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古家ありて一輪の梅ただうれし 青穹 他家の梅借りて一句をものしけり 梅が枝に去年(こぞ)の想いを忘れけり しずごころととのいしかば夜の梅 白梅の匂いうつせし青坊主
Jan 31, 2010
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早いものでもう一月も終りだ。昨年1年間に、俳句を315句つくった。老母の看護のため、長時間の集中を要する大きな絵画制作に取り組めないので、胸のなかに燻りつづける創作意欲を枯れさせないためにも、せめて日々の感覚を俳句にでもと思ったのだ。秀作をつくるための推敲などは端から考えないことにして。 さて、315句を読み直してみて、それならば今年は1,000句をめざそうかという気持になった。1日に3句つくれば、大晦日までには1,000句に達するかもしれないと、単純に計算してのことだ。 思い立ったら即座に実行に移すのが私のヘキ。正月元旦から始めたのである。 そして、きょう1月30日。次の2句で、じつは95句になる。・・・あした、5句できれば、月に100句で、年間1,000句にとどくかもしれない。とにかく何かでガンジガラミになっているときは、さらにガンジガラミの他事で精神を解放するというのが、私の生き方なのである。 ひとすじの飛行機雲の桜いろ 青穹 夕富士の影あわあわと春や春
Jan 30, 2010
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夕刊を見たとたんに「J.D.サリンジャー氏死去」の文字が飛込んで来た。享年91歳。 サリンジャーは、1919年ニューヨーク市に生まれた。世界的なベストセラー小説『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye, 1951)で知られ、同書は、50年代60年代には、アメリカの青年にとっては必読書といわれた。日本でも1964年に野崎孝訳が白水社から刊行され、政治の季節にあった大学生たちの一種のバイブルになった。私もまた例外ではない。サリンジャー文学のテーマは、「純粋と欺瞞との相剋」といって良いだろう。繊細な神経の若者の純粋に対する大人社会の虚偽と欺瞞という構図である。それは青春文学の永遠のテーマだ。 ところで、日本で『ライ麦畑でつかまえて』が翻訳されたのは、野崎訳が最初ではない。サリンジャーが51年に発表した翌52年に、早くも橋本福夫が『危険な年齢』というタイトルでダヴィッド社から刊行している。このように意外に早い翻訳刊行にもかかわらず、その後、この作品以外に翻訳はされなかった。60年代に入ってようやく、『朝日ジャーナル』などや評論家がサリンジャーという小説家の動向をさぐるようになった。というのは、サリンジャーの私的な部分はほとんど知られていず、またサリンジャー本人がほとんど公の場に姿を見せることを嫌ったからだ。1965年に『ハプワース16、1924』を発表して以後は、ニューハンプシャー州の片田舎に隠棲し、ときには行方不明とさえいわれることがあった。 私が所蔵している繁尾久・武田勝彦共訳『J・D・サリンジャー作品集』(文建書房刊)は1964年に刊行されたもので、いわゆる自選作品『九つの物語』(Nine Stories)の全訳である。 私は学生時代、これに収録されている会話体の『バナナフィッシュ』(A Perfect Day for Bananafish)を繰り返し読んだものだ。全体の半分は主人公シーモアが登場せず、恋人ミューリエルとその母親との電話によるシーモアについての会話が延々とつづく。後半は、主人公が滞在しているホテルの客シビルと主人公との噛み合わないやりとり。そして小説の終末わずか数行のところでシーモアが突然拳銃自殺する。戦争で神経を病んだ青年の不安定を、みごとに表現しているのだ。「バナナフィッシュ」とは、バナナの穴にもぐりこんで、中でバナナを喰って肥り、ついに穴から出られなくなり死んでしまう魚のこと。・・・J・D・サリンジャーは禅に関心があったようで、『バナナフィッシュ』にもその影響が感じられる。また、『九つの物語』の扉には次のような言葉が掲げられている。すなわち、「両手をたたく音をわれわれは知っている。しかし、片手をたたく音はなにか? ---禅の公案」。 所蔵しているはずの野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』は見つからなかったが、繁尾久・武田勝彦共訳『J・D・サリンジャー作品集』と荒地出版社刊新装版「サリンジャー選集」から第三巻の刈田元司・渥美昭夫共訳『倒錯の森〈短編集II〉』の書影を掲載して、サリンジャー氏を追悼する。 荒地出版社の装丁にサリンジャーの写真が使用されているが、これは貴重な例である。氏は肖像写真の使用を拒否していたと言われる。
Jan 29, 2010
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紅白の梅咲きて春競えけり 青穹 梅はまだかと問う前に咲くを見る 白梅のちらりほらりとやや淋し 紅梅や化粧鏡の紅のあと 紅梅や腰折れ枝に花の稚児
Jan 29, 2010
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東京は、午後、ひさしぶりの雨が降った。ほんの「お湿り」程度だったが、これが慈雨となったか、庭の地植の桜草の小さな蕾が「おや!」と目につくほどに、花弁の白い先端をのぞかせた。 我家の桜草は、たった一株が、毎年花期がおわると種が勝手に飛散って、思いもしない所に芽をだし、根付いたものだ。繁殖力が旺盛だし、冬のさなかに澄んだ緑色の葉を活き活きとひらいている。ピンクの小花に似合わない強い植物だ。 「三寒四温」というのは、元来、満州や朝鮮半島あたりの周期的にあらわれる寒暖の変化を言ったようだ。かならずしも冬期とは限らないらしいが、冬期において顕著な現象である。 それはともかく、実際、三寒四温とはよく言ったもので、このところ寒さと温かさが交替でやってくる。きのうは顔に当たる風が冷たく感じた。そして、きょうは桜草の蕾みが出たというわけだ。 気付かずや花の固芽や四温かな 青穹
Jan 28, 2010
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私がイラストレーターとして出発したばかりの頃、いまから36年前のはじめての大仕事、講談社刊行のドラゴン・ブックスについては、このブログで1,2度書いたことがある。全11巻の児童書で、私はそのほとんどに執筆している。そして、それらの本は、たぶん現在でも保存箱に残っているはずだ。 ところで、今夜、老母に経管栄養を入れながらテレビで『なんでも鑑定団』を見ていた。すると「出張鑑定 in むつ市」のコーナーで、ドラゴン・ブックス全巻揃いを持ち込んだ人がいた。ネット・オークションでバラで出ているのを見たことがあるが、この番組に同書が出て来たのは初めてではないか? 鑑定依頼者は、近年になってそれらを買い揃えたという。買い値は25万円だったそうだ。その価格だけでも私には驚きだが、さて鑑定は? なんと、80万円! これには、駆け出しだった執筆者としてはビックリ。 いや、その価格ばかりではなく、原稿の描き方さえ知らないような駆け出し時代の仕事が、こうして36年も経って生き返ってくるなどとは、当時、想像もしなかったことだ。嬉しいというより、恥ずかしく、また恐ろしい気持がする。 そういえば、つい数日前にも、ネット・オークションに私のやった仕事が出たと知らされたばかりだ。ドラゴン・ブックスから2年後の、国書刊行会刊ドラキュラ叢書全10巻の完璧な美本である。 あるいは、私のブログを見ていてくださる石川誠壱さんのブログに、山田正紀さんの短篇小説『呪われた翼』を収録する本が掲載されていたが、この短篇は1976年に「高一コース」に2度に分けて発表され、その挿画は私が描いている。記録を見ると、5月の1週間でこの原稿をあげ、6月2日にはドラキュラ叢書に取りかかっている。 ・・・若いときの自分の仕事が、いま、亡霊のようにさまよっている。テレビを見ながら、そんな感慨にとらわれたのだった。
Jan 26, 2010
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リハビリの掛け声たかく待つ春や 青穹 天翔る花の兄者や初天神 逢い見んと飛びゆく梅や初天神 大いなる鷹の影過ぎ昼の月
Jan 25, 2010
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静けさの積りゆく部屋春待つや 青穹 看護士も医者も来ぬ日や春を待つ 眼差しに日のうつろいて春を待つ
Jan 24, 2010
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半月や宗達描く冬ざるる 青穹 銀箔の侘びしく剥げし寒月や 墨一滴月白を染め冬ざるる
Jan 23, 2010
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ただいま夜の11時10分を過ぎたところ。一日のぎっしり詰まった看護スケジュールがようやく一段落した。朝6時半からほとんど休み無しである。毎日のことだから、その忙しさについてはどうとも思っていないが、きょうは何だか「ヤレヤレ」という感じだ。 昨夕、老母の容態がいつもと異なるので、検温をしたところ、38.9℃という高熱であった。訪問医に電話をし、到着するまでの間に、鼠蹊部と脇下を冷やした。後頭部や額を冷やしても、あまり効果はないのだ。医師がスケジュールの空きをみて我家に到着したのは夜9時を回っていた。 さいわい大事には至らなかったのだが、夜中もときどき様子を見ながら朝をむかえた。 ...そんなわけで、きょうは通常の看護スケジュールにあらたにケアする仕事が加わった。私としては気を抜く暇がなかった。いくつかの仕事を同時進行しなければならなかったりで、じつは朝食は立ったまま食べた。ニューヨークなどのチャイナタウンで、忙しい商店のチャイニーズが、店先で立って食べているのを見かけるのは珍しくないが(私はそういう彼等に、ヴァイタリティーを感じたものだ)、私は自分の姿をそのような彼等に重ねてイメージした。それほど忙しかったのだ。
Jan 22, 2010
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夕雲のちぎれて飛びし初大師 青穹 刻々と雲は色変え初大師 さまざまのさまざまなるや初大師 道凍ててまた緩みける初大師
Jan 21, 2010
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暦のうえでは大寒だというのに、暖かな一日だった。天気予報によれば、所によっては4月の陽気だったとか。三寒四温の「温」の一日か。何にせよ、病人がいる家では温かい春を待っている。 大寒も名のみなるかなうとうとと 青穹 大寒も三舎を避けて冬芽かな 夢うつつ風邪ひくなよと老母言い ○ 朝方、遠方の知人がめったにない電話をかけてきた。ちょうど母を入浴させている最中だったので、掛直ししてもらう。 その話。・・・昨夜午前2時頃、奇異な事があったので、私に電話してみたくなったのだ、と。私に思い当たらぬこともないが、まあ、そんなことは言わぬが花。 寒灯や人無き部屋に灯りけり 寒灯や魂千里飛びともせしか
Jan 20, 2010
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老母がステント・グラフト手術をして今月で7ヵ月になる。6ヵ月目に術後の状態を検査することになっていたが、病院が遠距離のため、車で母を運ぶには体力的に無理であった。主治医に連絡して、検査をさらに1ヵ月延期してもらった。その日が迫っていた。しかし母の状態は、往復の時間やCT撮影・診察等をふくめて5,6時間も要する行程に安全に耐えられるという予測はむずかしかった。 ステント・グラフトの最高齢の手術例であるのみならず、その施術の歴史がきわめて短いために、術後のデータの蓄積がない。術後はたして何年保のか。3年か。5年か。10年か。それとも半永続的に挿入可能なのか。・・・母の場合は、90才なので、長い年月使用可能という保証は考えなくてもいいにしろ、血管が老化していくので、ステントを支えきれるかどうかも問題になってくる。 医学的なデータ・サンプルとしてはともかく、われわれ家族としてはやはりしかるべき検査を受けさせておきたいのだった。 さてどうしたものかと思案し、介護保険のケア・マネージャーや訪問医や看護士に相談した。すると餅は餅屋で、ストレッチャー装備の車で送迎し、CT撮影だけをしてくれる施設をみつけてくれた。家のベッドから寝たままの状態で病院に運び、すぐさま必要な撮影をして、そのまままた家まで運んでくれるというのである。 もちろん介護サービス事業のなかに寝台タクシーというのがあり、私も遠距離病院へはそれを使おうと思っていた。しかし、利用者が多くて、日時を限定した長時間の契約に応じてくれるところが少ないと言う実状だった。5,6時間の拘束となるとなかなかの高額でもある。 ところがこのたび紹介されたストレッチャー送迎付き病院は、送迎については無料なのだった。いや、無料だとは聞いていなかったので、じつはその料金を想定したお金を持参していたのだが・・・ というわけで、きょうは母のCT撮影に行って来た。携帯酸素吸入器を持って・・・。午後1時ちょうどに迎えにきてもらい、3時前にはもう母は自分のベッドに帰っていた。私はすぐに体温を測り、血圧を測り、容態に危惧する変化はないか確認した。 このようなサービスをしてくれる病院がどこの町にもあるのだろうか。あることを願わずにはいられない。ほんとうに助かった。 後日、撮影したフィルムを持って執刀主治医のところへ行って来る。
Jan 19, 2010
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私が絵を描きつづけてきて嬉しく思うのは、見知らぬ人からの御手紙やお葉書に、作品の意図をみごとに感受してくださっている文面に出会う時である。絵描きというものは、・・・いや、少なくとも私は、自作を解説することはほとんどない。どのようなかたちであれ(現物を見せる展覧会のみならず、印刷物にしろインターネットにしろ)、発表してしまった後はもう作者の意図などおかまいなく作品は生き続けるか死んでしまうかだ、と私は思っている。したがって、自作を「このように見てください」などと解説するのは愚の骨頂。現代美術というのは、多かれ少なかれ「言葉」と一体になっているところがあるのだけれど、それでもなお、私は観客に求められても自作を解説するつもりはない。 ないのではあるが、なぜその作品を描いたかという意図はあるので、口から出そうなのもまた、嘘偽りのない気持だ。物欲しげにはしない。だが、発表という行為自体は、理解されたい、してくれよ、ということだ。 さて、今日、私は一通の葉書を受け取った。それは女性からのもので、私の油彩画『黒髪のイヴ』に触れていた。短い文面ながら、「イヴ」という古典的な主題を私がなぜこの現代にとりあげ「アダム」とともにシリーズで描いているかを、その人の感受性は適確に理解していると思えた。むしろ私にはわずか数語でしたためたそのことが驚きだった。 『黒髪のイヴ』のイヴの目については、作曲家の新実徳英氏からも嬉しいお言葉を頂戴していたが、今日の葉書はやはりイヴの表情について、まるで新実氏の言葉に寄り添うかのように、女性の立場から書いている。そこに読み取られたこと、あるいは感じ取られたことこそ、まさに私が自作を「現代絵画」だと言い切る作品の意図なのだった。つまりその女性の言葉には、確実に神話を突き抜けるものがあった。 1970年代から80年、90年代と、国際的な場での現代美術において、「性」のとらえかたは極めて多面的視点をもつようになった。そこには社会の意識改革という視点も含まれたので、性を描くということが、自己の対象としての性を描くというよりは、むしろ、まず自己の性の有り様を確認するという作業が始められたのである。社会の現象としては、たとえば、男の欲望の対象として女性の裸体を描くことを女性の側から激しく拒否するというものだった。そのような女性の強い意志は、さまざな局面で団結して表示された。街頭広告から女性ヌードを排除する等々である。あるいは、これは宗教的な理由が多分にあるのであるが、アドヴァタイジングに関する国際展においてそのような条件が提示された場合もある。 私は、イラストレーションは別にして、絵画においては人間のいる光景にしか興味がない。しかも時代を限定する「文化」的な意匠(ないしは、衣装)を排除するべく考えてきた。つまり、歴史的地域文化的な概念を取り去った裸の人間、もしくはそのような概念の呪縛から解放するための裸体にしか興味がないということ。 しかし、こういう枠組は、じつに苦しいものだ。世界のあらゆる問題を、裸体の人間たちで表現しようというのであるから。 なぜ、そんなバカげた枷をかけるのか? 答は簡単。「普遍」にしか興味がないから。 というわけで、私の「新アダムとイヴ」のシリーズは、100人が100人に意図を理解されるとは思っていないし、・・・これもバカげたことかもしれないが、自作のなかから極力「情緒性(気分、ムード)」を排除しようと考えているので、私の作品はいわば包容力に欠けるかもしれない。だから、見ず知らずの方から意図を見すかされたような葉書にびっくりし、嬉しくもあった。
Jan 18, 2010
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わが庭は千両万両散らばりぬ 青穹 冬鳥が空から降らす木の実かな 子供らのボール蹴る音春待つや
Jan 17, 2010
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ひなたぼこ媼ふたりの福笑い 青穹 ほろほろと笑いこぼれるひなたぼこ 三寒のあい間のきょうは日和かな 春待つや駆け足でゆく訪問医
Jan 16, 2010
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静けさも事によりけり粥柱 青穹 災いを避ける謂れで小豆粥 小豆がゆ不信心めの御信心【註】「粥柱」とは、粥のなかに餅をいれたもの。1月15日の上元の祝儀に小豆粥とまぜて食べる。古来、小豆は災いを避けるとされ、1月15日に小豆粥にして食べると、その年の疫病を避けるとされた。あえて科学的な根拠をもとめれば、ビタミン類の不足しがちな厳冬の食事にビタミンB群をはじめ、鉄分、カリウム、サポニン、リジン等を含み、特に昨今話題のポリフェノールを多く含んで活性酸素を除くことから、活力的になるであろうことが予想される。餅を入れることで、もち米に含まれる必須アミノ酸のうち唯一含まれていないリジンが小豆によって付加されるので、きわめて効率的な栄養食となる。昔の人の、おそらく経験的な知恵であろう。
Jan 15, 2010
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俳優の奥村公延氏が昨年12月24日に亡くなったのだそうだ。79才。 奥村公延といえば、脇役として数多い出演作品のなかでも、私はやはり伊丹十三監督の第1回作品『お葬式』における父親役がわすれられない。 映画の冒頭でタクシーで帰宅した奥村氏(父親)が、買って来たアボカドなどを食べ、まもなく息を引取ってしまう。奥村氏の生きている姿はこれだけで、その後、棺に納められた「死体」となって登場する。その死体が見事なのだ。死体のメーキャップともども日本映画史に残るすばらしさである。市井の普通の老人の、急死とはいえ、ごく普通の死としての死体をこれほどリアルに見事に表現した映画作品は、おそらく日本映画のなかにはなかったのではあるまいか。 そして、日本映画のメーキャップ術は欧米のそれと比較すると雲泥の差を私は感じているが、『お葬式』における死体のメーキャップには「おや!」と思うほどの優れた観察眼が感じられた。そのような技術にサポートされながら、奥村公延氏はすばらしい死体を演じきっていた。私は忘れることはないだろう。 奥村公延氏の御冥福を祈る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 冬の日の移ろう色のかそけしや 青穹 金砂子蒔く夕空や寒鴉 寒日や見回りやめて猫帰る 寒日や町の時鐘の音冴えて
Jan 14, 2010
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きのうの初雪は心配するほどのことでもなく、きょうは晴空だった。しかし冷たい強風が荒れるように吹き捲くった。午前中、訪問入浴のスタッフが帰り仕度をしながら玄関先で何かせっせとやっているので、何事かと思って覗くと、シュロの植木鉢が強風でひっくり返り、それを起してくれているのだった。 ベッドの母が、軒端を揺する風の音を地震と勘違いして、恐そうな目を私にむけた。寝たきり状態の人は、いつも心のどこかで地震が起ることを不安に思っているのである。 「地震じゃないよ。きょうは寒い風が吹いていて、その音がしている。だいじょうぶ、だいじょうぶ、何にも心配しなくていいんだよ」 ゆっくり、噛んでふくめるように言う。母はうなづいて目をつむった。 寒風や夫(せ)の背に隠る古女房 青穹 寒風や道にたたずむ二三人 冬颪地を叩きつつおめきけり 駆けめぐり路地の分れや冬颪 冬颪鉢の植木を倒しけり
Jan 13, 2010
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東京西部地方は午後1時ころに初雪が降った。ものの数分で霙まじりの雨にかわったが、寒さは一層だ。庭の植木鉢の土の表面は氷の粒でおおわれている。地植の二株のシンビジウムの葉にも氷の粒が付着していたので、急いで新聞紙で覆い、さらにビニール袋をすっぽりかぶせた。 初雪や地植の蘭の葉の流れ 青穹 松過ぎて春迎えんとこの雪や 会津若松の旧友からのたよりに、毎日が雪だとあった。鶴が城も雪に埋もれていることだろう。 凍鶴(いてづる)の姿とどめん天守閣
Jan 12, 2010
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侘助の花ひとつなき侘しさよ 青穹
Jan 11, 2010
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きょうは成人式なのだそうだ。「なのだそうだ」などと他人事に言うが、実際、家族にはもうその年齢の者はいない。 45年前の私自身の成人式についても、当時住んでいた東京の某区から案内状が届いたが、出席はしなかった。後日、祝の記念品として写真アルバム一冊が送られて来た。しかし、どうにも使い物にならない安っぽさ。さりとて折角贈られた品を右から左にゴミ箱行きにすることもできず1年ほどは本棚に立て掛けておいた。 ところが、事の成行きはわからないもので、そのアルバムが法学部法律学科の私がイラストレーターへ進路を変えてゆくキッカケになった。 あるときのこと、そのアルバムが邪魔になったので、ページをバラバラに壊して表紙を捨て、台紙を葉書大に切り、メモ用紙として机の隅に重ねた。 その頃、私は不眠症におちいり、幻覚を見るようになっていた。そんな状態から生まれたイメージをそのメモ用紙にいたずら書きのように描いた。何枚か溜ったころ、あらためてそれらを眺めているうちに、なんともヘタクソな絵だけれど独自性がある、と思ったのだった。 中学生のころから古典美術に関心をいだいて、画集はもとより展覧会にも足を運んで、それなりの勉強はしていた。美術史もひととおりは頭に入っていた。そうしたうえで、しかし若気の至りというのはスバラシイもので、「技術がないのだったら、それを身に付ければいい」と思ってしまったのである。進路変更の瞬間だったかもしれない。いや、たしかに進路変更をして、以来、40数年が経っている。 あの、成人式のどうしようもない安物の写真アルバムが送られてこなかったら・・・ ハハハハ、なんだか笑いがこみあげてくる。
Jan 11, 2010
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あら寂し島田も揺れぬ初場所や 青穹 冬草の意外につよき緑なり 冬草の枯木にそいて緑かな
Jan 10, 2010
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星いまだ瞬かずとも福寿草 青穹 暮れ残るひとつ家の甍寒鴉 たたなずく雲居に隠る寒の月
Jan 9, 2010
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珈琲の一滴ごとに常の朝 青穹 降り積る雪のたよりや松過ぎぬ 雪深き御堂にこもる初薬師 檜の香なつかしくもあり初薬師【註】「初薬師」とは、一月八日の薬師如来の最初の縁日のこと。薬師如来は医薬の仏で、衆生の病患を救うとされる。造型的には、左手に薬瓶を持ち、右手に施無畏の印を結び、蓮華の上に座す。
Jan 8, 2010
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さて正月も終わり、門松もお飾りもすべて納めた。 門松を取り払うとき、一枝を切って門に立て掛けておく。これを鳥總松(とぶさまつ)という。鳥總というのは、樵(きこり)が樹木を伐り倒したとき、その一枝を伐って山の神に捧げることで、その風習に倣って門松納めに一枝を立て掛けることを鳥總松という。東京ではほとんど見かけることがない。まだこの風習を残しているお宅や地方があるかどうか・・・ 松納め少し惜しみつ界ひらく 青穹 ひと枝に祈りかくるや鳥總松
Jan 7, 2010
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星うすく天の井深し寒の入 青穹 寒灯や魂あくがれて影ひとつ とんとんと叩く七草春隣
Jan 7, 2010
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さて如何に返り言せん年始状 青穹 小寒や空見上げれば星震う 北国の返り言なき雪五尺 桜草すでに葉をだす春隣 軍用機仕事始めの無遠慮 松納め御節に飽きてカレーかな
Jan 6, 2010
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小寒やふうふう冷ます小豆粥 青穹 天空に薄青刷いて寒の入 薄氷の道のうねりや寒の入
Jan 5, 2010
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療法士母の手をとり事始 青穹 千両や母の動きは静々と 落日も赫奕として松の内 寒雀ぱっと散りぢり去ににけり
Jan 4, 2010
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箱根路を若人駆ける年初め 青穹 十人がつなぐ襷や箱根路に その襷つないで走れ箱根路を たばしるや箱根の嶮に玉の汗 さまざまの涙あふれる箱根路や
Jan 3, 2010
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正月も三日。たくさんの賀状を旧友知人から頂戴した。 推理作家の折原一さん、お気づかい下さりおそれいります。 漫画家の小澤一雄さん、「山田さん! トランペットラですよ」というエール、ありがとうございました。 みなさん、ほんとうにありがとうございます。 漫画家の小澤一雄さんは、私とイラストレーター・漫画家としての出発がまったく同じ時期で、銀座の画廊で開催した最初のグループ展の仲間である。小澤さんは大のクラシック音楽通。後にクラシック音楽が氏の漫画の主題となり、いわば音楽マンガとでもいうジャンルを確立した。それによって読売漫画大賞を受賞している。 私も音楽好きなので、進む方向はちがっていたが心中では気に懸る旧知の人なのである。もう長い年月、顔をあわせていない。ことしの賀状の一筆のようなデリカシーに、まさに小澤さんの小澤さんたるお人柄がにじんでいるのを感じるのである。【小澤一雄さんの年賀状から】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子持つ家に洗濯物かかる三日かな 青穹 なにごともなくて嬉しき三ヶ日
Jan 3, 2010
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濃き緑春の夢起つ福茶かな 青穹 病床の老母の顔や笑い初め はや二日わが尻叩く初湯かな やっとうに代わる筆持つ寒稽古
Jan 2, 2010
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元日や静かに明けてやや寂し 青穹 元日の朝日畳をすべりゆく 長病の母に初日をあびせけり 長病の母に詫びつつ雑煮かな 金銀の松鷹沈む雑煮かな 一礼し賀状の束を解きにけり
Jan 1, 2010
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