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素晴らしい3連休の後に待ち受けていたのは、怒涛の1週間。水曜は余りの眠さに定時ぴったりで職場を脱出、帰宅と同時に布団の上に倒れ込んだ。そのまま朝まで12時間眠って、でも木曜の仕事の準備が出来ていなかったから早朝にやっつける。そんな絶不調の木曜は、昼食も取れないほどの仕事量で。私は3月で退職するので、デスク周りの片付けもせねばならないし、仕事を遣り残すわけにいかないので、もう何だかストレスとか通り越して笑える忙しさだった。考える暇がないくらい忙しいのは、かえって悩まなくて済んで良いのかもしれない。私の抑鬱は、忙しさのせいじゃないらしい。4月から、忙しくても良いから、落ちこまなくて済む仕事を探そう。
2003年03月29日
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素晴らしい。今日は珍しく掃除をした。風呂場まで磨いてかなり頑張った。それはともかく。古いのから比較的新しいのまで、詩を一挙に載せた。特に片方はたぶん20歳になるかならないかの頃に書いたのが元で、何だか懐かしい。そう、あの頃は私はこんな事を考えていたのだな。10代の女の子にでも共感して貰えたら本望。そもそも私がHPを開きたいと思い続けていた理由には、自分の文章を発表したいという思いがあり、ろくに書けもしないうちに見切り発車も良い所で開いたのがこのサイト、また色々書きたいのだけれど、なかなか……まぁこうやってここで日記を書くのが適度な練習になっているかもしれない。しかしこうして見ると、手前味噌ながら、colorsはよく書けていたような気がする。今日UPしたものは今でも書けそうな気がするが、colorsは、少なくとも今の私には書けない程度には完成されているかもしれない。
2003年03月22日
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流行っているらしい。友達が自殺した事がある。自分も死にたいと思っていた事もある。なので、死にたいほど追い詰められた人間の事、少しは分かるつもりでいる。(当HP『[自殺掲示板]への書き込み』を参照頂けると幸い)けれど、自殺を遂げた全ての人達に、死ぬ以外の選択肢が残されていなかった、とは思えない。本当に死ぬしかない人なんて、きっとほとんどいない。死にたくなるのは病気だ。けれどそれは、不治の病ではないと思う。きっと自殺してしまった人達の多くは、適切な治療を受ければもう一度生きる事が出来た人達。どうか日本の精神医療がもっともっと発達し、効果的な療法や副作用の少ない薬がたくさん開発されて、また社会の、健常者の理解を得ることが出来、多くの、死を願う病に冒されてしまった人達が、救われますように。そして、今死を願う事しか出来なくなってしまっている人達自身が、一人でも多く、この病の理不尽さに気付き、自らを救う為の行動を取れるだけの病識を持ち、一日も早くその苦しみから解放されますように。自分が鬱病で精神科にかかるようになって、もちろん一番辛いのは自分自身の症状だったけれど、もっと早くにこの病気について色々知る事が出来ていたら、もしかして彼女を助けてあげる事が出来たのではないかと、いや、少なくともあんなに早く彼女が命を断つのを思いとどまらせる事くらいは出来たはずだと、そんな事を思うようになった。ほんの1年ほどの付き合いしかなかった私でさえ、あれだけ自分を責め、何年も経った今でもこうして彼女を救えた可能性を想う。おそらく彼女のご家族は私の想像を絶する後悔の念で、今も苦しまれていることだろう。もしも今、この日記を読んで下さっている人の中に、自殺を決行しようとしている方がいらっしゃるなら、どうか思いとどまって下さい。まだ病院にかかっていないなら、とりあえず精神科に行ってみて下さい。すぐには楽にはならないでしょう。でもいつか、いい薬や療法や医師やカウンセラーに出会って、その苦しみが癒える時が来るかもしれません。どうか諦めずに、この厄介な病と闘って欲しい……死ぬのはいつでも出来るから、死はいつかは必ず訪れるから、少し、もう少しだけ、待ってみて欲しい……めちゃくちゃしんどいと思うけれど。私が助けてあげられるわけでもないのに、酷なことを言っていると思うけれど。どうか。
2003年03月19日
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洗ってきた。魂を。そもそも私が彼と一緒にいたい理由は、彼といると「いちばん自分で居心地の良い私」でいられるから。子供の頃の私のままでいられるから。だった事を改めて思い出した。そういう場所を手に入れている私は、ある意味では強いのかもしれない。でもまだ足りないから、もっともっと自分を解放出来る場所を手に入れるために、動こうと思う。
2003年03月16日
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今日の日記は後ろ向きです。あんまり人に見せたくないけれど、たまにはこぼしても良いよね……自分を誇れない私が嫌い。愛せるような自分になろうとしない私が嫌い。力のない私が嫌い。弱い私が、嫌い。人に縋らなきゃ生きていけない情けない私が嫌い。褒められてちやほやされて可愛がられていないと、自分の居場所を確認できない私が嫌い。今夜の私は随分死んだ目をしている。母とまた言い争った。いや、今日は言い争う気力もなかった。私の心はボロ雑巾のよう。今夜は、明日が見えない。いつも心配してくれる人達へ。ありがとう。今日は凹んでいますが、たぶん明日には立ち直っている予定。彼に会いに行くし、大丈夫です。ごめんね、ありがとう。今夜はちょっとだけ泣きます。自分で自分を汚さないでいるためにはどうしたら良いのだろう。星の王子さまみたいに綺麗な魂でいるにはどうしたら良いのか。
2003年03月15日
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最近、毎日22時就寝という小学生のような生活をしている。いくら眠っても寝足りない。どうやら花粉症と風邪がWでやってきたようで、さらには日頃の仕事の疲れも溜まっているのだろう、もう、これでもか!というくらい眠っている。おかげでせっかく読み始めた二冊の本も、進まない進まない。昨日なんて、学生時代の友人に2年ぶりに会ったのに、お腹いっぱいになったらすっかり眠くなって、何だか鼻の調子も悪いし、というので早々と帰ってきてしまった。今日も既に眠い(笑とっととお風呂入って寝よ……
2003年03月08日
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という本を読んでいる。「永遠の少年か、中心気質者か」とサブタイトルがついている。臨床心理士が書いた本なのだが、「中心気質者」というのは、新しい性格分類のうちの1つのカテゴリーらしい。分裂病・躁鬱病・てんかんという三大精神疾患の患者の病前性格を健康な人の性格の分類にも応用したものに、「分裂気質」(分裂病的な人間のありかたと共通性を持った性格)「循環気質」(躁鬱病的な人間のありかたと共通性を持った性格)というカテゴリーに対して、もう1つの「てんかん気質」(粘着気質)という概念は、余りにも狭い領域しか指し示す事が出来ていなかったとか。そこで現れたのが「中心気質」の概念で、サンテクジュペリの童話『星の王子さま』に登場する「王子さま」と作者のサンテクジュペリ自身も、この性格の持ち主、という説。どう転んでも「循環気質」というか、思いきり「躁鬱病質」な私には真似できないけれど、「中心気質」の人が羨ましくなった。無邪気で天真爛漫で感性豊かで心が清らかで愛に溢れている。それはそれできっと大変だろうけれど。サンテグジュペリも私と同じ年まで定職が見付からなかったと知って共感を覚えてみたり(苦笑彼のように飛び立てるとも、飛び立とうとも思わないけれど、ただ、「目に見えない」「大切なもの」を見失うのは、いやだな。
2003年03月05日
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昨日休日出勤だった為、今日は代休。天気が悪いのでとりあえずうちにいる。林檎の新譜をやっと買ったのでそれを聴きながら。感想はとりあえず、「なるほど」。これが林檎の「本当に」したかった事らしい。『無罪モラトリアム』と『勝訴ストリップ』とは違う。(この二作も考えてみればかなり性質は違っていたけれど)今まで私が知っていた林檎の曲の中で、このアルバムのイメージに最も近いのは、ともさかりえに提供した『少女ロボット』だな。『絶頂集』の曲もかなり近い感じ。『やっつけ仕事』も別アレンジで入ってるし。あと、『真夜中は純潔』に収録されている『愛妻家の食卓』。うまく言葉で表現できないけれど、『無罪…』『勝訴…』は外に向けられた作品だったと思うけれど、『加爾基 精液 栗ノ花』は内に向かっている。深化している。もう1つ大きな違いは楽器の使われ方。琴やシタールまで使われている、と言ったら、少しはイメージして貰えるだろうか。ここで試聴出来るから、気になる人は是非。↓http://www.toshiba-emi.co.jp/ringo/cinema/flash/album-room.htm
2003年03月03日
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