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写真をご覧ください。この本の表紙を飾っているこの少女の記録が本書の中にあります。
チェスワヴァ・クフォカ( 1928 ~ 1943 ) 名前と生没年、アウシュビッツ収容所の囚人番号、ポーランドの政治犯をあらわす記号 PPole だけが、この少女がこの世に「15年間」生きた記録とし記されています。その記録ととも残されていたのは、この写真と、アングルを替えた同じサイズの2枚の小さな肖像写真でしたが、その写真も本書には記載されています。
1942 年 12 月に収容された少女。
囚人番号 26947。 記号 PPole。
写真技術とドイツ語がしゃべれることをナチスに利用され、アウシュビッツ収容所の「名簿記載」係として働き、奇跡的に生還しました。 2012 年、 94 歳まで生きた人だそうです。
写真技師 ブラッセ
は 4
万枚を超える犠牲者の名簿用肖像写真、ナチス親衛隊の将校や医師によって行われた、ありとあらゆる残虐行為の現場記録を写真に撮ることを仕事にさせられた人物だったのですが、生還したのち 70
年、二度とカメラを扱うことができなかったそうです。
生還後、彼が覗き込んだファインダーには、目前の被写体ではなく、死んでいった何万人もの姿が映り続けていたそうです。
訳者 関口英子さん
による「あとがき」によれば、彼は、生前、 2006
年にポーランドで作られたされたテレビドキュメンタリー「肖像写真家」で自らの体験を語ったこともあるそうですが、本書は ルーカ・クリッパ( LucaCrippa
)
と マウリツィオ・オンニス( MaurixioOnnis
)
という二人のイタリア人ライターが、そうした資料や ブラッセ
への直接インタビューの内容をもとに、共同で書き上げたドキュメンタリー・ノベルだそうです。
そのせいでしょうか、 ブラッセ
の「名簿記載班」での生活は、最終的に彼が収容所での生活で偶然出会い愛した女性と、解放後、再会するというクライマックスに向けて「構成」されている印象を受けました。
果たして、それがこの作品の評価を変えることになるのかどうか、読んでいただくほかはないと思います。
表紙を飾っているポーランドの 少女のあどけない眼差しは、この瞬間何を見ていたのでしょう。 ヴィルヘルム・ブラッセ が自ら撮影し、この世に残した、 証明写真の意味を、きちんと考える時代が、今、やって来つつあるとぼくは思います。いや、もう来ているのかもしれませんね。
悲劇を生んだ全体主義の再来を防ぐためにも、それがいかに悲惨なものであろうと、私たちはブラッセの撮った写真から目をそらしてはならない。 関口さん の 「あとがき」 の最後の言葉です。こういう発言がリアルに感じられると思うのはぼくだけでしょうか。
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