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本日の弁当のおかずは「焼きイワシ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃運動会は幼稚園でも開催されましたが、やはり私は足が速かったせいか、ご褒美の優勝バッジをたくさん貰いました。一等賞は紅い桜の花を象った小さなバッジが貰えて、それを胸に付けます。大凡、5から6競技に出るので、一等賞ばかりの子は紅い桜バッジだらけの胸になりました。すでに、幼稚園児の頃から疑問に思っていた事があります。なぜ、他の子は思いっきり走らないのだろうと。思いっきり走れば速く走れるじゃないかと、幼児ながら思っていたのです。それぞれ体力に差がある事を知らなかったので、自分だけでも本気で思いっきり走って見に来てくれている母親を喜ばしたかったのです。
2013年09月30日
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本日の弁当のおかずは「キャベツ、ハムとシーチキンのマヨネーズ和え」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学時代の運動会は全学年が紅白の二組に分かれて競い合いましたが、中学になるとクラス対抗になり、競技の勝利獲得点数で順位が決定されました。小学時代は運動会の日まで行進の仕方や整列の練習などを長々と指導されましたが、中学では入場行進もなく、ただ坦々と競技は進みます。華やかさでは小学時代が勝ります。運動場は狭いのですが、その利点として万国旗を飾り付ける事ができ、応援者達の歓声は町内に響き渡っていたのです。
2013年09月27日
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本日の弁当は「餃子弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃空が綺麗な秋は、私の大嫌いな運動会の季節ですが、この時期になると梨が出回ります。運動会は応援に来た家族と共に手弁当、という時代は影を潜め、昼は小学校、中学校とも給食でした。応援に来たご父兄は一旦家に帰るのです。運動会当日の給食には必ず「梨」が出ましたので、梨の匂いは運動会の匂いであり、なしを食べるとあの運動会の時の緊張感が蘇るのです。
2013年09月26日
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本日の弁当は「やきそば弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学高学年の頃は足が速いと言うだけで自信を持ち、喧嘩も強いんだと思い過ごしていたのですが、中学に入ると強そうなのが一杯居て、ちょっと下手に出て弱気に徹すれば上手く行くだろうというのが私の性格です。しかし、そのように生きていると、生活していると本当に弱くなってしまったのです。小学生時代だけに限れば負けず嫌いで、教室で泣く子などを観ると自分は絶対に人前では泣かないぞと誓うぐらいプライドが高かったのです。それが中学一年の秋、仲が良いと思っていた友人から無視されただけで、ヒックヒックとしゃくり上げてメソメソと教室で泣いてしまったのです。自分でも信じられませんでした。私は割と人気があったので、「誰が泣かしたんだっ?」と威勢の良いクラスメートが私を庇って虐めた友人の胸ぐらを掴んで威嚇してくれたのですが、まったく情けない自分にガッカリしました。それでもまだ子供だったので、それが尾を引くこともなく帰りには笑って下校するくらいで、己の情けなさと恥ずかしさで沈むような事はありませんでした。
2013年09月25日
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本日の弁当のおかずは「スクランブルエッグ・ピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学へ入学した当時の身体検査の事は良く覚えています。身長140センチ、体重30キロでした。外見は体重ほど痩せては見えなかったと思いますし、手足もそれほど細くはなかったと思いますが、胴体が痩せ細っていたのでしょう。入学して次の日、色々な説明会があって教室に詰め込まれて話を聞いている時に、すぐ横で横着そうな生徒が誰かの首を絞めて脅しているではありませんか。一言声を掛けて止めさせようかと思いましたが、なぜか思いとどまりました。後にその生徒は番長格となって悪名を轟かせました。今思うと、あのとき思いとどまって良かったなぁとつくづく感じます。
2013年09月24日
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本日の夕食は「玉子丼(玉葱入り)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学は小学校時代の平均的な良い子達ばかりではありませんでした。中学一年のクラスには隣の小学校では喧嘩ばかりしていたと思われる強者が結構居て虐められないように工夫しました。上手く機嫌を取るという性質はこのころに育まれたようです。それは成功し、低身長でガリガリであっても虐められる事はありませんでした。弱くないんだ、というプライドはありましたが、弱さに徹して守って貰うという考え方は上手く行き、持ち前のユーモアを発揮してクラスでの存在感は在った方だと思っています。しかし、男らしさが受けていく年代に差し掛かった事もあって、それが希薄な私のモテ度も下降するばかり。授業中に意表を突くような面白い発言をして笑いを取るぐらいしか存在感を維持する術はなかったのです。
2013年09月22日
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本日の弁当は「ギョウザ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃中学入学から半年くらいまでは、小学校時代の活躍を周囲がそれとなく噂してくれたのでしょう。私の評判は良い方でした。しかし、段々とメッキが剥がれてきたのです。勉強もしないので成績は悪く、虚弱体質なので頼りがいもなく、人当たりの良い面白いことをたまに言う人物、という位置に落ち着いてしまったのです。体育祭などで少しは名誉を回復したように思いましたが、私の勢いはドンドンと衰えていったのです。
2013年09月20日
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本日の弁当は「焼きたらこおにぎり」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学5,6年は自分で言うのも何ですが良くモテました。それが中学に上がると状況は変わります。これほど運気という物がハッキリしているとは、後々になって考えてみて不思議であると思った物です。中学へ進学する時は、近隣にある別の二つの小学校からも寄り集まって来ますので、三百人くらい入学した事になります。これまで会ったこともないような悪ガキやスポーツマン、天才、秀才が目の前に突如として現れ、私の存在感は一気に萎んだ気がしました。
2013年09月19日
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本日の弁当のおかずは「蒸し焼きハム&焼きたらこ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校までは足が速いだけで人気のあった私は、中学に上がると急に伸び悩む事となります。課外クラブは体操部に3年間所属して、運動神経には磨きを掛けていたのですが、脚力が思うように発達せず、私よりも遅かった人に50メートル走を併走したときに負けてしまったのです。周囲はまだ私の走力がずば抜けていると思っていたのか、今日は調子が悪いんだねという感じで、私の脚力の成長が無い事に気付いていませんでした。いくら体操部で技術を身に付けても、小学校の時のような自信は蘇ってこず、思春期を迎えるにしたがって容姿が重要なポイントとなってきた事もあって、モテていたというプライドだけが残っていく中学時代でした。
2013年09月18日
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本日の弁当は「ギョウザ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃当時、私が通っていた小学校の全校生徒数は、およそ750人で、今現在の生徒数をウェブサイトで調べると230人となっていて、昔は今の3倍以上も在籍していたことになります。それだからこそ運動会も華やかだったのです。すでに当時から家族が揃って応援に来ることが段々と減少してきていたもので、私が小学校に上がる前ぐらいまでが、家族揃って敷布を引いて座って、応援するような形だったのです。弁当も各家庭で持参していたのです。姉の運動会の応援を、五歳くらいの時に行ったと記憶しておりますが、昼には給食ではなく運動場に座ってみんなが持参弁当を食べていたのです。私もそこでおにぎりを食べた事を覚えています。
2013年09月17日
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本日の夕食は「おにぎり屋のおにぎり(鮭、昆布、たらこ)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃低身長で短足の私が、なぜ足が速くて運動神経が良かったのだろうと、今思うと不思議でなりません。クラスで整列すればいつも前から2番目か3番目。背の低い順番に並ばされますから前の方になるわけですし、頭でっかちで腫れぼったい顔面の割には肋骨が浮き出るほどのガリガリ体質でしたので、裸になれば栄養失調などと言われたものです。好き嫌いも激しく、肉類はハムとソーセージ以外は受け付けず、ご飯に塩をかけて食べるのが大好きな少年でした。唯一、背が伸びる可能性のある牛乳は大好きだったのに、成長期にそれを与えてくれるような余裕のある家庭ではありませんでした。私自身、今でこそ低身長を悔やみますが、当時は背の低い事など気にならず、背を伸ばそうという意欲が全然なく、自分の体型が異常に短足である事さえ気が付いていなかったのです。
2013年09月15日
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本日の弁当のおかずは「スクランブルエッグ・ピーマン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校の運動会を思い起こしていますが、リレーや徒競走、フォークダンス以外に何が種目として存在したのか、いまひとつ思い出せません。玉入れゲームは一年生の種目でしたし、綱引きは学年別に競っていたような気もするしパン食い競争とか借り物競走などといったものは一度くらいは在ったような気がします。もっとバラエティに富んだ種目が在れば、緊張せずに楽しめたと思うのですが、小中高を通じて運動会の季節は緊張しっぱなしの時期だったのです。反面、その試練を乗り越えた後のホッとした気分に浸れるのも、この秋の季節なのです。
2013年09月13日
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本日の弁当は(夜勤)「ギョウザ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校の運動会には必ずフォークダンスがプログラムにあり、それによって普段はあまり接触しない女子と半強制的に手を繋ぐ事となるのです。練習の時は皆同じ反応を示します。踊りが終わって手を離した途端に「うわーバイキンが付いた」と言って手をズボンで拭く仕草をするのです。
2013年09月12日
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本日の弁当は(夜勤)「かきあげ弁当」 さて、私が少年だった昭和中期の頃高度成長期の日本では、国を挙げてのイベントは何をやるにしても物珍しくて盛況だったものです。子供だったので社会の事は良くわからず、現在のようにイベントを反対する団体もあったでしょうが、そういう事は子供の耳には入ってきませんでした。今でこそ五輪となるとイメージソングの大安売りで、民放各局が独自の曲を出してきますが例えば1972年の札幌冬季五輪ならトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」しか無かったと記憶してますし、1964年の東京五輪では三波春夫の「東京五輪音頭」を他の歌手との競作で出ていたと思いますように、昔は1イベントに1曲のイメージソングだったと記憶しております。五輪というとメダル授与式などの時にファンファーレで盛り上がっていたと思いますが最近の五輪はファンファーレが無くなったのでしょうか。2020年の五輪は是非ともファンファーレの復活を願いたいですね。
2013年09月11日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「焼きビーフン」 さて、私が少年だった昭和中期の頃東京五輪が1964年に開催され、その6年後に大阪万国博、その2年後に札幌冬季オリンピックが開催されましたので、ほんの10年の間に3つの大きなイベントがあったわけです。大阪万博は夏休みに父親の運転する車に乗って行ったのですが、帰りは駐車場を出るまでにかなりの時間が掛かり、その後も渋滞に巻き込まれたり、それを避けるために見知らぬ道路を走って道に迷ったりと、帰宅時は夜中の0時を過ぎていたと思います。やっと名古屋の端っこに車が差し掛かったとき、道路際でラーメンの屋台が目に留まり、車内でラーメンを啜ったことを覚えています。当時はインスタントラーメンが流行りだして、とても美味しく感じられる年頃だったので、屋台のラーメンはなぜか口に合いませんでした。あまり美味くはなかったのですが、それでも忘れられない味のひとつです。
2013年09月10日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「サバの塩焼き」 さて、私が少年だった昭和中期の頃先日、2020年東京五輪開催が決定しましたが、私が五歳の頃にも東京で五輪が開催されたのです。その行進曲などは後に末永く活用され、朝礼や土曜日の帰宅時には必ず五輪に因んだ行進曲が校内放送としてかけられたのです。五歳でも重量挙げで日本人選手がメダルを獲った事を確実に覚えてまして、アベベというマラソンランナーの事も良く覚えています。よく東洋の魔女と言われる女子バレーボールチームがソ連相手に金メダルを獲った場面もリアルタイムで観ていたのです。
2013年09月09日
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もうすぐ五輪開催地が決定しますが、東京が選出されるか占ってみました。地沢臨の初爻の卦を得ました。これは皆で感動し、力を合わせて前進する意味があるのです。きっと東京は選ばれるでしょう。
2013年09月07日
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本日の弁当は(夜勤)「ちらし寿司」 さて、私が少年だった昭和中期の頃運動会だけが自分の運動神経の賞賛を浴びる事柄ではありません。体力測定なる行事もモテ度アップのものだったのです。私が苦手だったのは身体の柔軟度測定とソフトボール投げだけでして、それ以外の懸垂回数だとか垂直跳び、走り幅跳びなどは群を抜き、何と言っても50メートル走の記録は他のクラスまでにその偉業が響き渡ったのです。五年生となると50メートル走で8秒を切ると速い方だと言われていて、私はその春に7秒6を出すと大絶賛を浴び、一時期は学年で一番速いという栄誉を得たのです。しかし、その座は秋の体力測定ですぐに奪われる事となりました。他のクラスで7秒2を出す者が複数現れたのです。 運動会でもアンカーとして走ったクラス対抗も、その強者にゴール寸前で抜かれてしまい後日の学区体育祭でも同じ奴にゴール寸前で並ばれるという失態を演じてしまったのです。
2013年09月06日
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本日の弁当は(夜勤)「スパゲッティ&オムレツ(ハム・にんじん・玉葱入り)」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学生時代、足の速い子と言えば成績が良くて見映えも良いという、文武両道の貴公子みたいな存在が同級に三人いて、私を入れると四天王です。といってもこれは自称ですが。そうしたモテモテの四人の中で、謙遜するわけではないのですが、低身長で胴長短足、頭でっかちな私がなぜモテたか不思議ですが、足が速く運動神経が良いだけでモテてしまう子供時代の特徴とでもいうべきでしょうか。そうなると妙な自信が付いて、自分は何でも出来ると錯覚し、誰と喧嘩しても勝てるなどと思いこんでいました。それを打ち消す事柄が起きなかった小学生時代は、まさに井の中の蛙だったと思います。特に五年生、六年生の時期は自信満々から来る余裕からか、学校では良く笑う子供でした。
2013年09月05日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「サバの塩焼き」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学校の運動会では紅組と白組に別れて競い合いました。ツバの無い半円形の帽子を被るのですが、リバーシブルで裏返せば赤になったり白になったり。大凡決め事として奇数のクラスが紅組とか、偶数のクラスが白組とか毎年それが交互に変化します。二年二組や四年四組が白組になったりするわけです。当然、学年混合紅白リレーというものがあって、一年生から六年生までの代表男女六名ずつが男女交互に走るのです。足が速いと多くのレース代表に選出されるわけで、私は脳貧血で倒れた経験から、あまり多くの種目に登場して疲れて再び倒れるのを懸念していたのですが、実際は殆どのリレーに駆り出されました。私の出場した種目を上げますと◇徒競走◇クラス対抗リレー◇町内対抗リレー◇紅白リレー以上の四つの競技に六年間続けて出たのです。名誉なことなのでしょうが、何度も緊張感に晒される事が運動会嫌いの根本だったんです。フォークダンスとか玉入れゲームのような、全員で行うものなら割と好きなんですけどねぇ。
2013年09月04日
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本日の弁当のおかずは「デミグラハンバーグ&茹で玉葱」 さて、私が少年だった昭和中期の頃小学二年生の時、運動会の予行演習の終了間際、整列中に脳貧血を起こして倒れた事がありました。それが原因で毎年運動会になると倒れやしないかと不安で一杯でした。倒れたとき、担任の女教師も若く、何故に私が倒れたのか理解できていなかったのでしょう。医務室に運ばれた私はその担任に「朝ご飯ちゃんと食べたの? 給食は食べさせてあげるから少し寝てなさい」と言われてしまいました。まるで私が空腹によって倒れたかのようで、とんでもない誤解です。
2013年09月03日
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本日の弁当のおかずは(夜勤)「スパゲッティ」 さて、私が少年だった昭和中期の頃長い夏休みが終わって学校へ行かねばならなくなった事実に、顔を曇らせて小学校へ登校するのですが、おかしな事に憂鬱な顔をしたクラスメートは居ないのに気付きます。なぜだ?夏休みが終わって悲しくないのか?つまらない学校へ来て嫌じゃないのか?まったく周囲は休み前と変わらぬ表情で黒板に向かって座って居るではありませんか。私のような学校嫌いは少数派だったのでしょうか。やっと休みぼけから解放されて周囲に馴染むのは9月の後半辺りで、運動会という一番嫌いな行事が差し迫ってくる頃でした。
2013年09月02日
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