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今更ですが、亡くなった母はすごい人だったんだなとしみじみ思います。平凡な女性だと思っていたけど。亡くなってからいろいろわかって来て。亡くなった父はギャンブル三昧でお給料を家に入れないこともしばしば。母は正社員で働いていて何とか家計は回っていた。何度も父と離婚したらと勧めたけど母は最期まで首を縦に振らず。最後まで添い遂げた。定年後母の病気が発覚し、母は大手術を受けた。その頃は父も定年退職していたので母の世話は主に父がやっていた。母は痛いとか苦しいとかいうこともなく乗り越えた。なんとか病気を乗り越えた母と父は良く旅行していた。その写真がたくさん残されている。いろいろ苦労もしたけドその頃は幸せだったんじゃないかな。父が亡くなる直前、余命宣告されて錯乱したのか、母と離婚すると言い出して。それも母に電話しても母が着替えを持ってこなかったからという理由。母は免許もないし病院に来る足がない。バスを乗り継いでいけなくもないけど足も弱っているのに。だから病院に行くのはうちか弟の車に乗せてもらえる時だけ。そういうことをわかっていたのか、居なかったのか。母を冷たい女と言ってた。本当に冷たい女ならとっくに父を見放して離婚していただろう。散々苦労を掛けてそれでも離婚せずに連れ添ってきた母をそんな些細なことで離婚と騒いだ父は多分余命宣告されて錯乱していたのではないかと思う。父を看取って母はだんだん弱って来て認知症も出てきた。それでだんだん一人暮らしも大変になってきたのでホームに入れた。ホームには4年半いた。幸せな晩年だったのかな?母もまた昭和、平成、令和を生き抜いてきた人だった。先日母の遺品の中に有名な某画伯の絵のレプリカを発見した。いつそんなのを買ったのか知らなかった。好きな絵に囲まれて幸せな晩年だったならよかったなと思う。
2025.04.29
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亡くなった母について大抵のことは知っているつもりだった。ところが最近分かったこと。母が住んでいた県住に飾っていた絵。母の家を片付けるときに何となく母のお気に入りの絵だからとうちに持ってきた。そして母が亡くなってからは仏壇の横に飾っておいた。それを49日に来た長女がおばあちゃんの形見としてほしいというのであげた。長女は玄関を片付けて飾った写メを送ってきた。まるで最初からそこにあったみたいにマッチしていた。その後長女がこの絵のことをネットで調べたら某有名な画伯の書いた絵のレプリカとわかった。ネットでも販売されているレプリカは多種類あって高いものは数十万円、安いものは数千円。母が数十万円もするような絵を買うとは思えない。数千円なら買うかも。もともとは母は絵が好きで元気なころは水墨画を習いに行っていた。美術館で絵を見るのが好きで旅行に行くと必ず美術館に行った。でも父と行くと父は全く絵に興味がないので、立ち止まってゆっくり見ている母を置いてさっさと行ってしまうと母が生前こぼしていた。でも両親はネットはやらなかったし、ネットで絵画を買うなんてないと思う。母は一体その絵をどこで買ったのだろう?画廊とかに行ったという話も聞かないし、誰かにもらった?母の友達数人は知っているけどそんな美術の趣味がある人は聞いたことがないし。数千円でもお金を出して買ったものを人に上げるかな?というのもあるし。もしかしたら誰か友人知人の遺品かな?それも聞いたことがない。元気なころに聞いておけばよかった、今となっては聞くことはできない。私の知らない母の一面を見た気がした。また母はアクセサリーにはあまり興味がないんだと思っていた。たまにジャケットの襟にブローチをつけているのは見たことがあるけど。母の家を整理したらアクセサリーを入れた木箱があった。見てみたらネックレスとかもいろいろあった。こんなのいつ買ったのだろう?また値札が付いているママのもあって、買ったけどつけずに眺めていた?母の知らない面が色々あっておどろいた。私が知っていると思っていたのは母のほんの一面に過ぎなかったのだろうか?友達との旅行写真でもいつも真ん中に映っていた。母はいつも人の後ろについて行く人かと思っていたのでそれも意外だった。グループの中のリーダー的存在だった?あまり自己主張とかの少ない人だと思っていたのに。たくさん聞いてみたいことが出てきたけどもう聞けないなあ。いつか私があちらに行ったら聞いてみようかな?
2025.04.27
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本日母の49日が無事に終了しました。私たち夫婦の他長女が来てくれました。10時にお坊さんが到着。先日仕上がった母の位牌に魂を入れてもらいお経をあげてもらいました。お経が長くて途中で私はギブアップ椅子を持ってくるわ、長女もしびれて立てないわ。仕方ないね。現代人は正座には慣れてない。椅子の生活が多いから。それから駅に向かって歩いて長女とお昼ご飯を食べました。長女に母の遺品の中からベストをあげたら喜んで着て帰りました。でも着てきたカーデガンをうちに忘れてきた長女。あちゃー。仕方ないのでまた家に戻る。今日はたくさん歩いたね。そして再度長女とお別れ。今日はお疲れ、ありがとうね。母には孫は3人、ひ孫は5人いるけど、結局49日に来たのは長女だけ。でも母はそんなことには関係なく、多分空の上からみんなを見守っていると思うよ。49日が無事終わってほっとした。けどまた次の問題が発生。まだ日記に詳しいことはかけないけど、悩みは尽きない。いい方向に進みますよう、母に見守っていてもらいたいです。
2025.04.25
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家族間ではなんでも話して秘密はないのがいいのかもしれない。でもうちは夫には何でも話さない。何度も日記にも書いているけど夫に話すとなんでも義実家に話してしまう。いくら言わないでと口止めしても話す。逆になんで話したらあかんの?と聞いてくる。私が話してほしくないというのは夫にとっては話してはいけない理由にはならないらしい。それと夫の考えでは義家族も家族だという考えなので秘密を持つべきでないと思っている様子。私の考えでは義家族は親族で家族ではないと思っている。だから何でも話すつもりはないし、余計な干渉や嫌がらせは受けたくないと思っている。義実家に関係ないようなことを話しても干渉され、嫌みを言われてきたから私は余計なことは義実家に話したくないし、私はそうしてきた。すると夫に話さないのが一番いい方法だということになる。例えば私がパソコンを習いだしたら、そのことは黙っててと夫に言ってたのに義姉に話した。すると「パソコンなんて習って何になるんや」と言われた。当時はまだ透析もしていなかったからパソコンを使う仕事がしたかったから。でもそんな説明なんてしたくないし、それを話したら年賀状の印刷を頼まれた。そんな風にけなしておきながら調子よく頼んでくる義姉の気持ちは全く分からない。もちろんお断りした。無難なようにプリンターが壊れていると言った。義家族はいつも言いたいことを言いっぱなしで覚えていないし、まして反省なんてしないような人たちだなと思った。しばらく足が遠のいていたら、何か気に障るようなことを言ったかな?というような反省は皆無で「最近来ないけど、どうしたの?遠慮しないでまた来なさい」と舅にいわれたことがある。遠慮ではなく行きたくないところだから行かないのだけど、それは伝わらない。夫は義家族はいい人たちばかりだから嫁が嫌がるなんてありえないと思っている。次女の結婚の時式も結納もしないと言ったら、「どうせ変な人だろうからお祝いなんてしない」と宣言された。お祝いしたくないならそれでもいい。普段のお正月でもうちの娘たちへのお年玉を渡すときに「私は子供も孫もいないから出すばかり」などと言いながら渡してくるから娘たちも義姉を嫌っていた。そんなことを言いながらくれるなんてお年玉なんて欲しくないし、結婚祝いもいらない。そしてこのときの結婚は結局離婚になった。「それ見たことか?」と言われるだろうと離婚のことは言わないでと言ったのに夫話してしまう。その後再婚したことも、電話がかかったついでに「結婚したんやて。おめでとう」と一応まともな反応だったけど、そもそも離婚のことは言わないでと言っていたのに結局離婚のことも再婚のことも話していた夫。そしていろんなことがあって夫には義実家に言われる前提で話す。私が言っていいことと言わないでほしいことを考えて夫に話す。私はだんだん義実家と距離を置いてあんまり行かなくなった。すると義実家で聞いて来た私の悪口を夫は帰って私に話す。そんなことは言わなくていいし、聞きたくないのに何度も話す。一体どういうつもりなのだろう?そんなことを聞いてはますます義実家を嫌いになるし行きたくなくなる。結局嫁姑、小姑との関係をうまくできるのもできないのも間に立つ夫のやり方できまる。夫のように嫁の嫌がることを義実家に話したり、逆に悪く言っていたことを嫁に話したりしたら絶対にうまく行くはずがない。それを夫はいまだにわからない。結婚して40年、義両親はすでに亡くなり義実家に住むのは義姉一人。夫は義姉に月命日だから来てと言われたら行くけど私には一緒に行こうと強要はしない。もちろん私も行く気がない。今までさんざん嫌味や嫌がらせをしてきた相手とわざわざ会いたいわけはない。このまま疎遠でもいいと思っている。今後の付き合いは冠婚葬祭だけ。と言っても今後は誰かのお葬式だけだろうけど、それだけと思っている。人とうまく付き合うには、一言いう前によく考えて相手が嫌がるであろうことは言わないようにする。どうしても言いたいときは言い方を考えるなど夫や義姉から色んなことを学んだ。反面教師。たった一言の失言で一気に関係が悪くなり、疎遠になることもありうる。家族だから何を言ってもいいわけではないし、親子兄弟間で疎遠になっているようなことはよく聞く。家族関係も他人との人間関係も基本的には同じ。大事にしたい人とは余計なことを言わないようにして末永く付き合いたい。言わないでと口止めされたことは他言せず、相手の話は親身になって聞いて信頼関係を築ければ末永く付き合える。そう言う関係が夫や義家族と築くことができればよかったんだけど、何も考えずに何でも喋る人たちとは付き合うことはむずかしい。
2025.04.24
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先日母の位牌を頼みに行ったときの事。仏壇やさんのおじさんが言った。夫婦位牌で片側は8年前に亡くなった父の戒名が彫られている。その隣に母の戒名を頼んだら、「隣にお母さんの戒名を彫ったら、お父さんの戒名が年数がたっているからくすんで見える。お父さんの戒名にも金粉振っておきましょうか?」そうなんだ。それで追加料金を払ってお願いした。金曜日にもらってきた位牌はピカピカ。父の戒名も同じように光っている。でもね。ずっと昔に亡くなった祖父母の位牌、ご先祖の位牌と並べたら、やっぱり古いものは古い。祖父母の位牌、ご先祖の位牌まで金粉でピカピカにはできない。古いものは古くて自然でいいかなということにしておこう(笑)親せきの家ではおじさんが亡くなって30年くらいたっておばさんが亡くなった。夫婦位牌のおじさんの戒名はやっぱりくすんでいるから、思い切ってもう一つ夫婦位牌を頼んでおじさんとおばさんの戒名を彫ってもらったという。おかげで30年前に亡くなったおじさんの位牌もピカピカ。ところで先日何かで読んだらアンケートで戒名は要らないと思うという人が半数いたらしい。今は仏壇のない家も多いし、戒名もそのうちなくなるかも。戒名を頼んだ仏壇やさんには昔からあるような大きな仏壇から、整理ダンスの上における様なコンパクトな仏壇、いろんな仏壇の道具が並んでいた。私が行ったとき、おじさんは暇そうに椅子で寝ていた。ふと思った。この店を継ぐ人はいるのかな?だんだん戒名や仏壇が廃れて来たら、この仏壇やさんもおじさんの代で終わるかも。お墓がない家も多いから、お彼岸やお盆の墓参りの習慣もだんだんなくなっていくのかな?そういう私も実家の仏壇はいづれ仏壇じまいをして、位牌はどうする?と迷っている。残しても娘たちには負担になるだけだしね。
2025.04.21
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周りの友達や知人、同年配の人たちは親を介護している人も結構いる。一人暮らしのお母さんのところにしょっちゅう泊まり込みで面倒を見に行っている人。あるいは実家に住む弟さんと協力して昼間は娘である友達が様子を見に行き、夜間は弟さんが見ている家。私たちの両親くらいの年頃の人はホームを嫌がる、家にヘルパーさんが来るのも嫌がる人が多い。でもだんだん年取ってからだが自由に動かないとなると誰かの世話にならないと生活が回らない。今は子供の数も少ないし、必ずしも実家の近くに住んでいるとは限らない。遠距離介護に毎週末実家に通う人もいる。また子供たちにも生活がある。介護のために長期に仕事を休むとかやめるとかいうのもあまり現実的でない。親の介護が終わってさて自分たちはどうなる?という心配もある。去年私はある手術を主治医に勧められていた。手術となれば長女に手術日に仕事を休んでついていてくれないか?と聞いてみた。長女は断ってきた。私の有給も私のお金も自分のために使いたいという。育ててきたとか、今まで経済的に大変だった長女を何度も援助してきたからと言って恩に着せるつもりは毛頭ないけど、その返事を冷たく感じた。そして思った。子供と言えども一人の人間、生活も仕事もあるのに介護とか親の面倒とかを強要はできない。それは尊重しないとと思った。我が家は長女は未婚、次女は夫と子供2人の4人家族。次女には付き添いは頼みづらい。結局手術はしないことになった。夫は楽観的に長女がいるからいざ介護が必要になれば長女がしてくれるという。長女ははっきりするつもりはないと宣言している。遺産なんて残さなくていいから、体が動かなくなって一人暮らしができなくなれば施設に行ってほしいという。今後体が弱ってくれば入院や手術とかもあるだろうし、元気なうちに行きたいところへ行ったり、私のお金は自分のために使うようにしようと思った。時々長女と会ってご飯を食べる、そのご飯代くらいは出すつもりはあるけど、それ以上の援助は今後控えておこう。長女も40歳なのでいつまでも親の援助をあてにするような年ではない。これからは子供たちへの援助はほどほどにして、見返りを期待しないで自分の老後を楽しく充実させていこうと思う。自由にやりたいことをできる期間はそんなに長くない。子育ても終わり、親も見送ってこれからは自分の時間、時間もお金も自分のために使おう。子供たちとは経済的に依存しあわないで、でも時々あって交流はしたい。結局子供がいてもいなくても老後は一人になる覚悟が必要かもしれない。一人で生活し、一人で最後はどこで迎えるか決めて、自分の思い通りの最期を迎える。それが理想だけど。そんなにうまく行くかどうかはわからないけど。
2025.04.20
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私は偏平足で土踏まずがない。だから少し歩くと足の裏が痛くなる。土踏まずがある人は足の裏にアーチがあってそれをうまく使って歩くのにそれがないから少し歩いただけで疲れてしまう。偏平足でおまけに外反母趾。一時は整形外科に通っていた。理学療法士の人にいろいろ教わって上手に付き合っていく方法を知った。百均で買ってきたテニスボールを足の裏で転がす。タオルを床に置いて足の指を使って歩かせる。足の指の間に手の指を絡ませて内側外側に折り曲げて指を動かす。これを毎朝晩やっています。ちゃんと手入れをしたら痛みは少ないようです。生前母に言ったことがあります。「私は土踏まずがないねん。もしかしたら生まれつきなかったのかもしれん」と。母は「ちゃんとあるように産んだのになくしたのはあんたの責任や(笑)」最近こんな母との何気ないやり問いを良く思い出す。こんなことを話して笑い合っていたのにもう母はいないから仏壇に話しかけるしかないのかな?でも父が亡くなって母が一人暮らしになってから、私と母の間にはこんな小さな何気ないやり取りの想い出がたくさんある。時には笑って、時には怒ってけんかになったり。そんな一つ一つの想い出がとても懐かしくいとおしい。二度と戻らない日々。私と母の土踏まずをめぐる思い出(^^♪コメント
2025.04.19
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母のホームの費用とかいろんなものを引き落としている口座を弟が早々に解約してしまったので、母の生前の住所であるうちに市役所からとか訪問歯科とか薬局から費用が落ちないという連絡が来る。今日も二件振込。弟とはもう何も話したくないので私が処理します。こういうことがあるから4月中くらいは口座解約は待ってと言っていたのに、先週ハンコと署名を書く書類を持ってきた。もう何も言わずにサインした。もともと弟とは疎遠だったので早く元の疎遠に戻りたくて。これを書いたら疎遠に戻れると思ったら、引き落としってかなり遅れて引き落とすということを初めて知った。。今頃2月分が引き落とせないと連絡が来る、先日は後期高齢者保険の9期分。今日は毎月来てもらっていた母の訪問歯科。歯の手入れとか誤嚥性肺炎の予防とかで来てもらっていた。2月分の請求。3月9日に亡くなったから3月分の請求はないかも。合っても少額だろう。そして薬局の支払い。ホームの主治医から処方箋が渡って薬局から母の薬と母のおしめとかの消耗品が届く仕組みになっている。これも銀行引き落とし。これも2月分。母は入院するまで主治医の指示で訪問介護の人が来て点滴とかしていたと思うのでそれも今後請求がきそう。ということは母のいたホームの費用も2月分3月分の引き落としもまだできていない?私の手元には母の預金から下ろしたお金がある。それで何とか支払えそう。引き落としだけでなく後期高齢者高額療養費がいくらか支給される。先日それが来たから私の口座に振り込んでもらう手続きをした。入ってくるお金と引き落とされるお金。それでトントンになるかな?残りがあれば弟の口座に振り込むつもりだったけど残りはないかも。今日も市役所から書類が来た。読んでもよくわからないので明日問い合わせる。年のせいなのかむずかしい書類を読んでもよく意味が分からなくて電話することが多い。今パソコンで母の支払明細書を作っている。もし残るお金がないようなら明細だけを弟に送るつもり。後は先日手続した母の口座に残るいわゆる遺産が私の口座に振り込まれたら手続きはすべて終わりのはず。人が亡くなった後の手続きがこんなに大変だとは思わなかった。だから弟には預金の解約を急ぐなと行ったのに。私の言うことを聞き流したのか、それとも何かお金のいる事情でもあったのか?どちらにしてももう多分今後は弟からは連絡が来ないと思う。母がホームに入所する前は弟から連絡が来ることもなかった。今後はまた以前の疎遠に戻るだけのこと。こちらは付き合わなくてもちっとも困らない。むしろそのほうがいいと思っている。こちらに迷惑がかからなければそれでいい。また以前の疎遠に戻るだけ。生き方も考え方も違うし、無理に付き合いたくはない。兄弟は他人の始まり、昔の人の言うとおりだ。家だけではないと思う。いろんな事情で兄弟が疎遠になるのはよく聞く話だし。別に珍しくもない話だと思っている。
2025.04.16
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今日のパソコン同好会。エクセルの関数を使って電話連絡網を作った。先生、わざと一番手がかかるやり方をまず教えてそのあとこんな簡単にできるやり方もあるよと、教える。ちょっと意地悪(笑)でもおかげでどうやったら簡単にできるかも学べた。最後に先生がエクセルで作った家系図?過去帳?を見せてもらった。過去帳って知ってます?私は実物は見たことがなかった。イメージでは和紙に毛筆で書いてある感じを想像していた。先生のエクセルの過去帳は非常に詳しくて先生のご両親。祖父母、その上の方々。そして子供たちや孫たち。それぞれの別れてきた親せきの子供や孫たちまで載っていた。氏名と生年月日、亡くなった人は命日。そして亡くなっている人は色を変えていてわかりやすい。戸籍謄本を取り寄せて調べたそうだ。先生がそれぞれの家の仏壇の中にあると思うから見てみたらいいという。今うちには実家の仏壇があるからさっそく見てみた。そんな私のイメージ通りの和紙で書いたものはなかった。小さい過去帳と印刷した紙に祖父母と父の戒名が書いてあった。後知らない人の戒名、これは祖父の父?もしくは父の兄のおじさん?父は次男だったけどなぜか両親と一緒に住んでいて、長男であるおじは別居していた。だから仏壇もうちにあった。もう聞ける人はいなくなってしまった。父の兄弟も母の兄弟もすべて逝ってしまったから。父と母は親せき同士で結婚しているからだれか健在ならわかったかもだけど。それで思い出した。父の生まれた家は神戸大空襲で焼けてしまったことを。お仏壇はそのあと祖父が亡くなったときに買ったと聞いている。焼ける前のもともとの家に仏壇や過去帳があったかどうかはわからない。仏壇があって本家みたいな家なら代々伝わっているかもしれない。夫の方は舅が若いときにこちらに出てきたけど、舅の実家には正式な過去帳があるのかもしれない。田舎だから作り付けの仏壇とかもあるかも。実家にあった仏壇は小さいころから見慣れている。私も祖父母の戒名まではわかるけどその前の人はわからない。その前の人たちは何枚か板に戒名が書いて会って一つの戒名の箱?に収まっていて母はその人たちを知らないと言っていた。先生のようなエクセルで過去帳を作るのは無理っぽい。自分のルーツがわかるかもしれないけど。まああくまで参考程度だな。
2025.04.16
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まず歯科、9時40分の予約、昨日とはうってかわっていいお天気なので日傘を持っていきました。4月の紫外線危険ですから(^^♪ここの歯科の先生は紳士的で穏やかな先生。でも歯科はあまり好きではない。まず顔にタオルを掛けられるのが嫌。なんだか亡くなった人見たいだから。でも他の歯科ではタオルをかけていても容赦なく顔につばが飛んでくるのでその点ここではそういうことはない。今日は椅子に座って椅子を倒されるときぐるぐる回るような気がした。目をつぶって耐える。椅子だから倒れる心配はないけどどうしちゃったんだろう。今日は入れ歯の調整。終わって恐る恐る立ち上がったら目眩はなくなった。それから整形に移動。整形は駅前なのでバスで移動する。整形に移動して今日は月曜日のわりに空いていたのはよかったけど、そこで思い出した。歯科の入り口の傘入れに日傘を忘れてきた。あちゃー、取りに行かなくちゃ。整形の治療が終わって駅前に移動。バスがすぐ来ないのでタクシーで歯科へ移動。歯科は駅から山手の方なので登坂、歩きたくない"(-""-)"4月から使える市からのタクシー券をさっそく使う。こういう時ありがたい。タクシーを降りて歯科の入り口の日傘を取りに行く。歯科から家までは歩く。本日のウオーキング、6223歩バスやタクシーを利用してもこれだけ歩いた。傘を歯科で忘れてきたことは夫には言わない。それでなくても日傘を忘れて来た前科は多数。帰ってこなかった日傘は3本。これ以上記録を増やしたくないし、夫にうっかり話したらお前はそそっかしいと説教モードに入るから聞きたくないし。人間忘れることってあるよね←自分に甘い私(笑)でもこの日傘は晴雨兼用で高かったし、お気に入りだから忘れないようにしないと。何か所も回るときは折り畳みの晴雨兼用傘にしよう。もう置き忘れはしたくないから。
2025.04.14
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おかしな電話がかかってくる。お伝えしたいことがあります。1を押してください。オペレーターにおつなぎします。絶対に1なんて押さない。自動音声何て怪しさ200%だし。用件も言わない相手の言うとおりになんてしない。切っても切っても今朝から何度もかかっている。これが最後のお知らせですと言いながら(笑)最後と違うんかい?(笑)固定電話、最近はセールス関係ばかりだから解約したほうがいいのかな?セールス以外でかかってくるのは義実家の義姉くらい。夫が携帯を持ち歩かないので連絡はすべて家電に掛かってくる。と言っても月に1,2回。別の怪しい電話。この電話は2時間後に切断されます。ってなんで?電話料金は滞納していないし、何なら固定電話解約しようかと思っているから切断してもらってもいい。手続きそちらでやってくれるなら大助かり。(笑)っていうか滞納にしてもいきなり切断はあり得ない。銀行引き落としが落ちなかったらお知らせが先に来るはず。2回目の引き落とし日に間に合うように入金したらセーフなのは知ってる。最近は引き落としできないことはほぼない。と不審な自動電話に突っ込んでみました。(^^♪ってこういうの迷惑なんだけどどうやったら止められる?何か方法はある?先の「1を押せ電話」は留守電に2件も入ってたし。後はすべてセールス。いらないものを買いますとか、リフォームしませんか?とか。固定電話を解約する人の気持ちわかるなあ。
2025.04.14
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親っていつまでも当たり前のようにいてくれるんじゃないと今になって気がつく。一緒にいられる年月はいつか終わりが来ると改めて思う。今日は母の誕生日。生きていたら92歳になる。母の91年の生涯、幸せだったのかな?色々な苦労はあったものの父が定年になってからは、好きだった水墨画を習い、父とあちらこちらに旅行に行った。最後の3年間はグループホームで過ごした。コロナでなかなか面会に行けなかったけど会えないときは手紙を持って行ったりした。母のホームは私があちらこちら見学に行って結局私が歩いて行ける距離のところにした。ホームのイベントで時々送られてくる写真にはたくさんの母の笑顔があって、このホームを選んでよかったと思った。色々な思い、後悔もあるけどあちらで心安らかに過ごしてね。父とは会えたかな?今からでも子供にできる最後の親孝行は子供が幸せに過ごすことという文章を見つけました。これからときどきは母のことを思い出しながら、私なりに生きていきます。見守っていてね。
2025.04.11
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私が通っているパソコンも体操もだいたいの人は70代。今は70代は元気に自分のやりたいことをやっていく年代なんだね。皆さん生き生きとして元気いっぱい。ああいう年の取り方をしないとといつも感心させられる。最近パソコンでも体操でも家にある自分の不要なもの、たくさんありすぎて使いきれないものを持ち寄って、欲しい人に上げたりすることが多い。体操の代表さんはそれらのものを利用してくじ引きやじゃんけんで勝った人に上げるイベントを時々やる。人数が多いから全員に上げるのは無理でもこういう風にしたら全員が楽しめる。私はハンカチや手提げや色んなものをいただいた。それはそれでいいんだけど、気が付けば我が家にも同じような不用品がある。わが家も終活や断捨離をして物を減らさないとな、そういうのは元気なうち出ないとできないし、残しておけば娘たちが困るだけ。だんだん片付けて行かないとな。先輩方を見習って(^^♪昔実家の父母が元気だったころ、母が押入れの片づけをしようとしたときに父が言った言葉。そんなこと今しなくても自分たちが亡くなった後で私と弟がやってくれるから。それを聞いてぞっとしたのを覚えている。そんな風に思っていたのかとびっくりした。いいものを残しておくならともかく子供から見て不用品をたくさん残されてもと思う。でも父母が健在なうちは勝手に捨てるのはできなかった。母がホームに映ってから問題の押入れを開けて見たら、たくさんの古着。多分着道楽だった母の姉、おばから送ってきたものらしく大柄なサイズが多かった。母には大きすぎるものばかり、母は捨てるのはもったいないからとわざわざ衣装ケースを買ってまで保管していた。私も一時叔母の着ていたコートをあげるから持って帰れと言われた。全然趣味じゃないし、いらないと断ったらまた翌年の冬にもそれを出してきて同じことを言われた。それが何回か続いては母ようやくあきらめたようだ。物のない時代を過ごしてきた父母の年代はそういう人が多いのかもしれない。実家の片づけは結構大変だった。母がホームに持っていけるものとうちでもらうものそして思い切って捨てるもの。ほとんど捨てるものが多かった。やっぱり元気なうちに片づけておかないと思った。けど我が家の断捨離はなかなか進まない(笑)
2025.04.10
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亡くなった母にお香典をいただいた。実家はもともと親せき付き合いがそんなになく、父の兄弟、母の兄弟はすでに皆なくなって父や母のおい、姪もほぼ付き合いがない。一応残っている父の妹の旦那さん、おじさんと母の実家には母が亡くなったことを伝えた。父の姪に当たる人が今も叔父の家に住んでいてその人からお手紙とお香典が届いた。母の実家は実家の後を継いだ母のお姉さんはすでに亡くなっていていとこの長男さんが継いでいて、いとこのお嫁さんからお香典が届いた。最近は冠婚葬祭のお返しがカタログで好きなもの、欲しいものを選んでもらう形になっていて、昨日そのお店に見に行ってみた。カタログは確かにきれいに製本されているけど、私的にはあまり欲しいと思うものはなくなんだか心がこもってない気がして、結局頼まないで帰ってきた。特にいとこの奥さんは仕事もしていて忙しい中、おばのお香典返しを送ってくれたけど中身がいろんな店で買い求めた詰め合わせ。そういう人にカタログをポンと送るのはなんだか事務的で気が進まない。最近は贈答品専門のお店が減っているのだろうか?うちの近所でも知人が贈答品専門店を開いていたけど昨年末で閉店していた。あそこがあれば便利だったのにと思ってネット検索。少し東の方にあるのをみつけたのであそこに行ってみようと思っている。ネットで調べてみたら香典返しは49日が終わってからとか書いてあったしもう少し考えてみよう。49日は4月25日、それまでに位牌ができてくるはずなのでお坊さんには49日の法要と位牌に魂を入れてもらう予定。多分私と夫だけで行うと思う。喪主の弟がお坊さんも呼ばないし戒名も頼まないというのを、私がささやかでも母を送って初七日と49日だけでもと思ってやることにした。49日が終わったら次は納骨と仏壇じまいのタイミング。色々と悩ましい、いつがいいのかまだ考え中。
2025.04.05
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昔からのことわざに「子をもって知る親の恩」とか「墓に布団は着せられぬ」などと言われている。確かに自分で出産や子育てを経験して初めて親の苦労、中でも母の気持ちがよくわかるようになった。母が子供にいろいろしてくれることは当たり前ではない。自分は食べなくても子供には食べさせる。そんな母の気持ちはずっと感じていた。母が入っていたホームに入居した日の事。母の入所を歓迎してケーキで歓迎会を開いてくれた。その時私も一緒にケーキをお相伴したのだけど、母が自分のケーキのイチゴをフォークで刺して私のケーキに置いた。私のケーキにはイチゴはなかった。イチゴの数でなく人数で切り分けたらイチゴのない人もいたから。するとスタッフさんが「イチゴ嫌いですか?」と聞いた。母は無言。その時私は「私のケーキにイチゴがないからくれたのだと思います」と答えた。母はこういう人だとわかっていたから。私は幼いころから弟を溺愛していて扱いが不平等なのに不満を持っていた。でも今になれば私が主に母の介護をしていて、母の気持ちもある程度は理解できるし、亡くなってみたら私にはこんな母の想い出がたくさんある。弟には母のそんな気持ちが最後まで理解できなかったようで、母の供養を放棄している。私は仏壇と遺骨を引き取り出来る限り供養はするつもり。と言っても私は嫁いだ身で夫は今後もずっと仏壇を家に置くことに理解がないのでいづれは仏壇じまいをすることになる。夫は仏壇や供養は弟がするべきだと思っていて、私がするのはおかしいという。まあ夫も義父母の介護もその後の供養もすべて義姉任せなので人の事は言えないと思うけどね。周りを見回すと弟や夫の様な男性は結構多い。昭和生まれの父も当たり前のように好き勝手して母を苦しめた。女性が男性の面倒を見るのが当たり前でなく感謝すべきことなのがわかっていない。それは夫婦でも親子でもまた兄弟姉妹でも同じことだと思う。今になって気が付いた。供養というのは自分の気持ちを安定させて亡くなった人に心配を掛けないようにするためにするのだということに。だから供養をする気にならない弟は親不孝と言えば親不孝だけど、それはその人の生き方価値観の問題だから説得して変わるものではない。だから今後も弟には何も言うつもりはないし私は私で自分の気のすむように母を供養して母を亡くした心の整理をつけていく。いつか弟は母の想いに気が付く日が来るかもしれないし、そんな日は永遠に来ないかもしれない。それはそれで仕方がないし、それが弟の人生、生き方ということ。弟は母の遺産にしか関心がなく、すべての手続きが終わればまた弟との関係はまた疎遠に戻る。まだ弟が母の遺産を独り占めしないで私と2等分と言っているだけましかも。親との関係、兄弟との関係はいろんなことを私に教えてくれたし、考えさせられた。どんなことがあっても私は私で私のやるべきことをやるだけ。自分の気持ちに沿って。
2025.04.03
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今私の家にある仏壇は実家の代々の仏壇。これは仏壇じまいすることで弟も納得している。今位牌を彫ってもらっているところで49日にお坊さんに来てもらって位牌に魂を入れてもらうことになっている。そのあとどの段階で仏壇じまいをしようか?は考え中。そして仏壇じまいの後の位牌をどうするか?私の両親の位牌と祖父母の位牌。そしてその前のご先祖様の位牌が一つの位牌に入っている。何代前から入っているのか私は見たことがないからわからない。祖父母の祖父母くらいまではいっているかもしれない。仏壇じまいをしたら位牌が残る。位牌は遺骨と一緒に引き取ってもらえないらしい。遺骨は納骨をする。そのタイミングも今考え中。仏壇じまいをして納骨をした後の位牌はどうする?親せきで仏壇がないし、買っても引き継ぐ親族がいないということで厨子に両親の位牌を入れている人がいる。でも調べたら厨子も結構お高いし、自分が死んだあと誰がそれを見るのか、また処分するのかと考えたら結局厨子を残したら娘たちの負担になる。位牌はどうする?もうしばらくは置いておきたい気もある。でも私が元気なうちになんとか落ち着き先を決めたい気持ちもある。悩ましい。周りで墓じまいや仏壇じまいの話をよく聞く。実家には墓はないので墓じまいは必要ないけど、義実家は墓がある。義姉はいづれは墓じまいと言っているけど具体的には何も進んでいない。義姉も高齢なのでいつ墓じまいをするのか決めておいてほしいと思うけどまだその話は具体的には聞いてない。義実家の墓は長い坂の上にあり、夫が免許返上したら義姉たちはお墓参りにも行けなくなると思う。結局問題は山積み"(-""-)"なかなかスパッときめられない"(-""-)"
2025.04.02
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老後は子供をあてにはできない。子供のいない知人はよく子供さんは女の子2人?いいわねと良く言われる。でも子供がいてもいなくても自分の老後は自分で考えて準備するのが理想だと思っている。わが家はすでに夫が定年になり夫婦そろって年金生活。老後資金は十分に用意できているとはいいがたいが、それでも娘たちを頼らないで何とかやっていきたいと思っている。娘たちも自分たちの生活で手いっぱいで経済的にもまた、介護などの手伝いも頼れないと思っている。夫は長女が未婚なので老後は任せられるとか楽観的に考えている。長女にははっきり老後は見るつもりはないから、遺産もいらないから老後とかホームに行くために使ってと言われている。そうはっきり言われてしまうと寂しい気もする。長女が一人暮らしを始めてからいろいろ援助してきたことを恩に着せるつもりはないけどこころの隅ではそうは言っても少しは考えてくれるかもという気持ちが少しはあった。でも長女がそういう考えなら今後は援助はほどほどにしないとなと思っている。もう長女もいい年だしいつまでも親に援助を期待する年齢でもないだろうし。例えば一緒にご飯を食べたらご飯代を私が出すくらいは別にいいとは思うけど長女が不意の出費がかさんでお金がないというときの援助はこれからはだんだん減らしていくつもり、長女は少しお金がたまったら好きな韓国旅行に使うから、お金がない。それを親が援助するのはきついようだけど考え物だなと思う。いつまでも甘やかすのは本人のためにならないし、私もドライに割り切って自分の資産は自分のために使おう。うちは特別にドライな親子関係なんだろうか?よその親子関係がどうであろうと、うちは家という考え方でやっていくしかないかな?よその親子をうらやましく思ったとしても同じようになれるわけでもないし。老後一人になったときに入院とかホーム入所とかの保証人くらいは頼まないとと思うけどそれ以外の金銭的な負担や介護とかは期待しないでおこう。老後は夫婦どちらが先に逝って、あとに残るかはわからないけどおひとりさまを生きる覚悟だけは必要だと思う。
2025.04.02
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