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隣りにある松坂屋が今日で閉館である。開店1時間前から駐車場は満車になり最後の買い物客でごったがえしている。このビルにもそれらの買い物客が流れてくる。中高年から高齢者ばかりだ。通路の往来はいつもの日曜日より多いのだが僕の店とは全く客層違いのため入ってくる人はいない。2週間後には婦人服が10店舗移転して来る。まさか僕の店も高齢者のオバサマ向けの商材に方向転換しなければ生き残れないのだろうか?いや、そんなふうに方向転換しても他の店に埋もれてしまうだけだろう。しかし高齢者ばかりのフロアーで若い人向けのアクセサリーを売っていても...。喩えが極端だが、何だか食品街で背広売ってるような、手芸屋で野菜売ってるような、理容店で本売ってるような、写真屋で文房具売ってるような、取り残されたような違和感を感じるのだ。数百万出費して移転?問題のその移転先は?そんな考えも現実味を帯びてくる。だがここで出来ることもあるはずである。とにかく振り出しに戻った気分だ。
2010年01月31日
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商品撮影用機材を買ったことは先日のブログに書いたがいやあ、改めて使ってみて実に素晴らしいレンズである。この【SONY-DCR-PC100】の新品価格の高さ!¥235,000!これを新品同様の中古(付属品全て付き)で「送料込み¥14,000」だったのだからありがたい。おいおい、桁が違うじゃねえか、てな感じだ。というわけで、初めて解説書なるものを開き「おお、こんな機能もあったのか!」と驚いている。(まあ使わないだろうけど)マクロ撮影ではピントやホワイトバランスがシビアで微妙に角度を変えホワイトバランスを変え息を詰めてシャッターボタンを押す。これは屋外の撮影でも基本動作は同じであるが室内では暗い分、なおさらシビアになる。ここの訪問者さんにはあまり縁がないピアスだがレインボーカラーの小さなピアスを撮ってみた。↓(ステンレスボディーピアス(スペクトラム)14G外径16ミリ)【放浪の達人】の楽天オークションサイトで出品中どのレンジの色も見事に再現されている。出来れば被写体深度(ピントの奥行き幅)がもっと広く手前にも奥にもピントが合うといいのだがレンズの絞り優先機能がついてないのでまあ商品画像としてはこんなもんであろう。
2010年01月30日
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伊勢湾が朝陽の照り返しで光っている。コンビニで買ったおにぎりを食べてキットカットを食べた後に煙草に火をつける。日頃の喧噪から離れた静かなひと時。このあと雲が広がってきて、僕らは下山を始めた。ガリガリに凍った斜面を降りて行く。ほどなくして4人組のパーティーと擦れ違う。「こんな時間にもう降りて来たんですか?」「日の出を見てたんですよ」相手はびっくりしていたようだ。考えてみると、いかにも彼らの方が人間らしい。早朝発、夕方下山の一般的な行動時間である。僕達は、獣だ。漆黒の森を歩き、岩の上で朝陽を迎え、魔法が解けないうちに山を降りる。人間の世界に戻るとするか。
2010年01月29日
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考えてみると実に約30年振りなのだ。berryくんと2人でどこかに出掛けたのは。しかも30年前も2人で深夜のトンネルを歩いた。高校1年でよくあんなことやってたなあ。お互いにまだトンネルの途中だ。いや、誰もがそうなのだろうか。トンネルの向こうに漆黒の闇があるのかまばゆい程の明るい景色が広がっているのか。あるいは、涅槃か。そんなことを考えながら撮った1枚。
2010年01月28日
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今回、御在所岳に行ったのには訳がある。【御在所ロープウェイ50周年記念フォトコンテスト】がありそれに出品してみようと思ったからである。僕は大したカメラは持っていないし撮影会なんてのは大嫌いだ。ミス何とかに群がってシャッターを切るオヤヂ達をはっきり言って見苦しいとさえ思っている。ストイックに静かに風景を撮りたいのだ。過去に4回、写真コンテストに出品したことがある。出してくれ、と言われて付き合い程度で出品したのだ。数百点程度しか応募がなかった小さなコンテストだが4回とも入選して賞品や賞状を貰ったことがある。今回の御在所岳で撮った写真の中でも当然ベストショットを出品するつもりだがその写真はブログには載せない。盗作されるのを防ぐためである。ただそのベストショットも自分の中では満点ではない。もう少し完璧に近付けるためには別の要素も必要なのだ。そんなわけでberryくん、今度こんな感じでモデルやってくれないか?
2010年01月27日
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どんな色の夜明けになるかは予測不可能である。雲一つない星空の下をライトを持って歩き木々の間から時折見られる街の夜景を眺め漆黒の森に誘われるように登山道を行く。崩壊された登山道を回り込んでロープを伝って登る。いつしか星がひとつ、またひとつ消えて街の明かりも薄らぐブルーアワーとなった。暗くて気付かなかった日陰の積雪も見えてきた。快晴無風だと何となく明るくなり何となく陽が昇ってしまうことが多い。空が茜色に染まることなく、ただ白い朝が来る。この日も快晴無風。しかし日の出少し前に西の山側から雲が湧き北西の風に乗って天頂に高い雲が漂った。きれいな朝焼けになる予兆である。太陽が昇る直前から雲は紅く染まりもはや言葉は何も出ない。空は高くてどこまでも広く続き完璧な朝焼けを見れたことに心から満足した。
2010年01月26日
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ブログの女性訪問者に圧倒的な支持を得ているberry氏が名古屋の某所で女性訪問者の1人と密会するという情報を得た。イケヅラと誠実さという表の仮面を併せ持つberry氏だが彼はナニをするのかわかったものではない。その女性が一体誰であるのかを確認しつつ同時に彼女の操を守るのが任務であると感じた僕は仕事が終わってから大急ぎで東名高速を飛ばし密会場所に潜り込む50m手前の路上で2人をキャッチした。そのお相手とは何と!何と!何とっ!ズバリここだけで暴露してしまうがこのお方であった!その後、彼らに合流し3Pでどんちゃん騒ぎである。詳細はココでは割愛させてもらう。コウフンが抜け切らぬまま残念ながらお開きの時間となり僕は深夜を過ぎた時間ではあるがberryくんを誘った。「今から山に登りに行って日の出見ようや」というわけで冒頭の画像である。御在所岳のダイスストーン(正式名称:地蔵岩)で太陽が昇って来るのを撮った1枚。この大自然の神聖な朝に清められてberryくんの邪悪な心が浄化されるのを願ってやまない。(徹夜明けのため記事に多少のブレがあることをご了承下さい)
2010年01月25日
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商品撮影用に使っている機材が壊れたことは年初めの日記で書いたが、先日無謀にも分解してみた。どこの自動車メーカーだとはここでは公表出来ないが某MAZDAで応援でエアコンを装着する仕事をしていた時なぜかネジが多数余ってしまうという機械オンチの僕がである。液晶部分を小さなドライバーでバラしてみてただネジを元に戻しただけなのにピントまで合わなくなってしまった。(泣)これは果たして僕のせいだろうか?いや、SONYのせいに違いない!というわけで撮った店内画像がコレ。まあ、これはこれでいい味出してるではないか。パスポートの証明写真にはちと使えないが。というわけで、やっとヤフオクで15000円で中古を買った。撮るべき商品画像が溜まっているので届き次第とことん酷使することになるだろう。ちなみに壊れた旧機材は「完全ジャンク」として売る予定だ。売れるのか?(笑)
2010年01月24日
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長男の高校卒業が間近である。ということで息子とその友人1人の計3人でタイに卒業旅行に行こうという話になった。僕は通常通りの自分の買い付けの仕事をこなし彼らはついて来ようが勝手にどこかに行こうが意に介さないという自由気ままプランである。学校行事や自動車教習所などの都合があるので2月22日から5日間の予定で行くことにし知り合いの旅行代理店にチケットを頼んだ。しかしどの航空会社も満席で席を確保できず幻の卒業旅行となってしまった。思えば僕も高校卒業旅行と称して同級生4人で高山に行ったことがあったが高1の時から国内野宿旅行や民宿泊などしていたので卒業旅行は特に目新しくもない思い出である。高校1年だったか2年だったかの夏休みに友人と2人で白馬に行ったことがある。その日の電車で帰れば翌日の出校日に間に合いしかも重大な追試を受けねばならない任務が僕にはあった。ところが最終日、横浜から来た女の子2人組と仲良くなってしまったのである。(ナンパしたのである)出校日と女の子とどちらを選ぶか?は愚問であり翌日の追試を放棄して白馬滞在を延長したのは言うまでもない。
2010年01月23日
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4年前は小6だった近所のチビっ子が僕の店に遊びに来た。いつの間にか僕の身長を抜いて176cmになっていた。その子は工業高校でロボットを作っているという。ほら、ロボット同士を対戦させるというあんな感じのロボットである。「あのね、ロボットを作る時には十六進法で入力するわけですよ。 微妙な信号のブレを起こさせることにより 横に動いたり階段を昇ったりバク転したり...」(以下略)16進法について何だか講義されたのだが中2の時から数学のテストで0点を採っていた僕はさっぱりわかるはずもなく、むしろムカついた。(笑)しかし高校に入って10ヶ月足らずでこれほどの知識を詰め込めるものなのか。楽天ブログ仲間のうちで最も勉強が苦手と思われる僕は(もちろんベリーベリーくんと僅差であるが)かつて「お父さんになって」と言われたクソガキにもはや太刀打ち出来ない程に抜かれたなあ、と苦笑した。
2010年01月22日
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隣りに建っている松坂屋が1月末で閉館になる。そこに入っていた婦人服10店舗がここのメンズフロアーに移転して来ることになった。メンズフロアーは空きテナントばかりだったからだ。僕の店があるメンズフロアーは一気にミセスフロアーに様変わりしてしまうのだ。2月19日にリニューアル・オープン。オバサマ向け婦人服店に囲まれてしまうのである。2月に出すチラシはこの画像のような男性向けではなく女性向きの商品を紹介することにした。【天然石リング・ペンダント¥2,900~】こちらはちょいと画像をいじってみた。汚くて固くて荒くて暗く、沈鬱な感じだがこういう色彩感覚の映画や小説が好きだ。しかし、娘のデジカメで商品撮影は難しい。マクロ時の撮影がうまくいかないし色彩をパソコンで修正しないと使い物にならない。やはり【SONY-PC100シリーズ】を中古で買うべきかな。どんなに画素数の大きいデジカメもどんなに色んな機能が付いてるデジカメもカールツァイス・レンズで撮った写真には敵わない。カールツァイス・レンズの性能はやはり抜群である。
2010年01月21日
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宝島社の「VOW」をバイブルにしていた人も多いと思うが(おそらくトイモイ氏、風任さん、ベリーベリーくんあたり)僕らが読んでいたのはせいぜい1巻から5巻ぐらいだが今や76巻まで出ているというから驚きである。そんなVOW愛読者が現在のブログを盛り上げているのだと僕は確信に近い思いを持っている。さて、本日発売の「リバ」に載せたエッセイは自宅近くの標識について取り上げてみた。トイモイ氏の【この日のブログ】と趣旨が似ている。 ⇒【標識】
2010年01月20日
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会社勤めで内勤の人や営業外回りの人は現在の失業者及び高齢者の実情は分からないだろうが僕のように1日中デパート内の店にいると行き場のない彼らがウヨウヨ繁殖中というのが分かる。開店直後から休憩所のベンチは満席になりそこで寝るのとトイレに行くだけを繰り返し延々と夕方までただボーッとしている人の多い事。40代から70代の男性が圧倒的に多い。一軒の店を10分以上かけてのんびり眺め背中を丸めて隣りの店を覗きに行く。毎日毎日、朝から夜までそれの繰り返し。一体ビル内を何周するというのだ。暖房が効いていてお金もかからないからこういう場所に吹き溜まって来るのだろう。去年の今頃に比べて倍以上増えたと思う。先日、実家の両親の家に行った時に「昔の知り合いの○○さんが週2日遊びに来る」と諦めたような溜め息混じりに言っていた。何でも「家にいると光熱費がかかるから」と夕食までちゃっかり食べてから帰って行くのだそうだ。まるで捨て猫に餌をやっている気分だ、と言うが昔の知り合いがゆえ冷たく拒めないようである。どちらも哀しい。さて、今日もベンチから立ち上がって伸びをした彼らがおそらく今日も1日中、誰とも口をきくことなく生気のない眼をしてトボトボとデパート内を徘徊する。
2010年01月19日
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林道が通行止めになっていなければ駐車場まで車で行けたはずだった。【このページの1番上の画像】の場所から通常は歩かなくてもいい林道を1時間以上歩いた。林道はぐねぐねと曲がりくねっておりそれに沿って歩いて行ってもよかったが途中「近道」の標識を見つけたのでそこに入った。舗装された林道から解放され土の上を歩く。まもなく急な登山道になった。すると「三本松地蔵」という少々怖い名の場所があった。そこには3人分の慰霊碑が建っており昭和時代にこの山で遭難死した日付も書かれていた。うっそうとした森の中に建つ慰霊碑だ。何となく怖さを感じてその場を立ち去った。三本松地蔵から約10分再び登れば駐車場である。例年通りあそこまで車で行けたならあの慰霊碑を見ることもなかったのだ。後になって強引にこじつけて考えてみれば存在に気付いてくれ、というサインだったのかも知れない。(これと怪奇体験は無関係かも知れないが)追記:僕が行った3か月前にも遭難死があったようだ。
2010年01月18日
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阪神淡路大震災があった15年前僕は日雇い土方をして食い繋いでいた。そろそろ起きなければならない早朝、ボロ長屋の布団の中で地響きを感じた。微かなゴーという地鳴り、小さな横揺れ。地響きの時間は長く、その後の横揺れということで「かなり離れた場所での大きな地震」だと分かった。近場の小さな地震なら地響きと揺れの間隔が短いからだ。あるいは横揺れではなく縦揺れ、斜め揺れとなるからだ。小さな2畳の台所で弁当を作ってくれているヨメに「遠くで大きな地震があったかもしれない」とTVをつけると地震の速報が入っていた。惨状を目にしたのはお昼のニュースである。真冬の海風の当たる造船所内のプレハブの仮設休憩所で高速道路が横倒しになっている映像を見た。とんでもない被害状況や、政府のとんでもない対応の悪さは日本中の皆さんの知っている通りである。国を当てにしないという風潮が出来たのもあの地震からだ。官僚は単なる忌み嫌うべきエリート小役人という職業でありボランティアで動く人達からにこそ光が見えた。ハイチで大変な被害をもたらした地震が起きた。今回の日本政府の対応の遅さも世界1級であるが【ハイチ地震救援募金】に2万人以上の国民が寄付していることに「捨てたもんじゃないなあ」と感心している。
2010年01月17日
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先日の日記に【空木平避難小屋の霊】という僕に実際に起きた体験談を書いたのだが日記の中で紹介した木下寿男氏の著書に下記のようなページがあった。 中央アルプスで50年にわたって救助活動をした体験談をまとめ、山の危険を登山者に知らせる内容だがかなりエグい文もある。山に行かれる人は読んでみても面白いと思う。最終章に「山での怪奇体験」みたいな章があり空木平避難小屋のことが数ページ書かれていた。出版本なのに実名を書いてしまってもいいのか?これじゃ泊まる人いなくなっちゃうぞ。(笑)ていうか、2002年出版のこの本を読んでたなら絶対この避難小屋には泊まりに行かなかったのに。死体安置とか、小屋前で火葬とか、亡霊が立っていたとかやはりこの無人小屋は「いわくつき」だったんだなあ。(新品を紹介したけどヤフオクだと中古¥400+送料ぐらい)
2010年01月16日
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独身の時は深夜のバイトや夜遊びに忙しく毎日深夜2時3時に家に帰っていた。会社員をしていたが車の改造などの出費が多く収入のほとんどを道楽に注ぎ込んでいた。さて、僕の生家は日本風の昔ながらの住居で平屋ではあるがお座敷や蔵や池なんぞがあり玄関左には16畳の部屋が2つ続いており計32畳のその広間で母が書道塾をしていた。L字型をした家には裏玄関があり僕は毎夜そこから自分の部屋に戻るのだ。廊下を歩いて表玄関の横を通る時にいつも左目の視界の隅、見えるか見えないかに灰色の着物を着たお婆さんが正座しているのを感じるのだ。ビクリとして視点を左に向けて凝視してもそこには闇があるだけである。視界のギリギリ隅でお婆さんは顔をやや下向きにして両親の寝ている寝室を向いて動かない。しかしそれは「見える」のではない。気配を「感じる」のみである。感じるだけのお婆さんの像ではあるが着物の色、帯、座る格好、無表情、髪の結い具合などいつも同じでジッと動かないのである。元から霊などを信じない当時20歳前後の僕はそれを自分の潜在意識が見せる幻影と思っていたが或る日ついに両親に打ち明けた。すると両親の口からはこんな言葉が洩れた。「そこは昔はもっと広い土間で、部屋へのあがり口で 約20年前に死んだお母さん(父の母親)は いつもそこで土間側を向いて座っていたんだよ。 まさにその場所でいつも着物を着て」先述の32畳の広間であるが、書道塾をしていたために畳を取り払って板の間に改装してあったのだがたまに夜中にギシリとかドンという音が当たり前にしていた。人の歩く気配といえばそれまでだが僕は気温差や湿度差による木材の軋み音と考えていた。(この考えは今でも変わらない)だから、これは神秘体験というには退屈な話である。
2010年01月15日
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【アガスティアの葉】というのを知っているだろうか?知らない人はどうぞ検索してみてほしい。つまり数千年前に書かれた預言書のことでありそれは個人のことについて書かれたものである。毎年一緒にピクニックに行く同業者の女性がいる。彼女は大卒後に教員になり、その後企業に勤めそこでアジアの貧困生活の実態を見聞きしたのち15年ほど前にフェアトレードショップを開業した。バングラデシュに店の売り上げの一部を基金として現地雇用、現地運営の無料診療院を設立し現在は診療院から無料病院にまで規模が拡大して時々自腹で視察に行っている。現在、彼女はNPOの会員として各地で講演会もしているのだが彼女と知り合ったのはもう15年前、僕の店のお客さんとして来店された時だった。「フェアトレードショップを開きたいのだが」「じゃあやれば?」というやり取りをした覚えがある。少々の商品委託をして多少の援助をしたこともある。その後しばらくして彼女はアガスティアの葉を探しにインドの奥地まで出掛けて行ったらしい。アガスティアの葉には偽物も多いらしく数十軒のアガスティアの館なるものが存在していると聞く。彼女が行ったアガスティアの館は当たりだったらしく葉には彼女の名前、生年月日、両親の名前、何年に教員になり何年に企業勤めに転換し何年にフェアトレードショップを開業したかという過去の彼女自身の経歴が克明に書かれていたという。葉には将来のことも書かれているというがそれは「それを読んだことによる潜在意識」が洗脳されおのずとその道を辿って行くということも考えられるので僕は将来に関する予言はマユツバと思っている。しかし、過去のことが数千年前の預言書に克明に記されており「あなたは西暦何年の何月にこの預言書を読みに来る」とそこまで書かれているとは一体どういうことなのだろう。アガスティアの館では親指の指紋を見せるだけで本人の名前などは一切伝えないのにである。これぞ「人生は選択の連続なのか、宿命なのか」「全ては太古の昔から定められていたことである」という自身の努力、意思、選択を全く無駄に感じさせてしまう有為な、そして無為な神秘体験ではないだろうか。
2010年01月14日
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昨日の日記の追補版という感じなのだが「これを言ったら他人から変に思われるから言わない」という神秘体験をしたことがある。まず僕が体験し、翌年はヨメと一緒に体験した。誰かに話したところで「それはすごい!」と言われるだろうが心の中では僕の人格自体を疑うだろうから言わない。ある神秘体験をしてしまった人は不幸でもある。「そんなの有り得ない、あなた頭がおかしいんじゃないの?」とせっかく心を開いて話したのに胡散臭がられるだけである。しかし僕は3度、ヨメは1度、確かに体験したのだ。僕らの他にも体験した人は確かにいた。その日本人と実際に話もした。その神秘体験は過去も未来も全て一連のつながりを持っていて僕ら人間は何かの力によって(それが神だか仏だかは知らない)「生きている」のではなく「生かされている」のだと気付かせる。つまり【アガスティアの葉】のようなものなのだ。僕は胡散臭い精神世界にハマるような人間ではない。そのような本を読んだことはあるがカブレたことはない。しかし体験してしまったことは紛れもない事実なのだ。その神秘体験はいくら説明しても笑われるだけである。事実、僕も体験する前は嘲笑っていた。自分自身で体験してしまってこそ、やっと信じられるのだ。自分の努力で人生を拓いてきたと思っている僕達は全て何かの力によって歩かされているのだ。(ほら、こう書くと何か胡散臭えだろ?(笑))
2010年01月13日
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僕が昨年の夏に中央アルプス空木平(うつぎだいら)の無人避難小屋で怪奇体験をしたことはこれを読んで下さっている人は周知だと思う。約5ヶ月経った昨日、旅の途上さんという方から下記のようなコメントを戴いた。「木下寿男氏「山の軍曹カールを駆ける」(山と渓谷社)に 空木避難小屋の怪について詳しく書かれています。 屋根の上を歩く。だんだん音が大きくなる。など同じですね。」【避難小屋 恐怖の一夜】(1番下にそのコメントがある)それは読んで確かめねばなるまい。早速ヤフオクでこの本を¥390で落札した。数日後には届く予定である。実は我ながら胡散臭く感じ、その小屋で起こったことは他にもあったのだがブログに書かなかったことがある。自分の勘違いだったかも知れないからだ。それは何かというと・・・。・寝る前に小屋の横に流れる小川で汲んでおいた ペットボトルの水が5分の1程度減っていた。(500mlいっぱいにしておいたが、僕は飲んだ記憶なし。 飲みかけの午後の紅茶がなくなった時の非常用だったのだが 午後の紅茶は朝になっても充分残っていたし)・脱いだ登山靴の片方が約2m、出入り口側に移動していた。(これは僕が恐怖のあまり靴下のまま外に飛び出した時に 自分で蹴飛ばしたかも知れない。多分そうだと思うが 蹴飛ばしたという足先の感覚はなかったように思う)とにかく霊や怪奇現象には懐疑的なので自分の勘違いだ!と思い込ませて否定していたのだが出版本にその避難小屋の怪が名指しで出ていることに何だか複雑な心境なのである。「ほらみろ、俺の体験したことは本当だったのだ」と第3者の証言によって正当化されたという気持ちと「ということは霊はやっぱり存在してしまうのか」と頑なに否定していたことを認めなければならない、という人生における、いやもっと言わせてもらえば確かに精神や感情は存在するが死んだらただの肉片、という生命体の常識を覆されるのが正当化されるようで怖いのだ。くしくも今、三島由紀夫の「天人五衰」を読んでいる。生まれ変わりだの輪廻だのを書いた「暁の寺」の最終編である。
2010年01月12日
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26年来の山仲間コウベくん(通称雨男)から「モリタくん(ヨメさんは売れない演歌歌手)と一緒に 1月20日に岐阜の雪山に行こう」と誘われた。昔、この3人の組み合わせで穂高に登ったこともあるし豪雨の露天風呂に傘を差して入ったこともある。たまたまその日は僕は用事があるので残念だが断った。断ったあとに、「行かないで正解だな」とも思った。彼らと僕では歩くペースが違い過ぎるのである。彼らは僕の半分ほどのスローペースなのだ。夏山なら木陰で休憩とか景色を見ながら待つとか出来るが雪山では寒い中じっと待つなんてイヤだ。じゃあ彼らと同じペースでゆっくり歩けばいいではないか。イヤだ。自分の好きなペースでしか歩きたくないのだ。冬山では特に同じペースの人と行くのがいいと思う。他人のペースに合わせることを全く考えない。これが僕の短所である。
2010年01月11日
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僕の店があるビルの隣りの大手デパートが1月末で2ビル同時に閉館する。通常、家やらビルやらが立ち退きになるとそのビルを取り壊した跡は駐車場になる場合が多い。ほったらかしで機械任せで収入が入るからである。「ええ?ここも駐車場になるの?」ってのが全国どこでも同じような光景ではないだろうか?長い間、市の中心地として栄えたこの地域もイオンが出来てからは衰退の一途を辿り空き店舗が軒を並べる地域になってしまった。そして昨日、僕の入ってるビルのすぐ横にあるかなり大きなコイン駐車場も1月末で営業中止という。デパート横の駐車場すら集客がなく赤字撤退なのである。駐車場がなくてはますます来客がなくなってしまう。これはもう末期症状なのではないか?もちろん店を移転させるがいいに決まっている。しかし入店保証金+新店作りには数百万単位の金が要る。そんな金なんてどう調達すればいいのだ。ネット販売だけで食って行ければいいのだが。くそ~、何とかしないと。さすがに焦っている。
2010年01月10日
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今日は【OLYMPUSμ1060】のレビューなのでデジカメに興味のない人はスルーしちゃって下さい。【OLYMPUSμ1060】を買おうとネット検索した人に少しでもお役に立てたら、と思って書いた日記です。今日は娘のデジカメを借りて商品撮影をした。スーパーマクロ切り替えスイッチの横に露出調整切り替えスイッチを発見。+と-の文字が書いてあるスイッチだ。液晶ディスプレイで被写体を見ながら調整可能。-2.0から0.3刻みで+2.0まで補正可能。というわけで以下、比較撮影をしてみた。被写体はレインボームーンストーンのトップ。 「-2.0アンダー」 「-1.0アンダー」 「0.0適正露出」 「+1.0オーバー」 「+2.0オーバー」他にも色々なモードを選択出来るが商品撮影だけなら露出補正機能と1cmスーパーマクロがあれば充分。もちろん撮影時はフラッシュOFF。1000万画素なだけあって曲線部分のドットの粗さもない。シルバー部分が金色っぽく写ってしまっているのでハロゲン照明の下では撮影しない方がよかった。あと、スーパーマクロを多用するとバッテリーの減りが早いのがやや難点。以上、室内スーパーマクロ撮影のレビューだが普通に屋外でオートで撮影した時は文句なしの色彩でクッキリ撮れる。ズームを使っても「のぺっ」とならず合格。以前にも紹介したけど、もう1回リンク貼っておく。さあ、ここから買おう!【オリンパスμ1060】【ついでに宣伝:μ1060で撮影した僕の出品物】
2010年01月09日
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ネット販売の商品撮影用に使っている機材が年末に壊れてしまって使えなくなっている。液晶モニター可動部のジョイント部分が金属ではなくプラスチックで出来ておりそこが劣化して折れてしまったのだ。そもそもそういう可動部こそはプラスチックではなく金属を使うべきである。レンズや内部構造は壊れていないのにそんな部品1つが割れたために使えなくなるなんて。明らかにメーカー側の買い替え促進陰謀だろう。そうすることによって新機種が売れるようになる。それを裏付ける証明となるのが「修理代4万円」だ。たかがプラスチック部品が割れて交換するだけなのに。ヤフオクでこの名機「SONY DCR-PC100」「PC110」を探すと中古で1万5千円から2万円ほどで買うことが出来る。修理するよりも安いのだ。既に生産中止になっているにも拘らずすごい落札競争率だ。この「DCRシリーズ」を30個以上落札している人もいる。いつも土壇場で高値を付けられ買い逃している。じゃあ即決価格の中古29800円で買えば?いや、それはできん。(笑)しかし落札出来たとしても、また同じ個所が壊れるだろう。いっそのこと【PENTAX X70】買っちゃおうかなあ。1cmマクロが付いてるので商品撮影できるし。ただ、どれほどの画像が撮れるのか心配なので誰か持ってる人のレビューを調べないと。(マクロ撮影の画像を見てみたい)ま、予算オーバーで買わないと思うけどさ。【PENTAX X70】
2010年01月08日
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ヨメに店番を代わって貰いパスポート更新に行った。本籍のある故郷の市役所で戸籍抄本を発行してもらいそのついでに両親のいる実家に顔を出して帰ってきた。それから在住のパスポート申請場所に行った。まずはパスポート写真撮影である。¥600を払って自動証明写真を撮る。「赤い丸の中に顔が納まるようにして 頭の後ろを背後の壁につけて下さい」とガイダンス。顔が大き過ぎても小さ過ぎてもいけないらしい。僕は小顔なので頭を背後の壁につけると顔部分が赤丸よりも小さくなってしまう。中腰になってやや顔を前に出して撮影。出来上がった写真は不細工だ。僕はまあ実物も大したことはないが風邪気味のせいもあって写真うつりが悪い。オマケに中腰で撮ったせいか左肩が上がっている。髪の毛はハネている。この写真とこれから10年付き合うわけか。(苦笑)約2週間後に新パスポートが出来る。旧パスポートに穴を開けて返してくれたが10年間でタイに21回行っていた。
2010年01月07日
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店の前から僕をじっと見ている男がいた。どこかで見覚えのあるような感じの男だ。10秒ほど見つめ合ってしまった挙句その男が意を決して声を掛けてきた。「昔MAZDAで働いてた斎藤さん?」「ああ、そうだけど」「やっぱり!僕○○です」隣りの部署で働いていた年下の子だった。何と21年振りの再会である。よく僕だとわかったものだ。当時のようにヤンキーパーマではないし(笑)全く別の街で全く別の仕事をしているのだから。「自分のお店持ったんですね。 あの当時から勝手に長期休暇取ったりして 何度も海外をふらふらしてましたもんねえ」おいおい、「勝手に」と「ふらふら」が余計だろ。(笑)まあ確かにそうだけどさ。しかし僕を覚えててくれたってことは嬉しかった。普通に話してたけど、ちょっとウルウル来てたんだよ。
2010年01月06日
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知り合いのスコットランド人ジミーが某国に海外送金したいと相談に来た。「じゃあ銀行を通さずに送ろうか」「そんな闇○金ルートが日本にもあるのか?」店を終えた夜7時半、ジミーと落ち合って夜の街を歩く。店舗になっている2階のドアを開ける。「イラッシャイマセ」「食事じゃない。カネを送りたい」「ショショ・オマチクダサイ」10分後、全て完了。「どうよ、銀行送金より安いだろ?クーロン経由さ」「これからエキサイティング・バンキングって呼ぼう」「そこのバーにアフリカンを待たせてあるんだ。来る?」「男か?女か?」「女だ」「邪魔しちゃ悪い。俺は帰るよ」「なあ、サイトー、マウントFUJIに連れてってくれよ」「今は行けないけど夏ならいいよ。でもキツいかもよ」「大丈夫、俺はインドでヨガも習ったしタブラも叩ける」「・・・タブラって?ワケわかんねえ(笑)」
2010年01月05日
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全国のルークファンの皆さん、待たせたな。わてや、ルークや。あけましておめでとさん。うちのおっちゃんは風邪ひいててのう、新春ピクニックも初詣でも行けんかったさかい、ブログネタがないっちゅうことでわてが代わりに初詣で行って来たねん。紋付袴着て行ったで。しかし人間様もけったいなもんやのう。神様を10円の賽銭で動かそうとしよる。10円で願いが叶うんなら安いもんやね。そんで、何や、あの10円投げる時にガランガラン大きな音のするヒモ引っ張って。ガランガランすると神様起きてくるんか?わて、あの音にびっくりして尻尾が縮んだわ。お約束の写真撮ってきたわ。関が原ウォーランドやないで、岡崎城や。
2010年01月04日
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最近家族が「のだめ」の漫画を読んでいる。現在劇場公開もされている人気の映画でこの人もブログで映画レビューを書いておられる。僕はロック好きなので得意なジャンルではないがクラッシックはロックと相通じるものもある。「超絶技巧ピアノ・ソナタ第11番イ長調」これだけで「あ、あの曲ね」と分かる人は素晴らしい。かの有名な、誰もが知っているモーツァルトの曲だが230年ほど前にこんな曲が出来ていたとは驚きだ。僕がピアノ・ソナタを紹介するとはお笑いだが正月休みぐらい少し優雅な気分にでもなって下記の数分の動画を見て驚愕していただきたい。 【超絶技巧ピアノ・ソナタ第11番イ長調】
2010年01月03日
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12月30日、店の閉店時間まであと4時間、その4時間が我慢出来ずにノックアウトされた。急遽ヨメと店を代わってもらって家に帰った途端に布団に倒れ込んだ。翌日の大晦日は起き上がれなかった。元旦は体調不良でずっと寝て過ごした。文字通りの寝正月。すっごく悔しい。会社員と違って正月休みが1日しかないのだ。明日やればいいや、と悠長に寝てる暇なんてないのに。しかし今回の風邪は随分酷く立つこともままならずに布団の中で震えていた。靴下を履いてジャケットを着て湯たんぽを入れてても寒くてガタガタ震えながらイヤな浅い夢ばかり見た。まだ治らないけど、あと8時間ちょいで仕事だ。回復するまで1週間ぐらい欲しいなあ。
2010年01月02日
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