全5件 (5件中 1-5件目)
1
最近中学校のジュニアや高校生の水球の練習を見ることが多い。水球は超ニッチスポーツだけどそれだけに、僕でもサポート出来ることは多いし、何よりやっている人たちが(保護者、OBも含めて)必死で頑張っている。で有力高校を卒業した若手OBが練習につき合ってくれているのを見ていて思ったのだが、彼らは現役よりもずっと実力が上だから、「指導的観点」からちょっと手を抜いて余裕のプレーをしてしまう。シュートを打てるタイミングで打ってしまうと、他の人にボールを回すことなくすぐに入ってしまう。それだと練習にならないから敢えて他の人にボールを回して、いわゆるフォーメーションなどの練習にする訳だ。しかし僕が思うにそれは正しくない。練習のための練習であればそれでもいいのだが、練習は試合のためにやるものだ。能力の高い選手だとこの距離からこのタイミングで打たれて入るということを、実力派OBであればその実力を見せつけて欲しいと思う。試合で活躍しようと思えば、練習の時に如何に試合をシュミレート出来るかが重要となる。試合と同じ必死さで泳ぎ、ディフェンスは真剣にシュートを打たせまいとし、オフェンスはそれをかいくぐって全力でシュートするという練習でないと、練習での予定調和的なプレーでは全く試合では通用しない。仕事でも同じだと思う。会議でなあなあの議論で分かった様な分かっていない様なことだと、結局顧客には説明も出来ず通用しない。社内では気不味くなるから多少商品設計が甘くても詰め切ることがないことで良いかもしれないが、結局売れなければ何の意味もない。それは世の中に通用するか、顧客は本当に魅力を感じて買ってくれるのか、皆が喜ぶスキームになっているのか、少なくとも社内では妥協なく詰めておかないと本番では話しにならないと思う。本気でやる練習、これをやり切るのは難しいことだけど、甘い様でぴりっとした雰囲気でプロの仕事をして貰うのが経営者の役割だと思うし、自律的にそれが出来るのがプロのビジネスマンだと思う。
Apr 22, 2014
コメント(0)
今日面白い人の話しを聞いた。超が付くほどのエリートの研究者で、自分の息子の結婚相手との家族との顔合わせ会にも、よろしくお願いしますの挨拶が終わるや否や、待たせている車に乗って次の会議に出て行ってしまったり、その息子の結婚式でも最後までおれずに最後のお礼の挨拶に父親はいなかったり、なんせ仕事中心で家族のことがぽっかり穴が空いている人がいるとのことだった。今日は東京、明日はニューヨークで学会や会議があったり、24時間仕事のことばかり考えているようだ。全然別の話しだけど、最近ネットでニュースを見ていたら、学校の先生が入学式を欠席して、自分の子どもの入学式出席を優先したことに対して教育委員会などが批判し、このことがちょっとした賛否両論が巻き上がっているらしい。先生である前に子どもの親、きちんと休暇届を出してプライベートの予定を入れたことに対して何が悪いのか、先生としての常識がないという教育委員会の考えがが古くて間違っているという論調がネットでは優っている感じだった。前者は仕事を優先にする例、後者は家族を優先する例だが、公と私を考える意味でとても面白いと思う。もちろん公と私の部分は程度の問題ではあるけれど、他人や社会に影響を与える仕事をしている人ほど「公人」の要素が大きく、その責任も重いのは事実だと思う。冒頭の研究者を「人間味のない、仕事中毒の人間」と言うのは簡単だけど、それほどに仕事に打ち込んでいるというのは、ある意味「私心がない人」とも言えると思う。名誉やお金のため、つまり私欲のために家族を見捨てて飛び回っているなら問題だけど、もしかしたらその人は人類に対して非常に重要な研究を行っていて、今の自分の24時間、全能力をそれに使うことが、神様から授かった使命だと感じているのかもしれない。自分の子どものために費やす時間は最小限になるかも知れないけれど、成人した子どもに対してしてやらないといけないことと、社会に対して限りある命の中でやらねばならない使命を考えると、私心を捨てて公人として振る舞うことを選ぶことも僕は十分理解出来るし、その研究者のことはむしろ誠実でいい人なんじゃないかな好印象を感じた。後者の先生は、自分の生徒に対する責任よりも私心、自分の家族のことを選んでいるのだから、家族思いとも言えるし、先生という公人としては微妙なラインだとも思う。これが会社員だと組織で動いているからフォローして貰えて問題はないし、自分が経営するお店を臨時休業にするのも「私」のなかでやっている優先順位の問題だから全然OKだ。だけど先生はやっぱり公人の面が強い職業だし、敢えて言うなら「家族を大事にする」という価値を身を以て生徒に教えたかったという教育の一環であればそれもありだろうとは思う。おそらく先生をはじめ、政治家、経営者などは、公の部分が大きいことを理解した上で自分で敢えて選ぶ種類の職業だと思う。私心なく使命を果たす、というのは、時には不便も伴うし、家族に負担をかけることもある。どこまで自分は公人かを意識しないと、ずるずると私欲にまみれたり果たすべき責任を果たせなかったりする。それは良い悪いというよりチョイスの問題であるし、自分の選んだ役割について、公と私の折り合いをつけながら誠実に一生懸命生きていくのが人間の姿だなと思いました。
Apr 15, 2014
コメント(0)
この週末は、年二回の高齢行事(恒例行事のミスタイプだけど、面白いのでそのままに)であるフルマラソンに参加して来た。今回は当社から12名の参加で、マラソン前日はゴルフやテニスで身体慣らし?をして、いつも通り前夜祭をやってのスタートである。今回は練習の位置づけだったので気楽にスタートしたが、意外といけそうな気がしたので慎重ながらも4時間ペースで快調に走れた。練習ではキロ6分でも割合しんどくて7、8キロでもういいやとなるのだが、不思議なことに本番では5分半くらいで走っても全然速いという感じなければ10キロ走っても何ともない。結局ハーフはちょうど良い1時間58分くらい、お、これはもしかして4時間切れるかな(昨年は3時間58分だった)と思っているうちに案の定30キロを越えてから怪しくなり、37キロで失速して後はちょっとガタガタをなんとか踏ん張り、最終的には4時間8分のまあまあかなの記録でした。それでも目標にしていたキロ6分平均を少し割って、平均5分53秒だったのは良かったかな。練習だとたいしたこともないのにすぐにしんどくなる、しかも距離も10キロくらいが限界なのに、本番では少なくとも30キロまで5分30秒そこそこのタイムで走れるのはどうしたことだろうといつも思う。やはりマラソンがしんどいのは「気のせい」で、おそらくさぼりたい頭が「しんどい」と身体を騙しているのにちがいないと思える。本番ではもうやるしかない、42キロ走りきるまでは止めれないと分かっているから、身体に「しんどい」と思わせるよりも「しんどくない」と思わせる方が理にかなっているのだろう。多分仕事も同じことで、いつでも止めれるどうでもいいやと思うとたちまちしんどくなるし、レベルの低いアウトプットしか得られない。逆にもう逃げ道もなく、レベルの高いパフォーマンスを出すしかない場面では、脳は自分を騙して最高のパフォーマンスを発揮されるものだと思う(で、しかもしんどくない)。なので楽な仕事ほどしんどく感じられ、レベルの高い仕事は疲れないってのが、仕事に対する実感じゃないかと思う。さて次は12月の那覇マラソンだ。僕は暑い時に走るのが苦手なので、夏の間に頑張って走って暑さに慣れておくことにしたい。昨日走り終わったばかりだけど、懲りずにまた次回に向けて頑張ります。
Apr 14, 2014
コメント(0)
スポーツをしていると、「美学に徹するか」か「勝負に徹するか」か、人によってこだわりが異なることがよくある。「美学に徹する」のは、たとえば日本柔道の様なものだ。美しく立ち、正々堂々と一本勝ちを狙う。逃げ回ったり時間稼ぎをすることなく、奇麗な立ち技で一本勝ちを狙う柔道である。対して「勝負に徹する柔道」とは、柔道を純粋な勝ち負けを争うスポーツと見做し、効果を積み重ね、ポイントで優勢な時にはリスクを犯さず時間切れ勝利を狙う柔道のことである。どちらが正しいかは判らない。スポーツの目的、その人にとっての目的や理想が異なるから、どちらが正しいとは言えないと思う。僕の場合は(体格的に一流とは言えないからだろうが)どっちかと言うと勝負にこだわる方だと思う。チームの戦力が低かろうと、素晴らしいシュートを決める選手がいなくても、泥臭くても良いから必死に知恵を絞って戦って、結果として勝って少しでも勝ち残ることを目指していたと思う。僕自身もどちらかと言うと泥臭くて、華麗なシュートを一試合に一本決めるタイプではなく、打てば必ず入るシュートを数本地味に得点し、相手の主力選手をこれまた地味に抑え込むタイプだったと思う。自チームの弱いところを予想して早めに動いて補い、相手の弱点を見抜いてピンポイントで突いて最小限の努力で得点する選手だった(嫌なタイプだなあ)。結局目指していたのは全国大会出場、そして強豪の中で、進学校で体力にも経験にも劣る自分のチームが如何に勝つかが目的で、美しく華麗なシュートを決める、圧倒的なパワーでねじ伏せるなんて目指しても出来ない、だから最初から目指さないってことだったと思う。経営も同じ様な感じがする。仕事はもちろん、提供するサービスや商品に欠陥はあってはならないのだが、過剰に品質に拘って小さく考えるよりも、常に発展途上と知りながら高い目標を掲げて、なんとか辻褄を合わせて勝ちに徹するのが経営じゃないかと思う。目の前のサービスや商品に情熱を持ちつつもひたすら拘ってしまうのは職人の美学で、経営者なら同時に「ではどうやって勝つか、どうやって大きく勝つか」を念頭に時には背伸びした目標にチャレンジしないといけない。泥臭くても勝ちを重ねることで、企業は社会的責任をより果たすことが出来るし、より多くの顧客を幸せにし、社員に物心両面の幸せを提供することが出来る。経営者は自分の美学に拘るのも良いのだけど、同時に企業としての発展、社員の物心両面の幸せ、そして社会貢献を考えないといけないと思う。そのためには多少格好悪くとも勝ち続けることが必要だってことだ。ということでこれからも泥臭く勝負に拘って頑張りたいと思います。
Apr 6, 2014
コメント(1)
採用活動も一段落が付き、新しい当社の陣容も方向が決まって来た。過去一年間は様々なチャンスを具体的に広げて来た「アーリーサクセス」(初期段階での成功)の段階だったが、いよいよそれを具体的な実績や収益に結びつけるためのステージに入るのがこの一年である。考えてみればベンチャー企業みたいなものである。当社は40年を越える社歴を持つが、この10年でやってきたこと、これからやろうとしていることは過去の実績を土台としつつも、挑戦していることは全くこれまでとは違う世界、勝負のルールが支配する土俵となる。そうすると社員も単に「仕事ができる人」ではなくて、「仕事を創り出し、周りを巻き込む人」(で、仕事もできる人)が必要とされる。なんせ「ないものを作ろう」というのだから、そして同時に日々の収益も稼ごうというのだから、他社の何倍も働き、何倍も効率的な仕組みを持っていなければならないだろう。ストイックなビジネスアスリートみたいなものだ(当社はフィジカルにもアスリートを目指しているが)。当社で働く人への報酬は、もちろん「安定した生活」もそうだけど、「挑戦し、成功し、人間として成長出来る」可能性があるってことだと思う。いつも成功ばかりする訳ではないけれど、少し失敗しても10年くらいしつこく挑戦していれば、周りも根負けしてくれて結果的に大成功することは大いにありえると思う(僕も6年目にして昨年やっと4時間を切った。フルマラソンの話)。応募者に自社のことを説明すると、自社がどのような状況に置かれていて何を目指しているのかがよく分かる。ちょっと癖になりそうなので、また採用活動は随時やっていきたいと思っています。新卒採用もやろうかなあ。
Apr 1, 2014
コメント(1)
全5件 (5件中 1-5件目)
1