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私は過去に何度も入院を経験している。入院の時病院から入院案内を渡され持って行くものもそこに書いてあるがこういうのを持っていったらいいと言う物も色々とあった。体験者から入院に必要なものを今日は書いて見ようと思う。まず食事関係お箸は箸箱に入ったものコレは多分入院案内に書いてあると思う。スプーンは大小二種類。ウエットティッシュ、爪楊枝、サランラップ、配膳の時に検査等で部屋にいなかったらラップしておいてくれる。急須が書いてあることもあるが暖かいのを飲みたかったら保温が出来る水筒がお勧め。口が広くて洗いやすいのがいい。薬の白湯用と二本持ってくる人もいる。コップは湯のみより手のついたマグカップのほうが病人には持ちやすい。コップや箸を洗うのにスポンジ、使用後は絞ってネットに入れてかけておくと清潔に保てる。入浴関係シャンプーは旅行用の小さいものの方が軽くて浴室への持ち運びに便利。入浴できない病人用にはドライシャンプーがお勧め。後髪を乾かすのにドライアーもあったほうがいい。入浴用のタオルはナイロンタオルの方が乾きやすくていい。洗濯用品重病でなければ病院内に洗濯機も乾燥機もあるから洗濯をするといい。洗濯石鹸、洗濯機乾燥機の使用は一回100円を取るところが多いので百円玉を2000~3000円分くらいあるといい。洗濯後タオル類は湿っていることが多いので針金ハンガーや孫の手を利用すればタオルくらいなら室内で干すことが出来る。洗濯ばさみ2~3個洗濯後はパジャマ下着を一回分づつセットしておくとさっと取り出せる。誰かに出してもらうときも分かりやすい。洗濯物を入れて置く大きめのビニール袋、洗濯室との往復にも使える。小さいビニール袋はゴミ箱に入れておいたり、お見舞いのおすそ分けなどいろいろに使えるので数枚持っておくと便利その他つめきり、耳かき、小さいはさみ・・・食事の時のふりかけやソース類をあけるとき、薬をあけるときあると便利。輪ゴム、クリップ、筆記用具など私は便箋、封筒、切手を持ち込んで手紙を書いたりしてい た。退屈なほど元気ならこういう時間の使い方もお勧め。あとカセットテープ、携帯ラジオ、クロスワードパズルなどがあると退屈しない。それから小さい空き箱を利用して引き出しを仕切っておくと整理しやすい。棚は百円かごなどを利用してお薬の箱、朝のしたく用、食事用などつかいみちによって大まかに分けておくと要る時にさっと出せる。色々なものを持っていくと同室の人が困っていたら貸してあげたりして仲良くなれるメリットもある。楽しいことをして出来るだけ気分よく過ごすことが早い退院につながると思う。入院はしないに越したことがないが、もしもの時は参考にして見てください
2005.01.31
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今日は以前入院した時に同室だったおばあさんに聞いた話から書こうと思う。そのおばあさんが以前に入院した時お嫁さんがお見舞いに来たので洗濯物を頼んだ。ところがいくら待ってもお嫁さんが洗濯物を持ってきてくれない。おかしいと思って聞いて見るとなんとお嫁さんはその洗濯物を洗わずに捨てていたという。おばあさんの言うにはその洗濯物には大便がついていたから洗濯をするのをお嫁さんが嫌がって捨てたということだ。おばあさんとお嫁さんの過去に何があったかわからない。だからお嫁さんだけを責めるわけには行かないし私はそんな事が言いたいわけではない。後でよくよく考えて見ると人を介護するということはこういうことだなと私は思った。洗濯機で洗えない汚れのついた洗濯物を手洗いできるかということ。人を介護するということはそういうことを試されている気がする。人はいずれ遅かれ早かれ老いて行く。まして私のように障害のある身だと将来介護で人の手をわずらわす可能性は高いだろう。その時入浴やおしめかえはヘルパーさんとかに頼むことも出来るだろうが身近な問題である洗濯は頼めるだろうか私は過去に何度も入院したことは前にも何度も書いた。その時私は自分の洗濯物を実の母にさえ頼まずに自分でやった。最近の病院には洗濯機も乾燥機も備え付けであることが多い。しかし体調の悪い時、高熱のある時は自分の事とはいえ結構辛いものがあった。そんな中入院患者仲間のMさんが見かねて私の洗濯物を引き受けてくれた。私はいくらなんでも身内でもないMさんにそこまで頼むのは悪くて何度も断ったが「病人はそんな事を気にしたらアカンデ」と取り合わなかった。いくら機械でできるとはいえ人の洗濯物に触れることを抵抗無く出来るMさんは凄い人だと思った。夫が、また両親がそんな状態になったら私はためらわずにそんな世話ができるだろうか?洗濯だけでなく身内ならではの心配りや配慮ができるだろうか?介護される人が望む快適な状態を作ることが一番の介護だと思うがそれができるだろういくら介護保険ができて、介護する人を助ける仕組みになったとしても何もかも介護保険でというわけには行かないこともあるだろう。身内としての介護、何が出来て何が出来ないかをよく考えて出来ないことは専門家に頼むことも必要になってくる。少子化の今、介護の問題はすべての人に色々な問題を投げかけている
2005.01.30
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私は何度も入退院を繰り返していることは前にも日記に書いた。その私の初めての入院は高校一年のとき。その時は腎臓はどうも無くて虫垂炎の手術のためだった。家の近くの個人病院に入院して手術をすることになった。手術は無事に終わった。手術室は一階で入院する部屋は二階だった。しかもその病院にはエレベーターが無い。手術直後の麻酔でボーとしている私を担架に乗せ首から下にシーツをかぶせて婦長は私に言った。「しっかり持っとくのよ。待合室を通るからシーツが落ちたら恥ずかしいからね」シーツの下は裸だったので私は意識が朦朧としていたが必死でシーツを持った。そして担架の前と後ろを看護婦さんが持って階段を二階の病室に向かって運んだ。そして私の初めての入院生活が始まった。そこの病院は看護婦の人出が足りないらしく翌日から看護婦さんの仕事を手伝わされた。シーツ交換の時は「ちょっと端をもって」隣の人が点滴をするとき「終わったら呼びに来て」黙って手伝いながらも私は患者なのにおかしいおかしいと思っていた。だが子供だから抗議するなんてことは全く考えなかった。そこの病院にはお風呂の設備も無くて少しよくなった患者さんはパジャマのままで外出して近所の銭湯に通っていた。昔だからそんな事も別におかしくは無いかもしれない。そして通常は虫垂炎の患者は一週間で退院するといわれていたのにその前日の朝急に退院を言い渡された。仕方なく私は母の職場に電話をかけた。母も「明日退院で休む段取りやったのに」とぶつぶつ言った。そして「なるべく早く迎えに行くから」といった。母も急なことで仕事を早退させてもらい、入院費を銀行から下ろしてこなければならなかった。なるべく早くといってもそんなにすぐにはこられない。病室に帰ると看護婦さんに「次の入院患者が来ているから荷物をまとめてベッドを空けて」といわれた。私は一人で荷物をまとめて廊下のいすに座って母の来るのを待っていた。私は着替えを持ってきてもらわなければ退院する服もなかった。パジャマ姿で心細い気持ちで母をひたすら待った。やがて母が到着して退院の手続きが終わり、退院となった。だが30年たった今も私は納得できないでいる。いくら経過は良好だったとはいえ病院の都合で患者の都合も考えずいきなり退院させるなんてどう考えてもおかしいと思う。何も私が病院に対して迷惑をかけたわけでもないのに。どう考えても私が高校生だから甘く見ていたと思う。もし私が大人で自分の健康保険で入院している患者ならこんな扱いはしなかったと思う。しかも私の後に入院してきた人は急患で緊急入院を要するような患者さんで無く、普通に笑って話していたのもなっとくできない理由のひとつだ。ベットをどんどん回転させて儲けることだけを考えているのか?その病院には抜糸のためその後一回行っただけで二度とは行っていない。こんな病院が今も診療を続けているのも信じられない思いだ。皆さんはどう思いますか?ご意見をお待ちしています
2005.01.29
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火星人夫がおしゃべりなことは前にも日記に書いた。過去の失恋話まで私に喋る。いかにも火星人らしい?話なので今日のねたはこれで。まず職場が同じだったMちゃん。独身時代夫はMちゃんに憧れていた。ある日Mちゃんが夫に言った。「○○サン(夫の苗字)車の運転上手いんですってね?私免許は取れたけど運転がなかなか上達しなくて今度教えてくれません?」そして二人は示し合わせて有給休暇を取って、ドライブデート?しかしその後再び彼女が夫に車の練習を頼むことは無く、夫から二回目を誘うことも無く自然消滅?彼女が夫をどう思っていたのか今ではもう分からない。夫と付き合いたくてきっかけに車の運転を教えてといったのか、それともただの気まぐれというか本当に運転を教えてもらいたいだけの誘いだったのか?私たちが結婚した後彼女も結婚。夫は「可哀想にMちゃんは僕に失恋したからしょうむない男と結婚した」という。よく言うよ。しょうむない男かどうか職場結婚じゃないから夫は相手を知らない。ちなみに夫はMちゃんの結婚祝いといってお金を持っていってパチンコで使ってしまった。そして素知らぬ顔で私に結婚祝いを二度請求した。私は夫に本当の結婚祝いを渡しながら言ってやった。「お祝いをパチンコで使ってしまう程度の気持ちやったん?」また夫は自分のいとこと結婚したいと思ったこともある。冗談めかして「○○ちゃん見たいな子とけっこんしたいねん」○○チャンの返事は「まあ、○○(夫の名前)兄さんたら冗談ばっかり」軽く流される。そして行きつけの病院の看護婦のY子さん。少し仲良くなって準夜勤の時病院に車で迎えに行って寮まで送るようになった。ある日Y子さんが夫に言った。「私病院を辞めて田舎に帰ることになったの。今までありがとう」あっさり失恋。後日その病院に夫が行くとY子さんはまだ勤務中。どうやらお迎えがウザくなって遠まわしに断られたらしい。その病院を通るたびに夫は「Y子は僕に嘘ついた。そんなに僕のこと嫌やったんかな?」とぶつぶつ言う。いつまで言うとんねん。結婚して20年その前の話だから25~30年も前の話やろ?そんな失恋話はいっぱい聞かせられた。さすが火星人!脅威の記憶力。今までスキになった女性、付き合った女性のフルネーム、住所、どういう風に出会ったか、どうしてだめになったか驚くほど詳しく覚えている。でもよかったじゃん。そんな今までの山ほどの失恋があったから私みたいないい奥さんが来たんだよ。ってちょっといいすぎ?こんな話もいつか火星に帰って報告するのかな?
2005.01.28
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私は以前にも書いているように何回も入院経験がある。いつも入院している病院の入院病棟、3階から6階まで全フロア制覇した。そして病院の避難訓練に遭遇すると言う貴重な?体験をした。たまたま多分年に一回くらいしかしないだろう避難訓練に遭遇したという人は多分少ないだろうと思うので今日はそのことを日記に書こうと思う。入院中のある日病院内に放送があった。今から避難訓練をします。という内容。続いて入院患者の皆さんは参加しないのでそのまま何もする必要が無いという意味のアナウンスが流れた。続いて火災発生のアナウンスがあった。なんと火元は私の病室。窓の外にははしご車が待機している。そろそろ入院生活が退屈なほど回復していた私はこの避難訓練を自分の部屋で見られるというので少々不謹慎だがわくわくしていた。部屋は5階で窓の外にはベランダがある。そのベランダは廊下の突き当たりの非常用のドアから出られるようになっていて5階の窓の外を一周できるような構造になっている。まもなく数人の男性職員が集まってきた。そのドアからベランダに出てちょうど私の部屋の外に集まっている。それぞれ配役があるようで首から「患者」とか「けが人」とかの札をぶら下げている。はしご車の周りには救護用のテントが用意されてその中には看護士とドクターらしい人が数人立っている。ベランダの一人が発炎筒に火をつける。訓練のスタートだ。廊下の防火扉も本番のように閉められてしまったのでナースステーションに帰りそびれたナースも部屋に来て一緒に見学をする。皆真剣にそれぞれの役を演じているのだがその首にかけた役割カードのせいかなぜかコントを見ているようで笑える。「患者」の札をぶら下げた職員がベランダからはしご車に乗って避難。そこで見ていた私たちは文句を言う。「病人はあんなに元気にはしご車に乗れないよ。高いから足もすくむし。」「寝たきりの病人はどうやって避難させるんやろう?」「実際の時はエレベーターも止まるン?」「そうや、階段しかないやろな」だが実際は訓練に患者が参加することも無く代わりの職員がはしご車で下に下りて行って担架で運ばれておしまい。あっけない幕切れ、避難訓練終了のアナウンスが流れる。私はその場にいた看護師さんに聞いた。「もし実際に火が出るとしたらやっぱり地下の厨房やろね。下から火が来たらどこに逃げるの?」「下から来たら逃げられヘンやろな」看護士はすまして答えた。ダメジャン、それじゃ避難訓練した意味が無いじゃん。しかもはしご車は5階までしか延びないという。6階の入院患者はどうするの?そういうことを考えておくのが避難訓練じゃないの?また寝たきりとか自分で歩いて避難できない人はどうするの?夜勤の時少ない夜勤看護師が電気の消えている中でどうやって大勢の患者さんを避難誘導するの?考えたら怖いよね。さらに追い討ちをかける看護学生の一言。「私はもし火事になったら真っ先に逃げるよ。自分の命が大事だもん」婦長さ~ん、こんなことを言っている人もいますよ。これでいいんですか?ちなみにこの看護学生、髪は茶髪で山姥メーク。見かけで人を判断してはいけないとは思うものの、お世話をしてもらうのはちょっと引いてしまう外見。仮にも看護師を目指す以上、患者さんには「大丈夫、実際の火事になったらちゃんと避難できるようにお手伝いしますよ」くらいのことは言えないのか?もちろん火事は起こらないに越したことはないけど、厨房で火も使うし、各階には湯沸かし器もあるからガスの事故とか、電気による火事とか起こる可能性は十分にある。訓練も一部の職員がだらだらとやっている感じでもうひとつ緊張感がなかったなあ。本当にそんなんでいざという時に大丈夫ですか?病院関係者の方々、本当にお願いしますよ。
2005.01.27
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火星人夫がチラシを見るのがすきなのは前にも書いた。チラシを隅から隅までチェックする割りに買い物の仕方は衝動買いが多い。チラシをみて「あ、僕これ欲しい。今から買いに行こう」先日もチラシのCDラジカセを見て「買いに行く」と言い出した。お店に到着して時間をかけて品定め。やっと決めて支払って店を出たものの、帰りの車の中で、「この会社の製品はすぐ壊れそうな気がする」と言い出す。結局引き返して別の会社の製品と交換してもらった。そして数日後、チラシを見ていた夫が「同じのが3000円も安い!だまされた!」と大騒ぎ。イエイエ、誰もアンタをだましてなんかいませんよ。店も違うし、購入時期が違えば値段も違うのは当たり前。無理やり買わされたわけじゃないし。数日後に別の店で安くなるなんて店員さんも知るはずも無い。自分で決断して自分が買ったのに後でそういうことを言う。数年前にこんなことがあった。小学生だった娘がゲームにハマッテいたので夫がゲームソフトを買ってきた。「ゲームソフトを買ってきたで」夫が言うので買ってきたゲームソフトを見るとなんとそれはCDだった。娘も「お父さんまちごうてCDこうてきたやん」うちのゲーム機はPCエンジンというので確かにソフトの入れ物はCDケースと似ている。あけて見ることは出来ないので夫には分からなかったらしい。しかしいったんあけたものを返品は出来ないだろう。しかもその時うちにはCDプレーヤーも無く全く役に立たない。その時も夫は「店員が不親切や、なんでそれはCDですといってくれんかったんやろ?」という。夫は店員にこれはゲームソフトかどうか聞いてはいない。それなのに責任は店員にあると言い張る。それは無茶な論理だ。店員には夫が何をほしがっているか分からない。これを下さいと商品を差し出されたら包装して代金を受け取るだけだ。それが悪いといわれたら立つ瀬がないだろう。もうひとつ夫の買い物話。ずっと前に舅が新しいヘルメットがほしいというので夫が車に乗せて買い物に行った。帰ってきた夫は新しいヘルメットを買ってきた。「それ、どうしたん?」と聞く私に「みとったら、ほしなったからこうてきた」しかし当時我が家にはバイクはない。バイクは無いのに何でヘルメットだけ買うのか意味不明なんですけど?もちろんバイクの購入予定も無くヘルメットは日の目を見ずに押し入れの中に何年もしまわれた。私が仕事の必要からバイクの免許を取ってバイクを購入したのは数年後。あのヘルメットが日の目を見る日がやってきた。恐るべし火星人、これはもしかしたら火星人の予知能力のなせる業か?この日が来るのを予想してのヘルメットの購入だったのか?それともただのトンチンカンナ買い物だったのか?いまだにそれは分からないが・・・・いかにも火星人らしい買い物だった。
2005.01.26
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火星人夫は結婚した時実家から自分のアルバムを持ってきた。その内容はえっと思うような写真が多いので本日のねたにすることにする。まず歴代の夫のペットの犬の写真。これはまああんまり不思議ではない。アルバムにペットの写真を載せるのは愛犬家にとってごく普通のことだろう。夫は酔うとアルバムを開いて歴代の犬たちの思い出話を始める。「これは名犬パールや」いつもいつも同じ話。ある時話しかけた夫に言ってやった。「これが名犬パールなんやろ?」夫は不思議そうな顔で「何でしっとるん?」知ってますよ、何十回も聞かされたら。そして幼稚園くらいの男の子とプールで遊ぶ夫の写真。これは近所の子。夫が独身のころ実家のご近所では車を持っている家が少なかった。近所の人たちは事あるごとに夫にアッシーを頼み、お人よしの夫もホイホイと車を出したらしい。ある時は夜中に起こされて近所の産気づいた妊婦さんを病院に送った。病院の看護婦さんに妊婦の夫と間違えられたらしい。一緒にプールに行ったのはその時生まれた男の子。ある時は近所のおばあさんに旅行に連れて行ってくれとせがまれた。おばあさんのうちは自営業で皆忙しくておばあさんに付き合えず、夫がおばあさんと二人旅をしたらしい。意外な火星人の一面を見たような話だ。そしてアルバムに張られていたはがきサイズの赤ちゃんの写真。年賀状でよくある写真年賀状。「何でこれをアルバムにはったん?」と聞く私に夫は澄まして「可愛かったから」可愛かったからといって人の子の写真をアルバムに貼るか、普通。初めてこれを見た娘たちはお父さんに隠し子疑惑と騒ぎ立てた。そして舅と若い女性が写った写真。「これは誰?」と私が聞くと夫が答えた。「親父が僕の嫁に貰いたかった人の写真」同じ写真が夫の実家にもあって酔うと舅が「ええ娘やったんやけどな。○○(夫の名前)の嫁に欲しかったんやけどな」夫の実家の近所の娘さんらしく普段着で舅と写っている。これもありえない。息子の嫁候補の写真をアルバムに張る舅。同じ写真をアルバムに貼っている息子。別にやきもちじゃないけど嫁の私が見たら感じ悪いんですけど。今日はつっこみどころ満載の夫のアルバムのお話でした
2005.01.25
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病院を何度も入退院した私は色々な人とであった。今日はそんな中から困った患者さんのことを書こうと思う。1.中年女性患者Aさん大部屋だというのにAさんのところにAさんが信じている宗教の祈祷師だか先生という人がやってきて朝から消灯間際までご祈祷だかお祈りだかを延延と続ける。同じ部屋の人は迷惑この上ない。しかもAさんは一人では歩けないほど衰弱した病人。あれでは治るものも治らない。そして消灯時間も過ぎてようやく祈祷が終わったと思いきや「こんな病院にいたら死んでしまう!」というお告げ?。それを信じたAさんが「今すぐ退院したい」と言い出した。主治医も看護士長も呼ばれて説得に当たったが聞く耳を持たない。結局深夜バタバタと退院して行った。2.中年男性患者Bさん独身で一人暮らしのBさんは看護士さんたちに優しくしてもらってすっかり病院生活がお気に入り。主治医の先生が「ぼちぼち退院ですね」といったとたん激怒。それまではおとなしく先生の指示とおりに病院食を食べ間食をせず、運動に励んでいた(Bさんは糖尿病)のに売店に行ってお菓子を山盛り買ってきて食べだす。体調を悪くして退院を引き伸ばそうと計画したらしい。案の定急に体調が悪くなり、退院が延びた。喜んだのもつかの間。ほんの3日でやっぱり退院することに。3.60代女性患者Cさんなぜかパジャマや寝巻きを着ないで下着姿で病院内を歩く。年配の女性がよく着ている「シミ―ズ」と「パンツ」のみで。男性も使っている洗面所へもその姿で出没。朝顔を洗った後、ていねいにメイクを始める。院長回診のある日はなぜか特に念入りにメイク。口紅をつけている入院患者なんてみたことがない。診察の時顔色も分からないからメイクは非常識だ。看護し長の注意もどこ吹く風。男性患者の熱い?視線を独り占め。4.70代男性患者Dさん少し痴呆がはいっているらしい。真夜中全裸で病棟内を行ったり来たり。夜勤ナースが見つけて部屋に戻してもまたふらふら出て行く。一晩に何度もこれを繰り返すから夜勤ナース泣かせ。5.中年男性患者Eさんとその母親Fさん二人とも同じ病棟に入院しているのだがなぜか夜中になると廊下で大喧嘩を始める。病院で親子喧嘩はしないで下さいよ。しかしこんな困った患者さんたちにも笑顔で応対する看護士さんてホント偉い!これからもよろしくお願いしますね
2005.01.24
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皆さんは夕べの生体肝移植のドラマをごらんになっただろうか?以前にも日記に何度も書いたが、私は週に3回人工透析をしている。そしてそんな私が人工透析を止めて普通の生活に戻るには腎臓移植しかない。私はわずかな望みを求めて臓器移植希望登録をしている。そんな私は夕べのドラマを特別な関心を持ってみていた。ドラマの大体の内容は次のとおりだ。岸谷五郎ふんする移植専門医の妻が重い肝臓病であることが分かる。夫は妻の両親と妹夫婦を呼んで肝臓移植しか道がないと告げる。移植希望の登録をしても亡くなった方の肝臓を貰うのは現在の日本では宝くじに当たるほどの確立でしかない。いったんは姉への移植を承諾した妹も夫の反対にあい、自身の決意が揺らぎ始める。提供者に将来どんな後遺症がでたり、寿命にどんな影響があるかは現在の移植の歴史が浅くてまだ未解明だからだ。最悪家族を残して提供者が亡くなる場合もありうる。万一の場合自分の残された家族の気持ちを考えると妹はどうしても移植に踏み切れない。一方移植を受ける患者の側も健康な提供者の体にメスを入れて傷をつけてまで生きるのか、生きたいのかという思いに苦しむ。生体移植の提供者になれるのは患者の親、子、兄弟の血縁者と配偶者に限られる。どうしても妻を助けたいと悩む夫はついに自分が提供者になることを決意する。だが妻は夫の提供を拒んで離婚を申し出る。離婚すれば配偶者で無いから移植は出来なくなる。妻は健康な夫の体を傷つけてまでの移植を拒み自らの運命として死ぬことを選ぶ。結局夫の説得で妻は夫の申し出どおりに移植を受け入れて夫から妻への移植が実現する。という内容だった。私は自分の身の上に置き換えて見ていた。私の両親は高齢で病気もあり、提供者にはなれない。兄弟は弟だけだが弟にも病気があり、また家族もあるので移植は無理だった。健康なのは夫だけだがだからといって移植を強制するのは誰にも出来ない。また夫が移植を承知したとしても、夫の親兄弟が到底承知しないだろう。移植希望者のごく一部の条件に恵まれた人だけが移植の恩恵を受けることが出来る。逆に自分が健康な立場で透析をしている兄弟への移植を求められたらどうだろう?やっぱり今の自分の家族のことを思い、簡単に結論は出ないに違いない。日本でも欧米のように短い待ち時間で亡くなった方からの移植が実現すること関係者の皆さんにお願いしたい。生きている間ずっと週に3回の透析を続けるのはやはり大きな負担だ。食べたり飲んだりの毎日の制限も正直大変だ。特に腎臓の場合は他の臓器と違い移植の待機者が一万人以上もいて移植はいつになるのか見当もつかないのが現状だ。ドラマのタイトルの「生きたい」は移植希望者全体の希望でもある。行政関係者、医療関係者のご尽力により移植の道を進めていただくことを切にお願いしたい。
2005.01.23
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夫と車のお祓いに行った。うちは毎年一月中に行くのが恒例行事だ。別に新車にしたわけでなく夫が交通安全を気にするから行くことにしている。市外の地元で有名な神社の中にある。僧侶がお祓いをして交通安全のお守り、ステッカー、お供えのお菓子をいただく。そのお菓子は素朴でとても美味しいおかきだ。夫はいつも「おいしい、おいしい」と絶賛する。「買いに行きたいからどこに店があるのか見てくれ」というから見て見てもいつもお店の名前は入っていない。お祓いをしてくれたお寺の名前があるだけだ。やっぱりない。私はそのお菓子の袋を見ていてきづいた。どこかのお菓子屋で名もない職人が昔からの味を誠実に再現して作っているに違いない。私の頭の中で頑固そうな年配の職人がほとんど機械をつかわない昔ながらの手作業でおかきを作っている様子が浮かんだ。奥さんや家族も手伝っているかもしれない。私はなおも考えた。そんな自分の名前が残らない仕事をただただ誠実にこなしている名も無き職人さんたちが世の中を支えているんだな。考えて見ればどんな仕事であれ自分の名前を残せる仕事はすくない。むしろ名前の残らない仕事が大半だろう。瀬戸大橋とか、青函トンネルとかの大工事も誰かが一人で成し遂げたわけでなく、名もない人々の力が集まって大きな仕事をやり遂げたわけだ。町のビルや家などもそうだ。町で手に入るさまざまな商品にしてもそうだ。世の中は名もなき人々の日々の仕事で支えられ、動いている。一人一人が自分に与えられた仕事をきちんとこなすことが社会人としての義務であることがよく分かる。日々の仕事を地道にこつこつと営んでいくことがいかに大切なことか考えさせられる一日になった。
2005.01.22
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火星人夫は口が軽い。口止めしても忘れるのかすぐ喋る。夫の実家へ行く時これは言わないでと念を押しても大抵喋ってしまう。喋りかけたら私が目配せとかサインを出しても全然効かない。大抵飲んでいる時が多いので歯止めが利かないのかもしれない。火星人の口の軽さは全く信用できない。数年前姪の一人が成人式を迎えた。夫は姪に成人式のお祝いをすると言い出した。私はその子の姉の時にしていないから妹のほうだけお祝いするのはおかしいから止めたほうがいいといった。ところが夫は姉の時にもお祝いをしたと言い張る。家計を預かっている私がお祝いを出していないというのに信用しない。自分のお小遣いからするほどのお小遣いもないしありえない。義姉に電話して聞いてみるというから私は絶対に言わないでと夫に言った。それだけ口止めしたのに勝手に電話して聞く。義姉はやっぱり「もらってない」という返事。その話は姑の耳にも入り姑から電話が入る。「お祝いを貰ったり、あげたりしたらちゃんとつけとかなアカンデ」私は説教された。だからあげてないといったのに夫のおかげで大恥をかいたじゃない?夫は全然懲りない。この年末にもちょっとした事件があった。お正月夫の実家で親戚が集まって宴会をするので毎年お酒を飲む人にはお酒、飲まない女性にはお菓子を手土産に持っていくことにしている。お正月で気が大きくなった夫は二本入りがいいだとか、金粉入りがいいだとか言うから酒代がバカにならない。しかし最近はお客も少なくなって飲む人もほとんどいないので止めることにした。年末の買い物の時に夫にもそういってお菓子だけを買ってきた。それなのに年末に用事で夫は実家へ行った時に舅に聞いた。「親父、正月の酒いるか?」舅は無邪気に「要る」と答えたらしい。夫は帰ってきて「親父に聞いたら酒要るって」誰がそんな事聞いて来いといった?余計なことを聞いてくるから酒代がいるじゃない?夫のおしゃべりの罰にお小遣いで買ってもらいました。先日の舅に上げた時計にしてもそう。お正月に新しい時計を舅に見せびらかしたらしい。「エエやろ、親父もいるか?買うたろか?」この時も舅は「ああ、買うて来てくれ」また予定外の支出が要ることになる。お願いだから余分なことは言わないで。アンタが口を開くとろくなことが無い。子供じゃないんだから言うなといわれたことは言わないで。って言うか大人なら自分の頭で喋ったらどうなるか考えてから喋ってほしいんだけどね。それが想像できないならせめて私の言うことを聞いてよ。男のおしゃべりはみっともない?私も結構おしゃべりだけどちゃんと頭の中でシュミレーションしていったん考えてから喋っているよ。皆さんこんな口の軽い夫、どう思いますか?
2005.01.21
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今日は病院で出会ったスタッフの困ったサンを書いて見た。まずA看護士長ここの病院では入院患者への入院費の請求書を患者本人に手渡す。その時私はたまたま病室にいなかった。帰ってきた私が見たものはテレビの画面にセロテープで貼り付けられた請求書。私が見る前に同室の入院患者さんが見てましたから!私のプライバシーをこんな形で公表するなんて!封筒に入れて置くとか裏返して重しでもしておいて置くとかの配慮はできなかったのか?次に夜勤のB看護士この病院では入院患者の血液検査は朝の五時ごろから夜勤の看護婦が患者を起こして回り血液を採血する。私の担当だったB看護士はなんと7回も採血に失敗。8回目にようやく採血が完了する始末。普通3回くらい失敗したら誰かに変わってもらうんじゃない?いまだにその記録?破られていませんから!続いて外科医師C先生と手術室担当D看護士私のような透析患者はみんな透析のための血管手術・・・シャント手術というのをする。動脈と静脈を重ねて太い血管にする手術で一時間もかからない簡単な手術。部分麻酔をかけて手術がスタートした時D看護士が口を開いた。「先生、午前中に手術した○○サンですけど・・○△■ムニャムニャ」明らかに私以外の患者の誰かの話題。先生が「それはムニャムニャ・・・・」「それから△△さんですけど・・・・」私の手術と関係ない話は延々と続く。私の手術の間中ほとんど他の患者さんの話。そんな打ち合わせはよそでやってほしい。私の手術中は私の手術に集中してほしい。いくらベテラン医師でもベテラン看護婦でもこんなことでは医療ミスをしないかとこっちははらはらする。部分麻酔なのでこっちはすべて聞こえている。なんとも感じの悪い手術はこうして終わった。その次は看護学生Eその手術が終わった直後手術室の隣の部屋で休んでいるとノックの音がした。入ってきたのはノートを持った看護学生。私に自己紹介をして質問に答えてくれという。質問の内容は「今の気分はどうですか?」手術直後でもあり緊張していたため気分が悪かった。正直に気分が悪いと答えた。それをノートに書き込んで礼を言って出て行った。今のはなんだ?手術直後は疲れていてそんな質問に答えられない。病室に帰って一時間でも休んでからならいくらでも答えられる。またそんな質問の仕方でレポートが書けるのか?もっと内容をよく考えてから来たほうがいい。彼女は指導者に言われて来ただけかもしれないがもっと自分の頭で患者の気持ちを考えないといいナースになれないだろう。もちろん大部分のスタッフの方は一生懸命に患者のために仕事をしておられる。こんな人たちはごく一部だろうと思う。でも一人でもこんなスタッフがいるとがんばっている人たちの足を引っ張る結果になるのは間違いない。病院関係者のみなさんよろしくお願いしますよ
2005.01.20
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夫は親に敬語で話す。例えば何かを貰って電話でお礼を言う時、「ありがとうございました」みたいに。自分の習慣だからそれはそれでいい。迷惑なのは私にもそれを強要することだ。舅姑に対して敬語はもちろんの事、私が私の実家の両親と話すのにも敬語を使えと強要する。結婚当時それで良く揉めた。ある日長女が産まれる少し前に出産祝いとして実家からベビーダンスが届いた。早速お礼の電話をかける。「もしもし、私。タンスが届いた、ありがとう」この言い方が夫には気に入らない。もう一度電話をかけて言い直せとまで言う。私はその必要はないといった。「あんたが自分の親に敬語で喋るのは勝手やけど私にまで言わんといて」「そんな言い方をしたら僕が恥をかく。僕と結婚して●子(私の名前)の言葉遣いが悪くなったと言われる」私は別に言葉遣いが自分で悪いとは思っていないし、両親とは昔からこういう話し方をしてきた。結婚したからといって変えるほうが帰って不自然だ。だが夫はかけ直せと言い張る。仕方なくもう一度かける。また気に入らないからかけ直せといわれる。しかもこのやり取りは家にお客さんが来ている前で。今なら完全にブチキレテいるだろう。だが新婚まもない私はお客の前でおお泣き。普通そうなるともういいよといわないだろうか。それでも夫は早く電話しろ一点張り。理解不能。そうこうするうちに実家から逆に電話がかかる。同じ様なお礼の電話が何度もかかったから娘はどうかしたのかと両親は心配したらしい。私は両親に訳を説明した。両親は呆れて電話を置いた。この夫のこだわりは一体何?火星人は敬語が常識なのか?火星人の未だ良く分からない一面だ。最近の火星人は私と居るうちに段々堅さ?がとれて親と普通にしゃべれるようになってきた。もしかしたら自分もこの方が楽だと気付いたのかもしれない。敬語を使うのも大事だけどもっと大事なのは気持ちだと思う。気持ちが入っていないといくら言葉が丁寧でも心がこもらないだろう。またそんなことで自分の親に余分な気を使いたくないし、使わせたくない。皆さんはどう思いますか?
2005.01.19
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今高校3年生の次女が高校へ入学する時のことだ。次女は長女と同じ市外の私立女子高に入学した。その時制服は体格が違うから無理だがコートは多分お下がりが出来るだろうと思った。コートは長女の時購入したものだったがほとんど着用することがなかったからほとんどまっさら状態だった。次女も家計の負担を考えて「コートはこれを使う」と言っていた。ところが長女の時自由購入だったコートが次女の時には制服の値段に組み込まれて強制購入になっていた。えっと思ったが皆そうなら仕方がないとあきらめて購入した。次女が高2の冬になって次女が学校から帰って話した。「一年生からコートが変わってん。それがめちゃ可愛いデザインになってん。腹立つわあ」しかし3年のうちの冬しか着ないコートを2年になってから作り直す余裕もなかった。次女もそれが分かっていたから何も言わなかった。私は考えた。だから入学時コートが強制購入になったんだ。制服業者がコートの生地かコートの在庫をたくさん持っていて今年中に売らないと来年はコートが変わるのが分かっていたから損を出さないために学校に購入してくれるよう頼んだのだ。きっと学校も制服業者もなあなあで結託しているにちがいない越後屋(制服業者を我が家では時代劇の悪い商人みたいだとそう呼んでいる)め、やりおったな。証拠はないが私にはそう思える。ちなみに制服購入する時ブレザーブラウススカートはもちろんカバン、くつ、コートも明細が示されない。総額でいくらですと言われる。多分業者の売値に学校が手数料とかの名目でいくらか上積みをしているのではないかと思う。修学旅行の費用の明細や教材費の明細も示されない。中学校の時は地元の公立中学だったが修学旅行も教材費もきちんと会計報告が父兄に書類で示された。それが当たり前だと思うがなかなか個人ではそんな質問も学校にしかねる。私立は皆似たようなもんだろうか?少子化で経営が大変なのは分かるが私立は学費も高くて親も大変なのだ。少しでも安くなるように考えてもらうのは無理な注文だろうか?ジャージーも学年ごとに色が変わっていてお下がりが出来ないようになっている。嫌でも一組は買わないといけない仕組みになっている。これも越後屋の作戦?と考えるのは深読みしすぎだろうか?子供二人がお世話になった学校だがこんな風におかしいことがいっぱいある学校でもあった。よその学校はどうか知りたくて日記に書きました。皆さんの意見をよろしくお願いします
2005.01.18
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今年も一月十七日がやってきた。あの日数日前からインフルエンザだった子供と一緒に休んでいた。普段なら子供は子供部屋で寝ていただろう。そして子供と一緒に寝るのに枕の方向を変えた。地震の揺れが収まって見るといつも寝ている枕の位置にステレオのスピーカーが落ちてきていた。スピーカーがまともに頭を直撃していたらどうなっていたかと思うとぞっとした。また夫が毎日乗り降りしている駅は地震で潰れていた。地震の時間が出勤時なら命はなかったかもしれない。家も幸いなことに瓦が多少ずれたり、壁にひびが入ったりはあったが倒壊は免れた。6000人以上の尊い命が失われた。亡くなられた方々のご冥福をこの場を借りてお祈りします。また多数の人が家族や家を失われた。それらの人々にとってこの十年は長くもあり短くもあり一言で言い表せない歳月だっただろう。数多くの人々がボランテイアとして全国から駆けつけてきてくれて心や体が傷ついた人々のために働いた。こういうときに人間の本質が現れる。学校へも行かず茶髪に髪を染めて遊びまわっていた中学生が避難所になっている学校へ顔を出した。避難所は救援物資を配る人手が足りずにごった返していた。彼はその中に飛び込んで一生懸命手伝った。そして自分が今必要とされていることに感動したという。人々は足りないおにぎりを分け合って励ましあってすごした。けれど悲しいことにそんな中でも自分のことしか考えられない不心得者もいたらしい。家族4人分として配られた8個のおにぎりを一人で5個も食べたご主人がいたそうだ。あるいは家族をほって一人で逃げて家族の信頼を失った人もいたらしい。非常時には家族の絆が試されている気がする。色々な知恵を出し合い、家族や地域の人たちと助け合って町並みは見事に復興したように見える。だが心に傷をおった人たちにとっては心の復興はまだまだだろう。今後起こってくるだろう災害に対する備えは十分だろうか。もしもまた大災害が起こったら自分はどうするのか?何ができるのか?震災が残した課題も多い。10年はひとつの節目かもしれないがもうこれで終わりということはない。
2005.01.17
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夫は場面ごとにテーマソングが決まっている。ドライブ中機嫌のいい時の鼻歌は「へんなおじさん」志村ケンの「♪へんなおじさんたらへんなおじさん」人から見たらあんたのほうがよっぽど変なおじさんですから。我が家では見終わった前日の新聞はトイレの前の専用の箱に入れることになっている。夫がそこへ新聞をもっていく時の鼻歌。山田太郎「新聞少年の歌」古い歌だけど皆さんついてこれているかな?しかも頼まないのにツーコーラスも歌う。子供には「新聞中年のまちがいちゃうん?」と突っ込まれる。もう50代だからもしかしたら新聞中年より新聞爺さんになっているかも最近は子供に「おじいちゃんは早く寝たら?」と言われているし。夫は帰宅するとリビングに入る前にコートもスーツも脱いで夏ならシャツステテコ姿、冬ならシャツパッチ姿になってみんなの居るリビングに登場する。そしてその姿でただいまと言うからこっちはそのカッコで本当に電車に乗って帰って来たような気になっていつも思わず噴出してしまう。本当にそんなカッコで通勤したら間違いなく変なおじさんだよねドライブ中運転マナーの悪い車に出会うと夫はすばやく反応する。相手はとっくに行ってしまったのに「あんな運転したらあぶないやろ、あれで自分が上手いと思っとるんやからなあ」などと居ない相手に説教する。あるいは「へたくそ!ボケ!どこ見てうんてんしとる」などということもある。運転マナーはともかくお口のマナーは自慢にならないくらい悪い。もちろん小心者なので自分の車のウインドウがしまっているのを確認してから。私が「窓空いてたで。聞こえたかも知れへんで。もし相手が怒って降りてきたらどうするん?」と聞くと「あやまったらしまいや」だって。謝るくらいなら最初から言うなって。05’も相変わらず火星人の日常生活は相変わらずこんなもんです。以上火星人観察レポートでした
2005.01.16
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日ごろ日記のいいねたはないかとキョロキョロしてけれどたまにどうしても浮かばないという日もある。今日は私がどういう風に日記を書いているかの裏話をねたにしようと思いついた大抵寝ながら翌日の日記に何を書こうかと考える。大体の書く内容も考えながら眠りにつくところが悲しいことに朝起きたらそれがおぼろげになっていて時には思い出せないこともアル。そして日記を書く時間は日によってまちまち。透析がある日だと夜になってしまうこともある。薄れ行く記憶と戦いながら?必死で思い出し思い出し書いていくそんな苦労?があっても楽しみのほうが大きい。自分が書いていることに対する皆さんの反響が楽しみだ。私の元気の元になっている。日記のタイトルも重要だ。出来るだけ人の目をひきつけ読みたいと思わせるタイトルを考える。日記のタイトルに引かれて初めてこられる方もあるから。子供たちは「毎日日記を書かなくても別にいいんやない?」と言うでも日記を更新できないと体調が悪いのかと心配してくださる方もあるから休むわけにはいかない私は今日も元気ですと発信する意味もあるから1月15日土曜今日も私は元気です!
2005.01.15
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18年前の今日、次女が生まれた。3762g女の子にしては大きかった。同じ日に同じ病院で生まれた男の子よりも元気でよく泣いていた。家に帰ってからも夜泣きが大変だった。扁桃腺が弱くてよく熱が出た。それから反抗期は大変だった。それでも生まれてきてくれてありがとう。やがて君は大空へ羽ばたいていくのだろう自由に自分の飛びたい空へ父母のことは気にしなくていいから思い切り自分の空を飛んでおいで後ろから見ていてあげるから大きな空を飛んで君の夢を実現しておいで
2005.01.14
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その人の話は昨日テレビでやっていた。20代で筋ジストロフィーと言う難病に冒されて手足が動かない。何一つ自分では出来ない重い障害を負った。高校の同級生だった今の奥さんと結婚した。二人の男の子の父親となった。そして福祉機器の会社を興した。今その会社は年商数十億の会社に成長した。社長考案の寝たきりの人用のベットがヒットしたと言う。寝たきりの人は一晩に何度も寝返りを打たせないと床づれになる。それを介護する人は夜もゆっくり眠れない。そのベッドで介護がずいぶん楽になる。きっと寝る間もないほど献身的に世話をする奥さんを見ていてそのアイデアが浮かんだに違いない。奥さんへの愛がそのベッドになったのだと思う。家でトイレからお風呂まですべて奥さんの手を煩わせないと何も出来ない。普通の人なら自分が障害者だから何にも出来ないからと人生をあきらめてしまうに違いない。福祉機器の世界では障害者だからこそ思いつくこともある。こんなものがあったらいいナを自分の力で形にしていった。凄い人だと思う。それを支えてきた奥さんも凄い。たとえ何も自分の力で出来なくても出来ることを精一杯やっている彼の生き様は子供たちに力強い後姿を見せていることだろう。自分の生きる道を自分で切り開く。健常者でも難しいことを彼はやってのけた。彼は仕事や講演で日本全国を飛び回っている。老人施設もプロデュースしている。彼の夢はどんどん膨らみ形になっていく私も透析患者で一級障害者と言われる立場だがこの人に生きるパワーを分けてもらった気がした。何度も医療関係者の方の力で命をもらった私だから悔いのないように生きて少しでも夢に近づきたい。何もしないであきらめるのは嫌だから
2005.01.13
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今日は成人式の話題です。我が家では長女が今年成人式。高校を卒業してから電話や手紙でうるさいほど呉服屋さんから案内が来た。振袖一式レンタルでも二,三十万あつらえると五十万くらいはするだろうか。ところが長女は着物は全く興味がなくチラシも即ゴミ箱行き。いらないの一点張りなのですべて断った。そして秋ごろ成人式の案内状が来たら「行かない」といって欠席で出した。本当に行かないの?と何度も念を押したが気持ちは固いらしい。実家の母からは振袖を作ってやろうかという話もあったが本人がその気がないからと断った。そして成人式当日本人は卒論作りに追われていた。私の友達からは続々と「成人式おめでとう」メールが届いた。私は正直に本人の意思で成人式には言っていないと返事をした。本人の意思を尊重したとは言うものの親としてはちょっとさびしかった。近所の同級生の子の家の前を通りかかったらちょうど成人式帰りで写真撮影会をしていた。ちょっとうらやましかった。やっぱりもっと強く勧めたほうがよかったのか?一生に一度の事だし、写真もないのはやはりさびしい。これから就職して、結婚(今本人は結婚はしないかもといっている)とかだんだん親の思っているとおりにはならなくなるだろうな。もし結婚しても入籍だけで式や披露宴はしないと現時点で本人は言っている。これから先何度も親の思いとは違う考えに面食らうことだろう。いつまでも親の言いなりにはならないのは仕方がない。こういうのを繰り返して手元から離れて自立していくのだろう。いろいろ考えてちょっとさびしくなった私でした。
2005.01.12
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シャンメリーをご存知だろうか?クリスマスにケーキと一緒によく売られている子供向けのアルコールのない炭酸飲料だ。お正月明けにいささか季節はずれの話題だが私にはこの時期の思い出なので。高校時代アルバイトをしていたことは前にも書いた。スーパーでアルバイトをしていた時の事。お正月明けに出勤すると店長が私に言った。「店頭で去年のクリスマスの売れ残りのシャンメリーを売ってくれ」え~この寒いのに店頭販売?そんなの売れるわけないよ~と思ったが仕事といわれれば仕方がない。正月明けなのでみんな家にたくさん買い置きしたのがあるのかお客さんは少なかった。店長は大声を出して呼び込めというが、人通りもあんまりない。お客が途切れると陳列台の後ろに座っていた。そこは風が来ないから少しは暖かだったから。時々店長が巡回してきて「まじめに売らなあかんやないか」と怒る。仕方ないから立ち上がってお客さんに声をかける。「いらっしゃいませ。シャンメリーがお買い得ですよ。」と声を上げる偶然友達が母親と通りかかった。目が合ってちょっと嫌だなと思ったけど声をかける。「シャンメリー買ってください」友達が母親に言う。「かわいそうだから買ってあげて」母親がシャンメリーを二本買ってくれた。私は友達のかわいそうという言い方が心に引っかかった。確かにかわいそうなのかもしれない。冬休み友達は母親と買い物を楽しみ、一方私はこうして遊ぶ時間もなくアルバイトをしないと自分の授業料が払えない。でも自分の目の前でかわいそうなどという言い方はして欲しくはなかった。同情の気持ちを表して返って相手の心を傷つけてしまうこともあることを私はこのとき学んだ。シャンメリーを見ると思い出すちょっと切ない思い出だ。
2005.01.11
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夫の誕生日の昨日、夫の実家へ行った。夫が先日舅へのプレゼントの時計を買った。それを渡すために。夫の一族は物をもらっても素直にありがとうとはなかなか言わない。何かしら文句をつけるのがいつものことだ。父の日、母の日、お中元、お歳暮、いつもそう。だから私は時計は好みもあるし、きっと何か言うだろうなとは思っていた。案の定舅は時計が気に入らなかった。「文字が小さくて見えにくい、替えてもらってきてくれ」という夫は「見えにくいことないで、ええで、これは。僕のと比べてみ。ずっと見やすいで」となだめるように繰り返す。しかし舅は納得せず「替えて来てくれ」を繰り返す夫はついに切れた。「そんなに言うなら親父にはもうやらん。お袋が使え」姑は言う。「こんなん男もんやし使われへんがな」なおも舅は「替えてもらってくれ、もっと文字の見やすいのほかにあるやろ」とあくまで言い張る夫は「替えに行くのなんか邪魔くさいんや」舅も負けてはいない「そんならワシが自分で替えに行く。レシートをくれ」時計を買った店は大型スーパーの中にある専門店。舅はあんまり行ったことのない店だ。きっと場所を説明しても迷っていけそうもない。仕方がないので夫も折れて舅を車に乗せて交換にいくことになる普通人からもらったものをもらった人の目の前で「気に入らないから替えてくれ」などというか?舅も夫の父親だけあって言いたい放題よくいうよ。しかし年を取ると子供に帰るというがまさに親子して言いたい放題。しかし横で見ている分には結構面白かったりする。そして出かける車中のこと舅の趣味は畑を借りての野菜作り。そして近くの畑を借りている人たちとの作業の合間のお茶や出来た野菜のやり取りの交流も楽しんでいる。先日舅はそんな仲間の一人からサトイモをいただいた。舅は礼を言ってありがたくいただいたらしい。ところがその場にいた別の野菜友達のKさん「そんなん○○(近くの安売りで有名なスーパーやったら百円もせえへん」と横から口を出した。舅は言う「人にもらったもんをその人の前であんなんいうたらあかん。Kさんももっと口の聞き方を考えなあかん。考えなしや。あほや。」と繰り返す。人にもらった文句を言うのはおかしいといっている本人が今人にもらった時計が気に入らずに交換に行こうとしている。私は自分も一緒やないのと矛盾に気がつかない舅がおかしくて笑いをこらえた。舅は耳が遠いので夫との会話も聞いたことの返事にならずやり取りを聞いている私は笑いをかみ殺す。少々耳は遠くなったが80代にしてはまずまず健康なのは趣味の野菜作りで体を動かすからだろう。頑固なため夫や周りの人とよく言い合いになるが元気でいてくれるのはありがたいことだお店につくと舅の気に入る時計を探した。舅の言う文字盤の見やすい時計が見つかって舅もご機嫌。家に送り届けると夫や私に礼を言って大喜びで家に入っていく。その姿は欲しいおもちゃを手に入れた子供のよう。夫の誕生日の一日はこんな一日だった
2005.01.10
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今日一月九日はなんと我が家の火星人夫の記念すべき?誕生日だ。1948年(昭和24年)一月九日にこの世に誕生した。女の子二人の後の待望の男の子の誕生に舅はたいそう喜んだそうだ。よっぽどうれしかったのか酔うと舅は必ずその時のことを語る。「産婆が今度はちゃんとぶら下げて来ましたデ、言ったんや。その時ワシはやったあと思ったんや」(朝 からちょっと下ねた入って失礼します。だってほんとにこういう風に言っているんですから)さて結婚後夫の誕生日といえば正月明けで夫の仕事は一年で最も忙しい時期に入るので夫も私も忘れていたり、誕生日といっても特別なイベントやプレゼントなどはしたことがなかった。だが今年は私はささやかプレゼントを計画中だ。このごろ夫の愛用の髭剃りの調子がいまいちよくないので夫がよくこぼしているからそれをプレゼントしようと思う。昨日それを夫に提案した。いつもよく買いに行っている大きい電気屋さんへは車で行かないといけないからしかし私が夫に言ったのはそれだけではなかった。「でも今度私の誕生日にはわかっとるやろ?」「え、お返しがいるの?」「そう、私の時は食器洗い機がええなあ」「そんな、値段がぜんぜん違うやん、10倍返しかあ」「うん、そうや」そう私の誕生祝には食器洗い機をお返しに買ってもらう計画題して恐怖の?10倍返し計画。夫いわく「それはちょっと・・・・。食事のご招待で勘弁して~」しかし外食の時夫はあんまり高い食事をご馳走してくれたことはない。せいぜい高くて一人2000円までそれじゃあこっちの出資のほうが高くつくよとらぬたぬきの皮算用、はたしてどうなりますか今年の9月20日を楽しみにしていよう。皆さん私って怖い女ですか?
2005.01.09
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火星人夫は遊園地が嫌いだ。自分が子供のころ親に連れて行ってもらって楽しかったという思い出もあまりないらしい。でも親になった以上子供に楽しい思い出をつくってやろうという気持ちで連れて行くのが親の義務ではないかと私は思うたとえ自分は楽しくなくても子供がうれしそうな顔もをしていたらうれしいという気持ちにならないのかと思う。夫は写真好きなので遊園地に行っても写真を撮ることに夢中だ。子供を乗り物に乗せて写真を撮る。それも観覧車とかコーヒーカップとかではなくて100円入れて2~3分動く乗り物。それにお金も入れず写真だけとってまた別の乗り物に移動。夫は気が済むまで写真を取って後はもう帰ろう帰ろうと子供のように駄々をこねる。着いて一時間もしたら帰ろうコールが始まる始末ある日友達の一家と遊園地にいくことになった。夫は例によって勝手に滞在時間は一時間くらいと決めていたらしい。友達と話し込む私の袖を引っ張らんばかりに帰ろうコールがはじまる。私は友達の手前笑顔を作りながら「久しぶりにあったからもう少し待って」と夫に言う。夫はついに友達の前だというのも忘れて切れた。「そんなに帰りたくないんやったら僕はこのまま帰るからお前は電車で帰って来い!」(夫の運転で車で来ていた)友達は困り顔。友達のご主人は奥さんが話している間ニコニコ笑って子供の世話を焼いているのに情けない。言いたいことは山ほどあったが友達の前で喧嘩をするのは恥の上塗りと思いぐっとこらえた。そして私たち家族は先に失礼することにした。常識も協調性もない子供っぽい夫が恥ずかしかった。帰り道大喧嘩になったのはいうまでもない。しかし私はこれ以来夫を遊園地に連れて行くのをあきらめた。こんなことでは楽しい思い出を子供に作ってやるどころか父親のイメージも台無しだ。遊園地には近所のまま友達と誘い合わせて出かけた。子供は友達といけるほうが喜ぶし私も夫のフクレ面を見なくていいだけ気持ちがいい。家族サービスが嫌いなら夫抜きで私たちだけで楽しもうと思った。だからディズニーランドへも私と 子供と近所の友達一家といった。向こうもご主人は仕事の都合でお留守番。女子供だけのほうが気楽でいい。乗り物に待っても夫に気兼ねする必要もない。夫は何で自分がディズニーランドへ連れて行ってもらえないか不満顔だったが私は友達との一件で学習した。夫を連れて行かなくて正解だった。きっと向こうで喧嘩ばかりして子供には面白くない思い出が出来ていたのは間違いない。ちなみに夫は自分の行きたいところへ行く時はぜんぜんご機嫌でハンドルを握る。要するに精神的に子供なのだと思う。私はこんな子供っぽい夫に20年も連れ添ってきた私をほめてやりたいと思う。よくがんばったよ私!
2005.01.08
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先日報告したとおり去年まで長女のパソコンを私娘二人で奪い合って元日早々喧嘩になりマイパソコンを購入した。これで問題は解決と思ったら私は甘かった。長女はこれで私だけでなく次女も私のパソコンネットをするからパソコンを一人占めできると思っていた。一方次女はちゃっかり自分は二つのパソコンを使えるとおもっていた。私がパソコンを使っていると次女は長女のパソコンを使い、長女は私のところへきて愚痴る。次女はパソコンを使い出すとなかなか替わらない。チャットが面白いから延々とやっている。やっと次女が終わって長女がパソコンを使い出すと、今度は次女が私のところへやってきてぶつぶつ。私から見ればどっちもどっち。長女は自分のパソコン、パソコンと言い過ぎて使う時は自分の許可が居ると大きい顔をしていう。確かにパソコンは長女のお年玉を長年ためていたもので買った。しかし月々のネット料金や電気代は親もち。次女は長女が大きい顔をして自分のというのが我慢できない。家計費からネット代を払っているなら自分も使う権利があると主張する。そして長女は次女に接続は自分がただでやってやるから自分のパソコンを買えと迫る。次女は今ここで貯金を崩したくないからまだいいと抵抗する。とまあこんな経過でネット開通早々これでは先が思いやられる。パソコンも一人一台の時代か?いやそれは贅沢か?親としても大いに悩むところだ。それに各自自分の部屋でパソコンに向かい合って家族の団欒もなくなって用があったらメールでというようになったら寂しいしなあ、皆さんの家庭ではどうですか?
2005.01.07
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まず今日はご報告。マイパソコンがネットできるようになりました。パソコンを古いコタツの上に置いて夫の使わない黒革の座椅子をセッテイング私のご機嫌なパソコンコーナーが誕生した。今年もよろしくお願いします私がそのおばさんに出会ったのはある病院に検査入院したときだった。おばさんは看護士さんでなく病棟内の掃除やお風呂の世話をしている。入院して数日たったある日私は病棟のお風呂に入った。お風呂好きの私はうちのお風呂より大き目の病院のお風呂に入るのをとても楽しみにしていた。血圧が高い私は一番風呂より何人か入った後の方がお湯が冷めててちょうどいいかと思って何人か入った後に入った。ところがお風呂のお湯はやけどしそうなくらいに熱く到底はいることができない 前に入った人もあまりに熱いからはいれなかったのだろう。仕方がないのでシャワーで済ませた。部屋に帰ると同室の人が湯加減はどうだったか聞くので熱くてとても入れなかったと正直に話した。翌日そのお風呂係のおばさんが私のところに来た。昨日の話を誰かから聞いたらしい。「あんた、お風呂熱くて入られへんかったって言うたん?」いきなり怒鳴られる。何で?お風呂が熱かったのを謝りに来たんじゃないの?「ここの病院のお風呂は追い炊きでけへんから熱くしといて後でお湯を汲み出してうめるんや、そんなことも知らんと・・・・」え~文句言ってる私が悪いの?言い返すこともできずに私は興奮して帰っていくおばさんを見送った。後でいろいろ考えてみる。ここの病院では病人が湯加減を見るの?お湯を汲み出すのって結構重労働だよ。あんなに熱いとやけどとか滑って転ぶとかの事故もありうるよ。そんなのがこの病院の常識なの?絶対におかしいよ。しかしおばさんに二度と文句を言われるのがいやだったので私はその後自分でお湯を汲み出してちょうどいい湯かげんになるように水を入れて調節した。冬なら待っているうちに確実に風邪引いちゃうよ。その後別の病院に入院した。お風呂とお掃除をしてくれるおばさんに最初にケーキをあげて仲良くなった。お風呂が沸くと湯加減を見て「今とってもいいお湯加減ですよ」とやさしく呼びにきてくれる。どうよ、この違い。ケーキの賄賂?が効いた?ケーキをあげなくても先のおばさんの態度ひどいと思いません。みなさん。でももう一人別の病棟に入院したときのお風呂のおばさん、私がまだ入っているのにお湯の栓抜きに来たもんね。「お湯抜くのに30分かかるから(大きな浴槽なので)5時に仕事を終わられへんから」という理由で、みなさん、もしも入院したら真っ先にお掃除のおばさんと仲良くなりましょう。それからお風呂の終了間じかに入るのはやめましょう、お湯を落とされて風邪をひきます。しかし入院している患者が何でこんなことにまで気を使わなければならないのか大いに疑問です
2005.01.06
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私は季節を問わず良く眠る。夜も10時か遅くとも11時には寝る。だから睡眠不足ということはないはずだ。しかし昼間も眠い。昼寝は私の日課だ。テレビを見ていてもいつの間にかねている。見ていた番組が終わっているので眠っていた事に気がつく。イスに座っても寝る。先日は郵便局へ行って長女が伝票を書いている横で座って居眠り。関西の人は知っているだろうが吉本新喜劇の竜じいみたいだ。長女の短大の入学式の時。席につくとまもなく学長の話が始まる。とたんに猛烈な眠気が襲ってくる。こういうえらいさんの話は長いんだよねどれくらい時間が経ったか拍手の音で目が覚める。学長さんの話が終わった拍手でなく、式が終了したのだった。結局私は初めから終わりまでほとんど寝ていたらしい。隣に居た夫は「いびきもかいとった」と呆れ顔。いまやいつでも何処でも眠れる私の特技?日記が終わったから今日もこれからお昼寝タイムだ。それではここでなぞなぞです。破れば破るほど褒められる物は何?
2005.01.05
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前から自分用のパソコンが欲しかった。私のデスクトップのパソコンは98で古いし去年の夏から原因不明の故障で立ち上がらなくなってしまった。治すには万単位の修理代がいるらしい。治しても98ではなあと思って治さなかった。いつもネットをしているのは長女のノートパソコンだ。元日、パソコンの使用をめぐって長女と喧嘩になった。勢いで近所の電気店の初売りのノートパソコンを見に行って買ってしまった。そのパソコンが今日配送されてくる。久しぶりに大きい買い物、慌てて買わなくても良かったかなという少しの後悔。でも最新型のパソコン、楽しみでもアル。近いうちにマイパソコンでネットデビューします!
2005.01.04
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皆様明けましておめでとうゴザイマス。結婚している主婦仲間で良く話題になるのはお正月イヤねえって言う話。舅姑と同居している友達はもちろん普段別居している友達もお正月には旦那さんの実家へご挨拶にいくのがみんな憂鬱らしい。それは私も一緒だ。お正月でなくても結婚して20年夫の実家の舅姑小姑連合軍とは色々あった。こっちは夫もどちらかといえば向こうよりで私に勝ち目はない。せめて喧嘩にだけはならないように聞こえないフリをするのみだ。例えばお年玉。皆さんは親戚のどの範囲位までお年玉を用意しますか?数年前主人の姪たちが結婚して子供が生まれた。姪の子供達はまだ当時1歳2歳だったのでまだお年玉は要らないかと用意していなかった。また姪の子供たちまで必要か名と言う思いも私にはあった。姪の母親である夫の義姉から「ウチの孫たちにお年玉を上げて欲しかった」と説教された。まあコレはコレで仕方がない、私の気配りが足らなかった。来年からきちんとしようと思った。翌年お年玉を用意して義姉宅まで持参した。玄関先で渡そうとすると何故かコレはもらえないと拒否されて返された。去年あんな事を言っていたのに何故?腑に落ちないが私は言われるままお年玉を持って帰った。以来もう渡すのを止めた。そして数年。今年どういうわけかまた姪たちからウチの子達へ、義姉からもウチの子達へお年玉が復活。また来年からお年玉で頭を悩ます事になりそうだ。
2005.01.03
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