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昭和50年の夏、5日間、戸津説法は行われた。最澄以来の伝統で、この説法をした人でないと叡山の座主にはなれなかった。しかし、和尚は癌の手術の後で、この2年後には死んでしまった。 この説法の中に多くの人物が登場する。和尚の人脈の広さである。 まず、岸信介がケネディの葬儀に派遣された時に、弟の佐藤栄作にクレイムをつけたという。出っ歯である。笑ったような顔は葬儀に向かないと。 日教組が出来るときに、専従者が多いとイデオロギー論争になり分裂すると徳田球一に忠告したそうだ。徳田は「今の野郎は敵だけどいい事を言う」と日教組の大会で今の主張を述べたが無視されてしまった。 後はご覧の通り、今、イジメ問題の責任を押し付けられて消滅寸前である。 キリスト教は「はじめに言葉ありき」で理念から教え込もうとするが、宗教という言葉自体明治になってから、「レリジョン」の訳である。 日本では元々、シンジン・信心と言った。はじめに信心ありきで、和尚の説法は日本人が忘れていた信心を思い出させてくれるものだと思う。
2006.11.30
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今東光和尚と会ったことはない。『毒舌日本史』という本を読んでいただけで、本格的に関心を持ち始めたのは楽天で日記を書き始めて【たまゆら】さんとコントクトしてからである。 【たまゆら】さんの紹介で『毒舌・仏教入門』を読み、深入りする事になる。 私が小学生の頃、映画『お吟さま』の派手な看板を憶えている。流行作家としての今東光の登場だった。水間寺の住職としてよくラジオで聞いた記憶はある。 お父さんのことが話題になることが多かった。神智学のロッジだったこと。謎の人物としてである。弟の今日出海、文化庁の長官。 この『毒舌・仏教入門』に少し父親のことが書かれている。 ヨーロッパ航路の船長をしていた。年に2回ぐらい家に帰ってくる。和尚・悪ガキで酒は小学生時代からタバコは中学から嗜んでいる。で、父親の船長室からエジプトの高級タバコをかっぱらって、自宅の便所で隠れて吸っていたそうだ。 あるとき、自分の机の上にエジプトの高級タバコが箱ごと置いてあった。恐る恐る父親に尋ねると「吸いたければ堂々と親の前で吸え、くさい所で吸ったって美味くなかろう」という。 和尚、若気の過ちで人の女房・バーのマダムと駆け落ちをしたことがあるという。その亭主がものすごい剣幕で和尚の家に怒鳴り込んできた。対応したのは船長を退職して、悠々自適、セオソフィー(霊智学・神智学)を研究していた父親。 相手の男「お宅の息子は何たる男だ。悪い奴とは思わんのか!」と脅かした。 父親「おっしゃるとうり、あいつは悪い子です。しかし、そんな悪い男に、あなたの愛している奥さんを盗まれるとは何事ですか」と追い返したという。(和尚の弟の証言) 福沢諭吉は物心がついた頃にはコップ酒で晩酌していたという。 学校というところで教師達は余計な事をして、子供達の才能を踏み潰している。そういう教師に踏み潰されず、たくましい人達が育って欲しいと思っている。
2006.11.29
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◆【今東光和尚の間違いについて】を書くつもりだった。天台の改革案「密教を独立させ、顕教の中に大般涅槃経を入れる」この涅槃経に今までの仏陀の教えをチャラにするというのがあり、和尚の好みそうな教えだが危ない。 もう一度、和尚の本、読み直してみたが、2年前に読んだ時ほど深刻にはならなかった。で、和尚の年譜を書くことにした。明治31年(1898)0歳 三月二十六日、横浜で生まれる。明治40年(1907)9歳 大阪の叔父宅に寄宿大正3年(1914)16歳 関西学院中等部一学期諭旨退学。兵庫県立豊岡中学校二学期に退校処分大正9年(1920)22歳 川端康成と出会う、東大テンプラ学生大正10年(1921)23歳 第六次「新思潮」同人大正12年(1923)25歳 「文芸春秋」同人大正14年(1925)27歳 『痩せた花嫁』金星社より刊行昭和5年(1930)32歳 東京・浅草寺伝法院で出家→比叡山へ昭和9年(1934)36歳 茨城県安楽寺昭和13年(1938)40歳 「運命学」に『易学史』を連載昭和21年(1946)48歳 結婚昭和26年(1951)53歳 大阪・八尾・天台院住職昭和31年(1956)58歳 中外日報社社長昭和32年(1957)59歳 『お吟さま』で直木賞昭和33年(1958)60歳 帝塚山学院、四天王寺学園、相愛女子短大で講師(比較文学)昭和36年(1961)63歳 大阪・貝塚 天台宗水間寺住職昭和40年(1965)67歳 中尊寺貫主昭和43年(1968)70歳 参議院議員昭和47年(1972)74歳 川端自殺昭和48年(1973)75歳 「週刊プレイボーイ」で人生相談、瀬戸内晴美・出家昭和50年(1975)77歳 戸津説法昭和52年(1977)79歳 九月十九日、示寂◆比叡山では70歳台は若手、現在、寂聴さんは85歳、中堅である。和尚の分も頑張って、後、20年は働いてもらおう。
2006.11.29
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馬に乗って街を凱旋するナポレオンを見て、ヘーゲルは「見よ、時代精神が行く」と言ったとか。 その言葉を受けて1930年代の時代精神はアメリカにルーズベルト、イギリスにチャーチル、ドイツにヒトラー、ロシアにスターリンということになろうか。 では、日本ではと悩む。私は大谷光瑞だと思っている。イスラームと組んでキリスト教世界を引っ繰り返そうというプランを持っていた。しかし、このプラン、毛沢東が引き継いだという。 これらの時代精神は世界大戦という騒動でそれぞれが具現化することなく、戦後社会に埋没してしまったように思われるが、しかし、伏流となっていて、また、頭をもたげている。 大谷プランは毛沢東に、そして、ヴェトナムの復讐として、アメリカがロシアに対して採用したが、今度のイラク戦争で破綻してしまった。 【一人勝ちという考え方】自体が間違いではないかと思う。これは今、今東光の本「毒舌・仏教入門」集英社文庫1993・3・25を読んでいるのだが、アルプスは一人では越えられない。協力する仲間が必要だと言う。国際社会も同じで、60年代にはチラリ見えたような気がするが、今度はどういう形で登場しうるか?
2006.11.28
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キリスト・イエスは「福音を世界中・地の果てまで述べ伝えよ」と弟子達に言っている。その言葉を忠実に実行したのが、バチカンであり、ソ連のコミンテルンだった。 元々、ソ連にはロシア正教があり、その業務を一時コミンテルンが代行していたと見た方がいいと思う。スターリン主義は形をかえたロシア正教で今それをプーチンがやろうとしている。 佐藤優という人がいるが、彼は組織神学を専攻していて、このロシア正教のよき理解者で、今のプーチン・プラン、その手の内をよく知る人である。 バチカンの意を受けて、イエズス会が日本にもやってきたが当時日本には信長という彼等の提携者と成りうる人がいた。 この福音伝達者たちが20世紀に入って、ハワイで集まったと言う話。結局、彼等キリスト教が世界を支配できると思ったのだが、日本に邪魔をされた。この日本を骨抜きしようという結論らしい。→こうなると完全な陰謀史観だが、この仕掛けの実行者・アメリカの先が見えた。この後はプーチン・ロシアの出番であるらいいのだが、日本の出先が(佐藤優)鈴木宗男→森喜朗かな? 【反省】陰謀史観愛好の後遺症が残っているようですが、何か参考になれば???
2006.11.27
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友人からの案内で、舞踏・ライブ公演を見に行ってきた。会場は神田。聴衆の定員25名という贅沢なもの。会場を提供しているのは行動心理学者でもあり、アーティストでもある人物。 神田といっても木造モルタル2階建て、その2階が会場。狭い階段を上がって、板の間に座蒲団が置いてあるだけ。後に2段階段式に腰掛ける場所はあった。 暗い部屋、白装束の踊り手が2人。無言、シンセサイザーの音が響く。照明が場所によって違う。顔の表情が微妙に違ってくる。 入れ替わりに一人、白装束だが、顔はお坊さんである。人格が顔の表情に出る。これほど人格が表情として表現されているのは初めて見る体験である。 次は女性が一人。目隠しをしている。それがエロティックさにアクセントを与えている。山の精を感じたが、都会の部屋の中で悩む女性を表現していたのかもしれないが、こういうものは後からの意義付けで二義的解釈かもしてない。 2つの公演の後、音楽を演奏していた心理学者から、心理学の講座があった。脳のイメージが先に出来上がっていて、それを変更させられるものがアーティストとしての芸術であるという。 紙コップにワインが入れられて配られた。菓子も出されて、質疑応答が始まった。【金沢舞踏館】楽道庵ライブ公演「剥製にされた夏」出演:白榊ケイ 音楽協力:舟沢虫雄 衣装:吉多陽子「臭いの擬態.2」出演:呂師 和歌 林慶一 演奏:関野秀男 演出:山本萌身体複眼考「見えてきた身体」講師:関野秀男
2006.11.26
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在日という言葉に違和感がある。この在日には古賀政男や美空ひばり、菅原都々子などを含んでいるのだろうか? 昭和30年頃、菅原都々子のリサイタルルが大劇(大阪劇場)で開かれた。「月がとっても青いから」という歌がヒットしていた時だった。客席の1階、中央横通路に白いチマチョゴリを着た20歳くらいのおネーさんたちが横一列に並び、歌の間隙をぬって奇声を挙げていた。 私は両親と兄、家族4人で行き、前の方の席だったのだが、後を向いてそのおネーさんたちの手を振り上げる姿を眺めていた。 昔は、一々、言わなくても皆知っていたように思う。しかし、今は、一々、言わないと分からなくなったのか、面倒なことである。
2006.11.26
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【検索】は面白い。昔なら本屋を何軒も廻っても出会えな情報に数秒というと大袈裟だが、数分で出会える。 森→奥田敬和→あべ よしひろhttp://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061020 オウム事件に絡む警察人事でこの奥田さん本来の気骨を示している。その敵対陣営が森派の前身・安倍派。
2006.11.26
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私が金沢に居た昭和45±3年頃、森さんは若手の代議士で、今では死語になってしまった【ヤング・ミセス】に人気があった。 また、岸信介が頻繁に来沢(金沢に来ること)して、講演会などをしていて、その宣伝のポスターがよく電柱に括り付けられていた。 今回の訪台は物産展がメインのようだが、中国の非難もあまり声高ではない。岸人脈の不思議な点はアメリカだけでなく、ロシア・中国にもあることで、その接点に北朝鮮もある。 その岸人脈を継承しているのが、森元首相である。
2006.11.25
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在日という言葉に違和感がある。私が大阪を出た昭和42年頃、そういう言葉使いはなかったように思う。朝鮮・朝鮮人・半島の人、いろいろな言い方があったが、韓国人という韓国も70年代になってから一般化したように思う。 80年代、社会学者の言葉として「在日」を聞いたことがあった。一般人が使い出したのは90年代になってからだったように記憶している。 確かに朝鮮人は朝鮮半島に居る。しかし、本体は満州であり、沿海州であり、内陸部深くに生息していた。 今、現在、北朝鮮の本体はロシア領にいると言って良い。 六か国協議で株を下げたのは米中韓、沈黙のロシアは相対的に株が上がったことになる。この協議の目的は如何に日本に北朝鮮を押し付けるか? 一種、我慢大会なのである。
2006.11.24
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冥王星が惑星でなくなった。これはある意味米国没落の予兆である。そもそも冥王星が存在すると予測した人がいた。パーシバル・ローエルである。明治時代初め日本に通訳としてやって来た。ボストンの名門の人。 日本紀行として『オカルト ジャパン』という本を書いている。この本の表紙にローマ字で【baranohanani】という意味深長なことが書かれている。韓国にも行き、韓国語もマスター、日本の韓国支配の事情レポートをボストン向けにも書いている。(彼のものかどうか、学者のは異論を唱える人もいるらしい) 日本から帰って、天文台の所長になり、【火星人の想像図】とか【冥王星の存在・海王星の外に惑星がある】を予見した。 今年、この冥王星が惑星でなくなり、タダの宇宙浮遊物体となってしまった。 アメリカを象徴する20世紀初頭にその存在が確認されたのだが、21世紀初頭にその意義が変質してしまった。 アメリカの役割とは何だったのか(過去形である) ローマ帝国の再現、大蒙古の再現、歴史上登場した大帝国は出現・栄え・頂点に達し・衰退・滅亡した。新しい葬礼が始まる。今から43年前、ケネディの葬礼を我々は見た。今度はアメリカという帝国・文明・生活様式、その全てが【終わり】が始まる。 【自業自得】これはアメリカという国、その始まりから終わりまでを総括した言葉である。 米中同時崩壊、残るのは何処?
2006.11.23
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沖縄の米軍基地を「中国に売り飛ばせないか」と考えて20年になる。上海近くに舟山列島という小さな島の連なりがあるが、あそこがいいと思っている。 昔、渡辺正策という馬賊がいて、敗戦の後、満州から逃走の最中、この舟山列島の女海賊に匿ってもらったことがあるという話であった。 防衛線を中国まで持っていってもらえば、沖縄は安全である。こういった、面白事は選挙の争点にはならない。今度できる米民主党政権と中国とがもっと接近して米中安保でも結んでもらえば実現できるかもしれない。 社会党にも民主党にも飽き飽きしている。独立を口走る連中は中国の提灯持ちで竹中労の残党+ただ、傍迷惑な連中である。 私の大阪の家に昔から時々沖縄からの訪問者があった。政治活動の金策である。50年も前の話だが、今もそう状況は変っていない。父の友人が梅田で手広く商売をしている人がいて、口添えを頼みたいからだろう。私は後ろで聞いていたが、話としては面白い。 昔から、独立を口にする連中は居たが、いざ、という時は腰砕け、あの社会党の上原、結局、安保を認めて政権に就いたが、それまでの政治主張はどうした? 聞き飽きたヤマトの連中のたわごと、知らなかったら、黙っとれ!
2006.11.23
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岩見隆夫『日本の歴代総理大臣がわかる本』三笠書房2001・8・25を調べた。この本には戦後27人の総理大臣と総理一歩手前で涙を飲んだ14人が書かれている。山下元利のことも出ているかと思って読んだのだが、出ていなった。 山下は一歩だけでなく、何歩も遅れを取ってしまったのだろう。しかし、人間・山下元利はその人生を精一杯生きたのだと思いたい。 特に、京都ホテルでの話、生神様と一緒に食事は出来ないと、テーブルの横で立ち尽くしていたというのは、人間・山下元利が唯一自己主張した一世一代のパホーマンスだったのかもしれない。
2006.11.23
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1963年11月22日の深夜26時といった方がいいかも知れないが、次の日が祭日で学校が休み、高校一年だった。初めての衛生中継、アメリカから放送がくるというので、テレビを点けて待っていた。 画面は砂漠、それを背景に沈痛な面持ちのアナウンサーが「宇宙中継、初めての放送を悲しいニュースでお知らせしなければなりません」と言った。 どうやら、ケネディ大統領が暗殺されたという。アメリカ人はジョークが好きだとは、聞いていたが、冗談だと思った。ジョークでも「大統領暗殺」はやりすぎだよなー・・・。当然、次の言葉を待ったが、「ジョークです」という言葉はなかった。 もう、あれから43年。
2006.11.23
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「奄美の独立」に関する本、例の先生の本で読んだ事がある。大昔の話。 「新沖縄文学」という雑誌があった。大城さんが出していたのだが、20年ほど前、奄美特集をしていた。 奄美から見ると沖縄は帝国主義であるという。 1609年、薩摩の侵攻を受けた琉球王国は奄美を薩摩の直轄領として割譲されてしまった。 奄美は現在、鹿児島県であるが、沖縄県に入る気はないという。入るとしたら長崎県か東京都がいいという。 奄美の選択肢は(1)独立(2)鹿児島県(3)沖縄県(4)長崎県(5)東京都 となるそうだ。 後3年で、割譲400年になる。この2009年、奄美で皆既日食があるという。何か、動きがあるのだろうか。多分、(5)東京都と合併という運動をやっているかも知れない。
2006.11.22
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聖書に「はじめに言葉ありき」と書いてあるのだが、あれは間違いというと言い過ぎかも知れないが、やはり間違いだと思う。 はじめに「情緒ありき」などというと岡潔かぶれ、バレバレなのだが、言葉の元があって、行為があて、その節目の確認として、言葉が機能していると思う。 「何とか宣言」で事足れりとする風潮はこの聖書の言葉の悪影響だと思う。 映画「キングダム・オブ・ヘブン」で勝ったイスラームの王にエルサレムについて鍛冶屋が聞くシーンがある。 王の答えは「エルサレム イズ ナッシング、バット、ナッシング イズ オール」何か、禅問答みたいだが、言葉から全てが始まると思っている限り、平和な暮らしは出来ないと思う。
2006.11.22
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【ウィキベディア】で山下元利を見る。気になる経歴があった。1945・6 満州大連・海軍武官 終戦:ソ連軍の捕虜1947・3 大蔵省に復帰1978・12 大平内閣・防衛長官1979・7 防衛長官、初の韓国訪問 防衛協議同 10・26 朴正煕・暗殺
2006.11.21
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過去の事件を推論する事と歴史を学ぶ事は違う。昔、金沢文庫の講座を聞きに行ったことがあった。細かい話のオンパレードで面白くない事甚だしい。しかし、歴史を知る第一歩の行為である。その成果で歴史が語られる。また、小説の資料・根拠ともなる。 そういうものを踏まえて、自分なりの解釈・推論が楽しいのだが、問題も多い。あくまでも推論であって、本当の事ではない。詩と真実の【詩】の部分であるが、戒めた方がいい。 ブログを始めて1000日たった。それで、この戒めを解除して、推論を書き始めたのだが、1000日記念の限定御開帳ということにして、解釈・推論は次の2000日記念までお預けにしようと思う。
2006.11.21
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町田での仕事が終了した。9月の末から約2か月。ご近所なので、時間の余裕があったし、膝の治療も欠かせず通う事が出来た。 1年を振り返って、仕事の内容の統計をとってみようと思う。
2006.11.20
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この物語は1184年、日本で言えば鎌倉幕府が成立した頃。十字軍がエルサレムを奪還、一つの王国を作っていた。その王国にはイスラームもクリスチャンも他の民族も共存していた。 一人の騎士が生き別れになった自分の息子を探し出した。その息子は街道沿いにある小さな村で鍛冶屋をしていた。 この鍛冶屋というのがこの映画重要な役割を果たす。鍛冶屋というのは錬金術師でも在った時代。多くの秘伝を継承していた。 その秘伝情報が城壁を護る戦いの時に発揮される。エルサレムに立て籠もるイスラーム軍を迎え撃つことになった。 攻撃に対応する準備を全て整えた主人公は強気である。それは戦いで証明される。
2006.11.19
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この本の内容は1991・4・7-同・12・27、毎日新聞・日曜日・朝刊に掲載された内容である。戦後政治の空白を埋めようという意図で、政治部の大須賀瑞夫、岸本正人、赤松幸司、岩見隆夫、毎日新聞を代表するベテラン記者達によるレポートである。 【真珠湾攻撃を昭和天皇は知らなかった】というのは外務省の見解で、本当は知っていた。 1975年、天皇が訪米した。その出発前に『ニューズウィーク』の東京支局長が単独会見を申し込んできた。 その時の質問、「天皇は真珠湾攻撃を知っていたか。知っていたとすればいつ知ったか?」で、スタッフが回答を書いて天皇に見せたところ「違う」という。スタッフが作った回答【そういう作戦があると聞いた覚えがある。いつかと言えば、開戦の大分前である】天皇の回答【直前に軍司令部総長から聞いている】【自分は立憲君主ということを心がけてずーっとやってきた。明治憲法に忠実に・・・。だから政務なら総理大臣が『こうしろ』と言えば『そうか』と言ったし、作戦面では参謀総長、軍令部総長が言ってくれば『そうか』ということだった。しかし、二度だけ例外がある】 二度の例外とは、226事件の鎮定命令と終戦の決断だという。 私はこの【昭和天皇の憲法認識・解釈】に問題があると思っている。国家のシステムとして致命的な欠陥なのである。以前、【日本のエリート教育に欠陥がある】と日記に書いたのだが、ここの事を日本の指導的立場の人達が能天気に見過ごしているからだ。 小堀桂一郎をはじめ、教科書問題で保守派の人達も革新派の人達も両方共に問題意識に入っていない。 外国との戦争に対する国家としての法体系が出来た居ない。有事立法以前の問題である。戦後、憲法9条でこの問題が棚上げされていた。軍の統帥権の司令塔がこういう脳天気な人物(天皇を含めた日本の指導者全て)がやっている事自体問題であって、その事すら気付かない人達、それが日本人である。 私が何故、この事に気付いているのか。【ご聖断】によって切り捨てられた沖縄出身の父を持ち大阪で生まれ育ったのだが、隣人が奄美の人だった。昭和26年日本は独立した。奄美返還は昭和28年、当時5歳だったが、「お隣の奄美は返ってきたけど、うちの沖縄はまだやなー」と思った。沖縄返還は昭和47年。 私は新参の日本人として右も左も頼りにならないエリートばかりだと思う。
2006.11.19
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バルト三国の一つで領事がビザを発行して、6000人のユダヤ人の命を救ったという【美談】がある。この事が話題になったときに、当時、私は新聞記者をしていて、何時も情報交換をしている事情通の友人が居た。 中野のルノアールが何時も落ち合う喫茶店で、彼が言った「上海のユダヤ組織から多額の金があるスジに流れたそうで」私「まあ、十年くらいは美談だったという事にして、『本当は』でもう一稼ぎするんじゃないですか」20年経ったけど、『本当は・・・』はまだ、語られていない。 何しろ、あの宗男チャンがからんでいるのだから。 あの時に助けられたユダヤ人はユダヤ神学を学んでいる学生達が主で、ユダヤ文化の基礎の基礎だったのである。
2006.11.19
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くれどさんのお薦めで『パッチギ』を見た。この井筒さんという人、嫌いである。近親憎悪というやつかもしれない。見終わった感想は「井筒の旦那、ようやっとるヤンケー」と拍手を送っている。 くれどさんは「北を賛美・帰還を美化」したシーンを非難しているのが、私には井筒監督の【抵抗精神の表れ】と受けとめた。横山やすしがテレビでCMに入る前、よく言っていたのだが「はい、スポンサーさんへのオベンチャラ」なのである。 井筒監督の陰の声として「皆さん、この映画、例のスジから金出てマンネンデー」と。この映画のプロデュサー、朝鮮大学校をでた人で崔監督の『月はどっちに出ている』などもやっている。いわば、北を告発する側なのだが、本音を見せながら、いいわけも造ってあるという二重構造である。 大阪の人達はこの二重構造を笑いにして楽しんでいるのであるが、関東圏、否、大阪以外といった方がいいかも知れないが、言葉と通りに受け留めて怒り出す人が多い。
2006.11.19
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首相交代。私の戯言。太平さんは選挙中にポックリと逝った。敗北確実の自民党が勝った。この例にならって、安倍さんもポックリ逝くと自民勝利。後は平沼さんがやると良い。 その理由はこのページ。 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/
2006.11.18
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哲学はスポーツと同じで体力勝負だと思っている。頭の体力というか、常に普段からの訓練・修練が必要だ。 第二バチカン公会議に【ブレンターノ】が影響を与えたという話を本で読んだか、誰かから聞いたか、20年以上も前のことで詳しいことは忘れている。で、今度、葉上さんの事を書くのにどうしても【だ第二バチカン公会議】に触れなくてはならないので、検索で調べたら、【ハイデガーの弟子の神学者】が関与している事が分かった。 で、ハイデガー→サルトル→スターリンという連想ゲームをシャルドネ。さんに振った。すると、シャルドネ。さんの回答は【フッサール】だった。 私は20年ほど前に早稲田の古本屋街で(世界の名著・全81巻の62『ブレンターノ フッサール』中央公論・1980・9・20)を買っている。細谷恒夫の解説を少しだけ読んでいる。 今回、その解説をじっくりと読んだ。ブレンターノ→フッサール→ハイデガー→カトリックの神学者、先生と弟子という関係でつながっているのである。 フッサールの現象学、岡潔の哲学と共通している。ただ、体験については異論があるかも知れない。 ブレンターノ:「道徳的認識の源泉について」 フッサール:「厳密な学としての哲学」「デカルト的省察」「ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学」 こういう本文をじっくりと読んで感想を書きたいと思っている。カントについても調べなくてはならない。 こういう哲学に挑む体力、はたしてどれほど残っているだろうか?
2006.11.18
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イラク戦争に参加した日本軍は死亡者ゼロ、これがどういう意味を持つのか? 日本とイラン・シーア派は強い絆で結ばれているということを世界中に証明した事になる。日本の外務省はダメダ、ダメダというのは煙幕で本当のところは実に実績を挙げている。しかし、余り人に言って欲しくない。邪魔されるからだ。 日本人でシーア派の信者さんがいる。私が会ったのが20年も前で、その時80歳を越えていたから、生きていたら100歳以上だろう。現在、どうなっているかは知らない。 代々木上原の小さな一軒屋に住んでいて、毎月、近所の区民会館で勉強会を主催していた。実質その勉強会を運営していたのは慶応大学の教授だったが、彼も熱心な信者である。 毎回、違ったゲストが招かれて、神学生が多かったが、イスラームの教義の講義もあった。 パーレビーは隠れゾロアスターだったといわれている。その一族は今、エジプトに亡命していて、小池百合子のお父さんがいろいろ接待しているという週刊誌情報もある。 三井物産が石油プラントで投資していたが、イラン・イラク戦争で立ち行かなくなった。大平内閣の時だったが、直ぐに政府プロジェクトになった。安宅の時は、潰したのに、三井は潰さない。不公平だと思う。 しかし、10年も続いた投資はイラン政府からは感謝されたようだ。 後、外務省審議官をしていた松永さんという人が居る。この人がイラン・チームのボスで、湾岸戦争のときにイラク空軍がイランに避難したことがあったが、その時は日本外務省の得点は上がった。この松永さんと親しいのは永年医師会の会長をしていた人の息子(名前が思い出せない・わざとではありません)で、今、国会議員をしている。 カトリックとイスラームは積年のライバルで常に信者数が拮抗している。その間に入るにはそれと同じくらいの勢力を持たなければならない。今は11億とか言っている。アジア全体の仏教徒の潜在勢力(中国にどれだけ居るか分からない)で、はったりを利かせば割り込めるのかも知れない。 三井の経済力の威力かもしれないが、エジプト・イランは日本のシンパと見ていい。アメリカやドイツなどがこの地域に切り込うとしても、宗教が邪魔になっているようだ。 20年ほど前だが、このシーア派の人達の集会に参加したことがある。男性が前で、女性は後の方に席が定められていた。司会者は英語で喋り、同じ内容を日本語でも喋った。後方の女性席には日本人の姿もあった。多分、国際結婚をした人達だろう。 子供達をアメリカン・スクールに入れているのだが、キリスト教であるから、違う歴史を習って困ると言っていた。 イスラームとキリスト教、旧約聖書は同じなのだが、内容がちょっと違う。イサク→イシュマイエル献祭、イエスは十字架に架からなかった、当然、メシアではない、ただの預言者である。 日本は冷戦時代、紛争地域と付き合うのに三井と三菱を使い分けてきた。現在は違っているのかも知れない。 三井:北朝鮮・中国・イラン 三菱:韓国・台湾・イラク 精神的な文化交流と物質的な経済交流と政治的な人的交流、日本とイランは稀に見るいい関係にある。
2006.11.17
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私の歴史入門はテレビでBBCの記録フィルムを見たことだった。NHKテレビ月曜夜9:00-9:30、昭和34年頃から数年続いた。8割方ヒトラーの映像だった。 源田実は1938・11末から1940・10までの1年と11か月、イギリスにいた。ロンドンだろう。その約2年間で何を見たのだろうか。1939・4 スペイン内戦終結 同・8 独ソ不可侵条約 同・9 独、ポーランド侵入 英仏、独に宣戦 ソ連、ポーランド侵入 同・11 ソ連・フィンランド戦争1940・4 独、デンマーク・ノルウェー侵入 同・5 独、オランダ・ベルギー侵入 英・チャーチルが首相に 英仏軍ダンケルク撤退 同・6 イタリア、英仏に宣戦 独、パリ占領 ヴィシー政府成立(仏) ソ連、バルト3国に進駐 同・8 ソ連、バルト3国を併合 同・8 独、ロンドンを空襲 同・9 日独伊三国軍事同盟◆ヒトラーの快進撃、ヨーロッパ新秩序をその目で見ていた。
2006.11.17
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第二バチカン公会議にずっと関心を持っていた。他の宗教との対話・交流というのは結構な話である。建前としては。しかし、本音は何処にあるのだろうか? それが見えたこなかった。 しかし、ブログは毎日書いているものだ。ちょっとした発見があった。 理論的な神学者がハイデガーの弟子だという。1960年当時、サルトルが闊歩していた。この実存主義者の影響を受けていたのだろうか。 もう一つ、1960年といえばケネディの登場で、フルシチョフと共に東西冷戦に雪解けと期待させた一時期があった。 結局、キューバにミサイルでその雪解けが吹き飛び、共和党お抱えの星占い師・ディーン・ディクソンの予言の通り、ケネディは暗殺、フルシチョフは解任となった。 米民主党とロシア・スターリン批判派 対 米共和党とスターリン派 という対立軸が1960年代ではなかったのか? この米民主党とロシア反スターリン派の意向を受けて、バチカンが他宗教との対話・交流を打ち出したのでは、と思ったわけだ。 で、ちょっと前に、シャルドネ。さんが【サルトルはスターリンの出張所】という意味の事をブログに書いておられたように記憶している。 そうすると私の仮説は論理矛盾を起こすので、少し、サルトルとスターリンについての解説をシャルドネ。さんにお願いしようか と思っている。
2006.11.16
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昔、郷ひろみがアイドルだった頃、歌番組に出てきて、「猫の怨念」の話をするという。聴衆の若い女の子達は固唾を呑んで待っていた。彼は、暫し間をとって「オオサカにネコがオンネン」とノタマウった。全く、聴衆の反応は無かった。司会者はさっと話題を変えた。 怨念の話は話題を変えた方がいいかも知れないが、帝国海軍の人達に平家の・海に沈んだ安徳天皇をはじめとする人達の【源氏→陸軍】に対する怨霊に憑依されていたとしか思えないほど、その敵対心は強い。 平家物語の調べは続く。そして、向こうの世界からお招きの人達・今は何に変身して来ているのか? 分かったら、このブログに書きますが、分からない方がいいかもしれない。
2006.11.16
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シャルドネ。さんから武田泰淳の『貴族の階段』の話があった。私は名前は知っているが作品を読んだ事が無い。それで、今日は休みだし、久しぶりに図書館に行った。【検索】で調べたりもするが、なんとなく物足りない。 筑摩の選集があって、そこに野間宏と一緒に一冊の本に納まっていた。中国の事、司馬遷や革命の事。日本に留学体験のある女子大生が官憲に捕まって翌日大学の門前で処刑されてた話とか、極限状況の話のオンパレードだった。 映画にもなった『ひかりごけ』も彼の作品である。お目当ての『貴族の階段』を読むことは出来なかったが、昭和34年の長編で、昭和20年に亡くなった叔母さんの日記が元になっているようだ。泰淳のセンスからすると、大川周明はアマちゃんでカラカイの対象にしかならないと思う。 日本人は兎に角、甘い。昨今、帝国軍人の戦争の様を辿っているが、お遊びである。海軍が陸軍との競争に勝つためには、日本がアメリカに負けても良いと本気で思っているのが【帝国海軍の軍人達】で陸軍の人達も五十歩百歩。 この現実を直視することからまず、始めなければと思っている。
2006.11.15
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2002年、ドイツ、ヴュルツブルグでこの事件は起こった。カトリックの神父が分派活動をしたと、教理聖省長官から取り調べを受けたのである。昔なら火あぶりものであるが、活動を停止、しかし、次の年(2003)の末、古い教会施設を使って活動は再開された。 この取調べをした教理聖省長官はラッツィンガー枢機卿で現在、教皇ベネディクト16世になっている。 取調べを受けた神父はヴィリギス・イェーガー、1972年、日本に居た事がある愛宮ラサール神父から禅仏教の山田耕雲老師をミュンヘンで紹介されている。で、この老師の下で1981年まで禅を学んだ。そして、1983年瞑想センター「ハウス聖ベネディクト」を造った。 1996年には禅の師家の資格もとった。そして、多くの人々が集ってきて、ヨーロッパ・アメリカ・フィリピンで約7000人の会員登録がなされた。 第二バチカン公会議以来、こういった他宗派との交流は奨励されている。しかし、集まった人々の要請で教理解釈まで言及する事になった。それが、保守派に耳に入り、問題となったのである。 イェーガーとはドイツ語で【ハンター・狩人】という意味、信者をハンティングされているとイメージされたのだろうか? 何処にでも心の狭い人は居るものである。
2006.11.15
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第二バチカン公会議というのが1959年から1965年まで開かれていた。そこで新しく打ち出された方針が【他宗教との対話・交流の促進】という事だった。 宗教に共通している事は自分の信じる神様が絶対善であって、他の宗教の神は悪魔。しかし、カトリックはこの公会議を通じて、神様は色々な宗教にも働いている、それを認めてお互い対話・交流をしようと言うのである。 穿った見方をしたら、何か【下心】があるなーと思うのが一般の見解だと思う。 この会議を推進したのはイエズス会である。イエズス会総長 ペドロ・アルペは1956年頃には日本に居た。その時から禅仏教との交流を進めていた。 まだ、アメリカが日本を占領統治していた頃にイエズス会と日本禅仏教が交流、事情を知る人は生臭い話とピーンと来るかもしれないが、建前としたら、決して悪い話ではない。 この会議の推進役の神学者はハイデガーの弟子でカール・ラーナー神父。 ハイデガーはナチとも関係があったし、日本の京都大を中心とする哲学者にも支持されていた。また、サルトルなど、当時、影響力のあった哲学者などからも評価されていた。
2006.11.15
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建築現場だと8時から5時まで、昼休み1時間を除いて8時間きっちりと警備ポイントにいなければならない。しかし、道路だと作業が終われば、それだけ早く帰れる。原則9時から18時、お昼の1時間休んで、8時間という基本に変わりが無いが、早く終わる場合が多い。 1時間、2時間で終わればラッキーである。出面は1日分ある。今までで、一番短かったのは15分。職人さんの方が「すみません、今日、これで終わりなんです」という。そこに行き着くまでの時間の方が長かった。しかし、こんなのはそうあることではない。 で、冗談で「仕事なしで出面だけ、あると良いよね」と虫のいいことを言う。 昨日だった、仕事が終わってサインの時に、親方が「ちょっと、明日ね、来なくていいから、伝票だけサインしとくよ。明日の分も書いといてよ」という。 何やら応援の仕事に行くらしいのだが、こちらの仕事を放り出すわけにも行かず、一応、やった事にして、少しはやるらしいのだが、時間のメドがたたないからとか。 私は「親方、ご協力させていただきます」と大きな声で言って一礼した。 今日はタップリ時間があるので図書館に行ったり、ブックオフに行ったり、ブログも沢山書いています。 まあ、日頃の心掛けが良いから・・・、しかし、これで運を使い果たしたかも?
2006.11.15
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真珠湾攻撃は連合国側を有利にしたでけで、何の実益も枢軸側にもたらさなかった。ヨーロッパ戦線にアメリカが参戦する口実を与えたし、ドイツ・ソ連の戦いは丁度ソ連側が反撃を始めたばかりだった。ヒトラーの足を引張った。 また、南方戦線の攻勢終末点culminating point of successをはるかに越えている。 海軍の統帥権をたてに勝手な作戦を立てて、結局、陸軍の足を引張った。 作戦内容は昭和6年頃に水野広徳が出版した「日米、もし、戦わば」という本に書かれている。航空母艦と戦闘機による真珠湾攻撃という話、机上では10年も前から話題になっているのである。 作戦として実行した事に意義があるのだが、それなら第一陣の安全な帰還を配慮すべきであるが、全くなかった。また、第二陣の攻撃を断念したのは何かあると思われても仕方がない。 この真珠湾攻撃立案者がアメリカのスパイだと思っている。
2006.11.15
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岐阜で憲兵中尉だった人と知り合いになった。30年も前の事。その時に「市ヶ谷は腐敗していた」戦争中の市ヶ谷・軍隊の中枢部である。詳しい事は語ってくれなかったが、リベートが横行していたと言う事である。 ワイロは田沼意次の時代から、日本の政界を支配していた。田沼は潔癖な人だという説もあるが、吉宗政治の光と闇、吉宗が光る分、田沼が泥をかぶる事になる。 結局、利権政治屋が残ったわけで、その一人が源田実というわけだ。 私はこの人のことよく憶えている。まず、選挙ポスター。後、ラジオやテレビにも良く出ていた。1968年ごろだったか、「トラトラトラ」という映画があって、ミッドウエーに参謀として源田実が出てきたのだが、後、テレビ番組で「映画みたいに頭の先から声、出してないよ」と涼しい顔をして語っていた。 中身まで知らないものねー。 それにしてもカーチスに勲章ね、防衛長官、小泉のオヤジだもんね。椎名さんが外務大臣。「政界は一寸先が闇」という名言を吐いた人だが、一寸先どころか、目見えてんのか?
2006.11.14
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283) 寒き朝 防寒具着て 10時まで 昼から着込む また防寒具 284) 縄なしで 縄跳びをする 50回 内臓摩擦 寒さ対策 285) コーヒーの 熱き刺激を 舌先で 楽しめる冬 毛布まといて
2006.11.14
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◆核保有議論【唯一の被爆国】日本が唯一の被爆国と言っているがもう一か国、被爆した国がある。それは「バチカン市国」カトリックである。「長崎の被爆、あれは日本であると同時に12億のカトリック市民の被爆でもある」こういったキャンペーンで輪を広げる工夫が必要だと思いますが、どうでしょうか?アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国、パキスタン・イラン・イスラエル、核保有国の名を挙げて、フランス?ぐらいで、カトリックの国、保有しようと言う動きがありませんね。【核議論】核保有=日本で造る+外国の核を持ち込む(非核三原則の撤廃)毛沢東「ゲリラ戦では勝敗の決着がつかない。やはり正規軍どうしの戦いになる。だから、核を持つべきである」(昔聴いた北京放送から)アメリカの核が日本に持ち込まれる事によって、アメリカの日本支配がより強化される。今度の北朝鮮核開発騒動、非核三原則撤廃が目的かも?◆学校でのイジメ問題教育現場と教育委員会、この方針のズレ。太平洋戦争時、現地の作戦に東京の参謀本部が机上の空論で干渉していたが、それとダブル昨今の状況である。
2006.11.13
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今日は予告編です。(三)今東光和尚の間違いについて(四)寂聴さんと源氏物語(五)弟子丸泰仙の役割(六)龍沢寺人脈(七)神智学人脈(八)明恵とアシジのフランシス(九)大谷光瑞の世界戦略まだ、続きます。
2006.11.13
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佐藤晃さんの『帝国海軍が日本を滅ぼした』という本を読んだ。すると、これは陸軍の意見であってという人がいた。海軍関係の人から言わせると陸軍に敗戦の責任があるという。 関連で岩川隆『決定的瞬間』を再読した。この本はフィリピン戦線のことが詳しく出ている。また、立野信之の『昭和軍閥』を読んだ。これは小説仕立だが、ほとんど、ドキュメントに近い。 結論から言って、太平洋戦争は【勝つ】ための戦争というよりも【利権】のための戦争、【戦争の為の戦争】、別の言葉で言い換えれば、【公共事業としての戦争】であったと言える。 現在、アメリカがイラクで戦争をしているが、かつての日本帝国陸海軍と同じ道を歩んでいるように見える。 日本は日清戦争をやった。戦場は朝鮮だった。第三国である。日露戦争をやった。戦場は満州、やはり第三国であった。敵地に攻め入ったのはシベリア出兵が最初であった。敵地での占領・軍政が如何に難しいかは今のイラクでのアメリカを見れば分かる。 敵後方を撹乱する為に満州では馬賊を利用した。しかし、その馬賊が力を持ち、民族意識という理論武装をすると、日本に敵対、反旗を翻した。 アメリカはヴェトナムでの失敗を逆手にとって、アフガンにソ連を誘い込んで自滅させた。そのアメリカの片棒を担いだのがフセインであり、アルカイダだった。その連中が反旗を翻した。 日本が辿った道を今、アメリカが辿っている。 フリッピン戦線での話。アメリカが再上陸するという。日本軍がそれを迎え撃つ。現地の参謀が立てた作戦は内陸40Kmに山があって、その裾野に陣地を作る。山に横穴を掘れば、爆撃に耐えられる基地が出来る。 敵を上陸させて、草原に野営させて、それを攻撃した方がこちらの被害が少ない。しかし、東京の参謀本部からの指令は「水際・海岸線で撃退しろ。上陸させるな!」というものであった。中をとって、内陸20Kmの草原のど真ん中に陣地をつくった。飛行機の空爆で一瞬にしてその基地は壊滅した。 こういう日本軍の【お粗末さ】を充分に研究して、立てた作戦をヴェトナム軍は採用して、アメリカ軍を撃退させた。このヴェトナム人の智恵にわれわれは学ぶべきである。 未だに大東亜の盟主は日本人だと思い込んでいる人達が右にも左にもいる。自分達の過去をきっちりと【自己批判・総括】していない。 「ヴェトナムに平和を!」と叫んでいた人達の【傲慢さ】、また、輝かしき帝国陸海軍という思い込みから抜け出せない人達の【頭の固さ】、こういう人達の頭の中身を入れ替えないうちは、憲法改正には反対である。 太田光に今は、エールを贈っている。
2006.11.12
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寂聴さんもビックリ! 歴史は比叡の山の麓から始まっていた。 私が取材で初めて比叡・阪本の東南寺に行ったのは1984年3月。その寺の住職・葉上照澄師にインタビューするためだった。 1978年9月、中東和平・キャンプ・デーヴィット合意がアメリカ・エジプト・イスラエルでなされた。民主党カーター大統領の時代である。 エジプト・サダト大統領に和平を勧めた一人の日本人僧侶がいた、それが葉上照澄であった。葉上さんが言うには「ヨハネ・パウロ1世と意気投合した。あんた、イスラエルを説得しろ、オレはエジプトに飛ぶ」 このローマ教皇・ヤハネ・パウロ1世は在位33日間。その短さに暗殺説がある。葉上さんも「殺されたんやろなー」と言う。在位1978年8月26日ー9月28日。 第二バチカン公会議の議決・他宗教との対話を促進する、これを推し進めようとした。この日本の代表が比叡山の葉上さんだった。 この中東和平の合意はまだ、崩れていない。パパ・ブッシュもジュニア・ブッシュも共和党は、この民主党主導の合意を崩そうとしているように見えるのだが、崩れない。 バチカンとエジプトの間に叡山という接着剤があって、がっちりと手を握っているからだ。ヨハネ・パウロ1世の精神はヨハネ・パウロ2世に受け継がれて、ソ連崩壊まで進められた。 比叡山では開山1200年を記念して世界宗教サミットが開かれたが、そのお膳立てをしたのが葉上さんだった。1985年の正月、また、坂本を訪ねたのだが、その時はその準備で忙しそうだった。 その葉上さんに質問をした「先生、その宗教会議、開催の邪魔をする敵は誰ですか?」 先生、暫し考えて「そうやなー、敵は味方の中におんで! そやからな、呆けとらなしょうないで」
2006.11.11
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279) 仕事前 朝のひと時 木々に聞く 開発前の 山野時代を 280) 街路樹の 銀杏葉緑 冬はまだ 日差しが暑い お昼飯時 281) 3時過ぎ 陽が傾いて 長い影 見上げる空に すじ雲は冬 282) 作業車の 安全確保 夕刻は 誘導棒に 灯りをつけて ◆街のメンテナンス、今まで見えてこなかった風景を毎日発見したいものです。
2006.11.10
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瀬戸内晴美・寂聴さんの本を読むようになったのは2年前からで、楽天で日記を書き始めてからである。週刊新潮を17歳の時から読んでいる。だから、瀬戸内晴美という大きな活字は毎週見ていたが、その小説の中味は全く読まなかった。興味がわかなかった。 私の周りに居る女性達、家内も含めて、寂聴さんに好意的な人が多い。男には分からない同性から支持を受ける何かがあるのだろう。 楽天のブログでも話題になっていて、作品を読まないと話しにならないから、本を読むことにした。以下、楽天の日記に書いた日付である。2004年9・14、9・20、10・15、10・17、10・31、11・1、11・2、11・3、12・10。2005年1・4、11・5。2006年11・7。2年前何冊か読んで、去年、「金子文子・余白の春」を読んで、今年。 今東光、寂聴、田中清玄、朴烈、大山倍達、日韓人脈。天台・カトリック・禅宗と政治家との関わり、宗教人脈。この全体像が見えてきたたら、一番驚くのは寂聴さん自身かもしれない。
2006.11.10
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寒くなった冬の一日274) 青空に 柿の実黄色 朝日映え なんてんの赤 ボタンはピンク 275) 駅に着き エスプレッソで ひと休み 朝の贅沢 にがさ一口 276) 公園で 着替えを済ませ 制服に 安全願う 今日の一日 277) 中吊りで 世間の話題 垣間見て 智恵無き衆生に 考アドバイス 278) 帰り道 お地蔵様に 頭垂れ 日々のお守り ありがたきかな
2006.11.09
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「本に書かれていないことを読む」と言ったのは岡潔である。デューイの教育論を解説して書かれていないことを列挙。それ以来、書かれていないこと、コメンテーターが本来言うはずのことで、言わなかった事など、かなり、ひねくれた性格になったのかもしれない。 徳川義親の本を読み始めた2年になるが、この殿様、家康の系譜の人だから狸であることは確かである。しかし、この殿様狸の言わなかった・書いていない事までの考察はまだ、出来ていない。 しかし、ソ連工作にどれほど関与したのか? これがポイントだと思っている。日ソ親善協会人脈。 人物としては面白い人達であるが、どこまで、何をしていたのか? ゾルゲ事件は氷山の一角であって、本当は何があったのか?
2006.11.09
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快晴・青空である。269) 青空に 輸送機の影 音も無く 基地に近きを 知る人もなし 270) やはり冬 セーター着込む 3時過ぎ 日なたを選ぶ 警備ポイント 271) 食材を やはり値段で 決めようか いつもの店の 100円コーナー 272) 騒動の 資金の後を たどり道 やはり何時もの 国に行き着く 273) ブログにて 刺激を受けて 見えてくる 手先の手口 見え透いたウソ
2006.11.08
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寺田寅彦の随想に、四国にはキツネがいない。だから、昔話には狸しか出てこない、というのがありました。 昨日、女狐・瀬戸内寂聴と罵ってしまいましたが、【訂正】いたします。女狸・瀬戸内寂聴。あの顔どうみても狸だもんね。 くれどさんからのアドバイスで、田中清玄は朴烈と関係あり。町井とは敵対関係という話。東声会の連中からピストルで打たれていますから納得です。 李承晩の奥さんが戦後直ぐに日本に来て、朝鮮人の集会に来るという約束でしたが来ませんでした。理由がテロの可能性があったから、ということでしたが、トップの朴烈の顔は潰れました。 テロというのは言い訳で、町井たちと李が手を組んでいたのかも知れません。 朝鮮人の場合、北・南とイデオロギーで分かれる前は、朝鮮総督府の手先か、反総督府かで、分かれました。 東声会は総督府の手先グループの流れを汲んでいます。 今東光は大山倍達のアドバイザーでした。在日の複雑な派閥の一部と懇意になっていても不思議ではありません。 今東光 ー 今日出海 ー 田中清玄 ー 朴烈 ー その後妻(日本人・金子文子ではない)が東京女子大 ー 瀬戸内寂聴・彼女も東京女子大 ・・・ 。 どこでどういう人脈とつながっているか、推理小説を読むより面白いですね。 たまゆらハン、今度、飲みに行きましょう。奢りますよ!
2006.11.08
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歌詠み解禁日。私に歌が詠める期間は、立冬から立春までの3か月であるらしい。266) 仰ぎ見る 山々の陰 風強く 冬のはじまり 冨士顔をみせ 267) 人の世に こころの中を 旅するは どこでもドアの ブログ遊びか 278) 図書館の 本の招きで 旅をする 寄ってらっしゃい 背表紙の文字
2006.11.07
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岩見隆夫という人物、面白い人である。彼とは政治的信条は違うが、新聞記者としての情報管理とその情報発信のタイミングは絶品である。(誤解する人が居ると困るので解説しておくが、これは【誉め殺し】である)http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/ 女狐とは瀬戸内寂聴のことで、荒畑寒村を信奉するコミニストが、朴烈の妻・金子文子を『余白の春』という小説に書き、本人は出家してしまった。 1922年生まれの彼女は同年代の男達が学徒動員で戦争に駆り出されている時に学生結婚で夫の滞在する北京に行った。 自分は大陸のことは詳しいと言っている。拉致被害者のことがなければ、北朝鮮シンパとしての言動をしたのだろうが、今は不利とみて黙っている。 『余白の春』は瀬戸内自身の推薦作品で、「作家が死ぬとその作品は読まれなくなる。しかし、『余白の春』は読み継がれる作品です」と本人が言う。
2006.11.07
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田中清玄 1906-1993 北海道生まれ。20代後半から30代半ば、刑務所暮らしをしている。非合法の共産党活動の故だが、転向・出所して、山本玄峰という禅坊主の秘書となる。終戦の年に40歳。これまでが彼の準備期間だった。 人間の中に社会がある。世界がある。田中清玄を見ているとそれが分かる。
2006.11.06
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昨今、世界史の事が話題になっているが、私が高校生だった40年前とは比べ物にならないくらい授業の内容が詳しくなっている。 娘が8年ほど前に高校を卒業して、その時使っていた『世界史図表』(教育図書出版・第一学習社)を娘の本棚から勝手に使っているのだが、詳しい。 これを必須で勉強しろというのは無理がある。まあ、要約・世界史になるのだろうが。 竹村健一は京都大学なのだが、試験科目は2科目だったという。ダイタイでやってこれた時代だから、あの程度の人でも、図々しさでカバー出来たのだが、だから日本がダメになったとも言えるし、兵頭二十八さんの主張のように高校撤廃を考慮する時期にきているのかも知れない。 膨大な歴史情報を全て学ぶ事は不可能である。その膨大な歴史情報から、今・現在必要とする情報をピックアップしなければならない。 そのためには自分の心のうちに「歴史を創る」イメージ・トレーニングである。 明治維新以降、薩摩・長州の勢力争いで説明が付く時期がある。しかし、大正期になると、軍閥というのが出てくる。それが軍縮を主張する。 既成の、手持ちの情報を整理していて説明が付かない箇所が出てくる。そういう時に、ふと手元に本があって、それを読むと空白の箇所を説明してくれる情報がでている。前にも読んでいる本だから、しかし、問題意識がないと見えないのである。 学校でいくら世界史を勉強しても問題意識のない生徒には歴史は分からない。 だから、「歴史は学ぶものではなく創るものである」と。 別の意味に取り違えて、夜な夜な、昼間でもいいのだが、事に励んで、少子化対策になれば、これ、また、幸いな事である。
2006.11.05
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