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胎児は誕生の瞬間に胎盤から分離することにより羊水中の鰓(エラ)呼吸から肺呼吸に変わるのだと言う。 胎児はそれに付着してきたものをぬぐい去れる事により光り輝く身体へと磨かれ、それを見る人の感情によれば光り輝く身体と映る。 この"磨"くと言うのは身つまり本体から必要でない付着物を掻きとる(身欠く)であり、望ましい形状となす事を示す。 そうすることが本来のあるべき姿つまり本性を顕すことなのである。 これが後に述べるミソギというものにつながるのである。本日の言葉:その17 みそぎ ということ その2
2025.11.03
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されるならそれに従い人間性が富んでゆくようなプラス思考へと導かれる感覚になる。 そうであれば時代の流れに逆行はしないまでも、アナログ感覚に浸るが如く、いわば羊水中に浮かぶ胎児が感じるであろう、そこはかとない包まれ感にある安心感がそこにある。 しかし胎外へ出る際には四足動物とは異なり人類はその誕生の際が初めての大試練であると言われる。 二足歩行への移行に伴いお産する女性のみで出産する事は困難となり、さんばさんというお産に特化した介助者にお願いして胎児を取り上げてもらう必要がある。 本日の言葉:その16 卑語 その6
2025.08.23
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関係者となった人がいてそれを見過ごすことでその立場を保存するために忖度する。 それが将来その組織を危うくすることに気がついていたとしてその個の立場を優先する人間がその上司に尊重され、可愛がられる。 本来の意味での正しい組織を持続させると言う目的なり存在意義はもはやそこにはない。 本日の言葉:その17 みそぎ ということ 人生や人々が歴史を経てくると積み重なるというか不可逆的な方向や本来的でないにしろ、増加する、即ちそれが善なるものであれば、幸福感が大きくなり、自分にそれが吸収 本日の言葉:その16 卑語 その5
2025.08.22
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い場合があり、持続してきた組織を危うくする人物がその組織の中枢に多く巣くうようになる。 その人々の好きな言葉が冒頭にあげた"清濁併せ呑む"とか"水清ければ魚棲まず"とかの品格の欠片を貶めるものである。 不正なり、小手先に走ることを重要視し、目先の小さな利益を得ると言った本来の大道から外れたという本来の志を失した輩がムダを排除出来ないときにその言葉を発する。 そのことを極小化する目を有することが大人物となった証と自ら言い聞かせることでそれに眼を瞑る。 その関係本日の言葉:その16 卑語 その4
2025.08.21
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がその人物に向後を託すのである。 そしてある程度の存在感を残しながらその人物の改革に力を添える。 それが出来ない組織は衰微の一途を辿る事になる。 それが芸術とかカタチのないものであれば尚更である。 それがなくとも困る人が少ないのである。 影響力のある組織であればそれなりのそれを支える人物を育てているであろうし、主体に匹敵する技能なり才をもつものもいる。 それに託せなくなったから外部からそれを出来る人を招聘する。 それで組織が保全されれば大丈夫となる。 ところが得てしてそうでな 本日の言葉:その16 卑語その3
2025.08.20
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呼ばれ、それが有識者の目に触れることを経て名声が喧伝される。 しかしそれを見出す側の見識が高くなければゴッホのように惨めな生涯となる。 これが蹊なのである。 この小道を大道にするために自ら動きその関連個所に身を置き、活動するそしてその働きが認められるようになると一定の指導者の見習いのような役割が与えられるようになる。 これが古来からの指導者の育成法の一つであった。 これはどの世界でも同様であったと思われる。 行き詰まりをその組織なり世界が見せるようになる時、それを打開する人物本日の言葉:その16 卑語 その2
2025.08.19
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だとされる人物の一人として特に賞揚されているほぼ同時代に生きた人物と言われる。 言葉の意味は上に述べたようだが、注目したいのは蹊(こみち)と言う語である。 果実をつける樹木は多くて数百個のそれを成すとか。 その実の一つ一つを作品(成果)とみるかそれを慕う人と見るかその果実を食する人と見るかで一つの物語が出来そうである。 それはその才が有る人に任すことにしたい。 成果と見れば実績を重ねているのであり、その中の幾つかは会心の作が見出せることもあろう。 それはマスターピース(名品)と 本日の言葉:その16 卑語 その1
2025.08.18
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"清濁併せ呑む"とか"水清ければ魚棲まず"とかの格言なり言い回しがある。 前者は大人物の度量の大きさを表す言葉として知られている。 功成り名を遂げたと言われる人は自ずから蹊を成し、その成功に肖(あやか)ろうとしてその教えを請うためにそれなりの志なり技能を有した人が集まるのだという。 「桃李不言、下自成蹊」即ち"桃(とう)李(り)言(い)ものいわざれども、下(した)自(おのず)から蹊(こみち)を成なす"という名言がそれである。 この言葉は司馬遷の著した古代中国の本格的歴史書である『史記』の中で他人の才能を尊ん本日の言葉:その14 『無量寿経』から:「五劫の擦り切れ」その4
2025.08.17
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レッシュするわけです。 その様子をのぞきたいとする輩はいないでしょう。 仏門に入る際の戒めの一つが妄を払うことなんですね。 一般人の生存は苦であり,その苦の原因は妄執によって起るのであるから,妄執を完全に断ち切れば完全な悟りを得ることができると考えるのです。 その状態に到達するための修道法として説かれた8種の正しい実践を八正道という。 すなわち,正しい見解 (正見) ,正しい思惟 (正思) ,正しい言語行為 (正語) ,正しい行為 (正業) ,正しい生活 (正命) ,正しい努力 (正精進) ,正しい想念 (正念) ,正しい精神統一 (正定) の8つをいう。本日の言葉:その14 『無量寿経』から:「五劫の擦り切れ」その2
2025.08.16
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億年といわれています。 ですので、「五劫」はその5倍、永久に近い長い長い時間のことをいいます。 それくらい長い時間をかけた思惟。そして阿弥陀へ。 さて、天女の仕事はよく知られているのが浄土において妙なる調べを奏でることでしょう。 浄土においては雨のように甘露水が時折降るので、それにより食事も摂らないでよいのです。 健康そのもの生活なんですね。 それでも如来でもない身ですから奉仕を続けてゆくと精神的な疲労が溜まってきます。 そこでそこはよくしたもので定期的に湯浴みをすることでリフ本日の言葉:その14 『無量寿経』から:「五劫の擦り切れ」その1
2025.08.15
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『無量寿経』の中に時の話題がある。 短い落語の一つに「寿限無」があります。子供にめでたい意味の言葉を全部つけてしまったため、それを言うだけで時間がかかり井戸に落ちたのを助けられなかったと言う皮肉な噺です。 その中の言葉が、「五劫の擦り切れ」です。 正しくは擦り切れずとか。 「一劫」は、天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減っていき、その繰り返しでその岩が無くなってしまうまでの期間を言います。 その期間は約40本日の言葉:その13 オマージュ
2025.08.14
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オマージュという言葉を聴いたのは、私の半世紀以上になる人生の内でたかだか10年ほど前であろう。結構沢山の本を読んできたので、その間にそれを目にしたことは一再ならずあったはずだが、意識を強く持ち出したのは上記のようである。口さがない人に言わせると、模倣にすぎないと切り捨てる。 贋作だと騒ぎ立てる。 本物を価値あるものと万人が認め、その価値観を共有したい、あるいは同じ水準の技法を獲得する手段として叶うことならそっくりそのままと見紛うばかりのものにしたいのは憧れと尊敬の念からも当然と言えよう。そうなった作品が出来れば、それと宣言して人前に披露できればよいと願いたくなる。 その機会を得て、披露できたら、それは習作と呼ばれることで認知され、一個の作品としても認知される。本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その18
2025.08.13
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しかし関西では不思議なことに「阿呆たれ」という表現はない。 阿呆そのものに上に述べたように許容できるものが含まれているからと関西人の私は思料する。 ところが不思議な事に「馬鹿たれ」はあるのである。 この表現の有名な使用法がフォーク歌手の海援隊の武田鉄矢氏の「母に捧げるバラード」の歌詞の中にある"バカ息子"にあり、その表現に近い。 この「バカ」たれは馬鹿であるという状態である事ではなく、馬鹿であるような状態に近いあるいはそれに準ずる状態を自覚する事を悟らせた上で今後その行為をしないことを誓わせると言う意味となる。 本来の表記法では「~たれ」はそうなるのが望ましいというものであるが、地方により、別の意味をもつ事がこれによって分かる。 以上「~たれ」についての私の認識である。本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その17
2025.07.23
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る。あほ(阿呆)には上から解かれてきたように温かみが含まれているという。字義から見ると呆(ほう)けるという自分を制御出来ない状態に準ずると言う意味を持つ「阿」が付いているから上の幼気ない、あるいは保護すべき存在として、許してもよい存在として、その場を収めながら、今後その行為をしないよう柔らかく注意を促すと言う意味があるのである。 それを生まれつき取得していない関東人が関西人に「アホとかアホウ」とか言われるとこれまた激しい憎悪すら感じるとか言うのである。本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その16
2025.04.10
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が出来ていない。 流れのうちにその証拠を見つけて行きたい。 それが認証出来ればこの「阿」から「亜」への意識上の流れの中に"温かみ"を含める憐れみの中に保護というか見捨てないあるいは仲間内、身内という範疇で切り捨てないものをみいだせると思うのである。 劣った行為を罵倒するのに関西では阿呆(あほ)と言い、関東では馬鹿(ばか)と言う。 ここで注意したいのはその行為であって本来はその人間ではない。 さて、関西人が関東人の「バカ」と言われると激しく反発の感情を持つとよく言われると書物にあ 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その15
2025.04.09
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弥陀仏の「阿」である。 宇宙そのものとしての大日如来ではなく、それに準ずるものとしてそのカタチがイメージとして理解される。 浄土教の流れが理解され広く認識。浸透していくことでその音と字が不即不離の関係が強固になった背景がある。 これは歴史を見つめる中で私が得た結論の一つである。 それをさら低レベル化するあるいは判りやすくいうと大衆化と言えば良いかと思う、そしていつしか準ずると言う意味を持つ「亜」の意味が附加されるようになったと思う。 これについては着想が最近降りたばかりで検証 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その14
2025.04.08
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状況を緩和させ出来れば穏便に収めるという短い表現法ながら恰も魔法のような言葉である。 別の思考をここで行うのは不遜であるし、この場にそぐわないと思うので別の場で詳考(造語)すべきだとなるのでさらりと触れておくと「阿」は日本語の五十音を整理すると図表的に冒頭に位置することと母音での中でも比較的ではあるが強い韻(ひびき)をもつ音を漢字で表すのに最適な字である。 なぜなら密教から浄土教への流れで密教の教主である大日如来の有り難みの一部分を代行というか影響する力の顕れとしての金剛界での阿 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その13
2025.04.07
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みてください。 さて冒頭の「あかんたれ」は酒場なり居酒屋で酒の上、 等での失敗を繰り返すオトナの男に対する女将(おかみ)なりママやそのサブ的存在のチーママ(小さいママ)がその失敗を庇(かば)う 時にその場の他の人にそれを許す事を乞(こ)う空気を醸し出す為の表現法と説かれる。 「あかん=許されない」に「~たれ」がプラスされると許されない状況に哀れみ(憐憫 れんびん)の情をかけ、その情けなさに思いをよせ、許すとい言う上から目線をその行為者以外を掛けさせる事によりその場の荒れそうな 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その12
2025.04.04
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ある。 この「法」は「放なり倣」つながるもので楽は分かりやすく言うと自由である。 自由は英語ではフリー(free)である。 洟垂れ小僧は幼気(いたいけ)ない幼児を指すことが多いが年長組に分類される頃になっても、自分をコントロール出来ない存在だからとしばし許される。 それが商家に入店し、丁稚になったら店の躾(仕付け)の度合いが評価されるとして一転厳しくなる。 それまでのモラトリアム期間と言えよう。 この「モラトリアム」と言う言葉については当ブログで取り上げてきたからそれらを参照して 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その11
2025.04.04
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らそれをしない。 それで得たものは少なくない。 それで良いと思うのである。 本日の言葉:その13 「~たれ」と言う言葉 考 「あかんたれ」という言葉がある。 関西地方での特有の表現方法で他にも馬鹿たれ、洟(はな)垂れ、と言う風に使う。 ものの分かった人に言わせると温かみを含んだ表意法で、「~~」になりきれてない、そのものと断定する事を避けて、そんな(哀れなと情けないとかに準ずる)意味をこめてその存在を認めながらも愛し、言外でそれを許してあげてと言うものだそうだ。 仏教用語に法楽(ほうらく)と言って修行が足らないものに 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その10
2025.04.03
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。 それは有用なのだが、それを基礎にして上の分析をして当初は受け売りでもよいから話してみるとよい。 それが出来たら自分なりの文章化を図ると良い。 私の例を参考にすれば、興味を強く引かれたことについて幾冊かの専門書・啓蒙書・新書・ジュニア向けの新書を読み通すことで本にすれば大部になるであろう24万字ほどのものをものにした。 もちろん受け売りなり、引用もありつつ、それから得たインスピレーションかあの独自の見解を盛り込んだものだがとても公表出来るまでのレベルには達していないのを自認しているか本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その9
2025.04.02
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っけものである。 話し合うことで相互の理解の度合いがわかり、それを認識する事で更なる勉強の意欲が掻き立てられるというものだ。 それから専門書に進むもよし、そこまででもよしである。 人生の残り時間はそんなに多くないから、別のテーマに移ること大切だと思うからである。 上は私が実践してきたことだから自信を持って言える。 テレビ等にお守りを委ねないで、自らを鼓舞し、難解な事象を読み解く努力をすれば、一日はあっという間に過ぎ去る。 テレビ番組で知りたいことを解説してくれるものが結構ある。 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その8
2025.04.01
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基礎に新書判の本を読むと理解が早くなる。もちろん一冊だけでは物足りない感覚を覚えるから別の著者による同様なテーマのそれも併せて読みたくなる。 そこまでで良い人もいれば、もっと深く知りたくなる人もいるだろう。 そこでお勧めしたいのがその理解したことを先ずメモし、それが多くなればそれを合わせることで一枚のシートに図化する事である。 それ一目瞭然、理解度が解る。 それを基に自分なりの見解が出来ればそれを文章化し、近しい人々に聞いてもらうのである。 そこでそれに関心のある人がいればめ 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その7
2025.03.31
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で各社から出ている個別のテーマに絞ったその途の当代における第一人者の手になるジュニア向けの新書を見てみると良い。 子ども向けとは言え高度な内容であるが理解しやすいよう懇切丁寧にそれぞれの難解な用語でも読み砕いているからこれを利用しないのはもったいない。 こうした作業の過程を見出すのもある意味では一つの発見であるだろう。 難解な用語にぶち当たりそれをスルーする、しないのではややしんどいが後者の方が得られる果実は多い。 ジュニア向けの新書で理解が少し深まればしめたものである。 それを 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その6
2025.03.30
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る瞬間が悦びに変わる。 この快感は努力して理解が出来ると言う試練を成し遂げた者にだけ解るものである。 日本史Bの教科書は教科書専門書店のみならず大きな書店の高校受験参考書のコーナーの棚でも見つけることが出来る。 それ以外の歴史書のコーナーにも大人のための教科書として"学び直しの~"と言うようなタイトルがついているが前者のそれの倍近い価格が設定されている。 中身はほとんど同一であるから前者を薦める。 それにやや分厚い受験参考書を併せて購入すればさらに高度な解説が得られる。 その上本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その5
2025.03.29
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捉えるがその意味について一歩進んで理解の幅を広げようとはしない。 何気ないと思われる用語を理解する事でその後の歴史における運輸に関わる集団の役割がどう変化して行くかを追求して行くことで、時代背景を一面的に塗り替えることになると言うことに気がつけば歴史の奥深さとそれに関心を抱きつづけることが如何に大切なことか判り、更なる森の奥の中にあると思われる事実を露見させる事で「歴史」する醍醐味もわかろうというものだろう。 こんな難解だが一度理解する努力を重ねて、その本質にちかずいたと思え 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その4
2025.03.28
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家平氏の祖とも言われ平家物語の冒頭部分にその旨が記載されている。 同様に藤原利仁・秀郷は中央貴族藤原氏の傍流にあたり、武力の行使を好んで美装集団の長的存在となったと言われている。 この頃、直刀が蕨手刀・湾刀へと日本刀が進化して普及する過程での出来事である。 鉄器が一般に普及し、貴族の支配から武士の支配への転換点がまさに、この「僦馬の党」にあったと思われる、とも解説される。 以上高校の日本史の教科書には記載されているもののほとんどの人は歴史的用語として 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その3
2025.03.27
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。 そう言えば調査の時 「僦馬の党」の"乱"が関東で頻発したため、それを抑えるために関東各地で跋扈しつつあった平高望・藤原利仁・秀郷たちの後に"軍事貴族"に擬せられる者達がこの"乱"を通じて、首謀者達や軍事貴族の郎党、牧の人々の多くが武装し、下層農民までが武器を携えたとおもわれる。 ちなみに平高望・藤原利仁・秀郷らは"武士の祖"とされる事が多い。 平高望は桓武天皇の孫筋にあたり、葛原親王の子もしくは孫という「貴種」で武装集団のシンボル的存在から始まり権力の中心に位置するようになった。 武 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その2
2025.03.26
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と訳されることが多い、古代律令国家の納税の為の生産物をその途上に奪い去る集団を「僦馬の党」 と呼ばれるのを思い出した。 これまたネットで検索すると「僦馬」の「僦」の字義は、「雇う」・「雇われる」である。とある。 したがって僦馬の党は、駄馬によって物資をおくる運輸業者と推定されている。 古代から「牧」がこの関東各地に設置されてきた事が背景にある。 さて、正常なら手数料をとり、国庁まで年貢(税)を収める運送者であったったのだろうが、その中に不心得者か食い詰め者がいて野盗化した者だろう 本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) その1
2025.03.25
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本日の言葉:その12 僦屋(しゅうおく) 雑誌のエッセイで森鴎外の小倉日記の短文を基に北九州市の小倉北区の 森鴎外旧居付近を巡る文章で「僦屋」 と言う言葉にであった。 ネット辞書で検索してみたら日本語サイトにはなかった。 中国のバイドゥ(百度)百科で簡体字で書かれたものをGoogleで翻訳したところ、"家を借りる 、中国の名前 家 スペル ジウー(iuw僦) "とあった。 意味するところは「借家」である。 すっきりした念(おも)いである。 日本語のサイトにはなかったのは聊か淋しい。 一方、以前日本における武士の発生というものを調べた際に、群盗本日の言葉:その11 隠喩 その2
2025.03.24
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背景としての社会の空気を反映した気運と規整を強要する力を持つ事もある。 それが多数の人の思いとして捉えられるとされた記録されそれが広く有識者間で認識されれば既成事実になり、伝世され、規範化し、それが抗しがたいものと人々の意識に植え付けされ続ける。 一頃流行した言葉で"見えないけれど存在する"はその一例である。 その反対もある。 見えているけど存在を感じてはいないがそこに確かに存在する。 これが隠喩である。本日の言葉:その10 露呈 その8
2025.03.23
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膿を出し切ると言う事を行い、最善と思える改善策を採用し、限りなく透明に近い組織運営をすべきである。 そのためにはフィロソフィーを確立したら、見直しを定期的に行うべきである。本日の言葉:その11 隠喩 隠喩とはたとえの形式をとらない比喩であると辞書には解かれている。 "~ようなもの"という言葉が落語の噺のなかにもあり、古くから人口に膾炙してきた表現法が例え話とする別のもの、または事象で伝わった意味を考えさせてそれを間接的に悟らせるという高度な伝達方法である。 受け取り方(がた)に様々な解釈と念(おも)いを生じさせ、時代 本日の言葉:その10 露呈 その7
2025.03.22
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而るに今回の事態はその反対の"会議で事件が起こっている"との転倒した行為がまかり通ったのである。 現実は小説で似の絵空事ではない。 喫緊の事態であるのに、である。ディスカバージャパンとかって標榜したように自らの組織の再点検をなすべきである。 上に挙げた大企業群に限らず、その不始末は現在露呈していないだけで他の企業にも数多くあるのだろう。 戦前からそういう不始末は露呈してきているのにどこもが我が身であるとは気づいていない。 あるいは面倒がって気がついて居ないふりをしているのだろう。本日の言葉:その10 露呈 その6
2025.03.21
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軍隊用語であるが「独断専行」と言うのが ある。 責任ある地位のものが大局感に基づいて組織の危険を防ぐための「決心」が基礎にある。 危難が迫っているのに小田原評定とばかり誰も決断できない組織はもはや組織ではない。 テレビで見た東京メトロという地下鉄の事故防止策では当たり前のことになっているのにその何倍もの大きな組織であるJR東海で出来ないと言うのは通らない。 かの有名なTV番組で勇名を馳せた"事件は会議室で起こっているのではない、現場で起こっているんだ。"の地を行く光景なのである。 本日の言葉:その10 露呈 その5
2025.03.20
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れていない、即ち、して良いことそうでない事の見きわめが出来ないか、初めからないことによる。 新幹線車両の台車の破断箇所があると想像できたのに床下の異臭に気づき、専門家が何人も乗り込みそう判断したにも係わらず、その現状が良く把握出来てない遠方にある指令所の人が判断し、三時間近くも運転を続行したというニュースが昨今あった。 現場ではそう判断し、その措置を指令所に進言していたのにそれを聞き洩らしたと言うのである。 これもおかしいと思う。 いまそこにある危険を現場が感じているのであれば 本日の言葉:その10 露呈 その4
2025.03.19
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人たちだ。 時代背景は大学管理法の下で学生時代を過ごしたことから天下国家を論じるよりもニューファミリーを形成して、御身大切とばかり家庭を顧みるようになったが、一方その収入元たる組織の強化に意を用いる事を放棄した世代なのだ。 それが中間管理職から指導層の入門的位置にいて、実際に運営の中心にいる。 本来居てはならない場所に場違いな人を填め込まねばならないジレンマがあるのに気がつかないのである。 責任という意味をよく理解していない為にそれはおこる。 分別という概念がその芯(身)に叩き込ま本日の言葉:その10 露呈 その3
2025.03.18
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ているものであるべきである。 昨年に露呈した日本の大企業の詐欺とも言える行為の数々は利益優先、効率優先の本来あるべき原則を無視してきたことによる。 適正という意味が本当に分かっていないで露呈することが必定なのに自分が関与している間はそれが無いと根拠のない自信に基づき行動してきた事が原因である。 この大企業群の支配者というか指導層の多くは戦後長生き出来ないと規定された元号で言うと「昭和」でも40年代生まれの人たちがその多くを占めるようになっている。 1960年代くらいの生まれの本日の言葉:その10 露呈 その2
2025.03.17
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業を続け、その時点での原則とする。 メンバーがそれに納得すれば規範として記録し、明文化して、誰でも判るように比較的大きな文字で箇条書きにして目立つ場所に明示する。 そして、それを体現化出来るまで訓練を施す。 繰り返しを行い、また時間を置いて反復訓練を自ら実践する。 完璧な原則などあり得ない事を前提に暫定的な原則に則って行動すると想わなかった事態が出来(しゅったい)する事もある。 それをあるものだと想って、次善、三善の策なり、システムを用意しておく。 これも上の作業過程を経て構築し本日の言葉:その10 露呈 その1
2025.03.16
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では猛獣を従わせそれに藝をさせる道具となり、スイッチの一つとなる。 小説の快傑ゾロでは武器であると同時に道具となっている。本日の言葉:その10 露呈 隠し続けてきた事が白日の下に曝(さら)される事を露呈という。 原理原則論を徹底的に論議して、上下左右、縦横無尽、そしてあらゆる角度(斜めや下から)或いは内部に立ち入って異なる立ち位置から検討を続け、そして間を少し空けて、その成果である小さなアイテムとなった到達点としての一応の結論群を整合性があるように位置づけてゆく作 本日の言葉:その9 教鞭と言う言葉がある。 その2
2025.03.15
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その鞭は指揮棒のような長さでであったろうか。 或いはそれよりもしなる要素を見出す事でそのような意味をもったのであろうか。 鞭は人にそれを揮うと武器や脅しの役割をもつ。 馬の尻に用いればそのスピードを増すための装置の一つとなる。 鞭はそれらの用途の他にそれがあたることで鋭い音を発する。 それがまた恐怖を与える意味をもつものになる。 刺激を与える意味ももつようになる。 そしてそれを持つ事でそれを実際に使用しないでもそれを代表するものになる。 持って回った言い方だがそのものである。 サーカス 本日の言葉:その9 教鞭と言う言葉がある。 その1
2025.03.14
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本日の言葉:その9 教鞭と言う言葉がある。 愛のムチと言う言葉があるように鞭(むち)を使って教える対象のカラダにその教えの内容を叩き込むのであろうか。 それともその対象者があまりにも無知(むち)なためにそれが情けなくてそれを恥じて欲しくての嘆きを表すのか。 或いは鞭を権威の象徴として持つ事を許されている為にそのレガリアか威儀器としてそれを用いて脅威を与える為に床にそれを揮いその音をそれを代表するためにそうしたのであろうか。 教鞭を執(と)ると言う表現があるから指揮の道具としての役割が鞭なのであろうか。本日の言葉:その8 流儀についてから その4
2025.03.13
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さらに精進する事で傑作と呼ばれる事になるものを創作出来る素地なり才能を開花出来続ける事ができれば名人と呼ばれる域に達する事になる。 それは他の人の評価であり、それを自覚してはならない。 飽くなき探求がよりよい作品を作り上げるモチーフの一つとなるからである。 これからマルチと呼ばれる才能を得る事でさらに高みを目指すと言う意識レベルになればさらに結構なことになる。 人生の流儀はこのようなものであろう。本日の言葉:その8 流儀についてから その3
2025.03.12
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工止まりの職人なら単能でもその道を求道することが条件として生活して行ける。 タタキ大工と雖もその技術が一定以上だと評価されないならば稼げないのである。 そのレベルを維持する事で生活の糧を得る。 それに向上心という志を抱いて継続してゆくとそれなりの"型"が形成されることになり、それに習熟する事で長く生活して行ける。 その志を高く持ち、よりよい素材の活かし方とそれに沿う体の熟(こな)し方を見つければそれ以上の"作品"作り上げる入り口を見出し、その扉を開ける鍵をもつことになる。本日の言葉:その8 流儀についてから その2
2025.03.11
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きな声では言えない。 さて、流儀である。 これに気がつき、自分の大人になって誇りを持って行動して行けるものを言うと私は定義したい。 それはガチガチ凝り固まった謂わば、偏見とか専行というものを出来るだけ取り除き、良いとするものを取り入れ、消化してその一部として行ける柔軟性があることが必要である。 それを自分以外の人が注目して、評価するならばそれがその人の一面を reverenceすることになり、その注目者が影響力の有る人ならオーソライズされ、それで世間を渡っていけるものとなる。 タタキ大本日の言葉:その8 流儀についてから その1
2025.03.10
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かっこよく言うとこの言葉になるがいわゆる(所謂)、生き方を意味する。 この人間と言えばこれが代表作であるとかこのフレーズが含まれればこの人であると想起される、フィーチャー(特徴づけられる)する程のものを内包するに至ったことまでの経過を賞揚され尊敬される生き方である。 もう少し分かり易く言うと横文字表現になって申し訳ないがライフタイルとなる。 今どきの風潮ならしっくりくると思う。 やまと言葉で表現したいのだが、たおやかと言うことばしかうかばない。 それも違和感が少しあるので大 脱皮ということから その3
2025.03.08
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一定のレベルに達した人は常人なら乗り越えられなかった高いハードル(困難、障壁)を超える努力をなし、それを行った結果としてのノウハウを獲得する能力をゆうすることになり、例え他分野のものでもそれを適用する事で初心者と言えども短期間にそれを習得出来るということがあると思うのである。 経験則、瞬時のシュミュレーション能力、分析、感性の高さその他諸々の要素が絡み合い、それを処理する能力がアップしているからそれが可能になるのではないかとも思ったりする。 脱皮ということから その2
2025.03.07
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だけでその形態は変化しない。 比喩的表現で脱皮という場合はどちらも用いられるから始末が悪い。 理解が不足している段階であれば混乱すること必定である。 一つの仕事、業態で経験を深め、業容を大きくするのが後者で、一定のレベルに達し、所謂一人前、あるいはその道を究めたと認識される一廉(ひとかど)の人物と世間に評価された人物が別の分野で成功した場合を前者として理解するのが良いと思うようになった。 前者を理解するには一般的にはマルチタレントと呼ばれる人たちを見れば分かり易いだろう。脱皮ということから その1
2025.03.06
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掛け努力してゆく人はその努力の一部が認定され、やがて一廉の人として認知され、有名人としてその時代を生きる人々の意識にのぼり、長く、あるいは深く意識されることで記録され、歴史の一部と化すことになる。 脱皮ということから 変態する蟲と単に体表面の皮膚を取り替える蛇の脱皮は同じ漢字を用いるがその実質はおのずから異なる。 前者は脱皮する毎にそれ以前の形態とがらっとと言っても過言でないほど異なる。 例えば蝶は毛虫から蛹(さなぎ)へそして羽化して成虫の蝶となる。 後者は身体が大きくなる本日の言葉: その7 脱皮 その3
2025.03.05
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いのが日本の教育制度の欠陥であると言える。 理不尽、矛盾だらけの濁世(じょくせ)が待ち受けており、卒業と同時にどっぷり浸(つか)かることになる社会と言う名世間であり、その狭義の意味を象徴するのが会社であり、業界である。 渡る世間は鬼ばかりと言う言葉が表すようにある意味では社会は生き地獄である。 そこでは輝かしい未来を享受出来るのはほんの一部であり、その他の多くは危難に苛まれながらそれを跳ね返すことに挑戦してゆくか、それを諦め順応してゆくことになる。 脱皮を意識し、意識改革を心 本日の言葉: その7 脱皮 その2
2025.03.04
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外皮が見守ると言うことを観察した古代中国人がその玄妙さに感じ入りこの皮と脱の字を組み合わせたものと私は感じた。 人間に当てはめてみると卒業というのが脱皮に相当(=あたる)する。 日本の学制でいえば幼児期の保育園・幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、大学院と数年ごとに区切られたものでその修業年限が過ぎるか、要件を満たしてその資格を認定されることで卒業という名目なり、飾りが認証される。 その程度が上がるにつれて人間としての大きさ(徳)が伴うものとされるが必ずしもそうでな本日の言葉: その7 脱皮 その1
2025.03.03
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