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May 14, 2017
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カテゴリ: 教授の読書日記
養老孟司さんが書かれた2003年のベストセラー、『バカの壁』を、14年後の今になって読んでみました。ベストセラーはとりあえず読まないという主義のワタクシなのですが、14年も経てば許してやってもいいかなと、先日、ブックオフで108円で買っちゃったのよ。それに、ひょっとしてこれも自己啓発本なのかなと思ったものだから。

 で、読んだ感想ですけど、うーん、これは自己啓発本・・・というわけでもないかな。むしろ、現代批判の本ですよね。

 つまり、(イスラム教国、ユダヤ教国、キリスト教国など)世界の三分の二は一元論の国だし、日本もいつのまにやら一元論に陥りかけている。それはいかんのではないか。もっと多元的なものの見方、それは他者に寛容なものの見方でもあるわけだけど、そういう多元的なものの見方を意識的に取り戻さなくてはいかんのではないか・・・ま、そういう趣旨の本ですな。

 で、人と人が共存しながら、しかも一元論に陥らずにあるためには、「人間ってのは、こういうもんだよね」という普遍的な常識(=コモンセンス)、ここに根を下ろさないといかんのではないか・・・。私の見たところ、養老さんの言わんとしていることは、コレです。

 この立場に立つと、現代日本の諸現象は、たいてい批判の対象になります。

 例えば「個性重視の傾向」とかね。

 学校教育でも、最近はやたらに「個性を伸ばせ」という。だけど、養老さんに言わせれば、何を馬鹿なことを言っているんだということになる。

 例えば、葬式で大笑いしてしまう人とか。とても「個性的」ですね。だけど、「親しい人が亡くなった時、人は普通、どういう感情を持つか」という常識があれば、葬式で大笑いするなんてことは出来ないはず。そんなことは当たり前なので、「人間ってのは、どういう状況下でどういう風になるか」という常識を教えることが重要なのに、そういうことを無視して「個性的であることがいいんだ」という風潮になっている。

 で、どうして(日本は)こんな風になっちゃったのか、ということに関して、養老さんは「都市化」とか「脳化」という概念を持出してくる。自然や身体といったものを疎かにして、頭でっかちになってしまった、というのですな。で、頭の中で作り出したものに立脚するクセが付いてしまったがために、リアルな現実を把握するのが下手になってしまったと。



 そういう風なのを、養老さんは「バカ」と呼ぶわけね。

 ま、それはその通りだと、ワタクシも思います。基本的に養老さんの言っていることは正しい。

 だけど、うーん・・・。そういうことをポーンと断言しながら世相を切っているこの本、そんなに面白いか? 

 だって、こういう論はさ、もうかなり言い古されていることなんじゃないの? ちょっと脳科学的なことも出てくるので、つい誤魔化されちゃうけれども。そんなに新しいこと言ってないよ? 

 それにその言い方がさ、ちょっと下品というか。独りよがりというか。『バカの壁』という兆発的なタイトルは、もちろん意図的なものだろうけれども、やっぱりそこに養老さんのバカを見下す態度というのは表れていますよ。実際、確信犯的に見下しているのだろうし。

 だけど、下品というのはね、やっぱりワタクシとしてはいただけないかな。

 この本、2003年の4月に出て、その年の12月には40刷。2017年現在では一体何刷になっているのか見当もつきませんけれども、この本がどうしてまたそんな大ベストセラーになったのか、ちょっと理解できないところはありましたね。教授のおすすめは、なーしーよ。


 ところで、それはそれとして、本書の中にV・E・フランクルの話が出てくるところがある。ヒトラーのユダヤ人虐殺を生き延びた心理学者で、『夜と霧』という名著を書いた人。

 で、そのフランクルによれば、「人生の意味」というのは、外部にあると。

 つまり、人間というのは、他の人間がいるから、人生に意味が生じるのであり、幸福というのも、他の人間が存在しないところには発生しないと。



 余命いくばくもない、という状態になってから、どういう態度で残りの人生を生きたか。もし、毅然として最期を迎えるまで充実した生を生きたとすれば、そのことが残された親族・友人に感銘を与えることができるのだから、その人の人生にはやはり意味があるのだと。

 無論、フランクルは、こういう考えかたをアウシュヴィッツの中で友人が次々と殺されていくのを目の当たりにしながら、しかも明日は自分がガス室に送られるかも知れないという苛酷な状況の中で掴み取ったのでしょうから、それを思うと、彼の発言は重いですよね・・・。

 養老さんとしては、人間の生きる意味とか、幸福というのは、かくのごとく他の人間に依存するのだから、そういう人間同志のリアルな感情のやりとりこそ、倫理の根本に置くべきだ、という論旨の中でフランクルのことを持出すのですけど、確かにこのフランクルの言わんとしていることは面白いと思います。

 というのは、今、私が研究している自己啓発思想っていうのはさ、つまるところ、幸福論になるわけよ。幸福になるには、どうしたらいいか、というのが自己啓発の基本だから。幸せになることを目指さない自己啓発なんてものはないわけで。



 例えば、P・F・ドラッカーなんて経済学者がいるでしょ。ドラッカーも、おそらく、フランクル的な考え方をする人なのよ。

 ドラッカーのマネジメント哲学というのは、「個人が自分の強みによって組織に貢献する時、個人も組織もハッピーだ」というものなわけ。これはつまり、個人の幸せは、組織との共存以外あり得ない、ということでしょ。

 この状況というのは、ある意味、音楽におけるジャズと同じね。ソロ・パートと合奏パート、個と集団が力を尽くし、貢献し合うことでハッピーな音楽になるという。

 こういう幸福論というのが、自己啓発思想史の中でいつ頃から登場したかということ、考えてみたら面白いかもね。私が思うに、1970年代後半あたりからじゃないかな、という気はするけれども。

 いずれにせよ、養老孟司氏の本はともかく、フランクルの本は、もう一度、熟読すべきかな、という気がしてきました。そういう気にさせてくれたという意味では、私も『バカの壁』を読んだ甲斐はあったというものですが。



夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 [ ヴィクトル・エミール・フランクル ]





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Last updated  May 14, 2017 03:45:45 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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