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2024.01.25
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​黒井千次「群棲」(講談社・講談社文芸文庫)​ 2024年 、お正月早々読み始めた小説集に唸っています。 黒井千次「群棲」 です。
​​​​​​​​  1981年 から ​1984年​ 、文芸誌 「群像」 誌上に連載された 短編連作集 です。現在では 講談社文芸文庫 にはいっていますが、ボクは、元の単行本、 1984年4月27日第1刷 で読みました。何年か前に、元町の 三香書店 の店先に 100円 で置かれていた本です。​​​​​​​​
 庭と呼ぶより家屋と塀の間とでも言った方がふさわしいほどの奥行のない土地の真中にブロックを二つ置き、その上にコンクリートの板を渡しただけの低い棚に並べられた盆栽達が、時折自分をじっと監視しているように思われることがあった。定年を前にした尊彦が釧路の系列会社の役員になって移るとき、東京の家に残ると言い張り続ける静子に対して最後にいった言葉が盆栽のことであったからかもしれない。
 俺の盆栽を枯らさないでくれよ。
その一言で彼女は今の暮らしを手に入れた。そしてしばらく黙っていた後、この歳になってから独身生活をするとは思わなかったな、と夫はぽつんと呟いたのだった。(「水泥棒」P185 )
​ 唸ったというのは、こういう一節でした。 「群棲」 と題されて描かれている作品群の舞台は東京の近郊、最寄り駅からは歩いて帰ってこられる住宅地の一角の路地のなか、向かい合わせの四軒の住居です。時は1980年代の始めころですが、その四軒に住む家族のありさまが描かれています。​
​​​​ 上に引いたのは 「水泥棒」 という、 定年間近の夫 を単身で送り出し、東京で一人暮らす 妻静子 の生活のありさまを描いた作品の一節ですが、 静子 の内面がこんなふうに描かれています。​​​​
 子供もそれぞれ独立して出て行ったのだし、寝たきりの老人を抱えているわけでもない夫婦だけの家庭なのだから、どこから見ても静子は夫についていくのが自然だったろう。家は親会社が社宅に借りあげ、将来東京に戻る時にはいつでもあけるようにするとの話もついていた。にもかかわらず、彼女はどうしても夫と共に北海道に行く気になれなかった。
 引っ越しが面倒だとか、冬の寒さが身にこたえるといった気遅れがあるのは事実だったが、それが本当の理由ではないことを静子は知っていた。ひとつなにかを諦めれば、これまでと同じように口ではぶつぶつ言いながらも結局は尊彦について行ってしまいそうな自分をすぐそこに感じていた。だからこそ、彼女はそんな自分にこだわりたい気持ちが一層募るのだった。
 昔のことがひっかかっているのかい、と夫は気弱げに訊ねもした。
 そんなことなら今までの暮らしだって出来なかった筈でしょ、と彼女は夫の疑いを無造作に押し返した。自身にも気持ちの底はよくわからなかった。未亡人になった時の練習をしておくのもいいんじゃないかしら、とは口には出しかねた。今のうち少し不自由に馴れておけば私が死んだ後あまり苦労しないで暮らせるわよ、とだけ彼女は答えた。どちらの言い方が夫にとってより酷いものであるかを考えるゆとりはなかった。
 一度だけ我が儘を言わせて下さい。
言葉とともに突然涙が溢れ出た。なぜか自分が可哀そうでならなかった。可哀そうな自分を妻に持つ夫も気の毒だった。そして静子自身も予期しなかったその涙が、おそらくは尊彦から盆栽についての言葉を引き出したのだった。
 あんた達、枯れないでよ。私が困るんだから。(P186)
​​​​​​​​​​​​ 作品は、一人暮らしをしている 静子 の家の 玄関先の水道 が、誰かに使われていて、いつの間にか水が出しっぱなしになっているという ​「事件」​ をめぐって描かれているのですが、ボクが唸ったのは、 1980年代 50代の女性とその夫 といえば、ちょうど、 ​1920年代から30年代に生まれた世代​ なのですが、それは、まあ、 ボクたちの親の世代 でもあって、 その世代 の、 その年頃 の、だから、結婚生活を30年暮らした、 そういう女性
​「なぜか自分が可哀そうでならなかった。」 ​​
​  と言わせている リアル とでもいうべきところでした。​​​​​​​​​​​
​​ まあ、今読むからそう感じるのかもしれませんが、 1980年代の始め 、すべてがご和算になる直前の、戦中から戦後という50年の時代を普通に生きてた親たちの世代の、社会に対する実感というか、崩壊に対する予感というか、まあ、何を考えて生きているのかというようなことについて、前を向くことに夢中で気づかなかった世代、まあ、小説のなかの「子供たち」が、いつの間にか、親たちのその年頃を越えて、フト、手に取って読み始めて
​「ああ、そうだったんだ!」​​
​  と、唸るという感じでしたね。​​
​​​ さて、今の、だから、崩壊感覚が空気のように広がっていると老人は実感する今の、この小説の現在から40年余り経った今の、二十代、三十代の方が,こういう作品をどう読まれるのか、ボクには、もう、見当もつきませんが、一度お試しになられてはいかがでしょうね(笑)。
 著者の 黒井千次さん 90歳 をこえられて、 「老いのゆくえ」(中公新書) とか、なんとか、老人生活を綴ったエ​​​ッセイでご健在のようです。ボクの場合は、そっちを読むのが本筋かもしれませんね(笑)。

目次 (数字はページ)

オモチャの部屋  5   (1981年「群像」8月号)​
通行人  31     (1981年「群像」10月号)
道の向うの扉  53  (1982年「群像」2月号)
夜の客  75      (1982年「群像」6月号)
2階家の隣人  97  (1982年「群像」9月号)
窓の中  123    (1982年「群像」11月号)
買物する女達  151   (1983年「群像」3月号)
水泥棒  177      (1983年「群像」6月号)
手紙の来た家  201   (1983年「群像」8月号)
芝の庭  227      (1983年「群像」10月号)
壁下の夕暮れ  251   (1983年「群像」12月号)
訪問者  279      (1984年「群像」2月号)

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最終更新日  2024.01.25 01:08:16
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