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July 2, 2012
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カテゴリ: 教授の読書日記




 本書は、日本SF界の大御所にして、1年ほど前に亡くなった小松左京さんの、まあ、自伝のようなものでございます。

 「SF」という文学ジャンルは、少なくとも今の日本に定着していると思いますが、さて、どのようなものとして定着しているか。亜流、傍流、色物・・・、いずれにせよ、王道とは思われていないでしょう。

 今でこそそうなんですから、日本SF創世記の頃にあっては、「児戯に等しい」の一言で片づけられていたんですな。だからこそ、仮初にも文学を志す者が、なぜ一般には「児戯」と見做されていたモノに賭けることになったのかということは、小松さんとしてどうしても言い残しておきたいことであったでしょうし、また読者としてはそこが是非知りたいところなわけですよ。

 で、小松さん自身の説明によると、若い頃の「戦争体験」が、まさに彼をしてSFへと向かわしめたというのです。

 中三の時に終戦を迎えた小松さんは、一方では自分がもう少しで戦場に赴く可能性があったということ(沖縄では同学年の少年たちが兵隊として死んでいる)の恐怖と、自分は結局戦わずして生き残ったという罪悪感のようなものがあった。その一方、そんな戦争の酷い現実を通り越してきたはずの世界が、またぞろ冷戦下において核戦争の可能性を匂わせていることへの怒りもあった。

 で、そういうものがないまぜとなった中で、「あの戦争があの時終わらずに今も続行していて、自分も兵隊として本土ゲリラ戦を戦っている」というシチュエーションを想像してみたら、どんなストーリーが生まれるだろうか、という発想を小松さんは得る。ここにおいて小松さんの戦争体験と、SF的パラレルワールドの発想が結びつくわけ。そしてその結果が、「地には平和を」という作品に結実する。これが、小松さんが煮え切らないまま抱え続けていた自身の戦争体験にケリをつけた瞬間であり、またSF作家・小松左京の出発点だったんですな。

 そしてまた、こうしてSF作家としてデビューした小松さんにとって追い風となったのは、この頃から早川書房の『SFマガジン』をはじめとする専門誌がいくつか創刊されたこと。かくして作品発表の場を確保した小松さんは、「SF界のブルドーザー」と呼ばれるほどの勢いで、次々と作品を書いていく。それが『日本アパッチ族』であったり、『日本沈没』であったり、『復活の日』であったりするわけですな。

 しかも、作家活動だけでなく、1964年頃からは数年後に迫った「大阪万博」の企画にも関わるようになるんです。当時、所轄の通産省あたりは、大阪万博を日本製品のショーケースにするようなつもりだったらしいのですが、それでは万博の意味がない。この得難いチャンスをもっと意義深いものにするためには、どのような理念のもとに企画を考えればよいか。そういうことを桑原武夫、加藤秀俊、梅棹忠夫など、錚々たる知性の持ち主達と考え、例の「人類の進歩と調和」というEXPO'70の理念に到達するわけ。



 事実、SFのストーリーを構築していく小松さんのやり方は、まさに学際的総合です。

 例えば『日本沈没』を例に取ると、最初の思いつきは、当時『ナショナル・ジオグラフィック』誌(あるいは『サイエンティフィック・アメリカン』誌)の最新刊に掲載された「海洋底拡大説」だったというのです。で、これを読んで興味を持った小松さんは、早速地球物理学の勉強を始める。

 また小松さんの母親が関東地方の出身で、関東大震災を体験しており、地震の恐ろしさを母親から植えつけられてきたということも、地盤変動への興味を一層掻きたてた、というところもある。

 一方、1963年に林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」が出たことで、小松氏自身が作家活動の最初から抱いていた太平洋戦争への疑問が再び活性化されたこともある。あの戦争の末期、日本政府は「一億玉砕」「本土決戦」などと声高に言っていたけれども、日本国民が玉砕して一人も居なくなったらどうするのか、日本という国が無くなってしまったとしても、それでもいいと思っていたのか、という疑問です。

 で、こういう様々な思いがSFという枠組みの中で混ぜ合わされたところから、海底の地盤変動によって大地震が引き起こされ、日本の国土が無くなってしまったら、その時、日本人はこの事態にどういう風に対処するだろうか? という発想が生じてくると。と、ここまで言えば、この発想こそがかのベストセラー『日本沈没』の出発点だということは、自明でありましょう。小松左京という作家が作品を作り出していく、その過程とはこういうものであったか! ということが分かる点で、この辺は非常に面白いところです。

 でまた、もう一つ面白いと思ったのは、『日本沈没』という作品に、当時の政治家たちがこぞって強い関心を示したというところ。中でも田中角栄氏は、ホテル・ニューオータニですれ違った小松さんを呼び止められ、「君とはいっぺん、ゆっくり話したい。今度時間を作ってくれ」と言ったとか。何だかんだ言って、昔の政治家というのはみなそれぞれに読書家であり、それぞれに鋭敏であって、小松さんが『日本沈没』で描いた「日本という国が無くなった時、日本人はどう対処するのか」というテーマに、少なからぬ興味を抱いた、いや、ある意味、危機感を抱いたのでしょう。

 そして、時代毎にそれぞれの時代が抱えていた問題点や不安感を白日の下に晒し出すような作品を書き続けた小松さんですが、そんな彼が本書の最後で語っているのは、SF文学というものに対する不動の自信です。このあたりは小松さん自身の言葉を引用しましょう。


 SFの思考法の特徴は、物事を相対化する、ということだと思う。(中略)
 歴史的事実も、現実の社会も、相対化することで初めて見えてくるものがある。『日本沈没』も『首都喪失』も現実を相対化したシミュレーションであり、一種の思考実験だ。思考実験は最初は哲学から出てきたものだが、それを科学に応用して、まったく違う地平を開いたのが量子力学とアインシュタインの相対性理論。では文学でどうかと考えた時に、それが可能なのはやはりSFしかない。(175‐176頁)

 まだ駆け出しSF作家の頃、SFという文学ジャンルの可能性の大きさに身震いしたという小松さんが、最晩年に至ってなお、SFこそが文学の中の文学であると言い切ったこと。一言で言えば、それが小松左京という男一匹の一生だったということなのではないでしょうか。


 私は、残念ながらというべきか、SFというものの善き理解者ではないし、SFに夢中になったことが一度もないまま、文学研究者になった男ではありますが、しかし、「自伝」という文学ジャンルは好きなんです。とりわけ、理科系の研究者の自伝の無邪気さが好きで、湯川秀樹とかの自伝なんかも結構楽しんで読んでしまうのですが、小松左京氏の自伝を読んでも、そういう理科系研究者の自伝に特徴的な無邪気さがあって、本書も面白く読むことが出来ました。




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Last updated  July 2, 2012 11:33:41 PM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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