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オーセンティック・バーでも提供されることの多い自家製の「漬け込み酒」。実は何でもかんでも好き勝手に造れる訳ではなく、一応、法的な規制が厳然と存在します。バー業界のプロでも意外と知らないこうした日本国内での法的ルールについて、(以前にも一度書きましたが)改めて最新情報も含めてまとめてみました。ご参考になれば幸いです。 ◆2008年に自家製造のお酒の規制が緩和 バーUKでは、4種の自家製造の酒(しょうがを漬け込んだウオッカ、7種類のスパイスを漬け込んだラム、ザクロを漬け込んだカルバドス、レモンピールを漬け込んだリモンチェロ<ベースはスピリタス>)をお客様に提供していることはご承知の通りですが、友人やお客様から「それって、法律的に問題ないの?」と聞かれることが時々あります。 日本国内では、お酒を製造・販売(提供)するには酒類製造免許が必要です。お酒のメーカーが業として行う「果実や穀物などの原料から酒類を製造する行為」だけではなく、バーや飲食店等がお酒に様々な材料や他のお酒等を混ぜ合わせる「混和」という作業も、法的にはお酒の製造(新たなお酒を造っている)と同じ扱いを受けます。そして、アルコール分1%以上のお酒はすべて課税されます。 従って、バーや飲食店が無許可で自家製のお酒を造って提供するのは、基本、違法行為です。違反した場合は、酒税法第54条《無免許製造の罪》の規定に該当し、10年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます(単なる無許可販売の場合は1年以下の懲役又は50万円以下の罰金=同法第56条)。 しかし現実には、許可を得ることなく自家製の果実酒等を提供している飲食店は、昔からありました。様々な果実やスパイス、ハーブ、コーヒー豆、茶葉等を漬け込んだ自家製のお酒を「店の名物」にしているバーも少なくありません。厳密に言えば、2008年の法改正までは、こうしたバーや飲食店等での「製造・提供行為」は限りなく「違法」行為でした。 国税庁もこれ以上「違法状態」を放置できないと考えたのか、それとも実態に合わせて少し制限を緩和すべきと考えたのか、2008年<平成20年>に租税特別措置法(酒税関係)が改正され、特例措置(例外規定)が設けられました。それは「客等に提供するため酒類に他の物品を混和する場合等、一定の要件を満たせば、例外的に酒類の製造に該当しないこととし、免許や納税等が不要となる」という特例です。 この結果、例えば「焼酎で作る梅酒」「しょうがを漬け込んだウオッカ」「ウオッカにレモンを漬け込んだリモンチェッロ」等は、酒類免許がなくても、バーや飲食店は法的な裏付けを持って堂々と製造し、提供することが可能になりました。 一方、個人が自分で飲むために造る酒(例えばよくある梅酒づくり等)は、かなり昔からとくに法的な規制はなく、旧酒税法(1940年<昭和15年>施行)でも禁止する規定はありませんでした。すなわち、個人の場合は事実上「黙認」状態でしたが、1953年<昭和28年>に施行された新・酒税法で初めて、「消費者が自ら消費するために酒類(蒸留酒類)に他の物品を混和する場合は新たに酒類を製造したとは見なさない」とする特例措置(酒税法43条11項)ができ、めでたく法的にも認められることになりました。 ◆使用が禁止されている穀物や果実に注意 このバーや飲食店等を念頭に置いた租税特別措置法の特例措置についてもう少し詳しく説明しましょう。適用対象は「酒場、料理店等、酒類を専ら自己の営業場において飲用に供する業」であり、具体的には、下記のようないくつかの条件を満たす必要があります。(1)酒場、料理店等が自己の営業場内において飲用に供することが目的であること(2)飲用に供する営業場内において混和を行うこと(3)一定の蒸留酒類とその他の物品の混和であること ※酒場や料理店等が客に提供するために混和する場合だけでなく、消費者(個人)が自ら消費するため(又は他の消費者の求めに応じて)混和する場合も、この「特例措置」と同様の規制を受けます。 また、使用できる酒類と物品の範囲は、以下の通り指定されています(この規定は個人が自分で飲むために造る場合も順守する義務があります)。(1)混和後、アルコール分1度以上の発酵がないもの(2)蒸留酒類でアルコール分が20度以上のもので、かつ、酒税が課税済みのもの(具体的には連続式蒸留焼酎、単式蒸留焼酎、ウイスキー、ブランデー、スピリッツ<ウオッカ、ジン、ラム、テキーラ等>、飲料用アルコール)(3)蒸留酒類に混和する際は、以下に示す禁止物品以外のものを使用すること (イ)米、麦、あわ、とうもろこし、こうりゃん、きび、ひえ若しくはでんぷん、又はこれらの麹 (ロ)ぶどう(やまぶどうを含む)=【末尾注1】ご参考 (ハ)アミノ酸若しくはその塩類、ビタミン類、核酸分解物若しくはその塩類、有機酸若しくはその塩類、無機塩類、色素、香料、又は酒類のかす (ニ)酒類(※国税当局に問い合わせたところ、「蒸留酒、醸造酒を問わず、ベースの蒸留酒と同一の酒類以外の市販の全ての酒類を指す」とのこと) ※なおこの特例措置は、前記のように店内での飲食時に提供する場合に限られ、お土産として販売するなどの客への譲り渡しは出来ません(個人が自宅で造る場合も、同居の家族や親しい友人等に無償で提供することはできますが、販売することは出来ません)。 ◆蒸留酒はOK、醸造酒はダメ 以上のように、例えばバーや飲食店等でよく見かける梅酒は、「蒸留酒である焼酎やウオッカ等(アルコール度数20度以上)に漬け込む」のはOKですが、日本酒は「醸造酒であり、通常アルコール度数も20度未満」ですから、二重の意味でNGです(まれに、度数20度以上の日本酒も存在しますが、バーや飲食店で提供する場合は「蒸留酒」しか使えないのでやはりダメです)。 また、梅酒に自然な甘さを出したいからと言って、氷砂糖の代わりに「麹」を使うのも「(3)の(イ)に抵触する」ため、当然NGです。また、ぶどう類を原料にして自家製ワインのようなものを提供すれば、ベースが醸造酒・蒸留酒等に関係なく、完全に違法行為となります。 さらに、年間に自家製造できる量の上限も、営業場ごとに1年間(4月1日から翌年3月31日の間)に1キロリットル以内と決められています(バーUKの場合は、4種類全部合わせても、たぶん月間で最大2~3リットルくらいなので、全然大丈夫です)。なお、この特例措置を受ける場合は、所管の税務署に特例適用の申告書を提出しなければならないとされています(バーUKも一応、申告書を提出しております)=【末尾注2】ご参考。 ◆「自家製サングリア」の提供は基本NG 気をつけなければいけないのが「自家製サングリア」です。サングリアとは「ワインにフルーツやスパイスを漬け込んだワインカクテル」のこと。アルコール度数も低く、フルーティで、お酒が苦手な女性にも飲みやすいので、「自家製サングリア」を食前酒やカクテルとして提供するバーや飲食店も少なくありません(私も何軒か知っています)。 しかし、ベースがワイン(醸造酒)なので前述した条件の「ベースが蒸留酒」にも「20度以上」というルールにも引っかかり、事前に漬け込むことが一般的なサングリアは、場合によっては「発酵」も起こるので、租税特別措置法の特例措置は適用されません。許可なく製造・提供すれば違法で、刑事罰(前述)が科せられます。 従って、現在の日本国内では、基本、自家製サングリアの提供はNG(違法行為)です。プロのバーテンダーの人でも、この規定を知らない人を時々見かけますので、本当に注意が必要です(ただし、自家製サングリアを公然と、あるいは内緒で提供していたというバーが国税当局に摘発されたという話は、個人的には過去聞いたことはありませんが…)。 なお、お客様が飲む直前にワインにフルーツを入れて提供するような場合については、「店舗内で消費(飲む)の直前に酒類を混和した場合(例えばカクテルのようなドリンク)は、そもそも酒類の製造に当たらない」という特例措置と同等に扱われるため、まったく問題ありません。 ◆目に余る行為でない限り、現実には「黙認」 くどいようですが、日本国内でお酒を製造するには、(そこがバーであろうとなかろうと)酒類製造免許(酒造免許)の取得が義務づけられています。なので免許を取れば、店内で自家製のビールやワイン、そしてサングリアを製造・提供することも法的には可能です=【末尾注3】ご参考。 しかし免許取得には、管轄税務署より「経営状況」「製造技術能力」「製造設備」等の審査、免許を受けた後も1年間の最低製造数量を満たしているか等の審査があります。製造しようとするお酒の種類ごと、また製造所(店舗)ごとに免許が必要です。普通のバーや飲食店等が独自で取得するのはかなり高いハードルがあり、そう簡単ではありません。 現状では、「自家製サングリア」を提供するバーや飲食店は時々見かけますが、それはかなりの部分で「グレーな行為」だと思われます。だが、国税当局は「年間通して常時、公然と一定量を提供したり、お土産で販売したりする」ような目に余る行為でもない限り、事実上「黙認」している状況です(いちいち摘発する手間も大変だからでしょう)。 個人的には、年に1~2度くらいの特別なイベント時なら、事前に申請すれば例外的に自家製サングリアの提供を認めてほしいと強く思います。しかし現状では、何かのきっかけで国税当局が厳しく規制してくることも十分考えられますので、まぁ基本的には、バーでは手を出さない方がいいと考えています。サングリアに近いアルコール・ドリンクを提供したい場合、前述したように、飲む直前にワインにオレンジやレモン、ライムなどのフルーツを加えるしかありません。 ここまで書いてきたことの要点(大事なポイント)をまとめておきますと、バーで提供できる自家製のお酒は、(1)20度以上の蒸留酒を使うこと(2)ぶどう類以外の材料を使うこと(米などの穀物類や麹もダメ)(3)店内で作り店内だけで提供すること(持ち帰り販売はダメ) ということです。この3つだけは常に頭に入れておきましょう。 ◆その場でつくるカクテルはOK では、バーの花形である「カクテル(Cocktail)」はどうでしょうか? バーでのカクテルは通常、お客様の注文を受けてその場でつくられ、飲む直前に提供されます。1953年に成立した酒税法には「消費の直前に酒類と他の物品(酒類を含む)を混和した場合は、前項の規定(新たに酒類を造ったものとみなす)は適用しない」(第43条10項)という例外規定があり、2008年の租税特別措置法の改正でも、この例外規定は受け継がれています。 従って、その場で作ったカクテルを提供することは全く問題ありません。提供の直前につくるカクテルなら、フルーツなどを混ぜても「発酵」することはあり得ないからです。また、店舗前のテラス、ベンチ等は、客がその場で短時間で消費する前提であれば、店舗内と同じ扱いとなります。ただし、店舗内・店舗前に関係なく、自家製酒や作ったカクテル等を容器に詰めたりして販売する(無償譲渡することも含む)などの行為は、「無免許製造」となるのでできません。 なお、個人が自宅においてカクテルを飲む直前につくる場合、家庭内で消費する限りは家族や来訪した友人にも自由に提供できますが、(別の場所に住む)他人の委託を受けてつくったりすると「違法」になるので注意が必要です(当然、販売行為もNGです)。 ◆「期限付酒類小売り免許」も一時制度化されたが… ちなみに、国税庁は2020年4月、コロナ禍で苦しむ飲食業を支援するため、バーや飲食店等が6カ月の期限付きで酒類の持ち帰り販売ができる「期限付酒類小売業免許」を新設しました(現在ではこの制度は終了)。昨年は、この「期限付小売業免許」を取得して、ウイスキー等を量り売りするバーもあちこちで目立っていました。 加えて、国税庁が「カクテルの材料となる複数の酒類や果実等を、それぞれ別の容器に入れて、いわゆる”カクテルセット”として販売することも、期限付酒類小売業免許を取得すれば可能」という見解を示したことを受けて、カクテルの持ち帰り販売(材料別に密閉容器等に詰めての販売)をするバーも登場しました。 ミクソロジストとしてバー業界でも著名なバーテンダー、南雲主于三(なぐも・しゅうぞう)氏は「期限付免許」を取得したうえで、自らの店舗で持ち帰り用のオリジナル・カクテルセットを販売されました。その後は、酒類製造免許を持つ会社とタイアップして、完成品の瓶詰めオリジナル・カクテルの販売(通販がメイン)も始められました。その南雲氏の体験談はとても参考になります(出典:食品産業新聞社ニュースWEB → https://www.ssnp.co.jp/news/liquor/2020/04/2020-0413-1634-14.html)。 ◆出来たこと・出来なかったこと ご参考までに、「期限付酒類小売業免許」で出来たこと・出来なかったことや許可要件等を少し紹介してみます。(1)瓶(ボトル)や缶のままでの販売は可能(※この場合の瓶や缶とはウイスキーやビール、ジン等の未開栓の商品を指す)。(2)来店時にその場で酒類を詰める量り売りも可。量り売りの場合、容器は客側が用意することが前提(店側が容器を用意する場合、容器代の伝票は別にすること)(3)来店前にウイスキー等の酒類を詰めておく「詰め替え販売」は、詰め替えをする2日前に所轄の税務署に届け出をすれば可能。(4)カクテルなどをプラカップに入れて蓋をして販売することはできない。(※ただし、事前にカクテルを材料別に密封容器に詰めておく「詰め替え販売」は、(3)と同様、事前に所轄の税務署に「詰め替え届」を出していれば可能)=【末尾注4】ご参考。(5)量り売りの場合はラベル表示は不要だが、詰め替えはラベルが必要。(6)2都道府県内にまたがる配送は不可。(7)酒税法10条(酒類製造・販売免許を得るための人的・資格要件)に違反していないこと。(8)新規取引先から購入したものは販売不可。既存の取引先からの酒類に限り、販売が可能。 ◆「期限付免許」は2021年3月末で終了 前述したように、期限付免許での「詰め替え届」が出ていれば、カクテルを材料別に密閉容器にボトリングまたは真空パックにしてセット販売することが出来ました。南雲氏は例えば、ジン、カンパリ、ベルモットを密閉容器に詰めて、オレンジピールと一緒にして「ネグローニ・セット」として販売。お客様も自宅で手軽に、プロ並み(に近い?)のカクテルが楽しめたのです。 南雲氏は当時、「小売と同じことをしても価値はない。バーにしかできない売り方が付加価値となります。例えば、ウイスキーのフライト(飲み比べ)セット、自家製燻製とウイスキーのマリアージュセット、クラフトジンとライムとトニックのジントニックセットなど、可能性は無限大です」と大きな夢を描いていました。素晴らしい取り組みだと思いました。 しかし、国税庁はこの「期限付酒類小売業免許」を2度の期限延長を経た後、今年(2021年)3月末を持って終了(廃止)してしまいました。4月以降も継続を希望する場合は、通常の「酒類小売業免許」を申請するように告知しています。コロナ禍がここまで長引くとは思わなかったということもありますが、せっかくの「期限付免許」はコロナ禍が収束するまでは存続させてほしかったし、一方的に終了してしまった同庁の姿勢はとても残念に思います。 その後も南雲氏は、日本国内のバーで、カクテルのデリバリー販売、テイクアウト販売が常時認められることを目指し、様々な団体やバーテンダーと連携して、国税庁への働きかける活動を精力的に続けられています。ぜひ応援していきたいと思っています。 ◆出張バーテンダーの扱いは? 時々見かける(そして、私自身もたまに依頼される)出張バーテンダーっていう営業は、出張先で用意された酒や材料を使ってカクテル等つくる場合においては、法律的な縛りはまったくありません(出張料理人・シェフも同じ条件ならば合法的な行為と見なされます)。厳密に言えば、食中毒を起こさないように注意する程度です。 ただし、出張先(店舗外)で提供するカクテルを、事前に作り置きして容器に詰めていくことはできません。租税特別措置法では、「当該営業場以外の場所において消費されることを予知して(事前に)混和した場合、特例措置にいう『消費の直前に混和した』こととはならず、無許可の酒類製造に相当する」とされています。 要するにバーにおいてのカクテルは原則として、「自らの店の中でつくって提供すること」「注文の都度つくること(作り置きすることはNG)」「注文した人が飲むこと」の3つの条件を満たす必要があり、出張先においても「(出張先は)自らの店と同じ扱いになる」ことも含め、この3条件を守らなければなりません。 以上、長々と書いてきました。2020年1月以降長く続くコロナ禍で、バーを含む飲食店は、非科学的なアルコール規制のために、苦境に立たされています。しかし、ピンチはチャンスでもあります。我々バーテンダーは、コロナ禍が収束した暁に、バー空間で味わうお酒の楽しさをお客様に実感してもらえるように、関係する諸法律には誠実に向き合いながら、より一層の創意と工夫を加えて新しい自家製酒やカクテルを提供していこうではありませんか。【注1】他の果物は混和してもいいのに、なぜ、ぶどう類だけは禁止になっている理由について国税庁は説明していませんが、おそらくは(正式の免許を受けて醸造している)国内のワイン用ぶどう栽培農家=製造業者の保護という観点があるのではないかと考えられています。【注2】特例適用申告書については、店で少量の自家製酒を不定期に提供している何人かのバーのマスターに聞いてみましたが、実際、個人営業の店で申告書を出しているところはそう多くないようです。現実には、少量で不定期ならば、国税当局も事実上「黙認」しているようですが、私は、妙な疑いをかけられるのも嫌なので、一応、法律に従って申告しています。 【注3】アルコール度数1%未満であればビールやワインを醸造するのに許可は必要はありません。市販の自家製ビール(またはワイン)製造キットがこれに当たります。なお、店内に小型の簡易な蒸留器を置いているバーを見かけることがたまにありますが、無許可でアルコール度数1%以上の蒸留酒を造る行為は「違法」になるのでご注意ください。【注4】南雲氏との2020年4月の一問一答で、国税庁酒税課は「カクテルは、仕様がグラスやカップ、プラカップ等で直後に飲むことを前提としている容器であれば(店舗内での)提供」と答える一方で、「結果として客側が持ち帰ったとしても、直ちに販売と言うのは難しい」との見解も示し、蓋のない容器での「テイクアウト」も事実上容認していました。しかし、期限付免許が終了した現在、カクテルの「テイクアウト」販売は残念ながら再びNGになっています。【2025年1月追記】コロナ禍収束後、ここ数年の間に、酒類製造免許を持つメーカーからは、ボトルに詰めたカクテル製品が続々と市場にお目見えしています(有名バーテンダーとコラボしている商品も目立ちます)。しかし消費期限等の制約もあり、現状ではマンハッタン、ネグローニ、マティーニなど度数の高いもので、劣化しやすいジュース類は使用しないカクテルに限られています。この類の「ボトル詰めカクテル」商品が今後定着していくかどうかは、現時点では未知数というしかありません。【おことわり&お願い】この記事は、バーにおける「自家製漬け込み酒」等について、現時点での酒税法、租税特別措置法上の一般的なルールや法的見解等をまとめたものですが、個別具体的な行為や問題についての適法性まで保証するものではありません。個別のケースにおける疑問や法的な問題、取扱いについては、バーや飲食店等の所在地を所管する税務署や保健所にご相談ください(※ご参考:酒税やお酒の免許についての相談窓口 → 国税庁ホームページ掲載リンク)
2021/06/04
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◆大名エリア 【Bar セブン・シーズ】中洲と並ぶ博多の歓楽街・大名は、中洲から地下鉄で2駅、大阪だと梅田から本町くらいの距離。中洲との違いは、地元のマスターに尋ねると、「ホステスがいるスナック、ラウンジが少なく、客層も中洲より10~20歳くらい若い」とのこと。 そんな中洲に、「セブン・シーズ」は昨年の1月にオープンした。遠藤マスターは系列店のBar「オスカー」の出身。うらんかんろは実は、前回4年半前の博多訪問の際、オスカーで遠藤さんとお会いしている。その話をまず披露して、「お久しぶりです。ご無沙汰しています」と挨拶。 「セブン・シーズ」は午後5時オープンなのが嬉しい。遠藤さんはさまざまなカクテル・コンクールで上位入賞を果たされている凄腕のバーテンダーでもある。せっかくなので、S社のカクテルコンペで優勝した作品「ミラノ・ルネサンス」をいただく。そして、優勝のご褒美として欧州旅行をした際、訪れたというパリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の様子などを聞く。 開店間もない時間だったので客は僕一人。前回オスカーにお邪魔した際はあまりお話できなかったので、この日は気さくな遠藤さんと、ゆったりとした時間が過ごせた。まだ30代前半。将来楽しみなバーテンダーと出会えたことがなによりも嬉しい。【Bar オスカー】「オスカー」は1996年、中洲で誕生した。マスターの長友さんは、銀座の有名BARだった「ロオジエ」(現「テンダー」)の出身。うらんかんろは、「ロオジエ」時代に一度お会いして、博多へ帰られ、「オスカー」開業されてからも一度(前回訪問の際)お邪魔した。以来、毎年挨拶状をくださるが、ずいぶん久しぶりの訪問なので僕のことを覚えていてくれてるか少し不安だったが、そんな心配は杞憂だった。すぐに久しぶりの再会を喜んでくださった。 オスカーでは、もちろん長友さんの美味しいカクテルをいただいた。オリジナル・カクテルも考えたが、シンプルなカクテルにこそプロの技が光るとの思いもあって、まずジン・リッキーをお願いする。真っ二つに切った上質のライムを、切断面を上に向けてロンググラスの底に入れ、上から氷を詰める。そしてクラッッシャー用のマドラーを添える。 好みでライムをさらに潰せばさらに果汁が湧き上がる。実にしっかりしたジン・リッキーだ。大ぶりのグラスが嬉しい。2杯目は「レオナルド」(イチゴのシャンパンカクテル)。優しいステアで、旬のあまおうのジュースとシャンパンをしっかりとなじませていく。濃厚な味わいだ。 「14周年なので、オールドボトル、レアボトルをいくつか、1400円ぽっきりで飲んでいただけるキャンペーンもやっています」という長友さんの話に少し心が動いたが、まだまだ夜は長いので、ここは我慢でお別れする。次も系列店で、まだお邪魔したことのない、「パルム・ドール」へ移動しようと考えていたところ、長友マスター自ら「それならお送りしますよ」とわざわざエスコートしてくださった。感謝感激です!【Bar パルムドール】さて、わざわざ博多の大名エリアまで来たからには、やはり、「パルム・ドール」を外しては帰れない。最初は、5軒目くらいに予定していたのだが、オスカーの長友マスターがわざわざ連れて来てくださったので、急きょ3軒目に入れた。新谷マスターとは初対面(のはず)だが、「オスカー」系列店をはしごしてきたせいか、初対面なのになぜか、もう友人のような気がする。 店内は僕の大好きな暖色系の温かい感じのライティング。ブビンガの一枚板のカウンターが実にすばらしい。カウンターに座ると、実に和(なご)むというか、幸せな気分に浸れる。「パルム・ドール」でももちろん美味しいカクテルが味わえるが、いちおう一番の“売り”はモルト・ウイスキーということだったので、おすすめのシングルモルトをストレートでいただく。 会話の流れで、僕が「お土産に明太子の薫製を探してるんですが、製造販売してあるメーカーが今は中止しているらしいので、弱ってるんです」と話すと、新谷マスターは早速、「調べてみましょう」とインターネットであちこち検索し、ついに一軒、薫製を扱っている別のメーカーを見つけてくれた。旅人に優しかった店(マスター)は一生忘れないし、思い出に残る。パルム・ドールもまたぜひ来たいと思える店になること間違いない。【Bar 粋七(いきしち)】半年ほど前に博多でBAR巡りをした大阪のある懇意なBARのマスターから、「大名に行ったら、ぜひ粋七へ。**さんはきっと気に入ると思う」と言われた。行ってみて、そのマスターは僕の好みをよく知っていると思った。和洋折衷のコンセプトを持つ酒場は、僕の好きなジャンルの一つ。 しかし粋七は、西洋風のBARに「和」を乗っけただけの単純な酒場ではない。言葉ではうまく説明できないけれど、インテリアやメニューへのこだわりが面白く、かつ楽しいのだ。和紙風の立体的なライト、バックバーの階段状の和風引き出し。そして、オリジナル・カクテルも異彩を放つものが目立つ(例えば、シトラス・ヴェルモットとオレンジ・ヴェルモットのカクテル「ブランニュー・ハーフ&ハーフ」など)。 一見「いま風」の新しい店かと思ったが、聞けばオープンしてもう12年という。この手の店は流行り廃(すた)れが激しいが、それだけ続いているということは博多っ子の心をしっかりつかんでいるのだろう。「オスカー」の長友マスターと同級生と言う河野マスターは一見、無口でつっけんどんな第一印象だったが、話してみると拍子抜けするほど気さく。時間があればじっくり攻めてみたい店だ。皆さんも博多に来る機会があれば、粋七の不思議な世界をぜひ体感してみてほしい。【MOMOTA Bar】さて、大名でもう1軒、覗いてみたい店があった。我がBAR好きの友人からも勧められた「MOMOTA Bar」。百田マスターは東京・銀座の毛利BARを営む名バーテンダー毛利隆雄さんのお弟子さん筋にあたる。今でも毎年、一週間ほど休みをとって、師匠の店を手伝い、初心に帰ってカクテルを学ぶという。 「毛利さんの店が私の原点です」。近々店内に毛利さんの店の切り絵(成田一徹氏作)を飾るのは、そうした気持ちの表れなのだろう。僕がなによりも感心したのは、腰の低い、謙虚で丁寧な接客・サービスだ。こちらが恐縮するくらい。 さて、そろそろ中洲へ戻る時間が迫ってきたので、ここでは残念だけれど1杯だけと思い、クール・ダウンも兼ねて、ブラッディー・マリーをお願いした。そして出てきたのは、写真にもあるような見事な、マスターのこだわりを感じさせる一杯。遠来のの客をもてなすにはどうすればいいのか、百田マスターさんはしっかりと熟知している。【Bar セブン・シーズ】福岡市中央区大名1-6-11 KNOT HOUSE5F 電話092-771-7117 午後5時~午前2時 日休 【Bar オスカー】同市中央区大名1-10-29 ステージ1ビル6F 721-5352 午後6時~午前4時 日休 【Bar パルム・ドール】同市中央区大名1-14-18 2F 716-7110 午後7時~午前5時 火休 【Bar粋七】同市中央区大名1-13-16 TENJINアーク弐番館4F 716-8271 午後6時~午前3時 水休 【MOMOTA Bar】同市中央区大名1-10-14 MATCHビル5F 714-6077 午後6時~午前4時 月休・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/10
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75.ラスティ・ネイル(Rusty Nail)【現代の標準的なレシピ】(容量単位はml)スコッチ・ウイスキー(45)、ドランブイ(25)、氷 【スタイル】ビルド 「ラスティ・ネイル」は、1960年代初めに米国で誕生したと伝わるウイスキー・ベースのカクテルです。現代のバーでも、「ゴッドファーザー(Godfather)」(ウイスキー&アマレット)、「オールド・パル(Old Pal)」(ウイスキー&ドライ・ベルモット、カンパリ)とともに、ロック・スタイルのウイスキー・カクテルとして不動の人気を誇っています。 さて、ラスティ・ネイルの歴史を紹介する前に、このカクテルに欠かせない副材料、ウイスキー・リキュールの「ドライブイ(Drambuie)」について少し触れておきましょう。 「ドランブイ」は、このカクテル誕生よりも約200年以上前に生まれたとても古い歴史持つリキュールです。1745年に、スコットランド、ステュアート王家のチャールズ・エドワード・ステュアートは、フランスから支援の約束を取り付け、「英ブリテン王国軍」に対して王位継承権を争う戦を起こしました。しかしチャールズは、1746年にカロデンの戦いで大敗。スコットランドのスカイ島へ落ちのびました。 チャールズの首には多額の賞金がかけられましたが、チャールズはなんとかフランスへの亡命に成功します。その際、彼を護衛していた兵士に、褒美として王家秘伝の酒の製法が授けられました。この酒がドランブイだと伝わっています。もっとも、ドランブイが市販されるようになったのは1906年のことですが、この逸話にちなみ、今日でもドランブイのラベルには、"Prince Charles Edward's Liqueur"と印字されています(上記2段落の出典:Wikipedia日本語版)。 さて、現代では「ラスティ・ネイル」と呼ばれるスコッチ・ウイスキーとドライブイのカクテル自体は、1937年の英国産業博覧会(British Industrial Fair)のために、F.ベニマン(Benniman)というバーテンダーが考案したと伝えられています。当初は博覧会の頭文字から「BIF」と呼ばれていたそうです(出典:Wikipedia英語版)。 しかし、その後は米国内や世界各地の米軍基地内のクラブで普及し、その過程では、「D&S」とか「Mig-21」、「Knucklehead」など様々な名前で呼ばれてきました。「Rusty Nail」という名前で定着するまでには、さらに約25年かかりました。 著名なカクテル研究家・David Wondrich氏によれば、「ラスティ・ネイル」と名付けたのは、1960年代初めにニューヨークの社交クラブ「21 Club」で働いていたバーテンダーだということです。その名は、錆びた(ラスティ)釘(ネイル)のような赤茶色したカクテルのイメージから来たという説と、英国のスラングで「古めかしい物」という意味から来ているという説の2つがあります。 「ラスティ・ネイル」の名は、少なくとも1963年には定着していたことが、ドライブイの製造メーカーが当時、ニューヨーク・タイムズに出した広告からも確認できるとのこと(出典:同)。「ラスティ・ネイル」はその後、フランク・シナトラ、ディーン・マーチン、サミー・デイビス・ジュニアらが愛飲したことで全米で知名度を増していきました。 現代でもとても知名度があるカクテルですが、意外なことに、欧米のカクテルブックで紹介している例はそう多くありません。現時点で確認した限りでは、「Mr Boston Official Bartender's Guide(ミスターボストン・バーテンダーズ・ガイド)」(1935年初版刊)の1966年改訂版が欧米での初出例です。そのレシピは「スコッチ・ウイスキー4分の3オンス、ドランブイ4分の3オンス(ビルド)」となっています。 その後も、欧米のカクテルブックで「ラスティ・ネイル」を収録している本はそう多くないのですが、いくつか紹介しておきますとーー。・「Complete World Bartender Guide」(Bob Sennett編、1977年初版刊、1993年、2007年再版)米 スコッチ・ウイスキー1オンス、ドランブイ1オンス(ビルド)・「The Larousse Book of Cocktails」(1983年刊)仏 スコッチ・ウイスキー45ml、ドランブイ45ml(ビルド)・「Cocktails」(Hilary Walden著、1983年刊)英 スコッチ・ウイスキー3分の2、ドランブイ3分の1(ビルド)・「The Book of Cocktails」(Jenny Ridgwell著、1986年刊)英 スコッチ・ウイスキー45ml、ドランブイ45ml、レモンピール(ビルド)・「American Bar(シューマンズ・バーブック)」(Charles Schumann著、1991年)独 スコッチ・ウイスキー40ml、ドランブイ20ml(ビルド) ※2002年刊の日本語版あり ちなみに、氷なしでつくった場合は「ストレート・アップ・ネイル(Straight Up Nail)」と呼ぶそうです。また、ベースのスコッチ・ウイスキーをバーボンに代えると「ラスティ・ボブ(Rusty Bob)」、ライ・ウイスキーなら「ドナルド・サザーランド(Donald Sutherland)」、アイラ・ウイスキーなら「スモーキー・ネイル(Smoky Nail)」というカクテルになるとのことです(出典:Wikipedia英語版)。 「ラスティ・ネイル」は日本にも比較的早く、1960年代の半ばには伝わっています。67年刊行のカクテルブックに早くも登場しています(1964年開催の東京オリンピックの効果も大きかったのでしょうね)。【確認できる日本初出資料】「カクテル小事典」(今井清&福西英三著、1967年刊)。冒頭に掲げた標準的なレシピと同じ(ただし、作り方はステアのショート・カクテルスタイルと、ビルドでのオンザ・ロックスタイルの両方を紹介しています)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/11/20
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久々に、(おそらく4年ぶりで)名古屋でBAR巡りをしました。懐かしい出会い、素敵な出会い…いろいろありました。今回はその報告です。 【酒肆・蘭燈(らんたん)】 名古屋では知る人ぞ知る老舗。今年で開業50年です。実は、前回名古屋へ行った際、行きたいと思って探しても探しても「錦」エリアで店が見つからず、閉店してしまったのかなぁと残念に思っていたのです。ところが調べてみると、5年ほど前に地下鉄で数駅離れた「今池」というエリアへ移転していたことが分かりました。 そして今回、念願叶って、初めてお店にお邪魔できました。錦時代のバックバーや内装・インテリアを「できる限り移築した」こともあって、歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気はほぼ昔のまま。今は2代目の息子さんが店を仕切っていますが、御歳75歳になるというMマスターも健在で店に出ておられます。 移転の理由を聞くと、「いやぁ、最近の錦は風俗が多くなって、街の雰囲気が変わってしまったから…」と。それはともかく、名古屋一の老舗がなくならずに残ってくれていることは素晴らしいことです。老舗なのに格好をつけたところがなく、フレンドリーな接客にもとても好感が持てました。 【Bar 立礼(りゅうれい)】 ここのSマスターは、名古屋の老舗の1軒「オー・ド・ビー」の出身。7年ほど前、「オー・ド・ビー」時代に一度お邪魔して以来、毎年欠かさず挨拶状をくれる律儀な方です。 そして、5年ほど前に名古屋駅前で独立されて自分の店を構えられました。これは一度行ってみなくてはと思いつつ、いつも新幹線に乗っても名古屋は素通りしていくだけで、申し訳ないなぁと思っていました。 立礼も予想にたがわず、素晴らしい店でした。Sさんの接客&トークも相変わらず、冴えていました(トークの旨さは名古屋で一番か)。カクテルも旨くて、名古屋駅にも近いのでとても使い勝手も良く、また来たいと思わせるような店でした。 【Yoshino Bar】 4年前に訪れて、T店長の温かい接客&サービスに感動した店です。前回行った際は、帰ったらすぐ訪店御礼の手紙が来ました。そして、「次回来店の際使ってください」とワンドリンク・チケットが入っていました。Tさんはそういう心憎い気遣いをしてくださる方です。 そして、行けば分かりますが、何よりもTさんのイケメンぶりが凄いのです。映画の主役でもそのままできそうな男前です(女性の方は、一見の価値ありです)。でも、格好いいだけじゃなく、カクテルの腕も一流なんで、ご安心を。 普通のオーセンティックBARにしてはキャパは広く、ソファ席も多いので、グループで行ってもOKです。でも僕はやはり、「1人でカウンターに座って、Tさんとの会話を楽しみながら、美味しいカクテルを味わう」ことをお勧めします。 【Bar・BARNS】 ここも前回訪れた店です。名古屋ではモルトの充実度が一番のBARでしょう。とくにオールド・ボトルとかボトラーズの面白いのとかのコレクションが素晴らしいです。前回行った時は、オーナー・バーテンダーのHさんが、ブレンディドの最高峰「ロイヤル・ハウスホールド」の新旧ボトルの飲み比べなんぞを、とてもリーズナブルなお値段でさせてくれました。 今回は何が出てくるかなぁと思っていたら、サントリーの山崎です。山崎と言っても現行のボトルにはない「PURE MALT」という表記がある、発売当初の山崎です(20年くらい前?)。これを「今の山崎と飲み比べましょうという」というのがHさんからの提案です。 ホスピタリティあふれ、トークも楽しいHさん。だから、いつも賑わっているのは当然かもしれません。BARNSに行くのは3度目でしたが、いつも面白い発見があります。モルト好きの方は、名古屋へ行かれたらぜひBARNSへ。 【Bar・G(ここだけ匿名です)】 ホテルに帰る前に最後にもう1軒と思って、あるBARを探していたのですが、結局見つからず、たまたまその途中で見つけた1軒でした(ここもいちおう、僕のリストでは訪店候補の一つになっていました)。 ただし、行ってみると客層は学生っぽい若い人ばっかりだったのに加えて、スタッフの服装が皆くだけてカジュアルな格好。ネット情報では「オーセンティックBAR」というふれこみだったのに、少々がっかりしました(まぁ値段が安かったので許しましょう)。 まぁ、僕のように30年以上もBAR巡りをしていても、こんな店選びの失敗もたまにはあります(笑)。それも含めてが、BAR巡りの醍醐味であり、面白さです。久々の名古屋のBAR巡りはこうして終了しました。名古屋のマスター、バーテンダーの皆さん、いろいろとお世話になり、本当に有難うございました。近いうちの再会を楽しみしていまーす。【酒肆・蘭燈】名古屋市千種区今池5丁目8-7 電話052-733-6833 午後5時~午前1時 日休 【Bar立礼】名古屋市中村区名駅4丁目27-6 笹島YSビル7F 581-1203 午後5時~午前2時 第1・3日休 【Yoshino Bar】名古屋市中区錦2丁目10-26 水野ビル2F 220-2447 午後7時~午前2時 日祝休 【Bar・BARNS】名古屋市中区栄2丁目3-22 アマノビルB1F 203-1114 午後6時~午前3時(日祝は午後5時~午前1時) 無休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/09/29
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先日、社内の後輩から「ハイ・ボールって、なんでハイ・ボールって言うんですか?」と質問された。うらんかんろ自身、何度か本では読んである程度知ってはいるが、いい加減な返答をするのも嫌なので、「ごめん、正確に答えたいから、また改めて返答するよ」と少し時間をもらった。 そして、この歳になって(笑)、改めて「ハイ・ボール」の語源・由来を調べてみた。その結果は以下の通り(様々なガイドブックや酒造メーカーのHP等を参考にさせて頂いた。この場を借りて厚く御礼申し上げる)。 まず、一番有名なのはアメリカの鉄道の信号機起源説。19世紀初め、開拓時代のアメリカ南部の鉄道では、長い棒の先にボールをつけた「ボール信号機」が使われていた。ボールが上がっていれば「進行(go)」、上がっていなければ「停止(don't go)」という訳。「進行(go)」状態は従って、「ハイ・ボール」と呼ばれていた。 当時、セントルイスの駅の信号係に、ウイスキーのソーダ割りが大好きな人がいて、列車に出発進行の合図を送るたびに、「ハイ・ボール!」と叫んでいた。そこでその飲み物も「ハイ・ボール」と呼ばれるようになったとか。「ボール信号がハイの状態」(=出発進行)は、このソーダ割りのように「早く飲み干し、すぐ出掛けられる」飲み物にぴったりのイメージだったのかもしれない。 この信号機説にはバリエーションもある。信号機は列車だけでなく工事労働者への休憩の合図にも使われていた。労働者たちは休憩時間に好んでウイスキーのソーダ割りを飲んでいた。そこで、その飲み物も当然、信号機の呼び名から「ハイ・ボール」と呼ばれるようになって、さらに定着していったという。 次に、本などでよく紹介されているのが、英国のゴルフ場起源説。ある時、ゴルフ場のクラブハウスでウイスキーのソーダ割りを飲んでいた英国紳士が「これは何という飲み物か?」とマスターに聞いた。 するとちょうどその時、打ち損じのゴルフ・ボールがクラブハウス飛び込んで来て、思わずマスターが 「High ball!!」(高い球) と叫んだのが、由来となってしまったという説。 他にも、炭酸の泡(玉=ボール)が上に揚がっていく様から、ハイ・ボールと呼んだという説や、「高めの直球(HIGH BALL)」は、打ちごろ(=飲みごろで、美味しい)の絶好球という説、「気分がHIGHになる弾丸(BALL)」という説、「丈の高い(HIGH)容器(BOWL)」にウイスキーを注いだ飲みものだからという説など様々な説があるが、米国のバーテンダー養成学校では、「ボール信号機」が語源と教えているという。 なお今日、「ハイ・ボール」と言えば、一般的にはウイスキー&ソーダを意味することが多いが、昔はそうではなかった。例えば、有名な「サヴォイ・カクテルブック」(1930年刊)では、ハイ・ボールについて、「ミディアムサイズのグラスを使い、角氷1個、好みの蒸留酒、リキュールまたはワインをソーダ水で割る。ジンジャー・エールを使ってもよい」と紹介されている。 欧米では、トニック・ウォーター割りもハイ・ボール、水割りはウォーター・ハイボールとも呼んでいた。アメリカで出版された古いカクテルブックでは、ジン・トニックもハイ・ボールとして紹介されている。1930年代頃からは、ウイスキーにレモンやグレナデンシロップ、ビターを加えることが流行し、ソーダだけではなく、ジンジャー・エールやコーラなどに代えたハイ・ボールも飲まれていたという。 日本でもこうした欧米での流れを受けて、昔はウイスキー&ソーダ以外でもハイ・ボールと呼んでいた。サントリーの前身、壽屋時代(1962年以前)の昭和30年代の販促資料を見ると、ベースの酒はウイスキーを指定しているが、「ハイ・ボールはウイスキーをソーダまたは水で割ったもの」とあり、水割りでもハイ・ボールと呼んでいたようだ。 また、うらんかんろが持っている参考文献の中で一番古い「洋酒――ストレートからコクテエルまで」(1957年、佐藤紅霞著、ダヴィッド社刊)では、「ハイ・ボール」について、「普通、ジン、ウイスキー、ラム、ベルモット、シェリー、デュボーネ等を適量のソーダ水で割ったものを言う」と記されている。 ウイスキー&ソーダが「ハイ・ボール」と呼ばれるようになったのは、僕自身の記憶でも、おそらくは1970年代以降のことだと考えている。サントリーも昭和40年以降の広告では、「ウイスキーをソーダで割った『ハイ・ボール』という飲み方がおすすめ」としてPRしている。 ともあれ、今日の日本では「ハイ・ボール=ウイスキー&ソーダ」が定着し、欧米では今日でもウイスキー&ソーダ以外もハイ・ボールと呼んでいるが、ともに、多くの洋酒愛好家に愛されていることには変わりはない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/06/04
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ライフワークの一つとして、古い時代のカクテルのことをあれこれ調べていると、自分でも思わず、「そうだったのかぁー」「へぇー、知らなかった」と驚くことがあります。現代のBarでは「そんなの常識」と思われていることが、調べてみれば意外と(いや、まったく)違っているのです。当然、現代のバーテンダーの皆さんでも、古い時代のカクテルに格別詳しい方以外は、そんな「常識を覆す事実」を存じておられません。 先般出版された石垣憲一さんの名著「カクテル ほんとのウンチク話」(柴田書店、2008年刊)を読んで、驚かれた方(実は僕もその一人)も多いと思いますが、あのマルガリータの有名な「流れ弾伝説」に代表されるように、後世の「つくり話」を「常識」と信じ込まされていることさえあります。 今回は、連載中の「全面改訂版:カクテル――その誕生にまつわる逸話」でも取り上げたカクテルのなかから改めて、「常識のウソ」と歴史的事実のいくつかを、出来る限り詳しく紹介したいと思います(連載内容との若干の重複はご容赦あれ)。 1.マティーニは当初、ジンとドライ・ベルモットではなかった 「マティーニ」という名前が初めて本に登場したのは、石垣氏の著書によれば、1906年、ルイス・マッケンストゥラム(Louis Muckenstrum)氏が出版したカクテルブックと言われています(「パリで1904年に出版されたフランク・ニューマン(Frank Newman)氏の著書『アメリカン・バー』の方が早い」=出典:PBOのHPや欧米の複数の専門サイト=という主張もあるが、後者の本については1907年刊行説もあり、今なお決着は付いていません)。 しかし、古い時代のカクテルブックを見ていると現代とは違って、1930年以前のマティーニは、ほとんどがジンとスイート(イタリアン)・ベルモットでつくられているのです(おそらくは、マティーニがスイート・ベルモットを使ったマルチネス・カクテルにルーツを持つことがその大きな理由でしょうが…)。 1930年代になると、ジン+スイート・ベルモット+ドライ・ベルモット、あるいはジン+ドライ・ベルモットという組み合わせのマティーニ(バリエーション)も誕生していきますが、主流はまだまだジン+スイート・ベルモットでした。ちなみにサヴォイ・カクテルブック(1930年刊)では、マティーニ・ドライ、ミディアム、スイートの3種を同等に紹介していますが、マティーニ・ドライで「ジン3分の2、ドライ・ベルモット3分の1」です。 ジン+ドライ・ベルモットのマティーニが主流になるのは、1930年代後半~40年代以降です。そのきっかけは何だったのかは、僕はまだ正確には把握していませんが、今ではマティーニ材料の定番とも言えるノイリー社のドライ・ベルモットの米国への輸出が本格的に始まったことが大きいようです(このテーマについては、別の機会に改めて考察したいと思います)。 当初はジンとドライ・ベルモットの割合は1:1くらいでしたが、近年は、ますますドライ化の傾向が強まっているのは、ご承知の通りです。最近では、ベルモットは5ml程度しか入れないBarがほとんどです。氷やグラスをベルモットでリンスするだけというBarも結構あります。しかし、個人的にはベルモットの存在感があってこそのマティーニと思います。ジンばかりが自己主張しすぎる極端なドライ・マティーニは、「マティーニであってマティーニでない」と思うのは僕だけでしょうか。 2.アレクザンダーやソルティ・ドッグ、ベースの関する意外な話 これも意外と「プロ」にも知られていない事実です。アレクザンダーと言えば、「1901年に英国のエドワード7世の即位式、あるいは1902年のアレキサンドラ王妃の戴冠式の際に献上されたカクテル」というのが、近年最も信憑性ある説です(出典:上記・石垣氏の著書)で、現代では「ブランデー+クレーム・デ・カカオ+生クリーム」という組み合わせで、女性にとても人気のあるショート・カクテルです。 しかし、1940年以前の欧米のカクテルブックに「アレクザンダー」が登場していれば、ジン・ベースになっていることが意外と多いのです。なかには、「アレクザンダーNo.1、No.2」という形でブランデー・ベースと併記している文献もありますが、それでもNo.1はジン・ベースです。ブランデー・ベースが主流となるのは40年代以降です(主に欧州ではブランデー・ベースが、米国ではジン・ベースが発展していきました)。 ソルティ・ドッグも現代ではウオッカ・ベースが当然ですが、1940年代後半の誕生当初はジン・ベースでした(欧米のカクテルブックでの初出は現時点で調べた限りでは、1953年刊の「ミスター・ボストン・バーテンダーズ・ガイド」です)。 面白いことに、現代ではグラスの縁をスノー・スタイルにしますが、当時は、塩をそのまま放り込んで、グレープフルーツ・ジュースと一緒にステアしていました。 ジン・ベースのソルティ・ドッグはその後、70年代前半まで幅をきかせます。ウオッカ・ベースが登場するのは、手元にある欧米のカクテルブックでは、70年代に入ってからです(このきっかけもまだよく分かりませんが、当時、ブラディー・マリーやチチ、スクリュー・ドライバーなど、ウオッカ・ベースのトロピカルカクテル・ブームが始まっていたことにも影響されたのではないかと推察しています)。 3.ハイボールは必ずしもソーダ割りではなかった Barでハイボールと言えば、日本では通常、(ブレンディド・スコッチ)ウイスキーのソーダ割りを指します。しかし、欧米では、昔から「****・ハイボール」というカクテルは必ずしもソーダ(炭酸水)ではありませんでした。 実際、古い1890~1930年代くらいのカクテルブックでは、ベースの酒はウイスキーにこだわらず(もちろんウイスキーが一番多いですが)、また、水やジンジャー・エールなどで割っても「****・ハイボール」と呼んでいます。 しばしば「ハイボール」の語源として、「ソーダの泡がプクプクと上へ立ち上がる様から」と記しているカクテルブックがありますが、水を使ってもハイボールと呼んでいたことからも、この語源解説はまったく根拠がないことになります(ハイボールの語源については、「カクテルの逸話連載(45)」ご参照を)。 日本でも1950年代までのカクテルブックには、水で割っても、ジンジャー・エールで割っても「****・ハイボール」と呼んでいたのは、欧米の影響の名残でしょう。しかし時代が進むにつれて、「****・ハイボール」という呼称はソーダで割ったロング・カクテルに限定的に使われるようになり、今日に至っています。 4.誕生時のマイタイには、パイナップル・ジュースは入れなかった マイタイと言えば、「トロピカル・カクテルの女王」とも称され、暑い季節の人気カクテルです。1944年に、サンフランシスコのレストラン・オーナー、ビクター・J・バージェロン(Victor J. Bergeron)が考案したと伝わっています(出典:Wikipedia英語版ほか)。 現代の標準レシピは、「ラム+オレンジ・キュラソー+パイナップル・ジュース+ライム・ジュース+シロップ、最後にダーク・ラムをフロート」(出典:NBAオフィシャル・カクテルブックなど)で、シェイクしてクラッシュド・アイスを詰めたサワー・グラス等で供されることが一般的です。 しかし、当初バージェロンが考案したレシピは「ラム+オレンジ・キュラソー+オルジェート・シロップ+ライム・ジュース(シェイクしてロック・スタイル)」で、パイナップル・ジュースやダーク・ラムはありませんでした。 いつ頃、誰がパイナップル・ジュースやダーク・ラムを加えるレシピを考案したのかは、よく分かっていません(なおリサーチ中です)が、現代ではこのレシピが定着してしまいました。パイナップル・ジュースを入れるか入れないかは、好みの問題もあるのでどちらが正解とも思いませんが、バージェロンのオリジナルを味わってみたければ、やはりパイナップル・ジュース抜きで味わってみてほしいと思います。 【下】へ続く。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/05/24
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日曜は家でゆっくり、のんびりしようと思っていたのだが、数日前に訪れた大阪ミナミのBAR「O」のマスターKさんから突然、「メールで送りましたけど、日曜日のテイスティング、来てくれますよね?」とのお尋ねが…。 僕が3月に催したテイスティングの集いにも来てくれたKさん。「これくらいしか御礼できませんが、参加費は要りませんので」との嬉しいお言葉も。メールが来ていたかどうかは記憶になかったが、「響30年(写真左=メーカー希望価格10万5千円)と竹鶴35年(写真右下=同5万円)の飲み比べのほかいろいろあります。S社のブレンダーの方も来てくれますよ」と、酒呑みがそそられる内容。 これは万難を排して顔を出さなければ! 「必ず行くから、よろしくね」と返事しておいた。そして、本日午後2時に「O」に集合。スタートは2時半、三々五々、参加者が集まってくる。ブレンダーのTさんはすでに、レクチャー用のパソコンのセッティングに余念がない。テイスティングをしながら、何やら、スライドを使っていろいろ説明してくれるらしい。 TさんのほかバーテンダーがKさんも含めて3名、そしてS社の営業マンの方、一般参加は僕も含めて6名と意外と少なかった。でも、ゆったり飲むにはちょうどいい人数かもしれない(欠席者が2、3人いたようだが、こんなに凄いウイスキーを一度に飲める機会なんて滅多にないこと。後で悔しがるだろうなぁ…)。 さて、テイスティングの前にまずTさんがウイスキーを含む蒸留酒の歴史、S社のウイスキーづくりの歴史、そしてこの日のメインの酒である「響」の成り立ちについて、スライドを使って懇切丁寧に説明してくれた。 「最初はちょっと簡単に…」と言っていたはずのTさんだが、話し出したら止まらない。熱い語りは休みなく続き、気が付けばあっという間に1時間。芳しい香りの漂うグラスを前にして、「お預け」をくって恨めしそうな顔をしている我々見て、Tさんはようやく気が付いて、「すみません。飲みながら聞いてください」と(Tさんは、最終的には2時間以上しゃべり続けました!)。 ようやく美味しいウイスキーにありつけた僕らは、机の上に並べられたグラスに鼻を寄せて香りを探り、琥珀の美酒を舌の上でころがし、そして喉越しを楽しんだ。 この日登場したのは、冒頭で紹介した響30年、竹鶴35年のほか、山崎蒸留所の4種の原酒(シェリー樽、ミズナラ樽、パンチョン(ホワイト・オーク)樽、スモーキー樽)、それに響17年、カスク・オブ・白州1984年(シェリー樽)、山崎12年、オールド従価税時代、ニュー・オールド、グレーンの計12種(写真左=12本のうち8本が映っています)。 響30年と竹鶴35年という最高峰の銘柄は、これまで飲んだことはなかった。S社のブレンダーが同席しているのに、N社の銘柄というのも奇異に思われるかもしれないが、Kさんは「ブレンダーのTさんたっての希望(響30年と飲み比べたい)もあって、出しました」と語る。う~ん、太っ腹! 全種類を味わった僕の感想はと言えば、響30年も竹鶴35年も確かに柔らかくて、ビロードのような極上の熟成感。例えて言えば、ブレンディド・ウイスキーの「人間国宝」。だが、正直言って、僕がこの日一番見直したのは「響17年」。「30年」ほどの熟成感はないけれど、柔らかさ、滑らかさと、しっかりしたボディ(骨格)とのバランスが実にいい。これまでじっくり飲んだことがなかったので、知らなかった自分が少し恥ずかしかった。 Tさんによれば、「響17年」はシェリー樽、パンチョン樽、スモーキー樽の17年もの、それにミズナラ樽の25年もの、そしてグレーン・ウイスキーとをブレンドしているという。上品で、まろやかな味わいは、かのマイケル・ジャクソンを感動させた「ミズナラ樽がキー・モルトになってから」とも(写真右=和気あいあいと続いたテイスティング。手前左側の後ろ姿、白っぽいジャケットがブレンダーのTさん)。 貴重な銘柄が味わえる機会に誘って頂いたKさん、ほんとに有難う。感謝、感激です。最後までおらず、途中で失礼してすみません(少量ずつとは言え、昼間からこれだけ飲むと、結構酔っぱらってしまって、正直言って、最後の方になると味がよく分からなくなってしまったけれど…(笑))。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2006/04/23
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先日、「最近、Blogに書くネタ探しが結構大変なんだよー」と言う話を、親しいバーテンンダーにしていたら、「こんなネタはどうですか?」と教えられた。 それは、貴方もスコットランド・アイラ(Isle of Islay)島の土地の「生涯貸借権」が得られるという話。あのラフロイグ(Laphroaig)蒸留所=写真左=が、保有する蒸留所内の30cm四方の土地をプレゼントするという”愉快な”キャンペーンをおこなっているんだという。 ラフロイグ蒸留所の公式サイトから申し込めば、誰でもその土地の権利証明書を数カ月後に貰えるのとのこと。うれしがりの僕は、早速トライしてみた。公式サイト内の「ラフロイグ友の会(Friends Of Laphroaig)」というリンクへ飛ぶ。 そしてそのページの指示通り、手元にあるラフロイグのボトルの背ラベルにあるバーコードの13ケタの数字を打ち込むと、申込書のフォーマット(用紙)が現れる。 名前、住所、生年月日、Eメ-ル・アドレス、自己紹介、ラフロイグ歴など、書き込むところが結構あって、少々疲れるが、終わって送信(Submit)すればめでたく完了! 画面はただちに、「Mr. ※※※※、Welcome to Friends Of…」というものに代わり、「Your plot number:269328」という土地番号が送られてきた。ご丁寧に、権利を獲得した土地の衛星拡大写真(写真左=赤い点が僕の土地らしいです)まで!見られる。 蒸留所内の土地のオーナーになったからと言って、地代が貰えるわけではない。単なるお遊びと言ってしまえばそれまでだが、あのアイラ島の小さな土地のオーナーになった気分は、なかなかいいもんだ。 僕より先に会員登録した人の話によると、忘れられた頃送られてきた権利証明書「Lifetime Lease On A Square Foot Of Islay」(写真右)には、こう記されていたという。 「もし貴方が(この証明書を持って)ラフロイグ蒸留所を訪れたら、地代(つまり僕がこの土地をラフロイグ社に貸している形)として、年に1杯のラフロイグが与えられ、その土地にも案内してもらえます。野生生物から身を守る装備一式も提供いたします」と記してあったという。 キャンペーンのチラシには、こんな泣かせる話もあった。ある時、骨壺を持った未亡人がいきなり蒸留所に現れた。彼女は蒸留所の関係者に「夫に与えられた土地へ連れて行ってほしい」と頼み、そして、その30cm四方のヒースの土地にうらうらしく遺骨をまいたのだという。 僕も、死んだら「遺灰を自分の土地(No.269328)にまいてほしい」と遺言に記しておこうかなと思ったが、「残された家族が迷惑するだけやろ」という友人の声を聞いてやめた。 それよりも、近い将来、アイラ島を訪れたら、自分の土地を訪れて、その上に立って、記念写真くらいは撮りたいな。あー早く実現させたいアイラ島への旅。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/11/12
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誰が名付けたか知らないけれど、大阪・北新地には、実力派バーテンダーの「三羽ガラス」と言われている3人がいる。 私のブログでも以前紹介したBar・Kの松葉道彦マスター、そして「エルミタージュ」というBarの田外(たげ)博一マスター(このブログでは未紹介)、そして3人目が、きょう日記で紹介するBar・BESO(ベッソ)の佐藤章喜マスター=写真右下=である。3人は同世代(40代)で年齢も近い。 BESOは北新地に店を構え、ことし10周年を迎えた。私も先般お祝いの週間の際訪れ、ささやかな記念の品を贈った。 店は毎夜、佐藤さんの素晴らしいカクテルを味わいたい客で溢れているが、実は、私が本格的に佐藤マスターと親しくなったのはここ5、6年の話である。 もちろん過去に、関西のカクテル・コンクールで、佐藤さんの見事なパフォーマンスを見たことはあったし、全国大会でも上位に入賞するなど輝かしい成績をおさめていることは当然知っていた。 佐藤さんの店にはすでに、彼のファン=常連客がしっかりついていたので、私のような新参者が入り込む余地はないと思い、時たま顔を出す程度だった。しかしここ数年は、私と友人が不定期で個人的に開いているウイスキー・テイスティングの集いに佐藤さんも参加してくれたりするうち親近感が深まり、以前より頻繁にBESOの扉を開けるようになった(以下の写真3枚は、BESOでつくって貰った素晴らしいカクテルの一例)。 佐藤マスターのどこが凄いのかと言えば、やはり、その独創的で、アーティスティックなカクテルの技であろう。飲んだら凄いカクテルをつくるバーテンダーは数多いが、ヴィジュアルという点でも客も唸らせるカクテルをつくるバーテンダーは、私はあまり知らない。佐藤さんはそんな一人である。 例えば、BESOのハウス・ウイスキーはホワイト・ホースであるが、ウイスキーのハイボールを頼むと、まずホワイトホースを入れたグラスの中に氷を数個入れてステアし、ウイスキーを十分に冷やす。 そしてその氷は捨てて、新しい氷と入れ替え、再度ステアし、ソーダを注ぎ、さっとレモンピール(流れるように美しい所作)。最後にモルト・ウイスキーをひと吹きスプレーする。このモルトはなんと、ホワイトホースのキー・モルトの一つであるタリスカー。ここまで芸の細かいサービスをするBARはちょっとない。 カクテルだって、スタンダードはもちろん、普通のスタンダードではないひと工夫が施されているし、オリジナルも驚きの連続で、デコレーション(飾り)一つとっても、目の前で見事な技を見せてくれる。黒トリュフを浮かべるコニャクベースのマティーニも佐藤さんのオリジナルだが、そんな発想を、誰が思い付くだろうか。 そのマシンガンのようなトークも凄い。うんちくを垂れすぎる訳でもなく、押しつけがましくもなく、客を楽しませる。吹き出る汗をふくのを忘れるくらい話し好きなのだ。体全体を使った激しいシェーキングも、見るものを圧倒する。本当にサービス精神の固まりのような人だ。 東京のバーテンダーにもテクニシャンは多いが、ここまで研究熱心で、凄い人はそういない。佐藤さんはこの業界では珍しい、奄美大島育ちという変わりダネだが、今では大阪を代表する、全国に誇れるバーテンダーだと私は自信を持って言える。 大阪以外の皆さん、大阪へ来たらぜひBESOにお越し下さい。どのカクテルもきっと驚きの連続で、これまで経験したことのないような満足が得られると信じます。【Bar・BESO(ベッソ)】大阪市北区曽根崎新地1丁目2-12 橘ビル4F 06-6345-3848 午後6時~午前2時(土は午前0時まで) 日祝休 ※店名の「BESO」とはスペイン語で「口づけ」という意味だとか。チャージ¥1000【追記】BESOはその後、次の住所へ移転されました。大阪市北区堂島1-3-35 新陽第二ビルB1F 06-4256-6232こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/10/31
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【番外編<上>】から続く5.ギムレットは当初、超甘口カクテルだった ギムレットは現代においては、辛口ショート・カクテルの代表格と思われています。しかし、英国で誕生した当初(1900~1910年代頃)のギムレットは、「プリマス・ジン(若干甘口のジン)+ライム・コーディアル(甘口のライム・ジュース=ローズ社製が一般的だった)」という材料でつくられていました。 ライム・コーディアルはかなり甘口なので、生のライム・ジュースとは似て非なるものです。以前、僕はとあるBarで、実際にこの材料を使って“元祖”ギムレットを再現してもらったことがありますが、現代のギムレットのイメージとはかけ離れた味わいでした。 しかし時代が進み、Barで生ライムが手に入りやすくなると、ギムレットは辛口傾向になります。ジンも、プリマス以外の様々なジンが使われるようになりました。結果、生き残ったのは辛口のギムレット。甘口の“元祖”ギムレットはいつしか忘れ去られていきました。 欧米でも今ではギムレットといえば、辛口です。日本にギムレットが伝わったのは第二次大戦後と言われています(戦前は、味わえたとしても海外駐在の邦人、すなわち商社マンや外交官くらいだったでしょう)。 戦後も長い間、生ライムがとても高価で希少だったため、普通のBarでは生のライム・ジュースを使うことなどはとても望めず、もっぱら合成ライム・ジュースが使われていました。僕自身も、Barで初めてギムレットを飲んだ時は、明治屋かサントリーの合成ライムだったと記憶しています。 今日のように、ほぼどこのBarでも生ライムが扱え、きりっと辛口で爽やかなギムレットが楽しめるようになったのは、1980年代後半からです。かつては1個500円前後もした生ライムは現在では、スーパーでも一年中安定供給され、100円台で買えるようになりました。カクテル好きには、ほんとに良い時代になりました。 6.レッド・アイはほぼ間違いなく日本発のカクテル レッド・アイは、ご存知トム・クルーズ主演の映画「カクテル」(1988年公開=日本では89年公開)でブレイクしたカクテルです。しかし、映画でのレッド・アイは今日の日本で飲まれている標準的なレッド・アイ(ビール&トマト・ジュース)とは違い、生卵も加えるという驚くべきカクテルとして描かれていました(出典:Wikipediaほか多数)。 実は、日本では、映画公開以前からBarで「レッド・アイ(生卵はなし)」というカクテルが飲まれていたという事実はあまり知られていません。この映画が発信源だと思っているBar業界の方も意外と多いのです。 映画の原作はヘイウッド・グールド(Heywood Gould)という方の同名の小説ですが、これが発表されたのは1984年です。しかし日本では、1982年に出版されたカクテルブック(福西英三著「カクテル入門」)にすでにレッド・アイは登場しています。 僕自身の記憶でも、日本のBarでは、70年代後半にはレッド・アイの名は結構知られ始めていたと思います。少なくとも、本土返還前の沖縄では「トマト・ビール」という名前でこのカクテルは飲まれてたという証言もあります(出典:http://webcache.googleusercontent.com/ )。 映画や原作では、トム演じる主人公フラナガンの友人で、バー・マスターのダグが、フラナガンのために生卵入りのレッド・アイをつくる有名なシーンがあります。 ダグがこう言います。「卵を入れずにこれ(レッド・アイ)をつくるアホが世間にはごまんといる。アホどもは、このドリンクの名前の由来は、赤い眼をしている時に飲むことが多いからだという。が、真相はつねに単純で、名は体を表すのだ。こいつ、赤い眼に見えるだろ」。(出典:文春文庫「カクテル」53頁=芝山幹郎訳 ※生卵を落とし込んだトマト・ジュースのビアカクテルを底から見れば、確かに赤い眼ぽく見えます)。 しかし、上記の時期的な理由からしても、これは映画&小説のために考案された「オリジナルなレッド・アイ」であって、今日私たちが味わっているレッド・アイとは基本的に別物であると考えるべきでしょう(WEB情報では、「原作者のヘイウッドが東京のBarで飲んだレッド・アイが忘れられなくて、小説のなかの小道具として使ったらしい」との話もありましたが、真偽のほどは未確認です)。映画は、専門家から酷評されたこともあって、この生卵入りのレッド・アイも、その後米国内でもほとんど忘れ去られてしまいました。 実際、欧米のBarやPubで「レッド・アイをください」と言っても、まず99%通じないそうです。「ロンドンのPubでレッド・アイを頼んだら、『何ソレ?聞いたことないよ』と言われ、『ビールとトマト・ジュースのカクテルだ』と説明したら、ラガー・ビールとトマト・ジュースと空グラスを出され、仕方なく自分でつくった。店員さんは不思議そうな顔をしていた」というエピソードを掲示板で紹介する人もいました(出典:http://www.misichan.com/cocktail/d/cocktail134.html )。 米国でもレッド・アイがさほど知名度がないことの裏付けとしては、ヤフー米国版のQ&Aのページ「Is there a name for tomato juice with beer? 」(http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20080905163600AA3Wwim )が面白いです。ほとんど誰も名前を知りません(写真右=映画「カクテル」(C)ワーナー・ブラザーズ)。 日本のカクテルブック等では、レッド・アイを欧米発のカクテルと紹介しているケースが目立ちますが、僕がリサーチした結論としては、レッド・アイはほぼ間違いなく日本生まれのカクテルで、「二日酔いの血走った目」というイメージから名付けられたのが正解ではないでしょうか。それが何らかのルートで「カクテル」の原作者グールドに伝わり、アレンジされて映画にも登場したのではないかと僕は想像しています。 こうした見解を裏付けるかのように、70年代以降の欧米のカクテルブックで、この「レッド・アイ」というカクテルを紹介している文献は調べた限りでは、まったくありません。「Red Eye Cocktail」と打ってグーグルで検索しても、欧米のサイトではほとんどヒットしません。英国の専門サイトが唯一、日本とほぼ同じレシピのレッド・アイを紹介していましたが、面白いのは、そのページの掲示板に、「生卵を入れないとレッド・アイにはならないよ!」というユーザーのコメントがあったことです(出典:http://www.cocktail.uk.com/Cocktail-Recipe/Red-eye.htm )。 欧米のWEBサイトでは、映画の「レッド・アイ」をそのまま紹介していたり、生卵入りレッド・アイを「レッド・アイ・ア・ラ・カクテル(Red Eye a la Cocktail)」という別名で紹介したり、日本版レッド・アイのレシピにさらにウオッカを加えたレシピ(日本では「レッド・バード」という名のカクテル)にしたり、日本でレッド・アイを飲んだ外国人が母国でその驚きを紹介していたり、アサヒビールが2012年6月に売り出した缶入りのレッド・アイを話題にしていたりと様々ですが、まぁその程度のレベルです(出典:Google「Red Eye Cocktail」)。 ちなみにWeb上でみる限り、欧米でのビールとトマト・ジュースだけのカクテルの呼び方は「レッド・ビア(Red Beer)」「トマト・ビア(Tomato Beer)」「レッド・ルースター(Red Rooster)」「ブラッディ・ビア(Bloody Beer)」など様々です(「レッド・ビア」が多数派という)が、どれをとってもさほど有名ではありません(出典:Yahoo! Answers英語版、Wikipedia英語版)。 7.昔のカクテルはぬるいのが普通だった Barにも製氷機が当たり前にある今日、私たちはどこのBarへ行っても冷たいカクテルが楽しめますが、1920年代以前は、カクテルといえばそう冷たい飲物ではありませんでした(欧米では今も、英国のPubのように、氷を少ししか入れないぬるいカクテルを出すところもありますが…)。 近代カクテルが誕生したと言われる1850~60年代、欧米では簡単な仕組みの製氷機が登場したばかりで、高価なこともあって小さなBarやPubで備えているところはほとんどありませんでした。ドイツのカール・リンデ(Carl von Linde)=写真左((C)The Linde Group)=が初めて本格的な業務用製氷機を発売したのが1879年で、欧米の飲食業の現場で製氷機が普及したのは1910~20年代以降と言われています。 それまでは、冬場に凍結した川や湖から切り出した氷を氷室(ひむろ)で保管し、BarやPubでは木製の冷蔵庫を使って保管していたようで、もちろん量も限られ高価なため、カクテルに好きなだけ使うなどはとてもできませんでした。したがって、マティーニやマンハッタン、ロブロイ、ギムレットなど、現代でも人気の古典的カクテルと言えども、誕生当初は、かなりぬるい状態で味わっていたのが実態だったと思われます。 1920年以前のカクテルに生卵(卵白や卵黄)を使うカクテルが多かったのは、キリっと冷えたカクテルを楽しむなど簡単には叶わなかった時代に、カクテルを飲みやすくするために、まろやかな味わいを演出しようとしたバーテンダーならでは工夫だったのでしょう。 ちなみに、1860年(万延元年)、日本で始めて誕生した横浜ホテルのBarでは当然、天然氷を使っていて、木製の保冷箱のようなもので保管していたようですが、どのくらいの時間溶けずにもったかは想像に難くありません。街場にBarができた明治末期~大正時代でも事情はそう変わりませんでした。大きな氷を入れて冷やす木製冷蔵庫は登場していましたが、氷が貴重品であったことには変わりはありません。 日本に米国製製氷機が初めて輸入されたのは1920年代末ですが、家が一軒買えるほどの値段だったため、当初は一流ホテルか一部の金持ちしか持つことができませんでした。国産の業務用製氷機が普及し始めるのは1950年代後半です。現代では「ぬるいカクテルなんてカクテルじゃない」と思いがちですが、1920~30年代に生きていた人たちがもし現代のBarにタイムスリップしたら、「カクテルが冷たすぎる!」と驚くに違いありません。 <完>【御礼】昨年6月以来続けてきた「【全面改訂版】カクテル--その誕生にまつわる逸話」は今回で終わります。成田一徹さんの急逝や偲ぶ会開催に伴う繁忙のため、途中中断を余儀なくさせられましたが、バー関係も含む友人の励ましもあって、ゴールにたどり着くことができました。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。この連載がバー業界に働く皆さんのお役に立てば、これに勝る幸せはありません。
2013/05/28
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前回の続き、「一気に蔵出し!」の<下>です。2012年1月以来、訪店した主なBarを紹介します。初めてじゃない店も交じっていますが、何卒ご容赦を。原則、訪問順にアップします(写真は一部の店だけです。すみません)。※営業時間、定休日等はお手数ですが各店へお尋ねください。 まず、冒頭の東京の5軒(21~25)のオーナーはすべて、神戸での成田一徹さんを偲ぶ会にご参加くださいましたので、その御礼も兼ねてお邪魔しました。21.バー・テンダリー 一徹さんがとても愛したバーでしたが、僕は残念ながらまだ行ったことがありませんでした。今回、東京出張の機会に初めてお邪魔できました。女性オーナー・バーテンダーMさんの素敵な人柄は、一徹さんからもよく聞いていました。お店は想像通りの素晴らしい雰囲気で、もちろんMさんの接客も最高。「バーは人なり」と一徹さんはよく言っていましたが、最後はやはりオーナーの人柄がすべてだと改めて思いました(東京都大田区大森北1-33-11 2F 電話03-3298-2155)22.バー・草間ギンザ ここも一徹さんが愛したバーでした。帝国ホテルで修業して、その後銀座で独立されたKさん。苦労人で、接客・サービスにも熱い信念がにじみ出ています。カクテルも美味しくて堪能できました(東京都中央区銀座7-7-6 アスタープラザ・ビルB1F 電話03-3571-1186)23.バー・オーチャード・ギンザ Mマスターとは2006年、一徹さんが「神戸の残り香」の出版記念パーティーを神戸のホテル・オークラで開いた際からの付き合いです。当時マスターはオークラに勤めていました。今では、液体窒素を使うなど斬新なアイデアでのフルーツ・カクテルでバー業界でも注目を集める存在です。同じくカウンターに立たれる奥様も凄腕のバーテンダー。会話も含めてとにかく楽しい店です(東京都中央区銀座6-5-16 三楽ビル7F 電話03-3575-0333)24.バー・FAL とても物腰の柔らかい接客や言葉遣いは、Hマスターが京都出身なのからでしょうか? 銀座には素敵なバーがいっぱいありますが、「居心地の良さ」という点では、最近では僕のナンバー1です。一徹さんもHさんの人柄にほれ込んでいました。オールド・ボトルへの造詣の深さに加えて、銀座とも思えないような良心的な料金。そうした心意気がとても嬉しいのです(東京都中央区銀座8-10-16 進藤ビル2F 電話03-3575-0503)25.酒向バー 元々霞が関で「ガスライト」というお店の店長だったSさんが独立、オープンされた店です。なかなか行けなかったのですが、今回初めてお邪魔できました。Sさんも成田さんとは古い付き合いでした。SさんはNBAのコンペで全国優勝をされたくらいの実力者ですが、そんな実績はひけらかさない謙虚で、あったかい人柄でした(東京都中央区銀座8-5-1 プラザG8 4F 電話03-6280-6835)26.呂仁タバーン 守口という大阪のはずれにあるけれど、本格的な酒場です。オーナーTさんはバーボン博士と言われるくらい凄い人で、お店のバーボン・コレクションはおそらく関西一。しかし、僕が何よりも好きなのは、Tさんの親しみやすい人柄です。エジンバラでムール貝とステーキのレストランを営む娘さんの店にも先般お邪魔しました。そんな訳でより身近に感じてしまいます(大阪府守口市本町1-2-2 電話06-6997-3200)27.バー・ヴィクトリー 僕が心から尊敬するバーテンダーKさんが営む沼津の老舗です。一徹さんもKさんが大好きで、生涯に7回も切り絵にしました。何度お邪魔しても、Kさんの物腰低い、丁寧な接客・サービスから教えられることが多いです。カウンターやステンドグラスの窓など、ただただ「素晴らしい」と言うしかありません。沼津まで足を運んでも絶対に損のないバーです(静岡県沼津市八幡町125 電話055-962-0684)28.バー梅邑(うめむら) ヴィクトリーのすぐそばにあり、元々はヴィクトリーのKさんが働いていた老舗です。一徹さんからこのお店の名前は聞いていましたが、お邪魔するのは初めてです。見たことのない切り絵原画が店に飾ってあることにも驚きました(沼津市上土町50 電話055-963-0248)。29.永楽倶楽部バー・コーナーバーのチーフ・バーテンダー福島勇三さんは御歳86歳なのに、先般、神戸の偲ぶ会までわざわざ来てくださいました。人格、人柄ともに素晴らしい方で、福島さんの顔を見に行くだけでも値打ちのあると思います。早稲田OBのための会員制施設とのことですが、一般利用もできるようです(東京都千代田区永田町2-12-4 赤坂山王センタービル7F 電話03-3580-0046)。30.サボイ・ニーニョ 神戸サヴォイ・グループの1店。女性店長が仕切っていますが、久々にお邪魔しました。小さくて可愛い、穴場的、隠れ家的なバーなのがウリです(神戸市中央区三宮町3-9-4 電話078-331-2275)31.クラブ・デゼール 先斗町の路地にある、穴場のバー。バックバーの棚に置いてるお酒もオールドボトルがほとんどというマニアックな店。初めて行くにはとても勇気が要りますが、一見の価値のある店です。男前で、かっこいいHマスターが営んでいます。なぜか一徹さんも密かに愛して、切り絵にもしています(京都市中京区木屋町四条上ル 十三番路地東入ル北側2F 電話075-221-8496)32.バー・まぼろし 天満で面白い店があると聞いてお邪魔しましたが…。一徹さんも生前、一度行ったことがあるそうです。着物を着た女性オーナーが営んでいる怪しげな雰囲気の店ですが、常連度が高くて、若干スナックっぽい感じもして、バーというには?でした(大阪市北区天神橋5-3-12 2F 電話06-6881-2283)33.バー・BABY 新世界と言えば、ここに来ずしてどうするという老舗。Tマスターは相変わらず元気で、温かく迎えてくれました。ユカリさんの5月の通天閣ライブの後、お邪魔したのですが、店の閉店間際に有名芸能人の御一行がやって来て、一緒に写真を撮れたのが嬉しかった(笑)(大阪市浪速区恵比須東1-6-11 電話06-6641-7192)34.バー・7th 堺の老舗「街のあかり」で修業したAさんが独立してオープンした店。日本最高峰のビル「ハルカス」が出来たり、大阪でいま一番注目のアベノという立地です。若いのにとても礼儀正しく、言葉遣いも丁寧なAさんは、僕の「いち押し」のバーテンダーです。きっと地元で多くのお客さんに愛されていくに違いありません(大阪市阿倍野区松崎町3-17-13 電話06-4399-7555)35.バー・トライベッカ 明石よりもさらに西、加古川という離れたロケーションにあるバーですが、一徹さんが結構古くから付き合い続けた店です。ずっと気になっていて、一度行ってみたいと思っていましたが、ようやくお邪魔できました。想像以上のオーセンティックなバーで、マスターも気さくで親切な方でした(兵庫県加古川市平岡町新在家2-268-12 せぴあはうす2F 電話079-427-5166)36.バー・ブリック 以前別のバーでお世話になったOさん(女性です)がオーナーとなった店です。丁寧な接客とカクテルづくりで定評のあるので、独立後も繁盛していて、満席では入れないこともしばしば。成田さんも彼女のことが大好きでした。その成長ぶりをきっと天上から喜んで見ていると思います(神戸市中央区中山手通1-14-3 リンビル1F 電話078-333-0026)37.スタア・バー 有名なバーテンダーで、NBA(日本バーテンダー協会)の会長もされている重鎮・岸久さんのお店です。久しぶりに訪れました。岸さんも神戸の一徹さんの偲ぶ会に来てくれたのでその御礼も兼ねてだったのですが、カウンターの僕の前に来た岸さんは、ほんまに話し出したら止まらないという感じで、僕もかなり独占してお話できました。「一徹さんの功績をNBAとしても今後しっかりと後輩たちに伝えていきたい」と熱く語ってくれたのが嬉しかったです(東京都中央区銀座1-5-13 三弘社ビルB1F 電話03-3535-8005)38.モンド・バー 一徹さんがらみで用事があって、かなり久しぶりに寄りました。お値段はかなり高めの店です(勘定書をみて目が点になりました)。用事がなければ、次行くことは、まずないかなぁ(笑)(東京都中央区銀座8-11-12 正金ビルB1F 電話03-3574-7004)39.バー・ライムライト 北新地BESO出身のIさんが独立、オープンしたバー。大阪・梅田から電車で20分ほどの茨木という立地にも関わらず、早くも地元に人たちに愛されて繁盛している。「ノーチャージで頑張る」という心意気も嬉しい(大阪府茨木市双葉町2-3 ツインリーブス1F 電話072-601-0261)40.バー・山谷 兵庫県西宮(最寄駅JR甲子園口)の店です。この辺りにようやくオーセンティックなバーが出来たのはとても嬉しいのですが、Tシャツ・短パンの客も訪れるローカルな立地で、チャージが500円。強気の商売で大丈夫かなぁと少し心配になりました(兵庫県西宮市甲子園口3-21-5 1F 電話0798-64-2800)41.バー・BEE ここの訪問記は、先般ブログでも詳しく書いたのでいちおう行ったという記録だけ。最後の日々、向島で一徹さんはどう過ごしていたのか。次回お邪魔した時は、マスターのYさんからもっと話を聞いてみたいなぁ(東京都墨田区東向島2-20-6 電話03-3610-5508)42.バー・よつば 肥後橋のバー立山、福島のバー・カモメで修業したHさんが独立、オープンしました。選んだ立地はやはり福島でした。美味しい食べ物屋さんが周囲にいっぱいある福島なので、こういうショット・バーは貴重です。白を基調にした漆喰の内装(地中海風?)も素敵です。午後4時オープンというのも酒呑みには嬉しいなぁ(大阪市福島区福島7-4-28 向井ビル2F 電話06-6453-1818)43.バー・富美家 ミナミの老舗バーを受け継いだKさん。久しぶりにお邪魔したけれど、とても礼儀正しい接客は相変わらず。表の喧騒も聞こえてこない静かな雰囲気が嬉しい店です。僕は最近、なかなかミナミには飲みに行けないんですが、ミナミ周辺にお住まいの方、おすすめですよ(大阪市中央区東心斎橋1-15-11 日宝周防町エレガンスビル 1F 電話06-6243-1847)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/15
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先週末、仕事で四国・松山へ行く用事があり、再び、BAR巡りをしてまいりました。まずは、BAR巡りの前の腹ごしらえ。地元の友人に教えてもらった「さかな工房 丸万」=写真右=という魚料理のお店へ。 祇園町という市中心部の盛り場から少しはずれた、若干「場末感」が漂うエリアに店はあった。明治12年創業の老舗の魚屋さんの経営で、現在の大将は4代目という。店に入って驚かされるのは、カウンターの目の前が魚屋さんの陳列棚のようにディスプレーされていること=写真左下。 タイ、ノドグロ、サヨリ、ウオゼ(愛媛ではアマギと言うとか)、ウマヅラハギ、カンパチ、マナガツオ、ハタハタなど数えただけでも20種類近い魚が氷の上にてんこ盛り状態。ウチワエビ、イカ、サザエ、トコブシ、アサリなどの甲殻類、貝類も豊富だ。 この魚や貝類を見ながら、どれを食べたいかを選び、さらにどんな調理法が一番美味しいかを尋ね、それでメニューを決めていくという贅沢。で、我々が食べたのは、刺身の盛り合わせ、ウチワエビの刺身(これがイセエビみたいに身が甘くて美味!)、ハタハタの唐揚げ、キスの塩焼き、ウマヅラの煮付け、サザエの壺焼き、トコブシのバター焼き等々。 お値段も都会じゃ信じられないくらい良心的。市中心部から少し遠いのに、これだけ繁盛している理由もわかる。友人も「人にあまり教えたくない店」と言っていた。皆さんも松山へ行く機会があったらぜひお越しを(事前の予約は必須ですぞ)。 この夜の1軒目は、まずワインBAR。先の「丸万」からは中心部へ戻りながら歩いて5、6分ほど。「ワインセラー・ヤマモト」というお店。お店と言っても、看板も何も出ていない。入り口に見逃してしまいそうな立て看板が一つあるだけ。 入り口の店内側には酒の段ボール箱が山積みになっていて、店内の様子はまったく見えない。しかも薄暗い。「ほんまに営業してるの?」という感じなのだが、店に入ってすぐ左側の階段を下りると、別世界。確かにそこはワインBARでした=写真右下。 実はここ、かつては酒屋さんの倉庫だったとか。店内の壁には、ワインの収納・運搬用の木箱が天井まで所狭しを山積みにされていて、それがまたいい雰囲気を醸し出している。店は交通量の多い道路の側(そば)にあるが、店内は意外と静かで、喧噪はここまでは聞こえない。 僕らは店主おすすめのグラスワインを数杯頂きまがら、居心地の良い時間を過ごす。店内が少し寒いのは、ここがワインのセラー(保管庫)でもあるから。店主は「寒かったら、そのジャンバーを来てくださいね」と、僕らの背中側に立っている洋服掛けを示した。 ここではグラスでも(品数は限られているが)、ボトルでもワインを楽しめる。しっかりしたフードもあれこれある(店主のお母さんご自慢の手料理らしい)ので、お腹を空かせて行ってもOK。また松山に来たら、訪れてみたいBARだけど、わかりにくいので無事にたどり着けるかがちょっと心配だ(笑)。 さて、2軒目は、昨年11月に松山へ行った際、初めてお邪魔した「Bar・JuJu」を再訪=写真左下。人気店で金曜日とあって、ほぼ満員。店に向かいながら事前に電話でカウンターの席をおさえておいて良かった。 再会したマスターとご挨拶して、早速「予約席」へ。「JuJu」は、お酒の品揃えやフード・メニューがとても充実しているのが嬉しい。この「JuJu」で同行メンバーが1人増えたこともあって、サーモン・パイとトマトソース系のパスタ、バゲットを注文。 僕らは「丸万」でしっかり食べてきたはずだが、「JuJu」の美味しいそうな料理を前にすると抵抗もできず、一緒に分け合う。久しぶりの「JuJu」では、ホット・ラム(この夜松山はめちゃ寒かったので)数杯を飲んで、その後、モルトウイスキーを頂く。 「JuJu」はお酒やフードの充実度で言えば、大阪キタのBarのクルラホンに近い。クルラホンと違うのは、店の広さと店内のライティングか。「もう少し暗めの方が雰囲気も出てええと思うんだけど…」とFマスターに言ったら、苦笑しながら「あんまり暗くすると、フルーツや生ハムがうまく切れないんですよ」と。 確かに、カウンターの端には生ハム用のイベリコ豚の足が鎮座している。客の目の前で、フルーツ・カッティングなど細かい作業をする分、暗いライティングはしたくても出来ないのだろう。余計なこと言ってごめんなさい、マスター。 「JuJu」はこれからも何度でも来てみたいと思える店だ。訪れるたびに違う、新しい発見が期待できそうな店だ。この夜は店がめちゃ忙しかったので、Fマスターとあまりお話ができなかったのが残念だが、楽しい時間は過ごせた。帰り際、マスターは「またブログ見ときますからね」と言ってくれた。そう言われたら、やはりすぐ報告を書かねばならないと思って、こうして綴っている。 さて、1軒目の「丸万」でちょっと時間を使い過ぎてしまった分、もう日付変更線に近くなってしまった(いつも松山では必ず寄っていた「Bar露口」は午前零時閉店なので、今回はもう無理だなぁとあきらめる。「露口さんご夫妻、すみません! 次回は必ず寄りますから!」)。 今回の松山行では、最後にもう1軒、お邪魔してみたいBAがあった。「JuJu」からも歩いて数分のロケーション。しかし、店の前辺りまで来ても、それらしい看板が見当たらない。やむを得ず店へ電話する。 「四つ角の中華の店の前にいます」と言うと、数分後にマスターがどこからとなく現れた。なんと中華店の目の前の、角のビルの2階にあるという。でも表に看板は出ておらず、そのビルの2Fへ上がる階段の途中に小さなサインがあるだけ。ある方がネットで記した訪問記でも、「ものすごく見つけにくい」と書いてあったが、確かにその通り。 BAR店の名前は「独奏(「DOKUSOU」とも表記)」という=写真右。田代まさしがアフロの長髪をしているような独特の雰囲気のマスター。聞けば、この店を持って2年だが、その前に雇われで6年ほど働いたという。 店の名前は以前は「独創」だったが、オーナーとなった時に「独奏」に変えたという。「以前の店の名前で知ってる人も電話してくるから、電話で返事するとき、『はい、どくそうです』と言えば済むので便利でしょ」と面白い返答をしてくれるマスター。 マスターは基本的には寡黙で、一見、無愛想で厳しいそうに見える。しかし、ひとたび会話を始めると、話の“間”が抜群で、ボケるトークもまた巧みだ。だからカクテル一つ頼んでも、出来てくるまでが一筋縄ではいかない(笑)。 酒はフルーツ・カクテルとバーボン(それもオールド・ボトルもいっぱい)にこだわり、(真偽の程は確認しなかったが)生ビールやワインや焼酎は置かない、フードもほとんどないとか。その一方で瓶ビールやウイスキーの品揃えは、松山でも群を抜くという。ネットでは「少し独特の雰囲気を持ったマスターは、客側にも好きか嫌いにはっきり分かれるだろう」との表現もあったが、僕も確かにそう思う。そして、僕にとっては「好き」なタイプのマスターだ。 この夜、僕らは主にフルーツ・カクテルを中心に頼んだ。せっかくだからと、「バーボンをベースにしたカクテルを」と頼むと、ミント・ジュレップにイチゴのフレッシュ・ジュースを加えたオリジナルをつくってくれたが、これがまた絶品だった。「独奏」という店名は、このBARの素晴らしさを実によく表しているかもしれない。松山に来る楽しみがまた増えた。 【さかな工房 丸万】松山市祇園町3-21 089-921-7242 午後5時半~11時 不定休 【ワインセラー・ヤマモト】松山市河原町139 945-0303 営業時間&定休日? 【Bar JuJu】松山市一番町2-4-2 モナーク2F 932-4536 6時~2時 日休 【Bar 独奏】松山市二番町2-2-3 まるはビル2F 935-6800 6時~深夜 不定休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/03/28
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日本のフォーク、ロック、その黎明期を振り返る ◆歌謡曲、演歌、民謡しかなかった邦楽の世界に いま振り返ると、1960年代後半から70年代後半の約10年間は、日本の音楽シーンにとっては、とても重要な時期だったように思います。 60年代後半、それまで歌謡曲、演歌、軍歌、民謡くらいしか聴かれなかった邦楽の世界に、まずフォークというジャンルの音楽が登場します。70年代に入るとフォークは、フォーク・ロックという方向へ発展し、そして初めて日本語で歌うロックが生まれ、その後「ニュー・ミュージック」という新たなジャンルが生まれていくという、まさに新感覚の邦楽の黎明期でした。 この60年代後半から70年代初めにかけては、「米国の音楽に負けるな!」と、情熱あふれる若いアーチストたちが数多くデビューし、職業作詞家・作曲家に頼らず、自分たちの感性でメロディーや詩をつくり、歌うアーチスト(シンガー・ソングライター)が輝きを持ち始めた時代でした(歌謡曲の世界でもその後、職業作曲家が洋楽のセンスを織り込んだ和風ポップスの曲を生みだしてゆきます)。 先日、ある友人から、当時の音楽シーンはどういう状況だったのかを尋ねる質問を受けました。そこで、私の記憶や印象に今も残り、多大な音楽的影響を受けた歌手、グループを、当時のレコードレーベルも含めて、そして私自身の音楽遍歴も交えて振り返ってみました(データは一応Wikipediaなどで確認しましたが、正確性の保証はありませんので、悪しからずご了承ください)。 ★1965~69 ◆まずフォークから始まった 1960年代後半、日本にフォーク・ブームが起きます。そのきっかけとなったのは、60年代半ばに米国から伝わったPPM(ピーター・ポール&マリー)やジョーン・バエズ、ブラザース・フォー、ボブ・ディラン、キングストン・トリオらのレコードでした。小学校5年生で初めてギターを買ってもらった私が、まず始めたのもPPMの曲のコピーでした。 まもなく日本ではマイク真木が歌う「バラが咲いた」(1966年)やブロードサイド・フォーの「若者たち」(同)、森山良子の「この広い野原いっぱい」(1967年)が大ヒットし、大学ではカレッジフォーク・ブームが起きて、フォーク・ソング同好会やサークルが次々と誕生していきました。 加山雄三がフォーク路線を狙って「旅人よ」を出したのもこの頃でした(ビートルズも64、65年頃には日本で人気を得ていましたが、ビートルズから直接影響を受けて誕生した、オリジナルを歌う歌手やバンドというものは、残念ながらこの頃まだ登場しなかったと記憶しています)。 一方、関西では、思わぬ形でフォークが注目を集めるようになります。1967年12月、京都の大学生3人(加藤和彦、はしだのりひこ、北山修)からなるフォーク・クルセダーズ(通称フォークル)というグループがメジャー・デビュー。デビュー曲の「帰ってきたヨッパライ」は爆発的にヒットし、オリコン初のミリオン・セラーとなりました。 このコミック・ソングのようなデビュー曲は、私はあまり好きではありませんでしたが、その後の発表された、「悲しくてやりきれない」「イムジン河」「青春は荒野をめざす」はお気に入りで、友人と一緒にやっていたフォーク・バンドでもレパートリーにしていました。当初「1年限りのプロ活動」を公言していたフォークルは、68年10月に解散しました。 (加藤は解散後、サディスティック・ミカバンドやソロ歌手としてあるいは作曲家として活躍したが、2009年に自殺。はしだの「その後」は本稿の「はしだのりひことシューベルツ」で後述。京都府立医大の学生だった北山は、解散後は芸能界とは距離を置き、九州大学医学部教授も歴任、精神科医・エッセイストとして現在も活動している) ◆反戦・平和、そしてプロテスト・ソング 1968年になると、ベトナム反戦運動や反安保闘争がさらに活発化してきます。フォーク歌手のなかにも、娯楽的な歌詞から一線を画し、社会的、政治的メッセージの色濃いプロテスト・ソングを歌う人が増えてきました。曲も自分たちでつくるシンガー・ソングライターが次々と登場してきます。 69年には、「URC(アングラ・レコード・クラブ)」という関西フォークを発信する独立系レコードレーベルが誕生します。URCは社会性の強いアーチストを発掘したのが特徴でした。この頃、活躍し始めた歌手やグループには、高石ともや、五つの赤い風船、中川五郎、岡林信康、高田渡、斎藤哲夫、遠藤賢司、加川良らがいました。このなかで、私が一番好きだったのは岡林信康です。 岡林のセカンド・アルバム「見る前に跳べ」とサード・アルバム「おいら、いち抜けた」は今でも、凄い名盤だと思います。後に“路線転向”した岡林ですが、この頃は反戦・反権力をメインテーマにしていました(「見る前に跳べ」では、後の、はっぴいえんどがバックをつとめていました)。当時、大阪の「春一番」ライブや、中津川のフォークジャンボリーは「フォークの聖地」として人気を集めていました。 ★1970~73 ◆日本語を初めてロックに載せたはっぴいえんど 70年安保の混乱と熱気が去った後、様々な音楽が生まれ、その中から大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆の4人からなるバンド、はっぴいえんどがバンドとしてメジャー・デビューを果たします(70年8月、当初はURCレコードから発売、のちベルウッド)。 はっぴいえんどはご承知のように、「日本語をロック音楽に乗せて歌った初めての本格バンド」と位置づけられています。1stアルバム「はっぴいえんど」(1970年発表)と2ndアルバム「風街ろまん」(1971年発表)は不滅の名盤だと思います。私は、「風街ろまん」発売直後のライブを大阪・難波の高島屋ホールで聴く幸運な機会が持てましたが、大瀧詠一亡き今、とても貴重で少し自慢できる思い出です。(少し個人的な話で恐縮ですが、ちょうどこの頃、私の参加していた3人編成のギター&コーラス・バンド「木の葉がくれ」も結成されました。はっぴいえんどの音楽は私たちの心をとらえ、当初は、その曲のコピーに熱心に取り組みました。洋楽では、もっぱらCrosby, Stills, Nash & Youngのコピーをよくしてましたが、その後、自分たちでオリジナル曲もつくるようになり、それは2枚のアルバムに結実しました)。 一方、旧来のフォーク路線でも、第二世代の歌手たちが登場してきます。1969年、吉田拓郎、泉谷しげる、海援隊らを世に出す「エレック・レコード」という会社が設立されます(しかし、エレックは放漫経営がたたって76年に倒産します)。 ◆「学生街…」が大ヒットしたガロの悲劇 この頃デビューした歌手・グループで、前述以外では、どんな人たちが記憶に残っているかといえば、次のような面々です。ガロ、ザ・ディラン2(セカンド)、赤い鳥、六文銭、あがた森魚、はしだのりひことシューベルツ、ブレッド&バター、はちみつぱい、RCサクセッション等々(ブレッド&バターは今でもまだ現役で活動してます)。 このなかで、私がとくに好きだったのはガロとザ・ディラン2、赤い鳥、シューベルツでした。 ガロは1971年、「日本のCrosby, Stills & Nash」を目指して結成された、コーラスを重視した3人編成のバンドでしたが、72年にリリースしたシングル盤の「学生街の喫茶店」(当初「美しすぎて」というシングル盤のB面用の曲だったのがレコード会社の意向でA面に差し替えられた)が大ヒットしてしまったのが不幸の始まりでした。 ガロにはその後、歌謡曲っぽいイメージが付きまとい、テレビで歌わされるのは「学生街…」ばかり。本人たちも不本意だったのか、わずか5年で解散してしまいました(メンバーの1人日高富明は1986年に自殺。もう一人のメンバー堀内護も2014年病死、現在は大野真澄だけが健在です)。 ディラン2は、60年代末、西岡恭蔵、大塚まさじ、永井ようの3人が当初「ザ・ディラン」の名で結成し、活動していました。彼らのオリジナル、「プカプカ」「サーカスにはピエロが」は今でも凄い名曲だと思います。メンバーのうち、西岡は1971年に脱退し、「ディラン2」自体も74年に解散します。 西岡恭蔵はグループ脱退後、ソロ歌手として精力的にライブハウスなどで活動していましたが、残念ながら1999年、その2年前に先立った妻の後を追うように自殺してしまいました…(涙)。残るメンバーだった大塚まさじ、永井ようは現在もそれぞれソロで精力的に活動し、時折り一緒にステージに立っています。 ◆「翼をください」は今や教科書にも 5人グループだった赤い鳥は「竹田の子守唄」でデビューし、ヤマハの「ライトミュージック・コンテスト」で優勝します。当初はフォーク路線でしたが、その後、紙ふうせん(2人)とハイファイ・セット(3人、現在は解散)に分裂してしまいました(赤い鳥時代の「翼をください」と「忘れていた朝」は今も大好きな曲です。「翼をください」は今では教科書にも載っていますね)。 「風」が大ヒットしたシューベルツは、フォークル解散と同時に、はしだのりひこが結成したバンドでしたが、メンバーの突然死もあって解散。はしだはその後、クライマックス(「花嫁」が大ヒット)、エンドレスと次々グループを換えながら音楽活動を続けました。晩年はパーキンソン病を患い、闘病生活をしながら時折りソロ活動も続けましたが、2017年、72歳で亡くなりました。 はっぴいえんどは1972年に解散。URCからその版権を引き継いだのが「ベルウッド・レコード」(1971年設立)でした。当時の「ベルウッド」のアーチストとしては、ほかにはっぴいえんど解散後ソロになった大瀧詠一や、山下達郎、大貫妙子らが目立っていました。 ◆1974~77 ◆数多くのスターを生んだポプコン 井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等の4人が1975年、「フォーライフ・レコード」を設立します。ただし、経営方針をめぐるゴタゴタもあって、印象に残るような実績はあまり残せずに、2001年に会社は解散しました。 一方、ヤマハが1967年~71年に開催した「ライト・ミュージック・コンテスト」と、1969年に始まった「ポピュラー・ミュージック・コンクール」(通称「ポプコン」)からは後にメジャーになるアーチストが巣立っていきます。 ポプコン出身で目立っていたのは、中島みゆき、オフコース、チューリップ、小坂明子、八神純子らです(チャゲ&飛鳥もポプコン出身ですが、注目されるのはもう少し後です=1979年の「ひとり咲き」でメジャー・デビュー)。 中島みゆきは現在でも息長く活動中。オフコースのメンバーだった小田和正やチューリップのメンバーだった財津和夫はその後、ソロ歌手(シンガー・ソングライター)として活動し、現在でもなお名曲をリリースし続けています。 ◆ユーミンの衝撃デビュー ポプコン出身以外で衝撃的なデビューを果たしたのは、1972年に登場した荒井(現・松任谷)由実です。彼女の音楽は、コード進行やメロディーが当時としては、とてもおしゃれで、斬新でした。フォークでもロックでもない新しい感性の音楽分野は、まもなく「ニュー・ミュージック」と呼ばれるようになりました。 デビュー・アルバム「ひこうき雲」(1973年発売)と、セカンドの「ミスリム」(1974年発売)は、やはり日本の音楽史に残る名盤だと思います。昔、荒井由実時代のライブを天王寺野外音楽堂で聴けたことは、今でも私の自慢の一つです。 かぐや姫が人気を得たのもこの頃(1973~74年)ですが、個人的には、私たちのバンドの音楽的志向と少し違っていたので、「神田川」(73年発売)や「赤ちょうちん」(74年発売)はあまり好きではありませんでした(唯一、「妹」=74年発売=は好きでしたが…)。また、かぐや姫解散後、伊勢正三らがつくった「風」のシングル「22才の別れ」も結構好きで、聴いていました。 1973年にデビューした、名古屋出身の「センチメンタル・シティ・ロマンス」も都会的なセンスあふれる大人のロックを創り出すバンドで、現在でも息長く活動を続けています。 ◆ロック史上に輝く名盤「ソングス」 1975年、大瀧詠一は独自の「ナイアガラ・レーベル」を設立します。このレーベルからは、シュガー・ベイブ(山下達郎、大貫妙子らが中心となったグループ、76年に解散)やソロでの山下達郎、佐野元春、杉真理らが育ち、メジャーになっていきます。 この頃、私は邦楽では、荒井由実時代の4枚のアルバム(上記の2枚&「コバルト・アワー」=1975年発売、「14番目の月」=1976年11月発売)と、73年にデビューしたセンチメンタル・シティ・ロマンスの1stアルバム(75年発売、タイトルはバンド名と同じ)、それに75年4月に発売されたシュガー・ベイブのデビュー・アルバム「ソングス」を、レコードの針が擦り切れるほど聴いていた記憶があります。 「ソングス」は今聴いても素晴らしく、日本のロック史に輝く名盤と言っていいと思います。とくにこのアルバム1の名曲「ダウンタウン」はその後、エポら多くのアーチストによってカバーされています。 以上、駆け足でしたが、日本のフォーク&ロック黎明期の10年を振り返ってみました(でも、急いでまとめたので、誰か大事なアーチストを忘れていないかなぁ…)。 (文中敬称略)【おことわり】ロカビリーやGS(グループ・サウンズ)はなぜ“無視”したのかと言われそうですが、ロカビリーについては60年代前半までがピークだったことに加えて、米国音楽の翻訳・模倣音楽であるため、日本人によるオリジナルとは言えないというのが理由です。 また、GSは基本的に歌謡曲の延長線上に誕生し、曲も職業作詞家、作曲家に頼っていたグループが多かったので、あえて触れませんでした(ブルーコメッツは作曲も取り組んでいましたが、曲の雰囲気はフォークでもロックでもなく、歌謡曲がポップに発展したものと僕は考えています)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/09/24
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64.オールド・パル(Old Pal)【現代の標準的なレシピ】(容量単位はml) ライ・ウイスキー(25)、ドライ・ベルモット(25)、カンパリ(25)、氷(ロック・スタイルのとき) 【スタイル】シェイクまたはステア ※米国内では、カンパリの代わりにグレナディン・シロップを使うレシピも普及している。 「古くからの仲間」「懐かしい友人」との意を持つ「オールド・パル」は、ウイスキー・ベースのカクテルとして、現代のバーでも注文されることが多いかと思います。誕生の正確な時期は定かではありませんが、少なくとも1920年代半ばには、欧州の大都市で飲まれていたことは間違いありません(出典:Wikipedia英語版)。 「オールド・パル」が初めてカクテルブックに登場するのは、「ABC of Mixing Cocktails」(ハリー・マッケルホーン<Harry MacElhone>著、1919年初版刊)の1929年刊の改訂版です。そのレシピは、カナディアン・ウイスキー、ドライ・ベルモット、カンパリ各3分の1ずつ(ステア))です(出典:http://drinks.seriouseats.com/2014/02/classic-cocktail-old-pal-cocktail-history-harry-macelhone.html)。 考案者は、マッケルホーンが1923年、パリに開いた「Harry's New York Bar」の常連客の一人でもあった、スパロー・ロビンソン(William "Sparrow" Robinson)と伝わっています(出典:http://punchdrink.com/recipes/old-pal/ )。ロビンソンは当時、ニューヨーク・ヘラルドトリビューン(New York Herald Tribune)のパリ特派員でもありました(肩書については、同紙の「パリ駐在のスポーツ面エディター」とするサイトもあります)。 考案者についての異論はほとんど聞かれません。しかし、初めて登場した文献(カクテルブック)については従来、「ABC of Mixing…」の1919年の初版説、1922年刊の同書第2刷説、さらに同じマッケルホーンが1927年に出版した「Bar Flies and Cocktails 300 Recipes」説など諸説が入り乱れてきました(出典:Savoystomp.com、https://cold-glass.com/2013/03/05/the-mystery-of-the-old-pal-cocktail/ほか)。 しかし近年、著名なカクテル史研究家のデヴィッド・ワンドリッチ(David Wondrich)氏がマッケルホーンの著書の原本を検証した結果、「1919年初版説や1922年説、1927年説は後世に誤って伝えられたもので、『ABC of Mixing…』の1929年刊・改訂版に収録されているのが初出に間違いない」と説明しています。 なお、1927年刊の「Flies and Cocktails 300 Recipes」では、同じくハリーズ・バーの常連客だったアーサー・モス(Arthur Moss 1889~1969 米国の詩人・雑誌編集者で、1921年以降はパリなど仏に在住)が後書きのなかで、次のような思い出を綴っています。 「私はよく覚えている。あれは1878年の2月30日の出来事だった。マッケルホーンが私の友人でもあるスパロー・ロバートソンと議論を交わしていた。そして、ロバートソンは言った。『僕はこんなドリンクを考案したんだよ。カナディアン・クラブとスイート(イタリアン)・ベルモット、そしてカンパリが3分の1ずつさ』と。そして、ロバートソンは『My Old Pal』という名のそのカクテルを『マッケルホーンに捧げるよ』と言ったんだ」 しかし、このモス氏の文には明らかな間違いがあります。マッケルホーンは1890年生まれなので、これは1878年の出来事ではあるはずがありません。それに、昔も今も2月には28日(か29日)しかありません。さらに、ロビンソン氏の名前もロバートソンと間違っています(モス氏はジョーク好きだったという伝説もあり、年や月日、名前はわざと間違えたのではという専門家の見解もあります)。 実際、1929年版の「ABC of Mixing…」に掲載されている「オールド・パル」は、スイート・ベルモットではなく、ドライ・ベルモットを使っています。万一、モス氏の言うようなエピソードがあったとしても(近い逸話はきっとあったのでしょうが)、それはもう少し後の、ハリーズ・バーが開業した1923年以降の話でしょう。 ワンドリッチ氏は、「1922年版にはオールド・パルはまだ登場していないし、1927年の後書きに登場するオールド・パルと称するカクテルも、モス氏の誤記の多い記述からしても、正確性に大いに疑問が残る」としています。同氏は「1922年説は、マッケルホーンがロンドンからパリにやって来た年と混同して誤って定着し、SNSなどで拡散されてしまったのだろう」と推測しています(出典:http://drinks.seriouseats.com/2014/02/classic-cocktail-old-pal-cocktail-history-harry-macelhone.html)。 ちなみに、マッケルホーン没後の1986年に、復刻改訂版として出版された「Harry's ABC of Mixing Cocktails」では、「ニューヨーク・ヘラルドトリビューンのスポーツ面エディターだった、スパロー・ロビンソンが1929年に考案した」と付記されていて、マッケルホーンの遺族も「1929年説」を認めていることが分かります。なお、現在伝わっているレシピは、ロビンソン自身が考えたものにマッケルホーンが少しアレンジを加えているという可能性ももちろんありますが、真偽の程はよく分かりません。 余談ですが、少し時代背景について記しておきたいと思います。カンパリが初めて商品化されたのは1860年ですが、カクテルの材料としてしばしば使われるようになるのは20世紀に入ってからです。一方、19世紀の後半にはイタリアでベルモットが誕生します。当初は、食前酒として単独で飲まれるお酒でしたが、その後、カクテルの材料としてしばしば使われるようになりました。具体的に言えば、スイート(イタリアン)は1870年代以降、ドライ(フレンチ)は1900年代以降です。 そして1910~20年代に入ると、バーテンダーは競い合うように、カンパリやベルモットを使う創作カクテルを次々と考案していきました。前々回に取り上げた「ネグローニ」(ジン、スイート・ベルモット、カンパリ各3分の1ずつ)も、この時代に誕生しています。マッケルホーンが1927年刊の「Flies and Cocktails 300 Recipes」で、「ブルバルディエール(またはブールヴァルディエ=Boulevardier)」=遊び人との意=という、オールド・パルによく似たカクテル(バーボン・ウイスキー、スイート・ベルモット、カンパリ各3分の1ずつ)が紹介しています。 一方、この時期、カクテルに使われるベルモットは、スイートからドライへ、辛口化する移行期でもありました(当初はスイート・ベルモットを使っていたマティーニも、ドライを使うレシピが主流になり始めます)。モス氏の言うように、当初は、マッケルホーンの「オールド・パル」もスイート・ベルモットだった可能性は否定できません(そして、それをその後マッケルホーンがドライ・ベルモットに代えた可能性も…)。 さて、参考までに1930~40年代の主なカクテルブックが、オールド・パルをどのように扱っているかをざっと見ておきましょう。・「The Savoy Cocktail Book」(Harry Craddock著、1930年刊)英 カナディアン・ウイスキー、ドライ・ベルモット、カンパリ各3分の1ずつ(シェイク)・「World Drinks and How To Mix Them」(William Boothby著、1934年刊)米 ウイスキー、ドライ・ベルモット、カンパリ各3分の1ずつ(シェイク)・「Old Mr Boston Official Bartender's Guide」(1935年初版刊)米 ライ(またはバーボン)・ウイスキー約40ml、スイート・ベルモット15ml、グレナディン・シロップ15ml(ステア) ※現代でも定期的に発刊が続いている「Mr Boston Bartender's Guide」では、(理由は不明ですが)この後もずっとカンパリではなく、グレナディン・シロップを使うレシピが踏襲されています。そして米国内のバーの現場では今なお、このMr Bostonレシピのオールド・パルが一定程度、認知されています。・「The Official Mixer's Manual」(Patrick G. Duffy著、1948年刊)米 ライ・ウイスキー、ドライ・ベルモット、カンパリ各3分の1ずつ(ステア) 「オールド・パル」は戦前には日本にも伝わっていたと想像されますが、カクテルブックに登場するのは、戦後の1950年代に入ってからです。街場のオーセンティック・バーで普通に飲まれるようになるのは70年代以降です。 【確認できる日本初出資料】「世界コクテール飲物辞典」(佐藤紅霞著、1954年刊)。レシピは、サヴォイ・カクテルブックとまったく同じです。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/08/20
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私は2012年9月26日付の記事(リンクはこちら)で、SNS上の画像・写真の引用問題について記しました。その後、2018年と2019年に著作権法の改正がありました(2018年の改正は、主に環太平洋11カ国との「TTP協定」締結に伴うものです)。 今回遅まきながらですが、主な改正点を紹介するとともに、改正内容に合わせて前回の記事内容を追記・修正し、私たちがSNS上で「画像・写真を引用する場合」の注意点を、改めて紹介してみたいと思います(今回の追記・修正部分については、赤字で記しました)。【おことわり】前回同様の言い訳ですが、この記事は、あくまでSNS上での「画像の引用」ルールについて、現時点での著作権法上の一般的なルールや法的見解、マナー等をまとめたものです。しかし、私は法律の専門家ではありません。個別具体的問題についての対応・見解まで保証するものではありません。具体的なトラブルについては、私は一切の責任を負えませんので、疑問点等は文化庁や法律専門家にお尋ねください。なお、用語や解釈の間違い等のご指摘は歓迎いたします。→ arkwez@gmail.com まで宜しくお願いいたします)。 ◆改正・著作権法などの概要 改正著作権法は、2018年5月18日に成立し、2019年1月1日から施行されました。今回の改正は「デジタル・ネットワーク技術の進展により、新たに生まれる著作物の利用ニーズに的確に対応するため、著作権者の許諾を受ける必要がある行為の範囲を見直し、IT・情報関連産業、教育、障がい者、美術館等におけるアーカイブの利活用に関わる著作物の利用をより円滑に行えるようにする」のが狙いです。 具体的には、(1)一定の条件をクリアすれば、著作権者の許諾を得ないでも自由に利用できる範囲が広がった(2)IT技術開発・情報処理目的や検索エンジン(GoogleやYahoo等)のための著作物の利用は許諾がなくても可能に(3)授業などで教師が他人の著作物を用いて作成した教材を生徒に随時送信する行為も、公衆送信補償金の支払いで著作権者の許諾なく可能に(4)美術館などが収蔵・展示作品をデジタル化し、ネットワーク上で閲覧させる場合、許諾なく行えるようになりました。 また、ほぼ同時に、(5)TTP整備法を反映した改正(2018年6月9日成立、12月30日施行)も行われ、従来、作者の死後50年だった著作権保護期間は、米国の要請によって70年に延長され(末尾【注1】ご参照)、(6)海賊版の販売・送信行為への非親告罪化(著作権者の告訴がなくても起訴可能に)も導入されました。 ※(3)の補償金については、2020年4月からは年間1回のみの支払いで済む「ワンストップ補償金」制度が創設されました。この改正によって、オンライン授業における教材作成での規制や負担が大きく軽減されました(2020年度に関しては無料でしたが、2021年度から支払いが義務化されました)。「補償金」の料金体系や金額は以下の通りです。 ・学校種別の年間包括料金(公衆送信回数は無制限) 公衆送信を受ける園児・児童・生徒・学生1人当たりの額=大学720円/ 高校420円/ 中学校180円/小学校120円/ 幼稚園60円(※社会教育施設、公開講座等については、30人を定員とする1講座・講習を1回の授業として、授業ごとに300円) ・公衆送信の都度支払う場合の料金=1回・1人当たり10円(対象となる著作物、実演、レコード、放送、有線放送ごとに)。 ※「補償金」の支払い窓口・管理・著作権者への分配等は文科省から指定を受けた「一般社団法人:授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)」が担当します。料金等については3年ごとに見直しを行い、必要な措置を講じるとのことです。 ◆画像引用も基本は文章と同じだが… まず、基本的なことですが、写真やイラスト、絵画なども含むSNS上の画像についても、前回も紹介した「公正な引用のための要件」が適用されます。著作権法32条の「公正な慣行に合致し、報道・批評・研究など目的上、正当な範囲内で、定められ要件を満たしていれば、著作権者の了解なしに引用して利用できる」というのが前提です。 では、画像の合法的な引用・利用の基本要件はどうなるかですが、画像・写真の引用についても基本的に、「文章の引用」の場合と同じルールです。 (1)引用先は既に公表された画像であること (2)「公正な慣行」に合致すること =「公正な慣行」の定義は示されていませんが、判例等では、以下の(3)(4)(5)の要件がこれに当たるとしているケースが多いそうです。 (3)自分の著作物と、引用する画像との「主従関係」が明確であること =あくまで自分の文章が「主」で、引用された画像は「従」でなければなりません。「主」か「従」かは、著作物の目的・趣旨や引用した画像の大きさ、補足的なものとして使っているか等がポイントです。従って、小さな画像でもそれが「主」であれば違法となることもあります。 (4)引用する画像が、自分の著作物と明確に区別されていること(明瞭区別性) (5)引用する必然性があること(その引用が著作物の目的や構成上、必要・不可欠である) (6)出典・出所が明示されていること(著作権法48条) (7)画像に勝手な変更を加えないこと(加工したりしない) (8)引用しすぎないこと(過剰な枚数を引用したり、引用した画像のスペースが本文よりも大きいのは違法とみなされるおそれがあります) (9)報道・批評・研究などのための「正当な範囲内」であること(著作権法32条) ※(2)と(9)については、今回の法改正で追加された概念ではなく、旧法から存在した基準ですが、基本要件に含めている法律専門サイトが多いので、今回私も追加しました。 なお、「報道・批評・研究などのための『正当な範囲内』」という要件については、改正著作権法でも明確な定義は示されていません。唯一、判例で「社会通念に照らして合理的な範囲内のものであることが必要であり、具体的には、他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか、その方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合的に考慮されなければならない」と示されている程度です(大阪地裁・2013年7月16日判決)。 すなわち、「引用に必然性・必要性があって、引用の分量や引用個所が適切であり、引用部分が明確に区別されている」などの条件を満たす必要があるのは当然だと思われます。 ◆出版社等の「禁止規定」は合法か、違法か 私たち個人がネット上で一番よく画像を「引用・利用」するケースとしては、(1)本や雑誌の表紙(2)CDやレコードのジャケット(3)映画のポスターや1シーン(4)市販商品の外観(5)ネット・オークションでの商品――などが代表的なものではないかと思います。このうち(5)については現在は原則、無条件の引用・利用が合法化されています。 (1)~(4)については、著作権法32条を守り、9要件をクリアすれば、誰でも合法的に引用・利用できるはずです。ところが、例えば出版社のHPにはよく、画像に関して以下のような禁止事項が列挙されています。表向きは、著作権者の許諾なしに一切の画像の使用はまかりならんという姿勢です。 ・出版物の装丁の画像の全体または一部を掲載することはできません ・キャラクターの画像および写真等の全体または一部を掲載することはできません ・ホームページの画像の全体または一部を転載することはできません ・法人企業のHPであっても、許可なく転載することはできません ・非営利であっても、個人サイトでの転載は「私的利用」にはなりません ・著作権侵害が行われた場合には法的手段をとることもありますので、ご注意ください 私も、Blogで時々、本の批評やCD、映画の感想など紹介しているので、本やCDジャケットや映画の1シーンの画像を借りることはあります。出典・引用元は可能な限り明示するようにしています。こうした利用は、著作権法32条に言う「公正な慣行に合致し、報道、批評、研究など目的上、正当な」という要件に当てはまり、合法的な利用です。 ここで疑問がわきます。「著作権法では正当な目的であって、主従関係を明確にして、引用元もきっちり明示すれば、画像の『引用』はできると認めている。こんな禁止規定自体が著作権法違反じゃないのか」という疑問です。そこで、法律専門サイト等でさらに調べたうえで、専門家の意見も少し聞いてみました。 ◆現実的には、出版社等は「黙認」姿勢 結論から言うと、文章の引用についてはこれまで判例がいくつもあって、様々な具体的ルールや指針がかなり周知されているのですが、画像については、争われた裁判(判例)がまだ少なく、違法か違法でないのかの基準が曖昧なままになっています。 知的財産や著作権法に詳しい杉浦健二弁護士は「一般的には、引用要件には法文上の明確な基準があった方がいいという意見もあるが、過度に明確化すると、インターネット等を中心とした利用形態の多様化に法律が付いていけず、弾力的な運用がしづらくなるため、引用要件にはある程度の“あそび”がある、現在の程度が望ましいと考えている」と記しています(出典:STORIA法律事務所Blog) 近年唯一、画像の無断使用で争われたとも言える有名な裁判に「脱ゴーマニズム宣言事件」(小林よしのり氏vs上杉聡氏)というのがあります。この裁判では漫画の引用問題が争点でしたが、1999年8月に東京地裁が出した判決「批評の対象を明確にするためには、絵も引用する必要があることを認める」「引用の要件を満たす限りは、引用が必要最小限であることまでは要求されない」(1999年8月31日)が現時点では数少ない判例です(参考:Wikipedia「脱ゴーマニズム宣言事件」)。 しかしながら、出版社はこうした判決が出た後も、禁止規定は撤回・変更していません。禁止規定は「任意規定であるから合法」という学説がある一方で、「このような規定自体が著作権法違反だ」という法律家もいます。法的見解が分かれる中、現実には、日本だけでも個人のHPやBlogで膨大な数の画像が引用・利用されています。 出版社やレコード会社等はいちいち告発したりせず、黙認しているのが現状です(おそらく、訴えたあげく不利な判例が出て、自分で自分の首を絞めるのが怖いというのもあるのでしょう)。現実には、個人やNPOのHP、Blogのように非営利目的であればあまり目くじらは立てないという姿勢だと思いますが、私たちはやはり、節度ある引用・利用に徹したいと思います(ちなみに、著作権侵害した場合の刑罰は、10年以下の懲役もしくは1000万円以下の罰金という結構重いものなので、くれぐれも安易な画像利用・引用には十分気を付けたいところです)。 ◆1、2枚の画像引用なら、まず問題なし 今回、法律関係者に直接尋ねたり、著作権問題を取り上げた法律事務所のWEBページの解説を調べたりしたところ、結論として、少なくとも以下のようなことは言えるかと思います。 ・SNS上の画像引用についても、冒頭にも挙げた、正当な引用のための「9つの要件」は最低限満たさなければならない。報道、批評、研究その他引用の目的上正当な範囲内であれば、原則として問題はないが、「正当な目的」と「正当な範囲内であること」が大事(単なる日常雑記のような文章に、権利者が存在する必然性もない画像を勝手にアップするのは避けるべきである)。 ・静止画については、「要件を満たしていれば、引用が正当な範囲内に収まる可能性が高い」(斉藤博『著作権法』236頁、2000年、有斐閣刊)というのが学界の多数説。音楽評論や映画評論で1、2枚の画像をコピーして載せるのはセーフ。しかし、「必然性もないのに、例えば、自分のブログのトップにミッキー・マウスの画像をコピーして載せるというのは危ない」とのこと(とくに、ディズニー社は著作権、商標権にうるさいことで有名なので要注意)。 ・引用する画像の色合い等を、画像ソフトを用いて改変してはならない(唯一、画像のサイズ拡大、縮小は認められている)。 ・「出所の明示は合理的な態様で」というのが法の規定。著作権者名があればベストだが、不詳であれば、出典WEBサイトのURLを明記することが望ましい。いずれにしろ、企業の公式HPならともかく、個人の私的なBlogに静止画を少し載せるくらいなら訴えられることはまずないだろう。 ・ただし、この問題に関しての最高裁判決はなく、下級審判決例も、上記の要件のそれぞれに対するウエイトのかけ方が異なるので、難しい面がある。そもそも、「公正」とか「正当」とか、必ずしも利用者にわかりにくい基準で、裁判になってみなければ、それに反しているかどうか結論は出せない。おそらくそのような現状からして、新聞社、出版社などの権利者側からは、原則に戻って、許諾がいるというように警告を発しているのだと思う。 ・著作権法の引用要件を明らかに満たしている場合は、利用者は権利者に事前に許諾をとる必要はない。権利者が「利用を認めます」と回答してくれる可能性は低く、かさねて許諾まで取りにいくメリットは皆無で、かえってリスクが高い行為になる(「ダメ」と言われた場合、身動きがとれなくなる)=上記STORIA法律事務所Blogより。 ◆画像転載が合法化されているもの なお、SNS上での画像の引用・利用が(条件付で)自由に認められているものもあります。例えば、以下のようなものです。 ・ネット・オークションに添える商品説明の写真掲載=インターネット・オークション等で売買する際、商品を確認するという必要性から、2009年の著作権法改正で、条件付き(著作権法施行令等で定めた大きさや精度等を遵守)でその画像を著作権者の許諾なく掲載することが合法化されました。今回の法改正ではさらに、美術品や写真の販売の際にも、カタログ等の図面として許諾なく掲載することが同様に可能となりました。 ・情報検索サービスを実施するために著作物の複製すること ・障がい者の教育・福祉活動等ために著作物を複製すること ・画素数を落とした画像、サムネイル(縮小)画像の利用 ※Amazonなどは「アフィリエイト」(【注2】)契約をすれば、画像を無料で利用できるというサービスをしていますが、私は利用していません。 ◆引用・掲載してはいけない画像とは 自分が撮った画像でもSNS上に掲載できないものもあります。例えば以下のようなもの――。 ・被写体から許可を得ていない画像(知らない人の顔がはっきりわかる状態で写り込んでいたら、肖像権の侵害だと言われるおそれがあります。モザイクをかけるなど個人を特定できないようにしてください。 ただし、友人らとの飲み会での写真なら許容範囲でしょう。いまどき、あなたがSNSをしていることを参加者が知っていて、携帯やデジカメで写真をとれば、参加者も「彼(彼女)のページに載るんだな」と了承したものとみなされるでしょうから)。 ・タレントなど著名人が写った画像(街でたまたま有名人を見かけて撮った写真を掲載すれば、場合によっては、「パブリシティ権」(【注3】)を侵害したと言われる可能性があります。店で女性と一緒のところを盗み撮りなどした画像なら、プライバシー侵害と言われる可能性もあります。 ・他人の著作物を撮った画像(滅多にないとは思いますが、著作権のある創作物を直接写真に撮ってSNS上に掲載すれば、著作権侵害と言われる可能性があるそうです)。 ・公序良俗に反する画像(これは当然ですね) ◆基本は自分の撮影にこだわりたい 私は基本的に、可能な限り、自分のSNS上では自分のカメラで撮影した画像を使うことにしています。自分の撮影を原則にしているのは、オリジナリティにこだわりたいことに加えて、リスク(転載を巡るトラブル)を減らしたいからです。 SNS上で無用なトラブルを招かないためには、安易に他のサイトから画像をコピーしてこないこと、そして引用・転載する場合でも、ルールやマナーをきちんと守ることが何よりも大切だと思います。私自身も現在、自戒の気持ちを込めて過去のBlogのページなどで使った画像について、順次、著作権法違反がないか再点検しています。必要な場合は、少なくとも「引用元」をきっちり明示したいと思っています。 【注1】1967年以前に著作者が死亡している場合: 著作者が亡くなったのが1967年以前であれば、2018年12月30日の改正著作権法施行以前に50年の保護期間(1968年1月から起算)が終了しているため、70年には延長されません(1967年に亡くなった芸術家で言えば、例えば、山本周五郎<作家>、壷井栄<作家>ら)。 なお、著作者が亡くなった後、著作権継承者がいなければ、原則として著作者死亡時点で著作権は消滅します。 【注2】アフィリエイト(Affiliate) 「成功報酬型広告」とも言われ、例えばHPやBlogである企業の商品の広告スペースを提供し、その広告を通じて商品が購入されたら、その企業や販売する店舗からHPやBlogの管理者(運営者)に成功報酬が支払われるという広告またはその形態を指す用語(出典:Wikipedia、All About「アフィリエイトとは?」 → http://allabout.co.jp/gm/gc/22964 ) 【注3】パブリシティ権 人に備わっている「顧客吸引力を中核とする経済的な価値」を保護する権利のこと(出典:Wikipedia、はてなキーワード → http://d.hatena.ne.jp/keyword/ ) 【御礼】この一文を書くにあたって、主に下記のWeb ページ上の解説やデータ、Q&Aから貴重な情報や示唆をいただきました。この場を借りて関係の皆様には心から御礼申し上げるとともに、そのページ(出典元)を紹介しておきます。 ・文化庁HP(著作権問題Q&A)→ https://chosakuken.bunka.go.jp/naruhodo/ ・「画像や情報の引用について 専門家Q&A」→ https://profile.allabout.co.jp/ask/q-46093 ・「画像の引用・転載に関する著作権について(Yahoo知恵袋)」→ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/ ・「ネット時代の著作権(大塚商会)」→ https://qqweb.jp/QQW/STATICS/it/pc_howto/200911.html ・「HPやサイトで著作権違反にならない方法」→ https://nanapi.jp/15604 ・「著作権法上合法な引用の条件」→ https://puple.noblog.net/blog/a/10056206.html ・「ネット・Webサイトでの著作権」 → https://uguisu.skr.jp/html/kenri1.html ・「画像の著作権侵害を回避するために最低限理解しておくポイント」(東京スタートアップ法律事務所HP)→ https://tsl-magazine.com/category05/image-copyright-infringement ・「著作権が自由に使える場合」(公益社団法人・著作権情報センター)→ https://www.cric.or.jp/qa/ ・「著作権法の引用要件を満たしているのに、かさねて許諾を得る必要があるのか」(STORIA法律事務所Blog)→ https://storialaw.jp/blog/6114 ・「著作物・著作権をめぐるルール改正(解説)」(GVA法律事務所HP)→ https://gvalaw.jp/6253 ・「著作権を侵害せずに文章や画像を引用・転載する方法」(ベリーベスト法律事務所HP)→ https://best-legal.jp/copyright-quotation-4942 ・「著作権保護期間、50年から70年に延長。一部非親告罪化も」(Watch Impress)→ https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1152341.html【おことわり】この日記は、画像「引用」のルールについて、現時点での著作権法上の一般的なルールや法的見解、マナー等をまとめたものですが、個別具体的問題についての対応・見解まで保証するものではありません。具体的な疑問やトラブルについては文化庁や法律専門家にお尋ねください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/06/20
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皆さまへの大切なお知らせ 2024年2月15日成田一徹氏の作品を愛してくださる皆さまへの大切なお知らせがございます。「オフィス一徹(Office Ittetsu)」では、切り絵作家であった故・成田一徹(1949~2012)の没後、その残された原画作品の数々を大切に保管・継承し、時には個展で公開展示し、著作権保護にも務めて参りました。私(Bar UKマスター)も、「オフィス一徹」代表である奥様の素子様に協力して、作品保存だけでなく、作品に関する調査研究にも務めて参りました。一方で、一徹氏が生み出した唯一無比のアートを次世代への継承するにはどのような形が一番望ましいのか、奥様と共にずっと思い悩んで参りました。作品は永遠に残りますが、個人での保存・継承には、人間の命に限りがある以上、限界がございます。奥様と私は、将来のことを考えると、最終的には公的な組織・機関で保管・展示・活用して頂くことが最善の道であると信じて、この数年間、様々なお相手と相談・交渉を重ねて参りました。その結果、このたび、成田一徹の残された全原画作品および関連資料を、美術・文化の保護・発展に深い理解をお持ちのサントリー株式会社に寄託することに至り、今月、サントリー社側と正式な「寄託契約覚書」を交わしました。当面、作品の著作権は成田素子・オフィス一徹代表(著作権継承者)が引き続き保有いたしますが、今後は、作品の保存・管理についてはサントリー社が責任を持ち、作品の活用・展示等についても同社が優先的な権利を持つことになります。現時点での契約は、「寄託」という形になっておりますが、最終的には、「寄贈」の方向で話し合うことで双方とも合意しております。今回、サントリー社が受け入れる作品の点数はバーやお酒関係をテーマにしたものが約800点、バー以外の様々なテーマの作品が約2400点、計約3200点となっています。同社は、(株)TOPPAN様の協力で、今後数年間をかけて、全作品のデジタル・アーカイブ化を進めるとともに、作品を大切に保管し、次世代へ継承していく考えです。今回の寄託契約は、当初は、「山崎蒸留所100周年のイベントのため、成田一徹さんの原画作品の一部をお借りしたい」という申し出からスタートしたものでした。しかし、交渉を重ねるうちに、サントリー社側から「全作品を受け入れ、保管・活用していきたい」という、私たちの願いにも応える有難いお言葉を頂き、今回このような嬉しいニュースに至った次第です。サントリー社様には、その寛大なお申し出に心から感謝申し上げるとともに、生前、雑誌「Whisky Voice」の連載などで強い繋がりもあった成田一徹氏も、サントリー社に自らの作品が託されることには、天上できっと大喜びしているものと信じております。サントリー社は、バーやお酒をテーマにした切り絵作品については、山崎蒸留所、白州蒸留所内で展示するとともに、その作品を活用した多彩な商品も展開していく予定です。山崎蒸留所内では、早速一部の原画作品が展示されており、見学者へのお土産として、原画を使ったオリジナル商品の販売も近くスタートいたします。さらに、バー以外をテーマにした作品の数々についても、同社は今後、展示・活用の道を探っていく予定です。オフィス一徹では、将来的には、同社の関連施設でもあるサントリー美術館とも連携したプロジェクト、イベントも開催されることを願っており、同社も気持ちを同じくしております。成田一徹の作品を愛する皆さまにおかれましては、今後とも、その作品の将来を温かく見守って、応援して頂ければ幸いです。何卒宜しくお願いいたします。【追記】なお奥様のご厚意で貸与され、Bar UK店内で展示中の一徹氏の切り絵原画作品(貸与された32点中、現在23点を展示中)につきましては、Bar UKが廃業するまでの間、引き続き貸与されることで、奥様およびサントリー社様からご了解を頂いております。ご安心くださいませ。
2024/02/15
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前回に続き、酒やBAR巡りや音楽とは違う話題だけれど、お許しあれ。お盆の休日、京都国立博物館(京都・東山七条、以下、「京博」と略す)に行ってきた。 「美のかけはし-名品が語る京博の歴史 開館110年記念特別展」(7月15日~)。 なぜ暑いこの時期、京都まで出かけたかと言えば、子どもの頃からずっと見たかったけれど、その機会が一度もなかった素晴らしい絵画の本物が出展されるから。 中学や高校の歴史(日本史)教科書には必ずと言っていいほど登場していて、おそらく日本人なら一度は目にしたことがあるその絵画とは国宝「源頼朝像」(京都・神護寺蔵、伝・藤原隆信筆)=写真左下。 日本絵画史上の肖像画の中でも、「最も完成度の高い傑作」と誰もが認める逸品。この国宝は神護寺から寄託された京博が収蔵しているが、貴重な絵画なので普段は一般公開されていない。 今回の特別展は、明治30年(1897)に開館した京博の110周年を記念し、所蔵する(または寄託された)貴重な名品を集めたもの。 展示されてるのは、国宝26点、重要文化財37点を含む約120点。国宝の中には有名だけれど普段は見られないものも多い。 僕のお目当ての「源頼朝像」は13世紀の作で、最近の学術研究で実は源頼朝ではなく、足利尊氏の弟、直義であるという説も有力になっている。 だから、最近の教科書などでは「伝・源頼朝像」という表記をしているものも多いが、京博は、鎌倉時代の絵画技法などから、あくまでこの絵画は「頼朝」だという立場のようで、特別展でも「伝」の文字はなかった。 ただ、僕自身は、この肖像の主が頼朝であろうとなかろうと、この絵画の価値を下げるものは一切ないと思っている。 実物の「頼朝像」は保存状態も良く、顔や髪の部分の筆遣いまでもはっきりと分かる。写真で見ると黒一色にしか見えない衣装も、実物では生地の文様も細かく、丁寧に描かれている。 冷徹・沈着な「頼朝」の表情。その鋭い眼光は心の内までも映すようで、見る者に迫る(大きさは縦約1.5m、横約1.2mと、想像してたよりでかい)。 作者の藤原隆信という絵師はどういう人かはよく知らないが、海外で言えば、レンブラントやルーベンスにも負けない、我が国が誇る肖像画家と言っていいだろう。 会場では、同じ隆信作という国宝「平重盛像」(これも神護寺所蔵。なぜかこちらは左向き)と共に一対で展示されているが、完成度は「頼朝像」が圧倒的に上。 重盛像には、頼朝像にはある「足」が描かれていない。手抜きなのか意図的に描かなかったのかは知る由もないが、隆信がいかに頼朝像に力を入れたかが分かる。 この特別展には、他にもこれまた教科書によく出てきた如拙の「瓢鮎図(ひょうねんず)」=写真右=など素晴らしい国宝の数々が出展されている。 個人的には、豊臣秀吉関係の書状や遺品の数々、鴨長明直筆という「方丈記」、空海直筆の書が記された菩薩図に、感銘を受けた(詳しくは京博のHPをご覧あれ)。 残念ながら会期は今月27日(日)まで。京博はJR京都駅からバスで7分ほど(徒歩でも20分ほど)。近くには三十三間堂、智積院、方広寺、豊国廟などの名所旧跡も多い。天気が良ければ京都駅から散歩がてら行くのも楽しい。ご興味のある方はぜひ足をお運び下さい。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/08/19
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追補2. Sol Cubano(ソル・クバーノ)【標準的なレシピ】(液量単位はml)ラム(45~60)、グレープフルーツ・ジュース(45~60)、トニック・ウォーター適量、氷数個、グレープフルーツのスライスで蓋をしてストローを指す。生ミントを上に飾る。【スタイル】ビルド(大ぶり<240~300ml程度>のコブレットかサワー・グラスを使うことが多い) 「ソル・クバーノ」はおそらく、日本人がつくった現代のカクテルの中では、日本国内では最も有名なカクテルではないかと思います。今では全国どこのオーセンティック・バーで「ソル・クバーノ」を頼んでも、問題なく通じるでしょう。 誕生したのは、1980年に開催された第1回トロピカルカクテル・コンテスト(サントリー社主催)。そこで選ばれたグランプリ10点の中から第1位に輝いたのがこのカクテルでした。カクテル名は「キューバの太陽」という意味。考案したのは、当時神戸市のバー・サヴォイ(現在は「サヴォイ北野坂」オーナー・バーテンダー)に勤務されていた木村義久氏(1946年生まれで、現在72歳)です。 「グラマラスな南国の美人と、ラムの原産国であるキューバをイメージし、創作した。グラスに載せたグレープフルーツのスライスは現地の女性が被るフラワーハットを表現した」そうです(出典:「木村義久カクテルブック」=2017年、神戸新聞総合出版センター刊)。 折しも、日本では70年代後半からトロピカルカクテルがブームとなっていた時代でした。木村氏が考案した当時、グレープフルーツはまだ若干高価な輸入果物で、(今では1個100円くらいですが)1個250~350円もしました。グレープフルーツはもっぱら、ジュースとして飲むか、半分に切って砂糖を載せて、スプーンで味わうスタイルが一般的でした。 オーセンティック・バーでは、ウオッカにグレープフルーツ・ジュースを混ぜるカクテル「ソルティドッグ」がようやく日本で知名度が出てきた頃でした。「ソル・クバーノ」は、ホワイト・ラム、グレープフルーツ・ジュース、トニックウォーターという身近にあるシンプルな材料の組み合わせ。程良い甘さと爽やかな酸味のバランスは、たちまちカクテル好きのお客さんに受け入れられました。 木村氏は「グレープフルーツの価格は今はまだ高いが、生産量は多いので、いずれ日本国内にも広く普及して手頃な値段になる」と予想しました。つくり方も手軽なビルド・スタイル。グレープフルーツの価格が安くなるにつれて、提供するバーもどんどん増えていったのです。 なお、「ソル・クバーノ」はあまりにも急速に普及してしまったため、普通のロングカクテルのようにタンブラーで提供したり、グレープフルーツ・スライスで蓋をしないスタイルで出すバーも見受けられます。しかし、木村氏のオリジナルは冒頭のようなスタイルなので、提供するバーはできれば、この本来の形にこだわってほしいと願います。 フードライターの曽我和宏さんよれば、ソルクバーノ」についてこんなエピソードがあるそうです。少々長いですが、引用させて頂くと(出典:曽我和宏の「気になる1杯」)。 「昔、木村さんが知人と横浜のバーを訪れた折りに、メニューにあった「ソルクバーノ」を注文した。その時、横浜の某店のバーテンダーは『これほどスタンダードになってしまったカクテルを考えた人は、もう他界してしまっているでしょうね』と言ったそうだ。彼はそれほど古くからあるのだからスタンダードになっているのだと言いたかったのだろうが、流石に死人にされてはたまらないと、周りが木村さんを紹介したそうだ。木村さんが名刺を出した際には、あまりの意外さに周囲からどん引きされたと話していた」。 ちなみに、考案当時は下記の日本初出資料にあるレシピでつくっていた木村氏ですが、近年はホワイト・ラム45~80ml(飲み手のお酒への強さや好みで調整)、グレープフルーツ・ジュース60ml、トニックウォーター60mlという分量でつくっておられます。かなりアルコール強めな味わいで、ラムの香りもしっかり楽しめます(レシピ出典:「木村義久カクテルブック」)。 最後に今回、木村氏自身に聞いた、とっておきのエピソードを紹介しておきましょう。 木村氏は、このソル・クバーノで優勝したご褒美として、1980年の秋、主催者のサントリー社からニュー・カレドニアへの旅に招待されました。旅先で開催された現地でのパーティーでカクテルを振る舞いましたが、当時34歳で独身だった木村氏に、そのパーティーで「運命の出会い」がありました。 たまたま横浜から旅で訪れ、パーティーにも参加していた一人の日本人女性と出会い、それがきっかけで付き合うようになったのです。当初は遠距離恋愛。木村氏は休日になると、当時持っていたフォルクスワーゲンを運転して、神戸から横浜まで往復したそうです。二人は2年後に結婚。なので、ソル・クバーノは、奥様との“縁結びの神”でもあった訳です。【確認できる日本初出資料】「サントリー・トロピカルカクテル・ブック」(1982年刊)。レシピは「ホワイトラム30ml、グレープフルーツ・ジュース60ml、トニックウォーター適量、グレープフルーツ・スライス&生ミント(飾り)」です(現在のレシピは冒頭に掲げたもの)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2019/02/24
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クラウドファンディング実施中の成田一徹バー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』再版(完全改訂増補版)プロジェクト。今回は初版の248点の他に、新たに23点(店)の切り絵が追加掲載されす。そこで、追加される切り絵を)3回に分けて紹介いたします。(9) Bar SAKAMOTO(埼玉)2004年(10) Cooper's(埼玉・春日部)2005年(11) EAU・DE・VIE Hills Top(埼玉)2004年(12)Cocktail Bar Point(群馬・高崎)2005年(13)Bar 白馬館(富山)2012年(14)BAROSSA(岐阜)2004年(15)Bar Ron Cana(愛知・豊田)2003年 ※絵の制作時期については正確に分からないものもあり、一部は「推定」であることをお含みおきください。 なお、絵の著作権は、「Office Ittetsu」が所有しております。許可のない転載・複製や二次利用は著作権法違反であり、固くお断りいたします。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/10/23
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先日の日記でも少し触れましたが、親しくしてもらっているバーテンダー、M君がオーナー・バーテンダーとして初めて営む「ドラム・ハウス・ザ・ルート(Dram House THE ROOT)」、オープン初日の25日に早速お邪魔してきました。 大阪の地理に詳しくない方に少し説明しておくと、あの有名な「グリコの看板」があるミナミの道頓堀界隈からは、ほぼ東方向へ電車(近鉄電車または地下鉄)で2駅というロケーションです。 場所で言えば、上本町6丁目、通称「上六(うえろく)」と言われる処で、駅から徒歩1分という抜群の立地です(すぐ近くにはシェラトン・ホテルやミナミから移転した新歌舞伎座もあり、焼肉で有名な鶴橋は1駅隣です)。 店は大通り(千日前通り)から一筋入った裏通りにあって、繁華街に近いけれど、住居として実際に住んでいる人も多いという下町っぽいエリアでした(実際、店の2階や隣には住人がいるそうです)。 さて、肝心の店内は、カウンター約9席、テーブル席2~3人用のほか、個室(4~5人用)まであるという嬉しい造りです。 マホガニーやチーク、ウォールナットのような、温かみのある木をふんだんに使った、とても落ち着いた雰囲気です。 僕にとって何より嬉しかったのは、テーブル席の横に、な、なんと、アップライトのピアノがあるのです! 「将来は、日曜か祝日の午後にでもライブでもできたらなぁと思ってます」という夢を語るM君です。 オープン前の準備・充電期間には、大好きなブルースを聴くためにシカゴへ行ってライブハウス巡りもしてきたとのこと。ピアノはそのうち僕も弾かせてもらいまーす(笑)。 M君、いやMマスターの素敵な接客も健在。「とりあえず年内は無休でやります」と宣言する“ど根性”も見せてくれています。凄い!(でも働き過ぎて体こわさないでね)。皆様もお近くにお越しの節はぜひ、この素晴らしい空間を堪能してください!【ドラム・ハウス・ザ・ルート】大阪市天王寺区上汐3-1-3 電話06-6773-6331 平日午後5時~午前3時(日祝~午前零時)。最寄駅は近鉄上本町駅もしくは地下鉄谷町9丁目駅。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/05/26
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英国リバプール生まれのビートルズがアメリカへ進出し、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得していった60年代半ばのこと。このままでは英国人に音楽チャートは占領されてしまうと、米国の音楽ビジネス業界が立ち上がった。 そして、ビートルズに対抗するポップロック・グループをオーディションで誕生させようと、1965年9月、応募してきた約400人の若者から4人が選ばれた。 デイビー・ジョーンズ(Davy Jones ヴォーカル)、マイク・ネスミス(Mike Nesmith ギター)、ピーター・トーク(Peter Tork ベース)、ミッキー・ドレンツ(Micky Dolenz ドラムス)という4人。 約1年間、歌や演奏、そして演技のトレーニングを積んだ後、66年10月、彼らはモンキーズ(Monkees=写真左。(C)公式HPから)という名前でデビューした。 デビュー・アルバムは「The Monkees」(写真右下)だったが、日本では収録曲の邦題タイトルから「恋の終列車(Last Train To Clarksville)」と名付けられた。 モンキーズはレコードとともに、自分たちの名を冠したテレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」もスタートさせた。コメディ仕立てのドラマと歌を交えた番組だったが、これは全米だけでなく、日本でも結構人気番組となった。 初期に彼らが出したシングルは、次々とヒットした。「恋の終列車」「モンキーズのテーマ(Theme from The Monkees)」「アイム・ア・ビリーバー(I'm a Believer)」「スター・コレクター(Star Collector)」「デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)」「すてきなヴァレリ(Valleri)」…。 なかでも、1967年11月に発売された5枚目のシングル「デイドリーム・ビリーバー」(写真左)は、全米1位の大ヒット。世界で500万枚近いセールスを記録したというこの曲は、その親しみやすいメロディー、完成度の高さもあって、今ではモンキーズの代表曲というより、ポップスのスタンダード・ナンバーにもなっている。 モンキーズは日本にも68年秋にやって来てコンサートを開いたが、テレビで観た僕の印象は、演奏の実力も備えたビートルズとは違って、武道館という大きなキャパの会場では見劣りする稚拙な演奏だった。 その後、ある雑誌で読んだ暴露話によると、実は、ステージの裏で隠れてバックバンドが演奏していて、モンキーズ自体はほとんど演奏していなかったという(いわゆる「音パク」?)。真偽のほどは定かでないが、あの稚拙な演奏も本人たちじゃなかったとは…、日本のマーケットがなめられていたということか。 しかし、演奏技術はともかく、デイビーの歌は魅力的だったし、彼らに提供された楽曲は素晴らしいものが多かった(写真右=最近の4人。みんなええオッサンになってます。(C)公式HPから)。 ボビー・ハート、ニール・ダイヤモンド、キャロル・キングという当時、アメリカでも最高のソング・ライターたちが彼らのためにとっておきの曲を贈った。その名曲の数々は、今も色あせることはない。 モンキーズは、マイクやピーターが音楽性の違いなどを理由に次々と脱退し、1970年6月に正式に解散。グループとしてはわずか4年の短い活動だったが、8枚のアルバムと12枚のシングルを残した。 モンキーズを知らない人でも、「デイドリーム・ビリーバー」を知っている人は多い。「デイドリーム…」は、僕も大好きな曲の一つで、Bar 「M」でもよく弾き語りで唄う。 1980年代には、コダックのCMで「デイドリーム…」が使われたこともあって、再びリバイバル・ブームが起こった。昔のレコードもCDで再発されるようにもなった(写真左=ベスト盤は何種類か出ているが、これもその一枚)。 メンバーたちは80~90年代、グラミー賞やアメリカン・ミュージック・アウォードなどに久しぶりに登場し、ライブ・パフォーマンスを何度か見せてくれたこともあった(一度だけは、マイクも含めて4人で出てきた)。 マイクを除く3人は、その後何度か再結成をくり返し(最近では2001年に)、コンサートも開いているが、最近の音沙汰はあまり聞かない。おそらくは全員、60歳前後だろうが、どうしているんだろうか。 短命だった音楽活動には、人為的に作り出されたグループの悲哀も感じる。だが、娯楽性と完成度の高さを兼ね備えた、親しみやすい曲を数々送り出し、ポップ・ミュージック・ファンの裾野を広げたという意味で、モンキーズの功績は大きいと、僕は思っている。【追記】(2020年5月)4人のメンバーのうち、デイビー・ジョーンズは2012年2月(67歳)に、ピーター・トークは2019年2月(77歳)にそれぞれ死去。現在ではマイクとミッキーのみ健在ですが、公の場にはほとんど姿を見せていません。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/11/09
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昼のテレビをたまたま見ていたら、やしきたかじんが司会のトーク番組で、たこ焼き(写真左)の話題で盛り上がっていた(たぶん関西ローカル…、関西以外の方、ごめんなさーい)。 ご存じのように、関西(とくに大阪)は「粉もん文化」といわれる。お好み焼き、たこ焼き発祥の地ともいわれるだけあって、実に様々な「粉もん」フードがある(ほかにも、イカ焼き、チョボ焼き、うどん、豚まん…)。我が家に「たこ焼き器」がある家庭も、番組で千人に聞いたら、実に約93%という高い割合だった。 その番組中、「同じたこ焼きでも、大阪と京都は具が違う」という意外と知られていない事実を取り上げていた。どこが違うかと言えば、京都のたこ焼きは、刻んだキャベツを具に入れるというのである。大阪では絶対にキャベツなんか入れない。タコ以外には、店によっては若干の違いはあろうが、天かす、サクラエビ、紅ショウガ、ネギが普通だろう。 恥ずかしながら僕も、大阪のすぐ隣にある京都のたこ焼きに、キャベツなんかが入っているなんて、ウン十年生きてきて今日まで知らなかった(京都生まれの僕だが、幼稚園に入る前に大阪に出て来たので…)。京都で昼飯、晩飯を食べる機会は多いが、わざわざ京都まで行ってたこ焼きなど食べない。それが盲点だった。 番組では、京都のたこ焼きがキャベツを入れることについて大阪人に聞いていたが、「キャベツ入れたら水っぽうなる」「そんなん、ただのお好み焼きボールやん」「とにかく邪道やで」などと8割近くが否定的だった。 逆に、京都のある商店街で通行人に大阪のたこ焼きを試食させて反応を探っていたが、約9割の人が「タコ以外の具がないみたいで物足りん」「なんでキャベツ入ってへんの」「美味しゅうなーい」という反応だった。所変わればとはいうが、隣同士の大阪と京都でこんな食文化の違いがあるのは驚きだった(写真右上=大阪のたこ焼きで一番行列のできる店として有名な道頓堀の「大たこ」)。 司会のたかじんは京都出身だが、「(キャベツの入ってない)大阪のたこ焼きの方が好きだ」と言う。ゲストの桂ざこばも、大阪派。「たこ焼きが大阪発祥というのははっきりしてる。京都へ伝わって、京都人のプライドから大阪と違うたこ焼きを作ろうとした結果やろ」と言っていたが、説得力ある解説かもしれない。 同じ関西でも、言葉だけでなく、明治以降の食文化までこんな違う方向へ発展してきたのかと思うと興味深い(写真左=「大たこ」のたこ焼き。「うまい!」という人と、「たいしたことない」という人と、人それぞれ。ただし、大阪のたこ焼き屋とお好み焼屋は、どこに入っても、まず大はずれはないというも真実)。 なお、番組で「京都のたこ焼きはすべてキャベツ入り」みたいな取り上げ方をしていたが、ネット検索で京都のたこ焼き屋さんのサイトをいろいろ調べてみると、意外や意外、「うちはキャベツは入れてません」というたこ焼き屋さんも(アバウトな感じでは)2割くらいはあった。だから、京都のたこ焼き屋さんがすべて「キャベツ入り」という訳ではないようだ。 僕も、たかじんと同様、大阪風たこ焼きが好きだ。近い将来、京都のキャベツ入りたこ焼きを食べたとしても、おそらく結論は変わらないような気がする。しかし味はしょせん、個人の嗜好に行き着く。どちらが美味しいかは、関西以外の方の舌に決めてもらうのもいいかもしれない(写真右=京都のあるお店の、キャベツ入りたこ焼き。見た目は大阪のと全く変わらない) 最後におまけ。たこ焼きは「進化する」ともいうが、大阪・北新地に最近(と言っても、もう1年半くらいになるが)、イタリアン・テイストのたこ焼きを売る「スパたこ&オイスター・バー」という変わった名前の小さな店ができた。バジリコやガーリックなどのスパイスを効かせ、オリーブオイルで焼く(10個500円)たこ焼きだが、これが、きりっと冷やした辛口の白ワインなどにばっちり合う(別にソース味も)。 お店には「オイスター・バー」の名の通り、生ガキも置いてるので、ワインがすすむこと、すすむこと! 僕はオープン以来やみつきで、しばしばお邪魔している。「目からウロコ」のたこ焼き! 皆さんも大阪に来る機会があれば、ぜひ一度ご賞味ください。【2021年追記】「スパたこ&オイスター・バー」は残念ながら、現在は閉店しています。
2005/07/25
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久しぶりのBar UK写真日記です(By うらんかんろ) Bar UKで2月9日(火)夕から、アイリッシュ・ウイスキー「ティーリング」セミナーが開催されますが、ダブリンのティーリング社からパンフレットやコースターが届きました。同社と日本総代理店「スリー・リバース」さんのご厚意に、心から感謝するマスターです。 マスターは、ワールドクラス・コンペティション2015年の世界チャンピョンに輝いた金子道人さん(奈良・ランプバー・オーナー)のセミナーにお邪魔してきました。「あまりに高度なテクニックが多いので、僕にはとても出来ないレベルだけれど、塩の使い方など仕事に生かせそうな話もあって、とても参考になりました」とマスター。 ワールドクラスの翌日は、シングルモルト「グレンフィディック」のセミナーでした。5種類を試飲しましたが、マスターはなかでも「18年」ものが一番良かったとのこと。早速バーUKにも1本仕入れたとのことです。 マスターは、大阪市内のS物産で開催されたウイスキーの試飲会にお邪魔してきました。開場15分後に行ったマスターですが、「限定の商品はほとんどが売り切れていた。業界向けの試飲会なのに意味がないよ」とボヤいておりました。 試飲会の帰り、マスターは、懇意なバーのマスターが天満で営むお店でランチしました。お昼の名物はパスタですが、マスターは大好きな「ソース焼きスパ」を選びました。 ご主人と一緒に石垣島でバー「エレファント・カフェ」を営む吉竹のりこさんがバーUKにいらっしゃいました。バーUKには時々、全国から同業者の方がご来店されますが、マスターは「とても嬉しいし、同業者の方の話を聞くのもとても勉強になります」と喜んでいました。 マスターは、友人らが開催中の展覧会にお邪魔しました。今年で48回目を迎える「漫画展」。友人の作品にはマスターも登場しています。絵の中のマスターも嬉しそうです。 展覧会の帰り、マスターは以前から一度お邪魔してみたいと思っていた東三国のバー「キース」を訪れました。ジャパニーズ・ウイスキーが超充実のお店です。オーナーのYさんのご厚意で珍しいモルトも頂き、とても満足なマスターでした。 最近ラムを飲まれるお客様が多いので、マスターは新しい銘柄を1本仕入れました。「プッサーズ(Pusser's)」の15年ものです。はちみつのような香りのする芳醇な味わいです。ぜひ一度お試しを! 故・成田一徹さんのバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』の編集で、マスターと一緒に汗を流した集英社の木下暢起さん(ジャンプ・コミック編集部・部長)が、バーUKにいらっしゃいました。マスターと木下さんとは去年の出版慰労会以来の再会です。店では一徹さんの奥様・素子様も合流し、東京時代の思い出話に花が咲いたそうです。 マスターは、関西のバー業界でいま話題になっているカクテル「カサ・エレガンテ(Casa Elegante)」を、お客様の求めに応じておつくりしました。ホワイトラム、ゴールドラム、レモンジュース、ココナツ・シュガー、オレンジ・マーマレード、コーヒー豆が材料の、爽やかで飲みやすいショートカクテルです。マスターは、コーヒー豆をミルで挽いて最後に振りました。コーヒーの香りがとても良いアクセントになっています。ぜひ一度お試しください。 訪日&在日外国人向けのリサーチサイト「Yelp」にバーUKが紹介されました。嬉しいですね。お客様による英文の紹介も付いています。マスターはめちゃ喜んでおりましたが、「これで外国人客がわんさか、わんさかとおいでになったら、どうしよう?」と少々不安顔も。 2月7日に神戸で開催されたNBA関西大会で「成田一徹」ブースが登場、マスターもお手伝いにお邪魔しました。ブースでは、『NARITA ITTETSU to the BAR』のほか、限定のポストカード、コースターも販売されましたが、とくにコースターと絶版の著書『カウンターの中から』は完売するほどの人気でした。マスターは、「今後もこういう機会があれば一徹さんの業績を広く伝えていきたい」と誓っていました。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回程度お休み。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円
2016/02/08
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78.スクリュー・ドライバー(Screw Driver)【現代の標準的なレシピ】(容量単位はml)ウオッカ(45)、オレンジ・ジュース(45~60)、氷、オレンジ・スライス 【スタイル】ビルドまたはシェイク ※オレンジ・ジュースは皮ごとスクイーザーで絞ってつくるのがおすすめです(皮の油分も混じった濃厚なジュースになり、カクテルの美味しさを引き立てます)。 飲みやすいシンプルな味わいもあって、現代のバーでも人気のあるカクテルの一つです。飲みやすさの割にアルコール度数もそこそこあるので、ひと頃は、「女性を酔わせるためのカクテル」(レディ・キラー」の異名も)という、あまり好ましくないレッテルも貼られましたが、本来は美味しいカクテルです。 誕生の正確な由来はよく分かっていません。第二次大戦後の1940年代後半、サウジアラビア(イラン説もあります)の油田で働いていた米国人労働者の間で、ウオッカにオレンジ・ジュースを入れて飲むのが流行り、ねじ回し(Screw Driver)をマドラー代わりに使ったのが起源とも言われ、多くの文献でそのように紹介されています(出典:Wikipedia英語版&日本語版)。 しかし、近年になって、1930年代にはすでに誕生していたのではないかという説も登場しています。Wikipedia英語版には、「このドリンクは、1938年の文学作品の登場人物のセリフに、以下のように登場している。『あの有名なスミノフのスクリュー・ドライバーだ。ただ、1ジガーのスミノフを注ぎ、オレンジ・ジュースで満たすんだ』」という情報が掲載されています(出典元:Journalism quarterly: Volume 44 in 1938)が、一次資料が添付されていないため、現時点では「未確認情報」というしかありません。 Wikipedia英語版はさらに、「活字になった最も古いスクリュー・ドライバーは、1949年10月のタイム誌(The TIME magazine)で、その号の記事のなかで『パークホテルのバーで、ウオッカとオレンジ・ジュースを混ぜたスクリュー・ドライバーという最新のカクテルが飲まれている情景』が紹介されている」としていますが、それより2年前の1947年に出版された「Trader Vic's Bartender's Guide」(Victer Vergeron著)にすでにスクリュー・ドライバーは登場しています。 そのレシピは「ウオッカ1オンス、オレンジ・ジュース、氷、ハイボール・グラスに満たし、よくかき混ぜる」となっています。 ご参考までに、1950年代~80年代の欧米の主なカクテルブックで「スクリュー・ドライバー」がどのように紹介されているかをざっと見ておきましょう。・「Mr Boston Official Bartender's Guide」(1935年初版刊の1951年改訂版)米 ウオッカ2オンス、アイスキューブ2~3個を入れ、オレンジ・ジュースで満たす(6オンスグラスを使用、ビルド)・「Esquire Drink Book」(Frederic Birmingham編、1956年刊)米 ウオッカ2オンス、オレンジ・ジュース、氷2個(同)・「Booth's Handbook of Cocktails」(John Doxat著、1966年刊)英 ウオッカ2オンス、オレンジ・ジュース1オンス、パウダー・シュガー0.5tsp、氷、オレンジ・スライス=飾り(シェイク)・「The Bartender's Standard Manual」(Fred Powell著、1979年刊)米 ウオッカ1ジガー、オレンジ・ジュース、氷3個(ビルド)・「The Larousse Book of Cocktails」(1983年刊)米 ウオッカ45ml、オレンジ・ジュース75ml、氷3個(ビルド) なお「スクリュー・ドライバー」をシェイク・スタイルで飲む場合、「ゴールデン・スクリュー」と呼ぶこともあるそうですが、個人的には聞いたことはありません。また、ジン・ベースにすると「オレンジ・ブロッサム」、ラム・ベースだと「キューバン・スクリュー」というカクテルになります。 「スクリュー・ドライバー」は日本にも、米国からそう遅れることなく、1950年代初めに伝わりました。当初は、国内の米軍基地内のバーでの流行りでしたが、その後、50年代後半には街場のバーにも広がりました。バーの定番ドリンクになるのは60年代半ば以降です。 【確認できる日本初出資料】「オーソドックス・コクテール」(落合芳明著、1955年刊)。巻末にわざわざ「新しいコクテール」と題した一章を設けたなかで紹介していることからも、当時日本では「新参のカクテル」だったことが分かります。そのレシピは「ウオッカ1オンス、氷3個くらい、オレンジ汁で満たす、8オンスグラスを使用」となっています。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/12/23
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店名をスコッチ・ウイスキーの名前からとるBARは少なくない。しかし、日本でも有名なブレンディド・ウイスキー「Dewar’s White Label(デュワーズ・ホワイトラベル)」にちなんだBARは、おそらく大阪・堂島にあるこのBARと東京・赤坂の「White Label」くらいだろう。 大阪の「Dewar House(デュワー・ハウス)」は、スコッチの名門デュワーズ社の宣伝のための酒場だった。昭和34年(1959)の創業というから今年で49年目。僕も社会人になってからだが、もう20数年来お邪魔してきた、大阪でも屈指の老舗BARである。 デュワーズ社の主力銘柄「Dewar’s White Label」は、アバフェルディ、グレンキンチーなどをキーモルトにした、実に飲みやすい味わい。日本国内のBARでも最もポピュラーな銘柄の一つだろう。 そんな伝統ある酒場のことを、ブログで取り上げることはすっかり忘れていた。ところが先日、会社帰りに久しぶりに訪れると、2代目のマスターからショッキングな話を聞かされた。 店はビルの地下にある。そのビルのオーナーが代わって、老朽化したビルを建て替えるので、「今月いっぱいで立ち退くように言われ、仕方なく近くにある系列店の一角に移転する」という。 移転後に建て替えられるビルへの再入居を望んでいるけれど、入れるかどうかは不透明だという(ビルは今年中に取り壊される予定だが、新しいビルがいつ建つかは何も聞かされてないとか)。これはぜひとも全国のBARフリークに伝えなければならないニュースだ。 先代のマスターで、気さくで優しかったYさんは10年ほど前に亡くなり、今は奥さんと2代目のマスターが店を守る。BAR「Dewar House」の名物はいろいろある。 まず、先代マスターが名機ニコンSPで撮り始めて以来、今も奥さんに受け継がれているお客さんの写真(これが何とモノクローム!)のアルバムはなんと160冊にもなった。 アルバムに登場する人(客)はなんと約4万人という!!(アルバムを見ると、今では有名人になった方もたくさんいる。そう言う僕も、2度ほど撮ってもらってアルバムに収まっている)。 そして、昭和30年代にタイムスリップしたようなレトロな雰囲気の店内。さらに缶詰をメインにしたフード(オイル・サーディン、コンビーフ、ソーセージ等々)がまた旨い。最後に、北新地のすぐそばなのに、デュワーズのショットが1杯400円!という信じられない価格。 先代マスターが亡くなっても、このポリシーは変わらない。変わらない時間と空間。老舗の有り難さを感じる瞬間だ。古き良き老舗の姿をこの目に焼き付けたい方は、今月28日(金)までにぜひ、ぜひお越しください。【Dewar House】大阪市北区堂島2-1-39 B1F 電話06-6345-4645 午後6時~11時 土日祝休(仮移転の店は、現在の店から北東へ徒歩約2分、大阪駅前第一ビルB1Fに)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2007/09/13
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◆プロなら知っておきたい「知られざるカクテル」<下> ※原則、年代順に紹介しています。レシピは標準的なものです。★印は近年においても欧米のバー・シーンでは頻繁に登場する、とくに重要なカクテルです。★エスプレッソ・マティーニ(Espresso Martini) (1983年、考案者=ディック・ブラッドセル<Dick Bradsell>) ウオッカ40ml、エスプレッソ・コーヒー20ml、コーヒー・リキュール10ml、シロップ1tsp。シェイクしてカクテルグラスに注いだ後、表面にコーヒー豆2~3粒を浮かべる ※1983年、当時ロンドン「ソーホー・ブラッセリ―(Soho Brasserie)」に勤めていたディック・ブラッドセル氏(1959~2016)が考案した。当初は、裏メニューとして「ウオッカ・エスプレッソ」の名前で提供されていたが、90年代末、ブラッドセル氏が移籍した「マッチ(Match)」というバーで初めて「エスプレッソ・マティーニ」の名でオン・メニューとなり、幅広く知られるようになった。その後米国の大都市のバーにも伝わり人気が定着した。近年、欧米の人気カクテル・ランキングでは常に上位にランクされている。 ブラッドセル氏は、1980~90年代に活躍し、数多くの「モダン・クラシック」カクテルを遺したことで知られる。ロシアン・スプリング・パンチ(Russian Spring Punch) (1986~87年頃、考案者=ディック・ブラッドセル) ウオッカ45ml、クレーム・ド・フランボワーズ7.5ml、カシス・リキュール7.5ml、レモンジュース23ml、シロップ7.5ml、生ラズベリー6~7個。シェイクした後、氷を入れたタンブラーに注ぎ、シャンパンで満たす ※ディック・ブラッドセル氏(上記45の説明ご参考)が、1986~87年頃、当時バーテンダーとして働いていたロンドンの「ザンジバー(Zanzibar)」で友人のために考案したと伝わる。★トミーズ・マルガリータ(Tommy’s Margarita) (1987~88年頃、考案者=フリオ・ベルメイヨ<Julio Bermejp>) テキーラ40ml、アガヴェ・ネクター(シロップ)15ml、ライム・ジュース15ml(シェイク)、塩でスノースタイルしたロック・グラスに注ぐ ※サンフランシスコのメキシカン・レストラン「トミーズ(Tommy's)」のオーナーで、“テキーラ・マスター”の異名を持つフリオ・ベルメイヨが、1987~88年頃考案したと伝わる。「マルガリータ(Margarita)」のバリエーションだが、マルガリータがホワイト・キュラソー(コアントロー、トリプルセック)を使うのに対して、このカクテルではアガベ・ネクターを使う。ロック・スタイルで味わうことも多いが、ショート・カクテルでも提供される。「アガベ・ネクター」はアガベ・シロップとも呼ばれるフレンチ・マティーニ(French Martini) (1980後半~90年代前半、考案者は不詳、ディック・ブラッドセル考案説も) ウオッカ60ml、ラズベリー・リキュール15ml、パイナップルジュース45ml(シェイク) ※ロンドンもしくはニューヨーク発祥。1997年の「Class Magazine」誌によれば、Chambord社のキャンペーンのために考案されたという(「Keith London」発祥説も)。セレンディピティ(Serendipity) (1994年、考案者=コリン・ピーター・フィールド<Colin Peter Field>) カルバドス45ml、アップル・ジュース45ml、シュガー・シロップ7.5ml、生ミントの葉5~6枚、シェイクした後、氷を入れたタンブラーに入れ、シャンパンで満たす ※パリのリッツホテル(The Ritz Hotel)内「ヘミングウェイ・バー(Hemingway Bar)」のチーフ・バーテンダー、コリン・ピーター・フィールド氏(1961~)が、常連客のためにオリジナル・カクテルをつくったところ、予想を超える美味しさに感激したその客が「Serendipity!」(直接の意味は「素敵な偶然に出会うこと」)と叫んだことから、その言葉がそのままカクテル名になったという。★ジン・ジン・ミュール(Gin Gin Mule) (2000年、考案者=オードリー・サンダース<Audray Sannders>) ジン(タンカレー)50ml、ジンジャー・ビア30ml、ライムジュース20ml、シロップ15ml(シェイク)、フレッシュミントの小枝=飾り ※ウオッカ・ベースの「モスコー・ミュール」のジン・バージョン。サンダース氏は当時ニューヨークの「Beacon Bar」のバーテンダー。オリジナルレシピではホームメイドのジンジャービアが使われているが、通常の缶入りジンジャービアでも構わない。このカクテルは、後にサンダース氏が独立・創業したバー「ペグー・クラブ(Pegu Club)」の看板カクテルにもなった★ポーン・スター・マティーニ(Porn Star Martini) (2002年、考案者=ダグラス・アンクラーー<Douglas Ankrah>) ウオッカ40ml、パッションフルーツ・リキュール15ml、ライムジュース20ml、ヴァニラ・シロップ15ml、パッションフルーツ・ピューレ30ml(シェイク)※小ぶりのタンブラーに入れたシャンパンを別にサーブ ※アンクラー氏は当時ロンドン・ナイトブリッジ「タウンハウス・バー」のバーテンダー。その奇抜な名前もあって、英国内のカクテル・バーで人気を集めるようになり、現在では「モダン・クラシック」の一つとして定着している。ちなみに、2019年には英国内最も飲まれたカクテルだったという。 アンクラー氏がなぜこんな名前(Porn Star=ポルノスター)を付けたのかはよく分からないが、生前(同氏は2021年に死去)のインタビューで「だって、パーティーのスターターとしては、とてもセクシーで、楽しい、気取らない究極のドリンクだろう?」と語っていたと伝わる。リボルバー(Revolver) (2004年、考案者=ヤン・サンター<Jon Santer>) バーボン(銘柄は「Bulleit」を指定)60ml、コーヒー・リキュール15ml、オレンジ・ビターズ2dash、オレンジ・ピール(シェイク) ※サンター氏は当時サンフランシスコ在住のバーテンダー。有名なカクテル「マンハッタン」のバリエーションとして考案したという。その後、ニューヨークの有名カクテルバーのメニューにも取り入れられ、幅広く普及するようになった。 「ブレイト(Bulleit)・バーボン」は1997年に復活したブランド。「リボルバー」とは回転式拳銃のことだが、ベースのバーボンの銘柄「Bulleit」と音の響きが似ている「ブレット(Bullet=銃弾)」からの連想で、この名を付けたのかどうかは、調べて限りでは分からなかった。オールド・キューバン(Old Cuban) (2004年、考案者=オードリー・サンダース<Audrey Sanders>) ラム45ml、ライムジュース23ml、シロップ15ml、ビターズ2dash、生ミント(シェイク)、シャンパンで満たす ※オードリー・サンダース氏は、米国の伝説的バーテンダーで著述家のデイル・デグロフ氏の弟子にあたる。サンダース氏自身も、現在ではニューヨークを中心に活躍する著名な女性バーテンダーで、数多くの「モダン・クラシック」を考案している。スパイシー・フィフティ(Spicy Fifty) (2004~05年頃、考案者=サルバトーレ・カラブレース<Salvatore Calabrese>) ヴァニラ・ウオッカ50ml、エルダーフラワー・コーディアル15ml、ライムジュース20ml、ハニー・ジンジャー・シロップ10ml(シェイク) ※あらかじめ底に唐辛子1個置いたグラスに注ぎ、最後にレッドホット・チリペッパーを少し振る。 ※カラブレース氏は当時ロンドンのバー「フィフティ」のバーテンダー。★ペニシリン(Penicillin) (2005年、考案者=サム・ロス<Sam Roth>) ウイスキー60ml、レモンジュース15ml、ジンジャー・ハニーシロップ15ml、1tsp、アイラ・シングルモルト(できれば「ラフロイグ=Laphroaig」で)1.5tsp(シェイク) ※「ペニシリン」は2000年以降に誕生した「モダン・クラシック」の中でも、群を抜いて知名度を獲得し、人気カクテルとなった。ロス氏は、当時ニューヨーク・マンハッタンの人気カクテルバー「ミルク&ハニー(Milk & Honey)」のバーテンダー。現在はブルックリンでバー「ダイアモンド・リーフ(Diamond Reef)」を営み、フローズン・バージョンも提供しているという。 ジンジャー・ハニーシロップは、サントリー社のプレミアム・シロップ「和 tsunagi 生姜」で代用することも可能。ペーパー・プレーン(Paper Plane) (2008年、考案者=サム・ロス) バーボン、アペロール、ビタースイート、レモンジュースを各4分の1ずつ(シェイク) ※サム・ロス氏が2008年、「店のオリジナル・カクテルをつくってほしい」と依頼してきたシカゴの友人、トビー・マロニー氏(バー「ヴァイオレット・アワー(The Violet Hour)」オーナー)のために考案した。カクテル名は、英国の世界的ラッパーM.I.A.の曲名から名付けたという。ちなみに、当初はアペロールではなく、カンパリを使っていたが、その後「甘さと苦さのバランスがよくない」と感じたロス自身がアペロールに変えたという。★メスカル・ミュール(Mescal Mule) (2008年、考案者=ジム・ミーハン<Jim Meehan>) メスカル45ml、ジンジャー・ウォート【注参照】30ml、ライムジュース23ml、パッションフルーツ・ピュレ23ml、アガヴェ・シロップ15ml(シェイク)。飾り=キュウリのスライス3片、砂糖漬けの生姜 ※ジム・ミーハン氏は当時ニューヨークの超人気バー「PDT(Please Don't Tell )」のオーナー・バーテンダー。「メスカル・ミュール」は数多くの「モダン・クラシック」を考案してきたミーハン氏の代表作の一つ。「ソンブラ・メスカル」の創業者のために捧げられたという。 ミーハン氏はクラシック・カクテルへの造詣が深いことでも知られ、彼が近年に出版した「PDTカクテルブック」と「バーテンダーズ・マニュアル」は「21世紀のサヴォイ・カクテルブック」とも称されている。現在はオレゴン州ポートランドのジャパニーズ・レストランバー「TAKIBI」で、バー部門の責任者として活躍している。 【注】ジンジャー・ウォートは、水、生姜のみじん切り、キビ砂糖、ライムジュースを煮詰めて漉し、つくる。難しければジンジャー・ビアで代用することも可。トリニダード・サワー(Trinidard Sour) (2009年、考案者=ジョセッペ・ゴンザレス<Giuseppe Gonzalez>) アンゴスチュラ・ビターズ30ml、オルゲート・シロップ20ml、レモンジュース15ml、ライ・ウイスキー10ml(シェイク)、「サワー」と言う名が付くがカクテルグラスで提供されるのが普通 ※カクテルでは普通は数滴しか使わないビターズをこんなに多く使ったら、とんでもないカクテルになりそうだが、予想は裏切られ、甘酸っぱさと苦さと複雑な香りが”同居”する不思議な味わいに変身する。現在ではIBA公認カクテルにも認定されている。ゴンザレス氏は当時ニューヨーク・ブルックリンの「クローバークラブ・バー」のバーテンダー (なお、オリジナル・レシピではビターズは「45ml」も使うが、それは150~200mlも入りそうな容量の大ぶりのカクテルグラスで提供することの多い欧米での話。総量70ml前後で提供することの多い日本のバーでは冒頭の分量比で適切と信じる)。ネイキド&フェイマス(Naked & Famous) (2011年、考案者=ホアキン・シモ<Joaquin Simo>) メスカル、ビタースイート・オレンジレッド・アペリティーボ、イエロー・シャルトリューズ、ライムジュース各4分の1ずつ(シェイク) ※シモ氏はニューヨークのバー「Death and Co」のバーテンダー。ビタースイート・オレンジレッド・アペリティーボはアペロールで代用できる。Ve. n. to(ヴェネト) (2021年、考案者=サムネーレ・アンブローシ<Samnele Ambrosi>) グラッパ45ml、レモンジュース23ml、ハニー・ミックス15ml、カモミール・コーディアル15ml、卵白(シェイク) ※カクテル名はイタリアの「ヴェネト(Veneto)州」に由来。アンブローシ氏は「Riva Bar」(所在地不詳)勤務のバーテンダー。同氏曰く「グラッパをベースにした過去にもない、初めてのカクテル」。【以下のカクテルについては、まだ情報は不足していますが、近年、欧米のバーの現場ではしばしば目にするものです。詳しいい情報を入手でき次第、改めて追記いたしますのでご了承ください】イリーガル(Illegal) (2000年代、考案者は不詳) メスカル30ml、ホワイト・ラム15ml、ファレナム(【注】ご参照)15ml、マラスキーノ1tsp、ライムジュース20ml、シロップ10ml(シェイク) ※【注】「ファレナム」はライム、ジンジャー、アーモンド・リキュールでできたトロピカル・シロップ。オルゲート・シロップで代用できる。イエロー・スコーピオン(Yellow Scopion) (2000年以降、考案者は不詳) ウオッカ45ml、パイナップルジュース45ml、ライムジュース0.5tsp、シロップ0.5tsp、アニスシード1tsp(シェイク)ホアン・コリンズ(Juan Collins)(2000年以降、考案者は不詳) テキーラ45ml、レモンジュース30ml、アガヴェ・シロップ15ml、シェイクしてソーダで満たす。レモン・スライス=飾りブレイブ・ブル(Brave Bull) (2000年以降、考案者は不詳) テキーラ40ml、カルーア20ml、氷、ロック・スタイルで(ビルド)エンヴィ・カクテル(Envy Cocktail) (2000年以降、考案者は不詳) テキーラ45ml、ブルー・キュラソー30ml、パイナップルジュース15ml(シェイク)、マラスキーノ・チェリー=飾りブラッディ・マリア(Bloody Maria) (2000年以降、考案者は不詳) テキーラ60ml、トマト・ジュース120~180ml、スパイス類(シェイク)、レモン・スライス=飾り※レシピから分かるように、ブラッディ・メアリーのテキーラ版。【謝意】この回の執筆にあたっては、Robert Simonson氏の著書「Modern Classic Cocktail」(2022年刊)から多くの参考情報を得ることができました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
2023/04/19
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WEBマガジン「リカル(LIQUL)」連載 【カクテル・ヒストリア第36回】 似て非なるミリオン・ダラーとミリオネア「ミリオン・ダラー(Million Dollar)」=写真左=と、「ミリオネア(Millionaire)」=同右。共に、100~130年ほど前に誕生したと伝えられる有名なクラシック・カクテルだが、誕生の経緯について確実な記録は伝わっていない。そして、プロのバーテンダーでも、時々レシピを混同してしまうような、紛らわしいカクテルでもある。 ◆共に卵白を使うレシピが主流にまずは、この2つのカクテルの「現代の標準的なレシピ」を見てみよう(容量単位はml。スタイルはシェイク)。【ミリオン・ダラー】ジン(45)、スイート・ベルモット(15)、パイナップル・ジュース(15)、グレナディン・シロップ2tsp、卵白1個分【ミリオネア】は、ベースが違う3種類(ウイスキー・ベース、ラム・ベース、ジン・ベース)のものが伝わっている。・レシピ1=バーボン(またはライ)・ウイスキー(60)、ホワイト・キュラソー2dash、グレナディン・シロップ4dash、卵白1個分 ・レシピ2=ラム(15)、スロー・ジン(15)、アプリコット・ブランデー(15)、ライム・ジュース(15)、グレナディン・シロップ1dash ・レシピ3=ジン(40)、ペルノー(またはアブサン)(20)、アニゼット1dash、卵白1個分 ◆裏付ける一次資料が乏しい誕生の起源「ミリオン・ダラー」については、「1894年頃、横浜・外国人居留地にあった横浜グランドホテル内のバーで誕生したと伝わる。考案者はカクテル『バンブー』を考案したことで知られる同ホテルの支配人&バーテンダーであり、ドイツ系米国人のルイス・エッピンガー(Louis Eppinger)」=写真右(1900年頃?)=というエピソードが紹介されることも多い。この伝承を裏付ける文献史料は伝わっていないのだが、現代では、海外も含めて「エッピンガー考案説」を支持する見解が、なぜか多数派だ。一方、「百万長者」というめでたい名前を持つ「ミリオネア」も、「20世紀初め(1900~1910年代)に、英国で誕生した」と伝わる代表的な古典的なカクテルの一つだ。著名なカクテル研究家のデヴィッド・ワンドリッチ(David Wondrich)氏は、「1925年までのある時期に(ロンドンの)リッツ・ホテル内のバーで考案された」(出典:http://www.esquire.com/food-drink/drinks/recipes/a3759/millionaire-drink-recipe/)と書いている。ワンドリッチ氏の見解については、パリの「ハリーズ・バー」の創業者、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)氏が自著『ABC of Mixing Cocktails』(1919年刊)のミリオネアの項で、「ロンドンのリッツ・ホテルのバーのレシピ(ウイスキー・ベース)が基になった」と付記していることからも、おそらくは、このリッツ・ホテルが誕生に深く関わっていたことはほぼ間違いない。後で紹介する欧米での初出文献が1908年であることからも、少なくとも1900年代後半には登場していたと考えるのが自然だろう(写真左上=カクテル「ミリオネア」誕生の場所と伝わるロンドン・リッツホテル内のバー <(C)同ホテルのHPから>)。ミリオン・ダラーもミリオネアも、外国航路の客船のバーテンダーや乗客などを通じて、少なくとも1920年代には、欧米やアジアなど幅広い地域でそれなりに普及した。 ◆早い時期に幅広い地域で普及エッピンガーが1894年に考案したというミリオン・ダラーのレシピは、残念ながら、ジンの銘柄や分量比なども含め伝わっていない。現時点で確認できる、最も早い時期に活字となったミリオン・ダラーは、「1922年に、フィリピン・マニラの弁護士、J.A.ウォルフソン氏が地元紙に紹介した記事」(出典:英国のカクテル専門サイトDifford’s. Guide)で、レシピは、「ゴードン・ジン4分の3glass、パイナップル・ジュース6分の1glass、グレナディン・シロップ6分の1glass、卵白1個分」だという。 一方、「ミリオネア」は、米国で1908年に出版されたカクテルブック『Jack’s Manual』(ヤコブ・グロフスコ<Jacob Grohusko>著)=写真右=で初めて活字となった。レシピはウイスキー・ベースで、「ライ・ウイスキー4分の3ジガー、キュラソー6dash、グレナディン・シロップ2dash、オレンジ・ビターズ1dash、卵白1個分」だ。しかしその後、ミリオネアはご存知のように、1910~30年代から、ウイスキー・ベース以外にも、ラム・ベースや、ジン・ベースなど複数の違うベースで創作されるようになる。なぜ様々なバリエーションが生まれていったのか、その理由はよく分からない(今後の私の研究課題だ)。 ◆3つのベースが今なお共存するミリオネアご参考までに、ミリオン・ダラーとミリオネアについて、その後のレシピの変遷を欧米のカクテルブック上で少し見ておこう。【ミリオン・ダラー】使っている材料の分量比は変われども、その後も、現代に至るまで「ジン、スイート・ベルモット、パイナップル・ジュース、グレナディン・シロップ、卵白」という5つの材料を使うという点では同じだ(唯一、1934年にフランスで出版された『The Artistry of Mixing Drinks』=フランク・マイヤー著=は、スイート・ベルモット抜きのレシピとなっている)。【ミリオネア】現在に至るも、レシピはウイスキー・ベース派、ジン・ベース派、ラム・ベース派の3つに大きく分かれ、どれが主流という雰囲気ではない。カクテルブックによっては、複数のベースを収録しているものも少なくない。・ウイスキー・ベース派 『ABC of Mixing Cocktail』(1919年刊)、『Mr Boston Bartender’s Guide』(1940年刊)、『Booth’s Handbook of Cocktails』(1977年刊)、『The Bartender’s Bible』(1991年刊)ほか/・ジン・ベース派 『Waldorf-Astoria Bar Book』(1935年刊)/・ラム・ベース派 『How and When』(1937年刊)、『Vintage Spirits and Forgotten Cocktails』(2009年刊)・2種収録(ジン・ベース、ラム・ベース) 『Recipes for Mixed Drinks』(1916年刊)、『The Savoy Cocktail Book』(1930年刊)ほか/(ウイスキー・ベース、ラム・ベース) 『Cocktail Bar』(1952年刊)ほか・3種収録(ウイスキー・ベース、ジン・ベース、ラム・ベース) 『World Drinks and How To Mix Them』(1934年刊)、『Trader Vic’s Bartenders Guide』(1947年刊)、『Bartender’s Guide』(1970年刊)、『Complete World Bartender Guide』(2009年刊)ほか以上のような歴史的な経緯もあって、欧米のバーでは現在でも、「ミリオネア」と言えば、この主な3種類のベースで提供されている。結局のところ、ミリオネアのレシピに関しては、どれが正しく、どれが間違いというものはなく、どの酒をベースにするかは、そのバーテンダーやお客様の好みによる部分が大きいのかもしれない。 ◆日本におけるミリオン・ダラーとミリオネアミリオン・ダラーは、日本では1920年代にはすでにメジャーになっていたのか、当時のカクテルブックにも登場する(『カクテル製法秘訣』=中田政三著、1926年刊=写真左)。レシピは、「ジン10分の2、パイナップル・ジュース10分の2、ホワイト・キュラソー10分の1、グレナディン・シロップ10分の1、ストロベリー・シロップ10分の1、卵白1個分」となっている。中田氏はスイート・ベルモットを使わないレシピを採用しているが、日本ではその後はベルモットを使うレシピ、使わないレシピの二派に分かれるようになる。私の手元にある日本国内出版のカクテルブック約40冊で調べてみたら、約6割が「ベルモットを使う」、残り4割が「使わない」だったが、近年に絞ってみるとほぼ100%が「使う」派だった。横浜グランドホテル=写真左下(開業間もない頃のポストカード)=は、1923年の関東大震災で大きな被害を受けたため廃業したが、同ホテル出身で、その後バー業界の重鎮となった浜田晶吾氏が、このミリオン・ダラーの普及に大いに貢献した。現在の横浜ニューグランド・ホテルは、直接横浜グランドホテルの流れをくむ訳ではないが、ホテル内のバーでは、ミリオン・ダラーは今日でもなお、定番の人気カクテルとなっている。一方、ミリオネアも日本には比較的早く、1920年代初めに伝わり、1924年<大正13年>刊の『コクテール』(前田米吉著)で早くも紹介された(レシピはウイスキー・ベースで、「ウイスキー3分の2オンス、グレナディン・シロップ3分の1オンス、キュラソー1dash、ガム・シロップ2dash、卵白1個分。シェイクしたる後、グラスに注ぎ、アブサン少々を加えてすすめる」)。日本では当初、ウイスキー・ベースの方が主流だったが、現在のバー・シーンでは、ラム・ベースの方が比較的多くつくられているようだ(ただし、私のバーでは、米国で主流のウイスキー・ベースで提供している)。・WEBマガジン「リカル(LIQUL)」上での連載をご覧になりたい方は、こちらへ・連載「カクテル・ヒストリア」過去分は、こちらへ
2026/06/04
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◆意外と知らないSNS上の「引用」ルール(2018年&2019年の法改正内容を反映させて、本文を修正致しました) 以前の日記(2009年7月9日)で、「知っていますか?ブログでお店を紹介する際のルール」という一文を書きました。当時はまだ、Blog全盛時代で、その後、MIXI、Twitterが登場し、今ではfacebookやLINEがSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)の主流になりつつあります。個人的には、どのSNSにもそれぞれ長所・利点があると思っています(使い勝手はさまざまですが…)。 さて、今や私たちの生活の中にどっぷり入り込んできたSNSですが、「他のサイトや他人の日記から引用・利用する場合のルール」について、意外と正確に知らないことが多いのに気づきました。私の友人の中には、「ネットの世界では、他のサイトやBlogなどからの引用・利用はまったく自由」「SNSの日記は著作権法の保護の対象外なんだろ」と勘違いしている人もいました。 当然ながら、インターネットの世界でも、法的ルールや一般的なマナーが存在します。こうしたルールやマナーを守ることで、ネット上での思わぬトラブルを防ぐことができて、「著作権侵害だ!」と訴えられるリスクも回避できると思います。 良い機会なので、僕自身もこれまでやや曖昧な理解でしかなかったSNS上での「引用・利用」問題について、自戒も込めて整理してみたいと思います。本稿は少々長くなりますが、絶対に知っておいて損はないと思いますので、ぜひ最後までお付き合いください(僕は法律の専門家ではないので、もし記述に間違い等がありましたら、ご指摘していただければ幸いです)。 ◆公正な引用ための要件 まず、日本では著作権法32条で、「公正な慣行に合致し、報道・批評・研究など目的上、正当な範囲内で、定められた要件を満たしていれば、著作権者の了解なしに引用して利用できる」とされています。そして、そのための要件が具体的に定められています。そしてもう一つ。必ず知っておかねばならないのは、日本ではSNS上の日記も、他の文学作品、音楽、映画、絵画、写真などと同様に著作権法の保護対象として認められているということです。 では、合法的な引用・利用の要件とはどのようなものかですが、インターネットの法律専門サイト等では、「公正な引用のための要件」として、以下のようによく紹介されます。これは文化庁が、1980年3月の最高裁の判例(有名な「パロディー写真事件判決」=マッド・アマノ氏vs白川義員氏)等にもとづいて、「著作物から引用する際の注意指針」として公表している「4要件」(下記の2~5)がベースになっています(文化庁のHP→ http://www.bunka.go.jp/chosakuken/ )。 (1)引用先は公表された著作物であること (2)「公正な慣行」に合致すること(「公正な慣行」の定義は示されていませんが、判例等では以下の(3)(4)(5)の要件がこれに当たるとしているケースが多いそうです) (3)引用する必然性があること(その引用が文章の目的や構成上、必要・不可欠である) (4)引用部分に「」(かぎかっこ)をつけるなど、自分の著作物と引用部分が明確に区別されていること(引用であることが明確であれば、「」が必要でない場合もあります) (5)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(あくまで自分の文章が「主」で、引用された文章は「従」でなければなりません。「主」か「従」かは、引用の量ではなく、書き方やその作品の趣旨・目的がポイントです。ごくわずかでも違法となることもあります) (6)出典・出所が明示されていること(著作権法48条)(出所を明示せずに、自分の文章か他人の文章かを明確に区別せず、自分自身が書いたように見せかけるのはいわゆる「盗用」で、「引用」でも「転載」でもありません)。 (7)勝手な変更を加えないこと(書き換えたり、つぎはぎしたりしない) (8)引用しすぎないこと(量的にも、引用部分の方が本文より短いことが必要です。1~4の条件を守っても、大量に引用・転載すれば、「無断転載」となり、違法となります。一般的には、「引用部分はその文章全体の約10%以下、多くとも20%までが望ましい」と言われています) (9)報道・批評・研究などのための「正当な範囲内」であること(末尾【注1】ご参照) 合法的な引用とみなされるためには、以上の9要件をすべてクリアする必要があります(言い方を換えれば、この9要件をクリアしていれば、Web上でも印刷物でも、自由に引用できます)。この9要件は、文章(言語著作物)に限らず、音楽、映画、写真、絵画・彫刻・漫画などの美術作品、芸術的な建築物、地図、舞踊の振付などさまざまな著作物に適用されます(著作権法10条1項)。(※なお、画像の引用要件については、文章とまったく同じとはいきません。画像の引用問題については稿を改めて考察してみたいと思います)。 世界中のパソコンやスマホとつながっているSNSの世界では、自分のページに掲載した瞬間に、それは「私的利用」ではなく、不特定多数への発信行為=「公衆送信」とみなされるので、細心の注意が必要です。 以上の要件を守らず、故意に違法な引用・利用をして違反に問われ、万一、刑事事件にでもなれば最悪、「10年以下の懲役または1000万円以下の罰金」(著作権法119条)という重い罰則が科せられますので、「これくらいはいいだろう」と軽く思わない方が賢明です(ただし、故意でなく過失であった場合は、刑事罰は適用されません)。 ◆許可・了解なしで引用できる場合や対象 著作権法の実際の運用では、「公正かつ正当な目的であれば、相手の許可・了解なく無料で引用・利用ができる」ものもあります。その具体例として、以下のようなものを挙げています(もちろん、まったくの無条件ではありませんし、出所の明示は原則必要です)。 ・報道・ニュース記事(ただし事実の伝達にすぎない記事、例えば火事、交通事故、人事異動、死亡記事などに限られ、それ以外の記事は引用の度合いによっては違法になります)。 ・保護期間の切れた著作物(日本では作者の死後70年経過、または著作物の発表後70年が経過)※従来の保護期間は「50年」でしたが、2018年の法改正で「70年」に延長されました。(末尾【注2】ご参照) ・家庭内、友人間の私的使用(ただし、SNS上で文章や写真を引用・転載することは「私的使用」とはみなされていません。不特定多数に発信し、アクセスされるからです。また、違法なものと知りながら画像や音楽をダウンロードすれば違法となり、刑事罰の対象となります) ・学校内における利用(教科書や試験問題、校内放送等)対面授業あるいは対面授業と同時に行うオンライン授業での著作物の利用では、従来から、著作権者の許諾は不要となっていましたが、2019年の法改正ではさらに、対面授業と同時のタイミングでないオンライン授業等で著作物を利活用する際にも、一定の補償金を管理団体に支払うことで、著作権者の許諾が不要となりました。 ・ネットオークションに添付する商品写真(2009年の法改正で正式に認められるようになりました) ・美術館・博物館などによる利用= 従来から一定条件下での収蔵作品の複製は認められていましたが、2019年の法改正では、美術館・博物館・図書館などが収蔵作品をネットワーク上で閲覧させる行為や、美術品や写真などの販売のためのカタログ掲載も、著作権者の許諾なしに利用可能となりました。 ・「検索エンジンサービス」(Google、Yahooなど)における利用、および「思想または感情の享受を目的としない利用」(例えば、IT技術開発の過程やAIによる情報解析など)= 2019年の法改正で、一定の条件下で著作権者の許諾なく利用可に 【その他】 法令・条例・判決/国や地方公共団体の行政資料、報告書 / 屋外広告・建築物 / 画素数を落とすなどした絵画、写真画像(※1928年の発表後70年以上が経過しているミッキー・マウスの著作権はどうなのかとよく話題になりますが、この問題は後日、このブログ上で改めて取り上げたいと思います)。 ちなみに、引用という形ではなく、著作物をほぼそっくり真似た場合はどうか。著作権法には具体的な規定はありませんが、法律専門サイトによれば、「引用部分がゼロでも、真似(酷似)しすぎた結果、相手に不利益を与えた場合は、民法709条(不法行為による損害賠償)によって、賠償を請求されるおそれ」があります。やはり過度に真似るのはリスクが大きいということになります。 ◆著作権法で保護されていないもの 一方、著作権法では原則、保護されていないものもあります。例えば、車や家電などの大量生産の工業製品、衣服のデザイン、料理やカクテルなどのレシピ、店舗名(ただし商標登録で保護されている場合あり)や外観、車や家電の外観(特許をとっていれば別ですが)、ランキング、新聞の見出しなどです。 レシピなどは「私がこんなに苦労して考案したのに…」と不満に思う方も多いかと思いますが、現行法上では残念ながらこうなっています(ただし、レシピを書いた本の写真を勝手に転載したり、文章を丸写しすれば、これは著作権法違反です) 車や家電など工業製品や衣服、ジュエリー等のデザインは、著作権法の代わりに意匠法という法律で保護されています。著作権法と違うのは、著作権は創作時点で自然発生するのに対して、意匠権は申請し、認可されないと発生しない点です。登録が認められれば20年間保護されます。また、商品名や店舗名は商標法という法律で守られています。申請して登録し、更新すれば半永久的に認められます(ただし、意匠権も商標登録も独創性がないものは申請しても却下されますし、そもそも登録できない名前<国名や地名、すでに定着している普通名詞、ありふれた人名など>もあります)。 ◆ルールやマナーを守ることが大切 なお、著作権法違反は親告罪なので、原則として、告訴がない限り捜査当局は動きません。実際、SNSの世界では、相手を法的に訴える労力や時間、費用を考えたらバカバカしいので、刑事告訴にまで至るのはきわめて稀なケースでしょう。また、警察もそこまでヒマではないから、もし次々告訴があったとしても、個人間の著作権侵害をいちいち立件はしないでしょう。 警察が立件しないからと言って、違法な「引用・転載・利用」は、道義的にも許されるものではありません。悪気なく、何気なく引用・利用したとしても、違法であれば民事裁判で損害賠償を求められる可能性はあります。合法の範囲内であっても「かなりの量を引用・利用する」場合は、可能な限り、引用元に事前の了解をもらっておくのが、Webと言えども「大人のマナー」だと僕は思います。 なお、現行著作権法では、引用明示義務違反、死後の人格的利益の侵害など一部は非親告罪となっているので、告訴がなくても悪質なものは摘発される可能性はありますので、とくに気をつけたいものです。2018年の法改正ではさらに、海賊版を販売・ネット送信する行為も非親告罪化されました。 結論として、安易にコピペ(コピー&ペースト)せずに、ルールやマナーをきちんと守った引用・利用に徹することが何よりも大切です。僕自身もこれからも自戒しながら気を付けたいと思いますが、無用なトラブルを招かないように、みんながこうしたルールやマナーを守って、SNSを気持ちよい空間にしていきたいものです。【注1】「報道・批評・研究などのための『正当な範囲内』」という要件については、改正著作権法(2019年施行)でも明確な定義は示されていません。 唯一、判例で「社会通念に照らして合理的な範囲内のものであることが必要であり、具体的には、他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか、その方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない」と示されている程度です(大阪地裁・2013年7月16日判決)。 すなわち、「引用に必然性・必要性があって、引用の分量や引用個所が適切であり、引用部分が明確に区別されている」などの条件を満たす必要があるのは当然だと思われます。【注2】著作者が亡くなったのが1967年末以前であれば、2018年12月30日の改正著作権法施行以前に50年の保護期間(1968年1月から起算)が終了しているため、70年には延長されません(1967年に亡くなった芸術家で言えば、例えば、山本周五郎<作家>、壷井栄<作家>ら)。 なお、著作者が亡くなった後、著作権継承者がいなければ、原則として著作者死亡時点で著作権は消滅します。 【御礼】この一文を書くにあたって、主に下記のWeb ページ上の解説やデータ、Q&Aから貴重な情報や示唆をいただきました。この場を借りて著者・編者の皆様には心から御礼申し上げるとともに、そのページ(出典元)を紹介しておきます。・「著作権法ガイド(無料引用のルール)」→ https://homepage1.nifty.com/samito/copyright2.htm・「はじめての著作権法講座」→ https://www.cric.or.jp/hajime/hajime7.html・「ニコニコ大百科:著作権法とは」→ http://dic.nicovideo.jp・「サイトポリシー:著作権について(朝日新聞デジタル)」 → https://www.asahi.com/policy/copyright.html・「知的財産法実務解説」→ https://www.saegusa-pat.co.jp/copyright/cr_02_1.html・「コンピュータ用語学び塾」→ https://blog.goo.ne.jp/yougo-school/e/・「SNSにおいて著作権侵害・肖像権侵害問題は生じるのか?」 → https://www.ys-law.jp/article/13284717.html・「ニュースな待合室」 → https://informatics.cocolog-nifty.com/news/2008/03/mixi_3d40.html ・「著作権が自由に使える場合」(公益社団法人・著作権情報センター)→ https://www.cric.or.jp/qa/ ・「著作権法の引用要件を満たしているのに、かさねて許諾を得る必要があるのか」(STORIA法律事務所Blog)→ https://storialaw.jp/blog/6114 ・「著作物・著作権をめぐるルール改正(解説)」(GVA法律事務所HP)→ https://gvalaw.jp/6253 ・「著作権を侵害せずに文章や画像を引用・転載する方法」(ベリーベスト法律事務所HP)→ https://best-legal.jp/copyright-quotation-4942 ・「著作権保護期間、50年から70年に延長。一部非親告罪化も」(Watch Impress)→ https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1152341.html 【おことわり】この日記は「引用」のルールについて、現時点での著作権法上の一般的なルールや法的見解、マナー等をまとめたものですが、個別具体的問題についての対応・見解まで保証するものではありません。具体的な疑問やトラブルについては文化庁や法律専門家にお尋ねください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/09/20
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阿波弁(12月20日)、金沢弁(2月14日)、京都弁(3月22日)と書いてきて、だんだん方言ネタがなくなってきて困ったなぁ…ということで、今回は大阪弁をテーマにしようと思う。京都生まれで大阪育ちの私は、現在は兵庫県で暮らしている。言語形成期は大阪で過ごしたので、基本的には大阪弁だ。会社では意識的に標準語で喋っているが、家に帰ったとたんに言語中枢は大阪弁モードに切り替わる。 就職して最初の赴任地は北陸の金沢だったので、最初は、仕事相手とどういう言葉でしゃべっていいのか戸惑った。関西弁(大阪弁)で仕事ができるのかなぁ…、しかし、金沢弁でコミュニケーションするなんて、何年かかるか分からないし…(金沢に何年住むのかも分からない)(写真左=道頓堀と言えば、グリコのイルミネーション=これは03年秋、阪神タイガースが優勝した時の限定バージョン)。 そこで僕が取った選択は、仕事では、可能な限り徹底的に標準語で喋ろうということだった(ただ、歴史的に関西との付き合いが深い金沢では、方言のイントネーションも関西弁に似たところが多かったので、結果的に、僕の口からポロっと関西弁が出ても、そう違和感を持たれることはなかった)。 金沢でのオフィスには、当時9人のメンバーがいたが、出身地は東京あり、九州あり、四国あり、関西ありとみんなバラバラ。だから、僕が標準語で喋っても不自然さはなかった。もちろんそうは言っても、ときには無意識に関西弁も出るが、僕が関西出身と当然みんな知っていたので、それをいちいち指摘する人もいなかった(写真右=いつも人が絶えない法善寺横丁の水掛け不動さん。願い事すれば叶う?) いま僕が仕事をしている大阪の社内では、もちろん関西出身者の割合が一番多い。ただ、うちの会社は全国にオフィスがあって、採用も転勤も全国規模でやるから、大阪のオフィスには、北海道から沖縄まで、全国いろんなところの出身者がいる。だから僕も一応、会社では初任地からの標準語スタイルを、今も貫いている。そして、僕が京都生まれの大阪育ちという、生粋の関西人だと知ると、結構みんなびっくりする。 東京から転勤して来る人には、関西はまったく初めてという人も、結構いる。そういう人たちは、関西人の気質や、関西弁というものに、まず戸惑う。「地下鉄の乗客の会話がみんな漫才に聞こえる」ともよく言う。なかには、「関西が怖いー」という人もいる(山口組のイメージが強すぎ!)(写真左=大阪の名所はいろいろあれど、やはり太閤さんの大阪城。とは言っても、今の大阪城は憎き徳川が再建した城郭だが…)。 そういう人には、「とにかく街を歩いて、関西の美味しいもん味わって、先入観は捨てて、人情に触れてみてください。大事なことは、カッコつけずに本音で会話すること。歩み寄ってくる人には、関西人はとことん親切してくれますよ」とアドバイスする。「関西弁マスターして、コミュニケーションとれたら、もっと面白いですよ」とも付け加える。 今ではテレビで関西弁が席巻する。東京の山手線の車内でも、昨今、関西人は臆することなく、関西弁で喋っている(東京に出てきた東北や九州出身者が、できるだけ方言は避けようとするのと正反対という)(写真右=バカと猿は高いところに登りたがるが、大阪人だって…。通天閣は新世界のシンボル)。 関西弁(大阪弁)がこれほどメジャーになったのは、明石家さんま、ダウンタウン、島田紳助ら吉本の芸人が、テレビというメディアで当初から関西弁で貫いた功績(?)が大きい。もし彼らが標準語に「矯正」されていたら、関西弁がこれほど「認知」されることはなかっただろう。ミュージシャンも今や関西勢が目立ち、トークでも「素のまま」で関西弁を喋っている。つんく、トータス松本、平井堅、堂本剛&光一、綾戸智絵、aiko、矢井田瞳、大塚愛…等々数え切れないくらい。 「じゃぁ、関西弁教えてくださいよー」と、社内の転勤者に時々頼まれる。頼まれたことがきっかけで昔、以下のような「関西弁クイズ」なるものをつくった。これだけ知れば、貴方はもう「関西弁通」?!(関西人でも、若い人はあまり使わない言葉も一部あるが…)。関西圏の方も、そうでない方も、ぜひ一度挑戦を。 【関西弁(大阪弁?)理解度テスト】(50問:45問以上分かれば、「関西弁博士」の称号を贈りましょう! ※印は今や標準語化している言葉かも…)問題:次の関西弁を標準語に直しなさい1.あんばい※( ) 2.行きしなに( ) 3.いっちょかみ( ) 4.いらち※( ) 5.うっとおしい※( ) 6.〈ご飯を〉うます( )7.ええし( ) 8.おあいこ( ) 9.おいど( ) 10.おこうこ ( ) 11.かいもく※( ) 12.〈机など〉をかく( )13.かさ高い( ) 14. きばる※( ) 15.きょうび( ) 16.ぐるり( ) 17.ごんた( ) 18.さらっぴん( )19.すか( ) 20.せく( ) 21.ちちくま( ) 22.ちびる( )23.てれこ※( ) 24.でんぼ( )25.どつぼ( ) 26.とれとれ( ) 27.〈元の場所に〉なおす( ) 28.ぬくめる( ) 29.ねき( ) 30.のっけから※( )31.はんなりした( ) 32.びびる※( )33.べった( ) 34.ほかす( ) 35.ほたえる( ) 36.まがいもん※( )37.まっかいけ( ) 38.めばちこ( ) 39.もっさり( ) 40.もみくちゃ※( ) 41.やいのやいの( ) 42.やんぺ( )43.やきをいれる※( ) 44.ゆびづめ( ) 45.ようけ( ) 46.よそいき※( ) 47.らちがあかん( ) 48.冷コー( )49.ろくすっぽ※( ) 50.わや( ) 正答は近日公開しまーす。さて貴方は何問できたかなー?
2005/04/23
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【2022年4月1日改訂・追記致しました】 拙著「今宵も、BARへ--『私的』入門講座20章」へのご支援、本当に有難うございます。さて、このたび本文第19章「私の『おすすめ』BAR」を改訂いたしました。 以前からお伝えしていますように、「おすすめ」BARで名前を挙げた店は、原則として、私自身が実際に訪れた店や、個人的に人柄や接客ぶりを知っている店のなかから、あくまで「主観や好み」および、(「今宵もBARへ…」で紹介したような)私なりの「ルール」(基準)で選んでおりますが、今回は、こうした店だけではなく、親友でもあった切り絵作家の故・成田一徹氏から生前に「いい評価」をよく聞かされていたBARからも選びました。 結果として、「おすすめBAR」の数は、42都道府県の約300軒以上にもなりました。なお、過去の「おすすめBAR」リストにあったものの幾つかの理由で外した店もあります。また残念ながら、ここ数年の間に閉店した店は削除いたしました。 毎回書いていることですが、私の「大好きなBAR」「馴染みのBAR」が、他の方にとっても「いいBAR」であるとは断言できないことも、あらかじめご承知おきください。なかにはお値段が少し張るBARもありますが、私が「その対価に見合う価値のある店」と判断した場合は、掲載しています。 この「リスト」が貴方とBARとの良き出会いのための「手掛かり」になれば、これに勝る喜びはありません。連載時や本でも断りましたが、店の住所や連絡先はあえて記していません。「いいBAR」と出会うには、見つけ出すそれなりの努力も必要です。悪しからずご了解ください。【北海道】<札幌>Barやまざき、 Bar Proof、Bar Adonis、Barコオ、The Nikka Bar、ドゥ・エルミタージュ、Malt Bar Kirk Wall、<小樽>Bar HATTA【岩手】<盛岡>Bar BARON、Bar ニート、アルセーヌ・ルパン、<北上>The Slaintheva(スランジーバ)【秋田】Bar Le Verre(ル・ヴェール)、Bar Lady、The Bar 1980【山形・酒田】ケルン【宮城】<仙台>Andante、森羅万象、Bar Arcanciel、Le Bar KAWAGOE【福島・郡山】Bar WATANABE【群馬・高崎】カクテルバー・ポイント【栃木・宇都宮】バー・シャモニー、パイプのけむり本店、パイプのけむり・夢酒OGAWA【埼玉】<さいたま>Shot Bar Peace、Bar SAKAMOTO <春日部>Cooper’s <秩父>EAU DE VIE Hill's Top【千葉・船橋】Bar Cooperage【東京】 <銀座・新橋・有楽町>ルパン、 銀座サンボア、Barオーパ、JBA Bar洋酒博物館、JBA Bar SUZUKI、MORI Bar、Rock Fish、 Bar FAL、Bar Anthem、 数寄屋橋サンボア、Bar Orchard Ginza、 Bar草間ギンザ、 酒向Bar、 スタア・バー・ギンザ、Bar Four Seasons、Bar MUSASHI、酒仙堂、TOSTI、EVITA、Bar SLUGG’s、Bar R、バーBOOK、Syndycate、Bar Satin Doll、バー夕、SCAPA、アトリウム&アトリウム・エン、Bar T.O.、キャンベルタウン・ロッホ <その他のエリア>Bar Fingal、Bar Leaf、Bar 港、Bar RADIO、東京會舘・Main Bar、ガスライト、bar Salvador、Bar Sunface、Bar BenFiddich、Bar Algernon Synfonia、Bar BEE、Jus de Peche、Bar Smoke Salt、Bar Cielo、Bar dr(ディア)、Bar Somethin'、バーリィ浅草、OGURA is Bar、Barフラミンゴ、サンルカール・バー、ABE、琥珀、太陽と星のバー(現在は「あなろぐ村」と改名)、石の華、Bar Caprice、Le Zinc、カエサリオン、Speyside Way、Bar Woody、永楽倶楽部バー・コーナー、Bar Shanks、KAZZ、Bar ラ・ポポット、Bar Tenderly、Bar Heath、Mandarin Bar【神奈川】<横浜>スリー・マティーニ、 Bar Nemanja、Bar Casablanca、Sea Guarddian2、The Dufftown、Bar The Sheep、Bar Noble、Bar GLORY大倉山、Bar MATSUMOTO Bar Eau de Vie【静岡】<沼津>Bar Victory、Frank Bar <三島>Bar 奈良橋、 Bar YUMOTO【長野】メインバー・コート【富山】仏蘭西屋・洋酒肆、Barリクオル、舶来居酒屋・白馬館、Jazz&Liquor ジェリコの戦い【金沢】広坂ハイボール、エスト高橋、倫敦屋酒場、MACHRIHANISH、Bar Spoon【福井】Bar LOTUS、Bar Dufftown【岐阜】BAROSSA Cocktailier、貿易風ミグ、洋酒天国、サフラン【名古屋】<名古屋>Bar Kreis、Yoshino Bar、Bar Barns、酒肆・蘭燈(らんたん)、Bar 立礼(りゅうれい)、Bar ALBION、Bar Old Time、Barノクターン <豊田>Bar Ron Cana【三重】<津>British Pub Pige(ピゲ)、<四日市>Bar Vintage、<桑名>洋酒肆ふるかわ屋【滋賀・彦根】Salon Bar Thistle【京都】フィンランディア・バー、Bar K6、祇園サンボア、 フェロー&フェロー、Bar Rocking Chair、Bar YANAGI、The Common One Bar、K家、Bar Talisker、バードランド、Bar 玄、キャラメル・ママ【大阪】<キタ>Bar K、 Bar BESO、Bar Cluricaun(クルラホン)、北サンボア、 堂島サンボア、北新地サンボア、 Bar Arlequin(アルルカン)、スタンド・アルル、Bar TIME 天神、Bar Cadboll、Bar the Monarch、Bar Hardi、 ギルビヰ、十三トリス、ハイボール小路、Bar Savoy Osaka、Little Bar、Bar Arpeggio、Boby's Bar、Bar HIRAMATSU UMEDA、Bar AUGUSTA、MORITA BAR、天神橋サンボア、ムルソー・セカンドクラブ、オールドインペリアル・バー(帝国ホテル大阪) <ミナミ>OTIS、Just A Little Bit、EVE、 吉田バー、Bros Bar、スコッチバー・タロー、Bar Whiskey、デュエット <その他のエリア>Dramhouse the Root、バー立山、Bar 7th、Bar BABY、Rogin's Tavern、Shot Bar Keith <堺>Whisky Cat、Bar Kiln、Bar中原【兵庫】<神戸・三宮&元町>Bar Mainmalt、Bar YANAGASE、 Bar Savoy 北野坂、Sunshine Bar、Bar Sloppy Joe、Bar Savoy Hommage、Bar Moon-Lite、Bar Alco-hall、Papa Hemingway、Bar Logensitz、Bar Charlie Brown、AZABU Bar、The Avery's、Slice Bar、Bar SONORA、Bar Andante、Bar le Bateau、神戸ロバアタ商会 <その他のエリア>Bar THE TIME(西宮)、Bar Camphorwood(尼崎)、Bar TRIBECA(加古川)【奈良】Bar Cotton Club、Bar Dalwhinnie、Lamp Bar、The Sailing Bar(会員制)【和歌山】Bar Tender、Bar The BARMAN、Bar Roge【広島】<広島>Bar Slaintheva(スランジーバ)、Bar Oldies、Bar Fouque、Bar Brown、Bar Usquebaugh(ウスケボ)、<福山>ROHTA's Bar、暁(福山店)※尾道の本店は現在休止中【岡山&倉敷】Utena Bar、SAMSARA、Bar 北田、Onoda Bar(倉敷)【鳥取】Bar Style、Misty Bar【松江】Bar山小舎、Bar Loch Side、中村Bar【山口・岩国】Bar Prelude【徳島】Bar鴻(こうの)、Long Bar、Bar Glen K、JAZZ BAR SWING、Bar ARCHE(アルシェ)、KOZO's Bar【高松】Bar le Camarade(ル・カマラード)、Barダンク、Barふくろう【松山】Bar 露口、Bar JuJu、Bar 独奏【高知】Bar フランソワ、Walton Bar、Bar Pourer【福岡】<中州>Bar 七島、Bar HIGUCHI、Bar Heart Strings、Bar GITA、Bar倉吉、スタンドバーいしばし、<大名>Bar オスカー、Barセブン・シーズ、Barパルム・ドール、Bar粋七(いきしち)、MOMOTA BAR【長崎】Bar Waverly、Bar Strand【熊本】Bar States、Bar Village【大分・佐伯】カクテルバー玉井【鹿児島】Shot House ハイブリッジ、Bar宮元、池田バー【沖縄(本島/宮古島、石垣島)】バー・ラヂオ、Shot Bar Fox Hole、ハッチャーマン・クラブ、エレファントカフェ(2021年2月1日改訂)【追記(2021.2.1.)】今後も「今宵も、BARへ…」WEB版では、「おすすめ」BARを随時追加していく予定です(製本版は現在絶版です。再版予定は現時点ではございません。悪しからずご了承くださいませ)。 なお、上記に紹介したBarには、その後閉店・移転した可能性のあるBARもございます。ご訪問の際は、事前に現在の営業状態をご確認ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2016/02/11
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【2005年7月17日の記事の再投稿です。原則として、当時書いたままの文章を再録しています】 キリンのお茶「茶来」のCMに、芸能界に復帰した中山美穂が登場している。ミポリンには特別興味はない私だが、バックに流れている曲を聴いて、思わず「あぁ、懐かしいなぁ…。いい曲だなぁ…。でも、40歳以下の人はこの曲、誰の曲か分からないだろうなぁ…」と独りつぶやいていた。 曲名はCM画面の片隅にも出ている通り、「地球はメリー・ゴーランド」。1972年、GARO(ガロ)という3人組のグループが出した2枚目のシングル曲(デビューアルバム=写真左=にも入っている)である。GAROと言ってもすぐピンと来ない人でも、「『学生街の喫茶店』を歌っていたグループ…」と言えば、思い出されるかもしれない。 GAROは、1971年にデビューした。堀内護(愛称「マーク」、当時22歳)、日高富明(同「トミー」、同21歳)、大野真澄(同「ボーカル」、同22歳)の3人からなるグループ。当時は「フォーク・ロック」というジャンルに入っていたかと思う。アコースティック・ギターによるコーラス・バンドで、カバー曲以外の、オリジナル曲づくりも自分たちでこなした。 当時、同じくギター・バンドをやっていた私にとっても、GAROはお手本でもあり、目標でもあった。彼らの曲もよくコピーし、歌った(写真右=GAROが残した唯一のライブ・アルバム。CS&Nなどの洋楽を演奏したライブ音源も、ぜひCD化してほしいが…)。 当時GAROは、単に「フォーク・グループ」と呼ばれることが多かったが、私は今でもこの言い方には馴染めない。高いコーラス・ワークとギター・テクニックを誇った彼らは、メジャー・デビュー前から、「和製CS&N(クロスビー、スティルス&ナッシュ)」とも言われ、注目されていた。実際、彼らが目指していたのも、フォークとかいう狭いジャンルにとらわれない音楽だった。 デビュー・アルバムでは、曲づくりやコーラスで、その素晴らしい才能があちこちに垣間見れる。初期の頃は、冒頭で触れた「地球は…」のほかにも「1人で行くさ」「涙はいらない」など、音楽的にもレベルの高い、クオリティの高い曲が多かった。しかし、大ヒットという訳にはいかず、GAROは一部の熱狂的なファンの間での存在だった。 それが一転したのが1973年、3枚目(4枚目説も)のシングルとして発売された「学生街の喫茶店」の大ヒットだった。実は当初、この曲は「美しすぎて」というシングル曲のB面だった。それが、GAROの「大衆化路線」を目論むレコード会社やプロデューサーの方針で、発売直前、B面の「学生街…」がA面に差し替えられたという(このためジャケットの裏面の歌詞では、A面は元の「美しすぎて」のままだった)。 この曲をつくったのは、すぎやまこういちという当時の売れっ子作曲家・編曲家だった(代表曲にタイガースの「花の首飾り」、ヴィレッジ・シンガースの「亜麻色の髪の乙女」などGS<グループサウンズ>に数多くの曲を提供していた)。GAROのメンバーは、この「歌謡ポップス」のような曲を、最初あまり歌いたくなかったと聞く。しかし、デビュー間もない3人に大レコード会社、大作曲家に抵抗できるはずもなく、言われるがまま「学生街…」がA面として売り出された。 それが幸か不幸か、それがオリコン・チャートで1位になり、70万枚を超える大ヒットになってしまった。その年のNHK紅白歌合戦にも出場し、この曲を歌わされることになる。そしてそれ以後、GAROと言えば、「学生街…」というレッテルが付いて回った。もともと洋楽志向だった3人にとって、「歌謡ポップス」のグループのように見られるのは、辛い現実だったに違いない(写真左=GAROのアルバムはほとんどが廃盤になっていて、現在はこのベスト盤のみが発売されている)。 GAROはライブなどでは、思い切り、洋楽のカバーや洋楽をルーツにしたオリジナル曲を歌っていたが、テレビではやはり、「『学生街…』を歌ってください」ということになる。しばらくは我慢していた3人だが、結局は、「これは僕らの求めていた音楽ではない」と気づく。そして、12枚のシングルと8枚のオリジナル・アルバムを残して、3年後の1976年に解散。3人はそれぞれの道を歩むことになる。 マークは、その後3枚ほどソロ・アルバムを出したが、その後は芸能界から姿を消した。しかし、90年代半ばからは再び音楽活動も再開し、様々なユニットでアルバムも出した。だが、残念ながら2014年12月、病気(胃がん)のため65歳で亡くなった(この箇所は2015年に追記)。 トミーは解散後、ロック・バンドを結成し、ライブ活動をしていたが、皆さんもご存じのように、1986年、飛び降り自殺をして、36年の短い生涯を終えた。音楽的な行き詰まりが原因とも聞くが、本当のところは分からない(私も詳しいことは知らない)。 ボーカルは、レコード・プロデューサー、ディレクターに転じて、現在も音楽業界にいる。7、8年前にはテレビに出て、「学生街…」を1人で歌っていたのを見たことがあるが、私は切なくて、悲しくて、途中でチャンネルを変えてしまった(自分たちの音楽の原点を壊してしまった曲を歌うことに、心に抵抗はないのだろうか)。 実質5年余の活動で音楽界から消えた伝説のバンド、GARO。その解散も、トミーの死も、私は今でも残念でならない。もし彼らが「望む道」を歩んでいたら、きっと、60代の今も現役で活躍しているCS&Nのように、息の長いバンドになっていたにかもしれない。彼らを間違った運命へ導いたレコード会社の幹部やプロデューサー、そしてGAROのために「学生街…」をつくったすぎやまこういちなる作曲家を、私は今も恨む。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/05/23
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◆プロなら知っておきたい「知られざるカクテル」<上> ※原則、年代順に紹介しています。レシピは標準的なものです。★印は近年においても欧米のバー・シーンでは頻繁に登場する、とくに重要なカクテル★シェリー・コブラー(Sherry Cobbler)(19世紀初頭、考案者は不詳) ドライ・シェリー90ml、オレンジ・キュラソー10ml、マラスキーノ1tsp、レモンジュース1tspを氷(クラッシュド・アイス)を入れたタンブラーかコブレットに注ぎ、レモン・ツイスト&マラスキーノ・チェリー、生ミントの葉=飾り、必ずストローを添える(ビルド) ※19世紀初頭、米国内で誕生、1850年頃には人気カクテルになっていたという。米国のバーでは近年、再び注目されるように。「コブラー」とはワインやスピリッツにリキュール、シロップを加えてクラッシュド・アイスを入れたタンブラーに注ぎ、ストローを添えて味わう古典的カクテルのスタイル。★ジョージアン・ジュレップ(Georgian Julep)(19世紀初頭、考案者は不詳) ブランデー45ml、ピーチ・ブランデー10ml、シュガー・シロップ1tsp、生ミントの葉(適量)、ソーダ(適量)、クラッシュド・アイス(ビルド) ※ミント・ジュレップは19世紀の初めに誕生した最初期の古典的カクテルの一つ。その爽やかな飲み口もあって、今日でも人気は衰えない。「ジュレップ」とは、古代ペルシャ語の「Gulab(グルアーブ=「バラの水」の意味)」というドリンクにルーツを持ち、ペルシャからフランスへ伝わり、さらにフランス系移民によって米国に持ち込まれ、改良されていったという。 現代のミント・ジュレップはバーボンがベースであることが多いが、この「ジョージアン・ジュレップ(Georgian Julep=Georgia Mint Julepとも言う)」は、ミント・ジュレップの原型でもあり、ベースはブランデーで、ピーチ・ブランデーも使う(かのジェリー・トーマスのカクテルブック「How To Mix Drinks」=1862年刊=にも登場する)。通常のミント・ジュレップは男性的なきりっとした味わいだが、こちらはピーチ・ブランデーが入るため、甘味を感じ、優しい味わいになる。★アブサン・ドリップ(Absinthe Drip)(1830年代、考案者は不詳) アブサン45mlを低めの広口ワイングラスに入れる。専用スプーンの上に角砂糖1個を置き、上から冷やしたミネラル・ウォーターをスポイトで少しずつ落とす。 ※1830年代、アルジェリア戦争に従軍していたフランス軍にアブサンが医療目的で供給されるようになり、後に水で薄めて味わうようになったのが起源という。★ピムズ・カップ(Pimm's Cup)(1840年代、考案者=James Pimm<Bar Owner>と伝わる) ピムズ(Pimm's No.1)45ml、氷を入れたタンブラーにオレンジ、レモン、ストロベリー、キュウリのスライスを入れ、生ミントの小枝を飾り、ジンジャーエール(またはセブンアップ)で満たす。最後にパウダー・シュガーを振る(ビルド) ※「ピムズ」は1823年に誕生した薬草系リキュール。19世紀半ばから英国内で飲まれていたドリンクだったが、1971年、ウインブルドン・テニス(全英オープン)の会場で「Pimm's Bar」がオープンしたことで話題となり、幅広い人気を得るようになった。★マルチネス・カクテル(Martinez Cocktail)(1840年代、考案者は不詳) オールドトム・ジン20ml、スイート・ベルモット50ml、マラスキーノ1tsp、オレンジ・ビターズ1~2dash ※マティーニの原型とも言われる代表的な古典的カクテルで、マンハッタンやマティーニへの「橋渡し的な役割」を担ったカクテルとも言われる。ゴールドラッシュ時代の1840年代末、サンフランシスコのオクシデンタル・ホテルでバーテンダーとして働いていたジェリー・トーマス(世界初の体系的カクテルブック「How To Mix Drinks」<1862年刊>の著者)のもとに、金鉱探しの男が客としてやって来た。 男は「(サンフランシスコの東40マイルにある)マルチネスへの旅立ちのために、元気になる一杯を」とトーマスに頼んだ。カクテル名はそんな逸話に由来すると複数の文献が伝えているが、真偽のほどは定かではない(ちなみにトーマスのオリジナル・レシピは、ジン(30ml)、スイート・ベルモット(60ml)、マラスキーノ2dash、シロップ2dash、アロマチック・ビターズ1dash)。★シャンパン・カクテル(Champagne Cocktail)(1840~50年代、考案者は不詳) シャンパン(適量)、角砂糖、ビターズ、ブランデー10ml=最後にフロート(ビルド) ※古い時代のカクテルブックでは必ずと言っていいほど登場する、代表的な古典的カクテルの一つ。 欧米では19世紀中頃~末には、すでに一般的なカクテルとして普及し、パーティー等での食前酒として提供されることが多かったという。 標準的なレシピでは、フルート型シャンパン・グラスの底に、アンゴスチュラ・ビターズを染み込ませた角砂糖を置き、その上から冷えたシャンパンを注ぎ、お好みでレモン・ピールするというものが多い。シャンパンのなかで角砂糖の甘苦いビターズが徐々に浸み出し、時間の経過とともに味の変化が楽しめる。 映画「カサブランカ」の有名なシーンで、ハンフリー・ボガード扮するリックが、イングリッド・バーグマン扮するイルザの目を見つめながら、「君の瞳に乾杯!(Here's looking to you!)」と言って飲んでいたのがこのカクテルだ。★ブランデー・クラスタ(Brandy Crusta)(1850年代、考案者=ジョゼフ・サンティーニ<Joseph Santini>と伝わる) コニャック30ml、コアントロー10ml、マラスキーノ10ml、レモンジュース20ml、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、キャスター・シュガー(シェイク)、オレンジ&レモン・ツイスト=飾り ※ジョセフ・サンティーニは、ニューオーリンズのバーテンダーだったという。「クラスタ」とは、オレンジの果皮を砂糖でスノースタイルにしたグラスにはめ込み、マラスキーノ、レモンジュース、シロップ、ビターズなどを加えた古典的カクテルのスタイル。★ニッカー・ボッカー(Knicker-bocker)(1850年代、考案者は不詳) ゴールド・ラム45ml、コアントロー15ml、ラズベリー・リキュール15ml、レモン・ジュース10ml、シュガー・シロップ1tsp ※19世紀半ばに誕生した古典的カクテル。世界初の体系的カクテルブックとも称されるジェリー・トーマスの「How To Mix Drinks」(1862年刊)にも登場する。カクテル名は、ニューヨークに数多くやって来たオランダ系移民が愛用していた「短ズボン」のこと。転じて「ニューヨーク市民」のことを指すスラング(俗語)になった。★サゼラック(Sazerac) (1850年代、考案者は不詳) サゼラック・ライウイスキー50ml、ペイショーズ・ビターズ4~5dash、シュガー・シロップ0.5tsp、アブサン・リンス、レモン・ピール(ビルド) ※1850年代、米国ニューオーリンズの「サゼラック・コーヒー・ハウス」で誕生したと伝わる。元々は「Sazerac」という銘柄のコニャックをベースにしたカクテルだったが、1870年にフランス全土のブドウ畑が病害虫で壊滅状態になったため、代用品として使われたライ・ウイスキーが、そのまま現在まで定着している。★ジャパニーズ・カクテル/ミカド(Japanese Cocktail/Mikado)(1860年、考案者=ジェリー・トーマス<Jerry Thomas>) ブランデー40ml、ライム・ジュース10ml、オルゲート・シロップ10ml、アンゴスチュラ・ビターズ2~3dash(シェイク) ※「カクテルの父」と言われるジェリー・トーマス(Jerry Thomas)が考案したと伝わる。1860年、徳川幕府が派遣した訪米使節団がニューヨークを訪れた際、当時ニューヨークでバーテンダーとして働いていたトーマスが使節団一行を目撃し、インスピレーションを得て創作したとも。欧州へ伝わった後、当時ロンドンで大ヒットしたオペレッタ「ミカド」にちなんで、「ミカド」とも呼ばれるようになった。ダーク&ストーミー(Dark & Stormy)(1860年代、考案者は不詳) ダーク・ラム40ml、ライムジュース15ml、ジンジャー・ビア(適量)、氷、カット・ライム(ビルド)、タンブラーまたはロック・グラスで ※1860年代に英国領バミューダ諸島で生まれたと伝わる。「バミューダの首都ハミルトンのラム製造業者だったゴスリング兄弟(Gosling Brothers)が自社のダーク・ラムに、英海軍が本国で生産していたジンジャー・ビアをブレンドして考案したという。バミューダ諸島では「ナショナル・ドリンク」となっており、英連邦内では缶入り飲料もあるほどの人気カクテル。 カクテル名は、Barのカウンターで、航海中に遭遇した暗い雲と荒れ狂った天気(Sail under the dark and stormy weather)について語った老水兵の言葉に由来するという。なお、バミューダではライムジュース抜きで味わうこともあるが、欧米では、ライムジュース入りが一般的。ピスコ・パンチ(Pisco Punch)(1860~70年頃、考案者は不詳) ピスコ50ml、パイナップルジュース30ml、オレンジジュース15ml、レモンジュース15ml、シロップ15ml、シェイクして氷を入れたタンブラーに注ぎ、スパークリングワインで満たす。飾り=クローブを刺したパイナップル片 ※サンフランシスコにあった「バンク・エクスチェンジ・バー(Bank Exchange Bar)」=1853~19191=で誕生したと伝わる。カンチャンチャラ(Canchanchara)(1868~78年頃、考案者は不詳) ハバナ・クラブ3年 60ml、ライム・ジュース15ml、ハニー・シロップ(またはハチミツ)20ml、氷、ライム・スライス(シェイク) ※キューバ独立戦争の頃、ハバナで誕生? ダイキリの原形とも言われる。キューバではダルマのような末広がりの形をした陶器カップに入れて提供するのが一般的。イースト・インディア(East India)(1870 年代後半、考案者は不詳) ブランデー60ml、オレンジ・キュラソー5ml、ラズベリー・シロップ5ml、アンゴスチュラ・ビターズ2dash(シェイク) ※1870年代後半にニューヨークで誕生したと伝わる。ハリー・ジョンソン<Harry Johnson>が1882年に出版した『Bartender’s Manual』にも収録されている。ニューヨーク・サワー(New York Sour)(1880年代、考案者は不詳) バーボン60ml、レモンジュース30ml、シロップ15ml、ビターズ1dash、卵白、赤ワイン30ml=最後にフロート(赤ワイン以外をシェイク) ※当初シカゴで誕生した際は「Continental Sour」と呼ばれていたが、その後、「Southern Whisky Sour」と名が変わり、最終的にNew Yorkのバーで一番普及したため、「New York Sour」と呼ばれるようになったという。★ラモス・ジン・フィズ(Ramos Gin Fizz) (1888年、考案者はヘンリー・ラモス<Henry Ramos>) オールドトム・ジン60ml、レモンジュース15ml、ライムジュース15ml、シロップ23ml、生クリーム23ml、フラワー・ウォーター5dash(抜いてもOK)、卵白1個分。氷を入れずにまずしっかりシェイクした後、氷を入れてさらにシェイク。氷を入れたタンブラーに注ぎ、ソーダで満たす。 ※1888年、ニューオーリンズのマイヤーズ・テーブル・ドテル・インターナショナル(Meyer’s Table D’Hotel International)内のバーに勤めていたヘンリー・ラモス(1846~1928)が考案したと伝わる。ラモスは後に、インペリアル・キャビネット・サルーン(Imperial Cabinet Saloon)を創業し、自らのジン・フィズにさらに改良を加えた。禁酒法廃止(1934~)後、このドリンクの権利はルーズベルト・ホテルに売却されたが、現在では世界中のどこのバーでも楽しむことができる。ブランデー・デイジー(Brandy Daisy)(19世紀後半、考案者は不詳) ブランデー45ml、イエロー・シャルトリューズ20ml、レモンジュース15ml、シロップ10ml、シェイクしてソーダ少々を足す。クラッシュド・アイスを入れたワイングラスに。生ミントの葉=飾り ※ジェリー・トーマスのカクテルブックの改訂版(1887年)やハリー・ジョンソンのカクテルブック改訂版(1888年)に紹介されている。「デイジー」とは、スピリッツに柑橘系ジュース、シロップ(またはリキュール)を加え、クラッシュド・アイスを入れたグラスで味わう古典的カクテルのスタイルウイドウズ・キス(Widow’s Kiss)(1890年代、考案者=ジョージ・カペラー<George Kappeler>) カルバドス50ml、ベネディクティン10ml、イエロー・シャルトリューズ10ml(ステアまたはシェイク)、マラスキーノ・チェリー=飾り ※ニューヨークの「ホランドハウス・ホテル」のバーテンダーだったジョージ・カペラーが1890年代に考案したと伝わる。彼が1895年に出版したカクテルブック『Modern American Drinks』にも収録されている。ティ・プンシュ(Ti’ Punch)(1890年代、考案者は不詳) マルティニーク・ホワイトラム45~50ml、シュガーケイン・シロップ10ml(または黒砂糖小1個)、ライムジュース10~15ml、ライム・スライス、氷、ロックグラスで(ビルド) ※マルティニーク諸島発祥と伝わる。マルティニーク島やクアドループ島のナショナル・カクテル。ハイチ、モーリス、レユニオンなどでも幅広く普及している。「Ti'」は「Petit(小さな)」の意味。マルグリート・カクテル(Ti’ Punch)(1890年代、考案者は不詳) ドライ・ジン35ml、ドライ・ベルモット35ml、コアントロー0.5tsp、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ツイスト(ステア) ※マティーニの原型の一つと伝わるドリンク。ハリー・ジョンソンの『バーテンダーズ・マニュアル』の改訂版(1900年刊)で初めて紹介された。カクテル名の「マルグリート」は花の名前「マーガレット」に由来するが、命名の経緯は伝わっていない。ポート・フリップ(Port Flip) (19世紀後半、考案者は不詳) ポートワイン45ml、ブランデー20ml、シロップ5ml、全卵、シェイクしてナツメグ・パウダーを振りかける(ブランデーを入れないバージョンもある) ※「フリップ」とはワインやスピリッツに卵と砂糖を加え、ナツメグを振りかける古典的カクテルのスタイル。ジェリー・トーマスのカクテルブックの改訂版(1887年)に収録されて、全米で普及するようになった(ホットで味わうこともある)。プランターズ・パンチ(Planter's Punch) (19世紀末、考案者=フレッド・マイヤーズ<Fred Myer's>) ダーク・ラム30ml、コアントロー15ml、レモンジュース15ml、オレンジジュース15ml、グレナディン・シロップ15ml、ソーダ(ソーダ以外をシェイク) ※古い時代の欧米のカクテルブックにはよく登場する、フルーティさが魅力の南国風ドリンク。植民地の大農園で飲むために考案されたのだろう。フレッド・マイヤーズは「マイヤーズ・ラム」の創業者。ボビー・バーンズ(Bobby Burns)(19世紀末、考案者は不詳) スコッチ・ウイスキー45ml、スイート・ベルモット15ml、ベネディクティン5ml、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ツイスト(シェイク) ※スコットランドの「ウイスキー詩人」ロバート・バーンズ(Robert Burns 1759~96)に捧げられたカクテル。考案者は不詳だが、活字になったレシピは、1900年に出版されたカクテルブック「Fancy Drinks Recipe Guide」で初めて確認されている。カクテル名は「ロバート・バーンズ」の名前で紹介されることもある。フローラ・ドーラ(Flora Dora)(20世紀初頭=1901年? 考案者=ジミー・オブライエン<Jimmy O'Brien>) ジン40ml、ライムジュース20ml、ラズベリー・リキュール15ml、シェイクした後、氷を入れたタンブラーに注ぎ、ジンジャー・エールで満たす。生ラズベリー&ライム・スライス=飾り ※フルーティで酸味の効いた味わいのジン・ミュール。1901年、ニューヨークで開かれた「フローラ・ドーラ」というミュージカルコメディ終演後のパーティーで、ジミー・オブライエンというバーテンダーが出演女優のために考案したと伝わる。カクテルは評判となり、その後、欧米の大都市のセレブたちの間で愛飲されるようになったという。ペグー・クラブ(Pegu Club)(20世紀初頭、考案者は不詳) ジン30ml、オレンジ・キュラソー15ml、ライムジュース15ml、ビターズ(アンゴスチュラ&オレンジ)各2dash ※20世紀初頭、英国植民地時代のビルマ(現ミャンマー)で生まれたと伝わるカクテル。その後、英本国へ伝わり、1920年代には欧州のバーにも普及した。ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)のカクテルブック「Bar flies and Cocktails」(1927年刊)や、サヴォイ・カクテルブック(1930年刊)にも収録されている。カクテル名は、当時ラングーン(現在のヤンゴン)の北東約80km、ペグーという町にあった外国人専用の社交クラブ(現在は廃業)の名にちなむ。ウィドウズ・ドリーム(Widow’s Dream)(1900~10年代、考案者は不詳) ベネディクティン70ml、レモン・ジュース0.5tsp、シュガー・シロップ0.5tsp、生クリーム45ml、全卵 ※1920年代以前に誕生したと伝わるクラシック・カクテル。有名なサヴォイ・カクテルブック(1930年刊)にも登場するが、「未亡人の夢」という奇妙な名の由来は定かではない。昔のカクテルには、卵白や卵黄(時には全卵)を使うものがしばしば登場するが、これは全卵を使う代表的なカクテル。ベネディクティンはブランデー・ベースの薬草系甘口リキュール。美味しいスイーツを食べているような味わいで、食後にゆったりした気分で飲むのに最高の1杯である。★ピンク・レディ(Pink Lady)(1912年、考案者は不詳) ジン45ml、グレナディン・シロップ15ml、レモン・ジュース1tsp、卵白 ※1912年、英国で上演されたミュージカル「ピンク・レディ」の打ち上げパーティーで、主演女優のヘーゼル・ドーン(Hazel Dawn)に捧げられたという(考案者の名は伝わっていない)。昔のカクテルには卵白や卵黄を使うレシピが少なくない。氷が貴重だったため、常温でも飲みやすくする工夫の一つだった。★ブザム・カレッサー(Bosom Caresser)(1910年代、考案者は不詳) ブランデー40ml、コアントロー20ml、グレナディン・シロップ1tsp、卵黄、ナツメグ・パウダー ※1910年代、欧州(おそらくはフランス国内?)で生まれたと伝わる。カクテル名の直意は「胸を愛撫する人」だが、転じて「秘めやかな抱擁」というのが正確な意味。卵黄を使うのはこの時代のカクテルの特徴の一つだが、卵っぽい雰囲気はほとんどなく、むしろフルーツ香が感じられる、まろやかで上品な味わいである。カジノ(Casino) (1910年代、考案者は不詳) オールドトム・ジン45ml、マラスキーノ23ml、レモンジュース15ml、オレンジビターズ1dash(シェイク) ※1910年代に、ニューヨークのホテル・ワリック(Wallick)=ブロードウェイ43丁目=内のバーで誕生したと伝わる。1916年に出版されたカクテルブック『Recipes For Mixed Drinks』にも収録されており、バーテンダーだった著者のヒューゴ・エンスリン(Hugo Ensslin)が考案したという説も伝わっている。ラスト・ワード(Last Word)(1910年代、考案者は不詳) ジン30ml、グリーン・シャルトリューズ20ml、マラスキーノ20ml、ライムジュース20ml、水(シェイク) ※米国デトロイトの「デトロイト・アスレチッククラブ」で誕生したと伝わる。テッド・ソーシエ(Ted Sauciet)の著書『Bottms up』(1951年刊)にも登場する。長く忘れられていたが、2000年以降のクラシック・カクテル再評価の波に乗って再び脚光を浴びるように。★アヴィエーション(Aviation)(1910年代、考案者=ヒューゴ・エンスリン<Hugo Ensslin>) ドライ・ジン30ml、マラスキーノ10ml、ヴァイオレット・リキュール5ml、レモンジュース15ml(シェイク)、マラスキーノ・チェリー=飾り ※Aviationとは「航空(学)」「飛行術」「航空機産業」の意。航空機による飛行が盛んになった1910年代を象徴するカクテル。ニューヨークのバーテンダー、ヒューゴ・エンスリン(Hugo Ensslin)が1910年代に考案したと伝わる。1916年に出版された彼のカクテルブック『Recipes For Mixed Drinks』にも収録されている。ティペラリー(Tipperary)(1910年代、考案者=ヒューゴ・エンスリン) アイリッシュ・ウイスキー30ml、スイート・ベルモット25ml、グリーン・シャルトリューズ10ml、ビターズ2dash、オレンジ・ツイスト(※3分の1ずつのレシピも)(シェイク) ※1916年に出版されたカクテルブック『Recipes For Mixed Drinks』の著者、ヒューゴ・エンスリン(Hugo Ensslin)が考案したと伝わる。 <中>へ続く。
2023/04/17
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街そのものが「世界遺産」に指定されているプラハは、10世紀から20世紀までの様々な建築物が非常によく保存されていることから、「建築博物館」とも称されます。最もよく残っているのが、12~18世紀に誕生したゴシック、ルネサンス、バロック様式の建物です。旧市街の街を歩いていると、中世にタイムスリップしたかのような気分になれます(モーツアルトの生涯を描いた映画「アマデウス」も、「現在のウイーンでは、モーツアルト時代の街並みの映像が満足いくようには撮れない」とのことで、プラハで撮影されたと聞きました)。 プラハ2日目の朝は7時に目覚めました。きょうはさっさと朝食をとって、街歩き&観光に繰り出す予定です(写真は、ホテルの部屋の窓から見たすぐ向かいの建物。何の建物かは分かりませんが、見るからに歴史のありそうな雰囲気です。こんな建物が街のあちこちに一杯あるのです)。 朝食会場のホテルの従業員の方に、「ドブレー・ラーノ(おはようございます)」とチェコ語で挨拶。バイキング・メニューは結構豪華で、ハムやソーセージ、パンの種類も多く、選びごたえがあります。なんとシャンパンまで! 米国人らしい外国人客の中には、朝から飲んでる人もいました。 朝食の会場は、ホテルの中央部分で、駅のコンコースのような吹き抜けの、とても素敵な空間です。元々が歴史的な建物なので、重厚な雰囲気が漂っています。 朝食を終えてホテルを出て、6~7分歩けば、プラハ観光の中心「旧市街広場」に着きます。広場のシンボルの一つ、旧市庁舎が見えて来ました。早朝なので、まだ歩いている人はまばらです。空気もひんやりして、9月中旬なのに、結構肌寒いです。 写真や映像で見た旧市街広場が目の前に! 360度、どこを見ても素晴らしい建物だらけ。プラハにやって来たんだとしっかりと実感できます。広場の中心には、チェコ宗教改革の中心人物だったヤン・フス(1370?~1415)の銅像が。 旧市街広場の周囲の建物の1Fには、カフェや土産物店も並んでいます。プラハの街歩きも基本ここがスタート地点です。観光客もそろそろ集まり始めています。 広場の東側にあり、2本の高い塔が目立つのがティーン教会。1135年に建てられ、現在のゴシック様式の姿は1365年の改築されたものだそうです。 旧市街広場の名物、旧市庁舎の天文時計です。15世紀頃に造られたとか。毎正時ごとに仕掛けが動き出し、建物の前は見物客であふれます。 さて、午前中にプラハ観光の見所、カレル橋、プラハ城も回っておきたいので、旧市街広場を後にして、北西方向へ再び歩き始めます。プラハの道は基本、石畳なので、歩きやすい靴でないとNGです。ハイヒールを履いている女性などはまずいません。 細く曲がりくねった道を5分ほど歩くと、有名なカレル橋の東端に着きます。橋の入り口の建物が見えてきました。 カレル橋は全長約500m、幅10mもある大きな石橋です。14世紀後半から15世紀初めにかけて建造されました。橋が架かるヴルタヴァ川は、日本では「モルダウ川」という呼び名の方が有名ですが、最終的にドイツ国内へ流れ、有名なドナウ川となるそうです。 カレル橋の名前は橋が造られた当時の王で、神聖ローマ皇帝でもあったカレル4世の名にちなみます。橋の入り口の側に立つ、この銅像の方がカレル4世(1316~1378)。ボエミア生まれの文人皇帝として知られ、チェコ語のほか仏語、独語、イタリア語、ラテン語の5カ国語を自由に操ったとか(ちなみに、カレルとは英語名だとチャールズ、仏語だとシャルルです)。 カレル橋の両側の欄干には、30体の聖人像が立てられていますが、キリスト教に詳しくない僕らには、誰が誰かはほとんど分かりません(^_^;)。後でガイドブックを見たら、30体の中には、日本人にもとても馴染みがある聖フランシスコ・ザビエルの像もあると書いてありましたが、見逃してしまいました(笑)。 橋の上には、似顔絵描きや、手作りの土産物を売る人たちがたくさんいて、賑やかです。橋からは遠くプラハ城もよく見えます。橋を渡った後、僕らはそのプラハ城見物に向かうために、近くの電停から路面電車に乗る予定です。 <プラハ編(3)>へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2015/10/06
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モルト・ウイスキーを飲み始めた頃、アイラ系、シェリー系以外で一番飲むことの多かったのは、「プルトニー」(Pulteney、「オールド・プルトニー」とも言う)という銘柄(写真左上=プルトニー・オフィシャルボトルの12年もの)。 スコットランド本土では最北の、北海に面したウィックという港町にある蒸留所。ウィックはニシン漁で栄えた町だが、あの「宝島」を書いた作家、スチーブンソンの故郷としても有名だ。プルトニーという名前は、漁業の町としての発展に尽くした国会議員の名前にちなむという。 プルトニーの特徴は、スパイシーな潮の香りとともに、「オイリー」ともしばしば表現される、バターのような不思議な味わい。舌ざわりも、実際ねっとりとしている。それに加えて、ナッツやハチミツのような香りも感じられる複雑さが魅力だ。 複雑な味と香りの理由は、海岸のそばという地理的な条件、ひょうたん型の蒸留釜、ヤーロー湖という湖水から引いている仕込み水など、さまざまな理由があるようだが、ブレンダーではない僕には、ほとんど謎の領域である(写真右=プルトニー18年もののシェリー・カスク。昨今のシェリーカスクばやりの流行を追うことには賛否両論があるけれど…) 蒸留所が出来たのは、1826年。当初は、ブレンディド・ウイスキーの「バランタイン」や「インバーハウス」のキー・モルト用にのみ生産されていたが、オーナーが変わった1995年になってからは、モルト・ウイスキーとしても発売されるようになった。 プルトニーは、その味だけでなくボトルの形も、蒸留釜(ポットスチル)のような独特の丸み、ふくらみを帯びていてユニークだ。こんな形をしているスコッチ・モルトは、おそらくプルトニーだけだろう(写真左下=プルトニーの26年もの。飲んだことないけど、きっとまろやかで、旨いだろうなぁ…)。 ひと頃は、BARでモルトを何杯か頼むときは、必ずと言っていいほどこのプルトニーをまぜていた時期があった。あるとき、バーテンダーさんから、「百幾つも蒸留所があるのに、同じ銘柄ばかり飲まず、もっといろんなモルトを味わってみてくださいよ。人生、一度だけなんだから」とたしなめられた。 確かに、それもそうだ。一度だけしかない人生なのに、自分から「出合いのチャンス」を放棄してしまうのは、なんともったいないことだろうか。僕は、これからもプルトニーをきっと飲み続けるだろうが、それ以外のいろんなモルトも、きちんと味わってあげよう。どんなモルトだって、職人の愛情と汗が一杯こもっているのだから…。
2005/07/23
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皆様すみません、今回もだいぶ前の報告です。久々の広島でのBAR巡りを簡単に紹介します。 【Bar BROWN】ここは、今や広島へ行ったらもう必ずと言っていいほどお邪魔する馴染みの店になってしまった。何よりも、開店時刻が遅い(だいたいが午後7時か8時)広島のBARにあって、午後5時から(時々開店が遅れるけど(笑))オープンしているのが嬉しい。 しかし、イケメンのオーナー・Oさんはとても気さくで、優しい紳士。福屋百貨店のすぐ裏という広島の繁華街のど真ん中のロケーションなのに、地下にあるお店に入ると、すごく心地よいオーセンティックな空間広がる(おまけに料金もめちゃ良心的!)。 ビール、カクテルがメインだが、ウイスキーもレアなものも含めて結構な品揃えがある。最近、広島出張と言えば、だいたいが日帰りということが多くて残念だけれど、ここなら安心して、新幹線に乗り遅れることなく飲める。出張族の皆さまにも自信を持っておすすめできる酒場だ。【Bar Fouque】ここも、広島でうらんかんろが大好きなお店の一軒。繁華街からは少し北へはずれるが、歩いて丁度いい距離だ。開店が(BROWNほど早くはないが)午後6時というのもいい。だから、BROWNに寄った帰りにお邪魔することが多い。 しかし、何よりも好きなのはこの店の内外装のデザイン、インテリアである。とにかくおしゃれで、落ち着く。ライティングの照度も丁度いい。大阪の鰻谷か東京・西麻布にありそうな雰囲気の店と言えば、なんとなくイメージしてもらえるかもしれない。 お髭がダンディなオーナー・Uさんは、威厳あふれる感じなので、初めての人は少し声をかけにくいかもしれないが、実はとても気さくで、話しやすい(初対面の時は、なんとなく画家かジャズ・ピアニストみたいなアーチストっぽい印象を受けた)。 カクテルやワインがメインだが、ウイスキーもそこそこありそうで、フードも充実(こちらもお値段は良心的)。奥にグループ向きの個室風のソファ席(7~8人でもOK)があるので、2次会にも使い勝手がいい店だろう。ここも間違いなく、うらんかんろの一押しの店である。 【Bar メイフォア】上記のFouqueのマスターに「帰る前にもう1軒寄りたいのですが、近くでおすすめのBARはありますか?」と聞いた際、「それならここは」と紹介してもらったお店で、今回が初めての訪問だ。 お店はビルの2階にあって、ドアを開けると予想外なほど広く(30坪くらいはあろうか?)、静かな、そして贅沢な空間が広がっている。「大阪から出張で来たのですが、Fouqueさんから教えられて」と自己紹介すると、マスターのOさんは「実は僕も京都や大阪にもいたのですよ」と。 聞けば、京都でも大阪でも某有名ホテルのBARを仕切っていらしたとか。せっかくなので、OさんがかつてHBA(ホテル・バーテンダー協会)のコンクールで優勝したという、店名と同名のカクテル「メイフォア」を頂く。ホテルBARの出身らしく、Oさんは接客・物腰ともとても丁寧だ。 「メイファア」は梅酒がベースで、カンパリ、グレープフルーツ・リキュール&ジュースというレシピだが、とてもさわやかな味わいで、「軽めなので、お酒に弱い女性の方にもとても人気があります」とのこと。もしメイフォアに行かれた際はお試しあれ。【Bar Monet】メイフォアで締めればよかったものの、広島の繁華街(飲み屋街)はJRの広島駅まで路面電車で15分ほどという好ロケーション。しかも路面電車は夜遅くても5分~10分間隔くらいで来るのでとても便利。 という訳で、せっかく広島まで来たので、メイフォアの近くで最後にもう1軒お邪魔したのが、このMonetというお店。店名はもちろんあの有名な印象派の画家名からとられたのだが、その名の通りここもおしゃれで印象的な店(バックバーにはモネの絵が飾られている)。 地下1階の店内は間接照明が素敵で、ロー・カウンターのサロンBAR的な雰囲気。ソファ席にはデートらしき大人のカップルでほぼ満席。おっさんの一人者としては、カウンターの端っこに座って、小さくなって呑む。 客の年齢層は高いようで、ガキっぽい若者連れ等は見かけない。静かにゆったりと飲みながら、会話を楽しむのには丁度良いBARだろう。ここも繁華街からは少し離れた隠れ家的な立地なので、覚えておいて損はない1軒に違いない。【Bar BROWN】広島市中区堀川町6-17 森岡ビルB1F 電話082-247-4441 午後5時~午前2時 日休 【Bar Fouque】広島市中区鉄砲町4-7 シティーコープ幟町1F 227-5837 午後6時~午前零時 年末年始のみ休 【Bar メイホア】広島市中区幟町7-30 宏和8・2F 222-3717 月休 【Bar Monet】広島市中区橋本町7-20-B1F 電話? 午後7時~午前3時 不定休・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/07/10
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先日、再び出張で福山(広島県)を訪れた。今回は1泊だったので、電車で20分ほどの距離にある、尾道の老舗・名Bar「暁」にお邪魔するつもりでいた。 尾道の「暁」と言えば、1945年開業、映画の街・尾道を舞台にした映画にもたびたび登場している、全国的にもとても有名な老舗Barである。以前から、一度は訪れてみたいと願ってきた。そして僕は、今回の出張で実現させようと計画した。ところが前日の夜、念のために電話してみても、応答がない。嫌な予感がしてネットで情報を調べてみると--。 何人かの方が、「暁の閉店」を惜しむ記事を書かれていた。読めば、店を閉じたのはことし2月末で、マスターの体調不良が理由だという。ただし完全な閉店ではなく、「一時閉店」なのだとか。 「こんなことなら、もっと早く行っておくべきだった」。悔やんでも悔やみきれない事実だった。しかし、ネット情報をもう少し詳しく読むと、暁には福山に支店があり、そちらは営業しているとある。それなら行かない手はない。あの暁の支店なら、雰囲気が悪い店のはずがない。尾道・暁の再開見込みについても、少しは情報が得られるかもしれない(写真左上=暁・福山店)。 で、福山の支店の営業を電話で確認した後、早速お邪魔した。電話に出たのは年配の女性だったが、店にいたのは年配の(マスターらしい)男性と女性の2人。 来意を告げて、「尾道の店の再開の見通しはどうなんでしょうか?」とその男性に尋ねる。すると、なんとその男性こそ、尾道「暁」マスター・佐藤軍治さん(66)で、女性は奥様だった。「体の具合がいまいち良くなくてねぇ…。またよくなったら再開しようとは思ってるんだけどねぇ」とマスター。聞けば、病気の後遺症で片足が不自由なのだという(確かに、歩くのが少し辛そうでした)。 しかし、福山の「暁」の雰囲気は、写真でもよく分かるように、尾道の本店にも勝るとも劣らない。オープンは1966年で、その後83年に現在地に移転したという。壁という壁はほとんどがウイスキー棚でボトルがぎっしり。その数は3千本以上とも。 しかも天井には、尾道店と同じように、たくさんのノベルティの灰皿が針金で止められ、ディスプレーされている=写真右。なぜか帆船の模型もぶら下がっている。その数と迫力に、ただただ圧倒されるのみ。 「尾道の店の飾ってるボトルは、ほとんどがホコリをかぶっていますが、こっちの方は一応きれいですよ」と笑わせてくれるマスター。何十年も前のボトルがごろごろ。これだけ集めるのにかかった時間と情熱を考えると、言葉を失う。 ご存じのようにマスターは2代目。尾道の本店のボトルはほとんど、亡くなった初代マスターのお父様が集めたという。「最初はサラリーマンをしていて、オヤジの仕事を継ぐことになるとは思いませんでした」としみじみ語るマスター。 福山の支店は、これまでもっぱら奥様が中心となって営んでいたが、今回、夫婦で営むことになった。だからかどうか分からないが、店内にはアットホームな温かい雰囲気に溢れ、居心地がいい(写真左=マスターの佐藤軍治さん)。 スコッチのハイボールを1杯頂いた後、せっかくだから、暁のオリジナル・カクテルをお願いする。ネーミングにひかれて前から飲みたかった「沈黙の艦隊」=写真右=を。 2種類のウオッカにブルー・キュラソー、グラスの底に緑色したマラスキーノ・チェリーを沈める。このチェリーは潜水艦を模しているんだとか。潜水艦に見えるかどうかは、貴方の想像力次第。度数は結構高いのに、爽やかで、きりっとしていて、意外と飲みやすい。ちなみにオリジナル・カクテルには、店の名にちなんだ「暁」というのもある(こちらは「パルフェタムール」というリキュールを使う)。 あまりの居心地の良さもあって、マスターや奥様と話し込み、気が付けば1時間半以上お邪魔していた。今回、尾道の本店には行けなかったけれど、この福山で、佐藤マスターと会えたのは幸運で、何よりも嬉しい(写真左=トイレの壁には、柳原良平さんが来訪時に描いたアンクルトリスの色紙も)。 マスターどうか無理せずにしっかり体を治されて、体調が戻ったら尾道の本店もぜひ再開させてくださいねー。あの暁・本店は、尾道にとっては「文化財」のような存在で、Bar愛好家には「宝」のような酒場なのだから。【舶来居酒屋・暁(福山店)】広島県福山市入船町2丁目5-5 電話084-923-2104 午後7時~午前2時 日休 新幹線福山駅からタクシーなら南東へ5分ほど。徒歩なら15~20分くらいです。【追記】その後、尾道に行く機会がありましたので、閉店中の「暁・尾道本店」を撮ってまいりました=写真右。こういう歴史と伝統のある店がこのまま消えてしまいなんて、想像したくもありません。「どなたかが後を継いでもらえたら」というのが、僕も含めBarを愛する人間の共通の願いだと思います。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/06/29
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62.ネグローニ(Negroni)【現代の標準的なレシピ】(容量の単位はml)ジン(30)、カンパリ(30)、スイート・ベルモット(30)、オレンジ・スライス(またはツイスト)、氷 【スタイル】ビルド(※今日では、一般的にビルドかステアでつくられますが、誕生当初はシェイク・スタイルで飲まれることも珍しくなかったとも伝わっています)。 「ネグローニ」というカクテル名は、イタリア・フィレンッツェのレストラン「カソーニ(Casoni)」の常連客で、1910年代からこのカクテルをアペリティフとして愛飲していたカミーロ・ネグローニ(Camillo Negroni)伯爵にちなむという説がほぼ定着しています(出典:国内外の複数の文献やWikipedia英語版、欧米のカクテル専門サイト)。しかし誕生の時期については諸説あり、決定的なものはありません。 海外の文献や専門サイトでは、「1919年、ネグローニ伯爵がロンドンへの最後の旅の記念として、カソーニのバーテンダー、フォスコ・スカルセーリ(Fosco Scarselli)に、当時、自分が好んでいたカクテル「アメリカーノ(スイート・ベルット+カンパリ+ソーダ)」に、ソーダではなく、ジンを入れてもっと強いカクテルにしてほしいと頼んだのが始まり」という逸話がよく紹介されており、カンパリ社のHPもこの説を紹介しています(出典:Wikipedia英語版ほか)。 一方、「1929年以前に、パリのバー『チャタム』のアルベルトというバーテンダーが考案したという説もネット上では見受けられますが、裏付ける資料は明示されていません(出典:PBOのHPなど)。 なお、1929年にパリで刊行されたカクテルブックには、ネグローニとほぼ同じレシピのカクテルが「カンパリネット(Camparinete)」(「カンペリネーテ」という和名表記も)という名前で紹介(出典:欧米の専門サイト)されていて、1920年代のパリですでに同レシピのカクテルが飲まれていたことがわかります。 すなわち、1920年代後半の時点では、ネグローニに近いレシピのカクテルは存在していたけれども、まだ「ネグローニ」という名では定着しなかったことが想像されます。 ちなみに、ネグローニ伯爵の子孫は第二次大戦後、「ネグローニ・ディスティラリー」をイタリアのトレヴィーノに設立。カソーニで好評だったこのカクテルを「Antico Negroni 1919」の名で生産・販売するようになりました(出典:Wikipedia英語版。原資料は、1947年当時のローマの新聞記事。筆者の記者はあのオーソン・ウェルズだとのこと)。ネグローニの詳しいレシピは1962年、「カソーニ」のスカルセーリ自身によって公表され、60年代以降、米国内にも広まっていきました。 カクテル名の定着に時間がかかったためなのか、「ネグローニ」が欧米のカクテルブックに登場するのは誕生からかなり経ってからです。現時点で確認できた限りでは意外に遅く、「Old Mr.Boston Official Bartender's Guide」の1965年版が初出です。 レシピは、「ドライジン、カンパリ・ビターズ、スイート(またはドライ)・ベルモット、ソーダ 各4分の3オンス(ビルド)」となっており、現代の標準レシピとは、「ベルモットはスイートでもドライでも構わない」「ソーダを加える」という点が大きく違っています。従って、誕生当初は、ベルモットは必ずしもスイートでなければダメというルールはなかったのかもしれません。 参考までに、1960~90年代のカクテルブックで、ネグローニのレシピを少し見てみましょう。・「Booth's Handbook of Cocktails & Mixed Drinks」(John Doxat著、1966年刊)英 ジン2オンス、カンパリ1オンス、スイート・ベルモット1オンス、ソーダ適量、氷、飾り=オレンジ・スライス(ビルド)・「The Bartender's Standard Manual」(Fred Powell著、1979年刊)米 ジン、カンパリ、スイート・ベルモット各1ジガー、氷、レモン・ピール(ステア)・「The Vogue Cocktail Book」(Henry McNulty著、1982年刊)英&米 ジン、カンパリ、スイート・ベルモット各1.5オンス、氷、レモン・ツイスト(またはオレンジ・ピール)、ソーダ適量(ビルド) ・「Harry's ABC of Mixing Cocktails」(Harry MacElhone著、1986年刊の改訂復刻版) ジン、カンパリ、スイート・ベルモット各3分の1、アンゴスチュラ・ビターズ3dash、ソーダ適量、氷、飾り=オレンジ・スライス(ビルド) ※「伊フィレンツェのホテル・バグリオーニ(Baglioni)の1920年時のレシピ」として紹介しています。 ・「American Bar」(Charles Schumann著、1994年)独 ジン10~20ml、カンパリ20ml、スイート・ベルモット20ml、レモン・ピール、氷(ビルド) 「ネグローニ」は、戦後まもなく日本にも伝わったと思われますが、カクテルブックに登場するのは60年代に入ってからです。日本国内のバーで普通に飲まれるようになったのは、70年代以降です。【確認できる日本初出資料】カクテル小事典(今井清&福西英三著、1967年刊)。レシピは「ドライジン、カンパリ・ビター、スイート・ベルモット各25ml、氷、飾り=オレンジ・スライス(シェイク)。お好みでソーダを加えてもよい」となっています。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/08/05
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その14:「いいBAR」の条件(1) さて、長々と書いてきた「BAR入門講座」も終盤に差しかかってきた。この辺りで私の考える「いいBAR」の条件というのをもう一度整理しておくと、以下の12の条件に行き着く(紹介する順序にとくに意図はなく、重要度という意味でもない。どれを重要と考えるかは人それぞれで違ってくる→※以前の日記=08年12月29日の日記「Barカドボール」=でもこのテーマに少し触れたので、少し重複する部分もあるが、お許し願いたい)。 (1)カクテル等の酒づくりの技術に優れている (2)接客・サービスのレベルが高い (3)酒の品揃えが充実し、マスターら店の方の知識も豊富 (4)マスターら店の方のトーク(話術)が長けている (5)内装や椅子、照明など店の雰囲気がいい (6)酒やサービスに見合った明朗な料金である (7)美味しいフードがそこそこある (8)商魂見え見えの経営方針ではない (9)心地よいBGMが流れている(時にはライブもある) (10)そのBARに集う客の質がいい (11)広すぎず・狭すぎず・清潔感もある (12)マスターら店の方の人柄がいい (1)カクテル等の酒づくりの技術 一般的に言って、「オーセンティックBAR」を名乗る店なら、美味しいカクテルやウイスキーは飲めるに違いない。ベテラン・バーテンダーやコンクールで優秀な成績をおさめたバーテンダーのいるオーセンティックBARなら、なおさら期待を裏切らないカクテルをつくってくれるだろう。 しかし、老舗BARと言っても、普段はビールとウイスキー(水割りかハイボール)しか出していない店の場合、カクテルを頼むと、がっかりということも珍しくない。いくら長年BAR経営に携わってきたとしても、普段シェイカーなど振っていなければ期待するのが無理であろう。 どのマスターにもバーテンダーにも得意の分野(カクテル)がある。ハイボールをつくれば絶品という方もいれば、マティーニは誰にも負けないほど素晴らしい方もいる。フルーツ・カクテルの名手がいれば、ボストン・シェイカー(片方がガラス製になったシェイカー)という扱いが少し難しいシェイカーの名人もいる。創作カクテルも日々新しいものが生まれている。だからカクテルを得意とするBARでも、その店のバーテンダーがすべてのカクテルに長(た)けている訳ではない。 もちろん、熱心なバーテンダーは、たとえコンクールで1位をとっても、さらに上を目指して生涯研鑽を積んでいる。そういう姿勢が見られるマスターやバーテンダーがいる店なら、まず間違いなく「いいBAR」だ(30~40代のオーナー・バーテンダーがいるBARにはそういう店が多い)。ただし、そのカクテルが美味しいかどうかを決めるのは、最終的には客である貴方自身。そのためにも舌も含めた五感を普段から十分養っておくことも大切だ。 (2)接客・サービスのレベル 接客・サービスなんて、飲食・サービス業であれば当然のこと。それに物足りないBARがあるから、こういう条件を挙げなければならない。基本的なことだが、言葉遣いも含めて、接客がぞんざいな店には二度と行きたいとは思わない。客のいる目の前で断りなくタバコに火を付けたり、大声で喋るグループ客や店内で携帯を平気で使う客にすぐ注意をしないマスターは論外だが、それだけではない。 私は、かつてBAR業界のコンクールで優秀な成績をおさめたバーテンダーが店長をつとめるBARに友人と一緒に訪ねた。店はほぼ満員の繁盛ぶりだった。そして僕らはマティーニを頼んだ。すると、驚いたことにそのバーテンダーは、ミキシング・グラスで材料をステアしてできたマティーニを、常温のグラスに注いだのだ。普通のオーセンティックBARでは、冷蔵庫で直前まで冷やしたグラスに注ぐか、グラスに氷を数個入れて回してグラスを冷やしてからマティーニを注ぐ。 しかし、彼はただ漫然と常温のグラスに注いだ。マティーニはみるみるうちにぬるくなり、美味しさを失ったことは言うまでもない。いくら忙しいとは言え、これは手抜き以外の何ものでもない。このバーテンダーはカクテルづくりの技術は立派でも、「本当のサービスとは何か」を知らなかったのである。 最高の接客・サービスとは、どういうものを言うのか。ただ丁寧な言葉遣いで客に話しかけることではない。会計を割り引いてくれるのがサービスでもない。客にコートを着せてくれたり、トイレから帰ってくるたびに新しいおしぼりが出すなんてどうでもいい。「当たり前のことを普通にやってくれる」のが僕は一番嬉しい(上記のマティーニづくりも然り)。そして抽象的な表現で申し訳ないけれど、「かゆいところに手の届く」「目と目でお互いの心が伝わる」ような接客・サービスが一番いい。 例えば、モルト・ウイスキーをストレートやロックで飲んでいる時、チェイサーの水がなくなったら、すぐに足してくれる。客の顔色を見て、話したがっていそうだったら、良き話し相手になってくれる(逆に放っておいてほしそうだったら、そっと独りにしておいてくれる)。お代わりを頼みたがっている客がいないかどうか、常に店全体に目配りしている。そして、他の客がいない時にはとっておきの話(情報)を聞かせてくれる。そういう接客・サービスがバーテンダー全員にきちんと躾られている店こそが、うらんかんろは最高の接客・サービスができる店だと信じている。 (3)酒類の品揃えや知識 酒の知識に関して言えば、普通、「オーセンティックBAR」と名乗るプロのマスターなら、一般的な知識は素人よりも豊富だろうから、まず心配ない。最低限の知識さえ持っていてくれればそれでいいと、うらんかんろは思っている。プロであれば、この「入門講座」の「その5:お酒の基礎知識」で書いた内容の何倍もの知識を持っている。 最近では、プロも顔負けの素人客がいる。僕も驚くような凄い「モルト・マニア」もいる。だから、プロがごく一部しか知らない、マニアックな知識を知らなかったとしても、まったく恥ずべきことではない。たとえ、私の知っているカクテルの名前やレシピを、その店のバーテンダーが知らなかったとしても、不思議ではない。以前、広島県の福山でお土産に買ってきた「保命酒」=08年4月28日の日記参照=(ペリーが飲んだ最初の日本の酒)なんて、ほとんどのマスター、バーテンダーは知らなかったが、そんな小さなことでプロを軽蔑しては絶対にいけない。 要は、そのBARやマスター、バーテンダーに、どこまで「理想」を求めるのか、だ。モルト・ウイスキーの場合、欲を言えばキリがない。強いて個人的に基準を挙げれば、シングルモルトのオフィシャル・ボトル(蒸留所販売の正規ルート品)なら少なくとも40銘柄くらいは、ボトラーズ(独立系販売業者)のボトルなら、20銘柄くらいは置いてほしい。ボトラーズのボトルの種類の多さを売りにしているBARもあるが、うらんかんろは、数(種類)よりも、どういう銘柄を置いているかや、客が飲みやすい値段設定のボトルを選んでいるか等、店主のセンスの方が大切だと思う。 四大ホワイト・スピリッツ(ジン、ウオッカ、ラム、テキーラ)やブランデーはカクテルのベースにぜひものだ。ワインは赤、白、シェリーは各数種類ずつは欲しい。他にも欲を言えば、スパークリング・ワインや日本酒、焼酎も少しは置いてほしい。カクテルも一応、スタンダードと言われるカクテルの7~8割はつくれる材料(リキュール等)は揃えておいてほしい。かつて日記=07年2月25日の日記=で書いたような、基本的なリキュールすら置いていないBARではちょっと困る。【その15へ続く】【おことわり】写真は本文内容とは直接関係ありません。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/02/05
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僕が幼い頃には、彼らはもうプロとして、ステージで歌っていた。ローリング・ストーンズ(Rolling Stones=写真左上)。1963年6月、「Come on」でレコード・デビュー。同じ英国出身のビートルズの陰に隠れて、60年代は、あまり脚光を浴びることはなかった。そして、70~80年代にブレークし、42年経った今も、現役バンドとして活躍し続ける稀有な存在。あの不良キッズたちが、平均年齢60.7歳のオヤジになっても歌い続けるなどと、誰が想像できただろうか。 ミック・ジャガー(61)、キース・リチャーズ(61)、チャーリー・ワッツ(63)という、結成から変わらぬ不動の3人に、今は76年から正式メンバーとなったロン・ウッド(58)が、キースのリードワークをしっかりと支える(ビル・ワイマンは、どうしてるんかなぁ?)。 当初は、演奏が下手だとか、音が薄いとか、ミックの個性的な歌い方が変だとかいう中傷も受けたりもした。大ヒット曲にも恵まれなかった。ストーンズが注目されるようになったきっかけは、60年代後半から力を入れた地道なライブ・ツアー活動。多くのロック・ファンが、ストーンズのライブを聴くうちに、ロックとR&B、ブルースを融合させたような荒削りな良さを再認識するようになる。 ただし60年代では、64年に「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」、65年に「サティスファクション」、67年には「夜をぶっとばせ(Let‘s Spend The Night Together)」などが英米国内でヒットして注目されたくらいで、世界的な人気というまでには及ばなかった。 その後70年代に入って、全米を含むワールド・ツアーに全力を注ぐ。ツアーでは毎回、大仕掛けのセットを組んで、大会場を埋め尽くすファンをあっと言わせた。 もちろん仕掛けだけでなく、「ストリート・ファイティング・マン」「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」「ホンキートンク・ウイメン」「ブラウン・シュガー」「アンジー」などの大ヒット曲を立て続けに放って、人気を不動のものにした(写真右上=ステージ狭しと歌い踊り、走りまくるミック。その体力には、ただ、ただ感心!)。 ビートルズは66年に初来日し、コンサートを行った。しかし、ストーンズはファンの皆さんならよくご存じのように、73年に来日公演計画があったにもかかわらず、ミックの麻薬逮捕歴を理由にした、頭の固い日本のお役人のために実現はならなかった。そして、我々ファンは、90年2月の東京ドームでの初来日公演まで待たされるわけである。 僕は初来日時の90年は観ることはかなわず、98年春の「ブリッジ・トゥ・バビロン・ツアー」での来日公演までさらに待った。このツアーは「ブリッジ・トゥ・バビロン」というアルバムと、「Stripped」というアンプラッグド・アルバムの2枚を出した直後。 会場の大阪ドームには、メイン・ステージのほかに、アリーナ中央に10m四方くらいのサブ・ステージをつくられていた。オープニングは、いきなりジャン、ジャン、ジャ、ジャ、ジャーンジャ…とあのギターのイントロ、「サティスファクション」だ。客はもう大喜びで、ノリノリ(写真左下=キースのこの得意のギターの弾き方が、最高にカッコいい!)。 サブ・ステージは、何の曲を演奏するときに使うのかなと思っていたら、コンサートなかばで、メイン・ステージの床から何と!可動式のアーチ橋が出てきて、少しずつサブ・ステージの方へ伸びていった。長さは、驚くなかれ20m前後もある(よーやるわ、こんなアホな仕掛け!)。 そして、ミックやキースらサポート・メンバーも含め全員が、聴衆のすぐそばの真上を、橋を渡ってサブ・ステージへ移動する。そして、「Stripped」収録の曲をアコースティックで演奏するという趣向だ。ツアー・タイトルにも引っかけた仕掛けに、ファンが大喜びだったのは言うまでもない。このアコースティックで演奏したなかでは、ディランのカバー、「Like A Rolling Stone」が最高だった(写真右下は、「Bridge To Babylon Tour」のツアー・パンフ)。 この夜のミックはご機嫌で、かなり上手い日本語で、「マダマダ、ヤルヨー」「ツギハ、スコシスローナナンバーヲ、ヤリマース」などとMC。アリーナ前列の可愛い女性には、「ソコノオジョウサン、アトデ、デンワバンゴウ、オシエテクダサーイ」なんて言って、会場を爆笑させたりも。 キースはキースで、アンコールでは阪神タイガースのはちまきを締めて登場、関西のファンには大受けだった。こういう子どもっぽい遊び心が素敵なんだなー(余談だが、ミックはうどんが大好き。大阪公演の合間をぬって、道頓堀の有名な「今井」へおしのびで行き、きつねうどんを食べたとか)。 ミックは一昨年、あるインタビューで、「僕らはライブが大好きなんだ。体が元気である限りはツアーをやめることはないと思うよ」とファンにとって嬉しい発言をしていたが、去年はチャーリーが癌の放射線治療を受けたなんてニュースも飛び込んできた。その後の病状はどうなんだろうか。ミックとキースがいる限り、ストーンズはストーンズであり続けられると思うけれど…。 願わくは70代になっても、ステージ狭しと暴れまわっているミックを観てみたい。他のメンバーもくれぐれも体を大事にしてほしい。とくにキースよ、体のこと考えて、いいかげんに禁煙しなさい! あなた達には「永遠の悪ガキ」のままいてほしいから…。
2005/05/08
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グレンファークラス(Glenfarclas=写真左は、オフィシャルの12年物)。日本でもモルトBARならまず、置いていない店はないスコッチモルトだろう。シェリー樽熟成モルトが好きな僕だが、この「グレンファークラス」を飲み始めたのは約6年半ほど前で、比較的最近だ。 その特徴は、シェリー樽由来による赤みがかった琥珀色と上品な甘さ、そしてピートを効かせたスモーキー香。同じシェリー樽熟成のモルトには、マッカラン、グレンドロナック、エドラダワーなど他にも有名な銘柄がある。 しかし、グレンファークラスの味わいは、他のどの銘柄とも微妙に違う。シェリー樽も、オロロソだけしか使わないマッカランとは違い、各種のシェリー樽で巧みに造り分けをしているという。 1836年の創業。ハイランドのスペイサイド地方にある蒸留所(写真右 ( C ) オフィシャルHPから)を興したグラント家は、元々は農家だったという。銘柄の名は、「緑の草原の谷間」を意味するゲール語に由来するとか。 買収に次ぐ買収で、次々と大手製造業者の傘下に再編されていく蒸留所が多いスコットランドで、このグレンファークラスは数少ない独立系業者である。しかも、創業者一族が今なお経営を続ける数少ない蒸留所でも知られる。 スコットランドでは元々人気があった銘柄だった。サッチャー元・英首相が大好きな銘柄としても有名だった。そして80年代以降、英国外へ数多く輸出されるようになってからは、欧米各国やアジア、とくに日本でもモルト愛好家に好んで飲まれるようになった。 オフィシャルも10年物から30年物(写真左)、さらには樽からほとんど加水せず瓶詰めした「105」(アルコール度数は60度!)まで多彩な商品を揃えているが、ボトラーズ(独立系販売業者)で扱うところが多いことでも知られる。 僕がBARでよく頼むのは、オフィシャルの「12年物」。オフィシャルの中でも「12年物が一番完成度が高い」という評判は、 バーテンダーからもよく聞くけれど、確かに安心して飲めるシェリー系モルトの一つだと思う。 もちろん、ボトラーズの「グレンファークラス」でも、面白いものがあれば、頼むこともあるが、時々期待を裏切られることも(写真右=3月の「テイスティングの集い」で飲んだ「105」のオールド・ボトル。旨かった!)。 オフィシャルの「25年物」でも、日本の酒屋さんでは1万円を切る値段で売っているところもある。良質のモルトを手頃な価格で提供したいという創業者の心意気の現れか?(18年物に2万円以上の小売り価格を付けている会社は、反省してほしいなぁ…)。 グレンファークラス。シェリー系モルトでマッカランしか味わったことのない方は、ぜひ一度、BARで頼んでみてください。また新たな「モルト観」が生まれるに違いない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/08/31
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70.ピンク・レディ(Pink Lady)【現代の標準的なレシピ】 (容量単位はml)ジン(45)、グレナディン・シロップ(10〜20)、レモン・ジュース1tsp(入れないレシピも)、卵白1個分 【スタイル】シェイク 古いカクテルブックにはよく登場する、代表的な古典的なカクテルの一つです。一説では1912年(1911年説も)ごろ誕生したと伝わり、誕生地については、英国ロンドンか米国ニューヨークかのどちらかと考えられています。考案者についてはまったく不明です。 Wikipedia日本語版は、「1912年、大当たりとなったブロードウェイ・ミュージカル『ピンク・レディ』の主演女優、ヘイズル・ドーン(Hazel Dawn)に対して、打ち上げパーティーで捧げられた」と紹介していますが、Wikipedia英語版の方は、「カクテル名はこのミュージカルの名前にちなむという説がある」と紹介しているだけで、断定的な説明はしていません。 欧米のカクテルブックで「ピンク・レディ」が初めて紹介されたのは、現時点で確認できた限りでは、米国で1914年に出版された「World Drinks and How To Mix Them」(William Boothby著)です。そのレシピは、「ジン3分の2ジガー、ラズベリー・シロップ1tsp、ドライ・ベルモット1tsp、ライム・ジュース1tsp、ビターズ2drops(シェイク)」となっています。 ※同著では、他に以下のような3種類の「ピンク・レディ」のバリエーションも収録されています。 「ピンク・レディNo.2」ジン2分の1ジガー、グレナディン・シロップ4分の1ジガー、オレンジ・ジュース1tsp、レモン・ジュース1tsp、卵白1個分、シュガー・シロップ2drops(シェイク) 「ピンク・レディNo.3」ジン3分の1ジガー、アップルジャック(ブランデー)3分の1ジガー、グレナディン・シロップ1tsp、ライム・ジュース1tsp(シェイク) 「ピンク・レディNo.4」ジン2分の1ジガー、グレナディン・シロップ4分の1ジガー、生クリーム1tsp、オレンジ・ジュース1tsp、ナツメグパウダー=最後に振りかける(シェイク) ご参考までに、「World Drinks…」以降のカクテルブックで「ピンク・レディ」がどのように紹介されているのか、ざっと見ておきましょう(ご覧頂ければわかるように、初期の頃は、レシピはかなり揺らいでいます)。・「ABC of Mixing Cocktails」(Harry MacElhone著、1919年刊)英 & 「Barflies and Cocktails 300 recipes」(同、1927年刊)仏 ジン3分の1、ブランデー6分の1、グレナディン・シロップ1tsp、卵白1個分(シェイク) ※ブランデーも使うレシピになっています。・「The Savoy Cocktail Book 」(Harry Craddock著、1930年刊)英 プリマス・ジン1Glass(約60ml)、グレナディン・シロップ1tsp、卵白1個分(シェイク)※ジンは甘口系のプリマス・ジンを指定しています。・「Cocktails」(Jimmy of the Ciro's著、1930年刊)英 ジン3分の2、ブランデー3分の1、グレナディン・シロップ少々、卵白1個分(シェイク)・「The Artistry of Mixing Drinks」(Frank Meier著、1934年刊)仏 ジン2分の1Glass、ブランデー1tsp、グレナディン・シロップ1tsp、レモン・ジュース1tsp、卵白半個分(シェイク)・「The Official Mixer's Manual」(Patrick G. Duffy著、1934年刊)米 ※以下の2種類の「ピンク・レディ」を収録しています。 「ピンク・レディNo.1」ドライ・ジン1ジガー、アップルジャック(ブランデー)1ジガー、グレナディン・シロップ1tsp、レモン・ジュース1tsp、卵白1個分(シェイク) 「ピンク・レディNo.2」ジン1ジガー、レモン・ジュース2分の1ジガー、グレナディン・シロップ1tsp、卵白1個分(シェイク)・「Café Royal Cocktail Book」(W.J. Tarling著、1937年刊)英 「The Savoy…」と同じレシピ・「The Stork Club Bar Book」(Lucius Beebe著、1946年刊)米 ジン1&4分の3オンス、アップルジャック(ブランデー)2分の1オンス、グレナディン・シロップ4dash、卵白1個分(シェイク)・「Trader Vic's Bartender's Guide」(Victor Bergeron著、1947年刊)米 ※以下の2種類の「ピンク・レディ」を収録しています。 「ピンク・レディNo.1」ジン1オンス、グレナディン・シロップ1dash、生クリーム1オンス(シェイク) 「ピンク・レディNo.2」ジン1オンス、レモン・ジュース2分の1オンス、グレナディン・シロップ1dash、シュガー・シロップ1dash、卵白1個分、ナツメグ・パウダー=最後に振りかける(シェイク)・「Esquire Drink Book」(Frederic Birmingham編、1956年刊)米 ジン4分の3、グレナディン・シロップ4分の1、卵白1個分(シェイク) 初期のレシピにはレモン・ジュースを加えるレシピも散見されますが、専門家のなかには、「これでは『クローバー・クラブ(Clover Club)』というカクテルのレシピと同じになり、もはや『ピンク・レディ』とは言えなくなる」という意見もあります(出典:Wikipedia英語版)。 「ピンク・レディ」は日本にも比較的早く、1920年代には伝わり、20年代末のカクテルブックには登場しています。【確認できる日本初出資料】「カックテール」(安土禮夫著、1929年刊)。レシピは原文通り記せば、「オールドトム・ジン=シェリーグラス2分の1、フレンチ(ドライ)・ベルモット同1杯半、グレナディン・シロップ同4分の3、スロージン同・2分の1、レモン・ジュース同・4分の3、ビターズ4振り、アブサン5滴、鶏卵1個。之を徹底的に振り混ぜた後すすめる」となっています。 レシピから想像するに、欧米初出であるBoothby著「World Drinks…」が”ネタ本”になっていると思われますが、それにさらにアレンジを加えており、かなり特異なレシピです。著者の安土氏のオリジナルなのかどうかは不明です。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/10/16
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成田一徹・バー切り絵作品集 『NARITA ITTETSU to the BAR』 完全改訂増補版 発刊記念! ITTETSU Gallery:もう一つの成田一徹(279) バッタのスケッチ 1993年 ペン画 ※製図用の径0.1mmのペンを使った、かなり細密な絵。点描と線描を駆使して描いている。生涯、切り絵でも昆虫の絵を何枚も手掛けた一徹氏だが、ここまで細密なものは珍しい。トリノまさる氏との共著「ペンとカラーインクで描く」(グラフィック社・刊)のために、作例として描いた作品(同著の33頁に掲載)だが、1993年と言えば、すでに切り絵作家としての評価・知名度がかなり広がっていた頃。なぜ、一徹氏が(共著とは言え)このような本をつくったのかは、正直言って少し謎である。◆故・成田一徹氏の切り絵など作品の著作権は、「Office Ittetsu」が所有しております。許可のない転載・複製や二次利用は著作権法違反であり、固くお断りいたします(著作権侵害に対する刑罰は、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金という結構重いものです)。※「ITTETSU GALLERY:もうひとつの成田一徹」過去分は、こちらへ★こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2021/07/17
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WEBマガジン「リカル(LIQUL)」連載 【カクテル・ヒストリア第24回】 ジム・ミーハンに学ぶクラシック・カクテル ◆今や、全米で一番注目されるバーテンダー ジム・ミーハン(Jim Meehan)という名前を聞いて、ピンと来た貴方は相当なマニアックな「カクテル通」だ。現在確か46歳。ニューヨークの名立たるバーで修業して人気を得て、その後2007年に、禁酒法時代の“もぐり酒場”を彷彿とさせる、自らのバー「PDT」を立ち上げた。「PDT」とは「Please Don‘t Tell(誰にも言わないで)」の略で、まさに「秘密の酒場空間」にふさわしい店名だった。 「PDT」は2011年の世界のベストバー・ランキングで第1位に輝き、同年には、その店名を冠したカクテルブック「The PDT Cocktail Book」(写真右下。以下、「PDT」と略)なる著書も出版。ミーハン氏はその才能と技術の高さで、名実ともに、全米で最も注目されるバーテンダーとなった(写真左=ジム・ミーハン氏 (C) Meehan's Bartender Manual)。 そして2017年には、自らの生き様の集大成とも言える「ミーハンズ・バーテンダー・マニュアル(Meehan’s Bartender Manual)」を世に送った。この本は、単なるカクテルブックではない。バーテンディングや道具の扱いなどの実務からバー開業・経営のノウハウまで、ミーハン氏はその幅広い知識や見識を惜し気もなく披露している。 嬉しいことに、昨年(2022年)12月、この「バーテンダー・マニュアル」の日本語翻訳版(楽工社・刊)が出版された。せっかくなので、前著の「PDT」とともに、この近著の内容を少し紹介してみたい。 ◆「古典」に深い造詣、起源や初出文献にもこだわる 2011年に出版された「PDT」は、ミーハン氏自身が「サヴォイ・カクテルブックの精神にのっとって、カクテルの歴史が変わる瞬間として多くの人の記憶に残したいものを切り取ってまとめた」と書いているように、レシピ中心の本である。305種類のカクテルを独特のイラストで彩りながら紹介している。このうち、105がいわゆるクラシック・カクテルで、59はミーハン氏自身のオリジナルや共作カクテル、残り141がミーハン氏と同時代第三者のオリジナルである。 奇しくも、ミーハン氏がこの「PDT」を著す少し前の2000年代後半から、欧米の大都市のバーでは、クラシック・カクテルを現代に再評価するブームが起こりつつあった。ミーハン氏もおそらくはそのようなブームを意識したことは間違いないだろう。元々、クラシック・カクテルへの興味を人一倍持ち、2000年代初頭から、絶版となっている様々な古い文献(カクテルブック)を探しては、「過去」に学んでいた。 「PDT」の中でミーハン氏は、自らが選んだ「クラシック」について、初出文献や出版年を丁寧に触れている。面白いのは、ビジュー・カクテル、クローバー・クラブ、メアリー・ピックフォード、モンキー・グランド、サウスサイド、ヴュ・カレ等々、日本ではほとんど注目されることのないような、「忘れられたクラシック」を数多く選んでいることだ。私は、ミーハン氏ほど、クラシック・カクテルへの関心を隠さず、なおかつその出典や起源(歴史)にこだわるバーテンダーを知らない。 ◆バーテンダーの仕事全般に焦点を当てた近著 今回日本語版が出版された「ミーハンズ・バーテンダー・マニュアル」(写真左下)は、約500ページに及ぶ大著である。「PDT」から6年の歳月を経て、この本を著した動機について、彼は前書きで、「多層構造であるバーテンダーの仕事そのもの」に焦点を当てたかったと綴る。 収録カクテルの数は99点で、前著に比べてかなり少ないが、うち69はクラシック・カクテルだ(残り30はミーハンのオリジナルまたは共作)。オリジナル以外のカクテルについては、そのすべてで「出典や起源、由来」に触れており、ヒストリアン(歴史研究者)としてのミーハン氏のこだわりが目立つ。 例えば、これまで定説のなかった「コスモポリタン」の起源については、「トビ―・チェッキーニが1988年にニューヨークのジ・オデオンで創作した」というあまり知られていない事実に光を当て、「ピスコ・サワー」については1903年にペルーで作られたパンフレットにその原型が登場することを紹介するなど、その誕生にまつわるストーリーについても、詳しく触れている。 ちなみに、「クラシック」として収録した69のカクテルのうち約7割は「PDT」でも取り上げたもので、ミーハン氏がカクテル史の中で、とくに「大切」で「重要」と考えるものなのだろう。 私が感心するのは、コープス・リバイバー、ハンキー・パンキー、ラスト・ワードなど日本のバーではあまり馴染みのないカクテルと、日本も含め世界中のバーで人気のダイキリ、ジン・トニック、ギムレット、ジャック・ローズ、マイタイ、マルガリータ、モヒートなどのカクテルがバランスよく選ばれていることだ(なかには、アブサン・ドリップ、ジャパニーズ・カクテル、シェリー・コブラーなどというマニアックなものもある)。(写真右=ミーハン氏が2008年に考案したオリジナル「メスカル・ミュール」はすでに、「モダン・クラシック」として定着している。(C) Meehan's Bartender Manualから)。 ◆「クラシック」を未来へ継承するために ミーハン氏は以前、あるインタビューで「21世紀の食材と技術を用いて、古典的レシピや失われたレシピを現代に定義し、未来へ橋渡ししていくのが私の責務だと思う」と語っていた。確かに、同じお酒や材料がない現代で、完全に昔と同じクラシック・カクテルの再現は不可能だ。それ故、自著で「クラシック」のレシピを紹介する際、時には、ミーハン流の「提案」を加えている。 彼は近著の中でこうも言う。「バーの中で伝えられることは概ね口移しと伝聞に過ぎない。レシピもしょせんは藪の中の話だ。だからこそ、バーテンダーや現代のカクテル史家は、これからの世代のために、フーミュラ(公式)や実践技術をもっとオープンにして、商売敵に勝つために秘密にするのではなく、文字にして記録して、みんなで共有できるようにすべきだ」と。 私もまったく同感だ。現代のカクテルも、何十年か経てば、“クラシック(スタンダード)”扱いされるかもしれない。その時のためにも、レシピや誕生にまつわる情報は文字として残しておくべきだ。ミーハン氏もおそらく、それが自らの「使命」だと考えているのだろうと信じる。 2019年にバー「PDT」を離れたミーハン氏は、オレゴン州ポートランドへ転居。現在はバー・コンサルタントやラム・メーカーの顧問として活躍しながら、日本企業がオープンした現地の和風バー&レストラン「TAKIBI」(写真左=「TAKIBI」のHPから)で、バー部門の責任者として、新たな挑戦を続けている。今回の大著はおそらく、彼にとっては「通過点」の一つだろうが、間違いなくカクテル史に残る1冊になるだろう。ミーハン氏のようなバーテンダーが同時代にいることを、私は本当に嬉しく思う。 ************************************【今回に限定した追記】ミーハン氏の今回の著書の日本語翻訳版には、明らかに誤植・誤記と思われる部分が2カ所、さらには翻訳文や用語で「私が気になった部分」もありました。加えて、ミーハン氏と私の見解が相違する部分もありましたので、以下紹介しておきます。 なお、もとより、カクテルの起源や由来というものは、裏付けとなる一次資料=証拠がない限り、信頼性に保証はありません。なので、私は常に、一次資料(または一次資料の復刻版)や当事者の証言に基づいて、これまでカクテルの歴史や起源・由来について発信してきました。 一次資料にこだわり、できる限り事実・真実に迫ろうという姿勢はミーハン氏も同じです。私はこのようなミーハン氏の姿勢を以前から尊敬しており、(どちらの見解が正しいか等々の)論争するつもりは毛頭ありません。今後もミーハン氏とは切磋琢磨しながら、バー業界の発展のために、クラシック・カクテルの歴史研究に一層努めていきたいと思っています(なお、この【追記】部分を掲載することに関しては、出版社である楽工社編集部からも了解を頂いています)。 【誤植・誤記】 ◆P247 ハンキー・パンキー「起源」のところの4行目、「俳優のチャールズ・ホートリー(英国の喜劇俳優、1914ー1988)のために創作した」の部分、ホートリーの生没年が間違っています。サヴォイホテルのヘッド・バーテンダー、エイダ・コールマンが「バーの顧客だったホートリーのために考案した」のは歴史的事実ですが、彼女は1925年にバーを退職しています。「ハンキー・パンキー」が考案された時期は1920年代前半と考えられていますから、このホートリーさんがもし1914年生まれなら、6歳~10歳頃にバーで出入りし酒を飲んでいたことになりますが、そんなことは当然あり得ません。実は、英国には、同姓同名のチャールズ・ホートリー(Charles Hawtrey)という俳優(喜劇役者ではないようです)がいます。こちらのホートリーさんは「1858年生まれ、1923年に没」。コールマンは、常連客だったこちらのホートリーさんのために「ハンキー・パンキー」をつくったのです。ご参考(英語版Wikipedia) → https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Hawtrey_(actor,_born_1858)「ミーハンズ・バーテンダー・マニュアル」英語版の原文には「(英国の喜劇俳優、1914ー1988)」という部分はなく、翻訳版をつくるときに補われたようですが、その際、同姓同名の別人と取り違えてしまったのだとと思います。 ◆P291 パロマ「基礎知識」の中ほど、「ウェブサイトによると、1955年にはスクワートがメキシコに輸入されており、メーカーの1950年代にはアロマのようなカクテルの割材として好まれていました」とありますが、英語版の原文を確認したところ、ここに出てくる「アロマ」は間違いで、正しくは「パロマ」です。重要な固有名詞の間違いなので、出版社の編集部には、上記の「ハンキー・パンキー」での間違いとともに伝えました(重版からは訂正するとのことでした)。 【ミーハン氏と私の見解が相違する部分】 ◆P203 ブラッディ・メアリー考案者がピート・プティオ(Pete Petiot)氏であることは、専門家の間でもほぼ意見は一致していますが、誕生の時期については今なお諸説あります。考案の時期について、ミーハン氏は、プティオ氏がニューヨークのセントレジス・ホテルで働いていた時期の1934年頃と記しています。しかし、プティオ氏が(渡米前に働いていた)パリの「ハリーズ・ニューヨークバー」時代の1920年代初頭に、すでに考案していたという説もあります。実際、ハリーズ・バー側は、現在でも「当時勤務していたプティオ氏が考案し、誕生したのはハリーズ・バーである」と主張しています。ミーハン氏はブラッディ・メアリーのページで、ハリーズ・バー時代のことには一切触れていませんが、この点は少し気になりました。何よりもプティオ氏自身が、「ブラッディ・メアリー」誕生の経緯について触れた雑誌「News Week」での1967年のインタビュー(先般出版された「ハリーズ・バー100周年記念本」にも一部収録)で、「ハリーズ・バー時代の1920年に考案した」と語っています(当時は、ウオッカとトマト・ジュースの割合は1:1だったそうですが)。プティオ氏は、このインタビュー時は66歳。専門家の間でも「40年以上前の話で、おぼろげな記憶に基づく(プティオ氏の)証言は、100%信用できない。1920年代前半には、新鮮なトマトは特定の季節しか手に入らなかったはず。通年のカクテルとしては提供できなかったと思う」という人もいますが、考案者本人の言葉なので、無視はできません。ともあれ、1917年のロシア革命後、供給がストップしていたウオッカも20年代後半には東欧で本格的に生産再開され、米国製の缶入りのトマトジュースが、少なくとも1928年までにはパリでも使えるようになっていたことから考えると、当時、「ブラッディ・メアリー」という名前だったかどうかはともかく、プティオ氏が考案したウオッカとトマトジュースのカクテルの「起源」を、現段階で「1934年」と断定してしまうのは疑問が多いと私は考えています。「ブラッディ・メアリー」というカクテル名について、「バーテンダー・マニュアル」では、1934年にプティオ氏がセントレジス・ホテルで働き始めた頃、顧客からの一言をヒントに思いついたというエピソードが紹介されています。曰く「シカゴから来たお客様が口にした、Bloody Maryというあだ名のウェイトレスのことがプティオ氏の心に刻まれた。しかし、ホテルのオーナーが反対したので、メニューには『レッド・スナッパー』という名で登場することになった」と(原文は以下の通り)。In 1934、Fernand Petiot of New York's King Cole Bar at the St. Regis Hotel served a spiced tomato juice cocktail to guests from Chicago; they told him it reminded them of a waitress nicknamed Bloody Mary, and the name stuck. Hotel owner Vincent Astor disapproved of the name, so it went on the menu as the Red Snapper.ミーハン氏は、「ブラッディ・メアリー」というカクテル名はセントレジス・ホテル時代に誕生したという見解のようです(実際、1934年当時、セントレジス・ホテルのバー・メニューに「ブラッディ・メアリー」を入れようとしたプティオ氏が、オーナーに反対されて「レッド・スナッパー」という名前に変えたというのは事実です。 しかも、当時米国ではウオッカの入手が困難だったため、ベースの酒はジンに変えざるを得ませんでした。戦後、米国へのウオッカの本格輸入が始まって再びベースはウオッカに戻り、1948年までには名前も「ブラッディ・メアリー」へ復活したようですが、セントレジス・ホテルのHPによれば、同ホテルのメニューでは、理由は不明ですが、現在再び「レッド・スナッパー」の名に戻しているようです。この変更を、今は亡きプティオ氏はどう思っているのでしょうか…)。ハリーズ・バー時代からすでに「ブラッディ・メアリー」と呼ばれていたという見解もありますが、私は、ミーハン氏の上記の見解(説)にあえて異論は唱えません(ハリーズ・バー時代に「ブラッディ・メアリー」が登場していたという確実な証拠=一次資料も、現時点では確認されていないからです)。しかし私は、「カクテル・ヒストリア」ではミーハン氏とは違う見解に基づいて執筆しています。その根拠となっているのは、(ミーハン氏の著書にも登場する)デイル・デグロフ氏が自著で紹介している説(【ご参考】この項の末尾の私の連載記事の引用で紹介)やプティオ氏自身の後年の証言です。曰く「それは1920年だった。パリのハリーズ・バーで働いていた頃、ウオッカとトマト・ジュースのカクテルを考案した。割合は1:1でつくって、お客様もとても喜んでくれた。名前は、若いスタッフが『Bloody Mary』というのを提案してきたんだ。彼にはMaryというガールフレンドがいてね…」と。すなわち、プティオ氏自身は、ハリーズ・バー時代にすでに「ブラッディ・メアリー」という名のカクテルはできていたというのです(プティオ証言の信憑性を指摘する専門家もいます。1920~30年代前半のハリーズ・バーのメニューが見つかって、Bloody Maryが載っているかどうか確認できればいいなぁと願っています)。以下、私の連載記事から少し引用しておきます。「また、「ブラディー(血にまみれた、無慈悲な)・メアリー」という恐ろしそうな名前の由来については、16世紀半ば、宗教弾圧で多数のプロテスタント教徒を処刑した英女王メアリー1世に由来するというのが定説となってきた(珍説としては、ベースであるウオッカの創業者「ウラジミール・スミルノフ」の名前が欧米人には発音しにくく、「ウラジミール」が転じて「ブラディー・メアリー」になったという話も → 出典:Wikipedia英語版)。しかし、1999年に出版された「Vintage Cocktails」や、2002年に米国の著名なカクテル研究家デイル・デグロフが著した「The Craft of the Cocktail」などは少し違う説を紹介している。曰く、「当初は『Bucket of Blood』(「バケツ一杯の血」の意)という名だった。しかし、その後常連客だったメアリーという女性の名にちなんで、『ブラディー・メアリー』に変わった。その客は相手の男性にいつも待ちぼうけを食わされ、寂しそうにプティオのつくるトマト・カクテルを飲んでいた。その様子がまるで、長期間幽閉されていた女王メアリーの孤独に相通じるものがあった」という。 えっ? 残酷な女王の「無慈悲」というイメージ由来ではなかったの?そして極めつけが、2012年に出版されたハリーズ・ニューヨーク・バーの「100周年記念本(原題:HARRY’S BAR THE ORIGINAL)」。1967年発行の雑誌「News Week」の記事を引用する形で、プティオ氏の驚くべき証言を紹介している。プティオ氏は1934年に米国へ渡り、シカゴの有名ホテルのバーテンダーとなっていた(67年当時は66歳)。プティオ氏は言う。「(カクテル名は)ハリーズ・バーにいた後輩のスタッフが提案してきたんだ。(禁酒法時代、シカゴにあったナイトクラブ)『Bucket of Blood Club』を思い起こさせるって。そして当時、彼にはメアリーという名前の恋人がいたんだ」。本当なのかと思いたくなる証言。今まで信じていた「メアリー1世」説は何だったのか…。」 ◆P272 ダイキリ「バ―テンダー・マニュアル」では、「印刷物に残された最も古いダイキリのレシピは1914年発行のジャック・シュトラウブ著の『Drinks』に収録されています」と紹介されていますが、1913年に米国で出版された「Sideboard Manual」というカクテルブックに1年早く登場しています。 ◆P369 ジャック・ローズ「印刷物に載ったのは1910年の『Jack's Manual』が最初です」と紹介されていますが、1908年に米国で出版されたWilliam Boothbyのカクテルブック「The World Drinks and How To Mix Them」の巻末追補ページに(2年早く)ジャック・ローズは登場しています。 【翻訳文や用語で気になった部分】 ◆P225 マティーニ「起源」の部分、「フランク・ニューマンは、1904年発行の著書『American Bar』の中で、マルティーニ・ドライ・ベルモットでつくる『ドライ・マティーニ』を取り上げています。これを読んでわたしは、このベルモットのブランドの評判は、その名前にかなり影響を受けていると考えるようになりました(マルティーニとマティーニっは綴りが同じ)」とありますが、この翻訳文が、私にはすんなり頭に入ってきません。原文の英語を確認してみると、以下のようになっていました。Frank Newman lists a "Dry Martini" prepared with Martini dry vermouth in his 1904 French bar guide, American Bar which leads me to believe the reputation of the vermouth brand had something to do with the name's sticking.「ベルモットのブランド(vermouth brand)」とは当然「マルティーニ」のことを指しているのでしょうから、ミーハン氏は、「(マティーニという)このカクテルの名前が定着していく過程で、マルティーニのというベルモット・ブランドの評判(評価)がかなり影響している(関係している)と考えるようになりました」という意味で記したのではないかと理解したのですが…。さて、皆さんはどのように思われるでしょうか? ◆P239 ラモス・ジン・フィズこのカクテルだけでなく他にも何カ所か登場しますが、レシピとところで、Orange Flower Waterに「オレンジ花水」という訳語を当てているのが少し気になりました。日本のバー業界でも、「オレンジ・フラワー・ウォーター」とそのままカタカナでの表記が一般的だと思います。無理に「花水」という訳語をつくる必要はないかと…。 ◆P244 ホワイト・レディほか多数他のカクテルでもたびたび登場しますが、「ファイン・ストレイン(fine strain)」という言葉をそのまま使っているのが少し気になりました。プロのバーテンダーなら、よーく考えれば意味が分かるかもしれませんが…一般の読者には分かりにくいのではないかと思いました(かと言って、私も適切な訳語は思い浮かばず、申し訳ありませんが…)。 (※P114を読めば「目の細かいストレーナーを使って二度漉し」することだと分かりますが…、できれば巻末INDEXの「ふ」の項に、「ファイン・ストレイン………114」と追加して頂ければ、読者に親切かと思いました)。 ◆P291 パロマ「基礎知識」の中ほど、「それ(2005年)以前には、いかなるレシピ・ガイドを見ても、こうした材料の組み合わせ(※テキーラ+ライム・ジュース+スクワート)やカクテル名(※「パロマ」のこと)は出てきませんが、」に続く部分です。「ウェブサイトによると、1955年にはスクワートがメキシコに輸入されており、メーカーの1950年代にはアロマのようなカクテルの割材として好まれていました」とあります(前述したように、ここに出てくる「アロマ」は間違いで、正しくは「パロマ」です)。この日本語の文章の意味がよく分からない(とくに「メーカーの1950年代には」という表現は、意味が?です)ので、その少し前の部分から、英語版の原文を確認してみました。Neither the combination of ingredients nor the name appears in any recipe guides before this, despite Squirt's being imported to Mexico in 1955 and the maker's claim, on their website, that is became popular as a mixer in cocktails like the Paloma in the 1950s.私の解釈ですが、ミーハン氏は、「スクワートは1955年にメキシコに輸入され、1950年代にパロマなどのカクテルのミキサーとして普及したとメーカーが自社のウェブサイトで発表していますが、それ(2005年)以前のレシピガイドには、こうした原材料の組み合わせもカクテル名も見当たりません」という意味で書いているのではないかと推察しています。 ◆P367 サイドカーカクテル本の著者「ロバート・ヴェルメイル」という方の名前(P345の「トロント」にも登場)の日本語表記ですが、日本では「ヴァ―マイヤー」または「ヴェルマイヤー」という表記の方がすでに、ほぼ定着しているので、個人的には少し違和感がありました。 *****************************なお、私が今回「ミーハンズ・バーテンダー・マニュアル」を読んで、いくつかの疑問点を感じたからと言って、この本の価値に傷が付くことはまったくないと思っています。この大著は、それぞれのカクテルの歴史的な部分について、情熱を持ってとても丁寧に調べて、書かれた労作です。実際、現代の世界のバー業界で、ミーハン氏ほどカクテルの起源や歴史を大切に考え、それを実践して、発信しているバーテンダーを他には知りません。はっきり言って、この「バーテンダーズ・マニュアル」は賞賛に値する本だと思います(値段はやや高いですが…(笑))。あれこれ指摘しましたが、だからと言って、ミーハン氏に対する私の個人的な評価はまったく変わりません、と言うか、今回の大著を読んで、彼に対する尊敬の念がさらに増したような気もします。次回彼が来日する際には、ぜひ会えることを心から願っています。・WEBマガジン「リカル(LIQUL)」上での連載をご覧になりたい方は、こちらへ・連載「カクテル・ヒストリア」過去分は、こちらへ
2023/01/28
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◆フェノール値 & ppm って何だ? モルト・ウイスキーの味わいを表現する形容詞に、スモーキー(smoky)、ピーティー(peaty)という言葉があります。そして、「スモーキーさ」「ピーティーさ」の程度を表す数値として、(あまり一般的ではありませんが)しばしばフェノール値という言葉が登場し、「ppm」という単位が使われます。最近では、ウイスキーのパンフレットやラベルの説明にもお目見えするようになりました。 しかし、「フェノール値とかppmとかって何なの?」と聞かれて、正確に答えることが出来る人は、ウイスキーに詳しいバーのマスターやバー業界関係者でも、意外と少ないのが現状です。そこで、自分なりに得られるだけの資料を使って、友人のサポートも受けながら、精一杯まとめてみました(※お読みになってもし何かお気づきの点があれば、ご指摘頂ければ幸いです)。 1.ピートが生むスモーキーさ スモーキーなウイスキーが誕生するためには、ピート(泥炭)、原材料の大麦、酵母、仕込み水、樽の種類などいろいろな要素が絡んできますが、なかでもピートと原材料の大麦の影響が大きいと考えられています。ピートはヒースなどの野草や灌木などが長い歳月で堆積して炭化したもので粘土状のものです。スコットランドでは昔から、掘り出して乾燥させ、冬季には貴重な燃料源として燃やして暖房に使ったりしています。 スモーキーなウイスキー造りの際には、発芽後の大麦(モルト)をしばしばピートを燃やしてその煙と熱で乾燥させます(逆に、最終商品として「スモーキーなウイスキー」を造らない場合は、ピートは使いません)。ピートはスコットランドの北部や南部、島部など広い地域で採掘されますがその成分は産地によって違います。アイラ島などはピートに海藻や貝殻、海の生物、海水が結構含まれているため、燃やすと燻製香、ヨード香が強く出ます。一方、内陸部のピートは灌木や草花(ヒースなど)といった植物系の成分が多いのでスモーキーさも穏やかです。ピートのどの部分(成分)が、どのようなスモーキーさを生み出すのかは、まだよく解明されていません。 2.製麦はほとんどがモルトスター頼み ただし、スコットランドでも現在はほとんどの蒸留所が、大手のモルトスター(製麦会社)から乾燥済みの原料大麦を購入しており、フロアモルティング&乾燥を自ら行っているところは稀です(ボウモア、ラフロイグ、キルホーマン、ハイランドパーク、スプリングバンクなど7~8カ所程度です)。そして、フロアモルティングしている蒸留所でもウイスキー造りに使う大麦の全量の製麦はできないため、多かれ少なかれモルトスターから購入しています。 モルトスターは蒸留所からの注文に応じて、ノン・ピーティド大麦、ピーティド大麦を販売し、ピーティド(焚き込み)のレベルも、例えば「40ppm程度で」などの注文に応じています(自社生産している蒸留所は、過去の経験値からピートを燃やし乾燥させる量や時間を調整し、目指すppmレベルに近づけます)。 3.スモーキーさの「一つの指標」 ウイスキー造りの世界では、このピート由来の香り=「スモーキーさ」はフェノール値の数字「ppm」という単位で表されます。すなわち、ppmは「スモーキーさの指標」であり、「フェノール化合物の濃度」です(ppmは「parts per million」の略。1ppmは0.0001%、1%は10000ppmに相当します)。 ピートを燃やして乾燥された大麦は、そのピートの種類や量、乾燥時間などで一般的に、ライト・ピーティド大麦(一般に5ppm以下)、ミディアム・ピーティド大麦(6~19ppm)、ヘビリー・ピーティド大麦(20ppm以上)、スーパー・ヘビリー・ピーティド大麦(概ね80ppm以上)と分けられます。 ピートの使用量は一般的に、ヘビリーの場合で麦芽1トンに対して20~30kg、ミディアムで15kg、ライトで10kgくらいです(この部分の出典:集英社新書「日本のウイスキー 世界一への道」輿水精一&嶋谷幸雄 共著から。※ちなみに、日本国内の蒸留所は現在、ウイスキー用大麦麦芽のほぼ全量を海外から=主にスコットランドから=輸入しており、国産大麦を一部使っているのは秩父蒸留所のみ、国産ピートはニッカの余市蒸留所や新興の厚岸蒸留所が使用していますが、採掘規制もあり、使用量はごく一部です)。 なお、ピートで乾燥させない大麦は「ノン・ピーティド大麦」と呼ばれますが、ノン・ピーティドでも、ウイスキーの製造過程でピート層を通った仕込み水を使ったりするので、アイラ・モルトなどでは1~5ppm程度のフェノール値が検出されることがあります。 4.「スモーキーさ」を生む化合物 ppmは「フェノール化合物の濃度」と先ほど書きましたが、この化合物には様々な種類のものが存在します。代表的なフェノール(phenol)、クレゾール(cresol)以外にも、エチルフェノール(ethylphenol)、グアヤコール(guaiacol)など。いわゆる「スモーキーさ」を生むのは、クレゾール、エチルフェノール、シリンゴル(syringol)、キシレノール(xylenol)、ビニルグアヤコール(vynylguaiacol)という化合物が要因です。 通常は、出来たてのウイスキーのフェノール値を測定する場合、様々なタイプの検査機器、例えばHPLC(High Performance Liquid Chromatography=高効率液体クロマトグラフィー)や、GC/MS(ガスクロマトグラフィー<GC: Gas Chromatography>と質量分析計<MS: Mass Spectrometry>を組み合わせた測定機器)などを使いますが、上記のような様々な化合物の含有量の総量がフェノール値としてppmで表示されます。 5.フェノール値(ピートレベル)は何で測るのか フェノール値は、完成したウイスキーの液体そのものではなく、通常、ピートの燻煙で乾燥させた大麦麦芽を使って測ります。フェノール化合物はそれぞれ特有のにおいを持っていますので、含まれる割合によってウイスキーのにおいも異なります。それがウイスキーの個性とも言えます。ただ、フェノール値だけで「どの化合物がどれくらい含まれているか」を判断(数値化)することはできません。また、フェノール値(ppm)が高いからと言って、最終商品としてのウイスキーの「スモーキーさ」が強くなるという訳ではありません。 この理由には、いくつかの要因が指摘されています。例えば蒸留後、冷却して出来上がった原酒は通常、最初に出て来る部分と最後の残りの部分はカットされて、真ん中の部分(ミドルカット)のみ樽熟成に回されます。「前後の部分」をどの程度カットするかは、各蒸留所の製造方針によって違います。また、どのような種類の樽でどのくらいの期間、どのような環境で貯蔵・熟成するかによっても、最終商品のスモーキーさは変わってきます。 従って、(大麦麦芽段階での)フェノール値が高いほど「よりスモーキーな(臭い)ウイスキーになる」というのは迷信・誤解です。フェノール値100ppmのモルトウイスキーより、50ppmのモルトウイスキーの方がスモーキーだったということもしばしば起こります(例えば、フェノール値が軒並み100ppm以上の「オクトモア」より、50ppmのアードベッグの方がよりスモーキーさを感じるように)。 6.フェノール値(ppm)は、麦芽の乾燥時間で経験的に決めている? ここで私の友人で、職業柄「サイエンス・ライティング」に詳しい、ウイスキー愛好家の安部祥輔氏の示唆に富む見解を紹介しましょう。 安部氏は「私の中での仮説でしかないのですが、(各蒸留所が目指す)フェノール値は『ピートで麦芽を※時間乾燥させたから**ppm』というふうに乾燥時間で決めているような気がしています」と話します。 海外サイトを見ていると、フェノール値は「麦芽の乾燥の度合い」とか「ピートを焚きこんだ度合い」といった記述がけっこう見受けられます。安部氏ならずとも、単位がppmなので、濃度にばかり意識が向きます(実際にほとんどのサイトは濃度について言及しています)が、「なぜ乾燥度合いがppmなのか?」と疑問に思います。 安部氏は「しかしながらフェノール値は、フェノール化合物が含まれている実際の濃度ではなく、単にピートを使った乾燥時間と考えると、腑に落ちることがたくさんあります。経験的に、製麦業者や蒸留所の製麦職人は、乾燥時間からおおよその数値を類推しているのではないでしょうか。乾燥時間が長ければ、麦芽に含まれるフェノール化合物量が増えてフェノール値が大きくなるのでしょうが、含まれる化合物の割合はこの値からはわかりません」と語ります。 なので繰り返しになりますが、ppm値が大きいからといってスモーク臭が強いわけではなく、「含まれるフェノール化合物の大半がクレゾールならボウモアのような香り、すなわち消毒薬のような匂い」になる、一方で、「グアヤコールが多ければ(ラフロイグのような)正露丸のような香り」がする、などという合理的な説明ができます。ppmは100万分の1単位という極微量単位だから測定誤差も考慮すれば、乾燥時間でppm値をざっくりと決めたとしても罪はないでしょう。 7.フェノール値の定義(算出方法)と測定方法は不明確 「どこを探してもフェノール値の定義と算出方法に関する記述が見つけられない」。ウイスキー愛好家から、しばしばこういう声を聞きます。フェノール値の算出方法としていくつかの手法が考えられますが、個々のメーカー(蒸留所)は、具体的にどのように測定・算出しているのかは公表していません。 安部氏は、以下のような手法を推測しています。 議論の前提として、そもそもフェノール値とは、測定対象(モルトやウイスキー)から検出されたすべてのフェノール化合物の濃度をすべて合算した数値なのか、何種類かのフェノール化合物をあらかじめ決めておいて、それらの濃度を合算したものなのか、それが判然としません。どのHPを探しても記述が見つけられません。いずれの方法でもない可能性もあります。 あるメーカー(蒸留所)が、例えば「以下のようなフェノ―ル化合物の濃度の合計値」を自社ウイスキーのフェノール値とするとあらかじめ決めていて、 フェノール(phenol)5ppm、 o-クレゾール(o-cresol)4ppm、 m-クレゾール(m-cresol)2ppm、 p-クレゾール(p-cresol)3ppm、 グアヤコール(guaiacol)8ppm、 4-エチルフェノール(4-ethylphenol)9ppm、 4-エチルグアヤコール(4-ethylguaiacol)10ppm だった場合、 合計値(合算値)である41ppmがそのウイスキーのフェノール値ということになります。 一つ手掛かりとなるのは、日本の大手メーカー(蒸留所)の手法です。先に紹介した輿水氏&嶋谷氏の共著のなかでは、「(サントリー社は)輸入された麦芽を、定性的にはガスクロマトグラフィー分析によって、ピーティングの度合いを調べ、定量的には全フェノール値、揮発性フェノール値を用いる」と紹介されています。 そこで、ここでは前者の算出方法、すなわち「検出されたすべてのフェノール化合物の濃度のすべてを合算」した場合を説明してみましょう。 ウイスキー中のフェノール値を算出すると、ピート由来だけではなく樽由来のフェノール化合物、さらに双方に由来するフェノール化合物とエチルアルコール(言うまでもなくウイスキーの主成分)との反応物であるフェノール化合物など、すべての製造工程で生成したフェノール化合物の濃度が算出されるわけです。 だとすれば(樽由来のフェノール化合物はスモーキーさとは縁遠いものもありますので)、フェノール値をもってスモーキーさを議論することはまったく不毛であることは誰にでも理解できることでしょう。 完成品としての(ニューポットではなく樽熟成後の)ウイスキーのフェノール値に言及している記事も多々あります。しかし、モルト中のフェノール値を算出するにしても、いったい何種類くらいのフェノール化合物が含まれるのか分かりませんが、スモーキーさの要因となる化合物とそうではない化合物のすべての濃度を算出することにあまり合理性が感じられません。従って、モルト(乾燥麦芽)中ではなく完成品のウイスキー中のフェノール化合物を、同じ指標で語ることはナンセンスだということです。 8.フェノール値の測定・算出方法とは? 「フェノール値の定義(算出方法)についての記述が見つからない」と書いているのは、ここまでの考察や推察を含んでの話です。ウェブサイト上でどんなに探しても「フェノール化合物の濃度」とか「ガスクロマトグラフィーを使って測定する」というレベルの域を超える記述は見当たりません。 もちろん分析化学や環境化学を専門としている研究者の文献を探せば、サイエンスに基づいて厳密に書かれた論文はいくらでも見つかりますし、ウイスキーの成分分析に関する論文もいくらでも見つけられますが、フェノール値の定義(算出方法)はどこにも書かれていません。 測定方法についても、やや専門的過ぎるかもしれませんが、改めて少し確認しておきましょう。専門家が紹介している様々な情報から推察すると、ウイスキーに含まれる成分の分析では、ガスクロマトグラフィー(GC: Gas Chromatography)単体ではなく、質量分析計(MS:Mass Spectrometry)を組み合わせた「GC/MS」や、高効率液体クロマトグラフィー(HPLC:High Performance Liquid Chromatography)と「MS」を組み合わせた「LC/MS(液体クロマトグラフィー質量分析法)」が用いられていることが多いのではないかと思います。GC単体やHPLC単体で調べるよりも、精度が高く分析も簡単だからです。 ただ、いろんな文献を検索して読んでいると、近年は、「GC/TOFMS(ガスクロマトグラフ飛行時間質量分析計=最新の分析機器です)」もよく使われているような印象です。 ちなみに、10社近くのモルトスターのサイトを調べてみると、多くの会社が「IoB Methods of Analysis」という測定手法を採用しているようです。これはイギリスの「The Institute of Brewing and Distilling」という業界団体が推奨する方法のようです(同法人のサイトには分析法の詳細が記載されているようですが、会員制サイトなのでIDとPWがなければアクセスができません。残念…)。 モルトスターは、IoB Method以外にもThe American Society of Brewing Chemists(ASBC)、The European Brewing Convention(EBC)という業界団体が推奨する分析法を使っていることもわかりました。国や業界(ビール、ウイスキー、ワインなどなど)ごとに基準があるようです(以上、測定方法については、しっかりとした「裏取り」はしていないうえでの記述であることをお含みおきください)。 ただしそもそも、こうしたモルトスターや蒸留所が、どのようにサンプリング(試料採取)しているのか、1回の測定に使用するモルトは何グラムか、どのような試薬を使って対象化合物を抽出するのかなどの測定手順やルールは公表されていません。微量成分の分析を行うのであれば、モルトスター間で分析手法を統一しなければ、測定データのバラツキが大きくなってしまいますが、それも不明です。 このように考えると、誤解をおそれずに言えば、本当にモルトスターや蒸溜所が(フェノール値の)濃度をきちんと測定しているのだろうか、データの信ぴょう性はどうなのかという疑問すら生じます。 9.結び 本稿を締めくくるにあたっては、やはり、安部氏の言葉を紹介しておきたいと思います。 「個人的には、やはりピートの焚き具合でppm値を決めていると思いたい。そのほうがサイエンスの手法で数値をはじき出すよりも、家内制手工業的なウイスキー製造にロマンを感じるからです。自社でフロアモルティングをやっている蒸溜所に、GC/TOFMSのような最新の分析装置がセッティングされていたら興ざめじゃないですか」。 私もまったく同感です。ウイスキーは数字で楽しむ(飲む)ものではないと思います。ウイスキーが嗜好品である以上、何でも機械や科学で決めてしまうより、蒸留所の職人たちが長年の経験を活かして、原材料や仕込み水、発酵条件、樽や熟成期間、風土等という様々な「偶然」と向き合いながら造る方が、より魅力的なウイスキーが出来ると信じています。 【御礼】この稿の作成にあたっては、本文中にも紹介したサイエンス・ライティングに詳しい安部祥輔氏のほか、堀正明氏(ウイスキー文化研究所認定ウイスキーセミナー講師)、大北賜氏(大阪「リトル・バー」マスター、※現在は「マスター・オブ・ウイスキー」)の御三方に貴重な情報、ご助言を頂きました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/03/08
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2026/08/29
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