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M マンハッタン・カクテル(Manhattan Cocktail) 小さい調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注(つぎ)、アンゴスチュラ・ビター二滴、イタリアン・ヴェルモット二分の一ジガー弱、およびブールボン・ウイスキー【注1】二分の一ジガー強を加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスにこしてうつし、レモン一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 マラスキノ・パンチ(Maraschino Punch) ソーダ水呑に、砂糖小匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次ぎにブランデー一ジガー、アラック【注2】二注、マラスキノ一ポニー、およびレモン半個分の露(つゆ)を搾りこみ、砕き氷を八分目まで入れて充分にかき混ぜ合わせ、季節の果実を浮かし、麦稈をさしてすすめます。 マーチニ・カクテル(Martini Cocktail) 小さい調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注、オールド・トム・ジン二分の一ジガー弱、およびイタリアン・ヴェルモット【注3】二分の一ジガー強を加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉してうつし、糖水煮の桜桃一つと、レモンの皮一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 マッキンレイ・パンチ(McKinley Punch) 大きいゴブレットに、グルナダン・シロップ【注4】二ジガーと、レモン一個の搾り汁、ウイスキー一ジガーおよび氷の塊二つ三つを入れ、サイフォン・ソーダを九分目まで次ぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせてオレンジの輪切一片を浮かし、麦稈をさしてすすめます。 もし、この「マッキンレイ・パンチ」からウイスキーを除けば「グルナダン・パンチ」と呼んですすめられます。 マッルーヒン・カクテル(McLoughin Cocktail) シャンパン・グラスに、クレーム・ド・コギャク【注5】一ジガーを入れ、アンゴスチュラ・ビター一注を加え、レモンの皮一そぎを押しつまんで浮かし、別の瓶のまま充分に冷やしたシャンパンをつぎ入れてすすめます。 メエレエ・ケシ【注6】(M?l? Casis) 利久酒盃に、クレーム・ド・ケシと、コギャクとを交じり合わぬよう静かに半々につぎ入れ、別に氷水をそえてすすめます。 ミカド・カクテル(Mikado Cocktail) これは「J」の項で説明しました「ジャパニーズ・カクテル」の別名です。 ミルク・パンチ(Milk Punch) 大きい調合器に砂糖小匙で一杯を入れ、水少しを加えて溶かし、砕き氷を二分の一位まで入れ、次にコギャク一ジガーと、セント・クロアクス・ラム【注7】一注、及び新しい濃い牛乳をソーダ水呑に九分目位になると思われるだけつぎ入れ、充分に振蕩(しんとう)してソーダ水呑に漉してうつし、ナッツメグ少しをおろしかけ、麦稈をさしてすすめます。 モンタナ・カクテル(Montana Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、アニゼット二注、オレンジ・ビター二注、およびフレンチ・ヴェルモット二分の一ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせてカクテル・グラスに漉してうつし、レモン一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 モーニング・カクテル(Morning Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、レッド・キュラサオに注、ガム・シロップ三注、ボカース【注8】またはアンゴスチュラ・ビター二注、アブサント一注、及びブランデーとウイスキー各二分の一ジガーずつを加え、充分にかき混ぜ合わせ、カクテル・グラスに漉しうつしてすすめます。 モーニング・スター(Morning Star) 大きい調合器に砕き氷を入れ、砂糖小匙で一杯、ポート・ワイン一ジガー、スコッチ・ウイスキー一ジガーおよび乳酪(クリーム)五勺(しゃく)【注9】を加え、鶏卵一個を割って落とします。充分に振蕩してソーダ水呑に漉してうつし、冷たいソーダ水を九分目までつぎ入れ、かき混ぜ合わせてすすめます。 ムーレット(ホット)【注10】(Mulled, Hot) 大きい鉢か甕(かめ)に熱湯三合を入れ、砂糖三十匁(もんめ)【注11】を加えて溶かし、レモン六個の搾り汁を加えます。次にポート・ワインまたは好みの酒一壜半をつぎ入れ、文火(とろび)にかけて静かに熱を加えて置きます。 別に鶏卵十二個を別の器に割って落とし、充分にかき立てて泡雪に仕立て、前のパンチの中へ、パンチを急いで、少しのゆるみもなくかく混ぜながら加えて、更に急にしかし静かに、充分にかき混ぜ合わせ、とろりとしたものに仕上げてすすめます。【注1】「ブールボン・ウイスキー」とはご推察の通り、「バーボン(Bourbon)・ウイスキー」のこと。【注2】「A」の項の【注9】をご参照。【注3】現代のマティーニの標準レシピはジンとドライ・ヴェルモットだが、この時代は欧米でもまだイタリアン(スイート)・ヴェルモットを使うレシピが主流で、日本でも同様だったようだ。【注4】「グルナダン・シロップ」とはご推察の通り、今で言う「グレナディン・シロップ」のこと。【注5】「クレーム・ド・コギャク」とはコニャック・ベースのリキュールのこと。現在でも何種類かが製造・販売されている。【注6】メエレエ(M?l?)とはフランス語で「混ざり合った」との意。「メエレエ・ケシ(現代の表記だと「メーレ・カシス」)はフランスの家庭では一般的に飲まれていたカシス・ブランデーのこと。【注7】「B」の項の【注4】をご参照。【注8】「ボカース」とは、1828年にドイツ系米国人のジョン(ヨハン)・ボウカーが製造・販売を始めたビターの銘柄「ボウカーズ・ビター」(Boker’s Bitter)のこと。禁酒法時代の1920年代に製造中止となったが、近年、その味わいを再現した製品が再発売されている。【注9】「一勺(しゃく)」は一合の10分の1で約18ml 従って五勺は約90ml【注10】「ムーレット」とは、ここでは「ムーレット・ワイン」のことを指す。ワインに甘味やスパイスなどを加えて温めたもの。現代では「マルド・ワイン 」という表記が一般的。【注11】「一匁(もんめ)」は3.75g 従って三十匁は約113gこちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/30
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L ラズベリー・レモネード(Rasberry Lemonade) ソーダ水呑にプレーン・レモネードをつくり、ラズベリー・シロップ大匙で一杯を加え、静かにかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。 シェリー・レモネード(Sherry Lemonade, Plain) ソーダ水呑にプレーン・レモネードを八分目までつくり、シェリー一ジガーを加え、麦稈をさしてすすめます。 スパイク・レモネード(Spike Lemonade) ソーダ水呑かまたはグラス・ゴブレットに、プレーン・レモネードを八分目までつくり、ウイスキー一ジガーまたは客の好みの量を加え、麦稈をさしてすすめるもので、別の名を「テキサス・レモネード」といひます。 ホワイト・ロック・レモネード(White Rock Lemonade) 大きいゴブレットに砂糖大匙で山盛一杯を入れ、ホワイト・ロック・ウォーター【注1】二匙を加えて溶かし、次に氷の塊(かたまり)一個を入れます。レモン二個の露を絞りこみ、かき混ぜ合わせながらホワイト・ロック・ウォーターを九分目までつぎ入れ、麦稈をさしてすすめます。 レモン・スクォシ(Lemon Squash) これは「レモネード」すなわち、前に「レモネード・プレーン」と呼んで説明したものと同じものを指して呼ぶ英国人の言葉です。英国人に限って、「レモネード」の事を「レモン・スクォシ」と呼びます。 ブリティン、イングリッシュ、及びその植民地に於いては、壜詰のすさまじく沸騰するところのものを「レモネード」と言ひ、注文によって速成に調合した「レモネード」のことは飽迄(あくまで)も「レモン・スクォシ」と呼んで、大英帝国の威光を、レモネードの上にまでも及ぼさうとするにほかならぬのであります。 ロコモチーヴ(ホット)(Locomotive, Hot) ソース鍋二個を文火(とろび)にかける用意をして置き、別に大きい調合器に砂糖大匙で二杯と、蜂蜜小匙で一杯を入れます。次にキュラサオ一ポニー、鶏卵の黄身ばかり一個分、および赤葡萄酒を葡萄酒用の盃で一杯加え、十分にかき混ぜ合わせて、前に用意して置いたソース鍋一個の方へうつします。 文火の上で、彼方此方へ絶え間なくうつし替えて熱くし、ソーダ水呑につぎ入れ、レモンの輪切一片(きれ)を浮かしてすすめます。【注1】ネット上であれこれ調べるも、「ホワイト・ロック・ウォーター」とは何を指すのかは不明。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。【注2】「レモン・スクォシ」とは言わずもがなだが、「レモン・スカッシュ」のこと。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/28
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L<上> レモネード(ホット)(Lemonade, Hot) 水呑に角砂糖二個を入れ、水小匙で二杯ほどを加えて溶かし、レモン一個の露を搾りこみ、熱湯を八分目までつぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせ、レモンの輪切一片(きれ)を浮かしてすすめます。 レモネード(プレーン)(Lemonade, Plain) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、レモン二個の露を搾りこみ、砕き氷を二分の一位まで入れ、水を九分目までつぎ入れ、充分にかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。 コーディアル・レモネード(Cordial Lemonade) ソーダ水呑に、プレーン・レモネードをつくり、コーディアル・シロップ大匙で一杯をつぎ入れ、静かにかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。 クラレット・レモネード(Claret Lemonade) ソーダ水呑に、プレーン・レモネードを八分目までつくり、赤葡萄酒一ジガーを加え、麦稈をさしてすすめます。 ナッパ・ソーダ・レモネード(Napa Soda Lemonade) 大きいゴブレットに氷の塊一個を入れて置き、別に中位の調合器に砂糖大匙で山盛一杯を入れ、ソーダ水二匙を加えて溶かし、レモン二個の露を搾りこみます。ナッパ・ソーダ【注】の小壜一本をつぎ入れ、充分にかき混ぜ合わせて、前に用意して置いたゴブレットの中に漉してうつし、更に静かにかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。 この「ナッパ・ソーダ・レモネード」のナッパ・ソーダは、ゼルツェル・ウォーターに代えることが出来ます。けれども、ゼルツェル・ウォーターを用ふれば「ゼルツウェル・レモネード」と呼び、もし、ソーダ、ウォーターを用いた場合は「ソーダ・レモネード」と呼ばれるのであります。 オルジェート・レモネード(Orgeat Lemonade) ソーダ水呑に、プレーン・レモネードをつくり、オルジェート・シロップ大匙で一杯を加え、静かにかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。 ポート・ワイン・レモネード(Port Wine Lemonade) ソーダ水呑に、ポート・ワイン・レモネードを八分目までつくり、ポート・ワイン一ジガーを加え、麦稈をさしてすすめます。【注】「ナッパ」とは、ワインで有名な米カリフォルニア州のナパ・バレー(Napa Valley)のこと。ナッパ・ソーダとはナパ産の炭酸水のことか。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/25
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【お知らせ】多忙につき現在コメント欄を閉鎖していますが、年明けの1月7日(金)までの間、臨時的にコメント欄を開放します。ご感想・ご意見等ありましたら、何卒よろしくお願いいたします。
2010/12/25
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メリー・クリスマス! 皆さま、イブの夜はいかがお過ごしですか? 今年もイブの夜に、働くみんなのために、街行く人たちのために、大阪・中之島の「中之島三井ビル」(31階建、通称「東レ」ビル)が魅せてくれました。 毎年恒例となっているイベントですが、やはり嬉しいですね。今年は大きなプレゼントの袋を抱えたサンタクロースです。袋には、よく見ると「HAPPY」の文字が! デザインは毎年、ビルのテナントの方々の投票で選んでいるそうですが、今年も色やデザインとも、見事な出来栄えです! このビルのディスプレーもすっかり「大阪の冬の風物詩」として定着しました。この窓のライト・ディスプレーを見るとほっこりします。毎年思うのですが、この情熱って凄いですね。太っ腹なオーナーがいて、アイデアを考える人たちがいて、窓の開閉やデコレーションで協力してくれるテナントさんがいて成り立つイベントです。 ビルのオーナー(三井不動産)とビルの数多くのテナントの皆さん、ご協力ほんとうに有難う! 心から感謝していますよ!! 毎年言ってるけど、世の中のみんな、こんな素敵な、優しい人たちばかりなら、争いごとなんて起こらず、平和な世界になるのに、ね。 ちなみに、去年のクリスマスはこんなディスプレー(写真右)でした。 また、一昨年のクリスマスは、こんなディスプレーでした。 さらに 3年前のクリスマスはこんなディスプレーでした。 来年は素敵な一年でありますように! 皆さまにも、メリー・クリスマス!!【お知らせ】多忙につき現在コメント欄を閉鎖していますが、年明けの1月7日(金)までの間、臨時的にコメント欄を開放します。ご感想・ご意見等ありましたら、何卒よろしくお願いいたします。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/24
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遅くなりましたが、福岡BAR巡りの番外編です(番外編なので、BARは一切出てきませんが、ご容赦を)。 ◆小 倉【北九州市立・松本清張記念館】うらんかんろが大好きなミステリー作家の大御所・松本清張(1909~1992)の記念館です。前々からぜひ訪ねてみたいと思っていました。記念館は、清張が北九州・小倉出身だったこともあって、没後の1998年開館しました。 何よりも凄いのは、館内の展示スペースに東京・高井戸にあった清張の自宅から、玄関や仕事部屋(亡くなった当時のまま)、応接間、書庫(これがまた凄い!蔵書量)などをほぼそのまま移築して再現していることです。 清張は亡くなる直前までこの仕事部屋で原稿用紙に向かっていました。ガラス越しに部屋を覗いていると、まるで、今でも清張が執筆しているような錯覚にとらわれます。実際に家屋の中には入れませんが、これだけでも圧巻で、ミステリー・ファンなら必見の価値があります。 見終わって、強い印象を受けたのは、小学校しか出ていない清張が、あれほどの幅広い、質の高い作品群を書けたのには、その血のにじむような努力の跡です。読書量や取材量の多さは言うに及ばず、展示されている創作ノートには書き込み(勉強)の跡がびっしり。 「学歴はないけれど、専門家に負けてなるものか」という清張の気迫が伝わってきます。コンプレックスをバネに代え、人一倍の努力をすることで、専門の学者も一目置くようなあの地位を築いたのです。その姿勢にただただ感動するばかりでした。【小倉城】慶長7年(1602)、戦国武将で、細川ガラシャの夫君として知られる細川忠興(1563~1646)によって築城されました。忠興は知略・戦略に長けた文化の素養にも優れた大名で、豊臣、徳川に仕えながら戦国武将にしては珍しく、83歳という長寿を全うしました。 関ヶ原の合戦からしばらくして後の寛永9年(1632)、忠興は肥後・熊本へ移り、その後小倉城は代々、小笠原氏という大名が城主をつとめました。天守閣は、残念ながら江戸時代の天保年間に焼失し、現在の天守閣は昭和34年に再建されたものです。 今回は時間があまりなく外から鑑賞しただけですが、こじんまりとした、趣(おもむき)のある平城で、雰囲気的には福山城に似ているかなという印象でした。松本清張記念館のすぐそばにあるので、記念館帰りにおすすめのスポットです。【旦過(たんが)市場】小倉と言えば、旦過市場。大正時代の初めに誕生し、「北九州の台所」とも言われる全国的にも有名な市場で、観光スポットとしていつも賑わっています。 市場には新鮮な魚や野菜、果物だけでなく、総菜屋や名物の明太子を売る店もたくさん軒を連ねています。博多名物・モツ鍋のモツなど鶏屋さんもたくさんありますし、時節柄、とれたてフグを売る店も。 市場の中の通路はやや狭いのですが、見て歩いているだけでも楽しい場所です。美味しそうなお寿司屋さんもあって、ちょっとそそられましたが、初日のお昼はとんこつラーメンと決めていたので、ここは我慢。お土産には、明太高菜の漬け物を買って帰りました。再開発の話も出ているそうですが、昭和の風情を残した市場はぜひ今のまま残してほしいと思います。 ◆博 多【正福】友人に教えてもらった家庭料理で有名な、博多で人気の定食屋さんです。時間帯に関係なく、ほぼいつも行列ができているそうです。天神コアの地下1階にある本店のほか、同じ天神エリアのアクロス福岡というビルの地下2階にも支店があるそうです。 とにかくネタが新鮮で旨い。さらにボリュームもたっぷり。定食は人気メニューで1000円前後(お値段は750円から1400円くらいの間)ですが、その値打ちは十分あります。選択肢もとても多い(定食メニューは約30種類も!)ので、僕はついつい2日連続でお邪魔してしまいました(幸いあまり待たずに入れました)。博多へ行かれたらぜひ一度味わってみてください。【太宰府天満宮】言わずと知れた、菅原道真(845~903)を祀る神社で、延喜五年(905)の創建と伝わります。学問の神様として、また初詣スポットとしても有名です。西鉄の博多・天神駅から最寄り駅の太宰府駅まで急行で15分ほどという近さが嬉しいです。 天満宮は駅から参道を歩いて10分弱のところにあります。うらんかんろが訪れた日も土曜で快晴とあって、かなりの人出でした。最近のアジアからの観光客の増加を反映してか、ここでも、中国語や韓国語があちこちで飛び交っていました(加えて、西洋人の参拝者も結構目立っていました)。 ここの名物土産は、道真も味わったとかいう「梅ケ枝餅」(大宰府天満宮と言えば、全国屈指の梅の名所)。駅から天満宮へと続く参道の両側には、売ってる店がたくさんありました。うらんかんろも当然、お土産に5個入りセットを買って帰りました(帰宅後レンジでチンして食べましたが、結構美味しかった!)。【九州国立博物館】「九州に国立博物館なんて、あったの?」と思われる方も多いでしょう。それもそのはず、比較的最近(2005年開館)にできた施設です。九州と言えば、関西に比べると神社・仏閣は少ないのですが、古墳も多く、掘れば何か出てくる土地柄なので、古代史の宝庫です。 九州国立博物館は、大宰府天満宮のすぐそばにあり、石器・土器や青銅器、鉄器、曲玉など貴重な品々をたくさん所蔵(国宝も多数!)し、展示しています。また東アジアと交流が深かった強みも生かし、中国、朝鮮半島などの貴重な文化財も数多く持っています。 巨大な施設なので見応えは十分。広いスペースを生かして、来年1月には初の西洋絵画の展覧会として、ゴッホ展をするそうです。さすが商売上手! 博多へ来られたら、ぜひおすすめしたい観光スポットです。大宰府天満宮参拝と一緒にどうぞ!(元日からオープンしているとか)。【福岡市博物館・国宝金印】国宝「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印と言えば、学生時代の教科書にも出てきたのでご存じの方も多いと思います。所蔵するこの博物館では常設展示しているため、いつ行っても鑑賞することができます。 実は今回の旅で僕は当初、この金印は九州国立博物館が所蔵し、展示しているものだと誤解していたのです。大宰府で肩透かしを食らったので、「せっかく博多まで来たのだから、やはり国宝・金印を見ずしては帰れない」と思い、最終日の午前中に急ぎ訪れました。 初めて間近で見た本物の金印は一辺が2.34cmといい、「意外と小さいなぁ…」という印象。いつ頃造られたものかはまだ論争があるらしいですが、中国・漢の時代の印と似ていることから、紀元前のものだろうと言われています。 保存状態もよかったのでしょう。金色の輝きは2000年以上経っているとはとても思えない美しさです。ただ息を呑むばかりです。江戸時代に博多沖の志賀島というところで出土したということですが、今日まで大切に守られてきた幸運に感謝しなければと思いました。 皆様もぜひ博多へ来られたらぜひ、国宝・金印をご自分の目で確かめてくださいませ(最寄りの地下鉄西新駅からは徒歩約20分もかかり、交通の便がややよくないのですが、入場料は大人200円とメチャ良心的でした)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/23
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K キング・アルフォンス(King Alphonse) 利久酒盃【注1】にクレーム・ド・カカオを四分の三位まで入れてすすめるだけでありますが、これはカカオをグラスの縁(ふち)につぎかけたり、つぎこぼし或(ある)いはあふれさせぬところに値打ちがあるので、匙(さじ)を利用してつぎ入れることにします。 キッチー(Kitty) これは赤葡萄酒とジンジャー・エールとを合わせた「ハイボール」を呼ぶ名称であります(「H」の項の「ハイボール」参照)。 クロンダイク(Klondyke) 小さい調合器【注2】に砂糖小匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、レモン半個分の搾り汁、フレンチ・ヴェルモット二分の一ジガーと、イタリアン・ヴェルモット二分の一ジガーを加えます。砕き氷を二分の一まで入れて充分にかき混ぜ合わせ、ソーダ水呑に漉してうつし、ジンジャー・エールを九分目までつぎ入れてすすめます。【注1】リキュール・グラスのこと。【注2】ここで言う「調合器」とはシェーカーではなく、ミキシング・グラスのこと指す。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/22
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J ジャパニーズ・カクテル(Japanese Cocktail) これは「B」の項で説明しました「ブランデー・カクテル」の場合の、トッディ・ウォーター【注1】を、オルジェート・シロップに代える他(ほか)、すべて同じに調合してすすめます。 ジャースェー・カクテル【注2】(Jersey Cocktail) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次に砕き氷を二分の一位までと、アンゴスチュラ・ビター一滴、およびアップル・ジャック【注3】一注(つぎ)を加え、充分にかき混ぜ合わせからサイダーを九分目までつぎ入れ、レモンの皮一そぎを押しつまんで浮かし、麦稈(から)をさしてすすめます。 ジョン・コリンス(John Collins) トム・コリンス【注4】か、または大きいソーダ水呑に氷の塊一個を入れ、上等のジン一ジガーを入れるか、本当に客自身の好みなだけの量を入れて置きます。別に中位の調合器に砂糖大匙で山盛一杯を入れ、ソーダ水三匙を加えて溶かし、レモン二個の露(つゆ)を搾りこみ、充分にかき混ぜ合わせてからソーダ水をつぎ入れ、更にかき混ぜ合わせて前に用意して置いたソーダ水呑の中へ漉してうつします。もし、九分目まで満たなかったら、プレーン・ソーダ水をつぎ入れてすすめます。 このジョン・コリンスは朝は精神作興の飲料となり、夜は精神を愉快にして慰安を感ぜしむるところの飲料であります。これまで大概の酒場では「ジン・フィズ」を調合して「ジョン・コリンス」なりと称してすすめているが、真に「ジョン・コリンス」と呼び得(え)るものは、前記の調合法によって調合されたものより外はありません。【注1】「トッディ」とは蒸留酒に蜂蜜や砂糖などの甘味を加え、お湯か水で割るスタイルのこと。「トッディ・ウォーター」は文字通り、水で割ったそれを意味しているのか。【注2】「ジャースェー」とはもちろん、「ジャージー」のことだが、カクテルとしての名前の由来は不詳。秋山氏のレシピはアップル・ジャックがベースだが、シードル(炭酸入りのリンゴ酒)にアンゴスチュラ・ビターズを加えるシンプルなレシピもある。【注3】「アップル・ジャック」とは、リンゴ酒を蒸留して造るアップル・ブランデーのこと。主に米国での呼称。主生産国であるフランスでは、「オード・ヴィー・ド・シードル」と言い、ノルマンディー地方で生産される高級品は「カルバドス」と呼ばれる。【注4】ここで言う「トム・コリンス」とは、カクテルの「トム・コリンズ」(現代の表記では「コリンス」ではなく「コリンズ」)を示すのではなく、ロングスタイル・カクテルに使われる「コリンズ・グラス」(容量300~360ml)を意味している。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/20
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I インペリアル・パンチ(Imperial Punch) グラス・ゴブレットに、ウイスキーかまたはブランデー二ジガーを入れ、かなり大きな氷の塊一個を入れて置きます。 別に中位の調合器にレモン二個の絞り汁、キュラサオ一注(つぎ)、および前に用意して置いた氷と酒を入れたゴブレットの中へつぎ入れて九分目になると思われるだけのシャンパンをつぎ入れます。充分にかき混ぜ合わせて前のゴブレットの中へ漉してうつし、更に静かにかき混ぜ合わせてすすめます。 このインペリアル・パンチを、多量に、経済的に調合する必要がある場合は、シャンパンの代わりに、ゼルツェル・ウォーターか又はサイフォンソーダを用いるのでありますが、キュラサオを省くことは考えものです。 インヴィシブル・ジン・ハイボール(Invisible Gin Highball) ソーダ水呑に氷の塊二つ三つを入れ、ガム・シロップ小匙で一杯、レモン一個分の搾り汁、パインアップル・シロップ小匙で一杯、およびドライ・ジン一ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせ、ジンジャー・エールを九分目までつぎ入れてすすめます。 アイリッシュ・カクテル(Irish Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、アブサント二注と、マラスキノ二注、およびオレンジ・ビター二注を加え、更にウイスキー一ジガーを加えて充分にかき混ぜ合わせ、カクテル・グラスに漉してうつし、オリヴ一つと、レモンの皮一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 アイリッシュ・ハーフ・エンド・ハーフ(Irish Half and Half) 二種の(アイリッシュ)ウイスキーを、小さいバー・グラスに半々につぎ入れ、別に氷水をそえてすすめます。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/19
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H ハーフ・エンド・ハーフ(Half and Half) これは「A」の部で説明しました「アーフ・エンド・アーフ」の別名であり、俗な呼び方であります。 ハイボール(Highball) これはハイボール・グラスか、またはソーダ水呑(すいのみ)に強い酒類一ジガー、若しくは好みの量を入れ、冷たいゼルツェル・ウォーターか、サイフォン・ソーダ、或いは他の沸騰水を九分目まで注(つぎ)入れてすすめるもので、ブランデーとソーダを合わせた場合は「ブランデー・ハイボール」と呼び、スコッチ・ウイスキーとソーダ水とを合わせれば「スコッチ・ハイボール」、ジンとジンジャー・エールとを合わせれば「ジン・エンド・ジンジャー・エール・ハイボール」と呼ばれます。 <注意>しかし、赤葡萄酒とジンジャー・エールとを合わせたものは「キッチー」と呼ばれてをります。 ホネー・エンド・ピーチ(Honey and Peach) 小さなバー・グラスに蜂蜜小匙一杯を入れ、攪拌用の匙をさし、別にピーチ・ブランデーを壜のままと、氷水をそえてすすめます。 ホーセス・ネック(Horse’s Neck) レモン一個の皮を、丁度林檎の皮をむく場合と同じように、一方の端からレモンの形にそって、長くリボンにむき取り、その皮で氷の塊一個を包んでレモンの形に直し、その上になる一端をソーダ水呑の縁(ふち)にひっかけ、吊り下げるような形にして入れ、静かにジンジャー・エールをつぎ入れ、麦稈をさしてすすめます。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/16
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G<下> ジン・ジュレプ(Gin Julep) ソーダ水呑に砂糖小匙で一杯か、また角砂糖一個と、薄荷の若芽三つ四つ、およびゼルツェル・ウォーター小匙で二三杯を加え、砂糖を溶かし、かつまた薄荷(はっか)の香気をひき出して置きます。 そして後、オランダ・ジン一ジガーを加え、砕き氷を二分の一位まで入れ、ゼルツェル・ウォーターか、またはサイフォン・ソーダを八分目までつぎ入れ、よくかき混ぜ合わてジャマイカ・ラム一注(つぎ)を加え、蜜柑(みかん)の輪切りか或いは苺(いちご)又は季節の果実を浮かし、麦稈(から)をさしてすすめます。 ジン・パンチ(Gin Punch) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、ソーダ水二匙を加えて溶かし、ラズベリー・シロップ大匙で一杯、オランダ・ジン一ジガー、レモン半個分の搾り汁、蜜柑を縦四つ割にして木口(こぐち)から二分位の厚さに切ったもの二片(きれ)と、薄く扇の地紙形に切ったパインアップル一片、マラスキノ一注、および砕き氷を二分の一位まで入れ、ソーダ水を九分目までつぎ入れ、静かによくかき混ぜ合わせ、ライム【注1】かまたはレモンの輪切り一片を浮かしてすすめます。 ジン・リッケー(Gin Rickey) ライムを横真二つに切り放し、その片割れを取って身を崩さぬように種をほじくり出し、次に包丁の尖(さき)皮の外へ突き抜かぬよう、身の方を十文字か或いは米の字に切り割き、ソーダ水呑の底に切り口を上に起こして入れ、残り半分のライムの露を搾りこみ、撹拌用の匙をさし、氷の塊二つ三つと、上等のジン一ジガーを入れ、ソーダ水を九分目までつぎ入れてすすめます。 ジン・スマッシュ(Gin Smash) カクテル・グラスに砂糖小匙で一杯を入れ、ソーダ水二匙を加えて溶かし、薄荷の若芽三つ四つを入れて香気をひき出して置き、別にソーダ水呑に氷の塊二つ三つを入れ、上等のジン一ジガーを加え、前に薄荷の香気をつけて置いた糖水をうつし、ソーダ水を九分目までつぎ入れてすすめます。 ジン・サァワル(Gin Sour) 小さい調合器に、ガム・シロップ小匙で一杯か、或いは砂糖大匙で一杯を入れ、ガム・シロップなればすぐに、砂糖なれば水二匙を加えて溶かし、次にレモン二個の搾り汁と、上等のジン一ジガーを加え、砕き氷を入れて充分にかき混ぜ合わせ、ソーダ水呑に漉してうつし、冷たいソーダ水を八分目までつぎ入れ、季節の果実を浮かしてすすめます。 ジン・トッデー(Gin Toddy) 小さいバー・グラスに砂糖小匙で一杯を入れ、水三匙を加えて溶かし、撹拌用の匙をさし、別にジンを壜(びん)のままと氷水をそえてすすめます。 ゴールデン・フィッズ(Golden Fizz) 調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン一個の搾り汁と、鶏卵の黄身だけ一個分を加え、砕き氷を二分の一位まで入れ、充分振蕩して、ソーダ水呑に漉してうつし、ソーダ水を九分目までつぎ入れ、よくかき混ぜ合わせてすすめます。 ゴシック・パンチ(Gothic Punch) 鉢か甕(かめ)に砂糖大匙で十二杯を入れ、レモン十二個分の露を搾りこんでかき混ぜ合わせ、次にカタウバ・ワイン【注2】二壜と上等の赤葡萄酒一壜、およびシャンパン四分の一壜を入れ大きい氷の塊一個を入れます。 薄く扇の地紙形に切ったパインアップルを浮かし、静かに冷たくなるまでかき混ぜ合わせ、パンチ・グラスにつぎ分けてすすめます。【注1】この「カクテル(混合酒調合法)」にライムが登場するのは初めて。ライムは1980年代半ばでも、日本のBARではまだ高価な柑橘類だった。ましてや1920年代の大正期なら、いかに稀少で高価だったか想像に難くない。【注2】「カタウバ・ワイン」とは、「カタウバ(Catawba)」種のブドウで造られたワインか。19世紀中頃、欧州産のヴィニフェラ系品種ブドウとアメリカ原産種との交配でつくられた品種で、病虫害に強いという。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/14
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G<上> ガゼット・フィッズ(Gazette Fizz) 調合器に、砂糖小匙で二杯を入れ、水四匙を加えて溶かし、次に鶏卵の黄身一個分と、コギャク一ジガー、および砕き氷を二分の一位まで入れ、充分に振蕩してソーダ水呑に漉してうつし、冷たいゼルツェル・ウォーターかまたはソーダ水を九分目までつぎ入れてすすめます。 ジン・エンド・ビター(Gin and Bitter) 小さいバー・グラスに、アンゴスチュラ・ビター一二滴をたらし、流しまわして余分のビターをふり切り、ジン一ジガーをつぎ入れ、別に氷水をそえてすすめます。 ジン・エンド・ガム(Gin and Gum) 小さいバー・グラスに、ガム・シロップ小匙で一杯を入れ、撹拌用の匙をさし、別に上等のジンを壜(びん)のままと、氷水をそえてすすめます。 ジン・エンド・ソーダ(Gin and Soda) 水呑に氷の塊を入れ、別に上等のジン壜のままと、ソーダ水そえてすすめます。 ジン・カクテル(Gin Cocktail) 小さい調合器に砕き氷を入れ、ガム・シロップ小匙で一杯、ブンネカムプ・ビター【注1】一注(つぎ)、セルナー・ビター【注2】二滴、オレンジ・ビター二注、アブサント三滴、および上等のジン一ジガーを入れ、充分にかき混ぜ合わせます。カクテル・グラスに漉してうつし、レモンの皮一そぎを押しつまみ、浮かしてすすめます。 ジン・クラスター(Gin Crusta) まず、赤葡萄酒盃の内側の縁(ふち)を、レモンの輪切りで、むらのないようになでまわして湿らせ、砂糖の上に伏せて砂糖でまぶして置き、その皮を丁度林檎(りんご)の皮をむくと同じように一方の端から、レモンの形にそってむき取り、その皮を前に用意して置いたグラスの中へ、まぶした砂糖をはぎ落とさぬよう、砂糖挟みかピンセットを利用して、レモンの形に手際よく納めます。 更に別に小さい調合器に砕き氷を入れ、アンゴスチュラ・ビター二滴と、マラスキノ一注、および上等のジン一ジガーを入れ、充分にかき混ぜ合わせ、前のレモンの皮を納めた赤葡萄酒盃の中へ、まぶした砂糖の上へたらしかけぬよう、つぎ入れてすすめます。 ジン・デイジー(Gin Daisy) 調合器にオルジェート【注3】かガム・シロップ三注、マラスキノ三注、レモンの搾り汁半個分、およびオランダ・ジン一ジガーを入れ、砕き氷を二分の一位まで入れて充分にかき混ぜ合わせ、小さいバー・グラスに漉してうつし、ゼルツェル・ウォーターか、または冷たいサイフォン・ソーダをつぎ入れてすすめます。 ジン・フィッズ(プレーン)(Gin Fizz, Plain) 小さい調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン一個分の搾り汁と、上等のジン一ジガー、および氷の塊三つ四つを入れ、充分にかき混ぜ合わせてハイボール・グラスか、またはパンチ・グラスに漉してうつします。 サイフォン・ソーダを九分目までつぎ入れ、レモンの皮一そぎを押しつまんで浮かし、麦稈(から)をさしててすすめます。 ジン・フリップ(Gin Flip) 調合器に砂糖小匙で一杯を入れ、ゼルツェル・ウォーターか、または水二匙を加えて溶かし、次に鶏卵一個を割って落とし、オランダ・ジン一ジガーと、砕き氷をソーダ水呑に二分の一位の量を入れ、牛乳をつぎ入れ、充分に振蕩して、ソーダ水呑みに漉してうつし、ナッツメグほんの少しをおろしてすすめます。【注1】「ブンネカムプ・ビター」(Boonekamp Bitter)とは、18世紀にオランダ人のペトルス・ボーネカンプ氏が造った薬用苦味酒。欧州では1970年代以降に人気が出るようになったという。現在でも製造されているようだが、日本で見かけることは少ない。今日では通常、「ボーネカンプ」と表記される。【注2】「セルナー・ビター」(Sellner? Bitter)についてはネットであれこれ調べましたが、詳細不明です。何かご存じの方は情報をよろしくお願いします!(トップページの「メッセージを送る」を使ってください)。【注3】「オルジェート・シロップ」のこと。詳細は、「A」の項の【注】ご参照を。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/12
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◆大名エリア 【Bar セブン・シーズ】中洲と並ぶ博多の歓楽街・大名は、中洲から地下鉄で2駅、大阪だと梅田から本町くらいの距離。中洲との違いは、地元のマスターに尋ねると、「ホステスがいるスナック、ラウンジが少なく、客層も中洲より10~20歳くらい若い」とのこと。 そんな中洲に、「セブン・シーズ」は昨年の1月にオープンした。遠藤マスターは系列店のBar「オスカー」の出身。うらんかんろは実は、前回4年半前の博多訪問の際、オスカーで遠藤さんとお会いしている。その話をまず披露して、「お久しぶりです。ご無沙汰しています」と挨拶。 「セブン・シーズ」は午後5時オープンなのが嬉しい。遠藤さんはさまざまなカクテル・コンクールで上位入賞を果たされている凄腕のバーテンダーでもある。せっかくなので、S社のカクテルコンペで優勝した作品「ミラノ・ルネサンス」をいただく。そして、優勝のご褒美として欧州旅行をした際、訪れたというパリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の様子などを聞く。 開店間もない時間だったので客は僕一人。前回オスカーにお邪魔した際はあまりお話できなかったので、この日は気さくな遠藤さんと、ゆったりとした時間が過ごせた。まだ30代前半。将来楽しみなバーテンダーと出会えたことがなによりも嬉しい。【Bar オスカー】「オスカー」は1996年、中洲で誕生した。マスターの長友さんは、銀座の有名BARだった「ロオジエ」(現「テンダー」)の出身。うらんかんろは、「ロオジエ」時代に一度お会いして、博多へ帰られ、「オスカー」開業されてからも一度(前回訪問の際)お邪魔した。以来、毎年挨拶状をくださるが、ずいぶん久しぶりの訪問なので僕のことを覚えていてくれてるか少し不安だったが、そんな心配は杞憂だった。すぐに久しぶりの再会を喜んでくださった。 オスカーでは、もちろん長友さんの美味しいカクテルをいただいた。オリジナル・カクテルも考えたが、シンプルなカクテルにこそプロの技が光るとの思いもあって、まずジン・リッキーをお願いする。真っ二つに切った上質のライムを、切断面を上に向けてロンググラスの底に入れ、上から氷を詰める。そしてクラッッシャー用のマドラーを添える。 好みでライムをさらに潰せばさらに果汁が湧き上がる。実にしっかりしたジン・リッキーだ。大ぶりのグラスが嬉しい。2杯目は「レオナルド」(イチゴのシャンパンカクテル)。優しいステアで、旬のあまおうのジュースとシャンパンをしっかりとなじませていく。濃厚な味わいだ。 「14周年なので、オールドボトル、レアボトルをいくつか、1400円ぽっきりで飲んでいただけるキャンペーンもやっています」という長友さんの話に少し心が動いたが、まだまだ夜は長いので、ここは我慢でお別れする。次も系列店で、まだお邪魔したことのない、「パルム・ドール」へ移動しようと考えていたところ、長友マスター自ら「それならお送りしますよ」とわざわざエスコートしてくださった。感謝感激です!【Bar パルムドール】さて、わざわざ博多の大名エリアまで来たからには、やはり、「パルム・ドール」を外しては帰れない。最初は、5軒目くらいに予定していたのだが、オスカーの長友マスターがわざわざ連れて来てくださったので、急きょ3軒目に入れた。新谷マスターとは初対面(のはず)だが、「オスカー」系列店をはしごしてきたせいか、初対面なのになぜか、もう友人のような気がする。 店内は僕の大好きな暖色系の温かい感じのライティング。ブビンガの一枚板のカウンターが実にすばらしい。カウンターに座ると、実に和(なご)むというか、幸せな気分に浸れる。「パルム・ドール」でももちろん美味しいカクテルが味わえるが、いちおう一番の“売り”はモルト・ウイスキーということだったので、おすすめのシングルモルトをストレートでいただく。 会話の流れで、僕が「お土産に明太子の薫製を探してるんですが、製造販売してあるメーカーが今は中止しているらしいので、弱ってるんです」と話すと、新谷マスターは早速、「調べてみましょう」とインターネットであちこち検索し、ついに一軒、薫製を扱っている別のメーカーを見つけてくれた。旅人に優しかった店(マスター)は一生忘れないし、思い出に残る。パルム・ドールもまたぜひ来たいと思える店になること間違いない。【Bar 粋七(いきしち)】半年ほど前に博多でBAR巡りをした大阪のある懇意なBARのマスターから、「大名に行ったら、ぜひ粋七へ。**さんはきっと気に入ると思う」と言われた。行ってみて、そのマスターは僕の好みをよく知っていると思った。和洋折衷のコンセプトを持つ酒場は、僕の好きなジャンルの一つ。 しかし粋七は、西洋風のBARに「和」を乗っけただけの単純な酒場ではない。言葉ではうまく説明できないけれど、インテリアやメニューへのこだわりが面白く、かつ楽しいのだ。和紙風の立体的なライト、バックバーの階段状の和風引き出し。そして、オリジナル・カクテルも異彩を放つものが目立つ(例えば、シトラス・ヴェルモットとオレンジ・ヴェルモットのカクテル「ブランニュー・ハーフ&ハーフ」など)。 一見「いま風」の新しい店かと思ったが、聞けばオープンしてもう12年という。この手の店は流行り廃(すた)れが激しいが、それだけ続いているということは博多っ子の心をしっかりつかんでいるのだろう。「オスカー」の長友マスターと同級生と言う河野マスターは一見、無口でつっけんどんな第一印象だったが、話してみると拍子抜けするほど気さく。時間があればじっくり攻めてみたい店だ。皆さんも博多に来る機会があれば、粋七の不思議な世界をぜひ体感してみてほしい。【MOMOTA Bar】さて、大名でもう1軒、覗いてみたい店があった。我がBAR好きの友人からも勧められた「MOMOTA Bar」。百田マスターは東京・銀座の毛利BARを営む名バーテンダー毛利隆雄さんのお弟子さん筋にあたる。今でも毎年、一週間ほど休みをとって、師匠の店を手伝い、初心に帰ってカクテルを学ぶという。 「毛利さんの店が私の原点です」。近々店内に毛利さんの店の切り絵(成田一徹氏作)を飾るのは、そうした気持ちの表れなのだろう。僕がなによりも感心したのは、腰の低い、謙虚で丁寧な接客・サービスだ。こちらが恐縮するくらい。 さて、そろそろ中洲へ戻る時間が迫ってきたので、ここでは残念だけれど1杯だけと思い、クール・ダウンも兼ねて、ブラッディー・マリーをお願いした。そして出てきたのは、写真にもあるような見事な、マスターのこだわりを感じさせる一杯。遠来のの客をもてなすにはどうすればいいのか、百田マスターさんはしっかりと熟知している。【Bar セブン・シーズ】福岡市中央区大名1-6-11 KNOT HOUSE5F 電話092-771-7117 午後5時~午前2時 日休 【Bar オスカー】同市中央区大名1-10-29 ステージ1ビル6F 721-5352 午後6時~午前4時 日休 【Bar パルム・ドール】同市中央区大名1-14-18 2F 716-7110 午後7時~午前5時 火休 【Bar粋七】同市中央区大名1-13-16 TENJINアーク弐番館4F 716-8271 午後6時~午前3時 水休 【MOMOTA Bar】同市中央区大名1-10-14 MATCHビル5F 714-6077 午後6時~午前4時 月休・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/10
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◆ジェリー・トーマス:「派手」が大好き、行動するバーテンダー ハリー・マッケルホーン、ハリー・クラドックとカクテル史に残る偉大な2人のバーテンダーの生涯を紹介してきましたが、やはり、ここまでくれば、「カクテルの創始者」とも言われるジェリー・トーマス(Jerry Thomas、1830~1885)のことにきちんと触れておくことも、私の大事な責務だと思います。 マッケルホーン、クラドックともに伝記本が存在せず、その生涯をたどるのには凄く苦労したのですが、トーマスについても伝記本はなく、さらに古い時代の人とあって文献資料も極めて少ないため、インターネット上の情報(とくに英文のサイト)から断片的な情報をかき集めるしかありませんでした。しかしようやく一編を書くに足るデータを、なんとか得ることはできました。以下は、米国では「The Pioneer Of Modern Cocktails」「The Father Of American Mixology」と称されるトーマスの生涯です。 ☆10代で「トム&ジェリー」を考案☆ ジェリー・トーマスは、1830年、米ニューヨーク州北部のカナダ国境に近い、サケッツ・ハーバー(Sackets Harbor)という町で生まれました(月日は不明)。トーマスは10代後半(何歳の時かは不明=1940年代後半)に、お隣コネチカット州ニュー・ヘイブン【注1】のバーでバーテンダーとして働き始めます。1847年には、現代でもバーでよく飲まれている有名な「トム&ジェリー」【注2】というホット・カクテルを考案したと言われています(写真左=著書に絵で描かれたジェリー・トーマス。写真はほとんど伝わっていない)。 しかし1848年、米西部で金鉱が発見され、いわゆる「ゴールドラッシュ」【注3】が始まると、トーマスも、バーテンダーとしてより大きな活躍の舞台も求め、また一攫千金も狙って、カリフォルニアへ旅立ちます。実際、カリフォルニア(のどこかは地名不明)で彼は、バーテンダーだけでなく、ある時は金鉱脈探しの開拓者として、ある時は旅芸人のショー(歌や踊り)の経営者として働きました(どれくらい儲けたのかは不明ですが…)。 1851年、トーマスはニューヨークへ戻り、「バーナム・アメリカン・ミュージアム」【注4】内に初めて自らが経営するサロン・バーを開きます(トーマスは生涯に4店のバーを開いたということです)が、残念ながら、このバーがどんな店だったのか、営業状態はどうだったのかについての資料にはまだ出合っていません。 ☆「火の弧」で魅せる「ブルー・ブレイザー」☆ トーマスはその数年後、全米各地のさまざまなホテルやサロン・バーで、チーフ・バーテンダーとして働きます。セントルイス、シカゴ、サンフランシスコ、チャールストン、ニュー・オーリンズなど当時の大都市で彼は、その稀有な才能を発揮し、自分の技術を後輩に伝えていきます。 1850年代、トーマスは、彼の名を永久不滅なものにしたカクテル「ブルー・ブレイザー(Blue Blazer)」【注5】=写真右=を考案します。このカクテルは、要はホット・ウイスキーなので、カクテルというには少し違和感があるかもしれません。しかし、そのつくる際の派手なパフォーマンスが故に、今日でもバーテンダーが誰しも一目置く存在となっています。 そのつくり方とは――。二つの金属製マグを使い、一方のマグに入れた温めたウイスキーを入れて火を付け、火が付いた状態のままのウイスキーを、熱湯の入ったもう一方のマグまで空中を飛ばして、二つのマグ間で2往復半ほど行き来させるというものです。火が弧を描くように流れ、見た目でも楽しめます。その派手で華麗な作り方は、全米各地で見る人の度肝を抜きました。 ☆米国初のカクテルブックを出版☆ 1862年以前のある時期(時期は不明です)に、トーマスは、バー・ツールが詰まったかばんを携えて、欧州にも渡りました。彼がどこの国を訪れたのかについての資料は手元にありませんが、行く先々の国で、そのカクテル・テクニック(時にはボトル・ジャグリングまで!)を披露し、喝采を浴びたとは伝わっています。また、彼が携えていったシェーカーは金製、銀製のものや、宝石がちりばめられたものもあり、欧州のバーテンダーたちはその豪華さに目を見張ったということです。 ちなみに、欧州からの帰国後(いつ帰国したのかは不明)、サンフランシスコの「オクシデンタル・ホテル」のバーで働いていたトーマスの給料は週給100ドルで、当時の米副大統領より多かったといいます。まだ30歳前半の彼の、バーテンダーとしての評価がいかに高かったかを表す事実です。この頃になるとトーマスは、周囲から敬意をこめて、“Professor(教授)”と呼ばれるようになったと伝わっています。 1862年、32歳のトーマスは全米初の体系的なカクテルブック「How To Mix Drinks or The Bon-Vivant’s Companion」=写真左=を出版します。「How To Mix…」には約240のレシピが収録されていますが、その中には、それまで口伝だけでつくられてきた「***デイジー」(***はベースとなる酒)「***スマッシュ」「***コブラー」「***サンガリー」などという初期のカクテル(ミクスド・ドリンク)のレシピを数多く収録するとともに、トーマス自身のオリジナルも何点か収録しています(1876年の再版本では、英国生まれの有名なカクテル「トム・コリンズ」のレシピを米国で初めて紹介しています)。 ☆経営不振の後、55歳の若さで急逝☆ 1866年、36歳になったトーマスはニューヨークに戻り、「メトロポリタン・ホテル」のチーフ・バーテンダーとなります。そして、まもなくマンハッタン・ブロードウェイのそばのビルの地下に、自身のサロン・バーを開きます。トーマスは、そのサロン・バーを人気の風刺画を展示するギャラリーとしても活用するなど、ニューヨークっ子の話題を集め、マスコミでもたびたび取り上げられたそうです。 しかし、順調だったバー・ビジネスに不運が襲います。晩年、トーマスはウォール街での株投資に失敗し、多額の負債を抱えてしまいます。その結果、自分の店や買い集めた美術コレクションを売却せざるを得なくなります。しばらくして店の再開にこぎつけますが、かつての賑わいは戻らなかったといいます。 1885年12月15日、トーマスは脳卒中のためニューヨーク市で亡くなります。まだ55歳の若さでした。彼は中年になるまでに結婚し、娘を二人もうけたといいますが、子孫のその後は不詳です。彼の訃報を伝えたニュー・ヨーク・タイムズは、「彼はあらゆる階級、階層の人たちに愛されたバーテンダーだった」とその死を悼みました。【注6】 ☆マティーニの発展に貢献☆ 彼の死から2年後の1887年に再版されたカクテルブックには、現代のマティーニの原型とも言える「マルチネス・カクテル」【注7】が、彼自身の「遺作」であるかのように初めて紹介されています。だから、トーマスのことを「マティーニの創始者」と言う人もいます。 「マルチネス」のレシピは現代のマティーニと似た部分もありますが、異なる部分も多いため、彼が創始者かどうかについては、今日でもなお論議があるところです。しかしこのカクテルをきっかけとして、現在のマティーニまで発展してきたことは疑う余地はありません。 彼の残したカクテルブックは、現在もなお版を重ねて、世界中のバーテンダーに読み継がれています。生涯をカクテルの発展と普及に捧げたジェリー・トーマスの功績を否定する人はいないでしょう。現代に生きるバー業界の後継者たちが、彼の生涯にもっとスポットライトをあててくれることを願ってやみません。【追記1】ジェリー・トーマスについては、彼の人柄をほうふつとさせる一風変わったエピソードがいくつか伝わっています(出典:ウィキペディア英語版)。いくつか紹介してみましょう。 (1)子供用手袋をはめるのが好きだった(2)金ピカの腕時計をいつもしていた(3)ベア・ナックル・ファイト=懸賞付の素手ボクシング試合=の愛好家であった(4)美術コレクターであった(ニューヨークの彼のバーにも収集したたくさんの絵が飾ってあったそうです)(5)「肥満者協会」(Fat Men’s Association)のメンバーだった(ちなみに彼の体重は205パウンド=約93kgだったとか)(6)1870年代からはひょうたん栽培に興味を持ち、「ひょうたんクラブ」(The Gourd Club)の会長にまでなり、品種改良して大型品種を生み出すまでになった。【追記2】本稿を書くにあたっては、「ウィキペディア」英語版の「Jerry Thomas」の記述など数多くの英文サイトのお世話になりました。この場をかりて感謝いたします。【注1】ニューヘイブン(New Haven)は、米東海岸のコネチカット州南部にある都市。名門イェール(Yale)大学があることで有名。【注2】現代の標準的なレシピは、ダークラム30ml、ブランデー15ml、全卵1個、熱湯(または牛乳)60~70ml、砂糖2tsp、ナツメグ少々【注3】1848年1月、米カリフォルニア地方の川で砂金が見つかったのをきっかけに広がった金鉱脈探しブーム。一攫千金を狙う開拓者が米東部や欧州からカリフォルニアへ続々と押し寄せた。(トーマスがおそらく訪れたであろう)サンフランシスコはそれまで人口1000人ほどの小さい村だったが、金鉱脈探しの拠点の一つとして大都市へと発展。1年後の人口は2万5千人まで急増した。カリフォルニアは翌1850年の9月、州に昇格した。【注4】「バーナム・アメリカン・ミュージアム」は1841年、PT・バーナムという興行師がニュー・ヨーク・マンハッタン島南部に設立した。「ミュージアム」とは名ばかりで、実態は「偽人魚」「珍動物」「小人」などを見せる見世物小屋だった。しかし24年後の1865年、ニューヨークの大火で焼失した。【注5】標準的なレシピは、温めたウイスキー60ml、熱湯60ml、粉糖2tsp、レモンスライス【注6】“Thomas was at one time better known to club men and men about town than any other bartender in this city, and he was very popular among all classes”(New York Times, Dec 16 1885)【注7】トーマスのオリジナル・レシピは、オールドトム・ジン30ml、スイート・ベルモット60ml、アロマチック・ビターズ1dsh、マラスキーノ2dsh、シュガー・シロップ2dshこちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/09
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F フェイヴァース・プース・カフエ(Faiver's Pouse Cafe) シェリー・グラスに、ベネディクチン【注】と、キュラサオ、およびブランデーの三種を各三分の一ずつ、右の順序で静かにつぎ入れ、アンゴスチュラ・ビター一二滴をたらしてすすめます。 フィックス(Fix) まずパンチ・グラスに氷の塊一個を入れて置き、別に中位の調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン一個の搾り汁と、ウイスキー一ジガー、および水をつぎ入れ、充分にかき混ぜ合わせ、前に用意して置いたパンチ・グラスの中に漉してうつし、麦稈(から)をさしてすすめます。 フロート(Float) これは、一杯の飲料の中に酒精分を含まぬ部分があるよう、換言すればある沸騰水に、ある酒類を浮かしてすすめる一種の混成酒であります。なお具体的に説明すればソーダ水呑かまたはハイボール・グラスなどに、ゼルツェル・ウォーターかサイフォン・ソーダ或いはその他好みの沸騰水を八分目までつぎ入れ、その上からウイスキー或いは他の種類の酒を一ジガーの割合でつぎ入れ、麦稈をさしてすすめるのであります。 <注意>しかしながら、もしレモンネードの上に赤葡萄酒を流し浮かした場合は「クラレット・エンド・レモネード・フロート」と呼ばれております。 フォックス・フリップ(Fox Flip) 調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン半個分の搾り汁と、ウイスキーかまたはジン一ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせ、ハイボール・グラスに漉してうつし、壜のまま冷やしたジンジャー・エールを、九分目までつぎ入れてすすめます。【注】ベネディクチン(Benedictine)とは、ブランデー・ベースのリキュール。1510年に、ノルマンディー地方のベネディクト派の修道院で作られたのが起源。原材料にはジュニパー・ベリーやハッカを始め、約25種類のハーブが使われている。現在でも製造・販売され、日本でも入手可能である。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/07
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◆博多BAR巡り・中洲編<下>【Bar GITA】前々から気になっていた老舗の一軒(1984年開業とか)。以前は「S…」という別の名前で店をされていたが、ある事情で店名を変えざるを得なくなり、数年前に心機一転、現在の店名で再出発したという。 岩永マスターは現在、NBA(日本バーテンダー協会)福岡支部の支部長もつとめておられる重鎮だが、会ってみるととても気さくで、堅苦しさは全然ない。大阪で僕が懇意にしているマスターとも親しく、共通の話題に花が咲いた。ついでに書けば、グラスを倒してお酒をこぼしてしまった(恥)僕に、とても優しかった(ほんとにすみませ~ん!)。 なお、「GITA」とはサンスクリット語で神聖な「神の歌」という意味らしいが、なぜその名を選んだのかは残念ながら聞き忘れてしまった。ちなみに弟さんもBARのマスターをしておられ、店は同じビルのすぐ隣。こちらの店名は「LOOP」という。【パブ 西川亭】博多・中洲にはバー「七島」のほかにも、有名な老舗BARが何軒もある。ここもその一軒で、昭和30年代後半の開業だとか。西川マスターは御歳75歳だが、いたって元気。 店は、伝統と風格がにじむ内装だが、マスターはとても気さく。初めてお邪魔したうらんかんろを、「遠いところから、それはそれは、ようこそ」と温かく迎えてくれた。話好きなマスターは興に乗ったら止まらない。独立して店を持つ前、中洲の別の店で働いていた頃の思い出話がぽんぽんと飛び出す。 「昔、進駐軍が福岡にいた頃は、兵隊が基地から持ち出したウイスキーを店に持ってきちょってね、買ってくれとね。小遣い稼ぎだよ。でも、終戦直後じゃとても手に入らない珍しいのが買えて、ね」等々、まるで昨日のことのように、懐かしそうに聞かせてくれた。西川さん、貴重な話を本当に有難うございます!【スタンドバーいしばし】中洲でもう一軒、外してはならない老舗があると聞いた。1966年創業。ただし、中洲で何度か移転したので、現在の店舗は創業当時のものではないらしいが、老舗らしい風格と落ち着いた雰囲気は保たれている。 御歳76歳の石橋マスターはとても丁寧で、親しみやすい。現在は奥様と二人で店を切り盛りされているが、「以前従業員を雇っていた頃の店なので、少し二人でやるには少し広すぎて…」と近々また移転を考えているという。年齢を考えると、さぞかし大変だとは思うが、まだまだお元気そうなマスターは「身体が続く限りは頑張りますよ」と力強いお言葉。生涯現役を実践されている石橋さんを羨ましく思った。 博多から帰宅すると、早速パソコンにメールが入っていた。「昨日はご来店いただき、本当に有難うございます…」と。感激すると同時に、76歳にしてITにも強い、このフットワークの軽さに、ただ驚くばかり。博多の大御所マスター恐るべし。【スタンドバー・マックス】「HIGUCHI」のマスターから、「ぜひここに寄ってください」と言われ、初日ホテルに帰る前に一杯だけと思い、お邪魔した。マスターの藤森さんも70代(確か75歳と聞いた)で、ご夫婦で店をされている(それにしても中洲は70代の元気なマスターが多い!)。店は、年季が入った貫禄ある老舗という感じ。接客は温かくて、落ち着ける。 カウンターに若いお相撲さんと親方が二人飲んでいた。いやぁ、見事な飲みっぷり。そうか、九州場所中なんだよね。帰り際、「ちなみに、しこ名は何と言うのです?」と尋ねると、「碧己真と書いて、『あおきしん』と読みます。『あお』は紺碧の碧(ぺき)という字です」との明るいお返事。 「いろいろあって大変だろうけど頑張ってねー」と声をかけると、「はい、有難うございます!」と握手を求めてきた。いやぁ…いい出会いでした(あとでネットで調べると、なんと大阪府出身、田子ノ浦部屋所属の22歳。親近感沸くなぁ…。そして隣に座っていたのが、田子ノ浦親方=元前頭筆頭・久島海=でした)。【Bar GITA】福岡市博多区中洲4-1-1 あざみビル1F 電話092-262-2623 午後7時~午前4時 日祝休 【パブ西川亭】(現在は閉店)同市博多区中洲3-2-7 桑野ビル1F 281-0868 午後7時~午前1時 日休 【スタンドバーいしばし】同市博多区中洲2-2-13 272-1055 午後7時~午前2時 日祝休 【スタンドバー・マックス】同市博多区中洲4-1-35 271-1921 午後7時~午前1時 日祝休・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/06
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E イーグル・フィッズ(Eagle Fizz) 調合器に砂糖大匙(さじ)で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン・ジュース三注(つぎ)、鶏卵の白身ばかり一個分、ジン一ジガー、クレーム・ド・ヴァニュ【注1】一注、オレンジ・フラワー・ウォーター【注2】二注、ゼルツェル・ウォーター二注、および砕き氷を三分のニ位まで加え、濃い牛乳を九分目までつぎ入れ、充分に振蕩(しんとう)して、別にパンチ・グラスをそえてすすめます。 エッグ・フリップ(ホット)(Egg Flip, Hot) バッス・エール【注3】一壜(びん)をソース鍋にあけて文火(とろび)にかけ、静かに煮え立つようにして置き、別に鉢に鶏卵一個を割って落とし、赤砂糖大匙で二杯を加え、充分にかき立ててべとべとのものに仕上げます。 前のバッス・エールを、なお鶏卵と赤砂糖のねりものをかき混ぜながら、初めの間は少しずつ加えて行き、漸次(ぜんじ)に加える量をふやして行って、ままこ【注4】をつくらぬよう、全部を加えて溶け合わせ、ソーダ水呑につぎうつしてすすめます。 この「エッグ・フリップ・ホット」は、古来英国に於いては、風邪を予防し、風邪を癒すに特効ある飲料とされております。 エッグ・レモネード(Egg Lemonade) 大きい調合器に砂糖大匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン二個の搾り汁と、生の鶏卵一個、砕き氷を三分の二位まで、および水をつぎ入れ、充分に振蕩してソーダ水呑に漉してうつし、レモンの輪切一片を浮かし麦稈(から)をさしてすすめます。 エッグ・ミルク・パンチ(Egg Milk Punch) 大きい調合器に鶏卵の黄身だけ一個分と、砂糖小匙で一杯を入れ、よくかき混ぜほぐして後、ブランデー一ジガーとサンタクルーズ・ラム四分の一ジガーを加え、砕き氷を二分の一位まで入れます。牛乳をソーダ水呑に約九分目になると思われるだけつぎ入れ、充分に振蕩してソーダ水呑に漉してうつし、ナッツメグほんの少しをおろしてかけてすすめます。 エッグ・スイッセッス(Egg Suissesse) 小さい調合器に砕き氷を入れ、オルジェート・シロップ一注と、アブサント一ポニーを加え、充分にかき混合わせてパンチ・グラスに漉してうつし、冷たいサイフォン・ソーダ水をつぎ入れてすすめます。 エッグ・ナッグ(Egg Nog) 大きい調合器に砂糖中匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、砕き氷を二分の一くらいまで入れて、次に鶏卵一個、コギャク一ジガーと、セント・クロアクス・ラム一注、および牛乳をつぎ入れ、充分に振蕩してソーダ水呑に漉してうつし、ナッツメグほんの少しをおろしかけ、麦稈をさしてすすめます。 エッグ・ナッグ・シェリー(Egg Nog, Sherry)これは、前の「エッグ・ナッグ」(基本の調合法)の場合に加えたコギャクと、ラムを、シェリーに代えるだけで、その他はすべて同じに調合してすすめます。【注1】「クレーム・ド・ヴァニュ」とは「ヴァニラ(Vanilla)・リキュール」のこと。【注2】「オレンジ・フラワー・ウォーター」とは、カクテルなどの香り付けや化粧水、アロマテラピー用などに使う無色透明のハーブ水。チュニジア産が有名で、現在でも入手可能。【注3】「バッス・エール」とは、現在でも世界中で愛飲されている英国産の上面発酵エール・ビール。今日では「バス・エール」が一般的表記。キリッとした苦みと紅茶のような、芳醇でほのかな甘味が特徴。19世紀に日本に最初に輸入されたビールとも言われている。【注4】「ままこ」=継粉=とは、粉に水などを加えてこねるときになくならないで残った粉の固まりのこと。ネットで調べると東北、信越、東海地方発祥の方言らしいが、三省堂の「大辞林」にも収録されているというので、大正時代は一般的な言い方だったと思われる。今日では、「だま」という方が通りがいい。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/05
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4年半ぶりくらいで、小倉&博多にお邪魔してきました。もちろん夜は、博多(中洲&大名)で楽しいBAR巡り(小倉のBARも行きたかったのですが、日程の都合で今回は断念)。懐かしいマスター、バーテンダーとの再会も果たせて、実に充実した2泊3日でした。BAR巡り編(計3回)と番外編に分けてご報告いたしまーす。 ◆中洲編<上>【屋台バーえびちゃん】中洲と言えば、軒を連ねる屋台が名物。ラーメン屋、居酒屋が多いが、なかでも異彩を放つのが、この「えびちゃん」。扉を開ければ、そこはびっくりするような本格BARなのだ。場所は・中洲の冷泉公園沿い。毎晩この場所にやってきて店を組み立てるというから、またびっくり。以前博多に来たときは、満員で入れず悔しい思いをした。で、今回は満を持してオープンの7時と同時にお邪魔した。 しかし、のれんをくぐって扉をあけると、すでに横浜から来たという先客のおばちゃん2人連れが座っていた。まぁ、それくらいの人気店。8時頃にはだいたいいつも満席になるとか。フードもあれこれ面白いメニュー充実していて、お酒もリーズナブルなのが嬉しい。冬場はおでんも美味! マスターの海老名さんも気さくな方です(今は主に息子さん夫婦が切り盛りしてますが…)。BAR巡りのスターターとして、これ以上の店はないかも!【Bar HIGUCHI】個人的には中洲で一番親しくさせてもらっているBAR。マスターの樋口さんは中洲一の老舗BAR「七島」の出身。なによりもスマートで隙(すき)がなく、それでいて温かい接客がいい。従業員教育にはちと厳しいが、それは仕事に取り組む真摯な姿勢の表れなのだろう。 ここの名物は、ほとんどの客が頼むという自家製のモスコーミュール。ウオッカにショウガを漬け込んだ、高さ50cmほどの保存瓶が店のカウンターに2個。さらに店の壁際にも10個くらいある。「実は別の場所にまだまだあるんです」という。それくらいの人気でよく注文が出る。 でも、「HIGUCHI」ではカクテルも旨いが、シングルモルト・ウイスキーもおすすめ。マスターこだわりのレアなモルトも楽しめる(もちろんお値段もそれなりにするけれど…)。久しぶりで積もる話もたくさんあったので、この「HIGUCHI」だけは今回、二日連続でお邪魔してしまった。【Bar 倉吉・中洲店】大阪のBARで「博多で、いま一番勢いのあるBARは?」と聞いたら、何人かの方がこの倉吉さんの店の名を挙げた。同じ博多でも大名エリアにある本店も含めて4店舗を経営されていて、どれもが評判がいいらしい(オーセンティックBARからカジュアルな店まで幅広く)。 オーナー・バーテンダーの倉吉さんはホテル・ニューオータニ博多のご出身で、2002年にまず大名エリアで独立された。今は本店ではなく、中洲店にいらっしゃると聞いていたので、僕はここにお邪魔した。店はオーセンティックBARで、かつホテルBARのような落ち着いた雰囲気に溢れている。 倉吉マスターはとてもフレンドリーな接客で、話し好きな方。ホテルBAR出身とは思えない、気さくさが嬉しい。心地よくて時間を忘れてしまいそうだが、うらんかんろには、まだまだ回らなければならないBARがあるので、後ろ髪を引かれる思いでお別れした。次回は、ゆっくり時間をとって訪れたいなぁ…。【Bar Heart Strings】以前、博多に住んでいた大阪のBAR好きの友人が、このBARは、「きっと**さん気に入りますよ」と薦めてくれた。初めてお邪魔したが、その言葉は間違いではなかった。今年で開業16年、そして橋本マスターは現在脂が乗り切った45歳。博多を代表する腕利きバーテンダーの一人で、「HIGUCHI」のマスターと同じ「七島」の出身で、樋口さんの兄弟子にあたる。 早速、友人から聞いていた橋本さんのオリジナル・カクテル「ナイルの瞳」=写真左=をお願いする。レシピは、タンカレー・ウオッカをベースに、ホワイトピーチ・リキュール、ライム・ジュース、グレナディン・シロップ。程よい甘さの中にもきりっとした味わいが魅力の、素晴らしいドリンクだ。 しかしカクテルの味わいより、僕が何よりも嬉しかったのは、橋本マスターの柔らかく温かい人柄。そしてユーモアたっぷりの話しぶり。トークの上手さでは今回博多で巡った店では文句なしに一番かな。「Heart Strings」は居心地がいいというよりも、カウンターで時間を過ごしていて楽しいという店だ。この店も今後、うらんかんろの博多の行きつけの一軒となることは間違いない。【屋台バーえびちゃん】福岡市博多区上川端町・冷泉公園沿い 電話090-3735-4939 午後7時~午前3時 日休 【Bar HIGUCHI】同市博多区中洲3-4-6 多門ビル83 1F 092-271-6070 午後7時~午前3時 日休(日月連休の時は日曜営業) 【Bar 倉吉・中洲店】同市博多区中洲2-6-7 エレガンスビル6F 283-6626 午後7時~午前4時 日祝休 【Bar Heart Strings】同市博多区中洲1-3-1 岡本中洲ビル2F 262-3136 午後7時~午前4時 日休【中洲編<下>】へ続く・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/04
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【2013年7月13日、内容を全面改訂し、更新しました】 ◆現代カクテルへの扉を開いた「カクテルの帝王(The King Of Cocktail)」 ハリー・マッケルホーンの生涯をまとめた後、もう一人忘れてはならないバーテンダーがいると強く思いました。その人の名は、ハリー・クラドック(Harry Craddock)=写真左。その名前は知らなくとも、ロンドンの名門「サヴォイ・ホテル(Savoy Hotel)」の名や、「サヴォイ・カクテルブック」という本のことは、聞いたことがある方が多いと思います。 クラドックは、1920~30年代、サヴォイ・ホテルの「アメリカン・バー」でチーフ・バーテンダーをつとめた人ですが、今日もなお彼の名を不朽のものにしているのは、この歴史的名著「サヴォイ・カクテルブック」(1930年刊)を著したことです。 ☆世界中のバーテンダーの「教科書」に 世界最古のカクテルブック「How To Mix Drinks」(1862年刊)を著した米国人、ジェリー・トーマス(Jerry Thomas 1830~1885)が「カクテルの祖」であるとすれば、少し遅れて世に出て、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」(パリ)を開き、世界初の体系的実用カクテルブック「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」(1919年刊)を出版したハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone 1890~1958)は「近代カクテルの父」と言っていいでしょう。 そして、「サヴォイ・カクテルブック」を著し、現代カクテルへの扉を開いたハリー・クラドックは、今なお「カクテルの帝王(キング・オブ・カクテル)」と讃えられています。二人のハリーが生んだカクテルブックは、現在でも世界中のバーテンダーの教科書的存在であり続け、持っていないバーテンダーはほとんどないはずです。 今日伝わっている数多くのスタンダード・カクテルは、マッケルホーンやクラドックがその基礎をつくったと言っても過言ではないのです。しかし、ハリー・クラドックの素顔については、マッケルホーン以上にデータは少ないのです。うらんかんろがが、文献やインターネット上であれこれ調べて得られた、数少ない情報をもとに彼の生涯をたどってみると――。 ☆禁酒法施行で仕事場を失い… クラドックは1875年、英イングランド、コッツウォルズ地方のバーレイ(Burleigh)【注1】という町で生まれました。父親は仕立屋で、母親は織物職人でした。当初は地元の商店で店員として働いていましたが、新大陸アメリカへの移民ブームに刺激され、渡米を考えるようになります。 そして1897年、22歳の時、米国へ渡ります。最初はオハイオ州クリーブランドでウェイターとして働いていましたが、まもなくバーテンダーの職を得ます。その後、シカゴの「パルマー・ハウス」という社交クラブのバーに移った後、さらなる大きな活躍の場を求めて1900年頃、バーの本場・ニューヨークへ向かいます。 有能だったクラドックは、マンハッタンの「オールド・ホランド・ハウス」「ホフマン・ハウス」「ニッカーボッカー・ホテル」など、当時の有名な社交クラブやホテルのバーで職を得ます。終生、米国でバーテンダーとして生きていこうと思った彼は、1917年には米国籍も申請し、認められます(英国籍は残したままの、いわゆる「二重国籍」者となったようですが、欧米では珍しいことではありませんでした)。 しかしその頃から、米国内では不穏な空気が漂ってきました。禁酒法(1920~1933)施行の動きが強まり、お酒を提供するバーやレストランの営業規制が現実のものとなってきたのです。一流クラブのバーで働くことは、クラドックにとって大きな誇りであり、生きがいでした。そのプライドや矜持もあって、禁酒法下の「もぐり酒場」でまで働くつもりはなく、米国を離れる決心をします。住み慣れたニューヨークを、45歳で離れることは大きな決断だったと思います。 1920年、禁酒法施行から間もなく、クラドックは英国行きの船に乗り、ロンドンに戻ります。帰英直後はどこで働いたのかは不明ですが、翌年の21年には、サヴォイ・ホテルの「アメリカン・バー」(1898年開業)にバーテンダーとして迎えられます。そして4年後の1925年にはチーフに抜擢されます。そして仕事のかたわら、ホワイト・レディ、パラダイス、コープス・リバイバーなど後に「スタンダード」となるカクテルを数多く考案していきます。 米国のバー文化やバーテンダーのレベルは、禁酒法施行以前は、欧州に一歩先んじていました。クラドックもそうした優秀なバーテンダーの一人でした。彼が持ち込んだ新しいカクテルの技術や知識は当然、サヴォイで働く英国人バーテンダーにも浸透し、アメリカン・バーの名声はどんどん上がっていきました。 ☆現代版シンガポール・スリングの父 サヴォイでの彼は、ドライ・マティーニのスタイルを完成させ、ラッフルズ・ホテルで生まれた「シンガポール・スリング」のレシピをより近代的なものに改良しました。今日私たちが楽しんでいる一般的なシンガポール・スリングは、ラッフルズのオリジナル・レシピではなく、クラドックが考案したレシピがベースになっています。 彼が生涯に生み出したオリジナル・カクテルは250以上にもなると言われています。そして50代半ばになったクラドックはサヴォイでの仕事の集大成として、カクテルブックを編むことを思い立ちます。これがカクテル史上、最も名著の誉れ高い「サヴォイ・カクテルブック」(1930年刊)です(写真左=The Savoy Hotel)。 このカクテルブックには約880ものレシピが収録され、美しい挿絵も有名です。全世界でベストセラーとなり、今なお版を重ね、バーテンダーのバイブル的存在となっています。日本でも、この本を教科書にして学び始めるプロも多いと聞きます(2002年には初版を下敷きにした日本語版も発売されましたが、残念ながら、初版本の追補部分にあった9種類の最新カクテルが収録されていません)。 1933年、58歳になったクラドックはサヴォイ・ホテルを退職し、同じロンドンの「ドーチェスター・ホテル(Dorchester Hotel)」のバーに迎えられます【注2】。そこで、さらにバーテンダーの仕事を続けますが、1947年、72歳で退職します(当時の新聞が彼の引退を短く報じた記事があります【注3】)。 しかし、有能なクラドックを業界がほおっておく訳がありません。その4年後、「ブラウンズ・ホテル(Brown's Hotel)」の新しいバーの開業を手伝ってほしいと懇願され、1951年、76歳にして再び現役復帰します(最終的に1955年、80歳まで勤めました)。クラドックは1930年に「(禁酒法下の)米国の現状視察」という目的で一度だけ短期間帰米しましたが、その後は終生、英国に留まりました。 ☆寂しい晩年、墓碑も近年まで不明 歴史に名を残した最高のバーテンダー、ハリー・クラドックですが、晩年はあまり脚光を浴びず、ひっそりと表舞台から去りました。そのため、彼がいつ亡くなったのかや、どこの墓地に埋葬され、墓石はどこにあるのかなどは、英国内の関係者でもよく分からなかったようです。 ところが奇しくも没後50年後の2013年、素晴らしいニュースが飛び込んできました。研究者【注4】らの調査によって、彼の埋葬された墓地が確認されたのです! それはロンドン郊外の、ガナーズベリー(Gunnersbury)という場所にありましたが、墓は、無関係な他人2人と一緒の共同墓でした(写真右 (C)Savoystomp.com )。 あまり脚光を浴びることがなかった最晩年を映すかのようで、歴史に残る偉大なバーテンダーとしては、あまりにも寂しい墓碑でした。墓碑にはフルネームの「Harry Lawson Craddock」と没した日付(1963年1月23日)、享年(87歳)だけが記されていました。 2013年3月15日、プリマス・ジン(Plymouth Gin)社【注5】がスポンサーとなり、サヴォイ・ホテル、ドーチェスター・ホテル等の関係者が墓前に集まり、墓碑にカクテルを捧げ、偉大な先人バーテンダーを偲び、たたえました。「英国のバー業界はクラドックに冷たい」と嘆いていた僕ですが、近年になって、クラドックを再認識し、再び敬意を示してくれたことを知り、とても嬉しい気持ちになりました。 「先人の積み重ねがあって、今がある」とは、どの業界にも共通する真理です。世界中のバー業界が、ハリー・クラドックの偉大な功績を、名著「サヴォイ・カクテルブック」とともに、末永く語り継いでいってくれることを心から願わずにはいられません。【注1】ロンドンから西へ200kmほど、コッツウォルズ(Cotswold)地方にある。かつては羊毛産業が栄えたが、現在では「イギリスの原風景が残る美しい田舎」として人気があり、観光客を集めている。【注2】ドーチェスター・ホテルのHPによれば、クラドックを迎え入れた1939年、その記念としてホテルのBARの壁の中に、彼のカクテル3種(マティーニ、マンハッタン、ホワイトレディ)を小瓶に密封して埋め込んだ。そして、40年後の1979年、BARの改装を機に、同ホテルはその小瓶を取り出して調べたところ、品質劣化がほとんどなかったという。【注3】"Harry Craddock, 74-year-old bartender who claims to have invented 250 cocktails, including the "White Lady" and "Paradise" has retired from the bar of the Dorchester hotel in London." ("The Lethbridge Herald" Alberta, Canada (1947))【注4】お酒の歴史についての研究者であるアニスタシア・ミラー(Anistatia Miller)とジャレッド・ブラウン(Jared Brown)。Harry Johnson、Harry Craddockという二人のバーテンダーの知られざる生涯を7年間かけて調べた成果は、2013年1月、共著「The Deans Of Drink」に結実した。【注5】クラドックが自らのマティーニには通常、プリマス・ジンを指定していた。そうした縁もあって、今回の没後50年記念の集いのスポンサーになったという。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/03
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D ドッグス・ノーズ(Dog's Nose) 冷たいスタウトを細長いグラスにつぎ入れ、ジン一注を加えてすすめます。 ドライ・マンハッタン・カクテル(Dry Manhattan Cocktail) 小さい調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注(つぎ)、アンゴスチュラ・ビター二滴、フレンチ・ヴェルモット二分の一ジガー弱とウイスキー二分の一強を加え、レモンの輪切一片(きれ)を入れて充分にかき混ぜ合わせ、カクテル・グラスに漉してうつし、オリヴかまたはヘーズェルナッツ一個を浮かし、別に氷水をそえてすすめます。 ドライ・マーチニ・カクテル(Dry Martini Cocktail) 調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注、フレンチ・ヴェルモット二分の一ジガー弱と、ドライ・イングリッシュ・ジン二分の一強を加え、充分にかき混ぜ合わしてカクテル・グラスに漉してうつし、レモンの皮一そぎを押しつまんだものと、オリヴ一個を浮かしてすすめます。 ドライ・パンチ(Dry Punch) 鉢か甕(かめ)に、砂糖大匙で八杯、レモン八個の搾り汁、キュラサオ一ジガーおよび紅茶(普通の色に出して冷ましたもの)約四合を入れ、充分にかき混ぜ合わせて後、ブランデー一壜(びん)と氷の塊を入れつめたく冷やし、パンチ・グラスにつぎ分けてすすめます。 デュボンネト・カクテル(Dubonnet Cocktail) 中位の調合器に砕き氷を入れ、オレンジ・ビター二注、ドライ・シェリー三分の一ジガーおよびフレンチ・デュボンネト【注】三分の二ジガーを加え、充分にかき混ぜ合わせ、カクテル・グラスに漉してうつし、レモンの皮一そぎを押しつまんで浮かし、別に氷水をそえてすすめます。 ダーキー(Dukee) ソーダ水呑に砂糖大匙で一杯を入れ、水二匙を加えて溶かし、次にレモン半個分の搾り汁と、砕き氷を二分の一位まで入れ、更にジャマイカ・ラム一ジガーと、香気をつけるためにキュラサオ一注を加えサイフォン・ソーダ水を九分目までつぎ入れ、よくかき混ぜ合わせ、麦稈をさしてすすめます。【注】赤ワインにキナの樹皮、オレンジの皮、コーヒー豆とスパイスを漬け込んで、樫樽で熟成させたリキュールで、欧州では食前酒として親しまれています。名前は、1800年代中頃に考案したデュボネ氏に由来する。現在では、単に「デュボネ」と表記されるのが一般的。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/02
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私は現在、大正・昭和両天皇の料理長もつとめたことで有名な秋山徳蔵氏(1888~1974)が1924年(大正13年)10月に発刊した日本初のカクテルブック「カクテル(混合酒調合法)」と、同年11月に出版された前田米吉氏の著書「コクテール」の2冊について、その内容のほぼ全文を紹介するという試みを始めています。 いずれの本も現在では絶版であり、入手困難な貴重本です。一方で2冊とも、欧米でハリー・マッケルホーン(世界初の実用的カクテルブックを1919年に出版)や、ハリー・クラドック(1930初版発刊の「サボイ・カクテルブック」著者)がカクテルを発展させていった1910~20年代、遠い東洋の日本でバーテンダーの先駆者たちがカクテルという新しい飲酒スタイルの分野に対して、どう向き合い、どう工夫・苦労し、どう完成させていったのかが分かる、本当に貴重な証拠資料です。 この2冊の本を読んでいくうちに、こうした貴重なデータは自分だけで独占していいのかと思うようになりました。プロのバーテンダーでもおそらく、名前は知っていても、現物は見たことのないという方がほとんどかと思います。 私としては、興味深いデータを自分だけで独占するのではなく、この2冊のカクテルブックを、可能な限り忠実に紹介していきたい(=バーテンダーの皆さんと貴重なデータを共有したい)と考えました。連載を始めて以来、懇意なBARのマスターからは「秋山さんの本は、前々からぜひ読んでみたいと思っていたので、とても嬉しいです」などと、激励の言葉も数多くいただいています。 ただ、ここで問題になるのは本の著作権です。著作権保護の期間はご承知の通り、現在では、著作物の公表(出版)もしくは作者の死後50年です(※その後、「死後70年」に延長された)。著作権が誰が持っているか(遺族か出版社か)がまず大事です。もし出版社が著作権を持っていたとしても、現在では2冊とも公表から50年以上経過していますので、この点はクリアできます(ちなみに2冊とも出版した会社は、調べた限りでは現在は存在していません)。 しかし、著者については微妙です。前田氏がいつ亡くなったのかの情報は現時点ではありませんが、秋山氏が亡くなったのは36年前の1974年です。もし、この本の著作権を秋山氏の遺族が継承していた場合、私はあと14年間は、著作権法違反で訴えられるリスクを負います。そこで、法律専門家の助言も得て、今後は以下のような方針で連載を続けていくことにしました。 今のところ連載へのクレームは1件もありませんが、私としては、もしご遺族からクレームがあった場合、(1)この連載は、本が絶版になっている現状で、カクテル普及の先駆者である秋山、前田両氏の偉大な功績を後世に伝えることを願ってしていること(2)私自身は一銭の利益も得ていないこと--をお伝えして、なんとかご理解を得たいと思っています。 万一それでも、ご遺族の納得が得られず、「連載を止めないと法的に訴える」と言われた場合はその時点で連載は中止し、過去分についてもすべてブログから削除いたしますので、何卒ご了承ください(可能であれば秋山氏のご遺族にコンタクトをとりたいと願っていますが、残念ながら、今はまだ連絡先がわかりません)。 以上、よろしくお願いいたします。(もしご意見がある方はぜひ、私までお知らせ頂ければ幸いです)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2010/12/01
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