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本日の弁当は「ハム&ゆでたまご」 さて、私が少年だった昭和中期の頃当然ですが中学は小学校と違って学生服を着なければ成りません。それまでは自由な服装で動き回っていたのに、首周りに堅苦しいプラスチックの輪を填めて黒ずくめの学生服を身に纏わねばならないのは、誰もが戸惑ったと思います。私は痩せて身長が低く足が短いので、体型的に学生服の寸法が合わず、寸足らずのダブダブといった滑稽な恰好になっていました。
2013年10月31日
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本日の弁当は「ピーマンのシーチキン詰め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学では小学校の給食と違い、各自が弁当持参かパンです。パンは業者が中学校に売りに来るのですが、パン当番というのが順番に巡って、クラスで注文を受け付けなければなりませんでした。注文したパンを取りに行って教室の前に置いておけば各自が取りに来るのですが、おつりは個人個人に渡し歩かねばならなかったので面倒でしたね。
2013年10月30日
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本日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃友人に恵まれすぎた小学5,6年だった所為で、中学に上がる事が物凄く不安でした。友達が出来るんだろうかと。しかし、それは杞憂でした。私が配属されたのは一年五組。入学式の朝にクラス分けの張り紙を見忘れて、慌てて見に行っても張り紙は剥がされた後でした。オドオドしながら職員室を訪れ、訳を言うと数人の教員が名簿を調べ始め、五組である事が判明。他のクラスメートに十数分遅れて教室へ入るという、初日から目立つ事をしてしまったのです。
2013年10月29日
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本日の弁当は「梅しらすおこわ」 市販のおこわ飯。水を入れすぎてベチョベチョです。さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年のクラスは個性豊かな女子生徒が多く、議論好きなクラスの中は女生徒達の意見が多く飛び交った物でした。物は良く忘れて、所持品も囓ったものばかりのだらしのない私に対して、筆記用具を揃えてくれたり、強面の生徒から守ってくれたりと、優しい女子達でもありました。しかし、小学5,6年の頃のようにモテる事はなく、男として認めてくれていなかったようです。私の頬は人並みはずれて柔らかかったようで、それを気持ちよがって触りに来る女子も居ました。当然、そうされて嬉しくない筈がありません。
2013年10月28日
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天皇賞・秋です凱旋門賞、菊花賞とまずまずの結果を得て、本日は天皇賞を占ってみます。 風地観の五爻の卦を得ました。これは地位を得ても驕ることなく挑めば、向上していく卦です。菊花賞を勝ったばかりですが、ここでもう一つ続けて勝てば確固たる地位を得る福永騎手のジャスタウエイを一押し。武豊騎手のトウケイヘイロー、デムーロ騎手のエイシンフラッシュも有力。
2013年10月27日
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本日の弁当は「スクランブルエッグ・ピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年時のクラスは個性豊かな生徒で溢れておりました。特に女子生徒は美人揃いで活発で、当時の流行語の「ウーマンリブ」そのものでした。ちょっと厳つい奴に乱暴な言葉で言い寄られた私を庇って、「弱い物イジメはやめなさいっ」と、威勢の良い女子生徒も居ましたが、私としては惨めな思いでした。
2013年10月24日
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本日の弁当は「ハムエッグ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃鉛筆やノートを囓る癖が付いてしまった中学一年の時、教科書なんかも良く忘れたりして他の教室に居る友人を頼って借りに行くことが恒例となってしまい、そこのクラスでも有名になってしまいます。「また来たんかーっ」と掛け声がかかります。悪い気はしません。人気があるなぁと満足感に浸りました。筆記具も揃わず、授業中はノートも取らないいい加減な私を見て、隣りに座っていた女子が筆記具の揃った筆箱をくれたりしましたし、鉄棒から落下して入院していた時は、体操部の同級生が授業のノートを書いてくれたりしました。なんと、良い人間が多かった一年生のクラスでした。
2013年10月23日
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本日の弁当は「スパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年時代は勉強もしないから成績も悪く、体操部でも辞めたい気持ちを持ちながらやっていたし、五年生から続けていた習字塾も辞めようかと思うようなダラダラとした生き方をしておりました。特に教科書を良く忘れたりして、他の教室へ本を借りに行ったりしましたし、鉛筆や消しゴムなど筆記具やその他諸々の物を囓る癖があって、その頃の私が持っていた鉛筆はガタガタでした。それでもその奔放さが良かったのか、クラスではそれなりに人気がありました。
2013年10月22日
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本日の弁当は「ハンバーグ&卵焼き」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学での成績は絶対評価ですから、小学生の頃のような相対評価ではなく、取った点数がそのまま反映されます。中学一年の秋にあった中間テスト終了後、学校側がコンピューター会社に依頼して作成した成績表を配布。個人の成績が科目別、学年別、クラス別にどの位置にあるかが記してありました。10段階評価も付いていて、総合評価は私の場合「4」でした。五段階評価の「4」なら凄いのですが、10段階ですからね。勉強しないから当然の結果なのですが、秋風が身にしみて、自信が一気に萎えていったのです。
2013年10月21日
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菊花賞がやって参りました。先日の凱旋門賞は見事的中しましたので、今回も当ててみます。さて、卦は山沢損の上爻と出ました。自分が損をせずに相手を益させるという、ウイン、ウインの卦です。ひょっとしたら武兄弟が一着、二着かなと思いましたが、秋華賞ですでに兄弟が連対したばかりなので、どうかなぁと。無難に本命のエピファネイアと勝ちそうな番号7に期待して馬番7と枠番7の一頭づつを選択しておきました。
2013年10月20日
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本日の弁当は「焼きタラコ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃体操部に入ったのは「バック転」を習得するためだったので、それが出来たらあとはどうでも良いので辞めたかったのです。「バック転」はアイドルグループの「フォーリーブス」や俳優の千葉真一などがテレビなどでやっていたのを観て憧れたわけです。側転からバック転を3回ぐらい連続した後、仕上げに「バック宙」です。これが出来ればちょっとした自慢が出来ます。二年生くらいになるとそれが軽くこなせるようになり、バック宙の高さも褒められたものでした。他の種目では跳馬が得意でもないのに周囲から凄いと言われ、自分では気付かないものだなぁと思ったものです。鉄棒は恐怖だけが前面にあったので、落下した事は関係ないのですが上達はしませんでした。大車輪といって、グルグルと回るやつですが、それもマスターはしましたが、それこそ半ベソかいて覚えさせられたのです。
2013年10月18日
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本日の弁当は「チャーハン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃鉄棒から落下して十日間の入院でしたが、多くの人達がお見舞いにやってきてくれたのは驚きでした。今後、入院する事があっても、あんなに知り合いが多くお見舞いに来てくれる事は無いだろうと思っています。多く、と言っても同級生は10人ぐらい、体操部関係なら5人くらい。その他、先生や親の知り合いなど数名ぐらいですが、私としては「多かった」と思っています担任などは毎晩病室を訪れてくれて、心配していただきました。退院間近の頃になると、病院での居心地が良いので、もっと入院していたいくらいの気分に成っておりました。入院当日から3日間ぐらいは身動きできず、まさに地獄の思いでした。
2013年10月17日
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本日の弁当は「スパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年時代に入部した器械体操部でしたが、その11月の下旬に鉄棒から落下して入院します。鉄棒から手を離して宙返りして着地する練習をしていたわけですが、その日はなんとなく体が重く、気分も優れていませんでした。いつもは軽くこなせた技で、恐怖心も無かったはずなのに、その日は何故か宙返りする事に戸惑いがあったのです。結局、手を鉄棒から早く離しすぎて、回転しきれずに首から後方へ巻き込むようにセーフティマットに落下。「グリッ」っと鈍い音がして頸椎捻挫です。
2013年10月16日
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本日の弁当は「卵焼き(にんじん、たまねぎ入り)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学二年の時に開催された器械体操部の新人戦の床運動で大恥を掻いたのですが、確かに悔しかったのだけれど、だからといってそれをバネに奮闘し始めた訳でもなかったのです。辞めたい気持ちは常にあって、新人戦など出なくて良いと思っていたのに、部員が少ない事もあって出る羽目になったのです。辞めると言えば怖い先輩や不良っぽい同級生の部員から何をされるか判りませんから、それを回避する意味でも、体操部には所属していなければならなかったのです。
2013年10月15日
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本日の弁当は「ハンバーグ&豆」 さて、私が少年だった昭和中期の頃体操部に入って半年が過ぎた秋頃、鉄棒から堕ちて十日間入院をしました。頸椎捻挫です。退院後も首に激痛が走るような状態だったので、体操部顧問も先輩達も「無理するな」と気を使ってくれたもんですから、適当に参加して適当に練習をダラダラとし、そろそろ辞めようかなと思いながら二年生に突入。首の痛みも和らいできた頃、新人戦に出場することになったのです。新人戦ですから競技も規定演技だけで、ごく基本的な技術さえ在ればこなせるものでした。気楽に参加したのですが、得意の床で大失敗。床運動の最後の締めくくりの所で上手く行かなかったので、逆戻りしてやり直すという馬鹿な事をしてしまったのです。着地が一歩でも乱れると減点されるのに、私はチョコチョコと床上を逆戻りしたのですから10歩以上も余計な事をしたのです。採点は今でも覚えています。10点満点で6,25です。当時の中学生の試合では7点だせば平均でしたから、これがどんなに低い点数か、という事です。
2013年10月14日
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本日の弁当は「ピラフ&豆」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学で入部した体操部では、怖い先輩や難しくて恐ろしい体操の技に尻込み状態。辞めたいけどそれが言えない状態で一年が過ぎます。途中、鉄棒から落下して頸椎捻挫で十日間入院しました。仲の良いクラスメートや体操クラブの先輩らが見舞いに来てくれて、ちょっとした入院も悪くはないなと感じつつ、退院後もしばらくは首の激痛が残ったために、軽い練習で済ませて貰えた期間が二ヶ月ぐらいあったと記憶しております。このまま辞めさせて貰えるかなと期待しながら気楽に参加しておりました。
2013年10月11日
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本日の弁当は「ハンバーグ&野菜炒め(たまねぎ、にんじん)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃友人達と入部した体操部でしたが、私以外はすぐに退部しました。体操部には怖い先輩がいるという噂どおり、厳しい練習が待っていました。俗に言う不良の多いクラブでして、勉強はしないが運動神経が良くて器械体操が好きな輩が集まっていたのです。そんなクラブですから、辞めるなどと言うと鉄拳制裁が待っているのではないかと思い実際の所、私もすぐに退部したかったのですが、辞めると言い出せなかったのです。バック転までの習得は楽しかったのですが、その後は恐怖の連続で、先輩に脅されながら泣きベソをかいて技術を覚えていったのです。
2013年10月10日
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本日の弁当は「チャーハン」(市販のカニチャーハンの素) さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年で体操部に入ると、小学時代から仲の良かった数人が私に倣って体操部に入部しました。みんなが「バック転」に憧れていましたので、実家が工場のH君の住む広い社員寮の廊下にマットレスを敷いて、友人達とバック転の練習をしたもんです。使われていない社員寮の一室がH君の部屋だったので、休日にはよく遊びに行ったのです。結局、バック転が出来るようになったのは私だけで、体操部に残ったのも私一人。友人達は半年も経たない内に退部していきました。その頃から徐々に小学時代の友人達との交流が減ってきたのは今思うと残念なことでした。
2013年10月09日
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本日の弁当は「ハンバーグ&ゆでにんじん」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学一年で体操部に入ったのは「バック転」への憧れからです。当時のアイドルに「フォーリーブス」というジャニーズ事務所の四人グループ歌手がいて彼らの唄う「地球はひとつ」という曲の間奏部分で、メンバーの北 公次がステージ上で側転からバック転の連続技を披露したのです。あんなふうに、忍者みたいに出来たら良いなとずっと思っていたので、中学では迷わず体操部を選んだのです。
2013年10月08日
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本日の弁当は「桜えびピラフ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学生時代は体操部所属だった所為もあって、頭髪はスポーツ刈りでした。たまに伸ばし続けてボサボサの時もありましたが、スポーツ刈りは洗髪するのも簡単だし寝癖を気にする必要も無かったので割と気に入ってました。この体操部、入部すると背が伸びないと判っていながら、将来の事も考えず目先の格好良さに憧れて選んだのですが、バスケットやバレーボールを選んだ所で、たいして背は伸びなかったと思います。体操部の所為にしてはいけないのです。遺伝と栄養摂取が問題だったのでしょう。50代半ばの今でこそ、こってり味付けのどんぶり飯をかっくらいますが、当時は少食で塩さえ在れば他のおかずは不要だったので、栄養障害一歩手前だったし、鍛えても筋肉が付きにくい身体でした。
2013年10月07日
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いよいよ凱旋門賞です。昨年は惜しくもオルフェーブルがゴール寸前でかわされて2着に甘んじました。今年はキズナと二頭立てで挑みます。さて、八卦ではどう出たか・・・・風沢中孚の2爻の卦を得ました。これは至上の夫婦愛といえる卦ですから、牝馬と牡馬のワンツーフィニッシュで決まると思います。ゲート番2、馬番2のフランス馬・ミランドルとゲート番15,馬番18トレブが有力ですどうせワンツーフィニッシュなら日本馬のオルフェーブルとキズナも選んでおきましょう。
2013年10月06日
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本日の弁当は「鶏ササミの揚げ物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃衣服には気を使わない子供だったわりには、周囲の視線を気にする所があり、かと言ってファッションに興味が無く、都合に合わせて妙な衣服の着方をしていました。中学一年で体操部に入部し、朝の練習がある時などは学生服の下に体操着を着込みます。汗をタップリ掻いた練習後は、その体操着の上に学生服を羽織って授業に出たのです。放課後の体操部の部室では学生服を脱ぐだけで着替えは終わります。そして明日からまた同じ体操着を、大抵は一週間洗濯せずに使ったと思います。相当臭かったのではないのではないでしょうか。
2013年10月04日
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本日の弁当のおかずは「焼きイワシ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃ファッションに気を使わなくても運動神経が良いだけでモテた小学高学年時代があったせいか中学生になってもファッションには無頓着。課外クラブの器械体操で技を磨けば自然とモテるんだと思っていました。中学一年生の頃、同級生2人と新しくできたスーパー、オカダヤ、現在のイオンでしょうか、そこにジーンズを買いに行く事になったのですが、私はジーンズに興味もなく、ただ2人に付いて行くだけという状況でした。すでに同い年の少年は、自分のお小遣いで着る物を買うのが当たり前だったのでしょう。私はと言えば母親が安売りの時に買ってくる服をそのまま着たり、兄からのお下がりをもらったりしていただけで、自分で買うと言うことは高校になってもありませんでしたので、どれだけファッションに興味がなかったかという事です。
2013年10月03日
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本日の弁当のおかずは「焼きビーフン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃幼児の時期から着る物には多くの抵抗感がありました。なんでこんなものを着なきゃならんのかと思っても、非力な幼児、子供では文句さえ言えません。親の言うまま嫌々身につけるわけです。恰好、スタイルなんか気にしない少年でしたので、髪はボサボサ、お下がりの継ぎ当てだらけや膝頭の突き出たズボン、鼻水を袖で拭くので、それがカリカリに乾燥したままの汚れた上着などを平気で着ていました。それが中学二年生頃、良く雑誌を立ち読みに行っていた西川屋、後のユニーの5Fに在った本屋に立てかけてあった全身を映し出す鏡を見て、自分の見窄らしい姿に愕然としたのです。ショックでした。自分とは思えないようなおかしな恰好で立っていたのです。腰からはみ出たシャツ、異常に短い足の不格好なズボン姿。今でこそ腰パンなどといって一種のファッションとも言える恰好もありますが、よほど腰パンの方が断然格好いいと言えるくらいみっともない姿でした。いつものように伸び放題のボサボサ髪、勉強もしないのに目の下に隈がある病弱そうな素顔。ショックのあまり、信じられないままかなり長い間、自分の姿が映る鏡を見て立ち竦んでいました。そして、それからあまりその西川屋の本屋に行かなくなったのです。その割には身だしなみを整える癖もつかず、ファッションには気を使う事はまったくないのが救いようのない部分です。
2013年10月02日
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本日の弁当のおかずは「野菜炒め(キャベツ・しいたけ・にんじん・ハム)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代に比べると記憶に薄いのは致し方ない幼稚園時代ですが、運動会で活躍した事とかお遊戯会で木琴を弾いた事、踊りの時にタイツを穿かされて嫌な思いをした事を良く覚えています。とにかく幼稚園時代は着る物、被る物に抵抗がありました。夏になると幼稚園専用の麦わら帽子で登園しなくてはならず、そのダサい帽子を被るのが嫌で嫌で。タイツも嫌な物の一つですが、近所のよく遊んでくれたおじさんが私に野球のユニホームを買ってくれるというので楽しみにしていた所、まずはストッキングを買ってくれたのです。野球のストッキングですので膝近くまできますから、普段の靴下とは雰囲気が違います。ちょっとタイツに似ていた事もあって、一気に野球熱が冷めたのです。こんな格好悪いものを穿くのは嫌だと。で、ユニホームも結局は買って貰わなくても良いと言う事になったような曖昧な記憶があります。
2013年10月01日
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