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本日の夕食は「明太子丼」 白いご飯にたらこさえあれば何も要りません。今回は明太子を使いましたが、本当に好きなのは普通のタラコです。スパゲッティやフランスパンなどに使用するなど、タラコ本来の味を損ねるような事はしたくありません。やっぱりタラコは白いご飯が一番です。あまり熱すぎるご飯はダメです。普通に口内が火傷しない程度の食べやすい暖かさで充分。その方が味覚もしっかりします。
2013年08月31日
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本日の弁当は(夜勤)「シラス干し弁当&キャベツ・にんじん・ピーマンの味醂炒め」 さて、私が少年だった昭和中期の頃何度も書いてますが小学生時代の夏休みは母親の故郷へ一ヶ月ぐらいご厄介になって良い思いをたくさんさせてもらいました。田舎へ到着するとまずは数人の大人からお小遣いが貰えます。一人千円くらいくれましたし、お盆になると親戚が方々から集まって法事をしますから、そこでまた数人からお小遣い。合計一万円以上になって大金持ちです。その為に従兄弟達と田舎の菓子屋で思う存分お菓子類を買い漁り、夜はそれぞれが枕元にお菓子の袋の山を置いて布団に寝そべります。山間部ですから夜はとても涼しく、敷き布団にタオルケット一枚で寝付けました。食べても食べてもお菓子は減りません。アイスクリームやアイスキャンディーも食べたくなったら買いに行くのです。母親の兄弟姉妹家族が数人が集落の近くに住んでいて、私達は期間毎に各家を訪問して数日寝泊まりし、そこでも手厚い待遇を受けました。朝からふりかけを塗したオニギリの山。私と従兄弟の三人で腹一杯食べ、昼は私達のために用意しておいてくれた段ボールひと箱分のインスタントラーメンを毎日食べ、腹ごなしに川へ泳ぎに行くという、まさに子供天国で過ごしたのです。
2013年08月29日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「卵焼き&炒めピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃花火セットが売られていました。今でも当然、売られていると思いますが、中身は変わったのでしょうか?まったく花火とは縁のない生活で、かれこれ30年間も花火を楽しんでいませんからどんな種類の花火があるのか、それとも相も変わらず同じ様な花火の詰め合わせなのか。私が子供の頃にあった花火セットは、線香花火と大きめの線香花火。針金の棒の先に火薬の付いたものや、竹籤の先に火薬の付いたものなど、それらはかなり激しい銀色の火花を放ちました。三色連発とかいって噴き出す火花が三段階に色を変えるものもありました。ロケット段は今でも近所で打ち上げる音がしているので、健在でしょう。ドラゴンとか言う花火は、地面に置いて火を付けると天に向かって勢い良く火花を吹き上げました。ご存じネズミ花火は地面を凄い勢いで回転して這い回り、蛇花火は火が点けられるとムクムクと黒い蛇のようなうねりが出来上がるのです。金魚花火なんてものもあって、水中で泡ぶくを放つのです。
2013年08月28日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「デミグラソースハンバーグ&ゆでニンジン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃夏の夜には近所の駄菓子屋に売られている花火類を買ってきて、自宅前で楽しみました。花火大会などという夜空に打ち上げる催しは、あるにはありましたが、其処へ出かけていく事はしませんでした。それでも打ち上げ時の「ドーン」という響きは聞こえましたので、外へ出て遠くの方角を観ると菊花のような花火が建物の間から見えました。自宅前では線香花火を楽しみましたが、一本では大きな火花が出ないと思って数本束ねて火を付けますと、火玉が大きく膨らんで、期待も大きく膨らみましたが、火花を出す前に重みで地面にポトリと落ちるのです。
2013年08月27日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「シュウマイ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃まだ自動販売機があまり普及していなかった頃ですから、飲料水は店内の冷蔵庫から出して購入していました。家庭では粉末ジュースか水で希釈するカルピス類が主流でした。でも、一番良く飲んだのは麦茶です。町内の子供会ソフトボールの練習中に、町内の主婦達が大きな薬缶に麦茶を作って来てくれるのです。たっぷり汗を掻いた後の冷たい麦茶ですから、コップ一杯では満足できません。一杯、二杯・・・・とみんなががぶ飲みしたのです。あの時ほどの美味い麦茶にはお目に掛かった事はありません。
2013年08月26日
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本日の弁当のおかずは「野菜炒め」(キャベツ、にんじん、ハム) さて、私が少年だった昭和中期の頃夏と言えば、かき氷もよく食べました。店で食べる「かき氷」は、15センチ角ぐらいの純度の高い氷塊を専用の切削器で作るのでふんわりと極め細やかな物なのですが、当時流行した家庭用の氷切削器で作る「かき氷」は粗くてすぐに溶けてしまう弱点がありました。使用する氷が違うので仕方がなかった事です。なので、「かき氷」よりもアルミ製の容器にジュースを入れて凍らせたアイスキャンディの方を良く作って食べたものです。そのジュースとやらも粉末製で果汁も微量だったはずですので「ジュース」とは呼べないのでしょうけど、当時は甘い飲料は全て「ジュース」だったのです。
2013年08月23日
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本日の弁当のおかずは「塩茹でキャベツ&にんじん」 さて、私が少年だった昭和中期の頃夏には良くスイカを食べました。家庭でも、外でも、夏は何かとスイカだったのです。子供会が主催するソフトボール大会の練習後に食べ、練習場の広っぱに種を飛ばし飛ばし食べ家庭では大きなスイカを半分に切って、スプーンで掬って食べるのです。普通に三角に切って食べた時、皮に近い白い部分まで囓っていると、母親が凄い剣幕で怒りました。「近所に恥ずかしいっ」と、ゴミを捨てる時に皮底まで卑しく囓った後を観られたくなかったのでしょう。そう言う割にはスイカを食べた後に、残った白い部分を塩漬けしたものを母親は良く作っていたもんです。
2013年08月22日
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本日の弁当のおかずは「キャベツとウインナーの炒め物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃夏休みはあっという間に過ぎ去ってしまい、時間の経つのが早いという事を子供の頃に知りました。ずっと休みだったらどんなに良いか、いつも考えているような少年で、幼稚園に入る前の5歳以前はまさに楽園のような世界だったのです。幼稚園の入園式の日、何故こんな所へ来なければいけないのか愕然としたのを覚えています。毎日気ままに生きていたのに、決まった時間にそこへ行かねば成らぬという事や、見知らぬ同じ様な年代の子供に混じって、半日以上も過ごさねばならなくなった時の憂鬱な気分を今も忘れる事が出来ません。
2013年08月21日
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昨日の夕食は「しそふりかけのおにぎり」 さて、私が少年だった昭和中期の頃当時の夏休みにはテレビ放送などで子供のためのアニメ番組がありました。朝の時間帯に放送されていて、3本立てぐらいのものです。再放送ものや海外から輸入したアニメを織り込み、「夏休み子供劇場」と題される事が多かったように記憶しております。昼近くまでテレビでマンガを観て、午後からはソフトボール大会に向けての練習。たっぷりと汗を掻いて野球帽のつばの裏側は塩分で真っ白。シャツも塩分の筋がたくさんできたものです。当時は運動中の水分補給は御法度でしたが、「水分補給しないと血がドロドロになる」とか言って水分補給を促す賢い輩が居て、私達はその時すでに水をガブガブ飲んでいましたから、熱中症にはなりませんでした。それでも夕方以降は疲労でグッタリ。夏休みの宿題をやる時間はありません。というよりもやる気がなかったのです。明日の朝は必ずやるぞと思ったのですが、朝が来ればテレビでマンガを観るというパターンは崩れなかったのです。
2013年08月20日
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本日の弁当は「えびピラフ」(冷凍物、レンジで調理) さて、私が少年だった昭和中期の頃夏休みの終了間際に急いで宿題を片付ける小学生時代。なぜ毎日少しずつ片付けなかったのかと、毎年自分自身で思いながら8月を終えたのでした。「夏の生活」だったと記憶してますが、ページ数で40位の問題集でしたでしょうか、毎日1ページずつこなしていけば普通に終えられる宿題でしたが、半分以上残ったものを3日間ぐらいで何とかやり遂げようと、朝から夜まで頑張りました。宿題はそれだけではありません。作文やら工作もあるのです。始業式の日に一気に宿題を提出するわけではなかったのが救いで、夏休みが終わって学校が始まっても、数日間は宿題を片付ける毎日でした。
2013年08月19日
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15日のお盆に海へ行くのはダメだという慣わしを無視して渥美半島へ釣果はゼロでしたが、海辺の日光浴は清々しいです。本日の夕食は「そうめん入りの味噌汁」昔はよく食べました。
2013年08月17日
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本日の弁当のおかずは「ソーセージとキャベツの炒め物」 さて、私が少年だった昭和中期の頃太平洋戦争の生き残り兵がグアム島で発見され、二十数年ぶりに帰国するというニュースが当時ありました。密林の中で28年間も孤独と戦って生き続けたと話題になったものです。卒業間近な六年生のある日、私は音楽の授業に使うリコーダーを忘れて持ってこなかった時、音楽担当の教師から執拗に叱られた事があります。その密林で28年間生き続けた兵士を引き合いに出して、忘れ物をした私の落ち度をクドクドと小一時間責め続けたのです。音楽の授業そっちのけ。「兵士の○○さんは28年間もコツコツと生き続けたのに、この××はたった一日の授業に使う笛さえ持って来れない」等と宣うその教師の話にクラス全員大爆笑ではありましたが、時折私がリコーダーを忘れた事を如何に情けないかを織り交ぜるので、私だけは何が可笑しいのか理解できず、ただ悔しいだけでした。
2013年08月09日
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本日の弁当のおかずは「ミートボール&茹でニンジン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学五年の時、クラスで学級委員の選挙で5票を獲得しましたが、果たして誰が私に投票したのか、当時推測したはずです。それを思い起こしてみますと、一人だけ私に投票したと言ってきた女子が居ましたので、それがまず1票。他の4票は特に親しい友人2人の気まぐれな2票は考えられます。当時はそれを問いただすような事はしなかったと記憶してます。さて、あと2票は誰だったのか・・・・・ひょっとしたら自分自身の名を書いて投票したのかも知れません。有り得ます。そしてあと1票。一体誰だったのか。色々と思いめぐらせるのは楽しい物です。
2013年08月08日
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本日の弁当のおかずは「スクランブルエッグ・ピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃学級委員に選ばれる事は、その児童の親にとっては大変喜ばしい事に違いありません。「うちの子、学級委員なんですのよ」なんて会話が町内のあちこちであったはずです。あからさまに自慢しては嫌われるので、何となく遠回しに、もしくは言いたくて言いたくて我慢するとか、向こうから言ってくれないかとか、考えていた主婦達もきっと居た事でしょう。私が選出された事は一度も無かったのですが、それでも五年生の時に五票も獲得した事がありました。早速家に帰って親に報告。それでも親は大変喜びました。ちょっとした親孝行だったと思います。
2013年08月07日
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本日の弁当は「天丼」(エビ天4尾) さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校のクラスで学級委員が選出される場合、大抵は成績が良くてしっかりした児童が選挙で選ばれたものです。ですから学級委員になるような子は毎年選出されていました。前期と後期があって、一期に男女各一名ずつの二人です。要するに一年間で男女合わせて4人が学級委員となるのです。学級委員はホームルームの時間で司会をしたり、授業開始時と終了時に「起立、礼」の号令以外は、司令塔でも何でもありません。
2013年08月06日
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本日の弁当は「天丼」 さて、私が少年だった昭和中期の頃勉強が出来て運動神経も良い児童は、大抵は見かけも良いもので、それは男子に顕著でした。女子も勉強の出来る子はどこか落ち着いていて品のある、清楚感を醸し出していたように見受けられました。例外は、まずありませんでした。勉強だけが出来る子、運動だけができる子は多くいましたが美男子、美少女に属する児童は、希少ですがいずれも男子であれば三拍子揃った、女子では二拍子揃っていたのです。そして、それらは必ずと言っていいほど学級委員に選出されるものでした。
2013年08月05日
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本日の弁当は「カレーライス」 さて、私が少年だった昭和中期の頃概ね子供の頃というのは、勉強が出来て運動神経が良い子は見た目も良いという法則があるものです。私の周囲にも居ました。成績が良くて運動もできて、そのうえハンサムな奴が。それも一人ではなく3人も4人も居て、学年での短距離走で四天王と言えばその3~4人のスターの事でした。私も走力はあって、その四天王に食い込むかどうかといった存在であり、勉強は中の上から中の下を往復する状態で、ハンサムとは言えない児童だったにも関わらず、結構モテました。足が速いというだけで訳の分からない自信なんかが付いちゃって、おまけに相撲も強かった事もあって、本気になれば喧嘩は誰よりも強いんだなどと、根拠のない自信満々な面を密かに持っていたのです。
2013年08月02日
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本日の弁当のおかずは「潰し目玉焼き&焼きピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校の教師は方法を教えるのではなく、如何に児童本人が自力で創作するか、または独自の技術を所持しているかを評価するだけの存在だったように思います。紙の上に書かれた直線に添って、カッターナイフで上手く切り取ることが出来ないだけで頭を叩かれたり、指示通りに図形を書けなかっただけで罵声を浴びせられた事もありましたがこれは私だけでなくどんな児童にも公平に下された罰でしたので、虐げられた児童のチームワークは良かったと思います。
2013年08月01日
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