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本日の弁当は「獅子唐&豆」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学四年時に担任から強引に鼓笛隊へ入部させられて、たった一日で退部。担任や親から何をやっても長続きしない、やってやろうという根性がないなどと散々言われました。しかし、私としては嫌な物は嫌なんだと、誰が何と言おうと主張を曲げなかった事を密かに誇りに思っていました。
2013年11月29日
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本日の弁当は「焼きそば」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学四年時に担任から入部させられた鼓笛隊。一日で退部を決意してそれを担任に告げた日から鼓笛隊が音楽大会を催すラジオ局に向かう日までは、まさに戦いの日々だったのです。「出ろ」「嫌です」「来い」「嫌です」と、連日のように担任との火花が散りました。自分が退部する代わりに友人の1人を大太鼓担当に推薦しようと試みましたが、その友人も最初は引き受けるような事を言っておきながら結局は否定されました。約一ヶ月間だったと思います。そうしたやりとりの中で、鼓笛隊の面々が授業中に学校を抜け出てラジオ局に向かう日が来ました。30名くらいの部員と楽器を持参していくので、観光バスが一台来たと記憶しています。急遽、自分の代わりに大太鼓を担当する児童も決まったんでしょう。バスの中に大太鼓を載せている所が教室の窓から見えました。
2013年11月28日
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本日の弁当は「ハンバーグ&しめじの炒め物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学四年時に鼓笛隊へ強引に入部させられたのですが、わずか一日で退部を決意。必死に顧問の担任に談判しますが、なかなか受け入れてくれないのです。この担任、大卒五年目くらいの若い男性教師で、男らしい性格からか「図々しく生きろ」というのがモットーだったようで、私達児童に図々しく生きるよう日頃から説くような教師でした。三年生時に卓球部を辞めただけで体育の評価を5から3に落とされた事もありましたし給食は残しては成らないと言う厳しい教師でした。気の弱い引っ込み思案な私は、よくその教師から批判されたものです。そうした教師ですから一旦入部をしたからには易々と退部を許すはずもありません。辞める理由も聞いてくれませんから、こっちも粘るだけです。鼓笛隊は期日の迫っていたラジオ局で開催される大会に出場する事になっていたので、人員の足らなかった鼓笛隊部員を集めるのに苦労していたのでしょう。どうしても辞めたい私と、辞めさせない担任。この頑固な二人の戦いは私の勝利に輝きました練習に参加しなければ良いだけの事だったので、まさか引っ張ってまで音楽室に連れて行かれる事は無いだろうと、「来いよ」と凄まれても一切出席しませんでした。
2013年11月27日
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本日の弁当は「焼きそば&貝柱おこわ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学四年時に一日だけ入部した鼓笛隊の記憶は、なにせ40数年前の事なのでかなり曖昧でよくよく思い出してみるとスケーターワルツも確かに演奏項目で初日に練習させられたんですが、最初に顧問から大太鼓のテストをされた曲目は「インディアンの踊り」だった記憶が蘇りました。あのインディアン独特のリズムですので、大太鼓としては単純なリズムなのです。それは簡単だったので実際の練習で楽譜が読めなくても演奏できたんです。それが2曲目のスケーターワルツになるとちょっと楽譜が複雑になって太刀打ちできなくなったというわけです。
2013年11月26日
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本日の弁当は「貝柱おこわ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学四年時に担任率いる鼓笛隊に強引に入れられ、スケーターワルツの大太鼓を担当する羽目になったんですが、演奏全体では単調なリズムで太鼓を叩けば良かったので、簡単と言えば簡単な作業でした。ところが楽譜が読めない私は、曲の最後の締めで大太鼓を打つリズムが少し変わる事が判らずに、指揮担当の女性中年教師に何度も注意を受けます。「あなた楽譜読めるの?」と、的を得た指摘をされて、「はいっ・・・」と答えてしまいました。初日のその日は何度も失敗を繰り返すので、次の日から参加するのが恐くなったのです。
2013年11月25日
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このところ競馬予想は4連勝と調子の良い子平研。本日のジャパンカップも勢いで占ってみましょう。沢山咸の四爻の卦が出ました。これは恋愛の相。そわそわと落ち着かずに焦って失敗しやすい卦です。先行馬がスタート前から行きたくて行きたくてそわそわする事でしょう。その大本命で先行馬のジェンティルドンナですが、まずは勝てないでしょう。2着か3着が妥当です。ジェンティルドンナの後方に控えるゴールドシップが有力。後方から虎視眈々と狙うエイシンフラッシュも捨てがたい。
2013年11月24日
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本日の弁当は「餃子弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃幼児が大人が聴くような音楽に興味を示す事は普通のことです。私は5歳でラテン音楽に目覚めましたが、目覚めたからと言って年齢を重ねたらそれを極めたかというと、全然そんな事はないです。他の幼児にしても大人が唄う民謡とか演歌に興味を持つから、のど自慢などに出演して大人顔負けの歌唱力を発揮するのでしょう。私自身、ラテン音楽でよく登場する打楽器に興味はあったはずですが、何の進展もなく今日まで来ています。小学四年くらいの時、担任が顧問する鼓笛隊に突然入部を迫られた事がありました。道を歩いていると校舎の窓から呼び止められて音楽室へ。大太鼓を叩いてみろというので、言うように叩いたら即入部。音符も読めないのにいきなりスケーターワルツの大太鼓を担当させられました。結局付いていけない事を悟って、恥をかく前に強引に辞めたのです。
2013年11月22日
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本日の弁当は「山菜おこわ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃5歳の頃に2分少々の演奏時間であるラテン音楽に目覚めたのですが、良い曲と思った物ほど演奏時間が短く感じられ、4分近くの物だと退屈で仕方在りませんでした。今聴くとそれも味わい深い曲なのだと判るのですが、単純な旋律、リズムは幼い脳に心地よいのでしょう。サンバのリズムで踊り出す気分ではなくて、哀愁を感じたのです。それはレコードジャケットの写真の影響かも知れません。ブラジルの海岸の夜明けなのか日暮れなのかは定かでありませんが、薄暗い情景のものでそれが曲にピッタリだったのです。華やかさではなく、シットリとした味を出す「エドムンド・ロス楽団」の演奏に、幼児が参ってしまったのです。
2013年11月21日
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本日の弁当は「松茸おこわ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃5歳くらいの時に聴いたラテン音楽は、何も知らない幼児の私には素直に浸透したのでしょうもっとレコードをかけてくれと姉に頼んだ事を覚えています。まったくの素の状態の脳ですから、ラテンのリズムがストレートに入ってきたんだと思います。日本独特の演歌とか民謡などもそれほど耳にしていた訳でもなく、聞こえていたとすればテレビから発する童謡などでしょう。その童謡で、ラテン音楽に興奮する以前に一曲だけ好きになった曲があります。「みかんの花咲く丘」です。おそらく生まれて始めて覚えた歌でしょう。誰から教わったわけでもなく、自然と覚えて気が付いたら口ずさんでいたのです。
2013年11月20日
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本日の弁当は「スパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃まだビートルズが解散したのか存続しているのか、良く知らないような少年時代でした。上に10歳近く離れた姉や6歳、3歳離れた姉、兄が居るのですが、彼らは洋楽には全然興味がなかったようで、ビートルズの「ビ」も言わなかったほどです。そんな私が何から洋楽に興味を持ち始めたのか自分でも良く覚えていませんが、かなり幼少の頃、ラテン音楽のレコードを聴いたのが洋楽を知った始めての事です。父親が知り合いの電化製品店から安く買った足つきステレオの付録として付いてきたレコードでした。エドムンド・ロス楽団の演奏するラテン音楽で、「ブラジル」「マンボNO,5」などの有名な曲が入っていたLPレコードでした。
2013年11月19日
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本日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃学校のクラスでの話題には視聴率の良い番組について教室内が盛り上がるなどという話を良く聞きますが、私の時はそうでもありませんでした。むしろラジオ番組の話題の方が中学の頃は多かったように思います。洋楽に興味を持ち始めた頃は、友人達も同じように洋楽を聴くようになり、自然と話題が重なって盛り上がった物です。ラジオ番組も深夜にはベストテン番組があって、ローカルではありますが住む地域で人気のあった洋楽レコードは良く買いましたし、カセットに録音したりしました。
2013年11月18日
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マイルチャンピオンシップ(G1)直前です。本日も何が勝つのか予想してみます。ここ最近は先月の天皇賞も確実に勝った馬を当てたので、良い調子が続いています。これに乗じてマイルCを占うと・・・・地火明夷の上爻の卦を得ました。これは大成功に驕っていると大転落をする危険性があるという卦です。G1を2連勝した福永騎手は、今日も大本命のダノンシャークに騎乗しますから、この事だと思います。きっと、この大本命は足下を掬われるでしょう。 勝つのは6ヶ月休養開けの前走でダノンシャークに惜敗して2着の8枠18番のリアルインパクトが優勝候補。もしくは同じ8枠の16番グランプリボス3枠5番のトーセンラーも有力です。
2013年11月17日
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本日の弁当は「しらすぼし弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃洋画にヌードは付き物と思っていましたので、単なる西部劇とかサスペンスは観る気もしない思春期でした。しかし、空手映画も流行っていて、それは喜んでみました。ブルース・リーの人気に並行して多くの空手映画が香港や日本で作られ、そこで武器として活躍した「ヌンチャク」なども、自分で材料を集めて作ったりして、空手家になったつもりでヌンチャクをできるだけ早く操る事を目標としていました。空手映画と洋画のヌードが思春期の良い思い出です。
2013年11月15日
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本日の弁当は「青菜ごはん」 さて、私が少年だった昭和中期の頃テレビでの洋画で思い出しましたが、あの頃は画面上に女性の裸が頻繁に出ていました。今は殆ど見かけませんが、民放の洋画番組でエロチック特集をやっていた時期も在ったほどですから、少年の私にとっては物凄い刺激でした。結構家族なんかで観ていて気まずい感じがしましたが、自分には良い性教育に成ったんじゃないかな。
2013年11月14日
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本日の弁当は「混ぜ込みご飯」 さて、私が少年だった昭和中期の頃クリスマスが近付いたり、イブや当日にはテレビなどでクリスマス関係の洋画を観たりしましたが、その頃にとっては10年も20年も、いやそれ以上前の映画だったりして、その内容の素晴らしさは今の映画とは比較できない物です。やはりテレビの無かった時代に作られた映画全盛期のものは、美しくて見応えがありました。ま、それに気付いたのは今になってからですが。
2013年11月13日
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本日の弁当は「ハムと野菜炒め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃クリスマスやバレンタインデーなど、一ヶ月前から何かと騒がしい現在と違って、中学生としてのその周辺は質素な物でした。中学三年の時こそ男女数人のグループでクリスマス会などをして、プレゼントの交換をしましたが、主役はリーダー気取りのM君であって、内心何も面白くなかった思い出です。それよりも中学二年の時に野郎ばかりでシーチキンとキャベツのマヨネーズ和えでご飯を食べるという、変なクリスマス会の方が印象に深く残っています。
2013年11月12日
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本日の弁当は「たらこスパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃まだまだ教師に威厳のあった時代でしたので、小学校でも中学校でも体罰は日常的でした。平手打ちされて鼻血を出した子も居ましたし、忘れ物をした罰として顔にマジックペンでメガネを書き込まれた人も知っています。その子は親に知れると怒られるからと言って、我が家に立ち寄って顔を洗っていったのです。私は中学一年の時に教科書をよく忘れたのですが、先生から細い棒で尻を軽く叩かれるぐらいでした。流石に顔にマジックは許されない体罰だとは思います。できるなら平手打ちもしない方が良いかも知れませんが、恐怖心が躾の基本とも言える気はします。
2013年11月11日
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本日の弁当は「もやしとロースハムの炒め物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃教育熱心なひとりの先生に厳しく躾られた私達中学一年生は、その後卒業するまでは例年と比較して不良生徒が少なかったと言われました。また、教師に盾突く生徒も見た事がありませんでしたし、陰湿に苛め続ける光景も見ませんでした。私自身、中学二年の時によそのクラスの不良生徒に髪の毛を突然掴まれて廊下まで牽き吊り出され、投げ飛ばされそうになった事がありました。相撲が得意な私は、踏みとどまって倒されませんでしたが、反撃する無謀な事はしませんでした。それから数日後、再度教室に来て私にちょっかいを掛けようとしましたが、何故かその後は自然と治まりました。おそらく、所属する体操部にも不良生徒が居ましたので、部員を苛めるなと陰で言ってくれたのかも知れません。少々、私は体操部員として名は知れていたので、私に危害を加えてきた奴が「こんな雑魚がいたから苛めてやった」と言いふらし、そこで私の体操部仲間から「やめといてやれよ」と諫められたのだろうと推測できます。
2013年11月09日
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本日の弁当は「たらこスパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学での体操クラブ。いったいどのように活動していたか、かなり忘れてしまいましたがまずはグルグル巻きになったマットを転がしながら体育館内の倉庫から出して床に敷きます。鉄棒は二本の支柱から細い鉄線を左右に引っ張って安定させます。そして柔軟体操から始めます。体の固かった私には股割は相当辛かったです。体育館では卓球部、剣道部、バレーボール部などが兼用していて、そういった人達にこれ見よがしに「バック転」の連続をして爽快な気分になったものです。
2013年11月08日
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本日の弁当は「かき揚げ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃コンビニの無い時代でしたが、それなりに品目の揃った店は中学の傍にもありました。しかし、現代の学生のように店の前で屯するような光景は覚えがありません。私も体操部が終わる午後六時頃の夕方、たまにお菓子や飲料水を買いに数人で寄る事はありましたが、食べながら歩くか、持ち帰ってから食べていました。当時、店前で屯するなという学校からの指導も無かったと思います。そんな指導をしなくとも、みんなが弁えていた時代だったのではないでしょうか。
2013年11月07日
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本日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年生時は技術顧問の伊藤先生の迫力に、みんなが圧倒されていました。朝礼での態度の悪さに怒声を浴びせるのはしばしば、技術の授業は別室へ移動するのですがそれが遅れたという理由でまたまた大激怒。机の上にあった分厚い製図版を蹴り上げ、級長を代表として強烈な平手打ちをお見舞いしたのです。教室のみんなが震え上がりました。放課が終了したのも知らずに、教室の後ろで騒いでいた女子ふたりも、たまたま教室前を通りかかった伊藤先生に見つかって、ふたりともビンタされたのです。凄かったです。凄い教育でした。決して恨むような生徒は居なかったと思います。親が知っても今のように問題にはならなかったでしょう。今とはマスコミの質も違うのかも知れません。
2013年11月06日
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本日の弁当は「ハムとにんじん、たまねぎの炒め物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学に上がる前、六年生達の中学生活予想は、教員が怖いという噂を元にしたものが大半を占めていました。実際は逆で、小学校の教員達の方が体罰は多かったと思います。しかし、中学には物凄い勢いで叱り、誰彼とも無く平手打ちをする技術顧問の教師が居ました、小柄な三十代くらいの男性教師でしたが、朝礼などで態度が悪いと一年生350人ほどの生徒を全員その場に残し、大声での説教が始まるのです。他の学年生徒らはそれを横目に教室へと帰っていきます。顔を真っ赤にして説教を続けるので、物凄い迫力がありました。私達はその先生に圧倒され、そしてしっかりと躾られたと思いますし、誰もが尊敬をしていたのではないでしょうか。
2013年11月05日
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本日の弁当は「おかかのおにぎり」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校と中学校の違いは、昼食の形態、服、そして授業内容などがありましたが、何と言っても「英語」の授業があること。うろ覚えですが、英語の授業で何を初期の頃にやっていたかと言うと、アルファベットの大文字と小文字の区別や、点線で象ったアルファベットを鉛筆でなぞって書いていくといった、まるで幼児教育のようなものでした。だから誰もが中間テストまでは高得点を取れたようです。私がそうでしたから。まずは「ディス・イズ・ア・ペン」です。発音の仕方も含めて何度でも言わされ、あまりにもくどいので余計にどう発音して良いのか判らなくなった程です。
2013年11月04日
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本日の弁当は「ハンバーグ&ブロッコリー」 さて、私が少年だった昭和中期の頃ファッションに無頓着だったので中学の学生服は私にとっては好都合とも言えました。それでもフアッショナブルな輩は学生服の着こなしも素晴らしく、スマートに見えたものです。当時はパンタロンも流行っていたので、裾がラッパのように広がる学生ズボンをはいていた生徒も居ました。何を着ても似合わない私が、学生服の上着を脱いで白いカッターシャツと黒いズボンで校庭を歩いていた時、クラスメートの女子から「学生服が似合うね」と、思いも寄らぬ言葉を掛けられました。それからはなるべく上着は脱いで、カッターシャツの袖を腕まくりして過ごしたものです。
2013年11月01日
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