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夕方になって雨が降り始め、風もやや強い。予報では深夜に雪になるという。 作品制作の最終段階で使用する液剤が、寒気のためにブルーミング(絵の表面に縮緬皺ができる)を起こす可能性がある。その作業に入るのを中止した。 降雪を見越してもう一件・・・猫のフクのためのトイレの砂を買いに行ってきた。 トイレを使った後には必ず啼いておしえる。「おわったよ!」と言っているのか、「後始末してね!」と言っているのか。可愛いものだ。6月に20歳になる。いわば老猫である。生まれたときから兄弟姉妹たくさんいたが、みな亡くなって、いまは独りぼっち。・・・どういう気持ちなのだろう。 両親や先祖の位牌を祀った仏壇の片隅に、猫たちの位牌も祀ってある。我が家では愛するものの死ということでは人間も動物も同じだ。朝夕の仏飯も一緒である。宗教がらみの世間の常識は、私の家には通用しない。我が家は代々の僧侶(そして武士)の家系。本質を捉えていれば、見かけの形式など、どうでもいいのである。 閑話休題 宇宙船アポロ14号が持ち帰った月の石が、地球由来の石の可能性がある、とNASA が発表した。地球がかつて惑星と衝突したときに弾き飛んだ石が、隕石として月に落下した! そりゃー、あるだろうなー、そういうことが。隕石は、なにも地球に落ちてくるだけではないはずだ。「目から鱗」のような話だが、それというのも地球由来の隕石を発見したことが今まで無かったからである。 私が小学校6年生、すなわち1957年10月にソ連が人類最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。以来、宇宙船による宇宙探索62年。宇宙の謎の解明は、まだまだ端緒についたばかりと言ってよい。 NASA の火星探査船MAVEN が私の名前を乗せている。さらに昨年8月には、人類初の太陽探査船Parker Solar Probe が旅立ち、この宇宙船にも私の名前を乗せてもらっている。私の夢の魂は二つに分かれて火星と太陽に向かっている。 太陽コロナの温度は1万度にもなる。そこに突っ込んで行く宇宙船は燃えてしまうのではないか、と思われるかもしれない。ところが燃えないのです。なぜか。・・・いつかその科学的説明を書いてみましょうか。 NASA はこの太陽にタッチするミッションのために、50年以上研究してきた。・・・そして、人類史上初めてのミッションの宇宙船に、私は名前を乗せてもらえた。たとえ夢の魂が燃え尽きたとしても!
Jan 31, 2019
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作家・橋本治氏が亡くなられたという。享年70。 橋本治氏が『桃尻娘』で小説家として衝撃的なデビューする前のイラストレーター時代に、私には淡い思い出がある。1974年に講談社から児童図書『怪談 3』のための挿画の依頼があった。橋本氏と共同執筆だった。氏は切り絵で上田秋成の「菊の日のやくそく」(雨月物語の菊花の契)およびアルジャーノン・ブラックウッド「おおかみ屋敷の恐怖」を、私は鉛筆画でマルセル・エーメ「かべをぬける男」と E.T.A.ホフマン「ゲッチンゲンの床屋」を担当した。 これが7月から8月にかけてのこと。そのすぐあとだった。たしか9月か10月だったが、当時、銀座3丁目の文祥堂の近くにあった画廊「ギャラリー銀座三番街」が、「イメージ・アリス展」と銘打った企画展を開催した。その企画に招かれた画家のなかに橋本氏がいられ、私もいた。画廊でおこなわれた企画説明のときに、初めて顔を合わせたのだった。とはいえ、画家たちはみな静かに趣旨説明を聴いてい、私たちは互いに言葉を交わすことはなかった。 1976年の1月、これも「ギャラリー銀座三番街」の企画で、私の初めての個展「卵神庭園」を開催した。会期中のある日、画廊に行くと受付の人が、「橋本治さんが観にいらしていました」と言った。「もう、お帰りになりましたけれど」 ・・・橋本治氏が『桃尻娘』でデビューしたのは翌年だった。・・・ほんとうに淡い思い出である。私は29歳。橋本氏は26歳だったことになる 橋本治氏を追悼します。
Jan 30, 2019
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昼間はずっと制作。 夜9時、詩人の井上摩耶さんから電話。しばらくぶりだ。詩集『鼓動』が第50回横浜詩人会賞を受賞した。私に贈呈したい、と。喜んでお受けする。 12、3年前くらいになるだろうか、A氏夫妻のパーティー(外国の方々をまじえたホームパーティー)で、私は即興で摩耶さんの詩を二、三篇朗読したことがあった。摩耶さんのお母さまは外国のかたで、私の朗読にとても感動してくださった。なんの予告もせずにいきなり朗読しはじめたので、驚いたであろう。摩耶さんもまた、「山田さんの朗読の呼吸が、私が詩を書いた呼吸とぴたりと一致していたので、ほんとうに驚嘆しました」と。「そう言ってくださるなら、それは摩耶さんの言葉の力です」と、私は言った。 後日、私は桜を素描し淡彩をほどこした絵を贈った。 「あの絵はたいせつに母の自宅に飾ってあります」と、摩耶さんはさきほどの電話で言った。この12、3年の間に電話で話した私の言葉を、ことごとく記憶しているようだ。ありがいことである。 詩集『鼓動』を楽しみにしている。
Jan 29, 2019
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朝、主治医のクリニックに行く。年に2度、血液検査で糖とコレステロールの状態を検査してもらっている。まるで健康オタクのようだが、とにかく死の間際まで作品創造したいので、この検査によって食事管理(私の場合、口に入れるものは緑茶一杯さへ記録しているのだが)をしている。7年前に亡母の末期に在宅看護をしていた私の身体を診察した主治医が、高血圧症と糖尿病寸前の危うい数値を指摘した。以来、私は即座に食事内容を変え、記録をはじめた。現在まで1日も欠かさずにつづいている。・・・というわけで、年に2度の血液検査は、私の自己管理が機能しているかどうかを確認する、妙な言い方だが「楽しみ」なのだ。今日の結果は後日、電話でおしえてもらうことに。 診察後、院長夫人が別室に招いてコーヒーと菓子をご馳走してくださった。 そのコーヒー、貴重も貴重、グァテマラのエルサポテ農園の「ゲイシャ(あるいはゲシャともいう)」。急いで断っておくが、日本の「芸者」とはまったく無関係。・・・そんじょそこらで入手できるコーヒーではない。 もちろん大変高価。ちなみにコーヒー豆の国際取引の最も有名なパナマ・ベスト・オークションで、1ポンド(453.6g)が 601.00ドル(今日のレートで約65,695円)というのだから、小売値は・・・ウ〜ン! 夫人はそのローストした豆の香りをかがせてくださったが、いやー、嗅いだことがない香りだった。なんと言えば良いだろう。フルーティー? そうではあるが、一種類の果実ではない。当惑してしまうような、深い、独特の芳香。・・・表現できないなー。 私は遠慮しないでおかわりして2杯ちょうだいした。そして夫人とコーヒー談義、ヨーロッパのいわゆるお金持ちが最近自邸のバー・コーナーに設置しているという大変おしゃれなビルト・イン式のコーヒー・メーカー。おしゃれであるだけではなく、コーヒーを最良の状態、すばらしいおいしさで淹れることができる設備・・・そんな情報をカタログとともに。 そしてつづいて紅茶について。夫人は昔、紅茶についてきちんと勉強なさっていられる。その蘊蓄たるや、葉の色、その大小による名称の違い。湯温によって茶葉の状態がどんな動きをし、どの状態が最も香り高く、美味しいか、等々。ダージリンのちょっとびっくりする珍しい茶葉を見せてもらった。観察後、香りが抜けないようにすぐに密封してもらう。この紅茶を飲む器については、夫人と私の意見は一致。 さらに私の制作中の絵の話から、夫人がイギリスから取り寄せたという立派な手提げ金庫型の木箱に収まったアロマ・オイルのこと。それとは別に、35年前にお買いになって、現在ではもう肌につけることはできないのでアロマを楽しむだけとおっしゃるローズ・オイルを、私も楽しませてもらった。薔薇香水の原液と考えてよいものだ。お値段? ボールペンの軸ほどの太さで高さ1センチほどの小瓶で、35年前に1万円くらいだったそうだ。木箱に収められたイギリス製のセットは、まあ、言わぬが花でしょう。 興味深くお聞きしたのは、フランスとイギリスとでは考え方が違い、したがって製法にも違いがあるということ。わかりやすく言うと、フランスは香水のようにフレグランスを目的にし、イギリスは薬用(媚薬あるいは魔女の製薬の伝統)という考え方。おもしろい。 媚薬は、毒薬とともにイタリア・ルネッサンス期の宮廷文化のなかにもあったので、イタリアのアロマ・オイルの考え方も、私の頭にチラと過ぎったのだった。香料をめぐる文化論をやってみようか。私の蔵書に、わずか300部しか刊行されなかった名著、杉本文太郎著『香道』がある。今度、夫人にお見せしよう。 というわけで、午前中は院長夫人と楽しいひとときを過ごした。 4月に予定している私の講義について、受講者から問い合わせがあったそうで、そのほうは、ニューヨークへの作品の出荷後にあらためて日時を打ち合わせることに。 午後、制作。
Jan 28, 2019
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フランスの作曲家ミシェル・ルグラン氏が亡くなられたという。 私は昨年11月におこなった美術講義で「雨の比較文化考」と題して話をした。絵画のみならず映画やクラッシック歌曲、歌謡曲、ロック、風俗など幅広くとりあげた。その折に、ミシェル・ルグラン氏が音楽を担当したジャック・ドゥミ監督のミュージカル映画『シェルブールの雨傘』(1964; カンヌ映画祭グランプリ)についても取り上げ、スライドで画像も見せたのだった。雨傘店の娘ジェヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が主人公。この物語シーンに雨が降る場面はない。ただ、冒頭のタイトル(ミュージカルの開幕シーン)に、舗道を行く色とりどりの雨傘がデザイン化されて並び、降り注ぐ雨を真上から撮っている。雨のシーンとしては珍しい映像である・・・と。この『シェルブールの雨傘』は、ミシェル・ルグラン氏の音楽で世界的に大ヒットした。もちろん日本でもヒットした。私が20歳のときだ。 つい2ヶ月ほど前の私自身の講義で話した方の逝去のニュースに驚きながら、ミシェル・ルグラン氏を追悼します。
Jan 27, 2019
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宜野湾市で米軍の辺野古移設をめぐり、賛否を問う県民投票の実施を呼びかけてハンガーストライキをした元山仁士郎さんについて、私は昨日の日記に書いた。この元山仁士郎さんの行動に対して、自民党の國場幸之助衆議員の政策秘書(新聞報道は実名を記している)が、ツイッターに「今後ハンストする奴が出ても、体調を案じることはやめて、さっさと死ね」と書いている。 いやはや、なんという低劣な奴だろう。政治的な言論というより、これが議員の政策秘書だというのだから、すべては押して知るべしだろう。「政策秘書」の肩書が聞いてあきれる。 今、日本社会は、あらゆるところで「低劣」な病巣が発現している。これをして愛国だか日本オンリーだか知らぬが、低劣なままに隠蔽しようと齷齪(あくせく)すればするほど、ますます病巣が本質のように明らかになってゆく。私はこの無様を人ごとだとは思わないが、一瞬、「はたしてこの日本のカタストロフィー(悲劇的な破滅)は、どのような事件として起こりうるだろう」と胸に去来しないわけではない。
Jan 26, 2019
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一人の青年が沖縄県議会を動かした。 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、埋め立ての可否を問う県民投票は、県内5市の反対により実施が危ぶまれていた。今月15日に宜野湾市役所前において「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎さんがハンガー・ストライキをはじめた。この行動に対しては賛否対立が報じられていた。ところが、ここに来て沖縄県民の多く、および与野党各会派に思いがけない動きが出て来たようだ。県民投票を実施する動きである。 元山仁士郎さんの敢然とした行動が人々の心を動かした。沖縄の意志を明確にするということ。そこに住み、そこに人生があり、それを踏みにじられ犠牲を強いられる必要はないのだということを、国の政権に突き付けること。・・・県民投票は、そういう意味である。 若者の政治離れが喧伝され、のみならず軍事国家志向・戦争志向が若者の心をとらえていると言われている。が、本当にそうだろうか? もちろんそういう若者もいるだろう。戦争を知らない首相が軍国志向なのだから。自分は戦争に駆り出されることがない、戦場で殺されることがない、と思えば、国家の安全を掲げて大量破壊兵器を欲しがる。しかし、若者たちよ、あなたがたは戦場で殺される側にいるのだ。政治に関心がないとか、戦争を好むとか言われつづけて、自分はそうなんだと思ってはいけない。 元山仁士郎さんが自己の身体を賭けて、県民の心は少なくとも「県民投票」を実施することについてはひとつになった。・・・こういう若者がいるのですよ、安倍さん!
Jan 25, 2019
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夕刻過ぎから民生委員合唱団「かしの木」の練習。2月23日(土)に日野市社会福祉協議会が主催する「福祉のつどい」が開催され、私たちに出演依頼があった。そのための練習。練習は今日を含めて2回だけ。新曲は入れず、持ち歌と言ってもよい4曲を聴いてもらうことに。
Jan 24, 2019
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朝から民生委員の仕事があったが、作品執筆にも集中。21時ちょうどに小品が完成。執筆中にプロモーターから電話が入った。2月の約束期限どおりに約束の点数を出荷できると告げた。 執筆中に・・・細部描写の最も注意深く筆を運んでいる最中、身体が前のめりにガクリと揺れた。眠っていたのだ。筆がキャンヴァスにまるでつっかえ棒のように突き立って、もちろん絵の具が汚点として絵に小さなシミとなっていた。幸いというべきか、その部分の塗り終わっていた絵の具は乾いていたので、綿棒にペトーロールを少し染み込ませて注意深く拭いとった。 影響はなかったが、描きながら眠ったのは、若い頃、そう、45年前、講談社のドラゴンブックス・シリーズを描いていたとき以来だ。あの頃、36時間ぶっとおしで執筆して、その場にバタンと倒れるように2時間ほど眠り、再び36時間の執筆。食事は握飯を用意しておき、右手に筆を握って描きながら左手で食う。ほぼそんな日常が1年間つづいた。私の顔は土気色になり、足元は雲の上を歩いているようだった。・・・若いからできたんだなー。・・・懐かしいよ。 1月20日が大寒だった。寒さの底はまだ来月初め頃までつづくようだ。しかし我が家の庭木は芽吹いて来ている。紫陽花も、草木瓜も、楮も・・・
Jan 23, 2019
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12時から2時半まで今年最初の民生委員担当地区の月例会議。帰宅16時。 途中で画材店に寄り筆2本を買い、書店に寄ってマーク・エリオット著『クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説』(早川書房)を購入。間も無くニューヨーク展のための作品制作を終了するので、終わったらゆっくり休みながら読むつもり。 ただいま19時40分。10時まで執筆する。
Jan 22, 2019
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制作を中止して昼前に外出。買い物。すべてが作品制作に関わるが、いわゆる画材店で売られている物ではない。新たな可能性を発見するため。頭の中に、昨夜寝ている間にひらめいた考えとイメージがある。グローバルな視点に立ち、危険な香りもするが、ファンタジックでもあり、象徴的でもあり、もちろん現代的である・・・と、思えるのだが、さて、作品としての物質的な実現が技術的に可能かどうか。そんなことを考えながら4時間ほど。11点の品物を買う。 帰宅すると、昨日発注した工業製品を発送したと連絡があった。 いささか疲れた。コーヒーを淹れ、デイヴィド・オイストラフの演奏でバッハのヴァイオリン・ソナタを聴いているうちに、半分くらい眠ってしまったようだ。
Jan 20, 2019
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終日、作品制作。描きながら、ふと思いついたのは、ある工業用道具。制作に使えるのではないか。 即刻、会社を探した。2社別々の会社だったが、それぞれに製品を送ってもらうことにした。全部で8点の道具。どれが適するか、あるいはまったく使用できないか、ともかくやってみよう。
Jan 19, 2019
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昼前から先日執筆終了した作品の最終仕上げ。3日ほどかかるが、きょうの作業は1時間半ほど。扉を締め切って出入り禁止にし、後は乾燥を待つ。 昨夜描き終わった小品の仕上げはまだ後日に。すぐ次に取り掛かった作品は執筆中。
Jan 18, 2019
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今日1月17日は阪神・淡路大震災から24年目。犠牲者のために合掌する。 さて、新たに小品を描いていたが、21時半に擱筆した。想定外の早い完成だった。それでさらに小品を描こうと、すでに下絵の塗りに入った。これも来週いっぱいには描き終えるであろう。そうしたらさらに1点描こう。
Jan 17, 2019
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梅原猛氏が12日に逝去されたという。享年93。 日本古代史研究の代表的著作『隠された十字架 ー 法隆寺論』『水底の歌 ー 柿本人麿論』は、私の蔵書のなかにもある。しかし『中世小説集』(1993年 新潮社)の書影を掲げて追悼しよう。 私は三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんのために書かれたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の初演を観ている。歌舞伎が好きだった亡母を連れて出かけた。 ご逝去を知って、まことに残念なのは、日本の平和憲法を強く擁護されていた方だからである。たしか「近代の超克」というような意味の位置付けをされていた。現代日本の政治状況ないし政治感覚は、私は近代以前を引きづり、それを超克しようとする高邁な理念の政治家が一向に出る気配がない、と感じている。それだから、その政治の荒野に、不思議の塔のように世界に冠たる平和理念を掲げて屹立する日本国憲法が、近代の超克のための私の希望と思って来た。梅原猛氏の憲法九条擁護論は、赤城の山の国定忠治の言い草ではないが、「俺には生涯、梅原猛という強い味方があったのさ」・・・と、胸に言い聞かせることもできたのだ。崩壊してゆく日本の平和主義の守り手が次々に亡くなってゆく。 謹んで梅原猛氏のご逝去を哀悼いたします。
Jan 14, 2019
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市原悦子さんが12日に亡くなったという。享年82。 私が市原さんの舞台を観た最初は、『セチュアンの善人』だった。私は高校生だったから、市原さんも20代後半だったであろう。この芝居は、市原さんが主役。あるいは新人女優として大抜擢だったのかもしれない。正確には二役ではないのだが、一人の人物が善人(女性)と強欲な資本家(男装)との二面性を演じることになるという、その演じ分けが見もの(?)だった。思い出すと、今、私の眼前に真っ白いスーツに真っ白なハットを被った資本家の市原悦子さんの姿が蘇る。私は後に、栗原小巻さんが演じた『セチュアンの善人』をも観ている。忌憚のないことを言えば、栗原さんは、善人は良かった。が、資本家になると線の細さが気になった。今眼前に浮かぶのは、市原悦子さんの資本家だ。 その後、日生劇場で『ファウスト』や『アンドロマック』などを観てきた。私にとって市原悦子さんは、テレヴイの人ではなく、舞台俳優なのだ。 私の資料箱のどれかを探せば、最初に観た『セチュアンの善人』のパンフレットが残っているはずだが・・・ 市原悦子さんのご冥福を祈ります。
Jan 13, 2019
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描くべきことは全て終わった。署名もした。あとは10日ほど乾燥して、最後の仕上げだ。 ひきつづき次の小さな作品に取り掛かり、下絵をキャンヴァスに写した。明日から彩色にかかる。
Jan 12, 2019
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手掛けている新作がもう少しで執筆終了となりそうだ。今週中、もしくは来週月曜日ごろか。長々と手間取った。思想的構想と絵画構成とイメージとが統合されて、象徴的な意味が多重的になったと思う。「美」は有るか? ある、と言いたい。 というわけで、作品引き渡し期限まで2週間は残りそうなので、小さな作品をもう一点描こうと思い、さっそくその下準備をした。こちらのイメージはすでにある。また時間との競り合いになるであろうが、・・・大丈夫、大丈夫! 話を変えて CNNに興味深いニュース。14世紀に戦火で消失したドイツの女性修道院墓地から発掘された中世修道女の歯から、当時、黄金に匹敵するほど高価だったラピスラズリを原料とするウルトラマリンが検出された、というのだ。 ちょっと注釈すると、この記事にはおそらく読者に親切すぎたゆえの誤りがある。あるいは歯を調査・発表者の誤りかもしれない。すなわち、歯に付着していたのはラピスラズリであって、これを厳密に言えばウルトラマリンと呼称すべきではない、ということだ。 理由。ラピスラズリはCNNが指摘しているとおり、中央アジア・中近東・・・おもにアフガニスタンで採掘された高価な貴石である。彩色料とするには、皮袋に入れて粉砕し、水簸(すいは;水の中で篩にかけて濾す)し、微粒子として揃えて用いた。中世には王侯貴族や余程力がある修道院で制作された装飾写本にしか用いられていない。油彩画の最高度の完成者であるファン・アイクのパレットにも見いだせる。フェルメールの絵の美しい青もラピスラズリだ。 さて、そのあまりに高価な顔料ゆえに、19世紀、正確に言えば1824年、フランス政府はこの色を出せる人工合成製法の発明に対して賞金を出した。条件は1キログラムの製造コストが300フラン以下であること。これに応じるように、1826年, J.B.ギメーが製造に成功した。その後、次々に二人の人物も成功する。いずれも色味はラピスラズリに匹敵するほどのできばえだった。この人工合成絵の具が、ウルトラマリンブルーである。・・・ウルトラマリンブルーは、ラピスラズリとは似て非なるものなのだ。 私の注釈が長くなったが、上記のニュースで興味深いのは、小説と映画の『薔薇の名前』を思い出していただきたいが、装飾写本の制作はほとんど男性修道院で行われていたと考えられてきた。女性修道院では刺繍やレース製品などが作られていた。しかし、このたびの発掘調査で、女性修道院においても装飾写本が制作されていたらしいこと、しかも、高価なラピスラズリを扱えるほど熟達した画技の修道女が存在したらしいことが判明した。さらに、調査研究者によれば、この歯の修道女は、どうやら描きながら絵筆を舐めていたらしい、と。・・・いやー、まるで『薔薇の名前』を彷彿とさせるではないか! おもしろいねー!
Jan 10, 2019
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旅行ジャーナリストの兼高かおるさんが5日、亡くなったという。享年90。 テレヴィの海外旅行番組の草分けとして一時代を築かれた。 番組が始まったのは私が14歳のとき。私はすでに家を出て中学校に通っていたので、テレヴィを観る機会はまれだった。しかし夏休みや冬休みなど長い休暇で家に帰ったときは、父と一緒に良く観たものだ。父がほとんど唯一好んだのが『兼高かおる世界の旅』だった。自分の嗜好をあまり口に出さなかった父だが、この番組だけは格別だったようだ。兼高さんは150カ国を訪れたそうだが、私が感心したのは、いかなる国のいかなる民族を訪問して現地の食べ物を勧められ、あるいは試食しても、決して断ることはなかったし、失礼な批評をしなかったことだ。これは容易いことのようで、決してそうではないことは、ずっと後年になってわりと気軽に海外旅行ができるようになると、いわゆ著名人たち・・・高名な歌人の妻だと言う人や女性小説家や、芸なしテレヴィ芸人などが、呆れるほど無教養さをさらけ出してアフリカの少数民族の家屋を「不潔」と罵り、なけなしの食べ物でもてなすのを「そんなもの食べられない」と拒絶する様をテレヴィの視聴者は見ることになる。私はそのたびに少年時代に感じ入った兼高さんの立派さ、本当の教養人、洗練された国際人を思った。 兼高かおるさんのご冥福を祈ります。
Jan 9, 2019
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一日ほぼ10時間の執筆がつづいている。ようやく7割くらいまでたどりつき、今後は細部描写と総合的なまとめに入って行く。 とはいえ、まだまだだ。構想していなかったアイデアが制作過程で生まれるので、しかも技術的になかなか厄介なことを思いつく。 逆に言えば、絵ができあがってくると、当初のイメージの不足に気がつくということだ。そういうとき、私は「作品が誕生を待っている」と思うことにしている。良い方向に行っているのだ、と。・・・今日の仕事を眺め、明日の段取りを図りながら・・・
Jan 6, 2019
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長年欠かさずTV観戦してきた箱根駅伝だが、今年は観なかった。東海大学が初の総合優勝だったようだ。青山学院大学は、5連覇ならず。往路がなぜか不振だったようで、しかし復路は驚異的な走りで復路優勝、総合2位。 長年TV観戦してきたとは言え、母校を応援していたわけでもない。どの大学チームを応援するというのではなく、競技中の互いの駆け引きやアスリート精神に興味がある。 今回観戦しなかったのは、自分の制作に忙しかったからではあるが、じつはテレビをまったく観なくなってもう1年半以上になる。文字通り、まったく観ていないのだ。昨年の箱根駅伝も観なかった。 観なくなってから気づいた。不自由も感じなければ、娯楽が無いとも感じない。案外つまらない番組揃いを観ていたようだ。ニュースの即時性こそ貴重だが、それとて代替媒体がある。残るは娯楽番組だけだから、子供騙しの、芸とも言えないような「芸」では、時間の無駄と観念した。 駅伝のTV観戦から横道に逸れだした。 それにしても、大学駅伝は4年間で代替わりして行くわけだ。かつて上位争いをしていたいくつもの大学がシード落ちをしているのを知ると、チーム力を維持して行くことの難しさを思わないではいられない。山梨学院大学、神奈川大学、大東文化大学等々・・・どうした、どうした。 あっ、もうひとつ。 東海大学のユニホームの色、変わった? ついでにもうひとつ。我が母校法政大学のアイデンティティ(ID)・カラー、あの濃紺(インディゴ)と橙色(オレンジ)の配色・・・ゾッとするなー。垢抜けないというか、私は54年昔の在学時から馴染めなかった。
Jan 4, 2019
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書くほどのことは全く無い。元日も今日2日も、午前10時から22時まで、食事以外は休むことなく作品制作である。このまま一月の日々がつづくだろう。また、そうしなければならない。
Jan 2, 2019
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Jan 1, 2019
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