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1月後半のショートを無事終え母はデイに。98歳の母は今年に入って衰えが顕著に現れている。少しの動きでもはぁ~はぁ~と荒い息づかいをするようになり立つ事さえも嫌がり歩行も中腰になって今にも座り込みそうな格好で歩く。朝の起床も寒さも手伝ってか、すっかり起きなくなってきた。母の体調や母の様子をかんがみて対応を考え無理のない生活をと心するも行き届かない。取り敢えず、出来る限りの事を整えるしかない。 年明け早々に申し込んでいた特養からの電話を貰って以来私は悶々とした日々を過ごす。消去法で特養へ母がお世話にならなければならない事を自分なりに言い聞かせるが 「まだいけるのでは??」が頭をもたげるともう行き場が無いくらいにそこへはまり込んでしまう。気分を変えようと色々と試みるがそこには白けた自分がいる。今年はもうタイムリミットなので時間があけばバイクをと考えていたのにそれさえも 「楽しい」と言う満たされたワクワク感がなくなってしまって・・・眠れぬ夜が続き「母との残された時間をどう過ごす」と考えてしまう。ショートももうお断りして残された日々を母と過ごそうかとも。 そこへ、お願いしてある特養の◎◎苑からの電話。「書類をご用意願います。 主治医に「診療情報提供書」を書いてもらって提出してください。 お気持ちは変わって居られませんよね。 入所希望でよろしいですね」と覇気のない返事を返すものだから、何度も聞かれてしまう。 兄姉妹は「自分たちには無理」と断言され、これ以上迷惑はかけられない。それ以上に昨年体を壊した私には体力的に「まだ大丈夫」と断言する自信がないしまだまだ病院通いが続く。 母の通う病院の「家族の会」でも発言していつも助言を貰い背中を押してくださっているが 「ご自身が決める」ことと。「施設に入れたからと言って介護の立場は変わりませんよ。 もっともっとかかわる事が多くなります。 在宅とは違い、まだまだ施設の中身は充実したものではありません。 施設任せでは過ごせませんし、変えて行かなければいけないことが沢山あります。 職員の方と一緒になって介護者は過ごさなければやっていけないのです。 その為に私たちは毎日施設に行き寄り添い介護を続けています。 それは利用者である家族が穏やかに安心して過ごせる場を 確保するためでもあるのです。 兎に角、施設がどんな様子なのかを見て、 「ここでは」と思われるかもしれない。 そうなると、また一から施設を探さなければならないし・・・ 「ここで良かった」と思える所にめぐり合う事は難しいのです。 まだまだこれからです。 家庭の事情を含めて一歩前に進みましょう。」 すでに施設に託された方々の力強い助言は私を深く納得させるものでした。家族会に来られている殆どの方が毎日施設に通われている。私もその為に家から近い施設を申し込んだし、そうありたい。 家族会の中には施設に勤めておられる方も何人か居られる。施設の行き届かない点を「職員の数が足りない、重労働で過酷な環境に置かれながらも みんな頑張っている。 その為にもご家族さまの存在は大きいです」と説明される。介護認定が厳しくなり、要介護から要支援に下げられ老々介護で悲鳴を上げておられる家族も知っている。施設に歩いて行けた人が歩かせてもらえなくなって車椅子となり歩けなくなったと言われる。トイレに一人で行けたのにリハパンに変えなければならなくなった等々。その内容は異口同音に施設の人手不足からのものと。施設に行き、母のお世話をしに行くようになってもっと身近に職員の方の仕事の大変さを実感する今、「私たちに何かお手伝いできることありませんか?」と問うのはその内容をも職員の方と一緒になって変えられるのは私たち家族なんだけど・・・個々の声を自分の家族だけの為にではなく、これから続く人たちの為にも何か出来たらな。 母の「入所の日取りが決まりました」の電話を受けるまでちょっとしんどい日々ですが、私なりに母の一日一日を大切に過ごしたい。カウントダウンは間違いなく打っている。 お母さん、豆まきしようね。「福は内ぃ~」だよ。
January 27, 2012
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母は只今1月後半のショートステイ滞在中。昨年からの足の怪我の症状も蜂窩織炎(ほうかしきえん)を疑ったがその様子でもなさそう。腫れは引いたものの、後遺症?として足が石のように硬くなってしまっている。母の足はどうなってしまうのか?と刺激を与えない程度に足を揉み解すしかないのかと母の足をマッサージする。 ショート初日、母はいつに無く大人しい。職員の方が色々話しかけて下さるがその場限り。続きがない。殆ど一日食事やおやつ以外、ウトウトと過ごす。「いつもと違う。 何か様子が変」 と思いながら施設で一日母と過ごした。そう言えば、今回の在宅中は病院へ行ったり関西に住む母の姪達と私たちは「従姉妹会」に母を連れ歩いたりと外出が重なった。母には少々お疲れモードだったかも? (ごめんなさい) こうして母と一緒に施設で過ごすようになって、職員の方や利用者さんと会話をしたりしていると今まで見えなかったものが見えてくる。施設内の職員の方、利用者さんをすっかり覚え様子が判る。施設内の空気が読めるようになって利用者さんの心身の起伏までもが手に取るように判るようになって来た。 利用者の方も私に気軽に声をかけて下さり、母との関わりにも和んだ空気が流れる。いつも穏やかな人が今日は何故か不穏。「はじめまして、私は◎◎と申します。 私、ここは初めてなので何も判りません。 どうしたらいいのでしょうか」と聞いて来られる。「私も、初めてなので良く判りません。 ここで一緒に過ごしましょう」と母と一緒に座っているソファの空きを勧める。「あぁ~良かった。 私ね、みんな知らない人ばかりでどうしようかと思っていました」「おたくが居られて心丈夫。安心しました」と言って身の上話をされる。そのお話をひとしきりすると今度は又場所を変えて職員の方に同じ事を繰り返されている。職員の方が何やらタオル折りのお仕事をその方に頼まれると喜んで一生懸命に作業開始。その中にくしゃくしゃのタオルが出てきて「アイロンがいる。 こんなくしゃくしゃ誰がした!」と興奮状態。食事時、「妹が来ると言っていたのに来ない、電話してみて」を繰り返され職員の方が色々と返答され納得しては又同じ事を。職員の方の対応を見たり聞いたりしていると良く判る。「すべてを受け入れる」が大前提と言うことが。利用者さんの事を丸ごと受け入れそれに応えておられる。なので、会話も否定や「何?それ」の聞き返しが無いから会話が続き相手を納得させて居られる。 安心して身をおける場所である事を本当にうれしく感じる。その方、その日は一日不穏状態だった。 今まで、「認知症の方」と認識するだけで不穏時が見えていなかったが私の存在が利用者さんの中でもう「お客さんが来ている」ではなく、溶け込んだ状態なのかなと思ったり。職員の方を見ながらやっぱり大変な仕事なのだなと思うと同時に「私に出来ることありませんか」と声をかけたくなった。 認知症はひとそれぞれで症状も違うし接し方も違う。母の認知症と向き合って12年。どんどん母が母で無くなり頂点に達したとき「神さま、母を早く楽にしてあげてください。 この苦しみから解放し、何も判らなくしてあげてください。 全て私が母を受け入れ支えます」とどれだけ祈ったか。その祈りが聞かれ、何も判らなくなってしまったけど、不穏の時がお薬なしでも過ごせるようになり、母は楽になった今。これから先はまだ未知の時を過ごすのだが弱って行く母を全てにおいて気を緩める事無く元気に過せるよう見守って行きたい。 母は最近病院へ行く事も増えたり、体力回復日を作って家で過ごす事が多くなって自分の時間がとれなくなってきているが母と静かな穏やかな時間が過ごせたらと願うばかりです。
January 22, 2012
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日曜日のデイに行かずに済むようになり朝の起床が 「お休みモード」に変わった。私も何だかゆっくりの起床となりウィークデイモードの緊張から開放された気分。 日曜日のデイも母が毎日同じパターンで行動しないと不穏になり 「行かないと・・・」 「遅刻する・・・」を連発して外出しようとさっさと部屋を出て行ってしまう。致し方なく母は日曜日も同じパターンでと言う事になり日曜日もデイに行くようになった。高齢の母には疲れるのに・・・との心配をよそに母はデイのお迎えにさっさと乗り込んでご機嫌で行ってくれていた。時々疲れが溜まってDOWNするが母の様子を見ながらの通所であった。 朝の外出モードもすっかり無くなり朝食後も部屋で寛げるようになった。今日も一日母は穏やかに自分の机やベッドの周りのものを広げご機嫌で時には大きな声で歌を歌ったりして過ごしてくれました。 夕食時、母は手に持っている汁物を手をすべらせたのかひっくり返してしまいました。テーブルや衣類にその汁物が沢山こぼれたのを見て「ごめんなさいね。 大丈夫?」 何度も申し訳けなさそうに謝ります。「大丈夫、 濡れてない?」母に声をかけながら、何も判っていないのにこんな時はちゃんとシナプスが働いて正常な言葉がとっさに出ることに驚きと感動でいじらしくなってしまった。 & 夜も着替えを済ませベッドに横になると静かに寝入りこの所殆ど添い寝をして寝かせる事もなくなりました。色んな困難な事が消失し穏やかになって行く母。「お母さん、ありがとう」 は私の言葉です。 お母さん一日元気で過ごしてくれてありがとう。今日も一日つつがなく過ごせました。ゆっくり休んでくださいね。 足の腫れはまだ引きません。怪我をした所が微熱を帯びて赤く腫れています。保冷剤で冷やしてもすぐに解凍してしまい何度もやりかえるのですが駄目です。どうしたんだろう・・・ 歳を取るとはこういう事?治癒力が落ち回復に時間がかかります。ベストな状態でショートに行かせたいです。「痛いの、痛いの、飛んでゆけ!」早く良くなりますように。
January 15, 2012
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神さま今日も健やかなる朝を迎える事が出来ました。感謝です。母の為に私に今必要な 「知恵と力」をお与えください。そして、限りない愛を 起床時、母をトイレ誘導し、着替えを済ませ母の足にお薬をすり込みながら祈った。母の荒い息づかいとゼイゼイが続く。冷たい空気を吸い込んで咳き込むのかコンコンと咳が出る。 母は特養の入所の連絡待ちの状態。体調を崩さないように元気にその日を迎えなければと気遣う。母はもうこの家には戻れないかもしれないそんな思いの中、自分に出来る限りの事をしておかなくてはと事ある毎に頭書の祈りが沸いて出る。「祈りは必ず聞かれる」と信じて。 母は今日からデイへ。危ない階段を一生懸命下りる母。今まで息が荒くなることもゼイゼイ言うことも無かったのに。母は一生懸命に足元を確認するかのようにゆっくりゆっくり下りてくれる。私は「神さま、知恵と力を・・・」と母との二人分を祈りながら下りる。と、その時 ひらめいた 階段に滑り止めを付けよう。 早速、ホームセンターに行き滑り止めシールを購入し貼り付けた。「う~ん! なるほど」 出来ばえに我ながらにんまり。と言ってもただ張るだけ・・・だったけど。りよえりの「Do it yourself」 (DIY) 。(オーバーな・・・でも、何だかとってもうれしい)これで一つの不安が解消された。祈りが届き、知恵と力を与えられたりよえり。 母を最後まで家で過ごせる方法はないのか。一人介護でも十分に出来る方法はないのか。家を改装する?階段に手すり用移動具を付ける?あらゆる方法を考える。色んな条件の中で無い知恵を絞る。私に出来る全ての事に又 「知恵と力」が湧いてきますように。 母の足の怪我が一日も早く 快方に向かいますように。体調を崩しませんように。98歳の老いをひしと感じさせる日々。お母さん、足の怪我に負けないで。 母の上に主の平安とご加護がありますように。アーメン。
January 13, 2012
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出だしが悪いショートだったが母は期間中のお迎えの連絡もなく無事に帰宅しました。しかし、年末のショートの時の怪我が思いの外回復に時間がかかり、問題を抱えての帰宅となった。 母の左足の打撲傷による大あざはほぼ引いたようなのだが浮腫みはひどくなり赤くはれ上がっている。明らかにその腫れを見ただけで、異常であると判断する。施設側の看護師が「蜂窩織炎」の疑いがあると心配されていたが随分昔に母はいきなり高熱を出し足が腫れてかかりつけの内科に受診したら即、大きな病院へ行きなさいと言われ、即入院となった事がある。今回は腫れた部分が幾分熱を持っているが発熱の様子はない。 そんな訳で今日はデイをお休みして母を病院へ連れて行くことにした。「蜂窩織炎」は内科と思っていたら「整形外科」へと言われ受診。「蜂窩織炎」の心配は無いようだがやはり菌が入った様子。兎に角冷やすようにとの事。母は案の定冷たいと言って嫌がるし、靴下に挟んでおいても外してしまう。これは参った。 今日は内科の診察日でもあった。近頃、ちょっと歩いただけで息切れをし、ゼイゼイと苦しそうにする母。その事を先生に話すと「そら、98歳。 この歳になるとそうなりますよ。 しかし、顔色もいいし元気やなぁ~。 ここまで来たら100歳まで頑張って」 今までこんなに息づかいが荒くなってゼイゼイしなかったのにちょっと心配。いつどこで何が起きるか判らない。今回のショートでの怪我が色んな事を引き起こしているのではないかとやけに気にかかる。ちょっと複雑な思いが心を重くする。 様子を見なければ・・・。
January 12, 2012
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今日から母は1月前半のショートへ。すこぶる快調の母。夜の寝入りが早くなってすっかり睡眠が足りてきたのか朝の目覚めが早くなった。5時過ぎにはもうムックリ身体を起こし起き出す態勢に入っている。「お母さん、まだ起きる時間じゃないよ・・・」母に声をかけ、もう一度横にならせお布団を掛ける。暫くこちらも身動きせずに寝たふりをして、じっと様子を見ていると又スヤスヤ。 昨日、デイの連絡帳に「目が充血しています。様子を見てください」と書いてあったので母の目を見るとウサギの目の様に真っ赤になっていた。「わぁっ! 結膜炎?」今朝も起きて一番に目を見てもやはり赤いのが消失していない。結膜炎だったら感染症でもあるのでショートは受け入れならないだろう。心配しながら、眼科を受診してからショートは考える事にした。眼科に行ってもやはり母は眼圧等目の検査が出来ず大騒動。検査は無理なので視診だけとなったが結膜炎ではなく、出血しているとの事。よくある事で心配はないと言われた。大急ぎでショートの施設へ向かう。今日は認知症外来の診察日でもある。ショートの施設へバイタルチェックを受け、着替えを済ませて同じ敷地内の病院へ。久しぶりに先生のご挨拶をご機嫌で応えてる。「お元気でしたか?」「はい、ありがとうございます」「お食事はよく食べられていますか」「はい、しっかり食べています」「よく、眠れていますか」「はい、×◎&%$#■▽*`+@?><・・・・・」 これが認知症の応え方です。の見本みたいな会話が始まった。しかし、母の上機嫌は見事であった。先生の診察も母の次に私に変わる。「疲れておられませんか?」「大丈夫ですか?」「無理されていませんか?」労いに満ちた言葉で私にお話されるがしっかり私の言葉の裏を診ておられるのであろう。「大丈夫です。大変な時期は済みました。体力に限界を感じますが 本当に穏やかになり、やり易くなったなとつくづく思います。もう大丈夫です」 先生は母の様子、私の様子を確認した後、「では、3ヶ月後の診察日でよろしいですね」1ヶ月毎の診察日が2ヶ月後になり、3ヶ月後となって、お薬の処方も要らなくなった。母は勿論のこと、私の様子もちゃんと診て居られたのだと感じた診察日でした。今日は朝から3ヶ所の移動となった。これまでだったらあちこち連れ歩くとパニックになって大混乱を起こし収拾がつかなくなってとんでもない事になっていたがそんな事もすっかりなくなった母。 それにしてもあの特養からの電話の後の母の様子が何か違う。「どうしたん?」とドキッとするような事がある。今までそんな事言わなかったのに、しなかったのに・・・が多い。ショート先の看護師さんから「大分歩けなくなって来られたのでもうここでは無理のようです。 そろそろ他の受け入れ先を考えられた方がよろしいかと・・・」と言われてあたかもそれを母が聞いていたかのように急に歩き出した時のように。認知症のふりをしていたの?と言うような事が起きている。私の思い過ごしだったらいいのだが・・・。何かを感じる。 見逃さない。 母のすべてを。 特養からの電話を貰ったとケアマネさんに連絡したら「おそらく今月中には入所のお話があると思います」と言われた。だからなのか余計に今日一日が終わりかも知れないと言う一つひとつが大切な時間となっていく。 診察が終わってショートに戻り母の昼食と夕食のお世話をして帰ってきました。すっかり施設内の皆さんとお馴染みになって私たちが座っているソファーに誰れ彼れと寄って来てくださり一緒におしゃべりを楽しむまでに。ここでの事が本当にいい経験として与えられました。 お母さん風邪引かないでね。元気で過ごしてくださいね。また行きます。おやすみなさい。
January 6, 2012
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お正月休み 3日目 お母さん、無事に3日過ぎました。たった3日間の事だったのに、やっぱり腰が悲鳴を上げ始めています。そんなに頑張った訳ではないのに。一日中座りっぱなしも良くないしとこまめにトイレに食事にと場所移動。足の怪我もなかなか腫れが引かず歩行時痛がりガチガチになって私にしがみつくので余計腰に負担がかかったのかも? 明日からデイが始まります。穏やかに元気に過ごしてくれて本当に良かった。三連勤ではないけれど・・・ひとまず、ホッとしています。 母との一つひとつが心に引っかかる。「この家から母が居なくなる・・・」私はそれに耐えられるのか???悲しいけど、辛いけど、きっと乗り越える。今までのように。 み言葉の中にも言われているように。心を強く持とう。 コリント人への手紙 第一 10章13節「あなたがたを襲った試練で人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えてくださいます。 心弱い私にメッセージやメールを下さり心から感謝しています。弱音をまだまだ吐きそうですが今しばらくお付き合いください。私は負けない・・・母をしっかり守ります。
January 3, 2012
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Are you ready ? お正月休み 2日目。 昨日よりもゆったりとした朝を迎えた母。今日も滑り出しは順調で穏やかに流れる中、孫たちが遊びに来てお昼を食べて帰って行った午後のひと時。母と一緒に寛いでいたら、携帯が鳴った。手に取ると 「◎◎苑」と表示。「何だろう・・・ショートはお願いしていないが・・・」「こちら◎◎苑です。 特養の申し込みをされておられますがお変わりありませんか?」「??? はい」「例えば、急なのですが、明日からとか一週間後とかの対応でもOKでしょうか?」「・・・・・」 声が出ない。 答えられない。そんな短い時間で振って来ないで、そんな急に???「なに? そんなことって・・・」 頭が一生懸命返事を探しているが言葉に詰まってしまった私に即答なんて出来る筈もない。追い討ちをかけるようにあなたが「NO」であれば次の方にお電話しますと言わんばかりに言葉が続く。「いつになるかは退所者が出ないと判らないことなのですが 入所の段取りが出来るかどうか、気持ちがあるかないかをお聞きしたくて・・・」その言葉の裏には近々退所者が発生するであろうニュアンスが含まれ要するに stand by OK ? の電話であった。 何ヶ所か申し込んである中の一番最初に申し込んだ施設で一昨年の夏に入所の順番が来たと連絡を受けた施設からだった。申し込んだ4ヶ所の施設は甲乙付けがたく、そこそこにいい面がありどれも選ぶのに迷ってしまう施設だったのでケアマネさんと相談の上、優先順位は付けなかった。先に連絡があった施設で決心をつけようと話をまとめていた。 返事に即答は出来なかったが、「お願いします」と手短に答え穏やかならぬ胸の内を覚られるのが怖くて早々に電話を切った。 昨日の今日。穏やかに過ごす母をお世話しながら「ずっとそばにいて」と願った私なのに。どう受け止めていいのか頭が真っ白で何も考えたくない。ただ、母が何処に居ても私の介護のスタイルは変わらないし、母が何処にいても母との時間を大切にしたいと思っている。与えられた道を「これで良かった」と思えるよう私がしっかりしなくては・・・。 主のみ心のうちに・・・と 今日の出来事を知る由もない母は今日もベッドに入ってすぐに眠りにつきました。 (*** ひとりごと.....)もう一人、そばに誰かが居たら在宅介護続けるのに・・・
January 2, 2012
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新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。平成24年 元旦 お正月休み 1日目無事に一日を終える事が出来ました。母は年末のショート滞在中に足を打撲して日ごとにその腫れが酷くなり歩くのも痛がるようになりましたがじっとしている分には感じないようで元気に過ごしてくれています。 お正月3が日、足を痛めているので外出は出来ないしずっと家の中でどうして過ごそうとあぐねていましたが意外とスムーズに一日目をクリアしました。 ゆっくり目の朝を向かえ母と一緒にお雑煮を食べました。母にお雑煮はどうか・・・と思いましたがやっぱりお祝いのもの。 お餅を一口大に小さく切ったものを入れました。一口二口食べてもう興味を示しません。お椀に入ったお雑煮の食材をテーブルに並べ始めました。「お母さん、もう少し食べよう」 少しずつ口に運んでやっと食べ終えました。 さて、一日どう過ごそう。 家事もしたいし・・・母が遊べるように要らなくなったパンフレットの用紙を机に置いておきました。母はそれを折ったり畳んだり、破いたり、引き出しに仕舞い込んだりとそれはそれは上手に一人遊びを楽しんでくれました。 時折、意味不明の言葉を発し会話をしてくれます。その会話に相槌を入れるとチンプンカンプンな会話が成立しています。テレビを見たり、お茶したり・・・飽きてくるとウトウトしています。長時間、座っていると下肢が浮腫むのでベッドをリクライニングして休ませたり。 母と一日過ごし、母の狂った最盛期が信じられないくらいに思い出されます。静かな上品な母が、クリスチャンである母が、暴言を吐き、悪態をついて人をののしり、暴力を振い暴れたり。収まりがつかず、徘徊へとなったり。デイに行けば利用者さんと必ずトラブルを起こし困らせた。認知症の診断を受けるまでの8年間。 大変だった。 それを乗り越えた今、すっかり楽になりしみじみ「本当に穏やかになってやりやすくなったなぁ~」と感じます。訳の判らない事を言って困らせたり、ちょっと目を離すととんでもないことをしてくれたり、言っている事が理解出来ず、全く反対の事をしてくれたり・・・体力勝負の事等と大変な事は多々ありますがそれは一時のこと。昔のそれとは比べ物にならない程です。 あの時は、まだ在職中だったのによく乗り越えてきたなと自分でも思います。きっとそれも、仕事を持っていたから出来た事だったように思います。仕事をしている間は母の介護を忘れる事が出来たし違った場所に、職場と言う場所に自分の居場所があったからこそ乗り越えられたのだと思います。 判らなくなって本当に穏やかになった母が一回りもふた回りも小さくなってしまってより一層、「守ってあげなければ」と思います。 母は 「100歳、一緒にお祝いしようね」「ずっと、私のそばにいてね」しっかり応えてくれて頑張ってくれているようです。一日も長く在宅で過ごせる事を願って母と穏やかな時間を過ごしたいと思った一日でした。
January 1, 2012
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