窓辺でお茶を

窓辺でお茶を

December 10, 2006
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 辺見庸さんは脳梗塞のリハビリ中に直腸癌と診断され手術を受けました。抗がん剤を使ったので免疫力をあげたいのだが、副題の後半を発音すると免疫が下がってしまうのであまり触れません、と前置きして始まった講演です。健常という幻想を持っていたころより生きている実感があるそうです。「今」は明日への手段ではなく、「今」が最終到達点であり、永遠である。「永遠の今」…それは健常だと思っている人も含め万人に等しいこと。

・ 内心の声に耳をすまし、「単独者」としてものを考える
・ 自分の内心の声を聞き、他者の内心の声を聞く
・ 内心の声に耳を澄まし、承認できないことをとことん拒む
・ 内心の声に従い、歌いたい歌を歌い、踊りたくない踊りは踊らない
・ こういう権利を侵してくるものにはあらがう。力尽きたら沈黙の海に入水するしかない
・ 内心の声に照らして、嘘をつかない

この講演ともうひとつの講演をもとに本が出版されるそうですので、詳しい内容はそちらをごらんになってください。一部分をとりあげると誤解を招くようなところがあるかもしれませんので。
ご報告というより、自分のためのメモみたいなものになってしまいました。



 自衛隊海外派兵や教育基本法、憲法、共謀罪など、数年前なら考えもしなかったことが平気で行われているが、いちばん貶められたのはことばである。
「ことばの力を信じている」と何億円も使って広告しているが、本当にそう思っているなら黙って実証すればよい。「まっすぐ真剣」なども同様。一番深く侵されたのは状況ではなく、コミュニケーションであり、言語である。資本に買われたことば、売り渡されたことば、レイプされたことば…そんな贋金のようなことばの対極にあることばとして、辺見氏は脳梗塞で頭もぼんやりしていたころ介護してくれた看護師のことばと、ある死刑囚の俳句を挙げました。ワルター・ベンヤミンによれば、ことばはそれ自身の純粋さを通してのみ人を神的なものへ導く。内奥の沈黙の核へ向かってことばを集中的に向けていく場合にのみ真のことばの働きが得られる。

 憲法、とりわけ9条がぼろぼろになっていても、死守すべきという考えは0,1ミリも変わっていないが、第1条と第9条は相容れない。

第2章 SchandeとSchamについて

 近頃ドイツ文壇の大御所ギュンター・グラスが少年の頃ナチスのSSだったと告白して騒ぎになった。17歳で自らの意思でなく召集され1年もいなかったのだし、自分は弾を撃たないうちに流れ弾に当たって負傷したのだったにもかかわらず、自分のSchandeだと言った。新作を売ろうとしているのだという人もいるが、出版社はともかく、本人は本当に恥を隠しているのがつらかったのだろう。Schandeということばは日本語の「恥」よりもっと重く深いことばである。日本ではそんなことが起こるだろうか。仮にそんな告白をしても誰も驚かないだろう。この国の病的なまでの主体性のなさ、無責任さの責任は我々自身にある。恥を感じる感覚の深いところが侵されている。
監視社会というが、監視装置はすでに体内化している。

第3章 永遠に単独者であること

 組織を離れろというのではなく、自分の言説に個体として身体を賭して責任を持つということ。

第4章 ロールプレイングゲーム

 1943年ひとりのふるえる中国青年を囲んで教養ある医師たちがなごやかに談笑しなあら、陸軍のために手術の技術を身につける目的で健常な身体を切り刻もうとしている。その医師の中に自分がいたらどうしたか。中国人が逃げるそぶりをみせたら、他のひとがやるのと同じように押し戻しただろう。天皇制ファシズムの苛烈さはナチスに劣らなかった。


どうしたらよいのか?


「この社会は摩擦がなく、道理にかなった民主的な不自由が行き渡っている」というのはマスコミには表現できない単独者のことばである。

 「美しい国」という贋金に対抗する硬いことばを皆で、でも単独に発していこう。


私より華氏さんがきちんとまとめていらっしゃるので、ご覧になってください。
華氏451度





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最終更新日  December 10, 2006 10:15:17 PM
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