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ヴァニラファッジのオリジナルではなく、ロッドスチュアートのカバーバージョン。日記でたびたび登場しているAOR中心のバンドとは別にもうひとつサークル内のバンドに加入してコピーした曲だった。このアルバム「Foot Loose&Fancy Free」のリズム隊はアーマインカピス、いやカーマインアピス(苦笑)とフィルチェン。ヴァニラファッジの張本人の曲だった。フィルチェンは後の「Blondes Have More Fun」の「アイムセクシー」でのオクターブのウンペペウンペペのベースでおなじみの中国人ベーシスト。ロッドはこの2枚のアルバムの頃が最高に乗っていた頃だろう。よく聴いていたFMラジオ、土曜昼2時からの「ダイヤトーン(当時)ポップスベスト10」でも頻繁に登場していた気がする。懐かしいなあ・・・。この曲をコピーしてからあとにオリジナルを聴いたので、ロッドのバージョンの方がなじみ深い。Bメロにチョッパーのフレーズ、中間部の間奏部にストリングスと絡むベースが目立つ部分もある。歌詞に「Never Never~」と連呼する場面があり、いつもスタジオ練習の時、納豆をまぜて糸ひくしぐさをしてヴォーカリストを笑わせるのが顰蹙を買った(笑)。結構展開のある曲だったので演奏してても心地よく、あまりに心地よいので、間奏のストリングスと絡むベースの目立つフレーズで1フレットずれた音を弾いてしまい、バンドのメンバーと聴衆に失笑を買ったこともあった(爆)。レコードも持っておらず、CDも買っていないので久々に聴いてみたくなった。<昨日の近鉄バファローズ>楽天0-3読売ヒットが関川、ロペス、中村のみか・・・。しっかりせい旧いてまえ打線。礒部にいまだ快音聞かれず。頑張れ選手会長!オリックス2-3阪神下山、大西にヒット出る。彼らは今シーズンさらに活躍してほしい。ソフトバンク1-4西武2番大村にヒット出る。新天地でも頑張れ!
2005年02月28日
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15年前の今日、東京ドームでローリングストーンズを観た。もう15年前になるのかという感じだが、当時は大騒ぎだった。よく言うビートルズかストーンズかと問われれば断然ビートルズの方に軍配が上がる私でもあの日は大いに盛り上がった。チケット代が初めて5桁の大台に乗ったライブだった。なかなかチケットが取れず、広告代理店の最大手に勤める先輩になんとか頼み込んで2枚まわしてもらい、別の吉田拓郎フリークの先輩と行く事ができた。チケットが取れなかったストーンズ狂の方々には大変申し訳ないがとりあえずロックンロールの大御所のライブを観とくかという軽いノリだったので、外野席でキャッチボールをしながら川崎球場でロッテ対日本ハム戦をみる感じだった。ドームは開演前から異様な熱気だった。野球なら内野指定C席といったところだろうか、1塁側の外野に近い1階スタンド席。まわりはネクタイ姿のサラリーマンが多かった。一緒に行った先輩は席に着くなり、おもむろにワイシャツを脱ぎTシャツ1枚でストーンズを待ち構える。いよいよストーンズの登場だ。「スタート・ミー・アップ」のイントロが聴こえた。ミックジャガーとキースリチャーズが目の前にいる。文句なしにかっこいい。ロッテX日ハム戦は近鉄X西武戦に姿を変えた(苦笑)。誰もが知っているロックンロールの名曲の応酬に私もノックアウトされてしまった。とにかく音がぶ厚い。ホーン隊はじめサポートミュージシャンの存在もあるが、レコードであんなに気になったチャーリーワッツのタイム感やスネアの音も気にならない。「ミスユー」がイカしてた。私の行った日は「アンジー」をやってくれた。「サティスファクション」の盛り上がり方はすごかった。キースのひとつひとつの動きがかっこいい。ビルワイマンは地蔵のようだった(笑)。一緒に行った先輩は2月というのに滝のような汗をかいて熱狂。私も最後は飛び跳ねて絶叫していた。いままで行ったライブの中で、こんなに行く前の期待感と終わった後の満足感のギャップが大きかったのは珍しい。素晴らしきロックンロール。恐るべしストーンズ。(昨日の近鉄バファローズ)楽天 4-3 読売オリックス 11-3 阪神山下、川口ようやった!藤井、やっぱり君が正捕手だ!去年何度も見た山本省吾、またひとつ成長した!猛牛魂に涙・・・。
2005年02月27日
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今日2月26日は21年前に中野サンプラザでロバートプラントを観た日だった。当時はまだジョンボーナムが亡くなって4年。ロバートはかたくなにLed Zeppelinを拒んでいた。2枚のソロアルバムを発表してそれなりのセールスをあげていた。ちなみにこの1・2枚目のソロアルバムに参加していた中にフィルコリンズの名前があった。実はこの時に初めてフィルコリンズとジェネシスを知った。印象的なドラミングに私は興味を持った。ロバートが私にプログレへはまるきっかけを作ってくれたと言えるかも知れない。ありがとうロバート(笑)後で聞くとアメリカのツアーにはフィルコリンズがドラマーとして参加してたらしいが日本には残念ながら来なかった。このライブでロバートプラントを観れたという感動はもちろんだったが、一緒に行ったのがサークルの憧れの先輩(女性)だったのでそっちの方に気が行ってしまい、ライブの内容の記憶が定かでない・・・(またか!怒)。ただ記憶に残っているのは、Zepの曲は当然1曲も演奏せずだったがアンコールの終盤でおなじみの「Woo Yeah」(だったと思う・苦笑)の叫びが飛び出し、そのあとは雄たけびの連続で、ロバートがステージを後にしたあとも客電がついたあともロバートの「Woo Yeah」の声のテープが流れ続けていた事を覚えている。まったくもってふざけたライブレポになってしまったが、ロバートを通じてプログレッシブロックにハマっていったことは偶然の産物だった。
2005年02月26日
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ハービー、ブラコンに挑戦。という82年の異色作。そのオープニングでアルバムのタイトルチューンがこの曲。例によってバンドの先輩が持ってきてレパートリーに加えた1曲で、先日日記に書いた「Shine On」とともに幾度となくライブで演奏したので今も聴くと懐かしさに浸れるナンバー。この曲はラインナップがすごい。ギターがスティーブルカサー、ドラムがジョンロビンソン。ベースがルイスジョンソン。パーカスはポリーニョダコスタにホーンがジェリーヘイ。バックヴォーカルにパティオースチン・・・・。ルカサーのギターメロで始まり、ファンキーなギターのカッティングに、ジャストなジョンのドラミングに乗っかったルイジョンのベース。Bメロやブリッジ部には18番のチョッパーベースもある。サビはハービーとパティオースチンの掛け合いボーカル。やはり御大ルイジョンのベースは一筋縄にはいかず、タイトなリズムを醸し出せてたかどうかははなはだ疑問だ。ルイジョンは指弾きでも躍動感たっぷりのベースを弾いてて聴く分には心地よくコピーするのは難しい。チョッパーの部分が華やかなので、指弾きの部分がすごくショボくなってしまう。バランスを取るのに苦労した。このアルバムは他にもめっちゃファンキーな「The Bomb」や、まるでエアプレイのような「Paradise」にはデビッドフォスターのKeyにジェイグレイドンのG、ビルちゃんプリン(笑)がB.Vo、ベースのラボリエルにドラムがジェフポーカロというたまらんメンツ。「Lite Me Up」をコピーするために借りたアルバムがお気に入りになってしまった。廃盤なのか最近店頭で見かけなくなったがリマスターしてほしい1枚だ。
2005年02月25日
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WOWWOWでイエスの2004年5月にボストンで行われた結成35周年記念ライブを観た。メンバーはジョンアンダーソンに、スティーブハウ、クリススクワイア、リックウェイクマンにアランホワイトの5人。70年代の大半を共にしたメンバーだった。個人的にはドラムはビルブラフォードの方が好みではあるが、この顔ぶれの方が結束力は強い・・・かも。(幾度となく脱退、再加入を繰り返しているので結束力もくそもないか・・・笑)最近のイエスについては力を入れて追いかけていないので(苦笑)メンバーの出入りも詳しくは知らず、ライブを観るのも超久しぶりだった。前半が観れなかったので途中のアコースティックセットからしかわからないが、私観ながらジョンとクリスがステージに立ってればそれでイエスは成立するので、2人の元気な姿を見れただけで満足。クリスが東京のホテルで思いついたというMCがあったシカゴブルース調の「ラウンドアバウト」は新鮮な驚きだった。トレヴァーラビンがいないので「ロンリーハート」もセミアコースティックなアレンジでスティーブハウの適当なギターソロには笑った。アコースティックセット明けのナンバーが「リズム・オブ・ラブ」で驚いた。最後は私の大好きな「And You And I」。仰々しく壮大にステージの幕を閉じた。メンバーの出入りが激しいグループではあるが、いろんなビッグネームのバンドがメンバーの死亡でグループの存続を維持できなくなっているケースが多い中、幸いイエスファミリーは全員元気な爺さんで(笑)こういうグループの存続の仕方もありかなと思うのでこれからも「Going For The One」で突き進んでほしいと世界の片隅にいるおっさんは願っています。
2005年02月24日
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恒例のフライング購入でジェフベックの紙ジャケ・リマスターCDを買った。「ワイヤード」「ライブワイヤー」「ゼアアンドバック」の3枚。「ワイヤード」の冒頭、「レッドブーツ」のイントロのナラダマイケルウォルデンのドラムを聴くだけでジェフベックの世界へ吸い込まれる。 そして「ゼアアンドバック」。このアルバムはリアルタイムのアルバムなのですごく思い入れがある。CDショップでこの紙ジャケを手に取り、懐かしさに感動してしまった。エンボス調というのか名前がわからないが、凹凸があり光沢が高級感を醸し出すジャケット。いやあ懐かしい(涙)。確か当時シュリンク包装されていた気がしたが間違ってるかな?中を取り出すと内袋にまたまた涙(笑)。ジェフのハードケースを持って歩く写真。当時かっちょええっ!と思っていた写真がなぜかこれから三味線のお稽古に向かうお師匠さんに見えてしまった(苦笑)。当時入っていたライナーノーツもご丁寧に入っている。レコードの針を落とすと、と思わず言いたくなるが、1曲目の「スターサイクル」のイントロが流れてきたら、発売当時の自分の風景がよみがえってくる。やはり音楽は魔法だ。当時好きだったなあ・・・「エルベッコ」。あっという間に1枚通して聴き惚れてしまった私。 クイーンの「Jazz」も懐かしさに浸れたがこの「ゼアアンドバック」も丁寧な再現に感動した。ありがとうございますっ。しかし、発売当時LPを持ってた私のようなおっさんはこんな紙ジャケに涙ちょちょ切れてしまうが、当時のジャケットを知らずに初めて見る若者はこの紙ジャケットブームにどう感じているのだろう。そもそも復刻紙ジャケの1番最初のアルバムは何だったんだ?ああっ今日も眠れない(笑)。
2005年02月23日
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先日は西宮球場の事を書き留めたが、西宮球場は日ごと無残な解体工事が進められているようで本当に悲しい。関西にはその西宮と、すでに無くなった大阪球場と日生球場があった。南海巨人連合軍対ニューヨークメッツ。阪神から移籍した江夏の初登板となる巨人とのオープン戦。江夏最後の先発登板となった南海対日本ハム戦。幾度となく行った南海対近鉄戦。広島との日本シリーズはあいにくテレビ観戦になってしまったが、大阪球場はとにかく思い出のある球場だ。外野席ではよくおっさん同士のけんかで血を見た。内野席上段は傾斜が恐ろしくきつく怖かった。阪急戦で加藤英司の打順になると南海応援団から出る「アホ、アホ、アホの加藤」のコールには参った(笑)。南海電車が難波に近づくと見える大阪球場。高島屋の角を曲がると見える、球場までの道が好きだった。今は南海ホークスもなく、球場もなんばパークスというショッピングタウンに姿を変えてしまった。なんばパークスの入り口近くに、大阪球場のホームベースとピッチャーズプレートの位置が確認できる記念プレートがあるという話を聞き、行ける機会を去年の正月に得た。昔の記憶をたどり、この辺ではなかったかと探し回る事30分。歩いている人の大半は知らずに通りすぎていたが、地面にホームベースとプレートがあった!地味この上なしだが、しっかりと南海のマーク付で作ってある。私は携帯のカメラで写真を撮って、しばらくホームベースの位置からバックスクリーン方向の風景を思い出しながらなんばパークスの建物をぼんやり見ていた。 まさかこの半年後に近鉄がオリックスと合併するなどとは夢にも思わず、パークス内の南海ホークスメモリアルギャラリーを訪れた。 問題を起こして解任された野村克也に関係するものは全く触れられておらず、いまだ当時のトラブルが尾を引いていたのには閉口したが、杉浦忠氏のユニフォームを見たら目頭が熱くなってしまった。近畿日本鉄道はバファローズや藤井寺球場の記憶を残してくれるんだろうか。徳川家康が豊臣に関するものをすべて壊してしまったように、オリックスが徹底的に阪急時代の記憶を葬り去ったが、近畿日本鉄道とオリックスの今後の動向には注意を払って見ていきたい。
2005年02月22日
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週末ついにiPodを購入した。ウォークマンが出た時、好きな音楽を持ち出せる事に驚き、CDウォークマンでは、買ったCDをそのまま聴ける事に感動した。MDを持っていない時代遅れのおっちゃんだったが、何曲もいれて持ち歩けるというipodに魅力を感じた。ちょっとは時代に追いつけたか?暇に任せて、itunesに聴きたいCDを次から次へとインポート。Steely Dan、10CC、QUEEN、Led Zeppelin、Earth Wind&Fire等はスタジオアルバムはすべてインポート。Genesisに至ってはスタジオアルバムに加えてボックスセット2セットをインポート。YesやAerosmithのボックスセットもインポートしよう。松原正樹のソロ、パラシュートのリマスターCDもぶっこめ。ええい、松田聖子、河合奈保子も聴くだろう、入れてしまえ(笑)。次から次へとインポートすること2500曲(笑)。しかしびくともせず、まだ半分ぐらい入れれる余裕がある。今までCDウォークマンで持っていくCDを悩んでいたのがうそのようだ。ただ取説が不親切だ。クリックホイールなるものの使い方がわからず悪戦苦闘。一生懸命押してもカーソルが動かない。電源の消し方がわからず、ちょっと触れたらまた曲が始まってしまう。前に本屋でiPod本があったことを見たのを思い出し、本屋で立ち読みしたら、なんてことはない、円をなぞればカーソルが動いていく(汗)。曲をシャッフルできるのがおもしろい。クリムゾンの「太陽と戦慄」のあとはビージーズの「愛はきらめきの中に」。アベレージホワイトバンドの「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」の次にジャパンの「カントン」。山下達郎の「潮騒」が終わったらシンリジーの「ブラックローズ」。これはやみつきになりそうだ(笑)。iPodの導入でちょっとは時代に追いついた気がするが、入れてる曲は古いもんばっかり(笑)。何はともあれアップルさん、ありがとう。
2005年02月21日
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今日はスティーリーダンのウォルターベッカーの55歳の誕生日。おめでとうございます。1月20日にこの日記を始めてから1ヶ月経った。だんだん文章力のなさに、タイトルのスティーリーダンの曲の通り、「What a shame about me」~情けないじゃないかという感を日々痛感している今日この頃。しかし今日まで2700HITを超えて、感謝感激。いままでお越しくださった皆さん。書き込みしてくださった皆さん。日記リンクしてくださった皆さん。日記リンクさせていただいている皆さん。楽天広場以外からわざわざお越しくださった皆さん。携帯電話で見てくださっている皆さん。こんなええ加減なおっさんのつぶやきにお付き合いいただき本当にありがとうございます。日記を毎日書いてると今までの毎日を、適当に浅く広く過ごしてきたことを改めて痛感しております。間違っている事書いてたり等ご指摘ありましたらどうぞお気軽に書き込みしてやってください。これからもどうかよろしくお願いします。
2005年02月20日
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この曲が流れた瞬間、ディスコはJJギャルでフロアは大盛況。キーボードプレイヤーのジョージデュークのイメージを変えたという1982年のアルバム「Dream On」のオープニング曲がこの「Shine On」。こんな曲を自分が演奏するなど想像できなかった。例の先輩がまたまた課題曲として新曲を持ってきた。いやーまいった。チョッパーベース(死語?)ではないか。さらに途中でベースソロまである。聴く分にはかっこいい。ファルセットボーカルに、マイケルセンベロのギターカッティングも心地よい。中間部はバイロンミラーのベースのチョッパーソロに続きキーボード、ギターとどんどん重なっていき、転調してボーカルが加わりエンディングまで盛り上がっていく。もともと音が低いから間違えてもわからんやろという事で始めたベース、弦を引っ張って叩いて音を出すなんて・・・(笑)。とにかく今はなくなってしまった親指のタコができるまで練習しましたがな旦那。ソロに近づいてくると緊張して緊張しすぎてソロがこけてしまう事を何度やったことか・・・(笑)しかし例の先輩のお蔭で、今となってはAORの名盤といわれるようなLPを次から次へバンドの選曲会議に持ってこられた事で耳は肥えたし、ベースの腕を上達させてもらった。参加しているミュージシャンでアルバムを探し求めるような事を始めるきっかけにもなった。いまさらながら先輩には大感謝。私のベース修行はまだまだ続く。
2005年02月19日
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1985年2月から3月にかけて3回目の来日を果たしたTOTO。ちょうど20年前か・・・。2月27日の日本武道館公演に先輩後輩入り乱れて大挙して出かけた。このTOTOの前に行ったライブが84年11月のRUSHで武道館だったので、(このRUSH来日公演はまた別の機会にじっくりと・・・。)3ヶ月ぶりの武道館だった。前年夏にボビー金ボールが脱退、オーディションで選ばれたファーギィ・フレデリクセンが加入してつくられたアルバム「アイソレーション」を前年11月にリリースしての来日。いったいどんなライブになるだろうと期待していた。アリーナのほぼ中央の席で開演を待つ。客電が消え、メンバー登場。1曲目は「カルメン」だった!シンセソロの後にあるジェフの一瞬のソロにワクワクドキドキ。その瞬間、行ったメンバーがみんなシャドードラムで「タカトコトコ タカトコトコ タッ」(笑)へんな1列の集団だったに違いない(爆)。「アイソレーション」の10曲中8曲も演奏した。今となっては絶対聴けない「Endless」「Isolation」「Mr.Friendly」「How Does It Feel」「Change Of Heart」は貴重なものを観れた。そしてジェフのドライブ感たっぷりの「Angel Don't Cry」。最高です。 ファーギィはマイクを落として帰らなかった(プロモの観すぎ・笑)。メンバー紹介には笑った。ルカサーがボーカルをわざと「ボビー金ボール」と紹介。吉本新喜劇のようにメンバーは倒れ込まなかったが、これがファーギィ脱退の遠因だったのか、翌86年の来日はジョゼフ・ウイリアムスに代わっていた(笑)。1枚目からはまた「Georgy Porgy」をやってくれた。ジェフの片手16は最高に気持ちいいがマイクポーカロのPAから出てるベースの音はやっぱり気持ち悪い。「Mama」が聴けたのも嬉しかった。ジェフのハイハットワークが冴える。ライブ全体を通してはなかなかスピード感があっていいライブだった気がするが、ペイチとルカサーの肥満度も留まる事を知らなかった。次回のTOTO体験は1986年10月の代々木オリンピックプールです。お楽しみに。
2005年02月18日
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21年前の今日、NHKホールで浜田省吾のライブを観た。昨日の日記のバンドとは別のバンドで浜省のコピーバンドを約1年続けた絡みでライブに出かけた。正確に言えば、前年の12月13日に千葉県文化会館でも観ているので、この日は2度目の浜省体験になる。21年前の今日、東京は大雪だった。もともと雪にはほとんど縁のない暮らしをしていたので、雪には全く慣れていなかった。ライブ前に表参道で時間をつぶして、さあそろそろ行くかとNHKホールめざして表参道を歩いていた。ラフォーレ原宿のある神宮前交差点で事件は起こった。雪道に慣れていない私は芸術的な導線を描いてすってんころりん。尻を強打し、ジーパンはボトボト。信号待ちしていた人々には笑顔の輪が広がった。一緒にライブに行く連れは他人のフリ。 君の尻に悲しみが 雪のように積もる夜には 心の底から 誰かを恨むことも出来ないはず・・・失礼しました。NHKホールについても尻が痛い。ジーパンは濡れたまま。手には擦り傷を負っていた。しかし目の前の浜省はそんな私の事情を知るわけもなく、パワー全開でごきげんなナンバーを熱唱していた・・・(笑)。そんなことがあった日からもう21年の月日が経った。雪が積もると今でもあの日の屈辱が頭に浮かび、スターウォーズのC3POのような格好で歩くおっさんは私。浜田省吾は「On The Road」「明日なき世代」「路地裏の少年」、「東京」「終りなき疾走」「ラストショー」、「パーキングメーターに気をつけろ!」などをバンドで演奏した。さして浜省に思い入れがあるわけではないが、今コピーしてた楽曲を聴くと妙に懐かしい。ライブアルバム「On The Road」で聴いてコピーしてた「終りなき疾走」や「東京」のギターソロがなんかルカサーっぽいなと思っていたら、アルバム「Home Bound」でやはりスティーブルカサー本人が弾いていた。あの頃から比べると浜省はビッグになって「足元にビッグマネー叩きつけられる」側になってしまった・・・かな?
2005年02月17日
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イエスの「ドラマ」、クイーンの「ホットスペース」、レッドツェッペリンの「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」。そしてこの曲が収められているアースの「フェイセス」。私は1つのバンドのディスコグラフィーやアルバム紹介の中で必ず異色作、問題作、失敗作と呼ばれるアルバムが1枚はあり、そのアルバムがなぜか好きだ。別にへそ曲がりではなく、先のような呼ばれ方をするアルバムは特にそのバンドの力の結晶、意欲作と思えるので、聴いててパワーを感じる。アースの「バック・オン・ザ・ロード」。この曲は私が尊敬する坂本龍馬と同じ18歳で志を持って(?)上京、とある学校のとある音楽サークルに加入し、本格的にバンド活動を開始した頃のとっかかりの1曲だ。アースの中でも特に好きな曲でもあるし、思い出の曲でもある。TOTOフリークの先輩がバンドの課題曲として選曲したのがこの曲。発売当時はこの曲のギターソロをスティーブルカサーが弾いてるとは気づいていなかった。改めて聴くとルカサー以外の何者でもないソロ。ギターのアル・マッケイ先生とモーリスホワイト師匠の共作でアルとモーリスの確執の原因にこの曲があったらしい。インタビューでアル先生はこの曲について、「フェイセス」からの2枚目のシングルの予定曲になっていたのを却下されたのと、ギターソロを自分のものからルカサーのものに差し替えられた事を告白している。私はアル先生もルカサーも好きなので比較できないが、アル先生バージョンのギターソロも聴いてみたい気もする。ヴァーディンホワイトにしたら地味なベースだなあと思いながら、ツーカーの宣伝ではないが「簡単じゃないかぁ」とたかをくくってたら大間違い。ファンキーなノリが出ない・・・。スタッカートの強弱をつけて試行錯誤しながら一応は完成したが、当時のライブ録音を聴くと私のベースのなんとも平坦なノリに落胆。極端にいうと「ダッッ ダッッ ダ ダッッ」となるべきところ、「ダン ダン ダダン」となっている(わかりにくい・・・)。もう一度やらせてくれ~!I hope someday you understandMusic gives my heart,A thrill 詩もすばらしいじゃあ~りませんか!こんな隠れた名曲が何曲もある「フェイセス」。やはり名盤だ。
2005年02月16日
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日曜日に東京国際マラソンをテレビ観戦していた。中学生の時、陸上部で長距離を走っていた事もあり、マラソン中継は昔からよく観ている。ずっと走ってる姿を2時間見て何が楽しいのかと問われてもなんと答えてよいのかわからないがゴールした時の爽快感、達成感を思い出しながら、テレビの前で2時間、一緒に走っている感覚で観てるのか、ゴールの瞬間どっと疲れているおっさんは私。結果は日本記録保持者の高岡寿成が初優勝。新聞によると身長186センチ、体重64キロらしい。長身のランナーらしい力強いストライド走法で東京のきつい上り坂を登りきった。そんなテレビ中継でテーマソングとしてだろうか、エイジアの「ヒート・オブ・ザ・モーメント」がかかっていた。リリースされた82年当時よく聞いてた記憶があったがアルバムを持ってなかった。当時はまだプログレって何という小僧だったので、メンバーの豪華さにも気づかなかった。そういえばエイジアのCDも持っていなかったと思った私、近所の中古盤屋へ立ち寄ったら運よく2001年に出た紙ジャケを発見!お買い得価格でファーストアルバムを購入できた。 改めて聴き直すと、A面の懐かしい事。よく聴いてた曲の連続。まさに時へのロマン(笑)4分のプログレとはよくいったものだ。素晴らしいメンバーが力を合わせて作った、素晴らしいアルバムだった事を再認識。そしたらイエスの「Machine Messiah」が無性に聴きたくなった(笑)。アルバム「DRAMA」が好きな私は失格でしょうか。ともあれ東京国際マラソンが私にエイジアをプッシュしたという不思議なお話。
2005年02月15日
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今朝、今話題のニッポン放送(笑)を聞いていたら韓国の主婦に電話をつないで韓国のバレンタインデーについてあれこれと聞いていた。韓国にもバレンタインデーが日本と同じように行事化しており贈り物を贈る日になっているとの事。驚いてしまったのは、韓国の主婦が直接話していたので嘘ではないと思うがイベント会社に頼んで、自分が主役のビデオを製作し愛の告白をしたものをDVDにして愛する人に送るのがはやっている(?)らしい。日本でも結婚式なんかで「自分たちの出会いから今日まで」のようなビデオを作って披露宴で見せるカップルもいる。これもちょっと見たら気はずかしさこの上なしだが、韓国ではやりのこのDVD、自分が好意を寄せている人からDVDをもらうならこんな嬉しいことはない永久保存盤になるが、なんとも思っていない、あるいは嫌いな人(笑)からもらってしまったらどんな感じなんだろうか。ピーターゲイブリエルの「スレッジハンマー」のように楽しめればよいが(?)生々しくアップで愛を告白されたら・・・想像すると恐ろしい(苦笑)。一度どんなものなのか、ちと怖いが実際に作られたものを観てみたいものだ。日本でもチョコレートの年間の4分の1の消費量があるバレンタインデー、ホワイトデーや最近の節分の太巻とならんで企業の売上に大きく貢献している1日が今年もやってきた。こんなDVD製作も話題の韓流ブームにのって日本でもブレイクしたらどうなることか・・・。
2005年02月14日
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といっても池畑慎之介の事ではなく(この出だしばっかり・・・)今日13日は敬愛するピーターゲイブリエルの誕生日だ。1950年生まれだからもう55歳か・・・。ちなみに今日は矢野顕子の誕生日でもある。天才の生まれる日なのだろうか、と思ったらナンチャン南原の誕生日でもある(苦笑)。私の大好きなジェネシスのボーカリストでもあるが、脱退してからの活動の方がすっかり長くなってしまった。カーアルバムからメルトアルバムまでのはやはり素晴らしい。2002年に出たリマスター、紙ジャケシリーズはうれしくて一気に買い揃えてしまった。「カー」から「メルト」までの初期3枚はやはり素晴らしい。先日リリースされたビデオクリップ集「PLAY THE VIDEOS」を見て、やっぱりただものではないと思った。25年にわたる彼のビデオクリップを集めたDVDだが音楽も映像もワンアンドオンリー、彼にしかなし得ない魅力にあふれている。有名な「スレッジハンマー」のビデオクリップは19年経った現在観ても恐ろしい凝りっぷりだ。 2003年の「GROWING UP LIVE」も凄かった。ステージのセットの天井にあるレールに逆さに取り付けた自転車にまたがって逆立ちならぬ逆自転車で脳天に血が昇りながら1曲歌ったり、巨大な透明のボールの中に入ってステージ上を転げまわって1曲、自転車こいで円形ステージをサイクリングしながら1曲、前出の「スレッジハンマー」の際はビデオクリップのように電気装飾男になって発光しながら1曲と前回の「シークレットツアーライブ」を完全に凌駕している。このライブDVDを観たとき、最初から最後までテレビの前から動けなくなるぐらい魅入ってしまった。 これからも私を、私達を驚かせ続けていってほしい。「ジェネシス復活、ニューアルバムを製作してワールドツアーへ」とかいう驚かせ方なら私は失神してしまうが・・・。とにかくピーターガブリエル様、お誕生日おめでとうございます。
2005年02月13日
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といってもウォシュレットを体験して気持ちよかったのではなく(笑)、サッカーくじの方でもなく、来月からリマスター盤が発売されるのがめっちゃ楽しみなロックバンドの方のTOTO。過去一番行ってるライブ会場なら武道館だが過去一番行ってるアーティストはTOTOで11回。サイモンフィリップスを見る回数のほうが愛するジェフポーカロを見た回数より上回ってしまったのが残念だが、初めて行ったのは1982年の2回目の来日時だった。 (82年来日公演パンフレット)1982年5月11日の大阪府立体育館、3900円だった。安い!この年のツアーはNHKのヤングミュージックショーでも放送されたのでファンにはおなじみのツアーだ。1980年の初来日公演を見ることができなかったのが返す返すも悔やんでも悔やみきれない。80年のツアーライブ盤はリリース直前で中止になったが1部FMラジオでオンエアされたりしたので聴くとますます悔しくなる。「GEORGY PORGY」のジェフのドラムのかっこよさ。「ALL US BOYS」のドライブ感。当時は未発表だった「TALE OF A MAN」等見どころ聴きどころ満載だった・・・。なによりベースがハンゲイトだった!ああ悔し・・・。ちなみにマイクポーカロのベースはスタジオやライブのライン録りで聴くと違和感ないのに会場のPAから出てくる音は中音域が強調されていて気持ち悪い。1982年はグラミー賞受賞もあり、乗りに乗っていたTOTO。府立体育館のスタンド席で少々舞台まで遠い。オープニングの「GIRL GOODBYE」のイントロが流れて私はもうドキドキ。歌が始まるとむむっ?、誰かへたくそなおっさんがでかい声でボビーにあわせて歌ってる?と思ってたらボビー本人の声だった(苦笑)。ちなみにボビーのフラットする歌声は「AFRICA」で全開し、「ROSANNA」で頂点に達した。この頃のボビーはいったいどうしたのだろう。長靴はいて魚屋のおっさんのようないでたちだったし(爆)。ボビーの歌声はさておき、「GIRL GOODBYE」に始まり「CHILD'S ANTHEM」「I'LL SUPPLY THE LOVE」と続く展開に私は狂わんばかりの興奮状態。やっぱりジェフのドラムは最高だ!といっても当時聴き分ける耳は持ってなかったが・・・。「GEORGY PORGY」は前回の80年とは少々アレンジが変わっていた。ヤングミュージックショーの武道館公演ではエンディングでジェフがスティックを落とすというハプニングが起きていたが、ジェフの片手16や「タチーチーチー」フレーズの連発、ダブルキックの応酬を映像で観るとあの日の興奮がよみがえる。この曲はこの頃のアレンジが最高だ。考えてみたら生でみた府立体育館よりもヤングミュージックショーの武道館の方が繰り返し見てるので印象深いのに気づいた(苦笑)。ヤングミュージックショーでは「GOOD FOR YOU」のイントロでペイチがミストーン。「AFRICA」でもペイチの声がひっくり返る。スタジオでの綿密さと比べて意外に荒っぽい演奏のメンバー。お別れの挨拶が誰が教えたのか「コンバンワ、グッドナイト!」・・・。いかんいかん、ライブレポートかビデオ批評かわからなくなってきた(笑)。そういえば、横のおっさんがおにぎりをうまそうに2、3個食うたと思ったらなんと煙草まで吸いだす始末。場内禁煙でございます(怒)ライブの内容より横に座っていたおっさんの事の方が印象に残っている(激怒)。それでも大好きな「GOODBYE ELENORE」や「ENGLISH EYES」が観れて、「聖なる剣」も天井から登場(笑)し最後の「RUNAWAY」まで私は初の生ジェフポーカロ様体験に満足して帰路についた。次回は1985年2月の武道館公演。お楽しみに。って誰もこんなレポートだと楽しみにできませんね・・・。追記去る8日にドゥービーブラザーズのドラマー、キース・ヌードセン氏がお亡くなりになりました。56歳という若さ・・・。心よりご冥福をお祈りします。
2005年02月12日
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いつまでも過去のことを振り返るのもどうかと思うが私はやっぱり近鉄バファローズというチームが忘れられない。昨日「大阪近鉄バファローズ 伝説の野武士軍団」というDVD付の本が発売された。最終戦メンバーのサイン入り球団旗がついていた。60分のDVDは中村の涙であっけなく終わってしまう。時間の制約があるにせよ、もう少しうまく編集できたのではとも思ったが貴重な映像、特に西本監督の胴上げシーンには胸が熱くなった。本の中にファンが選ぶ名勝負50という特集があった。11位の1978年9月23日藤井寺球場の阪急戦。この試合、私は友人とともに1塁側内野スタンドにいた。勝てば後期優勝という大事な最終戦だった。近鉄鈴木啓示、阪急山田久志のエース対決。マルカーノの一発で万事休す。阪急に前後期優勝を許した。優勝をするかもしれないという試合にもかかわらず当日行って入場券が買えたのも近鉄らしいが藤井寺が満員になった事が翌日の新聞記事になるのも近鉄。勝てると思ったら負ける、負けると思ったら勝つのも近鉄。タイムマシンがあるなら、藤井寺で試合を観ている私に「27年後は阪急ブレーブスも近鉄バファローズもないんやで」と教えてやったら驚くだろうなあ・・・(悲)。
2005年02月11日
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邦題「呪われた夜」(笑)クイーンとともにイーグルスも数曲レパートリーに加わっていた当時のバンド。「この曲コピーしといて」とバンマスに渡されたテープに入っていたのがこの曲。いきなりおどろおどろしい。まさに「呪われた夜」(笑)。よく聴くとイントロはベースがえらい目立っているではないか。初心者の私はいやな汗が流れるのを感じた(爆)。ベースはランディマイズナー。昨年胸の痛みを訴えて入院したというニュースがあったがその後大丈夫なのだろうか。同じアルバムに私の大好きな「Take It To The Limit」が入ってるがこれは歌も含めて彼の作品だった。有名な「ホテルカリフォルニア」のベースラインはバンドでは遊びでしかやらなかったがコピーしていたなあ。それにしてもこの曲のネバっこいベースラインはいい勉強になった。空ピック、休符にこそ味があることを後で知ったが当時はドラマーとともに我々リズム隊はこの曲のはねたリズムのファンキーな感じを出せてなかった。メリハリの利いてないダラ~りダサダサな演奏だったに違いない。この日記を書くに当たってリマスター盤を改めて聴いてみたらベースとドラムの輪郭がはっきりしてて、耳コピーできてなかったフレーズがあって赤面してしまった。当時のバンドでは、イーグルスはこの曲の他にも「I Can't Tell Me Why」と「Desperado」もコピーした。クイーン、イーグルスにジャーニー、フォリナー等の曲に、高中正義の曲が加わるという支離滅裂なバンドだった(笑)。 ちなみに昨日はなにやらサッカーの重要な試合があったようでまったくサッカーに疎い野球好きのおっさんはサッカーのことを書けないのが悔しい(苦笑)。
2005年02月10日
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さっそくながら、私がバンドでスタジオに入り初めて練習した時の1曲がこれだった。いきなりシャッフルやん!てな感じだが、ほぼルート音ベースなのでとりあえずコピーはできた。しかしながらなかなかノリ、グルーブが出ない。適当なスタッカートで弾くと阿波踊りになる(笑)。「踊るアホウに見るアホウ」だ(爆)。同じアホなら弾かなきゃそんそん?シャッフルはベースのノリ、1音1音の響かせ次第でその曲のグルーブの色合いを決める。いまだに苦手だ。クイーンで初めて聴いた曲は「バイシクルレース」だった。まずフレディの特徴的な声に引き寄せられたが、ジョンディーコンのベースラインが印象的な曲だ。ジョンは高音部を効果的に使ったベースラインが素晴らしい。高校のクイーン好きが集まってスタジオに入った。とりあえずなんとか曲になったかのう、というセッションだった。この曲を手始めに数曲クイーンの曲をコピーすることになった。「Spread Your Wings」「Don't Stop Me Now」「Crazy Little Things Called Love」「We Will Rock You」(Fast)など。これらの曲はまたの機会に。追記:何事も中途半端なおっさんです。 難しい音楽の専門知識を備えておりませんので 今後とも非常に感覚的な書き方にて、皆様には ご満足いく内容でないかもしれませぬが 何卒ご容赦くださいまし。
2005年02月09日
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私はベースギターを演奏する(していた・・・)。弦がギターより少ないし、たくさん押さえなくても弾けるから簡単だろう、ギタリストと比べてやる人も少ないからバンドを組みやすい、低い音だから目立たなくていいだろう・・・・などなどの理由でベースを手に入れた。しかし大きな間違いだった。ベースはルート音を弾くだけでも強弱や音符の長さで相当表情が変わる。バンドでスタジオに入って演奏すると、間違えたり、弾くのを止めるとアンサンブルが壊れる。まさにベースは音楽のベース(土台)を支える楽器だった。奥深くてこんなに難しい、しかしこんなに楽しい楽器はないと思う。ドラマーとのコンビネーションがぴったり決まってベースとドラムが一つの楽器になったような瞬間は何物にも代え難い「チョー気持いい」ひととき(笑)だ。最近ほとんどプレイヤーではなくリスナーになってしまったが昔バンドでコピーした曲を日記に書いて、(過去の恥を晒すことになるが)あらためて振り返ってみるのもおもしろいかと思う。↓愛器フェンダージャズベース
2005年02月08日
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誕生日特集は続く(笑)今日7日は阿久悠氏の誕生日だ。日本人で彼の作った歌詞を知らない人はいないと思う。聞けば作詞曲は5000曲以上。松本隆と並ぶ希代のヒットメーカー。都倉俊一との山本リンダ、ピンクレディーのヒット曲「どうにもとまらない」「狙いうち」「ペッパー警部」「UFO」・・・。希代のメロディメーカー筒美京平との岩崎宏美の曲「ロマンス」「センチメンタル」「ファンタジー」・・・。特徴的な吉田拓郎節に驚愕の詩をつけた石野真子の曲「狼なんか怖くない」「わたしの首領」。大野克夫とのイカした沢田研二の曲「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「カサブランカダンディ」・・・。挙げるときりがないバラエティあふれる作品の数々。「ウララ ウララ」「クック クック」とか「リンリンリリン リンリリリリン」とか「ズンズンズンズンピンポンパポン」とか「フニフニフニフニ」とか「アアアア ああ渚のシンドバッド」とかカタカナフレーズが出てくる曲も多いのも魔術師ならでは。「ジョニーへの伝言」「五番街のマリーへ」「また逢う日まで」「ブルースカイブルー」「もしもピアノが弾けたなら」「時のすぎゆくままに」「時代おくれ」「三都物語」などの名曲、名「詞」は時代を超えて受け継がれていくだろう。「雨の慕情」や「津軽海峡・冬景色」も阿久悠作品だ。噂によるとカラオケの印税で仕事しなくても暮らしには困らないらしいが、これからも時代を超える名フレーズ、言葉の世界をくり広げていってほしいと思う。阿久悠さん、お誕生日おめでとうございます。
2005年02月07日
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今日はフランソワ・トリュフォーの誕生日らしい。トリュフォーに対する特別の思い入れはないが(失礼)トリュフォーの名前を聞くとゴダールやらタルコフスキーやらそれまで見た事もないような映画を毎週見てた学生時代を思い出す。友人がその授業を選択するというのに誘われて蓮實重彦先生の映画表現論という講義を1年間受講した。授業に出てみてびっくり。毎週見る映画を指定され、その映画について話し、レポートの提出を求められる。とにかく映画の見方を根底から変えさせられるおもしろい講義だった。授業に出る中で本「定本映画術~ヒッチコック・トリュフォー」も買って勉強。今は押入れの奥に眠ってるが・・・(笑)ヒッチコックの「ハリーの災難」は面白かった。ふだんほとんど授業に出なかったふざけた学生だったが映画表現論は珍しくきちんと1年間出席した講義だった。懐かしい。今でも強烈な印象が残っているタルコフスキーの「ノスタルジア」が見たくなってきた。
2005年02月06日
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9年前の今日は日本武道館へPAGE&PLANTを見に行った日だ。LED ZEPPELINは昔から大好きで、フィルムコンサート(懐)へ行ったことも思い出す。しかし「DAZED AND CONFUZED」で居眠りしてしまった・・・(笑)ボンゾが亡くなった時は本当にショックだった。少し前に出たDVDを観てもボンゾの存在感の大きさにあらためて圧倒された。ボンゾ、ジェフ、コージー。好きなドラマーの早すぎる死が本当に悔しい。ジミーペイジはカバーデイル&ペイジで(1993年)、ロバートプラントはソロで(1984年)見たことがあるが、この2人が再び同じステージに立ってツアーをするなんて、なおかつ日本に来るなんて信じられなかった。9年前の今日は日本公演の初日。武道館は私のようなおっさんで溢れかえっていた。ついに感動の瞬間が訪れた。なんと1曲目は私の大好きな「The Wanton Song」だった!もう血管が切れるかと思うほどの感動の嵐。「Bring It On Home」「Heartbreaker」「Ramble On」とZEPの曲のオンパレードに私は気絶寸前(苦笑)「The Song Remains The Same」で私の興奮はピークに達した。バンドでコピーしたこともあるこの曲を、本人たちの生演奏で観ることのできた感動と、自分たちでなかなかうまくノリが出せなかった苦い思い出が脳裏を駆け巡り涙ぐむおっさんは私。圧巻は「Kashmir」。日本のオーケストラとの演奏は素晴らしかった。アンコールが「Black Dog」に「Rock And Roll」という恐ろしさ。いやあほんまにおっさんは参りました。生きててよかった(笑)。もしドラムがボンゾだったら完全に気を失っていただろう。しかしもっと参ったのは後日雑誌に載った日本公演のセットリスト。2日目以降に「In The Evening」や「Thank You」、「Celebration Day」「Custard Pie」、挙句のはてに大阪では「Ten Years Gone」まで・・・!日替わりでセットリストが全然違う。これは悔しかった。98年のエアロスミスはこの逆で横浜アリーナで他の日にやらなかった曲の連発に得をしたが、毎日セットリストをいじくるのは殺生でっせ、お二人さん。まあ欲をいえばきりがないのだが、あの興奮の日からもう丸9年経ってその後2人のステージがないことを考えるとあの日のステージはすでに伝説になっているような気がする。
2005年02月05日
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昨日、藤井寺球場に別れを告げた事を書いたがその前日の10月9日に西宮球場にもお別れしてきた。西宮球場は私が初めてプロ野球の試合を観た思い出の地。1974年5月26日の阪急対ロッテのダブルヘッダーだった。この年は前期阪急、後期ロッテが優勝、プレーオフでロッテが勝ち、シリーズで中日も破り日本一になっているので、いい試合を観に行っていたことになる。例によってよく覚えていないが(笑)金やんがコーチャーズボックスでパフォーマンスしてたのは覚えている。クイーンの1982年の大阪公演(兵庫公演ではなかった・・・)が行われたのもこの西宮球場。私は寒い寒い1塁側内野席でこのライブを見ていた。この日の事はまた改めて・・・。そんなこんなで西宮球場が取り壊されるというニュースを聞き、藤井寺とともにどうしても最後に見ておきたかったのが西宮球場だった。西宮球場の周りは解体の準備が着々と進められている感じで中には入れなかった。球場をよく見れるとこがないかと見渡すと線路を越えたところにビルがあった。ビルの4階だったか公共施設があり、事務をしていた方にお許しいただき、写真を撮らせてもらった。あれから4ヶ月経っているので今解体されていたりしたらこの写真も貴重な記録になる。 日生球場、大阪球場がなくなり西宮に藤井寺もなくなる。昔の思い出を壊されるようで悲しく寂しい。大阪球場はまた別の機会に触れたいと思うが、地味ながら球場があった事をきちんと残してくれている。↓ 西宮も藤井寺もなにか夢の跡を残してほしいと願う。先日日記にも書いた中村紀洋の移籍先が決まったようだ。ロサンゼルスドジャースとのこと。近鉄が提携していた先でもあったので中村もやりやすいだろう。とにかくメジャーの夢の舞台めざして近鉄最後の侍には頑張ってもらいたい。メジャーをいてまえ中村!
2005年02月04日
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といっても柏原芳恵の歌ではない(笑)。「I don't know why you say goodbye,I say Hello」と歌うビートルズの「Hello Goodbye」である。昨日トップページになんとか写真を貼り付ける事ができた。今週で閉鎖してしまった藤井寺球場の貴重な写真だ。去年の10月10日、私は大阪にいた。近鉄バファローズのグッズショップ「ショップバフィ」でバファローズグッズの最終売り尽くしセールが始まる日だ。全品半額、限定100人に3000円の福袋もあるらしい。大阪ドームに隣接した場所にあるショップバフィに開店30分前に行った私はわが目を疑った。店のまわりに人、人、人。今まで、いつどんなときもゆったりと買い物ができた、あのショップバフィに人だかりができている・・・(苦笑)店が開店時間を繰り上げて開店いたところだった。店内は押すな押すなの人の波。陳列棚まで行くことすらできない。へたなバーゲンセールの比ではないほどのパニック状態。レプリカユニフォームなどは奪い合いになっている。私はシャツの色が変わるほどの汗をかいて結局ほしいグッズにありつくこともできなかった。それでも記念にとTシャツとキャップ(帽子)を買ったが、レジまで会計に並ぶこと30分。店を出たときは疲れ切って放心状態だった。普段からこんなに賑わってくれてたら・・・と思う。後で聞くと福袋に前日から行列ができていたらしく、転売目的の業者が依頼したアルバイトもいたとのこと(怒)福袋には選手が使用した激レア品もあったらしい。くっそー。へとへとになった私だったが、もうひとつ目的があった。閉鎖が決まっていた本拠地藤井寺球場を最後に見ておく事。天王寺から近鉄南大阪線に乗って藤井寺駅下車。球場の中には入れないだろうなあと思いながら球場に着くと人が出入りしているではないか!全く知らなかったが、ナインが秋季練習をしており見学自由だった。熱心なファンが結構詰め掛けて練習を眺めている。1塁側ベンチ上に人だかり。ここでも半額セールか?(笑)よく見ると梨田監督が並んでいるファンにサインしている!私はベンチ上に向かって駆け出し、列に並んだ。朝買った球団キャップを取り出したが書くペンがない・・・。困った私の様子にペンを貸してくれたやさしい人がいた。監督は長蛇の列にも嫌な顔せずサインをしてくれた。朝へとへとになってゲットした帽子は宝物になった。練習が終わり、最後の藤井寺への別れを惜しみながら球場から出ると、選手駐車場のところでまた人だかり。着替えて帰ろうとする選手達にサインをもらっている。こんな選手とファンの距離の近さがパリーグ、近鉄、藤井寺のよさだった。岩隈選手は時間がなくて数人にサインをして帰ってしまったので貰えなかったが、大ベテラン吉田豊彦選手にサインをもらえて少し話もできた。長々と書き連ねてしまったが、ページトップの写真はこのようなおっさんの長~い1日の記念の2枚。「僕達はこれからだというのに貴方がなんでさよならするのかわからない」・・・。グッバイ近鉄、ハロー楽天。
2005年02月03日
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私はザ・クラッシュのライブに行ったことがある。クラッシュといってもライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュギャルズではない(爆)。イギリスのロックバンドのクラッシュである。ちょうど23年前の今日2月2日、大阪フェスティバルホール。クラッシュはパンクバンドというジャンルでくくられる事が多いが私はロックンロールバンドだと思う。当時「ロンドンコーリング」のアルバムのポップさが気に入って、観にいってしまった。大阪のパンクスたちで埋まる会場は異様な雰囲気だった。場違いなところにきてしもた・・・。開演前の前説のおっさんが出てきた。「自分の席を絶対離れないでください」「踊られるならご自分の席で」「座席の上で立ち上がって踊らないでください」そんな内容だったと思うが必要以上に念を入れてお願いするおっさんが印象的だった(笑)ライブ自体の内容は四半世紀近く経っているのでよく覚えていないが(こればっかり、お前はなにしにライブに行っとんじゃ・・・)「ロンドンコーリング」を演ってくれた。ポールシムノンがストラップを思い切り伸ばした低~い位置で弾くベースがかっこよかった。聴衆の盛り上がりぶりはさすがにすごかったがおっさんが危惧するほど聴衆の暴走はなかった。それにしても今から思えば貴重な経験だった。リーダーのジョーストラマーが2002年12月に心臓麻痺で亡くなった。享年50歳。若い・・・。冥福をお祈りします。話題は変わってプロ野球。各球団のキャンプがスタートした。楽天イーグルスの宮古島はすごい盛り上がりをみせているようす。元近鉄の選手達はこんなに注目されたことがないのでとまどってるだろうなあ・・・。なんとかこの注目度の高さをペナントレース開幕後も落とさないようにがんばってほしい。
2005年02月02日
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J-WAVEで22時からやってる「OH MY RADIO」。最近忙しくて聞く暇がなかったが、昨日久々に聞いたら月曜担当奥田民生氏が変な曲をオープニングにかけていた。その名も「ねぇねぇ ももこ」・・・。Nick & The Familyというスウェーデンのバンドらしい。スウェーデン直輸入なので街のCDショップでは売っていないとのこと。ふた昔前のリズムボックスのようなちゃちいバッキングに日本語で歌っている。これはダサダサだ(笑)。曲紹介の部分はよく聞いてなかったのでなんかよくわからないのだが曲がかかった瞬間のなんともいえない曲調に聴き入ってしまった・・・。明日の番組担当ウルフルズのトータス松本氏も気に入ってこの曲をかけてるらしいので明日も聞いてみるか(苦笑)クイーンの「手をとりあって」やポリスの「ドゥドゥドゥ デ ダ ダ ダ」、シカゴの「クエスチョンズ67/68」とかナットキングコールの「ラブ」、最近ではベンフォールズファイブの「金返せ」など、ミュージシャンが日本語で歌った名曲は数々あれど、この「ねぇねぇ ももこ」はどうしょうもなくダサダサだ(爆)どうしよう、まかり間違って日本でヒットなどしてしまったら・・・。いやあまったくもって困った困った・・・(笑)
2005年02月01日
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