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30年前と比べると、魚種も値段も随分と変わってきた。鍋などに使うウマズラハギという魚がいるが、この魚30年前にはネコマタギ的な魚で、だれも飼う人がいなかった。かなり雑に扱われ、大きな籠に40キロずつ入れられ山のように積み上げて取引されていた。せいぜい珍味に加工される位だったのだろう・・・ところが近年人気が上がり、高値で取引されるようになってしまった。何でもテレビの料理番組に取り上げられてから、注文が殺到したと言う。私は昔のイメージが強く、決して使う気にはなれない魚だ。あとイワシだが、当時はやはり山のように水揚げされ、売れ残って市場を困らせていた物が、年を追うごとに減り続け、何時の間にやら高級魚の仲間入りを果たしてしまった。だがここに来てだんだんと増えてきて、ヤット安定した競り値までに回復してきた。何でも魚種交代の周期があり、増える傾向にあると言う。昔はイワシか、と馬鹿にしていたものが今は、ほ~イワシですか!となってきた。実にこの間20年位あったと思う。逆に増えすぎ、値段を崩した魚もある。ヒラメが良い例で、昔は最低キロ6000位から競りに掛けられていた物が、いまや大量に獲れる洋になり、3000円位から競り落とされるようになった。原因ははっきりとはしないらしいが、何でも横浜八景島沖で孵化したヒラメが成長を続けながら移動をし、潮の流れで数年かけて小田原沖まで到着すると言う話だ。それと人工孵化をして稚魚までに成長させた物を放流していると言う。だが圧倒的に天然物の方が多いという。これは水産試験所の調査員に聞いた話だが、色々なデータ-を分析すると、来年の漁獲量と魚体の大きさが判ると言う。私は毎年尋ねるが、ほとんど予想どうりの結果が出る。高級魚の代名詞のイセエビだが、これは次回に・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 31, 2007
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小田原市場に出入りを始め暫くすると、大分様子がわかってきた。先ず魚種の多いことにはビックリ!日本の全魚種の80パーセントは水揚げされるだろうか。それも全て目の前の相模湾でだ。鯵は有名だが、鯛やヒラメ、金目鯛などのほかに、深海のボタン海老や赤座海老、冬から春にかけては高足蟹も上がるし、時たまサクラマスも春先には網に掛かる。買い付けに集まる魚屋も大消費地の湯元温泉から箱根全山、湯河原の温泉場から熱海までだ。魚屋が集まり、漁師が荷を納める。これが段々拡大して、伊豆半島の小さな漁村の魚まで小田原に持ち込まれるようになると、豊富な魚種と、鮮度の良い魚を求めて東京からも買い付けに集まる。だが当時の(30年前)市場は決して清潔とはいえなかった。魚を入れる箱も今の発砲スチロールとは違い、板で出来たトロ箱と言われるものを使いまわしされていた。木だから当然水や魚の汁を吸い、やがて悪臭を放つようになる。最初は木目が判るのだが、やがて薄汚れて黒ずんでくるようになると蝿がたかるようになる。それと魚屋や市場の職員のほとんどがタバコを吸いながら仕事をしている。咥えタバコの灰はやがてはニュートンの法則で魚の上に落ちる事となる。だが誰も気にもしないし、足元は大きな灰皿と化している。私はタバコは止めていたので、漂う煙にも敏感になっていた。魚屋と話をする時は、人差し指を口に咥え、ぬらしてから頭上にかざす。すると風の当たる方から冷たくなるので、風上を確認してそちらに回り込み、漂う煙を避けて話し始める。当時は嫌な奴!と結構煙たがれたが、近年非喫煙者が増え私の行動も目立たなくなってきた。それと市場側の意識改革が進み、喫煙場を設けるようになり、この問題も大分改善されてきたようにも思える。魚種も随分と変わり、こんな魚が?と首を傾げるような値上がりを見せた物もある・・・続く・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 30, 2007
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「開店当初を振り返ると」は来週より再開します今年はとにかく暖かい!私は山や海に出かけて食材を調達、調理をするので、とにかく自然の変化には敏感になっている。去年の夏は日照時間が少なく、南限のホップなど豊作だが、くるみは不作で未熟な果実が多かった。今年は山にはまだ雪が積もっていない。例年だと12月に降った雪が根雪になり、年を越して降る雪が積もる。だが降る雪はすぐに溶け、山はは地肌を表している。今朝は藤沢まで有機野菜と有機飼料で産ませた卵の仕入れに行って来たが、まだ畑は凍ってはいなかったし、白菜の種を蒔いたら発芽したと言う。農家の人も暖冬を実感できると言う。今後どうなるのか?急速な地球温暖化が危惧されているが、どうなのだろうか?異常気象の影響か、家の犬が子供を産む。例年春先に盛りが来るのだが今年は正月早々に来てしまい、調整が出来なかった。また生まれる子犬の里親探しに走り回らなければならないと思うと、気が重くなる・・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 28, 2007
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フレンチスタイルの魚料理の勉強のため、小田原魚市場に出入りするようになった。だが当時の魚市場の中は私が子供の頃見た殺伐としたと社会と変わらなかった。先ず魚屋の顔に凄みがあった。そこに魚を持ち込む猟師も又同じようなもので、一種独特な雰囲気かもし出していた。魚の取り合いも公正な競りとはチョッと違い、力関係が大きく作用していて、ヤクザ絡みの魚屋も多く存在していた(今も一部残っているが)言葉使いも非常に荒かった。これは小田原の方言、べエべエ言葉もあるがとにかく乱暴この上も無かった。市場の片隅では毎日のように賭博が開かれ、魚の仕入れそっちのけでサイコロを振っている。勿論魚屋全てではない、ほんの一部の人たちなのだが・・・・この市場は公設市場で、一般人は入場する事は出来ない。私も無断で入る事は出来ずに、魚屋と同行して入らなければならなかった。ここの取引は全て競りで行なわれ、威勢のいい掛け声と共に始まる。このせりに参加できる人は帽子を被っている。三種類の色分けした帽子で、黄色は株主で赤色はその従業員か枝分かれした魚屋、青い帽子は従業員の帽子だが、セリには参加できないが魚は扱う事ができる。そして正面には番号を大きく書いたプレートが貼り付けてある。私は魚を触ることも、競りに参加する事も出来ない。同行の魚屋と魚を吟味、相場を確かめながら競り落としてもらうと言うマドロッコシイ方法をとっていた。そんな事をしてでも、地の魚は魅力があり又勉強になった・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 24, 2007
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山では様々な食材が調達できた。今まで書いたように木の実、草の実から山菜・野草に至るまでだ。茸も手に入るし、タンパク質のジヴィエまで調達できた。私は山に向かう時、チョッと丹沢スーパーまで行ってくる!と家族に告げて出かける。勿論そんな名前のスーパーなどありはしない。何でも手に入るので、私が勝手に命名したのだ。だがこのスーパーの陳列棚は様々なところに散在していて、茸の陳列棚から野草の陳列棚まで移動するにも車を使い、徒歩で移動しなければならなかったし、入荷の季節もむらがあり、厄介な物だった。丁度山の入り口がスーパーの扉で、店内を一周して帰るには最低半日は掛かる広大な店、帰りにレジを通過する必要が無いが、店内の事故は己の責任となる。私の頭の中には山別にカレンダーが入っていて、この山は何時頃何が獲れる。あの日陰山は幾日過ぎで、頂上は一ヶ月後・・・そんな収穫時期のずれがインプットされていた。では野菜は何も買わないのか?そんな事はない。トマトやキャベツ・ジャガイモやタマネギは山には自生していないからだ。この野菜類は長年付き合った農家から有機栽培の物を分けて頂く。それでも足りない物は青果市場で競り落として手に入れている。そう成果市場の買受人の権利も確保している。このような食材を組み合わせて私の料理が出来上がる。一枚の皿の上には何かしらの形で野趣が表現されるようにしている。山の話に偏ってしまったが、今度は海の話、魚市場に舞台を変えてみよう・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 21, 2007
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前回の続き・・・採取しながら這い登ると、よほど条件が満たされていたと見え、足の踏み場も無いほどの群生に遭遇した。ウオ~と歓声を上げながら獲りはじめた。無我夢中で獲り、3時間もすると籠は満杯で予備の袋(タマネギが入っていたナイロン製の網袋)にも2杯と持ち上げるにも限界と思われるほど獲れてしまった。この時点で止めても後処理に時間が掛かったろうが、一旦車に荷を下ろし、再度採取に向かってしまった。日が沈む頃ヤット諦め、帰路に付いたが当然家に着いたのは夜。それから家内に自慢気に茸を見せてから、後処理に掛かった。大きなボウルに流水を注ぎながら茸についたゴミや土を流し、かたい部分や痛んだ部分を取り除くのだ。最初の一時間ほどは初めての大漁にワクワクしながらの作業で実にご満悦であったが、なんせ物凄い量、タマネギの入っていた網袋ひとつが終わる頃には昼間の疲れもあり、ウンザリしてきた。時計は12時を廻っている。そろそろ寝なければ明日に差し支えるが、目の前の宝の山をみすみす無駄には出来ないし、このアシナガと言う茸は傷みが早く来る。今晩処理をしなければ、明日は溶けてしまうだろう。持ち帰る時に袋に押し込んできたので、茸同士が押され傷んでいるからだ。深夜3時を廻る頃には指先がしびれ、感覚が麻痺してきた、だが茸はあと半分あるが・・・とうとう断念、洗い終わった茸を熱湯に入れ軽く茹で上げてから冷まし、冷凍保存にして全作業が終わったのは日が昇ってからだった。だがこんなに条件がそろい、大漁に採取できたのはこれ一回だけだった・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 20, 2007
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色々な木の実を採取、利用してきた。だが栽培物と違い、何時が採取時期なのかを判断するのが非常に難しい。実際に採取するまでには、何回も足を運び実付きの状態を観察、どこの物を取った方が効率が良いかを判断してから行動する。苦労して木に登り、枝先の数粒の実を採り、又別の木に登るのでは効率が悪く、お遊びになってしまうからだ。自然界はワガママで、去年沢山実を付けたから今年も!とは行かないからだ.確かに実が沢山付く木とマバラにしか実が付かない木があるが、表年と裏年とがある。栽培果樹のミカンが良い例で、去年は裏年で不作、ミカンが高騰した。人為的に調整が利かない自然界では、この兆候が著しくはっきりと分かれてしまう。まして自生地が自然界では、採取作業が思うように行かない立地条件となれば、採取量も大きく左右される。そこで私の方法は、当たり年の種類を重点的に獲る。大体二年分は獲り、来年の裏年に備えるようにする。ところが多く採取すれば問題も起きる。山や野原から採取した食材は土や汚れ、枯草などが付いていて、掃除をしなければ食材にはならないからだ。山で一時間作業をして得た材料を食材になるまで掃除するには約倍の時間を要する。つまり山で4時間必死に採取した物を加工するには、洗ったり切ったり選別したりで倍の8時間を要するのだ。だから、今年は当たり年と気合を入れ、山のように採取してしまうと、その処理に二日も三日も掛かってしまう。こんな例がある。9月の終わりに山北の山に登り、アシナガと言う茸を採取した。この山は里からは遠く、健脚の持ち主だけが入る山で、いわば独占的に採取できた。何回かの下見を経て、いよいよ今週がピーク!と言う日だった。林道に車を止め、腰に籠を括りつけ、万が一の大漁に備え予備の袋をポケットに山肌にヘバリついた ・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 18, 2007
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これも忘れるわけには行かない、クルミだ。山には三種類の胡桃の木がある。代表格は鬼グルミで沢ぐるみ、姫ぐるみとある。野生のクルミは山間部の沢沿に広く分布している。それこそ河口付近から山のかなり高い所まで自生しているのだが、これまた採取には手間と時間が掛かる厄介な代物だ。丹沢山の場合、山は小さいのだが起伏が激しく、採取には危険が伴なうところばかり・・そこで富士山の裾野まで足を伸ばす事になる。採取時期は8月末から10月の末までで、早く熟す木から拾い集めるが大量に集める為、一番時間を費やす仕事になる。おまけにこの時期の採取には薮蚊やブヨ、蜂などに襲われる事もある。このクルミ、木に下がっている時はまだ未熟で、リスが触って落ちる位熟すのを待たなければならない。台風の風などが吹いた後などが採取の最適期でかなりの量を拾い集めることができる。集めた胡桃はまだ回りに果肉が付いた状態だが水を掛けながら足で踏んでやると綺麗に剥ける。剥けない奴は未熟な果実で、これは割っても果肉は青臭く使い物にはならない。自然界は本当に良く出来ていて、無理やり打ち落とした物はまだ未熟で食用にはならないのだ。大体一年で200キロは必要だが、一口に200キロと言うが物凄い量だ。用途はフルーツケーキに用いたり、ソースの香り出しや、自家製チーズの口直しに用いる。そうそうゴボウと組み合わせ、味噌で風味を付けた「ゴボウのタルト」は人気がある。このクルミ、栽培種とは違い中身は少し・・・一個から一グラム平均しか取れないし、又割るのも大変で、クルミ割り器などは通用せず、鉄の台の上に指先で固定してハンマーで割らなければならない。割れるときには指先にビシッ!と衝撃が伝わる。1個2個なら我慢が出来るが、100個単位となると軍手で指先を保護しても痛さで痺れが来る。本当に集めるのも苦労だが割るのも一苦労、仕込みに500グラムの実が必要となれば500個と傷み分を足し、580個は割る必要がある。数割るうちに、胡桃を固定する指先は痺れてくるし、気を抜くと胡桃を外したハンマーが指を襲うことになる。割り終えれば、殻から実を取り出すのだが、栽培品種のようには剥けず、これまた一苦労で、新しいクルミは中々殻から抜けてくれない。仕方なく竹串を用いほじくり出さなければならない。更に剥きだした実から殻の破片を取り除く作業がある。美味しいケーキもカリっと殻を噛んだのでは美味しさが半減してしまうからだ。この胡桃も自然界ではその年の陽気に大きく左右されてしまい、去年は日照不足で不作、幾らも採取する事が出来なかった。落ちている実を踏むと、グシャと硬い殻まで潰れるのだ。中身が育たないまま時期が来て落ちたのだろう。仕方なく去年の在庫を細々と使っている。これが自然界、ままならない ・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 17, 2007
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もう一つ珍しい利用法の木の実がある。山歩きをする方ならご存知の、七カマドの実だ。山野に広く自生する七カマドの実は木々の葉が落ち雪がちらつく頃まで枝先に留まり、殺風景な冬の景色に温もりを与えてくれる。この時期は大体12月で、そのころの私は狩猟が忙しく、偶然に見つけても採取する時間が無く悔しい思いをする。二兎追う者は一兎も得ず!で狩猟中は他の物の気を奪われるとチャンスを逃すばかりでなく、事故も起こしかねないからだ。私はこの七カマド実は10月の終わりに採取する事にしている。味から考えれば、もう半月置いたほうが美味しいのだが、やる事が山ほどあり、とても最適時期ばかり作業できないからだ。この実、木に付いている時は苦く渋い。口の中が可笑しくなる位で、こんな物が?と疑問に思っていたのだが、ある年熟して枝から地面に落ちていた実を拾い、噛み締めてみた。すると程よく乾燥した実はさほどの苦味も渋味も感ぜず、なんともいえない野趣が口に広がったではないか。フランスではスパイスとして利用している事は判っていたのだが、数年間この実を実ながら、こんな渋い実が利用できるなんて思ってもいなかったが、これで謎が解けた。生ではなく乾燥して利用すると言う事が・・・それ以来、この実も採取している。リキュールにすると、個性があり美味しいが、私はスパイスとして主にジヴィエ料理に使う。野生の肉には野生のスパイス・・・相性が良いし、更に野趣を表現できるからだ・・・ ・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 16, 2007
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木の実と言えば大切な物を忘れていた。桜の実だ・・・桜の木は利用価値の多い木で花は塩漬け(八重桜)、その樹皮工芸品(山桜)に、木質部は家具や薫煙材(山桜)に、実は食用にと人間にとっても重宝な木だが、自然界の生物にも実に大きな恩恵を与えている。花が散り葉桜になると、毛虫が発生するのを御存知だろうか?私はこの頃に赤紫に熟した木の実を採取してリキュールに仕込む。木に登り枝先まで手を伸ばしていると、様々な虫に出会う。毛虫と言っても一種類ではなく数種居るし、蟻もせっせと昇ってくる。アブラムシでも居るのだろうか?葉を見るとクルット巻いてあるが、ガが卵でも産みつけたのだろうか。頭上にはヒヨドリやムクドリが実を食べに集まってくる。この鳥は実に利口で美味しい完熟の実だけを選んで食べ、どこの木が早いか遅いかも判っているようだ。ある先生の研究によると桜の木は数十種類の生き物に生活の糧を与えているとか。私も春の若葉は摘み取って塩漬けにする。すると塩の作用でクマリンと言う成分が生成される。あの桜餅の香りがそうだが、この葉で鳥肉などを包み蒸し揚げて香りを移している。実はリキュールにすると何ともいえない香りをかもし出し、野趣豊かなデザートにも変身してくれる・・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 14, 2007
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木の実は沢山集めるが、ガマズミの実も忘れてはならない。このガマズミは里山や山野に広く分布している落葉の低木で、秋には赤い実を付ける。この木の実は生食でもいけるがやはり種が大きく口に中で軽く噛み、果肉をそげ落として果汁を吸い取り種を吐き出して味わう。子供の頃にはオヤツ代わりにほお張った物だ。味は酸味が強くほんのりとした甘味と渋味が残るが、かなり酸っぱい味だ。だが私の子供の頃は山や川が遊び場で、山野の食べれるのもは何でも口に入れ、オヤツとしていた。この実の利用法はやはり酸味と渋味の野趣を残し、リキュールに仕込むのが一番で綺麗な赤い色に仕上がる。金目鯛などの魚料理に良く組み合わせている。この実、丹沢山にも沢山あるのだが、富士の裾野の方が群生している。おまけに熟した実の一粒が大きいのだ!そこで時間の無い年は富士の裾野へと採取に出かけるが、私が通った山道からは赤い色が消えてしまう。自然保護の観点から考えれば良い事ではなく、なるべく間引きしながら自然の恵みを頂いている ・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 13, 2007
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次なる木の実は山法師の実だ。これは落葉高木で、山野には普遍的に見られる。春山を散策していると、木が白く見えるほど沢山の花を付ける、御馴染みの木だ。この木の実は秋10月になると赤く色付き採取時期を迎える。身の付き方はサクランボに似ている。長い柄の先にサクランボ位の実が付くが表面は凸凹していて、上を向いて葉の上に突き出ている。生食も可能だが大きな種がゴロゴロと入っていて、裏ごしにかけジャムに仕上げたり、やはりリキュールに仕立てる。味はあるのだが、ピントこないボケた味なので、リキュールに仕込む時にもレモンを多めに入れて味を引き締めてやる必要がある。このままでは様にならないが、料理のソースに利用すると、個性を出してくれる。この採取も一苦労する。先ず高木になり、その枝先の実を採取するにはやはり木に登り、枝先まで這っていかなければならない。この実を求めて丹沢山から富士山の裾野まで出かけるが、やはり一回の仕込には8リットル瓶に最低2本は必要となる。一口で8リットルの実を集める!と言うが、手の平一杯ならあっという間に集まるが、これがバケツに数杯となると、もう拷問に近い作業となるが、完成した酒を思うとツイツイ体に鞭を打ちながら作業を続けてしまう・・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 12, 2007
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少し間が空いてしまいました、申し訳御座いません。実は8日の朝、交通事故を起こしてしまい、病院に担ぎ込まれてしまい、更新できませんでした。さて、前回の続きですが木の実も沢山採取しており,使い方も研究していた。一番美味しい木の実はやはり 猿梨 だろう。これは何回も書いているが、キウイフルーツの原種といわれるものだ。シナ、今の中国の野生の猿梨が海を渡り、ニュージーランドで品種改良され、今見るキウイフルーツになったと言う。山にある猿梨は小さく、大きな物でもウズラの卵より一回り小さい。キウイは肌に産毛が生え茶色だが、猿梨は毛は無くグリーンだ。だが完熟した実はキウイフルーツそっくりで、味もややエグミがあるが似ていて、輪切りにすると種まで同じように丸く見える。以前は完熟の物ばかり採取して、皮を剥き生でデザートに添えていたのだが、自然界から採取してくる物にそんな食べ頃の物ばかり集めるのは不可能に近いことと悟り、生で使うのを辞めてしまった。この自生地の環境は私にとっては実に厄介な場所で、沢沿いが多い。しかもつる性で、高い木に巻きついて上へと伸びる。V字型の沢の側壁に多く自生していて、この木に登り枝先まで這って行き、実を採取するのは高所恐怖症の私には酷な話し・・・だがこの実は、そこまで行動しても採取するだけの価値をもっている。一番の利用法はリキュールに仕立て、カクテルやアルコールを抜いてデザートにする事だ。一年も寝かした酒は本当に美味しいが、ただ沢山採取するのが難しいのだ。理由は先ほど書いたが、自生場所が沢筋などの湿地帯に多く見られ、採取には危険が伴なうと言う事と、その猿梨の木がたくさん無いと言う事だ。猿梨はキウイフルーツと同じように、オスの木とメスの木があり当然実が付くにはメスの木だけ。おまけにメスの木は少なくオス7にメス3と言うが、実際の割合はメスは2割にも満たないと思うし、メスであっても採取できる条件が伴なわない場合が大半だ。だから春先の花が咲いた時点でこの木を見つけておき、夏の終わりに実付き状態を把握しておく必要がある。一回に漬け込む量は8リットルの瓶に二本、実だけでも8リットルは必要な計算で、これだけ採取するには数十本のメスの木を探しておかなければならない・・・こうして採取した実1に対して焼酎を2で漬け込む。氷砂糖は全体の一割にとどめ、レモンのスライスも数枚一緒に漬け込む。こうして世話が焼ける猿梨だが、やはり美味しい! ・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 11, 2007
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この頃から私の料理は野趣豊かな物にと変化していった。先ず山に自生する様々な食材を極めていった。私の食材に関する認識が一変したのも大きく作用した。料理とは食材の特色を生かし、不可食分を取り除き、消化吸収良く美味しく調理する事だと思うのだが、今の料理は余りにも食材の個性を消して当り障りの無い味付けにしすぎていると思う。私は材料から個性を引くのではなく、はっきりと残す工夫をした。つまり味にエグミがあるものは取り去るのではなく、そのエグミが生きる調理を心掛けるようになった。そのようにすれば、山から採取した個性ある食材が生きるし、価値が認められると考えたからだ。苦味があれば苦味を残し、渋味やエグミがあればそれも個性として残す、つまり完成された大人の嗜好に合わせたのだ。典型的な食材が野生のホップだろう。このホップはご存知のようにビールに苦味と爽やかさを与え、雑菌の制御をする。ただ残念なことに野生種はオスの花粉を受精していて、栽培種ほど香りが無いのだが、野趣はしっかりと残っていている。私は料理のソースにしたり、油で揚げて付け合せに、又煮出して軽く甘味を付けてジュレに仕立てデザートにしている。後は木の実だが・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 7, 2007
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大手スーパーでのパンの取引が止まった。元々無添加で焼き、価格も高い私のパンがスーパーと言う舞台では脚光を浴びるのは難しいとは思っていたが、やはり撤退は痛手であった。次に展開した販売先は直販店だ。これも当初は競争相手が無く、まずまずのスタートであったが、次々に参入してくる町のパン屋に押されて低迷をしてくる。幾ら無添加パンを強調しても、薬漬けのパンであっても安価な設定が魅力なのか・・・ここに移転してからすぐにパソコンを導入し、ネットの販売も試みたのだが、成果はなかった。それと言うのも、パソコンの設置場所が二階の休憩室でほとんど動きっぱなしの私には触ることもままならなかったからだ。当時は機器一式をそろえると25万は掛かった。今なら10万もあれば揃うものがだ。それが結局使い物にならず、いざ本番ネット掲載となった時点で能力不足が判明、機種の買い替えとなった。たった一年でこの機械一式が一万円になってしまった。だが、私はインターネットの時代がすぐにやってくる!と踏んで新たに挑戦する事にした。当時に日本におけるインターネット普及率は30パーセントだったが、数年後には50パーセントを超えると踏んでいたからだ。今では70パーセントを超えたとか。だが当時は相変わらず従業員任せで、幾らこちらから掲載内容の指示を出しても上手く動いてはくれなかった。数年後には自分が管理するようになるのだが・・・・・料理も少しずつだが自分なりのものに変わりつつあった。だが、相変わらず従業員の手を借りなければならず70パーセントの満足感しか得られなかった。こんなことが何時までも続蹴るわけには行かないと、危機感は募るばかりだが、現実的に営業を維持しなければならず、毎日が苦悩の日々であった。営業を長く続けると、お客様の方にも変化が現れる。常連客の顔ぶれが変わってくるのだ。今までのご来店ではご夫婦とそのお子さんと言う顔ぶれが変わるのだ。あれ?今日はお爺さんが居ない!さては・・・なるべくお爺さんの話題には触れずにお食事を勧めるのだが、帰り際にポツリと「実はお爺さんが亡くなりまして、この前が最後の食事、又ここに来たいと言っていましたが・・・」と来る。覚悟はしていても、やはり悲しい。十数年来のお客様であれば、やはり聞きたくない言葉だ。そんな方が随分と増えてきたが、これも長く営業を続け、常連さんを持っているからか?その反面「今日は子供の初月給で食事にまいりました」と言う微笑ましいこともある。確か小学校の坊やが成人して初月給をもらい、両親を食事に招待!ジンと来る話だ。自分の苦悩とは関係なく、世間はドンドンと変化していった・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 6, 2007
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この時点で開店から25年、移転してから2年が過ぎていた。パンの製造も順調に行っていた。先に書いたようにパン工房に酵母菌が上手く住み付いてくれたのだ。たまにだが発酵が暴れたり、また風邪をひいたように酵母が働かなく、上手く行かない事もあったが、順調に焼けるようになっていた。この頃になるとパンの取材も増えてきて、色々な所から引き合いや問い合わせが殺到するようになってきたが、一般のパン屋のように菓子パンやオヤツパンのような物が無い私の店は、はっきりと客層が分かれてきた。自分がパンの工房を仕切っていれば、新しいタイプも開発できるのだが、息子に任してあっては、それもままならなかった。だが着実に名前が売れてきて、ある大手スーパーチェ-ンとの取引も始まった。これは日本三大スーパーの専務と面識があり、その口添えで実現したのだが、これが曲者で、最初から危機感を抱いていた。それは、自分で切り込み開発したのなら、長期にわたり取引も可能だと思うのだが、人脈を使い、圧力をかけ強引に始めた取引で、相手の人事が変われば魔法も消える!と判断していたからだ。実際に1年を経過した頃からその兆候が現れ始め、締め付けと納品店舗の削減を余儀なくされ、その半年後には打ち切られてしまった。レストランとパンの販売と言う二人三脚で始めた店にとって、この撤退は痛かった。だが予測できた事態で、次なる展開を考えてはいたのだが・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 5, 2007
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移転して一年が過ぎた頃、山での獲物の調達や周りの人間関係は絶好調であった。だが料理の内容にはいつも不安があった。人を指導できない人間だからか、とにかくまどろっこしく出来上がりの皿にも不安があった。その時厨房では常に3~4人が忙しく動いていたが、私にしてみれば助手が一人いれば十分でその方が自分らしい料理ができたと思うが、砂糖の種類もわからない馬鹿ばかり使っていた厨房ではやはり数の力に頼るしかなかった。山では様々な食材を採取していた。ジヴィエ(狩猟鳥獣)は勿論、山菜や野草、木の実草の実と多種におよび、四季を問わず色々なものが手に入った。それにはそれだけ山に入り、採取場所を数多く見つけていたからだ。例えばフキノトウ一つとっても、一月の頭から4月の終わりまで採取出来るように、陽だまりの山から、日陰山までくまなく散策し見つけておけば、長い期間採取し利用する事ができる。ただ問題は自然界は常に変化し、又気候もずれる。と言う事は、去年の採取日は第三週だから今年も同じ頃に、と出かけても早かったり遅かったりとずれてくる。どうしても必要な食材は採取日を見極める為に下見に出かける必要がある。安全の為1~2週間前位に現地に出かけ、様子を探るのだ。茸などは一番厄介で、何度足を運んでもその発生の兆候さえ見つけることが出来ない事がある。茸の発生条件は気温・日照時間・水分だが、これが毎年微妙に変わるし、発生地の条件も変わる。倒木は年々朽ち果て、地面の養分も変わってくる。去年取れたから今年も取れるという保証は無いから、常に新しい場所を見つけておかねばならない。これだけ気配りと労力をつぎ込んだ食材も、価値観の判らない人が扱えばただのゴミになってしまう。こんな例もあった。ボラの卵からカラスミを仕込むのだが、タマタマ買い付けが上手くいき大量に仕込めた年があった。余裕があったので、お昼の2000円のコースにオードブルとして出すよう指示したのだが、何と5ミリ厚さのカラスミを5枚も盛り込んでいた。ただあるから使う、原価計算の出来ないばかりか、価値観も判らない奴だった。そんなことが続くと人を使うのが嫌になってしまった・・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 4, 2007
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さて前回の続きだが、事故や違反の話を書いた。この他に故意による違反狩猟がある。特に四足猟(鹿や猪)は過酷で現実的にはそう撃てるものではない。第一出会いが無い場合がほとんどで、なかなか獲らしてはくれない。10年狩猟をやっても一回の発砲チャンスにさえ恵まれず、辞めていくハンターがいる位だから・・・そこで危険を承知で、禁猟区や保護区ギリギリのところで猟をする。私もそうだが、そのような場所ではいつでも事故や違反の影が付きまとう。一つ判断を間違えれば事故にも繋がりかねないが、猟区内であれば違反にはならない。だが獲物が取れないと、違反を承知で境界線を超える者が現れる。一度旨味を味わうと、二度三度と繰り返し、挙句の果てには事故などを起こし逮捕となる。大分前の話だが、ある猟友会の幹部がグループを組み違反を繰り返していた事件があった。その連中のことは地元ハンターなら誰でも知っている事で、あの連中を探すならば保護区に行けばあえる!と言われる位知れた事で、評判が悪かった。なぜ何年も放置されたのか?多分猟友会の幹部と言う事で密告がされなかったのだろう。だが余りに大胆な違法狩猟に警察も腰を上げ、一大捕り物騒動となった。これは新聞でもテレビでも大きく何回も報道された物で、皆さんの記憶にもあると思う。又、違反などしていなくても獲物が取れない連中はヒガミ根性で噂を流す事がある。だから私は獲れても獲れなかった!と言い、注目を避けてきた。だがあるとき閉鎖された林道脇で仕留めた鹿を、車まで引きずっていた時に知り合いのハンターと遭遇してしまった。その時、オイ獲れたか?と聞かれ、すぐさま習慣で獲れない!と答えてしまった事があった。その時そのハンターは後ろの物はなんだい?と問われ、困ってしまった事があった。 ・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 3, 2007
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この頃一番安定していた仕事は狩猟だろう。(狩猟は趣味ではなく、仕事として行なっていた)山に行けば何かしらの獲物を担いで帰るという日が続いていた。順調ではあったが、恐れていた事もあった。一つは狩猟による事故や違反だ。事故とは誤射をさす。獲物の確認が甘いと誤射にに繋がる。狩猟事故の大半はこの獲物の確認と矢先の確認ミスに物で、一つ間違えば傷害あるいは傷害致死になる。物が銃では当たり前で、私も以前非常識なハンターの弾幕を浴びた事がある。その時は頭上の枝が落ちた位だったが、モロに当たれば負傷は免れない所だった。何時自分が加害者になるかもしれないこの狩猟には本当に神経をすり減らす。まあ、矢先の確認と獲物の確認をしっかりとやれば、先ず事故は防げるがもう一つは違反!だ。これは故意に起こす物ではなく、獲物の確認ミスが殆どで、例えば鹿の場合、現行法ではオスのみが狩猟の対照でメスは禁止されている。オスとメスではどう違うのか?簡単に言えば角があるのがオスでないのがメス。人間界とは偉く違い時たま角の出た女房に出会うが・・ではオスは必ず角はあるのかと言えばそうでもなく、一歳の仔鹿には角が無い。ましては逃走している鹿を藪や林の中で確認するのだから、頭まで見られない事が多い。そんなときは体色で判断する。オスの背中は真っ黒に見えるものだ。ところが、年を重ねたヤリテババアのメスの背中は真っ黒に見える。これも違反の原因になる。さて、もし間違えたら?対外のハンターは穴を掘って埋めてしまい口をつぐんでしまう。これもグループ猟なら可能だが、私のように単独猟の場合はホトホト困ってしまう。穴を掘って埋めるといってもあの大きさだ、さりとて放置すれば他のハンターの犬に発見されたり、カラスや狐の餌になりやがては腐敗して全山に匂いを撒き散らす事になる。決して間違いは無かったとは言わないが、誰もが見てみぬ振りをするのが山の掟だが・・・ ・・・続く・・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 2, 2007
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新年明けましておめでとう御座います早いもので開店してから33回目の正月を迎えた。ここに移転してからは10回目である。今日は一人で営業しながらこのブログを書いている。例年だと正月は休むのだが、予約が断りきれずレストランのみの営業となった。朝一人でパン生地をこね、パンを焼いての営業!33年前の旧店を思い出しながら生地をさわっていると、様々な事が思い浮かぶ・・・ここに移転してきてもいろいろなことが起き、平穏な生活では無かったが、やはり最初の出発点である9坪の小さな店が懐かしく、又思い出される。店が大きくなるとどうしても人手が必要となるが、私は職人一筋で渡ってきた、どうも人を使うというより、使われてしまう傾向が強い。人手が増えれば、少しは楽になるかと思ったのだが、半端な従業員では幾ら笛を吹いて太鼓を叩いても踊ってはくれない。本当にこの業界で生きて行く人なら、私の仕事が理解出来るだろうが、腰掛け程度で入る者には仕込むと言うより、使いこなすほうが早いと思った。悩みは尽きないが、人が増えた分だけの営業実績をあげなくてはならず、今までの専門料理から一歩引いた物に変え、来客数の増加を図らなければならなかった。ここは平塚市と秦野市の境に位置し、店の周りからの集客では私の料理は突飛過ぎたのだ。旧店のお客様も勿論ご贔屓にしてはくれるが、今度は器が大きく、やはり新しい客を大幅に増やさなくては、営業が立ち行かないのだ。料理の質は落としてはいないが、客数が増えるとどうしても私の手を離れた料理も出さなくてはならない。仕込みは勿論私がやるのだが、それを使い一皿に仕上げると、全く違う物が出来てしまう。盛り付けなどは同じに見えるのだが、お客様から感動の声があがらなくなった・・・これは大分後の事だが従業員が造反、辞めてしまった事があった。このとき厨房は私一人で切り盛りしたのだが、お客様がワザワザ厨房に顔を出して挨拶をするようになった。美味しい!感動した!時には調理の出し入れの窓に手を差出し、握手をして帰る方まで現れ、お礼の礼状が送られてきたり、メールで入るようになった。これには残ったギャルソンもビックリ、レジの家内まで報告に来るようになった。帰られるお客様が感動のお礼を告げ、シェフに宜しく!といって帰るそうだ。これが本来の私の料理なのだが、人を使うとこうも質が落ちるのかと、自分の指導力の無さに悲しくなってしまった。そんな事を思い出しながら、今客待ちをしながらキーボードを叩いている・・・続く・・ル・パスポートのホームページはこちらル・パスポートのホームページ 人気blogランキングへ
January 1, 2007
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