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この本は1993年、『走る馬から花を見る』という題で新潮社から出されている。奥さんがこの題をつけたようだ。橋田さんは『アジア街道、一宿一飯』とつけたかったようだ。カメラマン・寅さんを自負していた。 ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、マダカスカル。それらの地域での取材こぼれ話が22収められている。 一話一話に含蓄がある。一気に読むのが惜しい。1日一話。このペースで味わいながら読んでみたい。 ベトナム、共産圏での取材、ガイド兼通訳氏は確実に党からの監視人である。しかし、橋田さん、全く気にしていない。この監視人を完全に自分のペースに乗せ、取材に協力させている。 北朝鮮の取材レポートとは全く違う。同じ中国周辺で米ソに引き裂かれた戦後を持ちながら、南方と北方の違いなのだろうか。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)昼休み 交替でとる 作業帯 日差し暖か 風つめたし(2)ゴービンと 町田名物 数あれど 米軍夜間 飛行訓練(3)黙示録 イラクに散った カメラマン 走馬看花 笑顔を残す 今日は・たまゆら・さんに会った。和尚の話で盛り上がった。 町田ブックオフでCDを買う。 中島みゆき『夜を往け』1990・6・13 / 1000円 中森明菜『AKINA NAKAMORI』1991・7・27~28 MAKUHARI Messe Live / 750円
2005.01.31
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橋田さんが殺されてからの文庫本である。奥さんの橋田幸子さんが手記を書き下ろしで入れている。 「戦場のカメラマン・橋田信介の素顔」 少年のような夫で瀬戸内育ちの橋田さんは泳ぎが上手かった。算数・数学は苦手で、ダイビングの資格試験の時は苦労したという。 奥さんは笑いながら「アホ」「バカ」「マヌケ」「まったくもう!」を連発する生活だったようで、幸せ者だという。 1981年、一人息子が生まれ、橋田さんは1年の半分は海外取材で家をあける。奥さんもフルタイムで働いた。 1988年、フリーになって家族でバンコックへ。 1997年、息子・大介君、バンコク日本人学校卒業、日本の高校進学・学寮生活。 1999年8月、キルギスで日本人鉱山技師4人拉致事件。キルギスの現地司令官ベトナム戦争時ハノイ駐在の元KGB。知り合い・そのコネでスクープ映像。しかし、日本外務省のせいで映像没収。一回目大赤字。二回目、NHKの物量で敗退。 2000年、大介君大学入学。 夏、パレスチナ問題。「攻められる側からの取材」 2001年、夫・橋田氏から取材の誘い。パキスタン/クエッタへ。3日後、米軍の爆撃。アフガン入れず東京へ戻る。幸子さん撮影のグラビア写真雑誌に載る。「父さんと旧婚旅行にアフガニスタン」と息子に言い残す。ウズベキスタン・タジキスタンを経由して北からアフガニスタン。ワイロが潤滑油。橋田さんと一緒に国境の川を渡る。北部同盟の有力者マスード司令官の世話になる。最前線を取材。クリスマスにバンコックに帰る。 2003年3月、幸子さんの実家全焼。橋田氏東京一泊だけ、バンコックへ。イラク取材のため。 4月9日、ブッシュ戦争終結宣言 橋田氏、あるイラク人から『おまえ、年のわりにはよく頑張ったなあ』とタンポポの花をプレゼントされる。(1991年湾岸戦争の時、イランに避難したイラク戦闘機撮影・フジテレビ報酬50万円・欧米メディアに「フジテレビ独占映像」で流す・橋田氏の名前ナシ) イラク石油公社・爆撃されず。現場主義の橋田氏が見たもの。 2004年5月、橋田氏イラクで凶弾に倒れる。 9月、幸子「信介さん、天国がつまんなかったら、またいつでも私の所に戻っておいでよ」 橋田信介・1942(昭和17)年、山口県宇部市生まれ。'70年法政大学卒。日本電波ニュース社・ベトナム戦争中ハノイで特派員。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)川柳は 俳句と同じ 五七五 狂歌だ狂歌 三十一文字(2)サイトみて 間違い気づく 恥ずかしい 川柳俳句 狂歌に短歌(3)極寒の 予報はハズレ 日差しよし 昼の散歩は 足取り軽く(4)香をたく 煙は部屋に 広がって 家人の苦情 タバコと同じ 橋田さんの笑顔は素晴らしい。地獄を見てきた人の笑顔だ。妻・幸子さんは彼の同志だった。共に最前線の戦場に取材をした同志である。
2005.01.30
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立ち食い蕎麦のそば粉の含有量が少なくなっていて、蕎麦ではなく「うどん」だという話があった。歴史小説と歴史の関係と似ていると思った。「蕎麦という歴史」の「つなぎ」として「うどん粉という歴史小説」作者の思い入れがその時代を反映して、多くの読者の共感を呼ぶ。 そして、ある時、「本当の歴史はこうだった」という「解説本」の登場となる。 加来耕三さんの『龍馬の謎<徹底検証>』講談社文庫は将にこの解説本である。はっきり言って面白くない。 そば粉だけでは不味いから、つなぎとしてのうどん粉を混ぜた。そして、うどん粉の割合が増えた。口当たりが良いから。 面白くない歴史の話を今、我慢して読んでいる。リセットして、また、情報を組み立て直さなければならない。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)曙橋 何年ぶりの 来訪か ドトール探し あちらこちらと(2)大通り 真ん中占拠 作業帯 電話工事だ マンホール開け(3)三叉路に ロータリーつくる 手際よく 車の流れ 止めることなく(4)おまけつき 仕事があるよ 定時まで 車移動で 東京見物(5)最優先 救急車に 道あける ありがとうの声 マイクが響く(6)商店街 変化したのは 名前だけ 雰囲気レトロ 昔なつかし(7)工事中 都内幹線 あちこちで やたらに目立つ 警備員の数 今日は曙橋でした。昔、よく来た所です。まだ、フジテレビがあった頃です。本の表紙のデザイナーがこの商店街のマンションに住んでいました。また、知り合いのユダヤ系アメリカ人が「外人選手権」というフジテレビの番組に出て、その漫才の台本を博多出身の友人と一緒に考えた事もありました。それで、フジテレビのスタジオまでのぞきに行きました。 解体屋の時、防衛庁・厚生施設の建築に来た事もありました。あそこは尾張藩の上屋敷跡地で発掘作業をしていました。三島が演説したというバルコニーも見たかったのですが、場内自由にうろつけなかったのでダメでした。 曙橋の後、北新宿、中野坂上まで移動しました。北新宿は40年前の東京がまだ残っている感じでした。再開発の為の地上げの場所もあって、数年の内に、大変貌するでしょう。 帰りは東中野まで車で送ってもらいました。商店街は昔のままでした。地下に首都高を作っているとか、久しぶりの東京見物になりました。
2005.01.29
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演劇部 コンクールへと 頑張るぞ あいうえおあお かいくけこかこ 小山西高校1年(栃木)新田その子 '88年 高校時代アマチュア無線をしていた。隣が演劇部だった。演劇部の彼女達が毎日、この発生練習をしていた。3年間、彼女達の声を聞いていた。大阪の高校だったが、当然、アクセント、イントネーションは標準語である。 私が大阪を離れ、半年もしない内に「標準語」らしきものを喋り始めたのは、この3年間のヒヤリングが役立っていたと思う。 NHKの深夜便を聞くようになって、私が喋る単語、二字熟語のアクセントが違う事にきずいた。今更、直す気はない。難しいものだ。 自分で作ってみて、もう一度、読み直すと、また、違った味わいがある。
2005.01.28
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ブック・オフのカードを作った。この手のカードを作るとそこの店に行けなくなるというジンクスがあって、作らないことが多い。しかし、ブック・オフを古本屋というより貸本屋やと考えてみたら面白いと思う。貸出期間・無期限の貸本屋である。◆今日、買った本『戦場の黄色いタンポポ』橋田信介・新潮文庫/250円『龍馬の謎<徹底検証>』加来耕三・講談社文庫/400円『海軍めしたき総決算』高橋孟・新潮文庫/200円『新宗教の解読』井上順孝・ちくま学芸文庫/600円◆◆今日の三十一文字◆◆(1)バイク便 ゆげカップメン 美味しそう おそいお昼は コンビニの前(2)ヘビさんが 多くなったと 苦情でる 山切り拓く 宅地開発(3)夜な夜なに ヘビの家族が 引っ越した 6メーター道路 横断歩道(4)朝の九時 ガコガコガアガ 何しゃべる カラス十二羽 営業会議(5)竹林 ここもマンション 予定地で タケノコ取りも 今年が最後(6)空気澄み 冷たい風も 心地よし 日差しは春を 告げる勢い(7)熊笹の 下には落ち葉 うず高く 次の世代に 養分を残す(8)一掻きで 4トンすくう ユンボの手 10トン・ダンプも 二掻きと半(9)紅白に 染め分けられた 腕廻す タワー・クレーンは 現場の主役(10)つる草に 巻きつかれたる 木々林 根こそぎ倒す ブルの馬力で(11)急変す 寒気と暖気の せめぎ合い 季節の変わり目 一月早い(12)足悪い 黒猫通る 太りすぎ 減量したまえ 食べすぎ注意(13)缶コーヒー 器械相手に 問い掛ける 選ぶ楽しさ 飲んでガッテン(14)十字架に カラスが一羽 カーカーと 仲間を呼ぶか 夕暮れの里(15)読んで直ぐ 売りに行くなら 貸本と 同じ事だと 気づくブック・オフ(16)無期限の 貸し出しをする ブック・オフ 書庫だと思おう カード作って 丁度、九時にカラスが騒いだ。仲間内で鳴く時はカーカーとは言わないのだ。今日は沢山作ったが、結論がブック・オフ。で、町田へ買出しとなった。カラスのお陰かな。
2005.01.27
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竹中労は赤軍派であるらしい。ネットでそういう情報を見かけたので、この本を読んでいる。 私がはじめて竹中労の本を読んだのは30年も前だ。金沢の寺町にある小さな本屋さんで立ち読みをした。たぶん『芸能界をあばく』だと思う。スパーと斬る論調は気持ちがいい。 それ以降は本屋で見かけると買って読むことになった。「美空ひばり」の事ではいろいろ物議があったそうだが、山口組というヤクザの兵量を奪って、地下に潜らざるを得ないように仕向けている警察官僚にも問題があると思う。 1988年「ダカーポ」のインタビュー。日本赤軍と決別した。ということはそれまではかかわりがあったと言う事になる。 余命5年と言われていたが、1991年に竹中労は亡くなった。その数年のドキュメントはリアル・タイムで見た。テレビや雑誌で、もう15年も前になったのか。享年60歳、私もその歳に近づいてきた。 「死ヨ来リテ我ト遊ベ」竹中労 この本をじっくりと読んでみようと思っている。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)バイク便 カップラーメンで お昼かな 十五時四十分 コンビニ前(2)思い出が 走馬灯のよう 駆け抜ける 雪の神楽坂 東五軒町(3)どうしてか 古い町名 残ったね 神楽坂界隈 新宿区内(4)ライバルだ 電話の工事 出版界 ネットは栄 印刷滅ぶ(5)重い紙 どの会社にも フォーク・リフト ネット社会は 光ファイバー 今日は神楽坂や五軒町あたりで電話線のメンテナンス工事。 10数年前、出版社で仕事をしていた関係でこの辺は仕事でよくうろついた所でした。トーハンのビルはもっと大きかったような記憶があるのですが、周りにもっと大きなビルが建ったせいでしょう。小さく見えました。
2005.01.26
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三光坂(p60)はこの前、仕事で行った。一日中立っていた場所が写真に写っている。白金ど真ん中である。聖心女子学院に美智子様・・・と、タモリは書いているが、美智子様は聖心女子大学では? それだと広尾? 「え! 本当?」と聞かれたら、ああ、自信ない・・・。 行った所もあるし、知らない所もあるし、東京は広い。やはり食べ歩きの「友」としての「坂」かな。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)兆民が 龍馬のつかい 嬉々として 十九の長崎 タバコ買いゆく
2005.01.25
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著者は1988年末、20年勤めた赤旗編集局を辞めた。そして、ワシントンに3年滞在し、二つの事を調べた。 一つは1945年8月15日日本の植民地から解放されると同時にソ連に占領された北朝鮮の戦後史。 もうひとつは、朝鮮戦争の開戦の真相。 この二つのレポートがこの本『朝鮮戦争』である。 米軍が戦闘地域で収集した資料がワシントンの国立公文書館に秘蔵されている。それを3年かけて丹念に調べたのである。北朝鮮軍将校の血染めの手帳、トラックの轍の跡がついたパンフレット。 「収奪文書」総ページで160万ページ。ボックスの数で1350箱。朝鮮語を不自由なく読める著者だからこそ出来た調査である。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)職長は 方向音痴らしい 現場まで 何時着くのやら はじめての街(2)道端で モデルルームは 何処と聞き 来た道指して 信号の横(3)誘導は ベテランみたい 職長は テキパキさばく 交差点の中(4)あれこれと 意見言わずに よかったよ 場数ものいう 現場の仕事(5)お仕事が 昼過ぎおわり 喫茶店 句を書く前に コーヒーゼリー(6)亡き友と 議論交えた 喫茶店 生き長らえて 書く三十一文字(7)膝治療 痛みがとれても 違和感が あともう一息が 何時まで続く(8)検索で 図書館行かずに 資料確認 自分の日記が データにこわい 小さなノートを買いました。やはり和歌は縦書きです。
2005.01.24
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去年は「セカチュウ・世界の中心で愛を叫ぶ」という本が売れたそうだ。韓流「冬ソナ」に後半押されてしまったが、残念!高遠なほ子とか、イラクに行って「平和を叫んだ」人もいた。自己責任とかで批判されていたが、意外と彼女の支持者がいる。「世界の中心で平和を叫ぶ」からだろうか? 今、話題になっている、政治家による言論検閲事件「世界の中心で言論の自由を叫ぶ」という事か? 私はこの事件、北朝鮮の工作だと思っている。『宿命』高沢皓司・新潮文庫によると一連の反核運動・ウィーン工作の主体は淀号グループであった。(同書p403)実績がある。 日本における「従軍慰安婦」キャンペーン、純粋に女性の権利という観点からこの運動に参加している人は多いと思うのだが、これに北の活動家が紛れ込み利用しようとする。そのいい例が吉田某の脚色付き・でっち上げ・人狩りレポートである。拉致事件とチャラにしようという魂胆なのだ。 経済制裁で日本の世論が固まった今、4年前の出来事を蒸し返すようなカタチで事件が発生。これらの一連の出来事の何処に焦点を絞るかで、その人の深層イデオロギーが出てくる。一種の心理テストならぬ、思想テストである。 「世界の中心で言論の自由を叫ぶ」このキャンペーンに乗った人達と「世界の中心で平和を叫ぶ」高遠なほ子に共感する人々、私からは同類にみえる。 反核キャンペーンの仕掛け人・北朝鮮がその運動の盛り上がりの影でやっていたことが核兵器の開発であった。 イラクで「平和」を叫ばせ、東京で「言論の自由」を叫ばせて、テロリストに武器を渡し、自分達に邪魔な政治家を封じる。 金正日って頭いいねー! 日本で「自分が善良で頭がいい」と思っている自分のバカに気がつかない平和ボケの「善男善女」様、金正日様ご一行様に貢物の為の増税に精々ご協力の程を! 日本国財務省になりかわりまして、伏してお願い申し上げます。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)日曜日 そうじの時間 九時を待つ いてつく寒さ 誰も出てこず(2)正直に 心をみつめ 文字にする 飾ることば こころ動かず(3)同人誌 通信コピー コンビニで 伝言手書き アナログ楽し(4)封筒に 切手を貼って 計算する なるほど安い ネット通信(5)シンスケが あんたもかいな ほっとする 韓流スター ヨン様ニュース(6)マネージャー 叩かれるのも 仕事なの 一発幾らか 弁護士同行(7)暮れ六つの 鐘が聞こえる 日曜日 昼寝ぐっすり 句もまた浮かぶ こころの健康に三十一文字、今日書かないと三日坊主
2005.01.23
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久しぶりの日吉である。半年居たので、職人さんや周辺の人達とも顔なじみである。 根岸(横浜)のお嬢様もやってきた。「しばらく、来なかったうちにすっかり家が建ったわね」「私、今年周り年なの。古酉だから家にいたのだけど、今日は出てきたわ」という。84歳。原節子より一つ下。瀬戸内晴美より一つ上になる。 言葉がまるで根津映画である。初めて会ったのが去年の2月13日。楽天の日記にも書いた。会うと何時も青春時代の話である。受け答えが確かだから耳も丈夫なのだろう。 函館に居た事あるのよ。冬はね、道が凍っていてスケートで通学したの。女学校に行ってからは授業でスキーがあったのよ。通学の時、マント着てね、それが制服だったから、雪が降ってもカバン濡れないでしょ。スキーで学校行ったのよ。 兄はね、寒いのが嫌いだといって、静岡の高等学校に行ったのよ。私が横浜にもどってからね、土曜日になると汽車でね、静岡まで行くの。横浜でいろいろ買い込んでね。駅に着くとね、兄と兄の級友達が8人ほど私を迎えてくれるのよ。私の青春時代よ。 駅前の錦城楼でお食事よ。食事が終わると出口のところで皆が私を待ってるの。だって、お金を払うの、私なんですもの。 兄は九州の大学に行ったわ。福岡よ。物資はね、横浜より豊富だったわ。だけどね、パンは不味かったわ。だから、母がね、毎日、郵便で送ってくれたのよ。営業用のパンを特別に分けてもらってね、2日ぐらいで着いたわよ。 夜行の特急に乗せたみたい。「さくら」という特急があったわ。下関に着くと連絡船に乗るのよ。右に行くと釜山行きでしょ。左に行くと門司行きなのよ。 今日は沢山顎の体操をしたわ。 かなり内容は省略しましたが、出来るだけもとの口調で再現しました。小津映画を生サウンドで聴いた気分でした。◆◆今日の三十一文字◆◆(1)明け六つの 鐘があいさつ 空みれば 明き縁取り 日の出の気配(2)昼休み 句をひねり出す お遊びは 悪態がでる ストレス解消(3)親方と 携帯で相談 職人さん 段取り悪く 帰るしかない(4)いい天気 富士山を見に 一廻り 桜の季節 待ちどうしい 和歌を作るということは自分に正直になるという事かな?
2005.01.22
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この本は著者が死んだ後、著者の文献を集めて編集しなおしたものである。イエスに対する聖書。仏陀なら経典ということになる。たぶん、隠し子と噂された「樋口進」氏やロマテ・コンティを奢らせた「島地勝彦」氏などが音頭を取ったのだと思う。 今東光和尚は天才であった。天才・モーツアルトの言葉は我々・サリエリには理解しがたい。そこで弟子ともいうべき、和尚から薫陶をうけた編集者たちがまとめた、和尚が一番言いたかったことを一冊にしたのだと思う。 やっと分かった事は、源氏は東北人にとって侵略者であり、略奪者である。両親が津軽出身の和尚はこの先祖から受け継いだ怨念を吐露する。 しかし、後世の歴史家は武家政権の立役者の頼朝とそのご先祖達を奉っている。八幡太郎義家は河内源氏である。和尚はご先祖の敵陣に乗り込んだことになる。 東北の歴史はわかり難かった。多賀城がどういう役割をしていたのか? 突如、藤原氏が栄え、また、滅ぼされてしまった。なぜ、功績のある義経を頼朝は潰したのか。 あくまでも、和尚の心象風景であるが、その風景を手がかりに東北の歴史に迫って見たいと思う。◆◆今日の三十一字◆◆(1)一日を 思い巡らし 熟慮する 日記代わりの 三十一文字(2)寒いねと 声を一言 かけただけ 心暖か 出会いそのとき(3)マフラーの 模様はドクロ 趣味が合う 笑顔の彼女は ロックンローラー(4)可愛いね 子供にかける その言葉 私にも言って ママになっても(5)東風吹かば においおこせよ 桜咲け 湯島の絵馬は 合格祈願(6)駅のベンチ カンコーヒーを 飲み干して ノートを開き カエラ詞(うた)聴く 歌つくりに嵌まってしまったようです。こういうコーナーを作ってしまいました。その内、出なくなると思いますが、お付き合いください。
2005.01.21
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『空に描いた歌』を読んで刺激を受けたのか、和歌か、川柳か、分からないけど、とにかく五七五七七と並べてみました。 ご笑覧ください。(1)地下街で うろつきながら 暖をとる お昼休みは プレ・ホームレス(2)タマちゃんが 来た事もある 新田間川(あらたまがわ) 国一が通る ゴールデン・ポート・ブリッジ(金港橋)(3)スカイ・ビル バスターミナル ここにあり そごーの隣に 成田空港(4)1000円の 盛り合わせなり シュウマイが 一度は食べなきゃ 崎陽軒本店(5)行列は 美味しいお店の 証明か 少ないだけさ テーブルの数(6)ラーメンと カレーライスに トンカツと いつダイエットするの 回転寿司(7)風ぬける 国道1号 陽がさせば 暖かくなる 中央分離帯(8)タクシーの 客待ちシートで タバコ吸う けわしい顔の 負け犬予備軍(9)新星堂 だれのアルバム 買おうかな カエラかみゆき 百恵にマリア(10)丸善で 語学テキスト 手にとって その分厚さに そっと棚にもどす(11)いつもなら 三台は通る この時間 大きな音の 救急車両(12)遠景に みなとみらい見え 空の雲 夕陽に映えて 赤いろ染まる 24節気ごとに読もうかと考えています。次は立春。
2005.01.20
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シュタイナーの著書に『自由の哲学』というのがある。その人の豊富な知識と経験が感性を鈍らせて、その人の魂を拘束しているという。 大人は子供にあれこれ「お説教」をするが、親のやっている事は真似るが、言う事には反発をする。 建築現場では30歳を過ぎると職人さんたちは「歳よりだ」と自分で言い出す。そして、50歳を過ぎると「オレはまだ、若い」という。 人生経験は貴重なものである。岐阜の輪中の村で青年団から「輪中を潰して駐車場にしよう」という提案があった。しかし、70歳を過ぎた古老が猛反対した。「オレの若い頃、木曽川の堤防が決壊してあの輪中があったから村が助かったんだ!」その剣幕に青年団は沈黙した。 その年の秋、台風の大雨、木曽川の堤防が決壊した。50年ぶりのことであった。だいたい、50年に一度は木曽川が決壊するらしい。青年団の若者で生き残った者はまた、この経験を伝えるであろう。 問題は個の人生である。「未来」は何時も初体験である。たよりは、現在を生きている感性・直感である。「過去」知識や経験がこの感性・直感を曇らせる。 年寄はむしろ若い人から学ぶべきである。
2005.01.19
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アキアカネさん、推奨の「阿部和重」まずは町田ブック・オフへ買出しに行った。今度で3回目。迷わずに行き着いた。 2Fの文庫本コーナー。アだから一番端。赤川次郎ばかり、他の「ア」の中に「阿部和重」ナシ。これからの人だから文庫本はまだか? バルザックを探す。高村薫はバルザックだと解説の秋山駿は言う。で、バルザックを探す。岩波のコーナーに、ナシ。 ゲーテの『ファースト』300円、高い。緊急をようするわけでないからパス。 この前、『空に描いた歌』や『金正日の拉致指令』といった掘り出し物をしたコーナーへ。その向かいに新潮文庫のコーナー。ふと、見ると「阿部和重」新潮文庫は別枠で並べていたんだ。『インディヴィジュアル・プロダクション』『無情の世界』を買う。1冊300円。ゲーテ並だ。 ふと、下の平積みを見ると「中島みゆき」『ジャパニーズ・スマイル』この前、日記で話題になった。解説は柳美里。250円。 あと『朝鮮戦争』神谷不二・中公文庫/105円。計955円。 阿部和重、1968年か、柳美里と同じ歳、申年。すぐ分かるのは同じ年のガールフレンドがいるから。彼女・気難しい人で、気に入らないと1年でも2年でも連絡が来ない。阿部和重・写真を見ると気難しそうだ。山形・阿部・・・親戚かなー? 『トライアングルズ』をペラペラとみる。と、細木数子? 何年に書いてるんだ? 平成11年1月? 私が集中治療室にいた頃だ。
2005.01.18
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今日は久しぶりに横浜・国一の中央分離帯。片側4車線、上は高速道路。マスクは必需品である。 少し風があった。週刊誌のカラー・グラビアが1ページ、飛んできて私の足元に落ちた。「山崎真美」トライアスロンに挑戦。グラビア・アイドルも、ただ、おっぱいが大きいとかでは売れなくなったようだ。何か付加価値をつける。 お昼、横浜駅東口地下街を歩く。ブティックなど、衣料品店が多い。なめし皮のコート170,000円の値札。桁見間違えたかな?どちらにしても買わないから、パス。 新星堂に入る。「木村カエラ」のアルバムがあった。KTV(テレビ神奈川)で番組を持っている。サイコロ人形との掛け合いが面白い。去年の秋は台風で仕事の中止が多かった。その時、何気なくテレビを見ていたら、可愛くて面白い女の子が人形と一緒に出ていた。タウン誌に特集があって、木村カエラという名前だと分かった。視聴コーナーで聴く。 筋向いの丸善に入る。横浜をポイントに本を揃えている。それなりに、営業努力をしているようだ。長年の習慣で岩波文庫の前でしばし本を眺める。『兆民先生・兆民先生行状記』幸徳秋水を買う。 現場にもどってみると、地図ノートが1ページ。港北区・都筑区、昔、リハビリでうろついた所。公園がかなり整備されている。
2005.01.17
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昔、読んだ本であるが、何年ぶりに読んだのだろうか?発行は1975年、買ったのは80年代に入ってからだが、書かれている内容は70年代前半の事だ。 著者は朝日新聞の記者で一年間休職をして、韓国の大学に留学をした。1972/4から1973/3までの期間である。 伝説的な人物・朝鮮日報・論説主筆・鮮干ヒ(ソヌ・ヒ)さんとの交友が面白い。 田中さんが好きだというソヌ・ヒさんの短編「韓国人」 新兵訓練所の幹部が、田舎のおじいさんの途方もない願いを聞いて、軍律違反の「タネつけ作戦」をやるというユーモラスな小品。 ある日、新兵訓練所に突然、田舎のじいさんがやって来て、倅を一泊外出させてほしいと頼みこむ。じいさんは女房と、いま入隊している息子の嫁を伴い、山坂越えてやって来たのだった。聞けば、上の三人の息子がいずれも戦死したという。そこへ四番目が召集というので入隊直前にあわてて婚礼をあげたが、どうやらまだ「タネがついとらん」というのだ。 「この年寄り夫婦に残ったものとては、あの倅だけ」といわれた教育部長の徐中佐は奮起一番、参謀長、訓練所長にはかり、金訓練兵のために、村の目立たぬところに一部屋借り、うつむいてチョゴリ(上衣)の紐ばかりいじっている幼い妻と二人きりの「個別精神教育」を一、二時間することにする・・・。 ”教育時間”中、野原をぶらついている老夫婦の姿が、こんなふうに描かれている。 老人はふっと立止まって腰をかがめると、黒土をひと握りすくい上げて、じいっと見つめた。「肥えた土じゃのう」ひとりごとのように呟くと、「婆さんや、こりゃ、うちの瓜畑の土よりもいいじゃろう?」とたずねた。「そうのようだのう」 徐中佐はひと握りの土をのぞきこんでいる二人の老人の目が、幼い児のようにきらいに澄んでいると思った。「山を掘りおこして作った畑は、あれはダメじゃな。ソバでも播くことにするか。のう婆さんや」 婆さんはただうなずいて見せるだけだった。 『朝鮮日報』73/9/7の社説に「当局に望むわれわれの衷情・・・決断は早ければ早いほどよい」を書き、最終版で差し替えたソヌ・ヒ氏の小説家としての別の顔を見る事が出来る。
2005.01.16
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夜空は歴史年表だと思う。あの星の光は何億年も前に光った光で、それが今・現在の地球に到達しているのだという。何億年もの過去の光を今見ているわけだ。 時間の単位が距離を表す単位として使われている。現在を生きるというと時間だけに意識がいくが、常に距離というか、空間、自分が存在する空間・位置があってはじめて時間を生きることが出来る。 夜空が歴史年表なら、我々の職場も歴史年表である。素晴らしい技術を持つ同僚は光り輝いているが、それは過去のあるときに研鑚・研磨され、現在にまで積み重ねてきた輝きである。 現在を生き抜くためにはそれぞれが歴史年表である事に気づき空間の広がりを把握する気配りが必要になってくる。 ネットでいろいろな人たちと出会って、情報交換をするためにも、それぞれが独自の歴史年表と独自の空間を保有していて、そのどの部分と共鳴できるのか? 夜空の星々を旅行している気分である。
2005.01.15
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職人さんがよく言う言葉なのだが「仕事がはかどるか、どうかは段取り次第だ」これは真理だと思う。 最近の宗教家は「現在を生きよ、瞬間、瞬間が大切だ」という。まあ、昔からも「1日の苦労は1日で足れり。明日の事を煩うなかれ」と言われている。 宇宙の時間で考えれば人間の一生など、瞬間そのものなのだが、その瞬間が長い。1年の終わりに「1年経つの早いね」「だけど、1日は長いよ」と警備員の同僚達と毎年のように会話をかわしている。 よき「段取り」をするためには「先を読む」能力がいる。昨日の「段取り」で今日の「仕事」がはかどり、明日への仕事の「段取り」をする。現在という瞬間の中に過去も未来も含まれている。 計画を立て、実行し、反省して検証する。この繰り返しが幸福を獲得していく基本原則だと思う。しかし、運不運についてはこの原則はあてはまらない。 そこが問題なのだが、どうしよう?
2005.01.14
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『金正日の拉致指令』の中に、重要な数字が出ていた。終戦の年、日本にいた朝鮮人は200万人前後。 1944年(昭和19年)末、日本内務省統計では191万1307人。(沖縄、樺太は含まれていない)200万人の内訳 約30万人「戦時動員」国家総動員法による労務動員 約10万人 軍人・軍属 約160万人「自由渡航者」 1946年2月17日から市町村に登録呼びかけ(GHQ命令) 3月18日時点で64万7006人 終戦から約半年で135万人が朝鮮に帰った事になる。 大陸からの引き上げ船の復路を活用。 「強制連行」という言葉が一人歩きしている。 この言葉を思いついた人はこれらの数字を知らなかったのではないかと思う。
2005.01.13
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テレビ朝日のキャスターをしていた人だ。アメリカ育ちの日系人。どうみても日本人そのもの、日本語も日本人以上に立派。名前を忘れてしまったが、若林(ニュース・ステーション)さんと組んでよく座談をしていた。 大谷石の採掘跡地が陥没して大きなニュースとなった。土地の農家のおばさんがインタビューに応じていた。「えらいところへ嫁に来てしまったものだ」と言って、ケラケラ笑った。 そのキャスターが怒った。「笑うとは何事だ!」 ああ、この人、日本人みたいだけど、アメリカ人だと思った。 1か月もして、このキャスターは替わった。彼はアメリカ特派員ということになった。時々、アメリカからリポートをするだけになった。 本当に困った時、笑うんだよね、日本人は。 仮面の笑顔がある。横田めぐみさんのお父さんがそうだ。娘が行方不明になって、6年間新潟にいた。変死体が出るたびに娘の歯型の資料をもって、警察へ出向く。始めのうちはご夫婦で行ったが、途中からお父さんだけになった。 半年、玄関のカギをかけなかった。灯りも100ワットにした。夜中自動車の止まる音がすると慌てて外に飛び出した。 そして5年10年15年が経ち、20年目に「生きている」という情報が飛び込んできた。 お母さんの凛とした毅然とした態度もお父さんの優しい笑顔もディフェンス・防衛である。弱い心を守る為の防衛である。 さんまちゃんが離婚記者会見のとき、額にバツ印をつけて、「私もバツ一になりました」と明るく語った。心の奥の悲しみは感じうる人は感じるでしょう。 言葉と言葉の間に感情がこもっている。その感情が読み取れないのは耳を向けていないからだと思う。こちらの心が静かになっていないので、向こうの波動を受け止める事が出来ない。 目の見えない人は電気が消えても生活できる。落語で停電で困ったという人たちに「目が見えるというのは不自由なもので」と。
2005.01.12
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町田のブック・オフでこの本を手にとって、「朝日」?と思った。何で? 中味を見て解説に田原総一朗? 一般の常識として朝日はあちら側の人達。朝日の人間がこれをスクープしたのか。●1995年6月23日夜、韓国・情報機関・高官より朝日放送報道局プロデューサー・石高健次「拉致された中学生」の情報を入手。●1996年10月『現代コリア』に原稿・女子中学生拉致。●1996年12月14日新潟・公務員宿舎「ニュー越路」で現代コリア研究所長・佐藤勝巳が講演。約70人の聴衆。その中に新潟県警・警視を含む警官8人。懇親会で佐藤氏「うちの雑誌にこんな記事」警察関係者「それはめぐみちゃんのことだ!」「めぐみちゃんはいきていたにか!」●1997年1月23日川崎の横田氏へ事実を伝える。●1997年2月3日新進党の西村真悟議員、衆議院予算委で橋本総理に質問。 朝日に「田中明」という記者がいた。週刊朝日によく韓国のレポートを署名入りで書いていた。1970年代のことである。彼の記事を読んで、「週刊朝日」という雑誌のタイトルをもう一度確認したものだ。それほど当時の朝日の論調とは違うまともなものだった。 今、朝日放送に石高健次というディレクターがいて金正日政権を根底から揺さぶっている。◆これから読み返して確認しようと思っている資料。『ソウル実感録』田中明・北洋社・1975/9/1『ソウルと平壌』萩原遼・大月書店・1989/10/30『朝鮮戦争』金日成とマッカーサーの陰謀・萩原遼・文芸春秋・1993/12『朝鮮と私 旅のノート』萩原遼・かもがわ出版社・1995/6『宿命』「よど号」亡命者たちの秘密工作・高沢皓司・新潮社・1998/8『北朝鮮に消えた友と私の物語』萩原遼・文芸春秋・1998/11
2005.01.11
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『地を這う虫』文春文庫、『マークスの山』講談社文庫、『リヴィエラを撃て』新潮文庫を読んだ。次に『黄金を抱いて翔べ』を読み始めたが、中止。ちょっと休憩である。 高村薫には以前から関心があった。映画「月はどっちから出ている」で崔洋一が注目され、彼の次の作品が映画「マークスの山」だった。駄作らしい。宣伝用のテレビ・ドキュメントなのだろうが、原作者の高村薫が「あきれてものが言えないわ」という表情が画面にアップされていた。崔洋一は「原作と映画は違いますから」という言葉に力はなかった。 去年の暮れに「八鹿高校事件」のことを日記に書いた。コメントをもらった人のページに行くと「高村薫・地を這う虫」のことが書いてあった。早速、『地を這う虫』を買ってきて読んだ。 4つの短編集である。元刑事というのが共通しているが、警備員であったり、サラ金の取立人であったり、代議士の運転手だったりする。私の同僚にも元警官という人がいるが、自分も含めて身近にいるタイプの人達が作品に登場する。 『マークスの山』この作品で事件の舞台となっている場所、山梨の山を除けば私がよく知っている場所である。松戸の病院・町屋・府中の刑務所・西国分寺・八雲・碑文谷・梅島・西新井・王子・大阪阿倍野・都立大駅前・上野の映画館・金町のすし屋・赤羽駅西口・中野の警察学校など。 具体的なイメージが浮かぶ。そこで起った事件に刑事たちがどう反応していくか。 精神病を患っている人物の内面を描いている。崔洋一の映画がどのように「駄作」であったのか確かめてみたいと思う。 解説の秋山駿はバルザックだという。 元警視庁刑事 故鍬本實敏氏へ というのも気になる。 『リヴィエラを撃て』は『マークスの山』で予備訓練されていたから読みきれたと思う。情報機関に関わった人たちも末路は哀れである。キャノン機関のキャノンがNHKのインタビューを受けていた。初老の男が若き日に働いていた国の報道機関からインタビューを受ける。ヴェトナム戦争が終わった後だから取材許可が出たのだろう。かなりきわどい話もあった。しばらくして銃の暴発事故で亡くなったという記事(サンデー毎日)を読んだ。 絵空事のサスペンスとして読むのが一番健康的な読み方なのだろうが、なまじっか情報機関の具体的な資料を沢山読んできた者にとって、話が広がっていく。 恵比寿2丁目のアパートにIRAのテロリストとその恋人(中国系イギリス人)が住んでいた。(つづく)
2005.01.10
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冬晴れの日曜日、こんな日は家にいることはない。洗濯を済まして小山田に行く事にした。帰りは銭湯に寄る事としてタオルの用意をした。文庫本『リヴィエラを撃て』も持っていく。 淵野辺、バスの待ち時間が40分、文庫本を読む。小山田までは10分ちょっと。T字路の角がバス停で右に行けば小山田の中心部。左に行くと南大沢に抜ける。左に行って数十メートルで右に行く道があるが、そこを行くと唐木田に抜ける。 今日は南大沢を目指す。道の左側に小川のせせらぎ。鶴見川の源流に近い。源流300メートルの看板がある。日陰はまだ雪が残っている。しばらく行くと写真で見た風景。湧き水で小さな池になっている。鶴見川の源流である。ベンチもあって、小さな公園になっている。鶴見川全長43km。生麦で東京湾につながる。 しばし文庫本に目を通す。 道は左に曲がって、ゆるい上り坂。資材置き場や工場がある。不法投棄のゴミなのだろうか。先ほどまでの風致地区と風景が全く違ってきた。柵には都市基盤整備公団の名前。 牛の糞のような臭い。牧場があるわけではない。ゴミの臭いだ。土建屋さんの会社が二つ三つ続く。犬もいる。自動車道路が見えた。尾根幹線である。長池公園の高台が見えた。南大沢である。源流の所から15分くらいだった。こんなに近かったのか。 長池には伝説がある。浄瑠璃姫の伝説である。 www.natsuzora.com/may/park/nagaike.html この公園にはお昼休みに時々来た事がある。里山クラブもあって、活動は活発である。公園の高台からは見慣れた風景が見える。1年ぶりである。 長池で伝説の石碑を確認しようと思ったら、バード・ウォッチングの人たちがカメラや双眼鏡を構えている。しばらく、鳥が移動するのを待つ。こちらは木にもたれて文庫本を読む。 この長池の水は多摩川に流れる。公園の出口に四谷見附の橋が移築されている。右にある公団のマンションは数年前、売れ残りを理由に6000万円台が2000万円台に値引きされたものだ。橋の下も大きな池になっていて、2時間のサスペンス・ドラマのロケに使われたこともある。 自分が2年いた現場、もう出来上がって1年が経っている。私が使っていたガードマン・ボックスのあった場所に大きな木が植えられている。きっちり根付いたかどうか、心配だったが枯れず、風に吹かれていた。 南大沢の駅前のコンビニで何時も買っていた鱒すしのおにぎり2個。昼飯である。バスで鑓水経由で16号線沿いにある「ロテンガーデン」へ。天然温泉である。待つ事、35分。文庫本を読む。 もう一昨年になるが仕事の帰りにたびたび行った。膝の痛みがとれたらと思ったのだが、ダメだった。 露天風呂やサウナがある。塩のサウナの部屋もあり、膝に塩をすり込んだ。日曜で満員だった。 橋本から横浜線。始発がある。電車が発車するまで30分。文庫本を読む。『リヴィエラを撃て』読了。
2005.01.09
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蓮沼は池上線で蒲田から一つ目の駅だ。駅の周辺にそれなりの商店がある。交番があり何時も警官が駐在している。昔のままである。 朝、夢を見ていた。私と話をしている男が女の声だったり、男の声だったりする。その声の主は「ラジオ深夜便」だった。お聖さんが男性のアナウンサーからインタビューを受けていたのだ。声が若い。かもかのオッちゃんが亡くなってから若返ったのかな? 詰所は暖房が効いているが、私はそれが嫌いで外にいる。朝礼会場にいると、見覚えのある職人さんがいる。えーっと、えーっとと思い出そうとする、あっ、ウレタン屋の親方。向こうから声をかけて来た。向こうも唸っている。何処であった警備員か思い出そうとしているのだろう。2年ぶりの再開である。1年近く、毎日のように顔を合わしていたのだ。 お昼の時間、古本屋をのぞいたが高い。やはり、町田のブック・オフが一番安い。 帰り、隣の駅・池上まで歩いた。本門寺まで行く元気はなかった。二子玉川で「たこ焼き」
2005.01.08
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2005年の仕事始めは「京急・蒲田」だった。JRの蒲田から約10分程歩く。途中からアーケードのある商店街になる。 現場近くに八幡様、何か由緒のある神社らしい。初詣がまだだったので帰りに参拝。お賽銭100円。 古本屋で文庫本2冊。『ハプスブルク一千年』中丸明・新潮文庫・200円。『戦う石橋湛山』半藤一利・中公文庫・300円。 京急・蒲田の商店街にも「東亜」という珈琲専門店がある。まだ、つぶれてなかったんだ。池上線・長原の「東亜」にはよく入った。解体屋をやっていた頃で現場が長原にあった。丁度、昭和から平成に変わる頃だった。今日、1月7日がその日だ。仕事が中止になった。あれから、17年たったのか。 「カフェ・トーア」という特製のメニューがある。甘いコーヒーに分厚くミルクが乗っている。透明のグラスに入れて持ってくるからそれを眺めているだけでも美味しそうである。 スプーンでかき混ぜないでそのまま飲んで口の中でミルクとコーヒーを混ぜる。少しずつ少しずつ、上品に飲む。以前は長いグラスでアイスだったが、今日のは小さな透明のコーヒー・カップ。ホットだった。17年ぶりの味。美味い、480円。 高村薫の『リヴィエラを撃て』を読んでいる。下巻のp110を電車の座席に座って読んでいた。主人公達がイギリスから出国できるかどうか、ハラハラ・ドキドキのところ、突然、棚から「新聞」が文庫本の上に落ちてきた。 横に立っていたサラリーマン風のおじさんが「すみません」とその新聞を拾って、また、棚の上にあげた。次の駅でそのおじさんは電車を降りた。顔を上に向けてよく見ると「夕刊フジ」情報は向こうからやってくる。 当然、その「夕刊フジ」は私のかばんの中へ。ニッポン放送の塚越孝さんのコラムがある。朝5時から放送している人で、何時も話題にしているのだが、買ってまでは読まない。お賽銭の分、戻ってきたのかな。 駅の売店で「週刊文春」320円。
2005.01.07
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1987年(昭和62年)から東洋大学が全国の若者から短歌を募集している。毎年、「現代学生百人一首」として小冊子にまとめられている。その11年分の中から選ばれた短歌がこの『空に描いた歌』におさめられている。 俵万智さんが『サラダ記念日』で注目を浴びたのが、同じ1987年の5月であった。俵さんが言う「短歌とは『思い』を届ける手紙。『今』を生きる若者たちの息づかいが、三十一文字の真空パックで収められている」(1)学園生活【「せんせい」と子どもに足をつかまれて夢に近づく保育実習】香寺高校2年(兵庫)高浜麻衣子 '93年【逃げだせぬ入学試験教室(へや)の隅『非常出口』が気になっている】池田高校3年(徳島)大西文子 '94年【日本史の講義で熟睡してる間に何百年も時代がすぎる】文化女子大学附属杉並高校3年(東京)広田涼子 '96年(2)恋/友【一秒間あなたと視線があうだけで今夜の日記は一ページ半】桑名高校2年(三重)谷貝朋美 '98年【今もなお心に残る大地震友の笑顔は13のまま】神戸高塚高校1年(兵庫)山口由佳里 '98年【どうしても最後のゼロが押せなくてすわりこんでる電話ボックス】福山誠之館高校3年(広島)井上由香 '88年(3)家族/日常風景【『若菜集』授業で読んで気が付いた名づけてくれた父のやさしさ】東京農業大学第一高校2年(東京)有賀わかな '93年【一葉も通える安藤坂に立ち夕陽仰げば新宿ビル群】明治学院高校3年(東京)木村美春 '95年【宅配便の底に敷きたる新聞がほのかに匂うふるさと遠し】宇都宮大学3年(栃木)大塚綾子 '97年(4)社会/希望【記念すべき20回目のバースデー年金払えと通知が届く】新潟大学2年(新潟)関川聡 '94年【車椅子の我受け入れしこの国を第二の母国と慕いて学ぶ】オハイオ州トレド大学(米国)内田早苗 '94年【障害ある身をば忘れさす異国にて「地球人」となり己が道探す】トレド大学大学院(米国)内田早苗 '96年 相模原市・橋本で弁当屋を20年やっている友人がいる。年に2回遊びに行く。駅から彼の店に行く途中に橋本高校がある。その高校の前に書店があり、時々本を買った。その隣のレストランで食事をしたこともある。 俵万智さんが橋本高校の教師をしていた頃、どこかですれ違っていたかもしれない。ただの通りすがりなのだが、それだけで彼女に親近感を持っている。その親近感のおかげでこの『空に描いた歌』に出会ったのである。
2005.01.06
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鶴見川が大きく左に90度折れ曲がっている。小さな支流が左右から合流していて、大雨が降ると真っ先に警戒水域に達するところである。周りは遊水地よろしく畑ばかり、その畑のど真ん中に巨大なUFOのような国際競技場が下り建っている。 駅を出てそのUFOを右後ろに見ながら線路沿いに行くと小机城址市民の森がある。 昔のお城というより砦である。小さな丘に空堀を巡らし、四、五百人程度の戦闘にはちょうど良い大きさである。 富士山がよく見える。長津田は丹沢に近いせいか富士山の頭の部分しか見えない。川崎の方がよく見えた。この小机城址は高台だからなのだろう、富士山の頭の部分がかなり下の方まで見える。 木の机は半分燃えて黒くなっている。その上をベニアで補修したのだろう。そのベニアもボロボロ。しかし、文庫本を読むには苦にならない。『マークスの山』は読んでしまったので『リヴィエラを撃て』を読む。今度はお茶やおにぎりを持ってこようと思う。 横浜線を越えていくと道路を挟んで商店が続く。銭湯もある。 長津田の246の交差点、見覚えのある10tトラックが赤信号で止まる。やはり、なじみの運転手である。やぁーと声をかけたが怪訝な顔。2年前だし、制服でないから思いだせないのだろう。「南大沢の警備員!」愛想笑いが返ってきたが、信号が変わった。手を振って別れる。時々、同じ会社のトラックを見かけるが都合良く信号で止まることは少ない。
2005.01.05
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町田へ出た。ブック・オフで本を買う予定であったが、そのブック・オフが見つからない。 クロス屋の店頭でニットの帽子を売っていた。以前は野球帽をしていたのだが、満員の電車の中で鍔が前にいる人の背中にあたる。新しいのを購入。525円。 お茶屋があった。ハーブも売っているようだ。値段も手ごろなのでローズ・ヒップを100g買った。630円。 やっと、ブック・オフの前に出る。『マークスの山』上下/高村薫・講談社文庫。93年直木賞『リヴィエラを撃て』上下/高村薫・新潮文庫。93年日本推理作家協会賞『黄金を抱いて翔べ』高村薫・新潮文庫。日本推理サスペンス大賞『余白の春』瀬戸内晴美・中公文庫。『空に描いた歌』俵万智/選・角川文庫クライシス『ヴェトナム ディープウォッチ』臣永正廣/文・外山ひとみ/写真『蜻蛉日記』角川書店/編・角川ソフィア文庫『金正日の拉致指令』石高健次・朝日文庫以上10冊。105円X10=1050円 駅の南口まできた。ここまでくると、天気もいいし、成瀬まで歩く事にした。町田街道を歩く。金森、杉山神社に来た事がある。途中の団地のベンチで一休み。風が強い。 成瀬のドトール、ここは本が読みやすい。2階で見晴らしがいい。ローゼンでチーズと生牡蠣、お好み焼の材料を帰り、電車に乗る。 長津田の通りでお囃子が聞こえる。獅子舞である。400年の街だけの事はある。若い人たちだ。
2005.01.04
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大晦日、久しぶりに「レコード大賞」を見た。「紅白」に切り替え、K1に切り替え、12CHの「大食い」に切り替えといそがしかった。 演歌は氷川君だけでいいし、何で今更、男女に分かれて覇を競い合うのか、ハタ・陽区の「紅白切り」が一番みんなの気持ちを表していると思う。 そこで提案である。「紅白」と「レコード大賞」と「お笑いバトル」の3つを合併させて、一つの番組にして、大晦日にやる。今は、瞬間聴視率がでる。審査員はいらない。見ている聴視者が審査員である。そこで番組中、最高聴視率をとった人物に大賞を贈ればいい。それが「聴視率大賞」である。 直ぐには結果はでないけど分かった時点で表彰する。賞品は1時間番組を自由に作れるということでその番組で表彰すればいい。2月か、3月か、特番を作ればいい。
2005.01.03
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1975年秋、離婚という結論がでた。しばらくして街に中島みゆきの「わかれうた」や「時代」というメロディーが流れた。当時、渋谷・広尾が私の営業先だった。広尾・離婚・中島みゆきが三点セットになって私の心の奥に鎮座することになった。 渋谷・公園通りのホテルのレストランでお昼の食事を一人でする中島みゆきを見かけたことがある。清楚な20代の彼女であった。松山千春は「みゆきが美人かよ」と質問の女子アナに応えていたが、あれはテレ隠しだったのか。 日テレの「おしゃれ・かんけい」で古館に「生まれていたらどんな子供に育っていただろう」と千春は言っていた。当人が一番苦しんでいたのだろう。 みゆきの歌詞に「浮かれ街あたりで名をあげる」とあるが、千春のことだったのか。 「離婚という寂しくて絶望の気持ち」が「みゆきの歌」と「広尾の場所」に封印されている。 はじめて買ったアルバムは「寒水魚」。「私の声が聞こえますか」から「はじめまして」まで持っていた。「絶望の淵」を見つめていると勇気がでる。というより、感情が動く。その「絶望の淵」が過去の出来事になるのに10年かかった。 外交文書も30年経つと一般に公開するらしい。あの離婚から30年経った。一般公開しても、誰も見に来ないか?
2005.01.02
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謹賀新年今年もよろしく!西暦2005年 平成17年 昭和80年 昭和生まれなので、年号をそのまま使っています。
2005.01.01
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