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日曜日、大阪に住む友人がご主人と共に生後7ヶ月の赤ちゃんを連れてやって来た。13年前、オーストラリア旅行で出会った友達だ。ご主人は世界160ヶ国を旅しているツワモノで、国内も都道府県すべて制覇している。その上、乗り鉄。(笑)その彼の希望もあって、香川の私鉄である高松琴平電鉄(通称、ことでん)の琴平線に乗ることとなった。琴平線は、もともと金刀比羅宮参詣のために開業したもので、高松築港駅と琴平を結んでいる。高松築港駅は高松城跡(玉藻公園)のすぐ近くにあり、月見櫓がホームから間近に見える。琴平駅は言うまでもなく金刀比羅宮の最寄りとなる駅で、1865年に建てられた日本一の高灯篭の隣りにある。今回、幼い赤ちゃんが一緒ということもあり、乗った区間は琴電琴平駅から綾川駅までの8駅、僅か20kmほどを往復した。高松より琴平を選んだ理由は、この後琴平からJRで3つめの多度津駅でJR四国のレアな車両を見るためだ。(笑)ことでんには小学生の頃に数回乗ったことがあるだけで、JR沿線に住む私はあまり縁がなく、琴平から乗るのも初めてでちょっとした冒険だった。列車は30分に1本。昔ながらの改札口で切符を渡すと鋏で切ってくれた。今じゃ都会ではICカードなんだろうが、私の町のJRの駅はスタンプを押してくれる。まだまだ時間が止まったままだが、それでも改札鋏はとうの昔に姿を消してしまって、ここ何十年拝んだこともない。だから、この改札鋏が懐かしすぎて、ちょっと興奮してしまった。そこから先はテンションあがりっぱなし。(笑)運転席の写真を撮ってみたり、車内の天井でクルクル回る扇風機にも大はしゃぎしたり。列車についての薀蓄は右耳から左耳へとスルーしたが、こんな近くにこうも面白い乗り物が残っていたのかと嬉しくなった。たぶん線路も昔のままなのだろう。ガタンゴトンと大きな音に合わせて跳ねる身体を、椅子から転げ落ちないよう保つのに必死だった。もともと鉄道好きな私だが、その日自分の隠れた一面を知ったような、僅かながらも鉄道の旅を満喫。また乗ろう、と密かに思っている。
2015.07.31

カリカリカリ。氷を削る音に、ミンミンミンと蝉の声。後ろの方からは、ちょっぴり遠慮気味にボーンボーンと柱時計。カタカタカタ、扇風機が回ってる。昭和だなぁ。昭和、いいな。お店のお姉さんは、どこか黒木華さんに面影が似ていた。
2015.07.31

大学時代、夏休みに広島から香川に帰省する際はいつも、岡山駅での乗り換えが楽しみでしかたなかった。今は改築して新幹線から在来線への乗り換えの距離が短縮されたが、当時は長い通路を歩かねばならず、その通路脇で、この時期ずらーっと並ぶのが、岡山産白桃の露店だった。箱詰めの高価な桃は眺めるだけ。少し傷のついた、しかし傷物でなければ結構なお値段になりそうな桃を探した。確か、学生だった私が買ったのは500円の傷桃1個だったように覚えている。それでも、大荷物とは別に大事に大事に抱えて帰ったのだった。今でも時々思い出したかのように、「あの時食べた桃の味は忘れられないね、」と母は言う。そういえばここ数年、桃を食べても地元産のものばかりだったと気がついた。隣町の特産品のひとつが桃ということもあり、貰ったり安く手に入ることが多かったせいもある。香川でも清水白桃を生産しているが、なんなんだろう、あの岡山産の別格なおいしさは。乳白色の柔らかい皮をつるっと手で剥いて、がぶりと齧り付く幸せ。(笑)先週、備中松山城からの帰りに、親友宅でその清水白桃をごちそうになり、お土産まで貰ってしまった。親友の家から車で10分も走れば、道路脇に続く桃畑。「春に桜が終ると、ここは一面桃の花でいっぱいになるのよ。」白桃の花は遅咲きなんだろうか。それにしても、桃の花がどこまでも広がる風景ってまさに桃源郷なんだろうな。その季節にも訪れてみたいし、でも、やっぱり一番は白桃の実がなる今がいい。(笑) 戴いた桃はあっという間になくなった。そして、「桃は岡山産の清水白桃じゃなきゃ!」と、改めて思った。「今年の桃はどの種も例年より早いから、清水白桃はもうすぐ終わるらしいよ。」岡山在住の友が親切に教えてくれた。そこで今日、私はわざわざ岡山に用事を作り、そのついでに産直市場をのぞくことにした。正確には用事の方がついでだが。(笑)こうはっきり書かれていれば、ここに桃があることは一目瞭然!安くて美味しい桃を狙う多くの人たちを押し分け、私も桃とり合戦に参加して来たのだった。(笑)たった今、また一つ食べてみた。うん、やっぱり桃は岡山の清水白桃じゃなきゃ!!
2015.07.29

岡山県高梁(たかはし)市にある備中松山城。標高430mにあり、現存12天守の中で最も高い場所にある山城なんだそうだ。数年前に雲海に浮かぶ竹田城跡(兵庫県)が注目され、一時期「天空の城」ブームになったが、備中松山城もそのひとつ。(以下、松山城・・・愛媛の松山城とは異なる。)「今回は私が岡山へ行く番だね。」岡山に住む大学時代からの親友M子と1年半ぶりの再会とあって、日にちが決まってからは楽しみで楽しみで。岡山市内や倉敷でカフェや美術館巡りもいいけれど、たまには体力を使う遊びもいいかも。それなら以前から気になっていた松山城へ、ということで私が提案したのだった。高梁市には数年前にも訪れたことが何度かあるが、お城はまだだった。一番の観光名所と分かっていても、急な山道で知られているだけに「また、いつか」と先送り。一人で行くのも寂しいし、かといって高齢の親には無理な話だろう。ならば、富士登山の経験もあるM子なら、との思いつきだった。「降水確率が高かったのに、さすがは晴れ女のpicchuちゃん。」実は、その日の前日は四国の山奥では大雨が降り、高知発岡山行きの特急列車は運休となるほど天候が不安定だった。けれど、いい感じに薄曇りとなってくれ、暑さもさほど厳しくない。お城のある臥牛山の8合目の駐車場で車を降り、そこから700mの道のりだった。登山口に置かれていた竹でできた杖を借り、うっそうとした山道へと入って行く。少し息が上がったころ、下って来た青年が声を掛けてくれた。「これからが大変ですよ。僕はちゃんとした登山の格好で来ればよかったと思いました。」「どうする? うちらめっちゃ軽装だよね。」M子と二人顔を見合わすも、「徒歩20分ほどって書いてたから、まあ、なんとか登れるでしょ」と、そこから先も大声ではしゃぎながら登っていった。確かに、細く急な道もあったが、四国遍路で鍛えた足腰。と、それは大袈裟であるが(笑)、四国八十八箇所の難所と呼ばれる山道と比べればなんてことない。最初のおどし(?)のおかげで、意外と楽に登れた方だ。それでも、切り立つ岩壁の城塞に圧倒され、次第にただの山から城の造りになってきて、密かに城ブームが起こっている私の心は弾むのだった。(笑)「結構、立派な城じゃない! 小さな天守閣だけど威厳があっていいね。」期待以上の風格に、ちょっとした感動。堂々とした姿は実際よりもお城を大きく見せていた。見物客もまばらで、天守内をわが物顔で見て回れたのも贅沢な話。「装束の間」という城主の御座所では戦国時代の戦乱の紙芝居がDVDで放映されており、気持ちの良い隙間風に癒されながら、ひと時歴女と化していた。「このお城の絶景ポイントへはどうやって行けばいいのですか?」「紅葉に覆われて雲海に浮かぶ、まさに天空の城」の写真を見て、管理人さんに尋ねてみた。「車で行くなら・・・、」と詳しい説明の後、「実は、歩いても行けるんだよ。」「近世の城として紹介されてる松山城だけどね、この背後にある道を進んで行くと中世の城郭の遺構が見られるんだよ。このお城は小松山城、山頂にある大松山城へ登るまでが20分くらい、そこから吊り橋を渡って40分ほど歩くと展望台に辿り着くから。遊歩道になっているから、時候がいい時にでもまた来られるといいですよ。」中世の城跡。その響きに、冒険好きな二人の心はピクッと反応するのだった。雲海が見られるのは、秋から冬にかけての、よく晴れた早朝。その日はもちろん、そんな幻想的な景色を見られるわけでもないが、気分が盛り上がった二人は車でその展望台を目指すことにした。スマホなので拡大しても殆どわからないくらい小さな天守だが、いい景色だった。暑い盛りの午後、当たり前だが他に人はおらず、ここでもまた、わが物顔。そして、帰りには岡山産の清水白桃。甘い香りが口の中に広がり、みずみずしい果汁が渇いた喉を潤す。久々に大満足の一日となった。(笑)
2015.07.28

芥川龍之介 蜘蛛の糸 ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、、、、、あらら、極楽で咲く蓮の花は白色でありましたか。そうとは知らず、ピンク色に染まる蓮の花を写真に収めるのに一生懸命の私でございました。その玉のようなピンク色した花は、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんとも言えないいい匂が、たえまなくあたりへあふれております。栗林公園はちょうど辰の刻なのでございました。
2015.07.12

その昔、7歳の空海(弘法大師)が山頂で大請願を立て、断崖絶壁から身を投げたという我拝師山へ歩いて登った。今日は母の通院日で、病院の送迎の待ち時間にちょっと・・・と思い立ったのだが、今でも何故そう思ったのか謎である。(笑)この山、決して高くはないのだが超急勾配で知られており、途中何度も引き返そうかと迷った。どうしてこんな急な山、登ろうと思ったのか。だが、一度諦めたらもう永遠に登らないだろう。それにしても、キツイ。讃岐には石段で有名な金毘羅さんがあるけれど、この山を休まず登れる人はきっと金毘羅さんくらいスキップであがれるに違いない。大袈裟ではなく、それくらい苦しい道のりだった。けれど、その都度親切な方々に声を掛けてもらい、もう無理と座りこめば上方から聞こえるお寺の鐘の音に励まされ、なんとか四国霊場第73番出釈迦寺・奥の院まで辿りつけた。「よう登れましたね。」優しい声に振り向くと、道中出会った年配のご夫婦の笑顔がそこにあった。「あれ? さっき山を降りてましたよね。」「ああ、私たちは毎日ここを二往復しているの。」お二人は定年後、雨の日以外は欠かさずこの山を奥の院まで登っているらしい。ふと気づくと、100回以上お詣りした方は境内に名前が張り出されている。「ここに名前があるんですか?」「ええ、まだ下の方ですがね。」その時、今度は二人連れの男性が登ってきた。「今日は来ないのかと思ったわ。」 先ほどの奥さんが声を掛ける。「いやあ、今日はなでしこ見てたからねー。なでしこ、勝ったよ!」「それで遅かったのねー。なでしこ、良かったねー。」話が弾む。どうやら、毎日登ってる人は何人もいるらしい。「一日に二度三度登る人、結構いるのよ。」そのおかげで参拝仲間が自然とできるのだろう。この険しい道のりが、自然と会話を引き出してくれる。「一口飲むと楽になりますよ。」 奥さんが凍ったペットボトルの水を手渡してくれた。「わあ、嬉しい! お言葉に甘えます。」 ちょっと・・・で登った私は、水も帽子もなんにも用意していなかったから、その心配りに感動してキュッと一口流し込んだ。「またの時まで顔を覚えていてくださいね。」二人が降りて行った後、私は幼い空海が飛び降りたと云われる場所はどこか探すことにした。だが、そこから先は断崖絶壁。鎖を伝って岩肌を登らなければならない。「一緒に登りましょうよ。」75歳くらいだろうか、一人のおばあさんに誘われたが、背後に聳える山頂への岩壁は体力の限界で断念することにした。後で知ったが、そのおばあさん、この奥の院を1万5千回以上参っているらしい。 ああ、おばあさんを拝んでおくんだった。(笑)帰りは楽ちんと言われた坂を、今度は膝が笑うのを必死に堪えて麓まで降りてきた頃、母から迎えの電話が鳴った。私はその僅か2時間程度の出来事を、息もつかず母に話した。「もうねえ、ホント大変だったんだから!」「でね、帰りの坂を後ろ向きに歩くおじいさんを見かけて、なるほど、その方がきっと楽だと真似してみたら、三歩も行けば尻もちついてそのままゴロゴロ転げ落ちるのかと思ったわ。あんな急な坂、上りも下りももう二度とごめんだわ。」そうひとしきり喋った後、目の前にあった冷たい水をゴクゴク一気に飲み干した。?!「あれ? 痛くない。」実は、5日ほど前から知覚過敏で、左上の歯に冷たいものが触ると泣きそうなくらい痛むのだった。それでも冷たいものを飲みたい時は、ストローで喉の奥へ直接送りこむなど苦労していた。それが、痛くない。 まったく沁みない。そういえば、奥の院で冷たい氷水を貰った時から痛くない。「しんどい思いしたけど、ご利益あったじゃない。」母の言葉に妙に納得の私であった。(苦笑)
2015.07.02
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