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前に初めてのお酒というタイトルで 記事を書いた事がありましたが今日もお酒のことを ちょっと・・・・我が家でお酒を飲むのは おじいちゃん一人一番小さい缶ビールを一本日本酒なら お猪口に3杯分だけ。。主人は家では全く飲みません 会社でも 他のお付き合いでも 本当に少しだけ 父も 家で晩酌 って言う事がなかった人なのでお酒を飲む っていう事がどういう事なのかよくわかりませんでしたまあ 会社勤めをして 飲み会も経験しましたが ・・雰囲気を楽しんでしまうという意味では ジュースでも酔えちゃうのでお酒じゃなくても おんなじかなあ ?きっと 良さがわかってないのでしょうね。。。。。ここの所読んでいる本で ・・万智ちゃんもも 角田光代さんも かなり飲める方らしいと知りました。。女性のお酒の飲み方いろいろ ・・ ・・お酒の好きな女性 ・・・すてきだな って思いましたそれから 大伴旅人さん 歌 面白いです 万智ちゃんの訳に 大爆笑です 。。。「酒を讃(ほ)むる歌」『万葉集』に 「酒を讃むる歌十三首」として大伴旅人の和歌が残っている私は この一連が大好きで卒業論文に登場させてしまったほどである験(しるし)なき物を思はずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし(つまらない物思いをするぐらいなら 濁り酒を一杯飲んだほうがいいよなあ)賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするし優(まさ)りたるらし(偉そうに物を言うヤツよりも 酒を飲んで泣いちゃったりするヤツのほうが 俺はマシだと思うよ)なかなかに人とあらずは酒壷に成りにてしかも酒に染みなむ(なまじ人間なんかやっているより いっそ酒壷になりたいね そうして どっぷり酒に浸りたいもんだ)どうです?千年以上も前に こんな和歌が詠まれていたとは酒飲みという人種は 基本的には進化していない と言ってよさそうださらには こんな歌もあるあな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る(おー醜いこと 偉そうにして酒を飲まないヤツを見ると 猿にそっくりじゃん)「そう そう」と 思いっきり共感する人も多いだろう特に「賢しらをすと酒飲まぬ人」が 酒飲みは嫌いである「酒飲まぬ人」にはいろいろあって生まれつき飲めない人もいれば 酒の味が嫌いな人もいるそういう人が飲まないのは まったくの自由だが なかには 「酒飲みなんて ロクなもんじゃない」とか「私は 酒に頼るような低俗な人間ではない」とか言って酒を軽蔑して飲まない人がいるこれには カチンとくる酒を作り 飲む動物は 人間だけだつまり酒は 人間だけに与えられた喜びであるそれを理解せず バカにするような態度をとる奴は人間じゃねえ 猿だっ・・・・・と 旅人さんは言っているわけだ「一緒にお酒を飲んでみたい歴史上の人物」を選ぶとしたら私はまず 彼をあげるだろう百人一酒俵 万智ぽち よろしくお願い致しますね ~
August 30, 2006
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素敵な方に こんな言葉を教えていただきましたあなたのじんせいなんださきこぼれるほどにいきてください(あ・じ・さ・い)ちょっと 嬉しくなってしまいました私の人生なんだから咲き零れるほどに生きていきたいと思います(*'‐'*) ウフフフ♪調べてみたらひろはま かずとし さん とおっしゃる方の作品でした紫陽花6月の言葉で ・・8月は ・・・と探してみたらひまわりきょうはのんびり 生きてみよう9月は ききょうこの日を感謝する日がきっとくるねもうひとつこんな詩も ありましたけっしてあきらめずきっとなにもかもが うまくゆくとおもっているだけでほんとうに すべてがうまくゆくものですよ教えていただいてありがとうございますぽち よろしくお願い致しますね ~
August 27, 2006
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IV 夢のあと 《おまへの心は わからなくなつた 《私のこころは わからなくなつた かけた月が 空のなかばに かかつてゐる 梢のあひだに―― いつか 風が やんでゐる 蚊の鳴く声が かすかにきこえる それは そのまま 過ぎるだらう! 私らのまはりの この しづかな夜 きつといつかは (あれはむかしのことだつた)と 私らの こころが おもひかえすだけならば! …… 《おまへの心は わからなくなつた 《私のこころは わからなくなつた追分村の旧家に一人の娘がいて 立原はこの娘さんを愛するようになっていたこの「夢のあと」一篇は立原にはめずらしく 心に突きこんだ現れをみせている叙情の世界で溜息をつく詩の多い中でこの「夢のあと」は或日の机の上で書きちらしている間に 突然 殆ど自然にこんな現れを見せた四行を彼は別の紙に書いてのこしても宜(よ)い詩のうちへ入れたものらしい凡ての詩人の生い立ちには自分の詩をあつめたノートを綴じて詩集の仮装を作り上げて見るものだが立原も気に入った詩を書物のように纏め 何冊かを秘蔵したものらしくそのまま すぐに印刷にすれば一冊の詩集となる拵えであったこの詩にあるお前の心も 私の心もわからないという若さの曖昧さがいとも投げ遣りに悲しくつづられている私はその娘さんを一度も見たこともないが一緒に散歩くらいはしていたものらしくその途上にあった雑草とか野の小径や 林の上に顔を出している浅間山なぞが娘さんのからだのほとぼりを取り入れて 匂ってくるような彼の詩がいたるところにあった娘さんとの交際は一 二年くらいのみじかさで終り 東京の人と結婚したらしいいわば失恋という一等美しい 探せば何処にでもあってしかも何処にもないこの愛情風景が温和しい立原に物の見方を教えてくれただろうし心につながる追分村が ただの村ざとでなくなっていたのであろう立原は村の油屋という旅館で 生涯の夏の大半を送った「我が愛する詩人の伝記」 室生 犀星 より自分の心 いつになってもわからない私若さの曖昧さ ?いつまでも 若い ってことかしら・・・若いですけど。。。心に突きこんだ現れ ・・「失恋という一等美しい愛情風景」私はどんな経験をし どんな物の見方をしているでしょうか ・・詩人のような見方をしてみたいものです 。。ぽち お願いしますね ~花お花がいっぱい お花 大好きです
August 25, 2006
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先日 「コンピュータが作った歌謡曲の詞」を載せましたが同じ本「名文」から 今日は「悪文の性格」の部分を紹介致します中村 明ともかく悪文は読みにくい読みやすくしたら「駄文」に堕ちてしまう読みにくいところが身上であるそして 読みにくいということは間違いなく欠点なのだがそれがそのまま利点になることもあるすらすら読めない どうしてもつかえるところが なかには引っかかりながら読むのが読書の愉しみだという人さえいるのである逆説でも極言でもなく 頭に入りにくい悪文がそのためにかえって心に入りやすいということはたしかにありそうだだれでも躊躇なくあげる天下の悪文家瀧井孝作の例を引くまでもないだろう文章家谷崎潤一郎が 自分とはおよそ対照的な あちこちに突っかかる瀧井の文章をゴツゴツ派というひとつの調子として認めたのはある種の見識を示したものとして評価される以来 瀧井孝作は大悪文家として一方の峰に立つこととなったしかし 悪文は真剣に書かなければならないいい加減に書いたら ただの「悪い文章」になってしまう悪文は読むだけでも大変なのだからそれを読む者の努力が報いられるだけのせめて歯ごたえがほしいのであるこの作家が精進こめて書いた「稚拙まるだしの小児のような」文章が瀧井文学と根本的に結びついておりもし文章が洗練されたら 作家としての全存在を失うだろうと見るのは正確だこの以前にぼくが新傾向の俳句を只好きで作った時分ぼくが大阪でこのY君と話合う風になって君はよく文学のすじみちを解いて話してくれて君はぼくを意識的の方向に目覚めさせてくれた而してぼくが当時流行った俳句を一寸ちがった句が作れる風になってこれは君がぼくに文学の理論を吹き込んだからだった瀧井孝作 『Y君とぼくと』んー 確かにわかりにくいですね・・なかなか頭に入って来ないですわかりやすい文章 悪文 名文 ・・・ 悪い文章 文学作品として 立派なもの 。。私は わかりやすい作品に どうしても惹かれてしまいますがみなさんは どう思われますか ?ぽち お願いしますね ~読書
August 23, 2006
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先日 主人と待ち合わせをしました夜 「明日は 国際展示場 行って来るから」 そう言うので ・・・・・いつもだったら 「あ そう」 と送り出して私は家で のーんびり なのですが「いってもい~い?」と 聞いてみたのです「朝 七時半に出るぞ」 「それは無理」「食事の片づけして 洗濯して 後から行くから 待ち合わせね~」ということで こちらは9時ちょっと前に出発で 結局 会ったのは12時半・・ランチバイキングのお店に 入りました まず 私がとりに行って ・・・・「そんなに持ってきて 食べられるんか?」「食べられまーす ~」そういいながら 今度は 主人が。。。。。んー きっと恋人同士だったら 待っているんだろうなあ と思いながら食べはじめる私 。。。。m(_ _)m ゴメンナサイ「あら それおいしそうね」「コーヒー持ってくる」そんなことを言いながら ・・・ふと 今読んでいる本に書いてあることを 聞いてみました「私のどこが好き?」思わず噴出してしまいそうですが 「あのね 本に書いてあったから ・・・・」と 取り出して 見せながら 読んでみたのです 。。。。「私のどこが好き? と 恋人なり夫なりにたずねたときどう答えられるのがうれしいか というテーマで友達と話したことがあるどう というのはつまり 内面をほめられたほうがうれしいか それとも外見か ということである驚いたことに 外見をほめられたほうがうれしいにきまっている と大半の女友達が答えた」『錯覚』この後 まだ いろいろと書いてあるのですが ・・・・普段 殆ど話をしない人なのに この本《「今、何してる?」 角田光代》がきっかけで「あらパパ 今日はよく話してくれたのね」というひとときを過ごすことができました 。。。。。「十割の友達が私をおだやかな人間と思っているなかでいとしの恋人だけが 私を短気女だと信じていた」という『言葉』「女の子の いや 私の荷物を持ってくれる男の子にはじめてあったのは三十歳になってからであった」という書き出しの『荷物』「さて私は 男の人とともに買いものができない いや正確にいえば母親だろうが女友達だろうが できるなら人といっしょに買い物にいきたくない」という『買い物』 ・・・まだ 少ししか読んでいませんが 「私の場合は ~」 って考えるのがとても楽しい本です レストランを後にして「ねえ ウエイター ウエイトレスの人って いろんな人見ててこの人達は 恋人 ・・・ こちらは 夫婦 ・・ 友達 ってわかるんでしょうね 」って話したら「もー 他人 全くの他人!」ですって やーね「そうね 他人に戻るのも いいかもね ~もう一度 他人からやり直しましょうか 。。。でも 絶対 ん年一緒の夫婦 って わかっちゃうなー」 (#^_^#)うふふ 「・・まあ うまかったよな バイキングでもひとつひとつ丁寧に よくつくってあっていい味だった。。。。」「だって 料理の鉄人のお店・・・ テレビにもよく出てる 。。。また待ち合わせしましょうね 。。。。」そう話して また 展示場に消えて行きました私は パレットタウンへ ・・・・そんな夫婦です。。。。。読書
August 21, 2006
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図書館で こんな本を見つけました題名に惹かれて 思わず書棚から手にとってパラパラとめくってみました「これが私のやさしさです」谷川俊太郎詩集窓の外の若葉について考えていいですかそのむこうの青空について考えても?永遠と虚無について考えていいですかあなたが死にかけているときにあなたが死にかけているときにあなたについて考えないでいいですかあなたから遠く遠くはなれて生きている恋人のことを考えても?それがあなたを考えることにつながるとそう信じてもいいですかそれほど強くなっていいですかあなたのおかげで「二十億光年の孤独」や「六十二のソネット」「愛について」 「絵本より」などからの作品集です私も 強くなりたい・・・・強く なっちゃったかな?どうでしょ?もうひとつ新しい荒野 アポロ11号花はないだろう種子も微風はないだろうおくれ毛も小鳥はいないだろうプランクトンもただ人だけがひとりの人だけが立っている新しい荒野に(いかつい宇宙服に包まれたもろい肉体)だが愛はあるだろう偏見も勇気はあるだろうおびえも無数の言葉はあるだろう(おお見知らぬ神よ!)沈黙もただ人ゆえにたったひとりの人ゆえに新しい荒野に詩
August 18, 2006
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真冬にブログを書き始めて あっという間に真夏「お花のお店を紹介します」 ってお花のことばかり書いていたのに段々 詩やいろいろな言葉を載せたくなって新しく 「彩工房 彩花」を開設したのが2月のことずっと違う感じで書き進めていたのですがだんだん 同じような感じに ・・・形式までおんなじにしてしまいましたでも また違うこと 違う書き方 したくなる日も来るかもしれませんね。。。。。。「彩工房 彩花」の方は 夏休みで 「子供の作文」にしてみました覗いてみて下さいね 。。。(*^.^*)こちらは 久しぶりに 俳句を載せますね 。。。。炎天の遠き帆やわが心の帆 山口 誓子『遠星』「昭二二』所収明治三十四年京都生まれの俳壇の長老見方によって青年のあこがれ心を詠んだ青春の句とも孤独な心境を遠い白帆に託した述懐の句とも読める俳句という短詩は作者の真意を露骨に告げず不思議に美しい 時を超え心理を超えた世界を示すことがあるこの句のように 実際には終戦一週間後の昭和二十年八月二十二日の作誓子は伊勢の海辺に病を養っていた落魄といえば一番近いだろうような心境から生まれた句だろう新編 折々のうた 大岡 信 より夏の河赤き鉄鎖のはし浸る一点の偽りもなく青田ありピストルがプールの硬き面にひびき俳句
August 14, 2006
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子供の頃を思い出してちょっと本屋さんで 受験コーナーなど覗いて・・・何年ぶりかで(?) 現代文の問題を解いてみました絶対できないなあと思いながらヒントを参考にして のんびりと・・・・問題集 いい文章たくさん載っているんですよね・・・問題解くだけだから いろんな作品からの抜粋なんですけど解くよりも 読んでて感激してたこと 思い出しました少しずつでも 素敵な文に出逢いたくて問題集 見てたような気がしますそれだけでは点数に繋がらないんですけど 。。。今日も 子供の頃と同じ作品見つけてあら ・・何年経っても 変わらずに取り上げられる作品って あるのねって 嬉しくなりました確かに 読み方がふかーくなるような気がしますけど・・・今は 勝手に問題解くだけで誰にも採点されないのが いいですね。。。。まあ結果は ・・・ 内緒にしておきますね。。ミロのヴィーナスを眺めながら 彼女がこんなにも魅惑的であるためには両腕を失っていなければならなかったのだと僕はふと不思議な思いにとらわれたことがあるつまり そこには 美術作品の運命という 制作者のあずかり知らぬ何ものかも微妙な協力をしているように思われてならなかったのであるパロス産の大理石でできている彼女は 19世紀の初めごろメロス島でそこの農民により思いがけなく発掘されフランス人に買い取られて パリのルーブル博物館に運ばれたといわれているそのとき彼女は その両腕を故郷であるギリシャの海か陸のどこかいわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであったいや もっと的確にいうならば 彼女はその両腕を自分の美しさのために 無意識的に隠してきたのであったよりよく国境を渡っていくために そしてまた よりよく時代を超えてゆくためにこのことは 僕には 特殊から普遍への巧まざる跳躍であるようにも思われるしまた 部分的な具象の放棄による ある全体性への偶然の肉迫であるようにも思われるぼくはここで 逆説を弄しようとしているのではないこれは ぼくの実感なのだミロのヴィーナスは 言うまでもなく 高雅と豊満の驚くべき合致を示しているところのいわば美というものの一つの典型であり その顔にしろ その胸から腹にかけてのうねりにしろあるいはその背中の広がりにしろ どこを見つめていても ほとんど飽きさせることのない均整の魔がそこにはたたえられているしかも それらに比較して ふと気づくならば失われた両腕は ある捉え難い神秘的な雰囲気いわば生命の多様な可能性の夢を 深々とたたえているのであるつまり そこでは 大理石でできた二本の美しい腕が失われた代わりに存在すべき無数の美しい腕への暗示という不思議に心象的な表現が 思いがけなくもたらされたのであるそれは 確かに 半ばは偶然の生み出したものであろうがなんという微妙な全体性への羽ばたきであることだろうかその雰囲気に 一度でもひきずり込まれたことがある人間はそこに具体的な二本の腕が復活することを ひそかに恐れるにちがいないたとえ それがどんなにみごとな二本の腕であるとしても清岡卓行 「手の変幻」読書
August 9, 2006
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久しぶりに 武者小路実篤詩集より「雨の中の樹々」しとしととふる雨に樹々はしずかに立っている運命にすなおなことこれ以上に出ることは出来ない武者小路実篤いいですね・・・こういう詩詩
August 4, 2006
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面白い作品を 見つけましたコンピュータが作った歌謡曲の詞今 パソコンでも 自動翻訳ができますがなんか変 ・・そんな 機械による言葉について 中村 明さんが 書いています『名文』 「名文が大事にするひとつのもの」以前 計量言語学の研究上のひとつの道程としてコンピュータに歌謡曲の作詞をさせるという試みがあったその出来のよしあしについてなぜか機械自身はなにも情報を送ってこないだから 機械に命令した人間のほうが「これはわりといけるんじゃないか」とのたまった作品を引用するもう一度来い 嵐の去った後の涙そうよ あなたの愛をいつも木枯らし寒い冬も陽だまりあるかぎりラブラブラブラブ愛にしがみつく私なのよこの作品が歌謡界で通用するレベルのものかどうか 私は知らない略しかし どこまで行っても 機械のことばが人間の手作りの文章に及ばない点があるよく言われる創造性の欠如はその一つかもしれないコンピュータにいれるものはすべて既成表現を分解した要素だからまったく新しいものはたしかに生まれえないしかし 表現以後で考えるなら 人間の作った文章だって既存の言語要素の選択と配列によって成り立っていることに変わりはないだから機械のことばが人間の文章と決定的に違うのは その点よりも 私はあの「なにか」としての”雰囲気”を持ちえないという点だと思いたいつまり コンピュータの出力には人間的な切実感がないのだそもそもコンピュータには創作動機というものがないのだから当然そこに内面的な切迫感の根づく土壌など考えようがないわけだ人格による裏うちがないからであるこういうものは 「巧い文章」になることはあっても決して「名文」にはなりえないのである読書愛 そして花
August 2, 2006
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