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先日、私のところにキネシオロジーのセラピーを受けにに来てくれた友人の竹やんが、彼女のブログにその日のセラピーのことを報告してくれました。この中で「全ての答えは自分自身の内側から見つけ出すことができる」という彼女の気づきは、ほんとその通りなんですよね。もうすべての答えというのは、既に私たちの中に存在していてそれはいつでも見つけ出されるのを待っているのです。その自分の中の答えを見つけるのに、瞑想する人もいれば、ヒーリングやセラピーを受ける人もいるでしょう。だから、いくらサイキックリーディングで「あなたは~~ですね」といわれたからと言ってそれをそのまま受け取る必要はなく、それが自分の中で、ぴんと来るものであったなら受け入れればいいし、そうじゃなかったらそういう見方もあるんだ~ぐらいにとどめておくのがいいかな~と私は思うのです。あくまでも答えを導きだすのは、自分自身。いくら素晴らしい人からのアドバイスの言葉であっても、それに振り回されては意味がありません。そして、キネシオロジーが素晴らしいのは、セラピストがアドバイスをしなくても、自分でその気づきを得るきっかけになるのですよね。また、ちょうど3日前にも、別の方がキネシオロジーに来てくださったのですが、彼女からも、家に戻ってから、気づいたことがあったと報告を頂きました。彼女の場合は、掃除をやろうと思ってもなかなかできず、それに対しての調整をしたのですが、セラピーの最中は、その理由について彼女は思い当たらなかったので、「掃除をします」という目標設定をして、潜在意識を調整しました。でも、家に戻ってから、ふと、なぜ掃除が好きでないのかその原因となった過去の出来事にふと思い当たったのだそう。今回のキネシオロジーを受けるまでは全くそのことに気づかなかったそうです。そうなんです、潜在意識に対して、一度「なぜ、私はこう思うのだろう?」と問いかけると、自動的に過去の記憶から検索が始まって、すぐではなくてもふっと答えが導きだされるのです♪その気づきが、キネシオロジーのセラピー中に起こることもあれば数日経ってから起こることもまた何ヶ月かたってから起こることもあって一度のセラピーが、ずっと後まで効果を及ぼすこともあっておもしろいです。ある日、自分の中から、その答えがはっと見つかった時というのは、まるで、欠けていたパズルのピースがはまったかのような気持ちになりますね
2009年07月31日
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先日の日曜日の朝、以前、ここでも紹介したビレッジ禅堂に行って、約3時間の座禅をやってきました。3時間といっても、ずっと座りっぱなしではなく、30分の座禅の後経行(きんひん)といわれる歩く瞑想を10分ほど、そしてまた座って行う瞑想と、交互にやります。この経行があるから、その間、次の座禅が新たな気持ちでやれるのですね参加者の多くは、20~60代のアメリカ人、そして、この日は、男性の方が多かったです。日本の文化である禅が、こんなに一般的なアメリカ人に受け入れられいるのも、なんか不思議な感じ。でも、さすがは、座禅などに来ているアメリカ人は、余計なことはしゃべらないというか、思慮深い雰囲気というか(もちろん禅堂内では私語は禁止ですが)一般的なアメリカ人とはちょっと違うのかもしれませんが。でも、普段、家ではそんなに長く座っていないので2時間を過ぎた頃から、足がしびれてきて集中できなくなってしまいましたもう少し長く座ることに慣れなくてはさて、火曜日には、ちょうど、画材を買うために、ビレッジに出てCRSの近くを通ったのでCRSの香咲さんのガイドによる30分のメディテーションに参加してみました。香咲さんは、Course in Miracle を教えている方で彼女のリーディングは、私は受けたことがないですが私の知り合いや友人でも受けた人は多く、定評があります。でも、何でも半年待ちなんだそう。この日、集まったのは20名ほど。日本人が多いかな~と思っていたら、ほとんどがアメリカ人でした。みなさん、会社や買い物帰りに立ち寄ったという感じです。瞑想は、香咲さんの穏やかな声のガイドに従って、イメージしていくと、だんだんと深く入っていくことができます。30分は、あっという間に過ぎて、とても気持ちがよかったです。瞑想って、毎日、一人で続けていくことに意味があると思っていますがこうやって、時々、他の人たちと一緒にやるとまた新たな気づきがあるし、一人でやるのとはまた違ったよさがありますね。そういえば、最近は、家でのレイキの交流会や瞑想の会などを全く開かなくなってしまいました。ちょっと涼しくなったら、開きたいなあ~と思っています。みんなでレイキサークルや、グループレイキと瞑想、そしてその後は、近くの公園へ夕日を見ながらのピクニックの会なんて、楽しそう(って、ピクニックの準備だけでも、けっこう大変になることはわかっているのですけどね)@Machu Pichu ,Peru
2009年07月30日
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今日は1日中、雨朝起きたら、なぜかガネーシャのことがふっと頭に浮かんでそうだ、今日はガネーシャを描こうと。小さなキャンバスに絵を描きました。(まるで、小学生みたいな日記だけど)ご存知、ガネーシャは、インドの神様。ヨガやインドに興味がない方でもきっと、誰もが見たことがあるでしょう。私は見たことがないのですが最近「夢をかなえるゾウ」という本?TV?でガネーシャが出てきて、有名になったのだそうですね?身体は人間、頭は象です。シヴァ神の子どもですが、シヴァ神が息子と知らずに首をはねてしまい、嘆き悲しむ妻のために象の首を取ってきてつけたのだとか。日本の神話もそうだけど、神様なのに嫉妬深かったり、わがままだったりほんと人間みたい。片方の牙が折れているのが、ガネーシャの特徴です。(この由来もいろんな説があるようですが)また、ガネーシャの乗り物がねずみというのが、おもしろいですよね。こんな大きな身体でどうやってネズミに乗るのかしら?そういえば、今まで、ガネーシャが描かれている絵や置物はたくさん見たけれどネズミに乗っている姿は見たことがないなあ。ちなみに、シヴィ神の乗り物は牛だそうでこれはわかるんだけど。。ガネーシャは、芸術や智慧をつかさどり、そして困難を克服するための力を貸してくれる神様かなりパワフルですドリーンバーチェの本に書かれてあったのは、旅にはガネーシャだそうで旅のトラブルは、いつもガネーシャが解決してくれるのだそう。私たちも今回のペルーで何度ガネーシャを呼んだことかと、何だかこの絵のガネーシャは、あまりパワーがなさそうですが(瞑想中のガネーシャということで)ガネーシャとともに過ごした雨の1日が、もうすぐ終わります~
2009年07月29日
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先日、ペルー在住のヒーラー&ヒーリングリトリートの経営者、ダイアンの著書 「CUSCO」を翻訳することになったといういきさつをこのブログにも書きましたが、NYに戻ってしばらくして、その本の翻訳をスタートしました。が、やってみると、これは予想以上に大変~~英語の本を読んでいるだけと、実際に日本語に訳していくのとはもう大きな隔たりがあるのですね。今回、初めて翻訳するというのが、いかに大変な作業なのか実感。私は翻訳本で一番読みづらいのは、そのまま直訳してあるような本だと思うのです。先日も「オーラヒーリング」という本を読んでいたのですが瞑想としての文章に『私に関わる人々の至高善のために~~してください』などと訳されてあって、至高善なんて、普通、私たちがあまり使わない言葉では瞑想もやりにくいよね~などと思ったり。他にもとても堅い文章で読みにくい翻訳の本もよくあります。読んでいて自然な日本語であって、しかも、あまり原文とかけ離れてしまわないように訳すのって、思った以上に難しいのですね。例えば『By grace, I could do ~~』のようなシンプルな文章でさえ直訳すれば、「神の恵みによって、私は~~できた」とか「神の賜物によって」とかなるんでしょうが、そんな言い方は日本では一般的にしないし、「有り難いことに」とか「幸運なことに」とかになるのでしょうか。とまあ、ああでもない、こうでもないとやってはいたものの予想以上に時間がかかります。本は約300ページもあるのに、まだ序章を訳している時点で、こりゃ大変なことを引き受けちゃったわ~私は翻訳家になりたいわけではないし、他にやりたいことは山ほどあるっていうのに、こんな風にちんたらやっていたら、1年かかってもできるかどうか、あの時、ペルーで直感に従って、ダイアンに交渉したのは間違いだったのかも?などと、ちょっと弱気になりかけていました誰でも、無限の可能性がありますからどんなことでもやってみなければわからないといつも私は思っているのですがでも、この翻訳という作業をやってみて、わくわくしないところをみると、これは私がやるべき仕事ではないんだなあとでも、やはり、すべてのことは上手くいくようになっているんですね~ちょうどその同じ時期に、私の友人で長年通訳をやっている方が私のレイキの英語版テキストの文章を修正してくれると申し出てくれたので、やって頂いたのですが彼女の仕事の正確さや早さ、そして柔軟性を見てこれは、彼女と共著としてできないかどうか話してみようと思い立ちました。実は、ダイアンに交渉をする時点で、この友人のことは頭にあって私が訳した後で、彼女に修正してもらうことは考えていました。彼女は、長年バーバラブレナン学校の通訳をしていた実績もあり彼女自身もスピリチュアル系の本はたくさん読んでいる人なのでまず間違いないと思ったからです。そして、この本のことを、まだ誰にも話していない時に期せずして、彼女の仕事の仕方を実際に見る機会が訪れああ、これは、彼女と一緒に、この本の出版をやれというメッセージなのね~とすぐに感じました。考えてみれば、彼女とのつきあいはけっこう長いのにまさに今回のペルーへの旅の前後に、彼女の方から私のレイキのHPの英語の部分やテキストの修正をやってくれると申し出てくれたのも、何だかすごいタイミングだなあと♪(これまで、私のレイキのクラスを受けにこらえる方のほとんどは日本人なので、英語版テキストはかなり適当な英語で作ってしまっていました)もちろん、テキストの修正はかなりの量があるので彼女には、お礼として、キネシ10回無料ぐらいやらなければと思っていますがということで、彼女に相談したところ、2つ返事で引き受けてくださってしかも、二人で一緒に訳していたら時間がかかるからということで彼女が訳者として、ほぼ全部を訳し、私はその日本語を修正して監修者という形をとることに決まったのですつまり、私が最初に考えていたのとは、全く逆。でも、私の負担はずっと減ります。また、私は、いつか自分の本は書きたいな~とは思っていますが訳者としての実績は必要ないですしこの本を出版することによってペルーやピサックとのつながりができたり、ヒーリングをやっていく上での何らかのプラスがあればそれでいいと思っていたので彼女に訳を任せるのが、一番いい方法だと感じました。さすが、彼女は仕事も早く、私が何日もかかって訳した序文を1日で訳してしまいました。やっぱりどんなことでも、そのことが本当に好きでないとやれませんね~。特に翻訳という作業は、英語が好きな人であっても、かなり苦しい作業なんだそう。もともと英語が好きとは言えない私にとってはさらにとても荷が重い作業になったことでしょう。なので、一気に肩の荷が降りた感じです~~やはり、今回、直感に従って、ダイアンと話したこともよかったしそしてまた、直感に従って、友人に話してみて、彼女に翻訳を任せたこともよかったなあと。(直感というより、これは宇宙の流れというべきものかもしれませんが)すべては、落ち着くところに落ち着いた感じです。もちろん、好きなことを仕事にしても、大変なことはたくさん起こりますがでも、本当にそれが好きだったら、その大変なことも、それほど大変だと感じることなくやっていくことができますよね。レイキやキネシの仕事やするのに気が重いと感じたことは一度もありませんからやはりその人に天から与えられたこと、やるべきことというのはその人がわくわくすること、好きなことだなあとこれからも、その時、その時に感じることを大切にしながら私がやるべきこと、私が本当に好きだと感じることだけをやっていくことにします~@Pisaq, Peru
2009年07月28日
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これは、先日の新月の日に描いた絵です。今日、キネシオロジーのセラピーに来てくれた友人がこの絵を気に入ってくれて、写真を撮っていたので、ならば私もプログにアップしてみようかな~と横153cm、縦82cm のキャンパスなので、けっこう大きいのですが、ほぼ丸2日間、朝から晩まで、ひさすら描き続けて完成させました。ヒーリングルームに飾る絵を、前から描きたいなあと思っていたものの一度絵を描き出すと、私は他のことは全く何もできなくなるのでなかなか取りかかれませんでした。そして、新月の日から、ちょうど3日間、予約が入っていなかったので、描くことにしたのです。昔からそうなのですが、絵を描いている間はほとんど、キャンバスの前から動けなくなってしまいます。顔も洗わないし、食べることさえ面倒になってしまうのですよね。描いている間は、絵以外のことは、一切考えていなくてただ夢中で描いています。例え、その時にどんな問題が起こっていたとしても絵を描き出すと全くどうでもよくなってしまうし心はとても静かで穏やかになるのです。なので、今のようにレイキや瞑想やいろんなヒーリングをする以前は、絵を描くことが私にとって、ヒーリングや瞑想のような働きをしていたのでしょうね。(でも動かない、食べないなので、終わった後、身体は疲れていますが)これからは、ヒーリングルームで、この絵をぼ~っと見ながら、レイキをすることになるのでしょう。絵の中の白い丸い玉は、目玉のある木霊です。レイキのシンボルも↓その部分の写真さて、今日は家の前のストリートで、何ヶ月に1度のブロックパーティをやっていて昼頃からいきなり大音量で音楽を流していたので、この状態で果たしてセラピーをやるべきか、どうか迷いました。レイキだったら無理かな~と今日はお断りしたかもしれませんが、今日はキネシオロジーでしたし、彼女はとても忙しい方ですのでそのまま行うことにしました。キネシオロジーも、扱う問題によっては、意識を集中することが必要になってくるのであまり周りが騒がしいようなところでは、やれないと思うのですが、幸い、彼女は、周りの音を気にせず、集中できる人でしたので、かなり深い内容だったにも関わらず、ほとんど問題なくセラピーができて、よかったです。今もまだお祭りは続いています。ブログで書いてみたいこともいろいろあるのですが、今日はそこそこにしてこれから、避難して、サンセットパークに夕日を見に出かけてきます~
2009年07月25日
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ロサンゼルスの本間先生のキネシオロジーマスターコース『DEEP ゼミ』が、次回、9月13日から22日間行われます。これは、私も今年の3月に受けたものですが、これによって人生が大きく変わった、本当に素晴らしいゼミです。興味がある方はぜひ受けに行かれてくださいね。ゼミHP携帯のiモード ボーダフォン このマスターコース「Deep ゼミ」に関してはこのブログでも、セラピーの模様を中心に書きましたがこれは、ヒーラーやセラピストの方はもちろん、特にせラピーを仕事とされていない方も、このゼミを受けて身につけておくと、ご自身やご家族の健康のためにも、その他のいろんな場面でも大活躍します。ちなみに、こちらは私のHPの中からキネシオロジーのセラピーについてこれまでセラピーを受けてくださった方々の感想例えば、頭痛や生理痛や腰痛や便秘や、その他様々な身体の不調が起こった時キネシオロジーでは、どこにその問題があるかを調べてそして、何の道具や薬も使わず、身体のリンパ点や脊髄反射点を刺激することで経絡の流れを整え、身体の不調を改善したりすることができます。私は、旅行に行くと便秘になる、という体質だったのですがこのキネシオロジーで調整すると、どこに行っても便秘にならないようになりましたまた、例えば、頭で考えるとストレスになっていないように思えても筋肉の反射テストを行えば、そのことがが自分にとってストレスになっているかどうかがすぐにわかります。そして、それを様々な調整方法を使って、ストレスにならないように変化させることができるのです。自分の潜在意識が、どう感じているかを知ることによってこれまでやりたいと思いながらも、なかなかできなかったことを行動できるように、潜在意識を調整することができるので自分にとって、より多くの可能性が開けてきます。また、キネシオロジーの筋反射テストを行うことによって自分に合ったフラワーエッセンスやアロマを選ぶことができるので、どのフラワーエッセンスやアロマが自分にとって必要かがわかります。しかも、1日何回、何滴づつ取る必要があるか、などもわかるのでエッセンスやアロマのセラピストの方が、クライアントにエッセンスを選んだり、調合したりする場合などにも、とても有効です。またレイキをされている方は、レイキが実際にどのような効果があるかキネシオロジーでは筋肉の反射として「目で見て」確認できるのでレイキの効果もさらにわかります。と、まだまだキネシオロジーの可能性は無限にありますが何よりロサンゼルスの本間先生が、素晴らしい方なので彼から直接、キネシオロジーを学ぶことは、人生の中でとても大きな財産になると思います。精神世界の鉄人さんのブログを読まれている方も多いかもしれませんが彼が、今までに出会った治療家やセラピストの中で一番素晴らしい人だと絶賛しているのが本間先生です。22日間のマスターコースの間、受講生自身も、本間先生から直接キネシオロジーのセラピーを受けることができるので自分自身でその効果を体感できるのが、このDEEPゼミの素晴らしいところです。この22日間に、自分の心身がどんどん変わっていきますので身体や精神にたくさん不調を抱えている方でも大丈夫。むしろ、そんな方の方がキネシオロジーのすごさがわかることでしょう。ゼミでは一から教えて頂けるので、セラピーに関して全く何も知らなくても大丈夫です。(私もこのゼミを受けるまでは、キネシオロジーに関して、ほとんど何も知りませんでした)ゼミの詳細と問い合わせは、ベストクリニックの本間先生まで直接ご連絡下さいとのことです~メイル hanakame@msn.com 電話 1-213-617-2228 米国一人でも多くのキネシオロジストが誕生してより多くの人が健康で幸せな人生を送れますように
2009年07月23日
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久々に絵を描きたくなって、今日はほぼ1日、大きなキャンバスに向かっていました。絵を描き始めると、いつも他のことは一切できなくなってしまうのですが食事はろくなものを食べず終い同じ姿勢を続けていたせいもあって、ちょっとふらふらでも、夜になって、新月の遠隔レイキの会をやりレイキをみなさんに送りながら、みなさんからのレイキを受けたら終わった頃には、とてもすっきりエネルギーに満ちてきましたみんなはどうだったかしら♪それから、この新月の日に、新たな目標設定をしてワークします。さて、今月は、どんな月にしようかな~?そう考えながら、紙に書いていく、新月の日のワークの時間は、いつもわくわくそして、今日は、何といっても、日本で見れる皆既日食Youtube にアップされているNHKの皆既日食の映像です~日本の方は、何度もこの映像を見られているでしょうが。硫黄島の映像太平洋上の映像ああ、なんて、美しい~いつか、実際に見てみたいな~~こんなのを実際に見たら、きっと泣いてしまうでしょうね。太陽(Sol)と月(Luna)の融合の時まさに私のレイキヒーリングルームの名前、Sol Y Luna太陽は素晴らしい♪、月も素晴らしい、地球も最高に素晴らしい~~素晴らしい世界に生まれてくることができて、感謝。今日も素敵な1日をありがとうございます@sunset park ,NY
2009年07月22日
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明日は、新月そして、この日、日本では46年ぶりに皆既日食が見れるのですね太陽と月と地球が一直線に並び、月が太陽と地球の間に入って太陽の光を完全にさえぎる瞬間。大きさの違う太陽と月が同じ大きさになるなんて不思議~。宇宙は、何て神秘に満ちあふれているのしょう。古代の人は、日食を怖れ敬ったそうだけど本当にびっくりしたことでしょうね。私も人生で一度、皆既日食を見てみたいな~~ちなみに、日本では、金環日食(月より太陽の方が大きく見れるため光の輪ができる日食)が2012年5月に見れるそうなのでその時に日本に帰れたらいいなあ。こちらはyoutubeの2006年、エジプトでの日食の映像エジプト皆既日食今頃、鹿児島の方では、たくさんの人で賑わっていることでしょう。今回、一番、観測条件のよい悪石島は人口がたった80人だとか。その島に、普段ではあり得ないほど、たくさんの人がつめかけるでしょうね。また、屋久島は、私の憧れの土地。いつか必ず行こうと思っているのですが皆既日食の屋久島だなんて、想像しただけで、神秘的な感じでわくわくします日本では、部分日食が各地で見られるし全国的に話題になっているのですね。先日、ペルーに行った時、たまたまホテルにあったテレビをつけてみたら日本語放送が入っていて、その番組が皆既日食ブームについての特集だったので、思わず見ていました。番組では、この皆既日食にちなんだ、いろんなビジネスが紹介されていました。キャンプなどで使う携帯トイレなども、これを機に宣伝しているのだそう。日食グラスなどの関連グッズも売り切れだそうですね。(日食グラスなんて、普段は全く売れなさそう~)さて、この日食と新月が重なることで、浄化のエネルギーも強くなるようで眠くなったり、だるくなったりする方が増えるそう。と、つい先日、日本に住んでいる友人からメールがあって「ここ最近1日中、仕事中もいつでもやたら眠たいんだけど?まるでのりこにずっとレイキを送られているような感じだよ」と言っていましたが、他にもそういう方はいらっしゃるかしら?明日は、かなり強力な新月の日になりそうよくも悪くも、自分の中のエネルギーが増幅するので明日は、できるだけネガティブな波動を生み出さないように1日を穏やかで平和な気持ちで過ごしたいですね。叶えたい夢がある方は、この日に100%ポジティブな気持ちで願いを紙に書いて、しっかりイメージし、宇宙へ向けてのエネルギーを送ってくださいませ~♪(レイキのレベル2以上の方は、もちろんシンボルを使って♪)こちらでは、日食は全く見れませんが、ネットのライブ中継で見れるようなので、それで楽しもうと思っています。皆既日食中継特設ライブNHK ライブ映像皆既日食ウェザーニュースみなさまも、どうぞ素敵な新月の日をお過ごしくださいね日本の方は、ぜひ日食も楽しまれてくださいね。@sunset park , NY
2009年07月20日
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何を今さら~という感じなのですが、ふと思い立ってこのブログに初めていらした方のために、自己紹介を書いておくことにしました先日、私のところにヒーリングを受けにきてくださった方が最初に私のブログに辿りついたのが、コロンクレンジングの日記だと言われていてどんな検索でこのブログに来られるか、わからないものだなあと。人生の中の様々な出会いは、何がきっかけでつながるのか予測がつかないところがほんとおもしろいですね。ここに辿りついてくださって、ありがとう~~norico 中村典子ニューヨーク在住 子どもの頃から「人間はいつか死んでしまうのに、何で生まれてくるんだろう?」そんなことを漠然と考えているような子どもでした。音楽や絵を描くことが好きで、大人になってからも、常に自分を表現する何かを求めていました。一方で、ここで生きていくことの不自由さを感じていました。なぜ、もっと私たちは自由に生きられないの?なぜ、そんなつまらない対面にこだわって生きているの?なぜ、自分の好きなことだけをして生きていくことができないの?でも、その頃も今も変わらないのは「人が好き」だということ。これまでの人生の中で、たくさんの素敵な出会いがありました。きっと、この中のどの一人が欠けても、私の今の幸せは成りたたなかったでしょう。出会う人みんなが、自分にとって、大切な人であってすべて必然のお導きで出会うことができたのだということを、いつもどこかで感じていました。1990年、それまで勤めていたヤマハでのキーボードプレイヤーの仕事を辞め、渡米。もともとキーボーディストとしての才能に限界を感じていた私はきっぱり音楽もやめるつもりでした。「NYに何かを探しに来たのではない。ただNYに住んでみたいと思っただけ」「人生は暇つぶし」それが当時の私の口癖でした。でも、今から考えると、やはり潜在的には何かを探していたのでしょう。いや、すべてはあるべき方向へ導かれていたのかもしれません。NYに来てから、ある人に勧められて作曲を始めました。それまで好きだったロックやR&Bから180度変わって、ニューエイジやヒーリング系の音楽を作るようになりました。1995年は、私にとって大きな変化の年でした。阪神大震災が起こってまもなく、交通事故に合いました。自分がこの大きな事故によって死なずに生かされたということに対して、不思議に感謝の気持ちで一杯でした。その直後から、導かれるようにして、哲学や精神世界、量子力学の本などを、読みあさるようになり、これまで誰も教えてくれなかった世界がそこに広がっていることを知りました。その年にギタリストおさむと出会い、Solaris (ソラリス)というユニットを結成。norico 作詞作曲&ボーカル、おさむ編曲&ギターでソラリスとして、これまでに3枚のアルバムを完成させました。また、その頃から、地球環境や自然に対して意識を向けるようになり、この地球を守ること、そのために何か自分にできることをやってゆきたい、そう考えるようになりました。一方で、いくらスピリチュアルな本を読んで、いろんなことを学んでも、それを実際の自分の毎日の生き方に反映させることは、なかなかできませんでした。世界の平和を願いながら、心の中は平和ではなかったのです。それが変化したのは、レイキを学んだ頃からでした。このレイキの素晴らしさを多くの人に伝えていきたい、そう願い、2006年に、自宅にレイキヒーリングルーム SOL Y LUNA(太陽と月)をスタート。ほとんど宣伝していなかったにも関わらず、口コミでヒーリングやクラスを受けてくださる人が増えてきて多くの人にレイキを伝えることができました。(⭐️現在はレイキのクラスやセッションはやっていません)また、レイキの他にも、クリスタルヒーリング、ヨガや食事、ヴァパサーナ瞑想やアロマテラピーなど、いろんな角度から健康や癒しを学び、少しずつ広がっていました。2009年3月、ロサンゼルスの本間先生のもとで、キネシオロジーマスターコースを学び筋肉の反射テストによって、自分の潜在意識が何を感じているかを知ることができるキネシオロジーによって新たな側面から、身体と心と魂についての理解を深めキネシオロジーによるセッションをスタートします。さらに2010年6月、あらゆる次元からヒーリングを行うことができるインテグレイテッドキネシオロジー(IH ヒーリング)を創始者のマチルダから学びました。より深く問題の根源となっている心理的要因を知ることができるようになりこれによって、キネシオロジーのセッションが大きく進化しました。その他、ブレインジム、キネジェティクスなどの、様々なキネシオロジーを学びキネシオロジストとして数多くのセッションをクライアントに提供してきました。また、リチャード博士のマトリックスエナジェティクスをレベル3まで受けたことで量子力学をベースにした、これまでのヒーリングの考え方とは違ったアプローチから新たな視点で健康や精神を見ることやさらに多次元的に物事を捉えるようになりました。何万回と重ねてきた臨床と研究をもとに、2016年、多次元キネシオロジーを創立。そこから多次元キネシオロジーのクラスを日本とニューヨークでスタートしました。その頃から、宇宙系のエネルギーの影響で、体調を崩したり精神的なダメージを持っているクライアントさんが来られることが続きそこから、宇宙系遺伝というものが私たちの意識に大きく関わっていることに気づき宇宙系遺伝の調整を、スタートしました。やればやるほど、様々な遺伝の性質が、私たちの性質や脳や感じ方に影響を与えていることがわかりその調整のやり方を日々、研究し続けています。その流れで出会ったのが、2018年の初夏アルクトゥルスとの出会いでした。最初は、全く信じられなかった宇宙人の存在が実感としてわかるようになりそこから、アルクトゥルスのガイドとの共同作業でのヒーリングがスタート。2018年に多次元キネシオロジー+アルクトゥルスヒ−リングのクラスを初めてスタートしました。その後、ガイドから、アセンテッドマスターや神聖幾何学を使ったヒーリング方を伝えられより多次元的なアプローチでヒーリングを行うようになります。そして、2019年のパートナーおさむとの離婚をきっかけに2020年から、Universal Love Project を立ち上げました。 https://www.universallove.proそして、コロナをきっかけに、メンバー3人のサポートのもとオンラインでのお話し会やワークショップ、オンラインでのリトリートなどを開催。多次元キネシオロジーの手法に留まらず様々な浄化や癒し、変容を起こすための方法をガイドからのメッセージを受け取りつつ参加者に伝えています。旅が好きです。旅は外の世界を知るだけでなく自分の内面を深く入っていくものだと感じます。このブログは、キネシオロジーのことや旅のことや宇宙系の話や私が日々、感じていることを書き綴る日記になりました。そして、私がこれまで、様々なヒーリングを学んだり、素晴らしい人々と出会って気づいた大切なことは、真の癒しは、けしてヒーリングテクニックや技術で起こるのではないということでした。人それぞれ歩く道や方法は違っていても最終的に目指しているところは、同じなのだと私は思っています。この素敵な冒険の旅を、共に楽しみながら、進んでいく仲間としてどこかでつながっていけたら、とても幸せです。私といろんな形でつながってくださっている方々へそして、別の次元から見守ってくれている存在たちへ心からの感謝をこめてありがとうございますのりこひゃ~何だか長くなっちゃった
2009年07月19日
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先日、サクサイワマン遺跡で、空に光の粒粒が観えたことを書きましたがこれがプラーナだと呼ばれていることを、最近知りました。プラーナは、インドでは生命エネルギーと呼ばれています。以前、読んだバーバラアンブレナンの「光の手」の中には、ユニバーサル(宇宙的な)エネルギーで、昔から時代や地域を越えて、「プラーナ」「オルゴン」「気」とか呼ばれ、近代では科学機械技術によって静電気・磁気・電磁気・音波・熱性などで測定されてきていると書かれてあります。でも、これまで、この光の粒=プラーナとは思っていませんでした。この光の粒は、特に聖地など行かなくても、晴れた日の空などには、わりと簡単に観ることができます。私は、ほぼ毎日のように、近くの丘の上の公園に夕日を見に行くのですが、晴れた日の青空を見上げてオーラを観る時の要領で、視点をずらすと、観えます。(3Dアートを見る時のように、視点をどこにも合わさずぼーっと見ます)無数にきらきらと白い光の粒粒が、精子の動きのような感じで飛び交って観えます。これは、みなさん同じように観えるのですね。飛蚊症などの内視現象とは違うようです。でも、これは不思議と観える人と観えない人がいるようです。かならずしも、エネルギーに敏感だとかでなくても関係なく、観える人には観えるので、見方の問題かも?(中にはレイキヒーリングをやった後に見ると、見えやすいという方もいますが私にはあまり関係ないように感じます)今まで意識されたことがない方は、今度、ぜひ意識して見てみてくださいね。一度、見方のこつがわかれば、誰でも観えると思うのですが。そして、このプラーナの光の粒が観える時に、自分の手をボーっと見るとオーラが観えやすいです。ペルーのサクサイワマン遺跡に行った時は、この光の粒がものすごくて、視点をずらさなくても、とてもはっきりと観えていました。いつもは、ふっと視点をもどすと観えなくなるのですがこの時は、どうやってもずっと観えるのです。きらきらと輝く光の粒を見ているのは、ほんと、とても気持ちがよかったです~サクサイワマンの空
2009年07月17日
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前の日記の続きです~7)カールソン氏の突然の死 セレモニーの数日後、カールソン夫人から電話がかかってきた。カールソン氏が心臓麻痺で亡くなったという。榮道師はし ばし言葉を失った。まるでニューヨーク禅堂の誕生を見届けて、 「自分の使命は終わった」と言わんばかりの突然の死であった。 10月の初め、カールソン夫人からまた電話がかかってきて、 「ゼロックス社の大ホールでお別れの会をするので、一言しゃ べって欲しい」と言う。他に話すのはウ・タント国連事務総長、 ゼロックス社社長、ニューヨーク州選出の上院議員だという。 当日、ゼロックス社の大ホールへ行くと、3千人が入るホー ルが満杯になっている。前夜からほとんど寝ずに何を話そうか、 考えたが、この時になっても、全然見当がついていない。 他の3人はさすがに立派な弔辞を述べた。榮道師は壇上に上がって3千人の人を見渡してから、風呂敷の中から磐子(けいす)を取り出した。"チーン"と鳴らす鉦(かね)である。3千人の聴衆は、その音を聞いて、シーンと静まりかえった。 「皆さん、息を整え、眼を閉じてください。そして皆さんの友達であり、先輩であるチェスター・カールソン氏の面影を思い浮かべて下さい」 8)We miss you. (寂しいよ) それから、榮道師はチェットというニックネームで、故人に 語りかけた。 Chet, where are you now? (チェット、今どこにいるんだい?) この言葉で、会場が一体になったように感じられた。 We miss you. (寂しいよ) 「今はあなたの声を聞くことはできない。握手をすることもで きない。笑顔を見ることもできない。」 それから、もう一度 "Where are you now?" そして、"チーン"と鉦を鳴らした。 榮道師の言葉で、チェスターを見送る会は、感動のうちに幕 を閉じた。 "Where are you now?" 人はどこから来て、どこに行くのか。 しばしこの世で過ごす人生の意味は何なのか。チェスター氏自 身、榮道師のアパートでの座禅の最中に、こうした問いかけを 何度も心の中でしていただろう。 彼の人生の意味は、億万長者になったことではなく、3千人 もの人々から、"We miss you."との思いを持たれたことにある のではないか。 9)大事なのは、彼らと一緒に座ること 一月ほどして、またカールソン夫人から電話がかかってきた。 夫の莫大な財産の一部を寄付するという。榮道師は辞退したが、 「どうしても」と言って、引き下がらない。「これで人種や男女や宗教の違いを問わず、誰でもがいつでも来て座禅の修業のできる場所を作って下さい」と頼み込まれた。 榮道師はこの寄付を使って、ニューヨークから数時間の州有林の中にある170万坪の土地を買い、本格的な禅堂と百人ほどが泊まれる施設を作った。大菩薩禅堂金剛寺と命名した。 榮道師が単身、ニューヨークに降り立って、すでに40年以 上が経った。当初は「このアメリカに、座禅の味と仏法のありがたさを広めていくんだ」という気持ちだったが、本当に大事なことはそれではなかった。 大事なのは、彼らと一緒に座ること、共に食事をとること、共に行動することだと気づいたのです。 だから今でも、一緒に座禅をし、一緒に作務(JOG注: さむ、掃除などの作業)をしています。そして大自然の中で人間らしく息を吐き、息を吸う生活をさせていただいています。 限られた人生の中で、たまたま出合った縁を大切に過ごして 一緒の時間を過ごして行く。そこに人生の意味があるのだろう。 (文責:伊勢雅臣)この正法寺のことは、以前、座禅に行こうと、NYの禅堂について調べていた時に知って、また友人からも話を聞いていたのですがこんなストーリーがあったとは、今まで知りませんでした。月に一度は、日本語の座禅会も開かれているそうなのでぜひ一度、訪れてみようと思っています。「一心一念、我が道を歩み続ければ、道は自ら開けてくるもの」この榮道師の生き方にとても感動しました。心から、自分を信じ、宇宙を信じ、自分のやるべきことをやってゆく、そうすれば、すべての道は開かれていくのですね。しっかりと心に刻んでいきたいと思います~@Pisaq, Peru
2009年07月16日
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現在、福岡の北九州市で『ガイアの風』というエコ&スピリチュアルなラジオ番組を企画されている私の先輩が(おととし、不思議なご縁で、出会った方ですが私と同じ高校の先輩だということがわかったのです♪)先日、とても素晴らしいお話を、教えてくださったのでぜひ、ここでご紹介させてくださいね。制限文字数を越えてしまって、アップできなかったので2つに分けます~嶋野榮道師 ~ ニューヨークの禅僧 1).ニューヨークに降り立った禅僧■ 1964(昭和39)年の大晦日、30過ぎの若き一人の禅僧が、ニュ ーヨークのケネディ空港に降り立った。警策( 座禅の 時、修行者の肩を打つ棒)一本と、仏像1体、スーツケース1 個、現金5ドル、これが所持品のすべてだった。嶋野榮道(えいどう)師である。 「これからこのアメリカに、座禅の味と仏法のありがたさを広 めていくんだ」と、胸の中は高揚感に満たされていた。5ドル はマンハッタンまでのバス代だけで、簡単に日本に帰れないよう、背水の陣で臨むためだった。 榮道師はニューヨークに来る前に4年間、ハワイで座禅の指 導をしたり、大学で仏教の講義を受けたりした。ある時、ハワ イ大学の図書館で歴史家アーノルド・トインビーの本を見つけ、 手にとってパッと開くと、そこには "Transmission of Buddism from East to West" (仏法東漸)という言葉があった。将来、 世界の歴史家が集まって、20世紀最大の出来事は何かと議論 したら、原子爆弾や世界大戦よりも、仏教が東洋から西洋に伝 わったことであろう、というのである。 仏教がインドに生まれ、中国、朝鮮と東漸して、6世紀半ば に日本に伝わった。この仏教がさらに東漸するなら、アメリカ 大陸に伝わることになる。榮道師は、この偶然に出合った言葉 に、天から自分に与えられた使命を感じた。 そこで、すでに仏教普及の先駆者のいるハワイやロサンゼル スでなく、ニューヨークを選んだのである。 2)スパゲッティーと水で飢えを凌ぐ■ その晩は、セントラル・パークまでバスで行って、日本で面 識を得ていたワイス博士の家に泊めて貰った。翌元日、ワイス 博士の奥さんが、近くに小さなアパートを見つけてくれた。家 賃は110ドルだったが、月末に払うことで了解して貰った。 ワイスさんの奥さんは毛布を二枚持ってきてくれたが、それ 以外にはベッドもない。元日の午後から、榮道師は完全に一人になった。所持金は2ドルほどしか残っていなかった。とにか く腹が減ったので、残ったお金でスパゲッティの缶詰を買い、 それと水道の水で空腹を満たした。 1月2日になった。何もしなくても腹が減る。ともかく街に 出てみたが、厳しい寒さの中、コートもなし、足袋と草履で歩 き回った。 道を歩いていると、"What are you doing? (何しているんだい?)"と、一人の男性から声をかけられた。僧の衣装が目を引 いたのだろう。「日本から来て、座禅の道場を作るつもりだ」 と答えると、"May I come?(行ってもいいですか?)"と聞いてきた。「いいよ」と答えて、アパートの住所を教えた。 シドニーというその男性は本当に榮道師のアパートにやってきた。線香を焚(た)いて、二人で座禅をした。帰りがけに、シドニーは、"May I make contribution? (寄付をさせて貰っ てもいいですか?)と聞いて、5ドル寄付してくれた。これで またスパゲッティが食べられるな、と榮道師は思った。 シドニーはたびたびやってきては、座禅をし、帰り際にかならず5ドルの寄付を置いていってくれた。こうして、食べるこ とだけはなんとか目処が付いたが、月末には110ドルを払わねばならない。崖っぷちに身を置いて、などと偉そうなことを 考えたのは間違いだったか、と榮道師は弱気になった。 3)「果たして私は法のために心身を捧げていただろうか」■ なんとか月末までに110ドルを作ろうと、榮道師は職を探 すことにした。何社か断られたあと、東京銀行のニューヨーク 支店で運転手として雇ってくれることになった。これで家賃は なんとかなる、とほっとした瞬間、日本で師から習った言葉が 雷鳴のごとく響いた。 If you give yourself to the Dharma, the Dharma will give itself to you. (もし本当に法のために心身を捧げるなら、法のほうから やってくる) 忘れていたこの言葉が急に頭の中に浮かび上がって、榮道師 は気がついた。 なるほどそうだったのか・・・。果たして私は法のため に心身を捧げていただろうか。毎日毎日ひもじいとか寂しいとか思うだけで、ニューヨークに来てからというもの、 坊さんらしいことを何もやっていない。いくらなんでも銀行のドライバーになるために坊さんになったわけではないし、ニューヨークに来たのでもないだろう・・・。 断食をしているといえば、聞こえはいいけど、お金がなくて 食べ物が買えないからだ。朝は遅くまで寝て、座禅も掃除も読経もしたりしなかったり、という毎日だった。これでは法のほうから近づいてくれるはずもない。「困り果てるのは当然だ」 と素直に思った。 榮道師は東京銀行の仕事を丁重に断った。すると、相手は 「何か事情がおありのようですね。よろしかったらお聞かせ下さい」と急に態度を改めた。榮道師がニューヨークに来た思いを洗いざらい話すと、相手は「よく分かりました」と言って、 アパートでもできる簡単なアルバイトの仕事をくれ、110ド ル払ってくれた。 これで一月の家賃を払える。突然、目の前が開けたような気 がした。 4)「法のほうからやってくる」■ それから、榮道師は「とにかく一生懸命やってみよう」と心 に決めた。誰もいないとか、誰も見ていないとかは関係ない。 朝は4時に起きて、僧堂並に部屋をきちんと掃除する。座禅 も読経も、きちんとやる。禅僧として当然だが、その当然のことをきちんとやるのが法に心身を捧げる第一歩だと考えた。 そのうちに、シドニーが何人か友達を連れてくるようになった。彼らも、本物の禅僧の生活を送るようになった榮道師に何事かを感じ取ったのだろう。彼らは「ベッドがないじゃないか」 「机も必要だろう」と言って、いつの間にか生活に必要なもの が揃っていった。 シドニーが連れてきた人の中にケイという50代半ばのカナダ人女性がいた。ある朝、榮道師が一人で座禅を組んでいると、 ケイがやってきて、「カナダに帰らなくちゃいけない。これは お供えに」と、封筒を仏像の前に置いた。「ありがとう。でも、 帰っちゃうのですか。寂しいですね」 そんな話をして別れた。 ケイが帰ったあと、封筒を開けてみると、そこには数年分の アパート代の相当する金額の小切手が入っていた。 こうして榮道師が禅僧として心身を捧げようと決意した途端に、人々がやってくるようになり、彼らを通じて必要な物もお金も自然に集まるようになった。まさに「もし本当に法のため に心身を捧げるなら、法のほうからやってくる」が現実となったのである。 5)「われわれアメリカ人はあなたに何もしていません」■ そのうちに、非常に気品のある老夫妻がアパートにやってく るようになった。名前も名乗らず、ただ来て、ただ座って、帰っ ていく。榮道師の方からも何も尋ねない。誰でも受け入れて、 「どうぞ」という気持ちで座禅をして貰っていた。 1年ほどしたある日、夫君の方から電話がかかってきて、 「会いたい」と言う。「どうぞ」とお招きして、一緒にお茶を 飲んだ後、彼は次のように切り出した。 あなたは遠く日本から来て、われわれアメリカ人のため に座禅を教えてくれています。しかし、われわれアメリカ 人はあなたに何もしていません。申し訳ない。そこで家内 と相談して、何かお手伝いをしようと思います。 夫妻は数日後にまたやってきて、小さなビルが買えるほどの 金額の小切手を置いていった。 これがカールソン夫妻との出会いだった。夫のチェスター・ カールソン氏は貧しいスウェーデン移民の家に生まれ、苦学し て物理学を学んだ。やがて一人で研究をして、コピー機の原理を発明し、ゼロックス社の前身に特許の権利を売って、億万長者になった。そして自分と同様、苦労しながら頑張っている人たちを後援していた。「死ぬときは一文無しで逝きたい」とい うのが口癖だった。 6)「何ものかがして御座る」■ 榮道師は、このお金で禅堂用のビルを持てるかな、と思った。 すると、数日後、マンハッタンの一角に、妙に気を引かれるガ レージを見つけた。3階建てで、大きさは禅堂にするのにぴったりである。そのうえ "For Sale (売出し中)"という札までついている。しかし、その値段はカールソン夫妻からいただいた額よりも高かった。 榮道師はビルを購入する決心を固め、不足額は銀行でローン を組んで貰った。 数日後、カールソン夫人から電話で「その後どうですか」と 聞いてきた。ローンを組んだことを話し出すと、途中で遮って、 "Don't do it. We will take care of it. (やめておきなさい。私たちに任せなさい)"とぴしゃりと言われた。 そこまでして貰ってもいいのかな、と思いつつ、ローンを解 消すると、夫妻は残った借金をすべて払ってくれた。 内装工事が終わって、1968(昭和43)年9月15日、ついに 「ニューヨーク禅堂正法寺」がオープンした。榮道師がニュー ヨークに降り立ってから、わずか3年9カ月の事だった。 オープニング・セレモニーに出席した人々は皆、"Miracle! (奇跡だ)" と言ってくれたが、榮道師は奇跡とは思えなかった。 「何ものかがして御座る」という、疑う余地のない流れなのだ、 という確信があった。 次に続きます~~@Cusco
2009年07月16日
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さて、ようやくペルー最後の日。 私たちは、ちょっとしたトラブルがあって、予定より早くクスコを出発して、リマへと向かいました。 というのは、私がペルーに入った後、出入国カードをなくしてしまったのです 通常は、このカードは、入国の際に、パスポートにホッチキスでとめられるのですが ペルーでは、パスポートの間にはさむだけなので、 なくしてしまう人が多いのだそう。 (ペルーへ行かれる方、ご注意くださいね) あちこちのホテルで「それがないとペルーを出国できないよ」とおどされ ペルーの日本領事館に電話したら、リマの移民局に行く必要があるとのこと。 ということで、夕方リマに行く予定を早めて、朝一番にリマに行ったのでした。 結局、リマの空港で、ペルーを出国する際に イミグレーションで、5ドルの罰金を払えばいいということがわかり 移民局に行く必要はなかったので、よかったのですけどね。 でも、そのおかげで、予定にはなかったリマで1日観光することができました。 こちらは、リマの旧市街。 ミラフローレンスという海のすぐそばの街でランチを食べます。 昨日まで、標高3700メートルのクスコにいたのに 海沿いの街、リマはまるで違う雰囲気。 街の人たちも、普通のアメリカで見るような感じで ポンチョや民族衣装を着ている人が多いクスコと 同じ国だとはとても思えません。 ランチを食べた後、海岸に沿って歩きます。 さすがは南米のモニュメント♪大胆。 その上をハングライダーが飛んできました。 わ~♪こんな街の上でやれるのね~と思いつつ そちらに向かって歩いていると、 広場にハングライダーをやっている人たちが集まっていました。 近づいてゆくと、一人の方が来て説明してくれて 一人1回50ドルで乗せてくれるといいます。 もちろん、操縦する人が、後ろにいるので 何もしなくていいし、安全だそう。 ということで、早速私たちもハングライダーに乗ってみることにしました きゃ~♪飛んだ~~ (これはおさむの方なんだけど) 操縦の人と一緒にたったた~~と走ったら、 あっという間に空に浮かんでいました。 けっこう、簡単に空に舞い上がるものなのですね。 ああ、気持ちいい~~~ 空から撮った写真(飛びながらなので、なかなか上手くは撮れないのだけど) まるで鳥になったみたい~~ 海岸線の街の上を飛ぶのですが、 ビルの1メートル横ぐらいをぎりぎりに飛んでいきます。 わ~~ぶつかる~という感じなのですが 操縦の方は、ぶつからずに、上手くコントロールしていくのですよね。 こちらは別のハングライダーに乗っているおさむ。 後で操縦士の方にお話を伺ったら こんな海岸線と街の境の上を飛ぶことができるのは 世界広しといえども、ここリマぐらいなものなんだそう。 空を飛びながら、リマの街を見学することができるなんて 思いもしませんでしたが、本当によかったです~ 最後の日の夜は、この日までずっと控えていたお酒を飲むことにして ピスコサワーを頂きました。 カルピスみたいでおいしい 食事も存分に頂きました もちろん肉体や精神の浄化も大事ですが、 日々の生活を楽しむことも大事ですものね こうして、私たちのペルーへの旅は終わりました。 (今日でこのペルー日記もやっと終わりだ~~)いろいろあったけど、ほんと全部楽しかった~~ こんな素敵な体験ができたことに本当に感謝です 読んでくださった方々 ありがとうございます みなさまにも素敵なことがたくさん起こりますように LOVE & LIGHT & PEACE のりこ
2009年07月15日
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まず先日の続き、アワヤワスカのセレモニーの詳しい模様についてここでアップするつもりだったのですが先日、ミキシィの方にアップして、みなさんからのコメントを読んでいるうちに、いろんな気づきがありアップするのをやめることにしましたごめんなさい!実名で書いているブログで、一般公開しているということや内容が誤解を招きやすいものであること、また、今回の経験だけでは、アヤワスカ体験の本当のところを報告できないこと、などなどの理由です。ここまで書いておいて、ずるい?すみません簡単に説明すると、今回のアヤワスカのセレモニーは私たちにとって、けして素晴らしい体験だったとは言えませんでした。サンペドロの時のような幸せな気持ちにはなれなかったしビジョンもメッセージも得ることはできず、また、身体的には、かなり辛いこととなりました。エハンさんが「君たちはアヤワスカには呼ばれていないけど、サンペドロには呼ばれていると感じる」と、事前に私たちにメールしてくれていたのが、まさにその通りになってしまいました。でも、今回、ミキシィで頂いたコメントの中にアヤワスカを体験されていた方が数人いらっしゃっていろいろとアドバイスして頂きました。アヤワスカのセレモニーは、セッティングがすべてであること。完全に電磁波のない自然の中で、森の精霊たちとともにやるようなものであり、けして都会の部屋の中でやるようなものではないこと(私たちがやったのは、クスコの街の中の一室でした)アヤワスカに熟練し、優れたシャーマンが不可欠であること結界を張り、場を完全に浄化する必要があること、などなど、とても参考になりました。浄化に関しては、断食や食事制限や瞑想を含めかなり私たちはやっていたので、これで不十分だったとは思わないのですがやはりシャーマンや場所を選ぶ段階で、違っていたという可能性はあります。また他にもアヤワスカのホメオパシーを経験された方からアヤワスカのエネルギーは、そもそも私たちのエネルギーには合わないと感じたともコメント頂きました。アヤワスカのエネルギーは、かなり強力なものなので繊細なエネルギーを持つ人には合わない人も多いだろうとのこと。(日本人はそういう人が多いのだそう)でも、いろんな原因を考えているうちに、今回の結果はすべて必然だったということに気づきました。もしも、私たちがサンペドロの時のようにアヤワスカでも素敵な体験をしていたら、きっとその体験を、何の疑問も持たずにミキシィにもプログにも書いたでしょうしそうすれば、もしかすると「サンペドロもアヤワスカも素敵な体験ができるものなのね~」という誤解を、どなたかに与えてしまった可能性もあるかもしれません。それはそれでいいのかもしれませんが、やはりこういうシャーマンワークは、危険をともなうものであることは確かですし心から魂の探求をのぞみ、何が起こっても自分でコントロールできる人のみが行うべきもの。どんな体験になるかは人それぞれだし、また状況によっても変わるので予測はつきません。運良く、今回素敵な体験になりましたが、サンペドロだって、状況が違えば、全く違った経験になったことでしょう。ヒーリングや癒しを伝えていくものとして今回の私たちのアヤワスカの経験は、そういう安易な結論を導き出さないためにも必要だったのでしょうね。おかげで、いろんなことを学ぶことができました。これはまさにアヤワスカから、または天から与えられた経験でした。でも、やっぱり人生は冒険これからも、結果を怖れず、いろんなことに挑戦していきたい!と思いますさて、セレモニーの次の日の朝。私は、目覚めた時には、かなり回復して、起きました。シャワーを浴びると、すっきり。この日、もう一度、アヤワスカをやらなければならないというならできそうな勢いまで元気になっていましたこの回復力は、われながらすごいのかも。一方、おさむは、朝、かなり具合が悪かったので私がレイキをしたり、リンパ点を刺激したりして彼にヒーリングしました。やっぱりこういう時はレイキですね~(って、こんな状況は滅多にないけど)おさむが「のりこがヒーラーでほんとよかった」としみじみと言ってくれます。おさむも、それからしばらく眠って、すっかり回復しました。それから、昼間はのんびりサクサイワマンの近くに行ったり街で買い物したりして過ごします。これはサクサイワマンのそばの丘の上のキリストの像。リボンをつけたリャマ君。この日の夜は、クスコ最後の夜だし、アヤワスカも終わったことだしちょっといいレストランに行こうと、GREEN ORGANICというオーガニックペルビアン料理のレストランで食事をしました。ここは、ペルーでのレストランの中で一番おいしかった。こちらは、ベジタブルセビーチェとペルーの伝統的なポテトの料理。 正直、今は再びアヤワスカをやろう、という気持ちにはなりませんがもし、私達にとって必要なものならばこれからやる機会もあるのかもしれません。後でポールにこの日のことをメールで知らせたら「次回は僕がセットアップして、一緒にちゃんとしたアヤワスカセレモニーを受けれるようにするよ」と言ってくれました。本当にそんな日が来るのかどうかはわかりませんがそれまで、大地にしっかり足をつけて、日々、今、自分ができることを、精一杯やっていこうと思います~さて、次はペルーの最終日、リマへ向かいます~
2009年07月14日
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ここ最近、私たちがはまって見ているYou tubeの映像がアニメのcandy candy先日、おさむと昔のアニメって懐かしいね~とyou tubeで検索していてcandy candyのシリーズが最初からアップされていたので、なにげなく、見てみたのです。随分昔に見たことはありますが、内容はほとんど覚えていなかったしまあ、いわゆる少女マンガ。今見るとそうたいしたことはないだろう、と軽く見てみたら、予想外に、どんどん話に引き込まれてしまって、とまらなくなってしまいましたもちろん、いかにも少女マンガで、乙女チックなところも多々あってそれはそれで笑えてしまうのだけど、何よりこの主人公キャンディが素晴らしいどんな逆境でも、けして明るさを失わず前向き。また困難を乗り越えるために、次々と浮かぶアイデアの素晴らしさ。そして、自分を犠牲にしてでも、周りの人々を助けるやさしさと強さ。今、まだ25話ぐらいのなのですがその中で一番感動したのが、メキシコでのお話。キャンディは、慣れ親しんだ孤児院を出て、ラガン家に引き取られ、そこでいじめにあって、結局、遥か遠いメキシコへの農場に働きに行かされることになります。愛するアンソニーとも別れ別れになり、極悪非道なメキシコ人のガルシアとメキシコへの旅が始まります。メキシコの農場では、過酷な労働が待っていることになっていました。ところが、キャンディのすごいところは、そんな状況であっても森や自然の美しさに感動したり、動物たちに出会って喜んだり。愛するアンソニーと別れた辛さや、これから、自分が過酷なところに行かなければならないことなんて微塵も感じさせない明るさで、心からそれを楽しんでいるのです。まさに、過去にも未来にも生きていない「今この瞬間」に生きているんですねまた、キャンディと一緒に旅することになった貧しい家族を助けるためにアンソニーからもらった大切なバラを売り、自分が助かることは全く考えず、その家族を助けるのです。そして、キャンディは、その極悪非道なガルシアに対しても、惜しみない愛を注ぎます。彼が、ヘビにかまれたら、すぐに口から毒を吸って助けたりパンを焼いてあげたり、食べる前には祈ることを教えたり。すごいなあと思ったのは、孤児院を去る時に院長先生からもらった大切なクロス(十字架)をガルシアにあげてしまうこと。「これを見たら、食べる前に祈るということを忘れないでしょう」と。大切なものを大切な人にあげるのはわかりますが自分に対してひどいことをした人に対しても、同じように接することができるのはまさにマザーテレサの精神レベルなのですね。実際、ガルシアは、そんなにキャンディに助けられたにも関わらず盗賊たちに襲われた時に、自分の命を助けるためにキャンディを盗賊たちに引き渡します。そして、自分一人だけ逃げるのですが、その途中で、キャンディからもらったクロスがポケットから落ちるのです。それを見た瞬間、はじめて「おれは何ということをしたのだ」と、自分のやったことに気づくのでした。この部分もよくできているなあと。長い間、その人が持っていた人格や考え方は、なかなかすぐには変わらないこともあります。でも、その人が本当に愛を受けていたならいつか必ず、そのことを思い出すことがあるのだということ。マザーテレサの言葉「それでもなお、人を愛しなさい」その言葉が胸にしみてきます。そして、ガルシアはキャンディを助けるために盗賊たちの元に戻ります。『これは、俺が生まれてはじめて、人のために何かをした時なんだ』もう感動~~キャンディを見ていると、やさしさや慈愛を持つこととともに、本当に人のために何かをするためには何よりも精神的な強さが必要なんだということを教えられます。また、人を許すということの大切さ、自然を愛することの素晴らしさどんな時でも周りの人々や生き物たちに光を流していくことの大切さ、いろんなことをこのアニメは伝えていました。こんな素晴らしい話だったのですねちなみに、こちらがyou tubeの第18話(その1)メキシコでのお話。こちらはCandy Candy第1話。うーん、しばらく、はまって見てしまいそうです~(今度は少女マンガだなんて、われながら、何でもありの自分にも驚きますが)@pisaq,PERU
2009年07月12日
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今日はアヤワスカについてお話したいと思いま~す。 南米の聖なる植物と言われるアヤワスカ。 ペルーでは合法的に認められていて、 あちらこちらで、シャーマンのもとアヤワスカの儀式が行われています。 ☆アヤワスカについて アヤワスカは、シャーマニックな儀式で用いられる向精神薬草。 サチャ・ルーナ(植物界の精霊たち)と交信ができ、 植物と薬草の深い知識を持っているシャーマンは、 ベジタリスタ(Vegetaliata)と呼ばれている。 ベジタリスタは、植物を人間と交信できる自然界の精霊達の聖体と見なす。 アヤワスカは、崇拝・尊敬されている聖なるクスリ(メディスン)であり、 精神的、生理的にも万能薬と見なされている。 アヤワスカを飲むと、嘔吐や下痢など、非常に強い浄化作用が起こり その浄化の後で、聖なるものとつながり、 様々なビジョンを見ることができる。 アヤワスカで見るビジョンは、蛇やさまざま動物や精霊たち、 または自分の未来や過去の映像など、いろいろだそう。 以前、アヤワスカは五次元へのアクセスの方法だと エハンデラヴィさんの本に書かれてありました。 この幻覚作用はLSDの50~100倍だと言われていて かなり強烈だそうで、何を体験しても、人に頼らず 自分でコントロールできる人しかやってはいけないと言われていました。(念のため、私はいわゆるドラッグには興味がありません) ちなみに、こちらは船井幸雄さんのアヤワスカについての記事。実は、私は最初に本を読んだ時には、それほどアヤワスカをやりたいという気はなく今回、絶対にアヤワスカをやると言い出したのは、おさむなのですが私もせっかくペルーに行くのだったらやってみよう、という気持ちになっていました。このシャーマンに関しては、誰かの紹介ではなく おさむがネットで検索して決めていました。 エハンデラヴィさんが 「アヤワスカのシャーマンを選ぶのは充分に気をつけた方がいい」 と私たちに忠告してくださった時には、もうすでに料金を支払った後。 全てをおさむに任せていた私も悪いのですが どちらにしても、サイトだけでは善し悪しはわかりませんでした。 そして、ポールが最終的には、実際に会った感覚で決めることを勧めてくれて クスコでのアヤワスカセレモニーの日より数日前、マヌーへ行く前日に 私たちは一度、アヤワスカを執り行うシャーマンと面談をしました。インタヴューのため彼らの家を訪れた時、 彼らはまだ家に帰っておらず 隣のおばさんが鍵を開けてくれて、裏庭に通してくれました。 この裏庭が、まあひどい状態荒れ放題でゴミもたくさんあるし、 裏庭から見る家もボロボロ。 ここに来て、すぐに私たちは 「こんな場所でやるなんて、ありえないよ。 彼らが戻ってきたら、断ろう」 と、ほぼ断る気持ちになっていました。 質素であるのはよくても、こんなゴミゴミした場所でやるのは 何となく違うと感じたからです。 しばらくして、シャーマンであるエリックとその奥さんが戻ってきました。 一目見て、彼らがとてもいい人であるのがわかりました。 エリックは、髪とひげを長くのばしていて、 いかにもシャーマンという風貌なのですが 奥さんの方は、まるでどこかの会社の秘書のような雰囲気。 まるで、この場所にはふさわしくない人のように感じます。 そして部屋の中に通されて、インタビューが始まりました。 部屋の中は、裏庭に比べるときれいで シピボのタペストリーが飾ってありました。 彼らは、とてもまじめにアヤワスカに取り組んでいる様子で 大きなノートにメモを取りながら、 いろいろと、私たちの精神的修練の経歴や 生活習慣、ヒーリングなどについて聞いてきます。 アヤワスカのセレモニーの前は、最低でも2週間は 肉食や飲酒はできません。 肉食やお酒を飲んでいる人がアヤワスカをすると 肉体の浄化だけに終わってしまい、とても苦しむだけなのだそう。 また、チーズや味噌などの発酵食品、乳製品も卵もだめ、 厳密にいえば、塩、砂糖、油、なども控えます。 私たちは、もともと肉や乳製品は食べないし、 ペルーに来てからは、なるべく油っぽいものや甘いものも避け、 サラダやスープなどを中心に食事をしていましたから その点では大丈夫のように思われました。 またアヤワスカにのぞむものは何か?など 私たちの考え方についても、いろんな質問をしては、 その答えをノートに書き留めていきます。 聖なる植物、アヤワスカにのぞむこと? それは肉体と精神の浄化なのか 神との一体感なのか、 自分の知られざる内なる世界への旅なのか、 はたまた、五次元世界へのアクセスなのか 実は、私は、それほど深く考えてはおらず 答えながら、私はアヤワスカに本当に何を望んでいるのかしら? と自問自答していました。 私たちが歩くべき道を、明確に指し示してほしいということかしら? でも、もうそれも既に私の中ではわかっていることとも言えます。 彼らは、アヤワスカは浄化であると言っていましたが、 私は浄化に関しては、わざわざアヤワスカでやる必要もないように 感じていました。 肉体の浄化は、コロンクレンジングや断食でできるし、 精神の浄化は、これまでも様々なヒーリングやスウェットロッジなどをやってきたのですから。 もちろん、エハンさんが書いているような これまで見たこともないような五次元世界へ行ってみたいという 気持ちはありました。 また、あなたにとって神とは何か? などのかなり哲学的とも言える質問もありました。 いかようにも答えられるし 何と答えていいものか、彼らが何を望んで こんな質問をするのかが、つかめないので困りました。 (実際、セレモニーを終えてみても このインタヴューでの質問が、果たしてどんな意味があったのが なぜ、言葉にして説明する必要があったのか、疑問です^^:) 私は特別な宗教は持っていないこと でも、神は信じていること それは、私にとっては神とも言えるし、宇宙とも言えるし 大いなる自然とも言えること。 すべてのものの中に神は宿っていると感じていること そんなことを答えたように思います。 彼らは一つ一つにうなづきながら、 真剣な面持ちで、メモを取っていました。 インタビューを終えて、どうやら私たちは彼らの 「アヤワスカを受けられる資格」に達したようでした。 って、とっくに料金は支払っているのですけど インタヴューでアヤワスカができないと言われる人もいるのかしらね~。 これまで一度も瞑想したことがないとか、 しばらくの間でも肉を食べるのをやめれないとか、 セレモニーの間の静寂がだめだとかいう人は、困るとのこと。 そんな人がアヤワスカを受けたいと思うのかしら?と思いますが 中にはそういう人もいるんだそう。 私達は、はじめに彼らの家に行った時に 「これはもう断ろう」と思っていたにも関わらず 彼らの真剣な態度に、すっかり気持ちを変えてしまい インタヴューを終えた頃には むしろ「彼らが私たちを気にいってくれてよかったね~」 という気持ちになっていました また当日は、たまたまクスコに来ているシピボのシャーマンが 一人参加するということも、とても魅力でした。 さて、アヤワスカの当日。 この日は、エリックの言う通り、 朝から果物を少し食べただけ。 ピサックから戻った私たちは、彼らの家のすぐ近くのホテルに チェックインします。 このホテルが、路地をずっと登り詰めた高いところにあるので 行くのが、とても大変でした。 でも、この日のホテルがクスコで泊まった中では一番よかった♪ ペルー滞在中、ずっと、安いホテルばっかり泊まっていたので、 狭かったり、お湯が出なかったり、シャワーとトイレの段差がなかったり ドアの立て付けが悪かったり、何か必ず問題がありでしたが、 このホテルは明るくて、きれいで広々していて、バスルームもいいし インターネットも常に使えました。 この日の夜までは、なるべくゆっくり過ごします。 のんびり街を歩いたり、カフェに入ったり。 この日は6月22日。 クスコは、年に最大のお祭りである、24日のインティライミに向けて ここ1週間、お祭りが続いていました。 いつも街中でパレード。 消防士さんたちのパレード? ということで、そのセレモニーの日に関しては、また~
2009年07月11日
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朝、ピサックのホテル、PAZ Y LUZに電話して予約を取った後 クスコのホテルを出て、アルマス広場に向かいます。 と、「osamu~~!!」と声をかけてくる人が 振り返ると、先日サクサイワマンを回ってくれた タクシーの運転手のおじさんでした。 おさむは、オサマビンラディンと名前が似ているので、どこでもすぐに 名前を覚えられるのです 人が多くて小さな路地が入り組んでいる、このクスコの街で、 また偶然出会うとは (そして、また別の日にもこのおじさんに声をかけられるのです) 再会を喜んで、おじさんのタクシーで、ピサック行きのバス停まで行ってもらい それからバスで、ピサックへと向かいます。 1時間半ほどで、再びピサックへと到着。 まずは、ブランチを食べようと、 前回、目をつけておいた感じのよさそうなレストランに入ります。 なんとそのレストランの名前は「アヤワスカ」 ベジタリアンメニューも充実しています。 中に入るとシピボ族の手描きのタペストリーが 数多く飾られていました。 以前の日記に書きましたが、シピボ族は、アマゾンのジャングルの民。 シピボのシャーマンたちは、アヤワスカセレモニーで有名なのですが、 アヤワスカでのビジョンを手描きで描いたり、 手縫いの刺繍で作っています。 ポールのところで、見てから、ずっと欲しいなあと思っていたので ここで購入することにしました。 すべて手作りということで、それほど安くはならないのですが、 納得いく値段で購入 後でクスコの店でも同じようなものを見つけたのですが、 クスコは倍近い値段でした。 おさむは、オーナーの女性の手描きのサンペドロT シャツを購入。 このレストランで新鮮なフルーツやジュース、 焼きたてのパンやサラダの朝食を頂いて、 私たちは、もう昨日までの過酷な旅の疲れがすっかり 取れていました それからピサックの日曜市に出かけます。 毎週日曜には、ピサックでは、週に最も大きなマーケットが開かれているのです。 マーケットはとても広くて、いろんなものが売られています。 たくさんの観光客や地元の人で賑わっていました。 こちらは果物売り場。 先日、ポールが食べさせてくれたグラナディンを見つけて買いました。 このおいしさやみつきになりそう~ こちらは、後でホテルで食べたもの。 (他の2つ果物の名前は忘れてしまいました) 普段は、あまり買い物が好きではない私とおさむなのですが ここに来ると楽しくなって、いろんなものを買ってしまいます。 陶器のカップ&ソーサーやスープ皿、飾り物などを買いました。 こちらは、パチャママ&パチャパパの置物。 おさむの購入した笛やオカリナ。 中央の小鳥のオカリナは、水を入れると、 本当の鳥の鳴き声みたいなかわいい音が出ます。 すっかり満足して、カフェで休憩しようと 以前、ポールと待ち合わせたカフェに行くと、 「OH!」と声をかけて来た人が。 見ると、ポールその人でした やっぱり会えた~~何となく、ピサックに来れば、またポールに会えるような気がしていたのです。 でも、数日前に別れる時は、こんなに早く再会できるとは 思っていませんでしたけどね。 ピサック滞在中に5、6回行ったカフェ 「Ulrike Simic」 しばらくカフェで過ごしてから ポールと別れ、ホテルへと向かいます。 ああ、なんという幸せ~~ この美しく、のどかで、安心していられる場所にいると 昨日の旅がまるでうそみたいに感じます。 それから、ロビーにおいてあった、ダイアンの書いた本 『CUSCO』を読みました。 ダイアンは、このホテルの経営者であり、アンデスのヒーラー。 ダイアンは、昔はニューヨークで、劇団のプロデュースをしていた人ですが それから牧師となり、南アフリカで過ごした後、 導かれてペルーにやってきます。 そして、アンデスのヒーラーとなり、伝統的なアンデスのヒーリングや ペルーの文化についての本、CUSCOを書きます。 この本を書いたことがきっかけで、このピサックの広大な土地を融資してもらい ここにヒーリングセンター兼ホテルを設立するのです。 この本は、彼女の体験した、数々の不思議な出来事や アンデスのヒーリングの他に 各章ごとに、読んだ人がすぐに実践できるワークが載っています。 途中まで読んでいて、 「Moving Beyond Your comfort zone」 (あなたの心地よい場所から、動くこと) という章がありました。 それは、まさに、私たちの今回のペルーの旅。 ペルーへの旅は、これまでの心地よい旅とは、全く違った旅でした。 そして、この本は、母なる大地パチャママへの祈りと感謝が 込められていました。 私にとって、ここで出会った、この本は、何か特別な意味のある本であると 感じられました。 次の日の朝。 PAZ Y LUZの芝生の上で、この本に載っていた、 願望を叶えるワークやメディテーションを行い すがすがしい朝の時間を過ごしました。 そうして、チェックアウトのため、荷物の整理をしていて、ふっと 「なんで、こんな素晴らしい本が日本語訳されていないのかしら? 日本語で読みたいなあ」 と思いました。 すると、私の中で「私ががこの本を訳せばいいんじゃない?」という声が 聞こえてきたのです 「何てバカなことを考えているのかしらね。 今まで、翻訳なんてしたことはないし、私の英語力は おそまつなものなんだし。 出版社を知っているわけでもないんだし。それに、私には他にやるべきことがたくさんあるのだし、 第一、ダイアンが何というかわからないじゃない」 そう私の中の常識的な声は言います。 でも、私の中のもう一人の私は 「英語はだめでも、日本語なら書けるでしょう? これまで、どれだけ精神世界やスピリチュアルな本を読んできたと思っているの? 誰か英訳のプロの人に協力してもらえば、何とかなるわ。私がやらなければ、この素晴らしい本は、日本では、 ほとんど知られないかもしれないのよ。 ここに来て、この本と出会ったのはそういうお導きなのよ」 そういうのです。 私は、とうとう、その内なる声を無視できなくなって、 この日の朝、直接ダイアンに話をしてみることにしました。 実は、ダイアンとは、前回ピサックを訪れた時に、すでに会っていました。 1度目は、ダイアンが他の人の部屋と間違って、 私たちの部屋に入ってきたのです。 その時、私とおさむとにしっかりハグしてくれて すぐに去っていきました。 2度目は、昨日、ポールとカフェで話していた時、 ダイアンとポールは顔なじみなので、ダイアンがポールに声をかけたのです。 その時は、隣にいた私たちには気づかなかったようでした。 グレイにダイアンに会いたいと話して、ダイニングルームで 会うことになりました。 朝食を食べてから、ダイアンを待っていると、朝のヨガを終えて、 すがすがしい顔のダイアンがやってきました。 そうして、また、しっかりとハグしてくれました。 ダイアンと固くハグしている間、 私は、この選択が間違っていなかったことを感じました。 それから、私たちのことを説明し、この本を日本語に訳して日本で出版したいと思っていることを話しました。 にこやかに聞いていたダイアンは、 「わかったわ。 まず、あなた方は、この本を訳して日本で出版するための私の許可を得ました。 それから、著作権に関してだけど、私は本の売れ行きによってお金をもらうのではなく、最初にいくらかのお金を頂けば、それでいいわ。 その件に関しては、また話しましょう」 そう心よく承諾してくれたのです その日の朝、私が翻訳を思い立ってから、あっという間の出来事でした。 それから、このピサックへ日本人の数人のツアーを組んで このPAZ Y LUSでワークショップを開いてはどうか? とも言ってくれました。 実は、私たちは、最初にピサックに来た時に そういうことができたらいいね~などと話していたのです。 ダイアンのセレモニーやヒーリングを受けながら マチュピチュや聖なる谷をまわって、様々な経験を旅をするスピリチュアルツアー。 そんなツアーを企画できたら素晴らしいでしょう。 こうして、私たちはダイアンとKeep in touchすることを約束して ピサックを発ちました。 もし、私たちが、最初の予定通りプーノに行っていたら、 または、変更したマヌーの旅がよくて、そのまま4日間マヌーで過ごしていたら、 この日のダイアンとのことはなかったのだなあと思うと やはり、すべてのことは、必然なのだなあと思えるのです。 だから、一見運が悪いようなことも、感謝なのですね~ ピサックで出会った女の子。 私たちに「写真を撮って~」とポーズを取っては 「見せて、見せて~」とやってきて 写真を見ると、きゃっきゃっと喜んでいました。 普通は、子どもたちは、写真を撮ってもらってチップを もらうように親にしつけられていたりするのだけど この子は、ただ写真を撮ってもらうことを楽しんでいました さて、クスコに戻った私たちを待っていたのは 私たちのcomfort zoneを遥かに越えた場所でした ああ、次を書くのは、正直ちょっと気が重いのよ~~。 (じゃあ、書かなきゃいいんだけどね)
2009年07月09日
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いよいよ今日は、マヌー国立公園の中へ入ります。 マヌーへは、今回のように車と船で行く方法と、 クスコなどからセスナで行く方法があります。 私たちは、朝ロッジを出発して、しばらく車で走った後、 マヌーヘの玄関口となる船着き場へとやってきました。 ここから、すべての荷物をボートに積み替えます。 ずっとひどいガタガタ道でのドライブだったので ボートに乗り換えた途端、生き返った気持ちになりました。 イギリスから来た5人の若者のうち(なんと、みんな10代後半だそう!) 2人と、フリオの3人は、 ボートから、川に飛び込んで泳いでいました。 3時間ほどたって、島に到着。 そこから、しばらく歩いて、ロッジへ行きます。 ロッジは、正直、ひどいものでした。 窓もなくベッドだけがある狭い部屋で バスシャワーは共同でしたが、それがとても汚い。 これに比べると、2年前に行ったコスタリカのジャングルツアーでの ロッジはとてもよかったんだなあ、ということがわかりました。 コスタリカのジャングルでは、一人旅だったので、一人用のロッジでしたが、 ここの2倍の広さがあって、きれいだったし 普通のバスシャワーも部屋についていて (お湯は出なかったけど暑かったので、水シャワーでもオッケーでした) 窓があって、何より海が見えるバルコニーもついていました。 それでも、あの時は、ワイルドだなあ、なんて思っていたのですが ここに比べると、まるで天国~ ツアーの料金は、コスタリカのツアーの方が高かったのですけど コスタリカよりもペルーの方がずっと物価は安いことを考えると これはちょっとひどいのかも。 ここのシャワーを浴びるくらいなら その辺りの川に飛び込んで身体を洗った方がずっとましなのだけど あいにく、マヌーのジャングルは、それほど暑くなく 夜になると、けっこう涼しいのです。 蚊もほとんどいませんでした。 これは中央のキッチン&ダイニング。 こうやって写真で見ると、何だか楽園~って感じなのですけどね~ 昼食を食べた後、いよいよジャングルツアーに出発です。 再びボートに乗って、別の島へ上陸します。 そこからしばらく歩くと、沼地がありました。 空が水に映えて、きれい。 ここで、いかだに乗るのですが、ちょうど別の人たちが乗っていて 空いていなかったため、ここで1時間ほど待つことになります。 近くにいた蝶々たち。 やっと、いかだに乗って、沼地をゆっくり進みます。 水辺の鳥たち。 このいかだに乗って、沼地を行くのが このツアーの中で一番ジャングルらしかったし、ちょっとわくわくしました 岸の反対側についた頃には、もう日が沈みかけていました。 フリオが、懐中電灯を忘れたから、反対側の岸に一人で戻るといって 私たちを残し、行ってしまうのですが、全然戻ってきません。 おさむが、双眼鏡で向こう岸を見ると、 フリオは、岸辺にボーっと座っていました。 は~ペルーではのんびりというのはわかっているのですけどね。 1時間近く待たされて、すっかり暗くなってフリオが戻ってきた後 夜のジャングルツアーに出発することになりました。 この時点で、私たちは、この日、 まだ1匹の動物も見ることができていませんでした。 最初に旅行代理店が写真を見せてくれたような動物たちは 全くいません。 ペルーの旅行代理店は、客を集めると、フリオがいるような 小さな会社に、低料金で、すべての旅の実行を任せるのです。 なので、旅行代理店が話していた内容とは、全く違うツアーなのでした。 フリオは、やさしくて、とてもいい子だったので、にくめないのですが、 彼が、これから何時にどこに行って、と説明したことは 何一つ、その通りになりませんでしたし、無駄なことも多すぎました。 (ブーツが必要だと言われたので、私たちはみんな膝までの長靴を レンタルしてはいていたのですが、そんな場所は全く通らず。 長時間、長靴で歩いたので、足が疲れてきました) 6時半頃には、いったんロッジに戻るという予定が 9時近くになっても、私たちは夜のジャングルを彷徨っていました。 動物は全くおらず、蚊や虫だけがいます。 私たちは、この夜のジャングルツアーは、 全く楽しめなかったのですが イギリスからきた5人の若者は、楽しそうでした。 ここが10代との違いなのかなあ 都会の子どもたちですし ただ、仲間とみんなで夜のジャングルにいるというだけで楽しいのでしょうね。 と、この夜のジャングルの徘徊で、一番の収穫は、この不思議な虫。 マンティという5~10mmぐらいの小さな虫なのですが バレリーナみたいなふわふわの羽の衣装を着ているのです。 フリオ曰く、これはとても見つけるのが難しい、珍しい虫なんだそう 夜遅く、ロッジに戻ってから、遅い夕食を食べました。 さすがに、みんな疲れていたのでしょう。 フリオが「これから、キャンプファイアーに行く?」 と尋ねると、みんな一斉に「NO!!」と答えていました。 そして「明日の早朝に野生のマカウを見にいく?」 と聞いても、みんなNOでした。 (結局、私とおさむは、早朝に起きて、見にいくのですが、、、 われながら、この根性すごいのかも) イギリスから来た5人は2泊3日のツアーだったので 次の日はフリオも一緒にクスコに戻ってしまうとのことで 3泊4日の私たち二人は、別のガイドに引き渡されることになっていました。 (それも、後から知ったことだったのですが) 次のガイドに、また、1日振り回されるのも嫌だなあと思いはじめたので、 私たちも、もう2泊3日でマヌーを引き上げて 彼らと一緒にクスコに戻ることに決めました。 さすがのおさむもここでシャワーを浴びる気はしないというし このロッジに、もう1泊するのは、二人とも気が重くなっていました。 それと、3泊4日でクスコに戻った次の日には、 アヤワスカのセレモニーが待っていたので、 アヤワスカの前の日に、ゆっくり過ごしたいという気持ちもありました。 こんな調子だと、クスコに帰り着くのは、夜9時頃になるでしょう。 シャーマンたちからも、アヤワスカの前は、 ゆっくり過ごすことを言われていました。 もし、私一人でこのツアーに参加していたら まあ、せっかく参加したんだからいいか~と たぶん、4日間最後までいたのでしょう。 でも、おさむはもう絶対に、次の日クスコに戻ると決めていたし 私も、ぜひ、ここに残りたいという気持ちはなかったので おさむの意見に従うことにしました。 (その通りにして、本当によかったのですけどね) 私たちが、1日早く、引き上げることをフリオに話すと フリオは「それは困る、そんなことをすれば、 旅行代理店から、俺たちにお金が払われなくなる」 と、心配するのですが、 私たちは、これはもうお金の問題ではないので、返金も要求しない、 旅行代理店には、一切何も言わないから、 ということで了解してもらいました。 次の日の朝5時半、私たち二人と、フリオ、そしてイギリスの男の子のうち 一人が参加して、4人で、ボートに乗り、別の島にマカウを見にいきます。 でも、残念ながら、鳥たちは、かなり精巧な望遠鏡を使えば見えるほどの 遠い距離にいたので、普通の双眼鏡ぐらいでは、ほとんど見えませんでした それから、私たちはクスコへと向けて出発しました。 ボートに乗り、昨日の船着き場でまた車に乗り換えて 再び、ガタガタのオフロードを揺られながら走ります。 2日かけて着いたところから、帰りは1日で戻るのですから ほとんど休憩もなく、車は走り続け、それはもう来た時以上に ハードな旅でした この運転手、こんな道を12時間以上、運転し続けるなんて、 本当にすごい~ 9時頃、クスコに着く頃には、 さすがに、イギリスからの若者たちも、みんな言葉もなく ぐったり。 私たちもボロボロの身体を引きずるようにして 旅行代理店に預けていた荷物をピックアップし、 今夜のホテルを探します。 幸い、2つ目に当たったホテルが空いていました。 そのホテルで、暖かいシャワーを浴びた時には、 本当に天国に来たかのように感じました。 3泊4日の予定が2泊3日になったので 私たちは、空いた1日を、再び、癒しの土地 ピサックで過ごすことにしたのでした ふ~、今、思い出してもとてもハードな3日間でした~~ でも、このツアー以上にハードな日が、その先、私たちを待っていたのです~ お楽しみに~~(って楽しめない?)
2009年07月08日
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この日から、3泊4日でマヌー国立公園へのジャングルツアーに 参加しました。 実はマヌーへは今回行くつもりはなく、チチカカ湖へ行く予定で ホテルも既に予約していたのですが、 ペルーに着いてから、私たちの気が変わり、 今回は急きょチチカカ湖を取りやめて、マヌーへ行くことにしたのです。 理由の一つは、そもそも今回のペルー行きは、 アマゾンの森を守るサイトで航空券が当たったから実現したのですが、 そのサイトから、私たちに旅の写真を送ってほしいと言われたこと。 できればアマゾンや森の写真を送った方がいいよね~と、 ペルーに着いた後に思いはじめたのです。 また初日だけだったけど、クスコで高山病になったことや (チチカカ湖はクスコよりもさらに700メートル標高が高い) クスコがとても寒かったので(夜はマイナスになるぐらい) それよりさらに寒いというチチカカ湖に、だんだん行く気がなくなってきて、 暖かいところに行きたい~♪とペルーに着いてから、思いはじめたのでした マヌー国立公園は、アマゾンの低地から標高4000メートルのアンデス山脈を含むペルー最大の国立公園。 世界遺産にも登録されています。 旅行会社の話では、数多くの珍しい動植物が見れるとのことでした。 ということで、急きょ、ペルー人の旅行代理店で 3泊4日のツアーに参加を決めました。 まあ、その変更が、運のつき? いえ、考えようによっては、変更したことが とてもラッキーなことだったのです。 (考えようによっては、というところがミソなのですが) これは、想像以上に大変なツアーでした。 体力的にも精神的にも。 もしかすると、かなりひどいツアーだと言えるのかもしれません 正直言って、誰にもお勧めできないツアーなのですが 多かれ少なかれ、マヌー国立公園への安いツアーだったら たぶん、みんなどこも同じようなものだろうな~と思います。 さて、初日の朝、6時に出発。 ツアーの参加者は、私たち2人の他には、 イギリスからきたという若者5人組。 それにツアーガイドのフリオと、運転手、そしてお抱えの料理人の 総勢10人でミニバンに乗って出発です。 クスコを出て1時間ほど走った後から ガタガタのオフロードを走ります。 それから、約11時間、ひさすらガタガタの道を走り続けるのです。 バスは、ボロボロで、私達の座っていた横には穴が空いていたので そこから容赦なく、すごいホコリが入ってきます。 まずは、最初の小さな村で休憩。 ケチャの人々。 この布を使って、物や子どもを抱える姿は クスコでもよく見られます。 それから、再び、ガタガタとひたすら狭い山道走ります。 途中で寄った、ボタニカルガーデン。 ここは、ガーデンというより、自然の森をそのまま生かして 一人のおじさんが小さな蘭や、熱帯雨林の植物を育てているところでした。 このガーデンが、思いのほかよかった 巨大なあり。 それから、コカを栽培している小さな畑に行きました。 これはコカの葉。 こちらは、食べたら数時間で死にいたるという カウティート(牛のおっぱいという意味)の実。 飼われていたマカウ(南アメリカ産の鳥。オウムの一種) おさむの肩や手の上でおとなしくしています。 これはアメリカなどへは、1匹数千ドルで売れるのだそう。 赤い染料として使うアチョーテという植物。 これで、フリオに、ペイントしてもらいます。 これは、おもしろい植物で、色をぬってしばらく経って さらに赤くなると、メスなんだそう。 ペルー人のガイド、フリオは、いろんな植物や 虫について、説明してくれます。 彼は英語もほとんど問題なく話せるので、 その点では安心していられました。 この日は、ほとんどずっと車での移動だったのですが 少しだけ車を降りて、山道を歩きます。 これはオルペンドラという鳥の巣。 こちらはルースターピックという赤い実の植物。 途中で、野生のモンキーのグループと出会いました 実は、この旅の中で、鳥以外では、唯一見ることができた動物。 高い木々の中にいたので、なかなか上手く撮れなかったのですが。 夜6時を過ぎて、辺りがすっかり暗くなった頃、 ようやく、この日の宿であるロッジに到着です。 長時間ひどいガタガタの道を揺られながらの移動で、 着いた時は、かなりくたくたでした。 ロッジには電気はありませんので、ロウソクの光だけで 着替えをしたり、トイレに行ったりします。 まさにキャンプなのですが、これはこれで楽しい♪ このツアーには、料理のためのガスボンベから食材から 全部、車に積んであります。 コックとしてついてきているおじさんの作るスープは 毎回、とてもおいしかったです~ (他は油ぽい料理がほとんどだったのですが) それにしても、朝6時に出発してから、夕方6時半にロッジに着くまで私はただの1度もトイレに行けなかったのでした男性たちは、途中でそのあたりでやっていましたが1本の山道で、隠れるところさえないので女性はできなかったのでした。(トイレ休憩なんていうのはなかったので^^)こんなにトイレをがまんしたのは、初めてかも~。こうして、初日は無事に終了です~
2009年07月07日
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クスコに戻った私たちは、ホテルにチェックインした後、 サクサイワマンの遺跡に出かけます。 タクシーを拾って、サクサイワマンまで5ソルで行ってもらうように 交渉しました。 ところが、そのタクシーの運転手は、 街の中心からちょっと離れたところに車をとめると、 私たちに交渉を始めます。 サクサイワマン、月の神殿、タンボマチャイなどをいくつか回るから、 40ソルにしてくれと言います。 まだ、前日のサンペドロが身体に残っていて、疲れていたおさむは、 「もういいから、サクサイワマンだけ行って」と面倒くさそうに言いますが、 その運転手は、なかなか引き下がりません。 私は、なぜかもう変な運転手には当たらないという直感があったので、 「いいじゃない?この人のいう通りに、いくつかの遺跡を回ってもらおうよ。 サクサイワマンからの帰りはタクシーを拾えないかもしれないし、 他のところにも行ってみたいし」 そうおさむを説得して、 とりあえず、サクサイワマンから回ってもらうことになりました。 サクサイワマンを降りて、タクシーを待たせておいて 私たちは、ゆっくりと遺跡を歩きました。 おさむが疲れて座りたいというので、 遺跡の壁の前に座りました。 空には、無数に、ホタルのような光が飛び交って観えます。 (これは、別の場所でも時々観えるのですが、 特にここはすごかったです) そして、髪の毛がひっぱられるようなエネルギーを感じます。 おさむが、「ここ地面からのエネルギーもすごいよ」 というので、手を地面にかざしてみると、 ボワっと、地面から暖かく力強いエネルギーを感じました。 おさむは、まだサンペドロの効果があるようで、 遺跡や空にいろんな動物がいるのが観えたそう。 最もエネルギーを強く感じた巨石。 100トンぐらいあるそう。 サクサイワマンからのクスコの街並。 このサクサイワマンは、これまで回った遺跡の中でも、 特にエネルギーが強い場所でした。 ここはインカの時代、クスコを守る要塞だったそうなんですが 何だか戦いのための要塞という感じよりも、 クスコにとって、エネルギー的に重要な役割を果たしているように 感じました。 1時間以上たったので、さすがにタクシーの運ちゃんも しびれをきらして帰ったかも?と思いながら 戻ってみると、しっかり待っていてくれました。 それから、月の神殿へ。 車を降りて、 運転手のおじさんが、歩いて月の神殿に案内してくれます。 この穴から神殿の中に入ります。 中は、小さなスペースがあって、そこに座るための石があります。 その上には、岩の隙間から光が差し込んでいました。少しの間、ここに座って瞑想しましたが ここも強いエネルギーを感じました。 このおじさんと、母なる大地、パチャママのこと、サンペドロのこと アヤワスカのことなど話をしました。 こんな普通の運転手のおじさんと、そういうスピリチュアルな話が普通にできるペルーってやっぱりすごいかも。 おじさんは、途中で車をとめて、いろんな人と 親しげに話していました。 「ここでは、みんな家族のようなものなんだよ」 それから、水の神殿、タンボマチャイへ行きます。 遺跡には、今も水が流れてきています。ここのピュアでおいしいお水を飲みました。 その水で、チャクラのクレンジングをやった後、 持ってきたクリスタルたちも浄化します。 気持ちがいい~~ 途中にいた、ケチャのおばさん。 リャマの毛で編み物をしています。 それから、再び、タクシーでクスコに戻りました。 おさむも、最初とは変わって、すっかりおじさんを 信頼して打ち解けて話していました。 (この後、偶然、このおじさんにクスコで2回も再会することになるのです) さて、この日の夕方、私たちは、 アヤワスカを行うシャーマンたちと出会うのですが それはまた、後日のお話で
2009年07月06日
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このところ、ペルーの旅日記を書き続けていますが、今日はちょっと休憩。昨日の夜は、雲がうっすらとかかったおぼろ月夜でした。昨日は、アメリカ独立記念日。家の近くのサンセットパークには、花火を見ようとたくさんの人が集まっていました。でも花火よりも、やっぱりお月さまの方に惹かれてしまいますあさっては満月さま満月の光とともに、スマッジングもやって、心身や部屋のスペース、そしてクリスタルたちの浄化を行おうと思っています♪そろそろ満月の遠隔レイキのご案内も送らないと。今回の旅でもレイキに随分、助けられました。やっぱりレイキだね~そうおさむと何度話したことでしょうか。宇宙の無限のエネルギーに感謝です
2009年07月05日
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(サンペドロ、前の日記の続きです~)もうすぐ日がしずみかけていました。 私達は途中の沼地を歩いてゆきます。 ポールが何度も 「ここに落ちたら、大変なことになるから 気をつけて歩くんだよ」 そう注意したにも関わらず、まずおさむが 足を沼地に落ち込みます。 それを見ていた私も、続けて ずっぽりはまってしまっていました 今朝、タクシーから降りた場所に辿り着くと そのタクシーの人がそこで待っていてくれました。 夕方、また迎えに来てくれるように ポールが頼んでいたのです。 それから、タクシーに乗り、 私たちはピサックへと向かいます。 その間も、おさむのおしゃべりは止まりません。 ポールが、「おさむ、そろそろグラウンディングの時間だよ」 そう言いますが、まだまだ彼の飛行は続きそうでした。 ポールが 「のりこの歌声はとても素晴らしい。心が安らぐよ。 のりこ、今、何か歌ってよ」 そう言うと、おさむが 「やめて~~それだけはやめて~~」 と叫びます。 全く失礼なやつです かと思ったら、次の瞬間には 「のりこ~、ありがとう~~~」 そう言って、おんおん泣くのですから 見ていてとてもおもしろい。 1時間ほどでピサックに着いてから、 ポールは、今朝私たちがカフェに預けた 荷物を取りに行ってくれると言います。 どちらにしても、おさむは荷物を持てる状態ではなかったし 荷物はポールに任せることにして、 私はおさむの手をひき、先にポールの家へと向かうことになりました。 この道が長かったこと。 普通に歩いたら、20分ほどの山道なのですが それはもう永遠に続くかのように長く感じました。 おさむが、もういやだ、もう俺はいかない、と何度も言います。 もう少しだから、がんばろうね、 そう言って、私もおさむをひっぱってゆっくり歩きます。 日が落ちて、辺りはすっかり暗くなり、 本当にこの道でよかったのかしら?と思い始めた頃、 後ろから、私たちの荷物を抱えたポールが歩いてくるのが見えて 助かった~という気持ちになりました。 セレモニーの準備の荷物とともに 二人分の荷物を抱えて歩いてくるポールを見た時 感謝で一杯になりました。 ポールのサポートがなかったら、 もう私たちはどうしようもなかったことでしょう。 ポールの家について リビングの暖炉に火を灯し、ポールが用意してくれた コカ茶を飲んで、暖炉の前で暖まります。 おさむは相変わらず、効果が続いていました。 いろんなビジョンが観え、いろんな声が聞こえていたようです。 時々、動物になって叫びます。 ポールが、 「おさむ、もう人間に戻らなければならないよ。 さあ、呼吸を深くして」 そう言っても、だめのようでした。 でも、後からおさむに聞いたことによると こうして深い呼吸をしたり、ポールが声をかけたり 触ったりする度に、おさむは一瞬、我に返り、戻ってきたそうです。 でも、またしばらくすると、あちらの世界に飛んでしまうのでした。 ポール曰く、この日のサンペドロは、 彼が10年やっている中でも、強力な作用だったそうです。 ポールがおさむをマッサージし、 私もおさむにレイキをしたり、さすったりしました。 ポールが、昨日から煮込んでいたという 豆のシチューを持ってきてくれました。 大地の恵み、豆はグラウンディングの食べ物。 そのおいしかったこと ハーブが効いていて、 こんなおいしい豆は食べたことがないと感じるほどでした。 ポールは、私たちにお茶を持ってきたり 毛布をかけてくれたり、 細やかに気を使ってくれます。 ポールの暖かくて大きな愛に包まれて 私は安心していられました。 それから、しばらく、おさむを戻ってこさせようと ポールと一緒におさむに働きかけていましたが、私もいつの間にか疲れて、 その場に眠ってしまっていました。 ふと気がつくと、おさむはまだ目をらんらんと輝かせています。 ポールも部屋に戻ったようでした。 それで、おさむに部屋に戻ってベッドで寝ようと促して 私たちは2階の部屋に行きました。 何とか着替えて、ベッドにもぐりこみました。 それからどれぐらい眠ったことでしょう。 目を覚ますと、おさむは横にいません。 リビングに降りていくと、そこにまだ 目をしっかりあけてボーっと座っているおさむがいました。 かなり戻ってきていますが、ほとんど眠れなかったそうです。 一晩中、アセンテッドマスターたちや天使たちと ずっとコネクトすることができて、 いろんなメッセージを受け取ったそうです。 彼にはサナートクマラ、そして、聖ジャーメインや大天使ミカエルも いたとのこと。 私の後ろには、いつも観音様が守っていて、その観音様と 話をすることができたそうです。 また、先日、あの世に旅立ったLIPOもいたそう。 (おさむは、いつもLIPOから頂いたターコイズのペンダントをつけているので) おさむが普段、漠然と思っていた、いろんな疑問に答えてくれたのだそうです。 その疑問の中には、なぜ江原さんが太っているか、とか なぜ、あまりスピリチュアルじゃない人もシャスタに呼ばれてきているか などもあって、おもしろかったです。 ちなみに、なぜ、江原さんが太っているかは、 彼はあちらの世界とのつながりが深い人なので、太っていないと、 すぐに魂が身体を抜け出して、この世界に戻ってこれなくなってしまうからなんだそう。 また「汚いなどと思っている牛の糞がすべてなんだよ。 この糞の中に、大地とのつながり、生命力があり、 宇宙が、そして愛があるのだ」 そんなことを教えてもらったと言っていました。 暖炉で燃え盛る火を見ながら、長い間、観音様と対話することが できたとのこと。 「世の中には、この火のように燃え盛る火ばかりあります。 その火のために、争いが起こり、災いも生まれました。 あなたたちの役目は、その火をしずめて、 暖かな光に変えること。 それが癒しであり、ヒーリングなのです。 あなたたちが、その役目を果たすために生きるなら 私は、いくらでも無限の愛を与えましょう」 おさむは、たくさんのメッセージを受け取っていました。 最高の体験です。 いろんな人から、愛を教えてもらうことができて おさむは、もう充分、これ以上は何も必要ないと言いました。 あれだけやりたいと言っていたアヤワスカも、もう必要ない そう言います。 私ももうアヤワスはやめた方がいいかも?と思い始めていました。 マイルドな作用だと言われているサンペドロで、 これだけの作用があるのですから、強力だと言われているアヤワスカでは、 もう彼はこの世に戻ってこれないように思えたし 何より、彼の身体は持たないのではないかと思えました。 でも、私はどうなのだろう? 私にとってはサンペドロは、自然なマイルドな作用だったし 身体も楽で、次の日にはすっきりしていました。 私だったらアヤワスカもできるのではないかしら? せっかくだからやってみたいという気持ちもありました。 今回サンペドロができたのは、すべてポールのサポートのおかげでした。 でも、セレモニーの間中、私は、おさむを見て 私はしっかりしなければならないという感覚がどこかにありました。 もし、私がおさむのようになっていたら、さすがにポール一人では どうにもならなかったかもしれません。 私たちはポールにアヤワスカセレモニーもやってくれるかどうか 聞いてみました。 でも、ポールは、サンペドロは提供しているけど アヤワスカは自分では提供しないということでした。 彼がアヤワスカをやるのは、ジャングルの民、シピボの長老のもとでのみ。 本当にすごいシャーマンと一緒でないとアヤワスカはやらないとのこと。 それで、私たちに、とりあえず、クスコに戻って 今回、アヤワスカを一緒にやる人たちと会ってから決めればいいとアドバイスしてくれました。 私たちの感覚で大丈夫と思ったら、やればいいし もし少しでも疑問に思ったら、とりやめれること。 ポールが昨日の豆のシチューを暖めてくれて、食べました。 やっぱりこれはとてもおいしい♪ 本当にポールには、何から何までお世話になって 私たちは感謝で一杯でした。 また必ず、ここに戻ってくることを約束し 何度もハグして別れました。 その日の朝の3人。 こうして、私たちはその日の朝にはポールの家を出て 再び、クスコへと向かいます~~
2009年07月04日
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サンペドロセレモニーの朝。 朝早く、PAZ Y LUZを出て、予約したタクシーを待ちますが 来ないので、荷物を持って、ぼちぼち歩いて出発します。 朝のウルバンバ川。 ここでは、時間通りに何かをやるというのは難しいのでしょう。 ポールが、家のシャワーの工事を、配管の会社に頼んだけど 予約した日を数日過ぎても現れないと話していました。 この日に予約といっても、1週間ぐらいずれたりするそう。 ここで暮らすのは、忍耐が入りそうです。 もう村の中心に着くかという頃、 ようやく私たちを迎えに来たタクシーと出会いました。 昨日のカフェでポールと待ち合わせ。 私達の荷物は、しばらくの間、カフェで預かってもらうことにし それから、プレインカの遺跡に向かって出発します。 ポールの知り合いのタクシーで、ピサックを出発。 ひたすら山道を走ります。 ポールが、周りの山のことなど説明をしてくれます。 1時間弱ほど走って、ようやく到着。 この時点で朝の9時すぎ。 ここでタクシーの運転手に夕方5時頃に迎えに来てもらうことにし 遺跡まで線路沿いに歩いてゆきます。 インディジョーンズみたいな出で立ちで前を歩くポール 遠くに遺跡が見えてきました。 それは素晴らしいプレインカの遺跡でした。 足もとには、当時の陶器のかけらや骨が今も残っています。 ここは人里離れていて、一般公開もされていないので、 人もほとんど訪れないそう。 私たちは、中央に持って来た敷物を敷いて、それぞれの場所を決めます。 それから、ポールのところに集まって、すぐにセレモニーがスタートしました。 まず、スマッジングをして、それぞれを浄化します。 そして、ポールが私たちにそれぞれ、コカの葉を3枚ずつ手渡してくれます。 これを受け取る時に 「ウルピアイ スンクリアイ」 という言葉を言います。 (意味は忘れました) それから、このコカの葉に、願いをこめて、息をふ~っと吹きかけます。 そのコカの葉を遺跡の壁の間に押しいれます。 ポールが母なる大地、パチャママへの祈りの言葉を唱えます。 そして、持ってきたグラスに、 昨日私たちが準備したサンペドロの液体を注ぎいれます。 そして順番にパチャママに感謝を捧げ、一気に飲み干しました。 かなりまずい味を想像していたので、思ったよりもまずくはなく いかにもサボテンみたいな?味でした。 この時点で、ポールは、私もおさむも大丈夫そうだと 言いました。 人によっては、もう飲んだ時点で、気分が悪くなったり するそうです。 それから、遺跡内を自由に歩き回ったり、 静かに座って、過ごします。 ポールは事前に、私たちにいくつか注意事項を話してくれていました。 もし私たちが大丈夫そうだったら、 ポールはそれぞれをほっておいてくれること。 でも、気分が悪くなったり、調子が悪くなったら、 ポールがそばにいて、歌を歌ったり、マッサージをしてくれるとのこと。 でも、吐きたくなったら、浄化のために吐かなければならないこと。 遺跡内を自由に歩いて、好きなところに行ってもいいが ある程度の時間がたったら、お互いの安否を確認のために集まること。 それから、40分ぐらいたったのでしょうか? おさむが、ゲーと吐き始めたのを見て、私も気分が悪くなり その場を離れ、遺跡の上の方に歩いていきました。 そこを歩いていると、光っている植物があります。 まるで、きらきらとその周りに妖精たちがいるかのように 光り輝いていました。 これは、私がそう見えるだけなのかしら? それとも、本当に光っているのかしら? そんなことをボーっと考えながら、その場にしばらく座っていました。 それから、おさむたちがいるところに戻っていくと、 もう、おさむは、完全にあちらの世界に行ってしまっていました。 にこにこして、空にたくさんの龍や動物、天使たちが観えると言います。 そして、手を広げて、精霊たちからの愛を受け取っていました。 ポールが、歌を歌ってくれました。 それに合わせて、私も歌を歌います。 それはインドの歌だったのか、果たしてペルーの歌だったのか わからないのですが、シンプルで、歌っていると 心落ち着く歌でした。 それから、私は再び、立って、周りの遺跡内を歩いて回りました。 どれくらいの時間が立ったのか、全く時間の感覚はありませんでした。 私には何かのビジョンが観えるとか、声が聞こえるということはなかったのですが ふわふわ~と周りの自然が私の中に入ってくるような、 心地のよい感覚になりました。 ポールのところに戻ると、ポールが 果物やパンなど食べ物を用意してくれていました。 それがおいしかったこと。 まるで何かの生き物のように 身体の全身にしみわたっていくのを感じます。 初めてグラナディンという果物を食べて そのおいしさに、すっかり虜になりました。 それから、しばらくして、私はまた 遺跡内を歩きました。 ある遺跡の中に一歩足を踏み入れた時、 突然、涙が止まらなくなりました。 なぜ、涙が出るのか、私にはわかりませんでした。 私は昔、ここにいたことがある? そんな感覚におそわれました。 そうして泣いていると、中央にある木に目がとまりました。 その木が、私に触れなさいと語りかけてくるように感じます。 その木に触って、目を閉じていると だんだんと心は静かに落ち着いてきました。 この木はグランディングのためだったのでしょう。 それから、その遺跡の中に座って、 ポケットに持っていたレムリアンシードクリスタルと ペルーで買ったパチャママのクリスタルを取り出し 瞑想しました。 そして、この場所を浄化しました。 そうしていると、その場所にあった哀しみのエネルギーが 癒されていくように感じました。 もう涙も出てこなかったし、 ただ、そこに存在していることに 静かなる喜びを感じていました。 ふっと気づくと、ポールが私の顔を覗き込んでいました。 「今、とてもいい顔をしていたよ。 のりこのエネルギーは、とてもlightですばらしいね。 君と一緒にこのセレモニーをやることができて とてもよかったよ」 そうやさしく言ってくれました。 実は私は、その日の朝、珍しく胃が痛んで 胃腸の調子が悪かったのですが、サンペドロのセレモニーを行っている間に すっかりよくなってしまっていました。 「おさむは大丈夫かしら?」 そうポールに尋ねると、ポールはウインクして 「大丈夫。彼に必要なプロセスを経験しているだけだからね」 そう言いました。 「もうすぐ夕方の4時になるからね。 そろそろ出発の準備をしてね」 そうポールに言われて、驚きました。 まだ、2、3時間ぐらいしか経っていないように感じていたのに いつのまにか、6時間以上経過していました。 最後にしばらくこの場所に感謝をこめて祈り、 別れをつげて、おさむのいる中央に戻りました。 と、おさむはますますすごいことになっていました。 あちこちの寝転んでいたせいで、身体中、サボテンや植物たちがついていて ボロボロで、まるでホームレスがふらふら歩いているようです。 でも、顔は幸せに満ちていました。 そして、叫んだり、笑ったり、泣いたり、 感情をそのまま表現していました。 傍目に見れば、まるですっかり頭がおかしくなったように思うでしょう。 でも、私には彼が今、至高体験をしているのがわかったし 彼に必要な経験であることがわかっていたので、全く心配はしませんでした。 これまで彼と14、5年つきあってきて、 彼が泣いたことを今までに一度も見たことが ありませんでした。 私はすぐに感動すると涙が出てくるタイプなのですが 彼は感動はしても、そういう風に自分の感情を出すことはないのです。 でも、この日の彼は、全く違う人でした。 「ありがとう、ありがとう~」 そう言いながら、わんわん、泣いていました。 そして、次の瞬間には笑いころげていました。 かと思うと、動物になって 『ウオーン」と叫んでいました また、ネイティブアメリカンの笛を吹くのですが それは普段、おさむが吹いているフレーズとは全く違いました。 「おお、すげえ、これは誰が吹いているんだ、 俺じゃあないよ、これ」 そうおさむは言いながら、ピロピロと吹き続けました。 出発の時間がやってきたので、 ポールが、片付けを始めます。 この時、私はしっかりしているように思っていたのですが 全くしっかりしていなかったようです。 ポールは、忘れ物がないように、周りを全部チェックして 私達の片付けを手伝ってくれました。 (というか、おさむは全く片付ける気がなかったのですが) ポールがおさむを支えてくれながら、 夕方、私たちは遺跡を出発しました。 ☆続きは、次の日記にアップします~。(例のごとく、文字数制限オーバーしてアップできませでした)おさむはカメラを壊してしまい 私は写真を撮るということをすっかり忘れていて、 最初に遺跡に着いた時ぐらいしか撮らなかったのですが セレモニーの途中で1、2枚だけ撮った写真。
2009年07月04日
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朝食を食べた後、クスコを出て聖なる谷、ピサックへと向かいます。 今回の旅でピサックへは、2度、バスで往復したのですが、 なぜかいつも乗っている人は、みんなペルーの人たちばかりで、 ペルー人以外は私たちだけでした。 ピサックは、聖なる谷のツアーに組み込まれていることが多いようですが ほとんどは日曜市などで買い物による程度のようで 私たちのように宿泊する人は少ないのかもしれません。 クスコから、バスに乗って1時間半。 ピサックの村に到着です。 ああ、この村いいね~~ 着いてすぐに私たちはピサックが大好きになりました。 初めてなのに、なぜか懐かしい感じ。 聖なる川ウルバンバが、ゆるやかに流れています。 川でお洗濯。 私たちが泊まるホテルは、この川のすぐ近くにありました。 『PAZ Y LUZ』(平和と光) 一歩入って、ここがとても気に入りました。 広々とした敷地内に、ペンション風のお部屋と ガラス張りのセッションルーム、ダイニングルーム 野菜を植えた畑などが点在しています。 後ろには、ピサック遺跡がある山。 ここはまるでホームのように迎えてくれる場所でした。 ここだったね~、私たちが求めていた場所。 ペルーで本当に心安らぐ場所に来れたねここでグレイというアメリカ人が迎えてくれました。 グレイは、カリフォルニア出身。 いかにもカリフォルニア出身という感じのアメリカ人 彼は、3年前に初めてペルーを訪れて すっかり気にいったそうなのですが、アメリカに帰国するその日に クスコの空港で、ある本と出会い、その本に感銘を受けたそうです。 そして、アメリカに戻って、その本の著者ダイアンデューンに連絡をとり ダイアンが経営する、ここPAZ Y LUZに、その3ヶ月後には カリフォルニアから全ての荷物をまとめてやってきたのだそう。 今はここのマネージメントをやっているとのことでした。 ダイアンはアメリカ人ですが、アンデスのヒーラー。 またグレイもヒーラーで、レイキヒーリング、シャーマンワークや サウンドヒーリングもするそうです。 そんな話を聞きながら、しばらくの間ここでのんびり過ごします。 それから、私たちはポールに会うため、村の中心へと出かけます。 以前ここでお話したポールは、 エハンデラヴィさんが紹介してくれたシャーマン。 私たちはポールのもとで、サンペドロのセレモニーを行うことになっていました。 村の中心地にあるマーケットのカフェで待ち合わせます。 しばらくしてポールがやってきました。 ポールは、イギリス生まれ、カナダ育ちの植物学者。 インドで10年暮らして、瞑想を学んだり、 ペルーでも10年以上暮らしています。 背がすらりと高くて、知的な雰囲気があり、 シャーマンというイメージよりは、やはり学者という感じ。 にこにこして、やさしい彼に会って すぐに、私たちはポールが大好きになりました。 セレモニーは明日行うとのこと。 それで、これからサンペドロの準備をやるけれど できるなら君たちも、その準備に参加しませんか? と誘ってくれました。 サンペドロの準備から行うことで、 よりセレモニーに深い理解が起こるとのことでした。 もちろん、私たちも喜んで参加させて頂くことになりました。 村の中心からポールの家までは、歩いて20分。 あの山の真ん中辺りにポールの家があります。 数ヶ月前から建築中であるというポールの家は とても暖かい美しい家でした。 家の中には、ペルーの鮮やかな織物やクッションや 木や陶器、鉄などの置物がいろいろあって それらが、木のぬくもりと調和して居心地のよい空間を作っています。 庭にあったサンペドロ。 大切に大切に育てられています。 まずは、サンペドロについての説明をポールから受けます。 サンペドロは、3000年以上前からシャーマンたちが 神との交信のために使ってきた聖なる植物。 アヤワスカとは違って、自然な作用で ハートチャクラをオープンにさせるとのこと。 (アヤワスカは、通常強烈な吐き気や不快感が起こることが普通だそう) その効果は人それぞれ違うけれど、 自然との一体感や世界のつながりを感じたり, ビジョンが見れたり。 人によっては、浄化作用が起こったり その人にとって必要な体験をすることになるそう。 また効果は約12時間続くとのことでした。 今日、3人でサンペドロを準備した後 明日は朝からプレインカの遺跡に行って、セレモニーを行い そこで6、7時間過ごした後、このポールの家に戻ってくるとのことでした。 夜まで作用が続く可能性もあり、ホテルには戻れないかもしれないので 明日はホテルではなく、ポールの家に泊まることを勧めてくれました。 なので、明日の朝、ホテルをチェックアウトして、 荷物をこの家の近くに持ってきておくことになりました。 ポールからいろんな話を聞きながら、サンペドロの準備に取りかかります。 まず、いろんな旅をしてここにやってきたサンペドロをスマッジングして 浄化します。 特別な木の切れ端に、シャーマンが使うオイルをふりかけ 火をつけます。 それにセージやハーブをふりかけ、その煙で サンペドロをいぶします。 感謝と祈りをこめて、スマッジングを行った後は それをまな板に乗せ、3つにカット。 その3つを、私とおさむとポールのまな板に分けます。 それから、それぞれサンペドロの表面の薄い皮をそぎとります。 それから、1、2cmの厚さに切ります。 そして、表面の緑の部分を細かく切って、大きな鍋に入れてゆきます。 ポールは、小さなひとかけらも無駄にしないように 大切にサンペドロを扱っていました。 その鍋に水をいれて、ぐつぐつ煮ます。 しばらく煮ていると、サンペドロはドロドロに溶けて 棒ですくうと、水飴のように伸びてきます。 5時間ほど煮て、できあがるそう。 棒でかき混ぜながら、それぞれがサンペドロに対する祈りの言葉を述べます。 こうすることで、サンペドロはより私たちの想いに答えてくれるのだそう。 どうか私たちに必要な経験を与えてくださいますように サンペドロをやって、かれこれ10年だというポールは サンペドロをとても愛しているのが伝わってきます。 「毎回、違った経験を与えてくれるんだよ」 ポール曰く、こうやって手間ひまかけて、心をこめて 準備したものと、単に粉になったものを溶かして飲むのとは 全く効果も作用も違うとのこと。 おだやかなポールと一緒にサンペドロの準備を行う機会を 得ることができて、私たちは、とても幸せでした。 ポールは、またアヤワスカもSHIPIBO(シピボ)というアマゾンの奥地に住む シャーマンのもとで長い間、経験していました。 彼が唯一、マエストロー師と仰ぐ人物がシピボ族の長老なんだそう。 そのアヤワスカ体験の話も、とても興味深いものでした。 シピボ族は、刺繍や手書きの布で有名なのですが それはアヤワスカのビジョンを表しているといわれているそう。 ポールの部屋にかかっていたシピボのタペストリー。 独特の特徴のある模様です。 さて、夕方になって、私たちは一旦、ポールに別れを告げ ポールの家を出ました。 明日、遺跡で座るのに敷物が必要だとポールが言うので 帰りに、市場に寄って、お買い物。 私はアルパカで織られた敷物を購入しました。 それから、PAZ Y LUZに戻ります。 夜になって、外に出ると、思わず息を飲むほどの満天の星空。 銀河がきれいに見えました。 庭に座って空を見上げていると、 まるでぽっかり宇宙空間の中に浮かんでいるかのような 気持ちになりました 明日はいよいよサンペドロセレモニーです
2009年07月03日
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朝、マチュピチュを出発して 列車ビスタドームで再びオリャンタイタンボへ向かいます。 オリャンタイタンボの駅に到着すると、 そこで何人ものタクシーの運転手が待ち受けていました。 その中の一人のおじさんと交渉。 聖なる谷にあるマラスの塩田とモライの遺跡、 そしてチェンチェーロを回って、クスコに戻るルートで 90ソルで回ってくれることに決まりました。 マラスの塩田やモライの遺跡へは、公共の交通機関はないので ツアーに参加するか、タクシーを貸し切って行くしかないのです。 まずはマラスの塩田。 ここはプレインカ(インカ時代より前の時代)から続いている 塩田なのです。 今でもここで昔ながらの製法で塩が作られています。 アンデスの渓谷から湧き出す水に、高濃度の塩が含まれているため その水を日光で蒸発させて、塩を取り出すとのこと。 山の傾斜に作られた約4000の塩田。 流れる小川は塩辛い♪標高3000メートルを超えるアンデスの麓で、塩が取れるなんて 不思議~。 ここで塩を販売していたので、購入しました。 ここの塩は、何だか自然な甘みがあっておいしいのですそれから、ガタガタのオフロードを走ること1時間。 モライの遺跡へ向かいます。 モライの遺跡。 ここは農場試験場だったそう。 段々になった畑は、高さによって気温が違うので、 別の種類の野菜を植えていたとのこと。 畑というか、まるで宇宙人の基地みたいな模様。 とても広い~~ 中にいる人がとても小さく見えます。 それから、チェンチェーロの村へ。 まずはチェンチェーロの遺跡。 チェンチェーロの日曜市へ。 広い広場で、手作りのバッグや織物やアクセサリー、セーターなど さまざまなものが売られています。 みんなで何やら相談中 小物を売りにきた女の子。 私たちが行きたいと思っていたところをすべて見て回ることができたので、 すっかり満足。 あとは、クスコに戻るだけね~と、 運転手が待っているタクシーに戻りました。 ところが、ここでちょっとした問題が発生。 運転手が、ここで私たちに降りてほしいと言い出したのです。 何でも急にオリャンタイタンボに戻らなくてはいけない用事ができたとのこと。 たぶん、始めっからそのつもりだったのでしょう。 私たちはクスコまで行くのが約束だから、と言いますが 彼は、ここからクスコまでの私たちのタクシー代は自分が払うから、 といいます。 そうして話していると、おさむが 「もういい、別のタクシーに乗ろう」 と私たちの荷物を持って、さっさとその車を降りて 別のタクシーに乗り込みました。 「え?降りちゃうの~?」 と、慌てて私も後に続きます。 約束が違うということで、結局 50ソルしかその運転手に渡さず、 乗り換えたタクシーには、 チェンチェーロからクスコまでの料金を支払いました。 ところが、慌てて最初の車を降りたので 車の中に私のパタゴニアのベストや帽子を置いてきてしまったのでした。 気づいた時にはすでに遅し。 あ~ん、失敗 実は、その前日にもちょっとしたことがあったのです。 マチュピチュでの夜、その日は「地球の歩き方」に 載っていたレストランで食事をしました。 と食事が終わって、会計を見てみると 食べ物の料金の他にローカルタックスという名目で 30%の料金が加算されています。 ウエイターに尋ねると、どこでもチャージしていると言います。 でも、私たちはマチュピチュの他のレストランでもオリャンタイタンボでも、 ローカルタックスなどは一度もチャージされたことなかったし、 もしタックスがあるにしても、食事代の30%なんてあり得ないので これはすぐに不当なチャージだと分かりました。 きっと私たちが日本人だったので、適当にチャージしたのでしょう。 たぶん、日本から来たばかりの人で、あまり事情を知らなかったら そんなものか~と支払ってしまうかもしれません。 アメリカ人は、必ずそういうことをクリアにするので アメリカ人に対してはやらないのでしょうね。 残念ながら、しっかりアメリカ生活が長い私たちは 『こんなものは支払えない」 そう言ったのですが、ウエイターは店の奥に戻って 何やら店の人と相談をした後 『それじゃあ、半分にするから』 と言ってきました。 う~ん、ここでも交渉なの~? 結局、私たちは5ソルだけ支払って店を出ましたが、 (おさむが「もういい、これだけ払う」 と言って、さっさと払って席をたったので*^^*) 何だかちょっと残念な気持ちでした。 ペルーで出会った人は、とても素朴ないい人が多かったですが 中には、観光客から少しでもお金を取ろうとして うそをついたりする人にも出会いました。 私たちが最初に泊まったホテルのおかみさんも 一見、人がよさそうな感じだったのですが、 私たちにちょっとしたうそをついて 小銭を徴収したりするのです。 (空港からの荷物を引き取る時に、運送費を彼女が立て替えたなど。 調べればすぐにうそだとわかるのですけどね^^) それだけみんな必死だということでしょうし ここでは、生き抜くために、したたかにならなければならないと いうことなのかもしれません。 でも、またこの日、今度はタクシーでまた問題が起こったことで 今回、こういう人によく会うのは 何か私たち自身に問題があるのではないかしら? と思いはじめました。 意識していても無意識であっても、 起こることのすべては、自分自身で招いたこと。 こんな問題が起こったのは、私たちの中に 「ペルーで騙されないようにしなければ」という気持ちがあったのでは? 心の中にそういう気持ちがあるから、 そのような現実を引き寄せてしまったんじゃない? そう二人で話合って、その気持ちを浄化することにしました。 しばらく二人で瞑想した後、そういう気持ちを手放してゆきます。 よし、これで大丈夫~ (それ以来、ホテルでもレストランでもタクシーでも こういうことは起こりませんでした♪) さて、この日はクスコでの夜。 もうクスコについても、高山病にはならなかったのでほっと安心。 夕食は、プカラで食事。 プカラは日本人が経営しているペルー料理のレストランだそう。 ここのコカ茶は、ライムがついてくるのですが ライムを入れると、味が全く変わっておいしい♪ そして、ここのにんにくスープは絶品。 クスコ滞在中に、別の日もこのスープを飲みにここに来ました。 やみつきになってしまう味です。 こちらはおさむ撮影の夜のアルマス広場。
2009年07月02日
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この日、ワイナピチュを降りてから、再びマチュピチュへ。昨日のカフェでランチしますと、そこにハチドリがやってきました。 ハチドリは、マチュピチュで何度も見たのですが とてもすばしっこくて、バタバタ羽を動かして、 すぐにあちこち移動するのでなかなか写真に取れません。 でも、この時は、比較的長くいてくれたので、何とか撮影♪それから、マチュピチュ内の遺跡で RITUALをすることにしました。 遺跡内を歩いていると、観光客が全く来ないスポットで とても最適な場所を見つけました。 ちょっとした洞窟みたいになっていて、 目の前は、マチュピチュの渓谷が広がっています。 段になっている祭壇みたいな石があったので この石の上に、持ってきたレムリアンシードクリスアルや チベットのベルを並べ、二人で前に座ります。 それから私が大祓祝詞をあげ (久々だったので、途中で何度かつっかえたのだけど) それから大地の母、パチャママに、 そして私たちをいつも守ってくださっている たくさんの精霊やマスターたちに感謝の祈りを捧げました。 その後、今回のレイキヒーリングの参加者50人に対して もう一度、遠隔ヒーリングを送りました。 私が50人の名前を3回ずつ読み上げていきます。後から、おさむが、私が彼の名前を読んだ時、髪の毛が逆立って強いエネルギーを感じたと 話してくれました。 「あのエネルギーはきっとみんなに確実に届いているよ」とおさむ。 みんなエネルギーを感じてくれたかしら~ ♪それからおさむが笛を吹いて、奉納演奏を行います。 やさしい笛の音が、風にのって マチュピチュ山々の上に響いていきました。 実はマチュピチュ内での楽器演奏は禁止されているようです でも、ここは、観光客がいるところからは、ちょっと離れていて 音もそこまでは届いていなかったことでしょう。 私たちがここにいる間、他には一人も来ませんでした。 マチュピチュで私たちだけのセレモニーを 行うことができて、最高にハッピー♪ もう、他は何も思い残すことはありません。 ここに来れたことに深く感謝をして 私たちはマチュピチュを後にしました。 きっとまたいつか戻って来るのでしょう。 そんな予感がします。 それからバスで村に戻って、マチュピチュの民芸品市場に出かけます。 私は水晶のクラスターを買いました。 とても質がよくて、NYで買えば軽く100ドル以上はするものが 20ドルぽっきり おさむは、ケーナとサンポーニャ(ペルーの代表的な笛)を買いました。 これは、笛を自分で作って売っていたお兄さんとおさむ。 さて、次の日は、聖なる谷を回って、再びクスコへと戻ります~。
2009年07月01日
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