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寒さ少しゆるみ 日脚伸ぶソーラー電池の時計にも 青穹(山田維史) 老いの身の日毎の沙汰も日脚伸ぶ 禅寺の入相(いりあい)の鐘日脚伸ぶ(追加) 明日ありと思えば影に日脚伸ぶ【Haiku】 Chill a little Hiashinobu solar-denchi no tokei ni mo The winter solstice has passed, the days of daylight are getting longer and on my solar-powered wristwatch Oi no mi no higoto no sata mo hiashinobu The winter solstice has passed, The day of day light and the day to day affairs of my aging body are getting longer Zendera no kane no koeshite hiashinobu The winter solstice has passed and the days are getting longer Evening bell of Zen temple rings in the sunlightTadami Yamada
Jan 30, 2023
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旧家のT氏宅の老松の幹が空洞になっており、ついにお祓いをして伐採したと言う。おそらく現当主T氏が生まれる前からの松なのであろう。その長命松の最期を「お祓い」で締めくくられたと言う話に、私は心を打たれた。T氏は言われた。「我が家を見守ってくれていた」と。 老松の祓いて命おわらしむ 青穹(山田維史) 私はT氏のお話を伺いながら、いくつかの事を思い出していた。 一つは、「鳥總松(とぶさまつ)」について。鳥總とは木樵が樹を伐採したとき、その一枝を切って伐採跡に立て、神に祈りを捧げることである。そこから派生して、正月の松飾りをおろしたときに、その一枝を門に立てかけておくようになった。その風習を「鳥總松」という。 私が亡母の在宅看護をしていた頃、2010年1月7日の拙句に、 ひと枝に祈りかくるや鳥總松 青穹 二つ目は、会津若松市の鶴ヶ城趾西出丸の西北角にあった老い松。美しい姿であった。私が中学生・高校生時代に親しんでいた松。18年前に42年ぶりに同市を訪ねたときに、懐かしいその老松に対面した。しかしその2年後に再訪したときには伐採されていた。戊辰戦争をくぐり抜けた、あの老いてなお美しかった姿を愛でる市民は、いなかったのであろうか。伐採するときにT氏のようにお祓いをしただろうか。 私が会津若松市を離れ東京住まいとなって今年でちょうど60年になる。 三つ目は、中上健次のオリジナル脚本による映画、柳町光男監督「火まつり」(1985年)。主演・北大路欣也、太地喜和子。 三重県熊野市二木島町が舞台。古代神話さながらの熊野の森で、北大路欣也が扮する木樵の青年が、「山の神さん俺の彼女じゃ、俺しか神さんを女にできるもんか」と、嵐の中で自然と会話し、巨木と一体となるために向かい合い、神の啓示を受る。町は海洋公園の建設が予定されており、町民の人心は老も若きも揺れていた。そして「火まつり」の夜、過剰な生の荒ぶる魂を負った青年は、熊野一族7人を猟銃で殺害する。・・・この映画より5年前に起こった実際の事件をモデルとしている。が、映画はもちろん中上健次の創造した世界である。紀州熊野の伝説と土着信仰が生き、また押し寄せる「現代化」との間で生きる人々の町だ。映画『火まつり』 初公開時のチラシ(私の資料ファイルより)
Jan 28, 2023
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風呂 寒波寄せ出るに出られず長湯かな 青穹(山田維史) 信州地獄谷野猿公苑 雪猿やあゝびばのんのん長湯かな 雪猿や此の世極楽地獄谷
Jan 27, 2023
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元・獨協大学教授の西勝(筆名;仁科悟朗)氏が亡くなられたと夫人から知らされた。享年86。 もう大変長らくお目にかかっていなかったが、私は、仁科悟朗名の御著書『南方熊楠の生涯』(新人物往来社刊)の装丁をしている。私自身が南方熊楠を敬愛していたので、この装丁を喜んでお引き受けしたことを思い出す。わたしの装丁の仕事としては、「絵のない装丁」である。 岩肌のようなシボのある紙を使用。題字は日展会友・毎日書道展審査会員の鈴木一敬氏に揮毫をお願いした。背景の網の目状の模様は木の葉を薬品処理して葉脈だけを残し、拡大コピーしたものをデザインした。熊楠の粘菌研究のイメージを象徴的に表現したかったのだ。パープルの部分はパールが含まれている。これも粘菌のイメージから。この装丁はコスト高になったけれど、編集者の故椎名八束氏が二つ返事で了承してくれた。 西勝教授のご著書の私の装丁はこれ一冊だけだが、その後も西教授からは国際教育プロジェクト等について、また大学退任後も広い視野にたった活動について、お葉書を頂戴していた。 仁科悟朗こと西勝氏のご逝去を追悼いたします。
Jan 26, 2023
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午前中、映画『ヒトラーのための虐殺会議 (原題;THE CONFERENCE)』を観に出かけた。監督マッティ・ゲショネック、2022年作ドイツ映画。 本作は全く戦場が登場しない戦争映画。1942年1月20日にヴァンゼーン湖畔の或る大邸宅で行われたナチス親衛隊高官と政府高官との会議の実際の議事録にもとづく。議題は「1,000万のユダヤ人絶滅政策について ①移送 ②強制収容と労働 ③計画的殺害」。出席者は高官15名と秘書1名。 上映時間112分、ほぼ全編が会議の様子に終始する。室内ディスカッション映画だ。しかし大声をあげて討論するのではなく、きわめて静かに淡々と会議は進められて行く。それだけに俳優たちの技量と存在感がものを言う。恐ろしくも、素晴らしい。 ヒトラーの目指すユダヤ人絶滅計画に、誰一人反対しない。出席者それぞれの立場の維持に意を尽くす以外は、ビジネスとして虐殺計画を実行に移す算段をする。この会議以降、ホロコーストは加速し、最終的には600万のユダヤ人が殺害された。この映画はフィクションではない。事実を再現しているのだ。しかもドイツの映画人によって。彼らは自らの負の歴史を白日のもとに曝け出す勇気を持っていた。監督は劇場パンフレットの中で次のように述べている。「法律を学んでいたはずのナチスの高官たちが生産会議を行うかのように冷静にこの手続きを進めていた。彼らには道徳的懸念が一切なかった。」 私はこのブログ日記において、政治的な事柄や世界の現状について私見を述べる時に、政治評論家や時事解説者がその言論において立脚しないような視点にあえて立って述べてきた。一つの時事的現象を各論的に分析して論述することは重要であるが、そのような立脚点は、往々にして「人間」についての考察から離れてしまう。民族的・文化的な精神構造や社会心理から遊離した即事的な論述に終わってしまう。私はしばしば、「隷従」とか「扈従」という言葉や「サディズム」という言葉を使って或る事態について述べた。『ヒトラーのための虐殺会議』において或る高官が言う。「ユダヤ人は男も女も学ぶことを禁止する。計算は小学生程度でよい。そうすれば奴隷化できる」。障害者や高齢者は殺害する。残った者を労働力として使役し、労働に堪えられなくなった者は自滅するか殺害する。そうすれば経済的で効率的だ、と。あるいは、「若い兵士に絶滅収容所のユダヤ人を毎日何百人も銃殺させていると兵士にサディズムが出て来る。若者個人がサディストになるのは気の毒だが、国家のためには仕方がない」。 私がしばしば私見として論述していたことは、まさにこの高官が口にしたこと、現在世界の各地で出来(しゅったい)していることであり、また、我が日本社会にもその芽が兆しつつあるのである。かつてナチス・ドイツと日本が同盟を結んでいたことも心に留めておかなければなるまい。その暴力専門ファシズム国家だった当時の残滓が、現在も潜在していないかどうか、心する必要がある。「ナチスのやり方にならうとよい」と公言する大臣がいる日本。他人事ではないのである。映画館パンフレット発行・編集;クロックワークス。デザイン;成瀬慧。
Jan 25, 2023
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寒波 肩先の冷えに引上ぐ綿蒲団 青穹(山田維史) 後朝(きぬぎぬ)や着せかけもしよ冬牡丹
Jan 25, 2023
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新聞等で大寒波に対する備えを呼びかけている。今週いっぱいは注意が必要だ、と。 先日私がこの日記に書いたことだが、水道局も凍結への備えと、凍結による水道管破裂が起こりうることへの注意喚起をしている。おおげさなようだが、「備えあれば憂い無し」である。何事も起らなければ、それでよいのだから。 さて、私はさきほど、庭の植木や地植えの植物に、寒冷避けの覆いをした。段ボール箱をすっぽり被せたり、ボロ布や新聞紙やエアクッションシートなどを巻き付けた。それで避寒効果があるかどうかは実のところ判らない。 亡父が、あるとき何を思ったのか、シンビジウムを地植えにしてしまった。私は「あれれ!」と思ったが、黙っていた。そのシンビジウムがそのまますでに20年も生きつづけている。その間、私は毎年大寒の頃に、寒さ避けの覆いをしてきた。人間と同じように、年を重ねるうちに株は小さくなっている。しかし枯れもせずに、濃い緑の剣葉を冬のさなかにも繁らせている。さきほど私は葉をまとめ、段ボール箱を被せ、風で飛ばないようにレンガを箱の上にのせた。「温かい!」と喜んでいるのかどうだか・・・ 寒菊や年々同じ庭の隅 虚子 我家の場合は、菊ではなくシンビジウムである。
Jan 23, 2023
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暦の上では昨日あたりが大寒であった。まさにそのとおりになるらしく、気象予報は全国的な大寒波襲来を告げている。当市でも明日21日の最高気温が8℃、最低気温がマイナス3℃が予想されている。零下が三日ほどつづくようだ。 さっそく水道の凍結予防のため元栓を締めた。我家の場合、元栓から各蛇口までの距離が長い。そのため元栓を締めずに放置しておくと凍結しやすいのである。これまでの経験から分かったことだ。と言っても、必ずしも気温が零下になれば起るのではない。20年ばかりの間に3回くらいのことだ。 しかし日用水の事は、回数の問題ではない。かつて世田谷に住んでいたころ、隣家から爆発音とともにものすごい水音が聞えた。隣家は借家でたまたま留守だったのだが、凍結した水道の氷膨張の圧力で水道管が破壊したのだった。私は家主の家に駆け、急報した。もちろんその間に家の中は水浸しになってしまったようだ。 ・・・と言うわけで、水道凍結はなかなか高を括れない。私が、水を汲み置きすると、さっさと元栓を締めるのは、かつての隣家の惨状を思い出すからである。 大寒や更けゆくほどに身をちぢめ 青穹(山田維史) 大寒や夜の街行く灯油売り【Haaiku】 Daikan ya fukeyuku hodo ni mi wo chijime The cold weather and the darker it gets, the more I shrink Daikan ya yoru no machi yuku touyu uri The cold weatger A kerosene seller who goes to the night townTadami Yamada
Jan 21, 2023
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きょうは、昨年退任した民生委員の地区仲間8人が寿司屋で顔をあわせ、昼食会。 2ヶ月ぶりに会ったのだが、なんとなく懐かしい。みな重責から解放されて、「肩の荷がおりた」と、にこやかだ。 大将の握る鮨も伝統的日本料理の数々も、じつに美味い。仲間は土地の旧家の人たちばかりなので、大将とは顔なじみ。しかし大将はただ静かに調理している。我々は雑談に花が咲く。10日前に予約して、昼間ということもあり貸し切り同様のわれわれだけの店内は、笑い声が絶えない。返り際に大将に挨拶すると、大将が合掌をしたので私は胸を突かれた。この大将だからこその見事なメニュー、品の良い味だったのだ、と。 2時間半の楽しい昼食会だった。 ちょっと私の舌が覚えているメニューを書き出してみようか。さて、すべてを再現できるかなぁ。 握り鮨;鮪中とろ、アオリ烏賊、海老2種、赤貝、いくら軍艦巻、子持昆布。 巻き鮨;穴子太巻(煮穴子で酢飯を巻く)。 先付;バイ貝壷焼、蚕豆翡翠煮、白和えレモン盛り、厚焼玉子、焼鰆、薑、花穂紫蘇。 煮物;鱈子、八頭、和人参、菜の花。 造り;目撥鮪、真鯛、海老、つま(大根、大葉)、山葵。 揚物;大海老天麩羅、獅子唐。 酢物;鮟肝と若布のポン酢。 蒸物;茶碗蒸。 吸い物;大蛤、三葉。 菓子;アイスクリームと苺のウエハース皿盛り(器;黄交趾高杯)。緑茶。
Jan 20, 2023
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昼前、画廊の社長から電話あり。お互いに遅ればせの新年の挨拶をかわす。なかなかお忙しいようで、まことに結構である。しかし、お話しの様子から推測するに、海外取引においては様々な局面でやはり円安が大きくひびいているようだ。なかなか国際展のプランニングもしにくいかもしれない。 社長は元々スポーツマン(少年サッカーチームのコーチ。教え子に日本代表になったスター選手がいる)なので、快活な明るい声だ。じつはそれだからこそ、私はその人柄は判断できても、事、ビジネスに関してはなかなか真意を見抜けない。まあ、私自身も決して内心を吐露していないのだけれども。そして私はただ黙々と作品を制作していればいいのだが。・・・淡々と。そう、淡々と、ね。
Jan 19, 2023
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小説家で精神科医の加賀乙彦氏が亡くなられた。享年93。 加賀乙彦氏について私があらためて述べることはない。私が読者であるということだけだ。しかしながら、・・・何と云ったらよいか。派生的というのでもないのだが、・・・私はかつてただ一度、ある方とお話しする機会があった。後に私はそのときのことを思い出して冷や汗が出たけれど、しかし実に嬉しい機会だった。 その方のお話が、死に臨む人間のひとつの「生き方」を私におしえてくださったのだ。それはその方自身の経験されたことであったが、生命の在り様というより、「人間」としての在り様だと私は思った。すなわち「知性」をとことん磨きつづけること。・・・死とは、脳が蓄えた、身体が蓄えた、いわば知的宝庫を完全に無化してしまう現象。人間一人の細胞の明確な数は不明だが、37兆億〜60兆億と言われている。その精密な構造体が完全消滅する。人類史上に特別なあの人の知性もこの人の博学も、あの人の技術もこの人の創造力も、その死とともに消滅してしまった。斯くのごとく死とは、二度と回復不能の決定的な現象である。(復活再生だって? 何を寝言を云っている!)・・・しかし、その間近に迫った死に向いながら、その方の日常は、人智を探りご自身の脳に知を蓄えることであられた。 その方は、ご自分の経験をいともさらりと話された。私が上に述べたことは、私が感受したことであって、その方が勿体をつけて話されたのではない。しかもほかで話されたことのない話らしかった。私は静かに聴き入り、そして感動したのだ。これこそが人間の生死なのだ、と。 私は、その方がどなたであるかをここに書かない。このときのことを思い出すと冷や汗が出ると言ったのは、じつはこの方が誰であるかを知ったのは、後日だったからだ。私は誰とも存じ上げずにお話しをしていたのだった。そしてそれは、私がたまたまその日迄読んでいた加賀乙彦氏の作品について、その方にお話ししていたことに端を発していた。もう25年以上前のことである。 加賀乙彦氏の作品のお引き合わせだったと思いながら、加賀氏のご逝去を追悼いたします。
Jan 18, 2023
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山田維史
Jan 17, 2023
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1月16日は昔なら「藪入り」。大店の商家などで住み込みの使用人にわずか1日の仕事休みを与えた。使用人達は親元へ帰る者もあれば、帰るところがない者は寺や神社に参拝したり遊楽に過ごしたようだ。明治時代から昭和初期には東京の使用人達は浅草へ遊びに行ったりもしたらしい。 「藪入り」の風俗はおそらく今ではどこにも残っていないだろう。雇用関係が昔と今とでは全く異なる。昔は雇用関係はほとんどの場合住み込みで、「主従」の関係であった。 その「藪入り」を江戸時代の俳句に見てみよう。 やぶ入りの夢や小豆の煮るうち 与謝蕪村(1716-1783) ◉きっと15日の「小豆粥」の日なのだ。明ければ16日は「薮入り」。一年間待ちに待ったその日を、廚下働きの女が、小豆が煮えるまであれやこれやと夢に描いている。 やぶ入りや浪花を出て長柄川 蕪村 ◉休みをもらった者が、おそらく浪花の商家であろう主家を出て、長柄川(ながらがわ;現在の大阪市北区の北東部の中津川)の里までやってきた。 やぶいりや守袋をわすれ草 蕪村 ◉「あっ、しまった! 御守袋を持って来るのを忘れた!」薮入りで帰省する途中で気がついた。「わすれ草」は甘草(カンゾウ)のこと。甘味料として使われた。また、心配ごとを忘れさせる草、という意味もある。この句では、帰省土産に甘味料の甘草をたずさえたのであろう。そしてまた、親元へ帰る嬉しさに、日頃の心配事などふっとんでしまった。それでついつい御守袋を忘れてしまったのだ。「わすれ草」に、二つの意味を掛けている。 やぶ入りや琴かき鳴す親の前 炭太祇(たんたいぎ;1709-1771) ◉里に帰った娘が親の前で琴を演奏する。主家勤めでも琴を習わしてもらっているのかもしれない。「私は苦労してはいないから、お父っつあんもおっかさんも安心してください」という娘心。 やぶ入りの我に遅しや親の足 高井几董(きとう;1741-1789) ◉しばらくぶりで里に帰ってみれば、一緒に歩く親の足が遅い。ああ、すっかり年を取られたなァ。 養父入りや行燈の下の物語 黒柳召波(1727-1771) ◉ 藪入りは「養父入り」と書くこともある。この句では実際、養父だったのかもしれない。しばらくぶりに会って、夜がふけるまで行燈のあかりの元で積もる話をしている。
Jan 16, 2023
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今朝、非常に大きな音で3度ほど爆発音がした。我が家のガラス窓が振動した。音響の性質から打ち上げ花火だと思ったが、いったい何があったのだろう。わずか一地域一町内の行事であったとしても、爆発音は広範囲に響き渡る。情報を持たない住人は何事と驚くだろう。その後1時間ほどして再びドーンと1度鳴った。何事かが終了したのかもしれない。それにしても人騒がせな日曜日の幕開けだった。 今日も昨日同様に本の山の整理。昼食は、お汁粉。
Jan 15, 2023
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明日15日は伝統的な年中行事では「小豆粥」あるいは「十五日粥」と称する日。小豆粥を炊き餅を入れて食す。 さて、我家ではこの年中行事を一日早く、今日、小豆を炊いた。粥にはせずに、善哉汁粉にして昼食とした。じつはたくさん小豆を炊いた。明日15日も切り餅を焼いて汁粉に入れて食べようという算段である。 昼食後、次弟と一緒に、足の踏み場がないほど3室目に山となった数千冊の書籍を整理しはじめた。おそらく片付くには1ヶ月は要するだろう。 ・・・そんな仕事をしながら、古い書類戸棚を見ると、思いがけない書類を発見した。おそらく亡母がまとめて遺したものであろう。私がまったく見たことがないものだった。 祖父が息子(私の亡父)の出生後に何かの必要があって戸籍抄本をとったらしく、その抄本。封書。あるいは祖父宛の役所からの住居表示変更(町名変更)の報告書。そして亡父の小学生時代や高等学校時代のすべての学業成績通知箋と学業優秀賞状。後年、就職してからの給料明細書。町議員時代の監査員任命書。 さらに、母の証書。私の小中高時代の学業成績通知簿、弟の学業成績通知簿、等々。 驚いた。本の整理を中断して、しばらく次弟とそれらの書類に見入った。 昨日、川上第二小学校に触れて書いたが、当時の私の学業成績簿が出てきたので、学校から家庭への通信欄の樋口カエ子先生の懐かしい筆跡の文字を読んだ。1年生時のそこには、私が学校で遊ぶようになった。これまで運動が少なかったので、そのまま遊ばせている。植物に関心があるようなので、家庭でも援助してほしい・・・と書いてあった。それに対して母は、近頃は遊ぶことが多くなり、勉強がおろそかになっているようだ。植物や蝶や昆虫への関心は強く、家庭でも支援している、と。 ハハハハ、たぶんその通りだった。私は帰宅すると苔類の標本を作っていた。講談社の物語絵本シリーズなどが揃っていた学級文庫をすべて読み終わったので、友達と遊び出したのだ。それまでは、休み時間は教室に一人ぽつんと残って本を読んでいたのだから。そんな私を、樋口先生は、運動が足りないと見ていらしたのだなぁ。 遠足のときに先生は私一人をそっと呼び、みんなと別れ、食虫植物の群生地に連れていってくださった。低学年はいわゆるクラブ活動はなかったが、先生は私を6年生の理科クラブに入れ、学校でも苔の観察ができる場をつくってくださった。父も小旅行の田舎駅で、私が指差す植物を汽車から飛び下りて採集してくれたり、会社に私を伴い試掘中の坑内で苔を採集するのをみまもっていてくれた。母は、私が学校にいる間に、ドブ溝から水棲幼虫などを採集して瓶に入れておいてくれた。あるいは私が毎日ノート一冊を書き終わるので、常にノートの買い置きをしてくれていた。・・・みな、通信簿に書かれているままに、樋口先生も両親も私のために実行してくださっていたのだなぁ。 これらの学業成績簿によって、私が通学した3小学校の当時の校長のすっかりわすれていたお名前も判った。 上記のような書類の発見で、私はこれまでまったく知らなかった・・・誰も話してくれなかった・・・祖父や曾祖父の時代の家族史の一つの事実を知った。しかし、もはや確認するすべはない。100年以上も前の幕末まで遡ることを知る人はもう誰もいない。
Jan 14, 2023
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午前中に雑用が一段落したとろでYouTubeで映画を観た。今井正監督『ひめゆりの塔』(昭和28・1953年、東映作品)である。現在、YouTubeにおいてホスト〈なつかしの映画〉氏が、戦前戦後のまさに懐かしの映画を放送している。私は時間を見つけては観ている。このシリーズ放送がいつまでつづくか分からないが、私にとってはまことにありがたいシリーズである。 さて、今井正監督『ひめゆりの塔』を私が観るのはおよそ70年ぶりだ。つまり私はこの作品を初公開時に観ていたのである。8歳であった。 昭和27年、敗戦国日本はこの年に国際的に独立国として承認された。同時にGHQは、掌握していた日本の映画製作の検閲を終了した。それによって戦後7年間、戦争映画を製作できなかった日本映画に、戦前戦中とは異なる精神、ことなる視点の戦争映画が生まれることとなった。 じつはGHQの検閲の最中にも、強い意志で、この戦争が何であったのかを問う映画は作られていた。昭和25年(1950)に東映が製作した関川秀雄監督『きけわだつみの声』。『戦没学徒兵の手記』を原作とし、八木保太郎構成、舟橋和郎脚本の反戦映画である。GHQが許可したのは、反戦映画だったからでろう。 次いで新藤兼人監督の『原爆の子』(昭和27・1952年、近代映画協会・劇団民芸提携作品)が生まれた。そして、『ひめゆりの塔』がつづいた。 以上の3作品は、戦後日本映画史上で特筆されるべき作品である。出演俳優たちが戦争を通過したばかりなのだから、ある意味で演技を超えて自らが経験した惨めな戦争を語る内的衝動があったのだ、と私は思う。戦争の経験から少しずつ遠くなってきた後年の日本戦争映画は、いささかならずセンチメンタルに、ロマンチックに、堕すようになった。しかし上記映画の制作スタッフも俳優たちも、戦時愛国主義のかけらに甘ったれてぶらさがることはできなかったであろう。 じつは、私は、『原爆の子』も初公開時に観ていた。『原爆の子』も『ひめゆりの塔』も、長野県の川上第二小学校の二階の音楽室を会場にして上映されたのである。普通の一教室であるから広いわけではない。観客は子どもたちばかり数十人。床に座って観た。たぶん映画鑑賞教室としての上映で、入室できる人数を限って、何回かに分けていたのかもしれない。私の最も早い映画に関係する記憶に残る2作品である。 私は小学1年生と2年生の1学期までを川上第二小学校で過ごした。この短い期間に、もうこのブログ日記に何度も書いたが、私の人生最高の教師・樋口カエ子先生に出逢った。そして今思い出してみると、映画鑑賞教室として『原爆の子』や『ひめゆりの塔』を子どもたちに見せた、この小学校の教育方針に有難さを感じ、また驚きもする。なぜなら、近年のことだが、『はだしのゲン』を学校図書館で閲覧禁止にした教育委員会もあるからだ。 私はいつも思うことなのだが、教育委員会は事、学校教育に関しては愚かなことばかりやっている。それはまさに「反教育」と言ったほうがよいような愚かさである。文部科学省も同様である。「類は類を呼ぶ」と言う。保身ゆえに視野が極端に狭い、学の中途半端な者たちが蝟集しているのではないかと、我ながら奇怪な疑念が湧く。 時代は移る。しかしながら私たちは、平和とは何であるかを歴史から学んだであろうか。現在、日本も世界も、自滅の方向へ進んでいる。人を欺き、盗み、犯し、殺し・・・将来的に、何百年も、あるいは千年も、決して癒えることがない人類に対する国家的犯罪が行われている。 かつてナチス政権下のドイツでは、知識層は国家の犯罪行為に対してそれを阻止するための如何なる努力もしなかった。国家の名のもとに600万人が殺害されるのを黙視していた。 いや、わが日本においても同様であった。知識層は努力をおこたった。戦争に進んで行った当時の日本がファシズム国家だったという議論に、疑問を提出する意見がある。・・・そうだろうか? 弁解はいくらでもできよう。しかし、軍国主義制度のなかで国民は自由を剥奪され、「御国に奉公(報恩報国滅私奉公)」という言葉で国民の生命がないがしろにされ、「弾」として用立てるために「産めよ、殖やせよ」と叱咤され、餓え、国家が暴力専門機関となっていた・・・その国が、ファシズム国家ではなくて何だったというのか。 私たちは、現在、他国の実情を鏡として過去の日本国を映すことができよう。その機会に立っているのだ。他国の暴力を批判・非難するのはよい。世界の安寧を願えばこそ当然の非難である。そして当該国の支配者に対してより、何よりも国民の実情を慮らなければならないからだ。しかし、その批判・非難するときに、過去の我身の振舞を反省する気持を忘れてはなるまい。YouTube今井正監督『ひめゆりの塔』【追悼】 14日の朝刊で、中山きく氏の御逝去を知った。 中山きく氏は、沖縄戦に16歳で動員され、「白梅学徒隊」として洞窟(ガマ)などで負傷兵の救助活動にあたられ、米軍の猛攻のなか辛くも生き延びられた。その経験を長らく自ら語ることはなかったが、戦後50年を過ぎた頃から、他の学徒隊(全9隊)の消息とともに正確な記録を残すべく多大な尽力をされた。 私は、昨日、まったく偶然に、中山氏の所属された「白梅学徒隊」とは別動隊である「ひめゆり学徒隊」の悲惨な最期を描いた映画を観た。今私は中山氏の死去のニュースに驚いている。 中山きく氏、享年94。 衷心よりご冥福を祈ります。 山田維史 合掌
Jan 13, 2023
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寒雀 ふたすじの轍残りて寒雀 青穹(山田維史) 山道をチョンチョンはねて寒雀 明けてまた身の旅月や寒雀【Haiku】 Cold winter sparrows Futasuji no wadachi nokorite kansuzune Two streaks of ruts remain on the mountain path, on my life. A cold sparrow is playing Yamamichi wo chon-chon hanete kansuzume Jumping down the mountain path, playing or looking for something, A cold winter sparrow Akete mata mi no tabizuki ya kansuzume At dawn, the moon travels, and the journey of life begins again A cold winter sparrowTadami Yamada
Jan 12, 2023
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山田維史「自画像 2023年1月11日午後8時45分」
Jan 11, 2023
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寒風荒れて 寒風や今朝は軒端を走り抜け 青穹(山田維史) 寒風や折った小枝を置き土産 寒月や見送る袖の名残かな 寒見舞い水茎薄く膝に落つ 寒見舞い春の袖とり連れて来よ【Haiku】 Rough with cold wind Kanpuu ya kesa wa nokiba wo hasirinuke A cold wind ran wildly through the eaves this mornibg Kanpuu ya otta koeda wo okimiyage A cold wind Put the broken twig in front of my entrance as a souvenir Kangetsu ya miokuru sode no nagori kana A cold moon, I wonder if it's a remnant of the scent of your sleeves to see off Kan-mimai mizuguki usuku hiza ni otsu A card of mourning in the cold A drop of its thin ink falls on my knees Kan-mimai haru no sode tori tsurete koyo A visit in the cold winter Take the sleeves of spring and bring them to meTadami Yamada
Jan 10, 2023
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成人の日に 千両を挿頭(かざし)にせよと童女泣き 青穹(山田維史) 千両や老木に添う丈となり【Haiku】 Senryo (botanic, Chloranthus glaber Makino) of The Coming-of-age Day Senryo wo kazasi ni seyo to dojo naki A little girl crying while asking her mother to put Senryo's red fruits on her head Senryo ya rouboku ni sou take to nari The Senryo is now tall enough to snuggle up to the old tree of my gardenTadami Yamada
Jan 9, 2023
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冬椿 冬椿ひとひら降りし竹籬(まがき) 青穹(山田維史) 垣越しに侘助散らす独り者【Haiku】 Winter Camellia Benitsubaki hitohira kakaru takemagaki Green bamboo fence with a single petal of winter camellia falling down Kakigoshi ni Wabisuke chirasu hitorimono The camellia called "Lonesome guy" fall over the fence, bachelor's houseTadami Yamada
Jan 8, 2023
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山田維史『自画像 2023年1月6日』
Jan 7, 2023
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松納め 松とれて少し寂しき家灯り 青穹(山田維史) 松とれて月影過ぎる門柱 松とれて月は過ぎ行くばかりなり ひとづてに梅咲くと聞く松納め 禅寺の鐘がおいつく明け鴉 (追記) 松とりてしばし佇む門の内 七草粥 冷水も今日は七草春近し 七草や今年の高値如何にせん 七草や戦火に焼かる野もありぬ【Haiku】 Take off the pine decoration Matsu torete sukoshi sabishiki ie-akari Take off the New Year's Pine Gate Decoration House lights feel a little lonely Matsu torete tsukikage sugiru kadobasira Take off the New Year's Pain Gate Decoration are took The moon passes over the gateposts Matsu-osame toki no sugiyuku bakari nari The day of taking off the pine of New Year's gate decoration. Time just goes by ... Hitozute ni ume saku to kiku matsu-osame Plum blossoms are said to bloom The day of taking off the pine of New Year's gate decoration Zendera no kane ga oitsuku akegarasu The bells of the Zen temple are ringing as if chasing after the crows cry at dawn Rice porridge with seven herbs on January 7 Reisui mo kyou wa nanakusa haru chikashi It's cold water, but today it's rice porridge with seven herbs Spring is near Nanakusa ya kotoshi no takane ikani sen The nanakusa is expensive this year. Now, what should I do with tradition of seven herbs porridge? Nanakusa ya sennka ni yakaru no mo arinu The tradition of seven herbs porridge day. There are also war-torn fields, the seven herbs of spring cannot be pickedTadami Yamada
Jan 7, 2023
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初笑い この元気なるほど喜寿よ初笑い 青穹(山田維史) こぞことし生きてこそよの初笑い おもしろや笑って暮らし初笑い 初笑い他我ためなれば吾がため【Haiku】 New Year's First Laugh Kono genki naruhodo Kijyu yo Hatsuwarai My energy is, indeed, as the old saying goes, I'm a happy seventy-seven years old. New Year's the first laugh Kozo-kotoshi ikite koso yo no hatsuwarai Last year this year, New Year's laughter only because I'm alive Omoshiro ya waratte kurashi hatsuwarai I have lived happily and laughing. And now, the first laugh of the New Year Hatsuwarai taga tame nareba warega tame New year's the first laugh If it's for others, it's for meTadami Yamada
Jan 6, 2023
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三ヶ日明け五句 三ヶ日すんでみたれば何あらん 青穹(山田維史) 三ヶ日明けて雑煮も終いなり 忍界(にんかい)や御用始のストリート* 戸を叩く御用始の神仏(かみほとけ)** 騎初(のりぞめ)や天馬を駆ける霧の中*** 【*註】忍界(にんかい);苦渋忍耐の人間世界 【**註】玄関のベルが鳴った。何やらの宗教勧誘だった。お生憎様、訪ねた相手が悪かったろう。 【***註】乗馬を習おうかと思っていた旧友がなくなった。【Haiku】 Five haiku of the first three days of the new year Sanganichi sunnde mitareba nani aran Nothing happened what the first three days of the New Year that it is Sanganichi akete zoni mo shimai nari The end of the first three days of the new year, and in the meantime, the Zoni that I got tired of eating is over Ninkai ya goyohajime no sutoriito The human world of bitter endurance After the New Year's holidays are over, the street people are busily walking to work To wo tataku goyohajime no kami-hotoke Gods and Buddhas nock on doors to religious recruitment at the Beginning of New Year's Work Norizome ya tenma wo kakeru kiri no naka New Year's the First Horse Riding the Pegasus run in the winter fogTadami Yamada
Jan 4, 2023
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昼前に従姉から電話があった。一年数ヶ月ぶりだ。従姉は86歳。私とは9歳違い。互いに背筋もシャンとして元気であることを祝った。 しかし年老いると、やはり昔話に花が咲く。私が訪ねて行くと言いながら、なかなかできずにいるので、ついつい長電話になる。1時間も話していただろう。 99歳で亡くなった私の祖母の思い出話まであった。もちろん従姉の父親の母であるから、従姉の祖母でもある。 私は少年時代から親や弟達から遠く離れて一人の暮らしだったので、祖母に会ったことは幼年時代から思い出しても数える程しかない。その全てを思い出すことができるが、素晴らしい人だった。 最後に会ったのは私が大学2年の夏。その時、祖母は、「私はあと三年しか生きられないから、タダミさんに会うのはこれが最後でしょう。達者で暮らしなさいよ」と、おっしゃった。そして、その通りになった。 さて、私は99歳まで生きて作品を作り続けられるだろうか。祖母は僧侶である伯父のオートバイの後ろに乗って、亡くなる直前まで風を切るスピードを楽しんでいたそうだが・・・ すごいねー、明治初年生まれの女性は! ・・・従姉もまた、祖母には良い思い出しかない、と言った。
Jan 3, 2023
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昼食後、DVDで映画を観た。すでに何度も観ているが、黒澤明監督が松竹で撮った『醜聞(スキャンダル)』である。主演は三船敏郎、山口淑子、志村喬、小澤榮。 ところで映画の中程で、クリスマスのシーンがある。志村喬が演じる蛭田弁護士が街頭でサンドイットマンからいきなり、「メリー・クリスマス」と、広告ビラを差し出される。即座にカットが切り替わり、画面いっぱいに華やかなクリスマスツリーの飾りが映る。カメラが引くと、オートバイに跨った三船敏郎演じる画家青江が、荷台に大きなクリスマスツリーを乗せて走っている。 じつは私は、サンドイッチマンが「メリー・クリスマス」と大声で言ったときに、不意に、64年前のクリスマス・イヴの出来事を思い出したのである。私は13歳、中学1年生。それは当時、会津若松市栄町に在ったキリスト教の教会でのことだった。 その教会は、昭和30年代当時、若松女子高等学校前の十字路の角の斎藤米穀店の前を神明通りに向かって、たしか50メートルほどだったと思うが、右側にあった。教会の大きな表札はあったが、外観は普通の一般家屋のようだった。玄関を入ると左側が20畳ほどの礼拝室、玄関突き当たりはシスターあるいは女性院長の私室らしかった。院長は外国人だった。 ・・・私はその頃、大学生荒木さんを家庭教師として英語を習っていた。しばらくして荒木さんに都合ができて来られなくなり、代わりにご近所だった大学のN教授のお嬢さんを紹介してくれた。しかしお嬢さんの授業法は私の(気短い)性格には合わなかった。N教授邸に伺ったのはたった2度だけだったと記憶する。じつは、家庭教師の荒木さんが、もう一人紹介してくれたのが、栄町教会の外国人女性院長だった。 最初は聖書講読だった。私は母から譲り受けた聖書を持参した。ある時、講読の最中に院長が、ある一節を私に朗読するよう命じた。私は、読んだ。読みおわると院長が側にやってきて、私の聖書を見せてくれと言った。院長は私の聖書をつくずく観て、「貴重な聖書を持っていますね。大切にしてください」とおっしゃった。その聖書は古いもので、現代日本語訳ではなく、旧仮名による文語体だったのである。 そんなことがあったからかもしれないが、ある日、院長は私を私室(ないし応接室)に招いてくださった。クッキーをご馳走してくださり、院長の故郷の写真を立体装置で観せてくださった。何を話したか、全く覚えていないが、その日はクリスマス・イヴだった。私は辞去するときに、ドアまで見送ってくださった院長を振り返り、「メリー・クリスマス」と挨拶した。 ・・・すると、院長はちょっと改まった風に、「メリー・クリスマスという意味を知っていますか?」とおっしゃったのだ。私は、「はい、存じておるつもりです」と返事した。「そうですか」と、院長はおっしゃった。 私は、後から、院長は何故あんなことを私に訊いたのだろう、と思った。 私は考え続けた。そして一つの結論を導き出した。メリー(merry)というのは、愉快な、楽しい、という意味だ。「メリー・クリスマス」と言いながら馬鹿騒ぎをする人たちもいる。教会の院長にとって・・・真の信仰者にとって、クリスマスは愉快とか楽しいと言って済まされない行事なのだ、と。キリスト教信仰者ではない私は、何気無い気軽な挨拶として「メリー・クリスマス」と言った。私は、相手を間違えたのだ。 ・・・13歳の私は気がついた。 映画『醜聞(スキャンダル)』を観ながら、不意に思い出した64年前の出来事であった。映画の中にクリスマスを酒場で馬鹿騒ぎする場面があった。 ちなみに、私が母から貰った例の聖書は、母が若い頃に(無論、戦前)母の兄から記念に贈られたもの。伯父と母兄妹は代々の、しかも高位の僧の由緒ある仏教寺院の生まれである。それがキリスト教聖書を贈ることに疑問を抱く人がいるかもしれない。が、実のところ「信仰」とは何の関係もなく(と言っては、キリスト者には申し訳ないが)、要するに「教養」として読んでおくべき「本」だったのである。 そのような考えは、私自身も全く同じである。私は無信仰者、無神論者である。しかし、原始仏典はもとより、道教関係書、キリスト教関係書、その異端とされた書物、またイスラム関係書等々を読んできた。人間が何を考えてきたのか、何を「幻想」してきたのか、どうすることを善しとし、どう失敗してきたのか、また失敗しつづけているのか。・・・私は、それを知りたいがためである。私は、あらゆる宗教が、現代の世界の平和に寄与しているとは全く思わないからである。しかしながら、人類が宗教を捨てきれないならば、せめてあらゆる宗教の根本教義の中に、共通の「平和論」を探り当てなければならないだろう。その発見に至る私の道は、私の「教養」に掛かっている。そう考えている。
Jan 2, 2023
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2023年元旦 元日の空青々と青々と 青穹(山田維史) 初明りひんがしの空にしの空 祝い膳用意するまの初鴉【Haiku】 New Year's Day 2023 Ganjitsu no sora ao ao to ao ao to New Year's Day sky pure blue, pure blue pure blue, pure blue Hatsu-akari hinbashi no sora nishi no sora New Year's shine light in the eastern sky in the western sky Iwai-zen youi suru ma no hatsugarasu While preparing the celebratory meal for New Year's Day the first crow crowsTadami Yamada
Jan 1, 2023
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Jan 1, 2023
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