなりました。能員に刀を突き付ける和田義盛(横田栄司さん)を広常が制し、自分たちの仲間になれば助けるとして、御所に戻って謀反の気配がなかったと伝えることと、義時に鹿狩りは自分が仕切るから案ずるなと伝えるよう、能員に言って帰らせました。文覚の様子からも何かおかしいと感じている義時は、能員から三浦館から土肥実平だけが急に帰ったという話を聞き、実平と話をして謀反があると確信しました。鶴岡八幡宮では文覚が考え出したニセの儀式が終わって政子たちが庭に出てきたら、和田義盛と畠山重忠の手勢が襲ってきました。源 範頼(迫田孝也さん)が攻撃してきた一人を斬り、源 義高(市川染五郎さん)が抜刀して義盛と対峙したとき、義時が手勢を連れてやってきました。義時は義盛たちに「すでに企みは暴かれて御所は守りを固めている。同士討ちは無駄なこと、御家人たちが力を合わせて平家を倒そう。」と訴えました。すると畠山重忠(中川大志さん)が進み出て「源氏の棟梁が誰かは我らに関わりない。詭弁である!」と言いますが、義盛は義時の説得に納得してしまい、家人たちに刀を収めるよう命じたので、政子たちの危険は去りました。重忠の発言は、義盛がいつも自分の意見に異を唱えるからそれを予測し、自分の考えとはあえて逆のことを言っていたのでした。(でも常に反対のことを言う人であっても、相手の言葉を都合よく利用するだけの人もいます。「あなたがそう言った」的に言うこともあるのでご注意を。)こうして内乱は収束し、千葉常胤は自分が首謀者として自害しようとしましたが、上総広常と三浦義村が止め、兵を引いて皆は解散となりました。その夜、源 頼朝(大泉 洋さん)は広常を呼び、御家人たちをまとめて反乱を未然に防いだことへの礼を述べました。広常は頼朝を親し気に「武衛」と呼び、「お前は自分勝手な男だ。でもそれでいい。このご時世、お前さんは己の道を行けばいい。御家人どもがまた騒ぎだしたら、俺がなんとかするよ。」と頼朝を励ましました。(ネタバレではありますが、このとき頼朝は「これからも頼む」と言いながら、実は広常を乱の首謀者として後で殺す気でした。ならばこのようなもてなしなんかせず最初から冷たくしていればと思ったのですが、逆に心底疑い深くて冷酷な人だから、広常には自分に一切疑いを持たせぬよう振舞っていたのだと感じました。)三浦義澄と岡崎義実(たかお鷹さん)の宿老の二人は御台所の政子(小池栄子さん)のところに行き、詫びて自分たちがなぜこのような行動を起こしてしまったのかを語り、皆の思いを知らぬままであったことを政子は詫びました。自分たち御家人は頼朝の傍にいてお役に立ちたい、でも頼朝は御家人をちっとも見てくれない、それが悔しかったと義実は語りました。これまで命をかけて戦ってくれた者たちがいたからこそ今の鎌倉がある、これからは頼朝に言えないことは自分に話して欲しい、自分ができることはなんでもやる、と政子は二人に言い、「御台所そう言ってもらえるだけでも」と二人は感涙しました。(政子と御家人たちの絆。ドラマで今年の冬を迎えるころに起こるであろう歴史上の出来事を想像すると、これが大きな力になるのかとワクワクします。)乱に加わった御家人たちの処分をどうするか、話し合いがもたれました。これまでの功績に免じて頼朝には寛大な処分を望む政子と義時でしたが、比企能員と大江広元は一切お咎め無しでは示しがつかないと主張、さらに広元は二度と謀反が起こらぬよう誰か一人に罪を負わせて見せしめにするのがいいと言い、頼朝と広元が示し合わせてその一人を上総広常と言ったときに、義時はこれは最初から仕組まれたことであったことを理解しました。広常の命と引き換えに皆を許すと頼朝から言われ、義時は何も言えませんでした。頼朝の策略と冷酷さを知った義時は頼朝が心底恐ろしくなり、広常の件を従兄弟の三浦義村(山本耕史さん)に密かに語りました。しかし思いつめた義時が広常に知らせて今夜のうちに逃げてもらうと言ったとき、義村は「やめろ。あいつ一人が死ぬことで皆が助かる。(お前だって)わかっているくせに。ここに来たのは自分が広常を救いに行かなくて済む口実が欲しかっただけ。」と言い、さらに「お前は少しずつ頼朝に似てきている。」とまで言いました。そして寿永2年(1183)12月22日、御家人たちが集められた中で、頼朝に命じられた梶原景時によって上総広常は斬殺されました。事情を知らないほとんどの御家人たちはただ驚き、事情を知る義時と義村は広常の運命を黙って見守るしかなく、とどめを刺され絶命する瞬間に頼朝の本心を知った広常の悲しい最期でした。広常の絶命後に膝をついて礼をとる御家人たち一同に、頼朝は「謀反人を成敗した。上総の所領は一同に分け与える。義仲を討ち、平家を討ち、西の所領を己の力でわが物にせよ。」と言い、さらに語気を強めて「わしに逆らう者は何人も許さぬ。肝に銘じよ!」と言い、頼朝に畏怖した御家人たちはただ従うのみでした。上総広常の館の明け渡しが終わり、広常の鎧にあった文を安達盛長が頼朝に渡したのですが、頼朝はそれを字が下手で読めないと義時に渡しました。それは戦に明け暮れ字の読み書きができなかった広常が京に上る前にと一生懸命に稽古して書いた文字で、そこには「これから3年のうちにやるべきこと。明神様のための田んぼを作る。社も作る。 流鏑馬を幾たびもやる。これ全て鎌倉殿の大願成就と東国の太平のため。」とありました。頼朝は広常が心から自分を慕ってくれていたと知ってもなお、広常の文を受け入れることはなく丸めてほかり、あれは謀反人じゃと言って退出していきました。(慣れぬ文字書きで手に墨を付けながら、字に自信がなくて手本を何度も見ながら、我が思いを必死で書く広常の姿に、多くの視聴者が感動で泣きました。)この一件で頼朝という人間の本質が多少はわかった義時は傷心していました。でも多忙な間、父・北条時政に預かってもらっていた妻の八重(新垣結衣さん)は男子を出産していて(後の北条泰時)、愛する妻が産んだ初めての我が子を抱いた義時は、無垢な赤子に心が救われる思いでした。(こうして考えると、頼朝を利用すると言った義時の亡き兄・宗時は、頼朝は心から仕える相手ではないと最初からわかっていた、ということですね)
April 19, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回私の印象に残った場面は、木曽義仲(青木崇高さん)が北陸から京の都に入ったものの、都での価値観をあまりにも知らなかったためにどんどん都人から疎まれ蔑まれ、果ては謀反人として討伐の対象となるところでした。義仲は「自分がこう考えるから相手もこう思うだろう」とつい考え、良くも悪くも無欲でお人好しでした。ただ戦は知っていても京の都でのあり方を知らず、義仲のためにそれを教えてくれる者も傍になく、形式的なことをおろそかにしたために都人からは軽く見られ甘く見られ、粗雑な扱いを受けるようになっていきました。その義仲の逆をいったのが源 頼朝(大泉 洋さん)でした。京の都人の価値観や作法を知っていて、側近に京から来た大江広元(栗原英雄さん)らがいます。どんな小さなことも隙をつくらず、そして策を作っておく。常に「こう言えば相手が喜ぶ」、「こういう態度で臨めば相手はこう出るだろう」といったことを計算している。後白河法皇(西田敏行さん)に莫大な贈り物をしたのも、ここで先に投資しておけば後々動きやすくなり、もっと大きなものが手に入ると計算してのこと。自分が武者たちの頂点に立つことを考える頼朝と、平家を討伐できればそれでいいと考えていた義仲との、両者の明暗がどんどん分かれていった展開でした。ただその頼朝も、足場となる坂東武者たちが自分に反感を持っていて、まだまだ不安定な状態ではありますが。さてドラマの中で義仲が牛車から飛び降りて公家たちから笑われたシーンがありましたが、牛車の乗り降りの作法が紹介されていました。『牛車の正しい乗り方講座』 ⇒ ⇒ こちら 現代では大きなお城で御殿があるところでは「車寄せ」が見られると思います。一例として 名古屋城本丸御殿 があります。こちらの『本丸御殿を3Dで観覧する』をクリックすると最初に「表書院」の玄関の車寄せが出てきます。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 北条義時(小栗 旬さん)は少年の頃から思いを寄せていた八重とようやく結ばれ、鎌倉からは少々遠いけど八重のいる江間を往復して、幸せな日々を送っていました。変わらず八重の気持ちを一番に大事にしてくれる義時です。八重も義時を頼り、義時に心からの笑顔を向け、穏やかな日々を過ごしていました。そして寿永2年(1183)3月、木曽の源義仲の嫡男の源 義高(市川染五郎さん)は、大姫(落井実結子ちゃん)の許婚という形で鎌倉入りしました。政子(小池栄子さん)は最初は「姫を木曽の山猿なんかに」と反対でしたが、挨拶に来た義高があまりにも眉目秀麗で政子は一目で気に入り、大姫も一目ぼれでした。(大姫の「なんてお綺麗なお兄さま」って心の声が聞こえてきそうでした)寿永2年(1183)5月、出陣した木曽義仲(青木崇高さん)は倶利伽羅峠の戦いで平家軍を撃退し、勢いに乗った義仲は越前・近江を通って京に入り、義仲を恐れた平家一門は安徳天皇と三種の神器と共に都を落ち延びていきました。義仲に入京の先を越されたと悔しがる源頼朝でしたが、大江広元は「後白河法皇と義仲はいずれぶつかるから心配ない。しばらく様子見を。」と頼朝に進言しました。後白河法皇の御前に出た義仲は果たして大江の予想通り、振る舞いが粗野だったり三種の神器のことを知らなかったりで、法皇の機嫌を損ねることばかりでした。さらに三種の神器の価値を知らない義仲は良かれと思って、戦でずっと使ってきた自分の太刀を「三種の神器の代わりに」と法皇に差し出そうとしました。叔父の源行家(杉本哲太さん)にたしなめられて下がりましたが、ますます法皇に嫌がられてしまいました。鎌倉の御所での義高は御家人たちと語り合ったり相撲の相手をしたりして、父の義仲が自分のせいで悪く言われたりしないよう努めていました。そんな義高のところに源 義経(菅田将暉さん)がやってきて、義高にちょっと意地の悪いことも言ったりするのですが、義高はさほど気に留めることもなく、遠い親戚である義経に親しみを感じるのか、セミの抜け殻を集めるのが好きであるという話もしていました。(市川染五郎さん、ふとした表情がおじい様の松本白鸚さんにそっくりです)平家の都落ちから5日後、源氏一門に対して後白河法皇から恩賞が下され、それには勲功第一に源頼朝の名があり、義仲は勲功第二となっていました。これは頼朝の事前の策によるもので、義仲はさぞや悔しがるだろうと思っていたのですが、当の義仲は平家さえ滅ぼせば恩賞はどうでもいいと思っていました。ただ義仲の家人たちにしたら、これまで自分たちが命がけで戦をして平家を京から追い出したのに、正しく評価されないのはとても悔しいことでした。戦場で薙刀を持って皆と共に戦う巴御前(秋元才加さん)は、あまりにお人好しな義仲が腹立たしくなって、拳で床をドーーン!!さすがの義仲も家人たちの怒りを理解したようでした。後日、義仲と行家は後白河法皇に恩賞についての異議を申し立てに行き、法皇もそれを認めたため、恩賞のことは取り消しとなりました。しかし京の町では義仲が連れてきた兵たちが人々に乱暴狼藉を働いて人々はおびえ、さらに義仲も行家も京にとどまったまま平家を追討して西に行く動きがないので、法皇は義仲に対して落胆していました。9月、一刻も早く三種の神器を平家から取り戻したい法皇は義仲に、今すぐ西国に出陣するよう命じました。平家軍を侮ってはいけないと知る義仲は頼朝軍が京に到着するのを待っているのですが、それを法皇に伝えるときの言い方がまずくてまた法皇を怒らせてしまい、義仲はすぐに出陣することになりました。義仲は出陣して西に向かったものの、備中で苦戦を強いられていました。そして義仲が京を離れたことを知った源 頼朝(大泉 洋さん)はこの機を逃さず京の後白河法皇に接近、まずは鎌倉から法皇に莫大な引き出物をして上洛の遅れを詫び、法皇も「頼朝はよくわかっている」とご機嫌でした。そして10月、法皇は頼朝の流罪を解いて従五位下の位に復帰させ、さらに東海道と東山道の年貢徴収や軍事支配等の権限を頼朝に与えましたが、東山道は義仲の所領。この話を知った義仲は平家との戦をやめて急ぎ京に戻りました。ただ京に戻っても法皇は会ってくれず、義仲は謀反ととらえられてしまいました。義仲の謀反と解釈した法皇は鎌倉の頼朝にすぐにでも出陣するよう命じましたが、鎌倉では御家人たちが源氏同士の争いには不承知であり、奥州の藤原秀衡の動向も気になるため、頼朝はすぐには動けませんでした。そこで異母弟の源 義経に先陣を命じ、戦にでたくて仕方がなかった義経は嬉しさでいっぱいで、兄・頼朝に軍功を挙げることを誓いました。しかし義経の出陣はまずは義仲討伐にあり、これは大姫の許婚の義高にも類が及ぶことであり、政子は大姫のためにも頼朝に義高の助命を嘆願しました。(政子は嫡男の万寿を乳母にとられているので、自分の手元にいる大姫にはより情が強かったと想像しています)このとき鎌倉では、親戚である木曽義仲を討とうとする頼朝にはもうついていけない、自分たちで坂東を治めると千葉常胤・土肥実平・岡崎義実が三浦館に来て、三浦義澄・義村親子にも仲間になるよう説得していました。そうした内情を耳にしている義時は、この一件をどうしたらいいのか隠居している父・北条時政(坂東彌十郎さん)に相談しました。時政は「皆は要するに所領が欲しい。板東から離れた地でも戦に勝って自分の所領になって米が取れるならそれでいい。」と義時に助言しました。頼朝と御家人の間に立つ気苦労に疲れた義時は、父に御所に戻るよう頼みました。でも義母のりくの反対で、それは無理なようでした。閏10月8日、義仲討伐で義経の先発隊が鎌倉を発つ日が来ました。義経は兄・頼朝に挨拶に行き、兄上のために全身全霊を傾けて戦うと誓いました。矢を的の真ん中に命中させた頼朝は、義経も射るよう弓を義経に渡し、そのときに「黄瀬川のほとりでお前と再会して以来、二人でゆっくり話したことがなかった。戦から戻ったら語り尽くそうぞ。」と弟に言葉を贈りました。さらに「強き弟に恵まれてわしは果報者じゃ。」と言葉を続け、そんな兄・頼朝に義経は「京でお待ちしています。」と応え、兄の元を離れました。出陣前の景気づけで賑わう義経軍のところに義高もいて、義経は自分が集めたセミの抜け殻を義高に渡し、自分がこれからこの者の父を討ちに行くことにどこか複雑な思いもしました。出陣する義経軍を見送りながら、義高は義時に「義経が不憫でならない。父に戦でかなうわけがない。もはや再び会うことはないだろう。」と胸の内を明かしました。繊細そうに見えた少年は父・義仲への絶対的な信頼があり、実は豪胆な一面も持ち合わせていて義時を驚かせました。頼朝に不満を持ち謀反を考える者が集う中には、他には和田義盛(横田栄司さん)と梶原景時(中村獅童さん)と文覚(市川猿之助さん)がいました。ただ景時は頼朝の側近たちへの内通者であり、三浦義村(山本耕史さん)は心から賛同はしていなくて父・三浦義澄(佐藤B作さん)に仕方なく従っていました。景時は「今は皆が勝手に思いを語るだけだが、皆をまとめる者が加わったら我らに勝ち目はない。」と言い、それは上総広常をさしていました。一計を案じた大江広元が密かに義時に、上総広常が御家人たちから誘われたら話に乗るよう話をさせ、そして上総広常は御家人たちに加わっていきました。
April 12, 2022

2022年NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』 の感想です。今回、ちょっと興味深い展開だったのは、終盤での亀(江口のりこさん)と政子(小池栄子さん)の意外な形での対峙でした。まさか政子が亀に不勉強を叱られることになるとは。ただあのシーンをあえて政子の肩を持つ方から考えてみると、政子だって御台所たらんと所作を学び、りくから与えられた書物にも目を通していたと思います。ただ文学的な書物は政子は興味がなく、読んでいても内容とか頭に入らなかったのでは?と思いました。現代で例えていうなら文系と理系。文系の人が理系の本を読んでも数式や化学式とかが意味がよくわからないし記憶にも残らない。理系の人が自分の興味のない文学作品を読んでも、作品の意味とか筆者の気持ちとかよくわからない。でもたいていの人は、自分の好きな分野の本ならどんどん頭に入っていくと思います。もちろん亀も時間の合間をぬって読み書きを学び、頼朝の話し相手ができるよう必死に書物を読んで努力していたでしょう。ただ学ぶ優先順位として頼朝が好む色恋の歌を先に覚えたかもしれないし、あるいは亀自身が色恋の歌が好きでどんどんその世界に入っていった部分もあったのかな?なんて想像しました。亀は和泉式部の歌を引用してましたが、和泉式部は恋多き女性でした。だから自分と共感する部分が多かったのかな?とも。とはいえ、トップに立つ人は自分の興味あるなしで物事を進めるわけにはいきません。仮に政子が理系頭であっても、教養として文学の世界も知っておく必要があるでしょう。ラストで北条義時(小栗 旬さん)が長年変わらず思いを寄せている八重(新垣結衣さん)に、ようやく思いを受け入れてもらえた部分は優しい感動でした。こちらではいろいろな感想で盛り上がっています。 ⇒ ⇒ #鎌倉殿の13人 大河ドラマ館、伊豆の国市でオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 大河ドラマ館、鎌倉市にオープンしました。 ⇒ ⇒ こちら 各地のNHK放送局で順次開催する 全国巡回展 が開催されています。 ⇒ ⇒ こちら 寿永元年(1182)11月半ば、娘婿で鎌倉殿である源頼朝の愛妾・亀への対応で、自分の娘2人と息子・義時と妻のりく(宮沢りえさん)が関わった結果、北条時政(坂東彌十郎さん)は何もかもが嫌になりました。そこで鎌倉を離れて領地の伊豆に帰ることになったのですが、りくには「出世して京に戻るようにする」と約束した手前、気まずい思いでした。でもりくは、頼朝の前で自分をかばってくれたことが嬉しくて夫・時政が凛々しく思えたと、夫に付いて伊豆に戻ることも納得していて時政は安堵しました。時政が伊豆に引っ越しした日、御所には頼朝の叔父の源 行家(杉本哲太さん)が来ていて、頼朝に国一つに相当する領地を自分にくれと要求してきました。しかし頼朝はそれを拒否、さらに金輪際、鎌倉には足を踏み入れるなと行家に強く言い渡し、怒った行家は木曽にいる甥の義仲(青木崇高さん)を頼りました。自分を拒否した頼朝に先を越されまいと行家は義仲をたきつけ、早く京に攻め上るよう画策しますが、義仲はまだその時期ではないと行家を諫めました。甲斐の武田信義が鎌倉に来て、木曽義仲が平家と組んで鎌倉に攻め入るという噂がある、まず義仲をなんとかするように、と源 頼朝(大泉 洋さん)に伝えました。頼朝は叔父の行家が持つ公家とのつながりや、平家打倒の手柄を従兄弟の木曽義仲に先に奪われるのではと気になるところでしたが、武田の言うことは信用できないので、まずは義仲にじかに真偽を確かめたほうが良いと言う大江広元(栗原英雄さん)の意見を取り入れ、軍勢を木曽に送ることにしました。平家や木曽の動きが気になるのに加え、奥州の藤原秀衡の動きが気になる頼朝は、秀衡を呪詛しようとまじないに力があると評判の僧を京から呼び寄せました。しかしやって来たのは、かつて薄汚い恰好でそこらじゅうで怪しげな布教をしていた文覚(市川猿之助さん)でした。文覚は今は後白河法皇の覚えもめでたく京で大出世しているのですが、自分を売り込もうと前に出たがる性格は相変わらずで、先に秀衡の調伏をしていた全成(新納慎也さん)のところに乗り込み、割り込んで前に出て調伏を始めました。ただこんなことをされておとなしく引き下がる全成ではなく、この後は妻の実衣(宮澤エマさん)も夫の援護に加わっての、3人での調伏大合奏となりました。木曽義仲のところに軍勢を送ることについて、同じ源氏同士でいさかいを起こすのは承服できないと、御家人たちからは強い反発がありました。自分たちは鎌倉殿のためならなんだってするわけではない!という御家人たちの思いの奥には、愛妾にうつつを抜かし舅に愛想をつかされるような頼朝の人間性への不満があり、これでは板東武者の主とは言えないと考えがありました。北条義時(小栗 旬さん)から御家人たちの意見を聞いた頼朝は、軍勢を出すことはやめて、身内の源 範頼を木曽に使者に送ることにしました。御家人たちが頼朝に不満を持ち、心が離れていることを案じた義時は、上総広常(佐藤浩市さん)のところに相談に行きました。広常は「頼朝が御家人たちに強気でいけないのが良くない。武士なんてものは結局、度胸があるやつに従う。武衛(頼朝)ならそれができる」と助言しました。そして広常は頼朝の気苦労を察しつつも、下手をすると鎌倉が真っ二つに割れると忠告、そのとき広常はどちらに付くかと義時が尋ねたら広常は言葉を濁しました。義時がフラれても八重(新垣結衣さん)にぞっこんなのは周囲にもバレバレでした。義時は何かと理由をつけては八重のところに立ち寄って上物の海の幸や山の幸を届け、品物を置いたらはぐに帰るのですが、それは八重にとっては戸惑うことでした。でも義時は話の流れからようやく「八重さんが笑っている姿が好きなのです。いつか八重さんに笑いながら『おかえりなさい』と言って欲しい。だからまた来ます。」と自分の思いを伝えることができました。さて、早く出陣したくて我慢ができない源 義経(菅田将暉さん)は義時に無理やり、木曽に行くなら自分を連れていけとせがんでいました。激しく駄々をこねる義経に根負けした義時は、頼朝には内緒にしてこっそりついていくだけならと、出立の日時を教えてしまいました。やっと外に出られると喜び勇む義経でしたが、鎌倉内での地位向上を狙う比企能員が源氏の血縁とつながろうと引き合わせた姪の里(三浦透子さん)の色香にヤラレてしまい、館を出て海辺で一晩を共にしてたら寝坊で出立に間に合いませんでした。結局置いて行かれた義経、海に悔しさをぶつけていました。寿永2年(1183)2月、信濃の木曽義仲の陣に着いた源 範頼(迫田孝也さん)と義時は義仲と会い、酒を酌み交わしながら互いの考えを語り合いました。実は義仲が平家と通じているという噂があると義時が伝えると義仲は「噂とは流す者に都合よくできている。惑わされてはならん。俺が北陸に兵を進めたのは頼朝や武田とぶつかるのを避けるためだ。」と言います。ただそうであるなら人質を差し出して欲しいという頼朝の意向を義時が伝えると、義仲は「自分を頼ってきた叔父(行家)は渡せない。嫡男の義高を人質に出す。引き換えには何もいらん。これが俺の誠だ。」と言いきりました。さて家を焼かれてしばらくは上総の館にいた亀(江口のりこさん)は、その後は仮住まいの小さな家をもらってそこに住んでいましたが、ただその場所も政子(小池栄子さん)には知られていて、ある日政子が訪ねてきました。もう頼朝からは手を引くという亀は突然、和歌を一首詠みあげます。その和歌は以前、義母のりくから御台所として読んでおくようにと言われていた書物の中にあったもので、政子の不勉強がバレてしまいました。亀は頼朝に寄り添うために陰で努力して文筆を学んでいて、政子の努力不足を強い口調で叱り、政子もそれは素直に認めました。でも亀は最後に政子に「御台所は板東中の女の憧れ的なんだから」と意欲が向上する言葉も残し、政子も受け入れ、亀に読んでおくべき書物の教えを乞いました。一方、愛妾の亀のところに行ってみたら妻の政子がいて、もうそこにはいられなくなった頼朝は、これでは気が済まないと今度は八重のところに立ち寄りました。突然現れ今でも自分のことを思っていると切々と語る頼朝。しかし八重は、あれほど好きだったはずの頼朝に心がときめくこともなく、それどころか近寄られると嫌悪感さえ覚えました。そして頼朝が昔のように八重に手を伸ばした次の瞬間・・・。八重は弓も使える坂東の女ですからね。嫌なものは嫌なのでした。頼朝が八重のところから去った後、義時が信濃の土産を持って訪ねてきました。頼朝とのことを尋ねないのかと八重が問うと「どちらでもいい。私の八重さんへの思いは幼かったあの頃とずっと同じでそれを大事にしたい。八重さんに振り向かれなくても構わない。それでも八重さんに尽くす。八重さんの後姿が幸せそうなら私は満足です。」と義時はだんだん涙目になりながら答えました。どんなときでも自分の気持ちを大事にしてくれる義時がいて、頼朝を拒絶した自分がいて、八重の中で答えが出たのでしょうか。義時が帰ろうとしたときに呼び止め、優しい笑顔で「お帰りなさいませ。」と心をこめて言葉を贈りました。もしかして八重はようやく自分の思いに応えてくれたのか?義時は嬉しくて泣きながら「ただいま帰りました。」と言葉を返しました。
April 5, 2022
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