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古館伊知郎といえばみなさん何の番組をイメージしますか?今でこそ「報道ステーション」という看板番組があるし「おしゃれカンケイ」もついこの前まで続いていた。しかし、ほかにも地味に続いた看板番組があった。この話の流れとタイトルでわかった方はいらっしゃるかな?ずばり「クイズ日本人の質問」。結構長く続いて、あとから「新クイズ日本人の質問」になったりもしたがこちらは前ほどおもしろくなかったのか、メンバーがどうしても昔のほうしか思い出せない。元祖の「クイズ日本人の質問」の4人の博士は印象深い。高橋英樹、大桃美代子、矢崎しげる、桂文珍だ。なかでも高橋英樹と桂文珍のうそくささは絶妙だ。正解なこともあるので気が抜けない。そのためか、「新~」になってからもこの二人はレギュラーに残った。高橋英樹などはこの番組の印象が強いためか、とんねるずの憲さんと共演するといつも「これほんと」と憲さんが連発する。娘の高橋真麻にも憲さんは「これほんと」を連呼するのでこの番組のことを思い出してしょうがない。大桃と矢崎もよかった。実は私はこの番組以外で二人がテレビに出ているのをあまり見たことがない。多分2時間ドラマあたりに出てる気もするが、レギュラーはこの番組の他になかったのでは。古館氏の話に戻ると、古館氏はこの番組の司会が当たって紅白歌合戦の司会者に抜擢された事もあった。紅組の司会はたしか上沼恵美子…。強烈なタッグだった。「クイズ日本人の質問」の解答者は著名人2人×4チーム=8人だが優勝チームには針すなお先生による出演者の似顔絵がパズルとなって贈られた。これが欲しくて欲しくて、番組に出れはしないのになんとか入手したいと思ったものだ。多分視聴者プレゼントもあったはずだが、当たった人本当にいるのかどうか。いま、「チーム」という言葉を使って急に古館さんがチームを必ず「ティーム」と発音していた事を思い出した。その発音が英語的にいいのか、悪いのかはお答えしかねる。クイズ日本人の質問、なんで終わっちゃったんだろうなぁ。名残惜しくテーマ曲を口ずさむことしか今の私にはできないのであった。
2005.08.31
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一般の人はいつごろに特撮を卒業するのだろう。よく人は特撮→アニメ→アイドルという風に興味関心が移るという。この法則はあながち嘘ではなく、私も途中までは順調にこの過程をたどっていた。なにせMyojoを買っていたほどだ。しかし、ちょうど移行期(中学生)に良かったのか悪かったのか私の精神年齢を引き戻した作品がこの「ウルトラマンティガ」である。ティガがなければ今の私のマニアっぷりはなかったかもしれない。ウルトラマンティガはウルトラマン80以来16年テレビシリーズがなかったウルトラの世界に旋風を巻き起こした。デザイン、キャスト、物語の方向性などこれまでにないものが目指された反面、王道をきちんと継承しており、平成ウルトラシリーズのなかで最も評判が高い。ティガのよさの大きな要因にデザインがあると思う。雑誌などでは、初代ウルトラマンが無駄なものを排除したシンプルの美を極めたのと同格をなすくらいいいデザインだと書かれている。 顔は初代ウルトラマンBタイプを基調とした端正な顔立ち。 全体像は流れるような美しいラインが特徴で、 書道で言うと「かな文字」という感じだ。 (書道した人しかわからない例えですみません) また、出演者と主題歌にジャニーズを起用するという ともすれば非難の声があびそうな試みをした。 結果は悪くなく、ウルトラの世界観を壊すことなく むしろ子供だけの世界と思われていた特撮に 女性層や若者らを引き込む大きな効果を与えた。 時間帯も土曜夕方で見やすく、朝早く起きねばならない メタルヒーローシリーズ(当時)より親しみやすかった。この作品のおかげで私は特撮を見ることを恥じなくなってしまいそれまで見なくなっていた戦隊ヒーローにも再び関心が芽生えどうも歯車が狂ってきてしまったように思う。しかし、別にそれを後悔してはいない。無理に周りに合わせてドラマを見るよりも、自分の好きなものを見ればいいのだという気持ちが次第に大きくなった。そんなティガもいまや懐かしい部類に入る時代。時の流れって速いとつくづく思うmayokoでありました。
2005.08.30
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この年になって初めてプール「アスパ」に行ってきました。ジャスコの中にあるという、珍しいプールである。夏はプールとなり、冬はスケートリンクとなる期間限定営業プール。ここは熊本でもわりと古くからあるレジャープールで、未だにつぶれないところから見るとそこそこがんばっているようだ。ここに初めて足を踏み入れたが、プールの雰囲気がなんか懐かしい感じだった。来た事はないのになぜだろう、この懐かしさ。流れるプール、それも立って歩くとおなかくらいまでしかつからない。実際、お客の8割は子供で、いい大人8人で行った私らは明らかに浮いていた。それでも流れるプールでひたすら流れ、浮き輪を借りて漂った。ウォータースライダーもあったが、もっとぐるぐるのスライダーを期待していた私は一回しかカーブのないそのスライダーに乗るのを遠慮した。久々だ、このしょぼさ。もちろん否定するわけではなく、むしろ歓迎だ。なぜなら昔はこんな感じのプールが熊本でもごろごろあったが突然、ある時期を境に次々とつぶれていき、この雰囲気を味わっていなかったからだ。つぶれていったプールたちのどれもがかつてはこのしょぼい雰囲気を持っていて今回の遊泳によって私のなかでつぶさに記憶がよみがえった。あの日あのとき私が泳いでいた、今はなきプールをここでご紹介する。mayokoによる熊本のなつかしプールランキング[第三位] サンピアン今でこそショッピングモールがあるサンピアンは昔プールだった。しかし、一度死亡事故があったため、客足が遠のき、廃園。[第二位] ユアシスサンピアンの真向かいに建設されるというすごいチャレンジャーだった。プールだけでなく、温泉やリラクゼーションルームを完備するリゾート施設の草分けだったが料金が高く、サンピアンがつぶれて数年後にこちらも廃業。[第一位] ひのくにランド出た!王道!!熊本で三井グリーンランドと双璧をなす遊園地だったが経営難、および乗り物が低学年向けで大人の客足が伸びず、まず遊園地が廃業。プールは波の出るプールやグルグルのスライダー、直線のスライダー、流れるプールなど第3位と第2位を引き離す充実ぶりで、遊園地が閉まったあともしばらく営業していたがやはり経営難が尾を引き、プールも廃業。私はここが一番好きだったので非常に悲しかった。今、上記の3つのような大掛かりなプールは熊本(とくに市内)にはない。次の期待を背負っていた益城町のエミナースもこの前死亡事故がおきて今閉まっている。どうしてこう熊本のレジャープールはつぶれるのか。アスパもそろそろやばい雰囲気だったし、不安は残る。ただ、今回ひのくにランドのことを思い出させてくれた点で、アスパに大いに感謝しようと思う。
2005.08.29
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有名人には「きよし」という名前の人が結構いっぱいいる。氷川きよし、西川きよし、前川清、中条きよし、渥美清、ビートきよし、山下清、きよ彦…なかでも私の一押しは「児玉清」。ご存知アタック25の司会者として有名な俳優だ。その児玉氏が最近新境地を開いた。それは柳葉敏郎と共演の「大豆のススメ」のCMである。数日前から第二弾が放送され始めた。これがまた絶妙。第一弾のときもなんか笑ってしまうCMだったが今回もすごい。トレードマークである上下黒のスーツ、そのズボンをまくしあげ、小川にたたずむ児玉氏の姿といったら。アタック25を意識しているのは間違いないCMなのにこの姿によってアタック25の知的さを逆に笑いへ転化してしまっている。そもそもアタック25ってこの2005年にありながら19××年代からほとんど変わってないレトロな番組だ。水戸黄門のことを「大いなるマンネリ」と評価する人がいるがアタック25こそ最強の「大いなるマンネリ」といえる。それはもちろん、いい意味で。これだけ純粋なクイズ番組、他にはない。また、これだけ一人の司会者に回答を有効かそうでないか委ねている番組もない。どういうことかというと、アタック25には優勝者への最終クイズを除いて厳密な回答制限時間はない。ボタンを押して少し時間をためてしまったら、児玉さんが「時間切れ」というまで回答権は一応ある。そのかわりそれは短いときもある。口ごもってしまったりすると「お答え出ない!」と早めに切り上げられてしまう。アタック25の児玉さんの間やフレーズは独特だ。誰かが角を取れそうなパネル配置になると必ず「角を取る戦いが始まる!」と言う。そのほか、情勢を説明するときに多用されるのが「目下(もっか)のところ○が優勢だが…」(←○には色が入る)。誰かが間違えて立ってしまうと「○の方お立ち!3人でこの問題!」その人が席に戻ると「○の方お戻り!4人揃ってこの問題!」児玉氏は司会をしながら「次はこの人はこう取るだろうな」と予想しているらしくもし、解答者が自分の意と反するところをとった場合「そこを取ったか。」「なぜ角を取らない!?」「そういう考えか…」。解答者としてはそんな事を言われると「えっ!?取っちゃだめなの!?」と思ってしまう。しかし、この児玉節こそ番組を何十年も支えてきたパーツでありこれなしにアタック25および児玉清の魅力は語れまい。CMに起用された事できっと児玉氏の認知度は若者にも高まったであろう。この調子で児玉氏のさらなる良さが再発掘される事を希望したい。
2005.08.28
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二年前、大河ドラマの関係で武蔵ブームがあった。私はそのころ大学で「映画文化史」の授業をとっていて武蔵の映画もちょこっと見せられた。この、映画文化史という授業、一人の先生が3~4回くらい授業したら、その次の週から別の先生が来て・・・という計4人の先生が交替で教えるというものだった。どのような先生が来たかというとA先生…映画史の概説を教えにローカルな映画評論家B先生…B級映画に詳しい某新聞社の人C先生…ミュージカルに詳しいローカルな映画評論家D先生…梶尾真治ちなみにDの梶尾真治とは映画「黄泉がえり」の原作者である。この授業の中では一番豪華なゲストだったといえる。ところで今日の本題の宮本武蔵の話をしたのはB先生だ。長々と自分の趣味みたいな感じで武蔵の話をしていた。これがちっとも面白くない。歴史を学んでいる私としては、宮本武蔵は歴史上たいした人物じゃない説を有力視しているので小説や映画の中のフィクションをまるで本当にあったかごとく扱うB先生には親しみがもてなかった。しかし、授業をとっているだけあってレポートを提出する義務が生ずる。B先生は新聞社に勤めるだけあり、文章を評価するのは厳しいらしい。「普通のじゃ全然面白くない。人が見て「あっ」「なんだこれは」という奇抜な内容なら僕はとっても評価する。」こう、B先生は言った。私は「よし、じゃあやってやろうじゃないか。」と燃えた。しかし武蔵のことは本当は書くのが嫌なのでまじめに調べるのもしゃくだ。そこで私が決めたのがこのテーマだ。「宮本武蔵と仮面ライダー」私は武蔵が一般的に暗いヒーローであると評価されている事から仮面ライダー(主に1号)の暗く、影のあるヒーロー像と照らし合わせてレポートを書いた。武蔵は人から離れ、愛する女性とも距離を置きながら孤独な戦いをする。本郷猛も、自分が改造人間である事から普通の人間として生きる事が許されず孤独に戦い、また愛する(と思われる)女性とも一定の距離を置いている。まさにこの2人の生き様は共通しており、「孤独なヒーロー」として描かれることで人間らしさを浮き彫りにしている。…こんな感じのことをレポートで書いたと思う。本当は大河ドラマが日曜夜8時で、ライダーが日曜朝8時という「日曜8時」という共通点も書きたかったがあまりにふざけていると思い、それは書かなかった。結果、このレポートは悪くなかったらしく最終的な映画文化史の成績は見事「優」であった。まあ、出席や他の先生のレポートもあるので一概にこれが成功したとは言えまいが。みなさん、レポートは真剣に書きましょう。
2005.08.27
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予約していたピンクレディーのコンサートDVDが昨日届きました。今日はそれを存分に満喫してました。DVDは二枚組みで今年の5月26日のコンサートと5月27日のファイナルコンサート(ピンクレディー再解散)の模様が収められています。もう一言で言うと感動でした。いろいろ事情があってなまのコンサートには一度も足を運べなかったので絶対にDVDを買って、臨場感を少しでも味わいたいと思っていました。ピンクレディーのお二人はとっても若いしエネルギッシュだし、細いし、きれいだし、すごい。47歳であれだけやれるって本当にかっこいいです。私なんか家でごろごろしているのに、お二人はきっとそんな生活送ってないでしょうね。ピンクレディーがデビューしたときや、流行っていたときは私はまだ生まれていません。なのにその曲の多くを私はもちろん、同年代の友人たちがみんな知っています。それだけピンクレディーって大きくて、みんなにずっと親しまれている存在なんだなあと思います。懐かしい曲調でありながら、今聞くと新鮮だったり。ピンクレディーはデビューして3年目くらいに人気に陰りが出始めその後期の曲はあんまり知られていません。でも私は後期の曲もとっても好きです。コンサートのDVDを見ても、後期の曲でのお客さんの盛り上がりようといったら。ちなみに私は後期では「ピンク・タイフーン」と「Do your Best」が好きです。もちろんメジャーどころも大好き。振り付けを覚えて披露したこともあります。もう5月27日で解散してしまったピンクレディーですがこれからもお二人を応援していきたいです。昨日デビュー30周年(!)を迎えられたお二人ですが40周年、50周年とぜひ重ねて欲しいです。またピンクレディーの曲が聴ける日が来るかもしれません。その日のためにもっと私も振り付けを覚えねば・・・!振り付けDVDをみて練習だ~!
2005.08.26
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今日はいつものネタとは違って、普通の日記です。友達と、上天草(大矢野)の「スパ・タラソ天草」に行ってきました。ここはプールと温泉があるリゾート地です。最近できたばかりでとてもきれい。そして今まで熊本にはなかったタイプのプールなのです。泳ぐプールではなく、歩くプール、もしくはマッサージプールとかエステプールといったほうがいいかもしれません。プールには14種類のエリアがあってそれぞれ腰とかふくらはぎや肩とかに温水があたるようになっています。迷路みたいになっているのも楽しいです。下の写真はその一例。チェアーに座ると足の裏に勢いよく温水があたります。その余韻でまわりはバブルバスみたいに泡がいっぱいに…。もちろん奥には普通のプールのように普通に直線で泳げるところもあります。でもここのお水は調整された海水を使っているのでもぐるときはゴーグルかなんかしたほうがいいかも。私は特にもぐる事はなく、ばっちりマッサージ効果を味わいました。事前に予約などをすればアルゴパックや個別のマッサージなどもできるみたいです。ほんと、エステみたい。熊本にこんなのができてたなんて全然知りませんでした。そして温泉も眺めがとてもよくて、「ああ、天草よ、これぞ」といいたくなる感じです。この楽しみを存分に味わいたくて風呂あがりにフルーツ牛乳(びんの)を購入し、のむ始末。はじめてびん入りのフルーツ牛乳を飲みました。コーヒー牛乳やヨーグルトもありました。料金も安くてコインロッカーが10円だったのには目がテン。それでもプールのロッカーは無料(プール代に含まれている)だったから絶対お得だと思います。今回私が利用したのは温泉+プール+リラクゼーションルーム=1800円でした。これに館内着とバスタオルがついてます。リラクゼーションなしならもっとお安くもなります。お時間ある方で、わりと近くに住んでいる人は一度行ってみては?アクセスもわりかし便利なように思います。リラックスできる事請け合いです!
2005.08.25
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今はいろいろな局でものまね番組がありますが、昔はフジテレビの独占場だった気がします。今はフジも「ものまね紅白歌合戦」になってしまったけれど私は昔の「ものまね王座決定戦」みたいな、トーナメント形式が好きでした。司会者の定番は榊原郁恵、研ナオコ(今は日テレものまねの司会)、原田伸郎、清水國明ら。もーっと昔は所ジョージや明石家さんまなども司会をしていた。司会者は必ず赤のブレザーに白のスカートorパンツ。帽子もあった。そして審査員も結構豪華だった。淡谷のり子はその代表格だが、おすぎとピーコがいたこともあったし野口五郎や峰岸徹はほぼ常連だった。後期にハマコーも審査員だった事がある。審査員の一番左から二番目に、似顔絵の針すなお先生がいて針すなおは評価が結構厳しかった。その一方、その隣にいつも居た、一番左端の審査員(名前を忘れました)はいっつも10点しかいれなくて、すごいひどいものまねのときも絶対10点を入れていました。この審査員の名前、覚えている人がいたらぜひ教えてください。(きよ彦じゃありません)肝心のものまねのほうだが、ものまね四天王なる人々が存在し毎回有力候補だったが、局側とのいざこざがあったのか途中で四天王のうちのコロッケが抜け、「ものまね王座…」が「ものまね紅白…」になった後にビジ・フォーも抜けたので今フジで見れる四天王は清水アキラと栗田貫一だけとなった。しかし四天王だけでなく、かなり上手なものまねタレントがたくさんいてしかも「ものまね王座…」だったらうまい人ばかり勝ち残るので今みたいにどの人も均等に見せられるものまねよりプロ度があった気がする。当然、よいものまねができなくなると番組から淘汰されていった。また、自身が売れっ子になったので出演しなくなった人もいる。どっちにしろ常に上を目指す人々で構成されたものまね。その完成度に私は毎回心弾ませていた。今でもとてもうまいものまねを見ると感動するが、もっと見たいという気になる。ぜひトーナメント形式を復活させてほしいものだ。あと採点も今はかっこよくCGとかで判定が出るが昔ながらの「10点10点10点10点10点10点10点10点10点10点 100点!」というあの感動をもう一度見たい。最後から数えて二つ目(針すなお)だけが9点となったときの悔しさも今日ではもはや懐かしい思い出。そういや針すなおの似顔絵も久しく見ていない。赤ジャケットよもう一度。私は待っている。いつかレトロ調ものまね番組が来るその日まで。
2005.08.24
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小学校のときものすごくサッカーがブームになった。ちょうどJリーグが開幕した頃である。大体の人が手にミサンガを巻いていた。私は手に何か巻きついているのがわずらわしかったのでそんなに持ってなかった。JリーグブームのときはメディアもJリーグ一色だった。テレビ、CMのほか漫画など多かった。私はなかでも、最もインパクトがあったと思われるCMを今日は取り上げたい。その名は「Jリーグカレー」。どこにでもある家庭の1コマ。うちに帰ってきた子供にお母さんがお昼ご飯を出す。「マサオ、Jリーグカレーよ。」喜んで食べるマサオ。しかし、一口食べた瞬間図体が急にでかくなり、髪がもじゃもじゃになり、ヒゲも生えて…マサオはラモスに大変身(ヴェルディユニフォーム着用)。笑顔のラモス。…とCMはほほえましく終わるが、果たしてこれでいいのか。カレーを食べただけでラモスになってしまうなんて私は正直嫌だ。多分小学生のときもそう思ってみていたはずだ。どっちかというとラモスよりカズや武田のほうが当時ビジュアル的にもうれしくはないか。そもそも、一体どんな成分を入れたらあんな事態になるのか。架空の話とはいえ、もし不良品とかあって髪だけラモスになったらどうする。さらに恐ろしい事態も考えてしまう。これがJリーグの誰に変身するのかわからないカレーだったら。もし、運悪くアルシンドにあたってしまった場合の悲劇は容易に想像がつく。きっとその子供は嘆く。ラモスのほうがまだましと言うだろう。さらに不良品であれば髪だけがアルシンドになってしまったり。なんと恐ろしい。その子供が学校でいじめられる事間違いなしだ。Jリーグカレーが架空の話で本当によかった。お願いだから未来の世界でこんな無茶な商品が現実化しませんように…。
2005.08.23
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「笑っていいとも!」についで長い歴史をほこるのがこれまた「笑っていいとも!」に次ぐ時間枠の「ごきげんよう」。元祖サイコロトーク番組として名高い。今日も何気に見た。ゲストのトークと小堺さんの名司会ぶりを大いに楽しんだ次第だ。しかし私はこの番組について長年疑問に思っている事がある。それはサイコロを振るときの音楽についてだ。サイコロを振るときの音楽とはいわずもがな「何が出るかな♪ 何が出るかな♪…」というあの曲だが私の分析によると歌詞には3パターンある。A:ベーシックバージョン上述した「何がでるかな♪ 何が出るかな♪ チャラチャチャンチャン チャラチャチャン」B:ベーシックバージョン変形型小堺さんが「でるかな」の部分を早口で言い、本来4分音符の「でるかな」が8分音符になっているバージョン「何がデルカナ♪ 何がデルカナ♪ チャラチャチャンチャン チャラチャチャン」C:略型もはや「でるかな」の「かな」がなくなっている。そのかわり「でる」が強い。「何が出る! 何が出る! チャラチャチャンチャン チャラチャチャン」ときに(A+B)÷2のパターンもあるが基本この3つと解釈している。ただ、ここでよく3つを見比べて欲しい。どの歌詞にも一貫して変わらないところがある。そう「チャラチャチャンチャン チャラチャチャン」のところが無言なのだ。この点について一度、清水ミチコ氏が番組内で指摘し、ここにもきちんと歌詞をつけるべきだと言及していたがまさに私も同じ心情だ。なぜここの部分だけ歌詞をつけないのか。私が小さかった頃、「何がでるかな♪」をよく歌っていたがその続きをいつまでも小堺さんが言わないので自分で続きをアレンジして「何がでるかな♪ 何がでるかな♪ 何がでるかな なにでる」あたかも「情けない話」→「なさばな」とするがごとく略していた。これを聞いた母は非常に気に入り、私の次なる替え歌「何を着るかな♪ 何を着るかな♪ 何を着るかな なにきる」は今でも使用中である。小堺さんは先ほどの清水ミチコ氏の指摘に対して何ら有効な回答を出しえていない。ときには思いつきで後半を歌うこともあるが、たいていそれっきりのため、我々は後半に関して言えば二度と同じ歌詞を聞くことができない。いつかきちんとした歌詞はあらわれるのだろうか。あまり期待せずに今後の展開に注目したい。
2005.08.22
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今の10代以降の人はどうもSMAPはもとから5人だと思っている人がいるらしい。そんな言葉を聞くとなんと嘆かわしい事か。SMAPは6人だった。確かにスマスマ開始当初まで6人いた。そのいまや幻のメンバーとは森君だ。個人的にはSMAPのなかで最も美形で、最も歌がうまく、ビストロスマップで見せた料理の腕は最もうまかったように思う。森君が抜ける前のSMAPの楽曲、そのほとんどが森君がメインボーカルを務めていたと記憶している。なのに突然の脱退。オートレーサーになるという夢を実現するため10年前くらいにブラウン管から姿を消した。ここ何年か忘れていた森君の存在だが、8月頭くらいに急に森君の記事が新聞にあった。というのも鈴鹿8耐に(監督として)出るからだった。この記事を見てはっとした。なぜなら鈴鹿8耐とは、バイク屋を営むうちの叔父さんが出場する大会で今年も出場すると聞いていたからだ。叔父さんはメンテナンスか監督か知らんが、とりあえずチームを組んで出ている。うちの叔父さんはずっとバイクが好きでとうとうバイク屋を始め熊本ではバイク好きには有名店として知られている(らしい)。ローカルタレントのうんばば中尾ともバイクを通じての友達だ。そんな叔父さんは高校のときあまりにも成績が悪かったため、自分がいける大学が見つからず、なんとか入れそうなところを探した結果、全然興味もない他県の芸大に進学した。しかし、一発で進学できたのは奇跡だと叔父の姉であるうちの母は言っている。そんな叔父さんと同じフィールドに森君が立つとは…!かたや「元SMAP」、かたや「興味もない芸大出身」と全然重なるところが見当たらないこの二人が同じような夢をもって鈴鹿8耐に出場しているという人類のふしぎ。もちろん、8耐の結果は森君のところは堂々三位でうちの叔父さんのチームは曰く「完走がやっとだった。」(正直、完走したのかどうか不明)もともと叔父さんのチームは優勝しようと思って出てるのではないので完走すれば目標達成らしいが。森君には正直SMAPのほうがいい暮らしはできただろうにと思う。テレビで昔の森君が写っていそうなSMAPのVTRが流れるとき必ず森君の姿は引きでしか写らず、アップの映像は見ることができない。たまには見せて欲しいと思うが、本人の立場というものがあるのだろう。そんななか、久々に聞いた森君の話題にほっとする感覚を覚えた。ああ、人々はまだ森君の事を忘れていなかったのだな…と。これからもオートレーサーとしてがんばってくれ、森君。そして叔父さんよ、今度出るときはサインをもらってきておくれ。
2005.08.21
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私は特撮好きというのは一部の人には周知の事実であるがでは一体どの時代が一番得意かというのはご存じないでしょう。確かにオールラウンドで大体わかりますけどやっぱり自分自身がリアルタイムで見ていたものが一番です☆というわけで今日は「鳥人戦隊ジェットマン」のお話。小学生だった私はこの番組に衝撃を受けました。なにせ戦隊5人のなかで三角関係が起きてるんだから。今日の冬ソナブーム(私は見たことありませんが)以前にこれほどわかりやすく、子供にもわかる恋愛ドラマを展開した番組はあっただろうか。ついこの前、ジェットマンDVDが発売されたのを知り、欲しかったのですがお金がないのでレンタルビデオを見ることで我慢。1話目から面白かった。最初からメンバーが5人そろってなくて、3話あたりでそろったと思ったらいつまでも巨大ロボットは出てこず、たしか10話あたりでやっと出てきた。じわりじわりと進んでいたと思ったら恋愛が急展開したり、敵の幹部にも恋愛チックなのが浮上したり、とにかく普通の戦隊モノじゃなかった。小学生だったときはあんまり意識していなかったけれど今改めて見て、こんなに戦隊モノの枠を破る(いい意味で)ものだったのかと感動させられました。そしてなぜだか知らないけれどEDの「こころはタマゴ」を聞くといつも涙目みたいになってしまう自分。懐かしさでなのか、物語の切なさなのかわからないが非常にこの曲は心にしみる(T.T)EDに流れる映像がペーパークラフトみたいになっててその感じがすごく良い。↑見たことある人しかわからなくてすみません最近の戦隊ヒーロー番組は早朝にやってるからわざわざ起きては見れないのだがジェットマンの頃は夕方にやっていたので多分毎週欠かさず見れていた。きっとその頃の感覚とかを「こころはタマゴ」が呼び覚ましてくれるのだろう。物語のほうは最終回の結婚式まで目が離せない。結婚式でホワイトスワンと結婚するのは一体誰なのかすぐにはわからないようになっている演出がにくい。そして想像していなかった結末を迎えジンワリと流れてくる「こころはタマゴ」涙せずにはいられない。ここに書くだけで見たくてうずうずしてしまう。お金がたまったらぜひDVDで購入したいと思うmayokoでありました。
2005.08.20
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最初にどんな記事を取り上げようか迷いましたが、初めてということで懐かしい教育テレビの番組にスポットを当てる事にします。いきなりクイズ。この歌詞は何でしょう。♪君がボールを追いかける そのグランドを~ 1000年前に侍が 馬に乗って駆け抜けた~ ふしぎの扉がひ~ら~く~…そう、これこそ私の年代に一大ブームを巻き起こした(?)「このまちだいすき」のOPである。結構歌詞とか部分的にしか覚えてなかったけど先日私が購入した『懐かしのNHKこども番組コレクション』という本に載っておりました。なんとこの本、1953~1996年の教育テレビの番組が網羅されているだけでなく、トリビア的な記事やインタビューも掲載されている。そして感動の記事がここに!「このまちだいすき」で主役の若者(シラベルなど)を上回り、強烈なインパクトを残した「シゴック先生」のインタビューだ。シゴック先生は笑みを浮かべ、写真に写っておられた。シゴック先生の名前の由来は「生徒をしごくから」という単純な理由だそうだ。兄に「セッカチーフ教授」がいる。主役よりインパクトを残したのもそのはず、主役は1年で交代(宇宙アカデミーを卒業)なのに先生はずっと代わらず、落ちこぼれ生徒を毎年面倒見ていたからだ。なんか、鬼教官というより、ちょいと人情に厚い教頭という雰囲気。シゴック先生を演じるのはちびまる子ちゃんのおじいちゃん(友蔵)役でおなじみの青野武氏。温かみが現れているのもうなずける。そういやシゴック先生ネタは、マンガの「すごいよマサルさん」にたびたび登場している。非常にこれには笑いと感動がよみがえる。笑い好きな人は必見だ。放送は1998年で終わってしまったが、きっと多くの人がシゴック先生の事を忘れないであろう。とここまで書いておいて結局「このまちだいすき」ではなく、いかにシゴック先生がすごいかという話になってしまった。まぁ、郵便ポストにもぐりこみ、水道ガス管通り抜け、テレビのアンテナ発射台にして宇宙へ飛び出してしまう生徒を何年も面倒見たのだからシゴック先生はシラベルたちより愛されるべきキャラクターといえるのである。
2005.08.19
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本日より、ブログを立ち上げました。まだ、いろいろわからない事だらけですが、徐々にいろいろな機能を使いこなし、楽しいブログにしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
2005.08.19
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