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(楽天市場さんより)几帳面なA型は、整理が簡単なウプラの機能派バッグ<整理好きでしっかり者。そんなA型さんへ>アレッシィの新作ウオッチは、個性派のB型にぴったり!<新しい物が大好きで人と同じじゃつまらないというB型さんへ>O型のアクティブさをより引き立てる、カリマーのウエア<行動派で朗らかな印象のO型さんへ>センシティブなAB型は、気分のリフレッシュにフレグランスを!<豊かな感受性ゆえに気を遣うことも多いAB型さんへ>来ましたね、それぞれの血液型の個性を生かしたファッショングッズ。こういいこと書いてあると、なんとも自分に合いそうで、ついついサイフのヒモも緩んでしまう。けれども「血液型と性格」学問的な根拠はないと言われながら、いろんな箇所で見ると一致しているし、なんとなく自分の持っているイメージと同じだね。mizuはO型で(知っている?)、「Bにはムリヤリ合わせられるし、Oとは、元々よく合う」といったら、AとかABのヒトから、「じゃ私とは合わないの?」といわれた。これらの方は、合う合わないのことではなくて、自分にないもの持っているという意味で、アコガレの対象ですね。ということは「誰でもいいってこと?」 そういわれると確かにそうかもしれないなぁ あんまり好き嫌いはないほうです。
2002.09.30
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こんな題だと「金の亡者」かって思われちゃうね。だけど、あんまり「金」に執着しないほう(だからいつもピイピイ)。半年先の収入のメドはないが、その時になれば、何とか転がり込んでくるものだから(でも少しは、考えておこう)。山上憶良さんが;(子を思いつつ)「しろがね(銀)も こがね(黄金)も たまも なにせんも まされる たから こにしかねやも」の後に、下の句「それにつけても金の欲しさよ」ということである。七、七だから、「俳句」につけたほうが座りがいいかも。なるべくロマンチックなほうが、合うかな。「古池や 蛙 飛び込む 水の音 / それにつけても金の欲しさよ」 俳人芭蕉が貧乏長屋でワビ、サビの世界にハマル姿が浮んでくるね。「静けさや 岩にしみいる せみの声 / それにつけても金の欲しさよ」立石寺で、小銭の持ち合わせがなく、お腹が好いていたのだろう。「腹にしみいる」が正解かな?ってなふうに、遊べる言葉である。夏草や兵どもが夢の跡 / それにつけても・・・五月雨をあつめて早し最上川 / それにつけても・・・荒海や佐渡によこたふ天の河 / それにつけても・・・などと書いていたら、質問が・・「それにつけてもオヤツはカール」のマネですか?だって。イエ、こちらは古くから有名でして、「・・オヤツはカール」とパロったのでしょう。それにつけても、金の欲しさよ。嗚呼!
2002.09.29
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「消え行くホムペ」のことから「別れの美学」へ思いが及んだ。井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生さ」はカッコいい。それほど好きでもなかった男との別れに「さよならだけが人生さ」なんて言われて、惜しくなったりしてね。千 昌夫の唯一のヒット曲<星影のワルツ>でも「別れることは 辛いけど しかたがないんだ 君のため・・」これも良かったね。先週の<さくら>でも「会うは別れの始めなり」とハワイまで帰ってしまえば、桂木先生ならずとも、追っかけたくなるよね。茶道でも「一期一会」とか、「一生一度の出会いで、後は会えないかも知れぬつもり」でと、もてなしの心を教えている。平家物語では;祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。と無常観を説き、そのもとの経典では「生者必滅、会者定離」と「会ったものは、別れる」ことの定めを言っている。落日とか散り花に、格別の美しさを感じたりするものだ。ところで、いつものオチは、mizuとカミさん。もうお互いアキアキしているが、「別れ話」が相整い、いよいよ別離ということになったら、「惜しいなあ」との気持になれるだろうか?それきりだったりしてね、まあ、イチかバチか、やってみるしかないかな?
2002.09.28
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日記リンクとかして、しょっちゅうカキッコしていたホムペの人が、突然、閉めたり、更新しなくなったり、淋しいかぎり。もともと、見ず知らずの人でも、毎日カキコなどしていると、もう10年来の知己みたいな気分で、急速接近。そして、突然、音信不通となると、その距離の遠さが身にしみる。なんか突然、夢から覚まされた気分。もう少し、夢の続き見てたかったのに、目覚し時計で、現実に戻された?所詮、アカの他人といえば、それまでだが、チョッと割り切れないね。飛行機なんかで、知らない隣席の人と話し始めて、すっかり話し込んでしまい、名乗ることもなく、さよならすることも、よくあるし。クラスメートも会社の同僚も、別れてしまえば、それきりのことも多い。だけど、ここであったも他生の縁、いっときにせよ気持の通じた間柄、同じ釜のメシ食った間柄。どこかで、この「日記」でも見て、思い出したら、タマにはカキコでもしてほしいもんだね。じゃあね さーよならー・・・・
2002.09.27
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ISO取得ブームに乗り、荒稼ぎするコンサルタント会社。コンサル料も何百万円。なんせ1工数(日・人)で20万円も取る。(mizuなんか日給 5万円も貰えば倉が建つよ)コンサル料が高い分、シロウトには判らないような、コムズカシイ(文書)システムを作る。そもそも、審査の合格基準は、規格通りのシステムが出来ていて、それが実施されているかどうかであり、簡単、かつ低レベルのものだ。例えば「緊急事態の対応手順を作りなさい」とあれば、手順があるかないか、その手順のテストがされているかどうかの審査であり、その手順の良し悪しは審査の対象ではない。消防車を呼ぼうが、初期消火に努めようが、その順番はどうでも良い。手順があるかないかを審査すればよい。コンサルや審査員が「先に初期消火をすべきだ、イヤ、119番が先だ」という権利はない。イエ、言うのはいいが、合否判定には関係ないことだ。文書も、何でもかんでも「文書化文書化」と騒ぐが、こんなものは、規格で要求されるものって、ごく少数。記録なんかも写真で充分なものまで、文章が求められる。ISO規格からいえば、日本のコンサルの言うことは、ほとんど間違っている。こんなのに、高い金を払うことはない。最もバカらしいのは、コンサルなしでは動かせないようなシステムを作ることだ。認証を取っても、ヒモのごとくコンサルがついている。こんなバカなことやってると、「ISO取っても役に立たない」ということで、ISO取得ブームは去り、コンサルの仕事もなくなってしまうぜ!やはり企業が求めているのは、ロールスロイスじゃなくて、軽トラックだから。
2002.09.26
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近所の飲み友達のシャチョーさん方から「ウチでもISO取らなきゃならないんだが、困ったねえ」というのが、mizuがISOに取り組んだキッカケだった。何ごとも「ヒネクレた目で見る」というmizuの特徴(良いor悪い)を活かして、ISOを調べて見ると・・・驚くべきことが判った。認証取得の費用が、日本では20人規模の小企業でも、500万円かかるが、イギリスは100万円と5倍も違う。期間は日本1年に対して、イギリス4ヶ月と3倍。これはなぜか?・・・である。日本人の凝り性で、やたら複雑怪奇なものを作るから、と思っていたが、どうも、これだけではない。根本原因はコンサルタント業務にあるらしい。「舶来文化で理解しにくい」ことを、よいことに、高尚な講釈を並べる。「常人には理解しがたいこと」これがコンサルの飯の種。<環境側面を特定せよ>って、これ何? 要は、<お仕事で環境への影響する要素を挙げなさい>てな意味なのに、わざわざ難しそうにしている。しかも、細大漏らさず文書化し、完璧な記録を求める。こんなことは、規格のどこにも書いてない。車に例えれば「ロールスロイス」を押し付けるようなもの。欲しいのはトラック、しかも「軽トラ」でいいのに。日本では「ISOは素晴らしい、霊験あらたか」とか言って、ロールスロイスをビンボー会社に売りつけている、軽トラでいいところへ。幸い、ISOは国際規格なので、イビツな日本のやり方でなくても、審査に合格する。イギリスの審査会社などを使ってやればいいのだ。「単純明快」なものを「複雑怪奇」に仕立て上げ、金儲けをたくらむ、コンサルは許せない。おのおの方、「ダマされては、なりませんぞ!」日本のISOは どこがどうダメかは、いずれまた。
2002.09.25
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今夜は、甲子園球場での、巨人-阪神戦。M1の巨人、勝てば優勝、(途中、ヤクルトが負けたので)負けでも、引分でも、優勝の試合だった。阪神9回ウラ、2対1と負越して浜中のホームランで同点、延長へ。とうとう、最終回12回のウラ阪神の攻撃へ、そしてワンアウト満塁、痛恨のワイルドピッチで、さよなら勝ち。死闘5時間、阪神の見せた意地の勝利だった。伝統の巨人-阪神戦といっても、阪神は巨人の貯金箱の感じで、今日も、大方の予想では巨人の優勝が決まるハズだった。星野監督の男の意地が果たされ、さよなら勝ちの一瞬、巨人ベンチに向けての「ザマミロ」の表情が印象的だった。mizuは「アンチ巨人」なので、ヤスヤスの優勝は面白くない。アンチ巨人といっても、長島も原も高橋、松井、桑田だって嫌いではない。金にアカセて、選手を集めて圧倒的有利な立場で、なかなか優勝でないところが、野球の面白さだと思うから。往年の「巨人-阪神」戦の雰囲気がよみがえった、いい試合だった。「カッコ悪い優勝で」巨人ファンのみなさま オキノドクさま
2002.09.24
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チョッと書き物しながら、画面の隅のほうでTV見てたら;NHK <地球・ふしぎ大自然スペシャル>「ヒマラヤに潜む伝説の動物」・・「ターキン」をやっていて、途中から、手を止めてスッカリ見てしまった。クサナギ君とKyon2が司会だった。最初に興味をひかれたのは、ブータンの人々。和服とそっくりな着物を着ていて、生地は紬のように見える。顔つきも日本人にそっくりで表情やしぐさも似ている、今にも日本語が出てくるような雰囲気。「ブータンは日本のルーツかも?」と感じたが、それについては、NHKもふれず、いずれまたの機会に。珍獣ターキンは、「羊の顔、ウシの体」ということだが、番組では、「その姿を見た人は皆無に近い」とのフレ込みだった。そのわりには、すぐに見つかり、撮影に成功し、その後は海抜1500mから4500mの地点まで、2ヶ月かけて山を登ってゆく「ターキン」を追跡してゆく。確かに羊のような顔で、ウシのような体であるが、「にほんかもしか」に、習性など含めて近い印象。(学名は「大きなかもしか」の意なので)1頭のメスが子どもをマトメて面倒見るという「保育園」のような習性も面白い。最終的には、4500mのモミ林のはずれにある、高山植物の咲き乱れる「泥沼」に集まる。その数150頭ほど。この「泥沼の水」は塩分が高い。(ヒマラヤ山脈は、かって海の底だったというおまけの解説も)ここにオールメンバーが集まり、塩分を求め、またここは「「出会いと恋の場所」だとか。そうか、出会わないことには、恋も始まらないか。このシーンでターキン特番は終わっている。近頃の若者も、出会系とケイタイ、メールがなければ、恋人も出来ないなんていってるが、なるほどねえ。
2002.09.23
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よく「<飲み方>やるので、都合の良い日を知らせろ」とか連絡が来るが、mizuの場合「いつでもいいよ」ということになる。しかし一旦決まった日からの変更は、正直言って困ることが多い。決める時は、どうでも出来るが、決まってからの日程をずらすのは難しい場合が多い。「いつでもいいと言ったではないか」と言われても困る。「遊びの計画を優先する」とはいえ、仕事しなければ食ってけないし、予定をグラグラ変えては信用を失うからね。よていでは、一ヶ月先、二ヶ月先もあるにはあるが、原則として二週間先の予定を立てる。その時、調整して1日くらいの、空きを作っておくことが、生活の知恵だと思う。欠かせない用事が入れば、そこに当てはめることが出来るし、順次ずらすこともできる。2週先まで、びっしり予定が入ってしまうと、とても気になる。だから早めに、「2週間先まで予定が入っているので、その先で」と言って先に延ばすことが賢明である。ところが3週先まで、予定が埋まることがあり、この時はピンチだ。相手から、予定を延ばしたい旨、連絡が入るとみょうにウレシくなってしまう。遊びを優先しながら、仕事をこなすことは、ケッコウ大変だと思う。
2002.09.22
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バアが亡くなったのは、16日で、まだ5日しか経っていないのに早くも初七日の法要をした。身内が集まって、お経を読んだだけだが。身内と話しているうちに、二つの考え方があることに気がついた。。「年が年だし、ガンがあそこまで進行すれば助からない、苦しまずに亡くなったのが良かった」という分別派。「元気だったし、ガンは治りつつあった、病院の手落ちで殺されたようなもんだ」という煩悩派。mizuは、もちろん煩悩派で、悔しくてしょうがない。でも、微笑を浮かべた遺影を見ながら、お経を唱えるうちに、「死んでしまったものは仕方がない、確かに苦しむことなく逝ったのが良かったのかも」と思えてきた。今さら、何をしても生き返るわけではないし、もうあきらめるしかないのか、との思いもある。担当医は、「助からないものなら、楽にしてあげよう」との善意で?、安楽死を選んだのかも知れない。確かに、思い込みで家人に確認もしないで「モルヒネ」を打ったことは、大きなミスで許せない。その他のことは、運命と思って諦めるしかない。93才まで生きたことで、許すしかないのか?それのしても、病院側と患者側とで、もっと意志の疎通を計るべきであった。患者側は、病院のすることを過信しないで、もっと強く申し出るべきだったし、病院も患者や家族の言い分に、もっと耳をかたむけて、納得のいく説明をしてほしかったのだ。これから入院する時には「このようなことがあった」ことを参考にしてゆきたい。
2002.09.21
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19日の夜行寝台で、四国の「坂出」へいった。朝 見た、瀬戸内海も、心なしか沈んで見えた。7時には、坂出についたので、客先に行き、技術の講演と、製品のプレゼンテーションをやった。多くの人が、熱心に聴いてくれて、質疑も前向きな話だった。午前中に終り、昼飯は、「讃岐ウドン」を ご馳走になった。スッキリした味のウドンだった。帰りは、倉敷に回り、別の会社に説明をした。仕事中は、過ぎたことは考えるヒマもなく、気がまぎれてよかった。帰りの新幹線の車中では、ウツウツと過ぎたことを反芻していた。早く仕事に打ち込んで、忘れたい。
2002.09.20
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初めて、少しだけ時間が取れた、たまった仕事もある。さあ片付けようと思うのだが、もうやる気が出なくて、ボーっとしている。病院のやり方なんか腹が立って仕方ないが、すべて終わってしまったこと。悔やまれることが多いが、今となっては、どうしようもないのか。やはり、医者を信じすぎていたことが、悔やまれる。医者は、常人以上に人間性があり、かつ対処法の知見もプロだから、少々、納得できなくても、信じていた。むしろ、途中で疑問をはさんだ時に、堂々と専門的な見解を言って欲しかった。「モルヒネを使うことは、聞いていなかった」といった時に、スッカリ狼狽してしまい。「遅かれはやかれ、モルヒネに頼らざる状態になるのだから、それで、良いのではないか」といったことである。医師の予想に反して、モルヒネをやめても、そう激しい痛みは出なかったのである。ガンの進行状態だけを見て、本人の意思や家族の意向を確かめることなく、マニュアル通りに、治療を進めた結果だと思う。こうなると、人間というよりロボットに近い。今の病院のシステムが、人間性を失わせているのか?看護婦さんにしても「先生に確認された方がいいですよ」とは言ってくれたが、「看護婦は、医師の言う通りにしか動けないので」とか弁解がましいことしか言えぬ。看護婦さんが、医師に進言することも、許されないのだろうか?一言でいえば、「医師は人間じゃあない」ということだ。医師の資質の問題か?病院のシステムの問題か判らないが、聞けば聞くほど、不信感がつのって来るのだ。
2002.09.19
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ばあさんの治療のうちで、これだけは絶対に許せないのは;「頬のガン」の状態を見て、「これは余命いくばくもなく、すごく痛そうだ」と勝手に判断し、痛み止めに「モルヒネ」を使ったことである。しかも、絶食し「生理食塩水」(リンゲル液)の輸液点滴だけにしたことである。このままだったら、おそらく10日も持たなかったのではないのだろうか?3日目くらいに、家族が異常に気がついて、担当医に問いただすと、始めて「モルヒネ」を用いたことを明らかにした。入院の朝は、トイレも自分でして、意識もしっかりしていて日常会話もできたが、入院したら、意識がなくなり、寝たきりになった。医師に申し出て、モルヒネを止めてもらったら、徐々に意識が回復してきた。栄養分を与えて欲しいと申し入れたら、食塩水に4%のブドウ糖が入ったものを1日1000ml(40gのブドウ糖)だけ与えてくれた。「もっと栄養は与えられないのか?」の問いには;「これ以上、栄養を与えてもガンを育てるだけだからダメだ」との一点張りだった。この状態が20日ほど続き、ついに手足のムクミで輸液点滴が出来なくなった。担当医は、「苦しそうだから、モルヒネにしましょうか?」と何回も、誘いかけて、最初の判断を正当化しようとしたが断った。モルヒネは最期まで使わせなかった。そう強い苦しみは、最期までなく、意識もしっかりしていた。点滴を止めたら、その後3日で亡くなった。やはり「医者に殺された」との思いが残っている。
2002.09.18
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93才のバアちゃんの病院での対応については、まだまだ言いたいことがイッパイある。入院した時の担当医との話で、「延命処置はしない」ことになっていた。家族から見た延命処置とは「気管の切開や人口呼吸機」などで、例えば、意識がまったく失われた時など、回復の見込みがない時に、無理やり延命処置はしないという意味だった。入院して間もなく、頬のガンの所かから、数100mlの出血があった。この時に、「この出血は、ガン組織の中の血管が切れたために起こり、圧迫して無理やり出血を抑えてあるので、止まらないかも知れない、身内の者も呼んだほうがいいでしょう」との話があった。家族「出血した分を、輸血する方法はダメですか?」医者「それはダメです、輸血は延命処置ですから、約束と違います、輸血しても出血がある限り無駄な処置です」家族「輸血と出血の繰返しても、ズット続けるようなことまでは、望んではいませんが、もともと貧血ですから、今夜、出血した分を補う程度の輸血もダメですか?」医「それは無理です、出血しても、明日になって、どの程度の貧血かを調べるまでは、輸血できません」家「貧血の程度が判るまで、ダメだとすると、今夜出血が続いても輸血しないのですか?」医「そうです、今夜は輸血できません、看護婦さんにも、そう指示して、今夜は帰ります」家「まだ会わせたい人は、おりますので、せめて今夜だけでも輸血できないのですか?」医者「じゃあ、今の血液を検査して、結果を見てから、輸血の量を決めましょう」家「エッ、今、出来るのですか、じゃあ、その結果で輸血すべきかどうかを決めて下さい」15分後医者から、「検査結果の報告をします」と言うので驚いた。医「今の、検査結果では異常がありませんので、輸血はしません」との、宣託であった。出血しても輸血はせず、これでは「ドウシヨウモナイ」そのうち、出血が止まっている、ことが判明した。医者も「延命処置」はしないで済んで、助かったとのこと。
2002.09.17
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身内の、おばあさんが息を引き取った。93歳なので「大往生」と言ってもいいだろう。死因は「ガン」イヤ正確には「栄養失調症」だと思っている。5ヶ月ほど前、大病院で「末期ガン」とのことで、余命は2,3か月だと宣告された。舌ガンから転移した「頬のガン」である。「何とか直す手立てはないのか?」「年が年だから、手術とか放射線、抗ガン剤、など用いても、あまり延命はできないので、自宅で、自然に過ごすことが良いでしょう」とのことだった。もう西洋医学では、なす術がないと言うことだ。よしこうなれば、自宅療養で「アガリスクでも、メシマコブでも、あるいわプラズマ療法でも良いと言われるものは、何でも、ダメもとで試してみよう」ということになった。4ヶ月ほど、メシマコブやプラズマ療法を続けると、「頬のガン」は、明らかに好転したように見えた。しかし、元気が出てこない、診断の結果「血液成分」の異常ということで、8月の初めに、入院して「輸血」や「輸液」で1週間で安定した。すると、すぐに「退院」を命ぜられた、もう少し「入院加療」をしたいという希望は叶えられなかった。自宅の戻り、10日目のこと、ついに、頬に小さな穴があき、飲食物が外へ漏れる状態となり、食べものがたべられなくなり、再入院した。この時の担当医が、とんでもない治療を始めた。見るから末期ガンで、治療効果は考えられず、余命いくばくもないとの診断をしたようであった。痛み止めとして<モルヒネ>を与え、輸液は、生理食塩水のみであった。入院直後から、様子が一変した。たちまち瀕死の病人のようになった。意識がなくなり、手足がムクンできた。医師に問いただすと、「もう先はないので、モルヒネで苦しみを取り、栄養も与えていない」という。さらに、問いただすと、「家族が安楽死を望んでいる」と、暗黙の了解があり、それに従ったとのこと。「そんなことはトンデモナイ、相談もされていない、ガンは治って来たと思っている」というと、「もうこのガンは治るはずがない、苦しむだけだ」という。「とにかく、モルヒネは中止して、栄養も与えてください」と頼み込んだ。、不承不承「モルヒネを中止し、最低限の栄養を与える」ということになった。この治療を、3週間ほどすると、状態は良くなってきた。意識も正常にもどり、ムクミも減りつつあった。3,4日して、再び手足のムクミはひどくなり、輸液が出来なくなった。(栄養失調によるムクミだという。「切開手術をすれば、輸液が続けられるが、そうしたところで、長くは持たない」と言った。仕方なく、輸液もストップした。輸液を止めて、3日で息を引き取った。だんだん静かとなり、眠るような大往生であった。しかし、死因はガンではなく、栄養失調だと思っている。これが、ターミナルケアの実体なのか。
2002.09.16
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「家を3回建て換えた」といったら「スゴイ経済力」と思わたようだが、これは、トンデモナイ誤解。要は、アパートの家賃程度しか使っていない。mizuは、ごく普通のサラリーマンだったし、カミさんの収入だって、パート収入と同じようなものだった。「それで何回も家が建てられたものだ」と思うかもしれないが、高度成長期だったので、借金で家を建てても、どんどん支払いが楽になった結果も大きい。それに、住宅金融公庫や会社の持ち家奨励制度、税金の優遇措置などのお陰でもあった。最初の家は、5万円/坪程度であり、次が15万円/坪、その次が50万円/坪と建築費も高度成長した。実はバブルのピーク時に、借金で建てたものが、1番困ったが、ちょうど、高速道の建設用地に取られてしまい、移転補償金で難を逃れた、これはツイテいた。設計には、何年もの時間がかけられたので、徹底したローコスト/ハイパフォーマンスのものが考えられた。住宅会社では、mizuの家をマネて、コストダウンが計れると喜んだほどだ。設計は、まず強度計算から構造体を考えて、それにレイアウトを当てはめて行くような異例のやり方だった。1間半×2間半(7.5畳間)の部屋を基本単位として、これを基準にレイアウトを考えた。1.5畳(トイレや洗面)3畳(風呂)7.5畳(寝室、居室)15畳(リビング)といった具合である。外周の壁は2重パネルとして、強度を持たせると共に、この壁の通って換気する、高気密、高断熱の構造とした。エアコン等も1/3の大きさで、機器は安いし、省エネでもある。何のことはない、10年単位で、設計と居住実験を繰り返したようなもんである。この生データは、建築会社にフィードバックする。だから余計に建築費が安くなる寸法である。だから、経済力があって、家を建て換えたわけではない。
2002.09.15
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カミさんとは結婚当初から気が合わないのに、どうして別れないで済んだか?(まだ済んでないかもね)このわけを考えると、唯一の共通点は「家を建てること」で「住まいのプラン」だけは、ずっと二人の共通テーマだった。だから「家建ての切れめが縁の切れ目」かもしれなかった。新婚当時は1年ばかり借家に住んだ、この時から「住まいのプラン作り」が始まった。土地を求め、ここに片屋根のカワイイ15坪ほどの家を建てた。カミさんに言わせると、mizuの金で建てたのは、これだけだ。<洋風>その後は、mizuの収入は全て生活費に消え、カミさんの稼ぎを「家造り」につぎ込んだ。10年ばかりして子どもが大きくなると、手狭になったので、15坪ほど増築し、リフォームした。<和洋折衷>、さらに10年ほどで老朽化により、和風の2階屋に建てかえた。「終の棲家」とする積もりで、ずいぶんガンバッた設計だった。<純和風>家が完成して間もなく、高速道路の計画路線に入ってしまい、ゆくゆく立ち退く運命となった。さらに10年、老後を考えて「高気密、高断熱、バリアフリー」の家として、エレベーターまで追加した。2階が住居、1階には仕事の事務所を移転した。これは、洋風でタタミのヘヤは1つもない。唯一タタミベットがあるだけである。<洋風>さらに10年後をめざして、仕事にハゲミ、mizuのお金で、「老人憩いの家」でも建てるかな?考えてみると、mizu+カミさんの収入のかなりの部分が「家造り」に消えてしまった。カミさんと別れず、家を建て続けたことは;「幸せそれとも不幸せ?」・・これは永遠の謎なノダ。
2002.09.14
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「スカポンタン・・・」といったら、なつかしぃ「ヤッターマン」だ! とのレス。最初にお断りするが、これは確か77年のリリースだから25年前。「私が小3の頃」というと、(25+10=35)とすぐにトシがバレルので気をつけてください。mizuは、けっこうイイトシして見ていたが、「これ、子どもが見るにはもったいない、スグレタ作品」だった。毎週土曜日7時頃だったかな? 欠かさず見たね、ムスメに注意されながら「マンガばかり見てると、ダメ夫になっちゃうって、ママが言ってたよ」「どんな?」「パパみたいなダメ夫だって」。もう毎週のサブタイトルだってフルっていたね。<舌きりインコ><グズの魔法使い><マンジュとスシ王><塚原ボケ伝><ノンキホーテ><迷犬ラッキー><アワテルローの戦い>古今東西の名作をパロっていて、原作知らないと損だって感じ。キャラだって斬新だった。ドロンジョさまなんか<超ミニにロングブーツにアイマスク>今、街を歩いても超えてるよね。おまけにラストの自爆シーンでは、ベストがぶっ飛んで胸チョロのサービスまでついて。攻撃命令は「ヤッテおしまい!」、部下の失敗には「このぅスカポンタン!」。ボヤッキーも「全国の女子高生の皆さーん」という名セリフを残したし、トンズラーなんか、25年も前からヘソ出しルックを実践(出ベソだった)。「ブタもおだてりゃ木に登る」の<おだてブタ>。ぞろぞろ出てくる<ゾロメカ>・・・ マイきょにイとマない。善玉と悪玉の戦いだが、善玉のヤッターマンの印象が薄いのは、どうしたわけだ。もっとも、悪女ドロンジョさまがヤッターマンに「ほの字」となり、だんだん攻撃が鈍ってしまうという「人情のきび」など入っていたね。さて、今日は、だいたい年2回ある13日の金曜日(あと12/13)早いとこ仕事済ませて「寝ちゃうかな」bye!
2002.09.13
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こだわりの新商品を開発して、大儲けしようと、たくらんでいる。食品、機械、農産関係の経営者たちと mizu の4人だ。それぞれが正業を早じまいして、こそこそと抜け出して mizu の事務所に集まった。こそこそ抜け出すのは、「<大儲けのメド>が立つまでは、内緒にしておこう」ということである。とにかく、何が出来るかお楽しみ「スゴイものを作って、世の中を驚かせてやろう」。それで「大儲け」したら、言うことないね。今は、誰も気がついていないが、それを売り出すと「なぜ、こんなに良いものが、今まで、なかったのだ!」と思うようなもの。今日は、テーマが決まった。さっそく、試作品を作って、動かして、改良を加へ、こだわりの一品を作ろう。今までは、テーマを出しは、お互いケチつけあって、なかなか決まらなかった。それが、どういうわけか、今日は「満場一致」で決定した。(夕飯も食わず、腹がへったからかな?)テーマが決まると、具体的なアイデアが次々出てきて、もうすぐにでも完成し、大儲けが出来そうな気分となって来た。メンバーの頭の中では、もうすでに、完成品が動き回っている。「よし、早く試作品を作ろう。苦労するのは、その先だからね」本日のミーティングは、これにて終了。 今が1番楽しい時かも。
2002.09.12
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東京は渋谷に「キッチンジロー」という知る人ぞ知る(知らない人は?)レストランがあるそうだ。ここのジローおじいちゃんが「ジローおじいちゃんの徒然なるままに・・・」というホムペをたちあげた。<http://plaza.rakuten.co.jp/kitchenjiro/>その、第1日目の日記に:>これからはこのページと新たに開くホームページで皆様のご意見を聞きながら、新しいキッチンジローを創りたいと願っています。 とあった。40年もの歴史ある店のリストラクチャーである。特に、楽天のホムペに「皆さんのご意見聞きながら・・」というところが、大変オモシロイ。オーバーな表現をすれば、「新しい文化」を感じる。たぶん、楽天のgogo!yurichanさん<http://plaza.rakuten.co.jp/ozakiyuri/>(この人は、女性起業家として有名)のアドバイスも入っているのだろうが、画期的なことのように思える。まあ突然「日記リンク」して頂いたので 言うわけではないが、「楽天のカキコ」の意見を取り入れていくだなんて、楽しいことだと思うね。ちなみにmizuの要望事項は、「リーズナブルなお値段で美味しいこと」。さらに、希望を1つ、「カキコの常連」が行った時には、歓迎して下さいね。ジローさん!
2002.09.11
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「スカポンタン」とは、タイムボカンシリーズの「ヤッターマン」で、悪女「ドロンジョ」さまが「ボヤッキー」に、いうセリフで、スカタンとアンポンタンが合成された・・・(この話はいずれまた)。ISOの審査は「規格の要求事項(きめごと)」に適合するか、どうかを、判定してくれれば良いのに、わけのわからん審査基準を持っていて、それで、合否を決める審査員が多い。例えば、<緊急事態となりそうなことを特定する手順を作れ>とあるが、「環境委員会で議論して決める」ことで、合格とする審査員もあれば、「コレではダメ」という審査員もいる。なぜダメか、聞いてみると「地震予知の正確な情報を入手する手順がない」とかいう。今どき、地震予知の正確な情報など出すところはドコにもないことを知らないの?審査員の判定基準は「手順のありなし」で「手順の良し悪し」ではないハズだが。「この手順では良くない」という。「これでは不合格ですか?」と聞くと、「いや不合格ではないが、もっと良い手順を考えてください」という。こちらが審査員に求めているものは、合格、不合格の判定であり、良し悪しなんか聞いてはいない。「じゃーどうすれば、いいんですか?」と聞くと、「審査員は、アドバイスできない、ことになってますが、こんな方法もあります」とサービスのツモリ。まあ、要するに「こんな方法」と言うのは、審査員が個人的に考えたモノで、好みをいっているに過ぎないのだが。だから、アドバイスはしてはいけない、ことになっているのだ。こんな、スカポンタン審査員に1人に1日16万円も、払うと思うとハラ立つね。(他にも高い経費が)合否の判断基準を理解せず、マニュアル通りにも、やっていない。ある審査員に「何でそんなに、ケチをつけるのか?」と聞いたら、答えがフルッていた。「規格に決められたモノの、単純な<あり、なし>では、ロクな努力もしないで、みんな合格してしまいますよ」だって。そんな単純な審査では、審査費用が取れないからね。「このスカポンタン!」・・・ああセイセイした。
2002.09.10
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先日「長浜のJCですが、定例会にお願いします」とてTELが来た。ちょうど事務所の電話をケータイに飛ばしていたので、TELナンバーを見て近くかと思った。(後で、よく見れば、自分の事務所の番号だったが)「ひにちは9/9、18時からです」「了解しました、夜でしたら、大丈夫です」と返事をしてしまった。同じ局番の「長浜」って、どこだろうか?、後で、ゼンリンでも見ればわかると思っていた。詳細のメールが来た、住所を見ると「滋賀県長浜市」とあった。そうだよ、長浜って、秀吉の長浜築城と「利家とまつ」でもいってたな。楽天、イヤ、「楽市楽座」や、「浜ちりめん」でも有名だよ。でも、新幹線で 2時間もかかる,遠いよなあ。ここで断わっちゃオトコがすたる。万障繰り合わせて行っちまうしかない。そして、長浜へ行って「コウエン」なんぞしてきた。司会者が「mizuセンセイをご紹介します」と言ったが、開口一番、センセイはないよなー;「センセイとの紹介ですが、これ嫌いです、私は、センセーイ、困るよなーとしか使わないので、センセイはやめて下さい」といったら、最初からバカウケで困った。一時間ばかり、漫談をして「エー質問などございましたら、どうぞ!ご遠慮膜」と言ったら;ハイ、ハイと手が上がったが、もうセンセイなどとは、思っていない、全くリラックスした様子で、次々質問した。「エー質問の答えになるかどうか判りませんが、こんな風に思ってます」とか勝手なことをいって、的外れの回答をした。みんな正装をしていたが、mizuは半そでシャツのいでたちでだった。「へへ、こんなコウシって、メッタにお目に、かからないだろう。なんだかスーっとしたね。
2002.09.09
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ISOについては、「云いたいことがイッパイある」が、ダンダン匿名性が失われていくようで。ヤバイんですよ。「カミさんの悪口」・・バレたらリコンもんだよね「不倫ばなし」・・・「バラしたわね」と狙われるかも「ウツの話題」・・・エッ、アイツがウツか、と仕事に影響が「ネット友のはなし」・・・相手に迷惑かけることも「血液型のこと」O型以外の人からニラまれる?何れにせよ、人物特定されると、云いたいこと云えなくなるし。でも「プロフィ見ればバレバレ」とはいってもあくまで推定だからね。で、話題かえると;石原慎太郎 原作「狂った果実」、石原裕次郎 歌、小泉孝太郎 主演。(スゴイ話題性、ウケ狙い)そういえば、自称「慎太郎の娘」の真贋は?お天気の話、スポーツの話題。主婦だったら「子育て」なんてね。趣味やファッションは?これらは知らないしね。でも、1番 mizuらしい話題は、「ブツブツぼやく」ボヤッキーかな?で、明日からは、mizuに戻って、相変わらずのバカバカしいお話を。ねえねえ、どんな話題がいい?(オット、これはBBさんの専売だった)(で、ISOについてのことは私書箱に!ネッ、いいHPを紹介しますよ)
2002.09.08
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最近、誰もが温暖化などの「地球環境の悪化」を気する時代となり、企業も「環境配慮」しないと経営ができない時代となってきた。 「環境に配慮した経営」は、ISO14001(環境)規格で行うのがベスト。 これは、どこの企業の経営者も考えてはいるが、問題は費用。「最低500万円はかかり、人手も大変だ」ということだ。 「100万円以下、さほど人手もかからない?」と言うと驚く。<環境ISOの認証を取るには> 「環境に配慮した企業の運営マニュアル」をつくり「実施」することである。 その良き「標準仕様」がISO14001規格であり、それに従った「マニュアル」を作り「実施」すればISOの認証が取れる。 「実施」の意味は、マニュアル通りに運営することで「成果」を問うものではない。<どんなことをするのか?> 「環境方針」を作り、この方針を「目標」を立てて「実施」し「チェック」して、方針通りか「見直す」。(PDCAサイクルなどという) ISO規格では、方針や目標の立て方、実施やチェック、見直しのしかた、その他うまく運営するための細目が決められている。 (ああせい、こうせいが52個ある) この52個の「ああせい、こうせい」は、一見メンドウなように思えるが、実はマニュアル作りや実施がうまく行くための規格であり、規格を利用すれば楽に出来るし、おまけに認証も取れるといったものである。 ISO14001は、単純明快な規格(判りにくい訳語もあるが)で「何をしなさい」と書いてあるが「どんな風に、どこまでやれ」とは書いてない。 それは、企業で自由に決めてよいことになっている。 例えば「廃棄物を減らす」というという目標を立てるとすれば; 目標に何を選んでもよく、どこまで減らすかも自由、さらに目標が達成されないからといって、不合格にもならない。 規格では「目標を立て、実施し、チェックしなさい」だけである。 審査も、「マニュアル」通り「実施」されているかどうかを見るだけである。<費用とメリット> 小規模企業の審査費用は、認証登録の費用を含めて70万円くらい、これプラス諸経費くらいで、認証を取ることが出来る。(100万円以下) ISOのマニュアルをうまく作り、実施すれば、このくらいの投資は、すぐに回収できる。 経営者なら、ISO認証取得の最小コスト、最大メリットを考えるのが当然でしょう。
2002.09.07
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昨日に続いて、ガラにもなく、難しそうなISOの話・・・まず、ISO規格ってのは「国際標準化機構」が決めた国際規格のことで、日本国内のJIS規格の国際版みたいなもんだ。<ISO>で、前から有名なのは、ISOネジの規格で<ISO 965>だったかな。それで<ISO14001>って「環境に配慮した企業活動のやり方」を決めたISO規格。よく「ISO14001認証取得!」なんて、とても難しいことが達成できたっ感じだが、実は、たいしたことはない。(取得企業の皆さんゴメンナサイ)この規格は単純明快で、内容的にも「特に難しいことをせよ」とは書いてない。当たり前のことを「何々せよ」と書いてあるだけだ。言葉は、法律文と同じように、意味を厳密にするため、多少難しいくて、「日常会話」と「ビジネス英語」の差はある。その日本語訳は、もっと難解だ。日本語訳の解説者がいて、勝手な解釈をするので「ISOの取り方」だなんて本を読むと、ますます判らなくなる。さらに「ISO取得のコンサル」なんて、ご商売の人がいて、彼らは営業政策上、難しく難しく解説。これでは「一般人には理解できない」かも知れない。また書類なども、いっぱい作るので、複雑怪奇なものとなる。(ほとんど不要)本場、英国の審査員は「日本人はコリ性だね」と笑っている。出来るだけ多くの企業がISO14001規格により、環境配慮の活動をすると良いのだが、日本では、規格をコネクリ回してわけのわからんモノにしている。これじゃあ、小規模企業に取っては、大変だよね。それで、mizuはガラにもなく、立上ったのだが、応援してくれる人は多いね。(わりとノリ易いタチなので)
2002.09.06
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ISOだなんて云うと、エッ、軟派のmizuが難しいことを・・・と思う人が多いかもね。日本人は「難しいことに価値がある」と思っているようで。「般若波羅蜜多心経」などと分けのわからん経文を30分も唱えて、その後に「分けのわからん お説教」を聞く。ISOのコンサルや審査も同様。 「梵語」の代わりに、分けのわからん「英語や漢字」。おまけに審査料やコンサル料も、どえらく高い。難しい言葉を使うので値打ちがあり、料金も高い。「環境側面」だの「パフォーマンス」だのと、理解しがたい言葉が並んでいる。「mizuさんてスゴイですね(おバカだと思っていたが)ISOのコンサルなんかやってるインテリなんですね(信じられない)」「英文と日本語の対訳」を見てると、どちらも、半可通ながら、だんだん見えてくる。難しいことなど一つもない。あたりまえなことを、ゴク簡単に書いてあるだけだ。これを、審査員やコンサルは、もって回った言い方で「高級言語」仕立て上げる。なんだか今日は難しいね。ふだん見られないインテリの一端をのぞかしているね(と思うかもしれない)だから「審査員は三日やったらやめられない」お仕事だそうだ。クタバレISO!。
2002.09.05
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「ひょっこりひょうたん島」の歌のことを書いたら、この番組のファンの方からメールなど頂いた。60年代のNHK子供向けの人形+アニメの作品で、30年以上も経つのに、ファンクラブが存在するという。なんせ中山千夏女史が10代で「千夏ちゃん」とよばれていたころの話である。番組はカラーだったはずが、カラーテレビは高嶺の花だった。博士、ガバチョ、トラひげ、ダンディ、サンデー先生など、今でも、ありありと浮んでくる。井上ひさし-脚本、宇野誠一郎-音楽、久里洋二-アニメとゼイタクな顔ぶれだった。この間、ある店で飲んでいて、若作りのママさんと話していたら、なぜか「ひょーたん島」の話となった。店では30代で通しているが、あまりに詳しい。小学生の頃に、毎日見ていたという。ガバチョがどうの博士がどうのと、ひとしきり話していたが。「まてよママ、トシいくつ」と聞いてしまったら、「企業秘密だよ」といって、大笑いした。トシをカクす必要のある人は、「東京オリンピック」や「ひょうたん島」の話は、あまり詳しく話してはいけないのだ。話す時や、カキコの場合では、「母に聞いたハナシ」だがとか、いったほうが無難だろうね。「ひょうたん島ノート」---------------------------------------------放映期間:1964年4月6日~1969年4月4日。1224回放送局:NHK放送時間:月曜日~金曜日、午後5:45~6:00作:井上ひさし、山本護久 音楽:宇野誠一郎アニメーション:久里洋二人形:ひとみ座---------------------------------------------
2002.09.04
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苦しい時、ウツな時、目を閉じて考えごとしていると、アタマの奥の方から、「この歌」が聞こえてくるのです。時には、前奏つきで!チャン チャン チャチャッチャチャンチャン チャンチャンチャン チャー・・・♪波をチャプチャプチャプチャプかき分けて、雲をスイスイスイスイ追抜いて、ひょうたん島は どこへ行く ボクらを乗せてどこへ行く♪丸い地球の水平線に 何かがきっと待っている♪苦しいことも あるだろさ 悲しいことも あるだろさだけどボクらはクジケない 泣くのはイヤだ笑っちゃえ進め ひょっこりヒョウタン島 ひょっこりヒョウタン島♪この歌が鼻歌で出てくれば、もうウツも脱する兆候だ。会社にいた頃、打上パーティの日に、暗幕の囲いの中で電子顕微鏡の画面を見ながら、オペレーターのEっちゃんと二人で歌っていた。 暗幕の外に、おおぜい人がいたのも知らずに。「今日の打上の余興で、mizuが指名されたら、デュエット頼むよ」なんていいながら、練習していたのだ。打上パーティでは、余興の真打で「mizuさんデュエットでお願いします」と言われてしまった。この時は、みんなで合唱するうちに、なんだか涙が出てしまった。仕事は期待以上に上手くいったから、いい打上だった。それ以降、打上のテーマソングのようになってしまった。Eっちゃんは、お嫁に行って、いい母親してるだろうなあ?
2002.09.03
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「○岡メロン」だなんてラベルをつけて、協同出荷している組合がある。ブランド品なので、検査して選別されている。合格品は、箱入りに、不合格品は「一山イクラ」の商品や、「畑のコヤシ」にされたりする。重さや、大きさ、糖度などは、計器の分析値で評価されるが、マスクの入り具合や、色つや等は目視検査される。この時に、使われるのが「限度見本」である。要は、限度見本を超えるてマスクの形が悪かったりするものが不良品となる。カミさんが知人などに「ウチは、夫婦仲が良くないので」と言うと「エッ、仲が悪いんですか?」と聞かれるそうである。「イエ、特別、仲が悪いわけでもありませんが」と言うと「じゃあ、お仲がよろしいんですね」と言われ「とんでもない」と答えるのだそうだ。カミさんのオフクロさんが、遊びに来る。顔を合わせると、「いらっしゃい、仕事がありますので失礼します。ごゆっくりどうぞ!」と言って、消えてしまう。オフクロサンは「くつろげるように、気を使っているんだよねえ」というそうだが、カミさんは「ただ関心がないだけよ」だそうだ。最近は「かまわない人でいいねえ!」といってるらしい。「仲が良くない」の結果の表れにすぎないのだが。JA関係の知人は「なんだか、メロンの限度見本みたいな、ご夫婦だね」というそうだ、これが正解!「ところで、限度見本品は合格品それとも不良品なの?」一応、合格品なのだそうです。(首をかしげていましたが)
2002.09.02
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今まで「日記」書くときに、250字から始まって、500字、1000字と試みてきたが、どうやら600字くらいが、1番よさそうだ。500字以内で「起承転結」は難しいし。さりとて1000字となると、書くのも大変。見るほうもチョッとおっくうになる。それで、600字。 行数にもよるが、ちょうど一画面スクロールなしで見える大きさ。原稿用紙で一枚半は、もっとも神経使う長さでもあるが、エッセー書くわけでもないし、たかが「日記」なんだから、ちょうど、このくらいが適当だろう。今、考えているのは、600字で「起承転結」。少し余分に!スクロールすると、ドンデン返しが!!!これで、約半分。あとの半分は流してゆこう!ところで、さっき(昨日の日記で)身内のように気になると書いたが、1番気になり、何度も見てしまうのは、Uさんかな。キリ番リストを見ると、狙ったわけでもないのに、150,2500,7777と三つもある。暗い話題なのに、実に明るく?書いてある。ウツ防止のためには、なるべく明るいものがいいと思いつつ見てしまうと、毎日、深刻な内容。しかし、なぜか明るい気持に、「綱引きのマークが、かなり引かれているのに、逆転の動きが見える」ような気分で、応援しちゃう。身内でいえば、トシの離れた妹か娘?だいたい600字はこんなところでしょう。なんか、シリキレトンボで、もの足りない?腹八分目が、よろしいようで!
2002.09.01
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