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以前から気になっていたケーキ屋さんで、くつろいで来ました。ジーベンのイチゴのミルフィーユモンブラン娘たちのタイ行きの件では、極度の心配性の私のために、アドバイスや御意見をいただきありがとうございます。遂に娘たちは昨日の6:15pm発のJALでバンコクへ飛び立っていきました。1回目:関空へ向かうリムジンバスの中から2回目:空港のゲートを出る前3回目:旅客機に乗り込む直前3度ほど長女が連絡をくれました。『心配しなくても大丈夫だからね。着いたらすぐに連絡するよ。』と飛び立つ間際まで言っていました。一方、二女は無愛想~ そして、今朝3:30am に『宿へ無事着いたよ~』というメールが届きました。はぁ~っ、ひと安心です・・・。実は夕方に関空発の便だったので、バンコク到着が深夜ということで、それが私の一番の心配だったのです。ネットで調べれば調べるほど、タイのタクシーは評判が悪かったから気がかりで仕方ありませんでした。「運賃をボッタクられてもいいから、変なところへは連れて行かないで~」と念じていました。 そして今朝の11時過ぎ頃にバンコク到着後第2弾のメールが届きました。『タイ人は何を言ってるのか、さっぱりわかりません。。。でも店の人なんか時々笑顔をふりまいてくれるのがうれしいよ。』と書いてありました。 今朝はバンコクから離れたアユタヤ遺跡に行く予定だったのを延期して、1日バンコクを歩いてみるとも書いてありました。 私自身も少しずつ気持ちが落ち着いてきました。これからも連絡を取り合いながら、帰国を待ちたいと思います。
2008.02.27
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明後日から娘二人がタイ旅行へ出発する。1ヶ月半ほど前に二女から『タイへ行っていい?』と電話をもらった時、私は開口一番『ママも行きたい』と言った。二女から返ってきた答えは『一応二人旅ですので。』という言葉だった。頭っから『アンタは駄目!』と釘を刺された感じだ。これまで私は娘たちとは3人姉妹の感覚でいたのに、仲間はずれ?姉妹二人だけでバックパッカーするつもりだったのだ。なるほど・・・私にバックパッカーは無理だわ。それにしても、二女は初海外だ・・・。せっかくなら、ちゃんとしたホテルへ泊めてやりたかった。しかし、泊まるのはバックパッカーの聖地カオサンのゲストハウス。一見安全そうでめちゃくちゃ面白い所だが、本当はめちゃくちゃ危険だとか・・・日本からは予約出来ないらしく、行った先で宿泊先を決めるらしい。そんなぁ~~~~~~二人の帰国まで10日間は生きた心地がしない。『どうか無事に帰ってきて!』と祈るばかりだ。食べたことないけど、今夜はトムヤンクンを作ってみた。・・・っていうかトムヤンクンの素を使ったんだけど。パクチーがないので、水菜を乗せてみた・・・なかなか旨い!異国の味だ。それから、カンボジアとベトナムへも行くらしい。それって、どうなのだろう?
2008.02.24
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お久しぶりです。年末から年始にかけて、バタバタと色々ありました。長女が3月に無事卒業することになりました。(歯痛でひん曲がっていた顔も真直ぐに戻りました^^;)4月からはやっと社会人です。長女とは久々に家で一緒に暮らすことになります。お弁当作り…再開できるかなあ・・・。---------------------------------------------------------------------------2月17日に甥の三回忌がありました。 尾崎豊が大好きだったJUNが亡くなったのは今から2年前です。友人とバンドを組んで、路上ライブや町内祭り、学校の文化祭などで歌っていました。進学先の高校も決まり、卒業を目前にした2月のある寒い夜、尾崎と同じ肺水腫で誰に別れを告げることも無く、たった1人15歳の若さで逝ってしまいました。バンドの3人のうちの1人はまだミュージシャンを目指して路上で歌っているそうです。『JUNがいなかったら、僕はギターに出会えてなかったんです。』高校2年生の彼は今もJUNの命日、誕生日などの節目に1人で やってきて、JUNの母に在りし日の彼の話をしてくれるそうです。 三回忌では亡きJUNの兄と私の娘達でトリオを組んで歌いました。この歌声・・・JUNにも届いたかなあ・・・。
2008.02.20
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