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July 31, 2005
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カテゴリ: 教授の読書日記
やまとは 国のまほろば
たたなづく 青垣
山ごもれる やまとしうるわし

さて、いきなりこんな歌を書きつけてしまいましたが、皆さんはこの歌をご存じでしょうか。現代語に訳すと、「大和は、日本の中で一番素晴らしいところだ。うち重なって続く山の青、その中に囲まれているこの大和こそ素晴らしい」ということらしいですが、これ、ヤマトタケルノミコトの望郷の歌なんですね。

日本神話に登場するヤマトタケルノミコトは、その激しい性格ゆえに自らの父(景行天皇)に恐れられ、常に辺境の敵を征伐する役目を負わされることになります。最初は九州へ遠征してクマソタケルを討ち、次は出雲に行ってイズモタケルを討つ。そして疲れ果てて帰って来たヤマトタケルに景行天皇はすぐさま東国征伐の旅を命じる。その時は、さすがのヤマトタケルも「わが父は我に死ねと思ほすか」と涙を流して嘆いたのだそうです。

それでもヤマトタケルは意を決して東国征伐の旅に立ち、その帰国の途中、難を得て死んでしまいます。そして、故郷まであとわずかというところで無念の死を迎えたヤマトタケルの歌った歌が、先に挙げた「やまとしうるわし」の歌なのだとか。事実関係としては若干異論があるようですが、神話としてはそうなっているのだそうです。

実は私はこういう日本の神話についての基本的な知識に欠けるところがあり、しばしば恥ずかしい思いをするのですが、このヤマトタケルの神話も、このところ読んでいる岡野弘彦さんの『悲歌の時代』(講談社学術文庫)を読んで初めて知りました。私はただなんとなく、ヤマトタケルというのは強力無双の英雄なんだろうと思っていましたが、そうではなく、私のような平凡な人間と同様、時には絶望に打ちひしがれることもあったのだと知って驚かされると同時に、ある意味では自分を過酷な運命に突き落としたとすら言える祖国を、彼は死の間際にあって「やまとしうるわし」とほめたたえたのだと知って、そのあまりの切なさに心を動かされたのでした。

ところがこの岡野さんの本を読んでさらに驚いたのは、このヤマトタケルの神話が第2次世界大戦中、戦場に駆り出され、出征していった多くの日本の若者たちの心の拠り所であった、という指摘です。つまり、景行天皇の命で異国での過酷な戦いを強いられ、「わが父は我に死ねと思ほすか」と泣いた、そのヤマトタケルと自分たちの運命を重ね合わせていたというのですね。そして、おそらくは彼らもまた激しい戦いの中で致命傷を受け、「やまとしうるわし」と言って異国の地に死んでいったのではないかと・・・。このことは、自身招集されて戦地に赴いた経験のある岡野さんがその経験の中から語っていることであり、単なる当て推量で言っていることではありません。それだけに、折口信夫や宮柊二ら、日本の歌人たちが戦中・戦後の時代にヤマトタケルをテーマに連作を試みているのも決して偶然ではなく、ヤマトタケルこそがこの時代の象徴だったのだ、と論じる岡野さんの論考には非常に力がある。

岡野さんの思考は、しかしながら、ヤマトタケルにはそれでも「やまとは 国のまほろば」とたたえるだけのものがあったからよかった、果たして現代に生きる我々に「やまとしうるわし」と言えるだけのものがあるだろうか、というふうに続いていきます。なるほどそう問われれば、「ある」と断言できる人がどのくらい居るか、心もとないところがある。となれば、そのことは私たち日本人が共に考えていかなければならない問題でしょう。しかし、ここではそのことはひとまず置きます。



この問題について調べているうちに私が知ったところによれば、当時アメリカへ行った日本人の多くは、「出稼ぎ」に行ったのであって、「移住」するつもりではなかった。つまり、あちらで働いてある程度お金を貯めたら、日本に戻ってくるつもりでいた。ところがその時、第2次世界大戦が始まってしまい、日米の関係が断絶してしまう。そしてその時日本は、アメリカに居住する同胞のことを完全に見捨ててしまった。その結果、彼らは「敵性外国人」としてアメリカ政府により強制収容されることとなる。

こうしたことを知った今、私がさらに知りたいと思うのは、故郷たる日本に見捨てられた彼らが、その時一体何を思ったか、ということです。「わが父(=日本)は我に死ねと思ほすか」と嘆き、憤ったのか。あるいは、それでもまだ「やまとしうるわし」と望郷の念を抱いたのか・・・。日系アメリカ人の中には、アメリカへの忠誠を身をもって示すために米軍に志願した人たちもいれば、逆に天皇への忠誠を捨てきれずに強制収容を受け続け、戦後に至ってまでひどい目にあった人たちもいます。もしここで岡野さんの説を敷衍するならば、その二つの別れ道のどちらにも、ひょっとしてヤマトタケルの幻影が寄り添っていたと、考えられないでしょうか・・・。

昨日の午後、岡野さんの本を読んだり、日系アメリカ人の強制収容の問題について調べ物をしたりしながら、私はただ漠然と、そんなことをぼんやり考えていたのでした。





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Last updated  July 31, 2005 02:19:01 AM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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