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歌舞伎座にて一幕見で「愛陀姫」を見てまいりました。チケット売り出しの30分以上前に行きましたが、「紅葉狩り」から引き続きご覧になるかたが多かったので、立ち見でした。以下ネタばれありますので、ご注意ください。 「愛陀姫」とは、オペラ「アイーダ」を野田秀樹氏が歌舞伎に書き換えた作品で、いつもの歌舞伎とは一風変わった趣向になっています。舞台装置も回り舞台を利用しながらも歌舞伎とは違う工夫がしてありました。音楽も、「清きアイーダ」や「凱旋の歌』が邦楽器や洋楽器で演奏されたり、最後の場面にはマーラーの5番が流れたり。 木村駄目助左衛門なんていうと、ヒーローらしからぬ名のようですが、よく見るとキムラダメスケザエモン、と「ラダメス」がはいっています。 身分のつりあわない家臣の駄目助左衛門に思いを寄せる濃姫は、霊を降ろしてお告げをするふりをして壷を売りさばいているインチキ占い師に、戦いの神が駄目助左衛門を総大将にするよう告げている、と言わせ、勝って凱旋した駄目助左衛門に当主斎藤道三は褒美に娘と結婚させると言いますが、実は駄目助左衛門は敵国から来て濃姫の侍女になっている愛陀姫と相思相愛の仲なのです…と、「アイーダ」とほぼ同じストーリーです。 ユーモアあり、泣かせる純愛あり、面白くて一見の価値ありですが、宝塚判アイーダ「王家に捧ぐ歌」のような高揚感やすっきり感はありません。愛陀姫は、宝塚版アイーダのように、暴力の連鎖は自分の側から止めようというしっかりした信念を持った女性ではないので、後の世の人に何かを残すわけではありません。愛陀姫と駄目助左衛門のふたつの魂は一緒に空に上ってゆきますが、地上では、敵国の織田信長と政略結婚することになった濃姫が平和など来ないようにと呪い、最初濃姫を恐れていた壷売りは増長して権力の中枢にはいりこんで濃姫の運命までも左右できるようになってしまっているのです。(統一教会系の大会に祝電を送った安倍前首相が、祝電は秘書が勝手に送ったと弁明したのを思い出してしまいました。) それにしても、文楽も新しい風を入れる、というのなら、「狐と笛吹き」みたいな半端に新しいような古めかしいようなものではなく、このくらいやってほしいなあ。
August 15, 2008
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小学生の頃からの憧れ、宝塚大劇場に行ってまいりました。観劇したのも、子どもの頃大好きだった「紅はこべ」。題名の「スカーレット・ピンパーネル」とは紅はこべのことなのです。ブロードウェーミュージカルで、本邦初演とのこと。 舞台は理想を追っていたはずのフランス革命が、ジャコバンの恐怖政治に変質してしまった頃のフランス。民衆がマダム・ギロチンはまだまだ血に飢えている、と叫ぶシーンに、「吊るせ吊るせ」と世論が叫ぶ日本の今を連想してしまいました。紅はこべは貴族をイギリスに脱出させる秘密組織で、首領のイギリス貴族、パーシー・ブレイクニーとその友人達は疑いの目を向けられないためにおしゃれと狩りにしか興味がないふりをしています。パーシーはコメディ・フランセーズの女優マルグリットと結婚しますが、マルグリットがある貴族の居所を革命政府に教えたのではないかと疑い、気を許せないでいます。マルグリットは革命の側にいたことがあり、紅はこべを追う革命政府のショーブランとは恋仲だったことがあるのです。 パーシーとマルグリット役の主演コンビ、安蘭けいさんと遠野あすかさんは公演ごとに違う顔を見せてくれますが、歌も上手な実力派で、ブロードウェーミュージカルも安心して楽しむことができました。アドリブも毎日違うらしくて、客席も大喜び。 柚希礼音さんが敵役ショーブランで進境著しいです。悪役には魅力がないと面白くないと思うのですが、憎々しくも色気のある悪役になっていて、このミュージカルをひきしめ、盛り上げています。血も涙もない革命政府の人間でありながら、マルグリットとの過去の恋愛のこととなると、ちらと純情なところをのぞかせるところも。マルグリットの方は、理想そのものと、それを語る人を混同していた、と言います。 マルグリットが結婚前に舞台で歌うシーンや、貴族の舞踏会など、いわゆる輪っか(クリノリン?)のドレスの華やかな場面は宝塚ならではです。宝塚歌劇公式サイト
August 3, 2008
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東京宝塚劇場にて、月組公演「Me and My Girl」を見てきました。マイフェアレディの男性版ミュージカルと言ったところでしょうか。 ウイリアム征服王から続く由緒あるヘアフォード伯爵家は、当主亡き後、遺言状による相続人として、なき当主の若き日の身分違いの恋で生まれた落とし子を探していましたが、ついに探し当てます。ところが、彼、ウィリアムはロンドンの下町ランベスに育ち、スリが特技という、とうてい貴族社会になじめそうもない青年でした。話し方からしてやたら韻を踏む(日本語役の台詞ではだじゃれ)コクニーなまり丸出し。亡き当主の妹マリアはそんな彼も血筋だから教育によって立派な当主になれるはず、と厳しく教育しようとします。遺言状ではウィリアムが伯爵家にふさわしい人であり、ふさわしい女性と結婚する場合に限り跡を継ぐ、さもなければ年金をもらって隠居するべしとあるのです。けれども、ウィリアムがこの人しかいない、と考えている恋人サリーは魚市場で働く、やはりランベスの庶民で、とても貴族社会でやっていけそうもありませんでした。サリーは身を引こうとします… 主役ウィリアムの瀬奈じゅんさん、サリー役彩乃かなみさん、周囲を固める人たち、コーラスがそろって歌が上手な実力派で、月組のチケットの売れ行きがよいのに納得しました。友人が歌がうまくなったと言っていた瀬奈じゅんさんは、そのとおりで、コミカルな役をあぶなげなく達者に演じて大活躍。彩乃かなみさんがこの講演で退団してしまうのがとても残念です。宝塚歌劇団公式サイト Me and My Girl
June 10, 2008
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「METライブビューイング」というオペラ映画のシリーズから、プッチーに作曲の「ラ・ボエーム」を見ました。読んで字のごとく、MET/ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演を録画したもので、合間に指揮者や出演者のインタビューがはいっています。舞台裏から映した映像もあって、指揮者が呼び出されてオーケストラピットにはいったり、出番を終えたプリマドンナが機嫌良く戻ってきて、カーテンコールに出て行ったりするさまも見ることができました。 1幕目のロドルフォとミミの出会いの場面は、結末を知っているだけに、美しい音楽に涙を誘われそうになりました。字幕を見ながらだと、以前見た時の印象よりもっと複雑な部分が見える気もします。ふたりの出会いは初々しいようだけれど、ロドルフォはけっこう恋多き詩人のようだし、ミミも清楚な娘といっても、ひとりで刺繍で身を立てていられたのか、疑問がわいたりして。ミミ役のゲオルギウは、このゼフィレッリの演出に合わせて清楚な役づくりにしているけれど、本当はそうは思わないと幕間のインタビューで言っています。 大道具の転換も映し出されましたが、舞台の奥行きがあるので、1幕目の屋根裏部屋と2幕目のクリスマスの街角の舞台装置の転換は、そっくりできあがっていて人が乗っている状態で台車で入れ替えていました。昔上野文化会館で見たスカラ座の引っ越し公演では、2幕目では、奥行きを出すために紗の向こうにおとなの衣装を着せた子どもを歩かせていましたが、そんな必要もないのですね。 昔見たフレーニのミミは、ごく自然に純情可憐だったのですが、ゲオルギウはかわいく演じようとしすぎてちょっと不自然に感じました。でも、出演者全員が美声であぶなげない歌唱で、映画と言っても音もよくて、オペラを堪能することができました。 ロドルフォと別れて暮らしていたミミがロドルフォのもとで死にたいと言って、戻ってくる場面では、ロドルフォ役のラモン・ヴァルガスが、その前の幕間のインタビューで7歳の息子をなくしてから財団をつくった話をしているのを聞いたあとだけに、なんだか胸が痛くなりました。 思いつくまま、まとまりがない文章になってしまいました。まだいろいろなオペラをこのシリーズでは見ることができるようです。METライブビューイングEduardo Vargas Memorial Fund
May 29, 2008
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また文楽の話題です。「冥途の飛脚」を見てまいりました。有名な近松門左衛門の作品です。いくつか改作のバリエーションがあります。 最初は飛脚屋亀屋の店先。お金を届けるのを業としていますが、支払っているはずのつけの請求が来たり、為替が届かないと督促が来たり、大きな農家の息子で縁あって養子となった忠兵衛の様子が最近おかしいと、養母が不審がります。ちり紙を2,3枚いっぺんに使って洟をかむようになった、どのくらい持って出かけたが帰ったときに残っていないなどとしっかりチェックしているあたりに、昔の人のつましい生活がうかがえます。紙も貴重なものだったのでしょう。 実は忠兵衛は遊女梅川に入れあげて、他の人から身受け話が出ているのを止めようとお金を使いこんでいたのでした。帰ってきても敷居が高く、下女から様子を聞こうと気のあるふりをするところがこっけいです。それにこの人の身の破滅になっていくいい加減さが表れているようでもあります。 八右衛門は最初の版では友人として忠兵衛を心配しているのかと思っていましたが、どうも侍から預かったお金の封印を切らせるようにわざとそそのかしているようですね。 忠兵衛を心配する梅川のしおらしさといじらしさに目頭が熱くなりました。 ふたりが逃亡して行く新口村の場面は、歌舞伎では梅川は黒地に裾模様の着物ですが、文楽は町人の妻らしい小さな柄の地味な小紋を着ています。前に見たときもそうでしたかしら?忠兵衛の実父は登場しないまま幕になります。 太棹三味線の音を間近で聞くのはやはり楽しいものです。 終演後半蔵門駅近くのイタリアンのお店で遅いランチをとりました。混んでいて入るのにちょっと待ちました。ワインが進みそうな味付けで、ワインなしで食べるにはちょっと濃い目でした。パンがとてもおいしいです。普通のマンションの一階にありますが、木の扉を開けるとなかなかよい雰囲気で、イタリア語、英語、ドイツ語も聞こえる店内でした。ランチはお手ごろ価格です。エリオ・ロカンダ・イタリアーナ
February 16, 2008
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東京国立劇場小劇場にて文楽「義経千本桜」を観ました。今回の上演は狐忠信が登場する「伏見稲荷の段」「道行初音旅」「河連法眼館の段」です。 「伏見稲荷の段」は歌舞伎では「鳥居前」と呼ばれていると思うのですが、桜の花盛りの中、上手に朱塗りの鳥居があって華やかです。そこで落ち延びてゆく義経一行に静御前が置き去りにされるのですが、追っ手に捕まりそうになったとき、佐藤忠信が登場し、助けます。だいたい、静御前がすがりつくからといって縛って置いていったら危険だと思わないのか?などと言いっこなし。ところが忠信の様子がちょっと変です。まず狐が登場し、花の陰にはいったと思ったら義経の家臣佐藤忠信が登場するのですが、狐のいかにも狐らしい仕草が勘十郎さんはとても上手です。 「道行初音の旅」は忠信につきそわれて花盛りの吉野山を静御前が義経の後を追って旅をします。もともとは桜の季節の話ではないそうなのですが、舞台の効果を狙って桜が描かれるようになったとか。忠信が合戦の様子を語って聞かせます。静御前が投げた扇を忠信がはっしと受け取って拍手喝采を浴びていました。 「河連法眼館の段」は歌舞伎では四の切りと呼ばれる場面で、猿之助歌舞伎だと猿之助さんが欄間から出てきたり欄干の上を歩いたり大活躍の見せ場でしたね。文楽も途中ちょっと眠くなるところがありましたが、狐があちこち思わぬところから登場してけれん味たっぷりです。この段で忠信がふたり登場して、静御前につきそっていたのが実は狐で、鼓の革にされている両親を慕ってついてきたのだったとわかります。鼓をもらって大喜びして去っていくところは、なんと文楽も珍しい宙乗りです。 華やかで楽しい公演です。ひと足早いお花見も楽しんだ気分になりました。
February 12, 2008
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今年最初の観劇です。東京宝塚劇場にて星組公演「エル・アルコン ― 鷹」「レビュー・オルキス 蘭の星」を観ました。面白かったです!「シークレットハンター」以来の子供の頃のワクワク感をたっぷり味わってきました。歌舞伎と同様、大衆演劇が洗練された宝塚の面目躍如です。 原作は青池保子さんなだけあって、登場する男性が格好いい。主演の安欄けいさん演ずるティリアンは七つの海を制するという野望のためなら、手段をいとわない、冷酷な男。女性の扱いや雰囲気がちょっと雷蔵の眠狂四郎を連想させます。なかなか官能的。でも、狂四郎のように孤独なニヒリストではなく、スペイン人の血を引き、スペインに内通していながら、英国海軍に属し、順調に出世しています。行く手を阻もうとするのは、父をティリアンに無実の罪で処刑され、復讐を心に誓って海賊となったルミナス(柚希礼音さん)とフランス貴族の称号を持つ女海賊で通称フルール・ブランシュことギルダ(遠野あすかさん)。ギルダは代々の領地である島をスペインに狙われ、スペインのために動いているティリアンを憎んでいました。もちろん憎みっぱなしでは終わりません… 時代はエリザベス1世の頃。おりしもネーデルランドがスペインから独立しようとしています。それを阻もうとするスペインと、同じプロテスタントとして独立を支援するイギリスが覇権を争っています。歴史には弱いのですが、たしか、スペインもネーデルランドもハプスブルク家が治めていたのですよね。スペインのフィリップとはフェリペ何世だっけ?などと思いつつ観ていました。(余談ですが、その頃、海賊女王と呼ばれた女性が実在していました。アイルランドに城を構えるオマリー家のグレースで、アイルランドに侵攻しようとするイングランドに抵抗して戦いを指揮し、何度も捕まっては救出され、晩年にはエリザベス女王に対面し、お互い理解しあったと言われています。ミュージカルになっているそうですね。) いわゆるコスチュームプレイで衣装も豪華で、物語のスケールも壮大で、原作は買ったけれど読んでいなかったので、この先どうなるのかと本当にドキドキしてしまいました。せりを多用していたのも印象的でした。休憩時間も興奮冷めやらぬ状態でした。 休憩後は「レビュー・オルキス 蘭の星」。蘭をモチーフに華やかな舞台が繰り広げられます。アルゼンチンのコロン劇場バレエ団の芸術監督を務めるオスカル・アライス氏が振り付けを担当している部分があって、いつもの宝塚と少し違うダンスが見られました。何度も通いたくなってしまいます。
January 4, 2008
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東京宝塚劇場にて花組公演「アデュー・マルセイユ」「グランド・レビュー ラブ・シンフォニー」を観ました。宝塚歌劇団公式サイト 花組トップスター春野寿美礼さんの退団公演です。警察と癒着した犯罪組織「スコーピオン」、偽札、密輸と、どうなるのかとどきどきする状況なのですが、それにしては冗長な感じの展開で、春野寿美礼さんの歌唱力に救われているように思いました。そこは宝塚なので、女性の選挙権獲得のために活動するグループ「アルテミス」のリーダー、マリアンヌとの恋愛がからみます。自分達をギリシャ神話のアルテミスとオリオンになぞらえるふたり。とするとスコーピオンに刺されてしまうのか?もうすぐ千穐楽なのでネタをばらしてしまうと、ハッピーエンドといえばハッピーエンドでした。 レビューはいつも書いていますが、電飾、スパンコールがキラキラ、心が晴れやかになります。ミラーボールの光が客席も含め会場全体に降り注ぐとなんともいえない一体感に盛り上がります。曲によっては、手拍子が起こります。どの場面も華やかで「これぞ宝塚」と堪能しました。それにしてもこれだけ歌の上手な人が退団してしまうことは残念。 帰りに通りかかったミキモトのクリスマスツリー、携帯で撮りました。ボケボケですが、雰囲気だけご覧下さいませ。この写真ではよくわかりませんね。赤とゴールドのデコレーションボールというのかな?をたくさんつけてありました。 どちらかといえば昔ながらのデコレーションが好きです。LEDの光は温かみがなくてあまり心が浮き立ちません。カズ姫さんが書いていらしたように、スピリットがこもらない大げさなイルミネーションには、私はかえって寒々しくわびしい気分になってしまいます。
December 22, 2007
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昨日は新百合ヶ丘の昭和音大・テアトロジーリオショウワにバレエ「くるみ割り人形」を見に行ってきました。大和シティバレエジュニアカンパニーの公演です。「くるみ割り人形」はストーリーがクリスマスのできごとなので、クリスマス前に上演されることが多く、一度見てみたいと前から思っていました。というのも、E.T.A.ホフマンの原作が好きで、クリスマス近くなると読んでいた時期もあったくらいですので。 ドロッセルセルマイヤーおじさんの不思議な言動や、人間業ではできないような細かい細工のねずみの王様の王冠を、ドロッセルマイヤーおじさんが「それは私のステッキの飾りだ。落としてしまって探していたのだ」ととりあげてしまうところなど、幼いころには、なにかおとなに騙されたような腑に落ちないことがあったなあ、と思えるところがこの物語の魅力ではないでしょうか。ホフマンのほかの物語のように恐くなく、ハッピーエンドです。バレエでは原作ではマリーという名がクララに変えられています。「こんな幼い子が恋をするなどありえないと思うか?」という問いかけには、バレエの作者はありえないと考えたのか、そのあたりも変えています。 なかなか見ごたえがあるカンパニーだという友人の薦めもあって、思い切って出かけましたが、本当に見てよかったと思いました。バレエはあまり見ていませんが、それでも昔に比べ日本人ダンサーのレベルがあがったように思いました。舞台装置や衣装も美しい色合いで素敵でした。クリスマスツリーの発光ダイオードがちょっと合わなかったですが。しばし楽しい夢の世界に誘われました。でも、この素適な舞台を作る人たちは、どれだけ大変な努力を重ねていることでしょう。 そして今日、楽しいことがありましたが、秘密?です。
December 16, 2007
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文楽の地方巡業公演昼の部を見に東府中まで行ってまいりました。人形遣いの一輔さんのあらすじ解説のあと、「近頃河原の達引」が始まりました。 四条河原で伝兵衛は、主家の盗まれた家宝をめぐって人を殺してしまいます。伝兵衛に恩義を感じている久八が来合わせて、自分が引き受けるから逃げるよう言いますが、その場に落とした小刀から伝兵衛が下手人だとばれてしまいます。伝兵衛と深い仲の遊女おしゅんは実家に返されていますが、兄の与次郎と母はおしゅんが伝兵衛と心中するのではないかと心配でたまりません。母は近所の少女に三味線を教え、与次郎は猿廻しをして細々と暮らしています。ふたりはおしゅんに伝兵衛宛てに絶縁状を書くようにいい、おしゅんは手紙を書きますが、目の不自由な母と読み書きのできない兄には内容が読めません。夜こっそりと伝兵衛がやってきて、初めて手紙に死ぬ覚悟が綴られていることがわかります。母と兄は、ふたりに心中せずに1日でも長く生きてくれといい、門出にめでたい猿廻しを見せて送り出します。悲しみを隠して明るく猿たちを遣うところが見どころです。 猿は人形遣いさんがひとりで二体遣います。けんかしたり、与次郎にとびついたり、かわいらしく楽しいです。この作品は最初素浄瑠璃で聞いて、情景を想像していたのですが、貧困の中明るく振舞っている与次郎、ここまでひょうきんな振舞いをしているとは思いませんでした。逆立ちまでしてみせます。いつも二枚目や美女の役の簔助さんが遣っているのも珍しく感じました。猿廻しの場面の三味線の響きもおもしろいです。 休憩後は義経千本桜より「道行初音の旅」。桜の花盛り(本当は季節ではないとか)の吉野山へ義経を訪ねて行く静御前と、静の持っている初音の鼓を慕って佐藤忠信に化けてお供をする源九郎狐の舞踊です。初音の鼓には源九郎狐の両親の皮が張ってあるのです。(ちなみに「猫の忠信」という落語があります)とにかく華やかで目の保養になります。静御前が後ろ向きに扇を投げて忠信が受け取るところは拍手喝さい。文楽座スケジュール
October 20, 2007
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日生劇場にて宝塚歌劇団公演「キーン」を観ました。公式サイト作詞・作曲/ロバート・ライト、ジョージ・フォレスト脚本/ピーター・ストーン潤色・演出/谷正純 翻訳/青鹿宏二 19世紀に実在したシェークスピア役者エドモンド・キーンを描いた作品で、デュマの戯曲をしたサルトルの戯曲を下敷きにしているそうです。シェークスピアの台詞がたくさん使われ、劇中劇もあります。安欄けいさん主演の「シークレット・ハンター」が宝塚らしい薔薇色の夢の典型なら、こちらは宝塚の限界を超えるような試みと言えるでしょう。主演の轟悠さんの力の見せ所です。以下、ネタばれですので、ご注意ください。 ドルリーレーン劇場で活躍するシェークスピア役者キーンは絶大な人気を博していて、「キング」と呼ばれていましたが、妥協のない衣装、贅沢と浪費、自らが貧しい境遇に育ったことから大道芸人や娼婦、貧しい人たちに気前良くお金をやったりおごったり、劇場に招待したり、怪我をした人のためにチャリティー公演をしたりしていたために借金をかかえる生活をしていました。貴族に招待されたり、プリンス・オブ・ウェールズとは友人のようにつきあっていましたが、所詮、舞台を降りれば卑しい身分の役者、法の外におかれた存在です。人が絶賛するのは舞台の彼であって自分ではない。キーンとは誰なのか、と悶々とします。数々の女性と恋愛ごっこをしてきたキーンがデンマークの大使夫人、エレナ・デ・コーバーグ公爵夫人だけには本気になります。ところがプリンス・オブ・ウェールズもエレナに惚れてしまったのです。 オセロを上演する日、エレナにはプリンスを無視するよう頼み、プリンスにはエレナと同席しないよう頼むキーン。けれども、ふたりは同じ桟敷で、急遽代役でデスデモーナを演じている素人の商人の娘を指して嘲笑する始末。それを見たキーンは劇を離れてプリンスに非難のことばを投げつけてしまいます。人々はキーンを非難し、キーンの名声は一転して地に堕ちてしまいました。キーンに助けられた貧しい人たちだけがキーンの味方をしようとしますが、群集に暴力をふるわれてしまいます。キーンはエレナに一緒に逃げようといいますが、エレナも所詮キーンの舞台を観て恋に恋していたのだと知ります。皇太子を侮辱した罪でキーンは逮捕されますが、皇太子は舞台で謝罪するなら減刑すると言います。舞台でキーンはシェークスピアの台詞を次々引用するうちに、舞台が、役が、自分をつくるのだと悟り、水を得た魚のように生き生きと語り始めます。謝罪のことばでなく台詞ばかりではないかと最初怒った皇太子の顔にも微笑が浮かびます。 この場面、突然キーンが目覚める瞬間に鳥肌が立ちました。轟さんは一段と低い声が出るようになったように思います。性転換したのかと思うくらい(ごめんなさい!)稀有なコントラアルトです。そして複雑な役を意欲的に演じています。私が見た轟さんは貫禄のある役ばかりだったので、貴族の館でも自分がめずらしい動物のように見られているのだと意識し、絶大な人気のかげでお酒に溺れるような、今までと違う演技が見られて嬉しかったです。 「シークレット・ハンター」でラテン系男性を演じていた柚希礼音さんが今回は皇太子を貴族然と格好良く演じていました。宝塚の限界を感じたのは、オーディションで出演者を決めるなら、脇役まで実力派で固めてひきしまった舞台になると思うのですが、これからおもしろい舞台が始まるぞと期待させるべき幕開きの歌とダンスがちょっと迫力不足だったりするところです。民衆がキーンをいっせいに非難するようになっても、キーンは私達の王様と言い続けて暴力をふるわれた貧しい人たちが、「深い霧が晴れれば太陽がみえる」「私達にはこれ以上失うものはないのだから、一歩ずつ前進しよう」と言う場面、感動ものなのですが、これで声量と歌唱力があったらもっと力があるのですが… とはいえ、見ごたえのある舞台です。宝塚向きロマンスではないためか、客席に空きがあるので(千秋楽は完売ですが今なら)もう一度見てみたいと思います。
September 13, 2007
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国立劇場小劇場にて「夏祭浪花鑑」を観ました。団七が悪人の舅を殺し、夏祭にまぎれて逃げる場面で終わることが多いように思うのですが、今回はその後まで上演されます。けれんというのか、一瞬で屋根の上のたちまわりに場面が転換します(人形と人形遣いが屋根にのって降りてくる)。 最初は武家の家来に手傷をおわせて牢にはいっていた団七が牢から出るのを妻と幼い息子、人情家の釣り船屋の三婦が出迎える場面です。「江戸を知らぬものと牢へ入らぬものとは、男の中の男ぢやないと言ふ。」えーっそうなんだ、とちょっとびっくり。慰めと励ましのつもりで言ったのでしょうけれど。床屋でさっぱりしてあかぬけたデザインの浴衣に着替えた団七。悪役めいて登場するけれど同じ主君の磯之丞を一緒に守ることになった一寸徳兵衛は涼しげな麻の着物。この場の大夫さん、三味線も漉ける生地の唐草模様の肩衣でコーディネートしています。 けれども、この磯之丞ときたら、芸者琴浦という女がありながら、手代に身をやつしてかくまわれてたら、その道具屋の娘お中とも恋仲になり、詐欺にあってお金を騙し取られたあと、詐欺師のひとりを殺してしまい、心中しようと一緒に家出するのです。なんと団七の舅義平次も侍になりすまして詐欺に加わっていました。それにしても、文楽歌舞伎に登場するお坊ちゃまは、どうしてこう、まわりが苦労して奮闘しているのに、浅はかでぼんくらでふらふらしているのでしょう。こういうのって日本の伝統なんでしょうか。「据え膳とふぐ汁食わぬは男の恥」なんて言って。それにひきかえ、磯之丞を落ち延びさせるのに送ってほしいと頼まれた徳兵衛の妻お辰は、若い男と同道するには顔に色気がありすぎると言われ、火鉢の鉄球を自ら顔に押し付けます。歌舞伎ではそんな顔になって徳兵衛に嫌われないかと心配するおつぎ(三婦の妻)に、「うちの人が惚(ほ)れたのは顔じゃござんせん。ここでござんす」と胸をぽんとたたくところが格好いいのですが、文楽ではやりません。 歌舞伎・文楽は常識や現実にひきあわせて見てしまうと、けっこうびっくりする場面があって話が前後しますが、お中が、迎えに来た詐欺とぐるの番頭、伝八にどうやって死ねばよいのか教えてほしいといい、伝八が枝にしごきを輪にしてかけて首を入れてみせたところを、三婦がうしろから突き飛ばして首を吊らせ、磯之丞が書いた書置きを置いて人を殺した罪を着せてしまおうとします。 団七は義平次のことをずいぶんと我慢していたのですが、琴浦をだまして売り飛ばそうとしたうえに、みけんに傷をつけられ、人殺しと騒がれてついに殺してしまいます。そのとき履いていた雪駄の片方をひろった徳兵衛は自分が罪を着るつもりでふところに入れて持ち歩いたり、徳兵衛が親殺しで捕まった場合、義平次の娘である妻のお梶と幼い息子が徳兵衛を竹ののこぎりで引かなければならなくなるからと、離縁させようとしたりします。けれども、雪駄が団七のものであることが知れてしまい、徳兵衛は団七を自分が捕らえるといって逃がす、というところで幕です。「義平次に意趣のない者は大阪中にひとりもいない」というのもすごい。 めりはりがあるストーリーとダイナミックな動きのある演目で、夏の風情もよくて楽しめました。祭囃子を背景に惨劇が行われる場面がなんといっても有名です。
September 8, 2007
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銀座歌舞伎座にて納涼歌舞伎第2部を観ました。急にいらっしゃれなくなったかたの代わりに、ということで、めったに手に入らないようなよいお席で見せていただきました。申し訳ないみたいと思いつつ、三津五郎、福助、勘三郎という達者な訳者ぞろいの喜劇に抱腹絶倒、楽しいひとときを過ごしました。 「ゆうれい貸し屋」は、山本周五郎原作、働きづめでも貧しかった父を見ていて働く気をなくした長屋住まいの桶屋(三津五郎)、女房(孝太郎)は自分がいると立ち直れないと考えて泣く泣く実家に帰ります。そこに婀娜っぽい芸者の幽霊(福助)が現れ、ふたりはゆうれい貸し屋(恨みを持つ人にかわり、恨む相手のところにゆうれいを派遣する)を始めます… 「舌切り雀」は渡辺えり子作・演出。幕が開くと思わずおおっと声が出てしまう華やかさ。森の中で行われている百年に一度の鳥達のお祭、花鳥の祭の最中です。孔雀王、お妃の鶴姫のまわりにたくさんの鳥達が集まって踊りを披露して楽しんでいるのですが、姿が見当たらなかった歌の上手な雀のすみれ丸が血を流して落ちてきます。すみれ丸は舌を切られていました… かわいい子役たちも参加のペンギンパレードや、義太夫とサンバが合体した(意外とリズムが合わなくもない?)フラミンゴの踊りもあって、日ごろの歌舞伎と違う斬新さ。いつも大評判の歌舞伎会のノリです。ひたすら楽しい中に、ほろっとするところがあって、人の心の声に耳を傾ける大切さ、連帯することの大切さ、温かさに心を癒されました。 森の賢者(小人)に変身させられていた殿様が、もとの世界に戻るか、森の中に残るか尋ねられ、「鳥になって花の心を聞こう」という台詞がすてきでした。
August 13, 2007
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東京宝塚劇場にて雪組公演「エリザベート」を観てきました。ドイツ語のロックミュージカルを翻訳して宝塚向きにアレンジした作品です。初演以来何度もいろいろな人たちが演じてきました。 トート(死神のような存在)を演じるのは雪組トップに就任した水夏希さん。少女漫画から抜け出たような容姿で人間離れした雰囲気です。エリザベートは白羽ゆりさん。夫の皇帝フランツ・ヨーゼフの彩吹真央さん、皇太后や狂言回し役で暗殺犯となるルッキーニも実力派ぞろいで見ごたえがありました。 奔放な父を持ちドイツで育ったエリザベートはオーストリア皇帝と結婚しますが、皇帝は宮廷で唯一の男とささやかれる皇太后の言いなり。しきたりで縛られ、居場所がないと感じます。死すべき存在である人間、エリザベートに恋してしまったトート。 ストーリーは宝塚のホームページで読んでいただくとして、自由を希求するエリザベートの気持ちには共感しますし、音楽のよさもあって感動します。自分の孤独に囚われて夫と息子の孤独には気付かなかったところがひっかかるのですが、偶像化された「オーストリアハンガリー帝国の后妃」の内面の葛藤を描いたところが、貴族や王室好きのヨーロッパの人たちには画期的なのかもしれません。そして昔からの主題である「死と乙女」が下敷きになっているように思うのですが、いかがでしょう。宝塚公式サイト「エリザベート」特設コンテンツでは今回の公演も含む映像がご覧になれます。YouTubeなら YouTube 宝塚初演の一路真輝さんのトートこの歌はたしか宝塚版のために書き加えられたのだったと思います。ハンガリーでは宝塚版が上演されたとか。1996年公演より「私だけに」花總まりさんウィーン版「私だけに」 宝塚の繊細可憐なエリザベートに比べると力強いですね。
August 5, 2007
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5月も文楽に行ったのですが、なかなか書く機会がありませんでした。5月東京公演は珍しい「絵本太功記」の通しでした。「夕顔棚」や「尼ヶ崎」は歌舞伎でも文楽でもよく上演されるのですが、通しを見るのは初めてです。通しといっても、いくつかの段が省略されているようでした。 江戸時代には制約があったので登場人物の名前が微妙に変えてあります。羽柴秀吉は真柴久吉、織田信長は尾田春長、明智光秀は武智光秀というぐあいです。太閤記も一字変えて太功記となっています。 秀吉は「猿」とあだ名されていたといいますが、この絵本太功記では、見た目にも堂々とした侍として描かれています。尾田春長(信長)は寺社を焼き討ちにしたり、戦をしかけてその地の民を苦しめており、悪鬼と呼ばれています。森の蘭丸(森蘭丸)はこの物語では、春長には忠実だけれど、権力をかさにきた嫌なやつです。春長ともども光秀にさんざん嫌がらせをし、ついには光秀に本能寺で主を討つ決心をさせます。 春長を討った光秀に、母さつきは「主君を討つような者とは一緒に暮らせない」と言ってさっさと旅支度をして出て行くのですが、ちゃんと家来に家財道具一式持たせて行くところ、悲劇的な物語の中の息抜きの場、チャリ場なのでしょうけれど、綱大夫さんはあまりこっけいさを打ち出していませんでした。浮かないように、ということでしょう。ほかのかたはどう語るのでしょう。光秀は自害しようとしますが、人びとを苦しめる悪鬼を討伐したのは正しい行いだったのだと言われて思いとどまります。 物語はドキュメンタリー風?に日付を追って語られます。びっくりしたのは、光秀の家臣、鱸孫市が切腹するのに幼いわが子たちに介錯させたところです。自分の首を久吉のところに持っていって和を乞うようにと死ぬのですが、子供達に、お父さんの子なら言うとおりにしてほしいといい、7歳の弟の方が、孝行になるならと、「サア早う腹切ってくだされ」なんて言うのです。だいたい、子どもに失敗なく首が切れるとも思えませんが、姉弟が両側からすぱっと切って首がぼとっと落ちます。 その後たちまわりではその他大勢の家来の一人が顔をそがれます。 梨割りというしかけのある人形で、いつもなぽかんとして目をしろくろさせているのがこっけいなのですが、今回は倒れるのでなんだか恐い。その後の段は武智が頼りにする武将の壮絶な討ち死にの場。もう少しで久吉を討てたのに、この機会を逃していつ討てるのか、とくやしがりながら死んでゆきます。 よく上演される「尼ヶ崎」では、身をやつしてやってきた久吉に母さつきは入浴をすすめ、それをものがげから見ていた光秀が槍で突くと、なんと、久吉と入れ替わっていた母が苦しみながら出てきます。初陣の息子も深手を負って戻り、愁嘆場ですが、久吉は後日勝負をつけようといい、ふたりの勇者は別れます。 と、こんな場面ばかりとりあげるとやたら血なまぐさく殺伐としていそうですが、実際は家族の情や心の葛藤などが描かれています。全部読みたい方は、若くしてなくなった鶴澤八介さんのサイトに床本があります。絵本太功記
June 9, 2007
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再び東京宝塚劇場にて「さくら」と「シークレット・ハンター」を観ました。前回2階席の真ん中より少し後ろ、今回は1階席なかほどで観たのですが、宝塚に限らず何でもそうですが、2階だと全体がよく見渡せ、見る目も客観的というか、文字通りちょっと距離を置いてみるようなところがありますが、舞台に近い席になるほど気持ちが入り込んでいきます。 それもあるし、慣れたこともあってか、オペレッタ狂言などもこの前ほどヘンに感じなくなりました。2度目でも、華やかさに目を奪われることには変りありません。とても時間が短く感じました。ミュージカルの方も、ストーリーがわかっていても楽しめました。同じ演目を何度も観る人は、今日のアドリブはこうだった、などとファンサイトの掲示板に書いたりして楽しみにしています。主演男役・娘役(私達はトップと呼んでいますが)の安蘭けいさん、遠野あすかさん、2番手確定かと噂される柚希礼音さんの耳に心地よい歌声が耳に残っています。安蘭けいさんの歌うシークレット・ハンターの主題歌がとてもよくてCDを買ってしまいました。主役の父と母を同じ人が演じているというのも、宝塚ならでは。スポニチ宝塚通信に記事があったので魚拓をとりました。(6月9日)http://megalodon.jp/?url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/column/takara/kijilist.html&date=20070609015451
June 4, 2007
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東京宝塚劇場にて宝塚歌劇団星組公演「さくら~ 怪しいまでに美しいおまえ~」「シークレット・ハンター」を観ました。私はオーケストラにのせた日舞という、和洋折衷がどうも苦手なので、宝塚でもいわゆる「和物」は避けているのですが、今回は安蘭けいさんと遠野あすかさんの主演コンビのお披露目なので、観てみることにしました。 幕が開くと客席からは「ウヮ~」という声が。いきなり華やか!千代紙+電飾といえばご想像がつくでしょうか。すべての場面がさくらをテーマにしたショーになっていて、舞台装置もさくらづくし。一竹辻が花染め衣装も豪華です。大ベテラン松本悠里さんもご出演です。サクラの精のような、美男美女たちが舞い踊ります。明日は暗いところにしまわれてしまう雛人形の反乱、ちょっとグロテスクな印象を受けるところもありましたが、「愛」に落ち着くところがさすが宝塚。オペレッタ狂言などという毛色の変ったものもありました。正直言って、宝塚に慣れていない人が見たら、かなりヘンな世界だと思います。でもまあ、歌舞伎の成田屋の十八番なんかもけっこうヘンなので(シュールなところが好きですが)、いいのではないでしょうか。大勢が舞台にいるので、全体が見える2階からの観劇もおすすめです。 休憩後のミュージカル「シークレットハンター」はうって変わってカリブの島を舞台にしていて、音楽もラテン系、色彩もラテン系の原色です。一応カリブ海ということにはなっていますが、どこでもない国、おとぎの国ですね。脚本家は今回大舞台デビューというかたのようですが、主演の格好よさを引き立てると同時に感情移入させたり、どんでん返しがあったり、ファンの楽しませかたがわかっている台本になっていると思います。クレオールの大泥棒とプリンセスの恋というテーマはちょっと類型的、いや、それを言うのは野暮ですね。そうはいっても、心に余韻が残っています。主演ふたりの歌もよかったです。 そしてフィナーレ。大階段から名物?の羽をしょってスターたちが登場し、最後にトップが降りてきます。私は宝塚を見に行くといってもちょっと外野から見ている感じですが、熱心なファンはずっとご贔屓の人の成長を応援し見守り、この日を待っているのです。
May 26, 2007
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国立劇場にて「芸の真髄シリーズ第1回 文楽太棹 鶴沢清治」を鑑賞いたしました。いつも文楽は小劇場なのですが、今回は大劇場でした。太棹とは太棹三味線のことです。 最初は住大夫さんと清治さんによる素浄瑠璃(人形なしで語りのみ聞かせる)で、「壇浦兜軍記」より「阿古屋琴責の段」。平家の侍景清の行方を詮議するため、恋人である阿古屋を責める場面なのですが、その責め道具とは、琴、三味線、胡弓なのです。これらの楽器を弾かせて心の動揺を読み取ろうという、変った趣向です。歌舞伎では、役者さんが三つの楽器を弾きこなしてみせるところが見せ場となっています。 連休中からずっと寝不足だったため(いつも言い訳をしている気がしますが)、睡魔に襲われてしまいました。それに、住大夫さんの声は先輩ファンのかたによるとアルファー波が出るのか、聞いていると気持ちよ~くなってしまうのです。そんな状況で聞いていたら、胡弓がびっくりするほど前衛的に聞こえました。人形や役者という視覚的に気をとられるものがないだけに、よけい西洋の音楽との違いを際立って感じたのかもしれません。 30分の休憩後は「弥七の死」という、今回初演ではないようですが、比較的新しい作品でした。語りの咲大夫さんの父(記憶違いでなければ)である先代綱大夫と組んでいた、三味線弾き弥七さんをモデルに、芸に対する思いいれの話でした。こちらで先代綱大夫と弥七の義太夫を試聴できます。タワーレコード 義太夫の三味線は単なる伴奏ではなく、大夫・三味線のコンビは芸の上の夫婦といわれるそうです。最高の相方であった綱大夫と、最愛の妻を相次いでなくした弥七は、気力をなくし、ついに自宅のある京都で入水してしまったのでした。文楽が今も人を惹きつけるのは、文楽の人たちが、お金のためでも名声のためでのなく、純粋に文楽を愛し、命をかけているからだと思います。 もういちど短い休憩があり、幕が開くと、三味線弾きさんたちが居並び、縁起のよい「三番叟」を演奏しました。特別な編曲のように思われます。三番叟が終わると、回り舞台がまわって嶋大夫さんと清治さんが登場し、「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の中の「酒屋」が始まりました。簔助さんがお園を遣います。お園の夫には結婚前から子まで成した仲の芸者がいて、お園は名ばかりの妻なのですが、恨みもせず、自分さえいなければ、と自分の未練を嘆く有名な場面です。 続いて、素浄瑠璃にて「新版歌祭文」より「野崎村」。農村の娘おみつが、思いを寄せる人とその恋人のため、身をひいて尼になり、それぞれが別れていく場面です。 嶋大夫さんの語りは卑俗になることなく、民衆の中に生きる芸能の香りがあって、とても好きです。
May 8, 2007
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東京宝塚劇場にて「明智小五郎の事件簿 黒蜥蜴」「タキシード・ジャズ」を観てまいりました。「黒蜥蜴」というと、美輪明宏さんがすぐ頭に浮かびますし、江戸川乱歩の原作を数年前に読んだとき、子供の頃こんなものを読んでいたのか!と我ながらびっくりしたくらいですので、清純可憐な宝塚の娘役さんが演じるとどうなるのだろう、と少々不安に思っていました。 緑川夫人その実黒蜥蜴役の桜乃彩音さんはなかなかおとなっぽく好演していました。大胆不敵な盗賊黒蜥蜴には意外な純な心があった、というところが見せ場だと思いますが、原作ではどうでしたかしら? ちょっとネタバレになるかも… 原作にはない意外な結果が加わっていますが(私の記憶では)、「待っているから自首して」が二組連続するとちょっと説教がましいというか… 明智に好意を持っていた女と黒蜥蜴に惚れていたはずの男が急に結婚する気になったりもちょっと違和感。でも、宝塚も歌舞伎や文楽と一緒であまりつっこみを入れるべきではないのです。主演男役春野寿美礼さんの歌唱力や、少年探偵団のかわいらしさもあって、けっこう楽しめましたが、これを宝塚ファンではない人とテレビなんかで見るのはきびしいかもしれません。はっきり言って照れてしまうくらい臭いところがあります。(まあ、歌舞伎にもありますけど)そこがいいといえばいいのですよね。 ショーはいつもながら、スパンコールやラインストーン、時に天井のミラーボールがきらきらして、心が晴れます。客席からも手拍子を交えながら、歌やダンスを楽しみました。
May 4, 2007
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国立劇場小劇場にて文楽「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」を観ました。たいてい部分的に上演されるので、近松半二他作のこの物語のストーリーは把握しきれないのですが、今回は「道行」と蘇我入鹿の御殿の場面です。近松半二は何の何某は実は誰それでした、というパターンが多いのだそうです。 最初は上手床に大勢の大夫さんと三味線が並び、壮観です。すぐ近くの席だったので、迫力ある太棹三味線の音がびんびん響いてくると楽しくなって思わず顔がほころんでしまいそうになります。舞台には美しい橘姫と、姫の後を追ってきた求馬(もとめ)。そこに求馬と恋仲のお三輪が追いかけてきて、ふたりの間に割り込みます。お三輪は庶民の娘なのでちょっとおきゃん、「いーだ」みたいなしぐさを姫に向かってしますが、姫も上品ながらもすぐにはおとなしくひきさがらず… 三人の舞踊。 結局姫は立ち去りますが、求馬は姫の着物に苧環の赤い糸のはしをつけ、糸をたぐって後を追い、その求馬にお三輪が白い糸のはしをつけて追います。 蘇我入鹿のすむ御殿に橘姫が来ます。橘姫は入鹿の妹だったのです。そして求馬は入鹿の敵、藤原淡海でした…後を追ってきたお三輪はその後かわいそうなことに。 入鹿の首が飛んだり、竜に変わった三種の神器の刀を追って橘姫が泳いで行ったり…それにしても、姫はどこにいってしまったのでしょう? 12月は休演だった嶋大夫さんのなんとも巧みで生き生きした語りが堪能できてよかったです。日本芸術文化振興会「2月文楽公演」
February 13, 2007
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先日「文楽を楽しむ会」にて文楽人形のかしらの修理・制作をしているかたと、床山さんの実演つき解説を聞いてまいりました。 文楽人形のかしらは樹齢60年以上の檜を彫って作りますが、木の芯を使うとひびわれるので芯を避けるにはそのくらい大きな木でないとだめなのだそうです。日本にはもうないので、輸入ものとのこと。鬘の人毛も疾うに日本では手に入らず、中国の奥地の少数民族のかたにブラシについた毛をとっておいて貰うのだそうです。それを苛性ソーダで煮てから染めるとのこと。人形の鬘は人間用と違い、髷、鬢などパーツごとに釘で打って留めます。人形の頭には釘のあとがたくさん。 公演ごとに胡粉を塗り、ベンガラなどで化粧します。だんだん厚塗りになっていくので、20年ほどしたら全部剥がすそうです。釘穴がたくさん開いたところなどは部分的にとりかえてゆき、50年ほどするとほとんどいれかわっていることになるそうです。大体使われている木の樹齢と同じくらいの間使えるとのこと。こんな仕掛けのかしらも。 梨割りといって、その他大勢の斬られ役です。目がキョロキョロします。ブラックユーモアというのか…「日高川」(安珍清姫のお話)の清姫の髪を結っているところです。無我夢中で追っていくので、髪をわざとくずし(「がったり」)、あとで髷がほどけるようにしておきます。きれいにほどけるとこの仕事の喜びを感じるそうです。床山さんの道具。鬘のパーツや櫛。クジラのひげも使います。鬘は前の方は人毛。髷はヤクという動物の毛。糸に毛を数本ずつ結びつけたものを胴の板に穴をあけたもの(左下のカチューシャのようなもの)につけておき、人形に直接釘でつけます。このかしらに肩板をつけ、衣装を着せて遣います。昔ながらの通気性のよい行李に入れています。プラスチックケースだとカビや虫がつくそうです。文楽の鬘についてはこちらをごらんください。鬘司庵 今日から東京公演が始まります。いつもチケット争奪戦に悩まされますが、今月はまだチケットがあるそうですので、百聞は一見にしかず、ぜひご覧になってみてください。
February 9, 2007
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日本青年館にて宝塚のミュージカル「ヘイズ・コード」を観ました。安蘭けいさんと遠野あすかさんという宝塚星組の新主演コンビ(トップという言い方は変わったのかしら?)の最初の舞台です。 1930年代ハリウッドには映画制作倫理規定(ヘイズ・コード)という自主検閲があり、映画制作倫理規定管理局(PCA)に認められないと大手映画館では上映できませんでした。主人公のレイモンド・ウッドロウ(安蘭けい)は何をやらせても成績優秀だったのですが映画作りの夢をあきらめ、それでも映画にかかわっていたくてPCAに勤めています。今認定を与えるか査察している映画の監督は学生時代の親友。ヘイズ・コードではキスの長さは3秒までと決まっているのに、コンマ数秒オーバーしているから撮り直しするよう言うレイモンドに女優のリビィ(遠野あすか)はそれではこの場合の演技がおさまらない、と反論します。反発しあいながら相手が気になるふたり… こういうコメディーをスクリューボールコメディーというのだそうです。劇中劇(映画)もおそらく当時流行ったスクリューボールコメディーなのでしょう。 宝塚大劇場や東京宝塚劇場での公演と違い、ショーはありませんが、ダンスパーティーや映画の撮影シーンでタップも含むダンスシーンがたくさんあるので華やかさもあり、結びもハッピーエンド、新コンビの息のあったところも見せてくれて、年の初めに観る舞台にふさわしい、幸福感を与えてくれる公演です。 私は宝塚はたまにしか観ないのですが、友人がビデオを貸してくれた「王家に捧ぐ歌」(ヴェルディのオペラアイーダを下敷きにしたストーリーにオリジナルの曲をつけた)では、男役の安蘭けいさんがエチオピアの王女アイーダを演じてとてもよかったです。他の友人が「雨に歌えば」もとてもよかったと言っていましたし、その後「ベルサイユのばら」では大阪でアンドレ、東京でオスカルを演じるなど、努力家の実力派なのですね。声も耳に快く、もっと前から見ていればよかった。 遠野あすかさんは顔立ちもかわいくて歌も安心して聞けました。 客席降り(客席の通路に出演者が降りて来る)もあって、通路際に座っていたらすぐ横にタキシード姿のジェンヌさん(パリジェンヌにならってタカラジェンヌというのです。文法的に変だとか言いっこなし)が立ったので、わくわくしてしまい、自分のミーハー度を確認しました。 最初そういう振り付けだと思ったのですが、あすかちゃんが落としたアクセサリーを安蘭けいさんがさりげなく拾ってあげ、あすかちゃんが安蘭けいさんの背にまわしていた手をありがとうというように動かした、そんな役と現実が一瞬交錯する瞬間をファンは喜ぶのですよね。そしてはまっていくのです。 宝塚ファンの入門書は金色の表紙です。宝塚を通して知り合った方の本です。 今日はいつもおつきあいいただいているブロガーのお仲間からちょっと浮いてしまいそう…
January 6, 2007
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国立劇場小劇場に文楽を見に行きました。出し物は「義経千本桜」より 「堀川御所の段」「伏見稲荷の段」「渡海屋・大物浦の段」 「義経千本桜」は文楽や歌舞伎の通しやみどり(「よりどりみどり」の「みどり」だそうで、お芝居の一部だけ上演すること)で何度か見ているのですが、忘れたり他の演目とこんがらかったりしています。 「堀川御所の段」では、兄頼朝とぎくしゃくしはじめた義経に迷惑をかけまいと平家の血筋の北の方(正妻)卿の君が自害したというのに、力は強いがおっちょこちょいな弁慶が余計なことをして和解を不可能にしてしまいます。手弱女だと思っていた静御前が勇ましくなぎなたを持って出てゆくところなんてあったのですね。記憶にありませんでした。弁慶が敵の首をひっこぬいて投げ上げて落ち延びる方角を決めるなんて、乱暴ですねえ。 「伏見稲荷」では、足手まといになるからと静御前が置き去りにされます。義経が大切にしていた鼓だけを形見にと渡され。その鼓の革はきつねの皮でした。静御前は敵方に捕まりそうになったとき、佐藤忠信に助けられるのですが…きつねの遣いかたが、歌舞伎よりやはり上手です。歌舞伎役者さんも文楽の指導を受けるということですが、キャリアが違いますものね。 水運業を営む「渡海屋」の主人銀平は実は平の知盛であり、女の子として育てられているのは実は安徳天皇、妻おりうは乳母典侍の局なのです。今回気がついたのは、知盛の意外なせりふです。義経一行を追跡するための船を貸せとごり押ししておりうに乱暴なふるまいをした侍に向かって、「刀は人を斬るものでなく身を守り乱暴狼藉をやめさせるためのもの。だから武士の武は戈(ホコ)を止めると書くのだ」という内容のことを言うのです。 典侍の局が安徳天皇を抱いて入水しようとしたとき、義経一行が止め、局は天皇を義経に任せて自刃、知盛もいかりを重しに丘の上から入水します。歌舞伎だと後ろ向きに丘の後ろへ落ちるところが見せ場です。人形は逆さにずるずるとひっぱられて落ちていきます。玉男さんの知盛が思い出されます。本当に碇に引っ張られてずり落ちていく感じがしました。今回は研究の余地ありと思います。いつも12月は若手中心ですが、今回は特に時の流れを感じました。 余談ですが、義経千本桜の「道行は初音の旅」のCDを片付けものをするときにかけると気分良くできます。太棹三味線を聴くと日本人の血が騒ぐ、などと言いそうになりますが、日本人でなくても、文楽にはまっている人っているんですよね。外国公演も人気があるそうですし。世界文化遺産にもなりました。歌舞伎、文楽や日本の文様、浮世絵など好きですが、それは伝統だから好きにならなくてはいけないからではありません。楽しいから、すてきだから、心を弾ませるようなものがあるから好きなのです。強制されたら興ざめしてしまうでしょう。
December 11, 2006
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とても緊迫した情勢を気にしつつ、前からチケットを買っておいたので文楽鑑賞教室に行きました。国立劇場小劇場です。 最初は通称「櫓のお七」です。有名な八百屋お七の物語ですが、史実はたしか、火事で避難していたときに知り合った恋人に会いたい一心で、もういちど火事になれば会えると思って放火してしまい、それが大火になって、処刑されたのだったと思いますが、文楽では、恋人を助けるため、夜になると閉められてしまう大木戸を開けさせようと死を覚悟して半鐘を鳴らす、というストーリーになっています。大木戸とは、「四谷大木戸」など地名が残っていますが、江戸の町は夜間要所要所木戸を閉めて移動が制限されていたのですね。 雪の中を赤い衣装の思いつめたお七が鐘の櫓を登るところが見せ場になっています。はしごを上るときは人形遣いの姿が見えません。櫓の中にはいって中から遣っています。 次に三業(太夫、三味線、人形遣い)の解説があります。鑑賞教室に何度行っても、人により説明のしかたを工夫しているので、面白いです。最近はスライドつきなので、遠くの席でも見やすくなっています。今回三味線の解説の清丈さんは、高校生向きに携帯メールをたとえにしていて、なかなか楽しく説明していました。三味線は見てもらえない、というようなことをおっしゃっていましたが、私の場合は(観劇仲間も言っていましたが)最初三味線ばかり見ていました。「一の糸」みたいに三味線弾きさんに惚れたわけではないのですが、つい音のするほうに目がいってしまうのと、西洋の楽器と違う音の出し方などが新鮮だったからです。 今日は高校生の団体がいましたが、とてもお行儀よく真剣に鑑賞していました。休憩時間には「人形がかわいい!思ったより面白い」という声が聞こえました。 休憩後は「伊賀越道中双六」でした。お姫様の乳母が、生き別れになっていた息子三吉と偶然再会しますが、卑しい馬子をしている子とお嫁入りの旅に出ようとしているお姫様が乳兄弟では体裁が悪いからと母子の名乗りをできないという、かわいそうなお話です。三吉は仕事を一人前にしているのでしっかりしてはいるけれど、やはり子ども、母に甘えたいのですが許されないと悟り、最後に泣きながらお姫様のために馬子唄を歌うところが泣かせます。近くの席の年配の男性も涙を拭っていました。 観劇後気になる国会前に行ってみました。お堀端の景色も冬めいてきました。あてずっぽうで歩いたらちょっと遠回りしてしまいましたが、最高裁のいつも見ない側が見られました。こんな彫刻がありました。何を意味するのでしょう?両側に子どもの像がありますが、右側の子です。鳩を抱いています。左側の子は桂冠みたいなものをもっていました。歩道には銀杏の葉がきれいな模様のように散り敷いていました。 国会前では、在日のかたたちが今日も、「万望峰号は人道の船・家族に会わせて」と訴えていました。 共謀罪と教育基本法改悪反対の人たちも座り込みとハンストをしていました。ちょうど、状況の報告があって、法務委員会流会の知らせに拍手が沸きました。でも、向こうはあきらめたわけではないので、油断しないで反対の声を上げ続けるとともに、知らない人に知らせていこう、ということでした。 保坂さんのブログを見ると、著作権法「改正」が通ってしまい、また外資からの政治資金規制を解除されてしまったそうです。著作権について十分な知識の普及に勤める前に罪ばかり重くするなんて、どういうことでしょう。
December 5, 2006
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青山劇場に「ミスター ピンストライプ」を見に行きました。出演は玉野和紀、今 拓哉、戸井勝海、平澤 智、絵麻緒ゆう、風花舞、樹里咲穂、横山智佐、小野妃香里、神崎 順、桜木涼介、芽映はるか 他 構成・演出・振付: 玉野和紀K-LINKS それぞれの個性を生かした歌とダンスを楽しみました。絵麻緒ゆうさん、風花舞さん、樹里咲穂さん、芽映はるかさんは元宝塚です。樹里咲穂さんがイブニングドレス姿で急に男役になってしまうところがおもしろかったです。玉野さんのタップダンスはパワフルで迫力がありました。戸井さんは上品な2枚目なのに、私が見るときはいつも笑わせてくれる役です。格好いい役もありますが。豪華メンバーによる楽しいショーでした。
November 26, 2006
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日生劇場にて宝塚歌劇団公演「オクラホマ」を観てきました。「南太平洋」「回転木馬」「メリー・ポピンズ」などの名コンビ オスカー・ロジャース&リチャード・ハマースタイン原作です。 農場の娘ローリーとカウボーイ、カーリー、ローリーの農場で働くローリーに恋する影のある男ジャッド、その周囲の若者たちを描いたミュージカルですが、正直言って、古めかしさは否めません。舞台装置も昔の演劇っぽく、一昔前のテーマパークのウェスタン村といったらいいかしら。でも、なんといってもカーリー役の轟悠さんが美しい!思いがけず良い席で観られたので、オペラグラスなしで見られて感激でした。アルトの声も相変わらず迫力があります。ローリー役の城咲あいさんの声もとても耳に心地よかったです。ローリーのおばさん役越乃リュウさんも綺麗で声も様子も堂々としていました。 ただ、轟さんに品がありすぎて、ローリーがその晩慈善会にジャッドと行くと聞いて、ジャッドの小屋に行き、たまたまあったロープを指して「これでお前が首をつったら皆が葬式で泣くだろう」という場面、圧倒的に優位にある人がいじめをしているみたいに見えてしまって… どう解釈したらよいのか、よくわからなかったのですが、その場面があるからこそ、陰気で荒っぽいジャッドが本当は温かみを求めていた、というのがわかるのでもあります。ジャッドは汚れ役だけれど、宝塚なので衣装やメイクが暗いだけで、汚くもなく、顔もいいのです。霧矢大夢さんの好演が心に残りました。 「これから頑張って開拓するぞ」というところで物語は終わりますが、この前「怒りの葡萄」を読んだばかりなので、このあと旱魃などに見舞われ借金のかたに苦労して開拓した土地を銀行にとられるのだろうか、なんてちょっと頭をよぎってしまいました。 小農場の作業をほとんどひとりでこなしてきたのに、いつも白い服を着て働きそうもないローリーに「クビだから出てって」なんていわれるジャッドがかわいそう…セクハラしたんだからしょうがないか…なんて余計なことを考えてはいけませんね。宝塚も大衆伝統芸能(と私は思う)ので、歌舞伎や文楽同様あまりつっこみを入れず、その場面その場面を楽しめばよいのです。 ハッピーエンドの後、ショーで歌やダンス、お芝居よりちょっとスパンコールがついた衣装など楽しませてもらいました。 ところで、現実に戻りますが、共謀罪の今国会成立は流れたというのは、誤報だそうです。この前から、マスコミにうそを流して撹乱しようとしています。教育基本法も危ないです。愛国心なんて、心を法律でしばれない、と言われたら「態度」に変えてきましたが、心にもなくても態度はふりをしろ、といわれているようで嫌です。それだけでなく、平和憲法の精神から子供の教育を引き離そうとしていることや国家が国民を規制しようとしているところがすごく問題だと思います。国家体制再編をめざす教育基本法改悪お玉さんのところに教育基本法 衆議院 特別委員会名簿があります。メールを送りたいと思います。いまこそ生かそう教育基本法国民投票法案にも問題があるし、次々嫌に成りますね。
October 26, 2006
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東京国立劇場にて文楽9月公演第1部を見てまいりました。今月は「仮名手本忠臣蔵」の通しです。1日で1部、2部、3部と全部見るというかたもいらして、その体力気力に感心しました。全部見るとなると、午前10時半から午後9時半まで、休憩を入れてざっと11時間です。 江戸時代には、政治的な事件をそのまま芝居にできなかったので、時代は足利尊氏の頃という設定にし、浅野内匠頭を塩谷判官、吉良を高師直(こうのもろなお/もろのう)、大石内蔵助を大星由良之助と名前を変えています。故鶴沢八介さんのメモリアルサイトで床本(太夫さんが語る脚本のようなもの)が読めます。鶴沢八介wikipedia 仮名手本忠臣蔵 四十七士の士にかけて、11段構成になっているそうです。 善悪の区別が分かりやすいよう、史実と違い(ですよね?)高師直が塩冶判官の妻顔世御前に横恋慕し、それがきっかけで塩冶家に悲劇が降りかかることになっています。現実の事件では、私はどうも浅野内匠頭がそんなところで刀を抜いたということが、一国一城の主として適性がなかったとしか思えず、喧嘩両成敗といっても刀を抜いたのは一方だけ、家老の大石内蔵助の世論操作がうまかったということではないか、と思ってしまってどうも感情移入できないのです。吉良家の養子は罪もないのに切腹しなければならず、一番の被害者ではないか?と。 それはともかく、判官切腹の段は歌舞伎同様「通さん場」といって、途中で客席に出入りできないことになっています。舞台と客席がしーんと集中するのです。眠気に襲われることもなく、息を呑んで見つめてしまいました。 「城明け渡し」の場面は大星由良之助が閉鎖された門の前にひとり佇み、万感を胸に提灯の家紋を切り取るのですが、この場面もとても印象的です。太夫さんの語りは「はったとにらんで」の一言だけ。タイミングも難しいそうで、ずいぶんと緊張することでしょうね。細棹三味線がはいっているのは、次のお茶屋の場面へ繋ぐことを意識しているそうです。 由良之助役簔助さんは本公演では初役らしいですが、さすがです。書いていたら、また見に行きたくなってしまいました。
September 10, 2006
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