シマクマ君さんへ
意味不明の【ストレイシープ】がなければこの作品は成り立たない。このように言い切る自信が鮮やかに映える。
研究者とか批評家は口をつぐんでいる。それはどうしてなんでしょう?

 一寸わき道にそれるが。小林秀雄が漱石に全く触れずに「志賀直哉・ドストエフスキー・トルストイ・モーツアルト・ゴッホ・実朝・本居宣長」などにはものすごく執着しているのはなんだろう。。
 自ら修して知れと言われても無理ですのでご示唆願います。 (2019.05.04 16:47:03)

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2019.04.26
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​​​​​​​​   ​ ​夏目漱石 「門」 (新潮文庫)
​  2018年 の秋の話なのですが、十月になって 漱石 「三四郎」(新潮文庫) を案内しました。この秋は 漱石 で頑張ってみましょうか、そんな気分で、十月の半ばに、はその続編、 「門」 について書きました。​​
 ​​ 夏目漱石 の長編で 前期三部作 と呼ばれているのが 「三四郎」、「それから」、「門」(新潮文庫) 後期三部作 「彼岸過迄」「行人」「こころ」(新潮文庫) ですね。​​
​​​​​​​  漱石 という人は題名に関して実に無頓着な人だったそうで、 「それから」 「三四郎」 のそれからの話という意味で、 「門」 はお弟子さんの 森田草平 が口にした題名を適当につけて、門という言葉に話を合わせるのに苦労したとか。​​​​​​​​​
 「彼岸過迄」 「彼岸過ぎまで」 と読みますが、正月に書き始めた小説を、 ​お彼岸​ 、だから ​3月​ かな?くらいまで書き続けて終わらせようという意味でつけたとか。
​​​​​​​​​​​​​

「漱石の登場人物はまじめすぎてついていけない。」
​ まあ、そんなふうにおっしゃる人がいらっしゃるようですが、こと、題名に関してはマジメなのかどうか(笑)。
 最近の小説家で 「雑誌に掲載するのに少し長すぎるのですが。」 という編集者に対して 「じゃあ、適当に切ってください。」 という返事をする人がいるそうです。 ​「カンバセイションピース」(新潮文庫)​ とか、 ​「明け方の猫」(中公文庫)​ とか、 ​「未明の闘争」(講談社文庫)​ とか、ボクとしてはオススメの作品を書いている ​保坂和志​ という人なのですが、まあ、不思議な人が昔も今もいるもんだと思います。
 さて、 「門」 ですね、。主人公は、前作 ​「それから」​ の主人公 「代助」 の、その後の姿を描ているという説がありますが、友人の恋人であった女性を奪って、一緒に暮らしてきた中年の男です。一人の女性をめぐる三角関係の勝者の話というわけですだ。名は 野中宗助 、細君の名は 米(およね) です。​​​​​​​​  ​​​​​​       
 で、話はこんなシーンから始ります。​​

​​ 宗助は先刻(さっき)から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫をしている。  
 ​「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、「ええ」と云ったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。​ ​​

​青空です。 ​​
​​ 仕事をやめて、これといってすることがありません。うろうろと歩き回って、海べりのベンチや、高台の上の石碑の前で、煙草を喫います。周りには誰もいません。振り向くと、向こうのほうに男女の二人連れが歩いていたり、小鯵を釣っているおじさんがいたりします。​​
 見上げると青空が広がっていることがあります。ボンヤリと見上げていると、心が騒ぎ始めることがあります。格別、何が見えるというわけではありません。空の隅々まで青い色が広がっていることが、何とはなしに不思議な気がしたり、ふと、昔の思い出が浮かび始めたりすることもあります。見上げ続けているとまぶしくなって、下を向くきます。急に、ここにいることは誰も知らないし、何もすることがないことが、浮かんできて、誰かに話しかけたくなるのです。

​​「青いなあ、まぶしいなあ。」
​​​​​ もちろん、話しかける相手なんて、誰もいません。独り言です。もう一度見上げると、もう、ほっとした気分が戻ってきて、じっと見入りなおします。長く見上げていると、やはりまぶしい。
​​  宗助 が見上げた 青空 が、まあ、季節は違うのかもしれませんが、そんなふうに見えることもあるということを、ぼくは、この年齢にまで知りませんでした。​​

​ 小説はこんなふうに続きます。​​

​ 宗助は仕立おろしの紡績織の背中へ、自然(じねん)と浸(ひた)み込んで来る光線の暖味を、襯衣の下で貪ぼるほど味いながら、表の音を聴くともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、「御米、近来の近の字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず「近江のおうの字じゃなくって」と答えた。「その近江のおうの字が分らないんだ」 細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、その先で近の字を縁側へ書いて見せて、「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺め入った。
​ 宗助は細君の顔も見ずに、「やっぱりそうか」と云ったが、冗談でもなかったと見えて、別に笑もしなかった。細君も近の字はまるで気にならない様子で、「本当に好い御天気だわね」と半ば独り言のように云いながら、障子を開けたまままた裁縫を始めた。すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡げて、「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。「なぜ」「なぜって、いくら容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。 しまいには見れば見るほど今らしくなくなって来る。 ―― 御前そんな事を経験した事はないかい」「まさか」​​
​​​​​ 日向ぼっこをしている夫と縫い物をしている妻。なんともいえないのどかな、中年の夫婦の様子が描かれています。なんでもないことがふと分からなくなるような、しかし、笑って終わる話です。縁側で青空を見上げながら、独りごちるように話しかける 宗助 の後ろには、うつむきながら裁縫をしている 御米 が座っています 。秋の日ざし が、座敷に座っている 御米 の膝のあたりまで差し込んでいます。その陰影が、小さな庭の垣根越しに見えるシーンのように目に浮かんできます。​​​​
 小説を読み終えると、このシーンがじっと尾を引いてくるおもむきがあります。街の中を歩いていて、見たこともないこの二人のシーンが浮かぶことが、時々あります。夢を見ているわけではありません。長い間に、何度か読みなおして、こうして引用していても、涙がこぼれそうになるのはぼくだけなのでしょうか。

​ 小説はこんなシーンで終わります。​
​ 御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、「本当にありがたいわね。ようやくのこと春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。 ​​
​​ 秋から春へ移り変わった季節の中で、小説の登場人物たちには体何があったのでしょう。
 小説の最後の、このシーンで、春の光に眉を開いて季節の歓びを口にする 御米 に対して 「またじきに冬になるよ」 とうつむいたまま答える 宗助 の、ちぐはぐな言葉に出会うぼくの中には、、身ごもった子どもを次々と失った妻の哀しい心持や、過去の影におびえる夫の気弱な煩悶の記憶が呼び返され、淡淡とした哀しみとなって広がっていきます。で、涙がこぼれそうになります。

2018/10/13

​​​​追記2019・11・21
夏目漱石「三四郎」の感想はこちらをクリック ​して下さいね。 ​​​​ ​​


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最終更新日  2025.07.11 09:55:52
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Re:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
analog純文  さん
 どうも。また立ち寄らせていただきました。
 個人的には、私の好きなこんな小説の感想をたくさん書いてほしいなあと思います。
 この記事は楽しかったです。 (2019.04.27 06:55:18)

Re[1]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
シマクマ君  さん
analog純文さんへ
ありがとうございます。やっぱり漱石というと月並みですが、ぼくは好きです。また、寄ってくださいね。
(2019.04.27 09:18:57)

Re:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
籐首亮 さん
宗助が鎌倉円覚寺の塔頭「帰源院」で坐禅をする動機が曖昧 (2019.05.02 00:16:18)

Re[1]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
シマクマ君  さん
籐首亮さんへ
そうですね、何故そうするのかの曖昧さは、ある意味、漱石の小説の特徴じゃないでしょうか。ただ、描かれている場面の「深さ」のようなものは、やはり、群を抜いていると思います。
コメントありがとうございます。 (2019.05.03 12:03:47)

Re[2]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
籐首亮 さん
シマクマ君さんへ
そういえばそうです。例えば「三四郎」

 美禰子が池之端で三四郎の目を見る。嗅いでいた花を落として去る。

広田先生の引っ越し手伝いに行き2階から美禰子は暗いと言って三四郎を呼ぶ。 

 菊人形の会場から抜け出し人気のない川べりの草の上に座り長い間話合う。【迷える羊(ストレイシープ)…・解って?】小さな声で独り言のように云う。

漱石は美禰子の心を読者に与えない。三四郎は読者と同じように美禰子に惹かれていることは確かなのだが真意がつかめないで苛々する。 (2019.05.03 16:18:14)

Re[3]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
シマクマ君  さん
籐首亮さんへ
そうですね。「三四郎」の「ストレイシープ」なんて、意味不明の典型ですね。現代小説で、こんなふうに書くとボロカスでしょうね。でも、このキーワードがないと「三四郎」は小説として成り立たない感じがしますね。
そのあたりのことって、じつは研究者とか批評家は口をつぐんでいますね。それも。ぼくには面白いですね。
「こころ」の先生の奥さんだって、ちゃんと書かれているとはいいがたい。
にもかかわらずの面白さ。それが、いいんですが。
コメントありがとうございます。 (2019.05.04 02:02:34)

Re[4]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
籐首亮 さん

Re[5]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
シマクマ君  さん
籐首亮さんへ
 なんか、わくわくしてきましたね。ぼくの場合は、自信じゃなくてはったりですよ。それくらいの自覚はあります。

 ぼくは小林秀雄から、江藤淳、吉本隆明を経由して漱石にたどり着きました。40年前の話ですが。この二人のメインは「夏目漱石」ですよね。二人とも結局、最後まで漱石。そして、おそらく二人の批評の方法は「小林秀雄」解体。

 小林を暴論的はったりになるのを覚悟で言えば、「シンボル」から「全体像」へという経路に、手品を潜ませる批評だと思います。ドストエフスキーの癲癇や死刑、ゴッホの聾と告白、宣長の墓、実朝の政治、みんな本業の作品の出来具合と関係ないこと。そこに批評の肝を見つけた。肝かどうかの判断基準が、「真贋」。

 ぶっちゃけて言うと、「勝手にいううとけ」みたいな感じですが、江藤と吉本はそういう名人芸的「天才」批評、「わかる奴にはわかる」っていうのを解体したかったんじゃないでしょうか。でないと、批評はみんな古道具の目利きの、懐手の仕事ということになる。というのが僕の勝手読み。でも、好きなんですよね小林秀雄。

 その小林が、漱石と鴎外を相手にしなかった。なぜなんでしょうね。案外、小林にとって、足元をすくわれかねない対象だったのかもしれませんね。

 例えば「ストレイシープ」は漱石の文学においては、かなり大事な「カギ言葉」だと、ぼくは受け取っています。小説を書くということが、「さまよえる」存在の自己暴露でしかありえないにもかかわらず、書き続ける作家漱石。そんな感じかな?懐手している小林には、これを相手にするのは危険だった。

 今回はこれくらいで。どうも根拠なしで、適当なはったり。申し訳ありません。でもコメント、なかなか刺激的でした。ありがとうございます。 (2019.05.04 22:51:09)

Re[6]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
籐首亮 さん
シマクマ君さんへ
 何だかものすごい宿題を供与されて気息奄々の態です。

 江藤淳の「妻と私」の本が月2回血圧の薬をもらいに行く主治医の控室の棚にあり必ず読みます。
 妻の看病をしながら「漱石の時代」を書きます。妻の死後最後の巻を書き上げてから浴槽で手首を切りました。

~互いに認め合う関係~
江藤さんは奥さんが亡くなわれた翌年に自殺なさったんですが、その時に吉本さんは長い追悼文を発表しています。

 「今日も又対立かなと思って出掛けたが対談が始まるとすぐに、江藤淳がもうかんかんがくがくはいいでしょうと陰の声で言っているのが分かった」と書いている。そして、その時「僕が死んだら線香の一本もあげてください」と江籐は言ったと書いている。

 この二人の批評家は思想的に言えば、一方は極左,左の遥か彼方にいる批評家だし、もう一方は保守で、右という事になるのだが実は非常に似通ったところがあった。しかもお互いに認め合っていたと思われる。
   中央公論特別編集「吉本隆明の世界」2012年6月発行より抜粋

 江藤淳の方は何とかなりますが、吉本隆明と埴谷雄高の思想は全く異質で高邁でどうしても追うことができません。
 小林秀雄にはなぜか親しみを抱くことができて解らなくてもよいのです。
随分戦線が拡大して戦いの行方が五里霧中となりました。

やれやれ夜も更けましたのでこの辺でおしまいです。有難う御座いました。 (2019.05.05 02:00:00)

Re[7]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
シマクマ君  さん
籐首亮さんへ
 今朝、昨日の新聞を見ていると、平山周吉という人が「江藤淳は甦る」(新潮社)という本を書いたという広告がありました。なんか、偶然ですが、そうか、と思いました。
 妻の看病の時期に江藤が書いていたのは「漱石とその時代第五部」(新潮選書)ですよね。第一部と第二部は1970年代にでて、高校生でした。二十年たった、1990年代に入って三部以降を書き始めて、結局未完で遺作になったのが第五部。
 ぼくは第三部を新刊で買った翌日早朝、神戸の震災、ドタバタ騒ぎの中、買ったばかりの本を紛失。だからなのかどうか、それ以後、江藤を読まなくなったという個人的思い出の本。今回のコメントで思い出させていただいたのを契機に読みなおそうかな最後まで、ふとそんなことを考えています。
(2019.05.05 12:16:37)

Re[8]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
籐首亮 さん
シマクマ君さんへ
お願いがあります。
昨秋三四郎を書かれましたが拝読したいと思い【過去の記事】を検索しましたがができませんでした。どうすればいいのでしょうか。 (2019.05.05 18:41:51)

Re[9]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
シマクマ君  さん
籐首亮さんへ
書き直していて、手間取っています。嬉しいご要望なのですが、しばらくお待ちください。どうもすみません。 (2019.05.06 01:07:24)

Re[10]:夏目漱石 「門」 (新潮文庫)(04/26)  
籐首亮 さん
シマクマ君さんへ
漱石も「三四郎」の次は【それから】といったわけですから
平成最後の秋になぜその順番を守らずに『門』に飛び越えたのでしょうか。
やっぱり「それから」を案内してください。

 煽りは=なにごとについてもいけないことですが。5月6日立夏 (2019.05.06 10:27:48)

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