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母の遺品の中に色鉛筆とスケッチブックを見つけた。色鉛筆は36色入りでスケッチブックはA5サイズが3冊。大体が花の絵で一枚一枚に見慣れた母の字で書かれた日付と花の名前が書いてあった。スケッチ帳は平成30年5月7日で終わっていた。平成30年と言えば2018年?今から7年前?父が亡くなったころかな?母は絵を描く気力がなくなったのかな?何でやめたのかはわからないけど、父の具合が悪くなって入退院を繰り返していたから書く余裕がなくなったのかもしれない。最後のページの絵は鉛筆で下書きをしたままで色はついていなかった。父が亡くなった後、水墨画をまた書いたら?と勧めたけど母は首を振った。書く気力が亡くなったのかもしれない。私はスケッチを書いていたのは全く知らなかった。母はもともと絵が好きで旅行に行ったら美術館には必ず立ち寄った。それからしごとをていねんでやめたあと、父も元気だったころは父に車で送迎してもらって、少し離れたところに水墨画を習いに行っていた。水墨画は結構大きな絵もたくさんあって母の家を片付けた時にびっくりした。押入れの天袋にたくさんの水墨画があった。それらを全部家に置くには場所がなくて二枚だけ残して後は友達のつてで売ってもらった。水墨画はなかなか家には置けないけど、スケッチブックは私が手元に置いておこうと思う。私の知らなかった母の一面を知った。36色の色鉛筆は絵を描くのが好きな孫ちゃんに上げた。私は母の画才は残念ながら遺伝していないようです。私が母にいつだったかの誕生日に上げた大人のぬりえの本は手付かずで残っていた。多分その頃にはもう認知症が進んで絵をかいたり色を縫ったりする気力はなかったのだろう。これは私の宿題としていつか完成させられるかな?
2025.03.31
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朝から近所まで用事で出かけたら知人のMさんとすれ違った。Mさんとは子供の一人が同じ年で子供会の役員を一緒にやった。そんなに親しいわけではないけどあいさつ程度の中。役員をやった時いろいろ愚痴を聞く機会があった。Mさんは地元の農家?に嫁いで舅姑とだんなさん、子供3人の大家族の奥さん。嫁いだ当時は旦那さんのお姉さんもいたという。今はすでに舅姑は亡くなったようだけど。結婚当時はふたりでアパートに住んでいたという。一人目を出産した時病院から退院したら旦那さんがアパートでなく義実家に彼女と赤ちゃんを連れて行ったという。奥さんの実家は遠いのでしばらくここで養生するようにとのこと。ところがいつまでたったもアパートに戻ると言わない旦那さん。旦那さんが勝手にアパートを解約してこのまま同居する話になってた。知らなかったのは奥さんだけ、奥さんはあちらこちらでこぼした。騙されて同居になった。そんなことを言われている旦那さんがちょっと気の毒な気もするけど、やっぱりそんなやり方はよくない。でも同居してだんだん奥さんも強くなった。一番下の子供が小さかった時朝のパートを見つけていくようになった。朝起きたら母親がいないから下の子が毎朝泣いておばあちゃんのところに行く。おばあちゃんは困って仕事を辞めたら?と奥さんに言ったら、奥さんは「やめたら食べていけませんから」ときっぱり言ったという。だんだん強くなって言いたいことをある程度は言えないと我慢ばかりでは同居は続かない。子供会の役員をしていたとき彼女が家で打ち合わせをしようという。家にお邪魔した。広いおうちにちょうど3月でお雛様の立派な段飾りが飾ってあった。彼女は言う。「おばあちゃん(姑さん)は暗い人だから以前は誰も寄り付かなかったけど私がどんどん人を呼ぶから明るい家になった」よくそんなことを言えるなと思った。もしかしたら家のどこかに姑さんがいて聞いているかもしれないのに。だんだん自分の意見も言えるようになって、自信をつけたようだ。またそうでなくては大家族のお嫁さんは務まらないだろう。私は自分の姑に「あれでは同居はできない」と言われたから何とか義両親と折り合いをつけて同居している人はすごいなと思う。同居だけでなく義両親と住むと古い価値観とかしきたりとかとも一杯あるだろうから、それらをただ受け入れるのでなく、今の世の中に合わないものはやめていくとか、時には義両親とぶつかりながら家の中を変えていくことになるだろう。そしてそうやって長年がんばってきたから、今彼女は家の中に確固たる地位を築いたんだと思う。まあ私も義両親とは同居はしていないけど結婚40年それなりに夫には言いたいことはある程度は言えるようにはなったけどね。女は結婚出産を経てだんだん強くなっていくのだろう。強くなるのは自分のためだけでなく子供のためという理由もあるし、嫁ぎ先で根をおろして自分の立場を作るためでもあるだろうけど。
2025.03.30
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去年から私の旅行計画はスタートした。方向音痴で一人では行動できなかった私。でもいつまでも元気に旅行に行けるわけではない。年齢とともに足腰も弱って来るだろうし。私も夫も元気なうち出ないと旅行もなかなかいけない。夫は旅行には興味がなく、疲れるだけだという。行きたいところも特にないらしい。というわけで夫のお留守番は決定している(^^♪たまには離れてみるのもいいもんだ(^^♪私は友達と行こうかと思ったけど、友達はお孫さんのお守りや親の介護でなかなか家を空けられない人がほとんど。私は最終的には北海道に行きたいと思っているけど、そんな何泊もする旅行に付き合ってくれる友達は見当たらない。方向音痴克服を目指して少しずつ動き出した。去年は日帰りで神戸市の異人館巡り。それから9月に有馬温泉の宿を自分でネット予約して自分で行き方を調べて行ってみた。あまりに暑くて熱中症みたいになったので二日目早々に帰宅。そして11月には倉敷のホテルを予約,行き方も調べていく気満々だったけど、骨折で断念。キャンセルが遅かったのでキャンセル料100%になり痛かった。そして少しは考えて食事の付かない素泊まりにしたら直前キャンセルでもキャンセル料がいらないことに気が付いて2月に3月末、ちょうど26,27の倉敷旅行を計画した。ところが今月初めに母が緊急入院、まさか亡くなるとは思わなかったけど、心配で旅行に行っている場合ではないなと思ってキャンセル。来月母の49日が終わったら旅行計画を進めようと思っている。でも倉敷に行くか、それとも北海道にいくか迷っている。知人の言葉を思い出した。その人も旅行が好きなのだけど、年取るとあまり遠くには行けないということを考えて、まず離島に行くことにしたという。北海道なら奥尻島とか沖縄とか奄美大島とか。今年先に北海道に行って旅行計画を再スタートしようか?去年の計画では倉敷を手始めに、広島安芸の宮島、その次は下関に行くと漠然と考えていた。北海道に行くならこの春はどこへも行かないで予算的にも今年は北海道に全力投球する。北海道でなく最初の計画通りに倉敷なら秋にも一泊程度安芸の宮島とかに行けるだろう。5月倉敷、9月安芸の宮島、11月下関と計画したら最初の計画通りに行ける。さてどうする?もう少し考えてみよう。
2025.03.27
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先日テレビで90何歳かで山奥で一人暮らしのおばあさんを訪ねていく話を見た。おばあさんは一人暮らしで毎日畑に通い、自分のことは全部自分でする。またスマホも使いこなし、息子たちとも連絡を取る。息子さんが心配して家の内外に防犯カメラをつけてくれて、息子さんがお母さんの安全を見守る。以前家の外で転んだときもカメラで知って息子さんが駆けつけた。話をしてもしっかりしている。義父母と旦那さんに死に別れたけど、何年に何歳で亡くなったかきっちり話せる。顔も生き生きとしていて話し方もしっかりしている。頭もまだまだしっかりしているようだ。認知症だった母をはじめホームにいた入所者の人たちはなんだか顔つきが違っていた。認知症の人は認知症特有の顔つきがあるようだ。どうしたら先ほどのおばあさんのように90歳を過ぎてもスマホを使いこなすしっかりおばあさんになれるのか?やはり好奇心を忘れないこととか手先を使うこととかかな?そのおばあさんは趣味は畑仕事と折り紙だった。夜は折り紙を折っているとのこと。足腰と頭の中がしっかりしていたら、高齢になっても一人になってもやりたいことをやって楽しく暮らせる。そういう晩年を目指したいと思う。
2025.03.26
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亡き両親と3人で旅行に行っている夢を見ました。実際には3人では行ったことはないです。30年くらい前両親が定年になってからうちの家族と弟家族と両親とで何回か旅行に行きました。その時は私も働いていて住宅ローンや教育費で結構大変だったけど、親孝行のつもりで一緒に行きました。今もその時の写真を見たら楽しかった思い出がよみがえります。でも両親はすでになく弟は離婚して今は別の人と結婚している。甥は東京で一家を構えていて会うこともほぼないです。夢の中では父の運転で旅行に行ってました。なぜか道が通れなくなっていてしばらく待っていたら両親が寝てしまって私が二人を起こしているところで目が覚めました。3人では通れないということはもう二人とは違う世界にいるんだなということ?でも私のことが心配で様子を見に来てくれたのかな?母が亡くなった直後から体調がよくなくて耳鳴りがしたり、手根管症候群で手指がいたんだりしていた。それもだんだん落ち着いてきました。前を向いて目の前のことをやっていくしかないんだなと思い始めました。今度夢に両親が出てきてくれたら私は大丈夫だから、そっちで二人でたのしくやってねと両親に言えるように頑張っていきたいです。
2025.03.26
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母のホームから送られてきた荷物を整理していたらたくさんの写真が出てきた。弟夫婦に甥が生まれた時両親と一緒に写真館で撮った写真。甥が結婚して奥さんと両親、甥の母(弟の元嫁)と撮った写真。甥の結婚式の分厚いアルバム。それらは私の記憶がない写真。母がホームには行った後、母の家を片付けるときに両親の旅行に行ったときとかの大量の写真が見つかった。さすがに写真はすぐに処分する気に慣れないからうちに持ってきた。それからいくつか写真はホームの母に持って行った記憶はあるけど、それらの写真は私が持って行った記憶がない。弟が持っていたのを母のところに持って行ったのだろうか?今の奥さんと結婚する前の写真だから家に置いて置きづらかったとか?そこに映っていた幸せそうな母の写真。しばし写真を見ていた。弟と甥の間に何があったのかわからないが、母の家に会った甥の携帯番号はつながらなかった。元弟嫁に聞いたら甥の連絡先は教えられないと言われた。何か事情があるっぽい。甥はこちらとは縁を切るつもりだと元嫁が言った。私の知らないなんかがあったらしい。甥はもうこちらへは来るつもりもなさそう。初めての内孫で両親にはかわいがられていたのに。甥が母の位牌に手を合わせてくれたら、母は喜びそうなのに残念ながらその機会はなさそう。伝わるかどうかわからないけど元嫁に母が亡くなったことを知らせようと思う。それで元嫁が甥に連絡してくれるかはわからない。もし来られなくても母を思って手を合わせてくれるだけでもいい。母の家には甥から来た手紙が大事そうに箱に入っていた。それを私は見て甥も祖父母を慕っていたと思う。母の大事にしてきた家族は今は過去のものになったのかもしれない。
2025.03.26
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早いもので母が亡くなってから一週間が経ちました。1週間前の9日に昼間母の容態がよくないと電話が来ました。血液検査の結果、脱水がひどい、腎機能が悪いという話でした。入院当初の結果では軽い脳梗塞で2週間くらいで退院できると言われていてコロナの隔離期間が終わったら(入院時はコロナ発症していた)面会もできるということだったのですが。もう先が長くないと言われたのでできるだけ早く会いたいと思いました。でもその日の夜11時ごろに寝ようとして電気を消した途端電話が鳴った。脈も弱くなってきたから早く来てくださいとのこと。大急ぎで夫を起こし、弟に連絡をして駆け付けましたが間に合いませんでした。わたしがつく5分くらい前に亡くなりました。弟の方が先についていました。そんなこんなの1週間前を思い出していました。あっという間の1週間。本当なら今日はホームで利用者家族とホーム長さんの運営会議が行われる予定でした。わたしはもう関係者でないので出席はしませんでした。代わりに私が入っている腎移植の会のオンライン役員会が行われました。運営会議に出るために一度不参加と連絡しましたが、そちらに出る必要がなくなったのでオンライン役員会に出席しました。明日17日は午前中母の荷物をホームから運送屋さんが運んできます。午後からお坊さんに来てもらってお仏壇の中の父の戒名が彫ってある夫婦位牌の魂を抜いてもらいます。時間があればその日のうちに、お坊さんが来るのが遅ければ火曜日の午前中に仏壇やさんに持っていきます。毎日あれやこれやの用事があって混乱しそう。火曜日の午後にはパソコンに行きます。先週はお休みしたから先週やったところを教えてもらわないと。だんだん通常運転にしていかないとね。19日水曜日は大学病院。20日は今年うちが自治会の班長になっているでの班長会議。21日にはいつも金曜日に行っている体操に行きます。忙しい方が気も紛れて楽かもしれません。やっぱり昼間は忙しくても夜になったら母のことを思い出すかも。寂しくても慣れていくしかないですよね。みんなが通る道だから仕方ないですよね。マイミクさんが言ってたけど逆縁は最大の親不孝だそうです。色々病気をして入院も多かった私が母より先に逝かなくてよかったと思います。どれだけ母を泣かせて悲しませていたかと思うと、私が母を見送れてよかったと思えます。
2025.03.19
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母が3月9日に亡くなった。昨日無事に初七日も終わり、今はなんだかボーっとしていつも通りにエンジンがかからない状態。母との今までの想い出がいろいろ思い出される。反抗したこと、けんかしたこと、それ以上に母のやさしさや温かさを感じたいい思い出もたくさんある。やはり父と母では私の気持ちがかなり違う。父を見送ったときは割と淡々と見送れた。父とはあまり深い話をすることもなく距離がある感じだった。父が亡くなったときは亡くなった前日にたまたま入院していた病院に検査に行く予定があり、終わった後父を見舞った。父はまだ意識があり、少し話せた。少しおかしなことを言っていたけどそれが最後の会話になった。その夜中に急変して亡くなった。そんなにすぐとは思ってなかったからびっくりはしたけどガンで余命も宣告されていたし、わりに冷静に受け止められていた。母は違っていた。母を失ったダメージがこれほど大きいとは思わなかった。やはり母から生まれてきたという事実、両親とは言っても母の方が私にとっては重い存在だった。友達が母の魂はまだそこらへんで私を見ているという。それならこれ以上心配をかけないよう、徐々に通常の生活に戻る努力をしないと。これからももちろん母を思い出すことは度々あるだろうけど、だんだんに母がもういないという事実を受け入れて行かないと私は前に進めない。母はわたしに自分の生き方や背中でいろんなことを教えてくれたと思う。それらを大事にしてこれからも頑張っていこうと思う。いつか母とあちらで会ったとき、私はこういう風にあれから生きてきたよと笑って話せるように。
2025.03.15
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母の容態がよくないと連絡を昨日もらいました。そして昨夜、寝ようとしたら11時過ぎに病院から連絡が入り、すぐに駆け付けたけど間に合いませんでした。母は91歳。一言も言葉を交わせずに逝ってしまいました。コロナ陽性でホームで療養していたところ脳梗塞を起こしてダブルパンチだったようです。ひどい脱水で腎臓や心臓が一気の弱ってしまった。そのように当直の先生からは説明されました。とりあえずご報告だけ.
2025.03.10
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梗塞で入院した母は最初の診断通りに2,3週間で退院できると思ってた。ところが今日病院から連絡がありいつ急変してもおかしくないほど、心機能腎機能が悪いと言われました。延命処置もどうするか聞かれました。尿があんまりでない、口から食べられない。そんな状態なのでもう長くはないでしょう。ホームの母の部屋に退院して戻ることは難しそうです。弟とホームのホーム長さんに連絡をしました。ホーム長さんもびっくりされていました。入院した時もあくまで念のために救急車を呼んだからもしかしたら大したことがなくてそのまま帰れるかもとおっしゃっていたくらいだった。最初の脳外科での診断の通り、2,3週間で帰れると思ってたのに。ホームでも3か月に一度は血液検査をしていて毎週ホームと契約している先生が往診に来ていたのに、そんなになるまでわからなかったなんて。家にいても落ち着かないので近所の神社にお参りに行ってきます。困ったときだけの神頼み。神様はあきれているかもしれないけどお願いしてきます。
2025.03.09
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タイトル通りです。母は土曜日にコロナ陽性と診断されてホームで養生していました。今朝の電話では熱は37度前後で食欲も落ちているという話だった。コロナのお薬は出ていなくて熱さましを飲んでいるらしい。夕食後ホームから電話がかかって、夕食時に母が食事を飲み込めなくて横からたらっと全部こぼしてしまう。スタッフさんが脳梗塞かもしれないということでちょうど来ていた看護師の人とホーム長さんと相談して救急車を呼ぼうということになったという。そして私に連絡が来た。うちの市には大きな脳外科病院があって結構遠くから受診や入院する。救急病院だけど今夜は特に救急患者が多くて少し待たされた。検査して脳梗塞が分かった。それで緊急入院になった。脳梗塞自体は小さいけど入院して、経過観察をしないとだんだん大きくなる可能性もあるとのこと。コロナがまだ治りきってないので個室になった。点滴治療をするようだ。無事に回復してホームに戻れるといいな。予定では二週間程度の入院。予定通りに退院できるかはわからないけど。入院の書類を書いたり手続きをして先ほど帰宅。疲れているけど眠れそうもない。母は91歳だから何があっても不思議ではない。もちろんいづれその日は来ると覚悟はしていたけど、やっぱりまだいてほしい。どの程度回復するかによってホームを出て別の施設に移ることもありうるし。まああまり先先考えず今は今を乗り切ることだけ考えよう。
2025.03.06
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うちの長女が小学生だったころのこと。夏休みの宿題に作文があった。夏休み中の楽しかったことを書くという課題。長女はデイズニーランドに行ってきたという作文を書いた。うそだった。行ったことは行ったけどそれは春休みのことで夏休みには行ってない。何でそんなことを書いた?と聞いたらどこにも行っていないのが恥ずかしかったからという。子供の見栄かもしれない。泊りがけでは行かなかったけど子供会の日帰り旅行とかはあったのでそれを書けばいいのに、書くのがいやだったらしい。また私がPTAの役員をしたときには「お母さんはPTA会長で忙しい」という作文を書いて出したから私が恥ずかしかった。でもいたづらとか友達をいじめたようなとき自分が怒られたくなくてうそをつく場合もある。長女が幼稚園の時長女の上履きがなくなるということがあった。探したら結局ゴミ箱から見つかった。同じクラスの子が、○○ちゃんがゴミ箱に長女の上靴を捨てるのを見たという。結局見つかったからいいかなとも思ったけど一応担任の先生には伝えた。担任は名指しされた子に一応聞いてみた。するとその子のお母さんが猛抗議してきた。うちの子はそんなことはしていないと言っている。証言した子が嘘を言っているという。先生は困っていたのを覚えている。結局この件はうやむや。その後も長女に嫌がらせが続くようなら困るけどその時だけで収まった。嫌がらせというかいじめというかそんな気はなくてちょっとしたいたづらのつもりで隠しただけかもしれない。それが先生や親が知ってその子は慌てたのかもしれない。まあ結果二度と同じことをしなくなったならそれでよかったのかな?もしかしたら証言した子がやったのかもしれない。軽い気持ちで自分が怒られたくなくて他の子が捨てているのを見たと言ったのかもしれない。でもこの場合は犯人を捜して叱ることより、こういうことをしたら隠された子が困るからやってはだめだということが分かればそれでいいのかもしれない。周りを見回すと友達の子供は「大きくなったㇻバナナになりたい」といった話や別の長女の友達は「大きくなったらお姫様になりたい」といった話も聞いた。子供は嘘というより想像力というかこうなったらいいなという話をしているだけなのかもしれない。お姫様になりたいといった子供のママは嘘はいけないと怒ったそうだけど私なら怒らないな。そうかといって笑って終わるけど。もちろん家庭によって解釈やしつけとかは違うので私は何も言わないで聞いていた。やがて成長したらそんなことを言ったことも子供は忘れるし、バナナにもお姫様にもなれないことは自然にわかることだしね。子供には年齢に応じてやっては人としてやってはいけないこと、友達との接し方とかいろいろ教えていくことがたくさんあるけど、親としてどうしたらいいのか悩むことも多い。成長とともに子供は親にもだんだん話さなくなってくるから難しくなってくる。子育ては親育てとかいうけど、子供から学ぶことも多いし、悩むことも多かったけど親としての私も多少は成長したのかな?もううちの娘たちは38歳と40歳になってあんまり私に相談したりすることはなくなって私にできることは、見守ることだけになってしまったのは寂しいけどしかたないですよね。
2025.03.02
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