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これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・・・
まろうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーっと退いてゆく際に、眩くのぞかれるまっ白な空をながめた、なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまって。「死」にとなりあわせのようにまろうどは感じたかもしれない。生がきわまって独楽のように澄む静謐、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。・・・・ この、とてもよく似た二つの文章を読んで、すぐに作家と作品を言い当てることができる人は、小説家 三島由紀夫 と、かなりなお付き合いをしてきた人だと思います。 ちなみに、一つ目は、 三島由紀夫 の絶筆 「豊饒の海」第四部「天人五衰」(新潮文庫) の最後の文章で、二つ目が、 三島 、十代の文壇デビュー作、 「花ざかりの森」(新潮文庫) の結末部です。
「その松枝清顕さんいう方は、どういうお人やした?」 「豊饒の海」 をお読みになった方であればご存知でしょう。この言葉の後、会話はこう続きます 。
輪廻転生をテーマにしたこの、長大な小説の結末に、小説の結構そのものを、すべて無にしかねない、この会話を用意した、 三島 の意図とは何か。それが 大沢 が解き明かそうとした二つ目の謎でした。「しかし、御門跡は、もと 綾倉聡子 さんと仰言いましたでしょう」
「はい。俗名はそう申しました」「それなら 清顕君 を御存知でないはずはありません」
「いいえ、 本多 さん、私は俗世で受けた恩愛は何ひとつ忘れはしません。しかし 松枝清顕 さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?何やら 本多 さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもおられなんだ、ということではありませんか?お話をこうして伺っていますとな、どうもそのように思われてなりません。」
「では私とあなたはどうしてお知り合いになりましたのです。又、綾倉家と松枝家の系図も残っておりましょう。戸籍もございましょう。」
「俗世の結びつきならな、そういうものでも解けましょう。けれど、その 清顕 というお方には、 本多 さん、あなたはほんまにこの世でお会いにならしゃったのですか?又、私とあなたも、以前たしかにこの世でお目にかかったのかどうか、今はっきり仰言れますか?」
「たしかに六十年前ここへ上った記憶がありますから」
「記憶というてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」
「しかしもし、 清顕 君がはじめからいなかったとすれば・・・」
「それなら、 勲 もいなかったことになる、 ジン・ジャン もいなかったことになる。・・・そのうえ、ひょっとしたら、この私ですらも…」
「それも心々ですさかい」
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