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友人の息子のY郎くんが小学4年生の冬休み、私はクロアチアの首都ザグレブの空港から彼宛てにエアメイルを送った。その半年後、今度はスロベニアから葉書を送った。どちらも、私からではなくサンタクロースからとして。10歳近くもなってサンタを信じる彼にサプライズを届けようと、友人と共に計画したことだった。彼はそのエアメイルを大切に大切に、先生にも友達にも自慢をし、彼の机の奥深く宝物箱にしまっておいてくれたようだった。あの時のことは私も時々思い出しては、でも随分と大人に近づいただろうから、さすがにY郎くんももう夢から醒めてるだろうと思っていた。ところが、先ほど友人からラインがきた。「Y郎、まだサンタ信じとるで。」彼は現在、中学2年生。今日、学校でサンタとサンタから貰ったと信じてる葉書の話を友達にして、どうやらからかわれたらしい。辛そうにして帰ってきたんだそうだ。「ごめんね。かえって可哀想なことしたね。 本当の事、言おうか?」「いやいや、夢があってええわ。」「今はみんなの話を仕方なく受け入れたけど、自分だけ信じとるみたいな感じやな。」「下唇かんどったわ。 ふふふ。」と友人。どうやったらこんな素直で夢のある子に育つんだろう。私も今すぐY郎くんを抱きしめたくなった。この先、ちょっと責任重大だが・・・。写真は、彼に送った葉書の写真と同じ、「きよしこの夜礼拝堂」。オーストリアはザルツブルク郊外、オーベルンドルフにある礼拝堂で、有名なキャロル・きよしこの夜は1818年、ここで誕生した。
2015.11.30

「あ!猿!」香川県から徳島県へ抜ける県境の道で、木の上に登っている猿を見つけた。そのまま通り過ぎても良かったけれど、両手で大事そうに柿を持って食べる真っ赤な顔をしたお猿さんがなんとも可愛らしくて、慌てて車を引き返した。スマホを持って、そっと車から降りる。その瞬間、目の前を一匹の猿がシュッと走り去ってしまった。「あ!」せっかくのチャンスを逃してしまったともう一度柿の木を見上げると、まだ一匹いた。その一匹と目が合った。一瞬、固まった彼ではあるが、ハッとした後、一目散に逃げ出した。「あ、待って!」待つはずがない。木から飛び降り、電柱に登る。てっぺんまで登ったら、今度は綱渡りのごとく慌てて電線を伝っていった。2本の電線は、徐々に幅を広げて軒下へと繋がっている。必死で伸ばすも手が届かなくなって焦った彼は、ターザンのごとく屋根の上へと飛び移る。「あーあ。」可愛く柿を食べる姿を写真に撮りたかっただけなのに。来年の干支であるお猿さんの愛くるしい表情を残したかっただけなのに。振り向くと、田んぼの向こうには優に10匹を超える猿軍団がたむろしていた。再び近づきスマホを構える私を見つけ、またもや一目散に散らばる猿たち。そんな私を見た地元の老婦人は、「よっけおるやろ。野菜も引っこ抜かれて困っとるんよ。猿も多いし、ここは猪も出るしねー。」猿に負けじと夢中で追う私は、きっとおばちゃんには町の子に見えたんだろうな。(笑)今日は私の43歳の誕生日でした。惜しくも逃げられちゃいましたが、来年の主役くんに会えるなんて縁起いいでしょ。
2015.11.29

私が高校1年の時であるから、もうかれこれ25年も前になるが、ある日、先生はさらっと太宰治の志賀直哉批判の話をしてから「城の崎にて」の授業に入った。一通り読んだ後、私を指名し感想を聞いた。だが当時、太宰好きだった私は先ほどの先生の話ですっかり志賀直哉を受け入れられなくなっていた。「私、この人の文章、嫌い。」内容は全く頭に入っていなかった。正しくは、「好かん」って答えたと思う。「わし、いらん話をしてしもたみたいやの。」先生はあの時、きっと苦笑いしていた。その後、ずっと志賀直哉を敬遠していた私だったが、何年も前に尾道を訪れたことで「暗夜行路」をきっかけに彼の作品を読むようになった。意外にも読みやすく、情景も自然と浮かんでくる。描写がいい。ただ、それでも「城の崎にて」はあの授業以来手に取っていない。11月下旬にしては暖かかった昨夕の城崎は、浴衣姿でぶらりぶらり歩く観光客で賑わっていた。いい湯だった。封印された「城の崎にて」、もうそろそろ解ける気がする。
2015.11.26

夜もまた、一歩一景の美しさ。特別名勝・栗林公園
2015.11.22

2015.11.21

子供の頃は同じ四国内と言っても遠い遠いところだと思っていた愛媛県の南予地方も、道が良くなった今では気軽に日帰りできるようになった。最も南西部にある宇和島市へは3時間半、芝居小屋の内子座で有名な内子町へは高速に乗れば私の町から2時間で行ける。それでもどこか縁遠くて、南楽園へ花菖蒲を見に行くほかは松山より向こうへ足を延ばすことはなかった。ところが数ヶ月前、「この前ね、テレビで内子の木蝋資料館上芳我邸(かみはがてい)が映ってて、なんかすごくいいところみたいだから、一度連れてってもらいたいわ」と、以前の勤め先の元施設長から電話があった。「か、かみは? そのかみはなんとかって何ですか?」無知な私は、読み名もわからなければ、上芳我邸という漢字なんて想像すら出来ない。「昔、木蝋(もくろう)で財を成した豪商の大きなお屋敷よ。」と言われても、「はあ、木蝋ですか、、、。」といった具合だった。それから数日後、外出先に再び電話があり、「さっき、うちにジパング倶楽部のパンフレットが届いたんだけど、そこに今度は下芳我邸っていうのが載ってるわ。」「はあ、しもはがていですか。」「前に言った上芳我邸と関係があるのかしらね。」「はあ、、、。」こうして、内子といえば内子座しか知らなかった私が内子町へ行くはめとなった。内子町は、明治末期から大正にかけて、木蝋や生糸の生産で栄えた町。とりわけ国内最大規模の製蝋業者であった本芳我家と、その分家であった上芳我家、中芳我家、下芳我家らによって一大繁栄を築いてきた。今でも保存されている昔の町並みには立派な蔵構えがずらりと並ぶ。そして、その有志らの出資によって地元の人々の娯楽の場として建てられた芝居小屋が内子座である。木蝋資料館である上芳我邸も、現在お蕎麦屋さんとして賑わっている下芳我邸も町を代表する名所であるが、内子といえば内子座と頭に刷り込まれている私たちが一番最初に訪れたのは、その内子座だった。なぜか見物客が少ないといわれる木曜日、ぽつりぽつりとお客がいるだけで、思いのほか寛げる。芝居小屋といえばわが香川県には日本最古の金丸座があるのだが、この内子座は金丸座よりこじんまりとしているものの、その佇まいは決して負けてはいない。むしろ、客席と舞台は近く、花道と客席の段差が小さい内子座の方が、きっと贅沢に演者と向き合えるにちがいない。金丸座が故中村勘三郎さんの思い入れが特別強かった芝居小屋であったならば、内子座は人間国宝である坂東玉三郎さんが贔屓にされる芝居小屋。内子座が金丸座に引けを取らないのも納得できる。その場所で、地元の中学生たちにアンケートをお願いされた。「どうして内子に来られたのですか? 内子座の良さはなんですか?」その後も何人もの中学生に同じ質問をされたから、きっと校外学習の一環なのだろう。玉三郎さん好きの上司は毎回丁寧に答えていた。「それに、内子はノーベル賞を受賞された大江健三郎さんの故郷でもあるので、一度来てみたかったんですよ。」たぶん、他にほとんど客のいなかった今日のアンケートは、みんなほぼ同じ答えになるんじゃないか。真剣に答える上司と、少し難しい話になると目が泳ぐ中学生たちを交互に見ながら、そんなことを思って一人可笑しくなっていた。その後は定番のコースを巡った私たちであったが、そう大きくない町でも一日では回り切れない見どころがある。次回、そう遠くない先に訪れるのを楽しみに、そのときも下芳我邸ではお蕎麦を、上芳我邸ではお抹茶と愛媛の伝統和菓子「ゆずっ子」を戴きたいと思っている。
2015.11.19

雨がひとしきり降った朝、紅葉を見に但馬の安国禅寺を訪れた。年々口コミで広まったその紅葉は、多い日には狭い境内に3千人もの人が押し寄せるそうだ。もちろん、お寺の方がうまく誘導してくれるのだが、できればゆっくり穏やかに観賞したい。香川から兵庫県豊岡市にあるお寺までは片道およそ4時間半掛かる。拝観時間は朝の8時から。朝一番ならそう人も多くないだろうと、再び得意の真夜中ドライブを決行することにした。(笑)この安国禅寺は、夢窓疎石の薦めによって足利尊氏が全国各地に国家安泰祈願のため建立した安国寺のひとつ。歴史は古いが、七堂伽藍を有したというその境内は享保2年(1717年)に火災により焼失し、現在建物はそれより北方に移されている。その本堂の裏庭に、樹齢100年を越えたドウダンツツジが広がっている。それが秋になると真っ赤に燃え上がるのだ。その僅か2週間、お寺は一般客にも開放される。安国禅寺に着いたのが7時半。駐車場は私が気づいた範囲で第4駐車場まであり、第3駐車場から入る細道は一般車両はご遠慮願いますとの看板が立っていた。だが、まだ時間が早いのと、母が高齢であったため、寺門を掃除していたご住職の奥様が、お寺のすぐ前に停まらせてくれた。「遠方から来てくださったんですね。」 気さくに声を掛けてくださり、「まだ拝観時間ではないですが、せっかくなのでどうぞ中へお入りください」とまで言ってくださった。恐縮しながら車を降りると、奥様は私の車のナンバーを見ながら、「私も香川の出なんですよ」と話し出した。そこから一気に親しみが沸いたように会話も弾んだ。私は写真を見て知っていたが、全く想像だにしていなかった母はこの瞬間、思わず「うわぁ」と声をあげた。知っていたはずの私も息を呑んだ。「上にあがって、もっと前の方でゆっくりご覧になってください。」私たちは祀ってある達磨大師にお参りもせず、そのドウダンツツジから目が離せなくなった。「昔は一本の株だった木が、子や孫でここまで増えましてね。それにここは雪深いところでして、本来なら上へ上へ伸びる枝が雪の重みでこんな風に横へ広がったんですよ。」「これは雪が造った芸術ですね。」奥様はこまごま用事をされながら、そんな話を聞かせてくれた。「それで、いつからこんなに有名になったんですか?」その時、上述したお寺の縁起を教えてくださり、「20年前、昔のお寺の跡地に千本ものナツツバキの群生が見つかりましてね。たぶん、当時お庭に植わっていた木の種からなんでしょうけど、それが先に話題になったはずなのに、今ではこのドウダンツツジの方が見事だと有名になりまして。」「春には白い可愛い花が一面に咲くんですよ。紅葉の方が見事だから、春は開放していませんけど。」 そう言って、2枚のポストカードをお土産にくださった。「へぇ、夜中に香川から来なさったんですか。 それは遠いところから、、」そう言いながら、お寺のおとこしさんがお盆に急須と茶碗を乗せて現れた。「せっかくやから、ドウダンツツジをバックにこれを真ん中に置いて写真を撮ってあげますよ。」まさかお茶までと一瞬思った私は、「そうお気遣いなさらずに」と喉まで出かかっていた言葉を飲み込んで正解だった。(笑)それは、まさに一幅の絵を見るようだった。奥様から戴いたポストカードは、そうだ、ドウダンツツジが大好きな恩師へのお土産としよう。
2015.11.13

この季節になると訪ねたくなるのが大歩危峡。俳句が趣味であった祖父がその景色を好んで詠んでいたこともあり、母を隣りに乗せて昔話をしながら車を走らせる。今年はそこから少し足を延ばして、祖谷渓を訪れてみることにした。有名な祖谷のかずら橋までは行っても、そこから奥となるとまだ二、三度しか赴いたことがない。明治30年から約20年かけて造られた道路は片側が断崖絶壁、細い急カーブの連続で、隔絶された深山幽谷と形容される秘境を走るのは、いつも億劫だったから。今日も、どこかの家の取り壊しやら道路の維持改修やらで通行制限があったりと、ただでさえ対向車が来れば面倒な道が一段と難度を上げていた。なにも紅葉の時期に行わなくてもと思ってみたが、そうか、雪の季節はもうすぐそこなんだ。そして、祖谷渓といえば小便小僧。かつて地元の子供達や旅人が度胸試しをしたという逸話をもとに作られたそうだ。
2015.11.12

私が大学4年の時、あるボランティア活動で高校1年生の男の子と知り合った。当時、私が可愛がっていた女の子の幼馴染みで、ちょっとやんちゃな部分を持った、友人は多いだろうが、どちらかというと一匹オオカミ風の彼だった。そんな彼と仲良くなった経緯は詳しく覚えていないが、彼の家に遊びに行ったこともあるし、私が大学を卒業して地元に戻る時には送別会に手作りのケーキをご馳走してくれた。彼は小さい頃からお菓子を作るのが好きだった。「売ってるケーキや本の通りに作ったケーキは甘すぎるだろ。だから、甘さ控えめのケーキを自分なりに作ってるんだ。」確か、高校生の彼がそう話していたのを覚えている。それからしばらくして、彼が東京の製菓学校へ入学したことを知る。彼が東京にいる間、たった一度だけ電話で話したことがあるけれど、その後は疎遠になっていた。それでも、東京や神戸で修行を積んだのち、広島でロールケーキの専門店を開いたと風の便りで伝わってきた。Facebookとは、こういう時に役立つものだ。仲間を通じて、彼と10年ぶりに連絡を取るようになった。そして、昨年もちょうどこの時期、私は彼にロールケーキを送ってくれるようお願いした。すでに飲み込みが悪くなっていた父も、彼のロールケーキは美味しく食べられると喜んでいたからだ。あれは、1年前の11月3日。朝、デイサービスへ行く準備をしていた父が転倒し、頭を強く打ってしまった。念のため救急車を呼んだのだが、意識があったために病院から少し後に搬送してほしいとお願いされた。それなら朝食もまだだから何か食べとこう、ということになった。「ロールケーキが食べたい。」いつも食べてるパンでも、ご飯と味噌汁でもなく、彼のロールケーキを食べると言うのだった。そして、それがあっけなく逝ってしまった父のわが家で食べた最後の食事となった。葬儀などの一切が終了し、少し落ち着いた頃、私はそのことを彼に伝えた。正直、最後の食事が彼のケーキということが嬉しくもあった。「最後に食べてもらえるのは、食べ物を作る仕事をしている人間からすると、名誉なことだねぇ。なんだか違う喜びを感じました。子供として立派に責任をはたしたね、picchuやん。」じーんとした。先日もまた、父の想い出の品として一周忌法要のお供えも兼ね、お世話になっている方々への贈り物として取り寄せた。「あんな上品な生地は初めてです!」贈ったものが、そうやって喜んでもらえることは贈り主である私も誇らしい。早速彼に報告。「おおー! ありがとう〜!プレゼントする人と、作ってる人が上品だからかな。(笑)」確かに、上品な生地。素朴で素直な味は、彼そのものがよく表れている。喜ぶ彼にまだ伝えていないことだが、彼のロールケーキは一年前よりも一段と美味しくなったと私は思う。毎年、父を偲びながら彼のロールケーキの進歩を楽しむ秋にしたい。
2015.11.09

11月6日の朝、美しいお花を抱えた男性がわが家の前に立っていた。見事なカサブランカにベージュのガーベラ、薄いピンク色したカーネーション、その優しい花達の向こうにある男性の顔は隠れていた。玄関を開けた母は、「こんなお花頼んでない!」と慌てたらしい。(笑)「今日がちょうど一周忌だと聞きまして。」それは、昨年父の葬儀でお世話になった町内の葬儀屋さんだった。早いもので、父がこの世を去って一年が過ぎた。その間も、折に触れ父を偲んでわが家を訪ねてくれる方々はいた。以前、ブログにも書いたデイサービスの青年もその一人。つい先日、「そろそろ一年になると思って、胸がざわざわしたんです」、とお参りにきてくれたばかりだった。だが、葬儀屋さんが一周忌になぜ?「昨日、お宅の院主さんとお会いしまして。」聞けば、前日にわが家の檀那寺の院主さんが、その葬儀屋さんの会館で一年ぶりにおつとめがあったとのこと。どこか心に残る院主さんだったので声を掛けたというのだった。そこで次の日にわが家で一周忌の法要があることを聞き、沢山のお花を抱えてお参りに来てくれたのだった。「ちょうど院主さんとお会いして、今日が一年のまわりめやぁ言うやないですか。ちょっと変な言い方やけど、こんな偶然があるのかと嬉しくなってな、私も手を合わさせてもらおうと思ったんや。」去年の葬儀の時もそうだった。彼はまだ35歳の若さなのだが、そのくだけた言葉にも心遣いにも優しいぬくもりがある。ミスのないマニュアルに沿った形式だけの段取りとは違う、あったかーい気持ちを故人にも遺族にも与えてくれる。親不孝者の私が父にできた最後で最高のプレゼントが、彼との出会いだったと思っている。正直、お葬式で感動するなんて、それこそ変な表現だが、あの時の感動は今も心に残ったままだ。「Hさんのお葬式は、僕も印象に残ってるから。」私が彼との出会いを父にプレゼントした気になっていたが、一年経った今もこうした人とのつながりをもらっているのは私の方だったのだ。父も母も私も、本当に幸せ者だなと、あったかい気持ちが心の中いっぱいに満ちている。
2015.11.08

阿蘇の壮大な風景は、気持ちが大きくなって好き。大きなカルデラに抱かれて、両手いっぱい広げたくなる。中学生の頃に登った中岳の噴火口は、9月に起きた噴火のせいで近づけず。草千里より先は通行止めだった。それでも、私が望んだ景色で阿蘇山は出迎えてくれた。可愛い米塚もすっかり秋模様。大分と宮崎の県境で見た一面ススキ野原は阿蘇でも見られた。杵島岳だろうか、ベルベットのような裾野はまるで高貴な方のドレスみたいで、嘗ての乙女心をくすぐってくれる。(笑)
2015.11.03

九州の旅はこれで六度目。ちょっと中途半端な数字だけど。(笑)中学時代、修学旅行で訪れたのが初めてのことで、その時は新幹線が博多駅に着いた時、友達と「はじめの第一歩!」なんて言って飛び降りたのを覚えている。当時、国語の教科書に草千里の写真が載っていて、のびのびとした阿蘇の風景に胸膨らませたものだ。実際は阿蘇山の中岳をウォークラリーで登山させられ、ゴールの草千里ではみんな疲れ切った顔で写っている。だが、その阿蘇の雄大な景色は私の大のお気に入りとなった。なぜか三十年近くも経って、母にも見せてあげたいと急に思い立った。それは、十月半ばのこと。愛媛は八幡浜港から大分県臼杵市へと渡った。一日目の行き先は、宮崎県高千穂町。臼杵石仏をするっと観光して、大分県の豊後大野市と高千穂町を結ぶ緒方高千穂線へと入る。これが結構な山道で、くねくねしたカーブがいくつもいくつも続いており、一向に先が開けない。まあ、四国遍路で険しい山道の運転には慣れていたので、あれに比べたらまずまずの道幅だし、勾配も急じゃないので運転そのものは苦ではなかったが、ほとんど対向車の来ない知らない山道が延々と続くと、いくら昼間でも不安になる。それでも、紅葉が始まったばかりの祖母山の頂に癒されつつカーブを縫った。このまま峠を越えると思いきや、いきなり電灯もない真っ暗で不気味なトンネルが待ち構えていた。でこぼこしたトンネルの壁面が意外と怖い。もしも独りぼっちだったら、小心者の私はきっと泣き出していたと思う。いつまでこの道続くんだろ。そんな時、一気に前方が明るくなり、一面見渡す限りのススキ野原が現れた。「うわーーーー!!!」思わず叫んでしまった。私は車を脇に停め、転がるように山の斜面を走って降りた。「後ろに乗ってるクリスもウルスもびっくりしてたよ」、と母。どうやら、愛犬たちもあきれるほどの勢いで、ススキ目指して駆け下りたらしい。棚田に輝く稲穂も美しかった。いい季節に九州へ来た。
2015.11.01
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