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ブログをやっているとちょいとしたメリットがある。色々な人のブログを読むという楽しみはもちろんだが山に行く際に「去年の今頃って寒かったっけ?」だとか「いつ頃が開花時期だったっけ?」と分かることも便利だ。また、いつか自分が死んだ時の遺言っていうか「あの人こんなこと考えてたんだ」だとか「こんな写真撮ってたんだ」だとか家族向けというのもある。最近は多忙だが雑誌に掲載するエピソードが少ない。まさか「今日も犬と夕焼けを見ながら散歩した」とは書けない。そんな時は過去のブログに書いたものを改訂したりして編集部に指定された文字数まで加筆して毎月月末締め切り、20日発売の雑誌エッセイにしている。今月発売されたやつも去年ブログに書いたものを編集部の担当者さんにメールで送ったのだが「あと50文字ぐらい加えて下さい」てな感じで書き直した。ここの読者さんは1度読んだことがあると思うが改訂版を。 ⇒【今どきの中年男性】
2013年01月31日
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娘の結婚式当日、実はちょっとした失態をしでかした。我々親族はホテルの十数階にある控え室にいたのだが室内は優雅にビバルディあたりのクラッシックが流れていた。しかし、式が始まるまではヒマなのである。デカい控え室内を物色していると有線BGM用の機械を見つけた。僕は自分の店にも有線放送を流していたのでどのチャンネルが何の音楽を流しているのか知っている。B12のクラッシックのチャンネルをひねって替えた。B18はブルース、B19はロック、B23はビートルズ。色々チャンネルを替えながら「お、ジャニス!」だとか「へルター・スケルター!」なんぞと喜びながらどうせ家族しかいねえんだから、とボリュームも上げる。結婚式場にはクラッシックが似合うがココは控え室だ。高級ホテルだから隣りの控え室との防音も完璧だろう。ということで大きな音で自分達だけの空間を楽しんでいた。コンコン...。ドアがノックされた。ホテルのフロア担当者と名乗る男性が入って来て「誠にすみませんがこのBGMは最初から流れておりましたか?」「いや、僕が替えたんですけど...」「あの、BGMは隣りの部屋と共通になっておりましてですね...」フロア担当者は慌てて有線のチャンネルを戻し出て行った。ああ、また『チャンネル操作』の失態をしてしまった。以前は【機内ビジネスクラスでの失態】をしでかしたのだが今回はまさかの高級ホテルでのチャンネル操作の失態かあ。(笑)
2013年01月29日
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名古屋のマリオットホテルで娘が結婚式を挙げた。控え室で最後の家族写真。いよいよチャペルへ。映画のシーンのように写真を撮ってあげたいと思い後ろからローアングルで撮影。チャペルに入る直前に式場の人とミーティング。閉ざされた扉の前に立ち、係の人が背中をそっと押す。「いってらっしゃい」うむ、なかなかいい言葉だ。未来へのドアが開き、父娘でバージンロードを歩き新郎のもとへ。娘を新郎に渡す直前、僕は娘を引き止めて抱きしめた。娘が耳元で「お父さん、ありがとう」と囁く。僕も「ありがとう」と無理に笑顔で囁いた。長いこと娘を抱いてそうしていた。式場のカメラ係がバシャバシャと写真を撮っているのが聞こえる。進行を妨げる予想外の行動に花嫁介添えの女性が感動して泣いた。僕の妻は最初から最後まで泣きっぱなしだった。式の後は51階でささやかな披露宴。快晴の下、名古屋の街がどこまでも続いていた。結局僕は泣かずに笑ってばかりだった。新郎は両親に花束を渡す時に頭を下げ、ずっとずっと頭を上げなかった。むむ、いいヤツ。こうして新しい家族ができ、僕はこれからも笑って過ごす。
2013年01月21日
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娘の結婚前夜、親として僕達はプレゼントを用意した。娘の生まれた日から幼稚園入園時ぐらいまでの昔の写真のこれぞと思う写真を約30枚、スキャナーで複製して一冊のアルバムに貼って1枚1枚に当時を思い出させるコメントを書いた。明日の結婚式の時に娘に持たせるつもりである。赤ちゃんの時にミルクを飲んでる写真とか転んでおでこを怪我している写真とかぬいぐるみを抱いてる写真、弟と遊んでる写真、バリ島で長い居候生活をしている時の写真、入園式当日の写真など、どれもつい最近撮った感じがした。僕は別にそれほど感慨深くもならずに笑って見ていたが一緒に写真を貼っていた妻は泣いていた。やはり自分の腹を痛めて産んだ娘ということもあるのか父親とはまた違った感情で泣けてきたのだろう。いやあ、24年ってこれほど短いものなのか。今夜なんだか身に沁みて感じたよ。もっとああしてやれば良かった、という気持ちは全くない。良い父親として思いきり愛情をかけて育てた自信がある。アルバムの最後のページにマジックでこう書いた。「俺達の子供でいてくれてありがとう!お父さんより」娘は必ずこう思うだろう。そう思われる自信がある。「わたしの父親と母親でいてくれてありがとう!娘より」
2013年01月20日
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明日の日曜日は娘の結婚式である。先日は娘が式のリハーサルをしてきたらしくバージンロードを歩く時の足の出し方なんぞというどうでもいいマニュアルを貰ってきた。僕は父親として新婦と一緒に歩くわけなのだが右足を出し左足を揃える、左足を出し右足を揃える、という何やら独特の歩き方があるらしいのだがそんな面倒な歩き方はできるかどうか心配である。心配っていうか面倒くせえのだ。他にもどちらを向くだとか礼をするだとか厄介な動作もある。最近の結婚式は仲人というものも省略というか身近な人が媒酌人ていうか証人ていうかいわゆる海外でいうところのベストマンをやる場合が多く娘の場合、それは新郎の弟と新婦の弟でやることになった。名古屋の結婚式はどえりゃ~派手だがね、といわれるがそれは昔のことであり、今は親戚を呼ぶ披露宴を控え目にして友人達だけでやる2次会の方が盛り上がるのである。仲人さんのありきたりの前途洋々スピーチだとか日頃会わないような親戚のおじさんのカラオケだとかお色直しでご退場、その間に祝電の披露だとかさてキャンドルサービスだの余興だの司会者がトーンを落として照明落としてBGMもしんみりしたの流して両親への手紙だのもうあまりにマンネリ化で全くどうでもいいのだ。その分友人達で騒ぐとかどっか行くとか何か買うとかそういうことに時間やお金を使った方がいいと思う。
2013年01月19日
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「お金に困って無理心中」というニュースが今年に入って何件か報道されていたがその無理心中の凶行をした当事者の車はメルセデスとかプリウスだったりするので意外だ。お金に困ってるんならまずその車を売れよ、と思う。案外いい家に住んでるし、その家売ればいいじゃん。きっと携帯電話も持ってるだろうからそれも解約すれば月々数千円の支出も減るんじゃないの?もちろんその家の詳しい財政事情は知らないしどれだけ追い詰められていたかも知らないから一概に「死ぬ前に生活をもっと切り詰めれば?」と一言で斬り捨てるわけにもいかないが。ただ、数百万円のメルセデスを軽自動車の中古に替えたり一軒家を売ってボロ長屋に住み替えればいいと思うのだが「1度所有してしまったモノ」はなかなか捨てられないのだろう。その代わりに家族や自分の命は捨てられますってか?(笑)僕は店をやめてから久し振りに会った人達から「健康的に見える」とか「活き活きとしてる」と言われる。店をやっていた時は万引きに追われ、精神的にもキツく人間不信に陥っていたこともさることながら「奪われる怖さ」や「失う不安」に怯えていたのだろう。人間は「持っているものを失う」のが最も怖いのだろう。今の僕は「所有物を奪われるストレス」がない。失うものがない人は強い、と昔からいわれるが所有物に対する執着というものは少ない方がいいと思っている。
2013年01月17日
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首都圏を襲った爆弾低気圧というやつはここ愛知県中部ではみぞれにもならなかった。せっかくスタッドレスタイヤ買ったのに。昨日、昼過ぎまで降っていた雨は夕方にはあがりとんでもなく奇麗な夕焼けを見ることができた。最近は夕焼けを眺める機会が多い。昨日も鳥の大群が寝ぐらの竹薮へ帰る時間帯に夕焼け雲を眺めながらその竹薮のすぐ近くにいた。鳥達は天敵から身を守るために寝ぐらの場所を霍乱する。大群は様々な形となって夕焼け空を飛び回るのだがそれはまるで海の中でイワシが群れて泳いでいるようだ。見事な統制が敷かれ右へ左へと急旋回する。鳴き声に混じり「ザーッ」という翼の音。数百羽の鳥達が僕の頭上のすぐ近くをかすめて飛ぶ。その向こうにはどんな絵画も敵わない色の夕焼け雲。まるでアフリカの原野にでもいるような錯覚を起こしザーッという羽根の音を聴いて夢のような気分だった。自然界ではこんな光景が毎夕繰り返されていたのだ。18年間ビルの中で過ごしてきたので見ることのなかった光景。まさか鳥の旋回を見て幸せの身震いをするなんて。何十回も寝ぐらの回りを群れとなって飛び回った後は鳥達は一斉に竹薮の中に入り、もう現れない。残されたのは茫然と立ち尽くす自分だけであった。
2013年01月15日
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今年の新春ピクニックは高2の次男と行く予定だったが次男の彼女も行きたいということで計3人で行った。彼女はハイキングシューズを持っていなかったのだが数日前にゴアテックスの登山靴を買って気合い満々であった。真っ暗な登山道に入ってからは次男が先頭を歩き彼女を真ん中にして不測の事態に備えていたのだがそんなことは全くの杞憂に終わりガンガン登って行く。予定より早く目的地点に着いて初日の出を見た。(右から次男、次男の彼女、ワタクシ)さて、今回は隊長として密かに考えていたことがあった。それは奇岩「サイコロ岩(正式名は地蔵岩)」に高校生の2人を登らせて記念写真を撮るということであった。次男は去年の経験を積んでいるので難なく登ったが彼女は「え~!?」と言っていたが「やってみる」とがんばって苦労して遂によじ登ることが出来た。僕達親子2人は全く手を貸さずに自力で登ったのである。帰って来てから嬉しかったのは、彼女が朝焼けの記念写真を年賀状とスマホの待ち受け画面に使ってくれたということだ。いやあ、隊長として嬉しいぞ。
2013年01月04日
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元旦の深夜2時に岡崎市を出発して三重県の御在所岳の麓に着いたのが3時半。4時頃から冬季閉鎖中の鈴鹿スカイラインを歩いた。煌々と明るい月が出ていて月明かりだけで歩く気分は最高。車道を1時間弱歩いた後、登山道に入っても雪が積もっていない。更に30分ほど歩くとロープウェイが真上を通る場所がある。四日市の夜景も見渡せるスポットである。元旦だけはロープウェイも早朝から運行するので試運転中のゴンドラが視界の下から登って来る。3人で座ってその幻想的な光景を眺めていると流れ星。「うぅ~~~!流れ星ぃ~~~!」と叫ぶほどの凄いやつ。頭上あたりから出て東の地平線近くまで消えなかった。5時頃に目的の初日の出スポットに到着。風もないのでそれほど寒く感じず(明らかに氷点下だけど)名古屋や四日市の夜景を満喫しながら日の出を待つ。ペットボトルのミルクティーはシャーベット状。やがて星も消え、夜景も薄れて空の色が変わってきた。きのこ雲のように太陽が昇る。遠い東の地に原爆でも落ちたような光景。まあ、太陽も核融合なんだからな。爆風もオレンジ色だ。こんな景色を見せられちゃ、山はやめられない。隊員2名と共に記念撮影。ダウンジャケットもリュックにしまいこんでアイゼンすら履くことなく穏やかな新春の日を過ごした。お昼前までのんびり岩に登って遊んだりして下山。徹夜で遊んだにもかかわらず帰宅してからも昼寝せずに仕事。昨日の夜は10時に寝て、今朝起きたら10時半。12時間半も延々と眠り続けちゃった。ヤベ、年賀状書いてない。
2013年01月03日
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