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朝10時ごろに長女からメール。きょう暇?と聞く。銀行へ記帳に行くつもりだったけど別に今日でなくてもいいよと返事したら急遽ランチが決定。10時から用意をして三宮に行くのはあまり気が進まない。長女に地元に来てランチする?と聞いたら交通費がかかると文句を言う。結局途中の駅で会うことになった。無事12時過ぎに合流。先週長女の誕生日だったのでランチをごちそうすることになった。満40歳で親としては将来が心配だけど見守るしかできない。正直だんだん結婚が遠のいている感じがするけど、長女が今が充実しているなら仕方ないのかな?親の価値観を押し付けるわけにもいかない。私の時には25過ぎたら売れ残りのクリスマスケーキとか言われていた。わたしの母なんて30過ぎたら子供のいる人の後妻の口しかないなどと言っていた。長女は子供が好きでないから自分の子供でもいらないというくらいなのに、後妻になって人の子供を育てるなんてできそうもない。それとも本当に好きな人に出会えたらそれもできるのかな?長女魚が食べたいというので検索した。候補の店は2つ。一つは以前私が行って知っているお店。でも久しぶりなので道を間違えてようやくたどり着いたら今日は休み。私の持っているおいしい店ガイドのパンフには火曜日定休日と書いていたけど行ってみたら月火連休に変わっていた。やすみやった"(-""-)"仕方ないので候補2のお店に行く。ここは初めて行くお店。地元名産のタコを使ったランチ、アナゴを使ったランチなどがありランチ1500円から。入り口は二階にあり初めてなので恐る恐るドアを開ける。長女はタコが好きなのでタコのランチ。タコの炊き込みご飯やタコ尽くし。2500円わたしは一番安い1500円のランチ。まあ誕生日だからいいか。それから街をぶらぶら。長女、明石焼きを食べたいというので昔私が良く行った明石焼きが一番おいしいと思う店に行ってみた。区画整理で場所が変わったのは知っていたが、その店は駐車場に変わっていた。仕方ないので別の店を探す。別の店を見つけて明石焼き15個をペロリ。最後は駅近くでお茶をして別れてきました。今日は14220歩よく歩きました。
2025.01.27
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タイトルどおりリコーダー演奏会に行って来ました。無料です。リコーダーといえば小学校で習ったリコーダーを思い出しますが合奏なのでソプラノ、アルト、バスと音域の違う長いリコーダーや曲がった形のリコーダーなどを初めて知りました。いろんなジャンルの曲を合奏する一部とみんなでよく知っている曲を合唱する二部の構成。歌うのは好きですがコロナでここ数年かラオケにも行ってないからあまりにも自分の声が出ていないことにびっくりしました。たまにはかラオケ行かなくちゃ(笑)リコーダーを演奏するみなさんの生き生きした表情。わたしよりみなさんすこし年上かなと思うけど、演奏で表情筋をつかうからかほうれい線もほとんど目立たず若々しい。老後気の合う仲間と好きなことを楽しめるのはすばらしいですね。
2025.01.25
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一緒に遊んでいた子に指が6本あると気づいた女の子。そばにいたその子のお母さんに「どうしてこの子の指は6本あるの?」と聞いたら、お母さんが「お腹の中で作り過ぎちゃったの」と答えた。そして女の子が自分のお母さんに「あの子指が6本あったよ」というと女の子のお母さんが「じゃあ幸せをいっぱいつかめるね」と答えた。それを聞いた指が6本あるこのお母さんは、その温かい言い方にほっとしたという。障害を持つ子と何のこだわりもなく遊ぶ女の子。お母さんのやさしい言い方。なんだかほっこりする話ですよね。たとえ障害があって人と違うように生まれてきたとしても周りが温かい気持ちで接してあげてほしいですね。みんな違ってみんないい。それは個性ということで(^^♪
2025.01.23
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高校時代アルバイトを良くしていた。昔のことなので時給は安かったけど自分の高校の費用や修学旅行の費用は自分のバイト代から出した。わが家は度々父が失業したせいもあってお金がなかったから。何か所か転々としてと言っても田舎だから高校生のバイトはそう色々なかった。地元で長い間やっていたスーパーで卒業間際にバイトしていたときのこと。平日は学校が終わった後制服にエプロンをかけてレジの終わった商品を袋詰めする仕事。土曜日の午後と日曜日はまた違う仕事。要するに雑用。野菜を倉庫で詰めたり、レジのお釣りが足りないからもらいに行ったり。お客さんの買ったものを配達したり。冬の日曜日の朝はレジの人たちのために足元に置く練炭の火を起こす。昔だけど実家でも練炭は使ってなかったから練炭って初めて見た。練炭が切れたらお向かいの今でいうホームセンター当時は荒物屋と言ってたかな?そこへ買いに行く。若社長の奥さんに言われて子供の幼稚園バスに迎えに行ったり、奥さんの頭痛薬を買いに行ったり。奥さんが赤ちゃんを預けている家に忘れ物を届けたり。いやいや今から思ったら結構私用もあったな。小さな家族経営のスーパーだったから。何でもあり。今日も夫と別のスーパーへ行ったら相変わらずレジの人の足元は寒そうだった。電気ストーブを置いてある店も見たことあるけど。さすがに今は練炭はないな。年月を感じる。今は区画整理でその店はなくなった。荒物屋もなくなってマンションに変わった。近くの別の場所で若奥さんが小さな売店をしている。多分社長ご夫妻も若社長も亡くなったのだろう。若奥さんもすっかり老けて売店は休みが多い。そこで買い物をしたことがあるけど若奥さんは私のことを見ても覚えてない様子。そりゃ高校時代だもの。大昔だから覚えているわけないよね。
2025.01.18
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わたしの1.17.住んでいた家は瓦が一部落ちたり壁にひびが入ったりの多少の被害は会った。家を建てた工務店に連絡を取り屋根の修理を頼んだ。雨漏りがするのは困ると思って。割合早く修理はしてくれた。でもうちの近所数軒は同じ工務店が建てた家だったが、社長が来てはしごをかけて屋根をちらっと見て「38万円」と言った。後で聞いたら数軒とも同じ値段だった。大雑把な見積もり。足元を見られた?でも早くしてほしいから仕方ないとそれを払って修理をした。壁はなかなか修理に来なかった。ひびのところから雨水が入ったら壁が傷む。一度社長が塗装業者を連れて下見に来てまた連絡しますと言って帰って行った。それっきり。当時まだ元気だった実家の父に雨水が入らないように応急修理をしてもらった。なぜそれっきりだったのか後になって分かった。震災後その工務店は倒産したらしい。不思議なことがあった。震災前夜。ふと思いついてベッドの頭の位置を変えた。地震後見たら足元に大型スピーカーが転がっていた。夫のステレオの大型スピーカーを二個重ねて部屋の隅に置いていたのが地震で飛んできた。あれが頭に飛んで来たら死んでいたかも。こういうのを虫の知らせというのかな?ただ何となく枕の位置を変えただけなのに。ご先祖様が守ってくれたのかもしれない。家の中にはたくさんの壊れた食器とかあったのでとりあえずパートは休んだ。二日目だったかな?近くのスーパーが開店すると聞いて買い物に行ったらほとんどの品物が入荷していない。生鮮食品は皆無。なんでも道路が寸断されていてほとんどのものが入荷せず。売っていたのは食パンと冷凍のうどん、インスタントラーメンなどの品目だけ。とりあえず買って帰った。うちはプロパンなのですぐに使えたけど都市ガスのお宅はしばらく使えなかったしお風呂にも入れない。うちはプロパンだったから温かいものも食べられるし、お風呂にも入れた。避難所の人たちが寒い避難所で震えながら冷たいおにぎりとかを食べてお風呂にも入れないのを思って申し訳ない気持ちになった。震災の日のお昼に買ってきた冷凍のうどんをゆでてお昼ご飯にした。夫がネギがない,揚げが入ってないと文句を言うので避難所の人たちのことを思ったら温かいうどんが食べられるだけで恵まれているんだよと夫に説教をした。ネギも揚げも売ってなかったし。電車が動いてなかったので夫はしばらく休んでいたので子供たちを任せて私はパートに出掛けた。でも余震が続いて仕事にならなかった。でも家が全壊したり家族を亡くした人のご苦労はこんなもんじゃない。今日も新聞に30年たってもまだ行方不明者が3人いるとのこと。全壊したアパートをがれきをかき分けて消防の人やご家族が遺体を探したけど骨のひとかけらも見つからずだったという。消防の人が火事もあったにしろ何もないのは不思議ですと言った。ご家族は遺体も見つからないからまだどこかに生きているような気がするという。でも法律上は行方不明が何年か続くと死亡とされてお葬式をしたという。ご家族の姿を求めて避難所や遺体安置所を何か所も回ったという人もいる。たくさんの人が心に大きな傷を負ってそれでも前を向いてこの30年生きてきた。
2025.01.17
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わたしはOLだったころまだ個人で所有するパソコンは世に出てなかったけど職場でofficeコンピュータを使っていた。倉庫の在庫や入庫をofficeコンピュータを使って調べたり、工事の日程などの管理を行う部署だった。わたしが辞める少し前に職場にワープロが入った。私は興味津々。勉強会を開催するというので私は参加したいと上司に申し出た。上司。頭が固いのかうちの部署では使うことはないから参加しなくていいという。がっかりした。それから結婚して月日は流れた。1999年だったと思う。わたしはパート先を退職してハローワークのパソコン講習を受けた。それまでのパート先が体力がいる仕事でだんだんきつくなってきたので事務に転職しようと思ったから。けれども一応終了はしたけど、すぐに仕事はない。ハロワのパソコン講習程度のスキルでは仕事がなかった。面接を受けても受けても断られる。経験者がいいと言われる。ハロワではパソコンと同時に簿記3級も勉強して資格を取った。でも仕事がない。私は前のパート先の失業保険を使ってパソコンを買った。初めてのマイパソコン。そしてパソコン教室に通った。仕事にはならなかったけどパソコンは楽しかった。パソコンがどれくらいできるかということを証明するために資格も取った。最後に通っていたパソコン教室で仕事というよりちょっとしたお手伝いをしたくらいでほとんど仕事はなかった。そうこうするうちに透析になって仕事をするのは無理かもと思い出した。でもパソコンで確かに世界が広がって楽しかった。普通には出会えない人にも出会えた。でも私の周りの同世代の人はあまりにもパソコンに興味がない。はっきりパソコンは嫌いだという人。私が触ったらきっとパソコンを壊すと思うから触らないという人。スマホがあればパソコンは要らないといういう人。いやスマホとパソコンは違うと思うけど。ところが今のパソコン同好会に入ったら先生は80代。生徒も70代80代でちょっと驚いた。多分メンバーの中で私が一番若い。パソコンを習うのってハードルが高いように思っている人もいるけど面白そうだからやってみようという好奇心のある人はいくつになっても始める。歳を言い訳にしない人たちがいくつになってもパソコンを始める。でも年齢が行くと聞いたこともなかなか覚えにくくてすぐに忘れる。でも繰り返しやると記憶も定着する。わたしは年上の仲間たちとパソコンを楽しんでいる。今まで通った教室では習わなかったことを教えてくれる先生。私の好奇心がどんどん刺激される。パソコンができれば買い物とか自分の旅行の宿の予約とかもできる。出来たほうが全然楽しいのになあ。
2025.01.15
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インフルエンザが大流行しているニュースを見て思い出した。娘たちが小中学校だったころ。その頃はコロナはなかったけど、インフルエンザやおたふくかぜ、水ぼうそうなどの感染症が会った。そういう学校指定の感染症にかかったら決められた日数を休んで再度受診して医師に登校許可証をかいてもらわないといけないルール。その頃私は元気でパートをしていた。そういう病気になれば休むけどそんなに連続して休めないからその頃元気だった実家の両親によく世話になった。私が仕事でいない間面倒を見てもらったり。最後の受診に連れて行ってもらったり。熱が下がっても登校許可証がないと学校には行けない。規定の日数が立ってもう他の人に感染しないという医師の診断が必要だった。父はそういうルールを理解しなくて「なんで熱が下がっているのに学校へ行けないんや?勉強が遅れるやないか?」という。毎回ルールを説明するも理解しない。昔はそういうのはなくて熱が下がったら親の判断で登校していたのかもしれない。治りきらないまま登校したら他の子に移って最悪学級閉鎖になることもある。父が子供だった頃にはもしかしたらインフルエンザもなかったかもしれない。父に病院に連れて行って医師から登校許可証をもらってきてほしいと頼んだら許可証が出たら途中からでも学校に行けと娘たちに言う。娘たちは今日まで休むつもりだったけど学校の用意をして病院に行こうという。娘たちは戸惑っていた。挙句父はこんなルールがあるなら今後はインフルエンザと言われても普通の風邪だと言って休め。そうしたら熱が下がったら登校できるという。せっかく私がお友達に移したらかわいそうだからちゃんと休んで治ってから行こうねと言っているのに嘘ついたらいいと教える。困ったものだ。ルールなんて守らなくていいとか教えちゃうんだから。そういえば長女が短大生だったころインフルエンザで高熱が出たことがあった。ちょうど試験の時。長女はタクシーででも行くと言ったけど休ませた。無理に行って途中で倒れてもいけないし、そういう理由で試験を休んでも学校で別の日に追試験を受けさせてくれると思っていた。追試験とかの処置がなかった"(-""-)"おまけにその教科の先生に相談しようにも毎日来ない先生。何とか先生と連絡を取って代わりにレポート提出と言われた。長女はその教科の試験は得意だったので受けたらよかった。レポートは帰って難しいとぶつぶつ言っていた。大学生はインフルになっても休むというルールがないのだろうか?小中学校は文部省の指示でそういうときの扱いが決まっていたのだろう。長女は高校も短大も私立だったからまた違ってたのかな?登校許可証の話を思い出したので今日の日記に書いた。
2025.01.14
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ずっと実家のお母さんを介護してきた友達がようやくお母さんを施設に入れる決心をした。週の半分は実家に泊まり込み面倒を見てきた。周りの家族はそろそろ施設に入れたほうが」いい。これでは共倒れになってしまうというけどお母さんが家にいたいというからなかなか踏み切れなかった。まずはショートステイから慣らしてホームも申し込みをする。ホームはなかなか空きが出ないと思うけど、だんだんお母さんにも気持ちを整理して決心してもらいたい。住み慣れた家を出てホームに移るというのは結構つらい決心だと思うけど。わたしも今母をホームに入れているから彼女の気持ちはよくわかる。わたしもなかなか決心がつかなかった。ケアマネさんに背中を押してもらって母を説得しようとしたけど、母はあくまでここにいるの一点張り。話し合いをあきらめて半ば強引に準備を進めた。引っ越しの手配、持っていく荷物の用意。カレンダーの引っ越しの日に〇をつけて。強引すぎたかなと迷うこともあったけど、最初は母もホームで戸惑って帰りたそうなそぶりだったけど今ではすっかり慣れて笑顔も見られる。コロナで面会できなかった時期もありさぞ母も心細い思いをしたことがあったと思う。わたしも年を重ねてきて自分の最後はホームかなと想像することも増えた。自分で身の回りのことができなくなり子供や周囲の助けがいるようになるとホームに行く選択肢を示される。私の聞いたある高齢者は自分で自宅を離れてホームに移る決心をして娘さんにホームを探してと言ったという。また自分ですべて決めて一人で引っ越ししてきたお爺さんの話も聞いた。自分の最後の場所は自分で決める。何という強い決心だろう。私はそんな風にできるだろうか?母をホームに入れておきながら自分はホームに行きたくない、ずっと家にいたいと周りを困らせるようになるのではないか?いくつになってもちゃんと自分のことをできて健康にも問題がなく最後まで自分の家で過ごせるという人はどれくらいいるのだろう?でもどんな健康に自信があるという人でも一人暮らしだと常に孤独死の危険がある。また失火とかで周りに迷惑をかける可能性もある。冷静に客観的に自分の今の状態を見極めてホームを選択することはむずかしい。認知症になればその判断を周りにゆだねないといけなくなる。介護職の友達に聞くと彼女の働くホームでは自分がちゃんと管理できるなら携帯でもパソコンでも持ち込めるそうだけど、でも家にいる時と全く同じ生活を送るのは難しいだろう。自由に外出して友達と会ったりということも制限があるだろう。共同生活になるから周りの入居者とうまくやる必要もある。先の友達はお母さんはわがままなので人とうまくやって行けるかと心配していた。ごく一部にはどうしても周りの入居者とうまく行かず自分勝手なことばかりして施設から退去を申し入れられる人もいるらしい。彼女のお母さんの姿は未来の自分の姿かもしれない。彼女の愚痴を時々聴きながら、将来の自分の生活を想像してみる。やっぱり適度な運動とバランスのいい食事、適度な脳活。それを心がけるしかないかな?
2025.01.13
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私たち夫婦は結婚して40年になる。それでもちゃんと話さないと伝わらないなあと思った今朝の出来事。わたしは9時過ぎに出て行く用事があって出かけた。夫はまだ寝ていた。わたしは朝晩体重を計ってつけているんだけど今朝は体重計がエラーで電池切れみたいだった。出かける時間が迫っていて時間がなかったのでリビングの夫の席の近くに体重計を置いて出かけた。いちいち言わなくても電池を変えてくれるのを期待して。帰ってきたら体重計はいつもの台所の定位置にあったから替えてくれたものと思い込んだ。お昼ご飯の後夫はいつもの場所に出掛けてそのあと私もウオーキングに出掛けようとして今朝は測れなかったから体重を測ろうとした。電池替えてない"(-""-)"今朝と同じエラー表示。夫の席の近くに体重計があったのに,夫なんとも思わずに「嫁がまた出しっぱなしにしている」と思い込んでそのまま台所に移動しただけらしい。仕方ないので私が電池替えに挑戦。と言っても電池の並べ方なんて小学校で習ったと思うけど私は苦手。某電機メーカーに9年働いていたのにいまだに電池の入れ替え方がよくわかってない(笑)うちの体重計はエラーが出たら電池を入れ替えて、今の年月日と時間を入力しないと使えない。わたしはそっちはできるけど夫はわからないという。いつも夫が電池を替えて入力は私に頼んでくる。電池をあれこれ入れ替えるもエラーのまま。いま二階に来てそうだ、パソコンに聞いてみよと思ってパソコンを開いた。電池の入れ方を検索(笑)こんなの検索する人いるのかな?そこに書いてあった。ばねがついていたらそこにはマイナス側を持ってくる。ばねはプラス側と相性が悪いからばねとマイナス側がくっつくようにすると書いてある。なるほど。それを見て再挑戦。無事に電池替え終了。入力も終わって使えるようになった。よし、今度からは電池替えで迷わない(覚えているかな?次の機会まで)夫の担当の家事を一つマスターしたからおひとりさまになっても大丈夫かな?(笑)
2025.01.12
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この前は7月に6人でランチ女子会をやった。中学3年生の時同じクラスだった女子たち。今は結構散らばっているから真ん中あたりの駅の近くの店で。その時の店が好評だったのでそこでと思ったらつぶれてた。その駅周辺の飲食店の記事が載っている冊子をもらったのでそれを頼りに探してみた。飲み屋は結構載っているけどランチはやっていない店が多い。ランチやってると思っても日曜日定休日だったり。仕事している子もいるから日曜日がいいかなと思うけどシフト制で前もって休みにしてもらわないといけない子もいるから来月の一番最後の日曜日にすることにした。あちらこちらの店に電話して聞いた結果ちょっとお高いけど候補の店を絞った。早急に人数をを把握して予約しないと。近日中に予約しないと人気の店だから予約とれないかも。以前は人任せで自分が幹事を買って出て用意をするなんて考えられなかった。クラスメートの一人が亡くなった。会える時に会っておかないと会えなくなると痛感してクラス会をやりたい、みんなに会いたいと強く思うようになった。おととしの夏男性幹事が夜のクラス会を提案してくれてそれはそれで楽しかった。二次会のカラオケも楽しかった。でも仕事の都合で来られない人も結構いたし、夜だから自宅が遠い人は駅近くのホテルに泊まった。女子は昼間の方が都合がいい。最近男性幹事はときどきやろうよとメールは来るけどちっとも具体的にならない。おととしの夏、続いて秋にはランチ会を計画してくれたけど昨年は何もなし。わたしは待ちきれなくて動いた。去年夏のランチ女子会をやった。大体この会は幹事は別の人たちだった。最近仕事が忙しいのか全く音沙汰がない。そこで男性幹事が出てきてやってくれた。幹事なんて誰でもいいんだと思う。やりたい人がやればいい。もっと気楽に。私はただみんなと会いたいからやっている。この年になると(笑)中学の頃がひたすら懐かしく友達に会いたくなる。高校の方はいろいろあってクラスメートとの交流が途絶えている。それはここには書かないけどもう多分元通りにはなれないと思う。だからこの女子会を大事にしていきたい。古い友達関係でもいろんな理由で疎遠になったり、連絡が来なくなったりする。会える時にいっぱいあっておきたい。いづれみんな年を取って会いたくてもなかなか会えなくなる。だんだん人数が欠けてくる。考えたくないけどみんな年取っていく。元気なうちに会う機会をいっぱい作りたい。
2025.01.11
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亡くなった姑は末っ子の夫がかわいくて仕方がなかったようだ。結婚後も夫にお小遣いをあげていた。誕生日だけど何もできないから現金で。わたしにわからないように渡したらしい。2月になって姑の誕生日は月末。夫が言う、姑の誕生日にお小遣いをもらったのと同額を渡してくれ。その時夫の誕生祝に現金をもらったことが分かった。夫はそれをパチンコで使ってしまい、お返しは家計からという。いやいやそれはおかしい。半分の額でも私に渡してこれでお返しをというならわかるけど何でそんなの家計から払わないといけないのか?私は納得できないお金は一円でも出したくない。当時は私も子供たちも小さくて仕事をしていなくてお金に余裕がなかった。それにどうせパチンコに使ってしまうのがわかっていて何で姑もお金なんて渡すかな。それもいい年で結婚もしている息子に。お小遣いがなくなると時々借りてもいたようだ。一応私は姑にやんわりとお小遣いがなくなって借りに来ても貸さないようにしてください。それを使ってしまって私に家計から返せと言われても困るし。姑ははいはいと生返事をしてその後もお小遣いをあげていたようだ。もう勝手にしろと私は思った。借りたのだろうともらったのだろうと親子間で勝手にやってくれ。わたしは一切知らないし代わりに返すのもしない。姑はたぶん嫁に閉められてお小遣いも少なくて息子がかわいそうと思っているのだろう。でも結婚して子供もいるのだから独身時代と同じようにパチンコしていたらだめだろう。わたしは毎月定額を渡した後絶対に追加何て渡さなかった。夫のお小遣いは全部パチンコに使えるお金。職場の冠婚葬祭、飲み会の会費、昼食代は別に渡していたからそんなに渡せないし。私に言わせたらどぶに捨てているようなお金だしね。夫のパチンコがいまだに治らないのはそれを助長してきた姑のせいもあると思っている。結婚した息子にお小遣いとか援助とかありえない。姑がびしっと夫に言ってくれていたら今よりましになっていたかもしれない。本当に息子のことや息子の家庭がうまく行くことを思っているならそうすべきだったと私は思う。わたしには息子はいないけどこういう息子の愛し方は問題ありだなと思う。
2025.01.10
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今テレビでこんなタイトルで賛成反対の議論をやっていた。つまりお正月の帰省、家族そろって義実家でなく夫は夫の実家へ妻は妻の実家へそれぞれ帰省することだそうだ。うーん。確かに義実家に行ったら気をつかう。お客さんの接待とかで嫁がこき使われる家もあるだろうし。親せきで結婚早々にこれをやった夫婦がいた。話し合いでそう決めて奥さんは奥さんの実家が不便なところにあるのか、車で自分の実家へ夫は一人で自分の実家へ。ちょっとびっくりした。嫁の気持ち理解はできるけど実際にやる勇気はすごいね。テレビでは賛成反対は半々。街頭インタビューでも半々だった。高齢の方は反対が多かった。帰省に交通費とかがかかるところに義実家があるとか大雪でお正月には行くのが大変という場合もあるだろうけど。これを見ていて私は新婚当時を思い出した。1日の日に夫と初もうでに行って帰りに義実家に寄った。義実家では2日に親戚が集まって大宴会をするのが恒例だった。だから1日には挨拶だけのつもりだったけど引き留められて結局夕飯までごちそうになった。初もうでに行った帰りに実家に行くつもりだったけど夫のお尻が上がらず仕方なくそのまま義実家に夜までいた。2日は大宴会。わたしだけ実家に行くなんてとても言い出せない雰囲気で仕方なく宴会の終わりまでいた。3日には実家に帰ろうと思っていた。すると2日の日に会った下の義姉が「明日は家で集まろう」という。さらに「うちに来てもらっても何もごちそうはないんだけどお好み焼きでもするわ」という。3日に実家に行けなければ4日はもう夫の初出だったので行く暇がない。わたし一人で4日に行くのもできたけど当時は私たちが住んでいた家と実家はバスを乗り継いでいかないくらい離れていた。正直お好み焼きパーテイならお正月でなくてもいいと思ったしそんなことを言い出した下の義姉を恨めしく思った。結局その年はお正月に実家に行けず、誰も私が実家に行ってないことを気にする風もなく。翌年私は考えた。実家に1日に行こう。新年のあいさつは2日でいいだろう。電話でだけ挨拶して1日に実家に行く。夫をうまく言いくるめた。1日には実家に弟夫婦も来ていた。もし3日に行っても弟夫婦は嫁の実家に行っていて会えないからと。もしも3日も義実家でつぶれても先に行ってたらいい。もうこうなったら1日は実家の日で定着させてしまおうという私のたくらみ(笑)実家も義実家も同じ市内にあるしどっちが先でもいいじゃないか?先に実家に行くことについて義実家では思うところがあったかもしれないが、直接私には何も言われなかった。2日の宴会も居心地が悪かったけど年に1日と思えば我慢できた。我慢できずに途中で私と子供だけで帰ろうかと思うこともあったけど、当時は携帯もないしタクシーを呼んで帰るという選択はなかった。大体お正月にタクシーが走っているかどうか。帰りたいと言っても夫は帰らないし。舅に夜中まで引き留められて酔っ払った親せきを家まで送らされたこともある。親せきは市外。結局夜中送っていく羽目になった。親せきの家の前で親せきが大声で寝ていた家族を起こしたから夜中だからすぐに帰ろうと思ったのに引き留められて家に上がった。後日夜中によその家に上がる何て非常識と義姉に怒られた。これわたしが悪いの?まあいろんなことがあったけど今は義父母も亡くなり集まっていた親せきも亡くなりお正月の義実家宴会はもうやっていない。セパレート帰省できるなら私もやりたかった。後のことを考えるとなかなか勇気がいるけどね。
2025.01.08
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ちくきゅうというのはちくわの穴にキュウリを詰めて斜めに切っただけの料理という一品のこと。結婚前お料理を習っていた。調理師免許を持っているちょっといいところの奥さんが少人数でやっているお料理教室。テレビに出ているような有名な先生でなく、江戸時代には家老かその次の家に生まれて多分おつとめ何て一度もしたことがないような箱入りお嬢様から奥様になったような先生。お嬢様だからお茶もお花も免許皆伝。でもお花は好きではないとのことでお茶とお料理を教えていた。教えていたのは小さな2DKのマンション。別に立派なご自宅があってお茶会とかはそこでやる。月に一度はご自宅でお茶会、その時にお茶会の料理も教えてもらえる。普段のお料理やお茶のお稽古はそのマンションでやる。たまたま友達がそこで習っていて紹介してくれた教室。でも行ってみてびっくりした。お料理は月二回、一回の材料費が2000円。当時普通の家庭料理にしてはお高い。肉料理や魚料理、デザートまで数品作る。当時の普通の家の夕食にはそんなにお金はかけないと思う。家に帰って習ってきた料理を作ろうかと母に言ったら材料費が高すぎると断られた。2500円のコースもとか懐石料理のコースもあったと思う。いろんな料理、おもてなし料理も教わったはずなのに残念ながら覚えているのはこの一品だけ、教え甲斐のない生徒だった(笑)結婚後お弁当を入れていたとき空いている隙間にちょっと入れたりしていた。普段でもおかずがちょっと物足りないときとかお節料理のお重の隙間に入れたり。今年もなんちゃっておせち料理の隙間を埋めるのに大活躍(笑)結婚と同時にやめたけど、先生にはかわいがっていただいてお見合いの話までもらった。結局向こうからお断りされたけど、私は初対面で私や私の家には不釣り合いな方だなとすぐに分かった。断ってくるだろうなと予想がついた。子供さんがいないので通ってくる生徒を自分の子供のようにかわいがっていた。結婚するとき食器のセットをお祝いにいただいた。小皿、中皿、大皿、焼き物皿、小鉢、徳利すべて同じ柄でそろった素敵なセット。残念ながら阪神大震災の時にほぼ全部割れてしまった。ときどきちくきゅうと共に先生のことも思い出す。大昔の話。
2025.01.06
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孫ちゃんたちにお年玉をもって行ってきました。住んでいるマンションは家から駅に向かう途中の歩いて10分くらいのところ。近いけど次女も働いているし、忙しいのもあるけど、夫とは仲が良くないのでマンションに引っ越してからうちに来たことはない。わたしの方から理由を見つけていくだけ。夫と次女家族の交流はほとんどない。特に娘や孫に会いたいという気持ちもあんまりない様子。まあ夫は変わり者だから。今回はお年玉。上の孫1ちゃんは中2なので現金。下の孫ちゃん2は1歳を過ぎたところなのでぬいぐるみを用意しました。それともらい物の果汁100%のジュース。結構重かったけど100%なら孫ちゃんも飲めるんじゃないかなと思って。いつも私の顔を見たらめったに会わないから人見知りで大泣きするのでぬいぐるみで笑ってくれたら写メ撮ろうと思ってた。今は孫2ちゃんはアンパンマンブームだそうで。初めて喋った単語がアンパンだったとか(笑)。ママとかパパでなく。さてお正月家族でゆっくりしていたかと思えば次女はずっと出勤だったという。去年のお正月はまだ育休中だったからゆっくりできたけど今年はずっと出勤で今日は初めての休日だという。お疲れ様。っていうか本当にお疲れ様だったのは年末年始お休みだった婿殿。保育所が年末年始お休みだったのでずっと家で子守。子守しながら掃除機を掛けたり布団を干したり、洗濯を干したりの大活躍だったそうで。その上アンパンマンが大好きな孫ちゃんのために毎日アンパンマンとドキンちゃんのにぃぐるみでアンパンマンショーで孫ちゃん大喜びだったそうで。アンパンマンショーに使ったアンパンマンとドキンちゃんのぬいぐるみは亡くなった私の父が孫1ちゃんに上げたもの。孫1ちゃんも小さいときはアンパンマンにドはまりしていたから。次女が自慢する。浮気はしないし、お酒も飲まないし、ギャンブルもしない。そしてめちゃくちゃ育児に協力的でこんな人なかなかいないよ。大当たりやった。次女はバツイチで結婚は二回目。よく二回目でこんな人に出会えたもんだと私もうれしい。前の離婚の際は私が離婚の後押しをして弁護士さんにも頼んで家裁にも出向いてようやく離婚できた。だからその後シングルマザーで苦労しているのを見たら離婚を勧めたのは間違いだったかなといろいろ心配や悩みもしたけど、こんなにいい人と出会える運命だったなんてね。次女家族を見るたびうらやましいくらい仲がいい。お婿さんは両親が子供のころ離婚していて親せきに預けられたりの苦労もあって、普通の愛情にあふれた家庭がうらやましく思っていたのだろう。だから自分が欲しかった家庭を実現するために頑張れるんだと思う。次女とも話した。付き合っている時、家事や育児をこんなにもやってくれる人かどうかはわからない。結婚してこんな人だったのかとがっかりすることも結構多いけど、一緒に住んでいてこういう人だったのかとびっくりするくらいいい人。そしてその幸せそうな次女一家を見ると私も幸せな気分になる。
2025.01.05
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わが家ではインタホーンの機械をリビングに置いて子機を私の部屋に置いている。わたしが部屋にいる時インターホーンが鳴ったらセールスとかなら二階からインターホンに出て断れる。確認して集金とか知り合いなら降りていく。夜お風呂を掃除して用意するのは夫の担当。夫はお湯が沸いたアナウンスを聞いて下のインターホンの機械から二階の私の部屋の子機に呼び出し音を鳴らす。ところがここ数日子機がちっとも鳴らない。お風呂ができているかなと私が下りていくと夫が何度も呼んだのに、お湯が冷めてしまうとぶつぶつ言っている。私の部屋の子機はならなかったけど私がパソコンに夢中になってて聞こえなかったのか?私の聴力が落ちたのか?と不思議に思っていた。もしかしたら子機の電池が切れている?昨夜になって夫が二階に行って私が親機から慣らす。全く鳴らないのを夫と確認した。これは電池か?買ってから一度も交換した記憶がない.裏蓋を開けて見たら四角い見慣れない電池が一個入っていた。これはコンビニなどでは売ってないな。元日は電気店も休みだろうから2日以降に買いに行かないと。インターホンは買って10年以上たつ。電池もキレたか?特殊な電池みたいだから取り寄せないとお店にはないかもしれない。私の聴力低下でなく電池のせいでよかった。聴力がもっと低下するといよいよ補聴器になる。それはなるべく先にしたいので。それでなくてもテレビの音が大きいといつも夫に言われている。聴力は年相応以上に低下していると思う。ホームにいる母も補聴器を使っていた。遺伝もあるかもな。俗に耳の遠い人は長生きすると言われている。本当かな?耳が遠いと悪口を言われていても聞こえないから嫌なことを聞いてストレスがたまらないからか?母がそんなことを言っていたような気がする。母は今年4月で92歳確かにうちの家系の中では一番の長寿だけど。
2025.01.02
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