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三重への出張をもって、超多忙な日々がこれで一段落となる。嗚呼、なんて大変だったこの1~2ヶ月。本当に良く働いた自分。なんて気持にしみじみとなり、帰りの新幹線の中で、お祝いに缶ビールを飲む。いや~そのへんのサラリーマンと同じですね。まわりの席でも、同じように缶ビール片手にちくわなんかをつまんでいるおじさんたちがいっぱい。気持ち、わかるわ。「自分、お疲れさん」ってやりたくなるんだよね。そんなおじさんたちと心の中でひそかに乾杯し、満足しきって帰る。帰り道のお供は、もちろん本。今日書店で手に取ったのは、「小泉今日子の半径100m 」(宝島文庫)。前々からkyon2には文章のセンスがあるとにらんでいた私。はい。そのとおりですね。彼女の豊かな世界に触れられて、満足のいく1冊でした。「誰も知らない、子供の頃の話」とか「家出オトコと私」とか、とてもいい文章だなあって思う。たとえば…「(子供の頃って)言葉が追いつかないのに感じることはたくさんあって、いつもおしっこを我慢しているみたいなもどかしい時間だった」(p75より)ね。いいでしょ。写真もとてもいいよお。彼女もすでに40歳を越え、これからがますます楽しみだなあ。私はやっぱり、男の人より、女の子、女の人、おんなの先輩に、興味津々なのである。
2007.11.29
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三重県に出張。この地域への出張は、実はちょっと楽しみ。現地に着くやいなや、メリーゴーランドへ向かう。ふふふ。出張のたびに、ここを訪れるのが楽しみなのよ。私は、メリーゴーランド店主である「ひげのおっさん」こと増田喜昭氏のファンである。毎月届くメリーゴーランドのニュースレターを楽しみに読んでいた。彼の「子どもの味方」っぷりは、本物なのだ。なかなか実物にお会いする機会がなかったが、まさか仕事上の出張で訪問するチャンスができたなんて!ああ神様、私ってなんて幸運なのでしょう。ほんの1時間ほどだけど、メリーゴーランドの中で、その世界に浸ってきた。わくわくするような、しんとするような本たちに囲まれて、それはそれは至福のときである。近所の子どもたちが少林寺拳法の格好をしたまま「こんちわ~!」とやってきては、店の本を広げて読んでいるのもいいな。そのそばで、赤ちゃんが自由にはいはいしているのも、いいな。そのそばで、本の在庫を調べたり子どもにちょっかいを出したりしているひげのおっさんも、いいなあ、と思う。インターネットで気軽に本が買える時代だけど、私はやっぱりこんな本屋さんで本を買いたいのだ。
2007.11.27
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家族全員、風邪でダウン。もちろん私も例外なく、体調を壊している。しかし、仕事は待ってはくれない。これから最後の山場にさしかかるところで、心身ともにたいへんにきつい状況。そんななか、いつもからだを見てもらっている野口整体の先生のところにでかけた。「いや~もう極限にへろへろの状態でして」と、私。しかし先生、私のおなかに触れたとたん、即座に否定。「弾力があっていいおなかしてるよ。 仕事が暇な時期に比べると、よほど調子がいい証拠だね。 やっぱあなたは、忙しく仕事をしているのがからだに合ってるのよ」とのこと。えええ。そうですか!?忙しいのはいやだいやだといつも思ってるんですけど!?「いやだいやだと言っていても、全然やめようとしないでしょ。それはあなたに合っている仕事だから。その仕事がその人に合っていないときって、おなかに弾力がなくなったり硬くなったりするからすぐわかる」らしい。ってことは、今の仕事は私には合っているのか。「そうそう。忙しく働いていてるのにおなかに力があるということは、あなたがその仕事を通して世の中の役に立っている、ということ。だからまあ、せいぜいあきらめて忙しくしてなさいな」う~ん、そうですか。なんとなく納得。私の忙しさは、世のため人のためにも、また自分の健康にも貢献している「良いこと」なのですね。これであきらめがつきました。文句を言わず、自分のお仕事をまっとうすることにいたしましょう。
2007.11.23
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昨日、新聞の書評欄を見ていたら、夫のつくった本が載っていた。ただし、おっきい書評のほうではなく、ちっさい書評のほう。まあ、大きさ的にはちと残念だが、とにかく載ってよかった良かった。なにせ、彼の今年年頭の書初めは、「(某大新聞の)書評にのること」だったので。すごいなあ、夢がかなったじゃん!子どもたちも、「おおおやったじゃん!」と喜んでいた。ところで私のほうの今年の書初めはなんだったけ?と、久々に(笑)1月のエントリーを見て思い出す。ああ、そうだった。今年の目標なんて、すっかり忘れておったワイ。なんだか無我夢中の1年だったような。。。。今年もあと1ヶ月ちょっとで終わりですね。
2007.11.19
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毎日出張ライフも折り返し点を過ぎた。ほぼ限界、である。家の中は荒れ放題、探し物は埋もれて失せて、見つからない。出張先で快くないことがあった昨日、帰り道をとぼとぼ歩きながら音楽を聴くことにした。こんなときに、ipodは重宝する。スタイル・カウンシル(The Style Council)のMy Ever Changing Moods。学生時代によく聴いていた。当時は友人も恋人もいなくて、家族仲も最悪だった。本と音楽だけが友達だった。でも、本と音楽が私と友達になってくれて、良かった。この友達がいてくれたからこそ、生きてこれた。それは今でも変わらないなあ。ただ当時と今が違うのは、そんな自分がけっこう好きだってことだ。今日もこれから仕事。いってきます。
2007.11.17
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昨夜は久々に怒り心頭だった私だが、その後ネット上で私と同様の意見を書いておられる方のブログを発見し、なんとかクールダウンした。単純な私です。いやしかし、今後気をつけよう。私自身も、心の中で「上から目線」で人を勝手に裁いていることはよくあること。また、自分が良かれと思って行動することで、相手から選択権を奪ってしまうことも多々ある、ということに自覚的でありたい。なあんてまじめに書きましたが、今日はコタツが届く日なのだ。家族みんなで楽しみにしている。
2007.11.16
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先日の日記に書いた「滝山コミューン一九七四」、読了。著者と同世代の私としては、大変興味深く読んだ。民主主義をめざした教師たちの自らの教育行為そのものが、はからずも権威主義になっていきました、というお話(実話)。そして結果的に子どもたちを洗脳し抑圧する結果となりました、というお話。「みんな平等」をめざしたつもりが、ファシズムになっちゃいました、というお話。あの時代にこんなことが起こっていたとはまったく知らなかったし、その恐ろしさに背筋が凍る思いで読み進んだのは事実。しかし。著者の文章が「上から目線」なのが、どうも気になる。高みから眺めて裁いている感がぬぐえないのだ。なんだか、「イデオロギーに簡単に洗脳されしまう愚かな大衆たち vs 洗脳されなかった賢い僕」「集団ヒステリーをあおった加害者教師 vs トラウマが残ったかわいそうな僕」って図式が見え見えで、私は後半すっかりしらけてしまった。主観が入りすぎではないかしら。私小説だったら、まだ許せるけど。これはノンフィクションやドキュメンタリーとは言えないでしょう。本のタイトルからして、悪意に満ちている感もある。しかも、各紙書評やamazonのレビューなど、そのほとんどが絶賛あるいは好意的なのには、首をひねってしまう。ああ、これ以上書くと、もっとひどいことを書きそう。なんだか私、すっかりご立腹である。こういう歴史を書き残してくれたことには敬意を表する。しかし、どうも私は「上から目線」には、すこぶる敏感体質なのだ。
2007.11.15
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今日からまたもや「毎日出張」シリーズに突入。がんばれ自分!それはさておき、出張のお供は夫の本棚から拝借した一冊。「滝山コミューン1974」(原 武史:著 講談社)新聞書評などで知って「読んでみたいな~」と思っていたら、夫の本棚にあった。夫いわく、「まあおもしろかったよ」とのことで、行きの電車の中で読み始めるが、…こっこれは、けっこう「怖い本」ではないですか!!まだ半分くらいしか読んでいないが、これからの展開を想像すると、背筋が凍るよお。この先読みたいような、読みたくないような。「一九七二」(坪内祐三:著 文春文庫)という本もどえらくエキサイティングに面白い本だったが、やはり1972~1974年あたりというのは、時代の大きな転換期だったのでしょうか。かなり怖いけど、この先読んで見ます。良くも悪くも、これが私たちが生きてきた時代だったのだなあ。その反動が、今の時代にきている気もするのだが。。。
2007.11.13
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いや~、久々においちゃんに怒られちゃったな。おいちゃんとはこの方、魚柄仁之助氏である。私は、氏の実質的デビュー作「台所リストラ術」以来のファンである。ファン、というよりは、お師匠様…と呼ばせていただきたい。しかし、「元祖シンプルライフ」である氏の教えに出会って10年以上もたつというのに、不精の弟子である私は、いまだにシンプルライフにはたどりつけない修行の身。そんな私が久々においちゃん(失礼…お師匠様)の新刊を手に取った。「冷蔵庫で食品を腐らす日本人」(朝日新書)「冷蔵庫の巨大化が、崩食を呼び寄せた!「不要な買いだめ」「食の浪費」の戦犯は、あなた自身だった!」というキャッチコピーがひたすら「痛い」。「冷凍庫にストックしたままで食べもしない。 そんな食生活が豊かなのだろうか? 肉をたくさん囲い込むことで安心感を得てるっていうんだろうか?」 (本書p16より)ひ~ん、ごめんなさい~、それは私ですうう(泣)。冷蔵庫内に死蔵品を増やし続ける私にとって、あまりにもまっとうな、しかし「こたえる」内容である。しかし、おいちゃん(いや師匠)はそれだけでは終わらない。冷蔵庫を巨大化しない生活術を、具体的に本書で伝授してくれる。そして本書の後半に展開される、日本の食文化激変の歴史・フィールドワークの記録は必見である。漁業と農業の変遷、工業化する農林水産業!?こんな社会に誰がした!!(怒) …はい、私です。これらの責任の大半は、私たち消費者にある。私の暮らし方で、その責任を返していくしかない。いたってまじめな本である。しかし、じ~んと涙がにじむ箇所が三箇所。ホームレスとサラリーマンの話。大阪のイカ焼き店「牧野」の話。そしてラストの「京王井の頭線の24分」は、感動のエッセイである。電車の中で読んで、泣いちゃった。おいちゃん(もとい師匠)の生き方のスタンスがここに現れている。偉そうぶらず、大きくならず、ちいさいままの暮らしを大事にする彼の生き方の原点だ。私も再度原点に戻って、一から出直します。
2007.11.12
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思い立って、わけあって、どうしてもまた読みたくなって。以前古本屋に売り払った本を、買い戻しに行った。「それでも人生にイエスと言う」(著:V.E. フランクル 発行:春秋社)図書館で借りればいいじゃない? とおっしゃる向きもあろうが、そうはいかない。借りるんじゃダメなの。「もいっかい、私の元に戻ってきて」と、呼び戻すことが目的なのだから。何回も読んだはずのその本を、何年かぶりで読み返す。以前はいったいこの本のどこを読んでいたのだろう??と思うほどの、たくさんの発見と感動があるのに驚く。本との出会いって、タイミングが大事だわあ。と、改めて思う。良かった。私の元に戻ってきてくれて。今の私には、あなたが必要だったのです。そこで、せっかくなので子どもたちに算数の問題を出す。「ママは、書店で1700円でその本を購入して、100円で古本屋に売り、900円で古本屋から買い戻しました。結局いくら損・得したでしょう」正解は?式を書いて回答を出す子どもたち。「え~と結局、1700円の本に2500円払ったことになるじゃん!?」そうそのとおり。計算の上ではね。でもねえ、本の価値は、お金じゃないんだよなあ!
2007.11.08
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仕事が最多忙な時期に突入して、はや1ヶ月。今月いっぱい、この忙しさが続く。夕方までの激務が終わり、スーパーで買い込んだ食材を両手に持って、ふうふう言いながら自宅に帰る。このあとは、夕食づくりが待っている。「つかれたなあ」ウィンドウにうつった自分のぼさぼさ頭を見て、思わず目をそむけてしまう。そのときふと、宮迫千鶴さんがお書きになった「魔女の森へ」を思い出した。「生きて死んでいくためのスピリチュアリティと 暮らしていくためのエコロジーと 愛し合うためのセクシュアリティを取り戻すために―。」そうだった。この三つの言葉があったじゃないか。忘れそうになっていた。どんなに忙しくてつぶれそうでも、この三つの言葉とつながっていればだいじょうぶ。それは、私にとってのお守りの言葉なのだ。このとき唐突に、かつての私を支えてくれた言葉「三つのS」を思い出した。「神話的時間」に出てくる言葉。「ゆっくりと(slow) 誠実に(sincerity) シンプルに(simple)」これは、本の読み聞かせのときの三原則?なのだそうだ。まだ子どもたちが小さかったとき、子育ての大変さに行き詰っていた頃に、この「三つのS」を呪文のようにとなえて暮らしていた日々を思い出した。よかった。大事なことを思い出せて。
2007.11.07
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運動会の翌日は、お祭りです。私たちもお祭り準備で朝から大忙し。そんなこんなで、結局からだを休めるという意味での「お休み」というものは、私たちには存在しないのだ。買出しに行き、夫はテントを立て、子どもは看板をつくる。友人たちがやってきて、手伝ってくれる。私も友人たちのお店を手伝う。なつかしい友達に、たくさん再会する。子どもたちも保育所時代の友達にたくさん再会し、お祭り中を遊び倒す。この祭りは、全国からヒッピー(死語?)たちが集まることでちょっぴり有名になってしまい、規模が大きくなりすぎて手に負えなくなり、一度開催が取りやめになってしまった歴史がある。今回は、規模をちいさくして開催した。なにごとも、身の丈サイズが大事ですね。私と夫も、結婚するずっと前からこの祭りに参加している。当時、彼と一緒になるとは思いもよらなかった。時が流れ、いまや二人の子どもも一緒に楽しめるようになるとは。夜が更けるまで、大人も子どもも働き、楽しんだ。苦労して開催を実現した、主催スタッフの皆さんに、心から感謝している。
2007.11.04
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子どもが通う学童の大運動会。子どもたち、がんばる。例年どおり、親たちもがんばる。走る、こける、踊る、叫ぶ。学童の運動会のおもしろさは、多種多様な働く父ちゃん母ちゃんたちが集まることにもある。銀行員も公務員も大工さんもパートさんもライターさんもお店やさんも、みんな一緒に走ったりこけたりするのである。おもしろいなあ、といつも思う。たぶんみんな休みなく働き、唯一の休みがこの運動会だったりするのだ。それでもこの熱の入りよう。私も大いに走って叫んで応援して、存分に楽しんだ。上の子から数えて6年間も楽しんだこの運動会も、私たち親子は今年で終わり。さびしいなあ。でも。子どもを持ってよかったと、心から思えている。
2007.11.03
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縁あって思い出した高史明さんの本を、本棚からひとつ取り出して読んでみる。「歎異抄のこころ」(NHK出版)私はこういう話が好きだなあ、と改めて思う。どういう話か?いわゆる「回心の物語」が。あることがきっかけで(多くは極限状態がきっかけとなり)、今までの自分が「すべてにおいてまちがっていた」ことに気づき、天地がひっくり返るほどの大転換が自分自身に起こるお話だ。それは、古い自分が一度死に、新しい自分が生まれるお話ともいえる。私がどうしようもなく心惹かれるお話は、そんな回心の物語であることが多い。たとえば。高史明さんが息子さんを自死という形で亡くされたあと、「歎異抄」に出会うお話。冤罪の元死刑囚、免田栄さんが獄中で聖書の一節に出会うお話。バーバラ・ハリスが臨死体験後に回心が起こる物語。横田早紀江さんが、めぐみさんの失踪後に「ヨブ記」と出会うお話。大道寺将司死刑囚が獄中で「豆腐屋の四季」(松下竜一作)と出会うお話。アルコール依存症者が自分の無力を認め、自分を超えた大きな力を信じるようになるお話。極端だけどあの「ホームレス中学生」だって、私は回心の物語として読んだ。それは、エゴにこりかたまった「私」から離れて、人間の力を超えた大きな存在の側からちいさな「私」を見れるようになる物語だ。幼い頃からずっと、そんなお話が大好きだった。なぜなのかはわからない。きっと深い理由があるのだろうけど、それも何かのご縁なのだろう。
2007.11.01
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