全24件 (24件中 1-24件目)
1

本日の弁当は「スパゲッティ」(玉葱・ピーマン入り) さて、私が少年だった昭和中期の頃小学四年の時、石膏を削っての創作授業がありました。四角四面の石膏を使用したのですが、私は四面に人の上半身を象った物を彫りました。しかし、顔の部分で立体的な頬などの凹凸の表現が上手く彫れなくて、担任に嫌味を言われた事がありました。どうやったらリアルな頬に近づけるか、担任は私に自分の創造力で彫らせようと、何も細かい指導はしませんでしたので、最終的に頬の部分を表すのに細い溝を彫っただけでした。要するに筋を付けただけの物にしたわけです。工作だけでなく、水泳においても、体育においても教師が事細かに方法を教えてくれるような状況ではありませんでした。生徒児童が自力で何処まで出来るかを評価するだけのような感じと言って良いでしょう。
2013年07月31日
コメント(0)

本日の弁当は「焼き飯」(ニンジン、ピーマン、玉葱、椎茸ダシ) さて、私が少年だった昭和中期の頃概ね男子というものは車に興味があり、プラモデルなどを作る趣味もあるものですが私は車は全然興味なく、プラモデルも作りたいとも思いませんでした。案の定、手は不器用で、工作などは大の苦手。父親などは若い頃、大工の真似事をしていたくらいなので、休日には木材を仕入れてきて手作りの二段ベッドなどを拵えたりする器用な男でしたし、兄などは車に興味があって、やはり器用な部分を父親からの遺伝として受け継いでいます。工作はダメだった私の得意とする所は絵画でした。ただ、絵画も立体的な表現が下手だったので、如何にそこを誤魔化すかという狡さを持っていました。また、密かに自信を持っていた事柄に、作り話というものがありました。嘘を付く事が多かった私は、先天的な創作の才能があったからに違いありません。
2013年07月30日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「卵を絡めた野菜炒め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃とにかく車が嫌いでした。車のメカニックにも何の興味もなかったし、運転にも興味もなくあったのは事故への恐怖感だけ。同年代の少年は、車が傍を通ると車種名を自慢げに言うのですが、私には全部同じ車型に見えるので区別が付きませんでした。自転車にも興味はなく、乗れるようになったのは小学四年生ぐらいの時です。当時はスポーツ自転車が流行っていて、ギアチェンジは当たり前で、空気入れが付いていて豪勢な方向指示器や速度計なども付いているような自転車を、少年達は喜んで乗っていたのです。兄は親に買って貰ってましたが、私は大ゴミに出されていたような普通の自転車を拾ってきて、塗料で補修して貰って乗ったものです。
2013年07月29日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「潰し目玉焼き&焼いたソーセージ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃遠足のバスでは酔わずに父親の運転する車に乗ると酔うというのは、精神的な要素が大半を占めていたと思います。四日市を通過する時の化学工場の異臭が原因でもあるのですが、学校が手配した遠足のバスだって車内は鼻を突くようなビニールシートの異臭で蔓延していましたから、臭いが第一の原因とは言えません。父親以外の運転する乗用車で酔った経験も無いし。その精神的なものとは、短気な父親の性格を恐れる事もその一つですが、そもそも私は常に最悪の事態を考えるネガティブな性格の少年でしたから、事故に遭うんじゃないだろうか、という不安が常に頭の中にあったのです。
2013年07月26日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ピーマンのシーチキン詰め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃光化学スモッグで問題のあった地域に住んでいたのですが、悪臭が町内に漂っていたわけではありませんでした。ただ、夏休みに親の在所へ連れていってもらう時に、四日市市を通過するのですが、その近辺で必ず車酔いしました。普段、学校から行く遠足バスでは酔ったりはしない体質だったのですが、四日市の石油コンビナート付近に差し掛かると異様な臭いがして気分が悪くなったのです。また、車酔いのもう一つの原因として心配性な性格が影響していました。要するに父親の車運転が信用できなかったのです。無理な追い越しをしたりして車体を大きく揺らせたり、対向車が迫ってくるので「危ない」と文句を言うと「やかましいっ」と短気を起こす父親だったのです。
2013年07月25日
コメント(0)

本日の弁当は「スパゲッティ」(ニンジン、ピーマン、キャベツ入り) さて、私が少年だった昭和中期の頃今思うと当時の政治状況は平和そのもの。靖国問題もなかったし、尖閣諸島に中国船が日本領海を侵犯してくる事もありませんし、タレントが選挙に立候補すればまずはトップ当選。現都知事の石原慎太郎氏などの名前が全国区の当選者名一覧のトップに赤い文字で記されていたのを覚えています。政策など誰も気にしていなかったと思います。「自民」が勝つのは当たり前だったし、他の政党に投票する区分もハッキリしていたので、まずは政局の大きな変化はありません。今でこそ二大政党を望むような情勢ですが、当時は第二政党として「社会党」が勢力を維持していました。現在の民主党よりも安定感があり、その地位を脅かされる事はありませんでした住んでいた地域は光化学スモッグなどで問題があったので、その件について当地の医療系や学校関連と繋がりのあった共産党の運動が強く、特に政治に興味の無かった母親などは選挙の度に「周囲がうるさいから共産党に入れといた」などと適当に投票していたようです。
2013年07月24日
コメント(0)

本日の弁当は「焼き飯」(キャベツ・にんじん・ピーマンを椎茸ダシで炒めた) さて、私が少年だった昭和中期の頃選挙では全国区というのがありました。今で言う「比例区」のようなもので、日本全国からの投票数を競うわけです。当時の全国区のトップ当選と言えば、タレントや作家が顕著。その獲得票数もずば抜けてました。その政党、現在と同じ物は自民と共産、公明ぐらいのもので、社会、民社なるものが存在しまして、現、民主党の元です。また、参院選になると急拵えのような諸派政党が出てきて、政見放送などで異彩を放っておりました。
2013年07月23日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「スクランブルエッグ・ピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃当時の政権は「自民党」が連覇していて、選挙速報をみても当選者は「自」の表示ばかり。子供心につまらないなぁと思ったものでした。現在以上に選挙カーの往来は多く、騒々しかったのを覚えています。そんなご時世に選挙運動を一切せずにスマートに当選した候補者がいました。放送作家、タレントの青島幸男氏でした。
2013年07月22日
コメント(0)

本日の夕食は「うな丼」 本日はオメデたい参院選挙の日。というわけではないのですが、鰻が減っている最中の貴重な蒲焼きを買ってきて、うな丼を作ってみました。しかし、正直言うとあまり美味くありませんでした。肉厚ではあるものの、弾力がありすぎて違和感があり、微かな生臭さもあったという事は店側の焼き方が足りなかったのでしょう。おまけにタレも甘みが無く、何を食べているのかサッパリ。これがうな丼になる前の買ってきたばかりの蒲焼きですが、これを見た瞬間嫌な予感がありました。身が膨らんでいるのです。太っていて美味そうに見えましたが、何か違和感があるのです。蒲焼きというのは、もっとサックリと香ばしく、身がサクサクと解けるはずです。それが全く感じられないのです。大枚叩いて二尾も買ってきてしまいました。
2013年07月21日
コメント(0)
本日は参院選です。自民・公明の圧勝は確実視されていますが、我が八卦ではどのように記されるか。各党の選挙結果と今後を観てみましょう。自民・風山漸2爻 運気盛大だが今後も精進が必要。じっくりと進むべし。議席予想69民主・風雷益4爻 党内改革が進む。焦りは禁物。 議席予想17公明・水山蹇3爻 現状維持。原点回帰。将来的に連立を解消。 議席予想15維新・山雷頤5爻 竜頭蛇尾。内実は混乱。 議席予想3みんな・天沢履1爻 無欲で勝利。 周囲に添わないと脱落。 議席予想4社民・水沢節4爻 従順にて良好。議席予想1幸福実現党・沢雷随6爻 謙虚に対応。宗教の名が足枷。 議席予想0さて、最後に圧勝確実の安倍政権の今後を占ってみましょう。安倍政権・雷天大壮5爻 臨機応変に進む。背反する者が出るが関わらない事。衆参ねじれは解消できそうなので、憲法改正は難なく進むでしょう。しかし、党内からの邪魔が入って進められない政策もありそう。自民から有力なる人材が離党するが、意に介せずゆっくりと進むであろう。
2013年07月21日
コメント(0)

本日の弁当は「紫蘇おにぎり」 さて、私が少年だった昭和中期の頃暑い夏はエアコンが欠かせませんが、生家にエアコンが取り付けられたのは中学に上がる間際だったと記憶しております。それまでは扇風機が主役です。エアコンのない熱帯夜は裏口も玄関も開けっ放しですから、風も入れば虫も入ってきますので朝を迎える頃には身体中を寝ながらボリボリと掻きむしる事になります。夏の朝は蚊取り線香と虫さされの軟膏の匂いで満ちるのです。
2013年07月19日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「スパゲッティ」(ピーマン、キャベツ、にんじん入り) さて、私が少年だった昭和中期の頃祖母から貰った江戸時代から明治後期にかけての珍しい貨幣や紙幣をすぐに友人に譲ってしまうという、今思うと勿体ない事をしてしまう私でしたが、決して飽きてそうしたわけではなく自慢したかっただけかと。自慢なら見せるだけで良かったのではとも思いますが、大盤振る舞いをしてみせたかった公算が大きいと思います。切手収集も流行っていたので、そのまねごとをしてみましたが、やはり途中でクラスの同級生に譲ってしまったのです。要するに良い顔をしたかっただけなのです。
2013年07月18日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ソーセージとキャベツの炒め物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃祖母と父親は仲が悪く、ほぼ毎日と言っていいほど両者の罵り合いを家庭内で目の当たりにして育ってきました。そんな中、祖母からは結構可愛がられ、珍しい昆虫や江戸時代の貨幣などを在所から持ってきてくれて私にくれたのです。特に寛永通宝や天保通宝、五十銭とか半銭など多くの昔の貨幣は貴重な教材ともなるもので私の宝物でした。しかし、それは短期間の事で、なぜか私は友人に自慢する事も含め、ほとんどの昔の貨幣を友人に譲ってしまったのです。祖母からこっぴどく叱られたものですが、親兄弟からは責められず、逆に「貰った者の物だから他人に譲ろうと自由だ」と私ではなくて姉が言い放ってくれた事がありました。
2013年07月17日
コメント(0)

本日の弁当は「中華丼」2 さて、私が少年だった昭和中期の頃祖母が在所から持ってきてくれた蚕の繭は、私に羽化から産卵まで見せてくれました。20センチ四方の紙箱の中での出来事だったのですが、二つの繭から羽化した蚕蛾は偶然にも雌雄の対だったので交尾から産卵まで観ることが出来たですが、1ミリあるかないかぐらいの小さな粒状の卵で、点々と規則正しい帯状に産み付けていくのを観察できたのです
2013年07月16日
コメント(0)

本日の弁当は「中華丼」 さて、私が少年だった昭和中期の頃祖母は三重県鈴鹿市の在所から蚕の繭やクツワムシなどの珍しい昆虫を私に持ってきてくれました。正直言えば虫類はあまり好きではなかったので、特にクツワムシやカブトムシのような、触り方によっては物凄いパワーで抵抗してくる虫には恐怖を感じたものです。大きなカブトムシが紙箱に入れられて来た時、早速中を開けて掴み上げたんですが、抵抗したカブトムシが私のズボンの上に落ち、そのまま這い上がってきたのです。怖さのあまり、悲鳴と共に泣き出した事を覚えています。
2013年07月12日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ゆで野菜(にんじん、キャベツ)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃田舎ではないものの、当時住んでいた地域には多くの田んぼがあり、池があり、そこに棲息する生物を捕まえたりして遊んだのですが、普通の少年ならザリガニなどを捕ってきてそれを本格的に飼い、ザリガニ同志で喧嘩させたりして遊ぶのでしょうが、私はせいぜいオタマジャクシを数匹獲ってきて、小さな水槽の中で手足が生える所を観察する程度でした。昆虫図鑑を毎日眺めていたせいか、成虫よりも幼虫の状態に興味があり、それ以上にサナギの形態などに関心を持っておりました。ある日、祖母が在所から蚕の繭を2個貰ってきて私にくれました。テッシュ箱ぐらいの紙箱に入れて観察しましたが、羽化から卵の産み付けまでじっくり観る事ができました。尻尾をくっつけ合って交尾をする所などもバッチリ観たんです。
2013年07月11日
コメント(0)

本日の弁当は「シラス干し弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃所謂、強面系の昆虫や生物は苦手で、ザリガニ、クワガタなどのハサミ系は特にダメでした。その気弱さのおかげで用心深い性格から蟹類に挟まれるといった経験は無かったのですが小さくて2センチにも満たないクワガタを手にした時、思いっきり人差し指を挟まれた事がありました。小さいので対した事はないとナメてかかったのが災いを呼んだのでしょう。強烈な痛みでした。
2013年07月10日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「納豆」 さて、私が少年だった昭和中期の頃野球選手に憧れる子供は現在の比ではないくらい多かったと思います。戸外で遊ぶ事と言えば、まずはキャッチボールなどの野球系な遊びでした。当時は小魚やおたまじゃくし、ザリガニなどが棲息する川や池が所々にあったので、そうした遊びにも参加はしましたが、あまり身を入れた記憶はないどころか、ザリガニとか蟹など、ハサミを持つ生物は苦手でした。獲ったザリガニの皮を剥いて、その身をエサにして新たなザリガニを釣るのですが、身体よりも大きなハサミを振り回す真っ赤なザリガニが釣れても、少しも嬉しくはありませんでした。
2013年07月09日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ブロッコリー&目玉焼き」 さて、私が少年だった昭和中期の頃当時、と言いますか私が産まれる前、愛知県は高校野球において甲子園で優勝を重ねており、丁度小学一年の夏にも愛知代表の中京商業が優勝した事を覚えています。友人のH君宅は工場も兼ねており、そこの従業員に中京商業のOBが居たのかどうかは定かではありませんが、中京が優勝したという事で、工場敷地内で行われた焼き肉パーティに少し参加したのです。従業員らは大喜びで祝杯を挙げたのでしょう。あまりハッキリと覚えてはいませんが、あまり好きではなかった焼き肉を見知らぬ従業員から箸で口に運ばれた記憶がありますが、気分的には何だか私も嬉しかったのです。
2013年07月08日
コメント(0)

本日の弁当は「スパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃外での遊び方は今より豊富だったのではないかと思っています。今の時代に「かくれんぼ」とか「缶けり」とかして遊ぶ子は存在するでしょうか?遊びの代表格の「かくれんぼ」「鬼ごっこ」等、しっかりと経験することが出来る時代でしたそれでも年配の方からは、「今の子は遊び方を知らない」などと嫌味をいわれたものです。いつの世も、その時は最先端であり、何でも豊富に揃っていると考える人が多いからでしょう。女子達の遊びとしてゴム飛びなるものがあり、二人が10メートルぐらい離れた位置に立って各々がゴム縄の端っこを持ってグルグルと回転させて、その空間を順番に飛んでいくという遊びですが、今でもやってるんでしょうか?
2013年07月05日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ハムエッグ&にんじん炒め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃夏休みのソフトボール大会の練習後や雨の日など、何をして遊んだかですが思い出せるのはプラスチック製の直径2センチくらいの輪っかを五個繋げた物を5つ使い、一個を上に放り投げて戻ってくる間に下にある他の四つをすくい取り、落ちてきた輪っかの束も受け取る、という遊びです。女の子の遊びみたいですが、結構スリルがあって面白かったです。色とりどりの輪で、丁度オリンピックの五輪マークに良く似た束になります。小さな手で、五つの束を全部すくい取るのは至難の業でした。
2013年07月04日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ウインナーと卵焼き」 さて、私が少年だった頃夏休みが始まると同時に、学区内の各子供会ではソフトボール大会に向けての練習があちこちで始まりました。私の所属した子供会も小学三年から中学二年までの子供会会員が早朝からソフトボールの練習を近所の原っぱで行い、練習が終わればそのままその子供らで夕方まで遊ぶこととなります。当時流行っていたプロレスごっこなどもして、四の字固めや逆エビ固めなどを掛け合って遊びましたが、それを小学校の校内でするような事はありませんでした。教育がしっかりとしていたのだと思います。
2013年07月03日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「焼き豚入り野菜炒め」 さて、私が少年だった頃プロレス関連雑誌に掲載された外国人参戦選手の怖さは半端ではありませんでした。日本人選手よりも遙かに体格が良くて筋骨隆々、おまけに極悪な人相に今にも襲いかかってきそうなポーズをしていました。そんな外国人選手の中にも紳士的な事を売りにした選手も居て、やはり試合内容もクリーンでしかも強くて必ず勝ちます。今やその全てが筋書通りだった事が晒される時代となりましたが、まさか巨人軍の九連覇までは筋書ではなかった事を願いたい物です。
2013年07月02日
コメント(0)

本日の弁当のおかずは「ウインナーとキャベツの炒め物」 さて、私が少年だった頃プロ野球では巨人の全盛期で九連覇をリアルタイムで観てきましたが、そのほかのスポーツとしてはプロレスの黎明期で、ジャイアント馬場と猪木が同じ団体に所属していた時期でした。印象に残っている試合は、ジャイアント馬場vsドン・レオ・ジョナサン。当時は3本勝負が結構あって、60分間タップリと試合を見せてくれます。日本人でありながら外人よりデカイ馬場選手が、絶対負けるはずがないと思ってテレビにかじりついていました。猪木vsザ・デストロイヤーの試合も見応えありました。まだ若い猪木選手が老獪な覆面レスラー、デストロイヤーと互角に渡り合い、最後には四の字固めをかけられたまま時間切れとなって引き分け。凄い試合でした。
2013年07月01日
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1