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コロナの日々
が始まって 3年
が過ぎました。この間、一応、人並み(?)に コロナ体験
も済ませました。症状が思いのほか軽かったためもあって、家族や知人の親切を思い返す貴重な体験だったりしました。ほかには、外出にはマスクをするとか、帰宅すると手を洗うということが習慣化しましたがそんなもんだという気分になりつつあります。
目次 確かに 「 第3章 患者は特別なひと?―文学と結核には」 では 徳富蘆花「不如帰」 に始まる 近代結核文学 が話題にはなっているのですが、この論考の狙いは、ボクが予想した 「近代結核文学概観」 とは別にありました。
序章 患者って誰のこと?
第1章 病気になるのは誰のせい?―国家と結核
第2章 空気が変わるとき―文化と結核
第3章 患者は特別なひと?―文学と結核
第4章 病むわたしの日常を綴る―書くことと結核
第5章 確かな情報はどこに?―患者とメディア
第6章 「病いはわたしを鍛える」―患者と修養
第7章 発信する、つながる、笑う―患者交流欄のしくみとはたらき
終章 わたしたちのからだは誰のものか
昭和三年当時未だ学生の兄は夭折、昭和六年私発病続いて八年弟も亦、そうして今尚この九月には父は遂々不遇のまま。ナンテ泣言可笑(おかし)いです。(埼玉 しづ) 梶井基次郎の自意識 も 堀辰雄 の ロマンティシズム もありませんね。 埼玉のしづさん の、今、生きていることを誰かに伝えるための投稿のようです。
がんばっても、がんばらなくても未来はつねにどうなるかわからない。誰にとっても。保証はない。昨日までの自分と。今日の自分が同じでなくてもいい。自分のなかに、矛盾した自分が何人いてもいい。相手によってコロコロ変わるお調子者でも、まったくかまわない。どう転ぶかわからない今を生きるとき、世界は発見に満ちたものとしてあらわれる。(P185) 第7章 発信する、つながる、笑う―患者交流欄のしくみとはたらき に記されている著者自身の生の言葉です。本書はコロナ流行に乗じた ご時世ご用達本 ではありません。10年以上にわたって、図書館に通い文献資料を調べ尽くした 労作 です。
世界は発見に満ちたものとしてあらわれる。 心地の良い響きですね。いや、ホント、ご苦労様でした(笑)
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