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庭と呼ぶより家屋と塀の間とでも言った方がふさわしいほどの奥行のない土地の真中にブロックを二つ置き、その上にコンクリートの板を渡しただけの低い棚に並べられた盆栽達が、時折自分をじっと監視しているように思われることがあった。定年を前にした尊彦が釧路の系列会社の役員になって移るとき、東京の家に残ると言い張り続ける静子に対して最後にいった言葉が盆栽のことであったからかもしれない。 唸ったというのは、こういう一節でした。 「群棲」 と題されて描かれている作品群の舞台は東京の近郊、最寄り駅からは歩いて帰ってこられる住宅地の一角の路地のなか、向かい合わせの四軒の住居です。時は1980年代の始めころですが、その四軒に住む家族のありさまが描かれています。
俺の盆栽を枯らさないでくれよ。
その一言で彼女は今の暮らしを手に入れた。そしてしばらく黙っていた後、この歳になってから独身生活をするとは思わなかったな、と夫はぽつんと呟いたのだった。(「水泥棒」P185 )
子供もそれぞれ独立して出て行ったのだし、寝たきりの老人を抱えているわけでもない夫婦だけの家庭なのだから、どこから見ても静子は夫についていくのが自然だったろう。家は親会社が社宅に借りあげ、将来東京に戻る時にはいつでもあけるようにするとの話もついていた。にもかかわらず、彼女はどうしても夫と共に北海道に行く気になれなかった。 作品は、一人暮らしをしている 静子 の家の 玄関先の水道 が、誰かに使われていて、いつの間にか水が出しっぱなしになっているという 「事件」 をめぐって描かれているのですが、ボクが唸ったのは、 1980年代 に 50代の女性とその夫 といえば、ちょうど、 1920年代から30年代に生まれた世代 なのですが、それは、まあ、 ボクたちの親の世代 でもあって、 その世代 の、 その年頃 の、だから、結婚生活を30年暮らした、 そういう女性 に
引っ越しが面倒だとか、冬の寒さが身にこたえるといった気遅れがあるのは事実だったが、それが本当の理由ではないことを静子は知っていた。ひとつなにかを諦めれば、これまでと同じように口ではぶつぶつ言いながらも結局は尊彦について行ってしまいそうな自分をすぐそこに感じていた。だからこそ、彼女はそんな自分にこだわりたい気持ちが一層募るのだった。
昔のことがひっかかっているのかい、と夫は気弱げに訊ねもした。
そんなことなら今までの暮らしだって出来なかった筈でしょ、と彼女は夫の疑いを無造作に押し返した。自身にも気持ちの底はよくわからなかった。未亡人になった時の練習をしておくのもいいんじゃないかしら、とは口には出しかねた。今のうち少し不自由に馴れておけば私が死んだ後あまり苦労しないで暮らせるわよ、とだけ彼女は答えた。どちらの言い方が夫にとってより酷いものであるかを考えるゆとりはなかった。
一度だけ我が儘を言わせて下さい。
言葉とともに突然涙が溢れ出た。なぜか自分が可哀そうでならなかった。可哀そうな自分を妻に持つ夫も気の毒だった。そして静子自身も予期しなかったその涙が、おそらくは尊彦から盆栽についての言葉を引き出したのだった。
あんた達、枯れないでよ。私が困るんだから。(P186)
「なぜか自分が可哀そうでならなかった。」 と言わせている リアル とでもいうべきところでした。
「ああ、そうだったんだ!」 と、唸るという感じでしたね。
目次 (数字はページ)
オモチャの部屋 5 (1981年「群像」8月号)
通行人 31 (1981年「群像」10月号)
道の向うの扉 53 (1982年「群像」2月号)
夜の客 75 (1982年「群像」6月号)
2階家の隣人 97 (1982年「群像」9月号)
窓の中 123 (1982年「群像」11月号)
買物する女達 151 (1983年「群像」3月号)
水泥棒 177 (1983年「群像」6月号)
手紙の来た家 201 (1983年「群像」8月号)
芝の庭 227 (1983年「群像」10月号)
壁下の夕暮れ 251 (1983年「群像」12月号)
訪問者 279 (1984年「群像」2月号)
週刊 読書案内 古井由吉「雛の春(「わ… 2021.02.23
週刊 読書案内 古井由吉「ゆらぐ玉の緒… 2019.12.26