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目次この 目次 によれば、講演者が 5人 ですが、実は フランス文学 の 菅野昭正 の 「はじめに」 はかなり気合の入った 丸谷才一論 です。特に、初期の代表作 「エホバの顔を避けて」 、 「笹まくら」 という二つの作品を俎上にあげ、中期の 「たった一人の反乱」 以後への、丸谷流モダニズム小説の変遷をその英国文学体験から語り始める展開は、なかなか読みごたえを感じました。
はじめに 丸谷才一の小説を素描する 菅野昭正
第1章 昭和史における丸谷才一(川本三郎)
第2章 書評の意味―本の共同体を求めて(湯川豊)
第3章 快談・俳諧・墓誌(岡野弘彦)
第4章 官能的なものへの寛容な知識人(鹿島茂)
第5章 『忠臣蔵とは何か』について(関容子)
あとがき 菅野昭正
これを言うのに少し勇気がいるけれども、 丸谷さんをしのぶ会 で柔(やわ)なことを言ったら、 丸谷さん はきっと怒るだろう。 丸谷さんの魂 もまだ鎮まってないでしょうから(笑)。大事な問題だから言っておきます。ちょっと、トンボ切れなのですが、近代日本という国家の成立過程で、見捨てられた荒魂に対する 「魂鎮め」、「御霊信仰」 をめぐって、 「王」として天皇 について、穏やかですが、本質的にはラジカルなことをおっしゃっていますね。国家における 祭祀の王 の役割の意味は、まあ、現代ではタブー視されていて、 平成帝 の 戦跡や災害地訪問 は 「やさしさ」のエピソード・ニュース としてしか扱われないわけですが、さすが、 折口信夫の一番弟子 という視点ですね。
日本人は近代になって、革命と言ってもいいような 明治維新 を遂げたわけですけれどども、その時、多くの死者が出た。そして、 その死者の魂の鎮めの問題 は今でも続いています。幕末の維新が遂げられて、近代国家へと歩み始めた直後は無理だったでしょうけれども、一〇年、三〇年と経過していくうちに、例えば、佐幕派の東北諸藩の死者たちをなぜあのお社に合祀してやらなかったのか、あるいは、幕府の遺臣たちの中で命を縮めていった人たち、江戸を守ろうとして死んだ人たちをなぜ祀ってやらなかったのか。あるいは、あの八甲田山の演習の死者たちをなぜ祀ってやらなかったのか。
明治、大正、昭和の三代は日本が近代国家になるために外国と戦いをいくつもした。そして、敵、味方の多くの人が亡くなりました。特に今度の戦いの後、 昭和天皇 はA級戦犯を靖国に祀ることに絶対に反対であった。それを宮司さんが代わって、福井藩士の松平春嶽のお孫さんで海軍の高級将校であった人が宮司になった途端にA級戦犯を合祀した。それは 昭和天皇 の与り知らないことであったわけです。そのときから 昭和天皇は靖国神社へ参拝なさらなくなった 。 今の天皇 もそれを継いでおられます。
今の天皇 は 明治、大正、昭和の天皇 とは違っております。先の 三代 はあんなふうにいくつも戦いがあって、我々の先輩たち、祖先たちは戦い抜いて、そして、この近代国家、日本ができたわけです。しかし、同時にその戦いの相手の国、あるいは、東洋の近隣の諸国にいろいろな被害を及ぼした。そのことを、 敵も味方もへだてなくその魂を鎮める ということに専念していられるのが 今の天皇 です。そして、 昭和天皇 よりもさらに細やかに地方を回られ、戦跡を訪ねて、敵、味方の魂を鎮めるためにあんなに敬虔に祈られる天皇と皇后というのは歴史の上にも前例がないほどです。
だから、そういうことを考えると、 今の政治家たちの発言の不用意さ というものが、私には嘆かわしいことだという気がします。領土問題について 中国の政治家 が 「昔の人たちは非常に聡明だったから解決法もあっただろう。しかし、我々はそれほど聡明にはなり得ていないから、これは保留にしておこう。やがて、聡明な我々の子孫たちが自然に解決する時が来るだろう」 と言ったと伝えられています。孔子、孟子の国の政治家が言う言葉ですよね。それなのに前の東京都知事なんかが、大変粗略なことを、然もアメリカに行って申しました。(P114)
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