窓辺でお茶を

窓辺でお茶を

May 8, 2007
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カテゴリ: 舞台
 国立劇場にて「芸の真髄シリーズ第1回 文楽太棹 鶴沢清治」を鑑賞いたしました。


 最初は住大夫さんと清治さんによる素浄瑠璃(人形なしで語りのみ聞かせる)で、「壇浦兜軍記」より「阿古屋琴責の段」。平家の侍景清の行方を詮議するため、恋人である阿古屋を責める場面なのですが、その責め道具とは、琴、三味線、胡弓なのです。これらの楽器を弾かせて心の動揺を読み取ろうという、変った趣向です。歌舞伎では、役者さんが三つの楽器を弾きこなしてみせるところが見せ場となっています。

 連休中からずっと寝不足だったため(いつも言い訳をしている気がしますが)、睡魔に襲われてしまいました。それに、住大夫さんの声は先輩ファンのかたによるとアルファー波が出るのか、聞いていると気持ちよ~くなってしまうのです。そんな状況で聞いていたら、胡弓がびっくりするほど前衛的に聞こえました。人形や役者という視覚的に気をとられるものがないだけに、よけい西洋の音楽との違いを際立って感じたのかもしれません。

 30分の休憩後は「弥七の死」という、今回初演ではないようですが、比較的新しい作品でした。語りの咲大夫さんの父(記憶違いでなければ)である先代綱大夫と組んでいた、三味線弾き弥七さんをモデルに、芸に対する思いいれの話でした。

こちらで先代綱大夫と弥七の義太夫を試聴できます。
タワーレコード

 義太夫の三味線は単なる伴奏ではなく、大夫・三味線のコンビは芸の上の夫婦といわれるそうです。最高の相方であった綱大夫と、最愛の妻を相次いでなくした弥七は、気力をなくし、ついに自宅のある京都で入水してしまったのでした。
文楽が今も人を惹きつけるのは、文楽の人たちが、お金のためでも名声のためでのなく、純粋に文楽を愛し、命をかけているからだと思います。

 もういちど短い休憩があり、幕が開くと、三味線弾きさんたちが居並び、縁起のよい「三番叟」を演奏しました。特別な編曲のように思われます。


 続いて、素浄瑠璃にて「新版歌祭文」より「野崎村」。農村の娘おみつが、思いを寄せる人とその恋人のため、身をひいて尼になり、それぞれが別れていく場面です。

 嶋大夫さんの語りは卑俗になることなく、民衆の中に生きる芸能の香りがあって、とても好きです。





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最終更新日  May 8, 2007 05:38:15 PM
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