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先日、20年前にお世話になったお方から電話があった。僕が会社員を辞めて妻子と共にアジアの貧しい村へ居候生活に出て帰国した直後にバイトしていた干支職人のボスからである。たかがバイトの僕、しかも20年も前のこと、それなのに連絡をくれるというのは有難いことである。(実際は数年に1度お会いしていたのだが今回は約5年ぶりぐらいか)しかし、今の彼には会いたくないのだ。以前なら連絡を貰ったら「では今夜お伺いします」と答えていたが今では「では年末にお伺いします」と答える程度になっていた。実は夏に電話があった。僕はボスの新しい住所を訊いて愕然とした。そして訪ねた。古くて汚いアパートだった。その時、ボスは不在だったのでメモを残して帰ってきた。その帰りに、かつて僕がボスの下で働いた仕事場の前を通った。あの懐かしい、自分の全てを出し切ってボスのために働いた彼の家。間違いなく僕の人生の中で最高に凝縮した時間を過ごした場所。ない!更地! 会わずして全てを悟った。それから半年、再度「会いたいのだが」と電話を貰った。正直な気持ちとして「行かねばなるまいなあ」という心境だ。行かねば...見棄てることになる。 そんな気持ちに近い。裏切られ挫折し、大切なものを失った男に会う。傷が深過ぎて苦悩から今も立ち直れない哀しい男に会う。しかもそれは僕の人生の師匠だ。笑って「お久し振りです」はできまい。そして憐憫の目で会うことも許されまい。じりじりと約束の「年末には...」が終わりを告げようとしている。
2014年12月30日
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胃腸風邪でカメラマンの仕事を2日休んだまま年末年始の休みに入ったので14連休中である。元来夜行型の僕は深夜までネット販売の作業をして昼頃に起きるという怠惰な生活を送っている。外に出るといえばスイートピーの生長具合を見るために南側の庭に出てそこに置かれたベンチに座りながらタバコを吸いつつ空の雲をぼんやり眺めることと、夕方になって犬の散歩に近所をうろつくぐらいである。庭の枯れた芝生にタバコの火を近づけて燃やして野焼きごっこをし、火が延焼し過ぎると庭用として履いているサンダルで踏んで消し、「うむ、これで春には良い芝が生えてくる」なんぞとワケの分からんことを考えながら今日も陽が沈むのだ。まるで隠居生活だか療養生活のようである。いや、起きてすぐにやっている重大な行動があった。2階まで上がって行ってバナナとプルメリアのためにその部屋のカーテンをシャーッと開けるのだ。そして陽が沈む頃にまたそのカーテンを閉める。たったそれぐらいしか身体を動かさない。自堕落。そんな言葉が頭に浮かぶ。ネット販売というのは恐ろしいものだ。パソコンのキーボードをカタコト叩いて落札者さんに振込金額を知らせるとネットバンクに入金がある。パソコンで見るネットバンクの残高数字が増えるだけで現金収入があったという実感はまるでない。もともと僕は「お金はポイントのようなもの」という考えだ。何ポイント貯まったからアレと交換できる、と考えている。社会経済の輪に加わっているという感覚はまるでない。疎外されたような寂しい収入獲得方法のような気がして自分がニート、引き篭もりのような気になる。(まあその通りなんだろうなあ)さて、今月20日に発売された雑誌「リバ」に載せたエッセイは家で育てているバナナとプルメリアのことについて書いた。この日のブログを加筆修正したものである。 ⇒【南国の植物】
2014年12月29日
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数年振りに風邪をひいた。夜寝る前に胃が痛くなって夜中は随分苦しんだ。緊急で病院に行くことも考えたのだが、過去の同じ症状では注射打ってレントゲン撮影して点滴して一晩入院ということがあったので止めた。以前、同じ症状で一晩入院した際は隣りのベッドの爺さんが呻いていて眠れず点滴をぶら下げたまま布団を担いで談話室に行きそこのソファーで一晩寝たことがあったのだった。見回りの看護婦さんが僕の不在に気付き懐中電灯を持って院内を探し回り談話室で寝ている僕を見つけたのだった。そんな面倒になるなら自宅で耐えていた方がいい。僕は違う環境だとなかなか眠れない。山小屋に泊まると大抵いびきをかいて寝ている人がいる。そうなると僕はますます眠れないのだ。だから大抵は深夜の山小屋の廊下を布団を担ぎヤドカリのような姿で談話室や休憩室などに行って独りでその部屋を独占して寝ている。そして朝みんなが起きる前に布団を片付けて夜明けのうちから小屋の外で夜明けの空を眺めている。さて、胃腸風邪のせいで大事なカメラマンの仕事を2日休んだ。胃の痛さと微熱、節々の痛みで働ける状態ではなかった。おかげで年末年始は14連休になってしまった。今はすっかり治っているが、皆さんもお身体には気をつけて。
2014年12月28日
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イヴの夜、車を走らせていると空には怪しげな光が。最初に見つけたのは助手席の妻だった。 まあコレだけを見ると未確認飛行物体のように見えるが実は地上からのサーチライトが雲に当たっているのだ。パチンコ屋かラブホテルのサーチライトかと思ったがこれは角度が違う。多分岡崎城辺りからのライトだ。昔ってこういうサーチライトを見つけると発信源を知りたくてそれに向かって車を走らせたものである。で、正体を知って納得してUターンするパターン。サーチライトの正体はやっぱり岡崎城だった。車を停めて2人でしばし歩く。橋の上から天守閣とサーチライトを撮影した。でももう少し趣向が欲しいね。色が変わるとか、何本も光らせるとか、花火っぽくするとか飛行機を追いかけて照らすとか(あ、これはアカンか)もう少し「なんじゃこりゃあ!」だと面白いんだけど。そうだ、光源のすぐ上で大きなファンをゆっくり回してサーチライトが点滅してるみたいに見せるとか。そんで人の手で色んな色のセロファンをかざして点滅しながら色が変わるなんて面倒だけどいいじゃん。他にサーチライトの変わった楽しみ方あるかなあ?
2014年12月25日
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日頃TVを滅多に見ないのだが(というかTV嫌い)「YOUは何しにニッポンへ」という番組は好きだ。今日の番組の中でこんなセリフがあった。「ファッションは追うもの、スタイルは自分のもの」なるほど、言われてみればそうかもしれない。まあファッション雑貨を売って生計を立てている僕が流行りのファッションを否定するのもアレだが実店舗をやっていた時にファッション雑誌に掲載する際は「いかにもコレが今年の流行」みたいな文を書いて雑誌の取材カメラマンさんに「構図はこうして」と指示し(小物を撮る技術は僕の方が上だと自負している)3分の1ページ枠(商品写真5点+説明文)に月6万も払い、実際に掲載された商品は電話注文や店頭で売れていた。ファッションは「売る側が仕掛けるモノ」なのである。もっといえばまだ暑い時期に冬物の長袖を着て撮影して「今年の冬のマストアイテム」なんぞと謳い文句を書いてまだ流行ってもいないどころか1着も売れてないのに雑誌の発刊日を計算して「今年の冬はこの色が大人気」と勝手に仕掛けておけば消費者は大抵乗ってくるのだ。自動車の売れ筋カラーにしても同じようなもんであんなもんは2年前から「何色をメインで売るか」を企画会議で決定してパンフレットを印刷するのだ。というわけで、本日は僕のファッションスタイルを紹介しよう。ていうか、ファッションでも何でもない。ある程度どうでもいいのだ、安くて機能性に優れていれば。 ・毛糸の帽子(ネパール製ハンドメイド。内側はフリース。約300円)・ネックウォーマー(これしてると服1枚余計に着てるように暖かい)・黒い手袋(多分100均)・グレーの指なしハンドウォーマー (ネパール製ハンドメイド。内側フリース。約300円)・コットン製ドカジャン(ワークマン。裏ボア付きで暖かい。4900円) (カサカサするナイロン製ドカジャンは嫌いなのだ)・ナイロン防寒ズボン(ワークマン。中綿入り。1900円) (ナイロン製は嫌いだがズボンは朝露などで濡れることがあるので)・登山靴(メレル ゴアテックス。コレは10000円ちょい)・写真では見れないインナーは全てワークマンで買ったやつ。以上、ワタクシのファッションじゃなかった、スタイルでした。ちなみにデートする時もほぼ同じ格好で行くと思いま~す。
2014年12月23日
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姫街道を歩いて尉ヶ峰でお昼ご飯を食べた後、もう1度姫街道に戻って別ルートで下山した。嵐のような暴風が吹き荒れていたがさすが姫街道、両脇の木々が風を遮ってくれるのである。午前中にいた浜名湖佐久米駅は様相が一変していた。コレが午前中ののどかな写真ね。うわあ、なんじゃこりゃあ~!電車来てるんですけど見えません。もし特急列車だったらバードストライクすげえ。 この風景を撮りに来てた人、4人。(クリックでアップになるよ)帽子の上にカモメがいるのも気付かずにいるおっさんをパシャリ。「は!まさか俺の毛糸の帽子の上にも?」と触ってみたら順調に止まってました。帽子盗られるとこだったわ。(笑) 別にカモメのアップ撮影を狙ったわけではありません。カメラを上に向けて撮ったらカモメしか写らないんです。ジャケットもズボンもカモメの糞にやられました。野鳥愛好家と鉄道ファンならぜひ行くべし!
2014年12月21日
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山仲間のコウベ氏と静岡の尉ヶ峰(じょうがみね)に行った。浜名湖佐久米駅に車を停め、ローカル電車に2区間乗るのだがこれがまたとんでもなくレトロで大変気に入った。田舎の無人駅「浜名湖佐久米駅」1両編成の古い電車に乗ったのは僕達2人だけ。2区間で200円。次の駅でお婆ちゃんが乗ってきて「おはよう、寒いねえ」と話しかけてきた。まるで昭和40年ぐらいにタイムスリップした気分。もうこの時点で「来て良かった」と思っていた。日本の原風景がここにある、と駅の待合室のポスターにあったが窓外に光る浜名湖を見ながら強烈に「旅」を意識した。なんていうか、自分の内面への旅なのだった。電車を降り、むかし姫様が籠に揺られて通った「姫街道」を歩く。山の中腹まで見事なまでに石畳が続いているのだが段差が全くない。この姫街道は現在、国道1号線になったり県道になったりしているが昔のままに石畳で残っている区間はここだけのようだ。青空の下、のんびりと昔に思いをはせながら歩く。尉ヶ峰からは浜名湖が見下ろせ、その彼方に太平洋が光っている。誰もいない山頂でいのししのオブジェに座って記念撮影。(前に座るコウベ氏の顔は一部塗り潰しています。)彼が作ってくれた焼きそばと味噌汁。穏やかな冬のピクニックのように見えるだろうが実はとんでもない暴風が吹き荒れた1日だったのだ。当地の最高気温は4度、風速は12m。最大瞬間風速はもっとあっただろう。こんな感じでみかん畑は酷い状態だった。麓のバス停も風で倒れていたぐらいだ。姫街道や登山道は木々に守られて風は強く感じなかったが山全体は地震のように揺れ、竹林はカランコロンと音を立てまるで台風の暴風域に入ったぐらいの突風が吹き荒れていた。 (写真が多過ぎるので明日に続く)ちなみに今日は名古屋でも積雪23cm、我が岡崎でも10cmほど積もり道路は大渋滞、高速道路はほとんどの区間通行止め、列車の遅れ、交通事故続出の東海地方であった。僕は10時過ぎに起き、のんびり家の前で雪だるまを作っていた。玄関からパシャリ
2014年12月18日
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今日のカメラマンの仕事は冷たい雨の中での撮影だった。いつもは軍手をしているのだが、今日のような雨の日は素手だ。濡れた軍手をしているともっと寒いのだ。昼過ぎから雨は強くなり気温も下がった。800枚ぐらいを撮り終えた時点の午後3時過ぎ、冷たさで指の感覚が無くなりシャッターを押せなくなった。バッテリー交換をするにもカメラの裏蓋を開けれないしやっと開けれても今度はバッテリーをつまみ出せないのだった。別に気分は滅入ってはいなかった。雪山で写真を撮るのはこれぐらいの寒さなんだし今日の寒さはそのための練習なんだと言い聞かせていた。気分とは裏腹に自分の指が動かなくなるのは面白いものだ。右手の感覚が無くなってカメラを持っていても落ちてしまう。落ちるといっても首からストラップをかけているので地面に落とすことはない。右手から滑り落ちるだけだ。だから左手を添えてカメラが滑り落ちないように撮っていた。その後もどうしても右指の感覚がなく不便だったので事務所の流し台で洗面器にお湯を入れて両手を入れた。しばらくグーパーしてたら少しは改善されたので撮影再開。結局、今日撮影した枚数は1320枚。いつもより数百枚少ない。終わりがけに雨はやみ、西の空がオレンジ色に染まった。今日1日寒い雨の中をがんばったご褒美のようだった。あ~、こういう日に限ってマイカメラ持って来てねえんだよなあ。明日は(ていうか本日は)山仲間のコウベくんと静岡の山に行く。気温むっちゃ下がるじゃん。しかも風速13mになるって!?まあいいや、それも楽しんじゃおう。
2014年12月16日
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車の運転が好きかと訊かれたら「まあ好き」なのだが朝陽に向かって東に走るとか、昼間に町中を走るとか夕方の渋滞を走るとかはどれも眠くなる。真っ直ぐな高速道路を走るのはもっと大嫌いなのである。夜のドライブ、しかも交通量の少ない道を走る、これはもう大好きでどれだけ走っていても苦にならない。先程、夜の11時頃に国道1号線を西に走った。次男をトヨタの寮に送っていったのだ。なんか同じような景色ばっかでつまんないせいもあり今夜も右折する場所を通り過ぎたようだ。うとうとしていた次男を起こして「なあ、ココどこ?」と訊く。「あ、お父さん、また行き過ぎたねえ」「同じような道ばっかだからさ、覚える気もねえんだよなあ」もちろん僕の車にはナビなんて邪道なものは装備されてない。あれを使ったらもう、道を覚える記憶力は失われていくしドライブじゃなく、ただ移動するという感覚になるようでイヤだ。道に迷うという楽しみが奪われるのだ。次の交差点でUターンするか。あれ?この釣り具屋さんってberryくんちのすぐ近くじゃん。ちょっと寄って行こうかな、とも思ったがまあ間違いなく迷惑な時間帯なので遠慮した。10代の頃、毎晩のように三ヶ根山スカイラインを走り込んでいて夜の10時になると家を出て友人と集まり、帰宅は3時や4時だった。翌朝6時から仕入れに行く八百屋の息子も誘いに行っていた。僕達はいつも寝不足で仕事に行き、身を削って遊び回っていた。今しかやれないだろうこと、いつ死んでも報われること、それが若い時の最優先課題だったのである。毎晩夜遊びに誘いに来る僕達に向かって八百屋の息子は「お前らと一緒にいるとそのうち死ぬ。お前らは悪魔だ」と言った。実際、深夜のカーチェイスで八百屋の息子は僕の目の前で大クラッシュを起こして1回転し、4車線通行止めになったこともある。彼は僕らの前から脱落していった。この歳になると知人宅を訪問する際は事前にアポを入れる。すっかりマナーのある大人になったのだ。あ、でも先日はberryくんの誕生日だったな。何か買って電撃訪問すればよかったかなあ。
2014年12月15日
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きれいな朝焼けを見た。こんな時、僕は異国にいる妄想をする。地図もない、言葉も通じない、あてもない。ただ時間だけはたっぷりとある。ずっと寝転んでてもいいし、他の街に行ってもいい。実際、そんな旅を幾度もした。独り旅だなんて寂しくないですか?とよく訊かれる。全く寂しくないどころか、嬉しくって仕方がない。ただ、その景色や空気を誰かと共有したいと思うことはある。草の上に寝転んでただずっと雲の流れを見上げるのだ。何も話さなくていい。心の内は分かるから。書き上げた途端に崩してしまう砂曼陀羅。今朝の雲を見ながら、スワヤンブナートにいる妄想をしていた。
2014年12月13日
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山と渓谷社が「ドキュメント御嶽山大噴火」という本を緊急刊行というかたちで出版した。僕は御嶽山が好きで何度か登ったことがあり、当ブログ右側の「フリーページ」でも御嶽の山行を載せている。今年9月の御嶽噴火では、まだ遺体が発見されてない人もいるわけでなんか今回の出版って早過ぎるような気がするんだよなあ。確かに山渓をはじめ出版業界ってのはビジネスだし、旬の話題の題材で出版するのは当然の流れっていうか、消費者の記憶に残ってるうちに出版ってのは商業的に理解できるが僕はとても買って読む気にはなれない。たとえば奇跡的に死者・行方不明者が出ずにいたならばそれなら少しは読んでみる気になったかもしれない。このいかにも(古い言葉でいえば)「フライデー的」な生還者からの証言を元にみたいな内容ってのは亡くなった人達や行方不明者達のことを考えると「おいおい、出版にあたって良心痛まねえか?」と思うのだ。もちろん出版社側はこう言うだろう。亡くなられた方々、遺族の皆様には心より哀悼の意を表すと共に生還者達の言葉によってなぜ生死が分かれたかを分析し加えて専門家による危険予知のノウハウを載せ、こんなことがこの先起こらないように敢えて出版し・・・。晴れて澄んだ日には岡崎や豊田から御嶽山が見える。すっかり雪が積もった御嶽は、朝陽を浴びてピンクに輝く。まだ噴煙が見えるのだ。墓標の狼煙(のろし)に見えるのだ。スポーツ新聞みたいな感覚でその本を読む気はないけどでも野次馬感覚ではない別の視点で読む人もいるんだろうな。【楽天ブックスならいつでも送料無料】ドキュメント御嶽山大噴火 [ 山と渓谷社 ]価格:864円(税込、送料込)
2014年12月11日
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先日レインウェアを買いに行った翌日、またしてもワークマンに防寒グッズを買いに行った。撥水+防寒対策のズボンが欲しかったので最強と思われる中綿入りズボン1900円を購入。ついでに室内履き用のスリッパブーツ350円も買った。早速防寒ズボンを履いてカメラマンの仕事をした。ところがである。暑過ぎて足に汗をかいてしまうのだ。ズボンの下にはヒートテックを履いていたということはジジイっぽいので公表するのは控えさせてもらうが、そのヒートテックがしっとりと汗ばむほどだったのだ。あまりの暑さにそのズボンを脱ぎたい気分だったがそうすると下半身はピチピチのヒートテックだけになるのでいくらなんでも格好悪いと、1日暑さを我慢したのであった。家に帰って妻や子供に「ちょい、コレ履いてみ。暖かいよ」とレビューの参考にしようと思ったのだが2人共「暑い!汗出てきた」とすぐに脱いでしまった。これはもう「ダイエット用サウナズボン」なのである。極寒地方の人にならお薦めだが、5度程度の低気温での着用はハッキリ申し上げてお薦めできない。暑過ぎる。一方のスリッパブーツは2階の仕事場で履いているがこれは適度に暖かいしスリッパのように脱げないしすり足で歩けば掃除にもなるので(笑)お薦めアイテム。まあズボンもスリッパブーツも避難小屋泊の時には使えるな。
2014年12月08日
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20歳の時に新穂高から奥穂高、上高地、槍ヶ岳、蝶ヶ岳あたりを1週間ずっと歩き回っていたことがあった。昼は木陰で寝て夜中は歩くとか、時々山小屋に泊まるとか今ではとても出来ないロングランの、ほとんど「放浪」といえる旅だった。しかも当時は普通のシャツやジャケット、スニーカーという装備だった。その間に1日か2日、雨に降られた。夕方、槍沢から槍ヶ岳に向かう途中の岩穴で寝ようと思ってその岩穴の中に入って寝袋を広げようとした時である。ライトで奥を照らしたら地蔵か何かが祀ってあった。「うわ、こりゃ怖ぇわ」とそこでの野宿を諦めた時に嵐がやってきた。簡易合羽を着ていたが夏といえど標高の高い山は冷える。寒さに震えながら真っ暗な霧の中を山小屋を探して歩いた。夜の9時頃に殺生ヒュッテを見つけて泊めさせてもらった。ロビーでは御巣鷹山に日航機が墜落したと宿泊客が騒いでいた。その時に懲りて以降、合羽はゴアテックスを使用していたのであるがまだたった30年弱しか着てないのに合羽本来の機能が無くなってしまった。アイロンで機能再生を試みても防水スプレーを塗ってももはや雨が滲みてインナーまで濡れてしまうようになったのだ。というわけで泣く泣くとりあえず新しい合羽を買ったのである。ゴアテックスの合羽は数万円するのでまた次回ということで今回ワークマンで買った合羽は1900円。しかし、ゴアテックスに比べてやっぱり蒸す感じがする。雨ははじくが合羽が息をしていないのである。ゴアテックスの合羽は山では必要なので近いうちに買わねば。
2014年12月07日
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中古車オークション会場で一緒に仕事をしている田中さん(あ、実名書いちゃった)が大根を持って来てくれた。無農薬で育てている大根を今朝掘ってきたらしい。うわ、めちゃデカい!今年の2月にもこんな大きな大根をくれたがそれを上回るデカさだ。この巨大大根(略して...あ、やめた(笑))のサイズを測ってみた。全長78cm、太さ(円周)44cm、重さ7.2kgだった。比較で並べて撮ったカップヌードルが小さく見える。昼からは預かっていた孫を連れて夫婦でショッピング。以前僕がやっていた店のビルには100均も入っているのだがそこで働いている顔見知りの女の人と挨拶した。普段は世間話やら近況やら色々話をするのだが僕が手を引いている孫の話はしないのである。普通なら「あら、今日は可愛い子と一緒ね」だとかそんな会話になりそうなのに、なぜか触れないのだ。彼女の表情を読み取った感じでは困惑していたようだ。「え?あの歳で子供作ったのか?」「子供の話を切り出したらフォローのしようがねえな...」「こりゃガキの話はしねえ方がいいな...」僕は見た目は歳相応よりも若く見られるので娘と歩いていても親子と見られないこともある。「歳の随分離れたカップル」と思われることもある。実際にずっと誤解されていたこともあるのだ。今日の女性も恐らく「孫」という発想は思いつかなかったと思われる。僕の孫だと思ったならば「今日はお孫さんと一緒なのね」と絶対に振ってくるはずなのである。ということは、僕が遅くから作った子供と思っているのだろう。話を振ってくれれば僕の方も「今日は孫の子守でさ」と言えたのだが。きっとバックヤードでは同僚とこんな話がされていたのかも。「ほら、前にこのビルでアクセの店やってた斎藤さん、 さっき小さな子供連れてたわよ。あの歳でよく作ったわ」「え、そうなの。まあ以前からスケベそうな顔してたけどね」「奥さんも一緒にいたけどさ、あの歳でよく産んだもんだわ」まあ、そんなところであろう。(笑)
2014年12月04日
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岡崎大橋を西に向かって走らせて最初の信号を右折。つまり北に向かうと岡崎市と豊田市の境になる。空気が澄んでいれば真正面の彼方に御嶽山が見える。左右を田んぼに挟まれた一本道である。右、つまり東を向けば三河の低山が見渡せる。曇りの日は山の中腹に雲がかかり水彩画のようである。今朝のようにシャキンと晴れ渡った冬の朝は三河の山の向こうから朝陽が昇って来る。朝陽に照らされた雲を見ながら運転していたら頭の中からは長淵剛のjeepが流れてきた。今の風景にピッタリじゃねえか。乗ってる車はjeepじゃねえけど。このまま高速道路に乗っかって遠くまでドライブしてえなあ。ジャンバーも持ってるし紅茶も食べ物も持ってる。ガソリンも満タンだしETCカードも持ってる。でもカメラマンの仕事があるし、あいにく風邪気味だ。持ってないのは勇気、サボる勇気。俺は臆病者。いやいや、それは勇気って呼ぶんじゃないよ。今までどれだけの過ちを勇気と勘違いして生きてきたんだろう。さてさて、ハンドルをしっかり握って、ちゃんと前向いて。次の角をちゃんと左に曲がるんだぞ。そんなこと考えながら東の空をパシャリ。
2014年12月03日
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犬についてのエピソードは結構ある。中学の同級生だったヤツの家で飼っていたバンはいつも腹ペコだったかどうかは知らないがエサを投げてやるとジャンプキャッチして喰っていた。ホッカホカの熱~い焼き芋を「ほれ!」と投げてやるとうまくキャッチして「キャイ~ン!」と鳴いて喜んで喰っていた。そのバンは友人が魚屋の大きな発泡スチロールに乗せて川で流して遊んでいたら三河湾まで流れて行ってしまいそれっきり2度と帰ってくることはなかったのである。きっとハワイのビーチで楽しく暮らしているのだろう。高校の同級生だったヤツの家で飼っていたジョンは僕が時々マジックで眉毛を書いてやっていた。ある時は非常に嬉しそうなニコニコ眉毛、ある時は八時二十分の困った眉毛、というふうにバリエーション豊富な顔にしてやっていた。ジョンは冷たいコーラが大好きなようで口に無理矢理流し込んでやると「キャンキャン!」と悲痛な鳴き声をしているかのように鳴いて喜んでいた。店を始めて海外へ買い付けに行くようになると日本の犬はかわいいもんだなあと思うようになった。アジアの犬はその縄張りに入ろうものなら威嚇してくる。バリ島のウブドゥ村で滞在していたコテージの裏通りは「野良犬ストリート」と命名したほど犬がたむろしておりそこを通る時はまさに寿命が縮む思いだったのである。タイのアユタヤ遺跡で野宿を企てた時も野良犬達に吠えまくられ野宿を断念し仕方なく近くのゲストハウスに泊まることにした。昼間はのんびり寝転んでいる犬どもは夜になるとまるで狼のように凶暴になるのである。僕が貸し自転車で全速力で逃げても引き離せない。僕が乗った自転車が通りを走っている自動車を追い越しその横を野良犬が吠えながら並走しているのである。奴らは走るのがとんでもなく速いのであった。そんなわけでまさか我が家で犬を飼うとは思ってもいなかった。しかし飼ってみると可愛いもので、まるで子供のようなのだ。飼っていたミニチュア・シュナウザーのルティさんが11月に死んだ。そのことを11月20日発売の雑誌「リバ」のエッセイに載せた。 ⇒【ペットの葬儀】
2014年12月01日
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