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昨日から一泊二日で近江八幡へ旅行に行っていました。朝からめちゃめちゃ暑くて上着いらなかった。待ち合わせの駅で切符を買うとき一瞬荷物から手を離したから背中のリュックだけをもってホームに移動してしまった。幸い電車に乗る前に気づいて取りに戻る。忘れ物未遂(笑)新快速で2時間くらいで着いた。ホテルに荷物を預けていざ観光。近江中ハンバーグの昼食。一緒に行く人が食べログで安くて評判のいいお店を探してくれていてそこで昼食。高いお店だと5,6千円くらいするそうです。明日のお天気がわからないからお天気のうちに八幡堀に行こうとバス移動。バスはわりにすぐに繰るけどここのバス代はやや高いかな?八幡神社の近くから舟が出ていて船着き場を探す。川沿いに石積みの壁が両側にあって遊歩道になっている。舟でなくても歩いてでも散策できる。船着き場は大勢の人がいて舟は次々帰って来るけど結構待った。ここは今話題の大河ドラマの豊臣秀長のお城があって、水路は琵琶湖に続いている。この水路を利用して近江商人たちが商品を運んで富を築いたという。船頭さんの説明を聞きながら堀をめぐる。一人1500円。それから夕食はついていないのでホテルに帰る前に夕食に食べるものを買ってホテルに行く。暑いし船着き場で結構待ったので疲れた。これも一緒に行った人がお弁当やおかずを売っている店を探してくれていたので買い物。そしてバス移動でホテルへ。ここでハプニング。バスの中で傘を忘れたことに気が付く。わたしは晴雨兼用の傘を持って来ていた。それを買い物したお店でトイレに行くために表の台の上に置いて傘は置いたまま荷物だけ持ってバスに乗ってしまった。ホテルに着いたら電話する。傘はあったので明日の朝取りに行くことにする。忘れ物2個目(笑)ホテルでは夕食後温泉を堪能。と言ってもそんなに大きいお風呂ではなかったな。金沢のお風呂よりは大きかったし、露天風呂もあったけど。そしてここは昼間一般客が入れるスーパー銭湯も兼ねている。ちょっと熱め。疲れて早々に寝る。2日目は朝から昨日忘れた傘を取りに行く。それからラコリーナ近江八幡にバス移動。ここは結構広くてここで有名なバウムクーヘンんをお土産に買う。チョコや和菓子も売っていた。ここで大体のお土産を買う。屋根が草ぶきの特徴のある建物が多い。朝少し雨模様だったけど段々晴れてきた。予定よりだいぶ早く帰宅。新幹線でもなく新快速、切符も事前購入していないから帰りたい時間に変更するのも簡単。ところで私は障碍者ということで、今日までのタクシー券を市からもらっている。今日までなのでタクシーで帰宅。ルールでは二枚1000円までというのでタクシー券二枚と千20円を運転手さんに渡すと、タクシー券4枚でもいいよと言ってくれた。家までのタクシー代はなんと20円だった。ありがとう、運転手さん。(^^♪
2026.03.31
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昨日は移植の会、交流会に行ってきました。移植の会では総会、親睦会,講演会と会員同士の交流を図るイベントはありますが、やはり大勢いる中ではなかなか話せないことがあるのではないかと思っていました。移植の話、最近の体調の話などはなかなか移植した者同士でないとわかり合えないし話せないと思って小規模の交流会を開いてはどうかと私が提案しました。他の役員さん方にはいろいろご協力をいただいて昨日実現しました。会議室を取ってもらい10名が集まりました。役員は私ともう一人の役員の2人。参加者は8人。うち6人は夫婦間移植のご夫婦で参加されました。夫婦でも最近は何とか移植ができるようになってきましたが、いろいろ難しい問題もあるようです。移植後離婚されたご夫婦もいるようです。夫婦間移植されたご夫婦のその後を知ることができました。旦那さんたちは他のご夫婦の話を熱心に聞いておられて移植の時だけでなく普段から奥さんの療養に積極的に参加協力している様子がうかがえました。3人の旦那さんたちは奥さんに体にいいものを食べさせようといろいろ試行錯誤しながらご飯も作っているそうです。いいと言うものはネットで取り入れたり、調味料を家で作ったり。カロリーや塩分も考えてエクセルで献立表を作ったり。まあよそはよそですが、うちの夫とは格段に違っていました。(笑)皆さん同じ移植者とはいえ、通っている病院も担当医も違うけど、いろんな話が飛び出して笑いが絶えない楽しい会になりました。始まる前は出席者が少なかったらどうしよう?とか話が途切れて沈黙になったらどうしよう?とかいろいろ考えていたのですが、司会の私が楽なくらいに次々話題を提供する方がいて話が尽きない。3時間あっという間に終わって皆さん口々に楽しかった、また開催してほしいと言いながら帰宅されました。中には片道2時間近くも掛けてこられた方もいました。皆さんお疲れさまでした。私もいろんな話を聞くことができて大いに参考になりました。(^^♪
2026.03.29
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私の亡くなった母は娘時代に洋裁を習っていて結婚後は洋裁の内職で家計を支えた。わたしは子供時代母の作ってくれた服を良く着ていた。母は私のお出かけ用のワンピースを作ってくれたりしていた。自分とおそろいにするために、自分に合わせて地味な色にして、本に載っていた参考にした服のフリフリとかは省略。出来上がってみたら普通のワンピースでがっかりしたこともある。子供のころピンクや赤や子供らしい服は着られなかった。子供のころから太目だったから母が紺色とかを着たほうが痩せて見えるからと言って着せてくれなかった。小学校の修学旅行に行くときは母の作ってくれたツーピース。上着とワンピースのおそろいだったけどこれも紺色。わたしは働いて自分で服を買うようになったら、今まで着られなかった赤やピンクを反動で?着るようになった。母は私が大きくなると洋裁の内職をやめて会社勤めになった。それでも通勤用のスーツとかは休みに自分で作っていた。わたしは母の血を受け継いでないのか、不器用で母に洋裁を習うよう言われたけどどうしても洋裁は好きになれない。我慢して何とか一年習ったけど、母とけんかしてやめてしまった。母は洋裁ができないと結婚できないと思っていた。昔は主婦は家で自分の服や子供の服を手作りしていたらしい。わたしは洋裁は嫌いなままで、子供が幼稚園に行くようになったら母に手提げ袋とかを作ってもらっていた。バザーに出す手作り品も作れないから当然母に頼んだ。母は端切れでテイッシュ入れを作ってくれてそれがいまでも家にある。洋裁ができない私は結婚しても何でも母頼み。夫のズボンの裾上げもおみせでたのんだら高いから母に頼んだ。母の洋裁の腕と母の嫁入り道具のミシンに大いに助けられた。多分昔のミシンはかなり高級品だったと思う。修理して足踏みミシンを父がモーター付きに改造して長年愛用してきた。わたしは今でも洋裁は全くできないままで、服もすべて既製品。数年前にお店で黒っぽい花柄のフリルの付いたトップスを見つけて買った。フリルは私の年には派手かもしれないけど黒だし着られないことはないだろう。花柄も黒地だし。花柄は袖と裾の一部で見頃は黒。今日出かけるための服を探していてこれが目についた。今日は久しぶりにこれを着て行こう。(^^♪
2026.03.28
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夫はスマホがあっても持ち歩かないし、家に置きっぱなしで出かけるから意味がない。毎月の携帯代がもったいないと言ったら、夫は電話だけ使えたらそれでいいからとガラケーに変えることにした。ガラケーからスマホに還る人はいてもスマホからガラケーに行く人はなかなかいないだろう。名義は私の名義にしています。私名義の方が障碍者ということで少しは安くなるので。そして注文したガラケーが来た。そろそろ入荷したかと思って携帯ショップに電話をしたらお店から電話とメールを入れていたけど、夫見てなかった。"(-""-)"夫にはこれも持ち歩かないなら次は解約と言ってある。解約をしに行ったらガラケーを店員さんにガラケーを勧められたわけ。名義は私のなので予約を入れて午後引き取りに行ってきた。夫。自分の携帯なのにまるで他人事、多分帰ってきたら私にあれこれ聞くだろうからわたしが色々聞いて電話のかけ方とか聞いて、電話帳もコピーしてもらって持ち帰ってきた。家に帰ってから私の携帯から電話をかけてみる(笑)なぜか夫の携帯はならず家の電話が鳴る。なんで?と思ったら夫は携帯を持ち歩かないので私は電話帳の夫の連絡先を自宅にしていたから、自宅につながった(笑)ざっと機能を見て教えた。本当に使えるのかな?ワンタッチダイヤルに私と義姉、自宅の電話番号を登録。緊急の時電話帳を開かなくてもここを押せばつながるからと教えた。多分夫は早く例のところに行きたいから上の空(笑)あわてて出かけた後見たら、やっぱり携帯はリビングに置きっぱなし。持って出かけないと意味がない"(-""-)"当分は出かける時携帯持った?と声掛けまでしないといけない。手のかかること、いっそ携帯解約したほうがよかったかもと後悔する。ラインもインターネットもできないし、完全に時代に取り残されている。大体携帯を持ち始めたのは、まだ働いていたころ、職場の連絡網を作ったら夫以外の全員は携帯番号を書いていたのに、夫だけが自宅だった。そこで僕も携帯が欲しいとなったわけ。子供みたいな理由(笑)覚えようという気がないから、最初は長女がメールとか教えていたけどとうとうさじを投げた。先日長女が来た時、セールスとかのメールが千件もたまっていて削除してもらったのにまたたまっているし。毎日削除しないとたまって大変だよ。"(-""-)"。※携帯はおもちゃじゃないから必ず外出には持っていきましょう(笑)それにしてもガラケーってまだ生産してたんだね。
2026.03.27
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いよいよ来週近江八幡。新快速で行くから交通費も往復5000円弱。ホテルは朝食付き、大浴場ありで一泊一万円。後お土産とか含めても2.5万~3万くらいで収まりそう。多分ツアーより安いかな?お昼は近江牛を食べたいと思っている。ステーキかすき焼きか。普段のランチは1000円からせいぜい2000円までのランチなのでここは少し張り込む(笑)今回の旅行の目玉。(笑)夕食はついていないからどこかで買って帰る予定。前回伊豆旅行の時にインターチェンジで食べたコロッケが熱々でおいしかった。ここは近江牛のコロッケも行っておこうかな?2日間ずっと食べていたら太っちゃう。お昼はしっかり、晩御飯は軽め。これはダイエットの基本(笑)でもおいしいスイーツとかあればそれも食べたいかな?っていうかダイエットしているつもりだけどあんまり効果がない(笑)いつものように駅近のホテルを予約しているから、近江八幡に着いたらホテルに荷物を預けるつもり。食べた分しっかり歩こう。ようやく着ていく服と2日目に着る服が決定した。薄い単衣の上着も持っていこう。朝晩は冷え込みそう。あと1週間体調を整えて、楽しみに待とう。実は今日は別の内容の日記をあげる予定だった。ヨガに行って帰りにお茶をして帰ってきたらどんな内容の日記を書くつもりだったか思い出せない。悲しい(笑
2026.03.25
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この年になって思うのはこの世にはご縁の力というものが確かにあるなということ。昨日の日記の一時的に疎遠になっていた友達とのご縁が復活した話。亡くなった幼馴染のお墓参りがきっかけになったから亡くなった友達がご縁をまた結んでくれたのかなと思う。去年から高齢者大学で知り合って仲良くなったOさん。金沢や伊豆にも一緒に旅行に行った。年上だけど何事にも積極的に取り組む素敵な人生の先輩。彼女に旅行の資料を送るためにパソコンのメルアドを聞いたら、中に誕生日らしい数字が並んでいたので、誕生日ですか?と聞いた。すると違います。誕生日は○月×日ですという返信。なんとそれは亡くなった母の命日だった。偶然?わたしには母がOさんとの縁を結んでくれたと思える。おもわない人と思わぬ縁でつながっていてびっくりすることもよくある。全ての縁は神様の指図で出会ったり別れたりしているのかもしれない。次女と旦那さんのご縁も不思議。次女が離婚して再就職した職場で出会った。旦那さんも転職してその職場で働いていた。もともと地元の人でなく大学卒業後他府県からやって来ていた。職場の先輩として接するうちにひかれあって付き合うことになった。次女が再就職先を探していたとき他にも候補の会社は合った。そこに採用されることがなく、旦那さんがいた職場に採用が決まったということは運命?ご縁?旦那さんが卒業した大学のある県で就職していたら多分永遠に出会うことはなかったと思う。次女も離婚していなければ以前の職場をやめて旦那さんと出会った職場に就職することがなかった。次女もいったん別の人と結婚して離婚、ちょっと遠回りをして今の旦那さんと出会ったけど、それは旦那さんと出会うために必要な回り道だったと思える。バツイチ再婚子連れの次女と今の旦那さんとの結婚はあちらのご両親とかの反対もなく結婚することができた。ただ想定外はふたりの職場が撤退してなくなったこと。それで旦那さんも次女も再就職先を探してすぐにすんなり結婚というわけにはいかなかった。再就職先で旦那さんは資格試験を受けてなんとか合格し、結婚のめどが立った。次女も今まで働いたことのない業界で再就職。仕事が安定してようやく結婚を考えられるようになった。孫ちゃんと今の旦那さんとの仲も良好で、孫ちゃんと今の旦那さんが養子縁組の手続きも終わった。今の旦那さんとの間に赤ちゃんも生まれ、4人家族になった。幸せそうな次女家族を見ていると神さまの采配に感謝したいと思う。
2026.03.23
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今日は女子会。還暦で同窓会の後しばらくは同窓会やランチとかに行ってたけど、コロナになってからほぼなくなった。それで私は女子会をしようと女子だけに声をかけて数回やっている。どうして女子だけかというと一度ランチ会があったんだけどそこに男子が来てそれもほぼ知らない同級生じゃない男子も交じって、お昼なのにお酒を飲んで絡まれた。男子を呼ばないで女子だけで気軽におしゃべりしたいから女子会にした。最初は他府県からわざわざ地元のホテルを予約して帰りが遅くても大丈夫なようにしてまで来てくれる人がいたけど、だんだん集まりが悪くなって。今回は3人。私がみんなに会いたい気持ちほど他の人は会いたいという気持ちはないように感じた。それでなくてもほぼ連絡がつかなくてどこにいるやらわからない同級生が多い。連絡がついても家族の事や旅行で行けない人が多くて。でも今日は久しぶりに楽しかった。1人は小学校からの幼馴染。中学も一緒で高校だけ違った。でも高校卒業して就職先の会社が同じで、そのころは仲が良かった。その子の結婚式にもお呼ばれした。結婚後やや距離が空いて、久しぶりに連絡が来たと思ったら「今化粧品のセールスをしている」と言って家に訪ねてきた。2万円のセットを買ってほしいと言われた。2万円のセットを売って彼女の取り分はどれくらいかわからないけど、彼女たち親子とわたしとうちの子供たちの分のお弁当とおやつを持参。そんなの買って交通費も払ってたとえ売れても赤字かもしれない。久しぶりに友達に会えると喜んで迎えたのに化粧品を売るのが目的かと思ってがっかりした。それでいろいろ持ってきてもらって悪いけど、やっぱり専業主婦には2万円の化粧品は買えないときっぱり断った。それからしばらく音沙汰がなかった。数年たって連絡が来たら今度は「生命保険をはじめました。今度パンフレット」というの会いに行くから」というのでこれも「パンフレットを置いてきてくれるならいつでも歓迎する」と答えた。結局来なかった。それからずっと年賀状だけの付き合いが続いていて還暦同窓会で再会した。一応クラスのメンバーでライングループを作った。それから数年たって同級生が亡くなり、私はその子の家にお線香をあげに行ってきた。同級生のライングループに彼女が亡くなったことを報告してどなたかお墓参りに付き合ってもらえないだろうか?と流したらそのセールスをしに来た子が一緒に行こうと言ってくれた。そのこと2人でお墓参りに行ってきた。その後保険やさんはもうやっていないというのでまた仲良くしている。だれも手をあげてくれない中、一人でも一緒に行ってくれる人がいてうれしかった。それから時々あっている。そして今日来たもう一人は早くにご主人が亡くなって去年まで仕事をしていた。仕事に行こうとして転倒し大腿骨骨折、入院とリハビリを経て何とかあるけるようにはなった。でもまた転ぶと怖いと言って雨の日の外出は怖いという。今日ももし雨だったらいけないというから、じゃあ晴れていたら出席でしてねと言っていた。幸い今日はお天気でその子に逢えた。3人で一杯話せて楽しかった。2人とも中三の同級生だけどその頃はそんなに親しくしてきた記憶はない。同窓会になると再会できてうれしくて仲良くなれる気がする。亡くなった子が縁を結び直してくれたのかもしれない。Nちゃん、あなたのお墓参りが縁でまたSちゃんと友情が復活したよ。ありがとうね。というような今日の女子会。
2026.03.22
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昨日晩御飯の用意をしていたら、冷蔵庫の大根の葉っぱが目に入った。電子レンジでチンしてシーチキンと炒めて卵とじにしました。おいしかった。昔舅が畑で作っていた大根はそういう種類なのか,太く大きい品種。無神経にずけずけ物を言う舅に「お前の足みたいな太いいい大根が取れたぞ」などと言われていました。義実家に行くたびに大量の野菜をくれるのですが多すぎます。大根2,3本、白菜2,3個もちろん白菜は丸ままの大きい白菜。そんなの4人家族でしかも子供たちはあんまり食べないのに食べきれない。近所に上げたら夫が怒る。いや食べきれないで腐らせるよりはましでしょ?そして舅の作る大根の葉は太くて硬く、いくらゆでて炒めてもやわらかくならない。子供たちも、夫でさえも食べない。何日も誰も食べないので捨てることになる。わたしは舅に葉っぱはいいですから、大根だけもらって帰りますと言った。舅に葉っぱはおいしいのに、葉っぱだけでも欲しいという人がいるくらいなのにという。わたしは心の中で思った、いらないというのだから葉っぱは欲しいという人に上げればいいのに。いらないという私に無理に持たせなくてもいいじゃない。舅は私が魚の皮を食べないこと、お漬物を食べないことにも文句を言う。いくら魚の皮が栄養があるのにと言われても食べられないものは食べられない。またお漬物は塩分を減らすように言われているし、もともと好きではない。大根の葉っぱにしてもお漬物にしても食べられるようになったのはずっと後になってから。大根の葉を見るたびに舅の言ったことを思い出す。大正生まれの舅は時代について行けてない古い不器用な人だったと思う。住宅ローンで家を買おうとする私たちにそんな大金を借金するなんてと説教をした。いや現金で買う人なんてほとんどいない。ほぼ全員が住宅ローンを組んで支払う。途中で借りた世帯主に何かあったときのために生命保険も入る。そう言っても納得しない。今からお金を貯めて退職金が出たら家を買えばいい。そんなことを言っていると一生家は持てない。定年になって子供たちも出て行ってから家を買っても意味がないし、老後のたくわえを全部出して買うなんて逆にあり得ない。食べ物がない時代を過ごしてきた舅には好き嫌いを言って大根の葉を断ったり、魚の皮も漬物も食べない嫁はわがままに見えたのかもしれない。最後までわかり合えないままだった。っていうかわかり合うというより親の言うことが絶対に正しいから言うことを聞けという人だったな。今ならもっといいやり方があったのかもしれないけど、今となってはどうしようもない。
2026.03.20
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暖かくなってきたので真冬用のコートをクリーニングに出している。わたしが出している店は少し離れているけど、長年クリーニング店をやってきたらしいおじさんがやっている店。よく見かける取次店ではないから店の横に作業場がある昔からのお店。だから出すときにここの汚れは取れるかしら?とか相談できる。わたしは年に数回しか出さないけどちゃんと覚えていてくれて、引き取りに行っても間違いなく私の頼んだ服を出してきてくれる。そして最近の私のこだわりは朝食のパン。以前はスーパーのパンを買ってきていたけどだんだん飽きてきた。最近はパン職人さんの作るパンは高くてもおいしいと気が付いてウオーキングの時などに買っている。最初は一人だけ買うのもなあと思って夫の分も買っていたけど、夫は味の差がよくわからないらしいので(笑)こういう人に食べさせてもなあと思って今は私の分だけ。買ってその日に食べない分は冷凍しておく。冷凍したのをその都度温めて食べる。夫はスーパーで売っている干しブドウ入りのテーブルロールを毎回買っている。そして私のパン選びが変わっていることに気づいていない(笑)お前だけおいしいのを食べているとは言われない(笑)わたしにしたらよく毎回同じパンで飽きないなあと思うけど、同じものばかり食べるのは夫なりのこだわりかもしれない。今日もウオーキングの時にパンを買って来よう。そろそろ桜も咲き始めてウオーキングに適した季節になってきた。将来のためにまた今日のためにウオーキングを楽しもう。
2026.03.19
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この本のタイトルは「しあわせは急がないで! 人生の岐路に立つあなたへ!」。瀬戸内寂聴さんと青山俊董さんが選んだ尼僧の法話集。瀬戸内寂聴さんは作家でもあり有名だけどその他の方々は私は名前も初めて聞く人たち。お一人お一人の法話の後にその人の経歴が書いてある。法話は相談に来た方にこたえる形で人生のアドバイスみたいな法話になっている。そこは読んでもよくわからないことも結構あった。最後の経歴を見たら、由緒ある尼寺では皇室やそれに準じるような名家から次のご門跡(お寺で言う住職みたいな?)を迎えて早いうちから尼僧としての修行とかあるいは尼僧の学校で学んで一生お寺で過ごす。尼僧になるということは仏様との結婚を意味するらしい。実家では嫁入りの時のようにたんすや道具をそろえて、親せきを集めて披露宴を行うという。ある人は幼いながら自分で望んで尼僧になり、またある人はその頃の皇后陛下の親せきに当たるお血筋のため、皇后陛下の懇願により仏門に入った。自分の意思でなく成り行きでそう決まったとか、いろいろないきさつがあって尼僧の道を歩むことになった人たち。歳月を経て皆さん、穏やかなお顔で写真に写っておられる。女として生まれて恋愛や結婚をしない生き方を選ぶ。もしくは運命づけられる。いろんな思いがあったのかもしれないけど、悩みを抱えてお寺を訪問する人たちの相談に乗って,アドバイスしたり,諭したりする。世の中にはこんな生き方をしている人がいるのを今まで知らなかったし、想像したこともなかった。少しは視野が広がったような一冊だった。
2026.03.18
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最近面白かったのは「片を付ける」越智月子作という本。もうすぐ40歳になる一人暮らしの阿紗という女性が主人公。隣の部屋に住む高齢女性八重を助けたことがきっかけで彼女の終活を手伝うことになる阿紗。阿紗も片付けができない人だったけど職場の先輩に片づけ方を教えられて今はきちんとした部屋に住んでいる。阿紗は八重の部屋の片づけを手伝ううちに八重の過去を知ることになる。最初は悪態をついていた八重も次第に阿紗に心を開いて、仲良くなっていく。八重の部屋にあったミシンをインターネットで売ることになり、八重の過去が次第に明らかになってくる。ミシンを買ったのは八重の過去を知る人物。八重を探していたという。推理小説的な要素もあって一気に読めた。終活とは自分に必要なもの、いらないもの、欲しかったもの、嫌だったものなど人生で背負い込んだ荷物や厄介ごとに向き合うことという言葉がなるほどと思わせた。わたしも部屋を片付けないとと思うもののなかなか手が付けられない(笑)いらないと思うものの捨てられないものが人生には多すぎる。
2026.03.15
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今日は近所の保育園で卒園式だったらしい。ウオーキングしていたら親子連れを幾組も見かけた。最近は卒園式に両親そろって出るようでスーツのお父さん、きれいな服を着たお母さん、よそ行きを着た子供たち。子供たちははしゃいでいて卒園式がうれしいようだ。それで孫ちゃんの時のことを思い出した。孫ちゃんはずっと保育園に通っていたけど卒園の夏に娘夫婦が別居して親子はうちに帰ってきた。こちらでも保育園に通わせて次女は仕事をする予定だったけど市役所に相談に行ってもこんな時期に保育園の入園は難しいということで9月から幼稚園になら入園できた。幼稚園は帰宅が早いから朝は次女が送って言っても帰りは誰かが迎えに行かないといけなかった。次女は仕事の日は迎えに行けないので私と夫がお迎え担当。でも私は当時まだ透析をしていてお迎えの時間が早いときはいけないので夫に頼んだ。何とかそうやって半年乗り切った。3月の卒園式の後春休みになる。どうするか?私は透析もあるからずっといっしょにはいられない。幼稚園では延長保育も利用していて、3月末まで幼稚園に籍があるということで無理を言って3月31日までみてもらった。そして4月1日以降は学童保育に入る予定。入学式もまだ終わってなくてそこも頼み込んで学童保育に4月1日から入れてもらった。シングルマザーということで特別に考慮してもらったようだ。孫ちゃんは卒園式が終わっても幼稚園に3月いっぱい通って4月からはいきなり小学校の学童保育。結構大変だっただろうと思う。入学式より前から学童保育。このときはまだ別居ということで正式に離婚はしてなかったんだけど。今は別居していたら児童手当は普通は父親に支給されるところ母親にわたるようにできるらしい。色々な便宜を図ってもらえるらしい。離婚成立したのはもう少し先のこと。次女も仕事を代わって大変だった。そんなこんなの卒園式前後のことを思い出。月日が流れて今は孫ちゃんは中3。中学を卒業して、先週公立受験で来週末には結果が出るらしい。孫ちゃんはママが再婚して新しいパパと弟が誕生した。孫ちゃんも来月入学式で高校生活が始まる。あっという間だった。孫ちゃんは私が送迎したり、一緒に遊んだりした幼稚園時代のことはほとんど覚えていないらしい。覚えていないのはちょっと残念だけど、私はときどき思い出す。孫ちゃんの小さい手をつないで一緒に幼稚園に通ったこと。一緒に公園で遊んだり、家の中で絵本を読んだりしたこと。ママが仕事で遅いときは一緒にお風呂に入ったり寝たりしていたこと。当時を思い出すと心が温かい気持ちになる。(^^♪
2026.03.14
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昨夜病気療養中の友達の夢を見た。以前元気なころは車を乗り回していて、うちの近くまで迎えに来てくれてよくあちらこちら連れて行ってもらった。もう一人の友達と3人、知り合ったのは以前のパート先。3人とも温泉が好きなのでよくスーパー銭湯や日帰り温泉に行ってランチを食べてきた。パート先では仕事場が離れていたけど朝夕ロッカールームで会ったらあいさつ程度はしていた。わたしが辞めるときに挨拶をしたら、送別会をしたいと連絡先を聞かれた。わたしはそんなに今まで親しかったわけでないのに、本当に送別会の連絡が来るのかなと半信半疑だった。もう30年も前のこと、家の電話番号を教えた。携帯はまだ持っていなかった。それからコロナの前までは結構毎月のように会ってた。友達のうちのどちらかがいつもうちの近くまで迎えに来てくれた。2人ともうちの少し西の駅近くに住んでいる。去年の春が最後かな?その後その友達は脳梗塞脳出血?とかで倒れて入院した。もう一人の友達からそれを聞いて驚いた。それから時々メールをしていた。最初はスタンプだけの返信。去年の夏を過ぎるころからぼちぼち返信が来るようになった。リハビリを頑張っていますというような短いメール。でも順調にリハビリしているのだなと思ったらうれしくなった。昨夜の夢で私が彼女の最寄り駅まで出向いたら会えないかなと提案していた。それで彼女にメールしてみた。リハビリを頑張ってももしかしたら以前のように車の運転はできないかもしれないから、今度はこっちから会いに行こうと思った。彼女の家は駅からだいぶ離れているようだけど、バスとかご家族に送ってもらえるなら駅までこられるんじゃないかなと思った。リハビリ中の人にあんまり会いたい会いたいというのもどうかなと思ってメールの内容には気を使う。今日はその夢の話をメールして考えておいてねと言った。余計なプレッシャーやストレスになってないといいけど。もう一人の友達も姑さんが入院とかしているし、最近音沙汰がない。それどころでないのかもしれない。みんなそれぞれの場所で頑張っていて逢いたくてもなかなか会えない。
2026.03.13
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今日のウオーキングは夫が認知症テストに行くのを見送ってから出かけたので遅くなった。7069歩、4756メートルと歩数計は言うけど歩数はともかく距離は違うと思う。私の一歩は歩幅が小さいから距離はもう少し少ない。でも今日は結構歩いたな。遠回りして母の居たホームの横を通って帰ってきた。この道を通るのは久しぶり。ホームの横を通ったとき、ああ、母は一階の一番端の玄関から一番遠い部屋だったなと思わず見た。もちろん今は別の人が住んでいるだろう。母のいたころはコロナでなかなか面会できないこともあった。面会制限がやや緩やかになったときに面会したり、時には玄関先とか庭の椅子で面会したこともあった。会えなくても何か持っていくとかしてスタッフさんたちに母の様子を聞いたり母に手紙を渡してもらったりした。母は弟に会いたがっていたから面会の機会も弟と分け合って弟に行かせたりしていた。弟は面会制限を破って勝手に会いに行って予約していないと会えませんとホーム長さんとトラブルになったこともある。そして忙しいから面会はできないと言い出したのは母が亡くなる半年くらい前。でもコロナやインフルが流行っていてけっきょくわたしも最後は面会が叶わず。月曜日に1周忌をしてああ、もう一年たったのだなとしみじみ思った。早かった一年。弟は亡くなった直後は相続の話で度々連絡が来たけどそれが終わるとばったり連絡が来なくなった。もともと疎遠な姉弟だったし、母が元気だったころは母を通して近況を聞くくらいだった。母の49日も1周忌も弟には連絡しなかった。弟は掛け持ちで仕事をしていて休みはほとんどないからわざわざ休んで迄は来ないだろうと思った。それにもともと弟は戒名もつけなくていい、お坊さんのお経もいらない。仏壇もみていくつもりはないとはっきり言っていたから。皮肉なもんだ。あれほど溺愛していてホームに行ってからも弟が来るのを楽しみにしていたのに、最後は弟を見てもわからなくなった。母に「どちらさん?」と聞かれてショックだったようだけど、面会に来ないから忘れられても仕方ないと思った。事務的にお葬式と相続を終えたら私たち姉弟はもともとの疎遠の関係に戻った。同じ町内に住みながら連絡を取り合うこともない。弟と弟嫁の携帯番号は聞いているから何かあれば連絡が来るだろう。弟嫁が入院した時入院費がないと言って母の貯金から貸してくれと言ってきたことがあった。度々そんなことがあったけど、母なら何も言わず貸したと思うので嘘っぽい理由の時もあったけど何も言わずに渡した。もちろん返されることはなかった。弟は知らんふりで母の貯金を二等分してくれた。今後何もなければ弟から連絡が来ることもない。母の1周忌の次は納骨と仏壇じまいだけどそれも弟に話して納得してもらっているからこちらで勝手にやるつもり。どうする?とも聞いてこないし多分関心がないと思うし。姉妹は他人の始まりというけど親が死んだらどこの家もこういう感じなのかな?うちは特別かもしれない。仲のいい兄弟は親がいなくても多少行き来するだろうし付き合いもあるだろう。比べても仕方がない。弟にもしものことがあれば弟嫁が何か言ってくるだろう。連絡が来ないうちは何とか仕事にも行けて暮らしているのだろうと思っている。
2026.03.11
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夫と一緒に認知症外来に行ってきた。夫は交通違反をきっかけに公安委員会に認知症テストを受けるように言われた。その結果認知症外来に行って診断書をもらうように言われた。それ以来そこに定期的に通院している。前回夫は先生に奥さんと一緒に来るよう言われたのに夫は私に何も言わなかかった。夫の話が要領を得ないから、私はクリニックに電話して家族相談を申し込んだ。保険が効かなくて一回5千円かかったけど、次回は一緒に行くということになった。それが今日。まあ認知症がそんなに急に進んでいるわけではなかったけど、先生は運転は免許返上したほうがいいという。免許返上を勧めている私の言い分には追い風になるかな?明日夫はは公安委員会から言われた認知症テストを受けに行く。そして半年ごとに診断書を提出することになっている。もちろん認知症が緩やかに進む人もいれば急に進む人もいる。これから先どうなるかわからないけど、とりあえず免許返上は近いうちにやってほしいと思っている。というのは4月には任意保険の更新、5月には車検がある。任意保険を更新して車検を受けてしまうと夫が免許返上しないと言いそうなので免許の期限はまだ先だけどここで免許返上してもらいたい。今後の進み具合によっては車検を受けても無駄になるかもだし。私の亡くなった父もいくら免許返上を勧めても返上しなかった。次の誕生日まで、次の車検までと次々期限を延ばして結局返上しないまま87歳で亡くなった。幸い事故もなかったけど、最後の方の運転はちょっと危なっかしかった。自分では危ない自覚はなく、自分は自分の運転を危ないと思ったことはないと言っていた。だから夫は自分も80歳くらいまでは乗れると言ってた。人が載っていても人は人、自分は自分の状態を冷静に見て決めるものだと夫に言った。次回の認知症外来の診察は来月。うまく免許返上できるといいな。帰宅後クリニックスタッフの女性から次回も奥さんを連れてきてくださいとの先生からの伝言を受けた。夫の話だけでは普段の様子が分かりにくいと思ったのだろう。そう言ってくれるとついて行きやすい。前回の家族相談に行った話は夫には内緒だから。
2026.03.10
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親の心子知らずとはよく言ったものだ。きょう母の1周忌に来てくれた長女が私からメールが多すぎると文句を言う。最近は私もいろいろ忙しくて一時よりは減らしている。それでも普通親と連絡を取るのは2週間か3週間に一度くらいだという。普通って?何の基準?親元を離れて一人暮らしの娘を心配するのは普通だと思う。40娘だとしても、あまり連絡がないと部屋で倒れていないか心配する。たまにどうしているかなと心配するのもうっとおしいのか?先日2,3日たっても既読がつかないから「生きてるか?」とメールしたから今日のこの話題になったと思う。なるべく自分の価値観を押し付けないようにと思っている。でも一人でちゃんと食べているか、お給料が少ないから月末には卵ご飯だけという日もあるらしい。朝晩それでも仕事の日は食堂でちゃんとしたお昼ごはん食べられる。でもそんなことを聞いて心配しない親はいないと思う。親の心配をよそに、長女は転職もしないし、正社員にという声がかかっても断ってしまう。正社員を受けなかったのは有休がとりにくくなる。今のように休んで好きな韓国旅行に行けなくなるからというのが理由らしい。このままずっとパートのままでボーナスもなく、貯金もできない生活ではこのさきやっていけるか心配はしている。でも長女には長女の考え方、価値観があるから頭ごなしに否定はしないようにしている。わたしには心配することしかできない。親だからと言って娘の人生を思い通りにはできない。長女がこれでいいと思っているなら何も言えない。今後はメールももっと減らそう。娘を自立させるには親の干渉や過保護が良くないと思う。もっと娘を信用して本当に困ったら向こうから連絡が来るだろう。そう思ってデンと構えているのがいいのだろうか?自立しようとする娘の足を引っ張ってはいけない。そう思うもののやっぱり寂しい。成人した子供たちと家族ラインを作っている話を聞くとうらやましく思う。でもうちはうちと思うしかない。よそと比べても何にもならない。うちはうちと思ってうちの親子関係を作って行くしかない。
2026.03.09
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まず朝は月に一度の読書会。終わってから次女のところへ行く約束。3年前次女は孫ちゃんを連れ子して今の旦那さんと結婚。次女と旦那さんは旦那さんの姓になり、孫ちゃんは途中で名字を変えたくないというのでそのまま元のパパの姓のまま。次女の家の郵便受けには今の旦那さんの姓&孫ちゃんの姓の2つの名字が並んでいた。新しく生まれた孫2ちゃんは今のパパの姓。という風な微妙な家族構成。孫ちゃんは今春受験して高校生になる。そのタイミングで養子縁組届を出すことになった。孫ちゃんの意思を尊重した結果今になった。これで家族全員今の旦那さんの姓になる。その養子縁組届の保証人の署名とハンコを頼まれて書いて来た。わたしもこれで一安心。思えば最初の結婚届も私が保証人のサインをした。結納も結婚式もしないという先方の意向で、ウエデイングドレス姿は見られなかった。この十年。結婚、孫1ちゃん出産、離婚、再婚、孫2ちゃん出産といろいろあった十年だった。これだけ色々あったのに孫1ちゃんは素直で優しい子に育った。今日もわたしと次女が話していると、率先して台所の洗い物をしていた。孫ちゃんも成長したなとちょっとウルウル。そして家に帰って昼食後、次女からメールが来た。靴忘れてるで。あ、そうだ、朝読書会に行くときに持って行った上靴を次女の家に忘れてきた。それを取りに行って帰ってきた。それで今日は一万歩越え。全くドジだね。でもこれで巡査部長から警部補への出世が早まるかも。(笑)これもパトロール実績になり、ポイントが付くからね。ここを見て?の人は昨日の日記を見てもらえればわかってもらえると思う。(^^♪警察の防犯アプリで私はただいま巡査部長です(笑)
2026.03.08
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ダウンロードした防犯アプリでポイントを貯めると昇進するらしい。最初は巡査でスタートして知らない間に巡査部長に昇進していた。防犯情報を見たり、パトロールでポイントを稼いで昇進するシステムらしい。早速巡査部長になったからお天気も良くて駅前までウオーキング。今日の目的は駅前のパン屋さん。最近スーパーのパンに飽きていろいろ違う店で買っている。高齢者大学で駅前のパン屋さんのオーナーがパンの魅力を講義しに来てくださり、お土産にそこのパンを数個いただいた。やっぱりスーパーの大量生産のパンとはちがっておいしい。こんなに食べきれないと思っていたら一緒に行った友達が冷凍できるよという。今買っているパンを先に食べてパン屋さんのパンは冷凍して後日食べた。それ以来ときどき買いに行っている。そこのお店はなぜか休みの日が多い。また午後に通りかかるとほとんど売り切れ状態でなかなかタイミングが合わない。今日はたまたま午前中に出掛けたからパンを買えた。街のパン屋さんのパンはスーパーのより高いけど時々食べたくなる。ささやかなぜいたく。ちなみに夫はスーパーの干しブドウ入りのテーブルロールがお気に入りでいつもこればかり買っている。わたしが買ってきたパンを分けてあげたこともあるけどあまり味の差はわからないみたいなので最近は分けない。夫は朝から義実家の月命日でお墓参りに義姉たちをつれてでかけてまだ戻ってこない。そのまま3人でお昼を食べに行くこともあるから私はそろそろ一人でお昼ご飯を食べよう。もう義姉には何年もあっていない。まあいろいろあってこうなっているわけで、言いたいことを言い合って大げんかするよりは疎遠の方がいいかなと思っている。多分義姉はどうして私がずっと来ないのかわかっていないと思うけど。今更あの時こう言われて嫌だったとか、このときはこうだったと言ったところで相手は覚えていないだろうし、そんなことをずっと覚えている方がおかしいみたいに言われるのがおちだろう。永遠に理解し合えることはないと思っている。だから合わない人と無理に会わないことにした。このさき私がストレスが少なく毎日を楽しく過ごすためにはずっと疎遠で行こうと思っている。そしてパン屋さんの先の百均によってお買い物。百均によるとつい買ってしまう。これも無駄遣いかもしれないけど百均に寄るのはやめられない。本日のウオーキングは7960歩。お天気も良くてウオーキング日和だった。(^^♪
2026.03.07
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今日は月に一度の中学校の給食を食べるイベント。昨日のカラオケとランチに引き続いて今日もランチということになる。夫は料理は作れないし、冷蔵庫の残り物は食べたくないので多分自分で買い物に行ってホカ弁とかスーパーでお寿司とか買ってくるだろう。給食は栄養士さんが考えた、中学生の子供に食べさせたい食品が入ったメニュー。高野豆腐とかひじきとかの乾物や普段私が食べないもずくとか豆類などもある。おいしくいただくけどこういうものはなかなかうちの食卓には上がらない。野菜は結構食べているつもりだけど、下準備が面倒なものはあまり使わない。もともとこのイベントはおひとりで暮らしている高齢者のためのイベントでボランテイアの人が自宅にお弁当を届けるという形だったそうだ。ところがコロナが流行って自宅に手作り弁当を届けるのはどうなんだろうということになり、中学校の中の部屋で集まって中学生の食べている給食を食べるイベントに変わった。一人暮らしの人が家を出て他の人と楽しく会食できる機会となったのだけど、残念だけど参加者が少ない。わたしは一人暮らしではないけど誘われてほぼ毎月行くようになった。実際に一人暮らしの方も数人来られている。息子さんとかがいても同居しないで一人で暮らしておられる。その人たちが明るく元気に毎日を送っている姿を見て私もこういう風な80代を目指したいなと思う。高齢になれば一人暮らしは心細かったりつい誰かに頼りたくなるかもしれないけど家に引きこもらないで、どんどん自分が行きたいイベントを見つけて出ていく。幸いうちの市では高齢者のための高齢者大学や市民講座などイベントに結構力を入れている。脳活や、あるいは軽い運動、そしてそこで知り合った人たちとの交流を通して楽しい毎日を模索する。皆さん生き生きと生活されている。仕事を引退して毎日家にいては認知症になってしまう。変化のある暮らし、出ていく場所がある暮らしが理想的だろう。よく人と話すんだけど、うちの市は気候的にも雪かきをするような大雪は降らないし、大きな災害もあまりなく住みやすい市。そして市も健康寿命を延ばすためにいろいろなイベントを用意している。と、うちの市の試みを今日は紹介してみた。もう少ししたら早めに出てウオーキングをして遠回りして給食イベントに出掛けます。(^^♪
2026.03.05
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一周忌が近いからか母の夢を見た。母とお茶しようと約束をしている夢。生前母と2人でお茶した記憶はない。亡くなった父がコーヒーが好きで父が生きていたころはよく母とお茶を飲みに行っていたらしい。父が亡くなってから母は父の愛用のコーヒーメーカーの使い方がわからず説明書を見て教えてあげたこともあった。でも母はほとんど飲みたいときはインスタントだったと思う。一人で喫茶店に出掛けたりはなかった。最近私はコーヒー好きな友達とよくお茶に行っているからうらやましくて夢に出てきたのかも。そこで思い出した。私がまだ30代だったころ、その頃働いていた会社のイベントで特賞の旅行券が当たったことがあった。特賞は一名だけだったから社内でもうらやましがられた。いくつかの行き先から旅行先を選んで2人を招待するというもので私は母に希望を聞いて城崎温泉を選んだ。個人で行くには結構お高くてとても泊まれないような旅館だった。わたしは最初招待は2名様なので子供たちの分を出して4人で旅行に行こうと思っていた。ところが夫が子供たちは自分が見ているから母と行ってこいというので、少しは親孝行になるかなと思って母と行くことにした。夫、自分から母と行くように言い出したくせに、義実家には私が初めから母と行けると喜んでいたという。何でそういう全く事実と違うことを言うかな。腹が立った。わたしがまるで初めから母と行くつもりで夫に子守を押し付けたみたいに義実家に思われるじゃないか?でも結果的に母が喜んでくれたからよかった。母と二人の旅行はこれが最初で最後になった。そんなこんなの母の思い出を思い出すのも来週母の1周忌だからかもしれない。1周忌を区切りに納骨と仏壇じまいを考えている。わたしが元気なうちに終わらせたい。本来私の実家の仏壇は家にあるべきものではない。弟が全く仏壇を見ていく気持ちがないのでやむを得ず私が引き取った。夫もあまりよく思っていない。いつ仏壇じまいをするんだ?と言われている。一人っ子でもないのに何でうちがと思っているようだ。納骨して仏壇じまいをして、位牌はどうなるのかな?最終的には母の遺影と遺品の数点を置いたコーナーを私の部屋に作るつもり。遺骨を納骨しても仏壇じまいをしても、わたしはずっとこれからも母の娘だから母もわかってくれるだろう。
2026.03.02
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