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【2013年7月13日、内容を全面改訂し、更新しました】 ◆バーテンダー三代、バー文化とカクテルの発展に尽くして【から続く】 ☆ナチスから逃れて、ロンドンへ☆ 1930年代に入ってドイツではナチスが政権をとり、欧州の政情は再び不安定さを増してきました。1938年、ハリー・マッケルホーンも仏陸軍に動員されたりします。そうした中で翌1939年、16歳となった息子のアンドリューは、49歳の父と一緒に「ハリーズ・ニューヨーク・バー」【注9】で働き始めます。 そしてとうとう、戦争が現実のものとなってしまいました。1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。「ニューヨーク・バー」はしばらく営業を続けますが、ナチス・ドイツによるパリ侵攻が迫るにつれて、身の危険を感じたハリー一家は店を閉じて1940年、ロンドンへ移ります(ハリーはこの時、店の酒のストックを場所は不明ですが、「洞窟に隠した」と話しています)。 ☆パリ陥落、店はドイツ人が占拠☆ 1940年6月、パリは陥落し、ドイツ軍の手に落ちます。ハリーとアンドリューは、ロンドンの社交クラブ「カフェ・ド・パリ」で職を得て、バーテンダーの仕事を続けます。ハリーはこの頃、「ハリケーン(Hurricane)」【注10】という後にスタンダードとなるカクテルも生んでいます(写真左=Harry's New York BarのHPに描かれている店の正面)。 しかし、「カフェ・ド・パリ」はドイツ軍のロンドン空襲で破壊され、壊滅します。客や従業員ら約80人が犠牲となりますが、ハリーとアンドリューは奇跡的に無事でした。仕事場を失ったハリーは、リッツ・ホテルに雇われ、1階に「リヴォーリ・バー(Rivoli Bar)」というバーを開きます。 一方、ハリーの長男ヘンリーは自由フランス軍に参加、アンドリューもバーテンダーの仕事を離れて軍役に就き、英陸軍情報士官としてアフリカやドイツ国内で諜報活動に従事することになります。末娘のパトリシアは米国赤十字社で働き始めました。 ヘンリーは従軍中、運悪くドイツ軍の捕虜となりますが、後に捕虜収容所から脱出し、「ニューヨーク・バー」の店舗や、貴重な酒類が無事であることを父に知らせます。ハリーは安堵して、大戦終結後の再開を夢見て、ロンドンで仕事を続けるのです(写真右=ハリーが著したもう1冊のカクテルブック「Barflies and Cocktails 300 recipes」(1927年刊))。 ☆昔の仲間とともに「ニューヨーク・バー」再開☆ 1945年、第二次大戦が終結。パリ占領中、ニューヨーク・バーを占拠していてドイツ人も去りました。パリ解放の直後、赤十字社から派遣されたパトリシアは、かつてハリーの店で一緒に働いていたフランス人バーテンダーら従業員全員と連絡をとることに成功します。2年後の1947年、ハリーはアンドリューとともにパリに戻り、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」をかつての仲間とともに再開します。 1954年にはアンドリュー(31歳)に長男、ダンカン(Duncan)が誕生。この頃からアンドリューは父に代わって実質、「ニューヨーク・バー」を仕切るようになります。そして、その4年後の1958年、ハリーは68年の激動の生涯を閉じます。店の経営権はアンドリューに受け継がれました。 アンドリューはその後、「ニューヨーク・バー」のオーナーとして父が残した店をさらに発展させ、ミュンヘンに支店を出すなど経営者としての手腕を発揮しました【注11】。一方、50年代後半から70年代にかけて、「ブルー・ラグーン」【注12】など数多くのオリジナル・カクテルを生み出します。 ☆ハリー&アンドリューの「志」、三代目ダンカンへ☆ 一方、アンドリューの息子・ダンカンは最初は投資関係の仕事に就き、バー経営やバーテンダーの仕事とは距離を保っていました。しかし、理由はよくわかりませんが1984年、30歳の時、それまでの投資の仕事を辞めて、「ニューヨーク・バー」で働き始めます(アンドリューら家族の説得もあったようです)。そして、その4年後の1988年、アンドリューが65歳で引退すると同時に、34歳のダンカンが経営権を引き継ぎます。 アンドリューはその後、店にはタッチしながらも悠々自適の日々を送ったということですが、1996年9月20日、心不全のため亡くなりました。73歳でした。英米の新聞各紙は、アンドリューの死を悼む記事を相次いで掲載しました(写真左=Harry's New York Barの店内風景)。 アンドリューや三代目のダンカンも、ハリーを見習い、数多くのオリジナル・カクテルを考案しました。今も刊行が続くハリーのカクテルブックの改訂版には、アンドリューやダンカンのオリジナルも数多く収録されています。しかし残念ながら、ハリーの残した有名なカクテルに比べると、残念ながら知名度はさほど高くありません。偉大すぎる創業者を持った息子や孫の苦労を思います。 ダンカンのその後、1990年代半ばまでは、オリジナル・カクテルを発表するなど精力的に活動しましたが、残念なことに98年、肝臓病のために44歳の若さで急逝。妻のイサベル(Isabelle)が急きょオーナーとなり、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」を現在まで守り続けています。 そして、13年後の2011年、嬉しいニュースがありました。11月に「ハリーズ・バー100周年記念パーティー」が開催されたのを機に、亡きダンカンの長男フランツ・アーサー(Franz-Arthur、当時23歳)が、父の遺志を継ぎ、バーテンダーの道に進むことを決めたのです(→ このニュースを伝える英紙の報道)。この歴史と伝統のある酒場が末永く続いてくれることを、BARファンの一人として願わずにはいられません。 <完>【注9】イタリア・ベネチアには1931年創業の「ハリーズ・バー」という有名な老舗レストランバーが存在する。こちらの創業者はジュゼッペ・チプリアーニ(Giuseppe Cipriani)で、店名は、バーを任されていた共同経営者のハリー・ピッカーリング(Harry Pikering)の名にちなんだという。こちらのバーもヘミングウェイら米国人に愛されたことで知られている。 この店はハリー・マッケルホーンの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」とは直接の関係もないが、マッケルホーンのカクテルブックの前書きによれば、「ハリーズ・バー」という名前を使うことは了承しているという。なお、本稿では紛らわしいため、マッケルホーンの店の略称は「ハリーズ・バー」とはせず、「ニューヨーク・バー」としている。【注10】標準的なレシピ(ステア): ジン3分の2、シェリー3分の1、レモン・ピール【注11】「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の支店は、店のHPによれば現在、ドイツのベルリン、フランクフルト、ハノーバー、ケルンと、スイスのモントルーの計5カ所にある。かつてミュンヘンにあった支店はいまは存在していないようだ。 なお、「ハリーズ・バー」を名乗るバーは、【注9】で紹介したベネチアの老舗バー以外にも、ローマ、フレンツェ、ロンドン(3店)、アムステルダム、サンフランシスコ、シンガポール(なんと7店も!)、パース(西オーストラリア)、日本にも存在するが、マッケルホーンのカクテルブックによれば、このうち名前の使用について「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の了承をもらっているのはフィレンツェの店だけという。【注12】標準的なレシピ(シェイク): ウオッカ、ブルー・キュラソー、レモン・ジュース各3分の1ずつ(クラッシュド・アイスを入れたグラスへ)、レモン&オレンジ・スライス、マラスキーノ・チェリーを飾る。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/30
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【2013年7月13日、内容を全面改訂し、更新しました】 ◆バーテンダー三代、バー文化とカクテルの発展に尽くして ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone、1890~1958)=写真右下=と言えば、カクテルの歴史を語るうえで欠かせない人です。バーテンダーの先駆者であり、「サイド・カー(Side Car)」「ホワイト・レディ(White Lady)」【注1】など、今日でも不動の人気を誇るスタンダード・カクテルを数多く考案した人、また1919年、初めて実用的かつ大衆向けのカクテルブックを著した人としても知られています。【注2】 しかし、ハリー・マッケルホーンが実際はどんな人物だったのかは、伝記本もないのであまり知られていませんし、うらんかんろ自身もよくわかりません。そこで、彼の名を不朽のものにした「ハリーズ・ニューヨーク・バー」のHPや彼のカクテルブックの前書きに記されたデータ、さらに海外のインターネット上の情報などから可能な限りの情報を集めて、マッケルホーンの実像に迫ってみたいと思います。 ☆夢は「大きくなったらバーマンに」☆ ハリー・マッケルホーンは1890年、英スコットランド南東部のダンディー(Dundee)【注3】で生まれました。ダンディーは19世紀、ジュート(黄麻)産業により発展し、ハリーの父もジュート織物工場のオーナーで、ジュート・ビジネスで財をなしていました。ハリーも将来は工場を継ぐものと期待されていました。しかし、ハリーは(そのきっかけは不明ですが)子どもの頃から、「大きくなったら、バーマンになる」と夢を語っていたそうです【注4】。 10代のハリーが英国でどのような青春期を過ごしたかはよくわかりませんが、ハリーは、夢を実現させようと10代後半で家を出て、フランスへ渡ります。当初は、地中海沿岸の町(French Rivieraというだけで、町の名は不明)で働いたようですが、1910年、20歳の時に、フランス南東部にある有名な温泉保養地・エクス・レ・バン(Aix-les Bains)にある「Casino Bar」という店でバーテンダーとして働き始めています。 ハリーズ・ニューヨーク・バーのHPによれば、この頃すでに、ハリーの存在は地中海沿岸のバーテンダーの間で評判になっていたといいます。後年発刊された彼のカクテルブック(1919年刊)には、この1910年に考案した初めて(?)のオリジナル・カクテル「ハリーズ・カクテル(Harry’s Cocktail)」【注5】が登場しています。 ☆パリで「ニューヨーク・バー」と出合う☆ そして翌1911年、より大きな活躍の場を求めてパリに出た21歳のハリーは、「ニューヨーク・バー(New York Bar)」という街場のバー=写真左=と出合います。オーナーはトッド・スローン( Tod Sloan )という当時有名な米国人の元騎手でした。スローンは禁酒法施行の動きが強まっていた米国に見切りつけ、パリでの新たなビジネスを考えました。そして、ニューヨーク・マンハッタンで自らが営んでいたバーの内装部材をすべて解体し、パリまで運んだのです。「ニューヨーク・バー」という名前の由来はこの徹底ぶりを象徴するものでした。 スローンに採用されたハリーは「ニューヨーク・バー」で働き始め、バーの顧客に気に入られます。しかしハリーはより大きな世界を見たいと思い、パリを離れる決意をしました。そして翌1912年、米国へ渡り、マンハッタンのプラザホテルのバーで働き始めます。しかし運の悪いことに、国際政治は不安定さを増し、2年後の1914年、ハリー24歳の時、第一次大戦が勃発してしまいます。ハリーは英空軍に志願したため、バーテンダーとしてのキャリアは一時中断することになります。 大戦は欧州に混乱を巻き起こし、数多くの悲劇や荒廃を生みましたが、一方で戦時需要に伴う好景気をもたらし、ハリーがいなくとも「ニューヨーク・バー」はパリっ子の人気に支えられて、順調に発展していきました。1918年11月、大戦は終結します。しかしハリーは(理由はよく分かりませんが)パリには戻らず、ロンドンの「シローズ・クラブ(Ciro’s Club)」【注6】という著名な社交クラブでバーテンダーの仕事を得て働き始めます。 ☆最初のカクテルブックを出版☆ ハリーは翌1919年、28歳の時、最初のカクテルブック(Harry’s ABC of Mixing Cocktails)=写真右=を出版。この本は、カクテルの普及、プロ・バーテンダーのレベル向上という点で大きな功績を残しました。また、この年歴史に残るカクテル「ホワイト・レディ」を、「シローズ・クラブ」で考案しています。 このハリーのカクテルブックは現在まで追補・改訂を重ねるロング・セラーとなっており、洋書を扱う書店で手に入れることができます。そして、少し遅れて1930年に世に出た「サヴォイ・カクテルブック」(ハリー・クラドック著)とともに、今なお、世界中の数多くのバーテンダーにとってはバイブルのような存在となっています。 「シローズ・クラブ」でもオーナーから高い評価を得たハリーは、同クラブがフランス・ノルマンディー地方の観光地ドゥーヴィル(Deauville)に出した支店の責任者を任されます。しかしハリーの夢はやはり、「自分自身のバーを持つこと」でした。そんな頃、ハリーは、スローンが「ニューヨーク・バー」を売りに出しているという話を耳にします。そしてすぐに決断して、自ら経営権を買い取ったのです。 ☆念願かなって、バー・オーナーに☆ 1923年2月、32歳のハリーは念願叶って、「ニューヨーク・バー」のオーナーとなり、店名も「ハリーズ・ニューヨーク・バー」【注7】と変更します(今日では「世界で最も有名なバー」という評価を得ています)。そしてこの年、後に店を引き継ぐことになる次男アンドリュー(Andrew)が誕生し、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」もさらに順調に発展し続けます。1925年には、後にスタンダードとして人気を集めるカクテル「フレンチ75」【注8】を考案・発表します。 なお、ハリーは今日でもなお高い人気を保ち続けるカクテル「サイド・カー(Sidecar)」の考案者と紹介されることが多いのですが、「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」の初版本の「サイドカー」の項で、「ロンドンのバックス・クラブ(The Buck's Club)の人気バーテンダー、マクギャリー(Pat MacGarry)が考案したもの」と記し、自分が考案者であることを否定しています。しかし、「サイドカー」の名を広めて発展させ、その人気を不動のものにしたのは、やはり、ハリー・マッケルホーンであることを疑う人は、現代では皆無でしょう。 【へ続く】【注1】標準的なレシピは、サイド・カー: ブランデー30ml、コアントロー15ml、レモンまたはライム・ジュース15ml、 ホワイト・レディ: ジン30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15ml ※ホワイト・レディは、当初マッケルホーンが1919年に考案した際はミント・リキュールがベースだったが、10年後、マッケルホーンはジン・ベースに変えている。一方、サヴォイ・ホテルの名バーテンダー、ハリー・クラドックが1920年に考案したという説もあるが、現在では両者とも考案者とみる見方が主流だ。【注2】世界初のカクテルブックは米国のジェリー・トーマスが1862年に著した「How To Mix Drinks」と言われているが、その内容は決して実用的・大衆向けとは言えなかった。バーテンダーの間で一番信頼を勝ち得たのは、やはりマッケルホーンの本や「サヴォイ・カクテルブック」だった。【注3】エジンバラの北北東約80kmに位置するスコットランド第4の都市。現在の人口は約15万人。【注4】“When I get older, I will be a barman”, so was Harry MacElhone’s dream.(From HP of Harry’s New York Bar)【注5】レシピ: ジン60ml、スイート・ベルモット30ml、アブサン2dash、ミント3本(2本はすり潰し、残りの1本は飾り用に)。ロング・スタイルで味わう。【注6】「シローズ・クラブ(Ciro's Club)」は、ハリーのカクテルブックの現在販売されている本(追補・改訂版)では一部、「Cairo’s Club」と表記されてところがあるが、誤植であろう。
2010/11/29
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C カフェ・ロヤル(Cafe Royal) 小皿に角砂糖二個を置き、シャルトルーズを充分たらしかけて湿らせ、マッチで火を付け、酒精分を燃やして置き、一方、熱い香りの高い珈琲を珈琲碗につぎ入れ、小皿のシャルトルーズ【注1】を流して入れてすすめます。 シャンパン・コッブラー(Champagne Cobbler) グラス・ゴブレットに砕き氷を半分位まで入れて、その上に薄切りにした季節の果物をのせて置き、別に中位の調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、シャンパンを赤葡萄酒盃で一杯を加え、よくかき混ぜ合わせて前に用意して置いたゴブレットの中へうつし、麦稈(むぎから)をさしてすすめます。 シャンパン・カクテル(Champagne Cocktail) 別の小皿の上に角砂糖一個を置き、アンゴスチュラ・ビター五六滴をたらしてシャンパン・グラスの中に、形を崩さぬよう気をつけて挟み入れ、壜のまま冷たくしたシャンパンをつぎ入れてすすめます。注意:このカクテルの角砂糖はわざと形を崩してはいけません。又、シャンパンばかりですすめるのです。 シャンパン・カップ(Champagne Cup) 鉢か甕(かめ)に壜のまま冷やしたシャンパン一壜をつぎ入れ、アーモンチラド【注2】を赤葡萄酒盃で一杯と、マラスキノ一ポニー、及びオレンジかレモンの搾り汁を加え、その搾り殻を砂糖でまぶして入れ、胡瓜の薄くそぎ切ったものを少し加え、甘味を少し試してから冷たいゼルツェル・ウォーター一壜をつぎ入れ、カップにつぎ分けてすすめます。 シャンパン・フラペ(Champagne Frappe) シャンパンを壜のまま氷桶の中に立てて、その周囲に、岩塩【注3】を混ぜた砕き氷を詰め、充分に、凍る位まで冷やしてすすめます。 シャンパン・パンチ(Champagne Cobbler) 鉢か甕(かめ)に、砂糖大匙で五杯、レモン十個の搾り汁、キュラサオ一ジガー、及びマラスキノ一ポニーを入れ、静かに充分かき混ぜ合わせて後、プレーン・ソーダ一壜とシャンパン一壜をつぎ入れ、大きい氷の塊一個を入れ、季節の果実を薄切りにして浮かし、もし好みなればジャマイカ・ラム或いはブランデー一注乃至(ないし)三注を加え、冷たく冷やしてすすめます。 サイダー・カップ(Cider Cup) 鉢か甕に、シェリーとブランデーおよびキュラサオ砂糖大匙で五杯、レモン十個の搾り汁、キュラサオ一ジガー、及びマラスキノ一ポニーを入れ、静かに充分かき混ぜ合わせて後、プレーン・ソーダ一壜とシャンパン一壜をつぎ入れ、大きい氷の塊一個を入れ、季節の果実を薄切りにして浮かし、もし好みなればジャマイカ・ラム或いはブランデー一注乃至(ないし)三注を加え、冷たく冷やしてすすめます。 クラレット【注4】(ホット)(Claret, Hot) 水呑に四分の三位まで熱湯をつぎ入れ、角砂糖二個を加えて溶かし、赤葡萄酒を水呑の九分目までつぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせ、レモンの輪切り一片を浮かし、ナッツメグごく少しをおろしかけてすすめます。 クラレット・エンド・シャンパン・カップ(Claret and Champagne Cup) 鉢か甕に、赤葡萄酒一壜、レモン四個とオレンジ二個の搾り汁、砂糖大匙で四杯、薄荷(はっか)の若芽五つ六つ、ジャマイカ・ラム一ポニー、およびブランデーとマラスキノ二ポニーを入れ、一度かき混ぜ合わせして、風味を試してから、プレーン・ソーダ一壜か、またはシャンパン一壜を入れます。 更にライン・ワイン【注5】一壜をつぎ入れ、胡瓜のそいだものを少しと、生(なま)又は缶詰のパインアップルを扇の地紙形に薄く切ったもの適宜な量を加え、なおオレンジ一個か二個を輪切りにして加え、大きい氷の塊一個を入れ、冷たくしてすすめます。 クラレット・コッブラー(Claret Cobbler) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、砕き氷を二分の一位まで入れて、次に赤葡萄酒を八分目までつぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせ、苺(いちご)または季節の果実を浮かし、麦稈をさしてすすめます。 クラレット・パンチ(Claret Punch) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、水大匙で二杯を加えて溶かし、次にレモン一個の露を搾りこみ、砕き氷を二分の一位まで入れ、赤葡萄酒を八分目までつぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせて季節の果実を浮かし、麦稈をさしてすすめます。 コーヒー・カクテル(Coffee Cocktail) 調合器に鶏卵の黄身だけ一個分とクレーム・ド・カカオ一ポニー、ポート・ワイン一ジガー、およびコギャク一注を入れ、砕き氷を四分の三位まで入れ充分に振蕩してハイボール・グラスに漉してうつし、ナッツメグ少しをおろしかけてすすめます。 このカクテルには、コーヒーはもちろんビターさえも加えられぬので、「コーヒー・カクテル」と呼ぶはおかしく思われますが、実際調合して振蕩されたものは、紛れもないコーヒーと見られるので、この名が冠(かぶ)せられたのであります。 コロラド・ブレーサー(Colorado Blacer) 調合器に砂糖大匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、レモンかまたはライム一個の露を搾りこみ、次にアブサント一ジガーと、スコッチ・ウイスキー二分の一ジガーを加えます。砕き氷を二分の一位まで入れて充分にかき混ぜ合わせ、ソーダ水呑に漉してうつし、冷たいゼルツェル・ウォーターか、サイフォン・ソーダ水を九分目までつぎ入れ、麦稈をさしてすすめます。 コムモドル(Commodore) 調合器に砂糖小匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にライム半個分の搾り汁、ウイスキー一ジガー、およびオレンジ・ビター二注を加え、砕き氷を四分の三まで位加えて充分に振蕩し、グラス・ゴブレットに漉しうつしてすすめます。 クーラー・シカゴ(Cooler Chicago) ソーダ水呑に砕き氷を二分の一位まで入れ、レモン半個分の露を搾りこみ、ジンジャー・エール一壜をつぎ入れ、赤葡萄酒一注を加え、麦稈をさしてすすめます。 キュラサオ・パンチ(Curacao Punch) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、水大匙で二杯を加えて溶かし、レモン半個分の露を搾りこみ、次にレッド・キュラサオ【注6】一注と、ジャマイカ・ラム一ジガーとを加え、充分にかき混ぜ合わせ、苺または季節の果実を浮かし、麦稈をさしてすすめます。【注1】言わずもがなだが、有名な薬草系リキュール「シャルトリューズ」のこと。【注2】「アーモンチラド」とは辛口系(一部甘口系もある)のシェリーの一種のこと。今日では「アモンティリャード」という表記が一般的。【注3】氷に塩を加えると、温度が下がり、溶けにくくなるという化学的原理はこの頃すでに一般的だったようだ。電機冷蔵庫のない時代、先人たちの苦労がしのばれる。【注4】「クラレット」とはボルドー産赤ワインの異名。【注5】ライン川流域の地方で造られるワインのこと。やや甘口系のフルーティなワインが多い。【注6】「キュラサオ」は、言うまでもなく甘口・果実系リキュールの「キュラソー」のことだが、「レッド・キュラサオ」が何を指すのかは不明。フランボアーズかチェリー系のキュラソーか。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/28
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おかげさまで、うらんかんろの楽天ブログ「酒とピアノとエトセトラ」は、本日未明に30万アクセスを突破しました。ブログを初めてもうすぐ(11月28日で)まる6年になります。 ここまで来れたのは、訪れてくれる皆さまのおかげです。心から感謝申し上げます。先般、秋山徳蔵氏の日本最初のカクテルブック(絶版本)の内容を紹介する連載を始めてからは、アクセスが急増して、手ごたえを感じているところです。 今後とも、皆さまのお役に立つような酒、BAR、音楽などの情報を発信していきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。 うらんかんろ
2010/11/25
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【Bの項からの続き】 ブランデー・フリップ(Brandy Flip) これは熱いもの「ホット・ブランデー・フリップ」と、冷たいもの「コールド・ブランデー・フリップ」とがありまして、熱い方は「ホット・ブランデー・トッディ」に、クラッカー・ビスケット一枚を焙(あぶ)って加えてすすめ、冷たい方はソーダ水呑に砕き氷を二分の一位まで入れて置きます。 別に調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次に鶏卵一個を割って落とし、ブランデー一ジガーと氷の塊二つ三つを入れて、充分に振って混ぜ合わせ、前に用意して置いたソーダ水呑の中に漉してうつし、ナッツメグほんの少しをおろしかけてすすめます。 ブランデー・パンチ(Brandy Punch) グラス・ゴブレットに氷の塊一つ二つと、コギャク一ジガーを入れて置き、別に小さい調合器に砂糖大匙で一杯、レモン二個の搾り汁、キュラサオ一注(つぎ)、及び水かゼルツェル・ウォーターを丁度ゴブレットにうつして一杯になると思われるだけつぎ入れ、充分にかき混ぜ合わせて前のゴブレットの中へ漉してうつし、更に静かにかき混ぜ合わせ、扇の地紙形に薄く切ったパインアップル一片を浮かし、好みなれば、その上からジャマイカ・ラム或いはシャンパンのいずれかを一注加えて、すすめます。 ブランデー・サンガリー(Brandy Sangaree) 大きい調合器に砕き氷を二分の一位まで入れて、コギャク一ジガーと砂糖大匙で一杯を加え、充分に振蕩して小さいグラスに漉してうつし、ナッツメグほんの少しをおろしかけてすすめます。 ブランデー・スカッフェ(Brandy Scaffa) シェリー・グラスに、その二分の一までマラスキノ【注1】をつぎ入れ、次にブランデーを九分目まで静かにつぎ入れ、アンゴスチュラ・ビター一滴をたらし、別に氷水をそえてすすめます。 ブランデー・スリング(Brandy Sling) 水呑に角砂糖一個を入れ、水少し加えて溶かし、ブランデー一ジガーを加え、夏期は氷の塊一つ二つと水を九分目までつぎ入れてかき混ぜ合わせ、ナッツメグほんの少しをおろしてかけてすすめ、冬期には熱湯をつぎ入れ、同じくナッツメグをおろしかけてすすめます。 ブランデー・スマッシュ(Brandy Smash) カクテル・グラスかまたはパンチ・グラスに、砂糖大匙で一杯を入れ、ゼルツェル・ウォーター大匙で二杯ほどを加えて溶かし、次に薄荷(はつか)【注2】の若芽三つ四つを細かに摺(す)り潰して加え、氷の塊一つ二つとコギャク一ジガーを入れ、充分にかき混ぜ合わせ、更にゼルツェル・ウォーターをつぎ入れ、匙をさしてすすめます。 ブランデー・サァワル(Brandy Sour) 小さい調合器にガム・シロップ大匙で一杯か、または砂糖大匙で山盛一杯を入れ、レモン二個の搾り汁とコギャク一ジガー及び氷の塊二つ三つを入れ、充分にかき混ぜ合わせてソーダ水呑か、パンチ・グラスに漉してうつします。サイフォン・ソーダ水または他の冷たい沸騰水を八分目までつぎ入れ、オレンジ、ベリー或いはオレンジとベリー又は季節の好みの果実を浮かしてすすめます。 ブランデー・ストレイト(Brandy Straight) これは、簡単に給仕するには水呑に、氷の塊二つ三つと水を七分目までつぎ入れ、別にブランデーを壜(びん)のままそえてすすめ、丁寧に給仕するには水呑、氷、水及びブランデーをそろえて客の前に運び、好みにより調合してすすめます。 ブランデー・トッデー(Brandy Toddy) 水呑に砂糖小匙で一杯を入れ、水小匙で二杯を加えて溶かし、冬期は熱湯とブランデーを壜のままそえてすすめ、夏期は氷、水およびブランデーをそえてすすめます。 バーガンデー・カップ(Burgundy Cup) 鉢か甕(かめ)にレモン二個の露を搾りこみ、搾り殻(から)の皮を掃除して加え、次にゼルツェル・ウォーター一壜とバーガンデー二壜をつぎ入れ、好みによって砂糖味(あまみ)をつけ、充分かき混ぜ合わせて大きい氷の塊一個を入れ、冷たく冷やして後、つぎ分けてすすめます。【注1】「マラスキノ」(Maraschino)は、マラスカ種のサクランボを原料としたリキュールのこと。イタリアやクロアチア、スロベニアなどで生産・販売される製品が有名。製造過程で種子を破砕するため、アーモンドにも似た独特の香りがする。なお、今日では「マラスキーノ」と表記するのが一般的。【注2】「薄荷」とは言うまでもなく、シソ科の多年草「ミント」のこと。ペパーミント、スペアミント、アップルミントなどの種類がある。ここで言う「薄荷」は日本ハッカで、ペパーミント系。薄荷は日本でも在来種があり、江戸時代後期から栽培されていた。明治以降は主に北海道、北東北などで主に香料、医薬品の原料として栽培されてきたが、このように生葉を使うのは日本ではおそらく、カクテルが普及して以後だろう。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/25
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B バルチモア・キッセス(Baltimore Kisses) 鉢か甕(かめ)に、鶏卵の白身ばかり六個分を入れ、メープル・シロップかメープル・シュガーを適宜な量だけ加えて甘みをつけ、充分にかき立てて泡雪に仕立て、別に壜(びん)のまま冷やしたカーラント・ワイン【注1】一壜を、泡雪をなほかき立てながら、初めの間は少しずつ加えて行って全部を混ぜ合わせ、四個の水呑につぎ分けてすすめます。 ビショップ(Bishop) ソーダ水呑に砂糖小匙(さじ)で一杯を入れ、水小匙で二杯を加えて溶かし、次にレモンの輪切二片(きれ)か又は搾り汁小匙で一杯を加え、氷の塊一個を入れ、ソーダ水を四分の三位までつぎ入れ、更にジャマイカ・ラム二注(つぎ)と、赤葡萄酒か或いはレッド・バーガンデー【注2】一ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせて氷をとり除き、麦稈(むぎから)をさしてすすめます。 ブラック・ストライプ(Black Stripe) ソーダ水呑に、ニュー・オルレアン・モラッセス【注3】を大匙で一杯とクロアクス・ラム【注4】一ジガーとを加え、冬期は熱湯をつぎ入れ、かき混ぜ合わせてすすめ、夏期には氷水をつぎ満たし、よくっかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。 ブラックソーン・カクテル(Blackthorn) 調合器に砕き氷を入れ、フレンチ・ヴェルモットとイタリアン・ヴェルモット、およびスロージンの三種を各一ジガーずつ加え、次に香料としてオレンジ・ビター二滴とアンゴスチュラ・ビター一、二滴をたらし、充分にかき混ぜ合わせカクテル・グラスに漉してつぎ分け、レモンの皮一そぎずつを押しつまみ、浮かしてすすめます。 ブルー・ブレーヅァー(Blue Blazer)【注5】 銀鍍金(ぎんめっき)をかけた耳付盃(マグ)二個を用意して、その一個に砂糖小匙で一杯を入れ、熱湯で小匙で二杯位の量を加えて溶かし、次にスコッチ・ウイスキー一ジガーを加え、かき混ぜ合わせてマッチで火を付け、ぱっと火焔(かえん)が燃え上がったらば直ぐに、手早く別のマグにうつし、更に前のマグにうつし替え、この方法を四五回くり返している間に、酒精分がすっかり燃えつくしますから、そしたらナッツメグ少しをおろしかけ、レモンの皮一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 ブランデー・エンド・ガム(Brandy And Gum) 水呑にガム・シロップ大匙で一杯を入れ、氷の塊二つ三つを入れ、別に、氷水と、ブランデーを壜のまま添えてすすめます。 ブランデー・エンド・ソーダ(Brandy And Soda) 水呑に氷の塊二つ三つを入れ、ブランデー一ジガーを加え、ソーダ水を九分目までつぎ入れてすすめるか、または水呑に氷を入れ、別にブランデーとソーダ水を添えてすすめます。 ブランデー・ブァント(Brandy Burnt) 小皿の中央に角砂糖二個を置き、ブランデー一ジガーをつぎかけ、マッチで火を付けて酒精分を燃やしつくし、炎が消えたらば直ぐ水呑にうつし、熱湯を八分目までつぎ入れてすすめます。 ブランデー・シャンペレル(Brandy Champerella) シェリー・グラスに(一)レッド・キュラサオ四分の一、(二)アニゼット四分の一、(三)シャルトルーズ四分の一、(四)コギャク【注6】四分の一を、プース・カフェの場合と同様、静かに段々とつぎ入れ、別に氷水を添えてすすめます。もし好みなれば、初めにシェリー・グラスの中へアンゴスチュラ・ビター一二滴をたらし、グラスの内部に流してから四種の酒をつぎ入れてすすめます。 ブランデー・カクテル(Brandy Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、トッディ・ウォーター小匙で一杯、オレンジ・ビター二注、アンゴスチュラ・ビター二滴およびコギャク一ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉してうつし、レモンの皮一そぎを押しつまんで浮かし、別に氷水を添えてすすめます。 ブランデー・クラスタ(Brandy Crusta) まづカクテル・グラスの内側の縁(ふち)をレモンの薄切りで、むらのないようになでまわし、砂糖の中に伏せてレモンの露で湿らせた部分に砂糖をまぶしつかせて置き、別に調合器の中へ二つ切りにしたレモンの中身を除けて皮ばかりを起こして置きます。 その皮の中へガム・シロップ三注、オレンジ・ビター一注、ブランデー一ジガー、キュラサオ二注及びレモンの露半個分を入れ、静かによくかき混ぜ合わせて、前に用意して置いたカクテル・グラスの中へ、まぶし付けた砂糖のしずくを垂らさぬよう、グラスの中央を目がけてつぎ入れ、静かに持ち運んですすめます。 ブランデー・デイジー(Brandy Daisy) 中位の調合器に砕き氷を半分位まで入れて、レモン一個の搾り汁、オレンジ・コーディアル【注7】三注、及びブランデー一ジガーを加え、よくかき混ぜ合わせてパンチ・グラスの中へ漉してうつし、冷たいサイフォン・ソーダ水【注8】を九分目までつぎ入れてすすめます。 ブランデー・フィックス(Brandy Fix) ソーダ水呑に砕き氷を二分の一位まで入れて置き、別に中位の調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水中匙で二杯を加えて溶かす。次にレモン一個の搾り汁とウイスキー一ジガー、及びソーダ水呑に丁度一杯になると思われるだけの水をつぎ入れ、充分にかき混ぜ合わせて前のソーダ水呑の中へ漉してうつし、パインアップルの薄切り一片を浮かせ、麦稈をさしてすすめます。 【Bの項<下>へ続く】【注1】「カーラント」とはカシスやブルー・ベリーなどのスグリ類の木種のこと。従ってこのカーラント・ワインもスグリ類の実でつくったワインのことであろう。【注2】「バーガンデー」(Burgundy)とは、フランス・ブルゴーニュ(Bourgogne)地方またはブルゴーニュ地方産ワインのこと。「レッド・バーガンディー」とは、ブルゴーニュ産の赤ワインのことを指すのだろう。【注3】「ニュー・オルレアン」とは米国南部「ニュー・オーリンズ」のこと。「モラッセス」(「モラセス」とも表記する)は「廃糖蜜」のことで、砂糖を精製する時に発生する糖分以外の成分を含んだ黒褐色の液体。米国の一般家庭ではよく食用に利用する。【注4】「クロアクス・ラム(Croix Rum)」とは、カリブ海の米領ヴァージン諸島の「セント・クロイ(St.Croix)島」産のラムを指す。【注5】 現代の一般的表記なら「ブルー・ブレイザー」。カクテルの父とも言われるジェリー・トーマス(1830~1885)が生んだ代表的なオリジナル・カクテル。【注6】ご推察の通り、「コギャク」とは「コニャック」のこと。【注7】「コーディアル」とは身体を元気づけ、刺激する強壮作用のある食品、主に飲み物のこと。英米では、コーディアルは極めて甘い、(たいていは人工的に)濃縮されたノンアルコール飲料を指し、水で薄めて味わう。オリジナルのカクテル「ギムレット」は、生ライムジュースではなく、ライム・コーディアルを使用することで有名。「オレンジ・コーディアル」とは従って、薄めて飲む濃縮オレンジ・ジュースのような甘口飲料か。【注8】「サイフォン」とはコーヒー・サイフォンのように文字通り、器具・装置のことである。この「サイフォン・ソーダ水」という表現は、天然ソーダ水との比較として、秋山氏は用いているのかもしれない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/23
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さて、いよいよ「カクテル(混合酒調合法)」の本文です。24頁分の目次の後、本文ではアルファベット順に、125種類のカクテルが掲載されています。では、順番に紹介していきましょう。*************************************** 御家庭でたやすく出来、街で酒場も経営される カクテル --混合酒調合法-- 宮内省大膳寮厨司長 秋山徳蔵編 A アブサント・カクテル(Absinthe Cocktail) 小さい調合器【注1】に砕き氷を入れ、アンゴスチュラ・ビター一滴を落とし、オルジェート・シロップ【注2】一注(つぎ)【注3】とアブサント一ジガー【注4】を加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉(こ)してうつし、レモンの皮一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 アブサント・フラッペ(Absinthe Frappe) 中位の調合器に砕き氷を四分の三位まで入れ、アブサント一ポニー【注5】を加え、充分に振蕩(しんとう)【注6】してカクテル・グラスに漉(こ)してうつし、凍りそうに冷たいところをすすめます。これは「アブサント・アメリカン・スタイル」とも呼ばれます。 アブサント・イタリアン・スタイル(Absinthe Italian Style) 調合器に砕き氷を入れ、アブサント一ポニー、マラスキーノ二注、及びアニゼット二分の一ポニーを加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉しうつしてすすめます。 アブサント・ヴェイリューズ(Absinthe Veilleuse) ソーダ水呑【注7】に角砂糖1個を入れ、水少しを加えて溶かし、氷水を四分の三位までつぎ入れ、アブサント一ポニーを加え、かき混ぜ合わせてすすめます。 アギナルド・パンチ(Aguinaldo Punch) ソーダ水呑に砂糖大匙(さじ)で一杯を入れ、水又はソーダ水大匙で二杯を加えて溶かし、次にレモンジュース四注、フレンチ・ヴェルモット四注、ラム四注、及びウイスキー一ポニーを加え、充分にかき混ぜ合わせて、砕き氷を二分の一位まで加え、ソーダ水を八分目までつぎ入れ、季節の果実を浮かし、麦稈(むぎから)【注8】をさしてすすめます。 エール・サンガリー(Ale Sangaree) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、水大匙で二杯を加えて溶かし、別の壜(びん)のまま冷やしたエールを九分目までつぎ入れ、ナッツメグほんの少しをおろしかけてすすめます。このエールには、新しいものと、古いものとがありますから好みな方を用います。 アーフ・エンド・アーフ(Alf and Alf) これは、英国風ではポーターとエールとを半々に合わせ、米国風では新しいエールと古いエールとを同じく半々に合わせてすすめます。したがって、いずれか好みの方を調合してすすめるのでありますが、いずれの場合でも、あらかじめ壜のまま冷やして置いて用います。 アップル・ブランデー(ホット)(Apple Brandy, Hot) 水呑に四分の三位まで熱湯をつぎ入れ、角砂糖一個を入れて溶かし、アップル・ブランデー一ジガーを加え、かき混ぜ合わせてすすめます。注意:普通、「ブランデー・ホット」或いは「ウイスキー・ホット」と言えば、大抵この方法で調合されますが、好みによりブランデーの量は増減します。 アップル・パンチ(Apple Punch) 林檎(りんご)とレモンを別々に薄切りにして鉢か甕(かめ)の中へ、砂糖をふりかけながら、段々に半分位まで入れて、赤葡萄酒を八分目までつぎ入れ、きれいな布巾(ふきん)をかぶせ、紐(ひも)でまき結(ゆわ)へて、およそ五六時間寝かして置きます。 そして後、別の鉢か甕の中へ、きれいな漉し袋かまたは布巾で漉してうつし、大きい氷の塊一個を入れて充分につめたく冷やし、パンチ・グラスにつぎ分けてすすめます。 アラック・パンチ(Arrack Punch) パンチ・グラスに小さい氷の塊一個を入れ、その中へバタヴィア・アラック【注9】を四分の三、ジャマイカ・ラムを四分の一の割合で入れて置き、別の調合器の中へ砂糖大匙一杯を入れて、ゼルツェル・ウォーター【注10】大匙で二杯を加えて溶かし、次にレモン一個の露を搾りこみ、充分にかき混ぜ合わせる。 前に用意して置いたパンチ・グラスの混合酒をうつしかえ、更にシャンパン一注を加え、再び充分にかき混ぜ合わせてパンチ・グラスにつぎ分け、薄く扇の地紙形に切ったパインアップル一片ずつを浮かしてすすめます。 オートモビル・カクテル(Automobile Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、ガム・シロップ二注、オレンジ・ビター二注、イタリアン・ヴェルモット【注11】とスコッチ・ウイスキー、およびオールド・トム・ジン【注12】の三種を各一ジガーずつを加えてかき混ぜ合わせ、カクテル・グラスに漉してつぎ分け、オリヴかチェリー一個ずつを浮かしてすすめます。【注1】「調合器」とはこの連載の2回目でも紹介したが、シェーカーやミキシング・グラスのこと。【注2】「オルジェート(Orgeat)・シロップ」とはビター・アーモンド・シロップのこと。オルゲート・シロップとも呼ばれる。現在でも「MONIN(モナン)」社のシロップ・シリーズで入手可能。【注3】「一注(いちつぎ)」とは、現代における1Dash(約1ml)のことか。【注4】「一ジガー(Jigger)」とは、英国式の場合2オンス(約60ml、米国式だと45ml)のこと。秋山氏が用いている「ジガー」が英国式なのか米国式なのかは、現時点ではよく分からない。【注5】「一ポニー(Pony)」は、連載2回目でも紹介したように、1オンス(約30ml)に同じ。【注6】「振蕩」とは、シェイキングのこと。【注7】「ソーダ水呑」という表記は、連載2回目にも登場するが、秋山氏は「8オンス以上の大形の切立形グラス(脚付きでないもの)」と説明しており、10~12オンスくらいのタンブラーのようなグラスと推察される。【注8】「麦稈」とはストローのこと。【注9】「アラック(Arrack)」とは、中近東からアジアにかけて幅広く造られている蒸留酒。原料は米やサトウキビ、ナツメヤシ、ジャガイモ、ヤシの花穂など。バタヴィアとはオランダ植民地時代のジャカルタの呼び名。インドネシアでもアラック造りは盛んで、バタヴィア・アラックは現在でも流通している。【注10】「ゼルツェル(Seltzer)・ウォーター」とは、要するに炭酸水のこと。19世紀以降、ヨーロッパでは、「薬効がある」と信じされたこともあって富裕階級を中心に広く飲まれるようになった。【注11】この当時は、現在のスイート・ヴェルモットはイタリアン・ヴェルモットと呼ばれ、ドライ・ヴェルモットはフレンチ・ヴェルモットと呼ばれた。【注12】「オールド・トム・ジン」とは、ドライ・ジンに1~2%の糖分を加えた英国生まれの甘口ジンのこと。18世紀、ロンドンにあったジンの販売機は猫の形をしていて、ジンを買うと猫の足の部分からボトルが出てきた。俗語(スラング)で雄猫のことを「トム・キャット」と言うことににちなみ、新製品に「オールド・トム」という名前が付けたと伝わる。 ちなみに20世紀前半までは、「トム・コリンズ」などジンを使うカクテルでは、オールド・トム・ジンでつくるのが多かったという。なお、最初に製造・販売した英国のボーズ社はその後、米国ミズーリ州セントルイスに拠点を移し、生産している。他にもカナダのメーカーでも製造・販売している。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/21
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3.バーテンダー・ノート【注1】 酒を合せ、酒を扱う方に 混成酒を調合するには、まず必要な酒類、香味料、およびその他のもの一切が、ととのひいるかどうかを改めます。 壜(びん)詰の酒類、飲料水等は、特に壜のまま冷やす必要がある場合の外は、栓を抜いて、其の栓か或いは特種な栓を嵌(は)めて置きます。冷たい混成酒類を調合するには、かならず氷を用意します【注2】。氷は、あらかじめきれいに洗って清潔な器に入れて置きます。 もし、冷たい混成酒類に用いる酒類、沸騰水等を壜のまま冷却する必要ある場合はかならず用いる前に冷やしておきます。温かい混成酒類を調合するには、熱湯を用意します。もし酒類を壜のまま温める必要ある場合は、予(あらかじ)め温めて置きます。 × × 混成酒類に、生か糖水煮の果実を加える場合、その果実を切り刻むには、銀またはニッケル渡金(メッキ)をかけたナイフを用います。また、その果実を、調合器或いはグラスに挟み入れるにも、指でつままず、錆(さび)を生じない匙(さじ)、挟(はさみ)、箸などを選んで用います。 混成酒類に砂糖を混合するには、特別の場合を除く外、酒精類を加える前に砂糖の二倍の水か沸騰水を加えて溶かします。そして、混成酒類に用いる砂糖は、角砂糖、赤砂糖などと特に指定されていない限り、あくのない精製白砂糖を用います。 混成酒類に、鶏卵、牛乳等を混合す場合には、酒精分の少ないものから加えて行くか、または鶏卵、牛乳等を最後に加えます。そして、混成酒類に鶏卵、牛乳等を混合する場合は、急に、振蕩しなければ鶏卵や牛乳が豆腐のように凝縮してしまいます。 × × 壜詰の酒類を、壜のまま冷却させる場合は、氷桶(おけ)に酒類の壜を立てて入れ、周囲に岩塩を混ぜた砕(くだ)き氷を詰めて冷やします。しかしビールは、夏季でも四十度位【注3】の冷たさで結構ですから、冷蔵するよりも涼しい場所に立て並べて置けば充分です。 街のレストランやカフエ、バーなどで注文しても、壜詰のビールには、稀により冷え過ぎた無味な物を発見しません。けれども、生ビールは、往々、味は勿論、色がどす黒く変わった、ただちに下痢を起こさせるようなものが給仕されて居ります。 葡萄酒類(シェリー酒、ポートワイン等も含んでおります)は、特別な場合を除く外は全く冷やす必要がありません。そして、葡萄酒類は、上等になればなるほど、沈殿物が多い筈(はず)ですから、用いる前乱暴に取り扱うと濁って飲めなくなります。 壜詰の酒類を貯蔵するには、空気の流通する棚に臥(ね)かして積みます。かくして置けば常に栓が湿っていて蒸発が防げます。壜詰の酒類を温める必要ある場合は、桶の中に立てて微温湯をつぎ入れ、漸次熱い湯を足して行き、必要な温度に温めます。【注1】原書では、なぜか「ノート・バーテンダー」という表記になっているが、ここはより自然な「バーテンダー・ノート」とした。【注2】欧米で製氷機が発明されたのは1870年代で、BAR業界での実用化はさらに20年ほど後の1890年~1900年代と言われている。日本で初めて業務用電機冷蔵庫が発売されたのは1930年代後半といわれ、秋山氏がこの本を著した当時は、おそらくは天然氷を使った木製冷蔵庫で氷を保管する方法が主流だったと思われる。ちなみに、製氷もできる家庭用電気冷蔵庫が日本で登場したのは1950年代後半である。【注3】「四十度位」という記述は華氏表記かと思われ、摂氏に換算すれば「4.4度」となる。秋山氏がなぜ華氏で表記したのかは?である。「摂氏4.4度」と言えば、現代の冷蔵庫の中でもかなり冷たい温度で、決して、秋山氏が言うところの「(夏季でも)涼しい場所」とは思われないので、大いに疑問がある(ひょっとして誤植か?)。戦前の日本で、「華氏」表記が一般的だったとは、私はまったく知らない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/20
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2.「カクテル」主用語について 調合器 調合器は書中、単に大きい、中位の、或いは小さい調合器と説明してありますが、これは「カクテル・セーカー」(Cocktail shaker)混成酒振蕩器、あるいは「ミキシング・グラス」(Mixing glass)混成酒撹拌器を指していっているのでありまして、鶏卵、牛乳、乳酪その他特種なものを混合す外(ほか)は、大抵は「ミキシング・グラス」の方を用い、振蕩せずに、主に撹拌して混合す場合が多いのであります。 グラス グラスは、書中には「ポニー・グラス」「ソーダ・グラス」「ハイボール」等数種より挙げておりませんが、およそグラスには次のようなものがありますから、適當に選ばれることです(注意 ハイボール・グラス、ソーダ水呑等大型のものは、切立形のうちの八オンス以上のものを選びます)。 脚付形 ポニー(Pony)利久酒用【注】 1オンス プース・カフェ(Pouse Cafe)同左用 1オンス ワイン(Wine)シェリー酒用 2オンス ポート・ワイン(Port Wine) 同左用 3オンス カクテル(Cocktail) 同左用 3オンス クラレット(Claret)赤葡萄酒用 4オンス ウイスキー・サァワル(Whiskey Sour) 同左用 5オンス メディアム・ゴブレット(Medium Goblet) ビール用中形 8オンス レグラション・ゴブレット(Regulation Goblet) ビール用大形 10オンス 切立形 ビーヤ、ゼルツェル(Beer、Seltzer)ビール、鉱泉呑 4オンス ビーヤ、サイダー(Beer、Cider)ビール、サイダー呑 6オンス ビーヤ、エール(Beer、Ale)ビール、エール呑 8オンス レモネード、ミルク(Lemonade、Milk)同左用 12オンス ブランデー&ソーダ(Brandy & Soda) 14オンス トム・コリンズ(Tom Collins) コリンズ用 16オンス 匙(さじ)の種類 匙の類は、書中では煩雑を防ぐために、大、中、小、三種の匙より用いませんでしたが、混成酒類をかき混合すための「混合匙」があり、一々大中小と探すまでもなく、大匙より四分の一小匙にいたるまで、六種位の、特に調合用の一束になった匙もありますから、より便利なものをお用いになることです。 洋酒類 洋酒類は、書中には、ありふれたものばかりを採って、平凡に調合したに過ぎませんから、なお他の異なる酒類をも採用されて、優秀な混成酒、あるいは混成飲料を調合してすすめられんことを希望します。 その他 葡萄酒類、沸騰水等は国産のものに、舶来品を凌駕(りょうが)するもの多く、醸造産出いたされおれば、かならずしも、舶来品を求め、舶来の名称ですすめられるにはあたりません。「コーザン・コッブラー」「コーザン・フロート」などには気持ちを一新する趣好かと思います。【注】「ポニー」の名は、単位の1ポニーに由来する。「利久酒」とはリキュールのこと。1ポニーは28.4ml=約30mlで、1オンスに同じ。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/19
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「カクテル(混合酒調合法)」宮内省大膳寮厨司長・秋山徳蔵編(大正13年=1924年=10月15日、東京・国際料理研究所発刊、128頁) 秋山徳蔵(あきやま・とくぞう)氏は、明治21年(1888)8月30日、福井県南条郡武生町(現・越前市)の料理屋の次男に生まれた。旧姓・高森。明治37年(1904)年、東京・麹町の華族会館料理部に就職した後、築地精養軒料理長などを歴任。明治42年(1909)、西洋料理の修業のため渡欧し、約4年間、ドイツ、フランスなどで修業を積んだ。 大正2年(1913)3月に帰国後、東京倶楽部料理部長に就任。同年6月、我が国初の本格的な西洋料理の教科書と言われる「仏蘭西料理全書」を著した。翌7月、秋山俊子と結婚・秋山家に入籍し、秋山姓に。同年10月、宮内省大膳寮厨司長に迎えられた。 宮中晩餐会の料理責任者だったこともあり、酒類への造詣も深かった。大正13年(1924)、日本初のカクテルブック「カクテル(混合酒調合法)」を出版。その後、大正、昭和両天皇の料理番を長くつとめた。昭和47年(1972)10月、83歳の時、宮内庁を依願退職。昭和49年(1974)7月14日、85歳で没。「新フランス料理全書」「料理のコツ」「味の散歩」「味と舌」「テーブルマナーのすべて」など多数の著書を残している。 【おことわり】旧かなづかい、古語的な用語・表現のうち、現在馴染みにくいものは可能な限り現代語法に直しましたが、原則として、原文の良さ・雰囲気を伝えることを重きを置いて紹介していきます。補足的な説明ができる部分があれば、末尾の【注】で紹介していきます。 なお、私の国語的能力の限界もあり、分からない部分は原文のまま紹介するほか、当時のカクテル関係の専門用語で分からないものもそのまま紹介するつもりですが、ご容赦ください。もし何かご存知の方はメール(arkwez@gmail.com)でご教示いただければ幸いです。*************************************** 1.はしがき 黄金の殿堂座にして、まさに萎(しぼ)みゆかんとするは、今のアメリカンの姿である【注】。 彼等もしかし、広大なる土に恵まりたりとはいえ、世界的な金権を把握するにいたれるまでの昔は、朝(あした)には思うがまま奮闘せんとする活発な精神を振るいおこさんがために、愉快なアルコールを必要した。夕べには、終日の勤労を癒して、新しく明日の力を培養するために、強烈なスピリットを愛した。 わけても、この混成酒は、口を極めて言えば、その調合法が、国家的に研究せられ来(きた)ったものである。わが日本酒の功徳、また大なりと言えども、時間に制限をもたなかった昔ならばいざ知らず、今人のごとく多忙な生活を営み行かねばならぬものには、それはその人々の酒量にもよるべけれど、あまりに量を多く、習慣上あまりに時間を多く過ごされば、精神を発酵せしめるにいたらない憾(うらみ)がある。 われ等は、更新の大国民であらねばならぬが、いまだ、黄金の殿堂を築くべき基礎すらも固まってはいない。大いに国威を発揚すべく、さかんに奮闘をしなければならぬ。この秋、精神を振興し、身体を強壮にするところの、混成酒の調合法を説く。敢えて徒事ならざるを信じ、烈日の下(もと)に、この「カクテル」を編む。 大正十三年八月中旬 編者誌【注】1920年代初頭、米国は第一次大戦終結後の重工業の発展やモータリゼーションの拡大で経済的好況を享受していた。しかし一方、禁酒法(1920~1933年)の施行に踏み切り、歓楽街は衰退の一途にあった。腕利きのバーテンダーたちは活躍の場を求めて、欧州に渡るしかなかった。1924年と言えば、禁酒法施行から5年目だった。「まさに萎みゆかんとするは」という表現は、禁酒法下で米国内の酒文化が衰退しつつある現状を言ったものと思われる。 なお、この本が出版された大正13年と言えば、前年の大正12(1923)年9月1日に起こった関東大震災の翌年で、東京はまだ復興の途にあった。「贅沢をやめて勤勉につとめよう」と政府が呼びかけていた時節に、秋山氏がこの「カクテル」という書を世に出すことは少々勇気が要ったことと思われるが、「(美味しい酒を飲んで)前を向いて進んでいこう」という国民へのメッセージもあったのではとは考えすぎだろうか。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/18
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カクテルというものが生まれて約200年ほど経つとも言われています。個人的な、趣味的な好奇心から、最近、カクテルがどのように発展していったのか、先人たちはどんな苦労をして今につながる近代的なカクテルを完成させていったのか、そんな歴史と背景にとても興味を持つようになりました。 そして、今から100年前、150年前にはどんな名前のカクテルがつくられ、どう飲まれていたのだろうかということを、古今東西のさまざまなカクテルブックを調べたり、カクテル関係の図書を通じて、調べているところです。 海外の古いカクテルブックは、従来から持っていた「サヴォイ・カクテルブック」(1930年刊)のほか、いくつか著名な本を探し、手に入れました。例えば復刻本ですが、世界初の体系的なカクテルブックと言われるジェリー・トーマスの「How To Mix Drink」(1862年刊)や、「カクテルの父」とも言われるハリー・マッケルホーンの「Harry's ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)など。 そうした本を読んでいくうちに、日本では、後に大正、昭和両天皇の料理長もつとめたことで有名な秋山徳蔵氏(1888~1974)が1924年(大正13年)10月に、日本初のカクテルブックである「カクテル(混合酒調合法」という本を著したということ、さらに少し遅れて同年11月に、現役バーテンダーであった前田米吉という方(どういう経歴かは詳細不明ですが)が「コクテール」という本を出版していることも知りました。 しかしいずれの本も現在では、古書店を探しても、古書関係のネット販売サイトで検索しても、入手がとても困難な貴重本です。「現物をぜひ見て、読んでみたいなぁ…」と願っていたところ、幸運にも、ある懇意なバーテンダーから「私はどちらも持っているからお貸ししましょう」というとても有り難い言葉を頂きました。 感謝感激です!! これらの本は、欧米でハリー・マッケルホーンやハリー・クラドック(サボイ・カクテルブックの著者)がカクテルを発展させていった1910~20年代、遠い東洋の日本でバーテンダーの先駆者たちがカクテルという新しい飲酒スタイルの分野に対して、どう向き合い、どう工夫・苦労し、どう完成させていったのかが分かる、本当に貴重な証拠資料です。 早速、少しずつですが、じっくり読んでいるところです。しかし読んでいくうちに、こうした貴重なデータは自分だけで独占していいのかと思うようになりました。プロのバーテンダーでもおそらく、名前は知っていても、現物は見たことのないという方がほとんどかと思います。以前、あるBARのマスターからも「秋山さんの本、前々からぜひ読んでみたいと思っているんですが、まだ叶いません」という声も聞いていました。 私としては、興味深いデータを自分だけで独占するのではなく、現代のバーテンダーの皆さんへ紹介したい(=貴重なデータを共有したい)と強く思いました。そこで次回から、この2冊のカクテルブックを、可能な限り忠実に紹介していきたいと思っています。 ただ、ここで問題になるのは著作権です。著作権保護の期間はご承知の通り、現在では、著作物の公表(出版)から50年、もしくは作者の死後50年です(※末尾【注】ご参考)。著作権が誰が持っている(遺族か出版社か)にもよりますが、もし著作権を出版社が持っていたとしても、2冊とも公表から50年以上経過していますので、この点はクリアできます。ちなみに2社とも、調べた限りでは現在は存在していません。 しかし著者については微妙です。前田米吉氏がいつ亡くなったのかは、現時点では情報はありませんが、秋山氏が亡くなったのは36年前の1974年です。もし、この本の著作権を秋山氏の遺族が継承していた場合、うらんかんろはあと14年間は、著作権法違反で訴えられるリスクを負います。 私としては、もしご遺族からクレームがあった場合、(1)この連載は、本が絶版になっている現状で、カクテル普及の先駆者である秋山、前田両氏の偉大な功績を後世に伝えることを願ってしていること(2)私自身は一銭の利益も得ていないこと--をお伝えしてご理解を得たいと思っていますが、万一それでも、ご遺族(あるいは出版社から著作権を継承している法人)が納得せず、法的に訴えると言われた場合はその時点で連載は中止し、過去分についても削除いたしますので、何卒ご了承ください。 連載は、なにぶん十分な時間もないので、不定期に、少しずつしかアップできないうえに、“完結”するまではかなりの長丁場になりそうです。どうかご容赦のうえ、気長にお付き合いください(また、マニアックな内容ですので、ご興味のない方はスルーしてくださいませ)。【注】著作権の保護期間は、2017~2018年の法改正で「作品公表後または作者の死後70年」に延長されました。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/17
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友人に誘われて、堺でBAR巡りをしてきました。堺(市)と言えば、日本最大の墓、仁徳天皇陵などたくさんの古墳があることで有名ですが、戦国時代にいち早く、環濠を備えた自由貿易都市として栄えました。フランシスコ・ザビエルが布教活動したほか、千利休や与謝野晶子ら偉人を輩出した歴史的な街としても知られています。 しかし、度重なる戦乱や空襲で、そうした歴史的遺産は今では目に見える形でほとんど残っていません。このため、近畿地方に住む我々でも、観光という目的ではあまり訪れることの少ない街ですが、大阪駅(梅田)からは地下鉄と電車を乗り継いで約30分余で行ける意外と近い穴場的な場所なのです。 そんな堺には意外や意外、素敵なBARがたくさんありました。以下は、今回お邪魔した6軒の店の紹介です。【Italian Bar・Millanta(ミランタ)】BAR巡りの前にまず腹ごしらえをと、泉北高速・深井駅前にある、友人おすすめのイタリアン・バールへ。旨い料理と酒を味わいながら、今夜のBAR巡りの“作戦”を練ろうという魂胆です。 お酒はワインやビールがメインのようですが、カクテルもOKとのこと。しかし、この夜は友人おすすめの、ここでしか飲めないシードル(アップル・スパークリング・ワインという表現が一番近い?)を頼みました。 料理はパスタと前菜の盛り合わせをいただきましたが、評判通り美味しさ。失礼ながら、堺でこれほどレベルの高いイタリアンが食べられるとは思っていませんでした。オーナーのCさんもとても親切で、温かい人柄。接客・サービスも申し分ありません。ミランタのおかげでBAR巡りはいいスタートが切れそうです。堺に来たら、また行きたいと思わせる1軒になるでしょう。【Bar 街のあかり】まずお邪魔したのは、深井駅近くにあって、友人が懇意にしているバーテンダーAさんが勤めるこの店。2004年開業の、堺では人気のBARなので、僕も名前は知っていましたが、お邪魔するのは初めてです。 キャパは結構広めです。ウッディな内装のゆったりとした空間で、カウンターもかなりの人数が座れ、個室もあります。フードも充実しています。僕はAさんにご挨拶をした後、早速、彼のカクテルをいただきました。Aさんは、南大阪エリアで今どんどん力を付けてきているバーテンダーとして、大阪キタのBARでもその評判を聞いたことがあります。 まだ27歳と若いのに落ち着きがあって、礼儀正しくて、好感が持てます。僕のブログや本(「今宵も、BARへ…」)もすでに読んでいてくれたこともあって、打ち解けるのに時間はかかりませんでした。調子に乗って、「ミリオン・ダラー」なんて卵白を使うめんどくさいカクテルを頼んだ僕(ごめんなさ~い)に対して、嫌な顔一つせずに応じてもらって感謝でーす。【Bar・Kiln(キルン)】3軒目は、南海電鉄・中百舌鳥駅へ駅一つ移動。改札口を出て徒歩数分の、大きなマンションの前に来ました。店はこのマンションの2Fにあります。ことし4月に誕生したばかりの、堺のニュー・フェースです。マンションの2Fに飲食店舗のスペースがあるなんて、意表を突かれます。 しかし、ドアを開けて店に入ると、普通の街場のBARのようで、違和感はまったくありません。店はどちらかと言えば、モルトに力を入れておられるようす。その意気込みは店名を「Kiln」(=ウイスキー蒸留所の象徴である「乾燥塔」のこと)と付けたことからも分かります。バック・バーの木の額縁入りの店の紋章(皮張り!)も素敵です。 マスターのSさんも他の店のマスターに負けず劣らず気さくで、親切な方でした。聞けば、マンションの住人の方も結構常連さんになっているとか。レアなモルトもいろいろあるらしいです。こんな素敵な酒場が自分のマンションにあったら、僕もきっと入り浸ってしまいりそうです。【Bar・Whisky Cat】Kilnから程近いところに、南大阪のバー業界の重鎮(?)がおられるというのでお邪魔しました。BarとIrish Pubの両方の顔を持つような店。土曜日のまだ8時頃なのに、店内はもうほぼ満員の盛況です。カウンターの2席だけが空いてたので、ラッキーでした。 オーナー・バーテンダーのOさんも腰の低い方で、とても柔らかい丁寧な接客をされます。土曜日でもこれほど繁盛しているのは、やはりOさんの人柄ゆえでしょう。「お会いするのを楽しみにしていました」とOさん。事前に僕の本を読んでいてくれたおかげで、すぐに旧知の間柄のような気持ちになりました。 この店もウイスキーへのこだわりは並大抵のものではありません。バック・バーには樽入りのモルトもいくつか置かれています(ちなみに、店名の由来となった「Whisky Cat」とは、蒸留所でネズミ獲りのために飼われている猫のことです)。堺のBARのレベルの高さ、恐るべしです。【Bar・アッセルブル・オン・エイト】南海高野線・堺東駅から南海本線・堺駅方面へ歩いて、次の店へ移動する途中に立ち寄りました。お目当てのバーテンダーが休んでいたので、ここは1杯だけで退散。飲食店舗の設計で有名なデザイナー、間宮吉彦氏が内装を手がけたという、おしゃれな雰囲気のBARでしたが、滞在時間が短かったのでとくにコメントはありません(写真もなしです。すみません)。【Bar 中原】南海・堺駅近くにあって、2009年11月にオープンしたばかりの新しい店。ここのNマスターも友人が懇意にしています。Nさんは今、南大阪エリアだけでなく、関西でも今とても注目されているバーテンダー。実際、業界のカクテルコンクールの創作部門で優勝経験もあるほどです。 店は、やや暗めのライティングのおしゃれな感じ。清潔感にあふれたオーセンティックBARです。ここはせっかくだから、マスター渾身のカクテルをいただかなくては、と早速「ミリオネア」というスタンダード・カクテルをお願いしました。 NさんはホテルBARの出身ですが、ホテル出身のバーテンダーの方に有りがちな堅苦しさもなく、話好きな方です。店では、Nさんの創作カクテルも人気です。「梅の音」という名の「響12年」をベースにした美味しそうなカクテルもメニューにあることも、後で知りました。知っていたら、味わっていたのに…残念!(次回訪問の際は、ぜひいただきたいと思っています)。 さて、そろそろ堺ともお別れの時間です。各店のマスターやバーテンダーの皆さん、美味しいお酒と料理、そして温かいもてなし&心地よい時間を本当に有難うございました! 再会の機会を楽しみにしています!! 【Italian Bar millanta】大阪府堺市中区深井清水町3987 東野ビル1F 電話072-270-0090 午前11時半~午前3時 不定休 【Bar街のあかり】堺市中区深井沢町3342 プラザOM1F 277-7749 午後6時~午前2時 無休 【Bar Kiln(キルン)】堺市北区中百舌鳥町2丁82-83 キラリ8-1ビル203 250-1450 午後6時~午前3時 不定休 【Bar Whisky Cat】堺市北区中百舌鳥町3丁358-10 ライフステージ村田1F 259-8667 午後5時~午前1時 無休 【Barアッセンブル・オン・エイト】堺市堺区熊野町東4丁1-18 TMCビル4F 222-8833 午後8時~午前5時 火休 【Bar中原】堺市堺区戎島町2丁30 ターミナルマンション1F 282-7766 午後7時~午前2時 月休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/13
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和歌山(市)と言えば、近畿地方でも京阪神や奈良に隠れてあまり脚光を浴びることは少ない街。土地勘のない近畿以外の方のために少し触れておくと、大阪駅(梅田)からは電車で約1時間半くらいの距離。近いと言えば近いが、そう簡単には行ける場所ではない。 そんな和歌山だが、それでも素敵なBARはたくさんある。実は、お恥ずかしいけれど、BARフリークのうらんかんろですら、老舗といわれる数軒以外、あまり和歌山のBARを知らない。普段、京阪神で飲むことは多いけれど、わざわざ和歌山まで飲みに行くことはない。 そんなある日、久々に和歌山へ日帰り出張があったので、仕事帰りにBAR巡りに出かけた。以下は、お邪魔した3軒の店の紹介。【Bar・Roge(ロゲ)】和歌山も他の地方都市同様、BARが店を開ける時刻が遅い。夜7時、8時は当たり前だ。そんな中、このRogeは唯一、午後5時オープンというとても有難い店。しかもメニュー・リストを見ると、半端じゃないモルトBARである。 聞けば1998年オープン。オフィシャル・ボトルはほぼ網羅し、なおかつボトラーズも充実。スコットランドまで蒸留所巡りに出かけるほどモルトを愛するMマスター。その品揃えは大阪のBARにも決して負けない。 「和歌山の人はスコッチモルトよりバーボンが好きなんで、あまりモルトは売れません」とマスターは苦笑するが、それでも地道にモルトにこだわり、さらにJAZZにこだわる。しかもお値段は申し訳ないような、“和歌山料金”である。初めてお邪魔したが、「いい店を見つけたぞ!」と我ながら思った。【Bar・THE BARMAN】2軒目に行く予定をしていた店は、なぜかオープン時刻に開いていない。腹が立つけどしょうがない。気を取り直して、もう1軒、候補としてリストアップしていたBARを目指す。 住宅街の中のマンションの1Fに、そのBARはあった。木のドアを開けるとすぐに、ぬくもりある、ウッディな空間が広がった。まるで、どこかの洋館の応接間に招かれたような雰囲気。店は天井が高いため圧迫感がなく、ゆったり感に溢れる。 まだ30代半ばの若いMマスターが営む店は8年目。和歌山市のいわゆる飲み屋街からは少し離れたロケーションは「あえて選んだ」と言う。気さくで親切なMマスター。接客・サービスも申し分ない。何事にも初対面の印象は大切だが、このBARの第一印象は文句なし。僕の「また必ず来たいBARリスト」に入ることは間違いない。【Bar・Tender】1993年開業、和歌山屈指の老舗である。大阪のBARのマスターからは、「和歌山で飲むならTenderで」とよく言われる。しかし、老舗にありがちな気取ったところや高飛車なところは一切ない。これはマスターのHさんの明るく、温かい人柄のなせる業(わざ)だろう。 当初は、午後6時に開けていたが、「和歌山人は宵っ張りで、出足が遅いんで…」と徐々に後ろへずれて、今では8時オープン。待ち焦がれたBAR好きが開店時刻と同時に押しかける。終わりは「いちおう午前2時だけど、お客さんが来たらずるずると…」といい意味でいい加減。 お値段も先の2軒同様、“和歌山料金”で懐にも優しい。だからでもないが、大阪で飲めば腰を抜かすほど高いオールド・ボトルのモルトが良心価格でいただけた。Hさんとの楽しい語らいに時間を忘れていたら、そろそろ帰りの電車を気にする時間に。和歌山のマスターの皆さん、心温まるもてなしを本当に有難う! 【Bar Roge】和歌山市鈴丸丁6番地 ESビル1F 電話073-433-6691 午後5時~午前2時 水休 【Bar THE BARMAN】和歌山市田中町3-60 パンテオン1F-B 427-1075 午後7時~午前1時 月休 【Bar Tender】和歌山市楠右衛門小路11 谷口ビル1F 427-3157 午後8時~いちおう午前2時(週末は午前3時まで) 日休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/11
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ここ数カ月ほどの間、東京出張のたびにちょこちょこっとあちこちのBARを巡ってきました。その報告をすっかり書きそびれておりました(すみません)。そこで、まとめて紹介したと思います。くれぐれも一晩で回ったBARではありません(笑)ので、誤解なきように…。【バル・デ・オジャリア恵比寿】ご存知、日本のシェリーの第一人者、中瀬航也さんの店「バル・デ・オジャリア」(銀座)の2号店。だから、シェリーの品揃えも、味も、スタッフの接客も文句なしのレベルだ。 恵比寿に支店を出したという話を聞いていたので、一度ぜひ行ってみたかったのがようやく実現した。銀座の本店には何度かお邪魔しているが、恵比寿の店も同じような明るい、気さくな雰囲気で、とても居心地良い空間になっている。 シェリーをあれこれ沢山いただいて、美味しいアヒージョ、生ハムなどの料理も堪能して、お値段もリーズナブル。駅から比較的近いし、使い勝手もとてもよさそう。また来たいと強く思う。 【Bar松下】久しぶりに恵比寿まで来たので、もう1軒と考え、前から気になっていたこのお店へ。駅の西側へ数分歩いた辺り、看板らしい看板は何も出ていないので、気を付けていないと見逃してしまいそう。 急な石の階段を上がるとドアがある。そこを開けると、暗い、おしゃれなライティングに包まれた異次元のような空間が広がる(ただしキャパは15人程度か)。コの字型のカウンターなので、バーテンダーの所作が3方向から見える。 カウンターの中には炭火焼の鉢。お酒に合う一夜干しも焼いてくれるとのこと。ネットの情報ではお値段のめちゃ高い店という書き込みもあったが、普通にスタンダードなカクテルを2杯飲んでお勘定は約3500円。まぁ恵比寿という場所を考えれば妥当かな…。【Bar・Salvador(サルバドール)】このBARは久々(数年ぶりか?)の訪問。高田馬場という立地なので、普段、銀座界隈で飲むことが多い僕はなかなかお邪魔できていないが、気さくなSマスターと店の雰囲気もあって、とても気に入っているBARの1軒だ。 新宿の「Bar・ARGYLL(アーガイル)」の店長だったSさんは2005年に独立。研究熱心(ウイスキー、ワイン、カクテルにとても詳しい)なことに加えて、接客&トークも巧みで、インテリアへのこだわりも光る。その才能は、僕にはまだまだ伸びしろいっぱいに思える。 久しぶりにお邪魔した僕は旧交を温めながら、一緒に行った友人とともにカクテル談義なども楽しみ、マスターから極上の和みと癒しの時間をもらった。素晴らしい高田馬場の夜に乾杯!【Bar・Orchard Ginza】初めての訪問。だが、うらんかんろは、マスターのMさんとかつて神戸のホテルオークラで出会ったことがある。ある出版記念パーティーで僕が司会をし、その宴会を仕切ってくれたのが同ホテルのバーテンダー、Mさんだった。 Mさんはその後、ホテルを退職して独立を目指す。鹿児島出身だが故郷に帰るつもりはなかった。「店をやるなら、やはり銀座で」と、ホテルで同僚だった福岡出身の奥様と一緒に、2008年、念願の店を開いた。 お店のウリは、フルーツ・カクテル。産地や作り方にもこだわる。フローズン・カクテルを、わざわざ零下196度の液体窒素を使ってつくるなんて技は、Mさんならではだろう。お値段は少し張るが、払った金に見合う満足感が得られることは僕が保証する。【Bar・Talisker】東京のBARでは、うらんかんろが、もうかなり長く付き合っていて、銀座でも最もお気に入りの1軒だとも言える。1998年のオープン当初から、僕は出張のたびにしばしばお邪魔している。 シングルモルトにめちゃ詳しく、カクテルの技も確か(カクテルブックも出版しているほど)。モルトはそのこだわりもあって、レアで少々値が張るものが多いが、ここでしか味わえないものもあり、教えられることも多く、つい散財してしまう(笑)。 僕は何よりもUさんのさっぱりとした、嫌味のない人柄が好きだ。付かず離れずの接客も心憎い。表通りの喧騒が聞こえない静かで落ち着いた、ウッディな空間も心地よい。定宿のホテルからも近く、最近は銀座BAR巡りの締めの1軒に選ぶことが多いなぁ…。【Sunlucar(サンルカール)Bar】銀座の有名Bar・Tenderで長年修業したSさんが独立、ことし6月、神楽坂で「サンルカール」というこじんまりとしたBARを開いた。 神楽坂界隈は古い商店街・家並みの中に、新しいおしゃれな店が次々と生まれ、その渾然一体とした雰囲気がたまらない。いま、東京で最もトレンディなエリアと言っていいかもしれない。そんな神楽坂に、Sさんは「午後2時オープン、月曜定休」という面白いコンセプトのBARを開いた。 界隈には住人も多く、常連客が付くのにそう時間はかからなかった。店はいつも早い時間から盛況だ。カクテルは当然Tender仕込みのハードシェイク。腰の低い、優しく温かい接客も申し分ない。こんな素敵な酒場で昼間から飲めるなんて…。神楽坂の住人を羨ましく思うのは僕だけではないだろう。【Bar歯車】サンルカールと同じ神楽坂エリアに最近、もう1軒、評判のいいBARが出来たという話を聞いた。その名を「歯車」という。奇妙な店名の由来はさておくとして、店へ入って驚いた。うらんかんろがこれまで経験したBARの中でも、おそらく最も店内の照明が暗い店だ。 足元は真っ暗。店内もほのかな灯りで、ぼやっ~とにしか見えない。カウンターにいるマスターの顔もまるで分からない。1杯飲んで、20~30分経って、ようやく目が慣れてきて、周囲の状態やマスターの顔がなんとなくわかるようになってきた。 話していてとても驚いたのは、マスターのHさんは青山のサード・ラジオ、新宿のル・パランという有名BARの出身だったこと。僕は偶然、そのどちらの店にもお邪魔したことがある。だから、Hさんと“接点”があった可能性がある。 「いやぁ…昔、出会ってたかもしれないんですねー」というのが奇しくも、お互いの口から出た言葉だった。初めてのBARでこんな不思議な、嬉しい出会いがあることもBAR巡りの醍醐味だ。だからBAR巡りはやめられない。 【バル・デ・オジャリア恵比寿】東京都渋谷区恵比寿1-22-23 ヴェラハイツ恵比寿108 03-5402-0936 午前11時半~午後3時、午後5時~午前0時(土午後2時~) 無休 【Bar松下】渋谷区恵比寿南2-3-15 3711-6900 午後7時~午前4時 日祝休 【Bar・Salvador】新宿区高田馬場1丁目29-6 野菊ビル2F 午後7時~午前3時 不定休 【Bar・ORCHARD GINZA】中央区銀座6丁目5-16 3575-0333 午後6時~午前3時 日祝休 【Bar・Talisker】中央区銀座7丁目5-12 3571-1753 午後6時~午前2時 日祝休 【Sunlucar Bar】新宿区神楽坂6-43 6228-1232 午後2時~午前0時 月休 【Bar歯車】新宿区若宮町16 塩谷ビル2F 5206-8837 午後3時~午前0時 月休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/09
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週末、スコットランドのシングルモルト・タリスカー(Talisker)のイベント、「ディスカバー・タリスカーwithクラヤミ食堂」に抽選で当たったので、期待に胸を膨らませて行ってきました。 このイベントは、タリスカーを美味しい料理と一緒にいろんなスタイルで味わって、その魅力を再発見しようというのが狙いですが、「クラヤミ食堂」とはその名通り、真っ暗な中で味わうのです。 会場のホテルに着くと、まず、「イベントの途中ではトイレに行けないので先に行っておいてください」と言われ、その後目隠しを渡されます。会場へは目隠しをしたまま、スタッフの介添えで入り、所定の席に座ります。 文字通り暗闇の世界。声が聞こえるだけです。何も見えないと時間の経過がよくわからなくなります。席に着いてからイベントが始まるまでとても長く感じられました。 さて、この日のメニューは、1.タリスカー10年ソーダ割りと、帆立とツブ貝のカルパッチョ2.タリスカー10年ミスト・スタイルと、ベーコンと色とりどり野菜のスープ3.タリスカー10年ソーダ割りのペッパー載せと、サーモンとマッシュルームのBBQ風、羊肉ソーセージ&キャベツの酢漬け4.タリスカー・ディスティラリーズ・エディションのミスト・スタイルと、岩塩載せチョコレート5.タリスカー18年オン・ザ・ロックと、スペアリブ、ダンディ・ケーキ という本格的なものでした。グラスや皿の位置は、スタッフの方がだいたい説明してくれるのですが、料理が何かという説明はあえてありません。口に入れて初めて何かが分かります。真っ暗なのでやはり、フォークやスプーンが使いにくいです。時々手づかみになります(笑)。視覚障害者の方のご苦労が、少しは分かった気持ちになります。 目は見えないけれど、同じテーブルに座った人とは、あれこれ楽しく話しながら、タリスカーと料理を味わっていきます。見えない相手がどんな方なのかなぁと想像するのも一興です(最後にケーキを食べる際、ようやく目隠しを取ってもいいというお許しが出ました)。 改めて思ったのは、我々(の脳)は普段、舌だけでなく、視覚を通じても味を認識しているのだということです。あるソムリエの方は「例えば赤ワインは、舌だけで赤ワインと判断してるのではなく、目で赤だと認識していることに助けられている。色が見えないグラスでブラインド・テイスティングすると、プロでも濃厚なタイプの白と赤を間違うこともある」と言っていました。 何も見えない世界で頼れるのは、ただ、自分の舌(味覚)と鼻(嗅覚)だけです。だからこそ、料理や酒の本当の味を評価できると言えるかもしれません。本当に、興味深い楽しいイベントで、貴重な体験でした。これで無料ですから、本当に申し訳ないくらいです(お土産には、タリスカーのピンバッジを頂きました! スタッフの皆さん、本当にご苦労様でした!!)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/11/08
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