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世を去って20年、日本史がお好きな人のための 読書案内
の定番は、やっぱり、 司馬遼太郎
だろうか。
《早く生まれすぎた男》 とでも呼ぶほかない人物、 河井継之助 の悲劇的生涯と重ねて描いた 「峠」(新潮文庫) と、枚挙にいとまがないわけですが、たとえば、この北越戦争で壊滅的打撃を受けた長岡藩の末裔の教育思想が、いつかの総理大臣が口にした「米百俵」という言葉だったりするわけですが、 これらの長編小説は、その、ほとんどが文庫化されて、ある時代の学生たちにもよく読まれました。まあ、その結果というのでしょうか、あまり賢そうでない近頃の国会議員たちが、やれ吉田松陰が、高杉晋作がと、この時代の人物を理想化して口にする様は、彼の小説群の世相に与えた影響力と考えてよさそうだ。
「男らしい!?」 わけですが、じつは、そう描かれている、そこにこそ司馬遼太郎の文体の秘密があるという、ちょっと醒めた眼差しも忘れてはあきませんよという気がボクはするのですが。
現実には一介の幽閉された行動家に過ぎない松陰が「孟子」でいちばん愛したのは「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」という一語であった。臣下が誠を尽くせば、君上はこれを信じ、上下の心は必ず通じる。誠は人を動かす。そう思い込んだ松陰の行動原理はあまりにも純粋無垢で、俗吏がはびこる世間では処置に困るほど、いや、時には門弟たちすら辟易するほど真っ正直だった。 つづけて 「小塚原の首」 の章では安政の大獄に連座した 吉田松陰 の姿が描かれています。取調べの三奉行(寺社・町・勘定)の前で松陰は
ペリー来航以来の幕府を批判して熱弁を揮った。ヤブヘビだった。信じられないような真っ正直さで、老中間部詮勝の迎撃を計画したことを進んで申し立ててしまったのである。 ここには 松陰 の愚かしいとも、誠実ともいえる素顔がクローズアップされています。
妄想の人の至誠が人を動かし、歴史はアイロニカルに場面転換していっ た のでした。 この四冊には幕末を生きた人々の素顔が 細密な風刺画 、 怜悧なサタイア として、愚かしさも純粋さもくっきりと描き出されています。現実を生きた人間だからこその猥雑なリアリティがそこには浮かんできます。
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